尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

映画「楽園」、日本社会に突きつける刃

2019年10月31日 22時42分17秒 | 映画 (新作日本映画)
 吉田修一原作(「犯罪小説集」)、瀬々敬久脚本、監督の「楽園」は興行的には苦戦しているようだ。綾野剛杉咲花佐藤浩市ら出演者の知名度もあってシネコンで拡大公開されていたが、3週目からはほとんど朝か夜の上映になってしまう。1週目は興収ランキング10位に入ったが、2週目は外れている。これは早く見た方がいいかなと思って駆けつけたんだけど、なるほどこれは苦戦するかなという傑作だった。日本社会が見たくないものを突きつけてくるから、避けたくなるんだろう。

 瀬々監督は近年「犯罪」をテーマにじっくり人間を描く問題作を連発している。4時間半を超える超大作「ヘヴンズ ストーリー」や横山秀夫原作の「64」前後編などに続いて、2018年には「菊とギロチン」「友罪と2本がキネ旬ベストテンに入った。大正時代のテロリスト群像を描く「菊とギロチン」は、テロリストと交流する女相撲のバイタリティもあって見応えがあった。しかし「友罪」の方は設定上どうしても陰うつな感じが拭えず、正直どうも好きになれなかった。

 新作の「楽園」は吉田修一の短編を瀬々監督が組み合わせて脚色している。吉田修一作品はずいぶん映画化されているが、「悪人」「さよなら渓谷」「怒り」など犯罪をテーマとする重厚な映画が思い出される。今回の「楽園」は従来の映画にも増して、社会を描くという意味合いが強い。舞台になっているのは、長野県北部飯山市周辺である。そこで12年前に起こった少女行方不明事件。直前まで一緒だった少女(杉咲花)、疑われる外国出身の青年(綾野剛)、親の介護で田舎に戻って養蜂をする(佐藤浩市)らを通して、閉鎖的、排他的な「世間」に暮らす不幸があぶり出されていく。
(杉咲花)
 映画は過去と現在を巧みにつなぎ合わせ、「謎」を描いている。結局明かされないこともあるし、ここでストーリーには触れないことにする。時間軸が交差する中で、「田舎の風景」に奥深いミステリーが隠されている。「ジョーカー」も確かに暗い映画なんだけど、こっちは大ヒットしている。よく出来ているし、人に勧めたくなる要素が詰まってる。そういうことが大きいだろうが、それと同時に「ジョーカー」は迫害される側を描写していることもある。「迫害する」側は記号的な描き方を超えていない。迫害する側の内面は出て来ないから、見ていて居心地がそんなに悪くはない。
(綾野剛)
 「楽園」は迫害されるものだけでなく、迫害するものも描いている。さらにもっと言えば、迫害者はあなたであり私であると突きつけている。他人に「呪い」を掛け、他人の幸せをねたみ、出る杭を打って暮らす人々が出てくる。「自由」は自ら考えなくてはいけないから望まない。むしろ「付和雷同」で生きていたいと思う状況が描かれる。これが日本の現実であって、一地方の問題ではない。

 僕が思うに、「自ら不幸になりたいと強く望む人」ほど最強の人はない。ちょっと違った目で見れば、もっと生き生きとした暮らしが近くにあるのに、今さら自分を変えたくないばかりに「不幸」を甘受して生きる。それはおかしいと声を挙げる人を、むしろ迫害して「一緒に不幸になれ」と強制する。これが日本というシステムを変えなくてはと何十年も言われてきたのに、何も変わらなかった原因なのか。沈みゆく国とともに、一緒に沈んでいけばいいと思う人々が権力を握っている。

 そんな映画を見たくないと思うのも判る。だがテーマ的な問題を除いても、この映画は見応えがある作品になっている。特に助演俳優陣の豪華さは見逃せない。少女の祖父を演じる柄本明は特に素晴らしい。他に村上虹郎片岡礼子黒沢あすからもいい。女優陣は誰だろうという感じだったけれど。それにしても、心を閉ざしてしまった少女、紡(つむぎ)を演じた杉咲花が一番心に残る。来年は連続テレビ小説主演も決まり、ますますの活躍が期待される。撮影や照明も見事。瀬々敬久監督作品の中でも、完成度は高いと思う。2時間を超えているが、どこかで見て欲しい映画。
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旧古河庭園ー東京の庭園②

2019年10月30日 22時41分24秒 | 東京関東散歩
 東京の庭園を訪ねるミニ散歩、2回目は旧古河庭園。ここは前にも書いたけれど、それは大分前のことだ。今回は前に行ったところも順番に訪ねたい。旧古河庭園は「バラと洋館」で知られていて、東京有数の「インスタ映え」スポットとして有名だろう。山手線駒込駅から北へ15分程度。南へ行くと六義園(りくぎえん)がある。駒込駅は豊島区、六義園は文京区、旧古河庭園は北区になる。
   
 10月の東京は晴天が少なく、2回行ったんだけど曇りの日だった。建物をつい撮りたくなってしまうが、どう撮っても実物の魅力には遠い感じだ。この地はもともと明治の政治家陸奥宗光(むつ・むねみつ、日清戦争時の外相)の別宅だった。陸奥の次男潤吉が古河財閥創始者の古河市兵衛の養子となって、この地は古河家所有となる。潤吉が若くして亡くなり、遅く生まれた市兵衛の実子古河虎之助が古河財閥3代目を継いだ。この虎之助が今の洋館を作った当主である。
   
 設計したのは、かの有名なジョサイア・コンドル。1911年に竣工し、1917年(大正7年)に完成した。コンドル設計の建築は、東京には「ニコライ堂」や「旧岩崎邸」がある。いずれも壮麗な建築だが、一番美しいのは旧古河邸じゃないだろうか。洋館の中では喫茶をやっているが、けっこう高い。時間を決めて内部見学も出来るというので、今回初めて参加してみた。洋館の中に2階には和室もある。不思議な空間を見るのも面白いけど、写真禁止で1時間の解説付き800円。まあ無理に見なくてもいいかな。
   
 ここは春秋に「バラフェスティバル」があり、晩秋に紅葉の時期に催しがある。庭園に入ると、洋館とその前の洋風庭園に目を奪われてしまうんだけど、内部見学のためには正面玄関(上の写真初めの2枚)に行く必要がある。そこからグルッと裏まで回れるんだと初めて知った。横から見るとまた違った感じだ。それが上の写真の3枚目。ただし、館には近づけない。最後の写真は洋風庭園。そこではバラが何十種類も咲いている。時期が少しずつずれていて、11月でも咲いてるらしい。花の種類は面倒なので書かない。ホームページを見れば載っている。バラフェス最中はバラのシューアイスを売ってた。
  
 旧古河庭園には日本庭園もある。本館完成2年後の1919年に出来たもので、京都の有名な庭師だった小川治兵衛による。洋風庭園と合わせて国指定の名勝となっている。洋館が一番高く、そこから少し下がって洋風庭園。多摩地区から続く武蔵野台地の一番東のあたりで、明治の金持ちは高台にお屋敷を築いた。その下に日本庭園があり、池がある。台地から下がる崖の部分に湧水があり、それも東京西部によくある地形だ。その水と段差をうまく生かした庭園になっている。
   
 これから日本庭園が一番美しくなる季節を迎える。古河虎之助は関東大震災では洋館を被災者に開放したという。その後子どもを失って心境の変化もあり、ここから転居した。洋館は古河財閥の迎賓館として使われ、戦後は連合軍に接収、古河家は財産税を払うために国に物納した。そして都立庭園として整備、公開されるわけだ。昔の日本映画を見ると、時々この洋館がロケに使われている。大島渚「日本春歌考」、蔵原惟善「何か面白いことないか」の他、名前をわすれちゃったけどギャング映画かなんかで悪党の首領が住んでいたところが「あっ、あそこだ」と思った記憶がある。
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英語民間試験問題、その後とこれから

2019年10月29日 23時10分17秒 |  〃 (教育行政)
 2020年度からの大学入試に、英語で「民間試験」を使用する問題は先に2回書いた。「延期しかない英語民間試験」(2019.9.19)と「私立は予定通り実施を要望」(2019.9.19)である。それからもう一月半経っているので、続報を書いておきたい。僕が書いても仕方ないんだけど、なんだか見続ける責任もあるような気がするので。それに皆が知るように少しは展開があったので。

 まず最初は「萩生田発言」だ。10月24日夜のBSフジの番組内で、住む場所や家庭の経済状況によって不公平が生じないかという質問に、萩生田氏は「『あいつ予備校通っててずるい』というのと同じ」などと反論。高3で受けた2回までの成績が大学に提供されることを踏まえ、生徒の境遇により本番までの受験回数に差が出るのを認めた上で、「身の丈に合わせて、2回をきちんと選んで勝負してがんばってもらえば」と述べたものである。この発言は28日に至って謝罪と撤回に追い込まれた。
(発言を撤回する萩生田文科相)
 しかし、ここで重要なのは「発言は撤回したが、民間テスト導入は方針通り」だということだ。「説明が不十分」だったり、「誤解を与えかねない」発言だとして撤回はしても、一番重要な英語民間試験は延期する気はないのである。文科相発言のあった24日、開会中の臨時国会に野党会派が「延期法案」を提出した。しかし、僕は野党やマスコミの反対、延期論に一片の幻想も持ってはいない。全国の校長先生たちが延期を要望している。じゃあ、延期しましょうと言うほど簡単には進まない。延期法案を野党が出したことにより、むしろ一種の「政争化」してしまうことが心配だ。

 「萩生田発言」は、言わないことにしているホンネをうっかり言ってしまっただけで、もともとの文科省のねらいが「格差」拡大にあることを示している。民間試験を利用する以上、格差が広がるのは避けられない。公立高の校長は延期を要望したが、先に書いたように私立学校は導入賛成である。今までの教育行政をみれば、どっちが影響力が強いか、考えるまでもない。「生徒を実験台にしていいのか」「一生に一度、二度の大学入試で、不透明な改革を実施していいのか」。教員免許更新制を見れば判るように、文科省はまさに「実験台」にすることをためらわない。別になんとも思ってないのである。

 先日の発表によれば、全国の大学の7割が何らかの形で民間試験を利用するという。もっとも一部の学部のみ利用する大学もあり、一体どのぐらいの生徒に影響があるのか不明だ。「3割の大学は利用しない」わけだが、これが多いのか少ないのかも判らない。該当の高校生は、今の2年生だ。高校2年の2学期の時点で、受験希望の大学の学部まで決まってるんだろうか。大学ごとにあまりにも複雑で、英検なら英検を受けろと言われれば、まあ頑張る気になるかもしれないが、各種いろいろあって選ぶのは難しい。しかし、僕は延期幻想は持たずに取りあえず申し込むべきだと考える。

 むろん僕は延期論というか、そもそも反対論である。今後も延期論は止まないだろう。しかし、野党も大事だが、地方の保守層を取り込まない限り政権は動かない。離島、山間部などを抱える都道府県議会で、延期の請願が相次ぐなどの事態が起きるかどうか。あるいは教員、高校生ら数万人が文科省を取り巻く大集会が続くとか。でも僕はフランスじゃない日本では起きえないだろうと思っている。

 もともとは「日本の英語教育に問題があるから、英会話が出来ない」。「英会話が出来ないから、日本は国際的な発信力が乏しくなる」「その結果、歴史認識問題などで中国や韓国に後れを取ってしまう」などという完全にトンチンカンな「英会話能力重視論」が保守政治家には多い。なんのために英会話を重視するのか。外国人と議論出来るようにするためなのに、日本国内では結局「議論せずに押しつける」のである。これでは英語の話す力を伸ばそうとしているように見えて、実は「疑問を持たずに言われたとおりやれ」というメッセージになっている。

 まあ大学希望者自体が全体の半数である。その中で有名大学にチャレンジする受験生も全体の一部だ。そういうエリート層の英会話力が本当に延びたらどうなるか。このバカバカしい国を捨ててしまうだろう。「頭脳流出」に有効な政策だったということになるんだろう。ところで、遠隔地で受験機会が得にくいケースは指摘されている。しかし、高校卒業程度認定試験合格者(つまり高校には通ってない生徒)への情報提供はどうなるんだろう。また聴覚障害者、視覚障害者に加え、会話能力の障害(様々なケースが考えられる)など「障害を持つ生徒」の場合、どうすればいいんだろうか。僕は今までに聞いたことがないんだけど。今までは各大学や大学入試センターで個別の配慮があったと思うのだが。
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「ジョーカー」、見逃し禁止の「問題作」

2019年10月28日 21時01分20秒 |  〃  (新作外国映画)
 トッド・フィリップス監督、ホアキン・フェニックス主演の「ジョーカー」は、「バットマン」シリーズの悪役ジョーカーの「それ以前」を描く映画である。「アメコミ」(アメリカン・コミックス)映画は数あれど、ほとんどはヒーローの活躍を描くアクション大作で、この映画のようにヴェネツィア映画祭金獅子賞を得るほど作品的に評価された映画は珍しい。ホントに三大映画祭のグランプリに値するのかなと思ったけれど、これは傑作だ。しかし、傑作という言葉以上に「問題作」であり、見逃し禁止の重要作品。

 近年ヴェネツィア映画祭には翌年のアカデミー賞レースの主要作品が集まるようになっている。5月のカンヌが最重要映画祭とされるが、9月のヴェネツィアにはアカデミー賞ねらいの米国作品が集まるようになった。2017年は「シェイプ・オブ・ウォーター」、2018年は「ローマ/POMA」が金獅子賞を取った。それを考えても、「ジョーカー」もアカデミー賞の主要部門にいくつもノミネートされることは確実だ。別に賞レースを先取りするわけじゃなく、これは時代を象徴するような重要作だ。

 僕らが映画(あるいはアート一般)にまず求めるものは何か。「お気に入りの俳優が見られればそれでいい」という人もいるだろう。でも大方の人にとって、映画代も値上がりしたことだし、値段に見合うだけの満足度、つまり出来映え(完成度)がないと損した気分になる。全部の映画が満足できるはずもなく、損も勉強のうちなんだけど、それにしても見る価値ある出来じゃないと困る。この「ジョーカー」はいろいろ突っ込みたいところもあるけれど、まずは「とてもよく出来ている」のだ。面白いし、脚本も演技も撮影も優れている。個人映画っぽいチープさの押しつけはなく、ウェルメイドな技術に感服する。特に編集リズムが素晴らしく、どこでも滞留せずに一気に見られる。

 「バットマン」シリーズを知らなくても大丈夫。「バットマン」は出て来ないんだし、むしろ一般映画として見る方がいいかもしれない。だけど、主人公が多くの人に支えられてハッピーエンドになる展開は封じられている。だから一応は「ジャンル映画」の文法で作られている。ジョーカーの描き方も、1989年の「バットマン」のジャック・ニコルソンはともかく、2008年の「ダークナイト」のヒース・レジャーは知っていたほうがいいかもしれない。ヒース・レジャーは映画撮影後に急死し、死後にアカデミー賞助演男優賞を受けたことでも有名。「ダークナイト」はクリストファー・ノーラン監督の「ダークナイトトリロジー」と呼ばれる3部作の2作目。僕はノーラン監督と相性が悪く、暗い展開が好きになれない。

 そういう暗さは「ジョーカー」も同じで、相当気持ち悪い。15歳以下禁止になってるけど、大人でも好きになれない人は多いだろう。あまりデート向きではない。しかし、この映画が突きつけてくる問題が大きいから、現代を生きるものとして見入ってしまうのである。ストーリーは特に書く必要はないだろう。主人公アーサー・フレックは脳神経障害で、不意に笑いが止まらなくなる病を持っている。コメディアンを目指す彼が、様々なシーンで排除されていって、生育歴の秘密も明かされ、ついに悪の「ジョーカー」を名乗るようになるまでを描いている。
(トッド・フィリップス監督)
 その過程は同情するべき点もあるけれど、それだけではいけない。僕の見るところ、一番も問題は「社会の分断」とか「競争社会」ではなく、明らかに「銃社会」だ。銃が簡単に入手できる社会だからこその、ジョーカー誕生である。犯罪自体はその気になればできるわけだが、一気に殺人へ飛躍するのは前提に銃の存在がある。そして映画は、その前提を疑っていない。これは大問題だろう。アメリカ以外の国では、様々な社会問題は共通しながらも、殺人へのハードルがこんなに低くはない。

 もう一つは「精神疾患」や「虐待」の問題で、貧困の背景にその問題がある。実は日本でも同じような状況があるように思う。論点としてもっと考えないといけない。映画では背景事情みたいな感じだが、貧困や分断以上に大問題だろう。監督のトッド・フィリップス(1970~)は絶品のドタバタ喜劇「ハングオーバー」シリーズでブレイクした。あのシリーズは確かによく出来ていて、メチャクチャおかしいけど、やがてこれほどの重大作を作るという感じはなかった。しかし見事な演出である。脚本や製作にもクレジットされているから、単なる雇われ監督じゃなくて、作家の映画なんだと思う。
(ホアキン・フェニックス)
 主演のホアキン・フェニックスはノリノリの熱演で、オスカーのノミネートは確実。今までに「グラディエーター」で助演賞、「ウォーク・ザ・ライン」と「ザ・マスター」で主演賞とアカデミー賞には3回ノミネートされている。早世した兄のリヴァー・フェニックスも「旅立ちの時」で助演賞にノミネートされていた。俳優一家と知られるフェニックス一家に、初のアカデミー賞がもたらされることを僕は希望したい。
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大山(だいせん)-日本の山⑩

2019年10月26日 22時48分51秒 |  〃 (日本の山・日本の温泉)
 西日本の山を取り上げている。四国の石鎚山、九州の開聞岳に続き、中国地方の最高峰、大山(だいせん)に登った思い出。東京周辺だと、国定公園に指定されている神奈川県の大山おおやま)が知られていて、「だいせん」という読み方が判らない人がいる。鳥取県西部の旧国名「伯耆」(ほうき)を付けて「伯耆大山」と呼ぶことも多い。西の方から見て「伯耆富士」とも呼ばれる。

 中国地方は南北を中国山地が分けているが、風化が進んで高さがあまりない。火山の大山三瓶山(さんべやま)は独立峰だけど、やはりそんなに高くない。だから、日本百名山には大山しか選ばれていない。最高峰は剣ヶ峰の1729mだが、そこへ行く道は崩壊が激しく、もう長いこと立ち入り禁止になっている。普通は弥山(みせん)まで登って登頂としている。1709mである。
(大山テレカ①)
 鳥取県や島根県などの山陰地方は東京から遠いから、今までに3回行っただけ。ずいぶん行きたいところを残している。大山に登ったのは90年代半ば頃の秋だったと思う。飛行機で米子空港へ行ってレンタカーを借りた。境港などを見て、その日のうちに大山直下へ。そこには中世を通じて大勢力を誇った大山寺がある。明治維新で衰退したものの、その後復興して宿坊もたくさんある。今は普通の旅館みたいになっていて、旅行会社で予約できた。宿坊に泊ったのは、ここだけ。別に修行みたいなことをするわけじゃなく、ホントに普通に泊っただけ。
(大山テレカ②)
 一番よく登られているのは、大山寺直下から直登してゆく夏山登山道だ。登山口で約800m。標高差900mほどを3時間半ほどで登る。ところで、行くときは富士山型に見えていた大山が、裏の登り口からみると全然違う。まるで上高地から見る穗高岳である。こんな立派な山だったのか。磐梯山のように、周辺から見ると見え方が全然違う山は多い。富士の裏側が穗高って、こんな山は他にない。
(登山口方面から)
 直登だけど案外登りやすく、2時間ほどで6合目避難小屋へ。詳しいことは忘れてしまったけど、案内を見ると5合目ぐらいで森林限界とある。それからが急登で、大変だなと思いつつ登ってゆくと8合目付近で緩やかになる。お花畑が続く中を気持ちよく歩いていると、もう弥山頂上は近い。8合目からは木道が整備されていて、展望も素晴らしい。頂上につくと、剣ヶ峰までのルートがあった。通行止めのロープをまたいで行くことはしないけど、行ってる人もいたな。
(山頂付近)
 帰り道は戻るだけ。その日は米子の皆生(かいけ)温泉に泊る。翌日は松江へ向かってあちこちを回る。高校生の時に中国地方一周をしてるので、それ以来だ。松江の温泉宿はとても良かった。翌日は出雲大社日御碕などを回って戻った。また行きたい地域だし、大山にも行きたいな。
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「ビラヴド」ートニ・モリスンを読む③

2019年10月25日 22時26分58秒 | 〃 (外国文学)
 ノーベル文学賞を受賞したアメリカの黒人女性作家トニ・モリスン。訃報をきっかけに、持っていた文庫本を読み始めて4冊目。「青い眼が欲しい」「スーラ」「ソロモンの歌」の次が「ビラヴド」(Beloved、1988)である。もっとも、実はその間に「タール・ベイビー」(1981、「誘惑者たちの島」の邦題で訳されたこともある)があるが、これは文庫化されてないのでスルーすることにする。

 「ビラヴド」は代表的傑作とされ、ピュリッツァー賞文芸部門を受賞した。今はハヤカワ文庫epiに入っているが、その前に集英社文庫に入っていた。吉田廸子訳。僕は1998年刊の集英社文庫を読んだ。20年も前になるのか。文庫本の帯には、映画化され1999年に公開予定と明記されている。でも実際には未公開でビデオ発売されただけだった。「羊たちの沈黙」のジョナサン・デミが監督し、オプラ・ウィンフリーが主演している。それだけでも見たい感じだが、当時の映画賞レースでもほとんど話題にならなかった。どう考えても映画化は無理そうな題材なので、出来映えに問題があったのか。

 「ビラヴド」は、正直言って僕は「参りました」という読後感だった。すごい傑作で敬服したという意味じゃない。全然判らなくて、読みづらい。大変すぎて参ったという意味である。500ページ強の本で、10日間ぐらい掛かった。読めども読めども進まない。エンタメ系じゃない、外国の本格文学は時間が掛かることが多い。最近だと「ボヴァリー夫人」がそうだったけど、あれは描写が細かすぎて進まないだけで、意味は十分に判る。「ビラヴド」は判らないのだ。いや、最後まで行くと判ることは判る。それでも判ったという感覚が持てない。傑作だとは思ったけど。

 怪奇、幻想、SF小説など、いくつも読んでいるから、小説内がどんな設定でも構わない。人が空を飛ぶなら、そういう設定だと思って楽しんで読める。人が死んで蘇るなら、そういう設定と決めてくれれば理解はできる。この小説でも似たようなことがあるが、それは現実か幻想か、ある人にだけ見えるのか。本当かウソか全然判らない。アメリカ黒人は、もともと先住していたわけじゃなくて、奴隷としてアフリカ大陸から連れてこられたわけだが、奴隷制度はもちろん今では完全な悪である。書くまでもない前提だ。だから、奴隷制度の残酷さを歴史的、社会的に描き出すなら、それは理解可能だ。

 「ビラヴド」に先立って、1983年にピュリッツァー賞を受賞したアリス・ウォーカー「カラーパープル」という小説があった。スピルバーグによって映画化され、オプラ・ウィンフリーがアカデミー賞助演女優賞にノミネートされた。(ウーピー・ゴールドバーグのデビュー作で、同じくノミネートされた。)アリス・ウォーカーはフェミニズム作家として知られ、「カラーパープル」は黒人社会内部の女性差別を告発した。過酷な運命を生きる黒人女性を描き衝撃を与えたが、「物語」的な文法上には理解しにくい点はなかった。だからスピルバーグが映画に出来たんだろう。僕もストレートに感情移入できた。

 「ビラヴド」はあまりにも時間軸が錯綜し、何が事実で何が幻想なのかも判りにくい。だがそれは単なるレトリックではなくて、奴隷制を生きる中で身体的にも精神的にもズタズタにされた登場人物の語りなのだ。僕には判りにくかったけれど、訳者の解説を読むとアメリカでは「自分たちの物語」として熱狂的に受容されたことが判る。今までの小説と同じく、ここでも複数の人物の視点で語られる。いずれも一人称で、どんどん語る人物が変わってゆくので、読む方は混乱する。登場人物が忘れていること、語りたくないことは出て来ない。だから読者にも何が何だか判らない。

 一応筋らしいことを書いておくと、ケンタッキー州にあった「スウィートホーム農園」は、周囲に比べて人道的な扱いをされていた。そこに来た14歳の黒人女性セテをめぐる5人の奴隷男性たち。セテはハーレと結ばれ、子どもも生まれる。そういう過去があった。当たり前に思えるが、他の農園では女奴隷は白人農園主の所有物で、子どもを産まされたりした。子どもは農園主の財産として売られるわけだ。農園主が亡くなった後で、未亡人は妹の夫(義弟)を呼び寄せるが、義弟の経営方針は違っていた。農園再建のため奴隷は売り払い、親子を引き離すことをためらわないタイプだった。

 そういう過去が理解出来るのは終わり近くになってから。そして集団で逃走することが計画された。当時は北部へ逃れるルートが作られていた。しかし計画はうまく行かなかった。追い詰められたセテに悲劇が起こる。それは現実に会った事件がモデルなんだというが、捕まる前に母親が我が子を手に掛けたということらしい。亡くなった娘が「ビラヴド」と呼ばれる。今はオハイオ州で孤立して生きるセテと娘のデンヴァーの元に、農園で一緒だった「ポールD」が現れる。三人でサーカスを見に行った夜、家に戻るとビラヴドを名乗る娘が突然現れた。彼女は何者か、最後まで判らない。

 黒人社会にある霊的な感覚がこの小説の背景にあるらしい。歌ったり踊ったりする文化の中で、ようやく最後の最後、第3部になって娘のデンヴァーに自立の可能性が生まれる。助けを求めること。それによって、セテを孤立したままにしていた黒人コミュニティが変容してゆく。しかし、筋を整理してしまうと、図式的な物語になってしまう。この小説は複雑な語りの構造を持ち、独特の文化的背景を前提にしている。なかなか外部の人間には理解しにくいと思う。あえて読まなくていいと思うが、こういう作品が評価されノーベル文学賞につながったという知識はあってもいいかも。
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運休間近、上野動物園のモノレール

2019年10月24日 22時46分34秒 | 東京関東散歩
 上野動物園にはずいぶん行ってない。東園と西園を結ぶモノレール10月31日をもって運休するというので、行ってみようかと思った。(上野で「真実」を見る予定だったので。)思い出が詰まってるわけじゃない。恐らく初めてだと思う。子どもの頃は覚えてないけど。家から遠くないから、上野動物園には何度も家族や遠足などで行ってるはず。でも乗ったのは「お猿の電車」(おサル電車)だ。1948年から1974年まで存在したアトラクションで、サルが先頭車に乗って動く電車。そんなものがあったのだ。
   
 上野動物園と言えば、パンダにズラッと並んでると思うだろう。でも今は違う。平日のお昼時はパンダはスイスイ進むのに対し、モノレールは20分待ちぐらい。所要1分30秒で、150円。正直言って、大人なら乗らずに歩いた方が早いし節約。だから今までは「いそっぷ橋」を歩いて渡った記憶がある。これは日本初の「モノレール」(懸垂式鉄道)で、正式名称は「東京都交通局上野懸垂線」。公道をまたぐため、動物園の施設じゃなくて東京都交通局が運転する路線なのである。都営地下鉄や都バス、都電、日暮里・舎人ライナーと並ぶ、ちゃんとした交通機関だったとは。いや、知らなかった。

 上野動物園に一番行ったのは、学生時代だ。上野は高校・大学時代にずっと通学に使っていた。ヒマなとき、元気ないときには、動物園に行ったり、国立博物館で仏像を見たりしていた。心が落ち着くんだよね。動物園だと特に「サル山」。面白くて飽きなかった。人間界を見ているような気がして、自分を振り返ることもある。今回久しぶりに見て、そんなには面白くなかった。時間がいくらでもあると思っていた青春期と違うんだろう。今じゃ旅行で何度も見て、ニホンザルなんか全然珍しくない。ドライブ中に出てきても、今じゃ止まることもない。今回はてっぺんで見渡しているサルが良かった。
   
 ジャイアントパンダも見た。実は初めて。一応見たんだけど、どんどん通り過ぎるからよく判らない。拡大すれば、写真に写ってはいる。(下の一枚目。)子どものシャンシャンだと思う。周りでそう言ってた。父親のリーリーも出てたけど、隠れていて写真に撮れてない。どうしてもうまく写らない動物がいる。そもそも出てないとか、遠くにいたり、動いてるとか、他の客がジャマだとか。そんな中で、ゼニガタアザラシは良く撮れていた。3枚目は動物の慰霊碑。あまり意識してなかった。
  
 モノレールで西園に行くと、コビトカバが2頭いた。何でも「ジャイアントパンダ」「コビトカバ」「オカピ」が三大珍獣なんだという。オカピも近くにいて、お尻だけちょっと見えた。全体は遠くの木陰に隠れて見えなかった。さて、コビトカバだけど、これかあ、と思ったのは小川洋子「ミーナの行進」を読んだからだ。ものすごく面白い小説で、これを読んだらコビトカバを見たくなるから。(最初の2枚。)3枚目はタテガミオオカミ。最後はバーバリーシープで、彫刻みたいに動かなかった。
   
 小さい頃は動物学者になりたかった。動物を見て歩くのは大好きだけど、美術館と同じく自分で動いていくのが今じゃけっこう面倒。それに日本の動物はかなり野生で見てるから、わざわざ動物園に行かなくてもいいかなあ。最後に上野動物園で一番の文化財だけど、すごく空いてる場所。それは寛永寺五重塔。東照宮のすぐ近くにあるが、何故か動物園の敷地内にあって、入園料を払わないと近づけない。重要文化財指定で、歴史散歩で見たい場所だが、動物園の入園料を払ってそれだけ見るのもなあ。一方、動物園目当ての親子連れや外国人客はほとんど近寄らないので、隠れたスポットとも言える。写真はあちこちから撮ったものだけど、全然判らないですね。
   
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是枝裕和監督の新作「真実」

2019年10月23日 22時25分17秒 |  〃  (新作外国映画)
 是枝裕和監督の新作映画「真実」(La vérité)が公開されている。前作「万引き家族」はカンヌ映画祭パルムドールを受賞して大ヒットした。次の作品が注目されたわけだが、それがカトリーヌ・ドヌーヴジュリエット・ビノシュが母娘を演じるフランス映画だと発表された時は驚いた。世界的大スターが出演するということで、日本では吹替版まで作って、シネコンで全国公開した。しかし、あまりヒットしてないようだ。こういう映画を見に行く人は、ドヌーヴの声を聞きたいに決まってる。僕が見たところ、この映画は十分に面白い「フランス映画」だ。東京だったら渋谷Bunkamuraのようなところでやる映画。

 基本的なストーリーはかなり報道されているが、映画館のページからコピーしておくと…、国民的大女優ファビエンヌ(カトリーヌ・ドヌーヴ)が自伝本【真実】を出版。アメリカで脚本家として活躍する娘のリュミール(ジュリエット・ビノシュ)、テレビ俳優の娘婿ハンクイーサン・ホーク)、ふたりの娘のシャルロット、ファビエンヌの現在のパートナーと元夫、そして長年の秘書……お祝いと称して、集まった家族の気がかりはただ1つ。「一体彼女はなにを綴ったのか?」…。

 「ファビエンヌ」はカトリーヌ・ドヌーヴのミドルネームである。本人との話し合いで役名を決めたという。映画の中には「サラ」という名前が登場する。若い頃はライバルと言われ、若くして死んだ。娘のリュミールは「サラおばさんの方が優しかった」という。どうしても交通事故死した姉のフランソワーズ・ドルレアックを思い出してしまう。「ロシュフォールの恋人たち」では姉妹共演し、トリュフォー映画ではカトリーヌより早く「柔らかい肌」で主演した。若い頃から人気、演技力、スキャンダルともに妹のカトリーヌの方が知られていた。だからドヌーヴが実際に姉に嫉妬していたわけではないと思うが、若いときに非業の死を迎えた肉親を忘れたことはないだろう。

 ファビエンヌは今も映画を撮影している。それはSF映画で、セリフが少ないと若い監督に言われてOKしたけど、その後せっかくだからセリフを増やすと言われた。撮影所に来てセリフを覚えているが、実際にそうなんだという。(ジュリエット・ビノシュは反対に何週間も前からセリフを覚えて役作りをするという。是枝監督が前日にセリフを変更するので、最後は諦めたらしいが。)宇宙では年を取らない設定で、母親は難病で宇宙に出かけ数年にいっぺん戻ってくる。地球では娘のファビエンヌが70歳になったが、宇宙の母の方は若々しい。そんな設定で、映画作りの内幕的な面白さもある。実際のドヌーヴの人生を背景に、役としてのファビエンヌ、映画内映画の母娘の逆転関係と「三重の仕掛け」で人生を考える。
(ヴェネツィア映画祭で)
 母と娘の感情のぶつけ合いという映画では、ベルイマンの「秋のソナタ」が代表作だろう。世界的ピアニストの母をイングリッド・バーグマン、母に見捨てられたと感じて育った娘にリヴ・ウルマンという配役で、傑作だけど寒々しい映画だった。バーグマンとドヌーヴはいずれ劣らぬ映画史に輝く美人女優。老いてなお、存在感の大きさに圧倒される。だが是枝映画は、やはりベルイマンと違って、「軽み」が持ち味だ。「誰も知らない」や「万引き家族」のような社会的テーマは前面に出た作風ではない。「奇跡」や「歩いても歩いても」のように家族を温かくも冷静に見つめた映画だった。

 娘のリュミールが脚本家だという設定が生きている。「真実」という本(そして映画の題名)だが、母の書いた本に「真実」はないという娘は詰め寄る。だが「真実」とは何なのか。母との衝突と和解をめぐる二人のありようは、人生はどこまで演技なのかという疑いを呼び起こす。人生はお芝居人間はみな役者という観点で見れば、フランスの大女優の話だけどすべての人に通じる物語だと思う。そして子役のシャルロットが素晴らしい。今までも子役の素晴らしさが印象的だったが、フランスで撮っても是枝映画だった。娘の夫役のイーサン・ホークもいい。夫と娘のシャルロットがいて、大女優二人の演技合戦が生きる。撮影や音楽も素晴らしかった。クレジットのシーンに流れるドヌーヴも素晴らしいから、最後まで席を立たないこと。確かに「万引き家族」の方が上だと思うけど、僕は十分に満足。
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入管収容者にアムネスティをー「恩赦」考②

2019年10月22日 22時49分52秒 | 政治
 日本の重大問題として「外国人の処遇」がある。刑務所と外国人の処遇水準にその国の人権レベルが現れるとよく言われる。どちらも社会の多数派には見えにくい問題という共通点がある。もっとも弱い人々が不当な扱いを受けるとき、やがてその「毒」が社会全体に回って行くのだ。

 日本では「難民認定」が著しく少ない。法務省の発表によれば、2018年において「難民認定申請者数は10,493人で,前年に比べ9,136人(約47%)減少。また,審査請求数は9,021人で,前年に比べ491人(約6%)増加。・難民認定手続の結果,我が国での在留を認めた外国人は82人。その内訳は,難民と認定した外国人が42人,難民とは認定しなかったものの人道的な配慮を理由に在留を認めた外国人が40人。 」とホームページに出ている。

 難民認定が退けられ、裁判に訴えても通らないことが多い。日本の裁判所も国際的人権感覚が乏しいのである。さらに珍しく裁判所が認定しても、法務省がさらに争うことが多い。そうして「入国者収容所」(東日本は茨城県牛久、西日本は長崎県大村にある)に収容されたまま、いつ出られるか判らない人が多数いる。そのため、現在入国者収容所で「ハンガーストライキ」で抗議する動きが起こっている。6月に大村で亡くなった40代のナイジェリア人男性は10月に「餓死」だったと発表された。国の施設内で「餓死」するという異常事態が起きているのだ。
(入管に抗議するプラカード)
 実は入管での死亡者は初めてではない。むしろかなり起こっているというべきで、そのことは次に掲載しておく表に示されている。そして、一番問題なのは「問題として意識されない」ことだ。世論は「同情」ではなく、「自己責任」に傾きやすい。人手が足りずに外国人労働者を受け入れようとしている時代である。ラグビーのワールドカップでは、外国出身選手が日本代表で活躍して、その多様性が強みだなどと報道された。しかし、自国を逃れて日本に助けを求めた人々は排除されるのである。
(入管処遇中の死亡事案)
 もちろん僕も申請者全員が母国で迫害された人だとは思ってない。中には経済的目的で来日してオーバーステイになった人もいるだろう。しかし、その場合でも日本でマジメに働いていて、日本に生活基盤が出来た人の場合は、日本在留を認めたとして何か問題があるのだろうか。何も国籍を与えるわけじゃない。在留資格を認めるだけである。日本は今後5年間に最大34万人の外国人労働者を受け入れるんだという。その政策と難民認定の状況は矛盾するとしか思えない。

 現在の入管の処遇状態は人道上の大問題である。今まで書いて来なかったけれど、僕もあらゆる問題について詳しいわけじゃない。世界中のすべての問題を書こうと思ってるわけでもない。そして、それ以上に大問題なのは、この「人道危機」を意識し提起するマスコミや野党勢力がほとんど不在だということだ。「恩赦」に関しても、刑事問題にばかり議論が集中して、「入管の長期収容者に特別に在留許可をするべきではないか」といった議論は多分誰もしてないと思う。

 近年では「恩赦」というとき、国際的には「不法滞在者に在留許可を与える」ことに使うことの方が多いと思う。この時の「恩赦」は、日本の法律用語としては「大赦」である。英語で言えば"amnesty”。「アムネスティ」と言えば、国際的人権団体である「アムネスティ・インターナショナル」を思い浮かべる人も多いだろう。アムネスティは何かの略語かと思ってたかもしれないが、あえて日本語にすれば「国際恩赦協会」とでも言うべきか。もともと1960年代末に「政治犯」(良心の囚人)の釈放を国際的に求める組織として設立された。その元々の意味としての、アムネスティを入管収容者に求めたいのである。

 これは何も「即位礼」とは関連しない。日本国憲法の人権精神を生かすために、毎年の憲法記念日に特別許可を出すことが定例化するのが一番良い。だけど、「天皇即位記念」の一回切りの人道措置だとしても、是非やって欲しいと思うものだ。そのぐらい緊急性が高いと思う。
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「恩赦」が「罰金のみ」になったわけー「恩赦」考①

2019年10月21日 23時03分30秒 | 政治
 新天皇の「即位礼」に合わせて「恩赦」が行われる。その問題について、考えてみたい。世論調査などでは「恩赦」に対しては圧倒的に反対論が多いようだ。法務省としては当初「恩赦は行わない」という考えも議論に載せたようだが、結局「罰金刑」に限定しての実施となった。昭和天皇の「大喪の礼」や前天皇の即位礼時に比べて、対象の人数がかなり少なくなっている。具体的な進め方は以下参照。

 「恩赦」の「恩」は「君主の恩」である。「恩賜」という時の「恩」と同じ。だから「国民主権」の今では「現状にそぐわない」という反対論がある。基本的な考え方としては僕も同じ認識だが、ただそれだけでいいのかとも思うのである。国民世論の反対論も、けっして「天皇制の強化につながる」ということへの懸念じゃないだろう。恐らくは「犯罪者に甘くしてはいけない」といった「自己責任論」「重刑化」を国民の多くが内面化しているということだと思っている。だから実施に当たっては「罰金のみ」になった。

 安倍政権を支える支持層には大きく二つの勢力が想定できる。一つは「新自由主義」に基づく「自己責任」的な社会作りに親和的な「財界」や「若年層」である。犯罪者に関してはアメリカのように「重刑化」を進めることになる。一方でそれだけでは社会がバラバラになってしまう。そこで「愛国主義」による国民統合を図ろうとする。その時の中心として「天皇」が必要とされる。それを支える層は、より伝統的で右翼的な「伝統保守」や「高齢層」である。
(戦後の恩赦の歴史)
 上の表を見れば判るように、確かに「恩赦」は「天皇制」と結びついてきた。だから、今回「恩赦は一切行わない」と決めてしまうと、「天皇制の伝統をないがしろにするのか」と保守的支持層から反発を招きかねない。「即位」にあたって「恩赦を実施しなかった」という「先例」を安倍政権が作ってしまう。だから、小規模になったとしても「恩赦」を実施しないわけにはいかなかった。多分そういうことなんだろう。

 でも僕は思うんだけど、それでいいんだろうか。「社会の中で触法者とどう向き合うか」と観点から、もう少し内実のある「恩赦」でも良かったんじゃないか。今までの前例から、保守政権においては「天皇家の慶事」が一番大事な儀式とみなされてきた。「新天皇の即位礼」というケースでも、実質的な「恩赦」がないとなれば、今後「個別恩赦」などは非常に難しくなるだろう。「今の時代に恩赦は必要なのか」といった論調がマスコミに多かったけれど、その「今の時代」とは「刑事処遇に厳しい目が注がれる時代」ということなのだろうか。それじゃあ、「更生」に悪影響を与えないだろうか。

 「恩赦は三権分立に反する」と書いたマスコミもあった。前にも書いたことがあるが、「司法権」は刑事裁判で刑を宣告するまである。決まった刑罰を執行するのは「行政権」である。刑務所は法務省の管轄で、最高裁ではなく内閣の所管だ。そして、「懲役10年」だったら「刑務所で10年間、懲らしめとして役務作業をせよ」という刑だけれど、実際には「仮釈放」がある。「満期出所」は最悪で、仮釈放しないとまずいのである。なぜなら満期出所者はもう司法制度とは無関係になってしまうが、仮釈放中なら担当の保護司と連絡がある。仮釈放中に事件を起こせば、即収監になる。

 死刑や無期懲役の人はニュースになるが、他はあまり報道されない。しかし、刑務所にいるほとんどの人はいずれ社会に戻ってくる。だから「仮釈放」に向けて社会の変化に慣れる期間を設けて、なんとか社会に適応できるようにして戻れるようにする。犯罪性向が強い人も中にはいるかと思うが、多くの人は二度と間違いを起こさないと決意して出所するだろう。ほんの少しでも(一ヶ月、二ヶ月でも)「恩赦」で刑期が短くなれば、「天皇」とか「首相」への恩義などではなく、社会全般への感謝の気持ちを持てるんじゃないか。全員一律じゃなくて、仮釈放されて問題のない人だけにしぼっても、「恩赦」を検討しても良かったと僕は思っているわけだ。(もう一つ論じられていない問題を次回)
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向島百花園ー東京の庭園①

2019年10月20日 22時59分09秒 | 東京関東散歩
 毎年思うことだが、気候がどんどんおかしくなっている。今年は10月になっても半袖を着てた。その後、東日本各地に大きな被害を出した台風19号が過ぎたら涼しくはなったが、雨の日が多い。なかなか散歩に出かけられる日がない。そこで、遠出をやめて東京の庭園を回ろうかと思った。今までに書いた庭園も多いけれど、まだ行ってないところもある。ちょっと時間を作って、年内に行ってみよう。

 まずは10月初めに行った向島百花園。もとをたどれば江戸時代に行き着く由緒ある庭園だ。明治になって荒廃し、昭和初期に東京市が整備したが、今度は東京大空襲で大被害を受けた。その後再び整備され、今は国の史跡、名勝に指定されている。東武線東向島(旧玉ノ井)駅から徒歩7分。家から近いので、学生時代から何度も行っている。一時は近くの学校に勤務していたが、だからといって何度も行くわけじゃない。東京有数の歴史・文学の散歩コースだから、そのうち散歩しようと思っていた。

 百花園は春の梅秋の萩が名物とされる。今回は有名な「萩のトンネル」がほんのちょっと花が残っていた。それもいいんだけど、今回思ったのは「借景としてのスカイツリー」がいいこと。「とうきょうスカイツリー」駅から2駅と完全に地元である。園内の一番奥の「桑の茶屋跡」まで行くと、ちょっと小高いところから池越しにスカイツリーが見える。これが一番「映える」情景なんじゃないか。
   
 池の周りはやはり写真的に面白い。今はススキが伸びていて面白い。池周辺を少し。
   
 有名な「萩のトンネル」はこんな感じ。最盛期は終わってた。よく判らないと思うけど。
  
 向島百花園は「庭園美を味わう」場所ではない。江戸後期の文化文政時代、都市文化の発展する中「文人墨客のサロン」だった場所なのである。1804年に、骨董商佐原鞠塢(さはら・きくう)が開園し、画家の酒井抱一が命名した。大田南畝(蜀山人)などが集い、春秋の七草など詩想を呼ぶ花々を植え、池を作り碑を立てた。そんな「人文的景観」を愛でて風流を感じる場所なのだ。
   
 今でも季節になれば、「月見の会」「虫聞きの会」などが開かれ、夏は朝顔展が開かれる。下町の文化交流の場所として生きている。江戸野菜の一種「寺島なす」も植わっていた。周辺は雑然とした住宅街になっているが、よく危機を乗り越えて続いて来たと思う。上の最初の写真は入り口のようす。
   
 そのような「歴史を感じ風流を愛でる」心意気で回らないと、上の写真のような園内を回って「雑草園」かなんて悪口を言いかねない。なんか草が生い茂って昔のイメージと違うと言ってた人がいたけど、まあ季節によると思うけど、ここはこのような場所なんだと思う。そして園内各所に文学碑が建っている。こんなに多い場所も珍しい。入り口においてある園の案内図に、碑の紹介がある。「いろは」順に「や」まである。29カ所である。そのうちいくつかを載せておく。
    
 最初から順に、芭蕉「春もやや」の碑、其角堂永機句碑、二代河竹新七追善狂言塚、山上憶良秋の七草の歌碑、月岡芳年翁之碑ということになる。まあ書いたからと言って、よく判らないことは変わりない。他に聞いたこともない俳人の句碑がいっぱいある。最近のものじゃなくて、古びていて江戸時代のものも多そうだ。園内には最後に載せる写真の「御成屋敷」という建物がある。ここは場所を借りることが出来る。(僕は何度か利用したことがある。)
 
 他に売店「さはら」があって、なんと創始者の佐原家がずっとやってるから驚き。今の当主は、かつて定時制高校時代に地域代表としていろいろ協力して貰った思い出がある。
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追悼・粟屋憲太郎先生の思い出

2019年10月19日 23時21分01秒 | 追悼
 歴史学者(日本現代史)で、立教大学名誉教授の粟屋憲太郎先生が亡くなった。1944.6.11~2019.9.11、75歳。僕は月ごとに訃報をまとめて書いているけれど、その時は「亡くなった人物」は「歴史的人物」と考え「敬称略」で書くようにしている。だけど、粟屋先生は単に講義を受けたという以上のお世話になっているので、やはり「先生」と表記することにしたい。

 僕が大学2年生の時に、それまで神戸大学助教授だった粟屋先生が立教大学助教授として赴任してきた。翌年の3年、4年とゼミに出て、その後大学院でも直接の担当教員だった。先日、教育実習について書いたが、その頃から実習校に大学の指導教員が顔を出すようになっていた。僕は母校の都立白鴎高校で実習をしたが、「研究授業」に粟屋先生に出席して貰った。その時に津田塾大の学生もいて、津田塾からは井上幸治先生が見えた。立教大学で長くフランス史を担当し、故郷秩父の「秩父事件」研究でも名高い。実習見学後はずっと井上さんと上野で飲んだんだよと後で聞いた。

 けっこうよく講義の後で飲んだ思い出がある。学部生の時はともかく、院生時代は毎週のように行ってたかもしれない。なんだか勉強の話より、飲んだ記憶ばかり思い出すのが、不思議というか、まあそんなものかもしれない。池袋西口のロサ会館も行ったと思うが、それより大学のすぐそばにあった「東江楼」によく行った。日本初の客家(はっか)料理店として有名で、東洋史の教授で客家出身の戴国煇(タイ・クォフェイ)先生が大体いた。古代史の野田嶺志先生や大学院に講師で来ていた神田文人先生などもよく一緒だった。そんな時の楽しさを思い出すのである。

 その頃の写真がないかと思って「昭和の政党」の月報を探し出した。ゼミ旅行なんかの写真もあるかと思うが、どこか判らない。「昭和の政党」は小学館が企画した「昭和の歴史」の第6巻で、政友会民政党が戦った昭和初期の政党史を描いている。「選挙による政党政治」が「憲政の常道」と呼ばれた時代の成立と崩壊を扱い、今も必読の本だろう。僕はもともと選挙や政党に関心があるが、今も時々選挙分析を書いているのは、粟屋先生の影響なのかもしれない。
 (同じく「月報」より。内田健三氏と語る)
 しかし、粟屋先生の研究分野で一番知られているのは、「東京裁判」の実証的研究だろう。原史料にあたって「極東軍事裁判」を研究することは、1970年段階ではまだ珍しかった。当時はアメリカで情報公開が進みつつあり、何度も渡米して占領軍の史料に直接アクセスした。第二次世界大戦期の公文書はその頃から開示され始め、その利用による研究の先頭のひとりだっただろう。資料集も数多く刊行していて、その面の貢献も大きい。特に有名なのは、「なぜ昭和天皇が東京裁判で訴追されなかったのか」を憶測ではなく、検事局の資料を基に実証した研究だろう。東京裁判研究は朝日ジャーナルに連載され、後に講談社選書メチエから刊行された「東京裁判への道」(上下)に結実している。

 その研究を基にNHKが取材した「NHKスペシャル」が「東京裁判への道」(粟屋憲太郎、NHK取材班著、1994、NHK出版)として書籍化されている。この番組は放送文化基金賞のテレビドキュメンタリー番組「本賞」受賞番組と帯に出ている。細かくなるから内容は触れないが、このような番組がかつては放送され受賞していたのである。しかし、その頃から「東京裁判史観」などという架空の史観を「批判」する人々が現れてきた。歴史学の世界でいくら東京裁判を実証的に研究しても、実証抜きに「政治問題」として扱う勢力は一向に減らなかった。何故だろう。僕が大学で身につけた一番大切なことは「実証の重要性」である。最近は「リベラル」派に、典拠を示さず語る人が増えている。

 大学院の前期を終えて、浪々としていた時期に大学を通して中学の非常勤講師の口を紹介された。これも粟屋先生からの紹介があった。翌年、採用試験を高校日本史で合格していたが赴任先がなかなか決まらなかった。その時に中学で採用されたのは、前年の講師経験があったからだろう。その年の秋に結婚を控えていたから、就職の必要があった。その結婚式の祝辞もお願いしているから、「恩師」と言うしかない。その後、体調を崩すときが多くなり、まとめるつもりで時間切れになった研究テーマが多いかもしれない。残念なことだった。

 大学を定年退職するにに合わせて、大きな会が開かれた。10年前のその時が最後になった。その時の挨拶で、伊藤隆氏からの手紙に触れていた。東大国史科で近現代史専攻だった伊藤隆氏は、粟屋先生と考え方が違う。そこでどのような関わりがあったのか、裏話的なエピソードも交えて語りながら、それでも年賀状を出していたという。退職を伝えた返信に、確か封書で健康を念じる言葉を貰ったという話だった。政治的な立場を超えて、若い頃からのつながりもあったということか。実は僕が卒論を書いていたときに、母親が乳がんで入院していた。その時期はけっこう大変だったわけだが、その母が90を過ぎてまだ元気なのに、母より若い多くの先生が去って行く。「老少不定」とは言うものの。
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コーシャ・フェレンツ監督「もうひとりの人」とハンガリー映画

2019年10月17日 23時23分47秒 |  〃  (旧作外国映画)
 国立映画アーカイブで「日墺洪国交樹立150周年 オーストリア映画・ハンガリー映画特集」をやっている。日本とオーストリア=ハンガリー二重帝国は、1869年に国交を結んだ。その後、ウィーンに伊藤博文が憲法研究に赴くなど、オーストリアのハプスブルク帝国との関係は深い。しかし、それは同時にハンガリーとの国交でもあったのだ。なお、オーストリアの漢字表記は「墺太利」(または墺地利)、ハンガリーの漢字表記は「洪牙利」だということで、だから特集の頭が「日墺洪国交樹立」になるわけ。

 それぞれ5作品、計10本の映画が2回ずつ上映されるところ、台風で12日、13日が休映になってしまった。その後振替上映が決まったけれど、もともと13日に見ようと思っていた「もうひとりの人」(コーシャ・フェレンツ監督、1988年)が16日にも上映されるので、見に行った。「219分」もある映画だが、第1部、第2部に分かれていて、途中で休憩が入る。まあ2本立てで見るようなものだ。この映画は、1990年の「東欧映画祭」で上映されたというが、そんなのあったかな。気になって自分の記録ノートを見直したら、全く忘れていたけど、この映画見ていたじゃないか。場所は赤坂の草月ホールである。

 すごく忙しい時期だったのに、よく見てるな。1989年が「東欧革命」だから、もともと東ヨーロッパに関心がある僕が見たいと思っても不思議じゃない。忙しくても時間を作ったんだろう。今回の上映に先だって、「ハンガリー外務貿易省職員」のコーシャ・バーリン氏による挨拶があった。ハンガリーは日本と同じく、「姓・名」の順に表記するので「コーシャ」が姓である。このバーリンさんは、フェレンツ氏の息子で日本語が達者だ。なぜなら母親が日本人だから。コーシャ・フェレンツが1967年にカンヌ映画祭監督賞を「一万の太陽」で受けた後で、通訳として話を聞いた日本女性と結婚したのである。

 コーシャ・フェレンツ監督の「もうひとりの人」は大変な力作であり、問題作だ。映像的にも美しく、カメラの動きも魅力的。ストーリー的にも波瀾万丈で、すごく面白い。傑作なんだけど、やはり「テーマ」が重大なのである。この問題性はいまこそ振り返るべきものがある。第一部は戦争末期の1944年。ハンガリー情勢はあまり詳しくないから、最初は状況がよく判らない。兵士が行軍しているが、これがハンガリー軍。ハンガリーは第一次大戦でハプスブルク帝国が崩壊したあと、領土が非常に小さくなった。「ハンガリー王国」と名乗るが、国王のいないまま「摂政ホルティ」が権力を握る態勢が続いた。第二次大戦期はドイツと同盟して戦っていた。それに反対するパルチザンも活動していた。

 主人公たち二人が民家に徴発に行ってる間に、部隊はパルチザンに襲撃され全滅する。彼らは「脱走兵」と疑われて裁判に掛けられる。危うく処罰されるところを助かるが、軍法会議を仕切る上官に逆らって逃亡する。戻った自宅はハンガリー平原東部のひなびた農場で、監督の故郷でもある。そこに妻と子と父親が暮らしていた。そして逃亡犯を捜す憲兵が現れる。いろいろなエピソードが積み重なり、軍隊の酷薄さが印象づけられるが、主人公は武器を持って逃げることはしない。「もう戦争は嫌だ」「相手の兵士ももうひとりの人間だ」「武器はもう持ちたくない」と皆に告げて家を出て行く。

 第2部は1956年。「ハンガリー動乱」の年である。かつての息子は19歳となり、ブダペストの大学生になっている。映画制作時にはまだ「東欧革命」以前だが、ソ連のペレストロイカは始まっていた。映画では、「動乱」は明らかに「民主革命」「民族革命」という立場に立っている。そのため国外上映が禁止され、1990年の日本が国外初上映だったという。ところが今になってみると、それと同じぐらい重大なのが主人公の「非暴力抵抗」の姿勢なのである。主人公はかつての父の教えを守りたいと思っている。クラスメイトたちが「武器には武器を」と過激化していく中で、ひとり非暴力を貫き批判もされる。
(「もうひとりの人」第2部)
 ハンガリーは戦後になって、ソ連「盲従」のラーコシに率いられてスターリン主義的な社会主義体制が築かれた。スターリン死後に批判が高まり、スターリン批判後ついに「動乱」になる。ワルシャワ条約機構脱退まで進み、それに対しソ連軍が進攻して大きな犠牲が出た。映画の中では、武器が民間人に流れ、秘密警察の制服を着ていると無差別に銃撃している。子どもたちも武器を持ち、殺伐とした風潮が広がっている。主人公は女友達が殺された真相を突き止めようと、教会の屋根裏に上って秘密警察員に捕まる。服を交換させられ、秘密警察の服を着て街を歩かざるを得ない。すると事情も聞かずに、武装民間人に無差別に銃撃される。

 この「憎しみが憎しみを呼ぶ」時代にどのように生きるべきか。これはシリアで、イエメンで、香港で、アメリカで…今こそこころに突き刺さるテーマだ。主人公は皆が興奮しているときにも、冷静に非暴力を主張する。そんな人がいたのか。いや、いなかったと思うけど、監督はこのような人間像を世界に示したかったのだろう。こんな「問題作」があっただろうか。しかし、「何があっても戦争だけはもう嫌だ」という気持ちは日本人には理解可能だ。まさに同時期に作られた日本の「黒い雨」(今村昌平監督、井伏鱒二原作)にそれが示されている。「もうひとりの人」という題名が深い。
(コーシャ・フェレンツ監督)
 コーシャ・フェレンツは、1937年11月21日に生まれ、2018年12月12日に亡くなった。日本では全然報道されなかったから知らなかったけれど、去年の暮れに亡くなっていた。その追悼上映でもある。長くなったので詳しくは書かないが、1950年代のポーランド映画の快進撃に続き、1960年代半ばにチェコとハンガリーで映画の「ヌーベルバーグ」が起こった。サボー・イシュトバーン(「メフィスト」)、ヤンチョー・ミクローシュ(「密告の砦」)、ファーブリ・ゾルターン(「ハンガリアン」)など多くの監督が活躍している。中でも日本との関わりもあるコーシャ・フェレンツ監督は、写真家としても知られている。日本で追悼特集が行われて欲しいと思う。(「もうひとりの人」は11月24日2時に振替上映がある。)
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「セロトニン」ーウエルベックを読む⑥

2019年10月16日 23時06分31秒 | 〃 (外国文学)
 フランスの作家、ミシェル・ウエルベックの新作小説「セロトニン」(Sérotonine、2019、関口涼子訳河出書房新社)がさっそく翻訳された。ウエルベックは現在のフランスでもっとも有名(悪名?)で、世界的に読まれている。春先にまとめて読んで感想を書いたが、読んだ人はいないだろう。いつも後味の悪い小説ばかり書く人で、今度の「セロトニン」も多くの皆様にとてもオススメできない傑作だ。

 今までに書いたのは、以下の通り。2019年4月半ばに集中的に読んだわけ。
「地図と領土」ーウエルベックを読む①(2019.4.12)
「闘争領域の拡大」ーウエルベックを読む②(2019.4.13)
「プラットフォーム」ーウエルベックを読む③(2019.4.16)
「ある島の可能性」ーウエルベックを読む④(2019.4.16)
「服従」ーウエルベックを読む⑤(2019.4.18)

 ウエルベックの「出世作」になったのは、1998年の「素粒子」だが、これは以前に読んでいたので書いてない。その後置いてある本の中から「発掘」したので、そのうち読み直そうと思う。その「素粒子」は物理学の棚に、また「地図と領土」は地理の棚に置かれたというエピソードがある。また、セックスツァー(「プラットフォーム」)だの、ムスリム指導者がフランス大統領に当選する(「服従」)だの、物議を醸すようなテーマばかり書いてきた。すべてがとても面白く、思索エッセイ的な側面も強い「純文学」である。次第に本の内容が暗くなり、孤独の影が深くなり、自虐の度合いを深めている。

 今度の題名の「セロトニン」とは、脳内の神経伝達物質の名前で、精神の安定に非常に大きな影響を与えると言われている。セロトニンが不足すると精神のバランスが崩れ、暴力的になったりうつ病を発症する原因ともなる。元々は血管の緊張を調節する物質として発見されたもので、体内のあちこちにある。睡眠や体温調節に深く関係し、精神疾患にも関わっているらしい。そこで近年は「抗うつ薬」に利用されるようになっている。ウエルベックはイスラム教に続いて今度は「こころの病」で、「引きこもり」や「蒸発」も取り上げるなど、さすがに時代の気分をとらえている。

 主人公フロラン=クロード・ラブルストは、仕事と女性関係に行き詰まり、抗うつ薬「キャプトリクス」を服用している。いろいろもっともらしく解説されているが、この薬は検索できないのでフィクションじゃないかと思う。主人公はバカンスをスペインで過ごそうとしている。後から来るのは、その時の同棲相手の日本人女性「ユズ」。このユズは非常にとんでもなく描かれている。もともとウエルベックの小説は一人称なんだけど、今回は特に「ヘテロセクシャルのヨーロッパ男性」で、そこそこエリートでブルジョワという特性が際立つ。偏見丸出しのような言辞が多い。ご本人は何でも最近中国人女性と結婚した由で、特に東洋系女性に偏見があるわけじゃないんだろうけど。

 40代後半の主人公はある日、フランスの農業省の仕事を理由を付けて辞めてしまい、「ユズ」を置いて平常の生活から消えることにする。そして過去の女性や友人を訪ねて回ることにする。抗うつ薬の影響で性欲はほぼなくなっている。いくつかの過去への悔恨だけで、かろうじて生きている。しかし、いまさら現実は変えられない。農業をしている昔の友人(お城を持ってる貴族なんだけど)を訪ねても、農業は行き詰まっている。主人公は農業関係のコンサルタントをしてきて、EU内でフランスの農業が「死滅」してゆくことに疑問を感じてきた。そして友人はノルマンジーで「蜂起」して悲劇を迎える。

 女性関係でも、もう現代ヨーロッパでは幸福な男女の結びつきはあり得ないと思うに至る。そんな絶望的なトーンが全体を覆い尽くしていて、「ヨーロッパ文明の行き詰まり」ムードが強い。主人公はほとんど呪われていて、ただ(けっこういつもそうなんだけど)具合良く両親の遺産があって、当面何とか暮らしていける。問題は「喫煙者」の居場所がどんどんなくなっていることで、主人公はホテルを見つけるのも大変だ。そんな時代に乗り遅れてしまったような主人公を通して、「文明の終焉」を描いている。「地図と領土」「服従」と進んできた「自虐」路線も、行き着くところまで行き着いた感じだ。

 ミステリー的な興趣もあるし、過去の女性との関わりは興味深い。翻訳もうまくて、スラスラ読める。性的描写が露骨すぎたり、偏見丸出しだったりということもあるが、よく出来た小説には違いない。だけど、どうも読むのが苦痛というか、もうこの辺で止めてくれ的な展開が続く。ホントここまで来たら、小説的な面白さを殺してしまう気がする。すごい小説だし、フランスの社会状況を考える役にも立つ。だからウエルベックを読む意味はある。こんな小説を書いている人がいるという知識も大事。彼が今後どういうものを書くのかも注視していきたい。まあ、ウエルベックなら他の本を先に読むべきだな。
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教育実習をどうするか問題

2019年10月15日 23時03分44秒 |  〃 (教育行政)
 「教員のなり手不足問題」を書いたが、結局は「教職の尊厳」を取り戻す以外に根本策はないだろう。そのためには「自主研修」を大切にすることが重要だ。しかし、書いても実現しないし、もう自分には関係ないから止めておく。もう一つ「教育実習のあり方をどうするか」という問題がある。ほとんどの人には関係ないけど、多分社会的には意識されていないから書いておきたいと思う。

 いろんな資格を得るためには、「実習」が義務づけられていることが多い。人と接する資格の場合、実際に現場で実習を行うことは大きな意義がある。特に医者とか教師の場合は、実習がすごく大事だというのは、多くの人が納得するだろう。自分が生徒だった時代に、教育実習生が来たことを覚えている人も多いんじゃないだろうか。この教育実習というのは、学生の方も大変だし、受け入れる学校の方もなかなか大変だ。はっきり言えば「迷惑」なことも多いけど、思えば「自分も多分迷惑を掛けた」わけだから「お互い様」と思って引き受けるしかない。

 この教育実習の何が問題なのか。内容もあるけれど、なんと言っても時期である。別に法的な決まりはないけれど、大体の教育実習は「大学4年生の6月前後」に行われている。昔もそうだったし、今もそのようである。これじゃ「就活」と丸かぶりじゃないか。人によっては事実上の「内定」が決まっているかと思う。今の「就活」を前提にするのもおかしいが、実習が決まってるから仕方なく来たけれど、実はもう「採用試験は受けない」という学生が多いのだ。その反対に、民間企業は考えず教員志望だった人が「教育実習で自信喪失した」なんて場合はもっと困る。それから就活じゃ大変である。

 実習期間は小学校は4週間中学校は3週間高校は2週間が基本になっているようだ。小学校教諭を目指す人は、大体教育学部で専門的な勉強をするから、ここでは除外。問題はその他の学部で学んでいる中高の場合。附属の学校があって、そこで実習が出来る大学もないではない。でも、大体の場合は「実習先は自分で探す」ことになる。探すというより、基本は「母校に頼み込む」わけだ。卒業した生徒が教師を志して、教育実習をしたいと母校にやってくる。うれしい気持ちもないわけじゃない。でも今は異動が激しく、「恩師」はいないことが多い。それどころか、「母校」がないことさえあるだろう。

 教員の仕事は授業だけじゃない。むしろ「生徒指導」や「進路指導」の方が重要だろう。だけど、個人情報の絡む指導を実習生にさせるわけにはいかない。それに「職員会議」にも出席しない(ことが普通だ)。もし教員になったら、ともかく毎日毎日授業を担当しなければいけない。だから、とりあえず実習では「授業」がある程度やれればいいだろう。最初は担当教員の授業を見る。部活動に参加することもないではないが、基本は管理職や主任などによる学校の説明を聞き、授業の準備をする。そして実際に授業をさせて貰って、最後に「研究授業」を行う。そのための指導案作成が大変なのである。

 それ以上に大変なのは、毎日毎日書かないといけない「教育実習日誌」だ。「教育実習」で画像検索すると、実習先で撮った生徒と一緒の写真がいっぱい出てくる。なんだか見てると、自分も数十年前を思い出して懐かしくなってくる。そんな写真は使えないけど、「日誌」が出てきた。どこの大学かは知らない。最初からマスキングされていた。この日誌を書くのも大変だが、見る法の指導教員もえらく大変なのである。そして「教養主義」みたいなものが消え去った現代においては、時々「こんなことも知らないのか」という実習生が増えてきた。そんな声も聞くことが多くなったような気がする。

 どうすればいいのか、僕はよく判らない。専門科目を修得したことを以て、その教科の授業を担当する資格を得る。教職科目を修得したことを以て、教育に携わる資格を得る。そういう考え方で行けば、「大学4年で実習を行う」ということを変えられない。でも実際の学校では、専門的に勉強したことを教えることはほとんどない。特に社会科(地理歴史、公民)や理科では、高校だと科目別に採用試験があるのに、免許は同じで時には何でも教えなくてはいけない。だから、「大学3年で教育実習」でいいんじゃないだろうか。だがもっと抜本的な改革も考えられる。

 「教育実習」で初めて学校の内部に入るのではなく、一種の「インターンシップ」を実習に先だって義務づける。「学校ボランティア」や「部活指導員」を単位認定することでもいい。その後に同じ学校で実習を行う。学生の負担は大きいかもしれないが、採用試験の「一次試験免除」ぐらいしてもいいんじゃないだろうか。ただ地方から大都市の学校に進学した場合、母校でボランティアする時間が取りにくい。まあ母校じゃなくてもいいわけだけど。いろんな問題もあると思うけど、僕が言いたいのは評価に値する学生なら「一次試験免除」にするぐらいの方策を取ってもいいんじゃないかということだ。
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