尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

いじめが根絶できない理由①

2012年07月28日 00時43分17秒 | 教育 (いじめ・体罰問題)
 いじめがなくならないという理由について。長くなると思うので2回に。僕がそれを書いておきたいと思うのは、流通している学校論に納得できないものをずっと感じてきているからだ。

 学校現場の多忙化、「競争」を進める教育行政の問題なんかを僕もよく書いてるけど、そういうのは「いじめ問題の解決を難しくしている要因」であって、そもそもいじめが起きる理由ではない。文科省や教育委員会の現場無視の教育行政がなければ、いろんなことがよほどやりやすくなると思うけど、今ほどひどくなかった80年代にも重大ないじめ事件が起こった。

 学校や教育については、ほとんどの人に何か言いたいことがあるものだけど、「右」も「左」も学者や評論家なんかは大体勉強ができた人なんだろうと思う。いじめが問題になると、よく新聞なんかに「いじめられている若者へ」みたいな文章が載ったりするけど、みんな結構むずかしいことが書いてある。

 学校の先生というのもそうで、そりゃあ各教科すべてできたわけではないだろうけど、「勉強が大嫌いだった人」が教員になるはずがない。もちろん僕もそうである。体育や芸術の先生だって、部活ばかりやってたり、いつも一人で絵を描いてるような人も中にはいるかもしれないが、大学を出て教員採用試験を通ったんだから、生徒だった頃に勉強ができなかったわけがない。(体育の先生というのは数が多いので、いろんな人がいるのも確かだが、団体プレーで動くことに慣れているためか、一緒に仕事をしやすい人が多いと思う。)

 だから、教師がいくら生徒の心に寄り添うなどと言っても、勉強やスポーツが本当に苦手な生徒のことをわかるのは難しい。日本社会は「頑張ること」を強要するから、教師も「まあ頑張ろう」と言い、生徒も「判った、頑張る」と答えて、なんか理解しあったつもりになっている。それで大体の時間は平穏に過ぎていくけど、何か事件が起きると両者の距離の大きさが判るのである。

 「右」の側はよく「戦後教育が悪い」などと言う。いじめは戦前にも戦中にもあったんだから、こんな言説にはなんの説得力もない。要するに「学校は教員による秩序があるべきだ」という前提があり、「道徳教育」によって「学校秩序」を維持するべきだとなる。だから秩序が崩れた学校は、生徒を統制できない教員に問題があるとなる。そういう教員がいるのは、「自由と権利を強調する戦後憲法」と「教員の権利を主張する教員組合」のせいである、と続く。今はいちいち反論しないけど、こういう風に「あるべき学校」を自明の前提において、演繹(えんえき)的に議論を進めていって、学校の現実が自分の理想と違っても自分の前提を疑うのではなく、「教師が悪い」と決めつける。そういう発想では、「今の時代のいじめ」に苦しむ子どものリアルに近づけないのは明らかだ。

 一方、「左」というか「進歩的教育学者」というタイプの考え方があって、「こどもは学びを求めている」とか「皆で学び、皆で育つ」とか「学ぶことは本来楽しいものだ」とか、そんな発想をする。僕もそれを全否定するものではなく、「こどもの知的関心を軽んじてはいけない」とは思う。「皆で学ぶ」ための工夫もいろいろ開発されていて、現場で役立てる知恵はたくさん蓄積されている。教員の自主研修が出来にくくなっているが、夏は様々な研究大会が開かれていて、そういうのに行かせてもらえればたくさんのアイディアを持ち帰ることができるはずだ。(最近は教育委員会主催以外の集まりには休暇を取らないと参加させないところが多い。)しかし、そういう工夫をして授業を判りやすく面白くしたり、学校行事を盛り上げたり、生徒の連帯感を育てたりすれば、いじめはなくなるんだろうか。生徒の連帯感が生まれ、学校に「反いじめ文化」が根付いて行けば、確かにいじめレヴェルを下げたり、教員が早期発見できたりする可能性は増える。でも、要するに「減いじめ」に近づいたということであって、現実の学校としてはそれで十分だと思うけど、「いじめそのものをなくす」ことにはならないだろう。

 そうすると、今度は一挙に「人間の本能には攻撃性があり、戦争もいじめもなくせない」などと決めつける人が出てくる。僕はそういう「人間の本質論」にはあまり関心がない。専門が歴史だったから、個別ケースの積み上げに関心があって、理論や哲学にあまり関心がないのである。そういう立場で見ると、人間に攻撃本能があるかどうかは知らないが、「人間の攻撃本能から起きた戦争はない」ということである。全部の戦争は知らないけど、あったら教えて欲しい。その当時の社会システムが戦争を起こすのであって、そうじゃないと戦国時代が長く続いた後で、今度は戦争のない江戸時代が200年以上続く理由が判らない。人間の本能ならいつも戦争がなければならない。社会のあり方が変われば戦争はなくなるのである。いじめも同じで、本能で起こるんだったら、どの時代、どの学校でも起きるはずである。いや、起きているというべきかもしれないが。それでも、軽い段階で終わる場合もあるし、重大な事件になってしまうこともある。その違いは、本能だけでは説明できないだろうと思う。(いったんここで切る。)
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根絶はできないけれど-「減いじめ」のために②

2012年07月25日 22時54分38秒 | 教育 (いじめ・体罰問題)
 いじめ問題は今まで何回も数年おきに大問題になってきた。一度大問題が起きると、類似の問題も大きく報道されるから、報道だけ見てると「最近急激にいじめが増えている」と思ってしまいがち。でもそうではなくて、「小さな事件」はいつもどこかで起こっていて、「大きな事件」が数年に一度くらい起きる、ということだと思う。いじめという現象は、僕は学校で根絶することはできない問題だと思っている。それは多くの人もそう思ってるだろうが、報道されると「いじめを起こして申し訳ない」と校長や教育委員会が「謝罪」会見を行う。マスコミは「子どもたちの学びの場である学校で、いじめが起きるということはあってはならない」とキャンペーンをはる。それを見ている子供たちは、「大人はタテマエばっかり言ってる」とますます心が離れていくということの繰り返し。

 根絶できない理由は次回に書くけど、「いじめはなくならない」なんて評論家のようなことを学校の教員が言う必要はない。一人の教員は世界全体に責任を負っていない。他の国、他の学校でいじめがあろうが、要は自分のクラス、自分の学年、自分の学校で、いじめ(に限らず)大問題が起きないことが願いであり、生徒にはそれだけを言ってればいいわけだ。そして目標は、いじめ根絶ではなく、「いじめの早期発見」と「反いじめ文化の育成」である。ある意味、ガンや心臓病対策と似ている。「早期発見」が一つ、もう一つが「病気にならない生活習慣」である。減塩、野菜を食べる、適度な運動と睡眠などなど。(ちなみに食生活の改善、運動、睡眠なんかはいじめ防止そのものにもきっと役立つのではないかと思う。)

 だから大事なことは、「いじめをすべてなくす」ことではない。「減いじめ」と書いたのがそれで、それもいじめの数を減らすというよりは、むしろ「いじめのレヴェルを下げる」ことが大事だと思う。からかい、仲間はずれ、人を馬鹿にする言動などは、人間社会でなくなるとは思えない。それを早期に解決させて、不登校、学級崩壊、さらには恐喝、自殺などが起きないで終われば、それが「成功」であるということになる。最近愛知県の中学で、部活動の人間関係のもつれから、ある生徒に対して「自殺に追い込む会」結成を呼びかけた生徒がいた。メールを複数の生徒に送ったというから、「遊び半分」だったのだろうが、8人が入会に応じたという。しかし、教師に相談した生徒もいて、問題が判ったということらしい。そりゃあ、そんなメールが来れば、中には教師に明かす生徒もいるだろう。それで指導が入って解決に向かったということだから、言ってみればこれは「成功事例」である。だから「学校でいじめが起こって怪しからん」と反応してはいけないと思うけど、この学校に(限らずだけど)「いじめ文化」が存在することも確かである。だから「問題はこの後」なんだと思う。

 今回、報道では教育行政についてあまり触れられていないが、僕は「成果主義給与制度」と「学校選択制」はこの際是非やめてほしいと思う。その問題については別に書きたいと思うけど、公立学校の教員や設備がもともと各校でそんなに違うはずがない。選択できるようにして競争させれば教育がよくなる、なんていうのは単純な思い込みで、数値であらわすことが難しい教育労働の評価は、結局「減点主義」になっていくものである。各教員が校長に成績評価されるだけでなく、教頭(副校長)も校長に、校長自身は教育委員会に、教育委員会(教育庁)の指導主事も皆上司に成績評価され、昇給や賞与に差が付けられていく。それが大体「減点主義」で評価されていくとするなら、自分が勤務してる時には「いじめが起きないように」「起きたらできるだけ軽くするように」という強い圧力になることは間違いない。生徒に信頼されている教員が「軽いいじめ」をどんどん発見したりしたら、「学校のいじめ発生件数」が激増してしまう。

 そういう問題は別にして、僕は「いじめ」とは何を指しているのだろうかと思う。ゲームを貸したけど返してくれない、ジュース代出してあげたけど返してくれない、なんていう生徒間のイザコザはもうしょっちゅう起こっているわけである。友達だから起きるわけだが、それをきっかけにケンカ、絶交したりする。それだけなら「よくある人間関係のもつれ」である。だけど、他の生徒にあの子は性格が悪いと言い触らし、皆で口をきかないようにしようと呼びかけたりする。こうなったら「いじめ」という範囲になってくる。「○○菌」などと言って汚いもの扱いしたり、教科書や靴を隠したり、下駄箱に虫の死骸を入れたりとか…。僕が「いじめ」と言って頭に浮かぶのは、そういうケースである。それ自体は犯罪として立件できるようなものではないが、精神的に追い詰められると、不登校、家出、家庭内暴力、さらには自殺などもありうる。教室や学校のどこかで起こるので、「なぜ教師が気づかない」「なぜ学校で防げない」と言われるわけである

 ところで、「学校で起こったいじめ事件」のように見えても、学校外で起きる万引き強要、恐喝、暴行、自殺強要(殺人または殺人教唆、殺人未遂)などまで行ってるケースも多い。こうなると、本人たちも学校では隠すので、学校ではなかなか真相をつかめない場合も多い。要するに、「いじめ」から「犯罪」へ「発展深化」「凶悪化」したわけである。これは「セクハラ」と「強制わいせつ」の関係に似ている。ハラスメント(いやがらせ)の段階なら職場で防がないといけないけど、実際に襲いかかるような事件は警察に突き出すしかないでしょ。タテマエばっかり言ってても仕方ないわけで、「凶悪化」の兆候があったら直ちに警察に相談するしかないと思ってる。学校外が主たる現場で、犯罪と言うしかないケースは、はっきりって教師では解決できない。仕事の内容が違う。犯罪解決は、それを専門の仕事にしてる機関に任せるしかない。警察沙汰にはならないと「大人をなめている」場合も多いので、教師は腹の底ではそのことを覚悟していないといけない。交通安全教室などで警察の話を生徒に聞かせる機会は毎年一回はあると思うから、交通課だけでなく、少年課や生活安全課の担当にも来てもらって、よくよく言い聞かせておかないといけない。(まあ、大体の学校はやってるんだと思うけど。)
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韓国の事情-「減いじめ」のために①

2012年07月24日 21時54分30秒 | 教育 (いじめ・体罰問題)
 「いじめ」問題について、少し違う観点で語りたいと書いておいた。何回か、その問題で。まず、「比較いじめ論」が必要だと言う問題。この「比較」というのは、いじめ事件を比べるのではなく、「比較文学」と同じ使い方で諸外国の学校でのいじめ問題、その対処法などを調査研究する必要があると言う話。映画や小説に見る限り、いじめがない学校というものは世界にない。当然だろう。大人の社会で理想を完全に実現している国なんてないんだから、子どもの社会だけ理想的にうまくいってるはずがない。

 そこで、こういう新聞記事。東京新聞7月5日付。韓国で畑澤聖悟さんの劇「親の顔が見たい」が「破格の待遇」で上演され話題になっているという話。世宗文化会館でのロングランだという。


 畑澤聖悟さんと言う人は、青森の現役高校教員で劇作家としても活躍しているという人である。昨年は民藝のために「カミサマの恋」を書いて、僕も感想を「奈良岡朋子のカウンセリング力」に書いた。また勤務校の演劇部でも有名で、昨年は「もし高校野球の女子マネージャーが青森の『イタコ』を呼んだら」という劇を作って東北の被災地を回った。僕は気仙沼の公演を見に行って、「『もしイタ』を見てきて」を書いている。(この劇は東北代表として来月行われる全国大会に出場する。)という風に僕もよく見ている方の作家で、「親の顔が見たい」も数年前に見てる。

 劇は韓国に設定を移し、ソウル市内の中学校で、教室で自殺した女子生徒が加害者5人の名前を書いた手紙を残し…。その親が呼ばれて集まってきて…という筋立てである。生徒は登場せず、親と教師しか出てこない。記事によれば、韓国では昨年末には1か月に3件ものいじめ自殺が報道され、社会は騒然となったとある。そういう背景があれば、この劇が大きな話題になるのも当然だろう。韓国の小説や映画には、教師の暴力や生徒間のいじめなんかが結構出てくる。だから韓国でいじめが大きな問題になっていても不思議な感じはしないけど、昨年にそういう事態が起こっていたとは知らなかった。今からでもマスコミで調査報道を行って欲しい。その後の対策などを含めて。

 北欧はかなり素晴らしい教育をしてそうだけど、フィンランドでも銃の乱射事件が学校で起こっている。デンマークの映画「未来を生きる君たちへ」を見ると、デンマークの学校にもいじめがある。(当たり前だが。)アメリカの高校を描く小説や映画では、スポーツ中心のマッチョ社会で「弱い男子」への厳しいいじめがよく出てくる。ミステリーの「冬、そして夜」(創元文庫)という本には、体育会系男子を頂点にする厳しい差別社会が描かれている。(この作品は傑作。)世界のどこにも、「生きにくい思い」を抱えている若い世代がいるのである。

 中国なんかも、「一人っ子」だから厳しい事情が予想されるけど、教育政策批判、学校批判自体が難しいかもしれない。いじめ問題は、きっと「学校化」社会が前提にあって、学校へ行く(行ける)子供が少ない社会では、貧しい子、学力が低い子、障がいがある子は学校へ行かなくなってしまってそれで終わりなんだろう。日本、韓国は世界有数の進学率で、大学入学競争が厳しいことでも有名である。そういう学歴社会化の問題も大きな背景としては当然あるだろう。今回はどうすればいいというアイディアがあって書いているのではなく、記事の紹介だけだが、諸外国での「いじめ事情」も知りたいし、工夫を知りたいと思う。
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「ナチが愛した二重スパイ」

2012年07月23日 23時09分27秒 | 〃 (さまざまな本)
 第二次世界大戦の秘話を扱うノンフィクション『ナチが愛した二重スパイ』(ベン・マッキンタイアー著、白水社、2009、2400円)を読んだ。あんまり面白いので簡単に紹介。
 (本の表紙をスキャンしたのに載せるのを忘れてた)

 とんでもない爆薬を使う金庫破り強盗団があった。戦前のイギリス。主犯のエディー・チャップマンは、単なる粗暴犯ではなく、読書好きだったりするタイプ。貧しい生まれながら、犯罪で得たカネをふんだんに使って女に不自由しない。人気者なのである。が、ついに御用となるも、彼だけは女連れでなんとかジャージー島に逃れる。ここは、ジャージー種の牛を生んだところだが、地図を見ればほとんどフランス。知らない人が多いと思うけど、フランスのすぐ近くに、歴史的に英領(ただし、英国王属領で連合王国に所属しない)に残り自治権のある島々(チャンネル諸島)が残っているのである。地図を見るとビックリすると思うよ。

 で、そこで捕まって刑務所へ。脱獄したりするんだけど…。そこへ大戦ぼっ発。ジャージー島は世界で唯一、ドイツに占領された英領となる。で、考えた。二重スパイになろうと。もう一人の獄中者を誘って、ドイツ側に対し「イギリスの階級社会には虐げられ憎悪しかない。イギリスに行ってドイツのスパイになりたい。」と申し出たのである。この申し出もドイツの官僚主義でなかなか採用されず、フランスに送られてしまうが…。結局、申し出は受け入れられ、ドイツ側のスパイ組織に信用されるようになる。

 ついにイギリスにパラシュート降下。直後にイギリス当局に出頭して、イギリス側の二重スパイになりたいと申し出る。なんとか信用され、偽装工作が始まる。有名な話だが、実はドイツの暗号システム「エニグマ」は解読されていて、ドイツスパイが潜入することはイギリスに判っていたのである。暗号が全部解読できていることをドイツに悟られないため、イギリス側はあえて空襲情報を自国民に教えず、犠牲者を出してしまったりした。その後の工作がなんとかばれていないらしいので…。ポルトガル経由で再びもう一回占領下のフランスへ戻る。そしてノルウェイへ。(ドイツ占領下のノルウェイでは、熱烈な恋をして、実は抵抗運動に参加している彼女に二重スパイを告白している。)

 ノルマンジー作戦以後に、再びイギリスへ戦時下に行ったり来たり。二回もイギリスにパラシュートで侵入してる。すごいな。ところが、気の合わない、彼を低評価する上司に変わって、突然クビになる。自国の上司の方が、一番の敵だったのである。もう戦争終了間近の頃。彼は、何のためにこういうことをしたのか。悪党だけど愛国者でもあったのか。とてもおとなしく服役してられず冒険を求めたのか。何でもいいから、女っ気のあるシャバに出たかったのか。みんなそれぞれ当たってると思う。

 一番面白いのは、偽装工作。ドイツ側に軍需工場爆破を命じられ、なんかしないと怪しまれる。小規模爆破をする手もあるけど、結局イギリス情報部は「マジック」にする。上空から見ると爆破されたと見えるような大規模な「工作」を、実際の奇術師を使って作り上げたである。この奇術師は北アフリカ戦線でもロンメル軍団に対し、ニセの戦車軍団のトリックを仕掛けたりしてたらしい。

 チャップマンは戦後何度か本を書こうとして、当局に妨害されてきたという。ようやく情報公開により実態を書けるようになった本。みんな死んじゃった悲惨な戦争かと思うと、主要人物は脇役も含めて大体生き残り、最後に戦後の人生が示される。後書きまでじっくり。外国のノンフィクションは長すぎて、記述が細かすぎることが多い。この本もなかなか読みにくいんだけど、とにかく中身が面白すぎる。長いし高いから自分で買う必要はないと思うけど、図書館で借りてじっくり読んでほしい本。イギリス人って何だろというテーマでも読める。実に不思議な戦争秘話でした。
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東京で、またまた「失職者」2人!

2012年07月23日 21時08分58秒 |  〃 (教員免許更新制)
 7月23日付で、東京でまたも、更新制による失職者が。夏休みの初日に。

 (1) 公立小学校教員(区部) 教諭 36歳 男
 (2) 公立中学校教員(区部) 教諭 55歳 男 の二人である。

 いずれも、更新講習は修了していながら更新手続きを行っていなかったというケースである。
 これで全教員調査を終えたと都教委のサイトには出ている。
 なお、賛育休代替教師、非常勤講師、管理職、私立学校教員の調査を行ったという趣旨ではないので、今後講師で失職する人が出る可能性はある。管理職と私立はやる気がないと思うけど、やり始めると特に私立は大変なことになるのではないかと思う。

 また今度も「3月31日に遡っての失職」であるが、毎回書くように、3月31日には免許が有効なので失職通知は出せないはずだ。相変わらず、この制度そのものへの批判はどこにもない。

 朝日新聞に、本当に不運なケースで「酒気帯び」運転をしたとされ「懲戒免職」になった教員の話が出ていた。「酒気帯び」は「飲酒運転」ではないので、人身事故、物損事故がないときの「一発解雇」は過酷に過ぎると思う。現に何件も裁判で免職取り消しの判決が出ている。しかし、そういうケースは「処分」なので、処分が重すぎると言うことなら、人事委員会に提訴したり、処分取り消しの行政訴訟を起こせる。

 朝日の記事には「日本で一番不運な教師」と表現されているが、そういう意味では「日本で一番不運な教師」は、更新講習を済ませていながら、手続きをしてないということで今ごろ失職させられる教員ではないだろうか。なぜなら、処分ではなく、法的効力が及んだだけなので、処分取り消し訴訟がしにくいと言うことがあるからだ。もちろん、今ごろまで調査をしなかった都教委の不手際を裁判で問うことはできる。また、更新制そのもの、あるいは手続きなしで失職する仕組みを、そもそも憲法違反であると訴えることはできる。しかし、それもこれも都教委が勝手にしていると言うよりも、国権の最高機関である国会で立法された仕組みなので、国会の裁量権の範囲内とされてしまう可能性が、今の裁判所ではかなり強いと思う。

 しかし、マジメに働いていて、更新講習も終えているのに、失職する仕組みそのものがおかしくないとすれば、一体何がおかしいのか。本当は弁護士会が一丸となって違憲訴訟をおこすような問題だと思う。
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僕の好きな直木賞作家

2012年07月22日 00時23分28秒 | 本 (日本文学)
 朝日新聞の土曜版に「好きな直木賞作家はだれですか?」というネットアンケートの結果が載っていた。僕も時々答えることもあるアンケートなんだけど、これには回答してない。この結果を見ていたら、「ええッ、あの人も、あの人も落ちているんだ」と思って、直木賞作家を振り返る臨時特集

 まず、朝日の結果なんだけど、次のような順番になっている。一人で6人まで投票して得票順。

 東野圭吾、宮部みゆき、司馬遼太郎、浅田次郎、五木寛之、藤沢周平、山崎豊子、井上ひさし、向田邦子、池波正太郎。(ここまでがベストテン入選者である。)
 
 続いて、新田次郎、井伏鱒二、野坂昭如、つかこうへい、城山三郎、高村薫、水上勉&渡辺淳一、角田光代、奥田英朗&三浦しをん(&というのは、同点順位。)

 さらに番外で30位まで出ている。宮尾登美子、重松清、大沢在昌、池井戸潤、平岩弓枝&乃南アサ、京極夏彦、青島幸男&天童荒太

 僕は直木賞受賞作品は相当読んでいて、以上の作家の中で25人の受賞作を読んでいる。この人名を見ていると、やはり「読みやすい」作家でないとダメということなんだろう。女性作家で見ると、宮部みゆきが断トツで、山崎豊子、向田邦子、高村薫、角田光代、三浦しをん、と続いている。じゃあ、桐野夏生はどうなってるの?高村薫や乃南アサ、大沢在昌、京極夏彦なんかは出てくるので、桐野夏生を知らないはずがない。でも、「OUT」「柔らかな頬」「魂萌え」「東京島」なんかは、確かに読んで楽しい小説ではない。小池真理子や桜庭一樹なんかが出てこないのも同じなんだろう。でも、それでは読書の一番の楽しみを遠ざけてしまう。

 直木賞はエンターテインメント系作家に与えられる。作品も大事だが、ある程度作家としてやっていけるかの評価も含めて授賞が決まる新人賞である。そのため、新しい作家を逃す傾向が強い。SFが受賞できず、小松左京、星新一、筒井康隆らが皆受賞できず、半村良も伝奇ものではない人情小説で受賞した。だから宮部みゆきもなかなか受賞できず、「理由」という面白くない作品で受賞した。横山秀夫は「半落ち」の落選理由に納得できず、候補になることを断った。伊坂幸太郎も何度も落選したのち、候補になることを断っている。(「重力ピエロ」で十分授賞させる力量があったと思う。)

 上の作家名を見ると、藤沢周平を除き、僕の好きな作家は軒並み出てこない感じである。藤沢周平は、初期の暗い作風の短編が大好きで、重厚な長編「風の果て」「海鳴り」「蝉しぐれ」なんかも素晴らしい。山形県の鶴岡市湯田川温泉で2年間中学校教員をしていた。学校前に碑が立っている。その時の教え子が女将をしている「九兵衛旅館」には藤沢コーナーがある。僕はわざわざ泊まっている。外湯も素晴らしい温泉である。教員は結核で休職せざるを得なかった。

 出てこない作家から挙げていく。
 まずは、逢坂剛。ミステリー系では一番面白いと思うけど。謎ときと言うより、冒険小説が多い。でもおよそあらゆるジャンルのミステリーに挑戦していて、日本には珍しい悪徳警官ものの「禿鷹シリーズ」なんかもある。禿富鷹秋(とくとみ・たかあき)という警官、略して「はげたか」というんだから、半分パロディの傑作シリーズ。でも一番多いのが、スペインを舞台にした現代史の謎を追う冒険もので、「カディスの赤い星」が代表。多くがスペインや現代史を背景にしている。御茶ノ水、神保町近辺の実在の店を登場させる「都市小説」の趣も面白い。面白くない作品が一つもない作家

 続いて、原。寡作のハードボイルド作家だから、入らなくてもおかしくはないけど、大好きな人は多いだろう。受賞作「私が殺した少女」は、直木賞作品で一番完成度が高いと思うけどな。長編4作、短編集、エッセイ集しかない。チャンドラーを敬愛している作家だが、「さらば長き眠り」という名前の長編が出たときは、やりすぎだろと思った。しかし、読んでみると、それ以外の題名は考えられなかった。

 僕がものすごく読んでるのが、陳舜臣。神戸生まれで、元は台湾籍の漢人だけど、今は日本国籍。大阪外大で司馬遼太郎の一つ上。専攻はヒンドゥー語とペルシア語というんだから、日中どころかアジアをまたにかけた驚異の大知識人なのである。「枯草の根」という神戸の中華料理屋主人が探偵役のミステリーで江戸川乱歩賞。だから初めはエキゾチックなムードの推理作家だったんだけど、だんだん中国歴史小説が中心になった。「阿片戦争」「太平天国」なんか大長編で、小説としても歴史叙述としても中途半端な評価ではないかと思うけれど、その面白さ、小説にする工夫、公正な歴史観なんかで、絶対読んでおいたおいた方がいい。日中関係が心配な今こそ、まずは陳舜臣が読まれねばならない。と思うけど、面白いから読んでほしいんだね。直木賞の「青玉獅子香炉」もいいけど、推理作家賞の「玉嶺よふたたび」「孔雀の道」がいい。特に前者。さわやかな青春ミステリーにして、日中戦争秘話。

 ちょっと古いところで、安藤鶴夫。落語評論で知られた人で、最近の落語ブームで河出文庫にいろいろ入っている。受賞作の「巷談本牧亭」は実に細やかな美しき作品だと思っていて、僕の直木賞作品ベスト2。(1位は「私が殺した少女」なので。)その他、落語家を書いた小説がいろいろあるけど、懐かしく読める作家で、昔旺文社文庫で出たときに大分読んでずっとファンである。

 ちょっと昔をもう一人で、戸川幸夫。日本に少ない動物小説で直木賞。その後、志茂田景樹、熊谷達也が出たけど、この人が先駆者。イリオモテヤマネコが新種だと発見した人である。その記録も面白い。復帰前の沖縄の様子を知ることもできる。受賞作の「高安犬物語」は犬好きには落とせない。ランダムハウス講談社文庫で5冊のセレクションが2008年に出てるから、まだ入手できると思う。面白い小説というより、動物好き人間向きかもしれないけど。

 以上で6人。次をもう一人選ぶなら、結城昌治かな。私立探偵真木シリーズ、ヴェトナム戦争のスパイ小説「ゴメスの名はゴメス」、評伝の傑作「志ん生一代」などあるけど、「軍旗はためく下に」という受賞作は、日本軍に戦犯とされたケースを追う短編集で、他に例のない忘れてはいけない戦争小説。その戦争責任追及の激しさ、深さは、深作欣二監督の映画化でも生かされている。真木シリーズもすごく面白いから、どこかで文庫があったら是非。

 同じころのミステリー系作家では、三好徹も好き。風シリーズや「聖少女」(受賞作)もいいけど、歴史評伝もので黒岩涙香や宮崎滔天を描いた作品もすごく面白い。
 船戸与一も何で入らなかったのかと思うが、長すぎるというか本が重そうで(厚みも中身の深刻さも)で敬遠されて読んでない人が多いのかも。「山猫の夏」以後、ほぼすべてずっと読んでた時期が昔あった。辺境世界からのメッセージという思いで読んでたところも確かにある。日本が舞台じゃないので、流血も半端ではないけど。

 なんで入ってないのと思うのは、山田詠美も同じ。芥川賞選考委員で純文学に行っちゃった感じかも。「ソウル・ミュージック・ラバーズ・オンリー」は直木賞作品で僕の選ぶ3位。若向きで選考に加わった人が平均年齢(53歳)が高すぎたのか。石田衣良、森絵都なんかも入っていないし。そういえば江國香織や村山由佳、山本文緒なんかも皆入ってないから、女性票も少ないのかも。

 芥川賞作家の松本清張、五味康祐なんかは「大衆文学」に移行するが、反対にむしろ純文学系の人も直木賞を取っている。井伏鱒二、梅崎春生、檀一男なんかが典型。色川武大なんかも、結局純文学作家だったかな。麻雀小説の阿佐田哲也であり、芸能エッセイが素晴らしいけど、「狂人日記」が凄いから。田中小実昌もそう。「ポロポロ」なんかが代表作で、よく直木賞くれたなあという感じの受賞作。エッセイも含めて大好きだけど、面白いから人に勧めると言う作家ではない。投票が入るような人ではないですよね。でも、文庫はなくならないうちに買っておいたほうがいい。

 昔々の橘外男とか、久生十蘭なんていう「隠し玉」もあるけど、ちょっと一般的でないのでやめておいた。夢野久作や小栗虫太郎なんかとともに、直木賞なんかでない場で語られるべき作家だろう。
 立原正秋なんかも結構いいし、地味だけど西木正明の評伝小説もなかなか好き。ようやく最近受賞した佐々木譲、北村薫なんかは、受賞作以前の方がずっと面白いと思う。大沢在昌、京極夏彦も中途半端なところで贈られた。「新宿鮫」一作目で授賞させれば先見を誇れたのに。十二分に面白かった(受賞作よりも)と思うけど。泡坂妻夫の奇術ミステリーも捨てがたい。小池真理子、藤田宜永が夫婦受賞しているが、けっこう読んだけど…。というあたりで、最初の方に書いたのが、僕の好きな作家。
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映画「愛と哀しみのボレロ」

2012年07月20日 23時29分05秒 |  〃  (旧作外国映画)
 国立フィルムセンターで「ロードショーとスクリーン」という展示をしていて、その関連上映を行っている。「ロードショー」と「スクリーン」というのは、雑誌の名前ですね。洋画中心、スター中心の雑誌だから、若い時によく読んだ。僕も中学時代に「スクリーン」を見てた時期があった。世界の美しき女優たちの写真が忘れられない。高校になったら、いつのまにか「キネマ旬報」に変わっていったけど。後発の「ロードショー」は廃刊したが、「スクリーン」は今もある。

 関連上映で、60年代から90年代の世界のヒット映画を一日3本上映している。これはいいなと思ったけど、普段500円なのに今回は1000円なので、まあ全部見ることもないかな、と。名作という点では「ジュリア」とか「フィールド・オブ・ドリームズ」があるし、大ヒットしたアクション映画としては「大脱走」「ランボー」「プロジェクトA」「ターミネーター2」などなど。公開後はあまり見られないニコラス・ローグの「ジェラシー」、ゼッフィレリの「エンドレス・ラブ」なんかもある。見逃していたサム・ペキンパーの「コンボイ」をようやく見たけれど、すごく面白かった。

 昨日見たのが、クロード・ルルーシュの3時間に及ぶ大作「愛と哀しみのボレロ」。1981年作品。昔見てるが、もう中身は忘れていた。というか、見直して思ったけど、ちゃんとした筋立てがある作品ではないので、もう少ししたら具体的なことは今回も忘れてしまうのではないかと思う。でも、ラストの20分以上に及ぶ「ボレロ」(ラヴェル)を踊る場面は覚えている。今では誰でも知ってるような「ボレロ」という曲も、この映画でみんなが知ってる曲になったんじゃなかったか。

 「愛と哀しみのボレロ」は、第二次世界大戦直前から1980年当時までを通して、フランス、ドイツ、ソ連、アメリカの4か国のいずれも音楽やダンスに関わる人々をめぐって繰り広げられる大叙事詩。ルルーシュ(1937~)監督は、66年のカンヌ映画祭グランプリの「男と女」で世界的に知られ、フランス・グルノーブル冬季五輪記録映画「白い恋人たち」などを作った。フランシス・レイの美しいメロディに乗せて華麗な映像が流れる。意味のあるようなないような映画をたくさん作った監督である。この映画は最大の超大作だけど、セリフはあまりなくてひたすら映像と音楽とバレエで見せる欧州40年の現代史。音楽はフランシス・レイに加えて、ミシェル・ルグラン(「シェルブールの雨傘」など)が加わり、振付はモーリス・ベジャール(1927~2007)という豪華な布陣である。

 この映画について書いてるのは、バレエの素晴らしさなどもあるけど、「ヨーロッパ」という空間の不思議さを感じたからである。監督がフランス人だから当然まず仏独、戦後欧州を決定づけた米ソ、という4か国の戦争の悲劇を描きながら、「ヨーロッパはわかりあえるか」という問いの切実さが伝わってくる。当時は誰にも判らなかったことを僕たちは知っている。もうすぐゴルバチョフが登場して、映画が作られて10年するとソ連は崩壊してしまう。ルーマニアやブルガリアまでEUに加盟する。「ヨーロッパは一つ」というテーマは今やほぼ実現してしまった。そして、そうなると各国の経済格差が大きな意味を持ってきて、ヨーロッパ経済は沈滞の中にある。人類の希望が実現したかに見えたヨーロッパ統合という理想が、ほとんど色あせてしまった。さあ、どうする。

 という時に、僕は近代ヨーロッパが作り出してきたものに今こそじっくり触れることが大事だと思う。クラシック音楽を聞く、フェルメールの絵を見る、ヨーロッパの小説を読む、とか。昔の映画もいいですね。この映画を見て、改めてヨーロッパ文化の総合的な厚みを堪能することができる。と同時に、ナチスと収容所、独ソ戦、アメリカの参戦、ジャズ、パリ解放という第二次大戦の出来事の重み、さらにその後のアルジェリア戦争などを通じて、現代史の流れを見ることになる。

 ソ連のボリショイ・バレエ団のプリマになれなかった少女は、子どもにバレエを教えて大成功するが、その男の子は西側に亡命する。現実にはヌレエフがモデルにあるということで、映画ではジョルジュ・ドンが演じている。この人はアルゼンチンのロシア移民の子で、現実に「ボレロ」で大評判になったという。1992年、45歳でエイズのため死亡。一方、ヒトラーの前でピアノ演奏を行ったドイツの天才(ポーランド人のダニエル・オルブリフスキが演じている)は、パリで軍楽隊長になるが、戦後になるとその過去が常に問われてしまう。その中で「自分の住む国は音楽」といい、世界的指揮者と認められる。

 一方ジャズバンドを率いるアメリカ人(グレン・ミラーを思わせる)は、慰問団として大戦に参加。戦後は子供たちが音楽の道に進み、娘は全世界で1200万枚のレコードを売る歌手となるが、私生活はうまくいかない。このバレエ・ダンサーと指揮者と歌手が、赤十字とユニセフ合同のチャリティ・コンサートで一堂に会し、エッフェル塔前のシャイヨー宮前広場で「ボレロ」を指揮し、踊り、歌う。圧巻。この映画史上有名なシーンは、至福のひと時。とにかく、ジョルジュ・ドンはすごい。

 結局、現代史というより、バレエを見る映画というべきものなんだけど。劇的構成は弱いのでベストテンでも11位と次点に終わった。1位は「ブリキの太鼓」の年。10位はデヴィッド・リンチの「エレファント・マン」で、リンチの日本初公開でヒットした。(2019/09/26一部改稿)
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グレアム・グリーンを読む①

2012年07月19日 23時23分15秒 | 〃 (外国文学)
 主に6月に読んでたので遅くなったけど、グレアム・グリーン(Graham Greene1904~1991)について書いておきたい。グリーンはほとんどの作品が映画化されたイギリスの超有名作家で、ノーベル賞候補と言われ続けたけど受賞はできなかった。特に「第三の男」の原作者ということで、存命中は非常に知られていた。自分の作品を「ノヴェル」と「エンターテインメント」に書き分けていたことでも有名で、スパイ・ミステリ作家として落とせない作家である。

 しかし、本領は「カトリック作家」という宗教性にあり、僕の見るところ、モーリアック遠藤周作と並ぶ20世紀の3大カトリック作家だと思う。遠藤周作が宗教性の強い作品とユーモア小説を書き分けたのもグリーンの影響だろう。「沈黙」の英訳を読んだグリーンが遠藤周作に手紙を書いた話が、ハヤカワepi文庫「権力と栄光」解説に出ている。遠藤周作がグリーンに会う話なんか、実に面白い。なお、モーリアックはノーベル賞を受賞したけど、他の二人は毎年のように候補と言われたが受賞しなかった。
(グレアム・グリーン)
 80年代に全集が出ているが、現在はハヤカワepi文庫で「グリーン・セレクション」が出ている。僕は出るたびに買っていつか読みたいと思っていた。少しは読んでいたのだが、主要作品は今回初めて読んだ。文庫にない作品は図書館で見つけて読んでいるが、作品が多いので全部読むのは大変。今回読んで思ったのが、エンターテインメントは時代を超えるのが難しいという点である。戦前、戦中に書いた「密使」「恐怖省」なんか、もう中身が古すぎる。「恐怖省」はフリッツ・ラングの映画化の方が面白い。有名な「第三の男」だって、分割占領中のウィーンでペニシリンを横流しする話だから、現在では読んでも事情が伝わりにくい。オーソン・ウェルズの怪演とアントン・カラスのツィターがなかったら映画も忘れられているのではないか。

 それに対して、宗教性がベースにある本格作品の方が、今になると「ある種のスパイ小説」に見えてくる。どういうことかというと、「本当に信じているもの」と「信じているふりをしているもの」の葛藤の問題である。スパイ小説はアクションで読ませていくものもあるが、人間の苦悩に焦点を当てた作品も数多い。そういう作品は、スパイになり、二重スパイになり、その結果「何も信じられなくなった人間」もいれば、「それでも祖国やイデオロギーを信じている(らしき)人間」というものも存在する。そういう人間の心の葛藤を描くのが、グリーンの小説である。

 例えば、有名な「情事の終わり」(1951)、99年に「ことの終わり」として映画化されているが、ドイツによる空襲下のロンドン、男と女が「不倫」の関係にある。が戦争の終わりとともに女は男を拒絶する。それは愛が冷めたのか、新しい男ができたのか。男は焦燥を感じ、真相を探るが判らない…。という筋立てだが、実は「神をめぐる三角関係」という大きなテーマがだんだん明らかになってくるのである。しかし、戦争から遠く、「神」も遠い現代日本では、この小説のリアリティはなかなかつかみにくい。しかし、小説に「神と言う補助線を書く」という作業をすると、世の中が全部違って見えてくると言うことはよくわかる。
(「情事の終わり」)
 「情事の終わり」(新潮文庫に残ってる)は、ジャンルとしては「不倫恋愛小説」である。「(男の)不倫」とは「妻との平穏な日常」と「真に愛情を感じている女」が違うという事態である。つまり「生まれ育って生活している国」と「真に帰属感を感じている国(例えばソ連)」が違うというスパイ小説と同じである。それを言い出すと、「所属組織に帰属感を感じていない人間」、「所属組織に敵対意識を持っている人間」は、実にたくさんいるはずである。

 企業の中で「自分は違う」「いつか辞めてやる」と思うことで自己を維持している人は沢山いると思う。政界や財界の中にだって、きっとたくさんいるだろう。僕だって、都で働きながら、最後の頃は「都教委は敵」だと思って暮らしていたから、グリーンの小説は他人ごとでは読めないと思った。でも、グリーンはそこに「神」というオールマイティのカードを出してくる。そこが小説として面白くはあるんだけど、それで解決するような問題なんだろうか、現代世界は。という気もしてきた。

 非常に力強い小説は「権力と栄光」(1940)である。メキシコで革命がおこり、カトリックが弾圧される。弾圧の中、酒におぼれ、女に子どもを作りながらも逃亡し続ける「ウィスキー坊主」を追い続ける小説である。その逃亡劇は非常に劇的で感銘が深い。それは単なる逃亡ではなく、「神に仕えるものはどう生きるべきか」という倫理的な問いを突き付ける逃亡だからである。そういう緊張をはらんだ逃亡は、今ではあまりない。(中国なんかでは今でも「思想」と「逃亡」という倫理的問題があるけど。)生きている以上、どんな時代のどんな状況でも、自分をおとしめながらも、自分なりに最後に譲れないものをめぐって逃げ続けているのが人間の姿ではないか。でもメキシコの歴史でカトリックが果たした負の歴史もあるわけだが、それは問題にされない。全体的に時代が違って状況が伝わりにくい感じはした。
(「権力と栄光」)
 僕が一番面白かったのは「事件の核心」(1948)で、最後は神をめぐる不条理劇のようになる「不倫ドラマ」である。戦時中の西アフリカ植民地で警察副署長を務めるスコービー。信心深い妻は引退して南アフリカに移住したいという。現地の経済を牛耳るシリア商人から金を借りて妻を先に送り出す。そこに事故で夫を失った若い女が現れ、頼りにされていく。だんだん様々な関係が絡み合ってスコービーの世界は崩壊していく。この夫婦関係も、また副署長としての現地商人との様々な関係も、実によく描かれている。そりゃあ、そうなっていくよなあ、という感じ。でもその結果、とんでもない窮地に追い込まれてしまうのだ。それはカトリックとして、神の前で(神父を通してだが)「告解」しなければならないということがネックになるのである。
(「事件の核心」)
 キリスト教徒でないと、「神がいるから人間が不幸になる」としか思えない展開だが、小説内ではきわめて論理的に展開して納得できる。この小説の場合も、きっかけは「不倫」と言えるが、アフリカには「一夫多妻」を認める社会もある。そういう社会ならば、警察副署長を務める有力者に妻が複数いるのは当然で、権力の象徴にしか過ぎないだろう。そこでも妻どうしの争いはあるかもしれないが、主人公の「自我」を揺るがすテーマにはならない。日本の不倫恋愛小説なんかでも、「自我」をめぐって展開することはあまりないのではないか。しかし、常に最終的には神を意識せざるを得ないグリーンの主人公には、不倫そのものや妻、愛人への愛情などより、神に誓った結婚を破ったことを神にどう告白するかという方が大問題なのである。いや、新鮮でしょ、神なき社会に暮らす身としては。神を信じて毎日を送るという信心深い人の方が、今でも世界には多いはずである。そういう意味で、グリーンの小説はまだまだ生きて重要性を持っている。

 「負けた者がみな貰う」(1955)という小説は、丸谷才一訳で「名訳で読む名作」と帯にある。これは気軽に読めるユーモア恋愛カジノ小説。小説の面白さだけでは、これが一番ではないか。これもモナコを舞台にするが、イギリスの小説は大英帝国を背景にして海外が舞台のものが多い。グリーンも、海外を舞台にした不思議なスパイ小説のような作品をその後も書き続けた。それらを中心にした後期の作品についてはまた機会があれば別に書きたい。(2022.1.13一部改稿)
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大津市「いじめ」問題②

2012年07月18日 23時41分36秒 | 教育 (いじめ・体罰問題)
 続けて書くつもりが、暑くて暑くてバテてしまった。大津市の問題は、この間に賠償請求訴訟の公判や警察への告訴などの動きがあった。ますます書きにくい。どのような「犯罪行為」があったのか、なかったのか、もちろん僕には判らない。ましてや「自殺との関連性」は判断できない。そういう点は、もう学校を離れてしまったので、警察や裁判所で進められていく。僕は教育委員会や文部科学省と言う組織はあまり信用していないが、警察や裁判所はある意味でもっと信用していない。だから、裁判や警察で「真相」が解明されるとは期待してはいない。(裁判所や警察は、真相解明を目的とする組織ではない。だから真相を解明するなどと意気込まれたら、かえって困るけど。)警察が強制捜査(家宅捜索は強制捜査である)に乗り出した以上、何人か「児相送致」になる可能性が高いと判断しているのではないかと思うけれど。(「犯罪行為」の疑いが濃厚になっても、事件当時14歳未満だったというから、児童相談所へ送致することになる。)

 今日書きたいのは、昨年の10月5日にあったという「ケンカ事件」の問題である。このことが報道されたのを見ていると、「いじめを見抜けず「ケンカ」と認定して、(またはいじめを隠ぺいして)、いじめられている生徒を放置してしまったのではないか」というニュアンスが見受けられる。僕はそれは違うのではないかと思うが、しかし、この時貴重な瞬間を逃してしまったのではないかという思いはするのである。こういう時に、学校はどのような対応をすればいいのだろうか?

 僕がよくわからなかったのは、①ケンカと判断した会議がどのような性格のものかその会議が「15分」だったというのは短すぎると思うが、どうしてなのだろうかといったことである。真相は判らないが、教員経験者はどういう風に見るかという観点で、判らないことが多くても書いておく意味があるかなと思う。

 まず、「いじめ」か「ケンカ」かという問題だが、これはそれほど重要なことではないと思う。「いじめ」は重くて、「ケンカ」は軽いということは、学校現場では全くない。「いじめ」は言葉によるカラカイや仲間はずれが多いが、「ケンカ」は学校で暴力を振ったという大問題だから、むしろその後の指導は重くなることが多いのではないか。一過性のカラッとしたケンカは今ではほとんどなく、ケンカといってもいじめ的な部分(弱いものいじめ)が潜んでいることが多い。だから、これは単に報告上の分類をどちらにするかという事務的な問題として、「ケンカ」に分類したということだろう。

 いじめであれ、暴力事件(ケンカ)であれ、学校で起これば、統計上の数として年度でまとめて報告しなかればならない。(もちろん、大事件の際は直ちに教育委員会に報告するわけだが。)それは最終的に文科省でまとめて、だから「いじめが増えた」「減った」などの統計が報道されるわけである。そうすると、学校ごとに「いじめの定義」が違っていては統計が意味を持たなくなる。だから、当然文科省の定めた「いじめの定義」がある。管理職でもないと暗記はしてないかもしれないけど、そういうものがあるということは、現場教員は大体承知しているだろう。それは、文科省の「いじめ」のサイトを見ればすぐ出てくる。そして、知っている人も多いと思うけれど、平成18年度から「いじめの定義」が変わった

 旧定義は以下の通り。
 「①自分より弱い者に対して一方的に、②身体的・心理的な攻撃を継続的に加え、③相手が深刻な苦痛を感じているもの。なお、起こった場所は学校の内外を問わない。」とする。なお、個々の行為がいじめに当たるか否かの判断を表面的・形式的に行うことなく、いじめられた児童生徒の立場に立って行うこと。」

 新定義は以下の通り。
 「本調査において、個々の行為が「いじめ」に当たるか否かの判断は、表面的・形式的に行うことなく、いじめられた児童生徒の立場に立って行うものとする。
 「いじめ」とは、「当該児童生徒が、一定の人間関係のある者から、心理的、物理的な攻撃を受けたことにより、精神的な苦痛を感じているもの。」とする。なお、起こった場所は学校の内外を問わない。

 「攻撃」「物理的な攻撃」とは何なのかというような問題に対しては、注があるが省略する。この定義を見ながら会議をするわけではないだろうが、一応のベースにこの定義があるわけである。一方性、継続性などの旧定義が消えた反面、本人がいじめられたと言ってるのに学校が認めないということがないような配慮は厚くなっている。そのため、本人のプライドなどで大丈夫、いじめではないと言い張ると、一回の出来事を見ているだけだと「いじめ認識」がしにくい場合があるのではないかと思う。

 カレンダーを調べると、昨年10月5日は水曜日である。普通、職員会議が開かれることが多いが、この日はどうだったのだろうか。職会は隔週の場合も多いと思うが、水曜は大体他の会議(研修等)が入ることも多いだろう。会議がある日なら、その日に生活指導問題が起これば、多忙きわまることになる。その日に、生徒の事情聴取、両者の保護者を呼んでの指導があったというから、それにずいぶん時間がかかっただろう。「ケンカと認定した15分会議」はその後だと言う。教師の会議は生徒のことだと延々と長くなるものなのに、15分だったのは、時間が遅くなったか、他の会議があったからだろう。だからだと思うけど、直接指導にあたる担任、学年主任、生活指導主任などの「関係教員会議」というインフォーマルな組織で話すということになってしまった。

 僕が気になるのは、このケンカがトイレであったとされることだ。事件の統計上の分類を「いじめ」にするか、「ケンカ」にするかは本質的な問題ではない。問題はその後の指導をどう進めていくかというアイディアである。「トイレで起こったケンカ」という事件は、教員だったら、それこそ「何か臭い」「何か臭う」という直観を持つのではないかと思う。肩が触れたというきっかけなら、廊下かなんかで起こるだろう。貸したゲームを返してよというようなきっかけなら、教室で起こっても不思議ではない。ケンカであれ、いじめであれ、当日暴力行為があったわけだけど、その「きっかけ」として生徒が述べたのはなんなのだろう。まさか「連れション」してて口論になったわけでもないだろう。生徒が何を言っても、教員だったら、「教室で言えないことを言うために、トイレに呼び出した」ことを疑うのではないかと思う。喫煙が代表だが、恐喝までいかなくても、「パシリ」に使うような関係は、トイレで形成されることが多い。「事件はトイレで起こる」のである。中学や高校の教員の大きな仕事の一つが、トイレの見回り。

 そういうことは当然、滋賀県でも同様ではないかと思うのだが、だからこそ、その事件の直後の指導がどうだったか。悔やまれるところである。校長は、当日事件を連絡した生徒に事情を聞かなかったのはミスと述べたようだが、これはケンカしている生徒を確保できたら、なかなか見ていた生徒の事情聴取は当日は時間的にもできないだろう。だから、問題は僕の考えでは、事件後にもう少し周りの生徒や家庭の事情を聞く(親にもう一回来てもらい、じっくり家庭の様子を聞くなど。場合によっては家庭訪問も。)機会があった方が良かったと思う。あったのかもしれないが。それを今僕が書く理由は、ただ一点「トイレで事件が起きた」ことである。

 具体的には、学年会や生活指導部会だけではなく、もう少し広い会議の設定が有効なのではないか。学校の会議は、全員で行う「職員会議」、学年の正副担任による「学年会」、校務分掌ごとに行う「分掌部会」(この場合は、生活指導事案なので「生活指導部会」の担当になる)が中心である。また、同じ教科教員による「教科会」などもあるし、「○○委員会」というのもたくさんある。(「防災委員会」など。)この学校で行われた道徳研究にあたっては、多分「研究推進委員会」のようなものが組織されたのではないかと思う。そういう風に、学校では毎日のように会議が行われ、今では「情報公開」だから、全部書類を整えておかなくてはならないので、書類作りに忙殺されているわけである。でも、個々の事件を検討する場合は、学年や生活指導部が中心になるのは当然だが、学年以外の教師や養護教諭が非常に重要な情報を持っていることが多い。できるだけ多くの人の目でみると、点でしかなかったものが面に見えてくることも多い。

 だから、生徒関係では、「できるだけ多くの教員で話し合う」ことが大事だと思う。でも、教えていない他学年の教員には本人の名も知らない場合も多い。そういう人も含めて全員出席を義務付けると、無意味に多忙を助長することになる。ある生徒や事件に関して情報収集、指導案検討を行う集まりを、最近はよく「ケース会」と呼ぶのではないかと思う。(医療や福祉関係から来た言葉だろうか。)この「ケース会」を「拡大ケース会」として開くようにするといい。今回の場合は、いろいろと忙しかっただろうけど、7日(金曜だから多分学年会の日かな)か、10日に開くようにする。その間に、できるだけ担任ともう一人(学年主任か生活指導主任か教頭)が家庭訪問して臨む。「拡大ケース会」の出席者は、学年教員と生活指導部、および養護教諭は必須。それに、その生徒を教えている教員や部活、委員会などで知っている教員の中で出席できるものはできるだけ出るという感じ。そういう提案がどこかからあったら良かったのではないかと思う。もし似たような場合があったら、一日程度を他の生徒の事情聴取に当てて、その後に「拡大ケース会」を開くのがいいというのが、僕の考えである。その場にいたら提案できたかどうかは判らないけれど。

 僕が具体的なことを書いてても仕方ないので、今後は「いじめ一般論」に論点を移してまた少し書きたいと思う。なぜなら、「いじめ問題の語られ方」には今の教育論議がよく表れていると思うからである。「いじめ」を解決したいと思うならば、「教員いじめ」の政策をまず転換する必要がある。また、「少数者の声を敏感に受け止められるアンテナの感度」を教員が上げていくと言う問題にもつながっていくからである。
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大津市「いじめ」問題①

2012年07月16日 21時41分39秒 | 教育 (いじめ・体罰問題)
 滋賀県大津市の中学校で起こった「いじめ」事件。この問題について思うところがあって、書いておきたいと思う。長くなるので2回に分ける。裁判のところで書いたけど、僕は個別ケースにはあまり触れたくないのである。それは「この世のできごと」というのは、部外者にはなかなかつかみにくいからである。このケースでも、警察が捜査を開始しているし、新聞やテレビなど専門の報道機関に当面は任せておけばいいんだけど、僕が書く意味も少しはあるのではないかと思う。

 こういう学校現場の「失敗」事例(対応が不適切だったかという検証をするまでもなく、全国的に報道されていることが「失敗」事例であることを示している)を見聞きすると、教員経験者はいつになっても心が落ち着かなくなるのではないかと思う。中には「経験者の知恵」みたいな投書をする元教員なんかもいるけど、多くの人は「口が重くなる」のではないか。多くの素晴らしい体験もできる教員という仕事だが、同時に「失敗体験」をしていない教員もいないだろう。(もし、私には失敗体験はないという人がいたら、それはそもそも大したこともしてない教員か、自分に都合の悪いことは忘れてしまえる「幸せな人」なのだろう。)「いじめ自殺」という経験がある人はさすがにほとんどいないだろうが、なんだかちょっとした一言でトラぶったり、進路指導を失敗したかなというような記憶が、ニュースを見るとよみがえってくるのである。「教師というのは、そういう職業である」ということは、多くの人が知らないことなのではないかと思う。

 さて、この中学校は、平成21・22年度の文部科学省指定の「道徳教育実践研究事業」の推進校だった。ホームページに大部の研究のまとめが掲載されている。関心がある人は見てみるといい。ちなみに「研究主題」は「自ら光り輝く生徒を求めて~心に響く道徳教育の実践」である。校長名が違っているので、沿革を見てみると、研究発表翌年度の昨年4月に校長が替わっている。もう2年経っているので、異動している教員も多いのではないかと思うが、この「いじめ」事件のポイントは、この「研究指定校」にあるのではないかと思う。自殺した生徒が所属する学年は、現3年で、事件当時は2年。つまり、研究事業のまとめ当時1年生だった学年である。1年生の時の11月に、全校授業公開があり、2月には研究のまとめとして、最後の授業公開が1年生だけ行われている。

 さて、これだけではよく判ってもらえない人が多いと思う。「よりによって道徳の研究をしてた学校で、いじめがあるとは、なんと皮肉なことだろう」とは思うだろうが。この話を僕は東京新聞の朝刊で知ったのだが、この問題を関連付けて深く追及してはいなかった。でも、何人かの人は、「そうか、やっぱり文科省指定校やってたのか、じゃあ問題が起こるわけだ」とこの話を聞くと思うはずだ。何も道徳に限らないと思うが、文科省の指定を受ける研究はものすごい負担が学校現場にかかるのだ。それはホームページのまとめを見てもらうのが一番いいだろう。どのくらい研修をやって、どのくらい公開授業をしたかがわかる。夏休みも校内研修があるし、大体このような長い報告書を作ったということ自体が大きな負担である。組織作り、講演会、資料作りなど、ものすごい負担。「道徳」は全教員で担当するから、教科を問わずすべての教員が関わらなければならない。

 「研究指定校の現場負担」を僕が書けるのは、経験者だからだ。新採教員として赴任した学校は、道徳教育の研究1年目だった。それから2年間、とにかく大変だった。おかげで「指導案の書き方」には詳しくなったので、後々まで細かいことが言えるようになった。教師にはもちろん、生徒にも全くプラスがなかったとまでは言えないだろう。でも、忙しかった。生徒のことは二の次になってしまう時期もなかったとは言えない。そして、その後荒れた。いわゆる「校内暴力」に時期にあたったこともある。教員側も研究が終わった後にすきがあったとも思う。直接の関係があるとは言えないかもしれないが、研究事業と荒れは多くの教員の心の中で結びついてしまった。今でも心の傷になっている経験である。このような「文科省指定校」を受けて、その後、教員集団と生徒との間に心の隙間が生じた学校というのは、けっこう多いのではないか。教育界では割と聞く話ではないかと思う。

 どうしてそうなるかというと、とにかく「多忙」。もともと多忙な上に、研究のための研修がある。それぞれの教員の過大な負担がかかってくる。時には授業をカットして準備せざるを得ない時もあった。(今はそれもできないかもしれず、そうなるともっともっと大変だ。)放課後は会議が連続するので、補習や部活動、教育相談、あるいは単なる生徒とのおしゃべりなどの時間が削られていく。その分、生徒の情報が入らなくなる。それが当たり前になってしまうと、生徒の側も教員に情報をあげなくなる。この「いじめ」問題を見ていて、教員側に情報が入りにくくなっていたと思う部分があるが、その一因は1年生の時の「研究事業」の後遺症ではないのか

 それと、特に「道徳」となると、触れるのが難しい問題、あるいは表現に気を遣う問題がかなりある。例えば、「国を愛する心」「日本人としての自覚」などのテーマをどう扱うか。もちろん、初めから入っているので何か触れないわけにはいかないわけだが、どういう資料を基に授業を組み立てるか。全国に向けた発表だから、表現には細心の注意を払わないといけない。そのため、学校で作った元の授業案や解説部分に対して、市教委の赤が入り、県教委の赤が入る。場合によっては文科省から再考を求められるかもしれない。そうなっては困るので、県教委、市教委は極めてナーバスにならざるを得ない。学校現場は上からの指示で振り回されるのである。そういうことがあったかどうかは知らない。だから本来は個別ケースには触れたくないわけだが、自分の何十年も前の経験とその後の教育界の動向から、多分そんなこともあっただろうと僕は思うのである。

 そういう風に研究事業に振り回される学校の様子をずっと見てきたのが、今いる中では研究発表を経験している唯一の学年である3年生。(事件当時の2年。)先生の様子を見ていると、生徒より市教委、県教委が重要なんだというのを見て育った学年である。このように、本来は学校の名誉ともいうべき文科省指定で全国に向け研究発表をするという出来事が、かえって教師や学校への不信を抱かせるきっかけ、あるいは両者の間にある隙間を広げる役割を果たしてしまったのではないか。かなりありうる想定だと学校にいた人は思うのではないか。

 ところで、3年生は進路を抱えた最終学年である。自殺事件後、生徒会を中心にした取組を進めているともいう。アンケートを見聞きする限り、一人では力になりにくいかもしれないが、正義の心、思いやりの心が一杯現れている。しかし、マスコミや「ネット世論」を見聞きして、傷つき恐れ心配になっていると思うし、学校への不信もあるだろう。でも、進路を乗り切る時に一番身近で心配してくれるのは、担任であり、学年の教員であるのは間違いない。「いじめ自殺が起きてしまった学年」は、同時に「学校再建初年度学年」であり、再建に向け誇りを持って進んで行って欲しいと思う。マスコミをそういう部分を応援して報じて欲しいと僕は思う。
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インド映画「魔法使いのおじいさん」

2012年07月15日 00時02分12秒 |  〃  (旧作外国映画)
 川崎市民ミュージアムで、インドのアラヴィンダン監督(1935~1991)の特集上映を今日から行っている。ここにフィルムが収録されているから、時々やってくれる。しかし、なかなか行くことができない。遠いんだよね。12時半から「サーカス」、15時から「魔法使いのおじいさん」。両方見たいと思ったんだけど、一本目は間に合わず。結局「魔法使いのおじいさん」だけ見た。

 この映画は、30年ぶりくらい。国際交流基金の世界映画紹介の最初だったのではないかと思う。佐藤忠男さんが見つけて来て、大変な傑作だと紹介した。その時は実はよく判らなかった。まあ、不思議な魅力のある映画だなと思ったけど。インド映画といったら、その頃は「大地のうた」がベストワンになったサタジット・レイしか知らなかった。(主にベンガル語の監督。現在は逆にラジニカーントは知ってても、サタジット・レイを見たことがない若い人が多いと思う。岩波ホールで大回顧上映をして欲しい。)インド映画の主流は、ムンバイ(ボンベイ)で作るヒンディー語映画だし、ラジニカーントの映画はチェンナイ(マドラス)のタミル語。それに対し、アラヴィンダンはインド南部のケララ州のマラヤラム語だというんだけど、まあ聞いてても判らない。ケララは、1957年に世界で初めて選挙で共産党州政府が成立したことで知られて、堀田善衛の紀行があった。カタカリという民族舞踊があって、日本公演も行われて、僕も昔見たけど寝たような…。(ちなみに、S&Bの「ケララ・カレー」は一番好き。なくさないでね。関係ないけど。)

 今回見直すと、映像の美しさと不思議な魔法の世界に改めて魅せられた。おじいさんの不思議な歌が耳について離れない。この映画に限らず、アラヴィンダン監督映画では、アニミズムというか、自然が神のような世界が描かれている。タイのアピチャッポン・ウィーラセータクンなんかに似ていると思う。この映画でも、子どもが動物に変えられてしまう。村に来た魔法使いのおじいさんにくっついていた少年は、犬になってしまった。この白犬がなかなかよくて、落語で白犬が人間になる噺があるけど、インドでも人間が変えられた犬は白い。不思議だな。「アーティスト」「人生はビギナーズ」でも犬が出てくるけど、「助演犬映画」というジャンルにも入れておきたい。

 まあ一回だけ上映だから、書かないつもりだったけど、たまには日記みたいなのも書こうかと思って。僕の日記を読んでもらっても仕方ないから、できるだけ毎日「小論文」みたいなのを書いてる。書きたいことは山のようにあるので、当面困らないだろうと思う。(例えば「今年は東電株主総会に行かなかった記」なんかもあるんだけど、今年は書かないで終わりそうだ。)

 東京は昨夜大雨が降って、今日はとにかく蒸し暑い。この蒸し暑さが大変で、僕もずっと体調がいま一つ。僕の家から川崎市民ミュージアムというところまで行くと、時間もかかるしお金もかかる。それに地下鉄日比谷線を中目黒までずっと乗ってる。冷房がきつい。駅についてもバスがないと時間が危ない。でも、ミュージアムの真ん前に駐車場があるので、一度車で行ってみたいと思ってた。今日は暑いので、ドアtoドアがうれしいので、車で出たら、3連休の大渋滞にはまって、一本目に間に合わなかったわけ。往復100キロ近いので、そんな遠いのか。世田谷とか太田とか、六本木高校時代の生徒が結構住んでいる地域だけど、僕は土地勘がない。ふーん、こんなところかと思う。首都高を東名に入る前に用賀でおり、環八をずっと行って田園調布警察前で曲がって、丸子橋を渡り、等々力緑地へ。道は割と簡単なんだけどね。

 車だとずっとラジオを聞いて行くことが多い。今日だと、行きはTBSの土曜ワイド。永六輔の番組。北山修が来ている。ユーロスペースでやってる「オロ」というチベット難民少年の映画を紹介していた。けど、最近見た「オロ」という題名が出てこないで困っていた。ところで、最近の人は精神科医北山修が、合唱コンクールでうたった「あの素晴らしい愛をもう一度」の作詞家だと知ってない人が多い。つーか、「フォークル」ですけど。判らない人は自分で調べて。「戦争を知らない子供たち」で、「団塊世代」の最初のオピニオン・リーダーに(ちょっとの時期だけ)なった人。

 そのあとの「久米宏のラジオなんですけど」。久米さんは今日が誕生日で、つまりフランス革命記念日。で、「世界史と私」をテーマにしていた。でも、元TBSで、江戸川乱歩賞ミステリ作家に転じ、いつの間にか「歴史ノンフィクション作家」になってる井沢元彦なんかが電話インタビューで出ていた。「逆説の日本史」が面白いと思った時もあるけど、だんだん変になって行って、「つくる会」にも協力する人になってしまった。今日も、「キリスト教とイスラム教が対立している一番の理由を知ってますか?」なんて問いを出して、「コーランにキリストは神じゃないと書いてあるから」とトンデモ解答をしていた。これは間違いでしょ。というか、キリスト教とイスラム教は「歴史的に、いつも必ず対立していたのか」という問いが必要。「新約聖書」を読んだって、「キリスト(これもイエスというべきだけど)は神だ」と書いていないでしょ。コーラン(クルアーン)は「イエス」(イーサー)を5大預言者の一人として扱っている。イスラム側から、同じ一神教の徒であるユダヤ教、キリスト教をことさら敵視する理由はない。「十字軍」はまた別の理由。「パレスチナ紛争」も宗教の争いではない。聖地メッカがあるサウジアラビアは、アメリカ合衆国の同盟国である。このことを書くまでもないから、今日は疲れているので休もうかと思ったけど、パソコン開けたら書きたくなった。

 帰りは相撲中継を聞きながら。いまどき相撲を見てるのもなんだなあと思うけど、昔から見てるのでつい関心が消えないんだなあ。別に特に「日本人力士」をひいきにしたいとも思ってないけど、大関になったんだから二人の日本人力士が優勝する場所もあっていいでしょう。家の近くの玉ノ井部屋や同じ足立区の境川部屋に頑張って欲しいね。永さんはチェコの隆の山が昨日勝って喜んでいたけど、幕内では軽量すぎて無理でしょう。見たことない人が多いと思うけど、チェコ初の関取隆の山という人がいて、一度その軽量ぶりはテレビで見てもいいかも。4時半前後の取り組み。
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何のために?-東京で、また「失職者」問題③

2012年07月13日 23時09分46秒 |  〃 (教員免許更新制)
 大津市の「いじめ」問題をテレビや新聞で見て、学校や教育委員会の対応に納得できない人が多いだろう。この問題はいずれまとめて書きたいと思うけれど、「教育委員会制度はいらない」という「維新の会」政策に賛同したくなる人も多いんではないかと思う。

 ところで、学校の教員の一番大切な仕事は何だろうか?「児童・生徒のいのちを守ること」だろうか?「授業を工夫して、学力を向上させること」だろうか?「子どものいのちを守ることが第一なのは当たり前ではないか」と思われるかもしれないが、実はどちらも違う。少なくとも、東京の初任者研修においては。教員にとってもっとも大切なことは、「公務員として上司に従って仕事をすること」なのだと教えているという話である。大阪では条例まで作っている。

 だから、「いじめ防止に努めていない」「いじめ解明に熱心でない」と学校の教員に不信を持つのは、本来はおかしいわけである。教育委員会や学校長の姿勢こそが問われなければならない。

 教員免許更新制について考えていて思うことは、教師は何を考えて仕事をすべきなのかということだ。「手続きミスだけで失職する」んだから、一番大事なことは、「教育行政が求める手続きなどをきちんと期限までに行うこと」である。間違っても「生徒第一」とか思い込んではいけない。たったそれだけのことで失職するんだから、10年に一度の更新制だけではなく、他の問題でも手続きを厳守するということが大事だと思わせる「波及効果」が期待できる。自己申告書は期限厳守で提出しておかないとまずいし、君が代では起立して斉唱しないなんて考えてもいけない。更新制の一つの「効用」(教育行政側にとって)は、そこ(行政の定めにきちんと従わないと大変なことになると見せしめにする)にあるのは明白であると思う。

 しかし、それでけでもないだろう。簡単に言えば「教師への嫌がらせ」が目的なんだろうと前から思っているけど、それでも年度途中でこれだけ失職する人が出るとは思わなかった。これはすべて、講習を終了した後に「更新手続き」があるという二度手間に問題がある。そこだけでもなんとかならないかと思う人は多いだろう。でも、たぶんダメ。なぜなら、「教員免許は、自動車免許と同じ」にするのが目的なのだから。自動車免許を持っている教員が、更新するときは当然休暇を取っていく。(か、土日を利用する。)「私的資格」なんだから当然である。同じように、教員免許というのも「私的資格」なんだということになったので、自分で更新手続きをしないといけないわけである

 だけど、現に公立学校で問題なく教えていた先生が、年度途中で失職する。これは「私的な問題」なのか。では、公立学校の教育行為は、「私的な資格」を持つ教師が行っている私的なサービスなのか。いや、その通り。「公教育」は解体して、教員は公務員ではなくし、私的な資格を持つ専門員が私的な経済行為として生徒を指導する。塾や予備校と同じ仕組みにして、世界との競争に勝ち抜けるリーダー育成に特化する。つまり、そういう方向性を持った「教育改革」を目指していくためには、「教員免許」というものの公的性格をはく奪しておくことが何よりも重要なことだったのだろう

 僕の見立てでは、だから「教員免許更新制」は新自由主義的な公教育破壊政策に整合的な制度なのではないかと思う。それに対して、「教育は次代の民主国家の担い手を育てる、社会にとって重大な仕事」だという教育の原点を皆で確認することがまず必要なのではないか。学力やスポーツも大切だが、「いじめ」に象徴される「人権を尊重しない社会」の中で苦しむ生徒を支援することこそが、教師にとってもっとも大切なはずである。教師はそういう重大な仕事をしているという誇りを持って仕事している。そういう人が今でも多いはずである。「上司に従うことが教師の仕事」だなんて、そんな腑抜けたことを本気で思ってるバカものはさすがにごく少数であると思う。そういう大多数の教師を支援するためにも、免許そのものが失効するなどという、社会の「教員いじめ」もなんとかして欲しいと思う。
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東京で、また「失職者」問題②-これは違憲ではないのか

2012年07月12日 20時56分20秒 |  〃 (教員免許更新制)
 教員免許更新制そのものはちょっとおき、東京で起きている年度途中の失職問題。ケアレスミスで失職するような制度設計になっているんだから、当初からこういうことが起こることは「想定内」だったはずである。つまり、作った側にとっては。なんでそういう制度につくってあるのだろうか。そのことは、次回詳しく考えたいと思う。ところで、しかし制度を作った時には、このように年度途中でパラパラと失職することは、さすがに想定してはいなかったと僕は思っている。1月末までに各人各校で確認するだろうし、都道府県教委で年度内に確認するだろうから、「4月から失職はありうる」ということを想定したのだろうと思う。それだって大問題だけど、とりあえず新年度の学校は、免許更新が確認された教員(と更新時期に当たっていない教員)でスタートできる。

 それが年度途中で失職すると言うのは、①で書いたように「都教委の責任」である。責任というより、「怠慢」で「職務懈怠」である。「懈怠」は「けたい」と普通は読むが、「かいたい」と読んで、法律用語で「法律において実施すべき行為を行わずに放置すること」である。年度内に確認せずに、今回のホームページ発表を見る限り、7月3日に初めて確認している。本人が都教委に確認してしまったために。ところが「7月6日付」で失職したのではなく、「3月31日付で失職」になっている。これは前に書いたけれど、「3月31日には、まだ免許が有効なので、失職はしない」はずである。そのまま4月1日を迎えて初めて失職するはずなので、日付がおかしい。

 それは前に書いたことだけど、そこで今回さらに考えていて、気付いたことがある。以下のことは初めて書くことである。「7月3日に気づいたのに、なんでさかのぼって失職辞令を出せるのだろうか」ということなんだけど、それができるんだったら「1月31日にさかのぼって、免許更新手続きを受け付ける」ことだって、できるのではないか。更新講習は終わっているので、単に手続きを忘れたケアレスミスである。さかのぼって、更新手続きを終えたことにすればいい。なぜ、それができないのか。どうなんだろうか?

 さて、普通に働いていて、突然失職するという、この更新制。その法律のはらんでいる「凶暴性」が東京でまざまざと目の当たりになった。ところが、どの新聞にも出ていない。(かどうか、全部は調べていないけれど。)東京新聞では、教員処分と教員採用試験の問題ミスは小さな記事になっているが、この失職問題は記事になっていない。マスコミ記者の人権意識が問われるのではないか。いくら法律で決まっているからと言って、自分の身に置き換えてみれば「こんなことが起こっていいのか?」と強く思わないか。それは教育学界や教員組合などにも強く言いたいことである。ことのきっかけは、単なる事務手続きミスなんだから、それで事実上「懲戒免職」になるようなことか

 たまたま今回のケースが起こる前日に、都教委は教職員4名の処分を発表している。ちょっと紹介してみる。(紹介文の中身は文章を省略した。)
小学校主任教諭(39歳、男)
 都内の歩道において通行していた女性に対して、後方から右足で背中付近を蹴って転倒させるなどの暴行を加え、現金約千円等の入った肩掛けかばんを奪うとともに、同女性に頭部外傷等による加療約3日間の傷害を負わせた。

小学校教員(27歳、女)
 勤務校から自宅までの間において、特別支援学級児童12名分の児童名簿、特別支援学級児童4名分の個別の教育支援計画等の個人情報を保存した自己所有のUSBメモリを紛失し、個人情報を紛失した。また、個人情報の紛失について速やかに管理職に報告することを怠った。

中学校教員(52歳、男)
 勤務校バレーボール部の男子生徒が練習を無断で欠席したことについて指導した際、生徒に対して、殺すなどの不適切な発言を行う、手のひらで頬を押すようにたたく、左足の裏で右すね及び腹部をそれぞれ押すように1回蹴るなどの体罰を行い、鼻から出血させた。また、体罰について、速やかに管理職に報告することを怠った。

小学校事務主事(60歳、男)
 勤務校の事務室において、合計60日間、勤務時間中を含め約83時間30分にわたり、アダルト・サイトを含む業務に関係のないウェブ・サイトを閲覧した。

「失職教員」(中学校主任教諭、35歳、男)のことは前回引用したが、更新講習は修了していたが、期限までに更新手続きをすることを忘れていたことが、今月になって自分で心配になり都教委に問い合わせたわけである。

 さて、それぞれの教職員の「処分」は、どの程度だと思うだろうか。
①懲戒免職
②減給10分の1 1月
③減給10分の1 1月
④戒告
⑤失職

 更新手続きを(多分多忙で)していなかったということは、強盗するのと同じなのか。アダルトサイトを見ていて戒告なら、そこまでも行かない単なるケアレスミスだと僕は思うが。

 これが「憲法違反」でないならば、なにが「法の下の平等」なんだろうか。法律家の見解も聞きたいところである。
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東京で、また「失職者」問題①

2012年07月11日 21時50分55秒 |  〃 (教員免許更新制)
 7月6日付都教委のサイトに、「東京都公立中学校教員の失職について」という発表が掲載された。僕はこの事実に対し、もちろん起こった事実の重大性を訴えたいと思うけど、それ以外にもいろいろショックを覚えた。そのことから始めて、教育問題について何回か書きたいと思う。折しも再びみたび、「いじめ」が大きな問題となっている。一方、「大阪維新の会」が発表した「維新八策」には、全く理解しがたい「教員の非公務員化」などという文言が挿入されている。

 僕は6月上旬頃は毎日都教委のサイトで失職者が出ていないかをチェックしていた。東京で失職者が相次いでいることを知って、このブログにも「東京で「失職者」!」「都教委の責任」を書いた後のことである。しかし、しばらく見続けたけど、新しい失職者の情報がないので、東京都では今年度に教員免許更新制に関わる失職はもう起こらないものと判断していた。何故かというと、5月7日付の発表の中に、「再発防止策」という項目があって、「(1) 区市町村教育委員会及び都立学校長に対して、公立学校教員全員を対象として、有効な教員免許状を所有しているか、教員免許状の原本確認を求めるなど、5月中に総点検を実施」と出ていたからである。

 5月中に総点検を実施すれば、遅くとも6月初めには失職者の有無が判明するはずである。だから、要するに「総点検」なんてやってないのである。それはやってる校長はやってるだろうけど、多忙で取り組めない学校では「やったことにしている」ということなんだろう。そうじゃなければ、今頃失職者が出るわけがない。

 僕が不思議に思うのは、なんで都教委が自分で調査しないのかということである。講習に合格していても手続していないだけで失職するという仕組みの問題性はひとまず置き、失職の発令を何回もしてるんだから、都教委は「失職させなくてはならない」と思っているわけである。だとするならば、失職発令は早い方が「まだいい」だろう。その学校の生徒に取っても、教員自身に取っても。(今回の事例は35歳の教員だから、4月当初に判明していたら、来期の教員採用試験を受験して来年度からの職場復帰をめざすという可能性もあった。)教員の人事管理は都教委の管轄であり、教員免許の更新事務、免除事務も都教委の管轄である。自分のところで免許が更新されたかが判るんだから、普通は自分で調べるだろう。昨年度の熊本県の事例も、2月になって県教委から失職と言われたということだから、それは遅すぎるけれども、新年度になる前に県教委自身で確認作業があったわけである。全国で都道府県教委自身が確認作業をしてるのかと思ったら、都教委はしてないらしいのである。それは本当なんだろうか。

 今回の事例は、市部の35歳の中学教員(主任教諭)である。
 「3 事故発覚までの経緯」を引用してみると、
(1) 同主任教諭は、平成22年度及び平成23年度が教員免許更新の年度に該当していることを認識しており、平成23年8月、教員免許状更新講習を受講し、修了した。
(2) 同主任教諭は、教員免許有効期間の2か月前まで(平成24年1月31日)に教員免許状更新手続をしなければならなかったが、行わなかった。
(3) 平成24年7月3日、校長が今年度免許更新対象の教員に対して更新手続きの確認の話をしている中で、同主任教諭が免許状更新講習は修了しているが、教員免許状更新の手続をした記憶がなかったので心配になり、都教育委員会へ確認した。この際、教員免許状が失効していることが判明した。

 今回の事例、また今までの事例を見ると、「都教育委員会へ確認し」てしまったのが、「発覚」の直接要因である。要するに、確認しなければいいのである。都教委は更新手続きが終わっているかを自分でわかる。だからこそ、確認したところ手続きが済んでないことがわかり「失職」してしまったのである。でも都教委に確認さえしなければ判らなかったはずだということになる。それにしても、ここまで来てしまったんだから、夏休みまで「知らんぷり」してればいいのではないかと思うけど。

 また同じようなことを書くことになるが、
①教員免許更新制そのものが不要であると思うが、それはそれとして法律が出来ているとすれば、
②更新講習を受けて合格していれば、それでいいのではないかと思うが、合格後の更新手続きをしてないだけで失職していいのか。
③それでもそういう法律だから仕方ないとすれば、期限の1月末以前に、確認作業を徹底するべきだし、
④少なくとも新年度が始まる前に確認作業をしなければ、年度途中で先生が突然変わってしまうことになるので、生徒にとって問題が大きすぎることになってしまう。
⑤それでも新年度に入って失職事例が出てしまったとすれば、確認を早急に行うべきところ、5月中に点検が終わっているはずなのに、7月になって失職者が出てしまった。

 こういう事態を招いた東京都教育委員会の無責任ぶりは、突出しているというべきだ。都教委自身が1月には確認を行うべきなのに、今ごろ失職者が出ても自分の責任を明確にしていない。こんなに失職者が出て、それを防ぐことが都教委自身で容易に可能だったというのに何もしていない。生徒、保護者に対して、どういう説明をするのだろうか。

 誰にも勧められないが、もしかすると講習を受けないまましらばっくれていても判らないのかもしれない。講習も受けないと、普通は管理職にはわかるわけだが、更新せずに55歳で辞めて再雇用を受けても合格した人が現にいる。だから55で退職していい人はやってみてもいいかもしれない。この「失職」は二度と今年度は起きないことを望むが、そのためには都教委に確認したりしないことである

 時間講師や再雇用ではなく、正規の教員が失職したのは、中学校の2人である。どちらも市部の主任教諭。これは中学の現場が他の校種にも増して多忙であることが背景にあると思う。僕も20年ちょっと前は中学教員だったわけだけど、高校に比べて規模が小さく、地域に密着し、人員も少ないので明らかに忙しい。その後、自己申告書とか学校選択制とか、もう対応不能なほど忙しいのではないか。講習に合格していることは大学から都教委に報告があるはずである。現場では、休暇を取って平日の都教委開庁時間内に手続きに行くヒマなんかなかなかないと思う。なんでこのような「突然の失職」措置を取るのか。人間の行うべきこととは思えない。(まあ昔から都教委は人間の住むところではないと思っているが。)

 あまり多忙な上、とんでもない研修や面倒くさい調査が山のように押し寄せる。だから東京に限らないと思うけど、「やったことにしておく」ということになる。「上に政策あれば、下に対策あり」である。(中国の文革期の言葉。)この教師の学校でも「5月中に総点検」はあったはずである。管理職が「問題なし」に○をして返信していたのだろう。(今は都教委、市教委と学校現場のやり取りは、インターネットを通じたメールである。メールについてる添付資料が調査で、それに書き込んで添付して返信する。)そういう現場実態もほうふつとさせる。(制度自体の問題点など、もう少し何回か。)
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追悼・山田五十鈴

2012年07月11日 00時16分07秒 | 追悼
 文化勲章受章の女優、山田五十鈴(やまだ・いすず)さんが死去。9日、95歳。1917年~2012年。

 正直まだご存命だったのかと思ったけど、戦前、戦後の映画、舞台の大女優である。小さい頃から日本舞踊や常盤津、清元の稽古を続け、日活の子役として活躍。伊丹万作監督の「国士無双」などだと言うけど、残念ながらフィルムは残っていない。18歳の時に俳優月田一郎と結婚、後の女優嵯峨美智子を生んでいる。翌1936年に、女優としてやっていくことを決意した映画、巨匠溝口健二の「浪華悲歌」(なにわエレジー)と「祇園の姉妹」が作られた。その年のキネマ旬報ベストテンの3位と1位。19歳の時だから、どちらも「現代娘」を演じている。晩年しか知らないと古風な美人かと思うが、当時としては転落する現代娘やドライな芸者おもちゃを演じたのである。溝口のしごきに耐え、今見ても素晴らしい傑作。世界的にも、アメリカやフランスと並び、白黒発声映画の芸術的完成を見た歴史的作品である。家庭に入ってもらいたかった月田との仲は破局、嵯峨美智子との親子関係は嵯峨がタイで死ぬ(1992年)まで修復できなかった。

 ところが1937年に日中戦争が始まり、山田五十鈴の20代は戦争と戦後混乱期に当たってしまった。「わたしが一番きれいだった頃」(©茨木のり子)が戦争に取られてしまった世代である。その頃は東宝で長谷川一夫の相手役をしていたが、山田を主役に女性映画が作れる時代ではない。もったいなかった。(マキノ雅弘のミステリー「昨日消えた男」「待って居た男」など映画自体は面白いけど。)そして1950年に、あろうことか演技派の脇役で当時は民藝の所属だった加藤嘉と結婚して、左翼独立プロ作品に出まくることになる。山本薩夫監督の「箱根風雲録」、亀井文夫監督の「女なれば母なれば」「女ひとり大地を行く」などである。女丈夫の庶民を貫録たっぷりに演じていて、これも女優経験かとも思うけど、あんまり似合っていたとも思えない。この結婚は3年で破局を迎えるが、山田自身は「男は芸のこやし」とでもいうか、何度も結婚しては破局し次の恋がまた始まる「恋多き女」だった。

 その後、映画の代表作が生まれる。キネマ旬報が演技賞を作ったのは1955年。最初の女優賞は「浮雲」の高峰秀子だが、56年(「流れる」「猫と庄蔵と二人のをんな」)、57年(「蜘蛛巣城」「どん底」「下町」)と2年連続で主演女優賞を獲得している。このうち、「蜘蛛巣城」は黒澤明が「マクベス」を映画化したもので、山田はマクベス夫人を鬼気迫る演技で演じた。「流れる」は幸田文が柳橋の芸者置屋に住み込んだ経験を書いた小説の映画化。田中絹代、山田五十鈴、高峰秀子、岡田茉莉子、杉村春子に加え、無声時代の大女優栗島すみ子が久々に出演し、今では日本女優史を一本に凝縮したような映画として、評価が非常に高くなってきた。しかし、僕がふれておきたいのは、千葉泰樹監督の1時間もない「下町」という映画。戦争で夫は死に、子どもを抱えて茶の行商をする山田。工事現場で気のいい職人の三船敏郎に出会う。なんとなく気が合って、子どもも三船になつき、三人で浅草に遊びに行く。もう大人の二人である、旅館に部屋を取って、後悔しないかためらいながら結ばれてしまう。しかし、三船はある日現場を訪ねると、もういない。交通事故で死んでしまったのだと説明される。小さな幸せが見えてきたのかなと思った矢先に、悲劇に打ちのめされる。荒川土手の東京下町の悲劇である。40歳、子どもを抱えた戦争未亡人の悲しみを忘れがたく演じている。戦争の悲しみを乗り越えてきた世代なのだ。

 以後、映画もテレビも出てるけど、60年代半ばからは東宝の商業演劇が主要な世界となる。映画女優が映画の斜陽化で舞台に活躍の場を移したのは、多くの例があるけれど、山田五十鈴も存在感で圧倒して、生涯主役で活躍した。僕は高いから生では見てないけど、代表作と言われる「たぬき」はテレビで見て、感心した思い出がある。ここ10年ほどは引退して闘病生活だった。2000年に文化勲章。
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