シネマヴェーラ渋谷でイタリアの「ネオ・リアリスモ」の特集が行われていた。もう終わっているが、忙しいうえにもともと見ている映画が多いから、2回しか行けなかったのが残念。でも、ここで日本未公開だったフェデリコ・フェリーニの初期作品2作を見ることができた。もう新作がない監督は、なかなかブログに書かないから、この機会にちょっとイタリア映画の巨匠について書いてみたい。

フェデリコ・フェリーニ(1920~1993)が亡くなって、もう20年以上経つのか。長い映画史を通じて、国内外を通じて僕の一番好きな映画監督である。「サテリコン」(1969)以後の作品は、すべて同時代に見てきた。最後のころは、どうも創作力が落ちたと思っていたが、それでもフェリーニの新作を見逃すわけにはいかなかった。今回2本見て(オムニバス映画の何本かを除き)、長編は全部見たことになる。
フェリーニはロッセリーニの「無防備都市」の脚本を担当した後、1950年の「寄席の脚光」で監督デビューを果たす。ただしアルベルト・ラトゥアーダとの共同監督となっている。ラトゥアーダは青春映画やコメディ、文芸ものなど多数の商業映画を作り、日本でも結構公開されている。大した映画はないけど、演出力はそれなりなんだろう。
(左がジュリエッタ・マシーナ)
映画は旅芸人一座が列車で旅立つところから始まる。やっぱりフェリーニ的世界である。そこにスターを夢見る少女が強引に押しかけ入団にやってくる。中年の団長はジュリエッタ・マシーナという相方がいながら、美人の新人を寵愛する。お金がないから雇えないと言われながら、居座ってしまった新人女優のダンスが評判になって…。人気が出てきた新人をもっと売り込もうとする団長、見捨てられた団員たち、そして最後には…という、旅芸人もの、あるいは「新人女優のし上がりもの」の定番的展開でつづられる旅芸人と中年役者の哀歓の日々である。
次の作品は1952年の「白い酋長」で、フェリーニ単独監督の最初。「白い酋長」っていうのは、劇中劇(映画内映画)として作られているイタリア風西部劇の主人公のことである。ローマに新婚旅行でやってきた若妻は、夫を差し置いて大ファンの「白い酋長」に会いに行く。夫はそれなりの家柄らしく、親戚がローマ教皇との面会をセッティングしているのに、妻は行方不明に。一方、妻は「白い酋長」になかなか会えず、よく判らないうちに映画の撮影現場の海に連れていかれる。酋長は彼女を船で海に連れ出す。夫は妻は病気と言いつくろってごまかすが、翌日に延ばした教皇面会に間に合うか…。この映画は、ニーノ・ロータが映画音楽を担当した最初の作品で、この後最終作まで音楽を担当した。

まあ、今から見れば、両作とも「フェリーニ初期」という目で見て、それなりに楽しめる。だけど、当時この映画を見ただけでは、やはり日本公開は難しい。映画作品的にも、演出技法的にも、まあ普通に楽しめるといった程度だと思う。しかし、今から見て「フェリーニ的特徴」をいくつか見て取ることもできる。一つは劇としての構成。登場人物のドラマという以上に、映画内の人物が遍歴していくさまを見つめるという作品である。それは「道」や「甘い生活」も同じで、「サテリコン」や「カサノバ」のような原作がある作品も同様である。イタリアの古典「神曲」や「デカメロン」にも共通するような問題で、そういう「遍歴もの」の伝統があるんだろう。
もう一つは、旅芝居や映画撮影など、自分の好きな世界、それも「見世物的祝祭空間」を描いていること。この後も、サーカスを描いた「道」、「フェリーニの道化師」、映画撮影が出てくる「甘い生活」、舞台芸人を描く「ジンジャーとフレッド」など様々な作品で、同じような世界を描いている。旅芸人の映画を見ていると、やっぱりフェリーニだなあと思う。そして、どっちもジュリエッタ・マシーナが出ている。言わずと知れたフェリーニの妻であり、フェリーニの死後半年で亡くなった彼女は、脇役ではあるけど最初の映画から出ていたのである。
フェリーニは、次の「青春群像」(1953)で自己の世界を確立し、「道」(1954)で世界的巨匠となった。その後、「フェリーニのアマルコルド」(1973)まで全作品で傑作を連発し続けた。その傑作の中でも、もちろん「甘い生活」(1959)と「8 1/2」(1963)が、傑作中の傑作であり、映画史上でももっとも素晴らしい大傑作である。人生と世界の複雑さを余すところなく描き、同時に人生の哀愁、日々の倦怠を見つめ、深い感動を見る者に与える。フェリーニは見世物的な圧倒的快楽と心のうち深くに通じる懐かしさを描き続けた。イタリア社会と自己の脳内の「地獄めぐり」のような作品群は永遠の輝き続けるだろう。
フィギュアスケートのNHK杯を見ていたら、男子の田中刑事選手が、音楽に「フェデリコ・フェリーニ・メドレー」を使って流麗に滑っていた。(3位となった。)まあ、フェリーニというか、ニーノ・ロータ・メドレーだけど、今もフェリーニが生きてるんだなあとうれしく思った。2020年が生誕百年。4年後に向けて、多くの作品上映や再評価などが進むことを願う。

フェデリコ・フェリーニ(1920~1993)が亡くなって、もう20年以上経つのか。長い映画史を通じて、国内外を通じて僕の一番好きな映画監督である。「サテリコン」(1969)以後の作品は、すべて同時代に見てきた。最後のころは、どうも創作力が落ちたと思っていたが、それでもフェリーニの新作を見逃すわけにはいかなかった。今回2本見て(オムニバス映画の何本かを除き)、長編は全部見たことになる。
フェリーニはロッセリーニの「無防備都市」の脚本を担当した後、1950年の「寄席の脚光」で監督デビューを果たす。ただしアルベルト・ラトゥアーダとの共同監督となっている。ラトゥアーダは青春映画やコメディ、文芸ものなど多数の商業映画を作り、日本でも結構公開されている。大した映画はないけど、演出力はそれなりなんだろう。

映画は旅芸人一座が列車で旅立つところから始まる。やっぱりフェリーニ的世界である。そこにスターを夢見る少女が強引に押しかけ入団にやってくる。中年の団長はジュリエッタ・マシーナという相方がいながら、美人の新人を寵愛する。お金がないから雇えないと言われながら、居座ってしまった新人女優のダンスが評判になって…。人気が出てきた新人をもっと売り込もうとする団長、見捨てられた団員たち、そして最後には…という、旅芸人もの、あるいは「新人女優のし上がりもの」の定番的展開でつづられる旅芸人と中年役者の哀歓の日々である。
次の作品は1952年の「白い酋長」で、フェリーニ単独監督の最初。「白い酋長」っていうのは、劇中劇(映画内映画)として作られているイタリア風西部劇の主人公のことである。ローマに新婚旅行でやってきた若妻は、夫を差し置いて大ファンの「白い酋長」に会いに行く。夫はそれなりの家柄らしく、親戚がローマ教皇との面会をセッティングしているのに、妻は行方不明に。一方、妻は「白い酋長」になかなか会えず、よく判らないうちに映画の撮影現場の海に連れていかれる。酋長は彼女を船で海に連れ出す。夫は妻は病気と言いつくろってごまかすが、翌日に延ばした教皇面会に間に合うか…。この映画は、ニーノ・ロータが映画音楽を担当した最初の作品で、この後最終作まで音楽を担当した。

まあ、今から見れば、両作とも「フェリーニ初期」という目で見て、それなりに楽しめる。だけど、当時この映画を見ただけでは、やはり日本公開は難しい。映画作品的にも、演出技法的にも、まあ普通に楽しめるといった程度だと思う。しかし、今から見て「フェリーニ的特徴」をいくつか見て取ることもできる。一つは劇としての構成。登場人物のドラマという以上に、映画内の人物が遍歴していくさまを見つめるという作品である。それは「道」や「甘い生活」も同じで、「サテリコン」や「カサノバ」のような原作がある作品も同様である。イタリアの古典「神曲」や「デカメロン」にも共通するような問題で、そういう「遍歴もの」の伝統があるんだろう。
もう一つは、旅芝居や映画撮影など、自分の好きな世界、それも「見世物的祝祭空間」を描いていること。この後も、サーカスを描いた「道」、「フェリーニの道化師」、映画撮影が出てくる「甘い生活」、舞台芸人を描く「ジンジャーとフレッド」など様々な作品で、同じような世界を描いている。旅芸人の映画を見ていると、やっぱりフェリーニだなあと思う。そして、どっちもジュリエッタ・マシーナが出ている。言わずと知れたフェリーニの妻であり、フェリーニの死後半年で亡くなった彼女は、脇役ではあるけど最初の映画から出ていたのである。
フェリーニは、次の「青春群像」(1953)で自己の世界を確立し、「道」(1954)で世界的巨匠となった。その後、「フェリーニのアマルコルド」(1973)まで全作品で傑作を連発し続けた。その傑作の中でも、もちろん「甘い生活」(1959)と「8 1/2」(1963)が、傑作中の傑作であり、映画史上でももっとも素晴らしい大傑作である。人生と世界の複雑さを余すところなく描き、同時に人生の哀愁、日々の倦怠を見つめ、深い感動を見る者に与える。フェリーニは見世物的な圧倒的快楽と心のうち深くに通じる懐かしさを描き続けた。イタリア社会と自己の脳内の「地獄めぐり」のような作品群は永遠の輝き続けるだろう。
フィギュアスケートのNHK杯を見ていたら、男子の田中刑事選手が、音楽に「フェデリコ・フェリーニ・メドレー」を使って流麗に滑っていた。(3位となった。)まあ、フェリーニというか、ニーノ・ロータ・メドレーだけど、今もフェリーニが生きてるんだなあとうれしく思った。2020年が生誕百年。4年後に向けて、多くの作品上映や再評価などが進むことを願う。