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尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

映画「楽園」、日本社会に突きつける刃

2019年10月31日 22時42分17秒 | 映画 (新作日本映画)
 吉田修一原作(「犯罪小説集」)、瀬々敬久脚本、監督の「楽園」は興行的には苦戦しているようだ。綾野剛杉咲花佐藤浩市ら出演者の知名度もあってシネコンで拡大公開されていたが、3週目からはほとんど朝か夜の上映になってしまう。1週目は興収ランキング10位に入ったが、2週目は外れている。これは早く見た方がいいかなと思って駆けつけたんだけど、なるほどこれは苦戦するかなという傑作だった。日本社会が見たくないものを突きつけてくるから、避けたくなるんだろう。

 瀬々監督は近年「犯罪」をテーマにじっくり人間を描く問題作を連発している。4時間半を超える超大作「ヘヴンズ ストーリー」や横山秀夫原作の「64」前後編などに続いて、2018年には「菊とギロチン」「友罪と2本がキネ旬ベストテンに入った。大正時代のテロリスト群像を描く「菊とギロチン」は、テロリストと交流する女相撲のバイタリティもあって見応えがあった。しかし「友罪」の方は設定上どうしても陰うつな感じが拭えず、正直どうも好きになれなかった。

 新作の「楽園」は吉田修一の短編を瀬々監督が組み合わせて脚色している。吉田修一作品はずいぶん映画化されているが、「悪人」「さよなら渓谷」「怒り」など犯罪をテーマとする重厚な映画が思い出される。今回の「楽園」は従来の映画にも増して、社会を描くという意味合いが強い。舞台になっているのは、長野県北部飯山市周辺である。そこで12年前に起こった少女行方不明事件。直前まで一緒だった少女(杉咲花)、疑われる外国出身の青年(綾野剛)、親の介護で田舎に戻って養蜂をする(佐藤浩市)らを通して、閉鎖的、排他的な「世間」に暮らす不幸があぶり出されていく。
(杉咲花)
 映画は過去と現在を巧みにつなぎ合わせ、「謎」を描いている。結局明かされないこともあるし、ここでストーリーには触れないことにする。時間軸が交差する中で、「田舎の風景」に奥深いミステリーが隠されている。「ジョーカー」も確かに暗い映画なんだけど、こっちは大ヒットしている。よく出来ているし、人に勧めたくなる要素が詰まってる。そういうことが大きいだろうが、それと同時に「ジョーカー」は迫害される側を描写していることもある。「迫害する」側は記号的な描き方を超えていない。迫害する側の内面は出て来ないから、見ていて居心地がそんなに悪くはない。
(綾野剛)
 「楽園」は迫害されるものだけでなく、迫害するものも描いている。さらにもっと言えば、迫害者はあなたであり私であると突きつけている。他人に「呪い」を掛け、他人の幸せをねたみ、出る杭を打って暮らす人々が出てくる。「自由」は自ら考えなくてはいけないから望まない。むしろ「付和雷同」で生きていたいと思う状況が描かれる。これが日本の現実であって、一地方の問題ではない。

 僕が思うに、「自ら不幸になりたいと強く望む人」ほど最強の人はない。ちょっと違った目で見れば、もっと生き生きとした暮らしが近くにあるのに、今さら自分を変えたくないばかりに「不幸」を甘受して生きる。それはおかしいと声を挙げる人を、むしろ迫害して「一緒に不幸になれ」と強制する。これが日本というシステムを変えなくてはと何十年も言われてきたのに、何も変わらなかった原因なのか。沈みゆく国とともに、一緒に沈んでいけばいいと思う人々が権力を握っている。

 そんな映画を見たくないと思うのも判る。だがテーマ的な問題を除いても、この映画は見応えがある作品になっている。特に助演俳優陣の豪華さは見逃せない。少女の祖父を演じる柄本明は特に素晴らしい。他に村上虹郎片岡礼子黒沢あすからもいい。女優陣は誰だろうという感じだったけれど。それにしても、心を閉ざしてしまった少女、紡(つむぎ)を演じた杉咲花が一番心に残る。来年は連続テレビ小説主演も決まり、ますますの活躍が期待される。撮影や照明も見事。瀬々敬久監督作品の中でも、完成度は高いと思う。2時間を超えているが、どこかで見て欲しい映画。
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旧古河庭園ー東京の庭園②

2019年10月30日 22時41分24秒 | 東京関東散歩
 東京の庭園を訪ねるミニ散歩、2回目は旧古河庭園。ここは前にも書いたけれど、それは大分前のことだ。今回は前に行ったところも順番に訪ねたい。旧古河庭園は「バラと洋館」で知られていて、東京有数の「インスタ映え」スポットとして有名だろう。山手線駒込駅から北へ15分程度。南へ行くと六義園(りくぎえん)がある。駒込駅は豊島区、六義園は文京区、旧古河庭園は北区になる。
   
 10月の東京は晴天が少なく、2回行ったんだけど曇りの日だった。建物をつい撮りたくなってしまうが、どう撮っても実物の魅力には遠い感じだ。この地はもともと明治の政治家陸奥宗光(むつ・むねみつ、日清戦争時の外相)の別宅だった。陸奥の次男潤吉が古河財閥創始者の古河市兵衛の養子となって、この地は古河家所有となる。潤吉が若くして亡くなり、遅く生まれた市兵衛の実子古河虎之助が古河財閥3代目を継いだ。この虎之助が今の洋館を作った当主である。
   
 設計したのは、かの有名なジョサイア・コンドル。1911年に竣工し、1917年(大正7年)に完成した。コンドル設計の建築は、東京には「ニコライ堂」や「旧岩崎邸」がある。いずれも壮麗な建築だが、一番美しいのは旧古河邸じゃないだろうか。洋館の中では喫茶をやっているが、けっこう高い。時間を決めて内部見学も出来るというので、今回初めて参加してみた。洋館の中に2階には和室もある。不思議な空間を見るのも面白いけど、写真禁止で1時間の解説付き800円。まあ無理に見なくてもいいかな。
   
 ここは春秋に「バラフェスティバル」があり、晩秋に紅葉の時期に催しがある。庭園に入ると、洋館とその前の洋風庭園に目を奪われてしまうんだけど、内部見学のためには正面玄関(上の写真初めの2枚)に行く必要がある。そこからグルッと裏まで回れるんだと初めて知った。横から見るとまた違った感じだ。それが上の写真の3枚目。ただし、館には近づけない。最後の写真は洋風庭園。そこではバラが何十種類も咲いている。時期が少しずつずれていて、11月でも咲いてるらしい。花の種類は面倒なので書かない。ホームページを見れば載っている。バラフェス最中はバラのシューアイスを売ってた。
  
 旧古河庭園には日本庭園もある。本館完成2年後の1919年に出来たもので、京都の有名な庭師だった小川治兵衛による。洋風庭園と合わせて国指定の名勝となっている。洋館が一番高く、そこから少し下がって洋風庭園。多摩地区から続く武蔵野台地の一番東のあたりで、明治の金持ちは高台にお屋敷を築いた。その下に日本庭園があり、池がある。台地から下がる崖の部分に湧水があり、それも東京西部によくある地形だ。その水と段差をうまく生かした庭園になっている。
   
 これから日本庭園が一番美しくなる季節を迎える。古河虎之助は関東大震災では洋館を被災者に開放したという。その後子どもを失って心境の変化もあり、ここから転居した。洋館は古河財閥の迎賓館として使われ、戦後は連合軍に接収、古河家は財産税を払うために国に物納した。そして都立庭園として整備、公開されるわけだ。昔の日本映画を見ると、時々この洋館がロケに使われている。大島渚「日本春歌考」、蔵原惟善「何か面白いことないか」の他、名前をわすれちゃったけどギャング映画かなんかで悪党の首領が住んでいたところが「あっ、あそこだ」と思った記憶がある。
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「ジョーカー」、見逃し禁止の「問題作」

2019年10月28日 21時01分20秒 |  〃  (新作外国映画)
 トッド・フィリップス監督、ホアキン・フェニックス主演の「ジョーカー」は、「バットマン」シリーズの悪役ジョーカーの「それ以前」を描く映画である。「アメコミ」(アメリカン・コミックス)映画は数あれど、ほとんどはヒーローの活躍を描くアクション大作で、この映画のようにヴェネツィア映画祭金獅子賞を得るほど作品的に評価された映画は珍しい。ホントに三大映画祭のグランプリに値するのかなと思ったけれど、これは傑作だ。しかし、傑作という言葉以上に「問題作」であり、見逃し禁止の重要作品。

 近年ヴェネツィア映画祭には翌年のアカデミー賞レースの主要作品が集まるようになっている。5月のカンヌが最重要映画祭とされるが、9月のヴェネツィアにはアカデミー賞ねらいの米国作品が集まるようになった。2017年は「シェイプ・オブ・ウォーター」、2018年は「ローマ/POMA」が金獅子賞を取った。それを考えても、「ジョーカー」もアカデミー賞の主要部門にいくつもノミネートされることは確実だ。別に賞レースを先取りするわけじゃなく、これは時代を象徴するような重要作だ。

 僕らが映画(あるいはアート一般)にまず求めるものは何か。「お気に入りの俳優が見られればそれでいい」という人もいるだろう。でも大方の人にとって、映画代も値上がりしたことだし、値段に見合うだけの満足度、つまり出来映え(完成度)がないと損した気分になる。全部の映画が満足できるはずもなく、損も勉強のうちなんだけど、それにしても見る価値ある出来じゃないと困る。この「ジョーカー」はいろいろ突っ込みたいところもあるけれど、まずは「とてもよく出来ている」のだ。面白いし、脚本も演技も撮影も優れている。個人映画っぽいチープさの押しつけはなく、ウェルメイドな技術に感服する。特に編集リズムが素晴らしく、どこでも滞留せずに一気に見られる。

 「バットマン」シリーズを知らなくても大丈夫。「バットマン」は出て来ないんだし、むしろ一般映画として見る方がいいかもしれない。だけど、主人公が多くの人に支えられてハッピーエンドになる展開は封じられている。だから一応は「ジャンル映画」の文法で作られている。ジョーカーの描き方も、1989年の「バットマン」のジャック・ニコルソンはともかく、2008年の「ダークナイト」のヒース・レジャーは知っていたほうがいいかもしれない。ヒース・レジャーは映画撮影後に急死し、死後にアカデミー賞助演男優賞を受けたことでも有名。「ダークナイト」はクリストファー・ノーラン監督の「ダークナイトトリロジー」と呼ばれる3部作の2作目。僕はノーラン監督と相性が悪く、暗い展開が好きになれない。

 そういう暗さは「ジョーカー」も同じで、相当気持ち悪い。15歳以下禁止になってるけど、大人でも好きになれない人は多いだろう。あまりデート向きではない。しかし、この映画が突きつけてくる問題が大きいから、現代を生きるものとして見入ってしまうのである。ストーリーは特に書く必要はないだろう。主人公アーサー・フレックは脳神経障害で、不意に笑いが止まらなくなる病を持っている。コメディアンを目指す彼が、様々なシーンで排除されていって、生育歴の秘密も明かされ、ついに悪の「ジョーカー」を名乗るようになるまでを描いている。
(トッド・フィリップス監督)
 その過程は同情するべき点もあるけれど、それだけではいけない。僕の見るところ、一番も問題は「社会の分断」とか「競争社会」ではなく、明らかに「銃社会」だ。銃が簡単に入手できる社会だからこその、ジョーカー誕生である。犯罪自体はその気になればできるわけだが、一気に殺人へ飛躍するのは前提に銃の存在がある。そして映画は、その前提を疑っていない。これは大問題だろう。アメリカ以外の国では、様々な社会問題は共通しながらも、殺人へのハードルがこんなに低くはない。

 もう一つは「精神疾患」や「虐待」の問題で、貧困の背景にその問題がある。実は日本でも同じような状況があるように思う。論点としてもっと考えないといけない。映画では背景事情みたいな感じだが、貧困や分断以上に大問題だろう。監督のトッド・フィリップス(1970~)は絶品のドタバタ喜劇「ハングオーバー」シリーズでブレイクした。あのシリーズは確かによく出来ていて、メチャクチャおかしいけど、やがてこれほどの重大作を作るという感じはなかった。しかし見事な演出である。脚本や製作にもクレジットされているから、単なる雇われ監督じゃなくて、作家の映画なんだと思う。
(ホアキン・フェニックス)
 主演のホアキン・フェニックスはノリノリの熱演で、オスカーのノミネートは確実。今までに「グラディエーター」で助演賞、「ウォーク・ザ・ライン」と「ザ・マスター」で主演賞とアカデミー賞には3回ノミネートされている。早世した兄のリヴァー・フェニックスも「旅立ちの時」で助演賞にノミネートされていた。俳優一家と知られるフェニックス一家に、初のアカデミー賞がもたらされることを僕は希望したい。
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大山(だいせん)-日本の山⑩

2019年10月26日 22時48分51秒 |  〃 (日本の山・日本の温泉)
 西日本の山を取り上げている。四国の石鎚山、九州の開聞岳に続き、中国地方の最高峰、大山(だいせん)に登った思い出。東京周辺だと、国定公園に指定されている神奈川県の大山おおやま)が知られていて、「だいせん」という読み方が判らない人がいる。鳥取県西部の旧国名「伯耆」(ほうき)を付けて「伯耆大山」と呼ぶことも多い。西の方から見て「伯耆富士」とも呼ばれる。

 中国地方は南北を中国山地が分けているが、風化が進んで高さがあまりない。火山の大山三瓶山(さんべやま)は独立峰だけど、やはりそんなに高くない。だから、日本百名山には大山しか選ばれていない。最高峰は剣ヶ峰の1729mだが、そこへ行く道は崩壊が激しく、もう長いこと立ち入り禁止になっている。普通は弥山(みせん)まで登って登頂としている。1709mである。
(大山テレカ①)
 鳥取県や島根県などの山陰地方は東京から遠いから、今までに3回行っただけ。ずいぶん行きたいところを残している。大山に登ったのは90年代半ば頃の秋だったと思う。飛行機で米子空港へ行ってレンタカーを借りた。境港などを見て、その日のうちに大山直下へ。そこには中世を通じて大勢力を誇った大山寺がある。明治維新で衰退したものの、その後復興して宿坊もたくさんある。今は普通の旅館みたいになっていて、旅行会社で予約できた。宿坊に泊ったのは、ここだけ。別に修行みたいなことをするわけじゃなく、ホントに普通に泊っただけ。
(大山テレカ②)
 一番よく登られているのは、大山寺直下から直登してゆく夏山登山道だ。登山口で約800m。標高差900mほどを3時間半ほどで登る。ところで、行くときは富士山型に見えていた大山が、裏の登り口からみると全然違う。まるで上高地から見る穗高岳である。こんな立派な山だったのか。磐梯山のように、周辺から見ると見え方が全然違う山は多い。富士の裏側が穗高って、こんな山は他にない。
(登山口方面から)
 直登だけど案外登りやすく、2時間ほどで6合目避難小屋へ。詳しいことは忘れてしまったけど、案内を見ると5合目ぐらいで森林限界とある。それからが急登で、大変だなと思いつつ登ってゆくと8合目付近で緩やかになる。お花畑が続く中を気持ちよく歩いていると、もう弥山頂上は近い。8合目からは木道が整備されていて、展望も素晴らしい。頂上につくと、剣ヶ峰までのルートがあった。通行止めのロープをまたいで行くことはしないけど、行ってる人もいたな。
(山頂付近)
 帰り道は戻るだけ。その日は米子の皆生(かいけ)温泉に泊る。翌日は松江へ向かってあちこちを回る。高校生の時に中国地方一周をしてるので、それ以来だ。松江の温泉宿はとても良かった。翌日は出雲大社日御碕などを回って戻った。また行きたい地域だし、大山にも行きたいな。
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「ビラヴド」ートニ・モリスンを読む③

2019年10月25日 22時26分58秒 | 〃 (外国文学)
 ノーベル文学賞を受賞したアメリカの黒人女性作家トニ・モリスン。訃報をきっかけに、持っていた文庫本を読み始めて4冊目。「青い眼が欲しい」「スーラ」「ソロモンの歌」の次が「ビラヴド」(Beloved、1988)である。もっとも、実はその間に「タール・ベイビー」(1981、「誘惑者たちの島」の邦題で訳されたこともある)があるが、これは文庫化されてないのでスルーすることにする。

 「ビラヴド」は代表的傑作とされ、ピュリッツァー賞文芸部門を受賞した。今はハヤカワ文庫epiに入っているが、その前に集英社文庫に入っていた。吉田廸子訳。僕は1998年刊の集英社文庫を読んだ。20年も前になるのか。文庫本の帯には、映画化され1999年に公開予定と明記されている。でも実際には未公開でビデオ発売されただけだった。「羊たちの沈黙」のジョナサン・デミが監督し、オプラ・ウィンフリーが主演している。それだけでも見たい感じだが、当時の映画賞レースでもほとんど話題にならなかった。どう考えても映画化は無理そうな題材なので、出来映えに問題があったのか。

 「ビラヴド」は、正直言って僕は「参りました」という読後感だった。すごい傑作で敬服したという意味じゃない。全然判らなくて、読みづらい。大変すぎて参ったという意味である。500ページ強の本で、10日間ぐらい掛かった。読めども読めども進まない。エンタメ系じゃない、外国の本格文学は時間が掛かることが多い。最近だと「ボヴァリー夫人」がそうだったけど、あれは描写が細かすぎて進まないだけで、意味は十分に判る。「ビラヴド」は判らないのだ。いや、最後まで行くと判ることは判る。それでも判ったという感覚が持てない。傑作だとは思ったけど。

 怪奇、幻想、SF小説など、いくつも読んでいるから、小説内がどんな設定でも構わない。人が空を飛ぶなら、そういう設定だと思って楽しんで読める。人が死んで蘇るなら、そういう設定と決めてくれれば理解はできる。この小説でも似たようなことがあるが、それは現実か幻想か、ある人にだけ見えるのか。本当かウソか全然判らない。アメリカ黒人は、もともと先住していたわけじゃなくて、奴隷としてアフリカ大陸から連れてこられたわけだが、奴隷制度はもちろん今では完全な悪である。書くまでもない前提だ。だから、奴隷制度の残酷さを歴史的、社会的に描き出すなら、それは理解可能だ。

 「ビラヴド」に先立って、1983年にピュリッツァー賞を受賞したアリス・ウォーカー「カラーパープル」という小説があった。スピルバーグによって映画化され、オプラ・ウィンフリーがアカデミー賞助演女優賞にノミネートされた。(ウーピー・ゴールドバーグのデビュー作で、同じくノミネートされた。)アリス・ウォーカーはフェミニズム作家として知られ、「カラーパープル」は黒人社会内部の女性差別を告発した。過酷な運命を生きる黒人女性を描き衝撃を与えたが、「物語」的な文法上には理解しにくい点はなかった。だからスピルバーグが映画に出来たんだろう。僕もストレートに感情移入できた。

 「ビラヴド」はあまりにも時間軸が錯綜し、何が事実で何が幻想なのかも判りにくい。だがそれは単なるレトリックではなくて、奴隷制を生きる中で身体的にも精神的にもズタズタにされた登場人物の語りなのだ。僕には判りにくかったけれど、訳者の解説を読むとアメリカでは「自分たちの物語」として熱狂的に受容されたことが判る。今までの小説と同じく、ここでも複数の人物の視点で語られる。いずれも一人称で、どんどん語る人物が変わってゆくので、読む方は混乱する。登場人物が忘れていること、語りたくないことは出て来ない。だから読者にも何が何だか判らない。

 一応筋らしいことを書いておくと、ケンタッキー州にあった「スウィートホーム農園」は、周囲に比べて人道的な扱いをされていた。そこに来た14歳の黒人女性セテをめぐる5人の奴隷男性たち。セテはハーレと結ばれ、子どもも生まれる。そういう過去があった。当たり前に思えるが、他の農園では女奴隷は白人農園主の所有物で、子どもを産まされたりした。子どもは農園主の財産として売られるわけだ。農園主が亡くなった後で、未亡人は妹の夫(義弟)を呼び寄せるが、義弟の経営方針は違っていた。農園再建のため奴隷は売り払い、親子を引き離すことをためらわないタイプだった。

 そういう過去が理解出来るのは終わり近くになってから。そして集団で逃走することが計画された。当時は北部へ逃れるルートが作られていた。しかし計画はうまく行かなかった。追い詰められたセテに悲劇が起こる。それは現実に会った事件がモデルなんだというが、捕まる前に母親が我が子を手に掛けたということらしい。亡くなった娘が「ビラヴド」と呼ばれる。今はオハイオ州で孤立して生きるセテと娘のデンヴァーの元に、農園で一緒だった「ポールD」が現れる。三人でサーカスを見に行った夜、家に戻るとビラヴドを名乗る娘が突然現れた。彼女は何者か、最後まで判らない。

 黒人社会にある霊的な感覚がこの小説の背景にあるらしい。歌ったり踊ったりする文化の中で、ようやく最後の最後、第3部になって娘のデンヴァーに自立の可能性が生まれる。助けを求めること。それによって、セテを孤立したままにしていた黒人コミュニティが変容してゆく。しかし、筋を整理してしまうと、図式的な物語になってしまう。この小説は複雑な語りの構造を持ち、独特の文化的背景を前提にしている。なかなか外部の人間には理解しにくいと思う。あえて読まなくていいと思うが、こういう作品が評価されノーベル文学賞につながったという知識はあってもいいかも。
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運休間近、上野動物園のモノレール

2019年10月24日 22時46分34秒 | 東京関東散歩
 上野動物園にはずいぶん行ってない。東園と西園を結ぶモノレール10月31日をもって運休するというので、行ってみようかと思った。(上野で「真実」を見る予定だったので。)思い出が詰まってるわけじゃない。恐らく初めてだと思う。子どもの頃は覚えてないけど。家から遠くないから、上野動物園には何度も家族や遠足などで行ってるはず。でも乗ったのは「お猿の電車」(おサル電車)だ。1948年から1974年まで存在したアトラクションで、サルが先頭車に乗って動く電車。そんなものがあったのだ。
   
 上野動物園と言えば、パンダにズラッと並んでると思うだろう。でも今は違う。平日のお昼時はパンダはスイスイ進むのに対し、モノレールは20分待ちぐらい。所要1分30秒で、150円。正直言って、大人なら乗らずに歩いた方が早いし節約。だから今までは「いそっぷ橋」を歩いて渡った記憶がある。これは日本初の「モノレール」(懸垂式鉄道)で、正式名称は「東京都交通局上野懸垂線」。公道をまたぐため、動物園の施設じゃなくて東京都交通局が運転する路線なのである。都営地下鉄や都バス、都電、日暮里・舎人ライナーと並ぶ、ちゃんとした交通機関だったとは。いや、知らなかった。

 上野動物園に一番行ったのは、学生時代だ。上野は高校・大学時代にずっと通学に使っていた。ヒマなとき、元気ないときには、動物園に行ったり、国立博物館で仏像を見たりしていた。心が落ち着くんだよね。動物園だと特に「サル山」。面白くて飽きなかった。人間界を見ているような気がして、自分を振り返ることもある。今回久しぶりに見て、そんなには面白くなかった。時間がいくらでもあると思っていた青春期と違うんだろう。今じゃ旅行で何度も見て、ニホンザルなんか全然珍しくない。ドライブ中に出てきても、今じゃ止まることもない。今回はてっぺんで見渡しているサルが良かった。
   
 ジャイアントパンダも見た。実は初めて。一応見たんだけど、どんどん通り過ぎるからよく判らない。拡大すれば、写真に写ってはいる。(下の一枚目。)子どものシャンシャンだと思う。周りでそう言ってた。父親のリーリーも出てたけど、隠れていて写真に撮れてない。どうしてもうまく写らない動物がいる。そもそも出てないとか、遠くにいたり、動いてるとか、他の客がジャマだとか。そんな中で、ゼニガタアザラシは良く撮れていた。3枚目は動物の慰霊碑。あまり意識してなかった。
  
 モノレールで西園に行くと、コビトカバが2頭いた。何でも「ジャイアントパンダ」「コビトカバ」「オカピ」が三大珍獣なんだという。オカピも近くにいて、お尻だけちょっと見えた。全体は遠くの木陰に隠れて見えなかった。さて、コビトカバだけど、これかあ、と思ったのは小川洋子「ミーナの行進」を読んだからだ。ものすごく面白い小説で、これを読んだらコビトカバを見たくなるから。(最初の2枚。)3枚目はタテガミオオカミ。最後はバーバリーシープで、彫刻みたいに動かなかった。
   
 小さい頃は動物学者になりたかった。動物を見て歩くのは大好きだけど、美術館と同じく自分で動いていくのが今じゃけっこう面倒。それに日本の動物はかなり野生で見てるから、わざわざ動物園に行かなくてもいいかなあ。最後に上野動物園で一番の文化財だけど、すごく空いてる場所。それは寛永寺五重塔。東照宮のすぐ近くにあるが、何故か動物園の敷地内にあって、入園料を払わないと近づけない。重要文化財指定で、歴史散歩で見たい場所だが、動物園の入園料を払ってそれだけ見るのもなあ。一方、動物園目当ての親子連れや外国人客はほとんど近寄らないので、隠れたスポットとも言える。写真はあちこちから撮ったものだけど、全然判らないですね。
   
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是枝裕和監督の新作「真実」

2019年10月23日 22時25分17秒 |  〃  (新作外国映画)
 是枝裕和監督の新作映画「真実」(La vérité)が公開されている。前作「万引き家族」はカンヌ映画祭パルムドールを受賞して大ヒットした。次の作品が注目されたわけだが、それがカトリーヌ・ドヌーヴジュリエット・ビノシュが母娘を演じるフランス映画だと発表された時は驚いた。世界的大スターが出演するということで、日本では吹替版まで作って、シネコンで全国公開した。しかし、あまりヒットしてないようだ。こういう映画を見に行く人は、ドヌーヴの声を聞きたいに決まってる。僕が見たところ、この映画は十分に面白い「フランス映画」だ。東京だったら渋谷Bunkamuraのようなところでやる映画。

 基本的なストーリーはかなり報道されているが、映画館のページからコピーしておくと…、国民的大女優ファビエンヌ(カトリーヌ・ドヌーヴ)が自伝本【真実】を出版。アメリカで脚本家として活躍する娘のリュミール(ジュリエット・ビノシュ)、テレビ俳優の娘婿ハンクイーサン・ホーク)、ふたりの娘のシャルロット、ファビエンヌの現在のパートナーと元夫、そして長年の秘書……お祝いと称して、集まった家族の気がかりはただ1つ。「一体彼女はなにを綴ったのか?」…。

 「ファビエンヌ」はカトリーヌ・ドヌーヴのミドルネームである。本人との話し合いで役名を決めたという。映画の中には「サラ」という名前が登場する。若い頃はライバルと言われ、若くして死んだ。娘のリュミールは「サラおばさんの方が優しかった」という。どうしても交通事故死した姉のフランソワーズ・ドルレアックを思い出してしまう。「ロシュフォールの恋人たち」では姉妹共演し、トリュフォー映画ではカトリーヌより早く「柔らかい肌」で主演した。若い頃から人気、演技力、スキャンダルともに妹のカトリーヌの方が知られていた。だからドヌーヴが実際に姉に嫉妬していたわけではないと思うが、若いときに非業の死を迎えた肉親を忘れたことはないだろう。

 ファビエンヌは今も映画を撮影している。それはSF映画で、セリフが少ないと若い監督に言われてOKしたけど、その後せっかくだからセリフを増やすと言われた。撮影所に来てセリフを覚えているが、実際にそうなんだという。(ジュリエット・ビノシュは反対に何週間も前からセリフを覚えて役作りをするという。是枝監督が前日にセリフを変更するので、最後は諦めたらしいが。)宇宙では年を取らない設定で、母親は難病で宇宙に出かけ数年にいっぺん戻ってくる。地球では娘のファビエンヌが70歳になったが、宇宙の母の方は若々しい。そんな設定で、映画作りの内幕的な面白さもある。実際のドヌーヴの人生を背景に、役としてのファビエンヌ、映画内映画の母娘の逆転関係と「三重の仕掛け」で人生を考える。
(ヴェネツィア映画祭で)
 母と娘の感情のぶつけ合いという映画では、ベルイマンの「秋のソナタ」が代表作だろう。世界的ピアニストの母をイングリッド・バーグマン、母に見捨てられたと感じて育った娘にリヴ・ウルマンという配役で、傑作だけど寒々しい映画だった。バーグマンとドヌーヴはいずれ劣らぬ映画史に輝く美人女優。老いてなお、存在感の大きさに圧倒される。だが是枝映画は、やはりベルイマンと違って、「軽み」が持ち味だ。「誰も知らない」や「万引き家族」のような社会的テーマは前面に出た作風ではない。「奇跡」や「歩いても歩いても」のように家族を温かくも冷静に見つめた映画だった。

 娘のリュミールが脚本家だという設定が生きている。「真実」という本(そして映画の題名)だが、母の書いた本に「真実」はないという娘は詰め寄る。だが「真実」とは何なのか。母との衝突と和解をめぐる二人のありようは、人生はどこまで演技なのかという疑いを呼び起こす。人生はお芝居人間はみな役者という観点で見れば、フランスの大女優の話だけどすべての人に通じる物語だと思う。そして子役のシャルロットが素晴らしい。今までも子役の素晴らしさが印象的だったが、フランスで撮っても是枝映画だった。娘の夫役のイーサン・ホークもいい。夫と娘のシャルロットがいて、大女優二人の演技合戦が生きる。撮影や音楽も素晴らしかった。クレジットのシーンに流れるドヌーヴも素晴らしいから、最後まで席を立たないこと。確かに「万引き家族」の方が上だと思うけど、僕は十分に満足。
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向島百花園ー東京の庭園①

2019年10月20日 22時59分09秒 | 東京関東散歩
 毎年思うことだが、気候がどんどんおかしくなっている。今年は10月になっても半袖を着てた。その後、東日本各地に大きな被害を出した台風19号が過ぎたら涼しくはなったが、雨の日が多い。なかなか散歩に出かけられる日がない。そこで、遠出をやめて東京の庭園を回ろうかと思った。今までに書いた庭園も多いけれど、まだ行ってないところもある。ちょっと時間を作って、年内に行ってみよう。

 まずは10月初めに行った向島百花園。もとをたどれば江戸時代に行き着く由緒ある庭園だ。明治になって荒廃し、昭和初期に東京市が整備したが、今度は東京大空襲で大被害を受けた。その後再び整備され、今は国の史跡、名勝に指定されている。東武線東向島(旧玉ノ井)駅から徒歩7分。家から近いので、学生時代から何度も行っている。一時は近くの学校に勤務していたが、だからといって何度も行くわけじゃない。東京有数の歴史・文学の散歩コースだから、そのうち散歩しようと思っていた。

 百花園は春の梅秋の萩が名物とされる。今回は有名な「萩のトンネル」がほんのちょっと花が残っていた。それもいいんだけど、今回思ったのは「借景としてのスカイツリー」がいいこと。「とうきょうスカイツリー」駅から2駅と完全に地元である。園内の一番奥の「桑の茶屋跡」まで行くと、ちょっと小高いところから池越しにスカイツリーが見える。これが一番「映える」情景なんじゃないか。
   
 池の周りはやはり写真的に面白い。今はススキが伸びていて面白い。池周辺を少し。
   
 有名な「萩のトンネル」はこんな感じ。最盛期は終わってた。よく判らないと思うけど。
  
 向島百花園は「庭園美を味わう」場所ではない。江戸後期の文化文政時代、都市文化の発展する中「文人墨客のサロン」だった場所なのである。1804年に、骨董商佐原鞠塢(さはら・きくう)が開園し、画家の酒井抱一が命名した。大田南畝(蜀山人)などが集い、春秋の七草など詩想を呼ぶ花々を植え、池を作り碑を立てた。そんな「人文的景観」を愛でて風流を感じる場所なのだ。
   
 今でも季節になれば、「月見の会」「虫聞きの会」などが開かれ、夏は朝顔展が開かれる。下町の文化交流の場所として生きている。江戸野菜の一種「寺島なす」も植わっていた。周辺は雑然とした住宅街になっているが、よく危機を乗り越えて続いて来たと思う。上の最初の写真は入り口のようす。
   
 そのような「歴史を感じ風流を愛でる」心意気で回らないと、上の写真のような園内を回って「雑草園」かなんて悪口を言いかねない。なんか草が生い茂って昔のイメージと違うと言ってた人がいたけど、まあ季節によると思うけど、ここはこのような場所なんだと思う。そして園内各所に文学碑が建っている。こんなに多い場所も珍しい。入り口においてある園の案内図に、碑の紹介がある。「いろは」順に「や」まである。29カ所である。そのうちいくつかを載せておく。
    
 最初から順に、芭蕉「春もやや」の碑、其角堂永機句碑、二代河竹新七追善狂言塚、山上憶良秋の七草の歌碑、月岡芳年翁之碑ということになる。まあ書いたからと言って、よく判らないことは変わりない。他に聞いたこともない俳人の句碑がいっぱいある。最近のものじゃなくて、古びていて江戸時代のものも多そうだ。園内には最後に載せる写真の「御成屋敷」という建物がある。ここは場所を借りることが出来る。(僕は何度か利用したことがある。)
 
 他に売店「さはら」があって、なんと創始者の佐原家がずっとやってるから驚き。今の当主は、かつて定時制高校時代に地域代表としていろいろ協力して貰った思い出がある。
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追悼・粟屋憲太郎先生の思い出

2019年10月19日 23時21分01秒 | 追悼
 歴史学者(日本現代史)で、立教大学名誉教授の粟屋憲太郎先生が亡くなった。1944.6.11~2019.9.11、75歳。僕は月ごとに訃報をまとめて書いているけれど、その時は「亡くなった人物」は「歴史的人物」と考え「敬称略」で書くようにしている。だけど、粟屋先生は単に講義を受けたという以上のお世話になっているので、やはり「先生」と表記することにしたい。

 僕が大学2年生の時に、それまで神戸大学助教授だった粟屋先生が立教大学助教授として赴任してきた。翌年の3年、4年とゼミに出て、その後大学院でも直接の担当教員だった。先日、教育実習について書いたが、その頃から実習校に大学の指導教員が顔を出すようになっていた。僕は母校の都立白鴎高校で実習をしたが、「研究授業」に粟屋先生に出席して貰った。その時に津田塾大の学生もいて、津田塾からは井上幸治先生が見えた。立教大学で長くフランス史を担当し、故郷秩父の「秩父事件」研究でも名高い。実習見学後はずっと井上さんと上野で飲んだんだよと後で聞いた。

 けっこうよく講義の後で飲んだ思い出がある。学部生の時はともかく、院生時代は毎週のように行ってたかもしれない。なんだか勉強の話より、飲んだ記憶ばかり思い出すのが、不思議というか、まあそんなものかもしれない。池袋西口のロサ会館も行ったと思うが、それより大学のすぐそばにあった「東江楼」によく行った。日本初の客家(はっか)料理店として有名で、東洋史の教授で客家出身の戴国煇(タイ・クォフェイ)先生が大体いた。古代史の野田嶺志先生や大学院に講師で来ていた神田文人先生などもよく一緒だった。そんな時の楽しさを思い出すのである。

 その頃の写真がないかと思って「昭和の政党」の月報を探し出した。ゼミ旅行なんかの写真もあるかと思うが、どこか判らない。「昭和の政党」は小学館が企画した「昭和の歴史」の第6巻で、政友会民政党が戦った昭和初期の政党史を描いている。「選挙による政党政治」が「憲政の常道」と呼ばれた時代の成立と崩壊を扱い、今も必読の本だろう。僕はもともと選挙や政党に関心があるが、今も時々選挙分析を書いているのは、粟屋先生の影響なのかもしれない。
 (同じく「月報」より。内田健三氏と語る)
 しかし、粟屋先生の研究分野で一番知られているのは、「東京裁判」の実証的研究だろう。原史料にあたって「極東軍事裁判」を研究することは、1970年段階ではまだ珍しかった。当時はアメリカで情報公開が進みつつあり、何度も渡米して占領軍の史料に直接アクセスした。第二次世界大戦期の公文書はその頃から開示され始め、その利用による研究の先頭のひとりだっただろう。資料集も数多く刊行していて、その面の貢献も大きい。特に有名なのは、「なぜ昭和天皇が東京裁判で訴追されなかったのか」を憶測ではなく、検事局の資料を基に実証した研究だろう。東京裁判研究は朝日ジャーナルに連載され、後に講談社選書メチエから刊行された「東京裁判への道」(上下)に結実している。

 その研究を基にNHKが取材した「NHKスペシャル」が「東京裁判への道」(粟屋憲太郎、NHK取材班著、1994、NHK出版)として書籍化されている。この番組は放送文化基金賞のテレビドキュメンタリー番組「本賞」受賞番組と帯に出ている。細かくなるから内容は触れないが、このような番組がかつては放送され受賞していたのである。しかし、その頃から「東京裁判史観」などという架空の史観を「批判」する人々が現れてきた。歴史学の世界でいくら東京裁判を実証的に研究しても、実証抜きに「政治問題」として扱う勢力は一向に減らなかった。何故だろう。僕が大学で身につけた一番大切なことは「実証の重要性」である。最近は「リベラル」派に、典拠を示さず語る人が増えている。

 大学院の前期を終えて、浪々としていた時期に大学を通して中学の非常勤講師の口を紹介された。これも粟屋先生からの紹介があった。翌年、採用試験を高校日本史で合格していたが赴任先がなかなか決まらなかった。その時に中学で採用されたのは、前年の講師経験があったからだろう。その年の秋に結婚を控えていたから、就職の必要があった。その結婚式の祝辞もお願いしているから、「恩師」と言うしかない。その後、体調を崩すときが多くなり、まとめるつもりで時間切れになった研究テーマが多いかもしれない。残念なことだった。

 大学を定年退職するにに合わせて、大きな会が開かれた。10年前のその時が最後になった。その時の挨拶で、伊藤隆氏からの手紙に触れていた。東大国史科で近現代史専攻だった伊藤隆氏は、粟屋先生と考え方が違う。そこでどのような関わりがあったのか、裏話的なエピソードも交えて語りながら、それでも年賀状を出していたという。退職を伝えた返信に、確か封書で健康を念じる言葉を貰ったという話だった。政治的な立場を超えて、若い頃からのつながりもあったということか。実は僕が卒論を書いていたときに、母親が乳がんで入院していた。その時期はけっこう大変だったわけだが、その母が90を過ぎてまだ元気なのに、母より若い多くの先生が去って行く。「老少不定」とは言うものの。
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コーシャ・フェレンツ監督「もうひとりの人」とハンガリー映画

2019年10月17日 23時23分47秒 |  〃  (旧作外国映画)
 国立映画アーカイブで「日墺洪国交樹立150周年 オーストリア映画・ハンガリー映画特集」をやっている。日本とオーストリア=ハンガリー二重帝国は、1869年に国交を結んだ。その後、ウィーンに伊藤博文が憲法研究に赴くなど、オーストリアのハプスブルク帝国との関係は深い。しかし、それは同時にハンガリーとの国交でもあったのだ。なお、オーストリアの漢字表記は「墺太利」(または墺地利)、ハンガリーの漢字表記は「洪牙利」だということで、だから特集の頭が「日墺洪国交樹立」になるわけ。

 それぞれ5作品、計10本の映画が2回ずつ上映されるところ、台風で12日、13日が休映になってしまった。その後振替上映が決まったけれど、もともと13日に見ようと思っていた「もうひとりの人」(コーシャ・フェレンツ監督、1988年)が16日にも上映されるので、見に行った。「219分」もある映画だが、第1部、第2部に分かれていて、途中で休憩が入る。まあ2本立てで見るようなものだ。この映画は、1990年の「東欧映画祭」で上映されたというが、そんなのあったかな。気になって自分の記録ノートを見直したら、全く忘れていたけど、この映画見ていたじゃないか。場所は赤坂の草月ホールである。

 すごく忙しい時期だったのに、よく見てるな。1989年が「東欧革命」だから、もともと東ヨーロッパに関心がある僕が見たいと思っても不思議じゃない。忙しくても時間を作ったんだろう。今回の上映に先だって、「ハンガリー外務貿易省職員」のコーシャ・バーリン氏による挨拶があった。ハンガリーは日本と同じく、「姓・名」の順に表記するので「コーシャ」が姓である。このバーリンさんは、フェレンツ氏の息子で日本語が達者だ。なぜなら母親が日本人だから。コーシャ・フェレンツが1967年にカンヌ映画祭監督賞を「一万の太陽」で受けた後で、通訳として話を聞いた日本女性と結婚したのである。

 コーシャ・フェレンツ監督の「もうひとりの人」は大変な力作であり、問題作だ。映像的にも美しく、カメラの動きも魅力的。ストーリー的にも波瀾万丈で、すごく面白い。傑作なんだけど、やはり「テーマ」が重大なのである。この問題性はいまこそ振り返るべきものがある。第一部は戦争末期の1944年。ハンガリー情勢はあまり詳しくないから、最初は状況がよく判らない。兵士が行軍しているが、これがハンガリー軍。ハンガリーは第一次大戦でハプスブルク帝国が崩壊したあと、領土が非常に小さくなった。「ハンガリー王国」と名乗るが、国王のいないまま「摂政ホルティ」が権力を握る態勢が続いた。第二次大戦期はドイツと同盟して戦っていた。それに反対するパルチザンも活動していた。

 主人公たち二人が民家に徴発に行ってる間に、部隊はパルチザンに襲撃され全滅する。彼らは「脱走兵」と疑われて裁判に掛けられる。危うく処罰されるところを助かるが、軍法会議を仕切る上官に逆らって逃亡する。戻った自宅はハンガリー平原東部のひなびた農場で、監督の故郷でもある。そこに妻と子と父親が暮らしていた。そして逃亡犯を捜す憲兵が現れる。いろいろなエピソードが積み重なり、軍隊の酷薄さが印象づけられるが、主人公は武器を持って逃げることはしない。「もう戦争は嫌だ」「相手の兵士ももうひとりの人間だ」「武器はもう持ちたくない」と皆に告げて家を出て行く。

 第2部は1956年。「ハンガリー動乱」の年である。かつての息子は19歳となり、ブダペストの大学生になっている。映画制作時にはまだ「東欧革命」以前だが、ソ連のペレストロイカは始まっていた。映画では、「動乱」は明らかに「民主革命」「民族革命」という立場に立っている。そのため国外上映が禁止され、1990年の日本が国外初上映だったという。ところが今になってみると、それと同じぐらい重大なのが主人公の「非暴力抵抗」の姿勢なのである。主人公はかつての父の教えを守りたいと思っている。クラスメイトたちが「武器には武器を」と過激化していく中で、ひとり非暴力を貫き批判もされる。
(「もうひとりの人」第2部)
 ハンガリーは戦後になって、ソ連「盲従」のラーコシに率いられてスターリン主義的な社会主義体制が築かれた。スターリン死後に批判が高まり、スターリン批判後ついに「動乱」になる。ワルシャワ条約機構脱退まで進み、それに対しソ連軍が進攻して大きな犠牲が出た。映画の中では、武器が民間人に流れ、秘密警察の制服を着ていると無差別に銃撃している。子どもたちも武器を持ち、殺伐とした風潮が広がっている。主人公は女友達が殺された真相を突き止めようと、教会の屋根裏に上って秘密警察員に捕まる。服を交換させられ、秘密警察の服を着て街を歩かざるを得ない。すると事情も聞かずに、武装民間人に無差別に銃撃される。

 この「憎しみが憎しみを呼ぶ」時代にどのように生きるべきか。これはシリアで、イエメンで、香港で、アメリカで…今こそこころに突き刺さるテーマだ。主人公は皆が興奮しているときにも、冷静に非暴力を主張する。そんな人がいたのか。いや、いなかったと思うけど、監督はこのような人間像を世界に示したかったのだろう。こんな「問題作」があっただろうか。しかし、「何があっても戦争だけはもう嫌だ」という気持ちは日本人には理解可能だ。まさに同時期に作られた日本の「黒い雨」(今村昌平監督、井伏鱒二原作)にそれが示されている。「もうひとりの人」という題名が深い。
(コーシャ・フェレンツ監督)
 コーシャ・フェレンツは、1937年11月21日に生まれ、2018年12月12日に亡くなった。日本では全然報道されなかったから知らなかったけれど、去年の暮れに亡くなっていた。その追悼上映でもある。長くなったので詳しくは書かないが、1950年代のポーランド映画の快進撃に続き、1960年代半ばにチェコとハンガリーで映画の「ヌーベルバーグ」が起こった。サボー・イシュトバーン(「メフィスト」)、ヤンチョー・ミクローシュ(「密告の砦」)、ファーブリ・ゾルターン(「ハンガリアン」)など多くの監督が活躍している。中でも日本との関わりもあるコーシャ・フェレンツ監督は、写真家としても知られている。日本で追悼特集が行われて欲しいと思う。(「もうひとりの人」は11月24日2時に振替上映がある。)
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「セロトニン」ーウエルベックを読む⑥

2019年10月16日 23時06分31秒 | 〃 (外国文学)
 フランスの作家、ミシェル・ウエルベックの新作小説「セロトニン」(Sérotonine、2019、関口涼子訳河出書房新社)がさっそく翻訳された。ウエルベックは現在のフランスでもっとも有名(悪名?)で、世界的に読まれている。春先にまとめて読んで感想を書いたが、読んだ人はいないだろう。いつも後味の悪い小説ばかり書く人で、今度の「セロトニン」も多くの皆様にとてもオススメできない傑作だ。

 今までに書いたのは、以下の通り。2019年4月半ばに集中的に読んだわけ。
「地図と領土」ーウエルベックを読む①(2019.4.12)
「闘争領域の拡大」ーウエルベックを読む②(2019.4.13)
「プラットフォーム」ーウエルベックを読む③(2019.4.16)
「ある島の可能性」ーウエルベックを読む④(2019.4.16)
「服従」ーウエルベックを読む⑤(2019.4.18)

 ウエルベックの「出世作」になったのは、1998年の「素粒子」だが、これは以前に読んでいたので書いてない。その後置いてある本の中から「発掘」したので、そのうち読み直そうと思う。その「素粒子」は物理学の棚に、また「地図と領土」は地理の棚に置かれたというエピソードがある。また、セックスツァー(「プラットフォーム」)だの、ムスリム指導者がフランス大統領に当選する(「服従」)だの、物議を醸すようなテーマばかり書いてきた。すべてがとても面白く、思索エッセイ的な側面も強い「純文学」である。次第に本の内容が暗くなり、孤独の影が深くなり、自虐の度合いを深めている。

 今度の題名の「セロトニン」とは、脳内の神経伝達物質の名前で、精神の安定に非常に大きな影響を与えると言われている。セロトニンが不足すると精神のバランスが崩れ、暴力的になったりうつ病を発症する原因ともなる。元々は血管の緊張を調節する物質として発見されたもので、体内のあちこちにある。睡眠や体温調節に深く関係し、精神疾患にも関わっているらしい。そこで近年は「抗うつ薬」に利用されるようになっている。ウエルベックはイスラム教に続いて今度は「こころの病」で、「引きこもり」や「蒸発」も取り上げるなど、さすがに時代の気分をとらえている。

 主人公フロラン=クロード・ラブルストは、仕事と女性関係に行き詰まり、抗うつ薬「キャプトリクス」を服用している。いろいろもっともらしく解説されているが、この薬は検索できないのでフィクションじゃないかと思う。主人公はバカンスをスペインで過ごそうとしている。後から来るのは、その時の同棲相手の日本人女性「ユズ」。このユズは非常にとんでもなく描かれている。もともとウエルベックの小説は一人称なんだけど、今回は特に「ヘテロセクシャルのヨーロッパ男性」で、そこそこエリートでブルジョワという特性が際立つ。偏見丸出しのような言辞が多い。ご本人は何でも最近中国人女性と結婚した由で、特に東洋系女性に偏見があるわけじゃないんだろうけど。

 40代後半の主人公はある日、フランスの農業省の仕事を理由を付けて辞めてしまい、「ユズ」を置いて平常の生活から消えることにする。そして過去の女性や友人を訪ねて回ることにする。抗うつ薬の影響で性欲はほぼなくなっている。いくつかの過去への悔恨だけで、かろうじて生きている。しかし、いまさら現実は変えられない。農業をしている昔の友人(お城を持ってる貴族なんだけど)を訪ねても、農業は行き詰まっている。主人公は農業関係のコンサルタントをしてきて、EU内でフランスの農業が「死滅」してゆくことに疑問を感じてきた。そして友人はノルマンジーで「蜂起」して悲劇を迎える。

 女性関係でも、もう現代ヨーロッパでは幸福な男女の結びつきはあり得ないと思うに至る。そんな絶望的なトーンが全体を覆い尽くしていて、「ヨーロッパ文明の行き詰まり」ムードが強い。主人公はほとんど呪われていて、ただ(けっこういつもそうなんだけど)具合良く両親の遺産があって、当面何とか暮らしていける。問題は「喫煙者」の居場所がどんどんなくなっていることで、主人公はホテルを見つけるのも大変だ。そんな時代に乗り遅れてしまったような主人公を通して、「文明の終焉」を描いている。「地図と領土」「服従」と進んできた「自虐」路線も、行き着くところまで行き着いた感じだ。

 ミステリー的な興趣もあるし、過去の女性との関わりは興味深い。翻訳もうまくて、スラスラ読める。性的描写が露骨すぎたり、偏見丸出しだったりということもあるが、よく出来た小説には違いない。だけど、どうも読むのが苦痛というか、もうこの辺で止めてくれ的な展開が続く。ホントここまで来たら、小説的な面白さを殺してしまう気がする。すごい小説だし、フランスの社会状況を考える役にも立つ。だからウエルベックを読む意味はある。こんな小説を書いている人がいるという知識も大事。彼が今後どういうものを書くのかも注視していきたい。まあ、ウエルベックなら他の本を先に読むべきだな。
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教員の「なり手不足」問題

2019年10月14日 22時57分25秒 |  〃 (教育行政)
 教員の希望者が減っていると指摘されている。採用試験の倍率が減っているらしい。全国で見てみると、今年度の小学校は約2.8倍、中学校は5.5倍になっている。(10月7日付朝日新聞記事による。)これは00年度の小学校が12.5倍、中学校が17.9倍だったのに対して、確かに大きく減っている。
(教員採用試験の倍率の推移)
 その直接の原因は、過去の大量採用時代の教員が退職年齢を迎えて採用者が増えているのに対し、若い世代は少子化で人数そのものが少ないことがあるだろう。また民間企業の採用が順調で、大学生は教員採用試験の前に民間企業に先に内定してしまうことも大きい。そもそも2000年前後の「就職氷河期」に、教員採用試験がとても合格できるとは思えない倍率にまでなっていたことがおかしかった。減ったとは言え2倍以上はあるんだから、採用後に研修や経験を積むことにより教員として成長出来るだろうという考え方もあると思う。

 しかし、現場的にはこの倍率はかなり低いんじゃないか。なぜなら、教員採用試験に落ちた志望者の中から、さらに教員を目指すという人を中心に、非常勤講師産育休代替教員を採用することが多いからだ。その年に不合格だった人は、いつあるか判らない産休代替の口などを待たずに、私立学校で講師をしたり、民間企業へ就職してしまうのが普通だ。どんな職場にもあることだが、採用後に教員に向いてないと判る人もいる。年度途中で事情があって退職する人もいる。だから年度途中で新採用になる人が一定数いるもんだけど、この倍率だと突然の講師採用などが難しくなるはずだ。現実に病休、産休などの代替教員、つまり「非正規教員」が非常に不足してきているという。(9月24日付朝日新聞。)

 その原因として、学校の勤務環境が「ブラック職場」であることが知られて敬遠されているという分析もある。それもあるかもしれないが、それだけでは不十分だろう。もともと部活動を含めた勤務時間の長さ、それにたいして「残業代」に見合わない給与体系など、それ自体は教員を目指すものには周知のことだった。しかし、それでも教職は面白いという「教員労働の特別性」が存在した。その特別性を剥ぎ取ろうというのが、ここ何十年かの教育行政だった。だから、教員を目指す人が減ったというのは、教育行政が目指してきたことが効果を上げたということなのである。

 そもそも教員免許を取得する人が減っているのかどうか。僕はそのデータを持ってないけれど、「教員免許更新制」なる愚策により、教員免許を「とりあえず」「念のため」取得しようという人は減っているのではないだろうか。中高の免許は、普通は大学で教職課程に登録し所定の科目を修得することで得られる。しかし「教育実習」などの負担が大きい割に、10年で期限が切れてしまう。研究職を目指して大学院に進学する、あるいは音楽や美術、スポーツ、英語の翻訳などでプロとして活躍を目指している人は多い。昔はそういう人は「念のため」教員免許を取っておく人が多かった。

 実際に美術や音楽などでは、セミプロ的な活動をしながら非常勤講師をしている人に何人も接してきた。そういう人も今は減っているのではないか。また若い人の場合だけではなく、結婚等で一端退職した人も多いけれど、一度免許が失効してしまえば何かの時にカムバックするのは難しいだろう。「一度辞めた元教員」は緊急時に一番頼りに出来る存在だったのだが、今はそれが難しい。1966年の日本映画「こころの山脈」(吉村公三郎監督)という映画がある。小学校で産休に入る先生がいて、校長(珍しく殿山泰司がマジメや役を好演している)が代わりの先生探しに苦労している。戦前に教師をしていた「おばさん」(山岡久乃)に頼みこんでやって貰う。こういうエピソードも今ではあり得ない。

 もう一つ重要なことは、東京都教委を先頭に「教員の階層分化」「競争的な人事考課制度」を進めてきたことだ。都教委などは導入時に「民間企業では、そうやってスキルアップしている」みたいなことを言っていた。とんでもない話で、そういう民間企業に適応できる人は、とっとと民間企業に就職してしまうだろう。なぜなら、収入面で公務員は絶対に民間を上回らないからだ。(公務員の賃金は民間の水準を基準に決められている。)バブル期を経験した僕の世代などは、民間に就職した人のボーナスとあまりの違いに絶句した時期がある。その後「就職氷河期」になって、「潰れないだけでもマシ」などと言われたときもあるがそういう時期の方が少ない。

 それでも教員を目指す人がいるのは何故か。世の中全体からすれば、「変人」だからじゃないかと思う。僕にしてみれば、民間なんかで働けるとは思えなかった。都立高校なら、なんとか片隅で生きていけるかなと思ったのである。研究職を別にすれば、ずっと「歴史」に関与していけるような仕事は、社会科教員か専門出版社ぐらいしか思いつけなかった時代なのである。まあ、RCサクセションの「僕の好きな先生」である。僕はまあ自分で最初に思っていたほどは「職員室が嫌い」な教師ではなかった。でも「絵の具の匂い」に囲まれていたいというような気持ちはよく判る。そういう人は民間ではダメだけど、教師ではやっていけた時代なのだ。(もうタバコは絶対ダメだけど。)

 そのような「組織性のない教師」を駆逐するのが、教育行政の目指してきたところだ。その結果として、パソコンを駆使して「アクティブラーニング」を推進するが、生徒には考えさせるけれども自分では教育行政の言うままに働く教員を求めてきた。そんな人がいたら、教師にならずに民間企業でバリバリやるって。だから「自由裁量」を広げるなど、「教職への尊厳」をベースに置く教育行政にならない限り、教師を目指す人が増えることは難しいだろう。つまり教師不足はもっと深刻化するのである。(長くなったので、具体的な方策、及び教育実習の問題は別に書きたい。)
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映画「宮本から君へ」、異様な熱量

2019年10月12日 22時59分25秒 | 映画 (新作日本映画)
 真利子哲也監督、池松壮亮蒼井優主演の「宮本から君へ」は、全編に異様なほどの熱量があふれた作品だ。池松壮亮は有力な男優賞候補になるだろう。もちろん蒼井優もすごい熱量で、ほとんど二人の演技合戦が繰り広げられている。(蒼井優は今までずいぶん受賞しているから、賞レースではスルーされちゃうかもしれないが。)もともとは新井英樹のマンガで、有名らしいけど僕はマンガに詳しくないから知らなかった。去年映画化された「愛しのアイリーン」の原作者でもある。

 2018年に同じく真利子哲也監督、池松壮亮主演でテレビドラマされ、その時は池松演じる主人公宮本浩が営業マンとして奮起する姿が描かれたという。それが原作の前半で、映画は蒼井優演じる中野靖子をめぐる後半部分だという。真利子哲也監督は、日本映画界に数多い若手注目監督の中でも、2016年の商業映画デビュー作「ディストラクション・ベイビーズ」が半端ない傑作で深い印象を受けた。前作でも今作でも、画面に立ちこめる熱気が心をとらえる。

 もっとも熱気があふれすぎ、原作時点でも主人公宮本を「暑苦しい」と毛嫌いする人がいたらしい。映画でも「そこまでやるか」的な展開に付いていくのが精一杯な感じもある。原作前半を知らずに見たわけだが、時間が行ったり来たりするから、「何があったんだろう」的なミステリー的な興趣がある。冒頭で宮本がケガした腕を包帯で吊ったシーンがある。会社で「ケンカ」だと言っている。続くシーンではケガしてなくて、二人連れで女性の部屋に行く。そこに前の男・風間(井浦新)が乱入してきて、女はもう来るな、もう何度も宮本と寝たと突き放す。その後宮本が「中野靖子は俺が守る」と宣言する。その後になって、実はまだ体の関係はなく、この後で初めて結ばれるシーンが出てくる。
(池松壮亮と蒼井優)
 ここで予測するのは、風間がストーカーになって、宮本が対抗してケンカという展開なんだけど、これが全く違う。予想も出来ない怒濤の展開になっていくので、唖然として見つめるしかない。その間に宮本家を二人で訪ね、あるいは中野家(銚子にある)を二人で訪ねるシーンがある。結婚を「報告」するためだ。その時点で「妊娠」しているらしい。このような幸福な展開はその後全然変わってしまう。飛び込み営業に成功してた会社の飲み会に呼ばれ、ラグビーに参加するよう強要される。そして飲み潰れた宮本を会社の社長の息子、拓馬一ノ瀬ワタル)が送ってゆく。

 この後の展開は書かないけれど、宮本浩大丈夫かというか、池松壮亮どこまでやるの?的な描写が続く。こんなに肉体的にぶつかり合う映画としては、2017年に「あゝ、荒野」があった。その脚本を書いた港岳彦が、真利子哲也とともに今回の脚本を担当している。あの映画の菅田将暉も凄かったが、今回の池松壮亮も決して負けていない。むしろ体格差がある分、強烈なファイトを感じる。いま日本でラグビーのワールドカップが開かれているが、この映画を見てしまうと、なんだかラグビーって嫌だな、でかい相手とぶつかるなんてと思ってしまう。
(左から蒼井優、池松壮亮、井浦新)
 後半で起きる「事件」をきっかけに、宮本浩と中野靖子が正面から魂のぶつかり合いになる。その壮絶な演技は見る価値があるが、じゃあ見て寛げるかというと、なんかここまでむき出しの感情もなあ、と思うかも。見て快くなる映画ではなく、観客にも「毒」を与える映画だ。しかし、その毒は紛れもなく「日本社会」を反映している。このような暴力性が日本には潜んでいる。撮影は四宮秀俊、音楽は池永正二。ラストに流れる主題歌は宮本浩次。エレファントカシマシのヴォーカルで、原作者が主人公の名をそこから取ったという話。好きじゃない人もいるだろうが、破格のエネルギーに満ちた映画。
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和田誠さんを追悼して

2019年10月11日 22時54分16秒 | 追悼
 和田誠さんが亡くなった。10月7日没、83歳。ウィキペディアを見ると、和田誠(以下敬称略)の紹介として、イラストレーターエッセイスト映画監督と出ている。僕が和田誠という名前を知ったのは、多分「キネマ旬報」の「お楽しみはこれからだ」だと思う。映画の名セリフを集めた連載で、題名はミュージカルの「ジョルスン物語」から取られていた。僕は高校・大学時代にキネ旬を毎号読んでいて愛読していた。絵も売り物だったが、やはりエッセイの面白さ、好きな映画への偏愛に惹かれたのだ。

 もっとも1972年に和田誠が平野レミ(シャンソン歌手、料理研究家で、多方面で活躍したフランス文学者平野威馬雄の娘だった)と結婚したときに、僕はどちらの名前も知っていた。だから、名前はもっと前から知っていたのかもしれない。若い頃の一番の思い出は、「話の特集」から出た「倫敦巴里」というパロディ文集である。人生で一番笑った本かもしれない。例えば川端康成「雪国」の冒頭を、いろんな作家の文体で書いたところなど、今も時々思い出す。横溝正史や筒井康隆なんか抱腹絶倒だった。
(「倫敦巴里」)
 和田さんの文章は、とにかく好きな映画(ミュージカルや西部劇)や音楽(ジャズ)、本(ミステリー)などについて、飄々とした「軽み」で弾むように書かれている。僕の若い頃は、まだ重厚、深刻に歴史、社会を語る「サヨク」がいっぱいいた時代で、僕もベースとしてはそういう「マジメな社会派」的な部分を持っていた。映画でもマジメな作品をずいぶん見ていたけど、時にはこういう軽いタッチの笑いに接してバランスを取りたかったんだと思う。「話の特集」とか「ビックリハウス」なんかもよく読んでいた。

 和田誠が初めて長編の商業映画を監督すると聞いたときは、かなり心配した。時々そういう人がいるけど、成功した人はほとんどいない。それに題材は阿佐田哲也原作の「麻雀放浪記」だという。1984年のことだ。僕は就職2年目で、忙しいし麻雀は知らない。どうせ成功しないと思ったからロードショーは見なかった。そうしたらキネ旬ベストテン4位に入った。1位が伊丹十三の初監督「お葬式」、2位が2作目の澤井信一郎の「Wの悲劇」、7位に宮崎駿「風の谷のナウシカ」とベストテンも変わってきた時代だ。
(「麻雀放浪記」、左から鹿賀、大竹、真田)
 「麻雀放浪記」は少し後で見たはずだがあまり覚えてなくて、最近見直したら思っていた以上に凄い映画だった。若き日の真田広之や大竹しのぶに、加賀まりこ、鹿賀丈史、高品格などの熱気が画面に満ちている。ここで判るのは、軽さが信条のような和田誠だけど、やはり1936年生まれの「焼跡闇市派」的な思いを濃厚に引きずっているということだ。根っこには「戦後」があるのだ。だからこそ、アメリカの大衆映画や大衆音楽を語り続けたんだと思う。

 その後、長編「快盗ルビイ」(1988)、「真夜中まで」(1999)やオムニバス映画「怖がる人々」を作った。もっとも一番最初の映画は1964年に作った「殺人 MURDER」というシャレた短編アニメで毎日映画コンクールの大藤信郎賞を得た。小泉今日子主演の「快盗ルビイ」は公開時は何なんだと思ったけど、今になると素晴らしく洒脱な「80年代ムード」にあふれた映画だ。「真夜中まで」もあまり評価されなかったけど、なかなか面白かった記憶がある。心配するまでもなく、和田誠は映画のリズムを知っていた。

 僕は何度か和田誠の話を聞いてると思うが、一度は多分「真夜中まで」のトークだと思う。公開時か、その後の名画座かどこかは忘れてしまった。もう一回は良く覚えている。当時の国立フィルムセンターで開かれた展示「ポスターでみる映画史Part 2 ミュージカル映画の世界」のイベントである。調べてみると、2015年3月14日のことである。もともと展示の企画そのものが、和田誠所蔵のミュージカル映画のポスターだった。(それだけではないが。)そのポスター群を自分で会場をめぐりながら解説してまわった。本当にすぐそばで話を聞いた。好きな話を目一杯語り続けていた姿が蘇る。
(村上春樹・和田誠「ポートレイト・イン・ジャズ」)
 最近の思い出としては、2016年にいわさきちひろ美術館で開かれた「村上春樹とイラストレーター」展である。ブログにも書いている。村上春樹とのコラボとしては、「ポートレイト・イン・ジャズ」などがある。それは知っていたし、文庫本だけど楽しく読んでいた。だけど、この時知ったのは「村上春樹全仕事」の表紙を担当していた。単行本で持ってる本が多いから、「全仕事」なんか関心がなかった。ある意味では一番村上春樹世界をイメージ化していたのは、和田誠だったかもしれない。また懐かしい人がいなくなったと感慨を持ったので、思い出すことを書いてみた。
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「蜜蜂と遠雷」、原作と映画

2019年10月09日 23時03分50秒 | 映画 (新作日本映画)
 恩田陸の直木賞受賞作「蜜蜂と遠雷」(2016)が映画化されて公開された。僕は芥川賞や直木賞受賞作は読んでおきたいと思っているが、この本は長大すぎて重そうだし、幻冬舎だから単行本は買わなかった。4月に文庫化され、まあ賞を取った作品は例外としているので買ったわけ(今まで姫野カオルコ「昭和の犬」が該当)。上下巻950頁もある本だが、映画を見る前に読みたい。読み始めたらあっという間に読み終わった。面白いし、傑作だが、音楽シーンなど改行が多くてスラスラ進む。

 この小説は「浜松国際ピアノコンクール」(原作・映画では「芳ヶ江」と地名変更)をモデルに、コンクールに臨む若きピアニスト群像を描いている。「母の死をきっかけにコンサートをドタキャンして消えた天才少女」=栄伝亜夜(えいでん・あや)に松岡茉優。音大卒で一度はプロを目指したものの、現在は楽器店勤務で妻子もいて、年齢制限上限の28歳ながら「生活者の音楽」を志す高島明石松坂桃李で、このキャストは知ってて読んだからイメージ通りである。この二人の名前が一番先にあるから、どうしてもドラマで重視されてきて、原作にはない二人の会話も描かれる。

 そりゃまあいいけど、映画は原作と違うところが多い。それは当然で、原作通りに映像化したら時間がいくらあっても足りない。映画は「愚行録」の石川慶が脚本、監督、編集にすべてクレジットされている。石川監督は原作上巻350頁近くを占めるエントリーと第一次予選をほぼ飛ばしてしまい、映画はすぐに第二次予選になる。第三次予選はなかったことにされ、後半はすぐに本選である。うーん、大工夫だけど、ちょっと寂しいかな。もっと長くして、全編・後編で公開するやり方もあったと思う。

 ただ映画化されて良かったことは、小説の中にしか存在しなかった架空の音楽、菱沼忠明(映画では光石研)が作曲した「春と修羅」を聞けること。名前の通り、宮沢賢治にインスパイアされた曲である。この曲には「カデンツァ」部分がある。カデンツァなんて言葉も知らなかったけど、独奏者が即興で演奏する指定部分だという。ここで一番最初に登場するのは、ジュリアード音楽院に通うマサル・カルロス・レヴィ・アナトール森崎ウィン)。亜夜の幼なじみで、コンクールで再会した設定は同じ。森崎ウィンは悪くないけど、王子様と言われるほどの存在感かというとちょっとビミョーか。

 ピアノも持ってない養蜂家の子、日本人でありながらフランスに住んでいる風間塵(かざま・じん)はオーディションで選ばれた鈴鹿央士(すずか・おうじ)が演じている。見ているうちに、これが「風間塵か」という気持ちになっていくが、天衣無縫というイメージには合っている。しかし、自然の中で生きている養蜂家の子どもという意味では、僕のイメージとは少し違ってたかも。さらに、高島明石は原作では岩手を何度も訪れて賢治の世界を実感しようとするが、映画では岩手県在住に変更。「永訣の朝」の妹の言葉をイメージしてカデンツァを弾く。現実にはない曲を、映画では実際の課題曲として十分聴き応えがあるように映像化している。ここは映画最大の見どころ(聴きどころ)だ。

 実際に作曲しているのは、藤倉大(1977~)という人で、国際的に活躍している作曲家である。4人が弾くカデンツァ部分も作曲している。この曲が非常に素晴らしい。恩田陸が原作でかなり細かくイメージを膨らませているところを、なかなかうまく出来ている。演奏しているのは、栄伝亜夜=河村尚子、 高島明石=福間洸太朗、マサル・カルロス・レヴィ・アナトール=金子三勇士、風間塵=藤田真央という、僕は知らないけど国際的に活躍している若手ピアニストである。ホームページに載っているが、これが演じた俳優と風貌や経歴がよく似ている。CDも出ている。もちろん俳優が演奏しているわけはないから、実はこのピアニスト4人が真の主役と言うべきだろう。

 ところで原作では出ているのに映画に出て来ない人物が何人もいる。亜夜とマサルの幼いときのピアノの先生は、原作だと「綿貫先生」という人だが、映画では亜夜の母になっている。これはやむを得ない変更だろう。審査員やコンクール出演者は別にして、出て来なくて残念だったのは、亜夜の付き添い的な「浜崎奏」である。原作ではかなりよく出てきて、例えば海を見に行くシーンも、亜夜、マサル、塵、奏で行っている。映画では高島明石と彼を取材している仁科雅美が入って5人で行く。この雅美がブルゾンちえみだから、イメージが違いすぎ。僕は原作で一番「奏」が好きなんだけどなあ。

 映画では奏がいないから、亜夜は最後まで揺れていて、大丈夫かなという演出になっている。だからずっと付き添っている役の奏がいるのである。だけど、奏がいないことで、一度は挫折した亜夜が「音楽の神様」のギフトである風間塵を通して音楽を発見していくという物語構造が明確になっている。それはまあ、原作の「正しい解釈」なんじゃないか。でも原作では、マサルや高島や多くの人が関わる。それに一次予選、二次予選、三次予選と通して、12曲も弾いている。その一つ一つの予選を通して、亜夜は自分を取り戻してゆくのである。原作の方がやはり映画より納得できるかなあ。
(恩田陸)
 恩田陸さんは子どもの頃からクラシックを聴いてきたという。特にピアノが好きで、モデルのコンクールも第4回から第10回までずっと聴きに行っているという話。実によくクラシック音楽を知っているなと判るような記述が楽しい。風間塵が三次予選でエリック・サティを何度も弾き、最後はサン・サーンスの「アフリカ幻想曲」って、こんな選曲をする人は実際にはいないだろうが、よく考えてあるのにビックリした。でも言葉だからいくらでも奥深く語れるところもあるだろう。知らない曲が多くて、いくつかYouTubeで聴いてみたけど、なんだかなあという感じがすることが多かった。

 原作でも非常に印象的な、亜夜と塵が夜に連弾するところ。映画でもドビュッシーの「月の光」から「ペーパームーン」、ベートーヴェンの「月光」とメドレーしていくシーンは素晴らしい。原作でも素晴らしいシーンだが、映画も良かった。これほどクラシック音楽がいっぱい出てくるエンタメ小説は恐らく世界で空前絶後だろう。恩田陸は「夜のピクニック」が好きで、その頃はよく読んだけど、その後ご無沙汰で久しぶりに読んだ。少し違和感がないでもないが、圧倒的なリーダビリティに心をつかまれてしまう。中国や韓国の出身者に辛口で、日本系のピアニストばかり活躍する構図だけど。
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