尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

マジック・リアリズム、『百年の孤独』①ーガルシア=マルケスを読む⑧

2024年07月20日 21時58分10秒 | 〃 (外国文学)
 ガルシア=マルケス連続読書は、いよいよ『百年の孤独』である。論点がたくさんあるので、2回に分けて書くことにする。『百年の孤独』は1967年に発表され、世界で累計5千万部売れたという大ベストセラーである。日本では鼓直(つづみ・ただし)訳で1972年に翻訳され、1999年に改訳された。そして2024年6月に初めて新潮文庫に収録されたわけである。原題は「Cien Años de Soledad」で、英訳題は「One Hundred Years of Solitude」。つまり、普通に訳すなら「孤独の百年」である。それを『百年の孤独』と訳したところに妙味があり、日本語として詩的な深みが出ている。検索すると、宮崎県の会社が作っている「幻の焼酎」の名前にもなっている。そういえば聞いたことがあるが、製造本数が少なくて入手が難しいという。
(新潮文庫)
 以前に寺山修司が舞台化し、さらに映画化を試みたが、原作者の許可を得られなかった。そのため作者死後に『さらば箱舟』と改題されて公開された作品が実は『百年の孤独』になるはずだった。今回Netflixでドラマ化されるということで、改めて世界的注目されている。ということで、話題だから読んでみようという人もいるだろうが、早くも挫折した人がいるかもしれない。だから、友田とん『『百年の孤独』を代わりに読む』(ハヤカワ文庫)という本まで出てるぐらいである。そういう話を聞くと、どんな難解な小説かと身構える人もいるかもしれない。でも、この本は特別に難しい本じゃない。
(Netflixでドラマ化)
 しかし、自分も今回読み直すのに一週間ぐらい必要だった。案外「読みにくい本」でもあるのだ。それは何故だろうか。まず一つは純粋に長いということ。文庫本で注や解説を抜いて625頁ある。他の新潮文庫と比べて薄い紙を使っているので、「読み進み感覚」がスロー。しかも地の文ばかり続いて会話が少ない。司馬遼太郎の歴史小説みたいな気持ちで取り組むと、全然進まないのにガッカリする。もう一つは、同じ名前がひんぱんに出て来て混乱するのである。日本でも親の名前を襲名するということはあるが、基本的には子どもに親と同じ名前は付けない。しかし、アメリカのジョージ・ブッシュ元大統領の長男がジョージ・ブッシュ元大統領、という風に親子で同じ名前を付けたりする。

 この小説はホセ・アルカディオ・ブエンディアに始まる一族で、その子がホセ・アルカディオとアウレリャノ、その次の世代がアルカディオとアウレリャノ・ホセ、その次の世代はホセ・アルカディオ・セグンドとアウレリャノ・セグンド…という具合。女性の場合は、レメディオスとかアマランタの名前が繰り返される。これじゃ混乱しても無理はない。一応家系図が出てるけど、関係者も多いから忘れてしまう。ところで何でこんなに似たような名前を付けるのか。実際にコロンビアで多いのかも知れないが、それだけではない。この小説より『コレラの時代の愛』の方が長いけど、「長さ感」では『百年の孤独』の方が上だと思う。
(家系図)
 それは『コレラの時代の愛』が基本的には時間が線的に進むのに対し、『百年の孤独』は時間が円環的な構造になっていて同じような話が繰り返されるからだ。その仕掛けの謎はラストに解明されるが、この物語は一番最初に書かれていた「予言」の実現する物語だった。それも「繁栄」ではなく、「滅亡」に至る物語である。ホセ・アルカディオ・ブエンディアウルスラ・イグアランは訳あって村を離れ、自分たちの新しい村を創る。それが「マコンド」で、『百年の孤独』は簡単に言えば「マコンド盛衰記」である。また「ブエンディア家の人々」とも言えるが、一家の盛衰が町の運命と絡まり合っていることが特別だ。

 物語は19世紀初め頃に始まり、題名通り百年間の時間が経つ。日本で言えば、江戸時代の徳川家斉将軍時代から昭和になるまでで、この間の変化はものすごく大きい。それは近代文明が世界を支配した時期である。ブエンディア家によって栄えていたマコンドも、外部から影響を受けることによって変わってしまう。それまでも「ジプシー」の一団が年に1回訪ねてきて、ホセ・アルカディオ・ブエンディアは不思議な文物を入手して錬金術に熱中する。しかし、何十年か経つと「国家」と無縁に生きてきたマコンドにも、地方政府と教会が作られる。さらに何十年か経つと鉄道や飛行機などの「近代文明」がマコンドにも出現する。そして小説世界が全く変わってしまう。後半三分の一はひたすら衰えていく物語だから、読むのが辛いのである。

 この間マコンドでは不思議な出来事が起こり続ける。死者が甦るし、死なない人はずっと死なない。家母長と言える初代のウルスラは何と150歳近く行き続ける。目が見えなくなっても周囲に悟られず家族を見守っている。「小町娘」と言われるレメディアスは文字通り「昇天」してしまう。(小町娘はもう古いだろう。英語の「ザ・ビューティ」で良いと思う。)「ジプシー」のメルキアデスが籠っていた部屋は、彼の死後(いや、一度死んでから、甦ってマコンドに来るのだが)も塵が積もらず、空気も澄んでいる。後半になると4年と11ヶ月2日間も雨が降り続くし、その後は10年間の干ばつがやってくる。

 こういう現実にはあり得ない描写が連続し、その魅力に世界は驚かされたのである。そこで「マジック・リアリズム」という用語が作られて、ラテンアメリカ文学の代名詞ともなった。だけど、今回読み直してみると、そういうもんだと知って読むからかもしれないが、案外驚きはない。こういうものに慣れてしまったのもあるだろう。前にも書いたが、全く同年に発表された大江健三郎万延元年のフットボール』もマジカルな描写が見られる。何もガルシア=マルケスの、あるいはラテンアメリカ文学の発明というよりも、同時に多くの作家たちが同じような試みをしていたんだと思う。

 それは従来の「リアリズム」、あるいはそれを越えたはずの「社会主義リアリズム」では、もはや世界の大きな変化を表せなくなってしまったという時代認識があったのだろう。だけど、それは単に「ファンタジー」とは呼ばない。どんな奇想天外な世界が展開されようが、それはファンタジー小説ではなかった。やはりラテンアメリカの現実にしっかりと根ざしたリアリズムだった。初めて読んだ時は驚くべき幻想小説にも見えたが、再読するとラテンアメリカ民衆史でもあり、壮大な愛の神話だった。
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公選法改正、「ネット事前運動」や「戸別訪問」の解禁も議論を

2024年07月19日 21時47分03秒 |  〃  (選挙)
 都知事選関連の問題はもっと考えるべきことがある気がしてる。結局それは「東京一極集中」という問題になる。まあ、そのことは後に回して、先に公職選挙法(公選法)の改正問題を考えてみたい。自民、公明両党は改正に向けた議論を始めていて、秋の臨時国会の大きなテーマになるだろう。「つばさの党」事件や「ポスター掲示板販売」問題が起こった以上、それらの明らかに選挙をおかしくする行為を禁止するのは当然だ。ついでに「政党その他の政治団体は、各選挙の当選者定数を越える候補者を公認することはできない」というルールも作って欲しいところだ。

 しかし、そういう「禁止事項を加える」だけでなく、この際「選挙運動の自由」を大幅に拡大するべきだと思う。まず日本の選挙運動期間は非常に短い。アメリカの大統領選なんか、常にガンガン議論している。まだ民主、共和両党の候補を決める段階だけど、事実上「事前運動」をずっとやってる。それが良いかどうかはまた別だが、衆議院選が12日参議院選と知事選が17日は明らかに短すぎる。多くの人が休日の土曜、日曜が(告示の曜日にもよるが)1回か2回しかない。これで議論が活発になるはずがない。だから、普段から顔と名前を売っている現職が出る場合、新人が勝つのはとても難しいのである。

 だけど、実際の選挙運動が長すぎるのも困る。選挙カーが回ってくると騒音だし、燃料代も公費負担である。だから実際の選挙運動は今と同じ期間でもいいけど、ネット上の運動なら告示日なんか関係ない。「次の選挙に立候補します」とネット上で宣言することに何か問題があるだろうか。都知事選なんか「後出しジャンケン」なんて言われて、誰が出馬するのかなかなか判らない。そして選挙期間中もほとんど議論がない。逆に早く立候補を表明して、どんどんネット上で支持を広げる戦略もアリではないか。インターネットの使い方に関しても、上記画像にあるように「SNS」は可なのに、電子メールは不可など、不可解なルールが存在する。こんなバカげたルールは意味不明。何を使っても良いが、他候補への根拠無き非難などを刑事罰で禁止する規定の方が必要だろう。
(ネット選挙の現状)
 一方で、「マスコミの公平性」も緩和するべきだ。今回明らかに小池、石丸、蓮舫3候補が大量得票が見込まれた。(新聞やテレビ局は世論調査をしてるんだから、事前に承知している。)だから、3氏の討論会をやって欲しいわけだが、小池知事が「公務優先」を理由にして出ないということで、実現しなかった(と言われる)。でも、「蓮舫対石丸」の討論会でいいから、テレビや新聞、ネットメディアでやって欲しかった。終わってから石丸氏を各番組に呼ぶんじゃなく、選挙期間中にもやれば良い。他の候補が不公平だと言うだろうが、多少は知名度がある候補数人に5分程度のアピール時間を確保すれば十分だ。

 もう一つ「戸別訪問」の問題もある。もともとなんで禁止なのかというと、「買収が起こりやすい」からと言われる。また労働組合が支持する革新党が有利になることも保守陣営は心配したんだろう。でも今じゃ誰が録音録画しているか判らない。迷惑な戸別訪問をする陣営は、録音がネットに掲載されてあっという間にネットで叩かれるに決まってる。確かに今戸別訪問を解禁すれば、公明党(創価学会)や共産党の支持者がやって来て、支持者じゃない人には迷惑もあるだろう。でも嫌なら嫌で、ビラだけ受け取って帰って貰えば良い。支持しない政党のビラでも貰って読むべきだろう。
(戸別訪問と個々面接の違い)
 理解出来ないルールが残り続け、選挙運動期間も少ない。これでは盛り上がるわけがない。僕は街で選挙運動を見る機会が非常に少ない。ほとんど誰とも会わないのを覚悟している。いつもそうだからである。もっとも今回は都議補選の候補者の演説は二人とも聞いた。(立憲民主と自民から出た。)地元密着の選挙なら、運動にもぶつかるのである。しかし、住民が1400万もいて、離島もある東京都の知事選では、候補者を見る機会が少ない。業界団体や労働組合、宗教団体などに参加している人は今とても少ない。誰からも働きかけがないなら、選挙の投票率が下がるのも当然だろう。自分で調べて投票に行く人ばかりじゃないんだから。以前書いたことと重なる論点もあるが、あえてまた書くことにした。
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「水俣病」と向き合う家族『風を打つ』、ー音無美紀子と太川陽介の名演

2024年07月18日 21時33分17秒 | 演劇
 トム・プロジェクトプロデュースの演劇公演『風を打つ』(ふたくちつよし作・演出)を亀戸文化センター・カメリアホールで見た。最近ライブ芸能は寄席ばかりになってるけど、ホントは演劇も見たい。しかし、見たい舞台ほど料金が高いうえに、僕が住んでる町から遠い。散々そんなことを書いてるが今度は東武線で行けて、しかも退職教員向けの機関誌に割引の案内が出ていた。(もっとも2回乗り換えないと行けないが。亀戸は例のつばさの党「選挙妨害事件」が起こった街である。)

 この作品は今回が4回目の上演で、主演している音無美紀子が、第74回(2019年)芸術祭優秀賞と第30回(2022年)読売演劇大賞優秀女優賞を受けたという。知らなかったんだけど、題材が水俣病なのに何で初演を見てないのか。音無美紀子は昔結構好きだったのに。夫役は太川陽介で、今やテレ東のバス旅の印象ばかり強いが、大昔のアイドル歌手である。リアルで見たことないから、ちょうど良い機会。難役を見事にこなす音無美紀子の名演に驚き感嘆した。音無が「ツッコミ」で、太川陽介は「受け」の演技になるが、こちらも見事に夫婦の時間を感じさせる。ラストに太鼓の実演シーンもあって見ごたえがあった。

 ホームページから、どんな話か紹介する。「1993年水俣。あの忌まわしい事件から時を経て蘇った不知火海。かつて、その美しい海で漁を営み、多くの網子を抱える網元であった杉坂家は、その集落で初めて水俣病患者が出た家でもあった...。...長く続いた差別や偏見の嵐の時代...。やがて、杉坂家の人々はその嵐が通り過ぎるのを待つように、チリメン漁の再開を決意する。長く地元を離れていた長男も戻ってきた。しかし...本当に嵐は過ぎ去ったのか?家族のさまざまな思いを風に乗せて、今、船が動き出す...。生きとし生けるものすべてに捧ぐ、ある家族の物語。」

 これじゃ今ひとつ判らないが、昔網元だった杉坂家の物語である。舞台には居間とその隣の仏壇がある部屋がある。手前(観客側)が海という設定で、天気はホリゾントで表わされる。夫が新聞を読み、遠くで妻の電話の声が聞こえる。それがまた大声なのである。実は東京へ出ていた長男が帰ってくるという。次第に判ってくるが、二人が1959年に結婚したとき、夫は20歳、妻は21歳だった。妻が網元の一人娘で、網子だった夫が求婚したのである。そして男の子ばかり5人生まれた。しかし、4人は水俣を去り都会へ行った。「水俣病」という重さを避けたのかもしれない。3男のみが残って両親と海に出ている。
(ふたくちつよし)
 作者のふたくちつよし(二口剛)作品は初めて見るが、市井の人々の葛藤をさりげないユーモアで描き出す芝居が多いという。母親は今まで語らなかった水俣病の体験を自分の口で語り始めている。しかし、電話や手紙で「寝た子を起こすな」という匿名の脅迫も寄せられている。そういう「外部」の悪意が家族を引き離してきた。母は病気を抱えて、新しい歩みを始めたいが、重いものを背負わされてきた長男はなかなか納得できない。長男が何故家を出たか、そして何故帰ってきたのか。親と子の葛藤が見事に形象化される。一緒に帰ってきた長男の妻が出来過ぎな感じだが、そういう人がいないと話がまとまらないだろう。
(音無美紀子・若い頃)
 音無美紀子が演じる杉坂栄美子は、もともと網元の娘でリーダーとして育成された。地声も大きいし、感情的な起伏も激しい。普段は元気だが、疲れて調子が落ちてくると水俣病のしびれや目まいの症状がひどくなる。その病状を演じわけながら、快活な人柄を印象付ける。そういう難役をまさにそんな人がいるかのように演じている。夫の孝史はその妻を支えてきた長い時間を太川陽介の存在感が表わしている。見ていて栄美子には危なっかしさもあるが、太川陽介の存在が安定感を与えている。太川陽介はうまいのかどうか判断が難しいけど、やはり存在感が大きいなあと思った。
(太川陽介・若い頃)
 ところで、劇内の時間から30年以上経つが、今も水俣病問題の完全解決には至ってない。いや「問題としては終わっている」という判断もあるのかもしれないが、「病気」というものは奥が深く全貌がはっきりしない。原一男監督のドキュメンタリー映画『水俣曼荼羅』を見ても、まだまだ解明されていない論点が様々にあることが判る。『風を打つ』は家族を描くウェルメイド・プレイ(良く出来た芝居)だが、構造としては世界の様々な問題と重なる。世界の大きな矛盾は「家族」に圧縮されて現れ、その時には家族の弱い部分に特に重圧がかかる。そんなことを考えながら見た舞台だった。
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『予告された殺人の記録』、もう一つの『異邦人』ーガルシア=マルケスを読む⑦

2024年07月16日 22時34分17秒 | 〃 (外国文学)
 ガルシア=マルケスを続けて。『予告された殺人の記録』(Crónica de una muerte anunciada)は1981年に発表され、日本では1983年に野谷文昭訳で刊行された。刊行当時に評判となって、その当時に読んだ記憶がある。1997年に文庫化され、新潮文庫に今も生き残っている。解説を入れても150頁ほどの本だから、時間的には割とすぐ読めるけど、これも結構手強い。人名が多すぎて、誰が誰やら悩んでしまう。ある実在の殺人事件の時間軸を一端解体して再構成している。その構成が「卓抜」と評され、作者本人も自分の最高傑作と言っている本である。だけど、時間構成がバラバラなので、外国人には理解が難しくなるわけである。

 この小説は1951年に実際にコロンビアで起こった殺人事件を描いている。ガルシア=マルケスの家族が住んでいた町で起きた事件で、家族の証言も出てくる。しかし、ガブリエル本人はもうカルタヘナでジャーナリストをしていたので、事件当日は町にいなかった。知人も多く関係していて、事件当時に大きな関心を持って取材していたらしい。しかし身近な事件過ぎて発表出来なかった。30年経って関係者も亡くなりつつあり口を開きやすくなって、改めて取材してまとめたのである。世界的に知られた作家が実在の殺人事件を描いたとなると、ノンフィクション・ノヴェルと呼ばれたトルーマン・カポーティの傑作『冷血』が思い浮かぶ。

 よく比較される本だが、作家が身近な題材を扱い、(事実上)自分の家族まで出て来るところが違っている。では、これは「ノンフィクション」なのかというと、先に取り上げた『誘拐』が紛れもなくジャーナリズムの範疇に属するのに対して、この本は明らかに「小説」になっている。実際にはいなかった作者に代わって、事件を物語る主人公が出て来る。また時間の再構成がなされた時点で、「事実」から「文学」になっている。訳者後書きによると、この方法は中上健次が高く評価していたという。また香港の映画監督ウォン・カーウァイに影響を与えて、『欲望の翼』以前と以後の違いをもたらしたという。
(映画『予告された殺人の記録』)
 この小説も映画になっていて、1987年に製作され、日本では1988年に公開された。イタリアの巨匠フランチェスコ・ロージの監督で、コロンビアの現地でロケされた。この監督は『シシリーの黒い霧』『黒い砂漠』『エボリ』など社会派系の名作を作っていて、僕が大好きな監督である。期待して見に行った記憶があるが、映画はあまり面白くなかったと思う。映画祭やベストテン投票などでも評価は高くなかった。何がどうなるか不明な状況こそ映画の題材にふさわしい。「予告された殺人」が予告通りに起こっても、原作を再現しただけになってしまう。そこら辺に弱さがあったかなと思う。
(映画の一シーン)
 さて、今まで事件そのものに触れていないが、簡単に言えば「名誉の殺人」というものである。現代ではイスラム圏で多く見られるが、日本を含めて過去には世界各国で起きてきた。バヤルド・サン・ロマンという人物が町へやって来て、何者だか不明だが有力一族らしい。アンヘラ・ビカリオを見そめて、結婚を申し込む。アンヘラは親が認めた結婚を受けざるを得ず、町を挙げた「愛のない結婚」の祝祭が繰り広げられる。ところが夜遅くなって、アンヘラが家に帰されてきた。「処女」ではなかったという理由である。一家の名誉を汚されたとして、双子の弟たちが問い詰めると、アンヘラはサンティアゴ・ナサールを名指しした。

 こうしてサンティアゴ・ナサールが付け狙われることとなり、そのことを(ほぼ)町中の人々が知っていた。しかし、本人に教える人がいなかった。本当に事件を起こすとは思っていなかった人もいた。兄弟も止めて貰いたいかのように、周囲に言いふらす。一度は凶器のナイフを警官に取り上げられる。それで終わったかと思うと、家から豚を殺すためのナイフを持ちだしてきた。様々な偶然も重なり、止められたはずの殺人が現実に起こってしまった。という意味合いで、この物語を「運命に操られた殺人」と理解して「ギリシャ悲劇のよう」と評されることもある。
(スクレ県シンセレホの大聖堂)
 事件が起きたのは大都市ではなく、コロンビア北部のカルタヘナ西方のスクレ県で起こった。そこで「地域共同体」の構造が問題になる。ここでは誰も指摘していない観点を示しておきたい。それはアルベール・カミュ異邦人』との比較である。『異邦人』では、北アフリカのフランス植民地アルジェリアでフランス人ムルソーがアラブ人を射殺する。そしてそれを「太陽のせい」と表現し、「不条理殺人」と呼ばれてきた。しかし、僕はそれは植民地で起きたある種のヘイトクライムととらえられると考え、『ヘイトクライムとしての「異邦人」』を書いた。では『予告された殺人の記録』と何が関係するのか。

 実は殺害されたサンティアゴ・ナサールアラブ人だったのである。正確に言えば、父親がアラブ人移民だった。イスラム教ではなく、カトリックである。シリアやレバノンにはキリスト教信者も多く、レバノンで大統領を出す慣例がある「マロン派」は「マロン典礼カトリック教会」のことである。かのカルロス・ゴーンもその一人。オスマン帝国支配下で困窮し、世界各国に移民として流出した。南米にもブラジル、アルゼンチンなどに多く、コロンビアにも100万人ぐらいいるようだ。サンティアゴ・ナサールはその一人だった。もうすっかり受け入れられ、裕福な経済環境もあって、町に溶け込んでいたはずだった。

 しかし、誰も彼に「殺害予告」を教えなかった。またサンティアゴとアンヘラが仲良くしていた様子は誰も見ていなかった。サンティアゴには許婚者がいて、結婚式も決まっていた。後になって人々が解釈したところでは、アンヘラは「まさか家族が襲撃するとは思えない人物」の名前を挙げ、「本当に関係があった人物」を隠したと理解される。そんなことがあり得るのか。「家族の名誉」が汚されたと思われた時、家族がその当人や関係者を殺害するのが「名誉の殺人」と呼ばれる。それにしても、「事実」の確認を本人にしないで突然襲撃するなら、単なる殺人だ。

 これは「共同体」からはみ出す要因を持つ「アラブ人」が名指された事件だった。『異邦人』は偶然に発生し、『予告された殺人の記録』ではまさに「予告」されて発生した。しかし、どちらも被害者がアラブ人だから起きた事件だった。それが僕が感じた事件の解釈である。ガルシア=マルケスは必ずしもその辺を深堀りしていない。問題意識になかったのかもしれない。「移民」「ヘイトクライム」が大問題になった21世紀になってから、見えてきた観点かもしれない。
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『わが悲しき娼婦たちの思い出』、90歳の大冒険ーガルシア=マルケスを読む⑥

2024年07月15日 21時52分42秒 | 〃 (外国文学)
 ガルシア=マルケス連続読書6回目は、『わが悲しき娼婦たちの思い出』。2004年に発表され、日本では木村榮一訳で2006年に翻訳された。ガルシア=マルケスの生前に発表された最後の小説だった。1928年生まれなので、77歳の時である。冒頭に川端康成眠れる美女』が引用されていて、日本でも評判になった。それは1961年に刊行された小説で、1899年生まれの川端は62歳だった。今なら「老人」扱いはまだ酷だが、当時は(特に睡眠薬中毒で悩んでいた川端は)相当の高齢という年だった。それを反映して、『眠れる美女』には濃厚な死と退廃(デカダンス)の匂いが立ちこめている。

 ガルシア=マルケスは以前にも、『十二の遍歴の物語』所収の短編「眠れる美女の飛行」(1982)で『眠れる美女』に触れている。川端康成は相当に異様な性愛小説を幾つも書いた作家だが、中でもこの小説はぶっ飛んでいる。大昔に読んだきりで、細かいことは忘れてしまったが、当時としてもかなり気色悪い設定だろう。何しろ特殊な薬物で眠っている若い女性とただ添い寝するだけの「秘密クラブ」というのである。僕にはよく判らない感覚なんだけど、この小説は内外で5度も映画化されている。

 僕に理解出来ないというのは、「高齢になっても元気な男」が「若い女性」を求めるというなら、それは理解可能ではある。しかし、そういう「理解可能」な話はエンタメ小説にはなっても、純文学としては底が浅い。だから、すでに性的能力がなくなった「老人」がただ添い寝するに留まるという方が小説としては面白い。だけど、わざわざそんなことをするのが僕にはよく判らないわけである。そこには当然「金銭」が絡んでいる。金持ち老人の「悪趣味」みたいな気がする。ところで、そういう話をガルシア=マルケスも書いたのかというと、ある意味その通りなんだけど、本質的には逆方向の作品とも言える。
(2009年のガルシア=マルケス)
 『わが悲しき娼婦たちの思い出』は翻訳で120頁ほどの中編と言ってもよい作品だが、案外手強い。主人公はもうすぐ90歳を迎える新聞のコラムニストである。いつの話かというと、1960年だという。場所はコロンビアのカリブ海沿岸最大の都市バランキージャだと思う。(いつもカルタヘナを舞台にすることが多かったが、この小説では事件が起こってカルタヘナに逃げていく場面があるので別の町。)そして「90歳を迎える記念すべき一夜を処女と淫らに過ごしたい」と思ったのである。異様である。そんな90歳がいるのか。そんなことを妄想するもんなのか。

 帯の裏を見ると、「これまでの幾年月を 表向きは平凡な独り者で通してきた その男、実は往年 夜の巷の猛者として鳴らした もう一つの顔を持っていた。かくて 昔なじみの娼家の女主人が取り持った 14歳の少女との成り行きは…。 悲しくも心温まる 波乱の恋の物語」と書いてある。1960年のコロンビアの話だから、「女性差別」とか「小児性愛」と言っても始まらないだろうが、それでも21世紀に書かれた小説としては問題がありはしないか。
(映画)
 この小説はメキシコを舞台にして、2012年に映画化されたという。日本未公開だが、特に海外で評判になったという話も聞かない。ヘニング・カールセンというデンマークの監督作品である。この映画化においては、メキシコで「児童の人身売買と性売買を助長する」と批判が上がったという。ただ製作者側は(主演女優も含めて)、これは愛の物語だと論じたらしい。確かに原作を読むと、「死への誘惑」を漂わせる川端作品と違って、ガルシア=マルケス作品には生へのエネルギーがある。もう辞めるつもりだった主人公は元気を取り戻し、90歳にして人気コラムニストとして再生する。しかし、ここでも主人公と少女は性的な接触はない。それを「愛」と呼べるのか。僕にはどうも疑問が多かった。単に創作力の衰えかもしれないが。
(バランキージャ)
 90歳で新聞にコラムを書くというだけで、相当に凄い。さらに裏の生活として、少女と日々逢いたいと思う。それがある事件をきっかけに不可能となるが、それでも生きることに執着する主人公は何とか少女を見つけようとする。お互いに直接は何も知らないし、話をしたこともない。そんな二人に「愛」が成り立つのか。それはよく判らないけれど、何で作者はこの小説を書いたのかは、解説にヒントがある。『コレラの時代の愛』の中でも、ここでは触れなかったが親戚の少女が登場して悲しい運命をたどる。もう老人の主人公を愛してしまうのだが、主人公は半世紀前の恋人を待ち続けていたわけである。

 それも実に変な設定で、周囲に若い少女がいて愛してくれるんなら、半世紀前に振られた高齢女性に執着するのが理解不能なのである。しかし、それを言語のマジックで何となく納得させてしまう。しかし、その影で物語の犠牲になった少女を悲しい運命に追い込んだ。この『わが悲しき娼婦たちの思い出』は、その時の少女の再来なんだという。確かにそう解釈すると、『眠れる美女』が死の気配に満ちていたのに対し、この小説が生きるエネルギーに向いた「反・眠れる美女」とも言えることが理解出来る。ただ、やっぱり内容以前に作品としての面白さが減退してるんじゃないか。どうもそんな気もしてくる小説だった。
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斎藤兵庫県知事の「内部告発」問題ー「維新」知事のパワハラ疑惑

2024年07月14日 22時21分12秒 | 政治
 都知事選から一週間ほど。様々な余韻は漂うものの、地方政治をめぐる問題としては「兵庫県知事問題」が大きくなってきた。この問題は前からくすぶっていて、その話は聞いていた。しかし、地元の都知事選ならともかく、全然縁のない地域の話を書くのもなあと思って触れないでいた。しかし、重大な問題が幾つもあると思うので、ここで書いておきたい。

 2024年3月に「西播磨県民局長」(播磨=はりま=兵庫県南西部の旧国名)を務めていたW氏(本名も判明している)が、兵庫県の斎藤元彦知事の「パワハラ疑惑」などを告発する文書(「斎藤元彦兵庫県知事の違法行為等について」)をマスコミ、県議などに送付した。斎藤知事は告発を「嘘八百」と否定して、「業務時間中なのに嘘八百含めて文書を作って流す行為は、公務員としては失格。被害届や告訴などを含めて法的手段を進めている」と激しく反発した。W氏は3月末で定年退職だったが、「懲戒処分の可能性がある」として退職辞令が取り消された。そして5月になって「停職3か月」の懲戒処分が下された。
(内部告発を否定する斎藤知事)
 細かいこと(疑惑の内容など)は書かないが、その後県議会で「百条委員会」(自治体の疑惑や不祥事があった際、事実関係を調査するため、地方自治法100条に基づいて地方議会が設置する特別委員会)が設置され、来週にはW氏も委員会に出席して証言することになっていた。しかし、それを前にW氏は7月7日に亡くなった。「自殺」とされる。(遺書もあると言われるが、現時点では公表されてない。)ところで、この問題をちょっと調べて驚いたのは、死者は1人ではなく2人だったのである。先の文書で「セ・パ優勝パレードにおけるキックバック強要」が告発されていた。その担当の総務課長が大阪府との調整などに悩み「ウツ」状態だと告発されていたが、その課長が4月に「自殺」していたというのである。
(斎藤知事は辞職せず)
 兵庫県ではおよそ半世紀にわたって現職知事引退後に、副知事が出馬して当選してきた。2021年の知事選では、3期務めた現職の井戸敏三氏が引退を表明し、井戸氏は金沢副知事を後継に指名した。しかし、県政の刷新を求める声もあり自民党県議団は分裂し、斎藤元彦氏が自民党と維新の支持で立候補して、金沢氏らを破って当選した。斎藤元彦氏(1977~)は神戸市生まれで、地元小学校、愛媛県の中高一貫校を経て東大を卒業、総務省に入省した。総務官僚(旧自治省系)は全国各地に出向するが、Wikipediaを見ると斉藤氏は三重県、新潟県、福島県に出向している。直前は大阪府財務部財政課長だった。

 コロナ禍の真っ最中で「従来の発想の県政を脱却するべき」という方向性はあると思うが、こうして「大阪維新」の薫陶を受けた総務官僚が若くして知事になったわけである。権力者のふるまいは「大阪に学んだ」との声もあるようだ。パワハラ問題の具体的状況は知らないが、いろいろと検索すると「県職員なら誰でも知っている」という証言が多い。副知事は「厳しい叱責」と表現しているが、命に関わるようなケース以外で厳しく叱責することを普通は「パワハラ」と受け取るんじゃないだろうか。

 そもそも告発者が3月末で定年だと聞いた時点で、「告発は事実なんだろう」と僕は思った。今後もずっと生活のために辞めるわけにはいかない人は告発出来ない。もうすぐ退職する人間だから、最後に言うべきことを言わなければ無責任な終わり方になると思ったんだろう。ところが、退職自体が差し止められた。この退職差し止め自体がパワハラっぽい。多くの自治体に「定年延長」の仕組みはあると思う。しかし、それは「余人をもって代えがたい」場合の話で、「処分の可能性」で辞めさせないという措置はあり得るのか。普通は「退職金支給差し止め」はあっても、定年年齢になったら退職になるはずである。
(職員組合は知事の辞職を求めた)
 この退職差し止めは大きな重圧になったと思う。そして5月に「停職3ヶ月」となるが、それが仮に妥当な処分内容だとしても、「懲戒免職」事案ではなかった。わざわざ定年を延ばした上で「停職」など全く無意味である。在職時に問題があれば、その分の退職金を削減すれば済む話で、退職させないなんて聞いたことがない。この問題の県調査に「第三者機関」は関わらず、逆に「県が調査の協力を依頼した弁護士が、告発文書で知事の政治資金に関連して指摘された県信用保証協会の顧問弁護士だった」という。
 
 そこで県議会が「百条委員会」設置ということになったわけだが、自民党県議団は設置に賛成した。一方、維新と公明が反対したのである。維新や公明は普段は政治倫理に厳しいようなことを言っているが、やはり自分の支持する場合は違うのだ。それも大きな教訓である。そして、噂レベルだが、維新の県議は百条委員会で告発当事者の元県民局長を追求する構えを示していたという。3月末に副知事と県人事課長が突然県民局を訪れ、局長が使用していたパソコンを押収したという。局長にもまさかの油断があったのだろうが、どうも職場のパソコンで告発文書を作成していた。そしてパソコン内には個人的な情報も保存されていたらしい。

 「自殺」の真相は不明だが、このような百条委員会で予想される「追求」が大きな心理的負担になっていたのではないか。片山副知事は上記画像で職員組合からの辞職要求文書を受け取った人だが、辞任の意向を表明した。知事に一緒に辞任するよう求めたが拒否されたという。しかし、県庁で一人ならず二人も死者が出ている事実は重く、このまま最高責任者が居座ることが出来るとはとても思えない。何にしても「上司にしたくない」人物が間違ってトップに立ってしまった場合、下の者はどうすれば良いのか。

 僕は東京都の教員として、都教委(の都立中学教科書採択)に反対する運動をしてきた。従って、「身を守る」ためにはそれなりに気を付けていた。職場のパソコンで職務以外の文書を作ったり、有給休暇を申請せずに集会に参加するなど、避けなければならない。どこから難癖を付けられるか判らないからだ。裁判になれば、当局者はどこまでもウソをつき続ける。それを前提にして、不当な罠に陥れられないように「内部告発者」も注意が必要である。
*その後、W氏は音声データを遺していたことが判り、百条委員会に提出された。なお「死をもって抗議する」と言っていたという。「告発」内容の問題は今後しっかりと検証するべきだが、それ以上に告発以後の知事の対応に大きな問題があり、責任を免れないと考える。(7.17追記)
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2024都議補選の結果を考えるー「反自民」だけど「野党」の勢いも弱い

2024年07月12日 20時25分31秒 |  〃  (選挙)
 2024年7月7日の都知事選に合わせて、9箇所で都議補選が実施された。2021年の都議選以後に死亡、辞職などで欠員が出た地区で、来年7月までの任期の補欠選挙が行われたのである。それぞれの地区で選挙になった事情が異なるので、全都的、全国的な影響度は一概には言えない。しかし、結果として(8地区で擁立した)自民党が2勝6敗だった自民党への逆風は間違いないが、では野党へ追い風が吹いているのだろうか。その問題を点検してみたいと思う。
(都議補選結果)
 まず「欠員」前の所属政党を見ると、自民党5人、都民ファーストの会2人、無所属2人だった。今回の補選の当選者は、都民ファースト3人、自民党2人、無所属2人、立憲民主党1人、諸派1人である。自民党が3人減ったのは間違いないけれど、明確に野党に所属している当選者は1人だけ。今回は都知事選と一緒に行われたが、もし都議補選だけだったら投票率は劇的に低かっただろう。知事選に行ったら、ついでに都議補選の投票用紙も渡されたから、誰かに投票するわけだ。(都議補選だけ棄権することも可能なんだけど、投票所では事実上投票を前提に紙を渡される。棄権または白紙投票も可と告知するべきじゃないか。)
(都議補選、議席の推移)
 今回「都民ファーストの会」が4人立候補して、そのうち3人が当選した。それは知事選で小池百合子氏が当選したのと連動している。知事選で「小池」と書いた人がどの地区でも最多なんだから、ついでに補選があると「都民ファースト」に入れる。そういうことじゃないか。北区補選は前回トップ当選の山田加奈子(自民党)が区長選に出て当選したために行われた。自民、都民ファースト、共産、維新が出て、都民(5万8千)が当選、自民(4万4千)、共産(3万)、維新(2万6千)の順。自民出身の区長がいても、自民は落選。しかし、「共産」「維新」は「非自民」の受け皿になれないことが判る。

 一方、隣の板橋区では唯一都民ファーストの会が4位で落選した。当選したのは自民(9万1千)で、共産(6万2千)、維新(5万2千)、都民(4万5千)の順番。共産も維新も前回都議選より大幅に得票を増やしているが、自民には及ばなかった。ここで都民ファーストの会が大敗したのは、恐らく前職の辞職理由にあると思う。3年前に3位で当選した議員が、選挙運動期間中に無免許状態で運転していたことが発覚したのである。この時の対応に有権者が今も納得していないのではないか。有効投票数を調べると、知事選は27万、都議補選は25万と2万票も違う。都民、自民、共産、維新いずれも入れたくないということだろう。では立憲民主党は出ないのか。3年前に当選した現職議員がいて、来年には改選だから出なかった。

 板橋区の当選者は自民党だが、3年前に6位(定数5)で落選した元議員だった。もともと知名度があり、同情票も期待出来た。それでも立憲民主党との一騎打ちなら当落は判らなかっただろう。しかし、野党代表が共産党だった場合は、反自民票は結集しないのが現実である。 江東区では4人中4位、中野区では4人中3位だった。板橋区で2位というのは健闘した方なのである。「維新」は国会で自民党と協力したり(反発したり)、「反自民票の受け皿」には向かない。関西はともかく、東京では共産党の方が地力があるということだろう。逆に「一騎打ち」になったところを見る。

 八王子市萩生田光一元政調会長の地元である。裏金問題で役職停止1年になったものの、それは党中央のことで地方組織は別だと言い張って自民党都連会長を続投している。補選では自民党は市議の馬場貴大氏を擁立したが、10万票弱で落選。当選したのは諸派の滝田泰彦氏(14万4千票)と4万票以上の差が付いた。滝田氏は2017年に都民ファーストの会から当選して1期都議を務めた。3年前に落選して、「新時代の八王子」から出馬したが実質無所属だという。立民、共産は現職がいるから候補を立てず、結果的に「非自民票」の受け皿となったわけである。この間市長選にも出たということで、知名度もあったのだろう。
(八王子の都議補選結果)
 もう一つ、自分の地元の足立区でも立憲民主党の銀川ゆい子(141,326票)が自民党の榎本ふみ子(140,564票)をわずか762票差で振り切って当選した。僕はもう少し差が付くかと思っていたのだが、やはり足立区は自民党、公明党の基礎票が強い。それでも立憲民主党が勝ったのは、区議選で知名度があった候補だったこともあるが、要するに「反自民票が立憲民主党に集まった」ということだろう。なお、多摩地区の府中市も自民党が当選したが、他に無所属候補が2人立っていて、合計すれば自民候補を上回る。国政野党が候補を立てなかった理由は不明。

 東京の政治風土が全国と同じとは言えないだろう。しかし、今回の選挙結果を見ると、有権者の「反自民党感情」は強いように思う。だから仮に「維新から共産まで」の候補者調整が行われた場合、自民党(と公明党)は政権を失うのではないか。しかし、そんな選挙協力は不可能である。もしあり得るとしても、「立憲民主党と国民民主党」、「立憲民主党と共産党」のブリッジ共闘とも言えない、「勝手に選挙区調整」ぐらいだろう。だけど、その場合候補が立憲民主党の場合のみしか機能しない。ということで、小選挙区で「乱立」するから、自民党は結構当選する。という衆院選結果を都議補選は予告しているのではないか。
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『コレラの時代の愛』、壮大な愛の神話ーガルシア=マルケスを読む⑤

2024年07月11日 22時24分22秒 | 〃 (外国文学)
 ガルシア=マルケス連続読書シリーズの5回目はいよいよ『コレラの時代の愛』(木村榮一訳)である。「いよいよ」と書くのは、実は今回のメインイヴェントがこの本なのである。前回取り上げた『迷宮の将軍』(1989)の前、1985年に発表された作品である。しかし、翻訳の順番は逆になった。『迷宮の将軍』は2年後の1991年に翻訳が出たのに対し、『コレラの時代の愛』はなんと2006年まで翻訳されなかった。これほど世界的に評価された作家(82年にノーベル文学賞受賞)の新作が何故20年以上も紹介されなかったのか。最大の理由は長大さだろう。ガルシア=マルケス最長の作品で、字がびっしりで500頁もある。

 別に特に読みにくい作品ではない。だけど、何しろ悠然たる語り口で、ひたすら大昔の恋愛物語を読まされる。フローベールと比較されるらしいのも納得の大小説である。僕はこの本を読むのに5日掛かった。先週の関東は猛暑だったので、週末を出掛けずにこの本に当てたから5日で終わった。この小説は表面的には大ロマンスというか、半世紀にわたる大恋愛を事細かに描いている。その部分にフォーカスを当てたのか、2007年に映画化されている。日本でも2008年に公開されているが、見た記憶がない。そんな映画あったっけという感じ。マーク・ニューウェル監督、ハビエル・バルデム主演だが、ほとんど評判にならなかったと思う。DVDは出ているし、配信もあるようなので、いつか見てみたい。映像で見れば背景の理解は深まるだろう。
(映画『コレラの時代の愛』)
 この本は死んだ黒人ジェレミーアの検死に訪れた医者フベナル・ウルビーノ博士の話から始まる。チェス友だちだった博士は、彼の遺書を読んで衝撃を受ける。だから、その物語なのかと思うと、今度はウルビーノ博士の家庭事情が詳細に語られる。81歳の博士の家ではオウムが逃げ出していて、捕まえようとした博士はハシゴから転落して死亡してしまう。何でこの家にオウムがいて、どんな意味があるのかはそれまでにたっぷりと語られてる。しかし、主人公のように語られていた医者があっという間に死んでしまって、この小説はどうなるんだ。と思うと未亡人になったフェルミーナ・ダーサのもとを河川運輸会社社長のフロレンティーノ・アリーサが弔問にやってくる。このフロレンティーノこそが真の主人公だったのである。そこまでで80頁もある。

 いつ頃の話かというと、1930年だと思われる。何故かというと、映画『西部戦線異状なし』を見るシーンがあるからだ。ドイツの作家レマルクが第一次世界大戦の「西部戦線」を描いて世界的なベストセラーになった。アメリカのルイス・マイルストン監督によって映画化されたのが1930年。第3回アカデミー賞で作品賞を受賞している。日本でも同年に公開されたので、多分コロンビアでも同じだろう。さて、そこから大きく話が遡る。フロレンティーノは弔問の場でフェルミーナに変わらぬ愛の告白をする。

 彼はこの瞬間を51年9ヶ月と4日待ち続けたのである。実は博士とフェルミーナが結婚する数年前、フロレンティーナとフェルミーナはひそかに婚約していたのである。二人の交際は父の反対でつぶされたが、彼はいずれフェルミーナが未亡人になる日を待ち続けた。計算すると1870年代後半から1930年代に至る半世紀以上の話ということになる。その間登場人物が多すぎて、人間関係がこんがらかってくるが、ただフロレンティーナのフェルミーナへの恋愛感情は不変である。でも、そうなると男の方は70代後半、女の方も70代前半になっている。この愛は異常なものか、それとも純愛の極致か。
 (マグダレナ川)
 舞台となるのは、コロンビアを南北に流れる大河、マグダレーナ川の周辺をめぐって展開する。若きフェルミーナは父の命令で地方に送られる。戻ってきたら、彼女は電信局員のフロレンティーナに幻滅してしまった。フロレンティーナは「私生児」だが、伯父が河川運輸会社を経営していた、結局はその後継者となった。そして最後は川を遡るクルーズの道筋で終わる。その時代は日本でもそうだったが、コレラが流行することが多かった。「内戦」も続いているが、同時に感染症との戦いの時代でもある。医者のウルビーノ博士も、流行地域を周遊する船会社社長のフロレンティーナも、コレラの時代を生きていた。だから「コレラの時代の愛」と名付けられるわけである。舞台となる町はよく判らないが、映画はカリブ海に面した世界遺産の町カルタヘナで撮影されたらしい。
(カルタヘナの町並み)
 過去の風俗が細かく描写され、詳しすぎるとも思うけれど、読みやすくて面白いのは間違いない。20世紀後半に書かれた「最後の19世紀小説」と言えるかもしれない。しかし、根本的にフロレンティーナって何なのよと思ってしまうのも事実。50年間をひたすら昔の彼女を思い続けた。その間、ずっと童貞を守り続ける決意だったが、ある種のハプニングで性体験を持ってしまう。それ以後弾けたように数多くの女性と関係を持つが、一度も結婚しなかった。心の奥にフェルミーナがいたからである。でも信頼出来る秘書、愛してくれる若い女性などもいるのに、70歳を越えた昔の彼女を思い続けるって不自然じゃないか。

 しかし、文字で書かれた小説だからこそ、これは「壮大な愛の神話」に思えてくる。だけどなあ、どんな素晴らしい女性と昔付き合っていたとしても、その人が別の相手と結婚して子どもも生まれたら、もう諦めるもんだろう。心で思っているだけだとしても相手に迷惑だし、ストーカーっぽくて不気味。世の中に「絶対」はなく、いつの間にか別の人を愛してしまうのが普通だろ。と思ってしまうんだけど、この愛がどこまで普遍性があるか。一度読んで確かめてみる価値はある。面白いのは間違いないし。
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タイ映画『ふたごのユーとミー 忘れられない夏』、思春期映画の傑作

2024年07月10日 21時53分32秒 |  〃  (新作外国映画)
 都知事選や都議補選はまだ書くことがありそうだが、ちょっと映画の話。タイ映画『ふたごのユーとミー 忘れられない夏』という映画にとても感心した。多分知らない人が多いと思う。新聞の映画評を読んで見てみたいと思ったけど、僕もそんな映画をやってるのは知らなかった。調べてみると、東京23区内でも新宿ピカデリーと池袋HUMAXシネマズの2館しか上映してない。6月28日公開で、12日からはもう朝か夜の時間しか無くなってしまう。しかし、この映画は奇跡の思春期映画であり、「ガーリー・ムーヴィー」史上に残る傑作だと思う。タイ映画なんて見たことないという人にこそ是非見て欲しい映画だ。

 「ユーとミー」と題名にあるが、これは「あなたと私」ではない。それも掛かっているんだろうけど、タイの少女の名前がユーミーなのである。二人は一卵性双生児で、ホクロがある方がミー、ない方がユーというぐらいしか違わない。だから二人は時々周囲を欺して遊んでいる。食べ放題の店で大量に注文し、途中でトイレに行って交代するとか。この方式で、数学が苦手なユーの代わりに、ホクロを隠してミーが追試を受けた。鉛筆を忘れて困ってたらハーフの男子が鉛筆を折ってミーに貸してくれた。
(ユーとミー)
 何でも一緒の二人だが、そんな二人にも「大人の影」が…。両親の仲がどうもうまく行ってないらしい。二人は夏休みに海外に行きたいのに、今年の夏は母親の実家で過ごすという。それがイサーン(東北地方)のナコンパノム。ラオス国境にあるメコン川沿いの町だ。ミーは昔やった思い出の伝統楽器ピン(三弦の弦楽器)を見つけて、もう一回ちゃんと習いたいと思う。教室に行ってみたら、そこには何と追試で(ミーが)会った男の子マークがいたのである。親切に教えてくれるマークにユーはお熱になるが、彼は実際に追試を受けたのがミーとは知らない。実際に試験で会っていたミーも交えて3人でよく遊ぶようになるが…。
(ユーとミーとマーク)
 世の中は「2000年問題」で大騒ぎの1999年。一応説明しておくと、コンピュータ時代が始まって間もなく、時間設定が1900年代分しか出来てないため、2000年になった瞬間に大問題(飛行機が落ちるとか原発事故が起きるとか)が起きるかもと言われたのである。そして事業に失敗した父と母はホントに離婚するらしい。いつも一緒だったユーとミーだが、父はどっちか一人は父親と暮らして欲しいらしい。姉妹の「三角関係」も、親の離婚に翻弄される話も今までにあったけど、それが一卵性双生児の場合だったらどうなるんだろう。映画ならでは「奇跡」も交えて、二人の夏は劇的に過ぎていって…。そして運命の2000年がやって来る。
(ホンウィワット姉妹監督)
 この映画の監督・脚本は、ワンウェーウ & ウェーウワン・ホンウィワット姉妹という二人。実際に監督たちが一卵性双生児で、二人の経験が脚本にたっぷりつぎ込まれているらしい。世界に「兄弟監督」はいるけれど、「一卵性双生児姉妹」という映画監督は他にいないだろう。とても覚えきれない名前だが、弾けるような思春期の輝きを映像に閉じ込めた奇跡の映画だ。もう一つスゴイ奇跡があって、僕は映画を見ている間ずっと演じているのも一卵性双生児姉妹なんだろうと思っていたのだが、ラストのクレジットを見たら一人になっていた。ティティヤー・ジラポーンシンという2005年生まれの少女の二役だったのである。

 上記画像を見れば、誰でも二人の女優が出ていると思うだろう。むろん現代の技術をもってすれば一人二役も可能なんだろうが、それにしてもこんなに自然に双子を演じ分けるって、演技も演出も半端ない才能だ。マークも新人のアントニー・ブィサレーで、ベルギー人の父とタイ人の母の間に2004年に生まれたという。監督も俳優もフレッシュな魅力にあふれている。当時の歌が流れるが、タイなんだから僕は知らないけど、それでも懐かしい。思春期映画にふさわしいノスタルジックでガーリーなムードに覆われているが、監督の緻密な映像計算にすっかりハマってしまう映画だ。
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「石丸伸二ブーム」をどう考えるかー2024都知事選②

2024年07月09日 22時08分59秒 |  〃  (選挙)
 2024年都知事選では、石丸伸二氏(前安芸高田市長)が166万票近くを獲得して2位となった。それは何故で、今後の日本政治にどのような意味を持つのだろうか。第1回目で「蓮舫大敗」が今回の最大問題だと書いたが、それは来たるべき衆院選への影響が大きいと考えるからだ。しかし、今後の歴史の推移によっては「石丸2位」こそが最大の問題だったとなるかもしれない。石丸伸二氏は「日本政治のゲームチェンジャー」なのだろうか、それとも「空疎なデマゴーグ(煽動政治家)」なのだろうか。いろいろと考えて、「結論的には今のところなんとも言えない」が結論になる。考える材料が少なすぎるのである。
(石丸伸二氏)
 今回「石丸伸二」とフルネームで書くようにしてきたが、それは都知事選には「石丸幸人(ゆきと)」氏も立候補していたからだ。何やら間違えて投票したという声もあるらしい。結果は9万6千票ほどを獲得して、第8位だった。「石丸幸人党」である。この人は弁護士兼医師というスゴイ人。(関東圏では)過払い金のCMで知られた「アディーレ法律事務所」の創設者である。お騒がせ問題も多い事務所らしいが、選挙公報には「伝説の弁護士」と大きく出ている。子どもが出来たのを機に保育士の資格も取ったというから、資格だけなら都知事に最適かもしれない。まあ単なる資格マニアかもしれないが。
(石丸幸人氏)
 教員として多くの生徒を教えたが、「石丸」姓は一人もいなかった。幸人氏は北海道出身で、石丸伸二氏(以下は単に「石丸氏」と書きたい)は広島県の安芸高田市出身である。「安芸」(あき)は旧国名で、「高田」は濁らずに「たかた」と読む。広島県北部にあって、戦国大名毛利氏の本拠地として知られる。毛利の居城、郡山城跡は、国史跡に指定され日本百名城に選ばれている。人口は2万4千ほど。2020年4月に当選したばかりの児玉市長が河井元法相事件に関わって同年7月に辞職した。後継市長が無投票になりそうだというので、三菱UFJ銀行に勤務していた石丸氏が立候補して当選したわけである。
(安芸高田市の場所)
 そこら辺の経過はかなり知られてきたと思うが、2020年8月の当選だから本来ならまだ1期目の途中である。しかし、石丸氏は任期満了を待たずに辞職し、都知事選に出た。後継の市長選は都知事選と同日に行われ、反石丸派の藤本悦史氏が当選した。つまり、安芸高田市長として多くの業績を挙げ、地方自治のスターとなって都知事選にチャレンジしたわけではない。はっきり言えば政治家としては「失敗した市長」と言うべきだろう。地元に何も残せなかったというのに近い。もっとも「知名度を高める」というのが目的とすれば、ネットを駆使して反対派議員を「さらし」、全国的に知られた。議員から訴えられ敗訴しているぐらいである。
(石丸氏が訴訟で敗訴)
 石丸氏の街頭演説は大変な盛り上がりだったようである。今回は誰の演説も聞いてないが、猛暑でとてもそんな気が起きない。それにホームページを見ても、載ってないことが多い。(「つばさの党」問題以後の特徴である。)「X」(旧ツイッター)を丹念に追ってれば判るのかもしれないが、そこまでする気もなかった。しかし、テレビで見たり画像を検索すると、驚くべき人だかりだ。今回の有力候補の中で一番知らないから、聞いてみたいのか。短く断言するような演説で、どんどん画像を撮って、知り合いに送ってくれと言う。一度評判になれば、立ち止まって聞きたくなるし、勢いが付くとブームになる。
(石丸氏の街頭演説)
 政策的には何も言ってないに等しい。選挙公報では「政治再建」「都市開発」「産業創出」と大きく3つを訴えているが、具体策は特にないように思う。まあ、それは他の候補も似たようなものだが。「政治屋一掃」というような主張も聞いたが、誰が「政治屋」なのか定義は言わないから、既成政党全部を否定しているように取る人もいる。だけど、都議会には何の足場もないんだから、まかり間違って当選したらどうするんだろう。政策論争も大事だが、本当に石丸氏が訴えるべきは「都議会対策」だったはず。1年間は都議会多数派と妥協するしかないが、来年の都議選では新党を作って多数派を目指すとか。

 完全無所属で出馬した石丸氏はもっとも徹底した反小池を訴えていた。都庁舎の「プロジェクション・マッピング」は何の効果も無い愚策で直ちに中止。関東大震災時の朝鮮人虐殺事件の追悼文は送ると明言していた。(だから少なくとも「極右」ではない。)小池都知事が街頭にもテレビにも(ほぼ)出ず、政策論が盛り上がらなかった中で、石丸氏のはっきりした物言いが受けた面はある。蓮舫陣営は「昔の名前で出ています」的な応援弁士が多い。「民主党政権」なんて十何年も前のことで、若い人には記憶自体がないだろう。石丸氏は「小池と蓮舫の間」で、共産党が付いている蓮舫が忌避されたとは決めつけられない。

 今回の「石丸ブーム」は関西の「維新」や、数年前の「れいわ新選組」に近いかも知れない。国政は議院内閣制だし、地方政治は首長と議会の「二元代表制」である。政治は一人ではできない。「同志」が必要である。一人ではすべての政策を作れないから、すぐれた「ブレーン」も大切。今後石丸氏が再び選挙に出るなら、「誰と組むか」が大きな問題。その時にこの人の立ち位置がはっきり判るだろう。かつて1993年に日本新党がブームとなり、細川護熙氏が首相となった。今の政治情勢では自公も、他野党も多数を取れず、「石丸新党」がキャスティングボートを握り、一気に石丸首相が誕生するなんて展開も全くの夢想じゃないだろう。
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「負ける戦い」をした蓮舫陣営ー2024都知事選①

2024年07月08日 22時19分25秒 |  〃  (選挙)
 2024年7月7日に、東京都知事選挙が行われた。結果は予想されたとおりに、現職の小池百合子が3回目の当選を果たした。小池氏の場合、問題は「出るか出ないか」であり、出るなら勝つことが確実視されていた。もし今春に総選挙があった場合、小池氏は国政復帰を模索するのではないかと僕は予想していた。だがチャンスがないまま、結局は都知事選に出ることになった。小池氏は2016年の初出馬時に「2,912,628票」で当選し、2020年には「3,661,371票」と圧勝した。2024年は「2,918,015票」で、ほぼ第1回目と同じである。つまり前回から70万票ほどが減少したわけである。
(都知事選結果)
 小池知事に最盛期の勢いは失われつつあった。そこに対立候補として、5月27日に立憲民主党参議院議員蓮舫氏が出馬を表明した。当初は「小池対蓮舫」の争いとみられていたが、終わってみれば広島県安芸高田市の前市長石丸伸二氏が2位となった。終盤戦に石丸猛追が伝えられたが、それにしても僕は「2位争い」を予想していた。まさか35万票以上も差が付く蓮舫大敗は予想していなかった。「蓮舫大敗」はなぜ起こったのか。これこそ今回の都知事選の最大問題だと思う。
(出馬表明時の蓮舫氏)
 蓮舫氏の出馬表明より前に、石丸伸二氏は5月16日に都知事選への出馬を表明していた。しかし、5月末時点では両者の知名度には大きな差があったと思う。その後、蓮舫氏はなかなか公約を公表しなかった。僕はそれはどうなんだろうなと思っていたが、実際に発表された公約を見ても大きな変革を予感させるものは無かった。蓮舫氏が負けると判ったのは、告示日の第一声の場所を知った時。それは中野だった。2012年の自民党政権復帰選挙でも、長妻昭氏が勝ったのが中野区を含む東京7区。(その時小選挙区で勝ったのは、長妻氏と現在自民党の長島昭久氏だけだった。)

 蓮舫氏や支援陣営の話では、街頭演説では多くの聴衆が集まり盛況だったという。盛り上がりが感じられ、なぜこれほど大差で敗れたのか判らないという。実際に画像を検索すると、なかなか盛り上がってる感じだ。(下記画像)しかし、それがくせ者。石原都知事時代以来、ここ20年間左派系は「義侠心に富む負け覚悟の候補者」しか担いでこれなかった。蓮舫氏は久方ぶりの一般的知名度が高い候補者で、内輪で盛り上がるのも想像できる。だけど、戦略的に考えた場合、立憲民主党が弱体な地域で第一声を上げないと行けない。例えば、東京東部の錦糸町(墨田区)や北千住(足立区)、あるいは多摩地区の八王子(萩生田氏の地元)などである。
(蓮舫氏の演説)
 東京東部の大量の小池支持層を引き剥がすためには、地道に街頭演説を繰り返すしかない。しかし、蓮舫氏ではなく、石丸伸二氏が何カ所も演説を繰り返していた。さらに蓮舫氏は「外苑再開発」問題が争点になると言い切り、住民投票を検討するとも言った。これも疑問が多い言動だ。僕はこの問題を一度も書いてない。それどころか、実は神宮外苑のイチョウ並木をちゃんと見に行ったことがない。有名な絵画館前で待ち合わせしたこともない。僕の家からは身近な場所ではないのである。一般論として「自然を大切に」は理解出来るが、東京人の心のふるさとみたいに語る人があると、やはり「あっち側に住んできた人」と思う。

 「蓮舫氏自身の問題」「立憲民主党の問題」「共産党の支援問題」などいろんな側面があるが、結局は「内輪」の運動に終始した感がある。東京の政治風土は「保守」でも「革新」でもなく、「強いものに付く地域」だと思っている。地元意識が薄く、東京人は東京を愛していない。(そう考えないと、あんなに「ふるさと納税」をするのが理解出来ない。)東京に住んでるだけで、給料も高くなる。(公務員の場合、「地域手当」が大分違う。)東京で「子育て」をしているというのは、それだけで(好きな言葉じゃないが)「勝ち組」だ。小池知事はそこに焦点をあてて「バラマキ」を繰り返してきた。
(開票後の会見を行う蓮舫氏)
 最新の参院選である2022年東京選挙区で、蓮舫氏は4位で当選した(670,339票)。他に立憲民主党から松尾明弘氏が出たが8位で落選(372,064票)。共産党からは山添拓氏が3位で当選(685,224票)。さらに社会民主党から出た服部良一氏が59,365票を獲得している。4氏を合計すると、「1,786,992票」となる。それを政党レベルで見た場合の基礎票と考えると、何と50万票も流出している。無党派層がどうのと言う以前に、党の基礎票も固めきれなかったことが判る。

 非常に重大なのは、「小池バラマキ」が一端始まると、既得権化してしまって変えにくいことだ。子育て家庭に月5千円支給、私立高校授業料無償化など、一端やり始めると止めにくいが、果たしてそれが政策として最善のものか。一端立ち止まってゼロベースで検討するという公約を蓮舫氏は出せなかった。むしろ「小池都政の子ども政策」は「ある程度評価する」とアンケートで答えている。しかし、小池都政の進めて来たことは、「格差拡大政策」だろう。そしてその受益者は小池氏を支持し続ける。それに対する根本的批判は、自らも私立学校にしか通ってこなかった「山の手のお嬢様」の問題意識に入って来ないのかもしれない。

 しかし、それは最初から判っていることだ。そこをいかにして「化けさせる」のが選挙参謀の醍醐味だろう。それを考えると、全く戦略が立ってなかったと思う。自民党の問題により、衆院補選で立憲民主党が3戦3勝になった。勢いが立憲民主党にあると誤認してしまったのではないか。また政党支持の問題では、自民党が小池氏を「ステルス支援」する中で、蓮舫氏も同じように「政党隠し」になってしまった。僕はすべての国政野党(「維新」や「れいわ新選組」などにも)推薦依頼を出し、結果的に立民、共産、社民だけになってもいいから「推薦」とはっきりさせる方が良かったと思う。それでマイナス面があったとしても。

 結果的に立憲民主党の勢いを東京が止めてしまった。都議補選でも9箇所中、3箇所に候補を出して足立区しか勝てなかった。特に品川区など2位にもなれず、自民党を下回っている。次の国政選挙への影響も大きいだろう。
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梁石日、槇文彦、遠藤章、野口武彦、白石かずこ他ー2024年6月の訃報②

2024年07月07日 19時45分37秒 | 追悼
 2024年6月の訃報2回目。日本の作家、学者などを中心に。まず最初に作家の梁石日(ヤン・ソギル)が6月28日に死去、87歳。僕はこの人の本をあるときいっぱい読んでた。80年代にタクシー運転手の体験を軽妙に描く本を何冊か読んで注目した。それが崔洋一監督『月はどっちに出ている』の原作になったわけである。そして『夜を賭けて』(94)、『血と骨』(98)という二つの超大作を発表した。どっちも直木賞候補になったが、深刻な歴史的背景がありつつも骨太なエンタメ作品である。「在日朝鮮人文学」の中に、そういう人が出てきた。読んでて波乱万丈で面白いのである。特に『夜を賭けて』は大阪砲兵工廠跡の鉄くず窃盗団、つまり開高健『日本三文オペラ』、小松左京『日本アパッチ族』と同じ話を描いている。それが実の話だったのかと驚いた。しかし、あまりにも似たような傾向で多作なので、21世紀になったら読まなくなってしまった。
(梁石日)
 建築家の槇文彦が6月6日死去、95歳。まあ建築のことはよく知らないが、「モダニズムを基本にした知的な作品」だそうである。東大で丹下健三に師事し、磯崎新、黒川紀章と三羽ガラスと呼ばれた。60年代から数多くの設計を手掛けているが、代々木の東京都体育館を改築した東京体育館(90)や69年から98年にかけ作られた「代官山ヒルサイドテラス」などが代表作と言われる。プリツカー賞など内外の多くの賞を受賞している。他の作品に京都国立近代美術館、幕張メッセ、テレビ朝日本社、ニューヨーク世界貿易センター跡地のビルなど。僕の身近なところでは足立区北千住にある東京電機大学千住キャンパスがある。
(槇文彦)(代官山ヒルサイドテラス)
 詩人の白石かずこが6月14日死去、93歳。多くの詩人が70年前後に小説を書いて評価された(富岡多恵子や三木卓など)が、白石かずこは一貫して詩とエッセイ、翻訳しか手掛けなかった。そのため実際に読んでる人は少ないと思う。僕も読んでないが、70年代頃には「前衛的女性芸術家」の代表のように思われていた。 『聖なる淫者の季節』(70)でH氏賞、『砂族』(84)で歴程賞、『現れるものたちをして』(96)で高見順賞、読売文学賞、『詩の風景、詩人の肖像』(09)で読売文学賞など、主要な詩の賞を受け長く活躍した。世界各地の詩人祭などのイベントで朗読を行い世界的に評価されている。一時映画監督篠田正浩と結婚していた。三島由紀夫、寺山修司などと交友してきたことでも知られる。
(白石かずこ)
 江戸時代を中心に多くの著作がある文芸評論家、日本文学者の野口武彦が6月9日死去、86歳。東京出身だが長く神戸大学教授を務めた。70年代から『谷崎潤一郎論』(73)で亀井勝一郎賞を受賞するなど文芸評論で活躍したが、専攻は近世文学、近世思想史。『江戸の歴史家』(80)でサントリー学芸賞、『「源氏物語」を江戸から読む』(85)で芸術選奨文部大臣賞、『幕末気分』(09)で読売文学賞など一般向け著作で多くの賞を受けてきた。95年には阪神淡路大震災で被災し、その後『安政江戸地震 災害と政治権力』(97)を書いている。他に『荻生徂徠―江戸のドン・キホーテ』(93)、『忠臣蔵 赤穂事件・史実の肉声』(94)、『江戸は燃えているか』(06)など多数。余りにも多いので、とても全部は読めないけれど、こうしてみると何冊かは読んできた。この人がすごいと思うのは、2010年に脳梗塞を患いながら片手でも執筆を続け10冊以上の本を出したことである。
(野口武彦)
 フランス文学者、女性学者の西川祐子が6月12日死去、86歳。フランスに留学し、パリ大学で文学博士号取得。近代日本文学を女性学の立場から研究した多くの著作がある。『森の家の巫女高群逸枝』(82)、『私語り樋口一葉』(92)、『借家と持ち家の文学史 「私」のうつわの物語』(98)、『古都の占領 生活史からみる京都 1945-1952』(2017)など。共著に西川祐子、上野千鶴子、荻野美穂『フェミニズムの時代を生きて』(2011)など。夫はフランス文学者の西川長夫。
(西川祐子)
 コレステロール低下薬スタチン」の発見者として知られた東京農工大学特別栄誉教授の遠藤章が6月5日死去、90歳。ここ10年以上毎年ノーベル賞候補と騒がれてきたが受賞はならなかった。日本国際賞、米ラスカー賞など数多くの賞を受けている。幼い頃からカビや菌類に関心があり、東北大から三共に入社、アメリカ留学でコレステロールの重要性を認識した。帰国後に6千種もの微生物を調べ、米の青カビから有望物質を発見した。発がん性の問題で困難にぶつかりながら、米メルク社と三共が開発に成功。世界で一日に4千万人が服薬する「奇跡の薬」と呼ばれている。一般的な知名度は高くなかったので、人間ドックで高コレステロールを指摘され「最近いい薬があるので心配ないですよ」と言われたというエピソードがある。
(遠藤章)
坂根厳夫(さかね・いつお)、4月28日死去、94歳。朝日新聞記者を経て、慶応大教授、情報科学芸術大学院大学学長を務めた。芸術と科学の境界領域に関心を寄せ、多くの展覧会を企画した。『遊びの博物誌』『イメージの回廊』など多くの著作がある。僕は70年代頃に朝日新聞でよく坂根記者の記事を読んでいて大きな影響を受けた。
鷹羽狩行(たかは・しゅぎょう)、5月27日死去、93歳。俳人。山口誓子、秋元不死男に師事し、78年に俳句誌『狩』を創刊し主宰した。以後半世紀にわたって俳句界を牽引した。2002年俳人協会会長。2015年に芸術院会員。「摩天楼より新緑がパセリほど」「人の世に花を絶やさず返り花」「秋天の一滴となり鷺下りる」などの秀句がある。
武田国男、9日死去、84歳。93年から武田薬品社長。創業家の三男として生まれ、長男の死後に社長候補となった。成果主義を取り入れるなど脱創業家を進め、日本の製薬会社として初の売上高一兆円越えを達成した。
関淳一、9日没、88歳。2003年~2007年に大阪市長を務めた。医学博士だが大阪市立病院から保健部長を経て、95年から大阪市助役。戦前に20年間大阪市長を務めた関一の孫。
伴英幸、10日死去、72歳。原子力資料情報室共同代表。国の原発事故対応や原子力政策を批判した。
斎藤栄、15日死去、91歳。作家。横浜市に勤務しながら、66年に『殺意の棋譜』で江戸川乱歩賞を受賞した。72年に作家専業となり、多くのベストセラーを書いた。『奥の細道殺人事件』などの他、『タロット日美子』シリーズ、トラベルミステリーの『江戸川警部』シリーズなどで知られる。将棋ファンとして関連の本も多く、第4回大山康晴賞を受賞している。
三島喜美代、19日死去、91歳。美術家。空き缶や新聞、雑誌などを陶で表現した作品で知られる。
川満信一(かわみつ・しんいち)、29日死去、92歳。詩人。元沖縄タイムス取締役。沖縄タイムス文化事業部長などを務めた。雑誌「カオスの貌(かお)」を主宰しながら、独自の立場から『沖縄・根からの問い』『琉球協和社会憲法の潜勢力』などの著書を書いた。
ルース・スタイルズ・ガネット、11日死去、100歳。アメリカの児童文学者で『エルマーのぼうけん』で知られた。
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久我美子、アヌーク・エーメ、D・サザーランド他ー2024年6月の訃報①

2024年07月06日 21時37分18秒 | 追悼
 2024年6月の訃報特集。今回は内外合わせて、俳優など芸能界の訃報を取り上げる。外国の訃報は少なかったので、今回にまとめる。まず女優の久我美子。6月9日に誤嚥性肺炎で死去、93歳。読み方は「くが・よしこ」だが、本名は同字ながら「こが・はるこ」である。侯爵の久我(こが)家当主の長女として生まれた。村上源氏の系統で、五摂家に次ぐ清華家筆頭の家柄である。戦前ならとても映画女優になれなかったに違いない。経済的困窮もあったらしいが、1946年に東宝ニューフェースに応募して合格。

 最近黒澤明監督の『酔いどれ天使』(1948)を見直したが、久我美子はまさに年齢と同じ17歳の女子高生を清楚に演じていた。結核患者だが明日を信じて医師の指示に従っている。「掃きだめ」のようなスラム街を舞台にした映画だが、久我美子が出て来るシーンだけ清らかな風が吹きすぎる感じ。76年も前の映画に出ていた人が今まで生きていたのは不思議な感じだが、女優にはそういうことがあるのだ。そして1950年に今井正監督『また逢う日まで』に出演した。出征する恋人岡田英次とガラス窓越しに接吻する切ないシーンは、戦争の悲劇を象徴する場面として未だに語り継がれる。
(『また逢う日まで』)
 代表作は木下恵介監督の『女の園』(1954)だと思う。京都女子大の学生運動をモデルにして、闘争に積極的な学生を演じた。京都府学連委員長として運動を支援していた大島渚に大きな影響を与えた映画。共演した岸恵子有馬稲子を加えて女優による初のプロダクション「にんじんくらぶ」を設立した。50年代の小津、溝口、木下など巨匠作品の名作に数多く出演している。またベストセラー『挽歌』の初映像化(1957)では主演した。大島渚『青春残酷物語』の主人公の姉は「前の世代の過ち」を演じた。その後も映画やテレビで活躍したが、やはり50年代が一番だろう。1961年に俳優の平田昭彦と結婚。

 フランスの女優、アヌーク・エーメ(Anouk Aimée)が6月18日に死去、92歳。久我美子とほぼ同世代で、巨匠作品に出たことも似ている。50年代から60年代にかけて世界的に活躍した。特にクロード・ルルーシュ監督のカンヌ映画祭最高賞『男と女』の主演で知られる。僕はこの映画を見て、世界にはこんな美しい人がいるのかと思った記憶がある。『モンパルナスの夜』(1958)のモディリアーニの妻役で有名になり、フェリーニ『甘い生活』(1959)、『8 1/2』(1963)やジャック・ドゥミ『ローラ』(1961)などで、忘れがたい役柄を演じた。ルルーシュ監督が2019年に作った続編『男と女 人生最良の日々』でも主演した。
(アヌーク・エーメ)(『甘い生活』)(『男と女』)
 カナダ出身の俳優ドナルド・サザーランドが6月20日に死去、88歳。60年代にアメリカ映画で活躍するようになり、ロバート・アルトマン監督の反軍映画『M★A★S★H マッシュ』(1970)で主演して世界に知られた。僕もこの映画で名前を知った思い出がある。その後も世界的に活躍し、フェリーニ監督『カサノバ』やベルトルッチ監督『1900』などヨーロッパ映画でも活躍した。アカデミー賞作品賞の『普通の人々』でも主演しているが、演技賞には縁が薄く一度もアカデミー賞にノミネートされなかった。晩年になっても『ハンガー・ゲーム』シリーズなどに出演している。
(ドナルド・サザーランド)
 上方落語の桂ざこば(2代目)が6月12日に死去、76歳。1963年に桂米朝に入門し、桂朝丸を名乗った。88年に桂ざこばを襲名した。70年代には一時東京のテレビにも出ていたが、その後大阪で活動するようになった。上方落語なので僕は一度も聴いていない。米朝没後(2015年)は米朝事務所専務として一門を支えた。芸術選奨文部科学大臣賞(2017年)など受賞多数。
(桂ざこば)
 沖縄アクターズスタジオ創設者のマキノ正幸が6月28日に死去、83歳。マキノ雅弘監督と女優轟由起子の間に生まれた。芸能界周辺で仕事をしていたが、72年頃に沖縄に移住し83年にスタジオを開設した。ここから安室奈美恵SPEEDなどが出て来たわけで、非常に重要な意味があった。しかし、21世紀になって経営が傾くなどいろいろと困難があったようである。そういう学校があったことは知っていたが、マキノ家が関わっていたとは今回初めて知った。
(マキノ正幸)
 メジャーリーグで史上最高の万能選手と言われたウィリー・メイズが6月18日に死去、93歳。黒人リーグから出発し、1951年にニューヨーク・ジャイアンツ(58年にサンフランシスコに移転)に入団した。54年には打率3割4分5厘、41本塁打、110打点で、MVPを獲得した。通算成績は3293安打、660本塁打、1903打点、打率3割2厘、339盗塁を記録している。ホームラン王4回、盗塁王4回など走攻守に秀でた成績を残した。大リーグ史上唯一の「3000本安打、300ホームラン、打率3割、300盗塁」を達成した選手である。「コンプリート・プレーヤー」と呼ばれた。
(ウィリー・メイズ)
・元NHKのディレクター、映画監督の佐々木昭一郎が18日死去、88歳。芸術選奨新人賞の『さすらい』(1971)、つげ義春原作でエミー賞優秀作品賞の『紅い花』(1976)、ギャラクシー賞、エミー賞優秀作品賞の『四季・ユートピアノ』(1980)、「川3部作」(『川の流れはバイオリンの音』(81)、 『アンダルシアの虹 川』(83)、芸術選奨文部大臣賞の『春・音の光 川(リバー)』(84))など多くの作品がある。2014年には映画『ミンヨン 倍音の法則』が公開された。「映像の詩人」と呼ばれた。
山田昌(やまだ・まさ)、16日死去、94歳。名古屋弁で活躍した俳優で、「おしん」「真田丸」などのテレビにも出演した。
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林家つる子「子別れ」新ヴァージョンに感動ー上野鈴本演芸場7月上席夜の部

2024年07月05日 23時11分49秒 | 落語(講談・浪曲)
 上野の鈴本演芸場三遊亭わん丈(昼)、林家つる子(夜)がトリを取っている。二人ともこの前真打披露興行をやったばかりの最新の真打。真打に昇進しないとトリ(主任興行)は出来ない。それにしても記憶にないほど早い主任である。そこで夜の部の林家つる子を聴いてきた。いや、1月に初めて聴いて以来、早くも4度目だ。もはや「追っかけ」に近いかも。

 寄席の記事を書くときは、大体出て来た順番に書くようにしてきた。「色物」を含めて、トリに向かって盛り上がって行くのが寄席だからだ。しかし、今回は(時間の問題もあるけれど)、最初にトリの林家つる子を書きたい。今までの落語の中で、ともすれば軽視されてきた女性の視点を取り入れた「改作」をたくさん演じてきた。昇進披露で僕が聴いた「芝浜」も女性改作ヴァージョンだった。今日やったのは、ネタ下ろしの新改作「子別れ」新ヴァージョンである。

 「子別れ」は大工の熊五郎が妻子を追い出し身請けした遊女と一緒になるが、結局すぐに別れてしまう。そして3年、別れた子どもと再会し、子どもがあれこれ復縁に心を尽くす。その子どもの様子と父親の言動が面白く、最後にはホロリとさせる名作である。しかし、一端追い出された妻の心は余り描かれない。そこを中心にした逆ヴァージョンを作って、それは昨日演じたという。

 今日やったのは、さらにもう一つのヴァージョン。この噺にはもう一人女性が登場する。つまり「後妻」になった「遊女」である。ネットであらすじを検索すると、以下のように描かれている。お島が肝心の吉原の遊女である。

 「うるさいのがいなくなり、これ幸いにとお島を引っ張り込むが、「やはり野に置け蓮華草」で、朝寝が大好きで、昼間から大酒を飲んでばかりで家事などは一切できない女だった。熊五郎 「おい、起きろよ」 お島 「まだ眠いよ、もう少し寝かせておいておくれよ」 熊五郎 「冗談じゃねえや、おらあ、仕事に行くんだ、早くしなきゃ間に合わねえや」 お島 「仕事に行きたきゃ、早くお出でな」 熊五郎 「飯を食わずに行けねえじゃねえか。起きて、飯を炊いてくれよ」 お島 「いやだよ、おまんまなんぞ炊くのは。そんなもん炊くくらいならこんなとこへ来やしないやね。橋場の善さんのとこへ行っちまわあね」、毎日がこんな調子で、熊五郎が追い出そうと思い始めた頃、女の方から「はい、さよなら」と出て行ってしまった。」

 せっかく惚れた男が身請けしてくれたのに、結局大工の妻にはなりきれない「悪妻」の典型として描かれる。この「お島」はどんな人生を送ってきた女性だったのか。「吉原」を今の時点で、それも女性の立場で描くときに、どうすれば良いのか。この難問にチャレンジしたのが林家つる子の「改作子別れ」である。そして落涙必至の感動作が誕生した。

 生まれた時から品川の遊郭に捨てられ、特別な世界で育ってきた。炊事も裁縫も教えられて来なかった。お互い承知で結ばれたはずが、現実にはどうしてもうまく行かない。熊五郎は長屋のおかみは皆親切だから教えて貰えという。しかし、実は長屋連中は皆お島を遊女あがりと蔑視し、何も出来ないとそしり、子どもたちにも近づかないように言っていた。そんな子どもたちがある日訪ねてきて、「花魁(おいらん)ごっこ」をしたいから花魁道中の歩き方を教えてくれと言う。あの家には近づくなと言っただろと後で子どもたちは母親に叱られた。こうして、お島は自分は遊郭の中でしか生きていけないんだと追い詰められていく。 

 このように、差別と格差の中でしか生きて来れなかった「遊女」の悲しみを見事に描いたのである。こういうやり方があったのか。というか、今までこの噺を聴いたことはあるのに、こういう発想をしたことがなかった。身請けされても「シャバ」では「悪妻」にしかなれない哀しみ。それが「遊女」という存在なのだという見方は、現代を考える時にも役立つだろう。端役として出て来る登場人物を主役にするというのは、『ハムレット』に出て来る人物を描くトム・ストッパードローゼンクランツとギルデンスターンは死んだ』を思い出す。こういう発想で作れる作品はまだまだあると思う。
(隅田川馬石)(林家きく麿)
 他では隅田川馬石の「金明竹」(というんだと初めて知った)という上方弁でまくし立てて全く理解出来ない噺。馬石の歯切れの良さに引き込まれる。新作の林家きく麿は「おもち」という老人同士の訳の判らない会話がバカバカしくて笑えた。林家正蔵は「西行鼓が滝」。最近正蔵をよく聴いてるが、その中では一番面白かった。

 最後に寄席の話をちょっと。「落語ブーム」とか言われると、寄席もいっぱいかと思うかもしれないが、一部のホール落語は満員だろうが寄席は空いている。チケットはどうするのかというと、そもそも事前に前売り券はない。ホントに時々(お盆興行とか落語芸術協会の神田伯山主任興行とか)だけ、チケットぴあなどで前売り券を発売することもある。時間は夜席だと、5時開始ぐらいで今どき仕事をしていると行けない時間だ。しかし、トリだけでも良ければ7時頃までに行けば空いてると思う。今日もまあ4割ぐらいの入りだったと思う。それでもそこそこ入ってる方。だから応援という意味で行ってるわけである。今どき当日券、現金払いのみという世界。それが寄席である。まあ夜行くと外食になるから物入りだけど。
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映画『美しき仕事』、クレール・ドゥニ監督の伝説的作品が初公開

2024年07月04日 21時53分26秒 |  〃  (旧作外国映画)
 クレール・ドゥニ監督『美しき仕事』(1999)という映画が4K版で日本初公開された。しかし、上映時間が夕方しかないので困ったなと思ってるうちに渋谷のロードショーが終わってしまった。柏のキネマ旬報シアターでその映画を一週間だけ上映しているので、見に行ってきた。イギリスの映画雑誌「サイト&サウンド」が10年おきに「世界映画ベストテン」を選んでいるが、最新の2022年版でなんと7位に選出されている。『東京物語』が4位、『2001年宇宙の旅』が6位である。(詳しくは『世界映画ベスト100、2022年版の結果はどうなったか』参照。)一体どんな映画なんだか気になるじゃないか。

 2022年版の世界映画ベストワンは女性監督シャンタル・アケルマン作品が選ばれた。世界的に「映画と女性」をめぐって再発見が行われている。クレール・ドゥニもフランスを代表する孤高のアート系女性監督である。それは大切な視点だと思うけれど、『美しき仕事』(Beau Travail)は僕には全く理解できないタイプの映画だった。そもそも「美しき仕事」とは、ジブチにあるフランスの「外人部隊」のことなのである。もっとも戦闘シーンは出て来ない。ひたすら美しい映像で撮影された「(上半身裸体の)男たち」のトレーニングが続く。その中で「男の嫉妬」が起きてくる。そんな映画なのに驚いた。

 女性が裸体を披露し、「男からの受け」をめぐって相争うという娼婦やストリッパーの映画はかなり存在する。男社会である「軍隊」の汗にまみれた訓練風景に「萌える」女性というのも、かなり存在するらしい。この映画は男女の視点を逆転させた映画なんだろうか。アフリカで育ちカメルーンで撮った映画でデビューしたクレール・ドゥニ監督は、アフリカにフランス軍が存在することそのものを問う視点はないようである。ジブチの海や砂漠がこんなに美しく撮られているのに、部隊内部には嫉妬が存在する。「美しき仕事」は反語なんだろうか。いや、ここでの訓練シーンには官能的な美意識が明らかに見えている。

 主演するのは上級曹長を演じるドニ・ラヴァンである。レオス・カラックスの『ポンヌフの恋人』や『ホーリー・モーターズ』で主演した人である。上級曹長は上司に憧れる一方で、人望のある新兵を陥れる。こんなことをするヤツがいるのかという感じだが、そのことで自分も外人部隊での地位を失い本国送還、軍法会議となる。そして、今過去を回顧している。訓練風景は男どうしがぶつかり合うという、何か相撲部屋の猛稽古みたいなものである。「身体性」に注目し、しかも女性監督の目で作られた映画。興味深くはある。世界で再評価されるのも理解はできる。

 軍隊の訓練を描く映画としては、山本嘉次郎『ハワイ・マレー沖海戦』やスタンリー・キューブリック『フルメタル・ジャケット』、ロバート・アルトマン『ストリーマーズ』などがある。それらは戦意高揚、または反軍意識のもとで作られた。しかし、「外人部隊」は軍隊としては異例な存在なので、ナショナリズムを植え付けるような訓練は行わない。戦前のフランス映画『外人部隊』や『モロッコ』などでも同様。しかし、「外人部隊」もフランス軍の一部であり、むしろフランス軍が行けないようなところに行かされる暴力装置である。フランスは植民地を今もたくさん所有し、植民地主義の清算が遅れている。その問題意識がこの映画にはないのが難点だ。
(クレール・ドゥニ監督)
 クレール・ドゥニ(Claire Denis、1946~)は1988年の『ショコラ』でデビュー。フランス映画の女性監督としては、アニエス・ヴァルダなどを継ぐ世代として映画を撮り続けてきた。『パリ、18区、夜。』(1994)で評価された。その後『ネネットとボニ』(1996)、『ガーゴイル』(2001)などは公開されたが見ていない。その後は映画祭や特集上映などで上映されても正式公開される新作が少ない。そのため僕には評価する材料がないのだが、映像の素晴らしさは魅力的だった。ジブチはこんなところかとも思った。あまり見る機会もないと思うけど、一応紹介。
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