尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

都立高「改革」・全定併置は「解消」するべきなのか

2015年11月29日 23時44分30秒 |  〃 (東京・大阪の教育)
 東京都教育委員会は、11月26日に「都立高校改革推進計画・新実施計画(案)」を発表した。骨子が都教委ホームページに掲載されていて、12月25日まで意見募集を行っている。(上記ウェブサイトに提出先メールアドレスが載っている。)

 ここしばらく教育に関してほとんど書いていない。安倍内閣が約3年間も続き、下村博文、馳浩が文科相。都教委や大阪府教委も相変わらずだから、書こうと思えば書くネタはあるわけだけど、呆れるような状況が続き過ぎた。もはや何を言ってもダメなんじゃないかと正直思ってしまうので、書く意欲が湧かないのである。今回も同じではあるが、どうしても触れておきたいので簡単に。

 都教委はここ数年は、教育の中身に関する「改革」が中心で、それも「どうなんだか」のオンパレードなんだけど、まあ書くまでもないと思った。今回は久方ぶりの学校の「新配置計画」である。つまり、学校の課程の変更や新設、統廃合である。マスコミでは「小中高一貫校」ばかりが注目されている。現在の「立川国際中等教育学校」(元北多摩高校)に付属小学校を併設するという。これも異動要綱の特例措置でも講じない限り、ほとんど意味がないものになると思う。本来、シュタイナー学校のような教育を行う場合のみ、「12年間同一メンバー」の教育が意味を持つはず。教師が自由な教育を展開できず、しかもどんどん異動するような環境で「小中高一貫」にして意味があるんだろうか。

 他に、赤羽商業高校を「家庭・福祉」高校に改編し、また新国際高校(場所は未定)を設置する。荒川商業高校をチャレンジスクール(不登校生徒対象の定時制総合学科高校)に改編し、また立川地区にチャレンジスクールを新設する。定時制課程4校を閉課程とし、代わりに既存のチャレンジスクール、昼夜間定時制高校の夜間の定員の増数するという。その他もあるが、省略。

 チャレンジスクールや昼夜間定時制高校などと都教委が呼んでいる「三部制高校」は、自分も勤務したから、不登校生徒のための一定の意義を認める。しかし、あまりにも勤務形態が大変で、異動も激しく、このまま拡大するのがいいのか、じっくり考える必要があると思う。特に「夜間の規模を拡大」と簡単に言うが、給食の関係で規模拡大が難しいという学校実態が多いのではないか。夜間高校においては、「夜間課程を置く高等学校における学校給食に関する法律」で「夜間課程を置く高等学校の設置者は、当該高等学校において夜間学校給食が実施されるように努めなければならない」とされている。現に給食を出しているわけだが、夜間部の生徒を全員収容できる食堂スペースが取れないと規模の拡大はできない。どうするんだろ?と思うが、どうせ登校しないだろうと踏んでいるのか。

 それ以上に僕が問題だと思うのが、「夜間定時制課程の閉課程により併置を解消」とある点である。「解消」というのは、「よくないからなくす」というニュアンスがある。辞書をみると、不満を解消する、ストレスを解消する、派閥を解消するなどといった例示が出ている。これみな、良くないからなくすという意味である。となれば、都教委は「全日制、定時制の併置」そのものが悪いととらえているのだろうか。そうとしか思えないのだが。現実に、多くの都立高校で併置が「解消」されてきた。今や、山手線の内側にある高校で、全定併置校は一つもない。(三部制の単位制高校が、新宿山吹高校と六本木高校の二つあるだけ。)23区の周縁部と多摩地区にのみ、併置校があるというのは、東京都内の「格差」が背景にあるということだろう。

 今回、「併置を解消」とされるのは、小山台(品川区)、雪谷(大田区)、江北(足立区)、立川(立川市)の4校である。進学指導の重点指導校などに指定されている高校が多い。今は夜間定時制高校の希望者が少なくなり、働きながら学ぶ生徒も少ない。不登校や外国人生徒、障害を持つ生徒などが多くなっているのは確かである。だから、僕も「単学級」(学年一クラスの学校)に関しては、ある程度わかる部分がある。だけど、今回の学校で来年度の募集が一クラス(30人)であるのは、雪谷高校だけ。小山台、江北は60人、立川に至っては90人の募集定員である。「地域のニーズ」がある夜間定時制をつぶしてしまうとしか思えないが。

 全日制から見れば、部活動や生徒会活動、補習や学校行事などで、定時制課程がない方がいいと思う教員や生徒がいるのも確かだろう。定時制課程は大体5時過ぎに生徒が登校するので、その頃には全日制の生徒は帰ららないといけない。今は授業確保がうるさいから、行事の準備や部活動の時間がかなり短くなる場合がある。だけど、都立高校で野球部が甲子園に出場したところはどこだろうか。国立高校、雪谷高校、小山台高校の3校ではないか。国立は定時制がないが、他の2校は今回の対象校である。定時制が併置されていても部活動で活躍できるということが判る。

 教員の勤務時間を考えても、長時間の部活や補習があることの方がおかしい。それに多くの学校では、本当に大変な時期(行事や部活の大会、検定等が近付いた時)は、特例で全日制の生徒の活動を伸ばすことが認められているのではないかと思う。もちろん定時制の教育活動に支障が出ないようにではあるが、定時制側も了承して昼の生徒が活動時間を伸ばしていると思う。それはともかく、併置を「解消」するなどという言葉そのものが、定時制課程の生徒を下に見ているように感じてしまうのである。
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

感動的な「ヒトラーに抵抗した人々」

2015年11月28日 00時23分33秒 |  〃 (歴史・地理)
 ちょっと前に書いた「ヒトラー暗殺、13分の誤算」の記事で、中公新書の新刊、對馬達雄「ヒトラーに抵抗した人々」という本に触れた。その後早速読んだけど、この新書は今年のベスト級の本だ。多くのことを教えられたし、実に感動的なエピソードが詰まっている。先の映画の主人公ゲオルク・エルザーという人物に関しても、その後のことなど映画に出てこないことがいっぱいあった。全篇を通し人間とはこのように気高くありうるのかと、この本に出てきた人々は時間を超えて我々に訴えかけてくる。単に現代ドイツ史の本というより、今の日本で、今の世界で、多くの人に知って欲しい本である。

 まず、ビックリするのは、あの残虐なナチス体制下のベルリンで、ユダヤ人救援運動に献身する人々がかなりいたということである。いや、多くのドイツ人はヒトラー支持で、ユダヤ人を匿っている人々を密告するような人々だった。そのうえ、ベルリンは連合軍の空襲にさらされ、反ナチスの活動家も亡くなっている。それでもベルリンでは数千人のユダヤ人が戦争終結まで匿われていた。あるいは東部戦線(対ソ戦)からの脱走兵を匿う運動もあった。それらの活動のネットワークも存在した。そして単にヒトラー一人を除くだけでなく、戦後ドイツをどうするべきかの構想も検討されていた。だから、「ヒトラー暗殺」運動は、単なるテロリズムではなく、また連合国のスパイ活動でもなく、真に愛国的な「もう一つのドイツ」を世界に示した「野党勢力」だった。

 僕は今まで、ヒトラー暗殺未遂事件(1944年7月20日)は、軍隊内の高級将校による「失敗したテロ」といったものだと思っていた。また、ミュンヘンの学生たちによる「白バラ抵抗運動」(1944年2月に発覚し、ショル兄妹らが死刑執行)は、「純真な学生による孤立した反体制活動」と思っていた。もちろん、そういう見方も間違いとは言えないのだが、白バラグループはベルリンのグループともゆるいつながりがあり、彼らのビラは厳重な監視の目を逃れて海外に持ち出された。それはスイスやノルウェ-を通して、イギリスやアメリカに渡った。ニューヨーク・タイムズにも転載され、BBC放送ではトーマス・マンが「世界がいたく感動した」と伝えた。また、イギリス空軍機によって、白バラのビラはベルリン他のドイツの都市にまかれた。同時代の世界にドイツ人は全員がヒトラー支持ではないと伝えたのである。

 しかし、彼らの存在は「白バラ」グループが神話化されながらも、「7月20日運動」(軍隊内外を通してネットワーク化されたベルリンの反ナチス運動のこと)は、戦後になって連合軍によって過小評価された。むしろ隠蔽されたという方が正しいかもしれない。もし、ナチスに代わってドイツを統治する能力と構想を持つグループがドイツにあったなら…。米ソ英仏による「ドイツの分割占領」は必要ないし、そして東西両ドイツの分裂もなかったということである。だから、占領時代には彼らは正当に評価されなかったのである。そういうバイアスは長いこと残り続け、早すぎた単独行動者、ゲオルク・エルザーの完全な無視につながってきた。彼が復権し、故郷に銅像と記念館ができたのは20世紀も終わろうとする頃だった。日本でも「大逆事件」の被告たちの存在が、なかなか故郷に入れられなかったのと似た事情が戦後ドイツにもずっと存在してきたのである。

 「7月20日運動」の人々に対するヒトラーの報復は、実に過酷なものだった。一時は7千人もの人々が逮捕、拘禁された。主要なリーダー層の人々は、家族もとらわれ収容所に送られるなど「連座」させられた。結局、国家反逆罪で200人もが死刑となり、それに止まらず全財産の没収、服喪の禁止が課せられ、遺族には何も残されなかった。というよりも、遺族には「処刑料」と「埋葬料」の支払いが求められたというから、そこまでするのかと20世紀に起きたとは信じがたいほどの残虐ぶりである。だが、彼らは仲間を売ることはせず、家族にあてた心を打つ手紙を残している。残された家族たちも、戦後になって彼らを記憶する運動を続け、平和と民主主義のために献身し続けた。

 1944年7月段階では、東部戦線では敗北が続き、西部戦線でもノルマンディーに連合軍が上陸して、やがてドイツが敗北することは誰の目にも明らかだった。連合軍は「無条件降伏」を求めていて、ドイツに反ヒトラー政権ができても和平は難しくなっていた。ヒトラーは警戒を厳しくしていて、近づくことも難しくなっていた。こういう、成功の可能性が低く、仮に暗殺が成功してもその後の展開が見通せない上に、失敗したら過酷な復讐が待っているのは明白な時期だった。それなのに、なぜ彼らは決起したのか。それは「何の抵抗運動もせずに、ドイツが敗北する」ということは「歴史に対する無責任」と考えたのである。未来の人々に、自己の命をかけて、ヒトラーに反対したドイツ人がいたことを示すことこそ、ドイツ人の責任だと考えたのだ。彼らの残した言葉が心を打つのは、こうした「歴史に対する無私の献身」にある。ぜひ、直接本書を取って読んで欲しい。

 僕が一番驚き、心に残ったのは、ニッケル夫人という無名の一市民の行動である。敬虔なカトリック信者である主婦マリア・ネッケルという人がいた。彼女はナチスのユダヤ人迫害に心を痛めていたが、1942年秋になると、東部地域でユダヤ人に恐ろしい運命が待っていることを確信し、その中の一人だけでも助けようと心に決めたのである。しかし、彼女にはユダヤ人の知り合いはなかった。そこで強制労働をさせられているユダヤ人たちを見ていて、身ごもっている女性がいることに気付いた。作業所に彼女(ルート・アブラハム)を訪ね、援助を申し出て、1943年1月に出産するのを助けた。そして強制移送が迫った時には、自分の郵便証明書の写真を張り替えてルートに渡し、彼女の夫ヴァルターには自分の夫の運転免許証を渡した。彼らはそのニセの証明書を使って無事に逃げられたが、その後ニッケル夫人にはゲシュタポから出頭命令があり尋問された。だが、彼女は書類は盗まれたものだと言い張り続けて無事だったのである。

 戦後になっても彼女は名乗り出ることもなく、無名のままである。その後どうなったかは出ていない。このケースをわれわれが知るのは、助かった側が明らかにしたからだろうという。人間はこういうことができるのである。ほんのちょっとした勇気と、どんな時にもなくしてはならない「まともな感性」がありさえすれば。ナチス体制下でさえ、そういうことができるのだと知っていれば、我々はずいぶん勇気づけられるではないか。歴史を学ぶということはどういうことなのか、この本は示してくれる。過去は変えられないが、過去の人々の遺産をわれわれは受け継ぎ伝えていかなくてはいけない。
 ぜひ読んでください。
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

原節子の訃報を聞いて

2015年11月26日 23時45分04秒 |  〃  (旧作日本映画)
 「元女優」の原節子が9月5日に亡くなっていたという。1920年6月17日生まれで、満95歳だった。昨日の夜のニュースで聞いて、すぐに書こうかとも思ったのだが、あまり感情が動かなかった。もう95歳で、引退からも半世紀以上経っている。「伝説」というほかない女優で、新聞を見たら「元女優」と書いてあった。同時代を知っているわけでもなく、過去の素晴らしい日本映画を見始めてから知ったわけだが、母親の話にはよく出てきていた。(ベティ・デイヴィスの方が多いが。)
  
 新聞では「東京物語」「晩春」が大きな見出しになっていた。うーん、まあそういうことになるのだろうな。あまり小津作品ばかり言われると、つい他の監督の名作にもいっぱい出ているよと言いたくなる。だけど、どうもいまの時点で見ると、あまり好きになれない映画が多い。戦時中の戦意高揚映画はもちろんのこと、戦後になって逆に民主化の旗手みたいな感じで出た「わが青春に悔いなし」(黒澤明)や「青い山脈」(今井正)も今見ると、なんだか納得できないところも多い。まあ、それは脚本や演出の問題と言えるが、原節子の演技もどうなんだろうか。

 でも若い時の、というのは戦前の原節子は美しかった。よく「バタ臭い」顔立ちと言われ、演技的には大根と言われたとされるが、そういう批判を吹き飛ばすほどの若い魅力がある。戦後になると、日本映画の最盛期とも言える「巨匠の時代」を支える女優のひとりとなった。黒沢明、小津安二郎だけでなく、成瀬巳喜男、木下恵介、吉村公三郎などだが、フィルモグラフィを見てみると、それ以外にも「文芸作品」の出演が多い。でも、成瀬の「めし」や「山の音」も名作と言われればそうだろうが、好きな作品ではない。案外さまざまな役柄を演じていて、どうもマジメで誠実な印象が小津映画、黒澤映画で確立してしまった感じがあるが、喜劇で演じたコミカルな役柄の方が魅力的なのではないか。木下恵介「お嬢さん乾杯」とか千葉泰樹の「東京の恋人」や「大番」シリーズのような。もっとも「大番」は加東大介の憧れの君をやってるだけだけど。原節子の人生を表わしているかのような映画かも知れない。

 原節子を演出した映画監督は誰も存命ではない。まあ引退したのが42歳だから、もっと年上の監督が先に亡くなるのは当然だ。共演した俳優はまだ何人か存命で、今回様々なコメントを残している。それらの人々は、原節子の妹や娘を演じた女優が多い。司葉子は「秋日和」と「小早川家の秋」でどちらも娘を演じている。個人的なつきあい(といっても電話するぐらいらしいが)が最後まであったことがコメントで示されている。「東京物語」の妹役の香川京子、「東京暮色」の妹役の有馬稲子、「青い山脈」で生徒役の杉葉子などが存命している。まだまだ元気で活躍している人が多い。

 引退の理由については、僕はあまり関心がない。もうそういうものとして知ったことだから、そうやって「日本のグレタ・ガルボ」になってしまったんだなあと思うだけ。だけど、今ではもうグレタ・ガルボという名前も解説なしには通じないだろう。どんな世界にも、ある時点で「世間」との関係を断ってしまうしまう人がいるんだと思う。それを周りは尊重するべきだと思う。なお、最後に一言書けば、黒澤明の「白痴」というドストエフスキーの原作を札幌に移した映画がある。徹底的に切られて、「呪われた映画」というジャンルに入れられる映画かも知れない。(松竹は残されたフィルムがないのか徹底的に探して欲しいと思う。)原節子の美しさという点では、この映画の那須妙子(ナスターシャ)が最高なのではないだろうか。引退したからでも、小津映画に出たからでもなく、やはり「神話的な美しさ」を持っている女優だったように思う。
コメント (4)
この記事をはてなブックマークに追加

映画「アクトレス 女たちの舞台」

2015年11月25日 21時33分35秒 |  〃  (新作外国映画)
 昨日は続いて、「アクトレス 女たちの舞台」という映画を見た。僕には「ヒトラー暗殺、13分の誤算」と同じくらい、というかそれ以上に面白い映画だった。オリヴィエ・アサイヤス監督、ジュリエット・ビノシュ主演で、女優たちの演技や自然の美しさとともに、年月を重ねることの意味が心に沁みる。

 冒頭はパリからチューリヒに向かう特急列車の中。有名女優のマリア・エンダース(ジュリエット・ビノシュ)は、今は隠遁生活をしている劇作家ヴィルヘルム・メルヒオールに代わって、彼の功績をたたえる賞を受け取りに行くところ。マリアは無名女優だった18歳の時に、ウィルヘルムの劇「マローヤのヘビ」に抜てきされ、それをきっかけにして世界的に知られる女優となっていった。ハリウッド映画にも出ていて、ヒーロー映画で悪役ネメシスを演じた。列車の中ではマネージャーのヴァレンティン(クリステン・スチュワート)がスマホに殺到するオファーをさばいている。

 ジュリエット・ビノシュはまさに彼女そのものでもあるような有名女優を貫禄で演じている。マリアは私生活では離婚請求中で、パリのアパートを売るつもり。40代になり、公私ともに転機を迎えている。一方、マネージャー役のクリステン・スチュワートは「トワイライト」シリーズで有名になった人だが、この映画では演技派ぶりを発揮してセザール賞(フランスのアカデミー賞にあたる)で助演女優賞を受けた。米国人がセザール賞を受けるのは初めて。この二人の演技が次第にヒートアップしていくところが実に見事に描かれている。

 ところが、列車の中にウィルヘルムの訃報が届く。一方、授賞式の後のパーティには、新進演出家として知られるクラウスがやってきて、「マローヤのヘビ」を再演したいので出て欲しいと頼む。「マローヤのヘビ」という芝居は、父を継いで社長をしているヘレンが、インターンにやってきた20歳のシグリットに惹かれてしまい、翻弄されていくさまを描いているという。そのシグリットを演じて評判になったマリアだが、今度のオファーはヘレンの方をやって欲しいというのである。自分では今もシグリットのつもりなのだが、こういうオファーが来るようになったかと複雑な思いである。シグリットの方はハリウッドで人気のジョアン・エリスという女優の初舞台にするという。この役はクロエ・グロース・モレッツで、「キック・アス」シリーズのスーパーヒロイン少女だったあの子。実に生き生きと演じている。

 日本で言えば、例えば「Wの悲劇」をリメイクする企画があって、かつて三田佳子が演じた役を薬師丸ひろ子に演じて欲しいというような設定とでも言えばいいか。昔は何も知らない10代だったから怖い物知らずで演じられたわけだが、今度は40歳で若い世代に翻弄される役である。マリアは亡くなったウィルヘルムの家があったシルスマリアというスイスの山の別荘地に行き、故人の家を借りることになる。ここでマネージャーのヴァレンタインを相手に、ヘレンのセリフを練習する。このシーンはこの映画の圧巻で、ロンドン公演ということで英語のセリフ(もとはドイツ語の芝居だと思うが)を丁々発止とやりあう。

 「マローヤのヘビ」という劇の名前は何なのか。スイスのその地方ではイタリアから来る風が入ってくると、雲となってマローヤ峠を流れるように下ってくる。まるでヘビが忍び寄るような気象現象を、その地方では「マローヤのヘビ」と言う。その後雨となるということで「悲劇の予兆」という意味合いで付けた題名だという。この「マローヤのヘビ」は現実の話で、途中で山岳映画が映しだされる。山岳映画の名手、アーノルド・ファンクの映画だという。それはモノクロだが、映画のウェブサイトを見ると、カラーでこのヘビ現象が見られる。演技の練習を続けながら、時々二人はハイキングに出かけるが、アルプス山脈の雄大な自然に目を奪われる。

 一方、そこにジョアンがついに登場。宣伝旅行の途中と言いつつ、実は有名新進作家クリストファーとの不倫旅行中。まだ18歳ながらお騒がせでお盛んな若さを振りまき、マリアも呆気にとられながら、けっこう気に入ってしまう。こうして「マローヤのヘビ」ロンドン公演の企画が進行していくのだが…。細かな人間模様を描き分けながら、マリアを通して「人生の行く末」を観客も考えてしまうことになる。実に巧みな脚本だと思う。美しい自然を見せてくれるとともに、映画や演劇界のバックステージを描くという僕の好みのスタイル。ほぼ英語だが、マリアの母語はフランス語、スイスはドイツ語が一番多いからチューリヒではドイツ語。言語の違いぐらいは聞き取れると思う。

 監督のオリヴィエ・アサイヤス(1955~)は、「クリーン」でマギー・チャンにカンヌ映画祭女優賞をもたらした監督で、一時期マギー・チャンと結婚していた。伝説のテロリストを描く「カルロス」や東京も出てくるアクション「デーモンラヴァー」など多彩な作風。中では「夏時間の庭」がある家族の移り変わりを描いて一番いいと思う。その映画もジュリエット・ビノシュが主演だった。人生は過ぎてゆき、かつては若き女優と知られた身も、だんだん人生の孤独を見つめる時期になっていく。が、まだまだ若いつもりでいるんだけど…という人生の微妙な時期をさすがにジュリエット・ビノシュは感銘深く演じた。
コメント (1)
この記事をはてなブックマークに追加

映画「ヒトラー暗殺、13分の誤算」

2015年11月24日 23時42分19秒 |  〃  (新作外国映画)
 オリヴァー・ヒルシュビーゲル監督のドイツ映画「ヒトラー暗殺、13分の誤算」が公開中。ずいぶん遅くなって東京ではロードショーも終了間近(26日まで)だが、見逃したくないと思い今日見て来た。この監督はかつて「ヒトラー~最期の12日間~」を作り注目された。あの映画はヒトラー周辺に密着取材したような映画だったが、今度はヒトラー暗殺を目論んだ男の物語である。

 1939年11月8日、ヒトラーは毎年訪れるミュンヘンのビヤホールで暗殺されかかった。この日は1923年の「ミュンヘン一揆」の記念日なのである。そこで演壇に爆発物が仕掛けられたが、ヒトラーは予定を早めてベルリンに帰っていた。その結果、爆破に遭遇せず助かったのだ。直後にスイスに逃げようとしていたゲオルク・エルザーという人物が逮捕され、爆破に関わった証拠もあがる。

 もちろん、暗殺が成功しなかったのは映画を見る人には誰でも判っている。その上で、このエルザーという人物を描いて行くのである。エルザーは「赤色戦線」(共産党系の労働団体らしい)のバッジをしていた。しかし、共産党員ではなく、あくまでも自由を求める36歳の家具職人だったのである。警察やゲシュタポは背後組織の存在を確信して、エルザーを拷問にかける。しかし、彼はあくまでも単独犯を主張し、爆弾の設計図を書いて見せ、爆破の仕組みを解説する。その間、彼の仕事や友人、特に人妻だったエルザを愛していく様子をじっくり描く。ドイツを破滅に導くヒトラーを葬らなければならないという信念に基づいた計画だったのである。ヒトラー本人は自白剤を用いても背後を明らかにしろと厳命するが、やがては当局も単独犯を認めざるを得なくなる。

 この人のことは僕は全く知らなかった。ドイツ国内でもあまり知られてこなかったという。背後関係をでっちあげられなかったため、公開裁判が開かれなかった。エルザーはずっと強制収容所に送られていて、その様子はエピローグで描かれている。彼の取り調べをした警察幹部ネーベの方がヒトラー暗殺に関与したとして先に処刑された。一方、もう一人ずっと尋問している人物がいるが、ウェブサイトで見るとハインリヒ・ミュラーという人物である。この男はどうなったかと調べると、こっちは戦後行方不明のままで終わったという。もちろん占領下のベルリンで戦死、自殺などの可能性もあるが、南米に逃亡したまま発覚しなかった可能性もある。何にせよ裁判は開かれなかった。

 俳優の事を書いても知らない人ばかりなので書かない。映画はじっくりエルザーという人物を描くことに専念していて、その時代のドイツの様子がよく伝わる。ほとんどの人間がナチスを受け入れ支持していたのだが、自由を求める人もいたのである。しかし、敗戦直前の暗殺計画や学生による「白バラ」は知られていても、このエルザーという人は知られていない。ちょうど今月の中公新書で對馬達男著「ヒトラーに抵抗した人々」という本が出たが、第3章の2で「孤独な暗殺者ゲオルク・エルザー」として扱われている。まだ読んでないのだが、やはり他の組織等と隔絶した「孤独」な位置にあったのだろう。この人はキリスト教の信仰も強く、一方では音楽にも詳しい。遊び人的でもあるが、労働者として共産党を支持していたようだ。爆破によりヒトラーと無関係の人物8人が死んだことに悔いの思いを抱き続けた。非常に興味深い映画だった。
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

「俺の・・・」という店名

2015年11月22日 21時01分51秒 | 気になる言葉
 言葉の問題続き。「マイ」(my)と関連もあるが、最近「俺の○○」という名前のお店が多すぎないか。「俺のフレンチ」「俺のイタリアン」「俺の焼肉」「俺流塩ラーメン」…。多分もっとあるんだろうけど、この手の名前の店に入る気がしない。まあ、入ろうが入らなかろうがどうでもいいけど、この手の命名法には「言葉の問題」として違和感を感じてしまう。

 大体、「俺」はお客に対して使う言葉なんだろうかという違和感がまずある。普通は「」でしょう。店長出てこいとクレームをつけるようなこともないけど、もしそういう事態が起こった場合に「店長は私です」と出てくるなら判る。でも、「俺の○○」と言うお店なら、「店長は俺だが、なんか文句あるのか」とでも言われそうだ。クレーム防止策としてのコワモテ命名法なのかもしれないが。

 しかし、そういう問題以上に、飲食店というのは(よほど特別な店を除いて)、「普通に美味しい」のが大事であって、あまり特別な個性を発揮しなくてよい分野である。店ごとに味を競うが、シェフの名前で客を呼ぶのは邪道だと思う。いろいろ工夫を重ねた結果、大評判を呼んで行列が絶えない店になり、その結果として店主の名前がマスコミでも売れるということはある。それならいいけど、初めから「有名ラーメン店で何年修行」とかを看板にして、これはうまいんだぞというスタンスでやるもんじゃない。

 本来はごく普通の店名が「あそこは美味い」と有名になるのがいいのであって、店主やシェフの名前は料理の向こう側に隠れていればいい。自分の個性などは料理をして語らせればいいのである。それが「俺の○○」と来たら、初めから店の名前を一番に打ち出している。店名で覚えてくれという姿勢である。それほど個性がある味なのかと思うと、実は「俺の○○」にはチェーン店が多い。おかしいだろう。店ごと、料理人ごとに味が違わなければ、「俺の○○」にはならないだろ。

 ところで、こういう店に予約を入れたいときはどう言えばいいのだろうか。まあラーメン屋はともかく、フレンチやイタリアンは予約できる店のはずである。いや、「俺の○○」という「固有名詞」のお店だぐらいは判っている。その上で書くのだが、自分で「俺の」と名乗っている店では、本来客の側では「俺の」とは言えないはずだ。俺と対になる言葉は、普通に考えると「お前」となる。だから、「俺のフレンチ」では「お前のフレンチを予約したいんだが」、「俺流塩ラーメン」では「お前流塩ラーメンをくれ」と言わないとおかしいのではないだろうか。

 いや、そんなことを感じながら看板を見て通り過ぎるのは自分ぐらいなのだろうか。もっとすごいのは「俺の魚を食ってみろ」という店もあり、なんとここもチェーンなのである。ここまで強く出られると、こっちも「お前の魚を食ってやってもいいが、もし気に入らないもんだったら、金は払わないでいいんだろうな」と言いたくなるが、そういうシステムはないようである。愛知県東部の湯谷温泉の宿、「はづ別館」では泊った後で翌日に客が宿泊料を付けるというシステムを取っているが、そのぐらいのことをやって欲しい名前ではないか。
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

「マイナンバー」と「マイカー」

2015年11月21日 23時21分42秒 | 気になる言葉
 政治や国際問題を書く元気がだんだん戻ってきたが、そこへ行く前に「違和感のある言葉」を取り上げるシリーズを数回。前に「グローバル・フェスタ」とか「空気感」「目線」「○○学的」などを取り上げていて、カテゴリーの「言葉」にまとめている。さて。久しぶりに書くのは「マイ」である。

 ピーター・フランクル氏(数学者、大道芸人)だったと思うが、前にこんなことを書いていたとことがある。日本のあちこちを旅していて、ずいぶん遠くの山奥なんかも訪ねている。鉄道とバスで訪れたある宿で、翌日行きたいところへの行き方を支配人(?)に聞いたところ…。
 「そこはバスが廃止されてしまったので、マイカーで行くしかありません。」
 そこで次の日、ずっとロビーで待っていたのだが、何の連絡もないまま時間だけが経っていく。またフロントで聞いたところ、昨日聞いた支配人は非番で今はいないから判らないと言われてしまった…。

 説明は不要だと思うが、念のために解説しておくと。ピーターさんは支配人が「マイカー」で行くと言ったから、支配人が彼自身の車(マイ・カー)で案内してくれるとは、何と親切な宿だろうと感動して、翌日はずっと待っていたのだ。一方、支配人の方は「バスがないから、車で行くしかありません」と言っただけで、もちろん自分で案内するつもりなどなかった。それは日本人客なら自明のことだけど、考えてみれば確かに「マイカー」はおかしく、「ユアカ―」(your car)でないと。というか、車で来ていない客なんだから、タクシーやレンタカーの案内をすべきだったわけである。

 英語の勉強の最初の時期に、「I my me mine 」というのを覚えさせられる。順番に、主格、所有格、目的格、所有代名詞というらしいけど、これは忘れていて今調べた。これを二人称や三人称についても覚えるわけだけど、案外それは忘れずに残っているのではないか。だけど、先の場合を見ても、こんな簡単な単語だけど、実際の使い方で間違う時がある。所有格の所有者のとらえ方が反対になってしまったわけである。否定疑問文の答え方なんかと同じく、英語と日本語の感覚の違いである。

 そんなことを思い出したのは、例の「マイナンバー制度」とやらがきっかけである。政府の広報を見ると、「あなたのマイナンバーが通知されます」とか書いてある。あなたの番号なら、「ユア・ナンバー」と言うべきではないの?それはともかく、今はこの制度そのものの問題は扱わないが、一体この制度を正式には何と言うのかがよく判らない。政府の広報は「マイナンバー」で統一されているけど、このナンバーは自分で勝手に提供してはいけないとあるし、基本的には一生変わらないとある。つまり、勝手につけられたままなのだから、言葉の正確な意味では「マイナンバー」ではない。

 パソコンやケータイ電話のメールアドレスなんかは、自分で変えられるではないか。インターネットで登録している様々なサイトのパスワードなども変えられる。むしろ時々変えなさいと向こうから言ってくる。今度の「マイナンバー」とは全然違うではないか。だから、この番号の正式な名前を知りたいと思ったのだが、なかなか見つからない。いろいろ見ていると、要するに根拠法は「行政手続における特定の個人を識別するための番号の利用等に関する法律」と言うことが判った。このぼう大な法律をざっと読んでも、どこにも「マイナンバー」と言う言葉はないようだ。「個人番号」で通している。

 「個人番号」というなら、意味は理解できる。英語で言うなら、“personal number"になるのだろうか。英語で言いたいなら「パーソナル・ナンバー」、あるいは法律どおりに「個人番号」と言ってればいいと思うんだけど。そこを「マイナンバー」などと言うのは、国民自身が望んでいる「いいもの」であるかのごとく印象付けたいということではないだろうか。とにかく「あなたのマイナンバー」なんて言うのは、慣れてはいけない表現だろう。
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

鹿島茂のフランス本を読む

2015年11月21日 00時16分27秒 | 〃 (外国文学)
 今回もちょっと前に読んだ本なんだけど、鹿島茂(1949~)のフランス、というかパリに関する本を紹介。鹿島茂という人はいろいろな分野の本をたくさん書いている人で、歴史、映画、ファッションなど関心領域が広い。古書収集家でもあるけど、関連のポスターや衣装なども集めていて、展覧会まで開かれていて僕も見に行ったこともある。「渋沢栄一」という分厚い文庫本2冊も持っているが、それは読んでない。「吉本隆明1968」(平凡社新書)という本もあるけど、これは持ってない。

 最初の本は「レ・ミゼラブル」百六景」(1987)だけど読んでない。90年代に入ると怒涛のごとく本を出し続けて、軽い本や翻訳まで入れると100冊を超えているようだ。僕は91年に出た「馬車が買いたい」(白水社)の書評を読んで無性に読みたくなって夢中で読んだ思い出がある。だけど、単行本を買ったのはその一冊のみで、そこまでフランス文学やパリのさまざまに関心はないよという感じでずっとスルーしてきた。だけど、読み始めると途中で止められないほど面白い。本屋で持ってない本を買い集めて読んでしまった。それらのパリ本は後回しにして、まずは歴史と映画から。
 
 「怪帝ナポレオン三世」は講談社学術文庫に入っていて、文庫化された2010年に買っておいた。1650円もする厚い本だけど、まあ当時は授業に関連するかもといった気持だったのか。この本はかの「偉大な皇帝の凡庸な甥」に関する「バカ説」を徹頭徹尾検討して否定しつくした本で、快著であり怪著でもある。裏表紙から引けば「近現代史の分水点はナポレオン三世と第二帝政にある。『博覧会的』なるものが、産業資本主義へと発展し、パリ改造が美しき都を生み出したのだ」。ナポレオン三世の陰謀家時代から検討し、ある種「成功したただ一人の空想的社会主義者」だったと位置付ける。パリ市長に抜てきしたオスマンによるパリ大改造なくして、現代のパリはなかった。著者によると、歴史系の人はマルクスの言説に影響され過ぎていて、ついナポレオン三世を軽視してしまうのだと。言われてみると、僕もかの名著「ルイ・ボナパルトのブリュメール18日」を通してみていたと思う。

 一方、中公文庫に入っている「昭和怪優伝」は、若き日に見まくっていた映画に関する本で、60年代、70年代頃の脇役的人物を取り上げている。名前だけ挙げておくと、荒木一郎、ジェリー藤尾、岸田森、佐々木孝丸、伊藤雄之助、天知茂、吉沢健、三原葉子、川地民夫、芹明香、渡瀬恒彦、成田三樹夫の12人。書きだすと長くなるから細かいことは書かないが、岸田森、天知茂、成田三樹夫なんかは、この手の本には欠かせない常連だと思うけど、吉沢健が出ているのがうれしい。三原葉子や芹明香も、この顔触れの中では納得できる選択だが、僕個人は三原葉子は世代的にほぼ知らない。でも芹明香はすごかった。僕は浜村純とか角梨枝子も入れたいけど、知らない人に意味ないから止め。

 パリ本は山のようにあって、一度読みだすと止められないのは、こういう文学的、歴史的な都市うんちく本が大好きなのである。日本でも江戸、東京に関するうんちくが好きで、よく読む。それ以上に映画や温泉に関するトリビア情報が好きで、ずいぶん読んでる。ここで披露する意味もないから書いてないけど。だから「文学的パリガイド」や「パリの異邦人」は特に面白い。後者はパリに来た外国人のエピソード集で、ヘミングウェイやヘンリー・ミラーなんかの他、アンデルセン、カサノヴァ、レーニン、ケルアックと多士済々でまことに興味深い。「クロワッサンとベレー帽」、「パリ・世紀末パノラマ館」なんかも面白い。前者は「ふらんすモノ語り」と題されて、いくつもの小さなエッセイが楽しい。後者は「エッフェル塔からチョコレートまで」と副題されている。こういう雑学こそ楽しいのである。
   
 だけど、もっと面白いのは歴史的な考察に基づく社会史的とも言える本で、「パリ時間旅行」はエッセイではあるがパリの歴史的な移り変わりがよく判る。オスマン市長の改造以前のパリが、いかに汚染された都市だったかという話がいっぱい出て来て、実に身に沁みる。東京でも似たような問題はいっぱいあった。そんな街だからこそ香水が発達したのだというのは納得できる。「明日は舞踏会」という本も興味深い。「舞踏会」という、名前だけはよく聞く社交界の内実を描きつくした本。男はダンディを競い、女はコルセットで肉体を締め付け優美なドレスで自らを装う。そこに始まる苛烈なる恋愛ゲームの諸相。フランス古典文学に出てくる舞踏会のすべてが判る本だけど、詳しすぎるのが問題かも。
 
 以上、ナポレオン三世の本以外はずべて中公文庫にズラッと入っている。他にも読んだけど、以下の2冊だけ触れておく。それは角川ソフィア文庫というのに入っている「パリ、娼婦の館 シャン=ゼリゼ」と「パリ 娼婦の館 メゾン・クローズ」で、フランス娼婦2部作。いやあ、こういうセックス関連の本ってどうなんだろう。買いにくいとも言えるが、昔の外国の話だから研究以外の意味はないとも言える。でも、これはフランス文学を読むときに必須の本である。それは歌舞伎とか落語とかをもとにして昔の日本を研究しようと思ったら、「吉原」を知る必要があるのと同じである。モーパッサンの「テリエ館」という短編は娼館を描いた作品だけど、この本を読んで初めてよく判った。また、フランス文学には「高級娼婦」という日本的な感覚からは不思議な存在がよく出てくる。これが何だかよく判らなかったけど、これらの鹿嶋氏の本で始めて判るのである。バルザックもゾラも書いてる主人公は「高級娼婦」だった。名前だけ有名な小デュマの「椿姫」もオペラの物語という感じで、うっかり純愛ものみたいに思うと大間違いで、椿姫とは高級娼婦だった。今も文庫で出てるから読んでみると、これが大時代の大ロマンで、高級娼婦を養うのは並の男ではできない大事業だとよく判った。貧富の差と身分の差の中で美貌の女は自らの容貌を売るしかない。ある意味で今に通じる話。一度贅沢を知った女は、いくら心で結ばれたイケメン男であっても、貧乏男では満足できないという話。
 
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

映画「裁かれるのは善人のみ」

2015年11月18日 23時48分06秒 |  〃  (新作外国映画)
 ロシア映画「裁かれるのは善人のみ」が公開されている。日本でも評価が高かった「父、帰る」(2003)のアンドレイ・ズビャギンツェフ(1964~)の第4作で、カンヌ映画祭脚本賞他各国で高評価を得た。原題は英語読みで「リヴァイアサン」(LEVIATHAN)。圧倒的な風景絶望的な物語に打ちのめされるような傑作である。前から見たかったけど、一見して忘れがたい映画である。
 
 ロシア北方の海に面した町。その風景は荒涼としていて、この町には太陽が照る日がないのだろうかと思うほどである。でも、日が照っているシーンもあるので、物語にふさわしいように、あえて沈鬱な画面が続くのだろうか。調べてみると、映画はバレンツ海に面した町でロケされたという。バレンツ海とはどこだとさらに調べると、ノルウェー国境に接するあたりのロシア最北地である。北極海の一部だが、北大西洋海流の影響でその辺りの港は不凍港なんだという。

 その田舎町で自動車修理工をしているコーリャは、亡妻との子ロマと美しい後妻リリアと暮らしているが、大きな問題を抱えていた。海辺の見える家が、強権的な市長ヴァディムに見込まれ、安い補償金で土地収用を命じられているのである。取り消しを求める裁判をしていて、軍隊時代の部下である友人の弁護士ディーマをモスクワから呼んでいる。控訴審判決があり、完敗だったが、ディーマはモスクワで市長に関する重大な調査報告を持参していた。その証拠をもとに市長に補償金増額を認めさせようというのだ。実際、市長は一時は支払に同意したのだが…。

 この市長がとんでもない人物で、いつもウォッカで酔っ払って、権力で押し通そうとする。市の警察や裁判所も彼の影響下にあるかのような状況。デスクの向こうにはプーチンの写真が掲げられ、人々はスマホを駆使しているから、紛れもなく現代ロシアの物語なのである。市長はロシア正教の司祭に相談したりして、今や教会も権力と近いことが示されている。

 一方、コーリャの側も単なる「善人」ではない。妻と子の間はうまくいってないし、妻は弁護士と親しくなっていく。いつも酒を飲んでいるのは市長と同じで、市長ほどではないがパワハラ的な感じである。息子も家にはいつかず、遅くまで友人たちとたむろっている。どこでも世界共通である。警官の友人がいるが、いつもタダで車の修理をさせられている。その友人たちと誕生パーティと称して、車で遠出するシーンは興味深い。湖のほとりにでかけ、皆で銃を撃って遊ぶ。初めは缶やビンを撃っているが、その後は昔の指導者の写真を持ってきているのである。ブレジネフ、レーニン、ゴルバチョフ…。

 その後のパーティで起こった「ある事件」をきっかけに、コーリャ一家の運命は大きな悲劇に見舞われる。その事件そのものは語られないが、ここでコーリャと弁護士ディーマの関係が終わってしまう。一方、市長はディーマを拉致して脅し、彼はモスクワに帰る。金を払う気などなかったのだ。一方、コーリャと妻の関係は難しくなり、そのことから思いもかけぬ成り行きが彼に降りかかるのだった。彼の家が壊されていくシーンが悲劇のすさまじさを見せつけて映画は終わる。

 映画の最後の方は悲惨な成り行きに言葉もない感じだが、これはもともとはアメリカでおきた事件が基になっているという。コロラド州で起きた「キルドーザー事件」と言って、自動車修理工が再開発に反対して孤立、市長の抜き打ち検査で工場が業務停止となった。父が死んで孤独になった修理工は、ブルドーザーを改造して市役所や市長自宅などを襲撃して破壊し、内側から溶接されたブルドーザー内で自殺したという。2004年に起こった事件である。これにクライストの「ミヒャエル・コールハースの運命」という小説も影響を与えているという。だが、ロシアやアメリカに限定された物語ではなく、一方的な権力の横暴により個人の生活が破壊されてしまうのというのは、日本を初め全世界の物語と言える。(例えば沖縄を見よ。)

 暗くて陰鬱で、楽しんで見られる映画では全くない。だけど、このような圧倒的な物語と忘れがたい映像こそ、映画を見たという体験ではないか。家を飛び出した息子がさまよい、クジラの骨が残る海辺を見つけるシーン。その風景は非常に印象的で、チラシやポスターに使われている。まさか作ったものではないと思うが、こういう骨が海岸に残っているのか。いたるところに廃船がたなざらしされている荒涼たる風景は、現代人の心の象徴だ。そんな北の風土の中でこそ、この悲劇的な物語が生きている。

 ズビャギンツェフ監督は、「父、帰る」の後で、名前を聞かないなと思っていたら、「ヴェラの祈り」(2007)と「エレナの惑い」(2011)がカンヌで受賞した。この2作は去年公開されたけど見逃している。今回の映画が4作目。原題の「リヴァイアサン」は17世紀の政治学者ホッブズの著作ではなく、もともとは旧約聖書のヨブの物語から来ているという。海に住む怪物の名前だが、むしろホッブズの使った「個人が抵抗できないほどの国家」という意味に近い感じもする。俳優も好演しているが、まあ日本では知名度がない人ばかりだから、ここでは省略。音楽はフィリップ・グラスのものだが、映画音楽ではなくオペラの楽曲を使っているという。東京では新宿武蔵野館のみで公開。
コメント (1)
この記事をはてなブックマークに追加

モーパッサンを読む

2015年11月16日 23時13分52秒 | 〃 (外国文学)
 フランスでまたも大規模なテロ事件が発生した。「IS」に関しては今年の初めに何回も書いた。今の段階で僕があらためて書くこともないんだけど、これほど組織だったテロを実行できるのは「IS」しかないということは確実である。10月10日にトルコの首都アンカラでクルド系の集会を狙う自爆テロがあり、102人もの死者が出た。10月31日にはエジプトからロシアへ向かう旅客機が墜落し、224人の死者が出た。まだ真相不明なところもあるが、これもISによるテロの可能性が強くなっている。そして、11月13日にはパリで(現時点で)129人の死者が出る同時多発テロ事件が起きた。これは一体何なのか?

 しかし、それを考える情報も特に持ってないし、余裕もない。いろいろあって体調を崩し、昨日はパソコンを開きもしなかった。まあ世の中には様々なことが起こっていても、僕などがパソコンを少し見なくても何ごとも起こらない。昨年来、、時々フランス文学を読みたいと思う時がある。アメリカや中国の存在感に比べて、政治・経済だけでなく、文化的にも何かヨーロッパ各国の地位が落ちてきている気がしてならない。だけど、やはりイギリス、フランス、ドイツ、イタリアなどにはじっくりつきあっておかないといけない文化的伝統がある。音楽、絵画、文学、思想、映画、ファッション…。

 まあ、具体的には昨年永井荷風をいっぱい読んだことが直接のきっかけである。荷風がモーパッサンの墓に詣でた話は有名である。荷風は一生を通じて、フランス賛美を貫いた。同世代の日本を嫌うのは判るんだけど、何もあそこまでフランスびいきでなくてもと思うほど、フランス一辺倒を通した人である。僕は映画でフランスを知ったクチだから、そこまで理想化はしないけど、きちんとフランス文学を読みたいと思ったのである。ホントはあのぼう大かつ長大なバルザックにいよいよ挑戦したいのである。なんかとても面白いものもあるらしいけど、一つも読んでない。スタンダールやフローベール、モーパッサンなどは読んだけど、バルザックとゾラは読んでないというのは、やはり長さの問題。

 まず、今まで短編しか読んでなかった19世紀フランスの作家、ギ・ド・モーパッサン(1850~1893)を読んだ。もう昨年のことである。今ごろ書くのも何なんだけど、古典だから時を選ばない。いろいろあるから後回しにしているうちに一年近く経ってしまった。でも、読んだときの印象は鮮烈である。特に長編の「女の一生」(1883)と「ベラミ」(1885)。世の中にこんな面白い小説があったのかと思うぐらいだが、スタンダールの「赤と黒」「パルムの僧院」もめっぽう面白い。19世紀の大小説は、「純文学」+「エンターテインメント」を兼ね備えている。だから、恐ろしく面白くて、同時に深い。
    
 まず、今文庫で何が入手できるのか。新潮文庫にけっこう残っていて、「モーパッサン短編集」が3冊ある。モーパッサンの短編は名手の手練れを堪能できる傑作揃いで、チェーホフやO・ヘンリーなど共に、一度は読んでおいたほうがいい小説である。まあ、有名なのはいくつもあるが、今回再読したところ、ちょっと古い感じもした。別立てで「脂肪の塊・テリエ館」の短編2編が新潮文庫に残っていた。数年前に大きな文字に改版されているから、今も読まれている。帯に「人はそこまで卑劣になれるのか」とうたっている。普仏戦争後のフランス北部で起こったあるできごとを簡潔に描いている。これは「戦場と性」というテーマを扱っている。文学は19世紀にここまで人間を見つめていた。

 「女の一生」はモーパッサンの生まれた北部ノルマンディーの風土を背景にして、題名通りジャンヌという女の一生を描きつくしている。修道院で教育された貴族の娘ジャンヌが親元に帰ってきて、いよいよ舞踏会で社交界デビュー。幸福を夢見る乙女に理想的な相手と見える男が現れて…。という少女マンガのような設定から始まって、波乱万丈の大ロマンが展開され、あれよあれよと「本当の人生」が訪れるのである。夫の裏切り、息子の放蕩、夢が裏切られていくジャンヌの人生は、今読めば図式的にも見えるところもある。だけど、その圧倒的な物語性のゆえに、読んでいる時はジェットコースターに乗っているように読み進んでしまう。やっぱりモーパッサンの代表作と言われるだけある。名前も有名だけど、一度は読んでおくべき傑作だ。

 他の長編には「ピエールとジャン」「死の如く強し」などがあるが、今は文庫では出ていない。(古本や昔の全集などを探してもいいんだけど、そういう本は今では字が小さすぎて読むのが大変。)そういう中で、岩波文庫に「ベラミ」が残っていた。「ベル」(美しい)「アミ」(友)である。これはある意味では「女の一生」をもしのぐ抜群の面白さだった。でも、今のジャンル分けでは、この小説は「エンターテインメント」、情報小説と悪漢小説(ピカレスク・ロマン)、「恋愛(不倫)小説」が混合された「広義のミステリー」と言える。「ベラミ」とあだ名される底辺の男が、そのイケメンを武器に上流階級へとのし上がる。そのやり口が「女」である。旧友の妻を得て、その後、新聞社社長の妻をだまし、その娘にせまり…。この悪漢はやがて新聞界から政界へと乗り出していく。いやはや、という感じなんだけど、この小説の当時の受け取り方は、政界や新聞界の内実が暴露されていることの面白さにもあったらしい。今ではその点はほとんどどうでもよく、「いかに女をたらしこむか」に全力を傾ける主人公の戦略と戦術が面白い。しかし、やっぱりイケメンはこれほど得なんだろうか。抜群の面白さ。
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

日本の現実を知るための本

2015年11月14日 23時40分16秒 | 〃 (さまざまな本)
 読書の意味、あるいは楽しみというのは、「知らない世界を知る」ということが大きい。もちろん、自分の知ってる世界、趣味の世界や好きな作家の本などを「楽しんで読む」方が多いかもしれない。本だけでなく、映画や音楽なんかでも。でも、時には全然知らない新しい世界にチャレンジするのも大事だ。「知らない世界を知る」というのは、主に「いつもはあまり読まない分野の本を読んでみる」ということを指している。それとともに、「意識して、自分の足元の現実を知るために本を読んでみる」ことが必要だ。新聞や雑誌だけでは、あるいはネット上の情報だけではダメなのである。

 日本で生きていて、いろいろ不満や不安はあるにせよ、シリアやリビアのような「国家崩壊」状態ではない。何か大変な現実を抱えている人でも、その現実に圧倒されて毎日精いっぱい生きているものの、日々は決まりきった日常が続いている場合が多いだろう。そういう場合、なかなか自分が世界で占めている位置をつかめない。新聞やネットのニュースなんかでも、触れないよりはいいだろうけど、「点」の情報だから、その時々で終わってしまう。だから、そんなときのために本がある。そういう場合は本格的な専門書は大変だから、文庫や新書が中心になる。「新書の新刊本」は要注意である。

 さて、今回紹介する本は、今年の4月、5月頃に出た本で、いずれ書きたいと思ううちに時間が経ってしまった。小林美希「ルポ 母子家庭」(ちくま新書、820円)と「ルポ 保育崩壊」(岩波新書、800円)、そして保坂渉、池谷孝司「子どもの貧困連鎖」(新潮文庫、550円)という3冊の本である。
  
 小林美希(1975~)という人は知らなかった。ほぼ同時期に新書が2冊新刊で出たので、アレ、同じ人だと気付いたのである。茨城県出身で、神戸大卒業後、株式新聞社、毎日新聞社を経て、2007年からフリーのジャーナリストとして活動していると紹介されている。今まで出た本の名前を少し紹介すると、「ルポ 正社員になりたい」「ルポ “正社員”の若者たち」「ルポ 職場流産」「看護崩壊」「ルポ 産ませない社会」といった書名が並んでいる。名前を見るだけで、どういう分野を追いかけているかが判る。次が「保育崩壊」と「母子家庭」であることもよく判るというものだ。

 僕はこの分野のニュースを聞いたりして、保育や単親家庭の状況がすさまじいものであることは何となく知ってはいる。だけど、自分では詳しくはない。だから読んでみようと思ったわけである。読んで改めて、日本の現状に大変な思いを持ったけど、やはり自分の詳しい分野ではないから印象が薄れている。だけど、母子家庭の本を読めば、最後の方になると、支援する企業や求人サイトも出てくる。自ら動き出す人々の姿が描かれている。いま、「1億総活躍」とか「介護離職ゼロ」とか「希望出生率1.8」とか言い出している人たちは、この本を読んでいるだろうか。そして、この本を必要とする人は「岩波新書」や「ちくま新書」を手にする機会があるんだろうか。

 「子どもの貧困連鎖」は、共同通信の記者二人が取材して地方紙24紙に連載された記事がもとになっている。その後、本にまとめられ、今年文庫化された。新聞記事が元だから、この本が一番読みやすいと思う。中身の衝撃度も大きく、知らない人には「こんなことが今の日本であるのか」というような現実が書かれている。僕は知らない世界ではないけど、ここまでとはと絶句するような貧困や虐待などがルポされている。必読だと思う。「何か」が日本社会で壊れているのではないかと深刻な思いにとらわれる。そんな思いを誘われる本である。

 共著者の一人、池谷孝司さんには今までに3回会ったことがある。最初は都立中高一貫校の教科書採択に関して都教委への運動を始めたとき。次は六本木高校で「人権」という授業で、「死刑でいいです」という本をもとに講演してもらった時。三回目は「六本木少女地獄」が出版された時。そういう経緯は別にしても、今回の本はいつか紹介しなければと思っていた。特に第一章の定時制高校で学ぶ生徒を描く章だけでも読まないといけないと思う。「現代の貧困」とはどんなものかよく判るし、二度と忘れられないだろうと思う。ただ生きているだけでは、日本の現在は見えてこないということがよく判る。自覚的にそういう分野の本を読まないと判らない。自分の知ってる世界は小さくて、日本だけでも知らないことは山のようにあるのだ。
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

東京のお屋敷の歴史をたどる本

2015年11月12日 23時13分32秒 |  〃 (歴史・地理)
 中公新書から出たばかりの竹内正浩(1963~)著「地図と愉しむ東京歴史散歩 お屋敷のすべて扁」は非常に面白くて役に立つ本だ。中公新書で出ている竹内さんの東京歴史散歩はこれで4冊目。ただの「地図と愉しむ東京歴史散歩」から始まり、「都心の謎扁」「地形扁」に続く第4弾である。まだ読んでない人は、これまでの本から読んだ方がいいだろう。それで関心を持ったら続いて読むのがいいと思う。東京近辺の人が歴史散歩のガイドに使える本だけど、「江戸」が首都となったということで、「近代史」の諸相を東京の街並みに解読する「愉しみ」は多くの人も味わえるだろう。

 4冊目の「お屋敷のすべて」扁は、地図や付録の表が非常に多いんだけど、何しろ華族の住所録付きである。明治20年と大正5年の華族住所録を載せて、今どうなっているかまで調べてある大変な労作である。今の「常識」で言えば、「お金持ち」は東京の西の方に多いわけだが、この本によると江戸時代の大名にさかのぼって、東京の東側、隅田川の近くが案外多かったという。それは「水の問題」があったからである。当時のお屋敷に必須の大庭園、「池泉回遊式」の庭園を造るには、水道の普及していない時代には、川のそばに作るしかないということである。

 今に残るのは、江東区の清澄庭園、墨田区の安田庭園などだが、今の隅田公園(隅田川に沿って浅草から対岸にかかけてズラッと公園となっていて、桜の名所になっている)も、水戸藩の下屋敷だった。ただし、洪水になると被害が大きく、特に足尾鉱毒事件を有名にした1890年の大洪水で水辺の庭園も大きな被害を受けたという。当時はコレラなどの疫病も多かったから、下町の水辺=不潔で非衛生的というイメージにつながっていく。そして1923年の関東大震災で倒壊したり、焼けてしまったお屋敷が多く、以後は東京の東側に「お屋敷」は再建されなかった。

 そして、お屋敷は当時の地名で言えば「麹町区」(今の千代田区)や東京拡大以前の千駄ヶ谷などに移っていく。それらは震災、戦災で今はなくなったり、戦後の華族廃止、財閥解体などで売りに出されたりして、今はほとんどはない。この本にも多く収録されている当時の写真でしのぶしかない。ベースはそうなんだけど、探せば結構残っているということも判る。明治村や「江戸東京たてもの園」などに残されているし、探せばまだまだある。例えば、永田町界隈にあった鍋島侯爵家の洋館は震災で崩壊したものの、和館の方は被害が少なく三井家(北家)に買い取られ、北多摩郡拝島村の別荘に移されたという。これは今の東京都昭島市に現存し、啓明学園北泉寮として使われているそうだ。学校行事に差し支えない時には公開されていて、見ることもできる。(啓明学園のHPで確認できる。)

 この本を読んでなるほどと思ったのは、東京中心部にある学校の多くは、昔のお屋敷跡に建っているということである。そして、都心部の少子化に伴い、それらの学校も再開発されていくことも多い。そう言えば、勝海舟散歩の時に見た海舟屋敷跡は、港区立氷川小となり20数年前に閉校して今は老人ホームになっていた。都心部でまとまった敷地を取れる場所はあまりないから、そういう広大なお屋敷は学校になることが多いわけである。僕が勤務した六本木高校と向かいの南山小学校は、芳川顕正伯爵邸と旧小田原藩の大久保子爵邸の跡地だという。その他、いちいち挙げないが多くの学校の例が出ている。(なお、鳥取藩主池田侯爵家は明治初期には、今の墨田区の向島百花園あたりにあったという。その記述の中で、今の「墨田高校辺りまで及んでいた」と書かれている。間違って記述されることがやたら多いんだけど、「墨田川高校」なのです。ちなみにノーベル賞の大村先生が勤務していた定時制高校は「墨田工業高校」で、場所は江東区森下である。)

 別荘のいろいろ、あるいは明治から平成に至るまでの総理大臣の家調べなども興味深いが、まあ本で見て。このシリーズで僕が一番面白かったのは、「地形扁」である。というのも、今の東京人は東京の地形をあまり意識しないからである。地下鉄が発達しているから移動の多くは地下を動く。だから外の地形の変化をあまり意識しなくなる。風景もビルばかりで、昔の坂はならされ、川は暗渠となり、全然自然を感じさせなくなる。だけど、現在の建物のベースには地形がしっかりと存在しているわけで、いろいろと勉強になった次第。この本だけでも読むべし。今回出た「お屋敷扁」は上級コースかな。
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

小山清を読む

2015年11月11日 22時46分05秒 | 本 (日本文学)
 小山清(1911~1965)という作家がいた。1965年に亡くなっているので、今年が没後50年である。今年が没後50年に当たる作家はかなりいて、有名なのは谷崎潤一郎江戸川乱歩。この二人は名前ぐらい、誰でも知っているだろう。他に戦前から活躍した高見順。戦時中の「敗戦日記」が貴重な他、「いやな感じ」という大傑作がある。晩年には近代日本文学館の建設に尽くした。また、戦後派の代表作家の一人、梅崎春生。(遺作の「幻化」は素晴らしい。)交通事故死した若き才能、山川方夫。あるいは、「銀の匙」の中勘助が80歳で亡くなっている。ところで、この話は僕のオリジナルではなくて、東京新聞夕刊のコラム「大波小波」に出ていたのだが、その中で小山清も忘れてはいけないとあった。
 
 他の人は何かしら読んでいるのに、「小山清? who?」という感じである。まあ、名前ぐらい聞いたことがあるような気がするが、どんな人だか全く知らない。と思ったら、探しているわけでもないのに、本屋をブラブラしている時に、「ちくま文庫」の棚に「落穂拾い 犬の生活」という本があった。突然目に入ってきたのである。まるで探していたかのように。2013年刊行だから、割と新しい本だけど、出た時は全然気づかなかった。帯に「『ビブリア古書道の事件手帳』三上延推薦!」と銘打っている。ということで、何となく流れで買ってしまい、何となく読み始めてしまった。

 いやあ、正直言って難渋した。一週間ぐらいかかった。今まで本について書いた時は、読むといいよという推薦だったんだけど、これは読まなくてもいいと思う。先に挙げた他の作家を先に読んで欲しい。別に文章や世界観が難しいわけではない。だけど、時代が違ってしまい、こういう昔風の「私小説」は付いていけない感じがする。読んでても面白くならないから、全然進まないのである。じゃあ、書かなくてもいいじゃないかと言われるかもしれないけど、参考になることもあるし、こういう人生もあったのかと紹介したい気もする。

 小山清は吉原の中で生まれて育ったという人である。生家は貸座敷業者だったけど、父は盲目で家業を継げず、義太夫の師匠として生きていた。環境としては非常に特殊だろう。府立三中、明治学院中等部卒業ではあるが、高校、大学へは行けなかった。学業向きではない。キリスト教や文学に関心を持つも、なかなか大成しない。挙句に、藤村の世話でペンクラブに就職したが、公金使いこみで刑務所行きとなった。ということがウィキペディアに出ているが、詳細は知らない。だけど、獄中を扱った作品もあるから間違いない。その後、新聞配達をしたり、戦後には北海道の夕張炭鉱まで働きに行っている。下積みの苦労をたっぷりと味わうが、この人の場合自分にも問題があると思う。

 1940年に太宰治の門人となり、太宰が疎開した時は留守宅に住み込んで守った。1952年に18歳年下の妻と結婚し子どもも出来たが、1958年に病気で失語症となる。妻が働きながら生活保護で暮らすが、1962年に妻は自殺。1965年3月に心不全で死亡、53歳。と晩年は悲惨そのもので、作品も少ないが、結婚した当時、つまり1950年代初頭には一時期安定した作家生活があった。その当時、芥川賞候補に4回なっているが、受賞は出来なかった。その当時に書いた「清純な私小説」に趣があると評されるが、古い感じは否めない。

 特に最初の2編、「わが師への書」と「聖アンデルセン」を読んだときには、その文章が感傷的で長たらしいうえ、変に主観的な思いこみのような世界に正直ウンザリした。全然知らずに読み始めて、後悔もした。「聖アンデルセン」という小説は、結構名前は知られているが、あの童話作家のアンデルセンのひとり語りの世界なんだけど、「清純」に満ちた世界にビックリした。これは参ったという感じである。その後の「落穂拾い」「夕張の宿」などになって、多少面白くなり、さらに「朴歯の下駄」「安い頭」「桜林」になると、吉原あたりの子ども時代の話や新聞配達の話になり、がぜん面白くなる。「たけくらべ」の何十年か後の世界を知ることができる。子どもだからお祭りの楽しさとかが中心だが。また、近くの三ノ輪あたりで新聞配達をするのだが、当時配達人に朝鮮人が多かったとか、興味深い事実が出ている。

 以上が第一作品集「落穂拾い」(1953)の全作品で、第二作品集「小さな町」(1954)は抜かして、続く第三作品集「犬の生活」(1955)の全作品が後半に収録されている。最初の作品「犬の生活」は犬好きには非常に気持ちがよく判る名品で、なかなかいい。その後は自分の生活や人生を扱う短編が続く。名前はいちいちもう挙げないが、「西隣塾記」が証言としては貴重。「大菩薩峠」の作家、中里介山が開いた青年塾、「西隣塾」に入った時の記録。でも、この作品や「生い立ちの記」「前途なお」「遁走」などを読むと、この人の性格の弱さが気になって仕方なくなる。獄中記である「その人」なども同じで、作家になじみを感じると同時に、「鼻に付く」というか、同じような失敗が多すぎ。最後の「メフィスト」は、太宰の留守宅を訪れた客に太宰のふりをするという、この作者には珍しいシャレた趣向と思いつつ次第に悪趣味感が強くなる。

 この2つの短編集を読んだ限りでは、どうにもやりきれない自己を抱えた「小作家」という感じで、大きな感じが全然しない。だけど、そこが「ちっぽけな人間」をそのまま映し出しているとも言える。だから面白いとも、だからつまらないとも言える。また、生まれ育った東京の各地を、昭和の戦前、戦中、戦後に渡って描き続けたことが、今になって貴重な記録になった面もある。特にお勧めはしないけれど、二度と他からは出ない文庫本だとは思う。レアものを読んでみたい人には、こういう作家もいましたという紹介である。
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

直木賞受賞作「等伯」

2015年11月10日 00時02分08秒 | 本 (日本文学)
 大きな問題を調べて書いていく元気が少し足りなくなっているので、しばらく本や映画の記事を。特に本は大分たまっているので、この際まとめて書いてしまいたいと思う。まずは、安部龍太郎「等伯」で、2013年1月に発表された148回直木賞(2012年下半期)の受賞作である。同時に受賞した朝井リョウ「何者」については、その当時に単行本を読んで記事を書いたが、この「等伯」は2巻本の長い本なので文庫化を待っていた。芥川賞や直木賞の作品は文庫になれば必ず読むようにしている。
 
 この等伯とは、もちろん日本絵画史に屹立する巨人、長谷川等伯(1539~1610)のことである。まあ、名前ぐらい、あるいは代表作の「松林図」ぐらいは知っているが、逆に言えばその程度しか知らない。具体的にどの時代の人かさえ、はっきりと知っているとは言えない。そんな画家の人生を読んで面白いのか。読めば判るが、圧倒的な面白さでぐいぐい引きつけられる。(下=松林図の左右)
 
 能登(石川県北部)の七尾に武士の子として生まれ、幼い頃に絵仏師の家に養子に出された。能登の戦国時代と言われても、急には思い浮かばないが、ここは室町時代に管領(かんれい)を務める名家だった畠山氏の領地だった。七尾は京都の文化を受容した文化都市だったのである。しかし、畠山七人衆と言われる重臣層のクーデタで畠山氏は追放された。等伯の実家は畠山氏の家臣で、父は戦死し、兄は御家の再興に努める。この「北陸の血」と「武士の血」という運命が一生を左右した。

 絵師としてどうしても都に上って勉強したい、名声高い狩野派の絵に負けたくないという思い。一方で、織田信長と浅井、朝倉の争い、信長の比叡山焼き討ちなどに巻き込まれ、波瀾の人生行路をたどる。世は信長から秀吉へと移りゆき、等伯は次第に名声を得ていくが、豊臣政権下でも利休をめぐる不可解な争いが起き…。そんな中、狩野派と競いつつ、芸術家として生きる等伯。しかし、家庭生活にはさまざまの悲劇も待ち受けているのだった…。(下=楓図)

 歴史小説として抜群のリーダビリティを満喫しつつ、「政治と芸術」という大問題を突き付けられる。僕が思い浮かべたのは、ナチス政権下のフルトヴェングラー、あるいはスターリン体制下のショスタコーヴィッチなどの姿である。あるいは、中国の文化大革命時代の芸術家の運命である。信長や秀吉のような、極端な個性による独裁の下では、生き抜くことも難しい。特に日本の画家は、大名階級による巨大な城や寺院建築の襖絵を受注できるかどうかに人生がかかっていた。ヨーロッパの美術や音楽も、ある時代までは王家や大貴族がスポンサーだったわけだが、日本でも町人(ブルジョワ)階級が芸術の消費者として現れるのは、まだだいぶ先の話である。

 安部龍太郎(1955~)は福岡県八女(やめ)の生まれだが、久留米工業高専卒業後に東京に出て、大田区役所に勤めたり、図書館司書をしたりしながら、歴史小説を書いていた。デビューは1990年の「血の日本史」で、当時から大型新人と言われていた。「関ヶ原連判状」や「信長燃ゆ」、「天馬、駆ける」など多数の作品があるが、直木賞は「彷徨える帝」(1994)で一回ノミネートされただけで縁遠かった。「等伯」は遅すぎた受賞というべきだろう。とにかく、格の高い良質の歴史小説を読んだという満足感に浸れる。もっとも、小説である以上当然のことながら、重要な部分でいくつかのフィクションが施されていると思われる。しかし、それも歴史小説の醍醐味というもんだろう。

 純文学を対象とする芥川賞は、新人による短編小説に限って対象とするが、直木賞はある程度「職業作家」として認知された新人作家に与えられる性格が強い。対象もエンターテインメントの長編小説が選ばれることが多い。そういう意味では、直木賞作品は「面白い作品」にめぐり合う確率が高い。好きになった作家はその他の作品に進むきっかけとなる。2~3年で文庫化されるので、最近は2012,2013年当たりの受賞作が文庫化された。辻村深月「鍵のない夢を見る」や浅井リョウ「何者」、桜木柴乃「ホテル・ローヤル」、朝井まかて「恋歌」(れんか)などまで文庫化されている。この中で、僕がビックリしたのが「恋歌」で、幕末の水戸藩の壮絶なる内戦を描いている。一葉の歌の師として知られる中島歌子の過去に、これほどの恋と獄中体験があったとは。知らずに読んでビックリである。
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

映画「わたしに会うまでの1600キロ」

2015年11月08日 21時42分36秒 |  〃  (新作外国映画)
 昨日、キネカ大森まで行って映画を2本見た。「黒衣の刺客」と「わたしに会うまでの1600キロ」。「黒衣の刺客」は、台湾の巨匠ホウ・シャオシェンが撮った美しく静かな「武侠映画」で、今年のカンヌで監督賞を得た作品。久しぶりのホウ・シャオシェンに期待大だったのだが、やっぱり昔の瑞々しい映画ではなく、完成されたアート映画というか、はっきり言うとなんだかよく判らない映画だった。一方、「わたしに会うまでの1600キロ」は非常に面白かったので、こっちを書いておきたい。
 
 これはアメリカ西部を南北に縦断する長大なトレイルをひたすら歩いて行く映画である。時代は1995年で、実話の映画化。歩き続けるシェリルを演じたリーズ・ウィザースプーンが非常に素晴らしく、アカデミー賞の主演女優賞にノミネートされた。この人は「ウォーク・ザ・ライン」でアカデミー主演女優賞を受賞している。母親役のローラ・ダーンも初めてアカデミー賞にノミネート。(助演女優賞)

 シェリルは様々の人生行路を経て、アメリカ最長のロングトレイルを歩くことにする。その事情はおいおい映画内で描写されていくが、とにかく冒頭からもう歩き始めていて、足は痛むし、爪ははがれるし。足を手当てしていたら、登山靴が落ちてしまう…という恐ろしいシーンから始まる。荷物も重そうで、全然進まない。最初は判らないが、とくにアウトドア体験があるわけではなく、人生をリセットするために(つまり「わたしに出会う」ために)急に思い立って歩きはじめたである。僕も大雪山縦走テント泊5日の経験があるが、荷物が重くて重くて、バランスを崩すと起ち上がれないぐらいだった。その時のことを思い出してしまうが、とにかく歩き通してしまうんだから、もともと体力はあったんだと思う。

 このトレイルは、メキシコ国境からカナダ国境まで続く4000キロにも及ぶロングトレイルで、「パシフィック・クレスト・トレイル」(PCT)という。映画のホームページのマップをクリックすれば、どういうルートを歩いたかが出てくる。日本地図との比較もそこで見られるが、鹿児島から稚内まで歩くより長そうである。ただし、メキシコ国境からではなくカリフォルニア南部のモハーベ砂漠から出発し、雪で通れないシエラネバダ山脈をパスして、オレゴン州とワシントン州の州境の「神の橋」まで歩いている。映画を見た時は、向こうがカナダという国境まで歩いたのかと思ったが、そうではなかった。

 全部の食糧を持てるわけないから、途中の町に中継ステーションがある。あるいは、砂漠の中に給水ポイントもある。だけど、こんな長大コースを歩く人が結構いる。でも男が多く、映画の時点では女は少ない。また、反対から来る人が出てこないが、どうも映画と逆に北から南へ歩く人の方が多いらしい。それにしても砂漠を歩くなど、ちょっと信じられないが、そこを無帽で、手も足も出して歩いている。いやあ、それでは日焼けなどが心配になるが、特にそういう描写はないから大丈夫なのか。それより、野生動物が危険そうだし、それ以上に人間という生き物が怖い。

 僕は、自然の中を歩き通すという、この映画の根本に共感するものがあるので、そういう気持ちで見て書いた。だけど、そういう風に歩きはじめるまでの人生がある。家庭内暴力、母の死、離婚、麻薬等々…さまざまの難題を抱え続けて、相当に大変なところに追いつめられ、帰るところもない状況である。そこで誰にも会わず歩き続ける意味が出てくるが、それでも誰かに連絡したいときはときどき電話する。まだ携帯電話もない時代である。今なら途中で地図を調べ、天気やニュースを見ることができるが、そういうことができない。そして歩い続けていく中で、「自分」が変わっていく…。

 監督のジャン=マルク・ヴァレ 、撮影のイヴ・ベランジェのコンビは、アカデミー賞主演男優賞を得た「ダラス・バイヤーズクラブ」を作った人。音楽にサイモン&ガーファンクルの懐かしい曲を使っているのも心に残る。「ロード・ムーヴィー」というジャンルは、車や鉄道で移動することが多いが、このように歩いて行くものにショーン・ペンが監督した「イントゥ・ザ・ワイルド」があった。あの映画の方が厳しいし、悲劇的でもある。この映画はそこまでの厳しさはないけど、アメリカの美しい風景も見られるし、「女性映画」の側面もある。だけど、なんで彼女は歩き続けるのかと見ていて思う。自分なら脱落するかな、それとも行けるかなと思いつつ、自分を振り返る映画でもある。
コメント (1)
この記事をはてなブックマークに追加