尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

〈深い明るさ〉を求めてー見田宗介「白いお城と花咲く野原」を読む②

2022年05月31日 22時57分47秒 | 〃 (さまざまな本)
 見田宗介氏が1985年、86年に朝日新聞に連載した「論壇時評」を読み直す2回目。その時評は刊行時に「白いお城と花咲く野原」と題された。最初は「夢よりも深い覚醒へ」にするつもりだったとあとがきに書かれている。「夢よりも深い覚醒へ」は1985年7月30日に掲載されたもので、「色即是空と空即是色」が副題。在日外国人の「指紋押捺」問題に始まり、「『〈在日〉という根拠』や斬新な井上陽水論でデビューした竹田青嗣」を取り上げる。フッサール論などが僕には今ひとつ理解が難しい。

 「白いお城と花咲くお城」の方は、1986年7月29日掲載で「幻想の相互投射性」と副題される。「ユリイカ」の『民話の誕生/物語の起源を求めて』という特集をめぐって、グリム童話を論じている。メルヘンチックな題名だが、今泉文子という人が引用しているブレヒトの「反民話(あるいはメタ・メルヘン)」から取られている。〈むかしはるかなメルヘンの国にひとりの王子様がいました。王子様はいつも花咲く野原に寝ころんで、輝く露台のあるまっ白なお城を夢見ていました。やがて王子様は王位について白いお城に住むようになり、今度は花咲くお城を夢見るようになりました〉

 「白いお城」と「花咲く野原」は、近代社会の「相互投射性」の象徴だろう。一国内においては、都市に住む人は「大自然の豊かさ」に憧れるが、地方に住む人は新幹線や高速道路の完成を待ち望む。国際的なレベルなら、高度に発達した先進諸国では発展途上国にある自然(珊瑚礁や珍しい動植物など)に憧れる。一方で発展途上国では、家族を支えるために先進諸国への「移民」に憧れる。すでにある世界の構造の中で、人々はお互いに幻想を投射してしか生きられない。「白いお城」は監視カメラで見張られているが、「花咲く野原」には毒キノコや毒虫がいっぱいである。そのことは事前には想像できないのである。
(若き日の見田宗介氏)
 そのような限界の中で生きている我々には、どのような解放の展望があるだろうか。その道筋を考えているのが、1年目の終わりに書かれた「〈深い明るさ〉の方へー現代日本の言説の構図」である。そこには下の画像のような図が載せられている。これは時評の最初にあった大江健三郎の反核論にみられた「良心的に暗い文章」への「共感と違和感」を可視化する試みである。その違和感は、当時から論壇に幅をきかせていた「」からの「批判あるいは嫌み」、また「ポストモダン世代」の「嘲笑あるいは無関心」とも違っている。そこでX軸とY軸で区切られた4つの象限で考えてみることになる。
(現代日本の言説の構図)
 X軸方向には、「スタンス」とある。これは政治状況へのスタンスで、「左右」であると共に「深さ」「浅さ」も表わす。Y軸方向には「感覚」とあって、高度成長後のポストモダン時代の「軽み」感覚のようなものだろう。時評では、4つの象限で作られる空間に、当時の代表的な雑誌を代入してある。それを紹介すると(現在もあるもの太字)、左下のL(重く深い)には「世界」「クライシス」(社会評論社刊の季刊雑誌)、右下のR(重く浅い)に「中央公論」「文藝春秋」「Voice」「諸君」「正論」、右上P(軽く浅い)に「現代思想」「GS」(浅田彰、四方田犬彦らによるニューアカデミズム雑誌)が入っている。
(「深い明るさの方へ」)
 そこでさらに図2(上掲)が作られる。先の図では「スタンス」だった横軸が、「深い」「浅い」とされ、「感覚」だった縦軸は「明るい」「暗い」とされる。最初の図では、各象限にLRPOと書かれている。説明はないけれど、恐らくは最初の3つは「レフト」「ライト」「ポストモダン」なんだろう。そうすると左上のOは「オルタナティヴ」だろうと想像できる。深く暗かった「戦後革新」ではないが、「右」でも「ポストモダン」の軽みでもない言論世界はあるか。そこでこの本では「草たちの静かな祭りー「人間主義」の限界線へ」や「〈透明な人々〉の呼応」などで、石牟礼道子を論じ、環境問題に関わる「新しい社会運動」を考察する。

 それは当時読んでものすごく興味深かったわけだが、果たして今になってみてみるとどうなのか。今では僕はバグワン・シュリ・ラジニーシを「現代世界の最も魅惑的な思想家のひとり」とは思わない。当時はラジニーシ教団のメディテーション用のカセットテープをずいぶん聞いていたけれど。当時筑紫哲也が「朝日ジャーナル」の編集長を務めていた。調べてみると、84年から87年とあるから、論壇時評の時期は全く重なっている。当然、「朝日ジャーナル」掲載の論考もずいぶん触れられている。当時「朝日ジャーナル」では「新人類の旗手たち」と題して、若者たちの新しい動きを大きく取り上げていた。

 「四つの肌の環の地平ー新人類と原住民」の最後には辻元清美川村暁雄中本啓子上村英明河本和朗の名が記されている。上村英明は検索して思い出したが、多くの人が知る辻元清美の苦しい道のりを思うと、一体日本に「オルタナティヴ」はあり得たのかと思ってしまう。「フェミニズムとエコロジー」と副題された「現代の死と性と生」ではアンドレ・ゴルツの論が紹介される。実存主義、新左翼から「エコロジスト宣言」を書いて有名になった人である。今後のテクノロジーの発展で、一人当たり生涯労働は2万時間ほどで済むようになる。40年で割れば週10時間の労働で生きていけるというのである。

 その結果、一日5時間、2日間労働すればよくなると予測するのだが、これは逆に考えてみれば「一日10時間働く労働者を5日間働かせる」ことにより、「4人を正社員として雇わずに済む」ということでもあった。「クソどうでもよい仕事」(ブルシットジョブ)も世の中に必要だから、残った4人を非正規で雇えばよい。そうすれば一日5時間、週二日しか働かない労働者に対する研修や社会保険料が節約できるのである。結局そのような「死ぬまで働かされる一人」と「非正規でしか働けない4人」に、先進諸国の社会は「分断」されてしまった。現実社会の歩みはオルタナティヴを見つけられなかった。

 「身体」や「教育」などまだまだ書きたい気もするが、長くなる上に結構精神的に大変なので止めることにする。ここで論じられていないことは当然多い。その当時まだ見えていなかった、数年後に起きるソ連圏の崩壊、その後に起きる民族紛争イスラム社会の問題もまだ論じられていない。日本では90年代後半からになる「IT社会」の問題、インターネット、ケータイ電話などによる社会変化も出て来ない。85年頃はワープロ(文書処理専用機)が使われるようになってきた頃だ。それでも挟み込まれていた「出版だより」には「別冊科学朝日 ASAHIパソコン」の広告が載っていた。気付かないところで、世の中が変わり始めていた。
(「ASAHIパソコン」の広告)
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「論壇時評」再読、35年目の諸行無常ー見田宗介『白いお城と花咲く野原』を読む①

2022年05月30日 22時58分40秒 | 〃 (さまざまな本)
 見田宗介先生が亡くなって、追悼文「見田宗介さんの逝去を悼んでー「解放」を求めた理論家として」(2022.4.10)を書いたけれど、その時に昔読んだ本を何冊か取ってきた。そしてそのまま棚に戻すのではなく、この際もう一回読み直してみようと思った。そもそも著作集を持ってるのに読んでないのである。他に読みたい本は多いので、まあ無理せず月に一冊ぐらいのペースで進めたいと思う。最初は1985、86年に朝日新聞に連載した「論壇時評」をまとめた『白いお城と花咲く野原』である。

 書誌的なことをまず書いておくと、ここには2年間に書かれた40本の時評が収録されている。1987年4月に刊行された本で、当時大きな評判になったと思う。どこかでこの本をテーマにした講演会があって、もう場所も内容も覚えてないが、行ったことだけ覚えている。ところで、2年間に40本という数字に最初は戸惑った。えっ、2年間なら24本では? それが何と当時は月末に2回も論壇時評が掲載されていたのである。単行本にすると5~6頁にもなる小論文が2日も載っていた。そして、当時の新聞を何回分か切り抜いて、本に挟み込んであったのだが、現在に比べてあまりにも字が小さい。そんなものを読んでいたのである。

 ところで、月2回なら全部で48本のはずである。それを40本に絞ったのである。「わたしの固有の問題意識と対象がスパークするようにして書くことができた文章だけに、目次では*印をつけた。*印をつけた文章だけをあつめて小さい本にすることが、わたしの夢だった。」とあとがきに書かれている。それは16本あるのだが、他の文章も「それぞれ異質の読者からの反響があり、現代日本の思想の鳥瞰図をつくるという作業を兼ねて、大体全編を収録してある。」それでも、「純粋に「時評」的なもので、再録にほとんど意味がないと思われる八編」をカットしたと書かれている。再読した僕の感想では、著者がいうところの「問題意識と対象がスパーク」した*印が案外つまらない。それ以外の時評の方が今も興味深いと思う。

 僕が切り抜いておいた中には、再録されなかった文章も2編ある。それは85年の円高(プラザ合意)86年衆参同日選(自民党大勝利)に関するもので、今思えばそれらも時代を考える意味で再録してあれば良かったのにと思う。全体にこの本は今も面白く、多くの人に読んで感想を聞いてみたい気がしたが、この本は案外入手しにくいようだ。意外にも、地元の図書館には入ってなかった。僕の推測では、評判を呼んだ本だから購入したのではないかと思うが、時評という性格上20年もしたら処分されたのかもしれない。Amazonを見たら、なんと4万8千円もしたのでビックリ。稀覯本になってしまったから、カット分を含めて朝日文庫(あるいはちくま文庫とか講談社学術文庫など)で復刊してくれないだろうか。
(最終回の時評)
 それぞれの時評に何かしら思うところがあって、書き出せば10回も20回も書けそうな気がするが、そんなに書いても長すぎる。それでも2回は必要だ。まずこの対象の時代(1985、86年)はどんな時代だったか。日本では中曽根康弘内閣の「戦後の総決算」時代だった。アメリカはレーガン、イギリスはサッチャーという、現代につながる「新自由主義」の始まりである。国鉄民営化は1987年4月のことだった。日本はその後、21世紀になって小泉純一郎安倍晋三の長期政権を迎えた。同一の路線を歩み続けてしまったのだから、「論壇時評」の賞味期限が切れていないのである。
 
 そんな中で、上記画像に挙げたように最終回「世界を荘厳する思想ー明晰による救済」を見ると、3人の写真が掲載されている。新聞掲載時には論文筆者の写真が載っていたわけである。最終回は石牟礼道子村上春樹杉浦日向子の3人だった。これは当時までの感覚では「論壇時評的な顔ぶれではない」。むしろ「文芸時評」の対象にふさわしい。日本の大手新聞は長らく、月末に主に東京で刊行された雑誌をもとに「論壇時評」「文芸時評」を掲載してきた。「論壇時評」とは、主に「世界」「中央公論」「文藝春秋」などの掲載論文をもとに「天下国家」を論じる性格のものだった。

 一方、「文士」による「身辺雑事」が「新潮」「文学界」「群像」などの文芸誌に掲載され、それを評するのが「文芸時評」だったわけである。しかし、そのような「論壇」「文壇」構造は、80年代にはもう解体されていた。論壇時評に新風を吹かせたのが、見田さんの連載だった。だからこそ、この連載では宮崎駿風の谷のナウシカ』や村上春樹世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』を取り上げている。いまでこそ、宮崎駿や村上春樹を取り上げて日本や世界を考えるというのは、世界中で行われている。この二人は当時から注目されていたが、それでも「新進作家」村上春樹を取り上げた眼力には見事なものがある。
(未収録の「三醒人経綸問答」)
 いま思うなら、「天下国家」をマジメに考えているつもりで、「非武装中立の可能性」とか「日本における社会主義革命」を論じていた方がファンタジックな世界である。『魔女の宅急便』じゃないんだから、現実の日本人は飛べなかったのである。飛び方を論じ合っている間に、日本人の家族や性のありようは大きく変動していた。日本の高度成長によって、日本と近隣諸国の関係も大きく変容したが、そのことの意味もまだよく判っていなかった。80年代半ばの時点では、「在日コリアン」以外の外国人住民は珍しかった。その意味では80年代半ばはもう遠いのだが、それでもいまに通じる問題の方が大きい。

 冒頭では「世界」掲載の大江健三郎の核問題に関する論考を取り上げ、共感と違和感を書き留めている。その問題はまた次回に書くが、大江健三郎に始まって石牟礼道子に終わるという「論壇時評」は現在も読む価値があるのだ。初めの方に「吉本隆明・埴谷雄高論争」に触れられていて、ああそういうのがあったなと思った。知らない人も多いだろう。そもそも吉本、埴谷を知らないかも。新進評論家として何回か出て来る加藤典洋も亡くなってしまった。今じゃ昔の映画や文学者に関する文章で知られる川本三郎も、都市の中に「レトロ」な新しさを見いだす若手評論家として何回か触れられている。

 論壇時評の時期は「戦後40年」であって、西ドイツのヴァイツゼッカ-大統領の有名な演説も取り上げられている。またチェルノブイリ原発事故にもぶつかった。この時は日本でも大きな反原発運動の盛り上がりがあったが、結局は福島第一原発の大事故を防ぐ力を持てなかった。1986年2月はフィリピンの民衆革命が起こった年だった。テレビはフィリピン革命を大きく報じ、その「大衆的」な意味合いを考察している。石原慎太郎が「中央公論」に寄せた文が出ているが、フィリピンは封建時代以前の「古代氏族社会」で、軍隊が「氏族社会の雇い兵」だったことが革命の成功要因だと言う。それから35年、石原慎太郎は亡くなって、フィリピンでは今月マルコスの息子が大統領に当選したのだった。まさに諸行無常の響きが聞こえてくるではないか。
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おかしなアメリカー銃規制や妊娠中絶をめぐる分断、最高裁と上院はどうなるか

2022年05月29日 22時31分49秒 |  〃  (国際問題)
 ロシアの批判は今後も書かないといけないが、他の大国である中国がおかしいだけでなく、アメリカ合衆国もとても変で、おかしなことが多すぎる。内政問題は不干渉であるべきだが、それにしても今頃「銃規制」でもめているなんて、まともな国と言えるだろうか。何回悲劇が起こっても、銃規制が進まない。「銃の保持の権利」が憲法で認められているといっても、自衛用なら普通のピストルで十分だろう。テキサス州の小学校襲撃事件で使われたようなM16自動小銃(製品名はアーマライト社のAR-15)をなぜ18歳の少年が合法的に買えるのか。この銃は「ゴルゴ13」が使用しているものである。
(AR-15)
 アメリカで銃規制が進まない原因は、全米ライフル協会(NRA)という強大なロビー団体があるからだと言われる。たまたま銃撃事件の起きたテキサス州で、NRAの大会が開催された。そこにトランプ前大統領が出席し、「銃を規制するのではなく、教師が銃を持つことで学校のセキュリティーが強化される」などと持論を述べた。また、「銃を持った悪人を止める唯一の方法は銃を持った善人」とも述べた。こんなことをアメリカ以外で政治家が演説したら、すぐに失脚するに違いない。「銃を持った悪人を止める唯一の方法」は、「悪用されるかどうか事前に判らないのだから、一般人の銃の購入を厳格に規制する」こと以外にはない。
(NRAでのトランプ演説)
 子どもが子どもに発砲するような事故も何度も起きている。何も解決への道を探らないアメリカという国は、一体どうなっているのだろうか。何でも銃の購入規制を今までより厳重にする法案はすでに下院を通過しているという。しかし、上院で採決の見通しが立たない。上院は民主党50、共和党50なので、共和党の議事妨害を跳ね返して採決するための「60人」が確保出来ないのである。NRA大会では、トランプは学校に警察官や武装した警備員の配置など警備強化なども求め、ウクライナに巨額の援助をするよりこっちに金を使えというような発言までしている。未だにトランプが共和党支持者の間で人気があるというのが実に不思議だ。

 この秋の「中間選挙」では、上院議員の3分の1、全下院議員が一斉に改選される。今回の改選は、2016年選挙での当選組で、現職は共和党20人、民主党14人の全34人である。ところで、中間選挙は大統領の与党に厳しいことが多く、バイデン政権の支持率もアフガニスタンでタリバン政権が成立した辺りから低迷を続けている。はっきり言ってしまえば、民主党に厳しいと予測されていて、このままではバイデン政権は上院を抑えられなくなる。その場合、2024年の大統領選挙にバイデンが出られるかという問題も浮上するだろう。すでに諸外国はバイデン政権後半は国内的に行き詰まるということを前提に考えているだろう。

 「上院の過半数」がアメリカにとって重要なのは、単に予算や法案を成立させられないというだけではない。最高裁判所判事の任命に影響するということが大きい。最高裁判事は大統領が指名して、上院の承認が必要となる。一端認められれば「終身」で務めるから、大統領は最長8年しかやれないのに対し、むしろ何十年も米国を拘束してしまう最高裁判事の方が重大とも言える。「終身」の判事が死亡または辞職した場合、次の判事を決めることになるが、これが何故か共和党大統領が指名した判事が6人民主党大統領が指名した判事が3人と、現時点で「保守派」が「リベラル派」を圧倒している。

 大統領の所属党派は、過去半世紀ぐらいでは、民主、共和がほぼ同じ年数である。1972年以来の大統領を見ると、ニクソン(共)→フォード(共)→カーター(民)→レーガン(共)→レーガン(共)→ブッシュ父(共)→クリントン(民)→クリントン(民)→ブッシュ子(共)→ブッシュ子(共)→オバマ(民)→オバマ(民)→トランプ(共)→バイデン(民)である。フォードはニクソン辞任後の昇格で選挙を経ていない。選挙だけでは、共和党7回、民主党6回になる。

 最高裁判事の名前を全員書いても詳しすぎるだろう。そこで任命時の大統領を挙げると、現時点ではブッシュ父(1人)、クリントン(1人)、ブッシュ子(2人)、オバマ(2人)、トランプ(3人)ということになる。終身在職だから、大統領を2期やった人でも2人ぐらいしか最高裁判事指名の機会がない。それなのに、たまたま4年しかやってないトランプ時代に3人も欠員が出てしまった。その一人が映画にもなって日本でも知られたルース・ベイダー・ギンズバーグ(2020年死去、クリントン大統領指名)である。

 RBG(ギンズバーグ判事)が最高裁にいた意義は大きかったが、87歳で亡くなったことを考えると、結果論だけどオバマ時代に辞職していた方が良かったのではないかと言われたりする。そのような議論もあって、同じくクリントン大統領指名のスティーブン・ブライヤー(83歳)に中間選挙前の辞職を求める声が強くなった。その結果、本人も辞職を選んで、後任には初の黒人女性判事、ケタンジ・ブラウン・ジャクソン(1970~)が指名され、上院で53対47で承認された。6月17日に就任予定である。

 ところで「保守派」判事の年齢を見てみると、70代前半2人、60代1人、50代3人となっている。トランプ時代の3人がすべて50代なので、後30年ぐらい務める可能性が高い。健康状態がどうなるかは誰にも予測出来ないが、まあ80代前半ぐらいまで務める判事が多い。だからバイデンが再選されたとしても、もう最高裁判事指名は行われない可能性が高い。そこで、「ここ20年ほどは保守派優位の最高裁」を前提にして、妊娠中絶訴訟で今までの判例が覆る可能性が高い。判決要旨がリークされるというあり得ないような事態が起こって、アメリカでは賛成、反対両派の対立が激化している。ポーランドのように他国にもこの問題でもめている国はある。だが、超大国アメリカがこれほど宗教票に左右されるという事態は普通には考えられない。
(「女性の選択権」を擁護するデモ)
 米政治では、中絶禁止派を「プロ・ライフ」(生命重視派)と呼ぶが、僕にはそのネーミングが全く理解出来ない。本当に「生命を大切にする」という意味で妊娠中絶に反対するんだったら、銃規制に賛成、死刑制度に反対でなければ、論理が一貫しないではないか。ところが実際は銃規制反対、死刑制度賛成で、かつ「レイプでの妊娠中絶にも反対」なのである。僕の感覚では全く意味が判らない。(なお、中絶賛成派は「プロ・チョイス」(選択権重視派)と呼ばれる。)

 その背後にあるのは、右派的なキリスト教福音主義団体である。アメリカはもともと建国からして、「宗教国家」的な側面があるけれど、最近ではイランと同じような「原理主義」がはびこっている。しかし、日本はアメリカとも中国とも付き合わないわけにはいかない。せめて注目していくことしか出来ないが、アメリカも「おかしな社会」だなと思う。それは日本が「普通」だという意味ではないけれど。
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コロナ、香港、ウィグルー中国の現在を考える

2022年05月28日 22時25分56秒 |  〃  (国際問題)
 2月末のロシア軍のウクライナ侵攻によって、多くの国際的な問題が忘れられたようになってしまった。もっともウクライナ報道も4月終わり頃から日本の報道も一段落したかの感じである。知床の観光船沈没事故山梨県のキャンプ場で行方不明になっていた女児(と後に証明された)骨の発見などが起きたことが大きいと思う。そんな中で、ウクライナ以外の国際問題への関心も忘れてはいけない。ここでは中国に関する問題を取り上げておきたい。

 新型コロナウイルスの問題は最近全然書いてない。どういう経過をたどるか、もはや僕には予測出来ない。自分だけに関しては、ワクチンとマスクでほぼ予防できる感じなので、他の人、他の国に関してあれこれ考える元気が無くなってきたのである。そんな時に、武漢の大流行を収束させた後は、ほぼコロナウイルスを押さえ込んでいたかに見えた中国でオミクロン株の流行が始まった。その結果、上海でロックダウンが始まり、外出できないほど厳重な措置が2ヶ月続いている。コロナ対策をどうするかは、それぞれの国で違いがあって構わないし、僕にはこの措置を正しいとか間違っているとか判断するだけの基準はない。
(続く上海のロックダウン)
 しかしながら、報道されている情報によれば、ほぼ外出できない暮らしが長く続いてるということで、やはり行き過ぎではないか。もちろん、日本でも2020年には強い措置が取られたが、買い物には行けた。仕事もテレワークが奨励されたけれど、その時でも全員が仕事に出てはいけないということではなかった。もしそのような強い措置を取るならば、当然「国家補償」という問題が出て来るだろう。一体、中国ではどうなっているんだろうか。あまりにも厳しい措置に、かえって栄養失調になったり体力が衰えたりするのではないか。ちゃんと探してないけど、悲鳴のような投稿が相次いでいると言う。

 そのような強権的やり方を見ていると、「自由選挙」があることの大切さがよく判ると思う。選挙があると思っていれば、政治の担当者はここまで強い措置は取れないのではないか。日本で2021年秋に菅義偉から岸田文雄に首相が替わったのは、もうすぐ衆院選があるという事情が大きかった。内閣が替わって果たしてどれだけ意味があったかとも思うが、それでも普通選挙が全然行われないのとは大きく違う。「選挙」といっても、誰もが立候補できて、自由に投票できるという社会でなくてはいけない。イランやロシアでも大統領選をやっているが、それは実質上は自由な選挙と言えないものだ。

 中国では今まで2022年秋の共産党大会を目標にして、「ゼロコロナ」を徹底してきた。今さらそれを変えることは出来ないと、オミクロン株も強硬に押さえ込もうというのだろうが、これは日本を含む諸外国の対応と全く違っている。その結果、かなり生産・流通に支障が出ていて、日本でも自動車工場が休業したり、家電製品が品薄になり始めたという。中国は広大な国土に医療施設も不足がち、高齢化も進んでいるという事情も判らないではないが、どこまでロックダウンを続けるんだとも思う。

 今まで確実視されてきた習近平三選にも暗雲が漂ってきたという観測まで聞かれる。それは言い過ぎだと思うけど、このままでは経済成長率への影響が大きくなりすぎる可能性がある。ウクライナ戦争でロシアを実質上支持していることと絡んで、今後内外の批判が大きくなるか。中国に関するニュースとしては、香港で11日に90歳の元枢機卿(カトリック)や歌手のデニス・ホーらが逮捕された。香港では8日に行政長官選挙が行われ、李家超(ジョン・リー)が選ばれた。間接選挙であり、結果は決まっていた。新長官の強硬方針ということだろうが、全く先行きの希望がない状態が続いている。
(陳日君元枢機卿)
 またウィグル問題では、ウイグル族収容所に関する中国内部の秘密文書が大々的に報道された。収容所の実態を物語る資料や写真が多数含まれていて、ホンモノとみられている。これらの文書で、強制労働や宗教の自由への厳しい制限強制的な出産制限や大規模投獄などが政府によって組織的に行われてきたことが証明された。その実態は今まで語られていた通りとも言えるが、内部文書で裏付けられたことに衝撃は大きい。当面解決へのメドが立たないのだが、注目していかなければいけない。
(ウィグル族への迫害を裏付ける文書)
 ところで「中国脅威論」をあおるだけでは何も解決しない。中国とは経済的に深く結びついていて、中国側から切れないほどもっと深くするべきだという意見もある。一方で政治的に左右される中国に過度に依存してはならないという意見も強い。日本では企業や大学での研究活動への予算投下が少ない。どんどん中国に「頭脳流出」するという観測もある。中国だからどうだという問題ではなく、日本があらゆる面で「正道」を歩むことこそ、中国に対する牽制にもなるだろう。
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必見!『教育と愛国』、斉加尚代監督の映画と本に感動

2022年05月27日 22時38分23秒 | 映画 (新作日本映画)
 『教育と愛国』という記録映画をやっている。2017年に大阪のMBS 毎日放送で放送されたテレビのドキュメンタリーに追加取材を加えて映画版にしたものである。テレビ版「映像'17 教育と愛国 ~教科書でいま何が起きているのか~」はギャラクシー賞テレビ部門大賞を受賞したというが、全然知らなかった。東京で放送されたのかどうかも知らないが、毎日放送でも深夜枠でしか放送されないらしい。この映画は教育現場を取材しながら、教科書が政権寄りに変えられていった様子をていねいに取材してまとめている。とても判りやすく、かつ興味深く作られていて、内容的にはほぼ知ってる話なのに全然退屈しない。

 作ったのは斉加尚代(さいか・ひさよ)という毎日放送のドキュメンタリー担当ディレクター。今まで気付かなかったが、橋下徹元大阪市長と「バトル」したり、沖縄の地元紙に取材した「なぜペンをとるのかー沖縄の新聞記者たち」とか基地反対運動のデマを追求した「沖縄 さまよう木霊 基地反対運動の素顔」などを作った「有名人」である。その結果、ネット上で「反日」などとバッシングされると、今度はそのバッシングする人の実態に迫った「バッシングーその発信源の背後に何が」というドキュメンタリーまで作るという覚悟と度胸にビックリである。その沖縄や「バッシング」の取材をまとめた『何が記者を殺すのか 大阪発ドキュメンタリーの現場から』という本が集英社新書4月新刊で出ている。これがまた超絶的に面白く、勇気の出る本だった。
(『何が記者を殺すのか』)
 今度の映画では冒頭に、元日本書籍の編集者池田剛という人が出て来る。日書は昔は相当に大きい教科書会社だったが、つぶれてしまった。この映画にも出て来る吉田裕氏(一橋大学名誉教授)が教科書執筆メンバーに参加した教科書には「慰安婦」など旧軍の加害に関して詳しく取り上げた。ちょうど「新しい教科書をつくる会」の執筆した教科書が登場した時で、日書版も批判されて採択数が激減してしまった。その結果、日本書籍という会社自体が存続出来なくなって、池田さんも失業して妻子と別れて暮らしている。そういう結果になったことに自責の念を抱き、吉田氏もまた以後は誘われても教科書は執筆していないという。
(斉加尚代監督)
 日本書籍という会社は知っていたし、その教科書も見ているはず。しかし、「つくる会」教科書(扶桑社)を採択してはならないという運動をしながら、扶桑社じゃなければいいやと他社の採択結果はほとんど気にしなかった。その間、確かに扶桑社(育鵬社)を採択する地区はあまりなかったのだが、一方で戦争記述に詳しいような教科書も「両成敗」のような感じでシェアを落としてしまったのである。映画は池田氏の感慨を追いながら、その後さらに教科書が政権によって、どんどん変えられていく様子が描かれる。特に第一次安倍政権で「教育基本法」が変えられ、第二次安倍政権の復活で「具現化」されていく。

 この映画では、その「つくる会」の伊藤隆氏(東大名誉教授)にも2回取材している。ここが非常に興味深いのだが、「歴史に何を学ぶのか」と問われて、「歴史に学ぶものはない」と断言する。しかし、ご本人は「左翼ではない」「反日ではない」ものを求めている。自分だけは歴史に「価値」を持ち込んでおいて、他の人には歴史には何も学ぶものがないと決めつける。だから「歴史」がつまらなくなるのである。二度目の取材で「なんで日本は戦争に負けたのか」と問われて、「それは弱かったからでしょ」などと答えている。中国大陸を侵略したまま、米英と戦争を始めたことを「弱かった」と表現するのか。

 他に気付いたことを挙げると、「両論併記のダブルスタンダード」である。南京虐殺の被害者数などで、文科省の検定では「通説がない」と言って、両論併記的な記述を強いてきた。しかし、最後の方に出て来る安倍元首相は「自衛隊を違憲だと書いているような教科書を子どもたちに渡せない」などと演説していた。「自衛隊違憲論」の学者が一人でもいる限り、両論併記せよという対応をしなければダブルスタンダードというものだ。それにしても、この間の「教育改革」は安倍元首相および支え続けた「大阪維新」のもたらしたものだということがよく判る映画だった。

 この『教育と愛国』も本になっていて、『教育と愛国――誰が教室を窒息させるのか』(岩波書店、2019)が出ているが、そっちは読んでない。毎日放送は「プレバト」を作っているぐらいしか知らなかったが、大変立派な仕事をしていることを知った。しかし、斉加氏の新書によれば、なかなか社内でも大変なようである。僕はこの映画を火曜日に見ようと思ったら、ヒューマントラストシネマ有楽町がまさかの満席だった。どういう人が見に来ているのかよく判らないが、確かに求めている観客もいるのである。今日はシネリーブル池袋で見たが、午前が大雨だったからか空いていた。テアトル系ではちょっと前に大川隆法が作った『愛国女子』なる映画も上映していた。間違って似たような映画を求めてきた観客がいないかと心配。
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『山内上杉氏と扇谷上杉氏』ー「対決の東国史」を読む②

2022年05月26日 22時55分13秒 |  〃 (歴史・地理)
 『足利氏と新田氏』に続き、「対決の東国史」シリーズ2回目として『山内上杉氏と扇谷上杉氏』(木下聡著、吉川弘文館、2022)を読んだ。読み方は「やまのうち」と「おうぎがやつ」である。どっちも鎌倉の地名だが、上杉氏には他にもいろいろあることを今回読んで驚いた。上杉と言えば、誰もが知るのは越後の戦国大名、上杉謙信だろう。その一族は山形県米沢の大名として幕末まで続くが、もとをたどれば関東の上杉氏から越後の長尾氏に名跡が譲られたということは歴史ファンにはよく知られている。

 その上杉氏の関東時代は複雑すぎて、なかなか理解出来ない。この本を読めばスッキリ判るかと言えば、ますます判らなくなったとも言える。何しろ争乱が多すぎて混乱するのである。同じ上杉氏どうしで何度も争い、また協調する。「山内」と「扇谷」は、「山内」が本流で、「扇谷」は一門中の№2の家系になる。より強大な「古河公方」や「小田原北条氏」が出て来ると共闘するが、少し落ち着くと上杉どうしで争う。それが判りにくい。どうせ関東は後北条氏が制覇し、さらにその後豊臣秀吉に滅ぼされ、結局徳川家康の領地になるというラストを知っているから、その前の細かい歴史をスルーしてしまいがちだ。

 前にも書いたけど、関東地方の歴史ファンは案外地元の歴史を知らない。本能寺の変の真相とか、関ヶ原の戦いの細かい経過なら熱く語れるのに、関東で起きた「結城合戦」とか「長尾景春の乱」なんかほとんど知らない。「中央政治史」ばかり教科書に載っているんだから、それも当然だろう。それで良いのかと思って、関東の戦国時代について2018年に4回ほど書いた。
戦国は関東から始まった?-戦国時代の関東①」(2018.4.17)
伊勢宗瑞を知ってるか-戦国時代の関東②」(2018.4.18)
北条vs上杉55年戦争-戦国時代の関東③」(2018.4.19)
小弓公方と上総武田氏-戦国時代の関東④」(2018.4.22)

 上杉氏については、その3回目の「北条vs上杉55年戦争」でも書いたけれど、その北条との戦争の前からずっと上杉氏は関東の戦乱に関わってきたわけである。前回と重複するところもあるが、改めて書いておくと、上杉氏はもと京都の下級公家である。藤原北家勧修寺(かじゅうじ)流とされ、鎌倉時代初期に(源氏の系譜が途絶えた後で)宗尊親王が将軍に任官するとき、上杉重房が付き従って鎌倉へやってきた。そのまま関東に土着して武士化して、丹波国上杉荘(現京都府綾部市)を領地として「上杉」を名乗った。幕府内で重んじられていた足利氏に近づき、重房の孫にあたる清子は足利尊氏の母となった。
(上杉氏系図)
 室町幕府で重んじられて、清子の兄、上杉憲房は上野(こうずけ、現群馬県)の守護、その子憲顕は上野、越後、武蔵の守護となった。さらに鎌倉に関東地方を支配する「鎌倉府」が出来ると、その№2である「関東管領」(かんとうかんれい)に上杉氏が就任した。この関東管領には基本的には本家(後の山内上杉氏)が就任したが、場合によっては上杉氏の分家筋が就任したこともある。犬懸(いぬがけ)上杉氏の上杉氏憲(禅秀)はその一人だが、鎌倉公方(かまくらくぼう=鎌倉府の長)の足利持氏と対立して解任され、1416年に足利禅秀の乱を起こして犬懸家は没落した。

 代わりに扇谷上杉氏が勢力を延ばして行くが、管領には山内上杉氏が就任している。しかし、鎌倉公方は室町将軍にライバル心旺盛で、中央と連絡して補佐するのが役目の関東管領とは対立がちだった。1438年には持氏と管領上杉憲実(のりざね=足利学校や金沢文庫の復興で知られる)の対立が激しくなり、憲実は領国の上野に逃れた。持氏は追討軍を送り、憲実は幕府中央に救援を求め、永享(えいきょう)の乱が起こった。持氏は敗北して自害するが、1447年に持氏の遺児、成氏が鎌倉府再興を許されて鎌倉公方となった。しかし、再び管領と対立するようになり、1454年には成氏が管領上杉憲忠(憲実の子)を殺害したことから関東を二分する大乱となった。それが享徳(きょうとく)の乱である。
(1458年頃の関東地方支配者地図)
 この時、成氏は鎌倉確保を諦め、古河(こが=現茨城県)に脱出した。以後、鎌倉に戻ることなく、「古河公方」と呼ばれた。今まで鎌倉に戻れなかったことから評価が低かったが、この本で見る限り両上杉氏と妥協したり対立したりしながら、何とか生き延びていく。扇谷上杉氏が滅び(1546年)、山内上杉氏が越後の長尾景虎(謙信)に上杉姓を譲った(1561年)後まで、古河公方は存続したんだから、再評価の必要がある。享徳の乱では上杉氏は一体となって強敵古河公方と戦った。しかし、和平後に山内上杉氏の家宰(実質的な№2)だった長尾氏の一族、長尾景春が反乱を起こす(1476~1480)。この「長尾景春の乱」を何とか鎮圧出来たのは、扇谷上杉氏の家宰だった太田道灌が全力で戦い大活躍したからだった。
(太田道灌)
 太田道灌(おおた・どうかん、1432~1486)は江戸城の築城者として、この時代の武将の中では今も知られている。でも、どんな人だかよく知らない人が多いだろう。享徳の乱や長尾景春の乱における道灌の活躍ぶりは実に見事だった。しかし、そのため本来は山内上杉氏の領地だった武蔵国にも扇谷系の勢力が増大する。それを忌避する山内系の反発も強く、また主君である上杉定正も部下なのに強くなりすぎた道灌への警戒が強くなった。そのため、1486年に定正の屋敷に招かれたところで謀殺されてしまった。一方、かつての敵である長尾景春は乱後も生き延び、敵の敵は味方とばかり古河公方に逃げ込んだり、伊勢宗瑞(北条早雲)と同盟したりしながら、1517年に71歳で今川氏に亡命中に亡くなった。この「戦国ターミネーター」ぶりもすごい。

 長くなったので、もう止めることにするが、結局は本の帯に書いてあるように、「協調と敵対のループ…忍び寄る小田原北条氏」ということになる。実は享徳の乱終結後に、両上杉氏が争った「長享(ちょうきょう)の乱」(1487~1505)が起こる。「山内上杉氏と扇谷上杉氏」という「対決の東国史」からすれば、本来そこがメインである。けれど経過があまりに面倒くさいから書かない。結局上杉氏どうしで争っている間に、北条氏が伸びてくる。そして再び協調して、1546年に河越城の戦いが起きる。今までの長い対立は何だったかという感じで、山内・扇谷・古河公方連合軍が北条氏と対決して敗れた。ここで扇谷上杉氏は当主が戦死して滅亡した。山内上杉氏はもう少し残るけれど、結局上杉謙信に譲って隠居する。以後の謙信対北条氏は別の話。
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ロシアの露骨な資源外交ーラブロフ外相の産油国訪問

2022年05月24日 23時07分09秒 |  〃  (国際問題)
 タイで開かれていたAPEC(アジア太平洋経済協力会議)の貿易相会議で、ロシア代表の演説中に日米を含む5ヶ国の大臣が会議を退席したというニュースがあった。退席したのは、日本、アメリカ、カナダ、オーストラリア、ニュージーランドの5ヶ国。その後、韓国とチリが加わった7ヶ国で声明を発表し、「ロシアに対し、直ちに武力行使を中止し、ウクライナから無条件で軍部隊を完全に撤退させることを強く求める」と主張した。

 こういう報道があると、何かロシアが国際的に強く非難されているかのように感じられるのだが、APECの参加国・地域は全部で21である。つまりロシア非難国は、数で言えば圧倒的に少数ではないか。1989年発足時の原加盟国の中では、ASEAN諸国のインドネシア、マレーシア、シンガポール、フィリピン、ブルネイ、タイはすべて加わっていない。これは開催国のタイ、G20議長国のインドネシアなどを抱えるASEANとして足並みをそろえているということか。後に台湾、中国、香港、さらにメキシコ、パプアニューギニア、チリ、ペルー、ロシア、ヴェトナムが加わった。こうしてみると、東南アジアを中心に中国やロシアにも配慮せざるを得ない国々が相当多い現実が明らかだろう。

 そんな現実がある中で、ロシアのラブロフ外相は北アフリカのアルジェリアとアラビア半島のオマーンを最近訪問した。下記に天然ガス原油の産出国のグラフを載せておいたが、2014年段階でアルジェリアは9位となっている。天然ガスに関しては、1位がアメリカ2位がロシアである。このロシアと取引しないということになると、西欧諸国は地理的に近いアルジェリアの天然ガス、あるいはリビアの原油をもっと輸入したいという思惑がある。
(ラブロフ外相とアルジェリアのテブン大統領)
 そこでラブロフ外相が何しに行ったかというと、アルジェリアが生産量を増やして西欧諸国へ輸出を増やすことを牽制するためだろう。この間、天然ガスの先物価格は前年末から比べて4倍ぐらいになっている。増産余力があるならば、むしろ少し増やして輸出にまわしてもおかしくない。いつ戦争が終わって価格が下がるか判らないんだから、この間に西欧諸国との信頼感を強めておく方が得策とも言える。そこでロシア企業がアルジェリアとの共同事業に関心があるというような話を持ち込んで、牽制しているわけである。アルジェリアは独立戦争以来、ソ連の武器援助を受けてきて、ロシア製兵器への依存が強い。国連総会でも棄権に回った国である。そういうところをロシアがてこ入れしているのである。
(ラブロフ外相とオマーンのハイサム国王)
 それが5月10日のことで、翌11日に今度はオマーンを訪問した。オマーンはOPEC(石油輸出国機構)に入ってはいないが、原油と天然ガスの産出国である。サウジアラビアやアラブ首長国連邦の隣国だが、イエメン内戦には関わらず、イスラエルとの関係も良好という中東アラブ諸国の中では独自の外交姿勢を保ってきた。そこではOPECの合意(今回の事態を受けた原油の増産はしない)を確認したという。ラブロフ外相はあえて西欧諸国を困らせようとしているのである。「どうして貧しくなるのか、国民に対して弁明させればいい」と述べたという。ロシアへの経済制裁によって、国民生活の悪化を招くのだと言いたいわけである。
(天然ガス産出国)(原油産出国)
 天然ガスが一番だが、原油もロシアの産出量は大きい。自国の産出が多いアメリカはいいけど、西欧諸国にとってはロシアからの輸入を止めるのは痛い。量的には可能だとしても、価格上昇にどこまで耐えられるか。日本は、ロシアの侵攻を見逃せば中国に何も言えなくなるという波及を恐れて、アメリカに付いていくしかないということだろう。純経済的観点からは無理なことをやりきるしかないという問題だろう。日本の報道ではロシアが苦戦しているということがよく報じられるが、軍事的にはともかく、ロシア経済が崩壊寸前だとは思えない。「肉を切らせて骨を断つ」ような恐竜の対決みたいなことになってしまった。

 このままでは、米欧は持ちこたえるかもしれないが、ロシアより先に音を上げる中小諸国が出て来そうだ。スリランカやエクアドルなどは、もうすでに政情が混乱しているようだ。もっとも自分の政権運営の問題ではなく、ロシアやアメリカが悪いんだなどと責任転嫁出来る側面もあるだろう。それにしてもエネルギーや小麦の価格高騰は、普通ならいくつかの政権が吹っ飛ぶレベルになるだろう。この夏から秋にかけて次第に世界的な食糧危機などが現れてくると思われる。その前にウクライナ戦争が終結する可能性はないと見て、準備しておく必要がある。
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ロシアの「捕虜戦犯調査」発言で思い出す「シベリア抑留」

2022年05月23日 22時54分34秒 |  〃  (国際問題)
 ウクライナ戦争でロシアの猛攻撃を持ちこたえていたマリウポリの「アゾフスタリ製鉄所」が陥落したと伝えられる。いや、まだ残っているとの情報もあるようだが、その詳しい状況は判らない。製鉄所には地下壕地下壕があって、多くの市民も避難していたと言われる。その市民の救出を国連や国際赤十字が進めていたが、具体的に何人が外へ出られたのか判らない。日本では、この製鉄所に立てこもって抵抗を続けた「アゾフ大隊」が市民を「人間の盾」として利用していると批判する人もいたが、ロシアの攻撃自体が不法なんだから、その評価には従えないだろう。
(廃墟化したアゾフスタリ製鉄所)
 この「アゾフ大隊」の性格をいかに理解するべきかは、日本でも様々な議論がある。ロシアは戦争開始から、ウクライナを「ネオナチ」だと非難してきた。それを受けてかどうか、日本の議論でも「ネオナチ」という言葉でウクライナを語る人がいる。この言葉は非常に定義が難しく、安易に使う人は信用出来ないと思っているが、今はその問題には深入りしない。問題は投降したウクライナ兵を「捕虜」ではなく、「戦争犯罪人」として扱うようなロシアの動きが気になるのである。そのようなニュースを聞くと、どうしても第二次大戦後のシベリア抑留を思い出してしまうことになる。
(投降するウクライナ兵)
 検索してみると、このようなタス通信(ロシア)の報道があった。「「ロシア連邦捜査委員会」が製鉄所から出てきた兵士を対象に戦争犯罪疑惑などを調査する計画だと報じた。捜査委員会もソーシャルメディアを通じて「(ウクライナ東部の)ドンバス地域でウクライナ政権が犯した犯罪に対する調査の一部として、アゾフスタリ製鉄所で降伏した兵士を調査する」と明らかにした。委員会は兵士らの国籍、民間人を対象とした犯罪介入の有無などを調査し、この過程で確保された情報をロシアが自ら入手した犯罪事件の情報と照らし合わせることになる。」というのである。(太線=引用者)
(ウクライナ戦闘地図)
 「戦争犯罪」とは何だろうか。そもそもロシアは「戦争」という宣言をしていないが、それは置くとしても疑問が尽きない。ここで言う「戦争犯罪」は、第二次大戦後のニュルンベルク、東京などで行われた戦争犯罪裁判で言えば、「B級戦犯」(通常の戦争犯罪)に当たるだろう。民間人に対する虐殺、略奪等である。しかし、今回の戦争は完全にウクライナ国内でしか行われていない。ウクライナ軍がロシアに侵攻したわけではないから、ウクライナ兵によるロシア国民に対する戦争犯罪は起こりえないではないか。(一部、ウクライナがロシア領内をドローンで攻撃したような報道もあるが、それは通常の戦闘行為である。)

 「ドンバス地域でウクライナ政権が犯した犯罪」「兵士らの民間人を対象とした犯罪介入」というものがあったとして、それはどこで行われたものか。それはウクライナ国内、あるいはウクライナから「独立」したと称する「ドネツク人民共和国」「ルガンスク人民共和国」で起こったものだ。この両人民共和国は、ロシアが「独立を承認した国家」であったとしても、現時点ではロシア領内ではないからロシアの法的管轄権は及ばない。(それとも軍事や裁判権はロシアに委託するというような「秘密協定」があるのかもしれないが。)ロシア国外で行われた「犯罪」をロシア当局が調査して訴追する権限はない。

 ここで僕が思い出したのは、第二次大戦後のシベリア抑留だ。それ自体が国際法違反の積み重ねだったが、今はその全体像には触れない。特に問題なのは、当時のソ連が独自の「戦犯裁判」を行ったことである。日本とソ連は、たった一週間ほどしか交戦していない。一体、どれほどの「戦争犯罪」があったというのか。しかし、問題はそんなレベルを遙かに超えていた。若い頃に大きな影響を受けた詩人の石原吉郎(いしはら・よしろう、1915~1977)のケースが典型的である。
(石原吉郎)
 僕は石原吉郎の全詩集を持っているが、今はウィキペディアから引用。「翌1949年(昭和24年)に石原も呼び出しを受け、同年2月旧ソ連刑法第58条第6項違反 (スパイ罪) で起訴され、有罪を宣告された。呼び出し前に既に調書が作成済みであり、毎夜呼び出しを受けては調書を認めるよう強要されるだけで、実質的な取り調べは何も行われなかった。また、裁判は全く形式的なもので、証拠調べ、弁護人、本人弁論もない極めていい加減なものだった。(略)石原は他の日本人と共に裁判を受けた際、判決に先立って、ソ連の領土以外で、ソ連の参戦前に行われた行為を、ソ連の国内法で裁くことに抗議したが、まったく意に介されなかった。起訴後は独房に2か月間収監され、1949年(昭和24年)4月、石原に有罪、自由剥奪・重労働25年の判決が下った。」

 このようにかつてのスターリン統治下の裁判で、「ソ連の領土以外で、ソ連の参戦前に行われた行為を、ソ連の国内法で裁くことに抗議」した日本人がいたことは、よくよく記憶に留めておきたいことだ。ソ連がロシアになっても、同じように「ロシアの領土以外で行われた行為をロシアが裁く」のだろうか。このようなことを書くと、やはりロシアはソ連と同じなのだなどと言う人がいる。しかし、僕の認識は違っている。同じような「越権」は、アメリカやイスラエルなども何度も行っている。しかし、今はそれはともかくとして、ロシアが「戦争犯罪」を裁くのは理由がないということを書いておきたい。
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徳島県の祖谷(いや)温泉、ケーブルカーで下りる露天風呂ー日本の温泉⑰

2022年05月22日 22時07分57秒 |  〃 (日本の山・日本の温泉)
 中国地方は比較的温泉が少ないが、山陰には素晴らしい温泉があり、岡山県北部には「美作三湯」もある。しかし、まだ行く機会がないので、次の四国に飛びたい。ここでは徳島県の祖谷(いや)温泉が素晴らしい。もちろん大きな温泉としては、愛媛県の道後温泉があり、道後温泉本館は日本で最も素晴らしい外湯だと思うけど、秘湯系を取り上げているので除外。今や琴平や足摺岬も温泉になったけれど、源泉掛け流しの温泉を本格的に味わえるのは、祖谷(いや)温泉だけ。
(露天風呂)
 ここは1965年に見つかって、1972年から温泉ホテルが開業したという。割と新しい温泉で、なかなか知られなかったが、段々「温泉好きなら一度は行きたい」という評判が聞こえてきた。何しろ露天風呂までケーブルカーで下りていくというのが、そんなところがあるんだと驚いた。実際にケーブルカーに乗った時は、ちょっと感慨深かった。はるばる来たなあと思う。源泉は39.3度の単純硫黄温泉で、これ以上低かったら加温しないといけない。この温度でも、お風呂としては低い。逆に言えば、いくらでも入っていられる。もちろん立派な内湯もあるし、食事も素晴らしかった。でも、やっぱり祖谷温泉の魅力は絶景露天だろう。
(ケーブルカーで行く)
 ここへ行ったのは、石鎚山剣山に続けて登った年のこと。愛媛県側から行ったが、何しろすさまじい国道で、すれ違い出来ないぐらい狭い。そこに時々向こうから大型トラックがやって来るから恐怖である。そしてたどり着くと、その辺りの奥深い谷も凄い。日本三大秘境というらしい。他は宮崎県の椎葉、岐阜県の白川郷というが、どっちも行ってるけど祖谷渓の山深き様子は一番スゴイのではないか。谷がどんどん深くなり、山の上の方にも家が見える。どんな暮らしだろうと想像するが、僕の想像を絶している。ところで、なんで「祖谷」を「いや」と読むのだろう。今回検索してみたが、見つからなかった。
(祖谷温泉)
 近くには他にも温泉旅館がある。「新祖谷温泉」は逆にケーブルカーで上る「天空露天風呂」がウリだが、こっちは源泉が低いので加温せざるを得ない。ここも泊まったのだが、温泉という一点に絞れば、まずは祖谷温泉になる。ところで、新祖谷温泉は「かずら橋」という名前を旅館に付けている。重要民俗文化財に指定されている吊り橋「かずら橋」が近くにあるからだ。日本のあちこちに観光用の吊り橋がある。関東地方だと常陸太田の竜神大吊橋とか、塩原温泉のもみじ谷大吊橋など。揺れるから怖いけど、まあ落ちることはないだろう。それに対して、こっちのかずら橋は怖さが半端ない。何しろ底がスカスカなのである。名物だから一度は行こうかとお金を払ったので、諦めるのはシャクだから何とか渡ったんだけど、ここは二度行かなくてもいいな。
(祖谷のかずら橋)
 四国の森と言えば、大江健三郎の故郷であり、大江文学によく出てくる。愛媛から徳島へ向かう時は、大江健三郎の生地辺りも通っていったのだが、なるほどこの深い森はスゴイと痛感した。この感じは行かないと感じられない。高知県には行けなかったので残念。高度的にはあまり高くないので忘れがちだが、四国山地の山深さは一度は見ておきたいところだ。
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ルーマニアの怪作『アンラッキー・セックスまたはイカれたポルノ 監督自己検閲版』

2022年05月21日 20時44分58秒 |  〃  (新作外国映画)
 2021年のベルリン映画祭金熊賞を獲得したルーマニア映画『アンラッキー・セックスまたはイカれたポルノ 監督自己検閲版』(英語題=BAD LUCK BANGING OR LOONY PORN)を見た。パンデミックを生きる人々を描く作品だが、主題は「セックス映像のネット流出」である。土曜日(21日)から時間が変わるので、疲れていたんだけど昨日(20日)「シアター・イメージフォーラム」に見に行ったところ、夜に完全に「電池切れ」。大分充電したけど、他の話を書く元気がなくて映画の紹介。

 冒頭は激しいセックスシーンである。しかし、我々はそれを見られない。監督の「自己検閲版」だからである。ラドゥ・ジューデ監督は実に人を食った「検閲」をしている。いわゆるボカシではなく、画面のほとんどに四角を重ねて、そこに「検閲=金」(censorship=money)とか書いてある。音声は聞こえていて、その時の言葉も字幕で出るが、それは要するにセックスシーンだということは理解出来る。冒頭が終わると、映画は3部に分かれて進行する。第2部はルーマニア現代史のコラージュ映像で、第二次大戦中やチャウシェスク時代などが点描される。要するにこの映画はストーリーではなく風刺なのだとようやく了解できる。
(ラドゥ・ジューデ監))
 冒頭シーンが終わると、第1部では街を女性が歩いている。そこは首都のブカレストで、人々はマスクをしている。コロナ禍のギスギスしたムードをここまで記録した映画も珍しいのではないか。カメラはある女性をずっと追う。それが主人公エミで、実は冒頭のセックスシーンの女性である。だんだん判ってくるが、彼女はブカレストの名門中学の歴史教員だが、先のセックスシーンがネットに流出してしまったのである。女性校長のところへ今から釈明に行くところ。夜には臨時保護者会が予定されている。スーパーで花を買って持っていくが、エミはレジで前の客に遅いと文句を言う。舗道に駐車してる男にも文句を言う。その不機嫌さが事態を示しているが、いかにもコロナ禍の社会を象徴してもいる。
(町を歩くエミ)
 第3部が保護者会。学校の中庭に椅子を「ソーシャル・ディスタンス」を確保して親が座る。校長が司会をするが、保護者たちはもう子どもたちから例の問題映像を見せられていて、エミを吊し上げる。エミも負けずに、夫とのセックスだから何の問題もなく、子どもがそんなシーンを見られる設定にしていた親の責任の問題だと主張する。何で流出したかは、夫がパソコンを修理に出したところ、誰かがアップしたんだという。でも、保護者たちは夫かどうかも判らない。こんな卑猥な映像を見せられたら、これから子どもは授業を受けられない、イヤだと言っているなどという。
(保護者会のエミ)
 実に嫌みな設定を思いついたもんだ。校長が優秀な教員だと弁護したことから、話はどんどん広がりまとまりがなくなってくる。そこで判るのは、保護者たちにユダヤ人やロマ人への差別心があることだ。「ヒトラーもユダヤ人だ」とか誰かみたいなことを言う人もいる。「イスラエルを建国するためだった」とかの陰謀論。それを批判すると、ユダヤ人を弁護するのかとか。名門校で親は成績重視で、エミが成績に捕われるなと授業で言ったとか追求してくる。エミはハンナ・アレントの親は成績よりも大切なことがあると育てたとか説明するが、保護者たちはもうそれぞれに勝手に議論を始めてしまう。
(保護者たち)
 で、結局どうなるかは、なんと3つの違うヴァージョンで示される。保護者に挙手を求めると、ギリギリで擁護派が勝つ第1案。それに親たちが納得せずにやり直してエミ追放が勝つ第2案。そして最後にすべてが無意味化されるヴァージョンとして、突然シュール映像になってしまう第3案。最後の最後まで人を食った映画である。決められたストーリーがあるのではなく、人と人が攻撃し合う現代を風刺し、確かなものを否定するエネルギーがすごい。ラドゥ・ジューデ監督(1977~)は、ベルリン映画祭審査員賞の『アーフェリム!』(2015)やカルロヴィヴァリ映画祭グランプリの『野蛮人として歴史に名を残しても構わない』(2018)という映画があるが未公開なので知らない。ルーマニアは興味深い映画を次々と作っている国だが、けっこうとんでもない社会である。

 とにかく、こんな臨時保護者会を経験しなくて良かったなと思った。最近も暴力映像が流れた学校があるが、学校に責任があるそういう場合は別にして、こういう個人の問題だとなかなか難しい。それでも保護者の中に公然とユダヤ人やロマ人に対する差別があるのにはビックリした。
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名前の読み方統制に反対ー「キラキラネーム」論議より、戸籍廃止を!

2022年05月19日 22時30分02秒 | 社会(世の中の出来事)
 5月17日に法制審議会がいわゆる「キラキラネーム」も認められるという試案を発表した。その例示が興味深いから、何となく「キラキラネームの是非」に話題が集まってしまったが、何で法律に関して議論する法制審議会がそんな議論をしているんだろうか。それは「戸籍の名前に読み仮名を付けるための法改正」を検討しているというのである。いやあ、それは知らなかった。

 そんな法改正は本当に必要なんだろうか。「行政手続きのデジタル化のため、読み仮名を記載するための法改正に向けた中間試案」なんだそうだ。今まで名前の読み方なんて、親が決めればそれで良かった。時には幾つもの読み方が出来る名前もあったが、本人が自分で読み方を変えて良かった。親は「訓読み」のつもりで付けたが、本人が「音読み」にする場合は多い。作家の安部公房の本名は「きみふさ」だそうだが、作家としては普通「コーボー」と呼んでいた。そういう例は多いだろう。

 今回例示されたのは、山田大空(やまだ・すかい)や山田光宙(やまだ・ぴかちゅう)は「認められる可能性が高い」。一方で山田太郎てつわん・あとむ)や山田(やまだ・ひくし)は「認められない可能性が高い」という判断だった。しかし、こんなことを大真面目に議論する必要があるんだろうか。山田高と書いて「ひくし」という読みが認められないのは、漢字の問題じゃないだろう。親が子どもに「ひくい」という名前を付けて良いわけがない。それと同時に、「光宙」(ぴかちゅう)という名前も論外ではないのか。どういう親なのかと学校でからかわれるだけだ。

 そういう名前は次第に増えてきた。自分の経験では80年代の生徒にはほとんど見なかったが、21世紀になると相当多くなってきたように思う。例示は出来ないが、えっ、そう読ませるのという名前が結構あった。読めないのも困るが、まあ読み方を覚えれば大丈夫ではある。問題はちょっと書けないような難しい漢字や字と読みが釣り合ってない名前である。昔売れた本の名前で言えば「親の顔が見たい」と思ったこともあるが、別に保護者と会っても普通である。何で付けるのか不明だが(聞くわけにも行かない)、子どもの方も困っている場合だけではなく喜んでいる人もいる。検索すると、さらにとんでもない名前を集めた画像もあった。

 上の画像を見ると、「姫奈」(ぴいな)、「姫星」(きてぃ)とかどうなんだ。「希空」(のあ)、「夢希」(ないき)とか、言われなければ誰も読めない。何十年も経って、病院で名前を呼ばれる日が来ると思ってないんだろう。「愛保」(らぶほ)に至っては、本当にこんな名前があったら、いじめられるに決まってる。一体、親は子どもがいずれは老人になると思ってないんだろうか。自分の子どもなんだから、芸能人やアーティストなんかにはならず、地道に働いて生きて行くのである。それにふさわしい名前を付けてあげないと困ってしまうだろう。

 ところで、このキラキラネーム問題に気を取られると、そのきっかけである「戸籍のデジタル化」という大問題を忘れてしまう。戸籍を問題にする前に、そもそも「誰がデジタル化の作業をするのか」という問題がある。ただでさえ日本の公務員は少ないので、市町村の正職員がやる余裕があるはずがない。これは間違いなく「外部委託」になるのである。戸籍という「個人情報の宝庫」「差別の温床」をデジタルデータにする作業を、非正規公務員どころか、委託会社のさらに子会社のアルバイト作業員が手掛けるになるに決まっている。情報の漏洩が起こらないとは思えない。

 それに「戸籍」とは、家族を単位にして国民を把握するシステムである。行政のデジタル化を進める時には、「個人単位の識別番号」が必須になる。日本では何故か「マイナンバーカード」の取得を政府が呼びかけているが、カードなんかなくても、個人番号はとっくに割り振られている。それで良いのである。戸籍情報をデジタル化しても、役立たない。「デジタル化」とは「国民を個人単位で把握する」システムなのであって、それがイヤで「日本は家族を中心にした伝統国家」などと言いたいんならば、デジタル化なんか止めてしまえば良い。世界のデジタル後進国を自ら誇れば良いのである。

 僕はデジタル化の問題とは別にして、そもそも戸籍制度は不要だという立場である。世界を見れば、韓国はすでに2008年に廃止されたという。今や中国と台湾にのみ残っていると言われる。世界の大部分の国では戸籍などないのである。それでやっていけるんだから、何かあるときに「住民票」と「戸籍抄本」(または戸籍謄本)が必要なんていう面倒は要らないのである。戸籍廃止こそ行政改革になるのである。廃止まですぐに行かずとも、「名前の読み方を届け出る」なんて愚の骨頂は今すぐ止めた方がいい。
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『足利氏と新田氏』ー「対決の東国史」を読む①

2022年05月18日 23時09分48秒 |  〃 (歴史・地理)
 吉川弘文館から「対決の東国史」というシリーズが出始めた。関東地方の歴史なんか、今まで一般書も少なかったんだけど、今やブームみたいにいっぱい出ている。吉川弘文館からは「動乱の東国史」というシリーズも10年ほど前に出ている。戦国時代に関しては、「列島の戦国史」というシリーズも出ているんだから、歴史好きの裾野は広い。行きたい舞台や寄席があったんだけど、大規模書点で「対決の東国史」を見たら、どうしても買いたくなってしまった。今回は何とか2冊に止めたが、また買っちゃいそう。

 まずは「足利氏と新田氏」である。解説は要らないと思うが、念のため簡単に書いておくと、1333年に鎌倉幕府が滅び後醍醐天皇による「建武の新政」が始まる。倒幕に際して、大きな功績があったのが足利尊氏(あしかが・たかうじ)と新田義貞(にった・よしさだ)だった。しかし、建武の新政は行き詰まり、足利尊氏は独自に旗揚げして、やがて征夷大将軍となって室町幕府を開く。一方、新田義貞はあくまでも後醍醐天皇方に立ち、両者は死闘を繰り広げた。南朝と北朝に分裂した天皇家、尊氏と弟の直義との対立など、もっと複雑だったわけだが、まずは「足利vs新田」と言えば、南北朝時代を思い出す。

 南北朝の内乱を描いた戦記物と言えば「太平記」だ。「平家物語」は原文で読んだけれど、「太平記」は長いから原文は読んでない。でも小さいときに家にあった子ども向けの文学全集に入っていたので、ずいぶん愛読したものだ。今の若い人はほとんど知らないだろう、楠木正成の千早城の戦いとか、児島高徳なんて名前までよく覚えている。そこで疑問に思ったのは、鎌倉幕府の京都出張所である六波羅探題を滅ぼした足利尊氏と、幕府本体を滅ぼした新田義貞の軍功はどっちが上なのか。新田義貞の方が上じゃないかと思えるが、足利尊氏の方が功績大とされたのが判らなかったのである。そのうち、足利氏と新田氏ではレベルが違うんだという歴史学の常識を知ったけれど、その詳しい中身は本書を読んで初めてよく判り、何十年越しの疑問が氷解したのである。
(河内源氏の系図)
 ちょっと細かくなるが、足利も新田も本をたどれば清和源氏の中の河内源氏の系列である。清和天皇の孫、経基王が臣籍降下して源経基と名乗り、その子満仲が摂関家に仕えて武士団を形成した。その長男源頼光の子孫は「摂津源氏」、次男源頼親の子孫は「大和源氏」、三男の源頼信の子孫は「河内源氏」と呼ばれた。この頼信が平忠常の乱で功績を挙げ、さらにその子源頼義前九年の役、その子源義家後三年の役で名声を高めて東国に大きな勢力を築いた。「八幡太郎」と呼ばれた義家は大きな声望を得たため白河法皇に忌避され、しばらく河内源氏の勢力は衰えたとされる。その間に朝廷では伊勢平氏が昇進していったわけである。

 その義家の長男が義親、その4男が源為義、その長男が源義朝、その三男が源頼朝となる。一方で、源義家の三男、源義国から始まるのが新田氏と足利氏である。義国の長男源義重の子孫が上野国(群馬県)の新田荘(現太田市)に勢力を築き新田氏を名乗る。一方で義国の次男、源義康は父以来の下野国(栃木県)の足利荘に依拠して足利氏を名乗った。ちょっと細かくなったが、そもそも武門源氏の中でも頼光三男に始まる河内源氏は本流ではなく、その中の義家子孫でも義朝、頼朝は本流ではなかった。そして足利、新田はさらに源氏全体からすれば庶流になる。

 でも武士の世界では、現実の戦いで軍功を挙げた一族が出世する。平家に対して源頼朝(1147~1199)が挙兵したのは、1180年である。一方、足利氏の初代足利義康(1127~1157)は京都の中央政界で「北面の武士」として保元の乱(1156)でも後白河方で活躍していたのに、翌年には早世してしまった。その子足利義兼(1154?~1199)は若年のため、独自の政治力は持っていなかったので、頼朝の挙兵に参加して一門御家人として重きをなす。一方で新田氏初代の子、新田義重(1114?~1202)は長命で、何と頼朝より長生きしているぐらい。自分より年下の頼朝や木曽義仲(義朝の弟義賢の子、頼朝の従兄弟、1154~1184)の部下になりたくなかったので、源平合戦に乗り遅れてしまったのである。

 そんな偶然によって、足利氏は鎌倉時代にずっと重要な位置を維持し続けた。鎌倉時代にはずいぶん政変が多いが、足利氏は北条氏と深く結びついて、鎌倉政界で重きをなした。一方の新田氏では義重のひ孫に当たる新田政義が京都大番役時代に無断出家する事件を起こして没落してしまったのである。以後の新田氏は足利一門として辛くも生き延びて、鎌倉時代の史料にも出てこない地方武士となってしまった。つまり、鎌倉時代の足利氏は中央政府で大臣を歴任するような有力政治家。新田氏は事実上は足利氏の被官のようなもので、まあ群馬県議会議員レベルで全国的には無名だったのである。
(足利尊氏)
 だからこそ、足利尊氏(当時は高氏)が幕府を見限ったのは大事件になる。新田義貞は高氏の命令を受けて、鎌倉幕府を滅ぼしたのであり、足利氏の部下だったのである。だが、やはり鎌倉幕府軍を打ち破ったのは大軍功には違いなく、義貞は建武の新政で一躍出世することになる。だが、鎌倉時代から全国各地に領地を持ち、鎌倉に独自の政務機関を持っていた足利氏は、幕府を開ける実務的能力を蓄えていた。新田氏は単なる地方武士だったから、独自の政治力に乏しく、後醍醐天皇方として活動する以外なかった。
(新田義貞)
 なるほど、なるほど。これはよく判る。それなのに、何となく尊氏と義貞が同格みたいに思ってしまうのは、「太平記」の作為もあるという。足利幕府初代の尊氏がいかに強かったのかを示すために、新田義貞の存在感を少し「盛っている」らしいのである。「太平記」完成には幕府も関与していたという話だ。そして尊氏は頼朝に似せて行動し、幕府政治を進める。河内源氏の本流、頼朝系は断絶したが、源氏の主流は足利という意識を植え付けたのである。しかし、さらに歴史は覆り、江戸時代になると、もともと藤原氏だったはずの徳川(松平)氏が新田氏初代の義重の孫から続くという系図を示して源氏本流は新田系になる。(この徳川=源氏説は、今も賛否両論があって決めがたい。)

 足利氏、新田氏は多くの武士一族を生み出したことでも知られる。足利氏は三河(愛知県東部)を支配し、そこから三河の地名の付く一族を多く出した。細川吉良畠山今川斯波一色など皆足利系。一方の新田氏からは、山名里見岩松氏などが出るが、山名氏を除けば関東地方の武士で終わった一族が多い。岩松氏は日本百名城になっている群馬県金山城を築城した一族。
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ロシア映画『インフル病みのペトロフ家』、途方もない悪夢映画

2022年05月17日 22時41分50秒 |  〃  (新作外国映画)
 ロシアの鬼才、キリル・セレブレンニコフ監督の「インフル病みのペトロフ家」という映画が公開されている。これは途方もない悪夢的な迷宮めぐりに驚かされる映画だった。後述する監督の状況もあってか、ひたすら暗い画面の中で展開される映画で、まさにロシアの「時代閉塞の現状」(by石川啄木)を象徴しているかのようだ。幻想的で途方もないエネルギーに満ちた描写が連続し、はっきり言って何が何だか判らないのだが、まさに「コロナ禍」と「ウクライナ戦争」を予見してしまったかのような問題作だ。

 キリル・セレブレンニコフ(1969~)はロシア演劇界を席巻する若手演出家として知られ、21世紀になって映画監督にも進出した。日本ではソ連時代のロック音楽を描いた「LETO」が公開されている。それは「「LETO」と「ドヴラートフ」ーレニングラードの地下文化」で紹介したが、もともとアンダーグラウンド的な志向があったのである。だからプーチン政権のジョージア、ウクライナへの侵攻やLGBT抑圧を批判してきたが、そのためかどうか劇場への国家補助金を流用した疑いで詐欺罪で起訴された。「LETO」がカンヌ映画祭で上映された時には出席出来なかったことから、監督に自由をという声が上がった。
(セレブレンニコフ監督)
 この映画はアレクセイ・サリニコフという人の原作を映画化したもので、映画化の企画が進行した時点でセレブレンニコフは自宅軟禁処分を科されていた。そのため昼間は自宅で脚本を書き、夜間になってから秘かに撮影したという。だから暗いのも必然だが、それだけではなくインフルエンザで発熱した主人公の幻覚を異様な長回しで撮っている映画の世界が本質的に暗い。病気による高熱状態だから、悪夢的な幻覚が次々に訪れる。ワンショットに時代を超えたシーンがあるから、見ていて何だか判らなくなる。しかし、判らないなりに、これは凄い映画だという感じが伝わる。

 ウィキペディアからコピーすると「新年の前夜にロシアの地方都市に住む自動車整備士のペトロフと彼の家族が過ごした数日間の生活について語っている。ペトロフは自動車整備士で、趣味で漫画を描いている。ペトロフはインフルエンザにかかって高熱が出る。やがて、インフルエンザは元妻と息子も伝染る。高熱で車が運転できず、トロリーバスに乗って仕事から帰る途中、ペトロフは旧友のイーゴリに出会う。イーゴリと彼の知人と一緒に、ペトロフはウォッカを飲む。インフルエンザに罹っているペトロフは、熱狂的な妄想と現実を区別することができない。ペトロフの子供時代と青年時代の記憶は、妄想や現実とあいまって、ペトロフにとっても観客にとっても区別がつかない。」とある。
(ペトロフ)
 時代的には2004年のエカテリンブルクだという。ロシア中央部にある大都市で、ソ連時代はスヴェルドロフスクと呼ばれていた。ロシア革命時に皇帝一家が幽閉、殺害された地として知られている。過去は1976年だというが、ホントに過去と現在が混ざり合っていて全然判らない。インフルエンザが流行しているが、新年の集いに子どもが行きたがる。39度を超える高熱の子を自分も熱がありながら連れて行く。その設定自体が相当の「悪夢」である。親も子も周囲の皆も誰もマスクをしていないんだから、今から見れば恐ろしい限り。ペトロフもバスで咳をしているが、マスクをしていない。周りの人も「ガンか」とか言ってる。
(新年の集い)
 「現代ロシアの迷宮を疾走し、映画の迷宮を疾走する」とチラシにあるが、まさにそんな感じの怪作。2021年のカンヌ映画祭に出品され、フランス映画高等技術委員会賞というのを受賞した。僕は「チタン」(パルムドール)や「アネット」(監督賞)より心惹かれるものを感じたが、やはりまとまりに欠けるところが減点されたか。監督の裁判は執行猶予になって、何とか国外に出られたらしい。今はドイツにいるらしいが、ウクライナ侵攻を非難しつつ、ロシア文化を全面的に排除することも批判しているという。今年は今後も興味深いロシア映画の公開が予定されている。閉塞化したロシア社会の中で、声を挙げる人もいたということだろう。
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「休眠免許」は復活ー謝罪なき教員免許更新制廃止

2022年05月16日 23時09分23秒 |  〃 (教員免許更新制)
 今まで何度も書いてきた「教員免許更新制」がついに廃止された。「教員不足」をもたらし、少なからぬ教師の人生を狂わせてきた愚かな政策は果たして総括されたのだろうか。僕はその制度の発足当時から10年以上にわたって何度も問題点を指摘してきた。やっと廃止されたということで、だから言ったじゃないかと思う。本当はせめて「謝罪」の言葉を聞きたかった気持ちはある。

 まあ放っておけば廃止されそうだったのに、ことさら長引かせそうな運動をする気もなかったけど。大日本帝国が連合国に降伏したときに、中国は「惨勝」と表現した。「惨敗」という言葉はあっても、「惨勝」という言葉はない。しかし、そう言いたくなる気持ちは理解可能だ。今回の「教員免許更新制度の廃止」も似たような感じかもしれない。せめて2回更新をせざるを得なかった人が出る前に廃止できなかったものか。

 「教育公務員特例法及び教育職員免許法の一部を改正する法律案」は衆議院を4月12日に通過し、参議院本会議で5月11日に可決された。この法律改正案をいくら眺めても、内容が全く読み取れない。普通の人が読んでも判らないと思うが、一応参考のためにリンクを貼っておく。参議院にあるPDFファイルを示すと、「教育公務員特例法及び教育職員免許法の一部を改正する法律案」になる。

 衆議院では立憲民主党及び日本共産党が別個に修正案を出したが、否決された。その結果を受け、内閣提出の原案に対して、自由民主党、立憲民主党・無所属、 日本維新の会、 公明党、 国民民主党・無所属クラブ、 有志の会が賛成し、日本共産党、れいわ新選組が反対した。2会派の反対、及び立憲民主党の修正案は、更新制が必要だというものではなく、新たに作ることになった研修制度は不要であるというものである。なお、参議院文教科学委員会では採決に際して「附帯決議」が付けられた。

 さて、この法改正によって、今までに教員免許を取得した人はどうなるのだろうか。文科省のサイトには、「改正法の趣旨や目的、留意事項等については、おって通知」とあり、現職教員に関しては教員委員会を通して通知されることと思う。しかし、現職じゃない人もいるわけだし、早めに参考ということで、「改正教育職員免許法施行後の教員免許状の取扱いについて(周知)」という資料が掲載されている。その中の「令和4年7月1日以降の教員免許状の扱いについて」を画像として掲載する。
(令和4年7月1日以降の教員免許状の扱いについて)
 これを見ると、2022年7月1日時点で有効な教員免許は「手続なく、有効期限のない免許状となる」。これは「休眠状態のものを含む」と明記されている。「休眠」とは、現職ではなく退職した教員や「ペーパーティーチャー」の場合である。教員免許更新制上の期限以前に退職して、まだ更新期限が来ていない場合である。一方、すでに更新期限を越えた免許に関しては、「失効」はそのままだが、更新講習はないわけだから、都道府県教育委員会に再授与申請手続を行うことで、無期限の免許状が授与される。

 この「再授与」の規定は面倒なので、もうすべて有効にすれば良いと思うが、まあ一度は「更新制」を実施した行政側の思考法なのだろう。ところで、ここで面白いことは、自分の場合である。更新制は2011年4月1日から発効したが、僕はその有効期限が終わる当日に退職したのである。補足説明で、「有効期限の日に退職した教員については、定年退職者は「現職教師」、自己都合退職、勧奨退職者は「非現職教師」の扱いになります」とある。従って、僕の免許は上記画像の「非現職教員の休眠」に該当し、よって「休眠」のものは手続なく無期限の免許となるはずだ。

 まあ、それはともかく、あまりに詳しく書いても教員じゃない人には細かすぎると思うので、国会審議の重要ポイントだけ示しておきたい。まず、衆議院では、4月1日に文部科学委員会に3人の参考人を招いて意見を聞いている。「4月1日の委員会議事録」をリンクしておく。参考人は加治佐哲也(兵庫教育大学長)、瀧本司(日本教職員組合中央執行委員長)、佐久間亜紀(慶應義塾大学教職課程センター教授)の3人。特に佐久間氏の指摘には納得出来る点が多い。関心のある人は一度見ておく価値がある。

 ちょっと紹介すれば、免許更新制は諸外国ではアメリカの一部の州でしか行われていないという。アメリカでは教師は授業するだけのために雇われているので、授業と別に研修を命じるためには「残業代」が発生する。しかし、富裕層の多い地区では予算が可能だが、貧困地区の学校では残業代の確保が難しい。そこで教師の研修を確保するために「免許の更新」という手段を取っているという話である。そもそも地区によって教育予算が違うこと自体が想像を超えている。やはり日本でやる意味など全くなかった。その後、4月6日に各党議員による審議が行われた。「4月6日の議事録」はここ。現時点では参議院の議事録は未掲載。

 参議院文教科学委員会の附帯決議は以下のようなもの。「教育公務員特例法及び教育職員免許法の一部を改正する法律案に対する附帯決議」全部を載せると、長くなりすぎるので全文を知りたい人はリンク先を参照。(太字は引用者)

政府及び関係者は、本法の施行に当たり、次の事項について特段の配慮をすべきである
一、「新たな教師の学びの姿」は、時代の変化が大きくなる中にあって、教員が、探究心を持ちつつ自律的に学ぶこと、主体的に学びをマネジメントしていくことが前提であることを踏まえ、資質の向上のために行われる任命権者による教員の研修等に関する記録の作成並びに指導助言者が校長及び教員に対して行う「資質の向上に関する指導助言等」は、研修に関わる教員の主体的な姿勢の尊重と、教員の学びの内容の多様性が重視・確保されるものとすることを周知・徹底すること。とりわけ、校長及び教員に対して行う「資質の向上に関する指導助言等」については、教員の意欲・主体性と調和したものとすることが前提であることから、指導助言者は、十分に当該教員等の意向をくみ取って実施すること。
二、オンデマンド型の研修を含めた職務としての研修は、正規の勤務時間内に実施され、教員自身の費用負担がないことが前提であることについて、文部科学省は周知・徹底すること。
三、(略)
四、文部科学省及び各教育委員会は、本法の施行によって、教員の多忙化をもたらすことがないよう十分留意するとともに、教員が研修に参加しやすくなるよう時間を確保するため、学校の働き方改革の推進に向けて実効性ある施策を講ずること。(略)
五、六、七、(略)
八、「教師不足」を解消するためにも、改正前の教育職員免許法の規定により教員免許状を失効している者が免許状授与権者に申し出て再度免許状が授与されることについて、広報等で十分に周知を図るとともに、都道府県教育委員会に対して事務手続の簡素化を図るよう周知すること。また、休眠状態の教員免許状を有する者の取扱いについて、周知・徹底すること
右決議する
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シャンタル・アケルマン映画祭ーフェミニズム作家の「発見」

2022年05月14日 22時41分18秒 |  〃 (世界の映画監督)
 ヒューマントラストシネマ渋谷で「フランス映画祭」として、ジャック・リヴェットシャンタル・アケルマンエリック・ロメールの三人の監督を特集上映している。リヴェット、ロメールの二人はフランスの「ヌーヴェル・ヴァーグ」を代表する監督だが、日本ではトリュフォー、ゴダールなどと違ってなかなか公開されなかった。80年代以後のミニシアター・ブームでようやく公開されたが、リヴェットにはまだずいぶん未公開作品が残っていたものだ。ところで、もう一人のシャンタル・アケルマンって誰だ? いや、名前を聞いたような気はするが、一度も見てないんじゃないか。この際アケルマンを集中的に見てみようと思った。
(シャンタル・アケルマン映画祭)
 シャンタル・アケルマン(Chantal Akerman、1950~2015)は、これまで日本では本格的な紹介がなされなかった。しかし、今回重要作5本を見たことで、映画史理解に大きな欠落があったのだと判った。近年になって「映画史における女性の役割」に関して、根本的な見直しが行われている。この重要な女性監督のフェミニズム映画が日本で見られなかったのは大きな問題だった。今回もっと早く見ようと思ったのだが、ゴールデンウィーク中の上映は、なんと前日に満員になった回まであった。予定を超えて3週目も上映が続いているので、やっと5本全部見られた。

 調べてみると、アケルマン作品は「ゴールデン・エイティーズ」(1986)、「カウチ・イン・ニューヨーク」(1996)など日本公開された作品もあった。しかし、20代で作った自主製作的な映画は上映されなかった。今回フランス映画祭で上映されているが、アケルマンは元々はベルギー生まれである。ユダヤ系で、母方の祖父母はホロコーストの犠牲者で、母はアウシュヴィッツを生き延びた。15歳でゴダール「気狂いピエロ」を見て、映画製作に進もうと思ったという。僕も同じように思ったものだが、アケルマンは映画学校を中退してアントワープ証券取引所でダイヤモンド株の取引で製作費を作ったというから、凄いなあと思う。
(シャンタル・アケルマン)
 代表作と言われる「ジャンヌ・ディエルマン ブリュッセル1080、コメルス河畔通り23番」(1975)は、わずか25歳で作った作品だが、フェミニズム映画の代表作と評価されている。何と200分にもなる長大な映画だが、それもほとんどが固定されたカメラでじっと主人公のジャンヌを見ているだけである。この映画は今までのすべての映画(だけでなく様々なジャンルの芸術)の欠落を静かに告発している。映画内では人々が恋愛したり、あるいは殺しあったりしているが、彼・彼女は何かを食べて生きているはずである。主人公がシェフである映画はたくさんあるが、普通その家庭の食事は描かれない。

 何しろ「ジャンヌ・ディエルマン」という映画は、ほとんどのシーンが家事のシーンなのである。ジャンヌはひたすらジャガイモの皮をむいている。そんな映画が面白いのかと思うかもしれないが、これが退屈せずに3時間20分を見てしまうから驚き。ジャンヌを演じるのは、デルフィーヌ・セイリグで、アラン・レネ「去年マリエンバードで」や「ミュリエル」、ブニュエル「ブルジョワジーの秘かな愉しみ」などに出ていた。僕のお気に入りの女優だが、彼女がひたすら家事をしている映画があったのか。カメラは極端な長回しで、クローズアップやカットバックは用いられない。説明的なセリフがないから、最初は全然判らないが、やがて彼女の暮らしが見えてくる。夫と死別し高校生の一人息子と暮らしている。
(「ジャンヌ・ディエルマン」)
 部屋を移るときはいちいち照明を消している。それも節電しているのか性格なのか、オイルショック直後の時代性なのか、全く判らない。ラジオはあるがテレビがないのも、同時代の日本では考えられない。時々買い物に行く。カナダに住む妹から手紙が来る。隣人の子どもを預かる。時々男性がやってくる。説明がないから、観客には謎で、それを自分で解明しなければならない。そして、衝撃のラスト。明確に「女性の視点」で作ることを意識して製作された傑作である。

 長くなったので、他の映画は簡単に。「私、あなた、彼、彼女」は「ジャンヌ」の前年に24歳で作ったモノクロ映画で、監督自身が演じる若い女性が小さな部屋に引きこもっている。裸で手紙を書いたり、砂糖をなめたりする様子を延々と映しながら、やがて彼女はついに部屋を出る。トラック運転手の男と出会い、知人の女性がいる町まで乗せてもらう。男の語りと性的な誘惑、女性との同性愛。レズビアン女性を真っ正面から描いた先駆的作品と言われるらしいが、それ以上に都市の孤独な女性像が鮮やか。しかし、自主映画的な感触の作品である。なお、同名の映画が2018年にウクライナで作られていて、翌年大統領に当選するゼレンスキーが主演しているという話である。
(私、あなた、彼、彼女)
 1978年の「アンナの出会い」はアケルマンのスタイルを理解するためには必見だ。監督自身を思わせる女性監督が、映画の宣伝のためヨーロッパ各地を訪れる。その歓迎風景は描かれず、ただ移動の鉄道や駅の風景、男や母親、母の知人との短い出会いが長回しで描かれる。故郷に婚約者がいたらしいが、あちこち飛び回っているうちに時間が経ってしまった。揺れるセクシャリティ、母との関係、孤独な日常などをひたすら見つめる。冒頭がドイツの駅のシーンで、普通は駅に入ってくる鉄道を前から描きそうなところ、カメラの後ろから列車が入ってくる。下りていく乗客も後ろ姿。不思議な感触の傑作だ。
(「アンナの出会い」)
 次の2作は「文芸映画」である。「囚われの女」(2000)はプルーストの原作を現代に置き換える。ブルジョワの青年が嫉妬の感情に囚われていく様を美しい映像で描いていく。なかなか面白いが、設定についていけないかも。別れることになったが、別れきれない。海辺のホテルに出掛けるが…。運転しながら女を追い続ける男、その目に映るパリの風景が魅力的。
(「囚われの女」)
 最後の「オルメイヤーの阿房宮」(2010)は、ジョセフ・コンラッドの最初の長編の映画化。カンボジアで撮影されたというが、どことも地名の出てこない東南アジアのジャングル。川の畔に住む白人のオルメイヤーは、現地の女性との間に娘ニーナをもうける。今は娘の将来にしか関心がなく、町の寄宿学校に入れて白人として教育したい。しかし、娘は学校でいじめられて、なじめない。授業料を払えず退学になったニーナは戻って来るが。「阿房宮」は秦始皇帝の宮廷の名で、原作の翻訳の名前。原題は「オルメイヤーの愚行」である。ニーナが町を彷徨うシーンやオルメイヤーが川をボートで過ぎゆくシーンなど、何という美しさだろう。白人の「愚行」を厳しく見つめる「脱植民地主義」がテーマなんだろうが、映画的なまとまりは今ひとつか。
(「オルメイヤーの阿房宮」)
 アケルマンは2015年にドキュメンタリー映画「No Home Movie」を作った後で亡くなった。うつ病による自殺と言われているらしい。記録映画を含めて、まだアケルマンには未紹介の映画が20~30本あるようだ。初期のアマチュア作品は別にしても、まだ未見の重要作が残っている可能性がある。新しい目で見れば、歴史の中に発見はいくらでもあるという好例だ。時間は大変だけど、「ジャンヌ・ディエルマン」は是非見るべき映画だろう。
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