尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

映画「親愛なる同志たちへ」、ソ連の闇を描く衝撃作

2022年04月13日 23時07分11秒 |  〃  (新作外国映画)
 アンドレイ・コンチャロフスキー監督の「親愛なる同志たちへ」という映画。4月8日公開で、いつもはなかなか新作を見ないのに早速行ってきた。やはりテーマへの強い関心のためである。これは1962年に起きたノヴォチェルカッスクで起きた虐殺事件を再現している。そんな事件を知っているか? 少なくとも僕は全然知らなかった。ソ連現代史の闇というべき事件を衝撃的に描いた作品で、当時を再現した完璧なセットも素晴らしい。まるで同時代のソ連に潜り込んだようなモノクロの映画である。

 コンチャロフスキー(1937~)はソ連映画の伝説的巨匠である。同じ名のアンドレイ・タルコフスキーと共に、60年代初期のソ連映画の新世代を代表する新鋭と言われた。タルコフスキーの短編「ローラーとバイオリン」や第2長編「アンドレイ・ルブリョフ」は二人の共同脚本である。本人も「最初の教師」(1965)で監督に進出したが、2作目の「愛していたが結婚しなかったアーシャ」(1966)は検閲で公開禁止となった。そのため「古典文学」を原作とした「貴族の巣」(1969)や「ワーニャ伯父さん」(1971)を作った。これらは「輸出用」として検閲を通過しやすく、日本でも公開されている。帝政時代の貴族社会の中で生きる知識人の憂愁には、明らかにソ連社会を生きる人々の感情が込められていた。
(コンチャロフスキー監督)
 ソ連時代の作品はその後日本では公開されず、監督はタルコフスキーに先んじてソ連を離れた。黒澤明のシナリオを映画化した「暴走機関車」(1985)をハリウッドで映画化したのは、この人だった。しかし、ハリウッドで低迷している間に実弟のニキータ・ミハルコフが監督として力量を高めて、「黒い瞳」(1987、カンヌ映画祭男優賞)、「ウルガ」(1991、ヴェネツィア映画祭金獅子賞)、「太陽に灼かれて」(1994、アカデミー賞外国語映画賞)と世界で高い評価を受けていた。コンチャロフスキーはソ連崩壊後にロシアに戻って映画を作っていたようだが、日本では全然公開されず、もう僕は名前も忘れいてた。
 
 今回の映画「親愛なる同志たちへ」は84歳の巨匠が渾身の力を振るい、自国の闇に真っ正面から挑んだ勇気ある作品である。ヴェネチア映画祭で審査員特別賞を受賞した。ノヴォチェルカッスクというのは、ロシア南部ロストフ州の工業都市で、歴史的にはコサック自治領の首都だった。ウクライナの東にあたる。ここで1962年にストライキが発生した。物価高、食糧不足、賃金切り下げが相次ぎ、自然発生的にストライキが起こったのである。「労働者の国」で何故ストライキが起きるのか。労働者を指導する前衛政党(ソ連共産党)が「正しい政策」を実施しているのに、それに不満を抱く輩は「外国勢力の煽動」を受けているのだ…。
(党幹部の会議)
 党幹部がそのように判断して、怒れる民衆に正対せず、軍による鎮圧を考えて行く様子が細大漏らさず再現されている。主人公になるのは、共産党市政委員会のメンバーであるリューダである。「大祖国戦争」で看護師を務め、「祖国の英雄」と運命的に出会って娘を産んだ。彼には妻があり、結婚出来ないまま戦死した。戦後を「未婚の母」として18歳の娘スヴェッカを育ててきた。それは党のおかげであると信じ、ストに対しては「全員逮捕せよ」と強硬方針を訴える。しかし、家では老父は実は党を信頼せず、秘かに信仰を持ち続けている。娘も母を批判して、党に意見を言うのは国民の権利だと言う。
(民衆に演説する幹部)
 このリューダの造形が実に見事。党幹部が優遇されるのは当然と特権を意識もしない。朝にスーパーを訪れて、並ばずに裏で特別に贅沢品を貰っている。そんなリューダを演じるのは、ユリヤ・ビソツカヤ。コンチャロフスキー監督の夫人だそうだ。1973年生まれと言うから、随分年の差がある。そして何とノヴォチェルカッスク出身なのである。ソ連崩壊時はまだ10代だったはずだが、当時の党官僚を実にそれらしく演じている。リューダは不倫中だし、父は困ったもんだと思いつつ黙認している。問題は娘で、スターリン批判以後に成長した世代は党への信頼が薄く、心配で仕方ない。

 1962年6月1日、群衆は5千人を超えて党委員会のビルに押し寄せる。中央から派遣された幹部を含め、事実上の軟禁状態に陥る。そして翌2日、街の中心部に集まった約5000人のデモ隊や市民を狙った無差別銃撃事件が発生した。スヴェッカは工場で働いていたから、群衆の中にいるのか。リューダは、スヴェッカの身を案じ、凄まじいパニックが巻き起こった広場を駆けずり回る。スヴェッカはどこにいるのか、銃撃の犠牲者はどうなったか。病院や死体安置所まで駆け回るが、行方が判らない。朝になっても帰らず、どこかに潜んでいるのか、それともすでに死体は"処分"されてしまったのか。何とか町の外まで調べに行って、長らく忠誠を誓ってきた共産党への疑念が生まれるのだった。
(党への疑いが生じるリューダ)
 筋書きだけだとお堅い映画に思うかもしれないが、全く退屈せずに一気見出来る面白さである。それはテーマ性とともに、撮影や編集の技術が圧倒的に素晴らしいのである。モノクロというのは全く気にならない。「ベルファスト」もそうだったが、内容的にあの時代なら色がないというのが自然なのである。白黒フィルムで撮影しているわけじゃなく、デジタル映像でモノクロにしているんだろうから、今後もモノクロ映画が増えていくんじゃないだろうか。

 このような軍、KGB批判の映画が2020年のロシアで作れたのである。それも大々的なセットを作っている。そして米アカデミー賞のロシア代表になった。米アカデミー賞の国際長編映画賞にノミネートされるには、各国から一国一本の推薦を受ける必要がある。結局ノミネートはされなかったが、ロシア映画界はこの映画を支持しているのである。ロシアがプーチン一辺倒ではないことが判る。最も実弟のニキータ・ミハルコフは有名なプーチン支持派だけど。

 ところで、この映画を見ていると、どうしても1980年5月の韓国・光州1989年の中国・天安門広場を思い出してしまう。現実を見ることが出来ず、権力者に都合の良い政策が続くということは、日本も含めてどこでも起こった。ソ連だから起きた悲劇ではない。「一党独裁」、そうじゃなくても「一強政治」が続くとき、どこでも似たようなことは起きるだろう。
コメント (1)
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