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尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

「LGBT」問題を描く映画「カランコエの花」

2018年10月31日 23時18分54秒 | 映画 (新作日本映画)
 「カランコエの花」という短編映画が話題になっている。東中野で「Workers 被災地に起つ」を見た後、JR中央線で3駅行った阿佐ヶ谷にある「ユジク阿佐ヶ谷」という小さな映画館に行く。そこで2日まで3時半から上映している。それに気付いて、ぜひ見てみようと思った。わずか39分という短編だけど、高校を舞台に「LGBT問題」を扱っている。料金は一本分と同じなので、なんだかコスパが悪い気もしたけど、逆に早く帰れるから身体に楽。これは見てよかった映画だった。

 一ノ瀬月乃という女子高生がいる。母親が赤いシュシュを買ってきて、カランコエみたいで可愛いという。そんなシュシュをして学校へ行く。ブラスバンド部に入っている。クラスには仲良し4人組がいて、一緒に校庭でお昼を食べる。友だちが焼いたクッキーを持ってきて、皆で美味しいと食べあう。そんな学校生活だったけど、ある日英語の先生が休んで自習になるはずのところ、養護教諭が来て「LGBT」の説明を始める。クラスの男子が「他のクラスは普通の自習だった」と言い始める。うちのクラスだけLGBTの授業をしたってことは、このクラスに「当事者」がいるんじゃない? 

 実際にいるのか、いるとしたら誰なのか? 無責任にはやし立てる男子もいる中、クラスの心が揺れていく。そんな映画で、筋をこれ以上書いちゃうと面白くないから、これで止めておく。39分だから、このワンアイディアで映画が進む。この後どうなるんだろうと思うと終わっちゃうけど。高校生という年齢に身近な設定でセクシャル・マイノリティの問題を考えさせる。どこの高校かなと思うと、田園風景が出てきて途中で水戸行きのバスが出てくる。ラストのクレジットで判るけど、茨城県立那珂高校でロケされた。東京新聞10月19日の紹介記事によると、高校が全面協力して生徒もエキストラで出てるという。地方の高校という場所の設定が効果的。

 カランコエ(Kalanchoe)ってどんな花だろう? ベンケイソウ科の低木多年草で、原産地は東アフリカ、南アフリカ、マダガスカル辺り。光をあてる時間を調節すると、一年中花を楽しめるとある。映画の中で、母親がカランコエの花言葉は「あなたを守る」だと言う。それが映画のテーマを象徴するような感じだが、調べてみると他にも「幸福を告げる」「たくさんの小さな思い出」「おおらかな心」というのもあった。どれもこの映画にふさわしいけど、特に「たくさんの小さな思い出」もいいな。
 (確かに赤いシュシュっぽいカランコエの花)
 主人公の月乃役は今田美桜という女優。「いまだ」と打ち込むと、今田耕司より先に出てくるんでビックリした。主要キャストはやはり皆芸能活動をしている人が演じてる。「その他大勢」がエキストラなんだろう。監督・脚本・編集は中川駿(31歳)という新人。演出や映像にはどうかなというところもないではないけど、高校生を描いているという意味ではあまり気にならない。「カメラを止めるな」もいいけれど、「カランコエの花」もぜひ全国で大々的に上映されて欲しい。時間が短いから高校生割引500円ぐらいで。それと短いから、国会の議員会館でも上映をしてはどうか

ブラジルで極右と言われるボルソナロという人が大統領に当選した。軍政時代を賛美し、黒人や女性、性的マイノリティへの差別的発言をしてきたという。世界的に性的マイノリティに対する理解が進んでいるかと思うと、反動も大きいのである。それは日本でも同様だが、「いのちに関わる」問題だという認識と想像力が教師には必要だろう。身近にいるはずだが、なかなか見えない。公然と表明している有名人は知ってても、クラスの生徒にいるかどうかは判らない。僕も夜間定時制高校に勤務した時に初めて「GID」(性同一性障害)を自任する生徒と出会った。

 それを思うと、この映画の養護教諭のやり方には問題が多い。「個人プレー」になってしまっている。学校論、教師論でよく書いてきたように、学校も行政組織の一つであって「組織」で動かないといけない問題がある。やはり一度学年会や生活指導部会で話し合って、全校的に進めるやり方を模索するべきだった。それにセクシャル・マイノリティの問題を説明するときに、「誰かを好きになるのは素敵なこと」、それは「異性の場合も同性の場合も同じ」だといった風に語りがちだ。でもストーカーに悩んでいる生徒もいるし、「無性愛」(性的な欲求がない、少ない人)という問題もある。LGBTを学校で考える時に配慮しないといけない。この映画は39分だから、授業時間内で見られる。やがてDVDが発売されたら、全国の高校で討論型授業をやって欲しいなと思った。
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記録映画「Workers 被災地に起つ」

2018年10月31日 21時15分58秒 | 映画 (新作日本映画)
 優れたドキュメンタリー映画を作ってきた森康行監督の「Workers 被災地に起つ」が東中野のポレポレ東中野で上映されている。前作「ワーカーズ」も見てるし、大震災の被災地の「ワーカーズ・コープ」(労働者協同組合)の映画だというから、見なくてはいけないと思った。

 とても興味深い映画だったが、それは「ワーカーズ・コープ」というものへの興味が大きい。ワーカーズ・コープそのものに関しては、前作のブログを参照して欲しい。要するに働くものが自分で働く場を作る。利潤を求める株式会社を起業するのと違って、お金を出し合って自分たちで自分を雇うようなものだ。最初に出てくるのは、岩手県大槌町。大津波で壊滅的な被害を受けたところである。「復興」も進むが、人口も減った。このままでは障害者や高齢者、子どもの居場所がなくなってしまう。福祉の仕事を必要とする人たちが自分たちで仕事場を作ってしまった。

 続いて宮城県の亘理(わたり)町登米(とめ)市の山村も描いてゆく。亘理町はやはり大津波で多くの犠牲を出した。地震の時は仙台空港で整備士をしていた人が、震災で人生観が変わって「ワーカーズ・コープ」を作った。登米では日本初の「山村」のワーカーズ・コープが作られている。かつては炭作りで栄えた地区も、限界集落になりつつある。そんな村に住みついた若者たちが、何も知らないまま山仕事を始め、苦労の末に村人に受け入れられてゆく。

 何より出てくる人たちの顔がいい。自分で切り開いた道を歩いている誇りがある。全員に向くかどうかは別に、もっともっと「ワーカーズ・コープ」というものが必要だなと思う。多くの日本人が将来に不安を抱えているだろう。「働き方改革」などという言葉が踊っている今こそ、必要な映画だ。7年経った大震災の被災地を理解するためにも。自分の「働き方」を見直すためにも。

 森康行監督は以前「こんばんは」という映画を作った。東京墨田区の夜間中学をじっくりと撮り続けた映画だった。その当時墨田区の定時制高校で働いていたので、その映画に出てくる生徒の何人かを教えている。夜間中学を卒業して夜間定時制高校に入学する高齢の生徒がいたのである。「こんばんは」はその学校でも、あるいは三部制高校でも生徒に見せる機会を作ってきた。そんな森監督の仕事はずっと見続けて行きたいと思っている。
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魅惑のノワール「アンダー・ザ・シルバーレイク」

2018年10月30日 22時34分19秒 |  〃  (新作外国映画)
 「アンダー・ザ・シルバーレイク」というロサンゼルスを舞台にしたアメリカのノワール映画を見た。もう素晴らしいとしか言葉がない魅惑的な映画。キャッチコピーが「全世界に未体験の恐怖を突き付け、大ヒットを記録した『イット・フォローズ』のデヴィッド・ロバート・ミッチェル監督が放つネオノワール・サスペンス!」って言うんだけど、ホラーはあまり見ないので「イット・フォローズ」は見てないし…。だから見る気はなかったけど、映画評を読んで見たいなと思った。

 「恋におちた美女が突然の失踪。彼女の捜索を始めたオタク青年サムは、夢と光が溢れる街L.A.<シルバーレイク>の闇に近づいていくのだが――」。この紹介コピーでは、なんだかよく判らない。街では犬が殺される怪事件が頻発し、店には「犬殺しに注意」という落書きがされた。そんな状況を象徴するように、「ジーザスとドラキュラの花嫁」という怪しげなグループの歌が流行り、富豪が謎の失踪をしている。そんなロスの一角で、サム(アンドリュー・ガーフィールド)はアパートの家賃を滞納している。仕事のないらしいサムは昼間から隣人たちを双眼鏡でのぞき見している。

 犬を連れた美女サラ(ライリー・キーオ)が引っ越してきたのを見たサムは、犬にエサをあげてサラに近づく。まんまと仲良くなれたサラは「また明日」と言い残して、翌朝見たら部屋から消えていた。一体何があったのか。ひそかに部屋に忍び込んで調べ始めたサムは、ロスの裏に潜んでいる闇に囚われていく。怪しげなコミックの作者を訪ねたり、いろんなパーティを渡り歩いてロスの闇を探ってゆくと…。「ジーザスとドラキュラの花嫁」の歌詞には暗号があるという噂を聞き、サムは試行錯誤しながら暗号を解読し、鍵となるグリフィス天文台に出かけてゆくが。

 過去の映画やロック音楽などの引用がいっぱい出てきて、それも面白い。屋外映画会を見ていると、そこは墓地でヒッチコックの墓標がある。そんなこんなの彷徨のすえ、ついに行きついたのは墓地の下にシェルターを構えるカルト教団だった。全体が夢なのか現実なのかよく判らないシーンが多いが、それぞれの映像が実によく決まっている。サムが出会う人々は皆怪しげでうさん臭い。全体がまさにアンダーグラウンドのカルチャーにあふれていて、見ていて飽きない。

 グリフィス天文台の使い方も面白く、これは一種のアンチ「ラ・ラ・ランド」かなと思う。夢を実現する街ではなく、悪夢と迷宮のロスである。思えばロサンゼルスほどノワール映画にふさわしい都市はない。チャンドラーやロス・マクドナルドの小説がロスとその近郊を舞台にしていたように。「シルバーレイク」はロス東方の貯水池だが、今はその周辺がオシャレな地区として有名だという。水不足が悩みのロスでは昔から貯水池がたくさん作られてきた。映画ファンならロマン・ポランスキーの「チャイナタウン」をすぐに思い浮かべるだろう。

 チャンドラーの映画化作品「三つ数えろ」や「ロング・グッドバイ」、あるいはエルロイ原作の「L.A.コンフィデンシャル」。さらにデヴィッド・リンチの「マルホランド・ドライブ」などロスを舞台にしたノワール映画は数多い。リンチはだんだんアート色が濃くなって、長大で訳の分からない映画が多くなった。この映画は通俗とアートの境目を自在に越境している。ポール・トーマス・アンダーソンの怪作「インヒアレント・ヴァイス」に近いかもしれない。カルト映画として語り継がれること確実の映画で、そういうのが大好きな人には絶対に見逃せない。まあ好き好きはあると思うけど。
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「負け犬の美学」とボクシング映画の話

2018年10月29日 22時56分10秒 |  〃  (新作外国映画)
 フランス映画「負け犬の美学」が公開されている。珍しくフランスのボクサー映画なんだけど、ちょっとボクシング映画について書いてみたいと思う。世にボクシング映画は数あれど、この「負け犬の美学」はかなり変わっている。何しろ45歳という年齢で、年とって弱いというだけでなく生涯戦績が48戦で13勝3分け32敗(だったかな)というレベル。家族からはもう引退してと言われているが、50戦するまでと言い張っている。こんな弱っちい中年ボクサーは初めてだ。

 ボクシング映画をいくつ挙げられるか、10本言えるかどうかは映画ファンの分かれ目じゃないか。いくつもすごいのがあるわけだが、「ロッキー」を先頭にチャンピオンを目指して成功する、または挫折するというのが定番の筋書きである。その間に家族関係やケガ、あるいはギャング組織から八百長を迫られるとかで一旦は挫折しかかる。そこへ、過去の栄光を忘れられずに鬱屈を抱えて生きていた「伝説のボクサー」が現れる。彼がトレーナーとして付くことで、もう一回チャンピオンを目指して猛特訓を開始して、いよいよタイトルマッチの日がやってくる…。
 (ロッキー)
 「負け犬の美学」の主人公、スティーブ・ランドリーマチュー・カソヴィッツがやっている。1967年生まれだから、実年齢はもう50歳である。監督としても知られ、30代で作った「憎しみ」(1995)はカンヌ映画祭監督賞を得た。フランスの荒れるスラムの姿を正面から描いた映画だった。「アメリ」ではヒロインが恋する相手役を演じた。俳優としても監督としても知られている人が、今さらボクサー役をやっている。もう試合もなかなか組まれないが、いつまでも引退の決心がつかない。悲哀や哀愁をにじませるボクサー。

 49戦目も負けたスティーブだけど、彼がそれまで縁がなかったタイトル戦はこの映画でも出てくる。原題「Sparring」とあるように、チャンピオン戦に出るボクサーのスパーリング・パートナーに選ばれたのだ。自分から押しかけて行って、相手と昔戦った経験があると言って売り込む。もちろん負けたんだけど。そんな売込みが成功して、スパーリングの相手を務めるが太刀打ちできない実力差。そんなとき、公開練習を娘が一度見てみたいと言い出して…。

 見ている方も心配になってくるけど、主人公が何かの鬱屈を抱えているというのはボクシング映画の定番。主人公は貧困や差別を抱えてボクサーになった。「ロッキー」や、「レイジング・ブル」、近年の「ザ・ファイター」など。実在のモハメド・アリを描いた「ALI アリ」も同じ。アリは記録映画も多くて「モハメド・アリ かけがえのない日々」「フェイシング・アリ」などがある。1971年のベストテン10位に入ったマーティン・リット監督の「ボクサー」もすごい。黒人として初めてヘビー級チャンピオンになったが、白人女性と恋に落ちた実在のボクサーをモデルにしている。波乱万丈度、不条理度では一番と言ってもいいボクシング映画だ。
 (レイジング・ブル)
 「負け犬の美学」のスティーブは、もちろんボクサーでは生きて行けずレストランでアルバイトしている。妻が美容師で、これで生活が成り立っているんだろう。娘がピアノが大好きで、レッスンに通わせると親バカですごい才能だと信じる。何とかピアノを買ってやりたいけど、そのためにはボクサーをやめてちゃんと働いてと頼む妻と、いやボクサーとして頑張って稼ぐんだと言い張る夫。これもルーティンではあるけれど、娘役のビリー・ブレインという子役が超絶的に可愛い。この子は絶対美人女優でブレイクしそうだから、先物買いで見ておく価値があると思う。

 ボクシング映画は日本にも多い。寺山修司の「ボクサー」、阪本順治監督、赤井英和主演の「どついたるねん」、最近では「あゝ、荒野」がすごかった。裕次郎の「勝利者」、北野武「キッズ・リターン」、「あしたのジョー」の実写版もあった。女性ボクサーも最近はあって、日本では安藤サクラ主演の「百円の恋」だが、なんといってもクリント・イーストウッドの「ミリオンダラー・ベビー」だろう。昔のハリウッド映画には「チャンピオン」「傷だらけの栄光」とかいっぱいあった。裏ワザだけど「ロッキー2」「ロッキー3」とやっていけば10本はすぐ。6本作られたが、「クリード チャンプを継ぐ男」という続編が作られたのにはビックリした。
 (あゝ、荒野)
 「負け犬の美学」ではチャンピオン復帰を目指すボクサーとして、ソレイマヌ・ムバイエという現実のチャンピオンが出ている。この人がなかなか演技も上手で、見せてくれる。監督・脚本は、サミュエル・ジュイという新人。舞台やテレビで活躍している俳優だというが、なかなかの才人である。北部のルアーヴルの町の様子もうまく生かされている。最後の試合でも「ルアーブル魂を見せろ」と言われている。とにかく勝っても負けても最後の50戦目、弱いボクサーなりの美学に心打たれる。
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ムハンマド皇太子の関与は?-カショギ事件続報②

2018年10月28日 21時13分29秒 |  〃  (国際問題)
 カショギ事件続報を書いたときにサウジアラビアのムハンマド皇太子の関わりに関して書けなかったので、もう一回。ムハンマド・ビン・サルマーン・アール=サウード(1985~)は皇太子であると同時に、第一副首相国防大臣でもある。第一副首相というと首相がいるようだけど、「内閣」は存在しない絶対王政なので、各行政ポストを統括する存在は国王しかいない。
 (「未来投資会議」に出席したムハンマド皇太子)
 名目上は「ナンバー2」で、アメリカならペンス副大統領、日本なら麻生副総理にあたるが、事実上は「サウジアラビアの最高責任者」とみなされている。サウジアラビアは1932年の建国以来、初代国王アブドルアジーズ・イブン・サウド(1876~1953)とその子供たちが王位を継いできた。現在のサルマン国王(1935~)は7代目。イブン・サウドの25人目の男子で、異母兄のアブドラ国王の死去で即位した。これまでは皇太子は高齢の弟が務め、特に大きな権力はなかった。

 イブン・サウドの子どもにはもう国王候補がなくなり、初めて建国の父の孫世代のムハンマドが皇太子に抜てきされた。国王は高齢で病気もあるらしい。実子の皇太子が権力を代行するようになるのも自然のなりゆきだ。しかし若い皇太子は急進的な改革を進めていて、支配層内部でかなり強い反発があると思われる。2017年11月には11人の王子を含む多数の有力者が汚職の名目で拘束された事件も起きた。特に重大なのは、皇太子が国防相をずっと兼任していることだ。もともと選挙も言論の自由もないけれど、軍を掌握する皇太子に反対するのは王族でも難しいだろう。

 トルコのエルドアン大統領の国会演説は、ムハンマド皇太子の関与の有無には触れなかった。しかし、まあそれは当然だろう。触れると考える方がおかしい。第一に関与の有無をはっきり証明する証拠はトルコ側にはないだろう。「実行犯」が全員国外にいる以上、捜査には限界がある。しかし、トルコ側の心証としては「皇太子の命令で行われた」というものではないか。超大国なら国家機関の一部が暴走する可能性はあるだろう。でも国家規模が小さくて独裁的な支配を行う国では、最高権力者の意向なくして外国での大々的な作戦が実行できるとは思えない。

 積極的な命令でなくても、少なくとも「強制連行」の「了解」や「黙認」なくして、こんな事件は起きない。それが常識的な見方だろう。かつて北朝鮮が実行したテロ事件でも同じである。70年代後半から80年代にかけて、ラングーン事件(韓国の全斗煥大統領を当時のビルマの首都ラングーンで爆殺しようとした事件)や大韓航空機爆破事件、日本人を含む多くの拉致事件などが起こった。その時期は金正日(キム・ジョンイル)が金日成の後継者としての地位を確立しつつあった時期だった。特務機関を握るキム・ジョンイルの承認なくして、それらの事件は起こらなかったと思う。

 その時期のキム・ジョンイルと今のムハンマド皇太子には、権力確立期であり、軍や諜報機関を握っているという共通点がある。アメリカでは軍とCIA(中央情報局)が反目することがあるが、絶対王政のサウジアラビアでは軍も諜報機関も王家に絶対服従だろう。しかし、トルコがムハンマド皇太子の関与を公に非難することは考えられない。トルコ領内で起きた(と考えられる)「死体遺棄事件」に外国高官が関わっていたとしても、トルコが裁くことは不可能だ。だからこそ、これほどの「疑惑」は大きくかきたてて交渉カードとしての価値を高めるために使うはずだ。

 中東情勢は複雑で、もともとトルコはソ連に対抗する最前線国家でNATO(北大西洋条約機構)にも加盟している。アメリカの同盟国で、シリア内戦でも反アサド政権派をともに支援してきた。だからアサド政権を支援するロシアと対立していたが、アメリカが反ISを優先してシリア内のクルド民族組織に軍事援助することを非難して、ロシアと近づいてきた。27日にはイスタンブールでトルコ、ロシア、フランス、ドイツのシリア和平をさぐる首脳会談も開かれた。シリア和平問題では、トルコの影響力が強まりサウジアラビアの影が薄い。

 一方、深刻なのはイエメン内戦。複雑すぎて簡単に書くこともできないけど、シーア派に近いとされる「フーシ派」をイランが支援している。ハーディ暫定大統領は南部に勢力を保ち、スンナ派のサウジアラビアやアラブ首長国連邦から支援されている。他にも「アラビア半島のアル・カイダ」の組織も力を持ち、群雄割拠状態。食糧不足状態が続き、飢餓が広がる人道危機が起こっているが、ここにはジャーナリストも行かないし行けない。

 サウジアラビアが中心のアラブ連合軍をムハンマド皇太子が組織し、内戦に介入してきた。フーシ派はイラン製とも言われるミサイルをサウジの首都リヤドに向けて発射したりしている。アラブ連合軍もバスを誤爆し子どもの犠牲が生じる事件も起きた。イエメン内戦の「泥沼化」こそ、サウジアラビアの危機であり、カショギ記者も内戦介入を批判してきたという。サウジアラビアの原油埋蔵量はぼう大で、オイルマネーも豊富。短期的にはムハンマド皇太子の地位がすぐに揺らぐとは考えがたいが、イエメン内戦の行方によってはサウジ王族内で反皇太子派が出てくることは考えられる。
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カショギ事件続報、サウジとトルコの対応

2018年10月26日 23時20分18秒 |  〃  (国際問題)
 先に「恐怖のカショギ事件-サウジアラビアの闇」(2018.10.18)を書いたので、その続報。サウジアラビア政府は、10月20日にイスタンブールの総領事館でカショギ氏が死亡した事実を認めた。「サウジアラビアに連れて帰ろうとしてカショギ氏と口論になり、ケンカが行き過ぎて死亡した」という内容だった。一方、トルコのエルドアン大統領は23日に首都アンカラの国会で演説し、「事前に計画された殺人だった」と断定したが、ムハンマド皇太子の関与には触れなかった。
 (演説するエルドアン大統領)
 エルドアン演説があった23日の深夜、菅官房長官が緊急記者会見を行い、3年余りシリアの反政府組織に拘束されていたフリージャーナリスト、安田純平さんの解放情報を伝えた。その情報はカタールから伝えられ、トルコ東部のアンタキヤで保護されたということだった。カタールとトルコの密接な関わり、シリア内戦と反体制派への影響力の大きさを感じさせる。サウジアラビアはムハンマド皇太子の主導でカタールと断交したが、トルコはカタールを支援し続けてきた。カショギ事件を見ても、サウジアラビアに比べてトルコの情報戦略の巧みさが印象的である。

 ところでカショギ氏の遺体はどこにあるのだろうか。サウジアラビア当局は「容疑者」として18人を拘束しているとされる。「殺害」を認めているんだから、遺体の行方も当然知っているはずだ。知らなくても、すぐに捜査して遺族に謝罪するべきである。サウジアラビアも検察当局は計画的殺人であることを認めたというが、まだ遺体の関する情報はない。そういう意味で、サウジアラビアは未だ「半落ち」状態にある。その理由としては、一つには遺体が損壊されている可能性だろう。そのままではサウジ諜報機関の残虐性を印象付けてしまうようなケース。

 もう一つの可能性として、死体遺棄がトルコの法に触れることで両国の折衝が続いている場合である。今回の事件では、殺人そのものではトルコは犯人を裁けない。総領事館内部の問題は、外交特権があって公館の置かれている国の捜査権が及ばない。だからウィキリークス事件ジュリアン・アサンジ氏は2012年以来、ロンドンのエクアドル大使館内に在住してる。

 オーストラリア人のアサンジ氏は、ウェブ上に世界の政府等の秘密文書を公開するサイト「ウィキリークス」を2007年に開設した。それは大問題を引き起こしたが、それとは別に2010年にスウェーデンで2人の女性に対する性的暴行容疑が起きた。スウェーデンは国際手配しているが、アサンジはロンドン滞在中にエクアドル大使館に亡命を申請した。申請は認められ、その後2018年1月にはエクアドル国籍も認められた。エクアドルはアサンジ氏を「自国民」として出国させようとしたが、英国当局は大使館外に出たらアサンジ氏を拘束すると明言している。

 そもそもサウジアラビアは「殺すつもりではなく、連行するつもりだった」とするが、トルコからすればこれはトルコの国家主権を侵害する意図を「自白」したのと同じである。1973年8月に起こった金大中事件では、東京に合法的に滞在していた金大中氏を韓国情報機関員が非合法的に拉致した。そのことで日韓の国家間で大問題になったわけだが、同様のことが今回の事件にも言える。合法的にトルコに滞在していたカショギ氏を本人の意図に反してサウジに連行することは、トルコ刑法に触れるはずだ。ましてや死体をトルコ国内に遺棄したりしていれば、トルコは犯人の特定と送還を要求するはずだ。サウジ当局はそれを避けたいのではないかと思う。

 サウジアラビアはなぜこんな事件を起こしたのだろう。僕にははっきり判らないけど、「選挙のない国」の独裁者ということではないか。エルドアンも独裁的だし、トランプも独裁的で親サウジ。この程度の問題なら押さえてくれると思ったのではないか。しかし、独裁的とは言え、トルコもアメリカも選挙で選ぶ以上、余りにも説明できない事態は認められない。特にトルコにとっては、トルコ女性の婚約者が犠牲になったわけで、国民の関心も高いだろう。ここまで公然と国家主権を踏みにじられたら、トルコも引くわけにはいかない。

 それと同時に、サウジの対応に合わせて、トルコの映像を流して「計画性」を印象付けるなど、トルコの戦略がうまい印象がある。というか、サウジ側が拙劣すぎるというべきか。それを考えると、トルコ側は様々な折衝を裏で行っていると考えられる。例えば、遺体が「発見」され、カタールと「復交」することで、「犯人移送」を断念するとか。もちろん裏折衝は判らない世界なので、僕は予測できない。トルコの国民感情も絡んで、どういう決着になるか、今のところ予想できない。

 最後に。トルコの「監視カメラ」の威力である。トルコはアンカラやイスタンブールでテロが続いた。ISによるものもあれば、クルド過激派勢力によるとされるものもある。イスタンブールは世界でも最も有名な観光都市の一つだけど、度重なるテロ事件でずいぶん観光客も減ったことだろう。IS勢力の衰退もあるだろうが、2017年1月以後しばらく大きなテロが起きていない。トルコの対テロ監視能力は大きくアップしているはずだ。何もサウジアラビアの暗殺チームのための監視カメラではない。カショギ氏の事件を追及するのは、自国の「観光安全宣言」でもあると思う。

 トルコは長いこと、シリア内戦で反政権派を支援してきた。トルコもカタールもスンナ派ムスリム勢力のムスリム同胞団を支持している。アサド政権の最大の対立勢力はムスリム同胞団だった。しかし、サウジアラビアやエジプトはムスリム同胞団をテロ組織と認定している。同じスンナ派勢力でも、「ねじれ」がある。トルコの最大の課題はクルド国家の樹立を阻むことだから、シリア北部で事実上のクルド自治区ができるくらいなら、アサド政権が全土を支配する方がずっとマシだと考えているだろう。ムハンマド皇太子の問題はもう一回別に。
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東京から江戸へ-「明治150年」を考える③

2018年10月24日 23時10分50秒 |  〃 (歴史・地理)
 1868年9月(慶応4年7月)に、江戸が東京に改称された。だから2018年は「東京150年」でもある。今や「トーキョー」は世界に冠たる大都市で、東京都民の中にも違和感を持っている人はほとんどいないだろう。しかし、僕は「伝統を残す」という意味では、もうそろそろ「江戸」に戻してはどうだろうと思っている。まあ現実性はないと思うけど、そういう提起である。

 1868年4月に、新政府軍が江戸城に無血入城した。その後も旧幕臣等の彰義隊が上野に立てこもり、5月15日に総攻撃された。その後、新政府軍は東北地方から北海道へと攻撃を続けてゆく。そのような戦争のさなかに、事実上の「占領軍」が「東京」に改称したわけである。僕が思い出すのは、1975年の北ベトナム軍のベトナム統一によって、「サイゴン」が「ホーチミン」に改称された事例だ。またソ連時代に「サンクトペテルブルク」が「レニングラード」とされた事例だ。

 もともと「東京」という言葉はおかしい。「西京」はどこなのか。「京」というのは「都」のことだから、日本に一つじゃないとおかしい。「京都」が日本の首都、あるいは天皇の居住地という意味だとするなら、明治以後は「江戸」を「京都」と呼ばなければおかしい。京都の方を「西京」または「旧京」に改名しなければおかしい。そうは言っても、京都、つまり「平安京」は何もないところに建設されたから、旧地名がない。もう世界に「KYOTO」で通っているから、それでいいだろう。

 世界的にも地名を元に戻すのは珍しくない。インドでは植民地時代の名前である「カルカッタ」を「コルカタ」へ、「マドラス」を「チェンナイ」に変更した。また「ボンベイ」も「ムンバイ」に変えた。これは現地のマラーティー語の表記だということだ。インドの東にあるミャンマーも以前は「ビルマ」と呼んだ。当時の首都「ラングーン」も「ヤンゴン」と改名された。軍事政権が改名したので批判も多かったが、英語風の表記を変更したということで次第に定着したと言えるだろう。

 ロシアでもソ連崩壊後に多くの都市の地名が変更された。「レニングラード」は帝政時代の「サンクトペテルブルク」に戻された。これなどは「聖ピョートル大帝市」をドイツ語で表記しているわけだから、「ペトログラード」で良かったんじゃないかと思う。他にも「ゴーリキー」が「ニジニ・ノブゴルド」、「スヴェルドロフスク」が「エカテリンブルク」など、ソ連時代の都市名はおおよそ旧称に戻されている。(全部ではない。)都市に党の指導者名を付けていた方が変だった。

 こうして見ると、世界的にも伝統的な地名に戻す動きが多い。「占領下の憲法」をあれだけ敵視する現在の政権ならば、やはり薩長官軍の占領下に変更された「江戸」を復権させることに異議はないだろう。(まあ自分が勝った側、変えた側にいる場合は別なのかもしれないが。)かつて大正時代に書かれた作家矢田捜雲の「江戸から東京へ」という何巻もある歴史シリーズがあったが(中公文庫から出ていたけど、未読)、これからは「東京から江戸へ」を目指すべきだと思う。

 ついでに書いておくと、戦前の「宮城」、現在の「皇居」という言葉もおかしい。天皇が居住しているのに間違いはないけど、それでは「首相公邸」みたいなものである。あそこは「江戸城」である。江戸城を徳川氏から取り上げて天皇が住むようになった。それは歴史の流れではあるだろうが、場所の名前としては江戸城と呼ぶべきではないか。
 (江戸城)
 また、単に「東京」を「江戸」に名前を戻すだけでなく、多くの人に不便を与えている「東京都」制度も解体するべきだろう。東京23区はいくつかの「政令指定都市」に分割するのがいいと思う。「江戸中央市」「東江戸市」「北江戸市」「南江戸市」などだけど、世田谷区など一区で人口が政令指定都市の基準を突破している区では、そのまま市に昇格するのもいいかもしれない。「東京都」は「江戸府」にする方が住民には利便性が高い。
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大逆事件、血塗られた明治-「明治150年」を考える②

2018年10月23日 23時29分55秒 |  〃 (歴史・地理)
 田中伸尚(のぶひさ、1941~)の「大逆事件 死と生の群像」(岩波現代文庫)は今年呼んだ中のベスト本だ。2010年に原著が出て、2011年の日本エッセイストクラブ賞を受けた。2018年2月に岩波現代文庫に収録されたが、20頁近い補記が加筆されている。450頁と分厚い本だけど、この機会に読もうと思った。内容が内容だけに、重くて厳しいことが読む前から予想できる。でも頑張って読んだだけの深い感動があった。内容は重いけど、文章は読みやすい。

 明治という時代は、僕には血塗られた時代という印象がある。戊辰戦争に始まり、日清・日露戦争を経て、最後に韓国併合大逆事件である。幕末維新期に活躍したリーダーの多く、西郷隆盛大久保利通大村益次郎江藤新平等々、立場は違うけど皆悲劇的な最期をとげた。明治の作家にも、北村透谷(1894没、25歳)、樋口一葉(1896没、24歳)、石川啄木(1912没、26歳)など若くして死んだ人がすぐに思い浮かぶ。栄光というより悲運の時代じゃないか。

 特に最後の最後に、大逆事件という近代史上最悪の権力犯罪が起こされた。この事実は重い。1910年(明治43年)5月に逮捕が始まり、1911年1月18日に24名の被告に死刑判決が出た。翌日に12名が無期懲役に減刑されたが、24日、25日に12人の死刑が執行された。ちょうど大逆事件の取り調べが行われている真っ最中の1910年8月29日に韓国併合が強行された。日本の侵略を批判しうる視野を持つ社会主義者を排除する必要があったということなのだろうか。

 余罪にのみ問われて有期刑を受けた2人を含めて、起訴されたのは総勢26人にもなる。よほど研究している人は別にして、日本史に詳しい人でも10人以上の名前をすぐ挙げるのは難しいだろう。「首謀者」とされたのは無政府主義者の幸徳秋水だが、他には菅野須賀子大石誠之助内山愚童宮下太吉森近運平高木顕明古河力作、戦後まで生きて再審請求した坂本清馬といった名前が思い浮かぶけど、これでも半数に満たない。特に無期に減刑された中には、ほとんど知らない人物が多い。この本で初めて実情を知った人が多くいる。

 名前を挙げると大変なので、くわしくは同書末尾のリストを見て欲しいが、知らないのも道理。社会主義運動史でも大きくは出て来ないような、たまたま「謀議」とされた場にいただけでひっかけられた人がほとんどなのである。もし本当に「大逆」、この場合は明治天皇に爆弾を投げつけることを計画したならば、こんなに多くの人を「同志」にしたら必ず発覚するだろう。本当に皇帝を爆殺したロシアのテロリストの組織を見てみれば、それはすぐに判ることだ。

 無期に減刑された12人の中でも、5人は獄死している。仮出獄できた人でも長年の苦労で健康を害し、過酷な人生を送った人が多い。刑死した人も減刑された人も、残された家族は社会の中で孤立し、貧困の中でようやく生きていた。あまりにも残酷な権力犯罪だった。その「でっち上げ」の様子は同書に詳しい。この事件は「思想を裁いた」のである。大逆罪なる罪があっても、当時の刑法でも計画も準備もない段階では有罪にはできないはずである。被告の多くは「予審」で謀議を認めさせられて、非公開、一審制(大審院のみ)の不公正な裁判で有罪を宣告された。

 戦後になって大逆罪は廃止された。皇族に対する罪を特別に重く罰するのは、法の下の平等に反する。現実に殺傷された皇族は誰もいないんだから、「計画」があったとしても「殺人未遂」や「傷害未遂」にしかならない。死刑になる事件ではない。もともと大部分の被告は何も知らず、「空中楼閣」の事件だった。宮下他ごくわずかが「爆発物取締罰則」(爆取)に触れるだけの事件である。だから、この事件は「再審」を行うべきだ。

 かつて坂本清馬の再審請求は不審な動きの中で却下された。今では被害者側の被告・家族に生存者はいない。被告側からの再審請求は難しい。しかし、再審は検察官の請求でもできる。日本政府が真相調査委員会を設置し、その報告書をもって「新証拠」として政府の責任で再審を開くべきではないか。僕には「明治150年記念」に一番ふさわしい取り組みではないだろうか。
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民衆から見た「明治維新」ー明治150年を考える①

2018年10月22日 23時15分49秒 |  〃 (歴史・地理)
 政府が「明治150年」を顕彰する記念式典を行うという。今時こんな愚なる歴史認識なのかと思うが、やはり現在の首相が「長州藩閥」に属しているということなのか。どんな時代、どんな社会にも「光と影」がある。両面を合わせ見て構造的に理解することが大切だが、おそらく日本政府は「アジアで唯一の近代化に成功した」として明治を讃えたいのだろう。

 「昭和」になると、アジア太平洋戦争で日本人だけでも310万人もの死者が出て敗北した。一方、明治時代の日清、日露戦争は「勝った戦争」として記憶され、明治時代は日本が上り坂だった栄光の時代と認識される。そんな心理も働いているのかもしれない。しかし、「明治の戦争」と「昭和の戦争」は同じ大日本帝国憲法のもとで遂行された。昭和の戦争だけが悲惨であって、明治の戦争は「義戦」(正しい戦争)だったということがあるだろうか。

 明治という時代を見直してみたいと思う。まずは横山百合子江戸東京の明治維新」(岩波新書)の紹介。横山氏は歴史民俗博物館教授で、錦絵や地図などを使いながら、江戸から東京へと移り変わる時代の民衆の姿を浮かび上がらせた。歴史の複雑さを新鮮に示してくれる。

 全部で5章ある内容を紹介しておきたい。「江戸から東京へ」「東京の旧幕臣たち」「町中に生きる」「遊郭の明治維新」「屠場をめぐる人々」。目次を見れば一目瞭然、武士や町人だけでなく、遊女や被差別民なども視野に入れて、複眼で見る民衆像を描き出す。そこが貴重である。

 この本で教えられたのは「身分制度」の重みである。身分制度と言えば、生まれですべてが決まる仕組みだから、今の感覚では絶対に認められない。身分制度が崩壊すれば、上層階級は特権を奪われるから反対するだろうが、下層の民衆はみな大歓迎だったように思ってしまう。「身分」は個人に貼りついたもので、政治権力が決めて押し付けた制度と考えがちだ。しかし、現実社会における「身分」とは、それを通して職業も保証される社会システムだった。

 人々は「身分」を通して世界を認識していた。「明治維新」は「民衆革命」ではない。資本主義の世界システムに強制的に組み込まれた日本で、支配階級の一部が権力機構を奪取したが、実際の統治経験はなかった。次々に立ち現れる政治課題にぶつかり、版籍奉還、廃藩置県と進む。日本全土を天皇が統治するタテマエの下に、全国を中央政府が掌握することになる。身分ごとに把握されていた人々は、住んでいる土地によってとらえることにならざるを得ない。

 今までも被差別の民衆にとって、解放令によっても「遅れた人々」の身分意識はすぐには変わらず、かえって明治になって職業を失い過酷な状況に追い込まれたという見方はされてきた。江戸では「えた」階級は「弾左衛門」の支配下にあって、刑事事件の処分権を含む独自の支配を認められていた。実は「遊郭」も一種の身分組織で、遊郭内の支配は独自になされていたという。寺社は寺社で、武家は武家で独自の支配を認められていたわけである。

 実は町人階級も同様で、「町中」(ちょうちゅう)の支配権を独自に決められていた。落語でよく「大家と言えば親も同然」というけど、まさにその通りで実際に家父長権を行使できたわけである。ヨーロッパ史では「都市の空気は自由にする」と言って、都市空間から新時代の自由が生まれた。もちろん日本でも都市の中で自由な知的空間がまったくなかったとは言えないが、なかなかヨーロッパ社会のような段階には達していなかったのだと思う。

 でも個々の自由を求める闘いは生まれていた。遊女から脱却しようともがき続けた「かしく」という女性の存在は特に忘れがたい。「遊女いやだ」と述べて嘆願を続けた女性が史料に出てくるのだ。だが彼女の願いは実らず、行方を追跡することもできない。一方、被差別民衆にとって明治とは何だったか。牛肉の需要が高まり、屠場を作った人々は政府の官営政策により職場を奪われる。官営施設はやがて払下げになるが、その時払下げを受けたのは警視総監川路利良の知人である木村荘平だった。やがて牛鍋店チェーン「いろは」で大成功を収める人物である。

 被差別民衆の闘いは続くが、その時は「営業の自由」という新しい論理で立ち向かうことになる。武士は武士で特権を失い没落してゆく。大名屋敷がなくなり人口減となった「東京」では、町人たちも振るわない。近代の波に直面して、すべての「身分」が特権を失ったことで、一部の高級官僚と特権商人を除けば、生きてゆくすべを失った。それが明治という「御一新」の実情だった。身分制度の崩壊は多くの人々にとって、戸惑いにの中にもたらされたんだろうと思う。
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死刑囚と向き合う映画「教誨師」

2018年10月21日 22時26分34秒 | 映画 (新作日本映画)
 佐向大(さこう・だい、1971~)原案・脚本・監督で作られた映画「教誨師」(きょうかいし)は、とても重いけれど考えさせられる映画だった。2月に急逝した大杉漣の最後の主演作品だが、これほど「死刑」についてじっくり描いた作品も珍しい。ちょっと大変すぎる感じもするけど、大杉漣がよく期待に応えて奮闘している。それを見るためだけでも見に行く価値があると思う。

 大杉漣演じる佐伯保はプロテスタントの牧師で、とある拘置所で死刑囚の教誨師をボランティアで務めている。(宗教の教誨を受けるかどうかはそれぞれの死刑囚の自由で、キリスト教以外の仏教、神道などの教誨師なども選べる。)佐伯牧師の教誨は6人の死刑囚が受けているが、動機は様々なようである。男5人、女1人だが、それぞれの罪状は違っている。だんだん判ってくるが、福祉施設の大量殺人、暴力団組長、ストーカー殺人などもいるようである。

 映画は佐伯の回想シーンが後半で出てくるけど、ほぼ全編が教誨のシーン。対話だけで進んでゆく。ちなみに教誨は刑務官が一人つくだけで、大きな部屋で向き合って行われている。普通の面会のようなアクリル板越しの会話ではない。事件内容などの紹介はないので、セリフを聞きながら想像していくことになる。ある者は冗舌だが、ある者は無言。他人事のように事件を語る者もあれば、事件を正当化している者もいる。教誨と言っても、牧師に救いを求めているような死刑囚はいないのか。そんな無力感が佐伯を襲うときもある。

 実は佐伯にも重い過去があることが次第に判ってくる。子どもの時に兄が事件を起こし、その後自殺したようだ。貧しい育ちで高校にも行けなかったが、おじがクリスチャンだったという。そんなことも語られていくが、だからと言って佐伯に犯罪者の心が判るのか。しかし、だんだん佐伯にも「そばにいる」ことの大切さを実感していく。それが説得力を持って描かれている。

 死刑制度を直接描いているわけではないけれど、それでも見るものは死刑について考えざるを得ない。罪を感じていない者に「人の生命を奪ったことを悔い改めなないといけない」と言えば、では死刑制度も人の生命を奪うことではないかと反論される。同情すべき事情がある死刑囚なら、それでも死刑なのかということになる。そして、ある時ついに執行命令が下る。佐伯にも同席して欲しいという要請があり、その日を迎える。

 佐向大監督は、吉村昭原作の「休暇」の脚色を務めている。門井肇監督による2008年の映画で、死刑を執行する刑務官の世界を描いていた。「ランニング・オブ・エンプティ」(2010)などの監督作品があるが見たことはない。「教誨師」は佐伯を演じる大杉漣と6人の死刑囚役の演技合戦とも言える映画である。死刑囚役は、光石研烏丸せつこ古館寛治らがさすがの貫録で演じている。一方、映画初出演の玉置玲央や監督の友人であるという小川登が存在感を発揮している。もう一人は老人で恵まれない人生を送ってきた死刑囚を演じる五頭岳夫(ごず・たけお)で、青年劇場退団後「砂の器」以来の長い映画出演歴があるという。心に刻まれる名演だった。
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イスラエル映画「運命は踊る」

2018年10月21日 20時08分56秒 |  〃  (新作外国映画)
 イスラエルサミュエル・マオズ監督(1962~)の「運命は踊る」が上映されている。2017年のヴェネツィア映画祭の審査員大賞受賞作品。マオズ監督は2009年に「レバノン」でヴェネツィア映画祭金獅子賞を得た。1982年のイスラエル軍のレバノン侵攻に従軍した経験を自ら映画化したものである。全編が戦車内から見た映像で構成され、戦場の極限状況を描いた異色の映画だった。「運命は踊る」はそれ以来の第2作で、今度も重いテーマを扱っている。

 この映画はちょっと前に見て、書かなくてもいいかなあと思っていた。物語のモチーフそのもの、題名が示すような、まさに「運命は踊る」シチュエーションに納得できないところがあった。でも、とても貴重な映画だし、忘れがたい映像美で描かれている。イスラエルの置かれた状況などを理解するためにも紹介しておこうと思った。冒頭でテルアビブに住むある家庭を軍服姿の人物が訪れ、軍に入隊している長男、ヨナタンが戦死したと告げる。母親は卒倒してしまい、知らせに来た軍人は父親に決まった時間に水を飲めと言い残していく。

 父親はこの辛い知らせを認知症の母にどう知らせるか悩んだりする。少し時間が経つと、この戦死の知らせは誤報だったという知らせが入る。ヨナタン・フェルドマンという同名の兵士と混同してしまったというのである。父は激高して、息子を戻して欲しい、ちゃんと自分の目で見なければ信じられないと要求する。そのころ、息子は3人の同僚とともに北部で国境警備の仕事に就いていた。何もない砂漠の一角で道路を区切って警備する。ほとんど誰も通らず、時々ラクダだけが通る。ある夜に珍しく車が通り、ふとした展開からヨナタンはパニックになって銃を発射する。

 画面は冒頭から強い緊迫感に包まれている。その圧迫感を示すように、カメラの位置も真上から撮影するなど凝っている。監督のすぐれた手腕をうかがわせる映画だ。ここで示されるのは、イスラエル社会を覆う常に敵に取り巻かれていると思って過ごす緊張感だ。人々は世界のどこでも孤立しているが、特にここでは疑心に囚われやすい。軍の犯した犯罪行為がどのように隠蔽されるかも明らかにされている。そのため文化大臣はこの映画を非難したという。

 イスラエル映画は日本では映画祭などではアモス・ギタイ監督作品などがけっこう紹介されているが、あまり正式公開されない。昔「グローイング・アップ」(1978)という娯楽青春映画があった。12月には「彼が愛したケーキ職人」という同性愛をテーマにした映画が公開される。そういう映画もあるけれど、日本で公開されるのは、やはり戦争をめぐる重いテーマの映画が多い。レバノン戦争をアニメで描いたアリ・フォルマン監督「戦場でワルツを」という傑作があった。イスラエルはずっと右派政権が続き、パレスチナ和平も見通せない政治状況だけど、このような映画を見ると戦争を続ける自国への批判があることが判る。それを知ることは大事だ。
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映画「愛と法」-弁護士「夫夫」の日々

2018年10月20日 21時02分33秒 | 映画 (新作日本映画)
 ドキュメンタリー映画「愛と法」が公開されている。大阪で活動する同性婚弁護士「夫夫」南和行吉田昌史の二人の日々を描いた快作映画だ。もちろん現在の日本に「同性婚」制度はないけれど、この二人は「結婚式」を挙げて「夫夫」と名乗っている。性的マイノリティである彼らは、やはり何らかの意味でマイノリティの抱える裁判を担当することが多い。彼らを通して見えてくる日本は、多くの問題を抱えている。でも、この映画を見るとなんだか希望も感じられてくる。

 カズ(南和行)は歌を作って自ら歌いYouTubeに投稿している。フミ(吉田昌史)は料理が得意で短い時間で上手に作っている。二人は性的マイノリティの啓発や憲法講座の講師も務めている。少年事件もよく担当して夜に電話が掛かってきたりする。この映画で描かれる裁判は「ろくでなし子裁判」「大阪君が代不起立裁判」「無戸籍者問題」など。さまざまな問題を抱える人々が出てきて、その描写は興味深いけど裁判をめぐるドキュメンタリーという感じ。

 ところが途中である出来事が起こる。未成年後見人に指定されていた青年「カズマ」が、突然の施設閉鎖で行き場を失い同居することになるのである。家族の様子などインタビューを積み重ね、マイノリティの生きる姿を生き生きと浮かび上がらせる。やがて彼らは「里親講座」に通い始める。この映画が描く日本はマイノリティに厳しいが、同時に彼らが活動できるような変化もある。物おじせずに世の中を変えてきた彼らの生き方は、なんだかさわやかな風が吹いてくる感じがする。

 2017年の東京国際映画祭・日本映画スプラッシュ部門で、唯一のドキュメンタリー映画として上映され作品賞を受けた。選出理由は「大胆かつ軽いタッチで、多様性、個性、勇気、愛について、力強いメッセージを届けた」あるが、もうその通りの映画。監督は、欧州で長年活動していた戸田ひかる。主にロンドンで活動していて、撮影はジェイソン・ブルックス、プロデューサーはエルハム・シャケリファーなどイギリス人スタッフが支えている。英語字幕も付いているので、見ていると面白かった。ラストの字幕で「ろくでなし子」さんが今はアイルランドで育児中と知った。
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恐怖のカショギ事件ーサウジアラビアの闇

2018年10月18日 22時39分02秒 |  〃  (国際問題)
 サウジアラビアの反体制派ジャーナリスト、ジャマル・カショギ氏(1958~)が、10月2日にトルコのイスタンブールにあるサウジアラビア総領事館に入ったまま行方不明になっている。そういう風に報道されてすでに長いわけだが、トルコでは早いうちからカショギ氏は総領事館で殺害されたという情報が流れていた。当日のうちに15人の「暗殺チーム」が自家用機でトルコに入国し、その日のうちに出国したとか。非常に珍しいことだが、外交特権のある総領事館をトルコ当局が捜索している。もうカショギ氏が死亡していることはどうやら疑いようがないようだ。
 (ジャマル・カショギ氏)
 なんで総領事館に「暗殺チーム」がいたのだろうか。実はカショギ氏が結婚手続きのために総領事館を訪ねたのは、2日が2度目だったという。最初は9月28日に訪れ、2日の再訪を指示されたという。その報道が確かとすれば、サウジ当局がカショギ氏に対する「対策」を取ることが可能だったことが判る。同時にトルコ当局もその情報を知っていて、総領事館に対する監視を行っていたと思われる。トルコ側に「音声情報」があるという報道はそう考えないと理解できない。

 しかし、トルコ側の事前の想定は、そのまま秘密裡にサウジアラビアに移送されてしまう事態じゃなかったか。まさかすぐに殺害されるとは思ってなくて、そのことがトルコ側の怒りを買っているように思う。報道によればカショギ氏はすぐに暴行を受け、生きたまま切断されたとも言う。その後バラバラにされて総領事館から運び出されたわけである。もっともカタールのアルジャジーラの報道は反サウジのバイアスがかかっている可能性を考えておく必要がある。サウジアラビアはカタールと断交したが、トルコはカタールを支持してきた経緯がある。

 それにしても、この事件は僕の見聞きしてきた中でも非常に恐ろしい事件だ。もちろん殺人はすべていけないわけだし、どこかに誘拐して殺害するならいいわけでもない。でもよりによって、国際的な大都市であるイスタンブールの、外交特権の認められている公館で殺人事件を起こす。そんなことがあるのか。例えば北朝鮮のキム・ジョンウン委員長の異母兄であるキム・ジョンナム(金正男)氏がマレーシアのクアラルンプール空港で暗殺された。(2017年2月13日。)この事件は空港で起こり、指示したと思われる容疑者は出国してしまったために、背景事情が解明できていない。一方、カショギ事件は公館で起きた以上、サウジアラビア当局の関与は疑いようもない

 サウジアラビアに関しては、2017年6月23日に「サウジアラビアの皇太子交代問題」を書いた。その記事では「国内で絶対的支持がなく、力量のほどを示して見せる必要がある若い新皇太子が、外交・軍事を統括する。当然、強硬策を取る誘惑にかられると思う。そこに落とし穴があるかもしれない。」と書いた。その時はむしろイエメン内戦問題を想定していて、このような反体制派ジャーナリスト謀殺事件を公然と起こすとは思ってなかった。ムハンマド皇太子が進める改革は、石油依存経済からの脱却、女性の自動車運転開始など、国外ではある程度評価されてきた。一方でカタール断交問題、イエメン内戦は膠着状態が続き、強権化が目立っていた

 カショギ氏のことは事件前には知らなかったが、アメリカに留学した後、サウジ国内で様々な新聞で勤務した。サウジアラビアの宗教的特権層を批判して、事実上アメリカ亡命状態だったという。王族内にも知人がいて、かなりの知名度があったようだ。ワシントン・ポストが17日のオンライン版で、カショギ氏の「最後のコラム」を掲載した。そのコラムは「What the Arab world needs most is free expression」(アラブ世界に最も必要なのは表現の自由だ)と題されていて、カショギ氏の失踪直前に書かれたものという。サウジアラビアではこの主張に命が懸かるのだ。

 米国トランプ大統領は2017年1月に就任後、最初の外国訪問先にサウジアラビアを選んだ。そこで1100億ドル(約12兆円)もの武器輸出契約を結んだ。カショギ事件でも、どうもサウジ王室の関与を否定して、武器輸出を優先する気配を見せている。トランプが「人権より商売」を選ぶのは不思議ではないが、アラブ諸国であるサウジアラビアにこれほどの武器輸出をしてキリスト教右派勢力は反発しないのか。本来「アラブの盟主」を自負するサウジアラビアにとって、その経済力、軍事力がイスラエルに向けられても不思議ではない。というか、本来そうあるべきものだ。

 だけど、アメリカが売った兵器がイスラエルに向かうとなれば、アメリカが売るはずもない。その兵器は、イスラエルが一番警戒するイランに対するものだと確約しているから、アメリカもサウジに武器を売る。そういうことであるだろう。シリア内戦やカタール断交問題をきっかけに、トルコとロシアが接近し、シリアのアサド政権を支持するイランもトルコと接近し始めている。一方、アメリカとトルコの関係が難しくなっていて、アメリカ・イスラエル・サウジアラビアが事実上の同盟関係になっている。中東情勢は複雑で、この関係もいつまで続くかは判らないが。

 サウジアラビアとイランは、イエメン内戦で直接対峙している。サウジアラビアの事実上の最高責任者はムハンマド皇太子で、独裁国家であるサウジでは皇太子の指示なくしてカショギ事件は起こりえない。すぐ殺害せよという指示だったかどうかは不明だが、何らかの指示があって側近がイスタンブールに派遣されたのだろう。ムハンマド体制が大きく揺らぐのは間違いない。イエメン内戦という「戦時体制」においては、国家の政策を公然と批判することは絶対に許されない。戦争が国を危うくしてゆくのである。

 このような事件として、1973年に東京で起きた金大中氏拉致事件、1965年にパリで起きたモロッコの左翼政治家、ベン・バルカの失踪事件(モロッコの諜報機関に殺害されたとされる。ゴダールの映画「メイド・イン・USA」で描かれた)などが思い浮かぶ。最近はロシアで野党政治家やジャーナリストが殺害される事件が起こっている。ジャーナリストに対する殺害事件が最近多くなっているのが気にかかる。国際的な世論、市民の活動が独裁国家を監視することの重要性を痛感する。
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「僕の帰る場所」と「あまねき旋律」

2018年10月17日 22時13分56秒 | 映画 (新作日本映画)
 東中野の映画館、ポレポレ東中野で「あまねき旋律(しらべ)」と「僕の帰る場所」という2本の映画を見た。上映は今後も続くが、20日からは夜の上映になる。新聞で「僕の帰る場所」を「途方もない才能が誕生した」と激賞していた(朝日、10.12夕刊、暉峻創三)ので見ておこうかと思った。ポレポレはドキュメンタリー映画の上映が多いので、「僕が帰る場所」も何となくドキュメンタリーだと思い込んでいたが、これは劇映画だった。かなりドキュメンタリー的な作りだけど。

 「僕の帰る場所」は、新人の藤元明緒(ふじもと・あきお、1988~)が脚本・監督・編集を担当した2017年の日本・ミャンマー映画。2017年の東京国際映画祭の「アジアの未来部門」で作品賞、国際交流基金アジアセンター特別賞を受賞した。公開規模が小さくて見過ごすところだったが、二つの文化の狭間に生きる子どもの姿を生き生きととらえた作品だった。前半は39歳のミャンマー人男性アイセが妻と二人の男の子を抱えて、日本で難民認定を求めて暮らしている姿を描く。難民認定の厳しさやミャンマーの人権問題を描く社会派かなと思うと、後半でガラッと変わる。

 日本での先行きに悩む妻のケインは次第に不眠になり、ミャンマーに帰りたい、あなたに付いて日本に来たのは間違いだったと夫に詰め寄る。この映画は2014年に撮影されたが、夫はミャンマーの民主化を信じられず、日本で難民認定を目指すという。結局、妻は子ども二人を連れてミャンマーに帰ってしまう。この母子3人は実際の家族で、父親は別人だという。現実のケースをもとにしたフィクションだが、この家族の描写はドキュメンタリーだと言われたら信じてしまうだろう。

 長男のカウンは日本の暮らしになじんでいたので、ミャンマーに行っても汚いと感じている。母の実家に住むが、居場所がない感じで「日本に帰りたい」といつも訴えている。ある日、日本に一人で帰ろうと全然知らない町に出て行く。飛行場まで行けば何とかなるだろうと思うが、どう行けばいいか判らない。おもちゃの銃を手に持ち、ヤンゴンの町を彷徨うカウン。車が行き交い危なっかしい街のようす、屋台や人力車など東南アジアの雑踏の中で、一体どうなるか目が離せない。カウンを演じるカウン・ミャッ・トゥが素晴らしい存在感で心を奪われる。

 全く映画製作の経験のない若い監督によってつくられた作品で、前半の日本編はちょっと弱い感じもある。でも撮影終了から時間をかけて編集し、ようやく公開までこぎつけた。監督はミャンマー人女性と結婚してヤンゴンで働いているということだった。日本の外国人行政が大きく変わろうとしているとき、「難民認定」の少なさという問題を描くのは大事な指摘だと思う。諸外国には難民を扱う映画がいくつもあるのに、日本映画では思いつかない。近年は外国で映画を作る若い日本人も多いけど、この映画も注目すべき達成だと思う。

 最初に見た「あまねき旋律」は簡単に。これはなんとインドの最東部、ナガランド州の民衆の歌を取り上げたドキュメンタリーだった。山形国際ドキュメンタリー映画祭で受賞している。二人のインド人監督による作品で、チョークリ語という言語の映画だと書かれている。風景が素晴らしく、人々は山の中の「千枚田」で稲作を行っている。その時に皆で歌っている歌と人々を取材した映画。ナガランド独立運動でインド軍を戦争した話。山奥にそびえるキリスト教会など興味深い描写が続く。ここまで自分が行くことはないだろうなあと思いながら、貴重な風景を楽しんだ。
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「ちはや元年」じゃダメですか-元号を考える④

2018年10月16日 22時40分47秒 |  〃 (歴史・地理)
 「元号」について考える4回目。「一世一元」は「創られた伝統」だと3回目に書いた。では「一世一元」じゃない元号ならいいんだろうか? それはどういうものだろうか? 「伝統」は長く続くだけの理由があって続いてきたと考えられる。一方で「時の支配者」に不都合な制度なら存在が認められなかったとも考えられる。「伝統」だから良いわけでも悪いわけでもなく、時代によって変えてゆくべきものだろう。以下は元号はこうあるべきだろうという試案である。

西暦を主にし、元号は旧暦で使う
 元号が一世一元になったことにより、天皇制を支えるシステムになってしまった。もともと「時の支配」をめぐる制度なんだから、天皇家が分裂した南北朝時代には二つの元号が使われたりした。だから一挙に廃止するということも選択肢だと思うが、元号廃止法が国会を通過するのは大変だろう。だけど2回目に書いたように、元号を公文書で使うというのは明らかに不合理だ。
(旧暦の月の名前)
 それならば、思い切って「元号は伝統文化」と考えて「元号は旧暦で使う」としてはどうか。そうなると「2018年」と「平成30年」は同じではなくなる。2018年10月16日は、平成30年9月8日となる。世界と合わせるために、また4月から3月までの「年度」を決めるためにも、政治経済のベースは西暦で表記するしかない。一方、伝統的な行事、七夕や中秋の名月などは旧暦で行うわけである。今は7月7日が梅雨の最中だったりするが、そういうこともなくなる。

随時の改元に変える
 これは法改正を要するので難しいだろうが、本来の伝統に戻すという意味で検討するべきだろう。文字に呪力があるとは思ってないが、今でも「今年の漢字」などを毎年選んで大きな話題になる国である。大きな災害などがあった時は改元して、人心を一新することはあって良い。1995年とか2011年は、前近代なら改元が検討されただろう。元号を変えてしまうと犠牲者を忘れるようだという声も出ると思うけど、天皇代替わりよりは意味があるんじゃないだろうか。

「和風」の元号にする
 これは法改正を必要としない。なぜ「日本の伝統」だと言ってて、中国の古典に典拠を持つ言葉を元号に選び続けるのだろうか。元号が漢字2字である必要があるのだろうか?。 「和風の元号」ではダメなのか? 「和風」とか「やまと」という言葉で自国を表わすのも実は問題だと思うが、今は他に言葉がないから使うことにする。「やまと言葉」の元号もあって良いと思う。「みやび元年」とか「すこやか元年」とか。それじゃ重みを感じられない、元号っぽくないと思うかもしれないが、思い込みというものだ。判りやすくていいじゃないか。

 そこまで行かなくても、典拠は「万葉集」や「源氏物語」ではなぜダメなのだろうか。そこから漢字2字を選ぶというのでもいいんだけど、どうせだったら「百人一首」から選んではどうだろうか。例えば、僕の一押しは「ちはや元年」なんだけど、これじゃダメなんでしょうか?
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