尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

ガザもウクライナも戦闘が続くー「トランプ待ち」の2024年

2024年01月30日 22時19分11秒 |  〃  (国際問題)
 ガザウクライナ情勢に関して、ずっと書いてない。年末に一回まとめと展望を書こうかなと思っていたけど、何となく機を逸してしまった。良い方向の展望が全くないので、あまり書く意欲が湧かないのである。結論だけ簡単に先に書いてしまうと、2024年にガザやウクライナの戦争は終わらない。「膠着状態」みたいになる可能性はあるが、最終決着の「和平」は見通せない。まあ、恐らく2025年以後も同じような状況がしばらく続くのではないかと思っている。

 2024年は「スーパー選挙年」だが、なんと言っても11月のアメリカ大統領選挙が最大の山場となる。そこでトランプ政権が復活するかどうか。少なくとも共和党の候補はトランプで決まりだろう。民主党はバイデン以外に事実上候補がいない状態だから、2回続けて「バイデン対トランプ」になりそうである。二人ともう高齢だから、選挙までに健康問題が起きるかもしれないが、まあ両者の選挙戦を前提にするしかない。結果がどうなるかは第三候補の活動にもよるし、まだ見通せる段階ではない。しかし、トランプが勝利する可能性を考えておかないといけない。

 バイデン政権の政策が素晴らしいとも思えないが、少なくとも予測可能ではある。第2次トランプ政権で米国が再び「予測不可能」に戻る影響は計り知れない。就任初日以外は独裁者にならないと言っているが、つまり就任初日は「独裁者」になる気なのである。その日には恐らく「パリ協定離脱」の大統領令に署名するだろう。そして多分、自分で自分を恩赦するんだと思われる。民事訴訟はどうしようもないが、刑事訴訟に関しては確かに大統領令で終わらせることが出来るだろう。しかし、そうなったらアメリカの民主主義の完全な破壊であり、アメリカ国内が大騒ぎになって収拾出来ない事態になりかねない。

 プーチンネタニヤフは、来年になればトランプが戻って来る(可能性がある)と思えば、今年バイデンと仲良くする必要を感じない。今、バイデン政権はイスラエルに対して「二国家共存」のパレスチナ和平を一生懸命推進しようとしている。しかし、ネタニヤフ政権は全く耳を貸す姿勢を見せない。イスラエルの政治情勢を考えれば、ネタニヤフに和平を受け入れる可能性はゼロだ。そして仮に奇跡的にパレスチナ和平案がまとまったとしても、トランプ政権は初日にパレスチナ国家の承認を取り消すだろう。
(ガザの死者は2万5千人を超えた)
 それどころか、かつてトランプ政権では「アメリカ大使館のエルサレム移転」「ゴラン高原併合の承認」など、それ以前には考えられなかった「禁断の政策」に踏み込んだ過去がある。それを思い出すなならば、トランプ大統領は「ハマスへの懲罰」を理由に「ガザ地区のイスラエル併合支持」というあり得ない決断まで踏み込むかもしれない。すでにガザ地区では死者が2万5千人を超えたとされる。もともとはハマスのイスラエル領攻撃から始まったわけだが、それにしても「報復の限度」(というものがあるとも思えないが)を遙かに超えている。ハマスもこのような壊滅的攻撃は当然予測していただろうが、決着は見通せない。

 ハマスによる「人質」の問題も解決が難しい。ハマスが全面的に解放しても、イスラエルが「許してくれる」ことはあり得ない。人質を解放した後でせん滅されるぐらいなら、人質を巻き込んでイスラエルの残虐さを印象付けた方が得策だ。恐らくそれがハマスの目的なんだろうが、アラブ諸国の公的な支援なしでどこまで持ちこたえられるだろうか。イランの支援を受けるヒズボラ(レバノン)やフーシ派(イエメン)も全面戦争までは踏み切れないだろう。膠着しながら戦闘が続くという可能性が高い。
(ウクライナ占領地の変遷)
 同じような状況はウクライナでも予測出来る。トランプ政権が成立すれば、ウクライナへの支援が大幅に削減される可能性が高い。「アメリカ・ファースト」というけれど、そもそもトランプは大国同士の「取引」で世界を動かすという世界観を持っていると思われる。プーチン大統領としては、来年になってトランプ政権が復活する可能性があるのに、今年のうちにウクライナと和平する必要がない。大々的な侵攻をせず、占領地を維持する方針で行く可能性が高い。ウクライナ側の「反転攻勢」はほとんど成功しなかった。戦線は今や第一次大戦並みの「塹壕戦」になっていると言われる。このまま数年戦闘が続くのではないか。

 ということで、僕は今年はロシアもイスラエルも「トランプ待ち」で和平する気がないと判断している。だが、もちろん世界は大国リーダーのみが動かしているわけではない。アラブ諸国やロシアの民衆に動きがある可能性もある。それに歴史は偶然性に左右されることがある。バイデン(81歳)、トランプ(77歳)、プーチン(71歳)、ネタニヤフ(74歳)、ついでに習近平(70歳)、インドのモディ(73歳)と並べてみれば、軒並み高齢である。今は珍しくないとはいえ、皆が「古稀」を越えている。健康面でいつ何があってもおかしくない年齢なのである。
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『受験生は謎解きに向かない』、ピップシリーズ前日譚+『愚者の街』『印』

2024年01月29日 22時20分01秒 | 〃 (ミステリー)
 ミステリーについて書くと、グッと(有意に)読者数が減るんだけど、まあ自分が面白かった本だから書きとめておきたい。年末年始にいっぱい買い込んでしまって、ゆるゆると読んでいるところ。まず今月出たばかりのホリー・ジャクソン受験生は謎解きに向かない』(KILL JOY)である。ホリー・ジャクソン(1992~)は『自由研究には向かない殺人』『優等生は探偵に向かない』『卒業生には向かない真実』三部作で一躍注目されたイギリスの若手ミステリー作家だ。

 その彼女がもう一冊ピップ・シリーズを書いたのである。町を揺るがした殺人事件の真相を女子高生が解き明かす趣向で、第一作は大人気となった。しかし、2作目、3作目と苦さが増していき、最後の作品は一体どう評価するべきか大いに悩む問題作になってしまった。ところが今回は第一作の直前に時間を戻して、高校生が謎解きゲームをするという趣向の中編である。つまり、シリーズの前日譚で、ボーナス・トラックみたいなものだろう。

 それは高校2年生が終わった後の夏休みに、仲良し高校生6人が集まって謎解きゲームをするという話なのである。舞台は1924年に設定され、孤島の豪邸で行われる富豪の誕生会で殺人事件が起きる。もちろん、そんな設定を実際に再現するのは不可能だから、親が留守の家に皆で集まり「ここは孤島です」とみなし、執事が配膳する料理はドミノピザを頼んで良しとする。皆はそれらしき服装をして集まるように指定され、配布されたブックレットを読みながらゲームが進行する。

 要するに現実に演じるロール・プレイング・ゲームである。設定はなかなか良く出来ている。作家が書いてるんだから当然だが、どうやらイギリスには実際にそんなゲームがあるらしい。主人公ピップはその時余り乗り気じゃなかった。新学期が始まったら取り組むべき「自由研究」のテーマが未定だったからだ。ところが思わず謎解きに熱中してしまい、作者(小説中のゲームの作家)の思惑を超えて大暴走していく。その「キレッキレ」推理が実に楽しく、僕は明らかにピップの推理が正しいと思った。この推理ゲームに参加したことから、ピップは自由研究で町の長年の謎(第一作の事件)に取り組むと決意した。

 もう一つの読みどころは、三部作を先に読んでいれば、この登場人物にはこの後どんな苦難が降りかかるのかを読者は知っていて読めるのである。今は仲良しの彼らもその後亀裂が入ることになる。そういう苦さを味わうのも、シリーズものならではの醍醐味だ。またヤング・アダルトの高校生もので売り出したホリー・ジャクソンだけど、やっぱりイギリス人であって、アガサ・クリスティばりの密室ミステリーが大好きなのも面白い。まあ、このシリーズのファン向けボーナスだけど。

 ついでに年末年始に読んだ外国ミステリー。ロス・トーマス(1926~1995)の『愚者の街』(1970)は、こんな面白い小説が未訳だったのかと驚く。よくも半世紀前の傑作を発掘してくれたと新潮文庫に感謝。もっともとぼけたスパイ小説なんかが持ち味のロス・トーマスは通好みの作家かもしれない。僕は生前はずいぶん読んでいて好きな作家だった。この小説は失敗したスパイが、元悪徳警官や元娼婦と組んである町を「腐らせる」仕事を請け負うという話。町を再生させるために一方の勢力から雇われるが、誰が誰やら大混乱する中でマフィアが入り乱れる。上下2冊あるけど、終わるのがもったいない面白さ。ただ、この手の小説は苦手という人も多いかも知れない。ふざけすぎだし、流血も凄いから。

 アイスランドのミステリー作家アーナルデュル・インドリダソンの6作目『』(サイン)。『湿地』『緑衣の女』『』『湖の男』『厳寒の町』に続くエーレンデュル捜査官シリーズである。ミステリーとしては『声』が傑作だと思うが、このシリーズはアイスランドの厳しい自然と独特の歴史を知る意味も大きい。どの作品もなかなかの出来だが、ミステリーとしてはどうなんだという作品もある。それは人口が少ないアイスランドで、派手な銀行強盗や連続殺人魔なんかの事件が起きるはずがないからだ。だからしみじみ系のミステリーが多くなる。それは主人公の生活にも言えることで、こんな捜査で良いのかなと思うときもある。

 『』は事件としての決着は付いている自殺事件を追い続ける話である。『印』というのは、あの世からのサイン、つまり霊媒なんかが死んだ人の言葉を伝えるような「印」を指している。昔のエピソードを延々と追い続け、それは正規な仕事じゃないので、同僚に苦情を言われる。また、今さら解決しようもないだろう失踪事件も追う。そんな昔のことばかり、趣味のように調べ続ける。そして一応「真相」が見えてくるんだが…。今は火山噴火で大変らしいアイスランドの暮らしを垣間見る本でもある。
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時代に先駆けた「女ひとり旅」ー林芙美子を読む②

2024年01月28日 22時30分19秒 | 本 (日本文学)
 林芙美子の旅行記が文庫に2冊入っている。一つは岩波文庫の『下駄で歩いた巴里』で、2003年に出て今も入手出来る。その本のことは知っていたが、中公文庫でも2022年に『愉快なる地図 台湾・樺太・パリへ』という本が出ていることに気付いた。この両書にはけっこう同じ文章が入っていて、最初は損したかなと思ったけど、日本各地の紀行は前者、台湾紀行は後者にしかないので、やはり両方読む意味はある。同じ文章なのに、後者では「下駄で歩いたパリー」とカタカナになっているのが不思議。
(中公文庫)
 作家が旅行記を書くことは多い。ここでもブルース・チャトウィンパタゴニア』とかポール・セローユーラシア大陸鉄道大紀行(『鉄道大バザール』『ゴースト・トレインは東の星へ』)などを紹介した。他にもスタインベックが愛犬とともにアメリカを旅した『チャーリーとの旅』も良い。日本でも『土佐日記』の昔から様々な紀行があり、西行、芭蕉など旅に死す放浪詩人が文人の理想だった。現代でも梨木香歩エストニア紀行』、村上春樹遠い太鼓』『辺境・近境』などいっぱい思いつく。一生懸命探せばもっといろいろ見つかるだろう。
(岩波文庫)
 林芙美子の紀行は素晴らしく面白いんだけど、まとまったものではない。お金もないのに外国へ飛び出し、雑誌や新聞に書き送ったような印象記が多い。だけど、文章が生き生きとしているし、何よりも旅することが好き。天性の旅行者だったのである。それは幼い頃から行商の両親に連れられて各地を転々とした生育歴から来るものだろう。だから林芙美子は「旅のことを考えると、お金も家も名誉も何もいりません。恋だって私はすててしまいます。」(林芙美子選集第7巻あとがき)と言い切る。
(パリの林芙美子)
 実際に林芙美子は結婚して夫がいても、常にひとり旅を好んだ。パリロンドンまで、シベリア鉄道でひとり旅。「満州」や北京へもひとり旅。樺太北海道もひとり旅なのである。言葉も判らず、一人でシベリア鉄道に乗って「社会主義社会」の中を行く。ソ連幻想に全く冒されていない林芙美子は冷静にソ連社会の貧しさを見つめている。と同時にロシア人の温かさも印象的に書き残す。パリでも一人で宿を借り、半年も滞在する。カフェへ行ってクロワッサンを食べ、バゲットをかじりながら街を行く。

 とても100年近く昔の女性とは思えない。「女ひとり旅」はずっと難しかった。旅館がなかなか泊めてくれないのである。何か事情があり自殺しに旅に出たのかと思われた。70年代に「アンアン」「ノンノ」などを持った女性の旅ブームが起きたが、友人同士で旅するものだった。『男はつらいよ 柴又慕情』では事情を抱えた吉永小百合が友人2人と3人で旅に出て寅さんと知り合う。女が一人で旅しているのは、ドサ回りの三流歌手リリー(浅丘ルリ子)ぐらいのものである。70年代でもそんな感じだったのに、1930年代に林芙美子は一人で植民地を旅して、一人で飲み屋に入る。その自由なエネルギーが素晴らしい。

 時代はちょうど満州事変から日中戦争へ至る頃である。戦争が近づく足音を聞きながら、満州からシベリアへ入る。満州事変直前にハルピンに行くのも貴重な証言になっている。ヨーロッパでは中国人が開く抗日集会にも出掛けて共感している。世界中どこでも皆愛国者だと感じたのである。まだ『放浪記』がベストセラーになる前、ようやく多少知られてきた時に台湾への講演旅行メンバーに選ばれた。それはひとり旅じゃなく、総督府へのあいさつ回りなどを強いられ迷惑だった。その後一人で旅に出るのは、その影響もあるかもしれない。しかし、どこでも街へ出て一人で飲み食べ、自分で感じている。
 
 樺太(サハリン)への旅も凄い。もちろん当時日本領だった「南樺太」を訪れたのだが、これもスポンサーなしのひとり旅である。今のように飛行機で行ける時代じゃない。鉄道を延々と乗り継ぎ津軽海峡、宗谷海峡を船で越えるのである。そして着いた樺太では枯れ山が目立つことを見落としていない。王子製紙による乱伐の影響である。そして北へ北へと旅をし、現地の子どもたちを教える小学校に出掛ける。見るべきものを見ている旅人だったのである。そして旅行者として凄みを感じたのは、その樺太からの帰途、ふと思い立って滝川で下車して道東に出掛けたことである。
(北海道滝川で泊まった三浦華園)
 滝川はもうすぐ途中まで廃線となる根室本線への分岐で、そこで泊まった上記画像の宿は今も残っているらしい。そして釧路まで行って、摩周湖などを見ている。ひとり旅と言っても、全部自分で手配するのではなく、現地の新聞社などの支援を受けているが、それにしても樺太一人旅の直後にさらに思い立って下車するなんて、どういう人だろう。また伊豆の下田へ行った紀行では、1934年に始まった黒船祭を記録した。もうすぐ戦争となる日米関係だが、その時はグルー大使が駆逐艦に乗って下田まで来て大歓迎を受けた。そんな記述も貴重な証言である。
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自衛隊幹部の靖国神社集団参拝問題ーこれが「通達違反」じゃないとは!

2024年01月27日 22時41分47秒 | 政治
 1月9日に陸上自衛隊の小林弘樹陸上幕僚副長を含む幹部22名が、時間休を取得した上で靖国神社を集団で参拝していた。そのことが明らかになった後で、防衛省は1974年に出た「部隊参拝」や「参加の強制」を禁じる通達に違反していないか調査するとしていた。そして26日になって、通達で禁じる「部隊参拝」ではないと結論づけた調査結果を発表した。その上で公用車での移動は不適切として、小林氏ら3人を訓告処分としたという。しかし、これは非常に疑問の多い「調査結果」である。

 まず、今回の参拝に関して陸上幕僚部の担当者が「実施計画」を立てていたという。これは正式な行政文書として作られた。この集団参拝は、小林氏がトップである陸自内の「航空機事故調査委員会」関係者で市ヶ谷駐屯地勤務者の1佐以上を対象にしたという。その対象は41名でそのうち22名が参加したことを「参拝者が22人にとどまった」と評価している。参加者は全員が「自由意志」で参拝したと主張している。そのため通達で禁止された「集団参拝」ではないと結論付けた。

 しかし、これはどう考えてもヘリクツだろう。例えば学校には教員の親睦会があり、歓送迎会などを計画する。幹事が日時や店の場所などを書いた文書を作るだろうが、その計画書は当然ながら正式な行政文書ではない。(今はメールで通知するかもしれないが。)正式な文書として起案番号を取ったら、それは「正式な学校行事」になってしまう。自衛隊だって同じだろう。初めから「参加、不参加は自由」となってただろうが、それでも正式行事だったというしかないと思うけど。
(小林氏らに訓告)
 それ以上に不可解なのは、「時間休」の扱いである。そもそも宗教施設への参拝は内面に関わる私的なものだから、「時間休」を取得して行うものじゃないだろう。週休日があるんだから、その日に行けば良い。時間休を取る権利はあるし、休暇申請の理由を問うことは出来ない。しかし、同じ職場で同時に22人が時間休を取るってあり得るだろうか。そんなことは普通「時限スト」でもやってない限り起こらない。22人が時間休を申請したら、管理職が「時季変更権」を行使すべきケースじゃないか。
 
 能登半島地震で自衛隊が活動中だからこそ「公用車」を用いたと小林氏は主張していた。しかし、時間休を一斉に取った間に何が起こるか判らないわけだから、公務員の「職務専念義務」に照らして大きな疑問がある。民間人以上に公務員には厳しい「職務専念」が求められている。今回の調査では「徒歩でも30分以内で登庁できた」ことを理由に「公用車利用は不適切」とする。しかし、距離の問題なんだろうか。「参拝」は勤務時間中に時間休を取ってまで行うことじゃないだろう。

 ところで、もちろん今回の問題の一番の本質はそういう事務的な解釈問題ではない。自衛隊幹部が「靖国神社」を参拝することは許されない。集団じゃなくても、休暇日であろうと、全く関係ない。「航空安全の祈願」が目的と言うが、靖国神社は特に航空関係で行く神社じゃない。市ヶ谷と九段が近いから行ったわけでもないだろう。靖国神社には「政教分離に反する」「A級戦犯刑死者を合祀」という問題があるのは誰でも知っている。政治家ならいろんな主張があろうが、現職公務員が行くべきではない。

 靖国神社はもともと戊辰戦争の「官軍」側死者を祀る「東京招魂社」として建立され、1887年から旧帝国陸海軍が管轄していた。戦前の「国家神道」体制の中でも非常に特殊な宗教施設だ。よく知られているように戊辰戦争の幕府側死者、西南戦争の西郷軍側死者などは祀られない。その後の数多くの外国との戦争でも、軍と雇用関係がなかった民間人、例えば空襲での死者などは祀られていない。つまり「天皇のための死者」のみを祀る特異な宗教施設である。

 そのことを知らない幹部自衛官はいないだろう。当然知っていて、自分たちは旧軍を引き継ぎ「天皇を中心にした日本国家」を守るんだという意識を持っていると考えられる。だからこそ、違和感なく靖国神社を参拝できるのだろう。そういう経緯を考えてみると、41人の対象者の中でちょうど半分ほどの22人が参拝に行ったことは偶然じゃないと想像出来る。残りの19人は自由意志で参拝しなかったというよりも、「待機要員」として残る側に回ったと理解するべきだと思う。

 もう一つ、1月10日に宮古島駐屯地宮古警備隊長ら隊員20人が公用車などで、地元の宮古神社を参拝していたことも判明している。これも沖縄で進む軍事化と関連があると考えるべきだろう。全体に自衛隊幹部に「政教分離」の意識がないのである。「政教分離」はあらゆる宗教が対象ではあるが、隊長がクリスチャンで部下を引き連れてクリスマス礼拝に参加するなんてことは起こらない。政教分離とは戦前に大きな影響力を持った「国家神道」と行政組織の分離が一番の眼目である。「そんなことも知らない」んじゃなく、そんなことは承知の上で、神道との結びつきを強めているんだと思う。警戒が必要だ。
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「旧国名」(令制国)を知れば日本がわかるー「能登」と「加賀」は別の国

2024年01月25日 23時10分30秒 |  〃 (歴史・地理)
 最近「旧国名」が大事だなと思っている。ミャンマーは「ビルマ」だったとか、ソ連ユーゴスラビアが解体して幾つの国になったのかということではない。それらも関心はあるけれど、ここで扱うのは日本の「旧国名」である。日本には明治になるまで長く続いた「昔の国名」がある。それをちゃんと知っているのは、歴史ファン(特に戦国時代)と鉄道ファンだろう。

 なんで鉄道かというと、駅の名前に昔の国名が付くことが多いのである。同じ駅名を避けるため、後から出来た駅の方が「武蔵小杉」とか「下総中山」など昔の国名を頭に付けるルールなのである。(ちなみに、ただの小杉駅は富山県、中山駅は横浜市にある。自分も今まで知らなかった。)そのルールがいつ決まったのか知らないけど、鉄道マニアは知らず知らずに昔の国名を知っていることが多いと思う。

 日本には「47都道府県」がある。1都1道2府43県である。その位置と名前、県庁所在地は多分学校で習うはずだが、案外知らない人が多い。だからテレビのクイズ番組なんかでは、県の形のシルエットを見て何県か当てるみたいな問題がよく出る。学校の先生でも、鳥取県と島根県がどっちだか判ってない人がいる。それどころか東京の教員なのに、栃木県と群馬県の区別が付かない人もいて驚いたことがある。(もちろん社会科以外の教師である。)

 そういう現状から考えて、日常的にはあまり使わない「旧国名」を全部学校で教えてテストするなんてのはやり過ぎだろう。それは記憶力テストにしかならない。だから、ここで僕が書こうと思うのは、今も旧国名は大事なものであり、「自分で調べてみる」ことに意味があるということだ。それを最近痛感したのは、能登半島地震に伴って、「被災地には(今のところ)行かないで」というメッセージと「石川県に観光に来て」というメッセージがどっちも発信されて、それを「混乱」と思った人がいるらしいからだ。
(加賀と能登)
 現在は行政的には都道府県で把握するから、死亡者数とか倒壊家屋数が発表されると、圧倒的に石川県が被害を受けたということになる。それはもちろん間違いないことだけど、これを旧国名で見てみると今回の地震は「能登国で大きな被害を出した」ということが判る。加賀国(石川県南部)あるいは、越中国(富山県)、越後国(新潟県)でも被害はあるけれど、人的な被害は能登に集中している。一方で、石川県南部(加賀)の金沢市加賀市の宿泊施設はほぼ利用可能である。

 能登地域の和倉温泉(七尾市)は有名な加賀屋があるところだが(能登だけど、加賀屋である)、今は全旅館が休業しているとのことだ。一方、加賀温泉郷と言われる山中温泉山代温泉片山津温泉などはやっていて、被災者の二次避難所になっているところも多い。一般客も受け付けているがキャンセルも多いらしく、このままでは石川県の税収が大幅に落ち込んで復興に使う財源が少なくなる。(特に冬場は日本海の蟹を食べる高級プランが多く、キャンセルの影響は他の季節より大きいだろう。)

 そこで「加賀国」には来てくださいというメッセージになるわけである。この旧国名は大昔に決められたもので、今のような新幹線や高速道路がある時代からすると、細かく分かれすぎている。しかし、人間が足(または船)で移動するしかなかった古代に決められた「国」は、日本の自然地理の特徴を反映している。例えば、「能登」だけではなく、半島地域だけ別の国になっている地域は他にもある。「伊豆」(静岡県)がそうだし、「志摩」(三重県)もそう。千葉県なんか、上総(かずさ)、下総(しもうさ)、安房(あわ)の三つに分かれているぐらいだ。(だから「房総半島」である。)
(日本の旧国名一覧)
 この旧国名は律令制で定められたと言われている。「」は刑法で、「」(りょう)は行政法、及び民法である。従って「令」で決められたわけで、最近の歴史用語では昔の国を「令制国」(りょうせいこく)と言うことが多いらしい。僕も今回調べて知った言葉である。それはともかく、そこではまず「国」の前に全国を「畿内」(首都圏)の5国と「七道」(地方)に分けた。東海道東山道北陸道山陰道山陽道南海道西海道である。

 これを見ると、東海道とか北陸、山陰、山陽など、現在でも使われている用語がある。令制国は遅くとも701年の大宝律令では決まっていたと思われる。全部で68に分かれている。北海道と沖縄(琉球)はまだ支配下になく、入ってない。よく「六十六か国」と呼ばれるが、その場合は壱岐(いき)、対馬(つしま)を国境の島として外すらしい。島が一国になっていることも多く、淡路、佐渡、隠岐はそれだけで一国である。また「前中後」「上中下」が付く国名も多いが、これは畿内から見て近い方が前、上になる。福井県が越前、富山県が越中、新潟県が越後なのは、そういうことである。
(関東地方の旧国名)
 しかし、上記関東地方の旧国名を見ると、千葉県の北部が下総(しもうさ)、中部が上総(かずさ)である。奈良・京都から行く時は(東京からでも同じだが)鉄道も高速道路も房総半島を北から訪れる。都に近い方が「上」だという原則からするとおかしい気がするが、これは古代には相模(さがみ、神奈川県中南部)から船で房総半島に渡っていた名ごりなのである。今の東京地域は低湿地で交通事情が悪く、源頼朝が当初敗れたときに房総半島に船で渡って再起したように海路でつながっていたのである。

 全国を見ていると終わらないがもう少し。関東地方を見ると、「上野」(こうずけ)「下野」(しもつけ)がある。これは知らない限り読めない難読地名の代表格である。一方、群馬県と栃木県を結ぶ鉄道に「両毛線」がある。その地域に住む人、あるいは歴史ファンには周知のことながら、要するにこの地域は「毛野」(けの)という名前だったのである。それを二つに分けて、「上毛野」(かみつけの)「下毛野」(しもつけの)と名付けたわけである。そして「かみつけの」が「こうずけ」と読まれるようになった。ちなみに上野は親王が国司に任じられる慣例があり、臣下としては「介」(すけ=次官)が最高位となる。そこで吉良上野介という人物名になる。

 最後にもう一つ。それは「近江」(おうみ、滋賀県)と「遠江」(とおとうみ、静岡県西部)である。これも難読の極みだろう。滋賀県と言えば「琵琶湖」、つまり日本最大の湖である。湖は淡水の海ということで「淡海」(あわうみ)と呼ばれた。東海道を下れば、もう一つ浜名湖もある。昔は日本2位だった秋田の八郎潟(今は干拓で消滅)や茨城の霞ヶ浦も大きいけど、当時の道筋から外れている。そこで二つの大きな湖を「近い淡海」「遠い淡海」と呼ぶようになり、やがて「海」の字が「」に変わった。「あわうみ」が「おうみ」となり、「とおいあわうみ」が「とおとうみ」と読まれるようになったわけである。

 その他、旧国名には話題がいっぱいあるけれど、そこまで書いていては終わらない。調べてみると、今もよく使う言葉(讃岐うどんなど)があるし、戦国時代、江戸時代の大名を考える時は必須の知識である。観光でもよく使われるし、日本を深く知ろうと思うなら知っていた方が良い知識だ。単なる知識としてじゃなく、地方の特性を理解する方法として有効だろう。
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やっぱり!「性教育弾圧」の背後に「統一協会」

2024年01月24日 22時42分02秒 |  〃 (東京・大阪の教育)
 非常に重大な証言だと思うから、ここで紹介しておきたい。21世紀初頭に東京都教育委員会(以下、都教委)を中心に荒れ狂った「性教育弾圧」の中心として運動を行っていたのは、旧統一協会系の人々だったというのである。朝日新聞が毎週火曜日に「性教育を問う」というシリーズ記事を掲載していて、1月16日に「学校の指導 萎縮生んだ批判の波 「七生養護学校事件」が残した禍根」という大きな記事を掲載した。そして、1月23日掲載の「停滞招いた反対運動 背景は 実態は 中心で活動した元中学教諭に聞く」という記事で、反対運動の中心にいた野牧雅子氏にインタビューしているのである。
(七生養護学校事件)
 野牧雅子氏は少なくとも当時はなかなか知られた人物で、「のまりん」と名乗ってホームページで性教育反対運動を展開していた。インターネット勃興時代で、結構大きな影響力があったのではないか。僕も時々「敵情視察」的に読んでいた。今はもうないようで、僕も大分前にお気に入りから削除してしまった。いま思うと、現職教員が実名でやるには色が付きすぎていたかもしれない。確か神奈川県の中学教員で音楽担当だと思う。新聞には肖像写真も載っているが、まあ紹介することもないだろう。

 その記事では2002年11月(「七生養護学校事件」の前年)から「過激な性教育」反対の動きを始めていて、東京都港区の中学校にファクスや手紙(中には爆破するという脅迫もあった)が送られていた。野牧氏は「(私が学校に)授業を見せるように求めたのは事実だが、脅迫ファクスは送っていない。当時、情報交換する人が約100人いた。」という。その100人はどんな人だったのかという質問には「宗教関係者や保守系の団体の人もいた。その中で一番頑張ってくれたのは、世界平和統一家庭連合(旧統一教会)のお母さんたちだったと認識している。私は信者ではないが、法律婚をしている男女の家庭を(性教育によってもたらされると考える「性の乱れ」から)守るという方向性は同じだった」という。

 数々の動きの中で最大の事件となった「七生(ななお)養護学校」(現・特別支援学校)事件については、ここでは詳細を省略する。(Wikipedia等で調べられる。)都教委により大量の処分がなされ、当時の校長が降格処分になるという信じられないことが起きた。「国旗国歌問題」の「10・23通達」(2003年)も同じ年。翌年には新設される白鴎高校附属中の社会科教科書(歴史的分野)に扶桑社を採択した。都教委「暴虐」の絶頂期で、正直あまり思い出したくない。多くの人が今も癒えない傷を負っているだろう。七生養護学校事件は裁判となり、都教委と中心的に騒ぎ立てた3人の都議に賠償を認める判決が最高裁で確定している。
(七生養護学校事件に関する本)
 ところで、ではなぜ性教育が問題なのだろうか。そのような新聞記者の問いに対して、野牧氏は「性教育をすると性に興味がわく。子どもの年齢にもよるが、性からは遠ざけなければならない。」と言う。さらに「誤った情報を信じたり望まない妊娠をしたりする実態があるのでは。」と問われると、「性教育では、性の自己決定権が強調されるが、誰とでも性交をするようになると、性被害が起きると思う。結婚していない男女関係の乱れを認めることになり、家庭崩壊につながる。」と答えている。

 正直僕には何を言っているのか、全く判らない。よく右の人が左の人に対して「頭の中がお花畑」と批判することがあるが、こういう例を見るとむしろ右の方がお花畑に住んでいるのではないか。「性から遠ざけるために、性教育をしない」のが有効な対策だというのである。しかし、中学校を出れば待っているのは「JKビジネス」である。「性の商品化」の世の中に出ていく前に、妊娠も避妊も教えない方が良いと言うわけである。日本の現実の中から出て来た発想じゃないとしか言えない。

 それはともかく、このような「性教育弾圧」を中央で支えたのが、「過激な性教育・ジェンダーフリー教育実態調査プロジェクトチーム」を立ち上げ座長を務めた安倍晋三衆議院議員だった。そのような安倍氏が政権を担うとどんなことになるのかと当時危惧したが、今のようになったわけである。(ついでに言っておくと「過激な性教育」というのは、義務教育最後の中学生に対して、妊娠や避妊の仕組みを教えるという程度のことである。これは欧米諸国に比べて「穏健すぎる」ものだろう。)

 性教育攻撃、統一協会、安倍政権というものが分かちがたく結びついていたことを改めて教えてくれる「野牧証言」である。なお、安倍派(当時は森派)はその頃から「裏金」作りをしていたとされている。
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「世襲」は禁止できない、だから…を考えることが大事

2024年01月23日 22時37分09秒 | 政治
 自民党に批判が集まる時には、大体「世襲が問題だ」という人が出て来る。僕も自民党の有力政治家が「世襲」ばかりになったような現状は大いに問題だと考えている。今までもその事を何回か書いてきた。例えば、『「政治家世襲」は現代の「蔭位制」ー世襲政治家問題①』を2023年6月に書いた。(「蔭位」(おんい)とは親の位階が高い子どもは自動的に幼い時から高い位階を得られる制度。藤原道長が出世出来たのも、源頼朝が12歳で伊豆に流された時にすでに位階を得ていたのも、そのお蔭である。)
(中曽根康隆氏)
 中曽根康隆(1982~)という政治家がいる。今回「政治刷新本部」で派閥解消を声高に主張して注目された。しかし、名前を聞けば大方の日本国民ならピンと来るだろう。この人は派閥なんか無くても当選出来るのである。そう、中曽根康弘元首相の孫、中曽根弘文元外相の子である。2017年衆院選で比例単独で当選し、2021年には群馬1区の公認を現職の尾身朝子から奪って獲得し大差で当選した。しかし、この人は「世襲」なんだろうか。親の中曽根弘文は参議院議員である。祖父の中曽根康弘は小選挙区では出たことがなく、最後は比例単独1位で96年、2000年に当選した。従って「親の選挙区を引き継ぐ」という「狭義の世襲」ではない。

 そもそも「世襲そのものを禁止することは出来ない」。だから国会議員の世襲を禁止せよなどと大声で主張する人には要注意である。なんで世襲を禁止出来ないかと言えば、憲法の規定である。「第四十四条 両議院の議員及びその選挙人の資格は、法律でこれを定める。但し、人種、信条、性別、社会的身分、門地、教育、財産又は収入によつて差別してはならない。

 差別禁止規定と言えば、普通はマイノリティ保護のためだと思いやすい。しかし、「法の下の平等」は政治家の家族にも適用される。政治家の子どもは自らの意思で政治家の親の家庭に生まれたのではない。「性別」や「身分」によって立候補資格を奪うことが出来ないように、政治家の子どもが立候補したいなら誰も止めることは出来ない。政党が公認しないとしても、無所属で出る自由がある。有力政治家の子どもなら、無所属でも当選するだろう。国会議員には居住地条件はない。日本国籍があれば、日本のどこでも立候補出来る。政治家の子どもが好きなところで立候補するのは、国民の基本的権利で誰にも奪えないのである。
(派閥解消を主張する小泉進次郎議員)
 しかしと、何となく納得できない思いを持つ人は多いと思う。中曽根康隆議員とコロンビア大学大学院で同期だったというのが、小泉進次郎(1981~)議員である。この人は小泉純一郎元首相が議員引退を2008年に表明し、後継の指名を受けた。そして、2009年の衆院選で初当選したのは28歳の時だった。そして、2012、14、17年と4回当選を重ねて、2019年に38歳で環境大臣に就任した。スタートが早いから当選回数も多くなり、30代で大臣になれた。曾祖父以来の強固な地盤に恵まれ、落選の心配などしたことがないだろう。だからこそ、思い切った主張を展開出来る。

 それにしても、総理大臣を長く務めた親の後援会組織をそのまま受け継げるというのは、どうにも不公平だ。どこで立候補してもよいわけだが、20代でさっさと当選出来るなんてアリなのか。僕がそう思ってしまうのは、今では20代が若すぎる感じがするという理由もある。平均年齢も上がり、就職や結婚の事情も大きく変わった。これが横須賀市議選に出るというのなら、誰も文句を言わないだろう。若い時は地方自治を勉強し、それから国会議員になって国家全体のことを考える。その方が良いと思うんだけど。政治家の親も「かわいい子には旅をさせよ」の心で子どもに接するべきではないか。

 そこで考えたのだが、現在の立候補年齢(被選挙権)は、衆議院議員が25歳参議院議員が30歳と分かれている。選挙権年齢が引き下げられたので、立候補可能年齢も下げるべきだという議論がある。僕もそう思っていたのだが、よくよく再考してみれば、20歳で国会議員になっても年長者の使い走りだろう。だから、思い切って「国会議員に立候補可能な年齢は30歳」に引き上げてはどうだろう。その代わり「地方議員に立候補可能な年齢は18歳」と思い切って下げるのである。高校を卒業したら立候補可能にすれば、大学は夜間や通信に通いながら地方議員をやる人が出て来るかもしれない。

 そして、「国会議員は30歳以上」だけど、例えば「地方議員を5年以上務めた」場合などは、特例として国会議員に立候補可能とする。特例の条件は他にも考えられる。国際人権団体で5年以上働いた、福祉や教育の現場で5年以上働いたなどなど。問題は世襲そのものより、大した人生経験もない人が親の名前で当選してしまうことの方だ。立候補そのものには資格審査は出来ない。だけど、出来る限り現場感覚を持つ人が国政に増えるように、政治家の子が福祉現場などで働くと早めに立候補可能という制度はどうかなと考えて見たわけである。
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「派閥解消」より、政治資金規正法の改正を!

2024年01月22日 22時07分35秒 | 政治
 岸田首相が突然「岸田派(宏池会)解散」を宣言して、自民党内は派閥解消論議で騒然としている。「派閥解消」は今までにも何回か機運が盛り上がったことがあるが、いつの間にかウヤムヤになった過去がある。僕は全く信用してなくて、今回どう決着しても20年後には似たものが復活しているに違いないと思っている。こういうのを見ると、僕はいつも『仁義なき戦い』シリーズを思い出してしまう。「頂上作戦」で追いつめられた広島の暴力団は「解散」して、代わりに「政治結社」に衣替えした。実質は変わらないまま、表面だけ付け替えるのが保守政治の知恵(または悪巧み)である。
(岸田派が解散)
 それにしても、岸田首相の派閥解散宣言ほどおかしなことはない。何故って、岸田氏は宏池会の会員じゃないからである。岸田派を率いる岸田氏は、総理就任後も岸田派を離脱しなかった。安倍氏は首相在任中は派閥を離脱し、だからこそ清和会(清和政策研究会)は「細田派」と称していた。(細田氏が衆院議長に就任し党籍を離脱したので、首相を辞任した安倍氏が派閥に復帰して会長に就任した。だから「安倍派」と呼ばれた。)岸田氏が総理就任後も派閥を辞めないことはずっと批判されてきたが、頑なに派閥会長を続けていた。ところが、今回の未記載問題が大きくなった後で、2023年12月8日に宏池会から離脱することを表明したのである。会員じゃない人がその組織の解散を決められるのか。要するに「偽装離脱」だったのである。

 「安倍派」の解散というのも、政治の流れ的には当然なんだろうけど、全く意味不明である。そもそも会長がいない組織というのがおかしい。今も故人の名を冠していたこと自体がおかしい。そのためか、安倍派の面々も国民に謝罪する前に、「安倍氏の名前に泥を塗って申し訳ない」とか言っている。もともと国民のための組織という意識じゃないのである。かつて「竹下派」の金丸信会長が議員辞職した後、後任の会長選びが紛糾し、「羽田派」(小沢一郎系)と「小渕派」(橋本龍太郎系)に分裂したことがある。安倍派も「いずれ自分が総理」と思う人が複数いて、後継会長を無理に選ぶと分裂するんだろう。
(安倍派も解散)
 今の自民党で「派閥」と称していたものは、歴史的にはもう役割を終えていたと考えられる。そもそも派閥は「この人を次の総理に」と推す子分が集まるものだ。ボスの方は総裁選で自分に入れてくれる部下が必要だから、折に触れて政治資金を配ってつなぎ止めることになる。その「御恩」(餅代、氷代)と「奉公」(総裁選での票固め)の関係が保守政治のダイナミックスになってきた。その意味では、首相を辞任した安倍氏が会長になること自体がおかしい。それは「麻生派」「二階派」にも言えることで、総裁候補じゃない人が会長をしている派閥というものがおかしいのである。

 一方、菅義偉前首相が盛んに派閥解消を声高に主張しているのも変である。自民党の政治刷新本部で派閥解消を主張している人は、菅氏に近い議員が多い。以前から菅氏を中心にした「勉強会」が企画されていて、そこで声を挙げている人は「事実上の菅派」みたいな人が多い。菅氏もずっと無派閥を通してきたわけではなく、当初は小渕派、その後は宏池会に所属していた。2009年の民主党政権成立後の自民党総裁選で、河野太郎を支持して派閥を脱退したという。2009年衆院選は民主党が大躍進したが、菅義偉は辛くも(548票差)5回目の当選を果たした。そのように自分の政治基盤が確立されたから、「無派閥」を通せたのである。
(政治資金規正法改正の論点)
 そんな自民党内の事情にしか関わらない派閥問題ばかり論じていてはならない。この絶好機に何としても「政治資金規正法改正」を成し遂げなくてはならない。「派閥解消」は単なる党内ルールだから、後でどんどんウヤムヤに出来る。しかし、法律は一度変えたら、また国会で議決しない限り変えられない。そういう「歯止め」がある変更を行わないといけない。では、どう変えるべきか。僕にもすぐ全部は言えないけれど、今の「パーティー券」は買っても行かない人がいて成り立っている。つまり、「事実上の寄付」である。それが20万円まで記載しなくてよいとは全く理解不能。「記載限度額の引き下げ」は必須だ。

 また「秘書」は立件されるのに、政治家が無傷なのは納得出来ない人が多いだろう。これが選挙だったら、選挙運動に関わった有力運動員の有罪が確定したら議員も失職する規定がある。いわゆる「連座制」である。別に議員本人が法的に有罪となるわけじゃない。だけど「失職」して「公民権停止」となる。そういう決まりがあれば、こんなふざけた裏金問題は無かったに違いない。また報告方法を「デジタル化」することも必須。そうすれば当然デジタル情報で公開されるから、マスコミ等の追跡が容易になる。会計ソフトを作っている会社が幾つもあるから、「政治資金報告用ソフト」もすぐに出来るだろう。
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林芙美子を読む①戦争を生きた女たち

2024年01月21日 22時28分03秒 | 本 (日本文学)
 林芙美子(1903~1951)の小説を読んでいる。前からちゃんと読んでみたいと思っていた。成瀬巳喜男監督による林芙美子原作の映画は好きだけど、実はほとんど読んでなかったのである。『放浪記』を読んだことはある。最初は面白いんだけど、同じような繰り返しが延々と続いて飽きてしまった。作家の柚木麻子が『放浪記』を「魔改造日記」と呼んでいて、なるほどと納得した。建て増しを重ねた温泉旅館みたいになってしまった作品なのである。そう書いてあるのは、2023年5月に出た『柚木麻子と読む 林芙美子』(中公文庫)で、その本を読んだことをきっかけにこの機会に他も読んでみようと思った。

 林芙美子は昭和前期に活躍した多くの女性作家たちの中では、今も一番知名度があって読まれている人だろう。だけどやっぱり、名前は聞いたことがあるけど、読んだことはない人が多いと思う。文章は非常に読みやすく、今でも全然古びてない。しかし、何となく敬遠している人はいると思う。一つは男女のもつれた関係を主に描いた「風俗作家」という思い込み。もう一つは戦時下に報道班員として中国や東南アジアに赴いた「従軍作家」、もっと言えば「戦犯作家」という評価である。そして、特に戦後は大人気作家として数多くの雑誌、新聞に書き散らして推敲の時間も取れなかった「早書き作家」という決めつけである。

 しかし、読んでみると「早すぎる晩年」にいっぱい書いた多くの短編も完成されている。変にあれこれ推敲するより、勢いに乗って書いてるエネルギーが感じられる。今回読んでみて、代表作とされる『放浪記』『浮雲』から入ると大変なので、「ちくま日本文学」(文庫版の文学全集)の『林芙美子』を最初に読むのが良いんじゃないかと思った。これには中短編しか収録されてないので、簡単に読める。前に読んでいて大好きな初期作品『風琴と魚の町』(1931)が小説の最初に入っている。母と(母より大分年下の)養父とともに行商で訪れた尾道の描写である。今じゃ大林宣彦映画で知られる尾道だが、それ以前は林芙美子で知られていた。
(ちくま日本文学)
 それで判ることは林芙美子が天性の詩人だったことである。尾道に居付いて学校に通えるようになり、女学校に進学する。その頃から地元新聞に詩や短歌を発表していた。(当時は柿沼陽子というペンネームを使っていた。)そこから散文に移行するのは苦労したらしい。初期の『風琴と魚の町』や『魚の序文』『清貧の書』などは冷徹なリアリズム描写を身に付ける前のメルヘン的な作風になっている。それが欠点とならず、詩情と郷愁が巧みに織りなされている。『風琴と魚の町』は近代短編小説のベスト級ではないかと思う。尾道の小学校や女学校の教師もよく芙美子の才能を見逃さず援助し続けたものだ。
(若い頃の林芙美子)
 母の姉妹に転々と預けられる子どもを描く『泣虫小僧』(1934)も名品で、1938年に豊田四郎監督によって映画になった。「ちくま日本文学」に入っている作品の後ろ半分は、皆「戦争」が登場人物の人生を大きく変えている。『下町』(ダウン・タウン)はシベリア抑留から帰らぬ夫を待って行商をしている女が、ふと親切な男に巡り会うが…。この作品は千葉泰樹監督の中編映画『下町』(1957)の原作だが、映画は全く同じ筋だった。原作で主人公の男は山田五十鈴の写真を貼っているが、映画で行商女を山田五十鈴が演じているのが面白い。(男は三船敏郎。)

 『魚介』は日中戦争下、伊豆天城の温泉場の酌婦たちが仕事がなくなって「満州」まで稼ぎに行く。『河沙魚』(かわはぜ)は夫が召集されている銃後の女の悲劇。さらに講談社文芸文庫にある『晩菊 水仙 白鷺』に収録された戦後に書かれた短編集はもっと直接に「戦争」を描く。というか、戦争時代を生きていたから、戦争で変貌する女の姿を描くしかなかったのである。『晩菊』を読むと、映画で主人公を演じた杉村春子がいかに凄いかがよく判る。数年前までは軍需産業などで羽振りがよかった男も、戦争に敗れると皆没落した。戦前は玄人女を「世話」出来た男たちが、戦後は昔なじみの女を頼るしかなくなっている。

 時代の変遷と悲哀をこれほど鋭く描いた作品は少ないだろう。もはや「詩情」は裏に隠れて、冷徹なリアリズムに徹している。子どもを抱えて、時には体を売ったり、子を捨てたりしてまで生きていかざるを得ない女たち。「敗戦を抱きしめ」ることが出来ない女たちのリアルがここにある。民衆の中から出て来た林芙美子の作品には、様々な民衆像が描かれる。女も男も等身大で描かれ、特に偉くもないが何とか生きている。それでも男はダメになっていっても、女は生き抜くのである。

 今までどちらかと言えば、やはり「女と男」を描いた作家と思われてきた林芙美子を、むしろシスターフッド(女同士の連帯)の作家として読み直すのが、一番最初に紹介した柚月麻子である。今まで他の作品集に収録されてこなかった作品の中に、そういう作風の小説があるという。そこで見られる「ふてぶてしさ」こそが魅力なのだと言う。確かに『寿司』など実に興味深い。『市立女学校』は名前こそ変えてあるが、尾道の女学校時代を形象化した作品でとても貴重だ。「貧困」と「食」と「性」があからさまに語られ、同時代の男性作家からは低く見られたのかもしれない。だけど、新しい「貧困」と「戦争」の世紀を生き抜くために、女も男も林芙美子を再発見する価値がある。
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安倍派幹部の不起訴に納得せず

2024年01月19日 22時10分37秒 | 政治
 2023年末から大きく問題になってきた「安倍派裏金問題」に取りあえずの結論が出たようだ。「証拠隠滅」疑惑もあって逮捕されている池田佳隆衆院議員の扱いが未定だが、議員としては谷川弥一衆院議員が「略式起訴」、大野泰正参院議員が「在宅起訴」された。一方、派閥側では安倍派二階派岸田派会計責任者(元会計責任者)が「在宅起訴」された。一方、安倍派幹部側は全員不起訴になった。きちんとした「証拠」が集まらないのに、無理に起訴するのは間違っている。しかし、今回のケースでは、僕は「証拠不十分」なだけで実際は「限りなく怪しいクロ」と思っている。
(安倍派幹部不起訴)
 ところで、こういうニュースを見ると、「略式起訴」の対語として「在宅起訴」があるように思う人もいるだろう。だが実は「起訴」と「略式起訴」があるだけである。「在宅」かどうかは取り調べのやり方の問題で、「逃亡」「証拠隠滅」の恐れがなければ、逮捕して取り調べる必要がない。略式起訴は最高刑が罰金100万円以下の事件で、本人が同意した場合に行われる。正式裁判は行われず、簡易裁判所で行われる。要するに谷川議員は「有罪」を受け入れ、大野議員は「有罪」を受け入れてないのだろう。大野議員は今後通常の裁判が行われ、有罪が確定するまでは議員の身分は変わらず、選挙にも出られる。谷川氏は現在82歳なので、今後数年以上も争うのは人生の時間のムダと判断したんだろう。
 (谷川議員と大野議員)
 二階派や岸田派の実情は知らないけど、「ミス」の積み重ねだと言われると、それを覆す証拠もないのかなと思う。そもそも政治資金規正法では不記載の責任は一義的には会計責任者になる。なかなか議員側との共謀関係の証明は難しいだろう。だが、安倍派のケースはずいぶん違っている(と報道されている)。一端集めたものを、ノルマ以上だと超過分を戻していたとされる。さらに参院議員の場合、参院選の年は納入義務が免除されていたとか、中には派閥にはノルマ分だけ納めて超過分はもともと手元に置いていたという。この特殊性から考えて、「4千万円基準」で起訴、不起訴が分かれること自体納得出来ない。

 事務総長経験者は「会長案件」だったと述べていると報道されている。安倍派というのは党内保守派で、折に触れ「愛国心」とか言ってきた人々である。まあ「自称愛国者」がイザとなったら責任転嫁するというのは、歴史の法則である。だがこの5年間の会長というのは、細田博之安倍晋三の二人だから、まさに「死人に口なし」ではないか。それならば2022年7月に安倍氏が亡くなった後は、この裏金問題は無くなったのか。それだけ考えても、少なくともこの2年間は「会長案件」とは言えない。統一協会の票割りは安倍氏が仕切っていたようだが、一般的には政治資金の処理は会長じゃなく事務総長の権限じゃないのか。
(二人の会長経験者は故人)
 そもそも何のために政治資金規正法があるのか。それは「お金で政治を動かす」ことがあってはならないからだ。政治に関わるお金の流れを透明にすることで、「お金で政治を買う」企業などを無くす。実際は必ずしもそうなっていないが、目的はそういうことだろう。時効に掛からない5年間で4千万というのは、1年で800万になる。それだけ貰えば、政治家を動かせそうな気もする。柿沢未途議員の「贈賄」は、選挙に関わる問題だがずっと少ないではないか。それはともかく、法の目的からするともともと「薄利多売」であるパーティー券の収支は記載ミスがあっても大きな問題になりにくい。

 しかし、今回の安倍派のケースは、「意図して裏金を作る」というものだ。それが「派閥ぐるみ」で行われていた以上、派閥幹部には責任がある。法的責任が証明出来なかったとしても、政治的、道義的責任があるのは当然ではないのか。収入に記載されてないお金は何に使ったのか。いくらでも不明朗な使い道が出来るだろう。こういう「初めから裏金目的」の場合は、何も「未記載額4千万」にこだわるのはおかしい。派閥のパーティー券を一生懸命売った人だけが、多額の未記載額が生じてバカを見た。初めからノルマ超過分を手元に置いていた人は、金額の多寡に関わらず政治資金規正法違反で立件するべきではないのか。

 しかし、まあこういう結果は当然予測の範囲内である。年末に書いた「今は安倍派の責任追求が優先だー岸田首相退陣要求の前に」でこのように指摘した。「かつて東京佐川急便事件で当時の金丸信自民党副総裁が在宅のまま略式起訴になったことに国民の批判が殺到した。その結果、本人が議員辞職するに至った。今回も刑事責任を辛くも逃れたとしても、明らかに政治責任がある政治家には議員辞職を要求していかなければならない。」僕が今思うのは、やはりそういうことである。
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鹿児島、松山、徳島、松江…、「第三の町」は?②選定編

2024年01月18日 22時51分46秒 | 社会(世の中の出来事)
 ニューヨークタイムズ選定「行くべき都市」に選ばれるべき「第三の町」はどこだろう? ということを前回に検討して、県庁所在地城下町、(出来れば)九州か四国、ただし政令指定都市は除くという条件を考えた。北海道の魅力は「日本情緒」じゃないところにあるから、ここでは除いて考えたい。というところまで、前回条件を絞った。

 この条件で考えてみると、四国は4県の県庁所在地、高松、徳島、松山、高知がすべて城下町である。(全部、百名城。)そもそも四国の場合、昔の国名が県名になっていないけど県境自体は同じである。旧国名の讃岐、阿波、伊予、土佐は、今もよく使われている。旧国の独自性が強い、ちょっと特別な地域である。九州では、鹿児島佐賀大分が城下町で、いずれの城も百名城になっている。長崎と宮崎は城下町ではなく、福岡と熊本は政令指定都市。

 さて、ここからどこを選ぶかなかなか難しいのだが、「日本情緒」とちょっと違うかもしれないけど、ストーリー性から鹿児島市をまず選んでみた。要するにアメリカ人の相当ディープな観光客向けの話である。南北戦争とほぼ同じ時代に、事実上の独立王国サツマの首都だった鹿児島は、イギリスと抵抗戦争を戦い、その10数年後には中央政府に立ち向かい兵を挙げた。そんな地域は他になく、「日本のディープサウス」(深南部)とでも呼ぶべき地域ではないか。
(鹿児島市の仙巌園)
 上記画像はまるで「富士山と五重塔」だけど、実は島津氏が作った大名庭園、仙巌園(せんがんえん)である。桜島を借景にして、実に雄大。そしてそこには反射炉も作られ、世界遺産にもなっている。庭園として素晴らしく、国の名勝に指定されている。そして鹿児島は活火山を背景にした世界にも珍しい大都市で、下記画像を見れば判るように「日本のナポリ」と呼んで遜色ない。日本人はどうしても、長州、薩摩というと幕末維新を思い出すわけだが、今回の山口選定も別に維新とか関係なかった。
(鹿児島)(ナポリとヴェスヴィオ火山)
 歴史や飲食文化の独自性も高い地域で、興味深い。フロリダ州がキューバと関係が深いように、サツマは昔琉球を支配していた。日本の大部分のところでは、「サケ」と言えば「ライスワイン」が出て来る。しかし、サツマとリュウキュウでは「ショウチュウ」と呼ばれるジャパニーズ・ウォッカを「サケ」と呼ぶのである、などなど。ちょっと面白いストーリーを書けそうだ。

 四国ではどこも面白いので、「シコク・エリア」としてまとめるというやり方もある。個別都市としてみれば、まずは「松山城」と「道後温泉本館」のある松山か。愛媛県には宇和島、今治、大洲など興味深い城下町が多い。だが、やはり観光地としては県庁所在地の松山か。ここはノーベル賞作家ケンザブロー・オオエが学んだ町で、『北京の55日』の国際的俳優にして、ラーメンをテーマにしたカルト・ムーヴィー『タンポポ』の監督ジューゾー・イタミと知り合い、オオエはイタミの妹と結婚した。まあ、正岡子規と夏目漱石では外国人には縁が薄いかなと思って、現代の話を。
(松山城)(道後温泉本館)
 しかし、日本人には鹿児島や松山はかなり観光地として知られた町である。そこで徳島を選べば、盛岡、山口並みの意外感が出て来る。ここは町の真ん中に眉山(びざん)という山があって、ロープウェイがある。県庁所在地としては珍しいだろう。そこからの夜景は函館や長崎ほど知られていないが、十分に行くべき価値がある。阿波国分寺庭園という興味深い建造物がある庭園もある。そして夏にはリオのカーニヴァルに匹敵する大規模なストリートダンス・フェスティヴァルが開かれることでも有名。
(眉山からの夜景)(阿波国分寺庭園)(阿波踊り)
 ところで、同じ中国地方から続くとは考えにくいが、町そのものとしては僕は松江が捨てがたいと思っている。松江城武家屋敷があり、ラフカディオ・ハーンという興味深い人物が住んでいた。日本的ムードでは盛岡や山口をしのいでいる。
(松江城)(武家屋敷)
 ということで4つ選んでみたが、何も県庁所在地に限らないとすれば、他にいろいろある。弘前、鶴岡、会津若松、松本、福山などである。今回は抜いたのだが、沖縄県の那覇だって「城下町」と言えないことはない。また「エリア」として考えるという手もある。僕は「信州エリア」や「琵琶湖エリア」は大きな可能性があると思う。長野県は城下町や宿場町、門前町に古い情緒が残っている。有名な城も多い。一方で現代的な宿泊施設も多い。山岳景観そのものはカナディアン・ロッキーやアルプスに及ばないかもしれないが、日本情緒を加えれば十分健闘出来る。

 また琵琶湖エリア、つまり滋賀県だが、京都や奈良の大きな寺とは違う、民衆に根付いた小さな寺がたくさんある。彦根城も素晴らしいが、むしろ安土城、小谷城(浅井氏)、観音寺城(六角氏)、佐和山城(石田三成)、坂本城(明智光秀)など、「廃城」がたくさんある。そういうところに歴史ロマンを感じる人には魅力的だ。ニンジャの甲賀、焼き物の信楽などもあり、京都や奈良の近くなのに、ちょっと違った日本の姿を見られる。

 他にも離島、つまり佐渡や隠岐などという選定もあるかもしれないが、むしろ大穴は釧路じゃないか。やはりサマー・ヴァケイションを利用して日本旅行をする人が多いだろう。トーキョーもキョートも今や猛暑である。山口も暑い。九州や四国も暑いのである。だが多分暑くない、というかほとんど寒い地域が道東地域なのだ。20度を切る日も結構ある。日本有数の漁港で、美味しいシーフードに恵まれている。近くには釧路湿原国立公園、阿寒摩周国立公園に加え、近年「厚岸霧多布昆布森国定公園」が指定された。「あっけし・きりたっぷ・こんぶもり」である。ちょっと遠出して根室の東端に至れば、今やアメリカ人が観光に行けないロシア支配地の東端を望める。暑い地域を見た後、最後に釧路へ行くという選択こそ賢いかもしれない。
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盛岡、山口に続け、行くべき「第三の町」は?①傾向分析編

2024年01月17日 22時33分49秒 | 社会(世の中の出来事)
 ニューヨークタイムズが「今年の行くべき場所」の3番目に山口市を選んだというニュースがあった。去年は盛岡が選ばれて話題になった。この選択から考えて、では第三の町はどこになるだろうか。そんなことはどうでも良いのだが、まあちょっと考えてみたいわけである。そういうことをアレコレ考えるのは楽しいことだから。
(今年は山口)
①意外な町が選ばれた
 この盛岡山口というのは、日本人にとっては少し意外感があった。そういう町があるのは知っている。だけど、その町自体を観光目的に行く人は今まで少なかっただろう。近くにもっと面白い観光地がいっぱいあるからだ。盛岡なら、花巻とその周辺の温泉郷、平泉八幡平のハイキングと温泉、「民話の里」遠野、そして三陸沿岸の海岸美と復興支援…。まあ宮沢賢治、石川啄木、柳田国男などは、後を慕って岩手県に来るほどの世界的知名度はないんだろう。
(去年は盛岡)
 山口も同様で、山口県なら観光的には松下村塾が「世界遺産」になったが一番だろう。フグ(まあ「ふく」と呼ぶらしいが)で知られる下関は人口が山口より多い。また錦帯橋の岩国もある。僕は鍾乳洞好きなので、秋吉台秋芳洞も絶対落とせない。(それを言うなら、岩手には日本一好きな龍泉洞がある。)このようにどっちも日本人にはスルーされがちな町だった。

②大きすぎる町は選ばれない
 今年はトップが皆既日食のある北米、2位が五輪都市パリだという。そうすると、何も情緒だけを求めているのではなく、イベントも重視ポイントになっている。それなら来年は「アレ」かも。「万博」なるものがあるとかいう「大阪」。でもパリなら五輪以外にも見るべきものが幾つもある。五輪なら自国選手を応援に行く意味がある。万博だって自国パビリオンはあるんだろうけど、今どきのアメリカ人にどれだけインパクトがあるだろうか。USJだってわざわざ外国で見るまでもないだろう。

 まあ、ちゃんと出来るかも怪しい万博の話は置いといて、ここで判るのは「大きすぎる町」は選ばれない可能性が高いということだ。東京大阪京都はもちろん、日本人には魅力がある横浜神戸札幌福岡なんかも抜かされる可能性がある。盛岡、山口という選択からは、政令指定都市である仙台静岡岡山広島熊本なんかも、外しておいた方がいい。外国人にはまだそれほど知られてないと思う岡山や熊本などは、本来なら選んでみたいところではあるけれど。
(盛岡と岩手山)
③有名すぎる観光地は選ばれない
 日本を目指す観光客なら当然知ってるだろう有名なところも選ばれない可能性が高い。つまり鎌倉とか日光とか。富士山周辺も同様である。最近人気の飛騨高山なども除外対象になる。町自体が観光目的地と認識されている金沢長崎なんかも、今さら意外感がないから外しておくべきか。
(山口市の瑠璃光寺)
④小さすぎてもダメである
 しかし、盛岡や山口は県庁所在地である。ある程度大きな町ではある。これは何故だろうか。「情緒」だけじゃなく、キャパシティ面からも一定の大きさが欲しいのかも。そう考えると、福島県の大内宿とか長野県の妻籠宿など「日本情緒」なら一番だろうし、今も外国人に人気がある。だが、ここを行くべきと紹介したらオーバーツーリズムになることは全く明らかだ。その意味では小さな秘湯(乳頭温泉郷とか法師温泉など)もないだろう。角館伊賀上野津和野なども小さいからやめておきたい。

 盛岡や山口なら、洋風(ベッド)のホテルもいっぱいある。日本旅館はそれが目的で泊まってみたい外国人には魅力だろう。でも大浴場や日本食が苦手な人も多いと思う。また欧米人には部屋や諸施設が小さすぎる場合も多い。夕食はステーキ、しゃぶしゃぶ、天ぷらなんかもあるし、経験としてはいいだろう。だけど、朝がライスとミソスープ、発酵ビーンズじゃちょっとという人も多いんじゃないか。ホテルなら洋風の朝食も可能だし、町に出ればマクドナルドなんかもある。
(実は今工事中の瑠璃光寺)
⑤城下町が望ましい
 盛岡も山口も城下町である。いわゆる長州藩、毛利家は長く萩城に居を構えていたが、幕末の1863年になって山口に拠点を移した。攘夷実行に伴い、外国艦船から攻撃されやすい萩を避けたのである。もちろんその前に戦国時代は大内氏の本拠地だった歴史がある。しかし、近世のほとんどは城がなかったので、日本百名城ではなく二百名城に選定されている。(山口県では萩城と岩国城が百名城選定。)盛岡はもちろん南部氏の城があり、明治になって取り壊され城址公園になっている。啄木の歌で有名である。

 やはり日本観光には「サムライ」が必須なんだろうか。でも、まあ城下町には史跡が多く、情緒が残る町が多い。日本人なら北海道の大自然は大きな魅力である。利尻島礼文島など素晴らしいと思う。でもキャパシティを別にしても、アメリカ人ならカナディアン・ロッキーやプリンス・エドワード島、あるいはイングランドの湖水地方などに行けば良いわけである。
(盛岡で落とせない原敬記念館)
⑥次は本州以外から
 盛岡は北の方、山口は西の方だけど、どっちも本州島にある。それを考えると、次に第三の町を選ぶなら、北海道、九州、四国及びその他の島々(沖縄、奄美、佐渡、隠岐など)から選ぶべきだ。と僕は思うんだけど、それがニューヨークタイムズでも同じように考えることかどうかは判らない。そして北海道は城下町が松前と函館(五稜郭を入れるとして)しかないから、上記基準で言えば外れるかと思う。北海道は雪がない東南アジア各国には大人気である。でも、アメリカ人なら北東部やカナダに行けばいいわけだ。そういうことも配慮しながら、次回は選定編。
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トイレの中の懲りない面々ー「秘境」男性トイレのヒミツ②

2024年01月16日 22時51分26秒 | 社会(世の中の出来事)
 前回を受けて、「男性トイレ」に潜む「懲りない面々」を紹介してみたい。
①スマホを見ながら小用する男(たち)
 今は「アサガオ」の上がフラットになっているトイレが多い。(雨の日に長い傘を掛けやすい。あるいは杖も。)そこに置いてスマホを見ることは不可能じゃない。まあ、何もトイレで見ないでもいいだろうとは思うけど。だけど、もっと凄いの人も見たことがある。片手にスマホを持って操作しながら、もう片方の手でズボンのファスナーを下ろしていた。あり得んだろ。

上げたら戻さない男たち
 男性トイレの「大」を見ると、便座が上げられていることがある。外でトイレに入る時は大体が小用だろう。しかし、施設によっては小用トイレが少ない。「大」が空いていれば、そこに入ってももちろんいいけれど、その時に便座を上げて「簡易アサガオ」にしてしまうわけだ。これは自宅でもやってる人が結構いるらしく、家人に文句を言われたという話はよく聞く。

 それはもちろん自分のことではない。家ではシャワートイレだから、常に座ってやることに慣れてしまった。ところが何故か「便座を上げる」ことにこだわる男がいる(らしい)。それが男のやり方だなどと思い込んできたのだろうか。座ってやる方が普通は楽だと思うけど。この便座を上げる男は、ほぼ確実に戻すことはない。「上げたら戻さない」、これがほぼ「法則」だと思う。

「尿ハネ」問題
 「便座を上げる」ことの最大の問題は「尿ハネ」が起きることである。これは以前「ガッテン!」で取り上げていた。そうしたら、ちょっと予想していた以上に、オシッコが跳ねて飛んでいるではないか。それを見てから、上がってる便座を見ると注意して見るようになった。やっぱり跳んでいるのである。これは「新型コロナ」以後にはあり得ないやり方だなと強く思う。
(「尿ハネ」の様子)
 「コロナ禍」でトイレの使い方も大きく変わった。衛生面でより注意して使うようになったのは、うれしいことだ。「大」の便座を上げて「小」をするのは、今や「過去の男」のやり方だ。

④手を洗わない男たち
 今度は主に「小」の場合である。まあ「大」(洗浄便座の場合)「小」問わないかもしれないが、出るときに手を洗わない男がいる。大昔はかなり多かったらしい。自分は小さいときから、手を洗うのがエチケットだと教えられていたから、手を洗わずに出るのはちょっと信じられない。でも年長の教員が「自分は古いから手を洗わないんですよ」なんて言っているのを聞いたことがある。

 僕に向かって言ったのではない。新採の女性教員に言ってたから、今じゃ問題発言になるかもしれない。(ちなみに、その先生は後に校長になった。)このように、ある年代の人には手を洗わないのが、むしろ普通の感覚だったらしい。この場合は「小」のケースである。町中には原っぱなんかもまだ多くて、飲んだ帰りに立ち小便するぐらい当たり前だった。今じゃ犬の糞だって片付けないと逮捕されてしまう時代になった。

 でもオシッコした手を洗わないままって、今の衛生感覚では許されないだろう。結構年上の人には、今でも洗わないで出ていく人がいる。しかし、僕が驚くのは若い人にもいるのである。映画館でも大きなシネコンなんかは比較的少ない。(手洗いの数も多くて使いやすい。)問題は駅で、若い人でも洗わない人がかなりいる。その割合は感覚的に1割~2割ぐらいだろうか。

⑤「アサガオ」の下が汚い問題
 ところで以上を越えて、一番困ってしまうのは、小用トイレの下が「オシッ湖」になってることなのである。3つあれば、2つは大体そうなってる。どうしてそうなるのか。これは主に「高齢化」によると思う。一度に出切らないで、終わりかと思って止めるときに垂れることが多いのである。もっともそれだけなら、濡れるかもしれないが「溜まり」にまではならない。

 その場合は、もう便器の外に向かってオシッコしているのである。そんな人がいるのかと思うだろう。いるんである。数は確かに少ないけど、見ないでやってるからズレている。注意するのも何だし。困った爺さんだなと思うだけで黙ってる。(かなり高齢の人ばかり。)今までで一番凄かったのは、オシッコが二筋に分かれていて、上の方は便器に入っているが、下の方は完全に外に出ている。便器の下が湖になっているじゃないか。あり得ないものを見たと思った。

 この問題は信じて貰えないかと思って、証拠写真を撮ろうかと思ったのだが、さすがにそれは出来なかった。誰もいないとしても、トイレでスマホをかざしているのは怪しすぎるかなと思って。

⑥その他の問題
 今では数は少なくなったが、酔っ払って吐いてある大トイレ、トイレットペーパーが詰まってあふれている大トイレ、便がこびり付いている大トイレ、そんなのは昔は結構多かった。しかし、これらはまあ、トイレを使う中でどうしても一定程度起こりうることだと思う。そういうトイレは嫌だろうが、それでも掃除するのがプロの清掃人である。その意味では『PERFECT DAYS』のトイレ掃除をプロ仕事と言うのはどうなんだろうなと思う。
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「秘境」男性トイレのヒミツ①

2024年01月15日 22時30分51秒 | 社会(世の中の出来事)
 映画『PERFECT DAYS』を見たし、「道の駅」についても書いた。「トイレ」についてまとまって考える機会は少ないから、前からいつか書きたかったテーマを取り上げてみたい。それは「男性トイレ問題」である。そんなもんは読みたくないという人もいるかもしれない。でももちろん「トイレ」は人生の大問題だし、特に出先では大きな悩みでもある。

 さて、世の中の半分は男で、もう半分は女だ。今はこう書くと批判されるだろう。もちろん今では性差にもグラデ-ションがあり、両性の特徴を合わせ持つ人もいることは常識だ。性自認が生まれた性と違う人も多い。そのような人が男女どちらのトイレを使うべきかは、社会問題になっている。そして男女を問わず、普通のトイレは健常者仕様だから障害者には使いにくい。

 そういう問題が存在することは知っているが、今書きたいのはそういうことではない。つまり、生まれた時から「男性用トイレを使うとされてきた人」と「女性用トイレを使うとされてきた人」と、人は大きく分ければ2種類になる。僕はいろんな所へ行ったことがあるが、東京でも行ったことがないところがまだ無数にある。それでも映画館や劇場ならずいぶん多く行ってると思う。だけど、トイレに限って言えば、多くの映画館や劇場の男性トイレしか知らない。まあ、当然のことだが。

 そして、それは逆も言えるから、世の中の半分を占める女性は各種施設の男性トイレに入ったことがないだろう。上野動物園とか東京タワーとか、まあ一回ぐらいは行ったことがある人が多いと思う。だけど、トイレに関しては自分の性とは違うトイレには入れない。世の中の半数の人が行けないんだから、そこはもう片方の性にとっては「秘境」と言ってもいいだろう。

 ところで、僕は学校に勤務してきたから、男女双方のトイレを知っている。トイレ掃除見回りなどがあるのである。そこでは両方のトイレに入る必要がある。夜間定時制の場合など、夜9時過ぎに誰もいないトイレを見回るのである。まあ、誰かいたら怖いけど。しかし、時には女子トイレに吸い殻が落ちていることもあるから、見回りが必須なのである。(この見回りがない学校はないはずだが、映画『台風クラブ』では台風が来るからと教員が生徒を置いて帰っちゃう。あり得ないと思う。)

 だから自分にとっては男性トイレも女性トイレも秘境でもないし、ヒミツもない。だけど、トイレ問題はあまり書かれてないと思う。まあ、書きたくもないし、読みたくもないテーマかもしれない。だけどまあ、ちょっと問題提起しておきたいのだ。まず、男性トイレは「小」用が幾つか並び、「大」用の個室が幾つかある。そのぐらいは女性でも知ってるだろう。具体的には下記の画像のような感じ。凄くキレイなのは、これが使用前のモデルハウス(みたいなもの)だからである。
(男性用トイレのモデル)
 「道の駅」なんかは大体こんな感じだけど、多くの劇場や駅の男性用トイレには「大」がこんなにはない。劇場などでは(お芝居の幕間などで)女性用トイレにズラッと並んでいることがある。そもそも観客に女性が多いのだろう。男の場合は「小」は割合スムーズに進む(ズボンを下ろさないんだから)ので、そこまで混んでない。だけど、それが「大」の場合はかなり大変である。

 「大」の数が少ないのである。だから僕は東京のいろんな駅、映画館や劇場などが多くある新宿、渋谷、池袋…なんかでは、トイレに行きたい時どこへ行けば良いか、頭の中にリストが出来ている。もちろん目的の施設までガマンすれば、そこに一番キレイなトイレがある場合はそれでいいんだけど、実は必ずしもそうじゃない。古い劇場や小さな映画館などはまだシャワートイレ(INAX)やウォシュレット(TOTO)になってないところが結構あるのだ。

 それでも今はずいぶんキレイになったから、駅でも使えるところが多い。むしろ駅や駅ビルに一番キレイで広いトイレがあることも多い。昔はそうじゃなかった。下記画像のように「小」トイレが汚かったのである。男性用小便器を俗に「アサガオ」と呼んでいるが、今はそこに「自動的に水が流れます」なんて貼ってある。昔は当然そんなことはなかったから、「尿石」がたまっていくのである。そうすると黄色く変色してしまう。
(尿石のついたトイレ)
 場末の映画館なんかでは、そういうトイレが多かった。そこにはアンモニア臭と消毒液の臭いが立ちこめ、時には客席まで漂ってきた。施設内はまだ良くて、街の公衆トイレなどはもっと汚れていた。清水邦夫の戯曲『僕らが非情の大河を下るとき』なんかに出て来る通りである。だがさすがに、日本の場合は公衆トイレで薬物(麻薬や覚醒剤)の密売が行われていることはまずなかった。

 そんな大昔の汚れたトイレこそ、わが汚辱と栄光の青春の象徴だ、なんて言い張るつもりは全くない。昔もヤダなあと思っていたし、あまり汚れているような所は敬遠していた。渋谷区ほど美しいトイレにするべきかどうか、自分には定見はないけれど、日本社会が世界に冠たるキレイなトイレを実現していることは素晴らしいと思う。だが、それを使う側の問題はどうなっているだろうか。実は大問題があるのだ、というところで次回に続く。
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映画『PERFECT DAYS』、隠された東京物語

2024年01月13日 22時38分49秒 |  〃  (新作外国映画)
 ヴィム・ヴェンダース監督の『PERFECT DAYS』。冒頭で男が目覚め、歯を磨き、缶コーヒーを買ってから車に乗る。背景にスカイツリーが見えているから東京東部である。首都高に乗って都心部に向い、降りると男は公園にあるトイレを掃除する。その間セリフはなく、タイトルも出てこない。一体これはドキュメンタリー映画なのだろうか。いや、もちろんこれは劇映画である。男を演じる役所広司カンヌ映画祭男優賞を受けたというニュースを知らずにこの映画を見る観客は一人もいないだろう。

 ヴィム・ヴェンダースは最近も多くの劇映画を作っているが、近年はドキュメンタリーの方が出来が良いかもしれない。『ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ』(1999)、『Pina/ピナ・バウシュ 踊り続けるいのち』(2011)、 『セバスチャン・サルガド/地球へのラブレター』(2014)などで、日本未公開ながら前作も『Pope Francis: A Man of His Word』(2018)というフランシスコ教皇の映画である。そんなヴェンダースが日本のトイレをテーマにドキュメンタリーを撮っても全然おかしくない。
(カンヌ映画祭の役所広司)
 この映画は『パリ、テキサス』(1984)や『ベルリン 天使の詩』(1987)など最高傑作には及ばないが、なかなかよく出来ていて流れるように見られる。役所広司演じる男は「平山」と言うが、これは映画ファンならすぐ思い当たるように小津映画の主人公の多くに付けられた名前である。だから、この映画はヴェンダース版『東京物語』みたいなものだと思う。小津映画が表面上気持ち良く見られる裏側に多くの隠された事情があったように、この映画も「何が隠されているか」を探りたくなってくる。

 日本人から見ると不自然な点にこだわってもヤボというもんだろうが、一応いくつか書いておく。この映画は2023年5月のカンヌ映画祭に出品されているんだから、当然それ以前に撮影されている。しかし、日本で新型コロナが5類に移行したのは2023年5月の連休明けで、それまではほとんどの日本人がマスクをしていたはずだ。ところがこの映画では道行く人が誰もマスクはせず、それどころかトイレ清掃員の平山もマスクなしである。これは最近のトイレ清掃を見ていても考えられない描写だ。時には素手で掃除しているのもおかしい。ヴェンダース流の「もう一つの東京」を描いた映画なんだろう。
(渋谷区のトイレ)
 墨田区辺りから毎日のように高速で渋谷区のトイレ掃除に行くというのも、非常に不自然な設定だ。しかもトイレが素晴らしくキレイ。というか、そういうトイレ(有名建築家が設計している)を設置しているという事実が先にあり、その「宣伝」というか広報がもともと企画の始まりだという。ああいうトイレだと皆ちゃんと使うのか、どれもわざわざ掃除するまでもないぐらい。普通は何か「事件」があって、そこに「試練」がある。学園映画なら全員優等生みたいな設定じゃ詰まらないから、誰か問題を起こす生徒がいる。でもこの映画のトイレは誰も汚してないのである。

 もちろん現実の日本では、そんなにキレイなトイレだけではない。特に男性用なら、便座を立てたままで使用して汚れていることは多い。まるで「日本人はトイレを清潔に使い、そんなキレイなトイレも毎日精魂込めて掃除している」と言わんばかりだ。平山の生活も不可思議。昼にサンドイッチを食べて、夜に飲みに行く以外の食事はどうなっているんだろう。この平山の住む家のトイレはどうなんだろう? 夜間頻尿はないのか。浅草まで行くのに吾妻橋じゃなく桜橋(X字型の橋)を使うのも不自然だが、まあ「絵になる」んだろう。自転車の鍵は掛けるがそのまま置いて(何故か持っていかれない)、地下鉄浅草駅地下街の店の常連という設定は、余りに定番すぎて笑ってしまうぐらい。
(夜読書する平山)
 この平山の決まり切った日常を描いて少し退屈する頃合いに、平山をかき回す人物が現れる。そこで彼の人物像が少し明らかになるが、ケータイも持ってないのかと思ってたら、会社との連絡用に持っていたじゃないか。読んでいる本は古本屋で買うが、出て来るのはフォークナー『野生の棕櫚』、幸田文『木』、パトリシア・ハイスミス『11の物語』である。この選書センスは驚くほどで、要するに彼の過去は結構な学歴があるか、まあ学校は別にしても「文学青年」的だったのだろう。そして姪が家出してきて、妹がいることが判明する。父親との確執があったようだが、「平山の過去」はこの映画で「隠された」一番大きなものだ。

 この平山の暮らし方は、ある種の「隠者」というものだ。鴨長明や吉田兼好が林間に庵を結んだのと違い、現代では都会の「ボロ」家屋に隠れ住む。そして日々オリンパスのフィルムカメラ(僕も昔持っていた)を使って、「木漏れ日」を撮る。それが彼の「ゼン」(禅)であり、「サトリ」である、みたいな描き方だろうか。「足るを知る」シンプルライフは美しいとも言えるから、映画のキャッチコピーは「こんなふうに生きていけたなら」。だけど、僕はこういう風に生きていきたくはないのである。
(姪のニコと)
 役所広司は実は僕と同じ学年になる年齢で、会社員や公務員だったらもう定年である。政治家や会社経営者ならまだまだ現役かもしれないが、恐らく「自ら下りた人生」を送ってきた平山は、大した年金もないだろう。働かざるをえない経済事情があるから働いているのである。妹はお抱え運転手を伴って現れたから、生れつき貧困家庭に育ったのではなく、彼にも「経済的に恵まれた人生」はあり得た。そして、家族との関係もほぼ断っている。そういう人生も世の中にはあるわけだが、施設に入っている老いた父にも会いたくない人生というのは、僕が生きていきたい人生とは違う。

 この映画の魅力は使われている音楽である。それもカセットテープなのである。僕も知らなかった曲が多いが、調べればすぐに判るのでここでは書かない。また脇役というか、チョイ役みたいなところで、思わぬ人が出ている。クレジットを見るまで気付かなかった人(研ナオコ)などもいるが、これも自分で調べて欲しい。冒頭でアニマルズ「朝日のあたる家」が流れるが、平山行きつけの店のママがそれを日本語の歌詞で歌うシーンがある。この歌詞は浅川マキのもので、歌っているママは石川さゆり

 いろいろと調べていくとなかなか面白いし、ロケ地を訪ねた記事も一杯出て来る。まあ、一見の価値ある映画に違いないが、ただ感心して見ちゃマズいだろう。なお、役所広司はこういう「いい人」じゃなく、『シャブ極道』『うなぎ』『すばらしき世界』など犯罪者を演じる方がずっと凄い役者である。
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