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尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

映画「ディーパンの闘い」

2016年02月29日 23時30分10秒 |  〃  (新作外国映画)
 2015年のカンヌ映画祭パルムドール(最高賞)のフランス映画、ジャック・オディアール監督「ディーパンの闘い」が公開されている。さすがに最高賞だけある傑作であり、大変な力作だと思うが、一言で表すならば、深い内容を持つ「問題作」だと思う。問題作という表現は、テーマは重要だが完成度に難があるという印象を与えるかもしれないが、そうではない。映画としての完成度も高いと思ったが、中味の話がとても重大で軽々しくコメントできない感じである。

 この映画を一言でいうと、「フランスに来たスリランカ難民家族の物語」である。近年ずっと、特に昨年後半以来、「難民問題」は世界の焦点である。だけど、それはシリア内戦を逃れた難民が多い。民族的にはアラブ人で、宗教的にはイスラム教。フランスにとって、「イスラム教との関係」というのも、昨年来焦点になっている。そういうことを考えると、「スリランカ難民?」という感じもある。大体なんでスリランカで難民が出るのか、きちんと理解している人が日本にどれくらいいるだろう。監督の名前で呼べるほどの知名度もなく、カンヌ受賞で売るしかないけど、観客は少なかったのが残念。

 スリランカ内戦の話は後で書くけど、とにかくインドの南にある島国から多くの難民が出たのである。時間的には90年代から21世紀初頭の事。そして、この映画の主人公たちは、家族である方が難民審査を通りやすいということで、女が親のない子どもを探し、一人の男を見つけて「偽家族」を作る。そして、フランスに渡ることができたのである。その男、どうやら反政府ゲリラだった過去を持つようだが、それが題名にもなる「ディーパン」である。そして、彼の妻としてやってきた「ヤリニ」は、実はイギリスにいとこがいてフランスには来たくなかった。親が殺された女の子「イラヤル」は偽の母に不満を持つが、子どもを持ったことがないヤリニは対応が判らない。

 難民が偽の身分を申請することは、多分あるんだろうけど、テロリストの潜入を恐れる今のヨーロッパの心情からすれば、実にシビアな設定である。この偽家族は、対外的にはまとまりのある良い家族を装うが、内情はバラバラである。だけど、さすがにフランスは懐が深いと思ったのだが、ディーパンには仕事が用意されている。パリ郊外の公共アパートの管理人である。そして、ヤリニにも認知症老人のヘルパーという職が与えられる。ディーパンは思ったより責任感が強く、管理人として住民にも受け入れられていく。ヤリニも「食事が美味い」と評判がよく、彼らは地域に溶け込めるかのようである。

 ところが、今度はこのアパート周辺で銃撃戦が起きる。地域を仕切っていたのは麻薬の売人たちである。どうも彼らの間でトラブルがあるようだ。そして、内戦を逃れてきたはずなのに再び災禍に巻き込まれそうな恐れ。ヤリニは耐えられずイギリスに去ろうとするが、ディーパンはフランスで生きていくしかないと認めない。駅まで追いかけて行って、パスポートを取り上げてしまう。だけど、そんな彼らをもっと本格的な銃撃戦が襲い、ヤリニはアパートの中に取り残されてしまう。そんな彼らはこの環境を生き抜いていけるのか。そして「本当の家族」になる日は訪れるのだろうか。

 フランスでは「郊外地区の荒廃」という話をよく聞く。ニュースで時々暴動が起きたとか出てくるし、もう20年も前のことになるが、オディアール監督とも関わりの深いマシュー・カソヴィッツ監督「憎しみ」(1994、カンヌ映画祭監督賞)という映画が評判を呼んだ。だけど、ここまで荒廃の度が凄まじいのかとビックリした。アメリカ犯罪映画のスラムのようである。それがどこまで現実を反映しているかは判定できないが、これでは内戦下の国々と似たような状況である。難民問題を描く映画が、いつの間にかフランス社会への批判になっている。だけど、フランスの状況も民族や宗教の違いで理解しあえない状況が背景にあってのことだろう。だから、スリランカで起きたこととフランスの状況は共通性がある。それは異文化との共生は可能かという問題である。

 と言いつつ、実は男と女も「異文化」、大人と子どもも「異文化」。ディーパンはフランス社会と向き合いつつ、まずは偽家族という「異文化」と向き合って行かないといけない。そのあたりの問題設定の深刻さがハンパじゃない。映画は映画なりの答えを用意しているが、現実はもっとシビアなんだろうと思う。ジャック・オディアール(1952~)は、「真夜中のピアニスト」「預言者」「君と歩く世界」なんかを作った人。僕はカンヌ映画祭グランプリの「預言者」しか見ていないが、「ノワール映画」、つまり犯罪社会が関わるような映画が多いという。この映画も同様だが、演出力は確か。

 スリランカでは、多数民族のシンハラ系と少数民族のタミル系の対立が続いてきた。70年代から、インドに近い北部のタミル人地区で分離独立運動が起こり、80年代には反政府組織「タミル・イーラム解放の虎」と政府軍との闘いが激化した。いろいろな経緯があったが、21世紀になって政府軍の攻勢が強まり、2009年に政府軍が全土を掌握し、内戦が終結した。その後、コミュニティ再建のための復興が進められ、国際的な支援があるということは知っているが、果たしてうまく進んでいるかは知らない。

 主演のディーパンを演じるアントニーターサン・ジェスターサンは実際に反政府ゲリラで活動していたといい、16歳の時にタイを経てフランスに渡ったという。その後作家として活動しているという。実にリアルな演技だが、まさに「地」だったのだろう。ラストにキャストがクレジットされるが、全く読み取れない。とても覚えられない名前である。妻のヤリニを演じるカレアスワリ・スリニバサンはインドのチェンナイ(マドラス)に生まれたタミル系女優だそう。娘のイラヤルは、カラウタヤニ・ヴィナシタンビ。全然覚えられそうもない名前だなあと思った次第。
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恩地孝四郎展と「ようこそ日本へ」展

2016年02月27日 00時24分55秒 | アート
 東京国立近代美術館で、近代の抽象版画の大家、恩地孝四郎の本格的な展覧会が開かれている。28日までなので、今日行ってきた。ところで、同じ28日まで「ちょっと建築目線で見た美術」という展覧会と「ようこそ日本へ」という展覧会も開かれている。時間がなくて「建築目線」の方を見る時間がなかったのだが、「ようこそ日本へ」展が面白かったので、そっちから紹介。
 
 これは副題を「1920-1930年代のツーリズムとデザイン」と言い、大正から昭和戦前期の日本観光のポスターを中心にした展示である。そんな時代に国際観光があったのか。第一次大戦後の国際協調時代ならともかく、1929年の世界恐慌以後は世界は戦争の時代へと傾斜していく。日本も満州事変をきっかけに国際連盟を脱退し、国際的孤立の道を歩む。という視角だけで見ると、当時の日本政府が国際観光を呼びかけているのが不思議に思えるが、実際は連盟脱退で円安が進行し、観光客が訪れやすくなっていたという。そして、1936年にはベルリンで五輪が開催され、1940年には東京で五輪が開催される予定だった。円安と五輪、今と同じではないか。

 違うのは、当時の日本イメージはもっと広かったということである。つまり「大日本帝国観光」である。「帝都東京」と「古都京都」、「霊峰富士」などと並び、朝鮮半島の金剛山、台湾の新高山(玉山、富士山より高い当時の「日本一の山」)、そして大連ヤマトホテルに泊って翌日から「特急あじあ号」で「満州国」の観光へ。それもまた日本観光の目玉だった時代なのである。だから「日本海時代」などというポスターまで作られた。いやあ、時代に先駆けているではないか。そのポスター。
 
 現在のJTBである「ジャパン・ツーリスト・ビューロー」ができたのもこの頃。国立公園制度だって、この国際観光振興のために作られたのである。もちろん、飛行機で来る時代ではない。大型商船で来るのである。だから、商船のポスターが多い。実に魅力的である。そういう「忘れていた」、あるいは「忘れたかった」日本観光のイメージを再確認できる。なお、この前「春の夜の出来事」という映画について書いた時に触れたけど、赤倉観光ホテルや蒲郡ホテルなど、今も残る国際観光ホテルがいっぱい作られたのもこの頃。そういうクラシックホテルに泊まってみれば、少し時代の追憶に浸ることができる。

 恩地孝四郎(1891~1955)の方は、いっぱい版画(だけではないが)が並んで、満腹。僕にはうまく表現できないんだけど、この世界的な版画家の全貌が展示されている。萩原朔太郎の「月に吠える」の装幀を担当したことでも知られる。北原白秋や室生犀星など多くの作家・詩人の本を装幀した。それらも大量に展示されている。戦中にはやはり「戦争版画」を作っていた。「大東亜会議」に来たビルマのバー・モウの肖像版画もあった。戦後になると、抽象が温かい感じになっていき、見ていて飽きないし、癒されるような作品が多かったので、ホントはもっとゆっくり見たかった。ちょっと体調がいま一つで、若い時期はなんだかじっくり見る気になれなかったのが残念。そこから、今度は同じ国立近代美術館でもフィルムセンターへ回って「尻啖え孫市」を見て帰るが、映画を見ているうちにだんだん体調が戻ってきた。(美術館のある竹橋のあたりも、80年前の「2・26事件」の舞台だったが、美術館で使ったコインロッカーの番号が「226番」だったことに開けるときに気づいた。
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神吉拓郎「洋食セーヌ軒」

2016年02月25日 23時24分57秒 | 本 (日本文学)
 神吉拓郎(かんき・たくろう、1928~1994)という作家がいた。1984年1月に「私生活」という作品で直木賞を受けた。僕は10年ぐらい前に直木賞作品を系統的に読もうかと思って探したことがあるけど、もう新刊文庫からは消えていた。図書館に行ったり古書を買ったりするほどでもないかと思って、一度も読んだことがない作家である。その神吉拓郎の「洋食セーヌ軒」(1987年)という作品が光文社文庫に入った。なんだか面白そうな感触がある。読んでみたら、やっぱり絶品の極上本だった。書かずに終わるのももったいないので、簡単に紹介。

 「食」にまつわる小説は、今はいっぱいある。一種のブームと言ってもいい。映像化されることも多い。だけど、この作品が書かれたのは、30年ほども前。バブル時代に近いけど、そういう豪華な食ではなく、人生のさまざまな時点で親しみを持ったカキフライ天ぷらうなぎ、あるいは中華街の小さな店や鮎を食べさせる宿なんかである。そして、それにまつわる人生の記憶。1928年生まれというから、「国民学校」(1941年から小学校の事をこう言った)の思い出がよく出てくる。そんな世代の話。

 それにしても、実に美味しそう。そして、名文。解説にもあるが、冒頭が素晴らしい。17の短編が収められているが、最初の話「それにしても、見事な虹鱒だった」から、もう話に捕らわれてしまう。「洋食セーヌ軒」という標題になっている短編は「駅前の眺めは、以前とはかなり変わっていた。」と始まる。昔住んでいた町である。そこにある「セーヌ軒」のカキフライが美味かったと思い出し、久しぶりに行こうかと思う。果たして、そもそもまだあるのか…。中央線沿いにある「欅の木」、羽田近くの天ぷら屋、懐石料理のようにできたてのデザートを届ける小さな店「プチ・シモーヌ」とは…。

 思い出の逸品もあれば、本格派の料理もある。素材が上質だったり、凝ったつくりだったり。でも、すべて上品なもので、いわゆる「B級グルメ」的な食べ物でも、語りで上品になっている。出てくる人間関係も割合さらっとしていて、後腐れしない。そこが程よく味わえる極上感のもとだろう。多分、若い時に読んでも、そんなに面白くなかったかもしれない。どうも、年取ってから読んだ方が面白いかもしれない。そう思うと、年取るのも案外悪くないではないかという短編集である。

 神吉拓郎は、永六輔、野坂昭如などと三木鶏郎のトリローグループにいた人で、俳人、ラグビーファン、食通として知られたという。僕は名前ぐらいは知っていたが、同時代には全く読まなかった。食にまつわる本もまだあるようである。これは珍しい本を発掘してくれたものだと感謝。スラスラ読めて、人生を感じて、美味しそう。お得な本だと思う。
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映画「俳優 亀岡拓次」

2016年02月25日 21時18分59秒 | 映画 (新作日本映画)
 いつも脇役しか回ってこない「最強の脇役」亀岡拓次という俳優の生活と夢を描く映画「俳優 亀岡拓次」。ロードショーは明日までなので、やっと見て来た。亀岡拓次役は安田顕という実際に脇役が多かった俳優で、ずいぶん舞台、テレビ、映画に出ていたようだけど、僕は知らなかった。昨年公開された北野武監督「龍三と七人の子分たち」にも出ていて、僕も見ているが認識していなかった。

 映画のほとんどは、映画のロケ、あるいは舞台劇の場面、それもリハーサルばかり。それが終わると亀岡は飲みに行く。家の近所(調布)でも行きつけがあるし、ロケに行けばそこでも飲む。そして、諏訪のロケで行った飲み屋では、魅力的な女将、というか家に戻って父を手伝っているだけの女性(麻生久美子)になんだか惹かれてしまったよう。「安曇」(あづみ)っていう名前も長野らしい。でも俳優だと言えず、つい「ボーリング場に球を売りに来た」とか言っちゃう。重いでしょと言われて、いやカタログだけとかなんとか。なんだかいい気持ちになって、独り者の夢がふくらむ。

 映画は街中のアクション映画とか、時代劇とか、いろいろ。大した役ではなく、やってるうちに役が変わってしまったり。でも、チョイ役でも頑張っている。現場に奇跡を呼ぶとか言われている。舞台は出ないんだけど、オファーが来たからやることにして、劇団陽光座に出かける。座長は松村夏子。これが三田佳子がやってて、演出兼主演で亀岡を指導する。亀岡は映画向きだと言われてしまうけど。一方、時代劇を撮る大御所の古藤監督は山崎努。飲み過ぎて臨んでお堀に落ちたりしつつも、良かったよと言われる。三田佳子や山崎努の出番は少ないけど、儲け役を悠々と演じている。

 一方、憧れの巨匠、スペインのアラン・スペッソ(もちろんフィクション)が来日していて、亀岡の出た映画が良かったとオーディションに呼ばれる。そこらへんはファンタジックな感じの作り。麻生久美子へのほのかな憧れは、やっぱりという展開だけど、また逢いに行く熱心さはきっとどこかで生きるのかな。それとも、やっぱりどこでも飲みに行くというのは、良くないのかも。「バックステージ」もの(舞台裏)映画の一種だけど、そういう話は大体実は恋愛映画だったりする。でも、この映画はそうなりそうもない実生活を中心に描く。そこが変わっているし、ちょっと長いかもしれない。

 監督は横浜聡子(1978~)で、2008年の「ウルトラミラクルラブストーリー」以来の長編映画で、この監督は僕はそれしか見ていない。なかなか面白い脚本を書いたなあと思ったら、オリジナルじゃなくて原作があった。戌井昭人(いぬい・あきと)の2011年の小説で、最近毎回のように芥川賞にノミネートされている作家である。劇作家でもあり、俳優でもある。この映画にも出ているということだけど、何の役だか知らない。横浜監督は長編は「ジャーマン+雨」があり、その他短編をいくつか撮っている。この映画はまずは題材の面白さがあり、脇役俳優という存在を意識させられるという意味で、面白かった。音楽は大友良英が担当。
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ヘニング・マンケル「霜の降りる前に」

2016年02月15日 21時54分31秒 | 〃 (ミステリー)
 スウェーデンのミステリー作家、ヘニング・マンケルの「霜の降りる前に」(創元推理文庫、上下巻)が刊行された。作者のヘニング・マンケルは、昨2015年10月5日に亡くなった。その時に、「追悼ヘニング・マンケル」という記事を書いておいた。ヘニング・マンケルは、特に北欧ミステリーのファンには名前が知られているだろうけど、日本では一般には広く知られているとは言えないと思う。でも、ミステリーというより社会問題を扱う著者の問題意識、あるいは長くアフリカで活動した経歴、人権活動家として活動し、地雷廃絶を訴える児童文学を書いたことなど、もっと広く知られてもいいと思う作家である。
 
 今回の「霜の降りる前に」は、代表作のクルト・ヴァランダーものの第10作目の作品である。もっとも今までに翻訳されたのは8冊しかない。つまり、順番を飛ばして、2002年刊行の本が先に翻訳されたわけである。というか、この作品は同じ警官を目指すことになった娘リンダ・ヴァランダーが中心となる作品だから、一種の「外伝」と言ってもいい。リンダはもうすぐ父と同じスウェーデン最南部のイースタ署に勤務することが決まっているが、正式にはまだ警官ではない。そんな時期に、スウェーデンを揺るがす捜査に関わることになってしまったのである。なぜなら、昔からの友人アンナが行方不明となり、事件と何らかの関わりがあるのではないか…と疑問が大きくなっていくからである。だから、正式な警官ではないが、事件関係者の知人を探すということで関わっていくわけである。

 この親子はなかなか問題が多い。ずっと読んでいる人には判っていることだが、親は離婚し、父の生活にも母の生活にも問題が多い。娘もなかなか生涯の仕事やパートナーが落ち着かず、当初は家具職人になりたいなどとも言っていたのだが、30歳も近づくころになって、小さい時に離れてしまった父親と同じ職業、それも警察官という仕儀とを目指すことになったのである。といった登場人物の人生もずっと読んでいると興味深くて、それがシリーズものをずっと読む楽しみだろう。

 でも、それよりも事件の中身。ある日、白鳥に火が付けられ、続いて農家が飼っている仔牛に火が付けられる。続いてペットショップが放火され…。一方、森に消えた女性の残虐な死体が発見される。リンダの友人アンナは、ちょうどその頃、幼い頃に出て行った父を見かけたと動揺し、そのまま行方が分からなくなる。といった不思議な出来事が相次ぐのだが、これらにはどんな背景があるのだろうか。そして、さらに別の事件が起きるのだろうか。という風にして、捜査が始まっていく。

 この小説で扱われているのは、「カルト宗教」による大規模なテロ事件という問題である。今は宗教テロというと、まずイスラム教を思い浮かべてしまうだろう。だけど、ある時期まで、世界的に大きな問題だったのは「キリスト教系カルト教団」で、特に南米のガイアナで集団自殺したことで知られる「人民寺院」などが有名である。そして、この小説の中では、人民寺院事件でただ一人生き残った人物という設定になっている。そういう人が何でスウェーデンと関わるのかは小説で読んでもらうとして、ここで描かれる「宗教とテロ」という問題は非常に重い。2002年に出たこの本のラストは、事件が一段落した2001年9月11日に、警察内で皆がテレビを見ているシーンである。もちろん、ニューヨークのワールドトレードセンタービルにハイジャックされた飛行機が突入した、あの忘れがたい日である。

 それだけで、この小説の意味が伝わると思うが、複雑になる世界、問題が多い家庭、そんな世界を救うとする「宗教」の意味、刊行されてから10年以上経っているが、少しも色あせない問題意識である。でも、まあミステリーだから真相を知りたい、この後はどうなるとページをめくり続ける読書。ヴァランダー・シリーズも後は残り2冊。早く読みたいようなそうでもないような。その前に闘病記の「流砂」という本が今秋に出るらしい。ミステリー以外のマンケル作品ももっと読みたい。柳沢由美子さんの翻訳はいつもと同じく、とても読みやすい。無理なき範囲で、今後も翻訳が継続されることを期待したい。
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山田洋次監督「母と暮らせば」

2016年02月14日 22時56分05秒 | 映画 (新作日本映画)
 山田洋次監督(1931~)の84本目の作品だという「母と暮らせば」をようやく見たんだけど、さあ、この映画をどう評価しようか。僕にはちょっと難しい。もちろん悪くない。見る前から判っている程度に、非常に感動的である。見れば泣けてくる。泣ける度合では、昨年公開の日本映画でも屈指だろう。原子爆弾の非人道性というテーマも、もちろん何度も繰り返して訴えるべきものだろう。例えば、主演の「嵐」の二宮和也(力演)が見たいからと、いつもなら「戦争もの」を敬遠するかもしれない若いファンが見てみようと思うんだったら、それでいいではないか…。とまあ思うわけではあるが…。

 この映画が素晴らしいのは、何より丁寧に作られたセットに、こだわりを持って集められた小道具が存在する空間。そこに流れる坂本龍一のレクイエム。映画を見たなあという気持ちになる。もちろん、そういうものばかりが映画ではないわけだが、今ではほとんど絶滅寸前の映画作りである。今回はCGも巧みに織り交ぜながら、「1945年8月9日」の長崎、そしてその3年後の日々を描いて行く。

 だけど、話は判っている。井上ひさしの戯曲「父と暮らせば」(1994)とその映画化「父と暮らせば」(2004、黒木和雄監督)をちょうど裏返しにしたような物語である。井上ひさしは、その後沖縄を描き、さらに長崎も描きたかったそうだ。しかし、書きあげる前に亡くなってしまった。沖縄の物語は「木の上の軍隊」(井上ひさし原案、蓬莱竜太作)として舞台化された。一方、長崎の物語はどうなるとも決まっていなかっただろうが、題名は「母と暮らせば」だと言っていたという。今回の脚本は山田洋次と平松恵美子が共同で書いている。(平松は「学校Ⅳ」から山田作品の脚本を手掛け、「武士の一分」以後の劇映画は、次回作「家族はつらいよ」を含め、すべて共作者に名を連ねている。)

 ということで、「父と暮らせば」なんて知らないと言われてしまったらそれまでだけど、まあ、映画や演劇や文学にある程度の関心を持ってきた人なら、大体知っているだろう。あの話は、広島の原爆で生き残った娘のもとへ、原爆で死んだ父が幽霊として出てくる。今回はその逆だから、母が生き残り、息子が死んで幽霊として出てくるわけである。で、どうなるかという展開もほぼ予想の通り。吉永小百合二宮和也というキャストも、まあ熱演していて、事前に多少あった心配は杞憂だった。だけど、こう予想通りでいいんだろうか。冒頭から怪しい感じだった登場人物が、やっぱり犯人だったというようなミステリーみたいなもんではなかろうかとも思ってしまうわけである。

 原子爆弾という兵器は、非人道的な大量破壊兵器として全世界で禁止されるべきだが、それは何もこの映画を見て知ったことではなく、ほとんどの観客は見る前から判っているだろう。息子は次男で、長崎医科大学に在学していた。だから一般人であって、そういう人々をも殺害する大量破壊兵器は戦争犯罪だろう。だが、この家庭には長男もいた。フィリピン戦線に従軍して戦死したとされる。戦死した日に母の夢枕にたったらしい。だから、長男が幽霊として出て来れば、戦争の実態、戦場の残虐さを訴えただろうと思う。だけど、この映画では戦争自体の始まりや日本軍の戦争犯罪は全く触れられない。長崎の原爆では、連合軍の捕虜や連行された朝鮮人労働者も多くの犠牲を出したが、そのことも全く出てこない。珍しく「婚約者」までいた次男が幽霊として出てくることにより、われわれ観客は生き残った母や婚約者とともに、安心してたっぷり泣ける工夫がされている。

 だけど、それでいいんだろうかというのが、この映画を見た僕の疑問である。僕はその映画を見たことにより、何か新しい発見をし、新しく感じ考えたいと思う。この映画では、安心して感動して泣けるけど、それでいいのか。と思うけど、そう言ったら、歌舞伎や落語やクラシック音楽…なんかはどうなってしまうんだろう。山田監督作品だって、寅さんが何本も続くことにより、僕は飽きてしまった。だけど、今見れば、それも懐かしいと思える。そういう感覚で見てみれば、これは「戦後日本の平和主義」を描く「伝統芸能」なのかもしれない。それならそれでいいではないかとも思う。初めて見る人はいつもいるわけだし。こうやって、「戦争」が「伝統芸能」として伝えられていくのかもしれない。

 ところで、この映画を見て、黒木華(くろき・はる)はやっぱり素晴らしいと思った。「小さいおうち」や「幕が上がる」は、どうもいま一つな感じもあったが、今回はやっぱりうまい人だなあと思った。寺島しのぶ版を見ているからと思って、永井愛作「書く女」の再演を見なくてもいいかと思ったことを後悔している。それと、「上海のおじさん」役の加藤健一が見逃せない。

 長崎の原爆に関しては、体験者として林京子が多くの小説を書いている。芥川賞受賞の「祭りの場」は必読。戦後派では、長崎原爆資料館長でもある作家、青來有一(1958~)がいて、芥川賞受賞の「聖水」や映画化もされた「爆心」などを書いている。僕の好きなのは佐多稲子「樹影」という小説で、名作だと思う。また井上光晴「明日―1945年8月8日・長崎」は、映画「TOMORROW 明日」となった。傑作。木下恵介の「この子を残して」やもっと古い映画もあるが、最近では「ペコロスの母に会いに行く」(森崎東監督)にも出て来た。広島を描いた小説や映画の方が多いけれど、長崎も大切。
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ピーター・チャン監督「最愛の子」

2016年02月13日 23時41分09秒 |  〃  (新作外国映画)
 中国で起こった児童誘拐事件を扱う、ピーター・チャン監督の「最愛の子」。見始めたら画面に引き入れられてしまい、決して逃れることができな緊迫した映画である。辛く重い映画だけど、中国社会の状況という枠を超えて普遍的に心を打つ映画で、必見の問題作だと思う。

 2009年7月18日、香港に隣接した広東省・深圳。そこに離婚した夫婦がいる。下町のネットカフェを営む元夫のもとに、元妻が息子のポンポン(3歳)を連れてきた。仕事に忙しいまま、地元の子と遊んでいるように父は子どもに言う。ポンポンは遊びに行く途中で、母の車に気付いて追っていく。そして、そのままポンポンは家に帰らなかった。警察に行くが、24時間は事件扱いできないと言われる。駅を探し回るが、見つからない。その後、警察で防犯カメラを見せてもらうと、ポンポンを連れて逃げていく男が映っていた。このような誘拐事件が中国では年間20万件もあるのだという。

 ピーター・チャン(1962~)は、香港の映画監督で「君さえいれば/金枝玉葉」(1994)などの恋愛映画で売出した人である。「ラヴソング」(1997)の素晴らしさは忘れがたい。テレサ・テンの歌声に乗せて、レオン・ライとマギー・チャンの10年に及ぶ恋愛模様を描くこの映画は、香港返還を背景に大陸とアメリカに引き裂かれる香港人の心情をも反映していた。最近は「ウォーロード/男たちの誓い」や「捜査官X」といった大陸で撮影した歴史アクション映画を手掛けた。経歴的にはエンターテインメント系の監督だから、そうした期待でこの映画を見ると、あまりに重い現実にとまどうかもしれない。だけど、語り口のうまさのようなものは共通していて、難しい点はどこにもない。

 ただし映画的には、どこにも難しいところはないんだけど、誘拐という現実に向かい合うということが難しい。もともとは実話で、ドキュメント映像を見た監督が映画化を考えたという。子どもがいなくなるというのは、とても耐えられそうもない出来事だが、ここで描かれるのは黒澤明監督「天国と地獄」のような営利誘拐ではない。また、性犯罪でもない。恐らくは中国の奥深い農村部で、男児のいない農家に連れて行かれた(または売られてしまった)と考えられる。残された夫婦の方には、他の子どもはいない。「一人っ子政策」により、子どもは誘拐された一人だけである。では、もうひとり作ろうかと言えば、誘拐された子どもの死亡届を出さないと認められない。

 父親はネットに情報を求めるサイトを作り、チラシも作って活動する。時には報奨金目当てのニセの情報もある。母親は初めは元夫を責めるが、元夫が「子どもが誘拐された親の会」に連れて行くと、突然自分を責める発言をする。その会は驚くべきもので、同じ状況に置かれた親たちが集って、励まし合っているのである。時には誘拐犯が捕まったと聞き、バスを仕立てて会いに行ったりする。そうした活動にもかかわらず、子どもは見つからず3年がたつ。そして、安徽省の農村にポンポンらしき子どもがいるという情報が入るのである。

 こうして、この事件は表面上「解決」するのだが、物語はそこで終わらずに思わぬ展開をしていく。連れ戻したポンポンは実の親を忘れてしまい、養親になついてしまっていた。そして、もうひとり「妹」がいたのである。「子どもができない」養母のホンチンは、夫はもう死んでいて夫が子どもを連れてきたと語る。「妹」のジーファンは「捨て子」だったと言うが、当局は深圳に連れて行き養護施設に入れることにする。それに対して、せめてジーファンだけでも取り戻したいとホンチンは深圳までやってきて、施設に行くが相手にされない。そこで弁護士を頼んで裁判を始める。一方、実母もジーファンを引き取りたいと考えるが、そのことから再婚した夫との関係も悪くなる。こうして、すべての人々の人間関係が引き裂かれてしまうのである。ほんとうの意味での「解決」がないまま、映画は皮肉な終わり方をする。

 誘拐をテーマにした映画は世界にかなりある。日本でも、「誘拐」「大誘拐」と言う名の映画もあるが、児童誘拐ではない。この映画を見て思い出すのは、角田光代原作、成島出監督の「八日目の蝉」だろう。この物語は、不倫相手の子どもを誘拐するという設定で、後半は大人になった被害児童が事件を振り返るという特異な構成になっている。外国映画では、30年代のロスを舞台にしたクリント・イーストウッドの「チェンジリング」が思い浮かぶ。その他、現実の誘拐事件と言えば、中東や中部アフリカに多い政治がらみ、宗教がらみの事件がある。これは「テロ事件」というほうがいいだろう。この事件で扱われているのは、「中国の特別事情」が背景にある。しかし、その問題をテーマにした社会批判映画ではないというのは、監督のいう通りだろう。もちろん、あからさまな政治批判映画は作れない国情だが、それ以上に「人間というものの性(さが)」を描きたいという思いは一貫している。

 中華圏の映画にそれほど詳しくないので、俳優はよく知らない。いくつかの映画賞を取っているのは、養母役のヴィッキー・チャオ(趙微、1976~)で、「少林サッカー」や「レッド・クリフ」に出て人気の女優。見ているが思い出せない。最近は監督にも進出している。この映画ではノーメイクで安徽省の無知な農民を演じて、強い印象を与える。メイクした若い写真と比べると全く違う。
 
 父親はホアン・ポー(黄渤、1974~)という人で、「西遊記~はじまりのはじまり~」などに出ている大人気俳優だという。日本でいえば、古田新太に似ていると思う。
 
 実母のハオ・レイは、ロウ・イエの「天安門、恋人たち」や「二重生活」に出ている人。親の会の中心となるハンを演じたチャン・イーが素晴らしいが、皆自分の実生活でどこかで会ったような顔立ちと人柄で、感情移入しやすいが、逆に他人事と思えない感じもしてくる。しかし、この「つくられた兄妹」のお互いに思い合う様子はどのように解決可能なのだろう。また、自分たちだけ子どもが見つかった後で、親の会とどのように関わるべきか悩む姿も、とても心揺さぶられるところである。とにかく、非常な力作だけど、単なるフィクションではないという現実に心痛む。重いけど、ぜひ見て欲しい映画。
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「あじさいの歌」-芦川いづみの映画再び②

2016年02月09日 00時03分48秒 |  〃  (旧作日本映画)
 芦川いづみ映画の第2弾。前回の特集では中平康監督作品が多かったが、今回は滝沢英輔監督作品と西河克己監督作品が3本選ばれている。第1回で西河克己監督作品を書いたので、今回は滝沢作品について。ただし、「祈るひと」(1959)という映画は来週上映で、また見ていない。この映画は僕の大好きな田宮虎彦の原作なので楽しみ。そこで「佳人」(1958)と「あじさいの歌」(1960)。

 「佳人」は上映が終了してしまったので、今週やっている「あじさいの歌」から。この映画は石坂洋次郎原作で、石原裕次郎主演で作られた何本もの映画の一つ。それまでの「乳母車」「陽のあたる坂道」「若い川の流れ」は田坂具隆監督だった。(芦川いづみは全作に出ているが、後者2作の女優トップは北原三枝。)しかし、「あじさいの歌」は滝沢英輔監督(1902~1965)である。田坂監督は東映に移り、この年は中村錦之介主演で「親鸞」「続親鸞」を作っているのだからやむを得ない。

 「あじさいの歌」は散歩しながらデッサンしている建築デザイナーの青年(石原裕次郎)が、偶然お寺の階段で捻挫している老人(東野英治郎)を助けるところから始まる。おぶって帰ると、このヘンクツな老人が実は大富豪で、豪華な洋館に住んでいる。そして、そこに美しい一人娘がいる。女性不信から離婚して女を近づけない老人は、娘にも学校教育を受けさせず、中学からは家に家庭教師を呼んで教育している。テニスコートまである大邸宅なんだけど、この家では時間が死んでいて、娘は「囚われの美女」なのである。そして、もちろん青年は美女に恋するようになる。
(あじさいの歌)
 僕が初めて見た芦川いづみの映画は、多分この「あじさいの歌」である。見たのは40年以上前の文芸坐オールナイトで「あじさいの歌」「陽のあたる坂道」「あいつと私」の3本だった。順番は覚えていないが、多分今書いた通り。この洋館と芦川いづみの魅力にはまってしまった。これほどロマネスクな設定が日本で可能なのか。まるでフランス文学の「グラン・モーヌ」(アラン・フルニエ)を思わせる。映画の中の洋館は明らかにロケだが、見たことがないところである。検索してみたら、横浜市の野毛山公園近くの旧横浜銀行頭取邸だと出ていた。この邸宅はどうなっているのだろうか。

 さて、もう細かく筋書きを書くこともないだろう。どこにいるともしれない母親、そして裕次郎をめぐる恋のさや当て。父が心配して、大きくなった娘が世に出るための「お友達」を選ぶ。選ばれた中原早苗は、実は偶然にも裕次郎とも知り合いなのであった。そして、中原早苗の兄、小高雄二は芦川いづみを好きになる。大体、この時期の日活ラブロマンスでは中原早苗と小高雄二が、恋敵的な役柄を割り振られている。けっして絶世の美人とは言えない、後の深作欣二夫人の中原早苗が僕は大好きだ。それはともかく、ロングヘアの芦川いづみが、初めて(?)美容院に行って、バッサリ切ってしまってショートにする場面の、「ローマの休日」のような極上シーンは見逃せない。まあ、これが初めて街に出る女の子なのかなどと言うのはヤボで、芦川いづみの魅力に浸るしかない。

 監督が変わったからというより、原作そのものの違いが大きいと思うが、「あじさいの歌」はそれまでの洋次郎+裕次郎映画の中では異色である。他の映画は「もつれた人間関係」が、関係者の「言語による討論」により理性的な解決が図られる。日本ではありえないような「理想」だが、ブルジョワ家庭という設定と裕次郎の肉体によって、むりやり見る者を説得してしまう。その「戦後民主主義」的な言語感覚とそれを具現化するような映画空間(美術など)の魅力が忘れがたい。

 「あじさいの歌」も、関係者の凍結された時間が解凍される設定は共通している。だけど、「言語」へのこだわりが少ない。物語としての魅力と登場人物によって見せる、普通のラブロマンスに近い。「洋館」の魅力という「建物映画」の系譜に位置づけることもできる。また、母親が大阪に行って赤線経営をしていたとされたり、裕次郎と中原早苗が性的に関係したかのようなシーンがある。石坂洋次郎は一貫して、恋愛やセックスを明るく健全なものとして語った作家である。だけど、これまでは不倫や芸者などが出て来ても、ドロドロした感じは少なく、さらっと描かれていた。もう時代も変わってきて、次の「あいつと私」ではもっと正面から性の問題が扱われる。この映画は芦川いづみと洋館の魅力で、清潔な感じに仕上がっていて、実に魅惑的だと思う。

 滝沢英輔は、戦前に京都で若い映画人の集まり「鳴滝組」に参加していた。日中戦争で戦病死した伝説の天才・山中貞雄、「無法松の一生」を監督した稲垣浩などが参加していたことで有名な集団である。滝沢はそれ以前にマキノ雅弘(当時は正博)監督のもとで「浪人街」の助監督だった。監督としても「パイプの三吉」という映画が1929年のキネマ旬報ベストテン7位に入っている。その後東宝に移り、1937年に「戦国群盗伝」前後編を完成させた。これが有名だが、その後も戦中戦後の東宝で時代劇を作り、製作を再開した日活に移っても、時代劇やメロドラマをたくさん残している。戦後の作品はほとんど忘れられた感じだが、さすがに演出力は確かである。他にも面白い映画があるのかもしれない。職人的娯楽映画の作り手として、再評価が必要か。
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アイスランドのミステリー「声」

2016年02月07日 23時03分48秒 | 〃 (ミステリー)
 アイスランドアーナルデュル・インドリダソン(1961~)という作家がいる。近年北欧ミステリーが世界的に評判になってきたが、アイスランドの作家はこの人だけである。日本でも「湿地」「緑衣の女」という作品が翻訳され、高く評価された。「湿地」は映画化され、日本でも映画祭で上映され、僕も見に行ってブログでも書いた。2015年7月に3冊目(作家にとっては5作目)の「」(2002、柳沢由美子訳、東京創元社)が刊行され、年末のミステリー番付でも高順位を獲得している。(「このミス」5位、週刊文春4位)前の2冊は地元の図書館にあったので読んだが、最近行ったら「声」も入っていたので、さっそく借りてきて読むことにした。僕がリクエストしたわけじゃないんだけど。

 最近ここでも書いた映画「ひつじ村の兄弟」を見て、年末には村上春樹の紀行文集でアイスランドの旅の話を読んだ。ちょっとアイスランドづいていると思い、「声」も読んでみようと思ったのだが、これは今までの本よりもさらに面白い傑作だった。「犯人あて」の作品ではないが、犯行トリックや叙述トリックではないのに、犯人探しから気持ちが離れているすきに、真犯人が指摘される。だけど、「何だ」という気持ちが起こらず、人間と社会への思いを深めさせられるのは作者の手腕である。

 クリスマスも近いある日、アイスランドで2番目のホテルの地下で、中年のドアマンの刺殺死体が発見される。その男は長年ドアマンをしていただけではなく、ホテルのクリスマスパーティでは毎年サンタクロースをしていた。そして、長くホテルの地下室に住みついていた。ほんのちょっとというつもりで部屋を貸して、そのまま十何年も居付いてしまったらしい。だけど、ホテルでも修理や警備など便利屋的に使っていたらしい。しかし、そんなに長くいるのに私生活は誰も詳しく知らない。しかも最近、ドアマンをクビになったという。家族として姉と車いすの父が来るが、ほとんど悲しがっている様子がない。

 そんな謎めいた死者の過去を警察は探り始める。例によって、捜査の中心はエーレンデュルで、他の二人も前作と共通。問題を抱えたエーレンデュルの娘エヴァ=リンドの動向も要注意。さらにサイドストーリイとして虐待が疑われる父親と子どもの話が出てくる。人口30万ほどのアイスランドで、大々的な銀行強盗やカーチェイスは起きないと作者自ら語っている。だけど、人が住む以上、「家族」が抱える問題は世界中どこでも同じで、だから家族関係をめぐるミステリーを書くというのは、ここでも同じ。

 犠牲者グドロイグルの部屋にあった「ヘンリー」という書き付けから、ホテルの客のヘンリーを一応調べてみると、二人いるうちの一人のヘンリーが、まさに求めていた人物だった。そして彼の話から、驚くべき事実が明らかになる。グドロイグルはほんのちょっとした子供時代の一時期、非常に注目されたスターだったのである。天使の歌声を持つボーイ・ソプラノで、父が厳しくしつけていた。レコードも出し北欧ツァーが企画された、その直前の地元の公演会のまさにその日、12歳の彼は早すぎる声変わりに見舞われ、運命は変転し、彼の人生は失墜する。

 本当はそのことも書かない方がいいんだけど、そのぐらい書かないと何も書けない。このような彼の人生はその後どうなって、ホテルの地下にたどり着くのか。彼を取り巻く家族やレコード収集家の世界。そして謎めいたホテルの腐敗(?)やホテルで働くさまざまな人々の実情。そして、捜査官エーレンデュルの過去の傷が語られていく。アイスランドは犯罪が少ない国だが、それでも麻薬も暴力集団も児童虐待もある。当たり前といえば当たり前だが。こういう風に捜査官が一人で聞きまわるのは、どうも日本からすると違和感があるが、きっとアイスランドではそういう捜査が普通なんだろう。

 アイスランドは小国とはいえ、北海道より大きい。(面積は約102,828㎢で、世界18位。ちょうどフィリピンのルソン島とミンダナオ島の間である。北海道は78,073㎢で世界21位。)日本人の感覚だと、世界の北の果てみたいな感じを受けてしまうが、頭の中を地球儀にすると(地図で言えば「正距方位図法」にすると)、ちょうどアメリカとロシアの間。ワシントンとモスクワを結ぶと、大体アイスランドの上である。イギリスも近いから、第二次世界大戦中は、対独戦争中の英米ソど真ん中にあったわけ。デンマークの下で立憲君主国だったアイスランドはデンマークをドイツが占領した後で、英米軍が駐留した。戦後は「米ソ冷戦の最前線」になり、米軍が駐留した。冷戦を終結させたレーガン、ゴルバチョフの会談は、1986年に首都レイキャビクで行われた。

 日本では火山と温泉の国というイメージだが、実は世界的な戦略的重要性を持つ国だったわけである。冷戦後、米軍が撤退したが、ロンドンにもニューヨークにも近い特性を生かし、金融立国をめざし、1998年の金融危機で破たんした。今はまた経済が立ち直っているとのことだが、なかなか複雑な歴史を持っている。また、「姓を持たない」ことでも有名。「名前+父の名」で表す。エネルギーも7割強を水力、2割強を地熱でまかなうなど、とにかく興味深い国である。1955年にノーベル文学賞を受けたラクスネスという作家もいるが、読んだことがある人は普通いないだろう。アイスランドという興味深い社会を反映したアーナルデュルのミステリーは、読み応え十分。特にこの「声」は傑作だと思った。
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芦川いづみの映画再び①

2016年02月07日 00時01分00秒 |  〃  (旧作日本映画)
 神保町シアターで、「恋する女優 芦川いづみ アンコール」を上映中。性懲りもなく再び通って見ているが、そうすると他の新作映画や演劇、美術などのヒマが取れない。のみならず、市川崑監督や田中登監督などの特集も行われていて、そっちも行くつもりが時間が取れない。まあ、家から近い神保町シアターを優先させるが、ボケッと芦川いづみを眺めているのもいい。

 あまり書くつもりもなく、趣味で見ているだけでいいと思ったのだが、いろいろ見ていると書きたくなってくる。第2週の6日には「春の夜の出来事」など3本見てしまった。その映画の事をちょっと書きたくなった。まあ、映画としてはちょっとしゃれた小品というだけで、それほど大した映画ではない。1955年の西河克己監督作品。西河監督は後に吉永小百合主演で「伊豆の踊子」「絶唱」などをいっぱい作ったが、さらに70年代になると、百恵・友和主演で「伊豆の踊子」「絶唱」をまた作った。僕が同時代で知っているのはそっちの方だが、日本を代表する職人監督の一人。

 「春の夜の出来事」は大富豪の財閥当主が偽名で自分の会社の懸賞に応募したら当たってしまい、身分を隠して雪の赤倉観光ホテルに出かけていく。家族は心配して、執事の吉岡(伊藤雄之助)が社長と偽って付いていくことになる。まだ心配なので、身分を偽っていく客がいるから配慮して欲しいとホテルに電話してしまう。ところで、もう一人懸賞の当選者がいて、そっちは若い失業青年なんだけど、ホテルはこっちの青年を富豪と勘違いし、本当の富豪には粗雑な扱いをしてしまう。そこでドタバタがいろいろあり、吉岡が家族を呼んでしまう。そこで娘の芦川いづみが女中頭の東山千栄子と赤倉にやってくるが、娘と青年が運命的に出会ってしまい…という軽いコメディである。

 脚本は中平康河夢吉とクレジットされていて、河夢吉はペンネームだろうが、このソフィスティケート感覚は中平の持ち味だろう。西河監督のごく初期作品で、富豪は若原雅夫、青年は三島耕だから、それほど重視された作品ではないだろう。だから赤倉観光ホテルとタイアップして作っているのかと思うが、この実在ホテルがよく名前を使わせてくれたような設定。でも、あの特徴的な建物が出てくるからロケしている。パーティ場面などはセットだろうが。当時は妙高高原駅が「田口」と言ったが、その駅も出ている。だけど、この日本を代表する名ホテルをチラシは「山間のリゾートホテル」、某サイトは「赤倉グランドホテル」と表記している。
(赤倉観光ホテル)
 1930年代、日本政府は1940年東京五輪に向けて国際観光立国を目指してもいた。日本各地に外国人も宿泊できるような本格的な国際観光ホテルを相次いで作るというのも、その国策による。そこでできたのが、赤倉観光ホテル、琵琶湖ホテル、蒲郡ホテル(現・蒲郡クラシックホテル)、雲仙観光ホテル、川奈ホテル、日光観光ホテル(現・中禅寺金谷ホテル)などである。それ以前からある、日光金谷ホテル、箱根宮ノ下の富士屋ホテル、軽井沢万平ホテル、奈良ホテルは有名だけど、1930年代に作られたホテルを知らない人が結構いる。その中でも赤倉観光ホテルは温泉と展望の素晴らしさは日本有数。ちょっと高いけど、ここに泊らないで日本の温泉は語れない。泊らないでも、夏にカフェテラスで日本一おいしいフルーツケーキを食べるのは最高。

 ホテルの話が長くなってしまったが、仮装パーティが開かれるという、日本ではありえないような設定で、芦川いづみがピーターパンの扮装で出てくるという、とびきりキュートな場面が見逃せない。でも、ニセ富豪の青年に言い寄るご婦人連が多く、芦川いづみはホテルを飛び出し、ゲレンデに青年が追っていく。東山千栄子もコメディエンヌの才能を発揮していて楽しい。俳優座の大女優にして、小津の「東京物語」の母という印象が強すぎるんだけど、木下恵介作品ではコミカルな役柄が多い。また、ホテルの客として、作曲家黛敏郎がニセの黛敏郎役で出ているのもご愛嬌。即興で作ってと言われ、不思議な現代音楽を作ってしまう。小品ならでは楽しさである。

 もう一本、同じ西河監督の1958年作品、「美しい庵主さん」は、芦川いづみが尼さん姿で出てくるファン必見の作品。ペ・ドゥナが警官姿出てくる(「私の少女」)も良かったが、その不可思議な魅力において、芦川いづみの尼僧こそ忘れがたい。

 有吉佐和子原作の映画化で、小林旭と浅丘ルリ子が夏休みに、ルリ子が昔疎開していた地方の尼寺に卒論の勉強と称して転がり込む。そこに芦川などがいる。東山千栄子はこっちでも出ていて、受け入れる寺の尼僧。旭・ルリ子の初めての本格共演だというが、後々の運命を思わせるような、親しくもあり、溝もあるような役柄。そこに清涼剤のように芦川いづみが出てくるが、まあ映画としてはまとまりがない。お寺は伊豆でロケされたらしい。伊豆大仁の随昌院というところだとある。
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デヴィッド・ボウイ、ブーレーズ、ジャック・リヴェット等ー2016年1月の訃報

2016年02月04日 21時33分10秒 | 追悼
 2016年も毎月の訃報をまとめていきたい。これは個人的な関心領域である。1月はまず世界から。
 デヴィッド・ボウイ(1.10没、69歳)の訃報は世界を驚かせた。もっとも18カ月の間、闘病中だったというから、関係者やファンには周知のことだったのか。今、「デビッド・ボウイ」と表記したが、これは当日の新聞表記による。原語ではDavid Bowie で、本名はDavid Robert Haywood Jones。名前は僕の世代では誰でも知ってるだろうが、ではよく聞いたかといえば聞いてない。だから音楽に関しては書くことができない。映画にも何本も出ているが、一番思い出すのは「地球に落ちてきた男」。ニコラス・ローグのこのフィルムほど、ボウイの本質を象徴するものはないように思う。

 フランスの作曲家、指揮者のピエール・ブーレーズ(1.5没、90歳、下の写真)は、現代音楽を代表する作曲家。そういうことぐらいは知っているが、思想や文学など周辺領域にも大きな影響を与えたというけど、僕にはよく判らない。「ホテル・カリフォルニア」のイーグルスの創設メンバー、グレン・フライ(1.18没、67歳)。もちろんイーグルスは知ってるが、メンバーまではよく知らない。

 日本以外の人物は、文化関係で書くことが多い。政治家は重要な人はその人だけで書くし、他の分野は外国の場合はもともと知らないし、あまり載らない。映画監督として、一般的な知名度はそれほどでもないだろうが、僕にとっては思い出がある訃報が二人。イタリアのエットーレ・スコラ(1.19没、84歳)は、カンヌで監督賞を取ったこともあるけれど、まあ巨匠というほどでもなかっただろう。でもイタリアの庶民の様子を生き生きと描く作品は80年代頃に時々公開されて、結構好きだった。ソフィア・ローレン、マルチェロ・マストロヤンニの「特別な一日」などファシズム下の庶民の生きざまが忘れがたい。「あんなに愛しあったのに」という映画は、フェリーニの「甘い生活」撮影風景が再現されていて、面白かった。「ル・バル」「BARに灯ともる頃」「星降る夜のリストランテ」など、もう見ることもないのかな。

 ジャック・リヴェット(1.29没、87歳)はフランスのヌーヴェル・ヴァーグの代表的な監督だった。日本ではシャブロル、ゴダール、トリュフォーがすぐに公開されたが、エリック・ロメールやリヴェットの紹介が遅れた。特にリヴェットは91年の「美しき諍い女」(いさかいめ)まで正式公開作品がなかった。これはバルザックの「知られざる傑作」を映画化した4時間にも及ぶ映画で、それもほとんど絵を描いているシーンだけんだけど、それでも全篇に緊迫感の漂う大傑作だった。その年のベストワンを獲得している。続いて作られた「ジャンヌ・ダルク」2部作も長い作品だったが、これはちょっと期待外れ。「セリーヌとジュリーは舟でゆく」「彼女たちの舞台」など、旧作がその頃続々と見られるようになったが、その自由な映画作りが魅惑的だった。デヴュー作の「パリはわれらのもの」(1960)は正式公開されていない。

 日本では、中村梅之助(1.18没、85歳)が亡くなった。テレビの「遠山の金さん」である。前進座という存在が僕にはよく判らないので、ほとんど「金さん」で知っていると言っていい。3代目中村翫右衛門の長男に生まれ、1938年が初舞台だから8歳の時。調べてみると、大河ドラマにもずいぶん出ていた。

 上方落語の「四天王」最期の一人、桂春団治(1.9没、85歳)も亡くなった。いや、上方落語のことはほとんど知らないので、自分の感想が書けない。

 文芸評論家で比較文学の佐伯彰一(1.1没、93歳)がなくなった。英米文学の翻訳も多かったし、一般向け著書も多かったと思うが、元旦に亡くなったからか、ほとんど追悼記事がなかった。日本人の自伝の研究を行ったことが一番重要な仕事ではないか。アメリカ文学も、フィリップ・ロス、カーソン・マッカラーズ、ソウル・ベローなど、この人の翻訳で読んだ本がずいぶんある。

 他にも、村山内閣の経企庁長官を務めたエコノミスト、宮崎勇(1.3没、93歳)、「怪談牡丹灯籠」などの劇作家大西信行(1.10没、86歳)はテレビの「水戸黄門」「大岡越前」などで多もくの脚本を書いた。世界的な服飾デザイナー、アンドレ・クレージュ(1.7没、92歳)は知らないので、書くことがない。サラリーマン新党を作った青木茂(1.27没、93歳)は1983年の参院選で2人当選を果たした。しかし、サラリーマンは源泉徴収で損をしているという主張は、結局は一定の広がりしかもたなかったというべきだろう。86年参院選も一人当選したが、89年には青木本人も含めて落選した。そういう「参院比例区用の小党」というのがあったが、あまり意味はなかったということになるだろう。
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