尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

映像と物語-映画「旅の重さ」の魅力③

2018年06月24日 23時22分55秒 |  〃  (旧作日本映画)
 映画「旅の重さ」は何よりも映し出された風景が美しい。それだけを見ていると「旅の軽さ」と言いたくなるぐらい、見ている者の心も解放される。そういう意味じゃ、この映画を支えているのは撮影であり、それ以前に「ロケハン」(ロケーション・ハンティング、ロケ出来る場所を探すこと)だ。ロケ場所に関しては、「居ながらシネマ」というサイトの「旅の重さ」(2013.7.26)の記事が詳しい。こんなに探してくれて大感謝。映画館のシーンが愛媛県八幡浜市でロケされたというのは、これで知った。ラストで少女が居つく港がどこかもこれで判った。関心のある人は直接探して下さい。

 撮影の坂本典隆は松竹の70年代、80年代の名作を多数手がけた。経歴はよく判らないけど、検索すると斎藤耕一監督の前作「約束」が最初にクレジットされている。斎藤監督のベストワン作品「津軽じょんがら節」や山根成之監督の「さらば夏の光よ」、「突然、嵐のように」、前田陽一監督「神様のくれた赤ん坊」など忘れられない名作を撮影している。1972年のキネ旬ベストテンは、4位が「旅の重さ」、5位が「約束」だった。斎藤監督、坂本カメラマンのコンビが素晴らしい成果を残した年だった。3月に公開された「約束」は涙なくして見られない名作で、斎藤耕一監督が続いて「旅の重さ」を撮ると聞いて、皆映画ファンはきっと傑作になると信じて見に行ったのである。

 斎藤耕一監督(1929~2009)は流麗な映像で知られた監督で、検索して調べるとクロード・ルルーシュに例えられたと出ている。そうだった、そうだった、「和製ルルーシュ」とか言われていた。ルルーシュは1966年に「男と女」がカンヌでパルムドールを取り、フランシス・レイの音楽も素晴らしく世界的に大ヒットした。「パリのめぐり逢い」「白い恋人たち」(グルノーブル冬季五輪の記録)と似たようなタッチの作品を続々と作って、パリのオシャレ映画に思えて日本でも人気が高かった。でも同じような映画が多くて、そのうち飽きてしまった。81年に大作「愛と哀しみのボレロ」が大ヒットしたが、その後はどうしたかと思ったら、2015年に「アンナとアントワーヌ」という映画が作られた。
 (斎藤耕一監督)
 ルルーシュのたくさんの映画もほんの数作しか記憶されないように、斎藤耕一監督の映画も「約束」「旅の重さ」「津軽じょんがら節」の3本になってしまうだろう。1974年に高倉健、勝新太郎、梶芽衣子「夢の競演」で、ロベール・アンリコ「冒険者たち」のような物語をねらった「無宿」(やどなし)を作った。大期待して待っていたんだけど、どうも失敗作としか言いようがなかった。「竹久夢二物語 恋する」(1975)や「凍河」(1976)あたりまでは見た記憶があるが、その後も何本も作ったけど見てないと思う。それより60年代に松竹で作っていた「思い出の指輪」「虹の中のレモン」「小さなスナック」「落葉とくちづけ」などの「歌謡映画」の再評価が必要かなと思う。

 映画監督は助監督から昇格した人が多いが、斎藤耕一は「スチル・カメラマン」(ポスターやマスコミ宣伝用の写真を撮る人)出身である。中平康監督の「月曜日のユカ」などの脚本も手掛けた。自分の映像イメージと違う映画に失望し、1967年に自費で「囁(ささや)きのジョー」を作った。これはスタイリッシュなノワール映画で、ブラジル行きを夢見る殺し屋の物語である。それなりに面白かったように覚えてるが、物語が弱く映像で見せようとする点は斎藤映画の共通点だろう。映像派や社会派は、世の中の変化や技術の発展であっという間に古くなってしまう。80年代になると、斎藤に限らず70年代に活躍した監督の多くが不調になるのは時代的要因が大きい。

 1972年の「約束」「旅の重さ」が心に残るすぐれた出来になったのは、脚本の石森史郎(ふみお)の功績も大きい。石森は日活、松竹、そしてテレビで数多くの娯楽作品を書いてきた。映画では「博多っ子純情」や「青春デンデケデケデケ」などがある。「約束」は88分、「旅の重さ」は90分と、今の映画に比べれば非常に短い。もちろん系列映画館では二本立てで公開されていた時代で、もう一本の映画と合わせると3時間超になるわけだ。デジタル時代と違って貴重なフィルム撮影だから、無駄を省きドラマをくっきりと印象付けるシナリオの役割が大きい。「旅の重さ」のきびきびとした進行はシナリオの功だと思う。

 さて最後に原作。数奇な運命で世に出た覆面作家、素九鬼子(もと・くきこ)のデビュー作である。70年代に何作書かれたが、当時は正体不明とされた。「大地の子守歌」「パーマネント・ブルー」はそれぞれ原田美枝子、秋吉久美子主演で映画化され、70年代の映画ファンには忘れられない名前だ。読んだことはないんだけど、映画を見ると全部四国、瀬戸内海が舞台。実際に作者は愛媛県出身で、東京から見ると風景も珍しい。この原作を石森が脚色し、映像派の斎藤監督が新人女優で映画化する。企画としてうまく行く要素がそろっていた。

 フォトジェニックなシーンが続き、何だか日本映画じゃないような気分で見ていた。でも僕は当時から思うんだけど、「旅の重さ」って何だろう。普通の人にとって、旅は日常より軽い。旅行に行くと、つい食べ過ぎて後悔したりする。気持ちが軽くなって浮かれてくる。旅から戻って日常生活が始まるのがうっとうしい。それが普通だと思うが、映画の主人公はあっけらかんと家出して、何となく年上の男の家に居つく。そこで暮らせば、それが日常だ。やっぱり日常の方が重いんじゃないか。そうも思うけど、もっと大きな目で見れば、人は皆生まれて死ぬまでの旅をしている。時には軽々と場所を変えられるが、どこにいても「旅の重さ」なのかもしれないなと思ったりする。
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高橋洋子と吉田拓郎-映画「旅の重さ」の魅力②

2018年06月23日 23時37分27秒 |  〃  (旧作日本映画)
 映画「旅の重さ」の話、続き。この映画の魅力はオーディションで選ばれた主演女優の高橋洋子の存在である。同じオーディションを秋吉久美子も受けていて、次点だった。本名の小野寺久美子名義で、ちょっと出ている。最後に少女が居つく漁師の村で、読書の大好きな不思議少女をやっている。その役もそうだし、その後初主演した松本俊夫監督「十六歳の戦争」、あるいは実質的なデビュー作「赤ちょうちん」など初期の秋吉久美子は繊細で不安定な役柄が似合った。

 高橋洋子(1953~)は2017年に全国公開された「八重子のハミング」で28年ぶりに主演した。だから若い人には忘れられた名前かもしれない。昨年シネマヴェーラ渋谷の東映実録映画特集で「北陸代理戦争」のトークショーを聞いたが、とても元気で記憶もしっかりしていた。ウィキペディアによると、都立三田高校卒業後、文学座の演劇研究所にいた時にオーディションに合格した。「旅の重さ」の翌年には朝ドラ「北の家族」のヒロインに選ばれた。74年には熊井啓監督「サンダカン八番娼館 望郷」で、「からゆきさん」役の田中絹代(ベルリン映画祭女優賞)の若いころを演じた。テレビにもたくさん出ていたし、僕の大好きな神代辰巳監督「宵待草」のヒロイン役も忘れがたい。 

 70年代には女優として大活躍していたが、1981年には「雨が好き」で中央公論新人賞を受賞して作家としてもデビュー。83年には自身で監督して映画化した。著書もたくさんあり、結婚もして、女優を引退したわけじゃないけど幸せに生きてきたということだろう。実人生が証明したように、高橋洋子には健康的で打たれ強いイメージがある。その強さが「サンダカン八番娼館 望郷」や「北陸代理戦争」でも生かされていた。「旅の重さ」の少女の、家出して男の家に居つくという突飛な行動を無理なく見せる若い肉体の存在感があった。映画を見ているうちに、なんだか誰かに似ているような気がしてきた。誰かと思ったら、カーリングの藤澤五月。えっ、全然違うかな?
 
 この映画の高橋洋子は生き生きとして強い。映画館で痴漢にあっても、逆襲して食事をおごらせる。さすがに真夏の四国を歩き回って最後には倒れるが、それでも独特のエネルギッシュさがある。(今の目で見れば熱中症という感じだ。)そんなすごい美人じゃないけど、映画でずっと見ているうちに親しみが湧いてくる。70年代に活躍した若い女優は秋吉久美子桃井かおりなども同様で、容姿だけで言えばクラスメートにだってもっと美人がいたかもしれない。でもこんな生き生きした親しみやすさは映画内でしか接するものじゃなかった。それにクラスメートのヌードは見れないけど、70年代の女優は映画内で胸も見れた。(高校生には重大。)

 この映画の魅力はいくつもあるが、よしだたくろう吉田拓郎)の音楽も大きいと思う。それまでの映画音楽をよく作っていた人よりも親しみやすい。それが成功かというと、ちょっと軽すぎる感じもある。映像や俳優と「対決」するような音楽じゃなく、映像に伴走して俳優を包み込むような音楽。でもそれが見ている若い観客には親しみやすい。吉田拓郎というのは、映画が作られた72年に「結婚しようよ」「旅の宿」がヒットした新進フォークシンガーである。71年には「広島フォーク村」や中津川の「フォーク・ジャンボリー」の活躍が伝説的に伝わってきていた。映画でテーマ曲になっている「今日までそして明日から」は71年7月に3枚目のシングルレコードとして出た曲だった。

 当時ベストテンの上位になった映画では現代音楽の作曲家が意欲的なスコアを書いていた。72年ベストワンの「忍ぶ川」では、松村禎三の音楽に一番感動した。物語や俳優以上に音楽にビックリしたのである。71年に1位、2位となった大島渚「儀式」、篠田正浩「沈黙」はどちらも武満徹の音楽で、非常に重要な力を発揮している。僕はそのようなアートシネマで現代音楽を知ったのだが、この映画の音楽はだいぶ違った印象がある。今回上映の作品を見ても、ゴダイゴ(青春の殺人者)、ムーンライダース(サチコの幸)、井上堯之(アフリカの光、太陽を盗んだ男)、頭脳警察(鉄砲玉の美学)などが音楽を担当している。映画も音楽も新しい時代になったのである。

 吉田拓郎自身も「フォークシンガー」というカテゴリーで登場してきたが、今思うとちょっと違っていた。72年に六文銭のメンバーだった四角佳子(よすみ・けいこ)と結婚、同時に「僕の髪が肩まで伸びて 君と同じになったら 約束通り町の教会で結婚しようよ」などと抜け抜けと歌った「結婚しようよ」を大ヒットさせた。いわゆる歌謡曲と違う、後に「ニュー・ミュージック」などと呼ばれるようになる曲が商業的に大ヒットした最初の例だった。その後「神田川」(かぐや姫)、「学生街の喫茶店」(ガロ)、「心の旅」(チューリップ)などが僕の高校時代に大ヒットした。

 まるで「旅の重さ」のテーマとして作られたかと思うほど、「今日までそして明日から 」は映画内容にあっていた。「私は今日まで生きてみました 時には誰かの力を借りて 時には誰かにしがみついて 私は今日まで生きてみました そして今私は思っています 明日からもこうして生きてゆくだろうと」 「生きてきました」じゃなくて「生きてみました」と歌う感覚が映画の少女に近い。ラストで驚くような決断をするわけだが、それも「明日からもこうして生きてゆくだろうと」と歌って相対化される。これが若き人生の感覚だった。今思うと、そんなことを言ってることが若さなんだろうが、僕にはなんだか発見のような気がしたのである。(ワールドカップを見ながらのんびり書いてると、監督や原作の話に行かずの長くなってしまった。もう一回。)
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映画「旅の重さ」(1972)の魅力①

2018年06月22日 23時28分58秒 |  〃  (旧作日本映画)
 神保町シアターで「七〇年代の憂鬱 退廃と情熱の映画史」という特集上映が行われている。同時代で見ていたものとしては、あれがない、これもないなどと言いたくなるけど、とにかく興味深い映画17本が選ばれている。長年再見したかった「あらかじめ失われた恋人たちよ」も見たけど、71年の「前衛」的なムードには共感するものの、やっぱり失敗作だったなあと思った。一方、久方ぶりの「旅の重さ」はもう4回目ぐらいだと思うけど、やはりすごく面白かった。上映はとっくに終わっていて、見たのも2週間ぐらい前なんだけど、書き残しておきたい。

 1972年に作られた斎藤耕一監督作品。スタッフやキャストのことは2回目に回して、1回目は物語を中心に書きたい。この映画はまさに同時代に同年代の物語として見た。簡単に言えば、16歳の少女が夏休みに家出して、四国遍路を続けるうちに様々な体験をする話である。少女は名前も出て来ないが、16歳というから高校1年か2年である。この映画が作られた年に、僕は高校2年生で夏に中国地方を一人旅した。最初に見た時からもう主人公に感情移入してしまい、自分のために作られたロード・ムービーのように思った。同じように特別な思い入れを持つ人も多いだろう。

 この映画を久しぶりに見直して特に感じたのは「風景の美しさ」である。海や山の景色が美しいのは当然だけど、どこにでもありそうな田園風景が美しい。日本の田舎がこんなに美しかったのか。それは当時の僕に「発見」だった。まさに「ディスカバー・ジャパン」。この標語は当時の国鉄の観光キャンペーンで、日本経済が高度成長する一方で「公害」が深刻化した70年前後に話題を呼んだ。また1972年は「連合赤軍事件」の年だ。あさま山荘事件や山岳ベースでのリンチ殺人事件が大きな衝撃を与えた。政治の季節が終わり、共同体や柳田国男への関心が強まっていた。僕もそんな文脈で「日本の地方の風景」を見つけたのではなかったか。

 72年になかったものコンビニ自販機スマホ。自販機は当時もあったけど、この映画では使われない。調べたら70年に100万台を超えたと出てたが、多分大都市が中心だったと思う。僕も旅行中に飲み物がなくて困った記憶がある。コンビニは1974年にセブンイレブン1号店が東京にできた。黛まどかの四国遍路記を見れば、今じゃコンビニのないお遍路は考えられない。スマホはもちろんないけど、公衆電話はあるわけだが、主人公は母親に時々手紙を書いている。それが映画で朗読されて効果をあげている。家出をしたけど、手紙でつながっている。それが70年代である。

 72年にあって今はないもの500円札。これは岩倉具視の肖像だった。安宿に泊まると、一泊300円と言われる。お風呂は別で30円。いくら安いと言っても、今とは物価水準がひとケタ違う。ちょっとした支出は500円札で済む。町中の小さな映画館で痴漢に会う。痴漢はともかく、こんな感じの映画館は今は少ない。(愛媛県の八幡浜だということ。)しかし、小さな日用品は変わっていても、今も理解はできるものが多い。旅芸人の一座、魚の行商人、今はほとんど見なくなっただろうが、それでも理解できる。

 理解できないのは少女の決断。大きなエピソードとして、途中で会う旅芸人一座のシーンと病気で倒れて魚の行商人(高橋悦史)に助けられるシーンがある。旅芝居が面白い、自分も入っちゃおうかというのは判る。少女は父親と住んでいない。事情は分からないけど、母親の男関係が嫌になって少女は家を出た。そんな暮らしの中で、三國連太郎演じる座長の存在感にひかれるのも「父親への憧れ」なのだろうか。しかし少女は女性の座員(横山リエ)と親しくなり、同性愛を体験する。揺れるセクシャリティが何だか自然に理解できてくる。

 いろいろあって体力的にも精神的にも限界になった少女は道端で倒れる。そこを助けてくれたのが不愛想な行商人だった。これは気づいてみたら男の家で寝かせられていたので、選択の余地はない。初めはすぐに出発する気で一度は男の家を出るが、まだ回復が十分でなくまた倒れる。再び男の家に戻るが、今度は男が帰ってこない。突然船に乗って漁に出ることもあるというが、どうも違うらしい。なんだか博打で警察に捕まってたらしい。ほとんど話らしい話もせず、どういう人間か謎を秘めているが、この男に少女は惹かれてゆく。そして居ついてしまって「夫婦」のようになってしまう。これが判るようで判らない。昔からよく判らない。

 だけど判らなくていいんだと思う。完全に判ってしまう物語は浅い感じがする。この少女のラストの決断が判らないから、この話は忘れられなくなっていると思う。家出をするのは判る。そこで異性と出会うのも判る。しかしたいして風采も上がらない男の家に何となく居ついてしまう。これは判らないけど、そういう生き方もあるんだということだ。僕のまわりにだって、何となくえっという感じで結ばれてしまったカップルもいくつかあった。そういうもんかとも思うが、少女の「年上に惹かれる」心性が納得できるかということか。その後どうなって行くのか、ずっとうまく行くとも思えないが、それでも人生にはそんな選択も起こり得るということが若い僕には鮮烈なメッセージだった。
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映画「砂の女」(勅使河原宏監督)を見る

2018年04月24日 22時47分22秒 |  〃  (旧作日本映画)
 池袋の新文芸座で「白黒映画の美学」という特集上映をやっている。このレベルの企画だともう全部見てる映画なんだけど、見直したい映画が組まれてたので、22日に「おとし穴」と「砂の女」、23日に「泥の河」と「麻雀放浪記」を再見した。どれも面白く見たけれど、ここでは「砂の女」にしぼって書いておきたい。「砂の女」(1964)はもちろん安部公房原作の大傑作を映画化したもので、内外で非常に高く評価された。キネ旬1位、毎日映画コンクールやブルーリボン賞の作品賞、カンヌ映画祭審査員賞、アカデミー賞外国語映画賞ノミネートといった具合である。
 
 原作を読んだのも、映画を見たのも、もう何十年も前だから、具体的なシーンは忘れているところも多い。でも、基本的なアイディアは忘れようがない。映画を見ている間中、見ている観客にも砂が入ってくるかのような圧迫感に襲われる。圧倒的な映画だなあと思った。今回は撮影監督を重視した特集なので、撮影は瀬川浩という人かと思った。監督の勅使河原宏(てしがはら・ひろし)と組んで「おとし穴」「砂の女」「他人の顔」を撮り、その後は武田敦「沖縄」や深作欣二「軍旗はためく下に」などにクレジットされている。光と影のコントラストが強調され、砂の映像の迫力がすごい。

 昆虫採集を趣味とする教師(岡田英次)が休暇を取って砂丘にやってくる。砂丘に住むハンミョウを探して、新種を見つけたいのである。休んでいるうちに終バスを逃して、村人から砂の下にある家に泊って行くように勧められる。そこは砂にのまれて夫と子どもを失った女(岸田今日子)が一人で住んでいた。縄梯子を下りて家に下りていくが、翌朝には梯子が上げられて帰れない。女は毎夜「砂かき」を続け、村人がそれを引き取る。代わりに「配給」を村からもらって暮らしている。男は何とか脱出しようと試みるが、蟻地獄の底みたいな家だから出ていけない。
(岡田英次と岸田今日子)
 こうして「砂の女」に囚われた男はどうなるか。二人の関係は? という展開は原作と大体同じだから、ここでは書かない。原作を読んでるだけじゃわからない、「砂」の官能的なまでの存在感が映像で捉えられている。女が「砂は湿気を呼ぶ」というと、男は初めのうちは信じない。湿気を避けるためと言って、女は砂かきが終わると裸で寝ている。岸田今日子はいつものフシギ感が全開で、何とも言えない魅力というか魔力というか、砂が絡みついてくる感じがすごい。「アラビアのロレンス」とは違って、やはり湿潤な日本の風土を象徴する砂なのである。

 安部公房(1924~1993)は60年代初期まで日本共産党に所属していたが、初期のころから「社会主義リアリズム」とは全然違う作風だった。シュールレアリスムやSF的な作風から、カフカと比較されたりした。不条理文学と呼ばれ、世界的に評価が高かった。68歳で亡くなったが、生前からノーベル賞有力と言われ、受賞目前だったとされる。でも、マジック・リアリズム的な描写ではなく、「砂」も「女」も「集落」もいかにもありそうな日本の現実を描いている。そこが怖い。読んでるときには非現実感もあるが、映像で見ると納得させられてしまう。(静岡県浜岡町で撮影された。)

 「砂かき」は毎日続く。取っても取っても、また新たに崩れてくる。そんなことをして何の意味があるのか。男は自分には仕事があると最初は言う。そのうち、こんなことをしていないで、東京へ行こうとまで女に言う。僕も若いときに読んだ時は、これは「シーシュポス」だと思った。ギリシャ神話に出てくる、岩を積んでは崩れてくるという罰を受けた話である。つまり「徒労」である。これに対し、違った見方を出しているのが河合隼雄氏の「中年クライシス」である。

 「砂かき」を徒労と呼ぶなら、かつて男が仕事にしていた教師の仕事は徒労じゃないのか。医者や弁護士は人もうらやむ名誉も報酬も高い職業だけど、やっぱり何十年もやっていれば同じような仕事にウンザリしてくるんじゃないか。だから、大体の人がやってる仕事は、お金をもらえる以外にどんな意味があるのか、だんだん判らなくなる。そんな気持ちは40代、50代ぐらいの人の多くが持っているんじゃないか。それが「砂の女」の隠された意味だというのである。そして、誰にも何の意味があるか判らない、世の中で一番どうでもいいような「砂かき」こそ、世界の最前線で戦う「前衛」なんだという。これは教育や福祉に携わる人なら、なるほどそうかと思えるんじゃないか。

 こうして、「囚われの男」の物語から「世界の最前線」の物語に読み替える時、「砂の女」の新しい意味が立ち上がってくると思う。ほとんど岡田、岸田の二人の映画だが、村人の代表みたいな三井弘次もすごい。ずるい感じの役柄には絶品で、小津や黒澤の多くの映画に出た名優である。また武満徹の音楽が素晴らしい。武満は多くの映画音楽を担当しているが、特にこの頃「怪談」など代表作を作っている。武満徹の「砂の女」への貢献は大きい。

 監督の勅使河原宏(1927~2001)は、華道の草月流を一代で築いた勅使河原蒼風の長男。50年代には記録映画を作っていたが、1961年に安部公房原作のテレビドラマ「おとし穴」を初の長編として製作した。筑豊の炭鉱を舞台に労働組合の分裂を背景にしているが、社会派というより、前衛的不条理劇の印象が強い。その後、「砂の女」「他人の顔」「燃えつきた地図」と安部公房三部作を監督したが、圧倒的に「砂の女」の完成度が高い。(アカデミー賞の監督賞にもノミネートされた。日本人では「乱」の黒澤明と二人しかいない。)

 父の死後、草月流後継となった妹、勅使河原霞が一年で急死したため、1980年に草月流三代目家元を継いだ。その後も「利休」など映画も作ったけれど、華道や映画だけでなく、舞台美術や陶芸など総合的な芸術活動を展開した。戦後日本では破格のスケールの芸術家だったけれど、「前衛」的な芸術運動のプロデューサーという意味でも非常に重要な役割をになっていた。映画監督して、あるいは他の活動についても、全体像の再評価が必要じゃないかと思う。
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映画「煙突の見える場所」とお化け煙突

2018年04月10日 22時44分12秒 |  〃  (旧作日本映画)
 国立近代美術館フィルムセンターが、日本で6番目の美術館、国立映画アーカイブとして独立した。大ホールは「長瀬記念ホールOZU」と命名され、今日から特集「映画を残す、映画を活かす。」が始まった。最初の上映が五所平之助監督の「煙突の見える場所」である。「三浦光雄の映像表現が、今回新たに作製した可燃性オリジナルネガからのダイレクトプリントであざやかに甦った」というので、また見たくなった。2012年に再見してブログにも書いたけど、北千住にあるお化け煙突のモニュメントも見に行ったので、合わせて書いておきたい。

 今回見直して、暗い感じだった画面が確かに鮮やかになって、人物像もくっきりとした。「煙突の見える場所」(1953、スタジオ・エイト・プロ=新東宝)は、やはり五所監督の戦後の代表作だと思う。的確な人間描写が今でも秀逸な、戦後風俗を後世に伝える佳作で、53年のベストテンで4位になっている。(2位が「東京物語」、3位が「雨月物語」の年である。)五所監督は日本初のトーキー「マダムと女房」や無声映画の「恋の花咲く 伊豆の踊子」などを作った。戦後も「今ひとたびの」「大阪の宿」などの傑作がある。「大阪の宿」は最近フィルムセンターで見直して感心した。

 「お化け煙突」というのは、北千住にあった「千住火力発電所」のことである。1926年から1964年まで存在した。様々な映画や小説に出てくる有名な「下町のシンボル」だった。お化けというのは、見る場所により煙突の本数が違って見えるからだ。実際は4本あるのだが、細長い菱形に配置されているため、ところによっては3本2本、さらに全部重なって1本に見える場所さえある。僕は煙突の本数が違って見えるからお化け煙突と言うんだよと親に教えられた。小さい頃に電車から見た記憶がある。9歳の時に撤去されているんだけど、ちゃんと覚えている。

 煙突は1963年に稼働を停止し、翌1964年に撤去された。その時に煙突の一部が3mほど切り取られ、さらに二つにカットして、地元の元宿小学校の滑り台に利用されていた。小学校の閉校後、跡地の帝京科学大学にモニュメントが残されている。北千住駅から西へ歩いて、日光街道を超えて墨堤通りを北へ向かい、帝京科学大学本館キャンパスのところで、隅田川の堤防に上るとすぐ。大きな輪になっていて、その中からスカイツリーが見える。煙突の位置を示すポールもある。
   
 映画の中で登場人物が不思議だ不思議だと言ってるが、東京東部でこれを知らない人がいたとは思えない。東京以外の観客向けなんだろうけど、東京東部生まれとしてはリアリティがないセリフである。しかし、映画ではこの煙突を「見る角度によって、真実は様々な形を取る」ということの象徴として使っている。それが戦中戦後を生き抜く庶民の様々な姿と重なっている。

 東京大空襲で夫とはぐれた田中絹代上原謙と再婚した。仲は良いがすきま風も吹いている。2階は高峰秀子(上野商店街のウグイス嬢で、商店の案内放送を読んでいる)と芥川比呂志(税務署職員)に貸している。その家に突然赤ちゃんが捨てられる。田中絹代の前夫が実はどうやら生きていて、生まれた子供が育てられず勝手に置いて行ったらしい。この子がまたよく泣いてうるさい。夫婦はおろおろ、仲は悪化する。そもそもは誰が悪いか。それは置いて行った前夫が悪い。これを許してはいけない。正義の問題だと意気込むのが芥川比呂志で、自分で休暇を取って前夫を探すという。で、探索を経て見えてきたそれぞれの人生模様はどのようなものか。それこそ「お化け煙突」ではなかろうかという感慨を与えて映画は終わる。
 (田中絹代と上原謙)
 この映画の多少観念的で議論好きなところは、原作の椎名麟三によっていると思う。椎名麟三は今ほとんど読まれていないだろうが、最も早く登場した「戦後派」作家の一人である。戦前は共産党員だった時期もあるが、1950年にキリスト教に入信、以後はキリスト教に基づく作品が多い。共産主義、実存、キリスト教、救いといった主題が最近は文学からも少なくなったけど、椎名麟三の文学は「戦後の香り」をもっとも濃厚ににおわせている作風で、僕は大好きである。
 (高峰秀子と芥川比呂志)
 主要登場人物の田中絹代(1909~1977)、高峰秀子(1924~2010)は日本映画史でも最高の女優たちだから、今もよく上映される。上原謙(1909~1991)は、戦前の松竹で大スターだった。どうも頼りない男がはまり役。加山雄三の父親である。芥川比呂志(1920~1981)は芥川龍之介の長男で、文学座の名優。「ハムレット」で有名になった端正な俳優だった。文学座を脱退して「雲」「円」を作ったが、1981年に61歳で亡くなった。演出や著作も多く、映画やテレビにも出ていたので、親の知名度もあり、弟の作曲家芥川也寸志とともに広く知られた存在だった。早く亡くなったので、若い人は顔が思い浮かばないかもしれない。この映画は音楽を芥川也寸志がやっている。
 4月15日(日)午後4時にも上映あり。(2012年4月3日の記事を改稿)
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「階段映画」の魅力-「貴族の階段」「何がジェーンに起こったか」

2018年02月18日 21時02分56秒 |  〃  (旧作日本映画)
 ここには書いてないけど、実はピョンチャン五輪を見たり、昔の映画を見たりして日々が過ぎている。五輪をめぐる話はいずれまとめて書きたいが、昔の映画の話は書きだすと毎日長くなってしまうからあまり書いてない。フィルムセンターでは、小津の「浮草」のカラー修復版を見たし、五所平之助の「大阪の宿」「朝の波紋」を見た。また、大映女優祭をあちこちでやってたが、今度は大映男優祭も始まる。大体見ているから全部通うわけじゃないが、何本かは見たい。

 ところで新文芸座で「貴族の階段」と「何がジェーンに起こったか」という映画を見たんだけど、「階段映画」というものがあるなあと思った。「怪談映画」はいっぱいあるけど、そっちじゃなくて「階段映画」。映画史的に思い出してみても、階段を利用した名シーンは数多い。まずは「戦艦ポチョムキン」のオデッサ階段。あるいは「ローマの休日」のスペイン広場の階段。
 
 どっちも外の階段だけど、中にある階段が印象的な映画と言えば、まずはヒッチコックの「めまい」か。日本映画なら「蒲田行進曲」の「階段落ち」シーンか。今はCGで宇宙空間の大スペクタクルを見せられるけど、昔の技術だと階段が「上下」の動きを一番見せやすいということか。特に日本だとちょっと前まで「平屋建て」がほとんどで二階も珍しかった。(この前見た脚本家の水木洋子の家も平屋。)だから「階段」の持つ意味も今よりも大きかったに違いない。
 
 さて題名に階段が付いている「貴族の階段」。1959年の吉村公三郎監督作品。武田泰淳の原作を新藤兼人脚本で映画化したものである。原作は持ってるけど読んでない。でも新藤のシナリオはかなりよくまとまっているように思う。間野重雄の美術が見どころがある。ここで「階段」というのは、一種の比喩であるとともに、華族の頂点にある貴族院議長西の丸家の階段をもさしている。ここには滝沢修演じる陸軍大臣が訪れ、密談の後に帰るときに階段を転がり落ちる。
 (「貴族の階段」)
 西の丸公爵(森雅之)は貴族院議長で、後に首相となるから近衛文麿に近いが、近衛は2・26事件で襲撃されてはいない。襲われた牧野伸顕や多くの人のイメージが交じって作られたんだろう。陸軍の皇道派軍人は歴史に闇に消え、貴族が生き残って「階段」を上る。そういう意味の題名だろう。日本では上流階級を描く映画、小説があまりない。歴史研究も遅れていた。

 そういう中で50年代に作られた「貴族の階段」は重要だと思う。吉村監督は1956年の「夜の河」が最高だが、以後も文芸作品の映画化などで安定した力を発揮している。陸軍軍人の娘役の叶順子、あるいは西の丸公爵の娘役の金田一敦子がとても良かった。大映女優陣のトップ級が出てない分、今は忘れられたような女優の力演がかえって効果を挙げていると思う。公爵長男の若き本郷功次郎も初々しい。老練なベテランもいいが、若手も見ごたえがある。

 「何がジェーンに起こったか」は1962年のアメリカ映画。ロバート・アルドリッチ監督。新文芸座はワーナー映画の旧作特集を続けているが、テレビでしか見たことがなかった映画を大スクリーンで見られるとは。1940年代に毎年のようにアカデミー賞にノミネートされていた大女優ベティ・デイヴィスが心が壊れてしまった老いた子役スターを演じてビックリさせたホラー的なサスペンス映画である。ジェーンはかつて大人気の子役だったが、やがて姉が映画女優としてスターになり忘れられた。その姉は謎の自動車事故で車いすの生活となり、今は妹が世話をしている。

 姉は2階の部屋で暮らすが、妹の様子が完全におかしいので、何とか医者に電話したいと思う。妹が外出したすきに、なんとか電話のある1階に下りようとする。車いすで階段に近づき、何とか下りていくが…。2階に住む姉と1階にいる妹は階段でつながっている、あるいは階段で分離されている。障がい者の姉にとっては、階段を下りるということだけで大アクション映画並みのスリルが生まれる。果たして電話まで行けるか。そして医者は来てくれるのか。

 ベティ・デイヴィスは、キャサリン・ヘップバーンに抜かれるまで最多のアカデミー賞ノミネート記録を持つ女優だった。(11回。「青春の抗議」「黒蘭の女」で2回受賞。今はさらにメリル・ストリープが20回という大記録を持っている。)リアルタイムで見たのは「八月の鯨」だけなわけだが、あの時も驚いた。1950年の「イヴの総て」もかなり強烈な役だが、このジェーンという役ほどすごい役でアカデミー賞にノミネートされた人もいないのではないか。ところで、階段を下った姉はジョーン・クロフォードだから、ベティ・デイヴィスの話は「階段映画」には関係なかった。

 多くの家で主人の部屋は1階にある。2階は子どもや客室などのことが多いのではないか。多くの映画で子ども部屋は2階にあったように思う。昔は2階だけ人に貸したりすることもあった。「煙突の見える場所」でもそうだし、山田洋次監督の「二階の他人」でもそう。男はつらいよシリーズでは、寅さんが帰ってくるたびに階段を上って2階の部屋で寝る。「小さいおうち」では2階に特徴があり、子ども部屋も2階。映画の中で階段がどのように描かれてきたか。もっといろんな映画があると思うけど、「階段映画」というジャンルをめぐって。
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フィルムセンターの「発掘」映画特集

2018年01月22日 22時58分14秒 |  〃  (旧作日本映画)
 東京は久方ぶりの大雪となっている。明日から旅行を予定しているので、交通が乱れるのが心配。トランプ政権一年やオウム裁判終了、あるいは安倍政権で進む軍事大国化や沖縄で追い次ぐ米軍ヘリ事故などなど、考えておくべき大問題は多いが、2018年1月30日から3月4日に行われるフィルムセンターの「発掘された映画たち2018」について書いておきたい。日本で唯一の国立映画保存施設であるフィルムセンターは、戦前の記録映画の「発掘」や戦後の映画の修復なども行っている。今回の特集はむしろ映画ファンというよりも、現代史に関心が深い人が見るべき映画が多い。

昭和天皇と秩父宮
・日本では記録映画は「天皇」を可視化する装置でもあった。昭和天皇が皇太子の時にヨーロッパを訪問した時の記録映画は、非常に大きな政治史的、社会的な意味があった。「皇太子渡欧映画 総集編」と「東宮殿下御外遊 實況大正十年」が上映される。(2月3日4時、2月27日7時)
・大正天皇の次男である秩父宮は、兄との関係をめぐってもいろいろと取りざたされた。しかし、戦時中から結核で闘病生活を送り戦後まもなく亡くなった。秩父宮を映像で見た人は少ないだろう。秩父宮妃勢津子は松平恒雄(宮内大臣、松平容保の六男)の長女だが、兄一郎の長男松平恒忠の私的な映画コレクションが今回寄贈され上映される。「秩父宮殿下の御英姿」(1931)など全6本の映画である。非常に貴重な機会ではないかと思う。(2月8日7時、2月25日4時)

戦前日本の貴重な映像
日露戦争と関東大震災の映像が残されている。日露戦争は「国寶的記録映画 旅順開城と乃木将軍」など、関東大震災は全6編になる記録映画の断片である。(2月4日1時、2月28日7時)
野田醤油(キッコーマン)、鈴木商店浜口雄幸の葬儀記録もある。浜口雄幸は1930年に東京駅で狙撃され、1931年に亡くなった総理大臣。鈴木商店は金融恐慌で破綻したことで有名だが、今回はホームムービーが発掘された。(2月11日1時、2月27日7時)
能代・佃島・築地市場の記録映画。秋田の能代で撮影された「能代港町全貌」(1934)や戦後の1964年頃に撮影された「佃島」「魚市場の一日」を上映。(2月11日4時、2月28日3時)
・個人映画もある。「阿部正直コレクション」は幕末の老中阿部正弘を出した備後福山藩阿部家の最後の伯爵、阿部正直(1891~1911)の映画。「雲の伯爵」と呼ばれて、気象研究所長を務めた人で、富士登山記や雲の映像、家族映画を残した。(2月9日3時、2月25日1時)
・日本最古のアニメとされる「なまくら刀」など貴重なアニメ特集。(2月4日4時、2月21日3時)

戦後の発掘された映画の数々
・僕が一番見たいのは、山際永三監督の「狂熱の果て」(1961)である。ウルトラマンシリーズなどのテレビで知られる山際監督の唯一の劇映画。新東宝倒産後にほんのちょっと存在した大宝配給の映画で、その後見られなくなっていた。今回山際監督の調査でプリント作成が可能になったとある。山際さんと言えば、僕にはむしろ冤罪救援運動家としてのイメージがある。「六本木族」の虚無と退廃を描くというこの映画は是非見たい。(2月2日7時、2月20日3時)

・「叛軍シリーズ」も今まで「叛軍№4」しか見られなかったと思う。もともと岩佐寿彌監督が「反戦自衛官」小西誠を支援するために撮った映画である。だけど、「№4」になると記録映画に止まらない映画そのものの脱構築に至った。今回№1~3が監督旧宅から発掘。(2月14日3時、3月3日3時)
・「スワノセ・第四世界」(1976)は、70年代にリゾート開発に反対した人々が鹿児島県のトカラ列島の諏訪之瀬島に集結した時代のドキュメンタリー。当時ずいぶんあちこちで上映されたが僕は見逃した。ゲイリー・スナイダーやアレン・ギンズバーグが出ている。70年代カウンターカルチャーを代表する映画の一本だろう。(2月7日3時、2月20日7時)

・「バイバイ・ラブ」(1974)は藤沢勇夫監督の自主製作映画で、僕は当時見て面白かった記憶がある。どんな青春映画だったのか、また見てみたい気がする。(2月8日3時、2月21日7時)
・女優望月優子の監督作品「海を渡る友情」と「ここに生きる」。望月優子が監督もしていたとは知らなかった。後に社会党参議院議員になっただけあって、全日本自由労働組合、つまり失対労働者(日雇い労働者)の組合の製作した映画。女性、炭鉱離職者、被差別部落出身者など多くの人々の生活を描くというから、是非見たい。(2月6日7時、3月4日1時)
池部良が監督に加わった池部良プロダクション第1回作品という「ヴェトナム戦争」(1967)という記録映画。米軍の協力を得たとあるから、山本薩夫監督「ベトナム」などとは反対の立場からなのだろうか。こんな映画があったということも知らなかった。(2月7日7時、3月4日4時)

カラー映画の復元
 カラー映画は年月とともに褪色してしまうので、その修復作業も重要な仕事である。
・今回は「再タイミング版」として「セーラー服と機関銃」(1982)が修復された。春には同じ再タイミング版として「時をかける少女」が上映された。今回も角川映画の大ヒット映画を取り上げている。薬師丸ひろ子の活躍も記憶に新しいが、その完璧版。(2月10日12時、2月22日、6時半)
小津安二郎の「浮草」(1959)を修復したが、なぜか二つのヴァージョンがある。小津はコダックや富士ではなく、ドイツのアグファカラーを愛好し、それが独特な赤の発色をもたらした。「浮草」は大映で撮ったので、京マチ子や若尾文子が出ている。戦前の「浮草物語」のセルフリメイク。昔見てるけど、是非再見したい。「デジタル復元・DCP版」が2月17日12時半、3月2日7時。「デジタル復元・35㎜版」が2月18日1時、3月1日7時。

新東宝映画の復元
 可燃性オリジナルネガからダイレクトプリントしてニュープリントを作成した。今回は新東宝映画が何本か。五所平之助の「わかれ雲」「朝の波紋」「大阪の宿」「鶏はふたたび鳴く」、内田吐夢の「たそがれ酒場」、伊藤大輔の「明治一代女」「下郎の首」を上映。「大阪の宿」はしばらく上映されていないように思うけど、名作。内田監督の「たそがれ酒場」は非常に不思議な映画だと思うが魅力的で、再評価の必要がある。ここは上映時間は書かない。
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もう一度見たい映画・日本編

2018年01月02日 22時42分11秒 |  〃  (旧作日本映画)
 新年早々から暗い話題も何だから、日本や世界の情勢はおいといて少し思い出話を書いてみたいなと思う。映画の記事はよく書いてるけど、当然ながら最近見た映画について書くことが多い。あるいはそれに連動して、監督について書いたリ。だから、数年前に生誕110年だった小津安二郎のことは書いたけど、溝口健二黒澤明の作品についてちゃんと書いたことはないだろう。

 でも溝口や黒澤の作品も、いつもどこかで上映されている。待ってれば大体どこかでやってくれる。というか、大体有名な作品はほとんどDVDになってる。今じゃ家でDVDを見てるのも、映画鑑賞にしてしまうかもしれない。でも僕は昔の映画に関しては劇場で見たいと思う。ビデオやDVDで細かく調べて、何か隠されたメッセージを見つける人もいるけど、そういうことにはほとんど関心がない。昔は映画館で見たら二度と見られなかった。もちろん2回、3回と同じ映画に通えば別だし、ヒット作は名画座で何度もやっていた。それでも映画館で見る以外には見る手段がなかった。

 ところが昔の日本映画は今はかなり劇場で見ることができる。「もう一度見たい映画」は何本もあるけど、そのかなりのものはこの数年で実際に見てしまった。大手の映画会社で作られた作品は、基本的にはフィルムが残っているから映画館がその気になれば上映できる。(でも上映不能なほど素材不良なフィルムも多いし、会社で廃棄してしまった映画も多い。)かつて銀幕で活躍したスターが相次いで亡くなった時など、いくつかある名画座で特集上映が行われた。高倉健とか原節子などが出ている映画などは、少し待ってれば(東京近辺では)見ることができるんじゃないかと思う。

 実際に過去のベストテンを見てみると、ちょうど50年前の1968年では1位の「神々の深き欲望」、続けて「肉弾」「絞死刑」「黒部の太陽」「首」「初恋地獄篇」「日本の青春」「燃えつきた地図」「人生劇場・飛車角と吉良常」「吹けば飛ぶよな男だが」だけど、まあ5年ぐらいすれば大体見られそうな気がする。メンドーだから、今は細かく説明しないけど、監督特集や俳優特集でやってくれる映画が多い。「黒部の太陽」だけは、前はソフト化も名画座上映も不可だったけど、最近はできるようになった。(もっとも10位以下の「強虫女と弱虫男」「青春」「ドレイ工場」「祇園祭」などはほとんど見られない。)

 1958年の「楢山節考」「隠し砦の三悪人」「彼岸花」「炎上」なんかも同様で、50年代の映画はむしろ10位以下も上映の機会が多い。一方で、80年代、90年代の映画の方があまり上映されない。ベストテンで見ると、文芸・社会派作品が多くなるけど、娯楽作品を見ても同様で、東映時代劇任侠映画日活アクション大映の時代劇(座頭市や眠狂四郎など)なんかも上映機会が多い。僕の大好きな日活の「拳銃(コルト)は俺のパスポート」や東映の「0課の女 赤い手錠(ワッパ)」なんかも、新年早々の新文芸座のアクション映画特集の上映作品に入っている。

 ということで前置きが長くなったけど、しばらく劇場上映の記憶がなくて、僕が好きな映画を探してみたい。まず最初に「青幻記」。1973年のベストテンで3位になってる映画で、当時から僕は非常に好きだった。一色次郎原作、成島東一郎監督で、今じゃどっちも知られていないだろう。成島は昔の日本映画ファンなら誰でも知ってた撮影監督で、「秋津温泉」「古都」「心中天網島」「儀式」など忘れがたい映像を残した。この「青幻記」が初めての監督作品。(もう一本「オイディプスの刃」がある。)沖永良部島を舞台に、母と子の悲しい情愛を美しく描き出して忘れがたい。田村高廣、賀来敦子主演。どこかで阪妻と田村兄弟特集でもやってくれればいいんだけど。
 (青幻記)
 次には「あらかじめ失われた恋人たちよ」で、これはDVDが入手しやすいようだが、しばらく見てないので。1971年のATG映画だが、同年のATG映画にはベストワンの「儀式」の他、「書を捨てよ町へ出よう」「曼陀羅」「告白的女優論」「日本の悪霊」「修羅」など問題作、話題作のオンパレードで、この映画も忘れられてしまう。時々どこかでATG映画特集をやると入っていることもある。この映画は田原総一郎清水邦夫の共同脚本、監督という、今からみると驚く顔ぶれ。主演も石橋蓮司加納典明桃井かおりという驚くべきキャスト。桃井かおりは新人だったし、加納はもちろん写真家である。話は聾唖のカップルと一人のチンピラが北陸の海岸を彷徨いゆくさまをモノクロで描く。つのだひろの「メリー・ジェーン」がテーマ曲になっていて、それも印象深い。忘れられない映画。
 (あらかじめ失われた恋人たちよ)
 次は僕の好きな名作で、村野鐵太郎監督の「月山」。岩波ホールで上映されたと思うが、その後あまり上映機会がない。そもそも森敦の原作(芥川賞)が好きで、月山(がっさん)という山も好き。孤独な精神性が忘れられず、僕はとても好きだった。村野監督は大映で「犬」シリーズや「男一匹ガキ大将」など多くの娯楽映画を作った後で、ATGで「鬼の詩」、岩波ホールで公開された「遠野物語」「国東物語」などを作った。だんだんつまらなくなった感じもあるけど、僕はこの「月山」だけは名作中の名作だと思う。どこかで芥川賞映画特集でもないかな。村野監督も再評価するべき。

 他にどんな映画があるだろうか。昔からもう一度見たいとずっと思っていた芦川いづみ主演の「あいつと私」とか「あじさいの歌」なんか、最近になって何度も見てしまった。藤田敏八の「赤い鳥逃げた?」や神代辰巳の「宵待草」なんかも複数回見た。(どうも同時代に見た時ほどの感激はない感じだったが。)鈴木清順や加藤泰などの作品も何度も見る機会があるから最近はパス。

 そんな中で公開以来大スクリーンで見てないのは、ジブリ映画じゃないか。ソフト化され、テレビでもよくやるけど、なんで映画館でリバイバルしないのか。ジブリ映画専門館があってもおかしくないと思うんだけど。英語だけじゃない各国語字幕版を付ければ外国人観客もいっぱい来るだろう。僕が特に大スクリーンで見直したいなと思うのは、何といっても「もののけ姫」。「紅の豚」や「魔女の宅急便」、それに「千と千尋の神隠し」も見直してみたいけど、なんといってもまずは「もののけ姫」かな。

 それと原田真人監督の初期作品。今みたいに大作を任される前の、1997年の「バウンス ko GALS」とか、1995年の「KAMIKAZE TAXI」。後者は原田監督の最高傑作じゃないかと思う。でも、なんとも変な「バウンス ko GALS」って映画、公開が小規模だったから見てない人が多いと思うし、その後もほとんど上映されない。役所広司がカラオケで「インターナショナル」をギャルに向かって歌う傑作シーンが忘れがたい。もう一本、磯村一路監督「がんばっていきまっしょい」。松山東高校の女子ボート部を描く青春映画。田中麗奈が圧倒的に素晴らしい。1998年のベストテン3位になってるけど、全然上映されない。DVDも中古で高くなっている。これこそ多くの人に見てもらいたい映画。
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映画「闘争の広場」と勤評闘争

2017年10月28日 00時47分06秒 |  〃  (旧作日本映画)
 シネマヴェーラ渋谷で「新東宝のもっとディープな世界」という特集をやっている。「玉石混交!?秘宝発掘!」と自ら銘打った特集で、この機会を逃せば二度と見れそうもない映画ばかり。「もっと」というのは、今年3月にも特集があったからで、その時は「地獄」「地平線がぎらぎらっ」「明治天皇と日露大戦争」など、映画ファンには知られた映画があったけど、今回は存在も知らなかった映画ばかり。

 そんな中でも、三輪彰監督「闘争の広場」(1959)という映画はぜひ見たかった。当時まさに渦中にあった「勤評闘争」を扱った映画なのである。勤評のことは後にして、まず映画の情報。三輪彰監督はウィキペディアに載っていた。1923年生まれで、まだ存命とある。「煙突の見える場所」(五所平之助)や「たそがれ酒場」(内田吐夢)の助監督を務め、1958年に監督に昇進した。「胎動期 私たちは天使じゃない」(1961)を最後に新東宝を辞めて、ピンク映画やテレビ映画に転じたと出ている。

 主演俳優の沼田曜一(1924~2006)は、「聞けわだつみの声」や「雲流るる果てに」「人間魚雷回天」なんかで弱そうな兵隊役をやってた人。熊井啓「深い河」にもクレジットされているが、インパール作戦に参加して生き残った老兵役だった。晩年にやってた民話の語り部活動で知られていた。恋人の教師役で三ツ矢歌子、同僚教員で池内淳子などが出ている。どちらも新東宝のスター女優だった。池内淳子は後にテレビで活躍したが、僕には「花影」「けものみち」などの圧倒的な存在感が忘れがたい。

 当時の新東宝と言えば大蔵貢時代。もともと東宝争議の時にできた会社だけど、経営不振が続いて興行主の大蔵貢が1955年に社長に迎えられた。「明治天皇と日露大戦争」を大ヒットさせ、その後はエログロ路線で売った。歌手の近江俊郎の実兄で、近江の監督作品も多く作ったが、それ以上に「女優を妾にしたんじゃない、妾を女優にしたんだ」の歴史的「大暴言」で記憶されている。だから冒頭にまず大きく「製作 大蔵貢」と出ただけで心配になっちゃうわけである。

 だけど、案外この映画はマトモな作りになっていた。(脚本は三輪彰と宮川一郎。)ある海辺の町の小学校。教室が雨漏りする劣悪な環境で、沼田演じる教師・浜中がバケツを取りに行くと、同僚の組合委員長が警察に連行されるところである。長らくもめてきた勤評問題も、ついに刑事弾圧の段階になった。そんな学校で、同僚や子どもたちの様子が描かれるとともに、現場教師と教育行政の間に立つ校長の苦悩教育委員会の割れている状況、文部省からの圧力などもしっかりと描かれている。名作、傑作というほどでもないだろうが、問題は的確に描いている。

 その後の「10割休暇闘争」「保守系保護者との対立」「教師に対する暴力」などの展開を見ると、明らかに高知県の勤評闘争をモデルにしている。高知では教組と親が協力した高校全入運動や教科書無償化運動が取り組まれていた。そんな中で起きた勤評問題は大いにもめ、県教組を中心に「勤評粉砕高知県委員会」も作られた。一日行動のスト突入率99%だった。一方、反対派の保護者は「同盟休校」を行い、山間部などでは教師をつるし上げる事件が起きていた。1958年12月にが、激励オルグに訪れた小林武日教組委員長が襲撃されて重傷を負う事件まで起こった。

 この映画では実在の地名は出てこない。当時は九州や四国が舞台でも伊豆や房総で撮影していた映画が多い。多分関東近県の海岸だろうが、海の近くを蒸気機関車が通り、トンネルがある(場所は不明。)学校や教師の家の環境が悪く、これが50年代のリアルかという感じがする。高度成長以前の、戦争に負けた貧しい日本なのである。教組の組織率はほぼ100%だったろう。「非組」など考えられない時代だし、日教組も分裂していない時代、管理職も組合に参加していた時代。

 この映画を見ていて、苦しい思いをしているのは誰か。まず、主人公の浜中。組合が闘争至上主義で、子どもに寄り添うべきだと批判的である。職場会でも、10割休暇への疑問を述べる。(闘争には参加しないわけではない。)闘争の中での「良心派」という位置づけか。家族の中でも妹が教育委員長の息子と恋仲で苦慮している。そういう主人公が保守派の「父兄同志会」の殴り込みを止めようとして大けがをする。その事件をきっかけに、教委と教組の間に妥協を探る動きが出てくるという筋書き。

 もう一つは校長や教育委員長。戦後に作られた教育委員会もともとは地域住民による選挙制だったが、1956年に施行された「地教行法」(地方教育行政の組織及び運営に関する法律)で任命制に変更された。当時「逆コース」と言われた戦後民主主義体制骨抜きの代表的政策だった。この法律で、教育行政の役割が定められ、そこから「勤務評定」実施という方針が出てくる。(公務員一般の勤評はすでに実施されていたが、教員に関しては職務の特殊性から実施されてなかった。)

 教育委員長は資産家で良識的な人物に描かれているが、委員の中には公然と保守系政治家と結びついて動いている人が出てくる。文部官僚がやって来ると、芸者を揚げて料亭で接待する。そういう場で勤評実施へ圧力をかけるのだ。(官官接待だろう。)組合委員長の検束も、その教育委員が独断で警察に依頼していた。(そんなことができる町なのだ。)最後まで勤評を書かない校長は、料亭に缶詰めにされて無理やり書かされる。校長はこんな制度が出来たら、学校は教育の場ではなく工場になってしまうと訴えるが、政治の問題だからと押し切られ、ついには自殺未遂を図るが…。

 「女性教師」も苦しんでいる。池内淳子演じる教師は嫁ぎ先が組合に無理解で、分会を代表して委員長に差し入れに行ったことが知られて困ってしまう。教員を続けたい池内は、夫と離婚したうえ異動願を出して学校を去っていく。(昔の映画には時々年度内で異動があるのだが、そういう制度だったのだろうか。)人望厚い女性教員が苦労を重ねる映画は多いけど、「二十四の瞳」の高峰秀子、「人間の壁」の香川京子、「はだかっ子」の有馬稲子、ちょっと中身は違うけど「日本列島」の芦川いづみ、「こころの山脈」の山岡久乃など「働く女性教師の苦悩」に連なっている映画でもある。

 映画内で勤務評定の中身がでているが、明らかに組合教師の排除を狙ったものである。憲法9条改正を掲げる鳩山一郎内閣の下で、「教え子を再び戦場に送るな」の日教組を最大の敵とした時代。まさに勤評問題は政治的な問題だったのだ。この映画も、保守派の暗躍に批判的な作りになっていると思う。同時に今から見ると、法的な争議権がはく奪されている中で、登校する児童対策も取らずに全組合員でピケをするなど、やはり無防備にすぎるのではないかと僕は思う。
 
 それはそれとして、当時の高知県では、組合に加入している校長たちが「私たち校長は、教師の良心にかけて勤評に絶対反対することを再度表明すると同時に、校長は管理職でなく、教師はもちろん、県民の皆様と共に民主的な教育を守り続けていくことを確信をもって再び声明いたします」と宣言していた時代だった。最後まで勤評を提出しなかった校長は、懲戒免職4名、分限免職10名、さらに教頭への降格など厳しい処分が待っていた。そういう犠牲が戦後教育史に起こったことを多くの人はもう覚えてもいないかもしれない。しかし、この映画のラストのように、多くの都道府県で「神奈川方式」など、法的に勤評はなくせないが、「実働化阻止」を事実上勝ち取ったところが多い。

 文部省が本来考えていた、昇給や異動に連動する査定、本人に非開示というものではなく、本人開示、賃金との連動無しとなったところが多い。僕が教員になった時も、おおむねそういう感じだっただろう。時々当たる特昇とともに、毎年基本的に全員が同様に昇給するという前提のもと、管理職を含めた「職場性」が成り立っていた。21世紀になって、特に東京都では完全に賃金と連動した勤評が実施されていった。それが教育現場の荒廃につながっている。労働時間は「ブラック企業」と呼ばれ、いじめ報告に追われるような職場になっていくわけである。
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山田洋次監督の映画「小さいおうち」(2014)

2017年09月24日 21時08分41秒 |  〃  (旧作日本映画)
 神保町シアターの倍賞千恵子特集で、山田洋次監督の映画「小さいおうち」を再見した。この特集では倍賞千恵子本人のトークもあったけど、いっぱいで入れなかった。その後全然見ていなかったけど、「小さいおうち」という映画はまた見てみたかった。2014年の映画だから、旧作というには近すぎるけれど、公開当時はここで書かなかった。中島京子直木賞受賞作(2010)の映画化だが、公開時には原作の印象が強く、映画はその「絵解き」のように見えてしまった。

 この映画は、山の手の「赤い屋根のある小さいおうち」に住み込みで働いていた女中、布宮タキの目で、昭和10年代の東京の中産階級の生活を見つめている。年老いたタキ(倍賞千恵子)は「自叙伝」をノートに書いていて、その映像化という体裁である。若い時期のタキを黒木華が演じていて、ベルリン映画祭銀熊賞(最優秀女優賞)を獲得した。「6歳のボクが、大人になるまで」のパトリシア・アークエット、「薄氷の殺人」のルー・グンメイなどを抑え、よく黒木華を見出したと思う。

 黒木華以外は、奥様の平井時子役の松たか子、板倉正治役の吉岡秀隆、タキの大甥(タキの兄弟の孫)で話の引き出し役・健史役の妻夫木聡など、近年の山田映画に出た人が多い。チョイ役だけど、タキの最初の勤め口だった作家夫妻は橋爪功と吉行和子で、ここのところずっと山田映画で夫婦を演じている。そういう「既視感」が、最初に見た時に面白くなかった。

 また妻夫木聡が老いたタキの「自叙伝」を読んで、いろいろとチャチャを入れるのも、結構うっとうしい。今時「十五年戦争」なんて言葉で昭和史を教えている教師があるとは思えない。歴史に関心がなければ、南京大虐殺もほとんど知らないだろう。一方、現代史にある程度関心があれば、「満州事変」(1931)以後の昭和史が「暗黒」一色に塗りつぶされていた、なんて思ってる人はもういないだろう。どうもそんなセリフにも、山田洋次の思い込みのようなものを感じてしまったのである。

 そういう「弱点」は今回見ても同じなんだけど、今回見て公開当時より「現代性」が増している気がした。たった3年しか経っていないけれど、時代が「戦前」に戻ってしまったのか。「五輪」を前に浮かれて儲けをもくろんでいたはずが、あっという間に奈落の底に落ちる。それぞれの段階では、「何とかなる」と思っている。「近衛さんなら大丈夫だ」と根拠なく思い込みながら。男たちは「儲け」から「戦争」へと「男だけの言説空間」を持っている。そこへ入れないものはどうする?

 そこへ入れないのは、「」「子ども」と「二級男子」である。老人男性は「昔取った杵柄」で「戦争熱」をあおる方にへ入れる。だけど、徴兵検査で甲種じゃなかった病弱、障害男性は、戦時体制には不要だ。玩具メーカーの常務、平井家に出入りする社員(というより美大出の芸術家タイプの玩具デザイナー)板倉は、徴兵検査が丙種だから、普通だったら徴兵されない。(日本が「普通じゃない戦争」段階に入って召集令状が届く。)その前後に平井家に「恋愛事件」が起きる。

 この小さな「恋愛事件」をめぐって、小説と映画では少し違いがある。だが基本的なシチュエーションは同じ。もうネタを隠す必要はないから、その解釈を考えてみたい。タキは結局生涯を通して結婚しなかった。晩年に書いた「自叙伝」で、奥様と板倉との間に生じた恋愛感情、あるいは「姦通事件」を示唆した。召集令状が届いたと知らせに来た翌日、奥様は板倉に会いに行こうとする。その意味がピンときたタキは必死になって止める。代わりに自分が手紙を届けると説得し、奥様は手紙を書く。
 (黒木華と松たか子)
 しかし、結局板倉は訪ねて来ず、平井夫婦は昭和20年5月25日の山の手大空襲で亡くなる。子どもは生死不明。タキと平井一家の関わりはそれで尽きてしまうが、タキが亡くなった後で遺品の中から「平井時子」名の手紙が見つかる。タキは奥様の手紙を板倉には届けず、最後まで自分で保存し続けていたのである。それは奇跡的に見つかった平井家の息子によって、数十年後に開封された。

 さて、その意味は何かということになる。タキの行動の「コインの表側」は「女中としての職業的義務感」である。平時ならともかく、周りの目の厳しい戦時中に「姦通の手引き」はできない。雇い主は「旦那様」であり、本来の忠誠心はそちらに発揮されるべきものだ。

 だけど、それはタテマエである。「コインの裏側」には何があるか。一つは「タキも板倉を慕っていた」という解釈。板倉は前日夜に別れる前にタキをハグしている。それは同じ北国出身者としての「同胞愛」のようなものと思えるけれど。もう一つは「タキは奥様に憧れを抱いていた」という解釈である。板倉との恋愛沙汰に煩わされる奥様の様子に心配が募り、自分の考えで手紙を渡さなかった。もう一つは「タキはただ奥様と子どもとの平穏な生活が続くことだけを望んでいた」という解釈。

 いろいろと見方は考えられると思うけど、何にせよ戦後のタキはこの「小さな罪」に殉じたのだと思う。奥様はタキの将来について、自分がきっといい嫁ぎ先を見つけてあげると言っていた。平井家が戦争を生き延びていれば、奥様が勧める縁談をタキは断らなかったに違いない。だけど、自分の行動で奥様は思う人と最後に会えずに戦争で亡くなってしまった。これは自分の罪だとタキは思った。

 僕が今回見て思ったのは、タキは「周りの目」を理由に奥様を止めているということだ。米英との開戦で万歳を叫んで回っている酒屋の主人がいる。彼は板倉の下宿屋の主人と囲碁仲間で、いつか下宿を訪ねた奥様を見ていた。そのことをタキに告げて、時局柄好ましくないのではと脅迫的に告げる。それを聞いて、タキは奥様を止めるわけだけど、これはタキの「小さな戦争犯罪」だったのだと思った。人が誰に会うか会わないか、それが自由にならない。「非国民」の声にひるんだ。タキは戦後何年たっても、この小さな「恋愛事件」での自分の行動を許せなかったのだ。

 そういう見方もできるのではないか。時子の姉の貞子(室井滋)は折々に訪れて妹を諭していく。ある時期までは、山の手郊外に家なんか建てて、都心の名門校(一高、東大につながら中学に入りやすい小学校)への「お受験」はどうするのかと問う。しかし戦時下になると、新宿の中村屋で一緒にお茶を飲んでいた男性は誰なんだと問い詰めに来る。

 庶民にとってそれが戦争だったとすれば、最近の女性週刊誌などが「お受験」よりもく、「不倫」糾弾に熱中する記事が多くなっている気がするのは不気味である。戦争が始まる前に、相互監視、道徳的非難が起こっている。戦争が始まってから、どうして戦争に反対できるだろうか。戦争が始まる前の「非国民糾弾」の時点で、誰が世の中を不自由にしているのかを問わないといけない。
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「赤ちょうちん」「妹」と秋吉久美子トークショー

2017年08月27日 20時27分06秒 |  〃  (旧作日本映画)
 新文芸座で本日から藤田敏八監督の特集上映。藤田敏八(ふじた・としや 1932~1997)は日活最末期の青春映画をたくさん撮っていて、若いころ僕が大好きだった監督だ。8月29日が没後20年目となる。大学時代には「八月の濡れた砂」(1971)を何度も見たと思う。最近はなかなか上映がなく、鈴木清順監督の「ツィゴイネルワイゼン」に出た俳優という印象の方が強いかも。今回は貴重な機会だが、全部見る時間はちょっと取れなさそうで残念!
 (藤田敏八監督=愛称パキさん)
 今日は1974年の「赤ちょうちん」と「」の上映後、主演の秋吉久美子のトークショーがあった。秋吉久美子(1954~)は「旅の重さ」(1972)のオーディションで次点になり、チョイ役で出演した。(主演に選ばれたのは高橋洋子で、この前「北陸代理戦争」のトークを聞いた。)その後、松本俊夫監督の「十六歳の戦争」に出演したが公開が遅れ、「赤ちょうちん」が最初に公開された主演映画になった。3月終わりのことで、高校卒業直後に上野の映画館で見た。同時代の青春映画として、実に新鮮で感動して、「」「バージンブルース」の秋吉久美子3部作は全部見た。

 言ってみれば、浪人中の僕の最大のミューズだっただったが、1歳年上ながら、今も当時そのまま(は言い過ぎかもしれないけど)に見えるぐらい若々しい。見た目ばかりではなく、知的な資質、記憶力なども全くそのまま。トークショーは驚くほど楽しい時間だった。「赤ちょうちん」は「南こうせつとかぐや姫」の「神田川」の次のシングルレコード。大ヒットした「神田川」の映画化権が東宝に取られ、日活は「赤ちょうちん」を映画化した。「神田川」は出目昌伸監督、関根恵子、草刈正雄で映画化されて、東宝風の甘いメロドラマになった。作品的には「赤ちょうちん」の方がずっと上で、キネマ旬報ベストテン9位になっている。(「妹」が10位と2作入選した。)
 
 「赤ちょうちん」は「自分なりの東京物語」だとキネマ旬報で監督が言っていた。その意味が公開時にはよく判らなかった。当時の自分はまだ実家しか知らないから、東京各地の微妙な違いが判らない。数年前に再見して、やっと少し判った気がした。それでも今日見ると、細部をかなり忘れている。久米政行(高岡健二)と幸枝(秋吉久美子)が出会って一緒に住み始める。アパートが取り壊しになり引っ越すが、その後も諸事情でいっぱい引っ越しを重ねる。基本的にはその5回の引っ越しを描いた映画である。

 2回目に住んだ幡ヶ谷は火葬場に近くて静かすぎ、3回目の新宿柏木町は神田川沿いで、幸枝は妊娠する。4回目の東京近郊のアパートで子育てをするが、大家の悠木千帆(樹木希林)に意地悪され、5回目は破格に安い葛飾区の家を借りるが、そこはいわくつきだった。もともと「鳥電感」というアレルギー持ちだった幸枝だが、だんだん心を病み、完全に狂ってしまって鶏をムシャムシャ食べる壮絶なシーンになる。そして、幸枝は入院して、政行だけが子どもと引っ越してゆく。

 ストーリーを追うだけでは、この映画の魅力は伝わらない。子どもが生まれた時に22歳だった政行、同棲当時は天草から行方不明の兄を訪ねてきた17歳だった幸枝。この若いカップルが、友人や地域の人々と交流しながら、自分の場所を見つけていけるか。監督から「うまくなるなよ」と言われたという秋吉久美子の、演技のような地のような「独特の存在感」。美人というより、どこにもいそうで、同時にいなさそうなムードが新鮮だったのだ。(客観的な評価は僕にはできない。)

 「赤ちょうちん」の脚本は、中島丈博桃井章(桃井かおりの兄)だが、そのさすらいゆく構成は中島丈博的だと思う。「赤ちょうちん」のヒットで、次のシングル曲「妹」がすぐに作られた。「妹」と次の「バージンブルース」は内田栄一が脚本を書いている。やはり内田的な世界だなあと今回見て思った。これは公開以来の再見だったが、全く忘れていた。清純な青春映画のように思っていたら、全然意味不明の独特な映画だったではないか。ミステリアスとも言える作品で、「赤ちょうちん」以上に、単に名前をヒット曲に借りただけという感じ。

 早稲田で「毎日食堂」をやってた両親はすでになく、秋夫(林隆三)は「毎日食堂」と書かれたトラックで運送屋をしている。そこへ鎌倉で男と同棲していた妹・ねり(秋吉久美子)が転がりこんでくる。相手の耕三は全然出てこない、というかねりが殺したのかもしれない。兄・耕三が行方不明だと妹が探しに来る。どうも真相が判るような判らないような。人物が錯綜するけど、兄の妹への愛情がどうなるか。兄をめぐる女性も複数いるし、どうなるのかよく判らない。

 しかし、まあそれでいいのであって、そのストーリーの判らなさのために、秋吉久美子の「不思議少女」ぶりが一層際立つ。古いものがなくなり(「毎日食堂」は日活内のセットだったが、最後に取り壊される)、なんだか時代が変わる予感の街。そんな時代の空気を秋吉久美子の肉体が象徴している。(本人が語ったところでは、全編「ノーブラ」だったという。あまり意識しないけど。)

 その後、野坂昭如が歌っていた「バージンブルース」を同じコンビで映画化した。ほとんど上映の機会がないが、万引き少女団の秋吉久美子が、郷里の岡山をさすらう。前衛劇団に紛れたり、長門裕之の中年男がくっついてきたりと、僕はなかなか面白かった。だが同じ年に3本も撮っては、評価が低くなってしまう。3作合わせて、70年代半ばを漂うように演じた秋吉久美子は、今見てもその辺で生きているような気がする。そういう女優はその頃に初めて現れたのだった。
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東映映画「従軍慰安婦」(1974)を見る

2017年08月26日 18時25分06秒 |  〃  (旧作日本映画)
 1974年に作られた東映(東撮)の映画「従軍慰安婦」がシネマヴェーラ渋谷で上映されている。26日には主演した女優、中島ゆたかのトークも行われ、立ち見の盛況だった。この映画は長年見ることができないものだった。ウィキペディアに項目があるが、東映にもフィルムがないと書いてある。今回はシネマヴェーラ渋谷側の尽力で、ニュープリントが作られた。大変貴重な機会で見逃せない。

 東映はちょうど任侠映画から実録映画に移り変わった時期だったが、もともとなんでも企画する会社である。今回のシネマヴェーラ渋谷は「東映女優祭り」と銘打ち、男優の印象が強い東映で作られた女優の映画を発掘している。佐久間良子が主演する文芸名作映画は当時から評価されていたが、それ以外にもいろいろ上映されている。(僕は「四畳半物語 娼婦しの」などの初期の三田佳子が非常に素晴らしいと前から思っている。是非見て欲しい映画。)

 ところで、「従軍慰安婦」だけど、石井輝男脚本、鷹森立一監督で作られた群像劇で、当時のプログラムピクチャーの実力をよく示す「なかなかよく作られた女性映画」だった。朝鮮人慰安婦(と明示されないけど、誰でも判る)は一人いるが、ほとんどは日本人娼婦の話で、戦前来何十本と作られてきた「娼婦映画」の定型を踏まえている。貧しさから親に売られ、女衒(ぜげん)を父さんと呼ぶようになる。娼家でだんだんなじんでいくが、親切な先輩もあれば、娼婦どうしのケンカもある。

 というような構造は大体どの映画でも同様だけど、この映画は後半から「戦争映画」になる。時代は昭和13年(1938年)。日中戦争が泥沼化していき、徐州作戦から武漢攻撃と奥地へ「皇軍」が進むに連れ、女たちも前線に送られる。明日の命も知れない男たちを、国策として「慰安」する女たち。中島ゆたか演じる秋子は、故郷に好きな男がいたが家が貧乏で売られてきた。もう二度と会えないと思っていた男だが、軍隊が博多に来た時に見かける。先輩娼婦の親切で会って気持ちを確かめあう。

 男も女も戦地に送られ、秋子はもう会えないだろうと思うが、そこは娯楽映画だから当然また会えると観客も判っている。激戦下に再会し、前回は結ばれなかった彼らも、今度は体でも結ばれるが、そこに敵襲が…。銃弾の不足する中、慰安婦たちも兵とともに戦い、そして倒れていく。まあ、そのような構成は田村泰次郎原作、鈴木清順監督の傑作「春婦伝」なんかと共通している。

 この映画は同時公開予定だった映画が製作中止になって、正式な公開がほとんどなされなかったという。中島本人も、初号試写を見ていないかったので、浅草で母とともに見たと語っていた。併映は網走番外地かなんかで、ほとんど観客もいなかったという。1974年だったら、僕も当時から名前ぐらい知っていても良いはずだが、全然気づかなった。(その後、このテーマへの関心から、こういう映画があるということは知っていた。)そんなようにして、幻になってしまった映画なのである。

 もともと脚本を書いた石井輝男が監督する予定だったらしい。監督した鷹森立一は「夜の歌謡」シリーズなどを手掛け、「キイハンター」「Gメン’75」などテレビもたくさん撮った人。映画は脚本通りだと言うが、顔ぶれで判るように、社会派問題作を作る気などはなからない。「戦争秘話」の娯楽映画ということになる。助演陣は達者で、三原葉子の恰幅のいい先輩娼婦、緑魔子の母を恨みながら病気を隠して働く姿など印象的。いい加減な性病検査をする軍医役の由利徹に場内爆笑。

 ところで、この映画の題名「従軍慰安婦」だけど、この問題にくわしい人なら予想できるだろうが、1973年に出た作家、千田夏光(せんだ・かこう 1924~2000)の「従軍慰安婦」が原作となっている。映画では「当時の政府は彼女たちを『従軍慰安婦』と呼んだ」と冒頭すぐにナレーションされるが、「従軍慰安婦」という用語は千田氏の本で作られた造語である。まだ固定した歴史的用語は確立していないと思うが、今は「日本軍慰安婦」という表現が多いのではないかと思う。

 「慰安婦」にも様々なタイプがあったことが判っていて、この映画のような「日本人娼婦主体で、軍とともに移動して前線の街に設置される」というのは、必ずしも普遍的なものではない。本来は中国戦線の軍紀弛緩による性犯罪の多発から発した問題だし、植民地女性(主に朝鮮人)が多かったことも当時から周知の事だ。だが、戦後の「慰安婦映画」では、そのことは触れられないことが多い。

 侵略戦争を最底辺で支えた女性たちの姿は、ずっと正面から描かれなかった。ベトナム戦争を経て、70年代になったころから、日本人の植民地支配や女性差別が意識されはじめる。慰安婦へのまなざしも、そのような文脈で70年代半ばころから語られはじめた。しかし、千田氏の本も資料的な厳密さには多少問題があるし、原作も映画も全体としては時代的制約を逃れていない。(なお、70年代前半には山崎朋子「サンダカン八番娼館」や森崎和江「からゆきさん」など、南方に売られた日本人娼婦の問題が意識されていた。同じころに千田氏の本や金一勉「天皇の軍隊と朝鮮人慰安婦」などが出た。70年代半ばには「慰安婦問題」は大きな問題と意識され始めていたのである。)

 この映画を見る限りでは、確かに「従軍慰安婦」としか呼べないような「活躍」ぶりなんだけど、それも含めて時代性を感じる。しかし、日本のプログラム・ピクチャーがどのように戦争を(あるいは慰安婦を)描いてきたかは、それ自体が重要なテーマである。非常に貴重な機会だから、関心のある人は見ておくべきだ。この後、8月30日(水)20時50分、9月4日(月)20時30分、9月8日(金)20時50分、3回ともレイトショーだけど、上映がある。
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幸田文「流れる」、原作と映画

2017年07月08日 23時00分27秒 |  〃  (旧作日本映画)
 7月7日に神保町シアターで「流れる」(成瀬己喜男監督、1956年)を見た。神保町シアターが開館10周年を迎え、今までで一番観客が多かった映画として一日だけ特別に上映したのである。すでに2回か3回は見てるんだけど、最後に見てから10年ぐらい経つし、実は幸田文(こうだ・あや)の原作をようやく最近読んだので、ちょっと原作と映画を比べて見たくなったのである。

 7日は「盧溝橋事件」から80周年の日で、昨日は本当はそのことを書きたいと思っていたんだけど、疲れていたから辞めてしまった。今日からはシネマヴェーラ渋谷の羽仁進特集を見てるんで、「流れる」のことを忘れてしまわないうちに書いておきたい。

 「流れる」は小説としても映画としても有名だけど、全然知らない人もいるかもしれないから最初に紹介しておきたい。簡単に言うと東京の花街として有名な柳橋に女中として住み込んだ「梨花」の目から見た芸者置屋の裏面を描く作品である。「梨花」(名前は「異人みたい」と言われて「お花さん」に変えられてしまうけど)は、つまりは幸田文の実体験である。離婚後に父の幸田露伴を看取り、父の話をエッセイで書いて文筆家になったけれど、自分に行き詰まりを感じたんだろう。
  
 小説では「梨花」は夫と子供を続けて失い、自活するために働くという設定になっている。年齢から断られることが多く、職業安定所から紹介されて「つたの屋」にやってくる。戦前から戦後にかけての大スター、田中絹代が演じていて、「あなたは何者?」と言われる役を悠然と演じている。もう田中絹代を知らない人も多いんだろう、10年ぐらい前に早稲田松竹で見た時に若い女性が連れにあの女優は誰と聞いていた。ホントは露伴の娘なんだから、女中にしては品があり過ぎるわけで、そういう感じを田中絹代ならではの名演で演じてる。1909年生まれで、映画当時は44歳。

 「つたの屋」の主人、つた奴はパトロンとも別れて、実の姉にも多額の借金があり、どうも落ち目である。このつた奴は、山田五十鈴が演じていて、ちょっと年増になった芸者の「日々の哀歓」を圧倒的な貫録で演じている。1917年生まれだから、39歳である。川本三郎は昔、銀座並木座で「流れる」を見た時に、女性観客が「ベルちゃん、きれいねえ」と思わず声を挙げたと書いている。特に昔のパトロンともう一度会えるんじゃないかとお化粧して出かけるところなど、素晴らしいとしか言葉がない。

 原作では非常に辛辣に書かれているのが、芸者の家に醜く生まれたことで性格もゆがんだとされる勝代である。つた奴の娘だけど、芸者ではない。前に出たこともあるというけど、芸者に向かないと悟り、今は玄人の家で素人のように暮らしている。落ち目の芸者屋では、嫁にも行けず婿の来手もないと結婚も諦めている。そんな勝代は、映画では高峰秀子が演じているから、そんなに悪くは描かれない。そこは原作と映画の大きな違いで、映画は「滅びゆく者への哀歌」という感じである。

 「つたの屋」にいるのは、若い「なな子」(岡田茉莉子)と年増の「染香」(杉村春子)、それと男と別れて転がり込んでいる姪の米子(中北千枝子)である。一方、原作に出てくる「蔦次」は出てこない。原作では最後に「奥様」になれそうな重要な役どころなんだけど、映画の記憶にないから思わずネットで調べてしまった。でも、要するに映画では省略されたわけである。他にも、三流地に逃げ出していく「なみ江」は原作ではもう直接は出てこないけど、映画では冒頭にほんのちょっと顔を出している。

 この「なみ江」は、つたの屋で虐待され売春を強要されたと伯父が乗り込んでくる。住所から千葉県の「鋸山」と言われている。名優の宮口精二がうまく演じている。それよりすごいのは、つた奴がずっと世話になってきた料亭の主人、組合の幹部でもある「お浜」を演じている戦前の大女優、栗島すみ子。もう僕なんかは名前しか知らない無声映画時代の大スターである。小津の傑作「淑女は何を忘れたか」(1937)を最後に引退して踊りの師匠をしていたのを、成瀬監督たっての要請で特別出演した。これが凄い迫力で、誰も太刀打ちできない。

 こんなにすごい女優の競演映画は、他にちょっと記憶にないから、次第にこの映画は「日本映画の伝説」になってきた。杉村春子も映画でのベスト級じゃないかと思う。今回よく見ると、女優の立ち居振る舞い、どこまでが監督の演出家は判らないけど、首の傾げ方ひとつとっても優雅で細かく計算されつくしている。こういう映画は、もう文化財的な「映画遺産」とでも呼ぶしかない。

 その大女優、栗島すみ子演じる古狸が、実は案外と腹黒いことが最後に判明するわけだが、要するに梨花を単なる女中ではないとにらんで引っこ抜いて、芸者屋をたたんで料理屋をやろうと考える。それを映画の田中絹代はきっぱりと断る。だけど、意外なことに原作では、つた奴も承知で「梨花」ぐるみ家を買ったように書いてある。梨花一人で新居を住めるようにしてから出て行くが、必ずしも梨花がこの町を完全に出るようには書いていない。そこらへんも大きな違いである。

 原作は、読んでみると案外読みにくい。幸田文の小説は初めて読むんだけど、こういうのは読みにくいなあという感じの描写である。新潮文庫の高橋義孝の解説に、中で使われる「擬声語」が列挙されている。「がじがじ」「わたわたと」「へぐへぐ」とか、はっきり言って僕には全然判らない。イメージが湧かないのである。つまり、東京に住んでいた幸田文の言葉の感覚が、半世紀以上たつと感覚的にずいぶん判らなくなってしまうのだ。映画を見て、基本的なストーリイは判っているというのに、なかなか読み進まないという本だった。それだから昔の本は難しい。原作の方は案外辛らつに柳橋の人々を見つめていて、その冷静な様子もちょっと意外だった。

 ところで「柳橋」という場所は、1999年に最後の料亭が閉鎖され、花街としての歴史は終わっている。江戸時代から存在して、明治にできた新橋を薩長新政府が愛好したのに対し、旧幕的なムードがあったという。隅田川あっての場所だから、川が汚水となり五輪で東京が変わる中、柳橋の命運が尽きたのもやむを得ないのだろう。東京都台東区になるけれど、一度も行ったことはない。一度行ってみたいと思ってるんだけど。
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大林宣彦「転校生」を35年ぶりに見る

2017年06月29日 21時22分18秒 |  〃  (旧作日本映画)
 そろそろ政治の話題などに移りたいと思いつつ、また映画の話。フィルムセンターで35年ぶりに見た大林宣彦監督の「転校生」(1982)があまりに面白く、つい書いておきたいなと思った。この映画は、大林監督の「尾道三部作」の第1作で、当時から大評判だった。映画ファンなら一度は見ているような現代のスタンダードだろう。僕は公開直後に見て以来見直していなかった。

 ところで、画像検索してみると小林聡美じゃない画像が多く出てくる。なんだと思ったら、2007年に大林自身で「転校生-さよならあなたー」という映画がリメイクされているではないか。主演は蓮佛美沙子と森田直幸。長野で撮影され、後半の話はオリジナルだというけど、その映画知らんがな。

 やっぱり「転校生」と言えば、1982年に作られた小林聡美尾美としのり版につきる。でも、当時は僕はこの映画をそんなに好きではなかった。それは大林監督のそれまで作ってきた個人映画や商業映画第一作「HOUSE」が好きだったからだと思う。大林監督はCMディレクターとして有名で、同時に個人で本格的な自主映画を作っていた。「EMOTION=伝説の午後・いつか見たドラキュラ」(1966)、「CONFESSION=遥かなるあこがれギロチン恋の旅」(1968)など独特な長い名前の映画である。郷愁を誘う映像美の世界が素晴らしく、池袋の文芸地下でよく上映されていた。

 いま見ると、もちろん「尾道三部作」もベースにノスタルジーがあると判るけど、特に「転校生」の段階ではちょっと今までの映画のムードが変わった感じもした。もともと山中恒の児童文学が原作だし、現代に生きる子どもたちを等身大に描いている映画だと思った。でも、この映画は男の子と女の子の心が入れ替わってしまうという、つまりは「君の名は。」と同じ設定の「奇想天外」を楽しむ映画だ。

 小林聡美尾美としのりの頑張りが、とにかく素晴らしい。あえて裸のシーンも入れて、それをやり切ったのはすごい。(今なら撮れないんじゃないだろうか。)原作の設定を中学生に変え、「思春期の性のめざめ」の危ういドキドキと真正面から向き合っている。メインの設定は覚えているものの、その後の具体的な展開はほとんど忘れていた。特にラスト近く、瀬戸田島にフェリーで「家出」してしまう展開は全然予想していなかった。「思春期」映画の面白さが満載の場面である。

 女なんだけど実は男の心を持つという役の「斉藤一美」(小林聡美)は、でも「本当は男の子」なんだから、何かにつけ男のような口をきき、女の子になった「斉藤一夫」(尾美としのり)を心配する。その意味で小林聡美の方が「女性の身体を持つ男の子」という難役だろう。もう素晴らしいというしかない。その後の「恋する女たち」(1986)や「かもめ食堂」(2006)、「紙の月」(2014)など、名演熱演というか、ほとんど「怪演」が記憶に残る小林聡美だけど、もう「転校生」に怪演ぶりが表れている。

 今回はATGの2代目社長を務めた佐々木史朗プロデューサーの特集である。大島渚、吉田喜重、寺山修司らの映画で記憶される初期のATG映画だが、佐々木時代になると次の若い世代を積極的に登用した。今回は各監督一作限りだけど、根岸吉太郎「遠雷」、森田芳光「家族ゲーム」、大森一樹「ヒポクラテスたち」、高橋伴明「TATTOO[刺青]あり」、井筒和幸「ガキ帝国」などが上映される。

 「転校生」もサンリオが手を引いて資金難になるところ、佐々木プロデューサーが完成に尽力したということで、大林監督のみならず日本映画の進路にも大きな影響を与えた。尾道と言えば大林映画というイメージもここから作られる。ベストテン3位に選ばれ、大林監督の飛躍をもたらした。(1位は「鎌田行進曲」、2位は「さらば愛しき大地」。僕のベストは小川紳介の「ニッポン国 古屋敷村」。)
(7月9日16時に二度目の上映あり。)
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渡瀬恒彦の映画、石井輝雄の映画

2017年05月21日 21時12分59秒 |  〃  (旧作日本映画)
 土日は列島各地で猛暑となったが、僕は二日間とも古い日本映画を見に行った。ところで、2015年は「戦後70年」だったわけだけど、70年を二分すると35年になる。その分かれ目は、なんと1980年である。1970年代までは「戦後前半」であり、1980年代以後は「戦後後半」になる。となると、占領期から高度成長まで、前半期に重大な変化が起こり、80年代後はずっと「バブル」とその崩壊しかなかったような気になる。今回見た映画は、「戦後前半」の終わりごろということになるけど、この自由さは何だろう。

 20日から、池袋の新文芸座は「渡瀬恒彦追悼特集」、渋谷のシネマヴェーラ渋谷は「石井輝雄監督特集」である。けっこう見たい映画の日程が被っているいるが、だからと言って朝から夜まで4本見る元気はすでにない。まあ時々見に行きたいなという感じ。まず、20日は新文芸座で「暴走パニック 大激突」(1976)と「狂った野獣」(1976)を見る。その前に中島貞夫監督、俳優片桐竜次のトークショー。当日来ていた「狂った野獣」に出ていた橘麻紀が飛び入り参加。「狂った野獣」製作時を初め、当時の東映映画人のエピソードが面白い。中島監督はちょっと前に松方弘樹追悼特集で来たばかり。

 今回の2作は、渡瀬恒彦が自分で運転するものすごいカーチェイス映画として有名で、公開当時にも見て、すごく面白かった。最近も時々上映されているけど、見直す機会がなかった。やっぱりすごいなと思うカーチェイスで、どうしてここまでやれたのかと思う。「暴走パニック 大激突」ではドアがぶっ飛んでも運転してるし、「狂った野獣」では大型バスを横転させる。スターの渡瀬が自分で運転している。エアバッグどころか、シートベルトもない時代に、よくそんなことをしたもんだ。
 
 細かい筋を書いても仕方ないけど、「大激突」の方は銀行強盗を重ねる二人組がいて、最後にするつもりの神戸でドジを踏む。相棒は逃げる途中でトラックにひかれ、渡瀬一人が逃げていく。そこへ腐れ縁的愛人の杉本美樹が道連れになり、死んだ相棒の兄室田日出男やなぜかドジな警官役の川谷拓三が渡瀬を追い続ける。それだけでも面白すぎるけど、そこに一般のドライバーの野次馬、暴走族、ラジオ中継車まで出てきて、派手に壊しまくる。ここまで破壊的かつ反警察的な撮影が許されたか。

 「野獣」は銀行強盗に失敗した川谷拓三、片桐竜次が、路線バスを乗っ取る。そこに渡瀬恒彦はじめ、何人もの乗客がいる。運転手は心筋梗塞の持病があり、いつ倒れるかもしれない。渡瀬は一度うまく降りようとするが、荷物のギターケースを持ち出せない。そこに何が入っているのか。渡瀬はケースを取り戻すべく、バスを走って追い、自転車で追い、愛人のバイクで追い、ついには窓から乗り込んでしまう。と思ったら、運転手が死んでしまい、渡瀬が代わりを務めるが…。彼はテストドライバーだったが、目が悪くなってクビになったばかりだった…。バスの大暴走とは世界的にも珍しい。

 「カーチェイス映画」というのは、ピーター・イエーツ監督「ブリット」(1968)から大ブームが起こった。ちょうどその映画も新文芸座で最近見直したばかり。スティーヴ・マックイーンの運転は今も迫力があったが、さすがにちょっと今では物足りない気もした。だけど、サンフランシスコを舞台にしているので、坂道を上り下りするスリルがある。それ以後世界的に大ブームになり、70年代には何本も見た気がする。今もあるけど、最近はGPSもあるし、技術的に進んでしまったので、単純なカーチェイスが少ない。あまりパトカーをぶっ壊すのも、いろいろ問題なんだろう。大体は特撮か、そうでなくてもスタントマンがやる中で、主演スターが自分で全部運転したこの2作の魅力は、日本映画史上に特筆されるべきだ。

 一方、石井輝雄監督特集は、2005年に亡くなった監督の13回忌とうたっている。今回はあまり「代表作」的な作品が少ない。初期の新東宝では「黄線地帯」や「黄色い風土」、東映では高倉健の「網走番外地」第1作や、第3作の「望郷篇」、あるいは千葉真一の「直撃地獄拳」、さらに晩年につげ義春漫画を自主製作した「ゲンセンカン主人」や「ねじ式」…。これらはすべて上映されない。

 それでも見てない映画が山のようにあるわけである。特に僕は69年ごろに大量製作された「徳川異常性愛シリーズ」をほとんど見てない。70年代にも「悪名高い」映画で、さすがにやり過ぎと思われていたと記憶する。当時の名画座でもほとんどやってないと思う。それらの「異常性愛」映画が、それなりに評価されるようになるには時間が必要だったのだろう。

 一本目の「残酷異常虐待物語 元禄女系図」は、1969年に7本も公開された石井作品の最初。オムニバスで元禄の異常な残虐を描くけど…。最初の方はそうでもないんだけど、最後に出てくる小池朝雄の異常なお殿様が凄すぎる。実際に金粉を側室に塗りたくるシーンは異常さぶりが際立つ。次に見た「江戸川乱歩全集 恐怖奇形人間」は1969年の7本目の映画。どっちも、暗黒舞踏の土方巽が出てくる。特に後者では、重要な役どころを演じている意味でも貴重だ。

 「恐怖奇形人間」は、日本映画史上に名高いカルト作品で、さすがにこれは前に見ている。乱歩の「パノラマ等奇譚」や「孤島の鬼」などを中心に、「人間椅子」「屋根裏の散歩者」などをアレンジして作られている。全編、異常な描写の連続と言ってよく、悪夢的なストーリイぶりはものすごい。だけど、前にも思ったけど、説明的な描写が多い。あまりにも雑多にたくさんのアイディアを詰め込んだ筋がちょっと弱い気がする。それにしても乱歩はすごいと改めて思う。

 映画とは関係ないが、この映画では「裏日本」という言葉がしょっちゅう出てくる。今ではほとんど死語だろうが、そういう言葉がムード醸成に一役買うわけだ。なお、どっちも吉田輝雄が主演している。新東宝で菅原文太らとハンサムタワーズで売り出し、その後松竹に移った。「秋刀魚の味」で岩下志麻に思われ、「古都」では岩下志麻と結婚する。木下恵介監督の「今年の恋」では岡田茉莉子の相手役という二枚目だったんだけど、次の東映では石井監督の異常性愛シリーズの常連になった。僕は吉田輝雄の再評価もして欲しいなと思う。
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