尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

「沙羅乙女」と「胡椒息子」、滅びし国の物語ー獅子文六を読む③

2020年02月20日 22時39分26秒 | 本 (日本文学)
 獅子文六最初の新聞小説は「悦ちゃん」だった。1936年から1937年にかけて報知新聞に連載された。報知新聞は今では読売傘下のスポーツ紙だが、戦前は東京五大紙に数えられる一般新聞だった。1930年頃に文六のフランス人妻が体調を崩し娘を置いて帰国して亡くなった。1934年に再婚したが、妻子を抱えて演劇に関わるだけでは食べていけず、ペンネームでユーモア小説の執筆を始めた。少しずつ評価され、新聞連載を頼まれたわけである。そして大評判となった。

 最近もNHK土曜ドラマで放送され、「悦ちゃん」の名前は今も知られているだろう。確かにものすごく面白い「一気読み」本で、戦後の新聞小説よりも短いからもっと読みやすい。でも最初の新聞小説だからか、何でも盛り込みすぎのうえ、偶然の出会いややり過ぎ的展開のてんこ盛りにいくぶん食傷する気もする。そこで「悦ちゃん」が面白いことは前提にして、ここでは続く作品の「沙羅乙女」(東京日日新聞、1938年)、「胡椒息子」(主婦の友、1937~1938年)を取り上げたい。どちらも近年ちくま文庫で復刊され。どっちも題名が意味不明だが、とにかく面白くて一気読み必至の小説だ。

 「沙羅乙女」のヒロイン遠山町子は新宿にある煙草屋で雇われ店主をしている。物語はこの町子の結婚をめぐって進行する。母が亡くなっていて、発明狂の父と夜学に通う弟を抱えて、町子はもう24歳と当時としては婚期に遅れつつある。しかし、そんな彼女のしっかりした姿勢を見ていて、二人の男が町子に心を寄せる。いい縁談が成り立ちそうになると、様々な困難が相次ぎ右往左往、一喜一憂しながら、ついに父親念願の大発明?をめぐって大騒動が持ち上がる。

 「沙羅乙女」の意味は書かれてない。仏教説話に出てくる樹木、沙羅双樹が香り高いらしく、多分そこから来ているんだろう。まことに町子さんは「沙羅乙女」なのである。だけど町子をめぐる副人物たちも面白い。最高にとんでもないヤツは発明マニアの父親である。大発明をしたというんだが、今読むとこの「発明」はヤバすぎでしょ。だけど、物語がどう着地するのかハラハラする。また新宿で洋菓子屋を夢見る青年の大志がどうなるかも見逃せない。青年は「大村屋」の自伝を「津の国屋」で買ってきて町子にも貸してくれる。中村屋紀伊國屋である。

 この小説のラストは「誰も予想できない」「衝撃の結末」だと帯に書いてある。でもそんなことをいうのは、いつ書かれたかチェックしてないからだろう。今読んでも面白いモダン小説とばかり思い込んではいけない。「悦ちゃん」が水着を買いに行くのは「大銀座デパート」である。町子に思いを寄せる男は「大東京銀行」勤務である。何でも「大」が付くのである。そもそも国の名前が「大日本帝国」だった。この今は滅んだ国には、驚くほどがっしりした階級制度が存在した。当時の人には当たり前すぎるから、むしろ風俗的モダニズムが目に付いたわけである。

 「胡椒息子」は「主婦の友」に連載されたからだろう、少年小説色が強い。なおこの後「主婦の友」には「信子」「おばあさん」「娘と私」「父の乳」など代表作レベルを連載するようになる。戦後の一時期は「主婦の友」社の社員寮に住んだこともある。財産家の一族の次男は実は「出生の秘密」がある。親にも兄姉にも疎まれる彼は、一本気の正義漢ながら誤解を受け続け悲しい境遇に陥る。しかし最後まで一本気を貫いてゆく。子どもが感動的で、獅子文六の中でも一気読み度ベストだと思う。

 「胡椒息子」の意味は「小粒でもピリリと辛い」ということである。1935年のフランス映画「Paprika」(パプリカ)が日本では「胡椒娘」の題名で公開された。恐らくそこからヒントを得た題名だろう。(なお映画の題はハンガリー女性が出てきて、ハンガリー料理につきもののパプリカと呼ばれたことからだという。)「胡椒息子」を読むと、本質的な物語構造は「悦ちゃん」「沙羅乙女」と同じだと感じた。「結婚」をめぐる騒動である。そしてすべて「階級」の物語である。

 もっと言えば「人間は同じ階級同士で結婚する方が幸福だ」という常識論である。戦争を経て階級変動が大きくなり、高度成長とともに高学歴化が進み文化的同質性が進んだ。現代にも「階級」はあるし、「玉の輿」という言葉は生きている。だが戦前ほどの重大性はないだろう。戦前は法律上の「家制度」が存在していたし、戦争や結核などで跡継ぎの男子が死ぬ可能性を考えておく必要があった。家存続のため、どのような結婚が望ましいかという問題があった。

 獅子文六はけっして「親が決めた結婚」を勧めない。本人同士が納得して結婚するというストーリーが多い。「上流階級は腐敗している」という批判も強い。だから今読むと「リベラルなモダニズム」色を感じることも出来る。だが当時の「事変下」にあっては、同じ階級同士でわかり合った間柄で結ばれる方が幸せというのは、まさに時局に適合したものだった。それを教訓臭さを抜きに、ひたすら面白い小説にまとめ上げる。だから今も面白く読めるけど、日米戦争が始まると「海軍」を書くのは決して不思議ではない。昔の東京風俗も面白いし、文学史というよりも現代史研究的興味から一度読んでみて欲しい小説群だ。「沙羅乙女」は続編を書いてみたい気持ちになった。
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「バナナ」と「箱根山」、高度成長期の夢-獅子文六を読む②

2020年02月19日 22時38分55秒 | 本 (日本文学)
 新型コロナウイルスはますます蔓延し、米大統領選予備選やイギリスのEU離脱、米イランの対立問題など世界情勢も混沌としている。能天気に獅子文六を書いている時かと思わないでもないのだが、こういう時期だからこそ獅子文六が再評価されているとも言える。何しろ最近じゃエンタメ系文学でもけっこう面倒な作品が多い。軽い小説や映画なんかでも、むしろ悲劇が好まれて、「一番泣ける」とか宣伝する。だからこそ説教臭さがなく、ただ気持ちよく進行する獅子文六の小説が面白い。

 今回読んだ中で面白かったのが「バナナ」。読売新聞に1959年に連載され、1960年に松竹で映画化された。監督の渋谷実をウィキペディアで調べても「バナナ」が載ってないぐらい忘れられているが、国立映画アーカイブの追悼特集で昨年見た。主演が津川雅彦だったので上映作品に入っていたのだ。一種の「グルメ小説」でもあるが、主人公が台湾系華僑であることが珍しい。ほとんど仕事もせず、今では在日華僑総社の会長をイヤイヤ務めている呉天童。(会長になっても首相主催の観桜会に招待されるぐらいの役得しかない、とぼやいているのが時節柄おかしかった。)

 この呉天童を演じているのが、歌舞伎役者の2代目尾上松緑(現4代目松緑の祖父)で、恰幅の良さが似合っている。映画出演は珍しく貴重だ。戦前に植民地だった台湾から留学し、下宿先の娘と結婚した。妻紀伊子は杉村春子、間に生まれた竜馬は津川雅彦。竜馬は大学生だが遊んでばかり。自動車部で車が欲しいが父親は認めない。自分で稼ごうと神戸の叔父からバナナ輸入の利権を譲って貰う。竜馬の友人、島村サキ子岡田茉莉子)は大学をやめてシャンソン歌手をめざしている。一方、呉の妻は友人に誘われシャンソン喫茶に通い始めてシャンソン趣味に目覚める。

 1950年代後半を描くとき、「バナナとシャンソン」とは実に卓抜な思いつきだ。バナナは60年代初期に輸入自由化が実現したが戦後長らく輸入は認可制だった。そのためある時期までバナナは「高級果実」だったのである。一方フランスの歌である「シャンソン」(まあフランス語で「歌」の意味だが)は、特に戦後にあって日本でも多くのファンを獲得しブームになった。思想、文学、映画、ファッション、何でもフランスに憧れがあった時代だが、ちょっとオシャレな歌としてシャンソンも人気があった。

 「バナナ」の家庭は一般より恵まれている。だから子どもに車を買うか買わないかが問題になる。60年前後には白黒テレビや掃除機、洗濯機などを買うかどうかが問題だった時期である。それでも獅子文六の小説に出てくるムードは全体的に上向きである。人々の気持ちは「観光」にも向き始めた。それを示すのが「箱根山」である。朝日新聞に1961年に連載され、1962年に川島雄三監督により東宝で映画化された。文庫本には「冒頭の会議は退屈」と書かれている。しかし、そここそ「箱根山戦争」と呼ばれた東急の五島慶太と西武の堤康次郎の壮絶な闘いを描いて実に興味深い現代史である。

 ところでこの「箱根山」の本筋は財界トップによる利権争奪戦ではなく、一転して「ロミオとジュリエット」になる。箱根最古の温泉「足刈」の「玉屋」と「若松屋」は大昔は一族だったが、別れて以来競争関係が続いていて口も聞かない。箱根では高度成長で団体観光が盛んになって、湯治主体の足刈も危機にある。そんな時に若松屋の娘明日子と玉屋の番頭乙夫の仲が接近中。乙夫とは珍しい名だが、実は「オットー」の当て字。戦時中に船が爆発して箱根で過ごしていたドイツ兵(実話である)と玉屋の女中の間に生まれた子どもなのだった。
(乙夫と明日子)
 女中は産後に亡くなり、玉屋で育てられた乙夫は成績も抜群、性格も素直、体格も良いという優等生で加山雄三がやってる。明日子は星由里子で、若大将シリーズのコンビが初々しい魅力を発揮している。この二人の行く末に、旅館の後継者問題なども加わる。そして「氏田観光」社長の思惑もあって…。この氏田観光は藤田観光で、小涌園を開発し芦ノ湖スカイラインを建設しつつあった。足刈は「芦之湯」で、ここには「松坂屋本店」と「きのくにや」の二つの温泉旅館がある。ロケもされていて、当時の温泉風景を見ることが出来る。温泉小説としても上出来だ。

 この二つに加えて「コーヒーと恋愛」(1962年読売新聞連載時は「可否道」、映画化題名は「なんじゃもんじゃー「可否道」より」)は、高度成長下に生きる人々の気持ちがよく出ている。まだまだ貧しいが、人々の心は未来に向かっている。そんな時代を背景にしたラブコメで、そのドタバタは今読む方が面白いかも。でも当時の日本を知るためには、獅子文六はA面で、B面とも言える松本清張なども読むべきだろう。このA面、B面という表現も古いかなと思うが。当時の人々は決して向上心に富むばかりではなく、貧者は富者に嫉妬やねたみを持っていたことが清張作品で理解出来る。
 
 また「バナナ」の竜馬、「箱根山」の乙夫は、どちらも「国籍」が違う男女の間に生まれた子どもである。知られているように、獅子文六の最初の妻はパリ遊学中に知り合ったフランス女性で、最初の娘は日仏「混血」だった。獅子文六の小説で「民族性」がどのように扱われているか。そんなテーマも追求可能だろう。ひたすらスラスラ読める娯楽小説だが、読み飛ばすだけでは惜しい。風俗小説として、今から60年ぐらい前を知るためにも読んでみてもいい。
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「青春怪談」、セクシャリティの揺らぎー獅子文六を読む①

2020年02月18日 22時55分54秒 | 本 (日本文学)
 2月になって獅子文六を連続で読んでいる。獅子文六(1893~1969)は昭和を代表するユーモア小説、家庭小説の名手として再評価されつつある。本名は岩田豊雄で、フランス演劇の研究家であり、今も続く劇団文学座の創立者でもあった。(1937年に岸田国士、久保田万太郎、岩田豊雄の3人が創立した。)もともと娯楽小説は生活のためで、そのため「四四十六」をもじったペンネームを作ったと言われる。死の直前に文化勲章を受けたほど有名だったが、その後忘れられてしまった。

 数年前にちくま文庫で「コーヒーと恋愛」が面白本発掘と銘打って刊行され、人気を呼んだ。その後続々と文庫化され、今や12冊も出ている。人気作は当時ほとんど映画化されている。ベストテンに入るような映画は一本もないけど、最近古い日本映画を上映する映画館が増えて僕もかなり見た。それが面白いので原作も読もうかと何冊か買ってみた。「コーヒーと恋愛」「てんやわんや」「七時間半」と読んで、まあそれなりに面白かったがこの程度かなとも思った。だから、もう数冊あったけど放っておいたんだけど、最近読み始めたのは今横浜で獅子文六展が開かれているから。

 今回はその圧倒的な読みやすさに参ってしまった。ちょうどこういうのに飢えていたのかも。今では少しずれてしまったレトロ感も悪くない。決して名文ではなく、わかりやすさを優先してスピード感のある文体で疾走する。我が若かりし頃、安部公房大江健三郎の新作はハードカバーで欠かさず読んでいた頃、獅子文六は読む対象ではなかった。それは源氏鶏太石坂洋次郎も同様。レトロな大衆文学なら、夢野久作小栗虫太郎のような「異端文学」に惹かれた。

 今になれば、獅子文六のぬるい「良識」的な保守主義が面白く読めるじゃないか。僕の若い頃には「ちょっと前」だった時代も、今では半世紀以上も昔になる。思い入れや恥ずかしさを抜きに楽しめるようになった。ポケベルとかPHSWindows95とかワープロは、僕にはまだ懐かしさの対象じゃない。しかし、「ほとんどの家に電話がなかった頃」とか「白黒テレビ」とか「オート三輪」(三輪のトラックである)なんかは、不便極まりないけど懐かしい。1960年代の話である。

 ということで何回か獅子文六の本について書いてみたい。まず最初は「青春怪談」(1954)である。獅子文六の有名小説はほとんど新聞小説である。「青春怪談」は読売新聞に連載され、翌1955年4月19日に日活新東宝で競作されて同日に公開された。日活は市川崑監督で、これは見ている。新東宝は阿部豊監督で、今回獅子文六展で上映されたが遠いから見に行かなかった。

 父と娘の奥村家、母と息子の宇都宮家。両家は鵠沼(くげぬま、神奈川県藤沢市の海岸)の疎開先で知り合い、若い二人はまあ婚約的な状況にある。でも二人は「クールボーイ」と「ドライガール」で、お互いに燃え上がってる関係にはない。奥村千春は「バレー」に夢中で大役が付いたばかり。(今は「バレエ」と「バレーボール」を使い分ける。この当時は「バレエ」も「バレー」である。)宇都宮慎一は商売を始めることを考え、大学卒業後も就職せずパチンコ屋やバーに投資して「勉強」している。

 日活映画では、千春を北原三枝、慎一を三橋達也が演じている。千春に憧れてつきまとっている新子、あだ名はシンデ(シンデレラから)を芦川いづみが超怪演している。ところで問題はむしろ両親の方である。今じゃ「一人親家庭」とは大体離婚だが、当時は戦争や病気で若くして死ぬ人が多かった。子どもの結婚で一人暮らしになってしまう親たちが心配で、子どもたちは相談して二人を結びつけようと企む。そこに様々な人々が絡んできて、ドタバタの上出来ラブコメが展開されるわけである。
(北原三枝と三橋達也)
 ところで「青春怪談」という題名は何故だろうか。軽快に展開していた小説がラスト近くで停滞する。不可解な中傷事件が続発して、犯人も判らず慎一の起業のもくろみも座礁しかねない。そこら辺が映画ではサラッと描かれたと思うんだけど、小説ではもっと違う問題が延々と展開されていた。それは「千春のセクシャリティのゆらぎ」である。シンデの千春の寄せる心は、かなりはっきりと「同性愛」が示唆される。慎一は受け入れがたいが、千春は自ら「自分は本当に女性なのか」、つまり今の言葉で言えば「性同一性」を自ら疑っているのである。

 「自由学校」を合わせ読むと、登場人物というより作者自身の「ホモフォビア」(同性愛嫌悪、恐怖)は否定できないと思う。しかし、50年代半ばに新聞小説でここまで「セクシャリティ」をめぐって議論されていたのかとビックリした。それは当時の「良識」の範囲をはみ出さない。しかし外国における「性転換」ケースなども紹介され、作者の関心の深さを思わせる。けっして「興味半分」ではなく、マジメなアイデンティティの問題として、あくまでも娯楽小説の枠をはみ出さないレベルでだが展開されるのである。

 親たちの方は山村聡轟由起子がまさにピッタリの名演。ラスト近く、向島百花園での出来事は抱腹絶倒である。戦後の百花園が出てくることでも貴重。慎一と千春はケータイなき時代のことだから、ひたすら新橋駅で待ち合わせしてずっと待ってる。地下鉄は銀座線しかない時代だから、新橋駅はどこへ出るにも便利なのだ。ところで宇都宮慎一という男、「美男子過ぎる」と評されている。日活は三橋達也、新東宝は上原謙だが、どうもイメージが違う。言い寄ってくる女に不自由しないが、全然興味を示さず千春とも友だちみたいな関係。道徳的に純潔を保っているのではない。当時の概念になかったが「無性愛」に近いのではないか。いろいろ時代に先駆けた小説だ。
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森雅子法相は「公務員職権濫用罪」であるー検察官定年延長問題③

2020年02月17日 22時25分27秒 | 政治
 同じ問題を書いていると飽きてくるけど、今回書くことは是非指摘しておきたいと思う。そもそも検察庁法では検察官の定年延長は認めていない。それに対して安倍首相は「国家公務員法の解釈を変更した」と述べている。その措置は法的に見て正しいのだろうか。それは誰がどこで判断するのだろうか。学者であれ、一般国民であれ、学問・研究の自由、言論・表現の自由を持っているから、自分で考えて違法だと主張することが出来る。しかし、国家的には「裁判所の確定判決」がなければ有効性を持たない。そして、裁判所に対して、違法かどうか判断してくれという裁判は出来ない。 

 出来ないというか、裁判を起こすこと自体は出来る。集団的自衛権を一部認める憲法解釈の変更は憲法違反かどうか。そういう裁判はたくさん起こされて、一部で注目すべき判断もあった。しかし、全部の裁判は終わってないけれど、多くの裁判は「門前払い」みたいな判決が出ている。それはそれとして、今回のケースではどのような裁判が可能だろうか。実はもう安倍首相を「偽計業務妨害」で告発した人がいる。ただそれはかなりの「無理筋」じゃないか。考えようによっては「検察の業務妨害」と言えなくもないだろうが、首相の指示を「偽計」と判断するのは難しい。(偽計業務妨害は、市役所に電話をかけ続けて嫌がらせをしたようなケースで適用されている。)
 
 そこで「森雅子法務大臣は公務員職権濫用罪にあたる」という考えを書いておきたい。東京高検検事長の定年延長がどのように実行されたのか、僕はよく知らない。安倍首相の明確な指示があったのかどうかも不明だ。しかし、はっきりしているのは、法務省で実務的処理を行ったのは間違いない。ただ口頭で延長すると告げたわけじゃない。閣議決定を経ているので、閣議にかける書類を事前に法務省で作成したはずだ。定年延長を違法と見るなら、森法相はやるべきではない仕事を部下に命じた
(国会で答弁する森法相)
 これは刑法193条の「公務員がその職権を濫用して、人に義務のないことを行わせ、又は権利の行使を妨害したときは、2年以下の懲役又は禁錮に処する。」に該当しないだろうか。法務官僚に対し「義務のないこと」をさせたのだ。「特別公務員職権濫用罪」というのもある。「裁判、検察若しくは警察の職務を行う者又はこれらの職務を補助する者」が職権を濫用した場合、特に重く罰する規定である。無実の人に覚醒剤を持たせて逮捕したケースなどに適用されている。法務大臣もこれに該当するのではと思ったが、ちょっと無理か。一般的な「公務員職権濫用」になるだろう。

 「公務員職権濫用罪」の場合、検察官が不起訴にした場合、付審判請求という制度を使うことが出来る。「特別公務員暴行陵虐罪」という罪があり、これは警察官や検察官の拷問などを重く罰する。疑われた側が拷問を訴えても、身内である検察官はなかなか起訴しないことも考えられる。そこで主に「公務員職権濫用罪」や「特別公務員暴行陵虐罪」など7つの罪に限って、裁判所に直接審判を求める制度がある。その他の罪の場合、不起訴に納得できない場合、「検察審査会」に申し立てることが多い。2009年以後は、2回にわたって検察審査会で「起訴相当」となると「強制起訴」する制度が出来た。

 検察審査会のことは、近年の「強制起訴」事件によって、知っている人が多いだろう。一方、付審判制度の方は、最近あまり例がないので、知らない人が多いと思う。付審判請求があると、裁判所が双方の主張を聞き、審判を開始するかどうかを判断する。審判開始となったら、指定弁護士が検察官役となり普通の刑事裁判と同様の仕組みで進行する。ウィキペディアを見ると、1949年以来1万8千人の警察官や刑務官が付審判請求されたが、審判が開始されたのは23人だという。そしてその半数ぐらいは無罪になっている。だからほとんど機能しない制度になっているが、それでも検察官が起訴すべきかどうかを一手に判断する中で、特例的に裁判所に訴えられる制度があることは重要だ。

 諸外国では大臣などが「職権濫用」を問われることがけっこう多い。政治的に混乱している国で、勝った側が前政権の大臣を職権濫用に問うケースもある。職権濫用を濫用してはいけないと思うが、逆に日本では政治家の政治的行為が罪に問われることが少なすぎる気がする。その事によって政治家に緊張感が薄れているのではないか。今回書いたのは、検察官の定年延長問題に関して、裁判所に法解釈の正当性判断を求める道があるかどうかを考えたわけである。。裁判所が審判開始を認めることは難しいと思うが、それでもどんなリクツで判断するかを見ることが出来る。(なお、法律的には「濫用」と書くが、日常的には「乱用」と同じ。「濫」は「みだりに」の意味。)
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認めがたい「解釈変更」-検察官定年延長問題②

2020年02月15日 23時13分43秒 | 政治
 東京高検検事長の定年延長問題に関して、安倍首相は2月13日の衆議院本会議で「従来の国家公務員法の解釈を変更した」と明言した。その前の2月10日、山尾志桜里衆議院議員の質問で、国家公務員法の従来の政府解釈との矛盾を追及した。1981年に国家公務員の定年が制定された当時、「定年延長は検察官には適用されない」と答弁していたというのである。13日は高井崇志議員への答弁で、従来の政府解釈の存在を認めて、安倍内閣が解釈を変更したとした。
(森法相に質問する山尾議員)
 これには開いた口が塞がらない。全く認められない答弁である。以下でその理由を4点にわたって指摘したい。まず最初の理由は「国会無視」である。国会は国権の最高機関であり、法律を制定する。憲法は国民投票を経ないと改正できないが、法律は国会で改正できる。実際安倍内閣では「改悪」としか言えない「改正」を幾たびも行ってきた。「解釈変更」なんて言われたら、その「改悪」さえ必要なくなる。どんなに強引であれ、検察庁法が変えられたんだったら「違法」にはならない。黒川検事長が2月に定年だと判っていたんだから、昨年の臨時国会に検察庁法改正案を提出するべきだった。

 二番目の理由はプロセスが不明なこと。この解釈変更はいつ、どのように行われたのか? 国民としては首相答弁で変更があったと初めて知った。最低限でも定年延長と同時に解釈変更も発表しないとおかしい。解釈変更を知らされるまでは従来の解釈が正しかったことになるから、定年延長は違法だという批判は正しかったのである。ところで「法律解釈の変更」はどうすれば出来るのか。首相が表明すればそれでいいのか。そんなことはないだろう。日本は法治国家なんだから、閣議決定などの「証拠」がいるだろう。解釈変更に至るプロセスをきちんと明らかにするべきだ。追求を避けるために、思いつき的に解釈変更と言い出したとしたら、その弊害は非常に大きい。
(条文と政府見解)
 第三に「特例に特例を設けるのは不可」ということだ。国家公務員法では定年を60歳としながら、「特別の事情」の場合に「一年を超えない範囲」で延長出来るとする。(3年以内に限り繰り返し延長可能。)検察庁法では検察官の定年を63歳として、それは「(国家公務員法の)特例を定めた」と明記している。検察庁法がそもそも「特例」なのに、さらに政府解釈によって「特例の上乗せ」が出来るのか。よく新聞のチラシなどにあるクーポンや優待券を見ると、様々な券の「併用は出来ません」と書いてある。法的根拠の問題ではなく、一般常識で考えて「特例の特例」は法改正なくして不可能だと考える。

 最後に、これは僕が言うことでもないと思うけど、検事長は「認証官」だという点を挙げておく。「認証官」というのは、就任に当たって「天皇が認証する」とされている公務員(特別公務員を含む)のことである。民主主義なんだから、そんなことはどうでもいいじゃないかと思うだろうが、当人たちにとっては重大な問題なんだろう。例えば各省の事務方トップの事務次官は認証官ではない。だから法務次官は認証官ではないが、検事長は認証官なのである。検事総長、次長検事に加えて、日本に8つある高等検察庁のトップである検事長は認証官なのである。

 外務省でも外務次官は認証官ではないが、大使(特命全権大使)は認証官である。他には宮内庁長官公正取引委員会委員長原子力規制委員会委員長なども認証官。政治家が就任する国務大臣や副大臣は別にして、日本の官界において検察官や特命全権大使は特別な重みを持っている(と自分たちは自負している)。そのような重職だからこそ、定年においても特例を認められている。そんな「重大な職」にあるものが政権の意向で定年延長して貰って検察のトップになる。そんなことが許されてよいことなのかと支配層内部でこそ反感を持たれているのではないか。
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「ねじまき鳥クロニクル」の舞台化を見る

2020年02月14日 22時25分19秒 | 演劇
 村上春樹の大長編小説「ねじまき鳥クロニクル」が舞台化された。東京芸術劇場プレイハウスで3月1日まで上演中。最近はなかなか劇場に行くこともなかったんだけど、昨年「海辺のカフカ」を見たから、こちらも見ておきたいと思った。これがまたミュージカル仕立ての不思議空間で、物語は原作同様に判らないながらも魅力的な舞台だった。それにしてもよく判らなかったけど。

 「ねじまき鳥クロニクル」は1994年に第1部、第2部、1995年に第3部が刊行された大長編で、このように3部まであるのは他には「1Q84」だけである。村上春樹文学の転換点になったと言ってもいい長編小説で、後の「海辺のカフカ」「1Q84」「騎士団長殺し」につながってゆく世界観が示されている。だけど、後の作品群が「判らないけど、判りやすい」のと違って、「判るけど、全然判らない」ような感じの小説だと思う。読んでない人には通じない表現だと思うが。舞台の物語はほぼ原作通りのイメージ。

 不思議なことに、登場人物が突然歌い出すシーンがある。まあそれはミュージカルと同じだから、趣向を知らなかったからビックリしただけで珍しいことではない。だが主人公「岡田トオル」役に成河渡辺大知の二人がキャスティングされている。普通の意味のダブルキャストではなく、シーンごとに演じ分けるのでもなく、二人共に舞台に出てくる時もある。一人の時もある。不思議で、どうもよく判らない。岡田トオルの猫が行方不明となり、見つかったと思ったら、妻が家を出て行く。猫を探すときに知り合う女子高生笠原メイ門脇麦。他に大貫勇輔(綿谷ノボル)、徳永えり(加納クレタ/マルタ)、吹越満(間宮中尉)、 銀粉蝶(赤坂ナツメグ)等々。なかなか豪華キャストだが俳優で見る演劇じゃない。

 スタッフを見ると、演出・振付・美術:インバル・ピント、脚本・演出:アミール・クリガー、脚本・演出:藤田貴大と演出に3人、脚本に2人の名前がある。インバル・ピントは「イスラエルの鬼才」とチラシにある。「100万回生きたねこ」など日本での経験も豊かなダンス演出家だという。アミール・クリガーは「気鋭」とあるがよく知らない。藤田貴大は近年注目され続けている劇作家・演出家。役割分担は判らない。そこに 音楽:大友良英が加わり、ライブで音楽を繰り広げる。

 ホームページにあるストーリーをコピーすると以下の通り。飛ばして貰って構わない。
岡田トオルは妻のクミコとともに平穏な日々を過ごしていたが、猫の失踪や謎の女からの電話をきっかけに、奇妙な出来事に巻き込まれ、思いもよらない戦いの当事者となっていく――。トオルは、姿を消した猫を探しにいった近所の空き地で、女子高生の笠原メイと出会う。トオルを“ねじまき鳥さん”と呼ぶ少女と主人公の間には不思議な絆が生まれていく。

 そんな最中、トオルの妻のクミコが忽然と姿を消してしまう。クミコの兄・綿谷ノボルから連絡があり、クミコと離婚するよう一方的に告げられる。クミコに戻る意思はないと。だが自らを“水の霊媒師”と称する加納マルタ、その妹クレタとの出会いによって、クミコ失踪の影にはノボルが関わっているという疑念は確信に変わる。そしてトオルは、もっと大きな何かに巻き込まれていることにも気づきはじめる。

 何かに導かれるようにトオルは隣家の枯れた井戸にもぐり、クミコの意識に手をのばそうとする。クミコを取り戻す戦いは、いつしか、時代や場所を超越して、“悪”と対峙してきた“ねじまき鳥”たちの戦いとシンクロする。暴力とエロスの予感が世界をつつみ、探索の年代記が始まる。“ねじまき鳥”はねじを巻き、世界のゆがみを正すことができるのか? トオルはクミコをとり戻すことができるのか―――。」

 読んでいても判らないと思うけど、舞台を見ても原作を読んでも同じように判らない。しかし、「井戸」「行方不明」「日本軍」「異世界での戦い」など、その後の村上春樹世界に決まって登場するシチュエーションがここで出そろった作品だった。それらの複雑なイメージが万華鏡のように散りばめられているので、キラキラ光る魅力はあるが完全に納得した感覚が持てない。そういう原作そのままが舞台化されていて、だから難しいけど音楽やダンスがあるから楽しい。そんな感じかな。何しろ一番判らないのは、笠原メイが主人公を「ねじまき鳥さん」と呼ぶこと。ねじ巻き鳥って何だろう、世界のネジを巻き続ける鳥? What? それが結局よく判らない。
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安倍内閣の人事私物化を糺すー検事長定年延長問題①

2020年02月12日 22時40分04秒 | 政治
 先に書いた「東京高検検事長の定年延長は違法である」をさらに続けて追求することにする。これは非常に重大な問題で、野党は国会でもっと質問して欲しい。安倍内閣においては、「行政の中立性」がどんどん侵されている。行政トップは政治任命だが、その担当分野の性質から比較的に中立性が求められる分野がある。最高裁判所裁判官内閣法制局長官日銀総裁などがそれである。また法務教育などの分野も同じだろう。これら「禁断の聖域」に安倍内閣は踏み込んできた。

 前川喜平氏のコラム(東京新聞2月9日)によれば、同様の「異例の人事」は文科省でも起きたという。「藤原誠君は2018年3月末が官房長の定年だったが、異例の定年延長を受け、10月に事務次官に就任した。本命の小松親次郎文科審議官は退官した。藤原君は官邸に極めて近い人物、小松君は官邸と距離を置く人物だった」とのことである。今回は黒川氏の定年延長前は林真琴名古屋高検検事長が検事総長の本命とされていた。前川氏は両氏とも知っているが、「黒川氏は如才ない能吏、林氏は冷静な理論家という印象」だそうである。政権による「人事の私物化」が進んでいる。

 今回の人事に関しては、画像にあるような3氏に関係がある。黒川東京高検検事長は2月7日に定年だから、後任に林真琴氏が就任する。林氏も7月には63歳を迎えるが、4月20日~27日に行われる第14回国連犯罪防止刑事司法会議(京都コングレス)を花道に稲田検事総長が勇退し、後任に林氏が昇格する。それが検察内部の構想で、名古屋では林氏の送別会も開かれていたという。(東京新聞2月11日記事による。)ちなみにそのコングレス(国際会議)は「犯罪防止・刑事司法分野の国連最大規模の会議で、国連により5年に1度開催」されるものだという。

 つまり今回の人事案は検察内部で作られたものではなく、官邸主導のものなのである。こんなことがあって良いのだろうか。「検察庁のトップが違法に就任した」という法解釈が正しいかどうかは別にして、そのように疑われるだけで検察のイメージダウンは甚だしい。時には被告人に死刑を求刑することもある検察官。法務大臣いわく、日本では検察官が有罪が見込まれる事件のみを起訴するから無罪率が低いという。そのような重大な責務を持つはずの検察官。そのトップが違法に定年を越えて在任している!! そのような疑義が生じるだけで、大問題ではないか。
(後任予定だった林真琴名古屋高検検事長)
 前回も書いたけれど、この定年延長は違法と解釈するのが正しいと考える。前回書いてない検察庁法条文を指摘しておく。そもそも国家公務員法では定年は60歳である。一方で検察庁法では検察官の定年は63歳、検事総長のみ65歳となっている。そもそもちょっと前まで公務員には定年がなかった。信じられないかもしれないが、自分が教員になった1980年代初期には定年がなかった。(学校には70歳近い教師がいた。)国家公務員の定年は1981年に導入され、1984年から実施された。

 そこで検察庁法第32条の2に「この法律第十五条、第十八条乃至第二十条及び第二十二条乃至第二十五条の規定は、国家公務員法(昭和二十二年法律第百二十号)附則第十三条の規定により、検察官の職務と責任の特殊性に基いて、同法の特例を定めたものとする。」と明記された。15条、18条は任官に関する規定で、22条が定年規定である。検察官の定年63歳というのは「国家公務員法の特例」だとされている。もともと全員が特例なんだから、国家公務員法の特例を適用する余地がない。
(稲田伸夫検事総長)
 国家公務員法の定年延長特例は、前回書いたように「1年限り」「3回まで」しか適用できない。これは「63歳を超える国家公務員は、国家公務員法における定年の延長は出来ない」と理解すべきである。検察官も国家公務員だから、定年延長出来るというのは「ヘリクツ」以外の何物でもない。それなら検事総長の65歳定年も延長出来ることになる。東京高検検事長が個別事件の捜査をしているわけじゃないだろう。定年を延長する必要があるなら、検察全体に関わることになる。それなら検事総長も名古屋高検検事長も定年を延長しないとおかしくなる。

 東京高検検事長は現在、検察庁法の規定に違反して在任している。どうすればいいんだろうか。誰か検察庁法違反で告発して欲しいと思う。もっとも自分で居座っているわけじゃなくて、内閣が閣議で決定している。だから合法だという考え方もあるだろう。しかし、法的には問題があるとしても、日本では法律の解釈は裁判所にしか判断できないから、何らかの形で裁判にしないとならない。その知恵を絞るのは法律の専門家にお願いしたいと思う。しかし、僕が思うのは検察官には自浄作用が働かないのかということだ。多くの再審事件を見ていると、とても自浄など期待できない気もする。だけど検察官は司法修習を経て法曹資格を持っているんだから、今回の措置がおかしいことは判っているだろう。

 黒川氏自身も検察官としての誇りが一片でも残っているならば、延長を受けるべきではなかった。そんなものはとっくにないのかもしれないけど。しかし、定年退職が延長された期間であっても、本人が一身上の都合で退職する自由はある。本人が自ら辞任して違法状態をなくすべきだ。というか、それを求めていかなくてはいけない。
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「ドン・キホーテ」と「ジョジョ・ラビット」

2020年02月11日 23時32分43秒 |  〃  (新作外国映画)
 「マリッジ・ストーリー」について書いたから、ついでに主演俳優のアダム・ドライヴァースカーレット・ヨハンソンの新作についても書いておきたい。まずはアダム・ドライヴァーの方で、「テリー・ギリアムのドン・キホーテ」(The Man Who Killed Don Quixote)がついに完成して日本でも公開された。「未来世紀ブラジル」や「12モンキーズ」の監督テリー・ギリアムはここ何十年もドン・キホーテに取り憑かれてきた。とても面白かったけど一般受けは難しいだろう。見たい人は早めに見た方がいいと思う。

 何しろテリー・ギリアムの「ドン・キホーテ」と言えば、ここ何十年も製作中止が相次ぎ(9回ということだ)、映画史上「最も呪われた映画」と言われていた。当初はジョニー・デップが出演するはずで、メイキング映画の方が「ロスト・イン・ラ・マンチャ」(2002)として先に出来たぐらい。かつてオーソン・ウェルズも映画化を前に亡くなり、僕は結局「ドン・キホーテ」の映画化とは「The Impossible Dream」(見果てぬ夢=ドン・キホーテのミュージカル化「ラマンチャの男」のテーマソング)になるんだと思っていた。
(テリー・ギリアム監督)
 冒頭でドン・キホーテがサンチョ・パンサを振り切って風車に突進するから、これは本格的な映画なのかと思うと、すぐにカメラが引いて撮影シーンだと判る。それもCMらしい。監督のトビー(アダム・ドライヴァー)は10年前に近くの村で「ドン・キホーテを殺した男」という自主映画を卒業制作で撮ったことがある。謎の男からDVDを貰って、翌日訪れてみると…。ドン・キホーテ役を頼んだ靴職人は、その後自分は本当のドン・キホーテと思い込んじゃったらしい。ドルシネア姫役の酒場の娘は自分もスターになれると信じてマドリッドに行ってしまったという。フィクションが村人の運命を変えてしまったのだ。

 そこから夢と現実が渾然一体となった迷宮のような世界が続いてゆく。トビーは村で火事を起こして警察に追われ、ドン・キホーテ(と思い込んだ男)に救われる。サンチョ・パンサと間違われ同行するが、行くところ行くところで騒動が起きる。大昔の夢の中にいるかと思うと、そこはムスリムの不法移民の村でテロの心配もする。ボスやボスの妻とのイザコザ、ロシア人富豪に囲われたアンジェリカ(昔の映画のドルシネア)をいかに救うか。結局、人間はジタバタしながらも幻の巨人に立ち向かっていく大切さを感じる。夢かうつつか、決して判りやすい映画じゃないけど、壮大な映像が美しい。

 一方、スカーレット・ヨハンソンがアカデミー賞助演女優賞にノミネートされた「ジョジョ・ラビット」。ナチスドイツに生きる少年を描くが、英語で作られたエンタメ作品。すべてを「子ども目線」で描くところに新味があるが、初めからリアリティは無視されている。ジョジョはヒトラーを崇拝する少年だが、ヒトラー・ユーゲントのキャンプでウサギを殺せずに「ラビット」(弱虫)とあだ名される。そんなジョジョの脳内にはことあるたびにヒトラーが現れアドバイスしてくれる。

 しかし、家の中に謎の音がすることに気付き、探してみると少女が隠れていた。母(スカーレット・ヨハンソン)は実は反ナチスで密かにユダヤ人を匿っているらしい。本当は密告するべきなんだけど、ジョジョはそれも出来ず悩みながら少女と仲良くなってしまう。ある日、母親が帰らず、その日から二人暮らしになってしまう。この映画は映画的魅力からすると、他のアカデミー作品賞候補作品に比べて弱い。「子ども目線」の功罪だろう。英語で作っていることもあり、臨場感が薄くなるのはやむを得ない。

 アカデミー賞ではタイカ・ワイティティが脚色賞を獲得した。この映画の監督でもあり、上の写真で空想上のヒトラーに扮している俳優でもある。元々ニュージーランド出身で、父がマオリ人、母がロシア系ユダヤ人だという。ニュージーランドで演劇を学び、喜劇役者として活躍。短編映画を作ってアカデミー賞にノミネートされ、長編映画がサンダンス映画祭で認められる。そんなルートでハリウッドで商業映画を撮れるようになっていった。ニュージーランドだから元々英語だけど、その文化的背景は複雑で注目すべき才能が現れてきたものだ。
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「マリッジ・ストーリー」、壮絶な演技合戦

2020年02月10日 23時01分34秒 |  〃  (新作外国映画)
 Netflix製作でアカデミー賞作品賞候補になったノア・バームバック監督「マリッジ・ストーリー」(Marriage Story)を見た。「アイリッシュマン」と同じく大々的な公開はされないが、一部映画館で上映されている。最近の映画は設定が日常とかけ離れた映画が多いが、この映画は現代のアメリカの日常を描いている。題名を「結婚物語」というけれど、実際は「離婚物語」である。何でも監督自身の体験が基になっているという話。夫のアダム・ドライヴァーと妻のスカーレット・ヨハンソンが壮絶な演技合戦を繰り広げて見逃せない。それにしてもアメリカの離婚裁判は苛酷である。

 ノア・バークバック(Noah Baumbach、1969~)は「イカとクジラ」、「フランシス・ハ」や「ヤング・アダルト・ニューヨーク」などの監督だが、今まではコメディ的な映画が多かった。「ヘイトフル・エイト」でアカデミー助演女優賞にノミネートされたジェニファー・ジェイソン・リーと結婚していたが2013年に離婚。「フランシス・ハ」の主演女優だったグレタ・ガーウィグと交際して子どももいるという。(ガーウィグは今や「レディバード」や「ストーリー・オブ・マイライフ/私の若草物語」で大注目監督になっている。)
(幸せな時期もあった)
 ほぼチャーリーニコールのふたり出ずっぱりで、子どものヘンリーと家族を別にすれば離婚弁護士ぐらしか出て来ない。しかし、ニコール側の弁護士役のローラ・ダーンは鮮烈な印象を与えてアカデミー賞助演女優賞を獲得した。主演の二人も共にアカデミー賞主演賞にノミネートされていたが、残念ながら受賞できなかった。アダム・ドライヴァーは前年の「ブラック・クランズマン」で助演賞にノミネートされているが、スカーレット・ヨハンソンは意外なことに初のノミネートだった。(「ロスト・イン・トラストレーション」や「真珠の首飾りの女」でゴールデングローブ賞にノミネートされたけど。今年は「ジョジョ・ラビット」で助演賞にもノミネートされていた。)
(左=ローラ・ダーン)
 夫のチャーリーはニューヨークの前衛劇団の演出家で、専門家筋の評価は高い。妻のニコールはちょっと知られた映画女優だったが、ロスで夫と知り合い結婚。夫の劇で主演してきたが、ニューヨークでは知名度が低下してしまった。夫はブロードウェイを目指しているが、妻は実家のあるロスが恋しい。テレビドラマのオファーを受けて、子どもを連れてロスへ戻った。二人の間にはしばらく前から離婚話が出ている。それが冒頭の状況で、二人は穏やかに別れることを望んでいる。そんな二人が穏やかに別れられずに、弁護士を立てて争うようになる。カリフォルニアでは弁護士なしでは不利になってしまうのだ。前半の展開は「裁判依存症」的なアメリカ社会への批判色が強い。

 しかし、段々と二人のすれ違いの様々が見えてくる。ロスに愛着のあるニコール。ロスの学校に慣れてゆくヘンリー。一方、ニューヨークにある劇団の責任者であるチャーリー。彼は「天才奨学金」を受けることにもなる。(すごい名前だけど。)弁護士はそれもニコールの貢献あってのことで分割を主張できるという。ロスの法廷では妻側の弁護士料も一部夫側が負担させられる場合があるらしい。すさまじい争いになってゆき、こんなことをしていてもしょうがないとニコールはチャーリーを訪ねる。ところがそこで二人のすれ違いが爆発して、壮絶な言い争いになってしまう。このシーンの演技合戦はすさまじい。

 ニューヨークとロサンゼルスは遠い。ロスに戻った妻子に会いに、チャーリーはたびたびニューヨークから飛んでくる。東海岸と西海岸の遠さ、風土の違いなどの大きな見どころだが、結局離婚することになる。ラストでニューヨークのバーで劇団員の前で歌うチャーリー。苦さを込めて描く「離婚物語」だが、どうして二人はすれ違っていったのだろう。それは二人が才能があったからだ。ニコールも夫の書く芝居で演技するだけでは物足りない。才能豊かな二人だからこその問題ではあった。どの家庭でも起こりうる側面も持ちつつ、特殊なケースでもあったなあと思う。とにかく素晴らしい、というかすさまじい演技に目を奪われる作品だ。
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武漢で何が起こったのかー新型コロナウイルス問題

2020年02月09日 23時04分14秒 |  〃  (国際問題)
 中国の武漢を中心にした新型コロナウイルスの大流行、死者の増加が収まっていない。2月9日現在のNHKニュースによれば、中国での死者が811人となり、SARSを上回ったという。2003年に起きた重症急性呼吸器症候群(Severe acute respiratory syndrome)では、全世界で774人が死亡したとされている。感染者は8096人で、致死率9.6%とされる。新型コロナウイルスの中国での感染者数は3万7198人とされているので、この数字を元にすると致死率2.2%程度となる。

 しかし、不思議なことに、日本を含む外国での感染者はもとより、中国でも武漢を除く感染者はあまり重症事例が見られない。SARSでは世界37国で死者が出たというが、新型コロナウイルスでは9日現在、香港とフィリピンで一人ずつ死者が出ただけである。(武漢在住の日本人に死者が出ているが、これは武漢での感染ケースである。)中国以外での感染者は、クルーズ船でのケースを含めて27ヶ国、364人だという。6日時点だが、中国でも致死率は武漢と他地域で大きな違いがある。武漢市では致死率が4%に上るのに、湖北省全体では2.8%、中国全体では2.0%になる。というか湖北省以外での死者は、中国でも2名に止まっている。

 このように、ほとんど「武漢症候群」というのに近い状態になっている。もっとも新型なので検出作業が手間が掛かり、武漢関連以外はそもそも検査していない。軽症のまま流行している可能性も絶無ではないが、しかし世の中には風邪症状を起こすウイルスはたくさんある。風邪っぽい人は多分ライノウイルスか、通常のコロナウイルスか、インフルエンザウイルスの感染なんだろう。ライノウイルスなんて言われても聞いたことがないが、これが普通の風邪症状の大部分を引き起こす原因だという。他にコロナウイルスとインフルエンザウイルスがそれぞれ15%ぐらい。

 だから武漢以外の風邪症状は、ほぼ新型コロナウイルス以外で起きる。当然新型発生をを知らなければ、武漢市民も風邪だなと思っただろう。学校は地域の子どもを全員通わせる前提で施設を作る。しかし病院は地域の住民が全員受診することは想定していない。全員じゃないだろうが、武漢では医療施設のキャパシティを越えて患者が出ているんだろうと思われる。病院は重傷者だけしか診療せず、家庭療養しているうちに軽症者も重症化してしまう。そういう負のスパイラルが起きているんだと考えられる。つまり武漢市には感染者の暗数が存在する。真の致死率はもっと低い。今のところそのように考えるのが最も合理的なんじゃないかと判断している。
(大阪道頓堀の「がんばれ武漢」の旗)
 武漢市は人口1千万、周辺を合わせた武漢都市圏では3千万というメガシティである。そのことを考えるとインフルエンザが大流行したと仮定した場合と比べ、あまり恐怖に囚われるのは恐れすぎだと思う。これからは「武漢支援」の必要が大きいと思う。長江中流域の交通の中心で、長江最大の支流漢江と合流する地域である。元々「武昌」「漢陽」「漢口」の3都市に分かれていて、合わせて「武漢三鎮」と呼ばれた。日中戦争期には、南京陥落後、重慶に移るまで一年ほど中華民国の首都が置かれたことがある。日本軍は1938年に「武漢作戦」を起こして武漢を占領した。

 今回のウイルスに関して「生物兵器」だといった噂を流す人がいる。常識で考えれば、あり得ない話だ。この程度の致死率のウイルスを開発しても武器には使えない。生物兵器は、自分たちはウイルスワクチンを開発しておいて、相手に即効的な打撃を与えるものでなければ意味を持たない。風邪のウイルスなんか、動物に新しいウイルスが幾つもあって人間が開発するまでもない。いずれワクチンが出来るので、兵器としての価値が低い。第一次世界大戦中のスペイン風邪のように、一度流行が始まれば止めることは難しい。自陣営の方に大きな影響を及ぼしかねないから、風邪症状系の生物兵器を開発する国なんかないだろう。

 しかし武漢でこれほど大流行したのは「何か」があると思われる。それが当初の対策ミスなのか、もっと深刻な問題(ウイルス研究中の事故等)があるのかは現時点では判らない。ただ中国では当初3月5日から全国人民代表者会議が開催される予定だった。この日程は延期されるかもしれない。全人代はタテマエ上中国の最高決定機関である。武漢市でも、湖北省でも、それぞれ代議員選出を行う日程と今回の流行が被っている。当局が当初「デマ」扱いしたのは、政治日程を優先していたからだろう。12月に速やかな対応を取っていれば、ここまでの感染は防げたのではないか。

 その意味で今回の新型コロナウイルス流行は「人災」の側面を否定できない。もっと言えば、中国の一党独裁言論・表現の自由のない社会がもたらしたとも言える。新型ウイルスは世界の経済に大きな損失を与えている。中国も世界経済において、SARS時代に比べてはるかに大きな存在感を持っている。何でこのような流行を防げなかったのか。中国の多くの人が真剣に自問するとき、このままの一党独裁、特に習近平絶対体制で良いのかに突き当たるのではないか。そこまで先を考えて起きたい。
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2019年キネマ旬報ベストテン・外国映画編

2020年02月08日 20時55分50秒 |  〃  (新作外国映画)
 日本映画編に続いて、キネマ旬報外国映画ベストテンを紹介。

ジョーカー(トッド・フィリップス監督、米)
ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド(クエンティン・タランティーノ監督、米)
アイリッシュマン(マーティン・スコセッシ監督、米)
運び屋(クリント・イーストウッド監督、米)
グリーンブック(ピーター・ファレリー監督、米)
家族を想うとき(ケン・ローチ監督、英)
COLD WAR あの歌、2つの心(パヴェウ・パヴリコフスキ監督、ポーランド)
ROMA/ローマ(アルフォンソ・キュアロン監督、メキシコ)
象は静かに座っている(フー・ボー監督、中国)
バーニング 劇場版(イ・チャンドン監督、韓国)

 次点以下は、⑪ニューヨーク公共図書館 エクス・リブリス ⑫帰れない二人 ⑬ブラック・クランズマン ⑭サタンタンゴ ⑮荒野の誓い ⑯ハウス・ジャック・ビルト ⑰マリッジ・ストーリー ⑱女王陛下のお気に入り ⑲存在のない子供たち ⑳ボーダー 二つの世界

 比較として映画雑誌「スクリーン」のベストテンも紹介。
ジョーカー ②グリーンブック ③ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド ④アイリッシュマン ⑤女王陛下のお気に入り ⑥ROMA/ローマ ⑦運び屋 ⑧ブラック・クランズマン ⑨家族を想うとき ⑨COLD WAR あの歌、2つの心 

 毎日映画コンクール報知映画賞の外国映画賞も「ジョーカー」。まだ発表前のブルーリボン賞や日本アカデミー賞は別にして、日刊スポーツ映画大賞や日本映画ペンクラブ賞が「グリーンブック」だった以外はほぼ「ジョーカー」の圧勝だったと言っていいだろう。
(「ジョーカー」)
 今年は割と順当な結果だと言える。好き嫌いはあるとしても、批評家が投票で選ぶなら「ジョーカー」が1位だろうというのはほとんど誰にでも予測できる。そのぐらい、完成度も面白さも社会性も突き抜けている。ただし「入れたくない」人がいることも想像できる。それは判らないではないが、やはり作品の力は「グリーンブック」や「アイリッシュマン」より上だと見るのが順当な評価。「パラサイト 半地下の家族」が2019年公開だったら、また違ったかもしれない。

 キネ旬もスクリーンも大体同じ作品が選ばれている。だから割と順当な年だったことになるが、微妙に違ってもいる。「女王陛下のお気に入り」がキネ旬18位というのは、低すぎると思う。300年前のイギリス王家に仕える女同士の争いという内容が、遠い世界を扱うようでいてヨルゴス・ランティモス監督の才気が爆発したような映画である。一方、僕は「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド」や「ROMA/ローマ」は過大評価じゃないかと思う。まあタランティーノやキュアロンの作品はいつも同じように思うんだけど。でもまあベストテンに入るのは納得できる。

 ところで僕のベストワンは、ポーランド映画、冷戦下に引き裂かれた恋人たちを描く「COLD WAR あの歌、2つの心」である。短い映画だが圧倒的な情感にあふれている。隅々まで練り込まれたモノクロ映像の美しさも絶品。僕は2回見ているが、2度目の方がよく理解出来た。「ROMA/ローマ」のモノクロ映像が美しいという声が多かったが、僕は「COLD WAR あの歌、2つの心」の映像美の方が心に沁みた。続いて、キネ旬20位以下だがイタリア映画「ドッグマン」(マッテオ・ガローネ監督)やドイツ冷戦時代を描く「僕たちは希望という名の列車に乗った」(ラース・クラウメ監督)を入れたいのである。
(COLD WAR あの歌、2つの心)
 近年のベストテンは批評家の票がばらける。キネ旬では71人が投票しているが、「ジョーカー」には37人しか入れてない。10点(1位)にしたのは、そのうち5人である。ところが「ROMA/ローマ」と「バーニング 劇場版」も同じく5人が1位にしている。この3作が強い吸引力を持っていたのかもしれない。

 今年は最近になく、キネ旬もスクリーンもベストテン入選作品は全部見ていたし、ブログにも書いていた。そういう年は珍しい。見逃しがあるもんだけど。11位になっている「ニューヨーク公共図書館」は見てない。アメリカの有名なドキュメンタリー映画監督フレデリック・ワイズマンの作品だが、ワイズマン映画は長すぎて見たことがない。時々どこかで特集上映があり、見に行こうと思うんだけど、3時間も4時間もかかるので敬遠してしまうのである。すごく面白いという評判なんだけど。
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2019年キネマ旬報ベストテン・日本映画編

2020年02月07日 20時25分54秒 | 映画 (新作日本映画)
 2019年キネマ旬報ベストテンが発表された。2年前までは新年になって10日ぐらい経つと、キネ旬ベストテンがマスコミに報道されたものだ。しかし、昨年から発表しなくなり、2月5日のベストテン発表号発売の前日になって、ようやく日本と外国のベストワン映画と個人賞受賞者だけを発表するようになった。キネ旬の経営方針なんだから、別にそれでもいいんだけど、長らくキネ旬ベストテンが一種の基準のようになってきたから残念な気はする。発売されたら構わないだろうから、ここで紹介と寸評。

 別にベストテンにそんなにこだわっているわけじゃない。人によって好みも分かれるし、評価が変わるのは当然だ。しかし一応人間というものは「社会の評価」に全く無関心でもいられない。年末年始になると、映画・演劇・文学などの賞が発表になる。アメリカのアカデミー賞ノミネートも発表されて、大々的な宣伝とともに公開される季節になる。どうも少し気になっちゃうのである。僕にとって、12月上旬の「このミステリーがすごい!」発売に始まり、2月のアカデミー賞発表頃までが大体そういう季節だ。

 さて早速日本映画のベストテンを紹介すると…。(自分で記事を書いた作品はリンクを貼った。)
火口のふたり(荒井晴彦監督)
半世界(阪本順治監督)
宮本から君へ(真利子哲也監督)
よこがお(深田晃司監督)
蜜蜂と遠雷(石川慶監督)
さよならくちびる(塩田明彦監督)
ひとよ(白石和彌監督)
⑧愛がなんだ(今泉力哉監督)
⑨嵐電(鈴木卓爾監督)
旅のおわり世界の始まり(黒沢清監督)

 次点以下は、⑪新聞記者 ⑫岬の兄妹 ⑬長いお別れ ⑭楽園 ⑮町田くんの世界 ⑯タロウのバカ ⑰凪待ち ⑱カツベン! ⑲月夜釜合戦 ⑳多十郎殉愛記 (20位まで)

 ちなみに、「閉鎖病棟」は24位、「天気の子」は25位、「翔んで埼玉」は35位、「決算!忠臣蔵」は45位、「台風家族」は51位、「ダンスウィズミー」は60位、「キングダム」は83位、「人間失格 太宰治と3人の女たち」は94位、といった具合。131本が1点以上を獲得している。

 ここで他の映画賞を見てみると、毎日映画コンクールは日本映画大賞が「蜜蜂と遠雷」、優秀賞が「新聞記者」だった。作品賞候補作は他に「火口のふたり」、「ひとよ」、「宮本から君へ」である。日本アカデミー賞は3月6日発表だが、作品賞候補作は「蜜蜂と遠雷」、「新聞記者」、「キングダム」、「翔んで埼玉」、「閉鎖病棟」である。日本アカデミー賞は業界大手のための賞だとみんな判っていると思うが、このノミネートはちょっとひどいんじゃないか。

 日本アカデミー賞は個人賞部門でも疑問が多い。特に主演男優賞の候補が中井貴一菅田将暉松坂桃李GACKT笑福亭鶴瓶なのである。毎日映画コンクールの主演男優賞候補は、池松壮亮稲垣吾郎柄本佑香取慎吾成田凌(受賞)で一人も共通していない。「新聞記者」を入れてるから「配慮」したつもりなのか。しかし「宮本から君へ」の池松壮亮が候補にも入らない男優賞は無意味としか思えない。元SMAPの二人も有力な主演男優賞候補だと思うが「忖度」で外れてるのか。
(池松壮亮)
 キネ旬に戻って、僕はベストテン選出作品では「嵐電」だけ見逃している。見るチャンスは(株主優待で)あったのに、つい見逃したのは残念。「愛はなんだ」は見たけれど書かなかった。ちょっと前の富永昌敬監督「南瓜とマヨネーズ」も同様だが、見ていて歯がゆい。『「愛はなんだ」はなんだ』とでも言いたくなる展開に、面白いけど書きようがない感じ。ミニシアターから始まり拡大公開された面白さは評価出来るけど、正直「岸井ゆきの」と「江口のりこ」で揺れるのもなあ。岩井俊二「ラストレター」では姉が広瀬すずで、妹が森七菜なんだって!ま、それは幻想世界で現実じゃないだろうが。

 成田凌は「カツベン!」で毎日映コン主演男優賞を取ったけれど、この周防正行作品は残念ながら期待したほど面白くなかった。シナリオに問題があった。それより「さよならくちびる」の成田凌は良かった。門脇麦と小松菜奈もいいけど、やはり成田凌がいてこその映画だ。小品だと思うが、僕は気に入って記事を書いた。ベストテン6位になるとまでは全然思わなかったけど。僕が10位内に入ってもいいと思うのは「楽園」と「岬の兄妹」である。

 1位になった「火口のふたり」は2019年の一番とまでは思わなかったが、見た時に完成度の高さや映像美に感心した。そんな映画があったのかと思う人もいるだろうが、まあベストワンでもいいかなと思う。キネ旬では瀧内公美が主演女優賞を取った。しかし、「火口のふたり」や「半世界」はラストの展開に納得できない部分もあった。その意味では最後まで力で押し切った「宮本から君へ」は、助成金取り消しというバカげた問題もあったから応援したい気もある。「よこがお」も誰も描いていない問題を提出していた。それは「ひとよ」「楽園」も同様。「蜜蜂と遠雷」も悪くはないけど、これは恩田陸の原作の面白さが三分の一ぐらいになってるから、2019年のベストワンにはしたくない。ま、そんな感じ。
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藤田宜永、奈良原一高、梓みちよ、高木守道等-2020年1月の訃報

2020年02月06日 23時03分25秒 | 追悼
 訃報を聞いて思うことは僕の知らない世界が多いなあということだ。宍戸錠の訃報を書いたが、その時点では死亡日時がはっきりしていなかった。1月18日死亡と判明した。

 作家の藤田宜永(ふじた・よしなが)が1月30日没、69歳。肺がん。2001年に「愛の領分」で直木賞を受賞した。妻の小池真理子も直木賞を受賞している。恋愛小説の名手なんて書いた記事もあったが、ミステリーや冒険小説には直木賞が厳しいだけだろう。日本推理作家協会賞を受賞した大冒険小説「鋼鉄の騎士」が最高傑作だと思う。若い頃に在住したパリの雰囲気が濃厚に漂うノワール小説が僕は大好きだった。「探偵・竹花『加齢』なる挑戦」を2015年に書いている。
(藤田宜永)
 写真家の奈良原一高(ならはら・いっこう)が19日死去、88歳。写真家の世界もあまりよく知らないが、名前ぐらいは知っていた。この前見た「窓」展に「王国」(1971)から出展されていて、刺激的だった。修道院や女子刑務所を撮影したものである。軍艦島や桜島を撮影した「人間の土地」(1956)で衝撃を与えた。その後スペインやヴェネツィアなどヨーロッパの写真を多く手掛けた。
 (人間の土地)(王国)
 歌手の梓みちよ(あずさ・みちよ)の訃報が2月に入って伝えられた。1月29日に自宅で倒れていたところを発見されたという。76歳。福岡の高校を中退して宝塚音楽学校へ入学し、在学中にナベプロのオーディションに合格したんだという。1963年に「こんにちは赤ちゃん」が超大ヒット。幼き記憶でも皆が知っていた歌だが、20歳だったので長く重荷に感じることになる。低迷期をはさんで、1974年に「二人でお酒を」がヒットして「大人の歌手」として戻ってきた。その頃は僕もテレビで歌番組をよく見ていて、非常によく覚えている。他に「メランコリー」など。何だか寂しい感じがするなあ。
 (梓みちよ)
 元プロ野球選手の高木守道が17日死去、78歳。中日ドラゴンズで活躍、中日監督も2回にわたって務めた。僕は中日ファンじゃなかったから、あまり覚えていることはないんだけど、もちろん名前は知っている。ベストナインに7回選出され、オールタイムでベスト二塁手と言われることもあるという。僕の子どもの頃は巨人9連覇の時代で、10連覇を阻んだ1974年に活躍した。監督としては有名な1994年の「10・8決戦」で敗れた人である。巨人、中日が同率首位で最終戦を迎えて、最後の130試合目に勝った方が優勝というドラマである。結果は6対3で巨人の勝利。通算安打2274本で歴代16位。
(高木守道)
 元女優の青山京子が死去。1月12日、84歳。1967年に小林旭と結婚して引退した。朝日は「小林みどり」と本名で訃報を報じていた。しかし、三島由紀夫原作の「潮騒」の第一回目の映画化でヒロイン役の初江を演じた人である。後に吉永小百合や山口百恵、堀ちえみなどが演じた役なんだから、女優として記憶されるべきだろう。女優の原知佐子の訃報もあった。1月19日、84歳。こちらは映画監督実相寺昭雄の夫人。テレビで「赤い疑惑」などのシリーズで知られた。50年代末から最近まで映画に出演しているが助演なので覚えてないのも多い。「黒い画集 あるサラリーマンの証言」で小林桂樹の不倫相手役だった。この映画はいかにも松本清張らしいイヤな映画だった。
(青山京子)(原知佐子)
 評論家の坪内祐三が死去。1月13日、61歳。年齢からしてビックリした。文芸を中心に多くのジャンルを越境したエッセイやコラムを書いた。僕は「靖国」を読んだが、全然評価できなかった。
(坪内祐三)
 外国では、アメリカの元バスケットボール選手のコービー・ブライアントがヘリコプターの事故で26日に死去、41歳。NBAの大スターだったと言うんだけど、僕はよく知らない。「コービー」という名前は神戸に由来するんだとか。1996年から2016年までレーカーズで20シーズン活躍した。

 ロッテ創業者の重光武雄が1月19日に死去、98歳。本名は辛格浩。1944年に早稲田実業を卒業し、1948年にロッテを創立した。朝鮮出身者として大製菓会社を成功させたんだから大した実業家だが、1965年の日韓国交樹立後は韓国でロッテ財閥を作り上げた。しかし、晩年には経営権をめぐって長男と次男が骨肉の争いを繰り広げる一方、自らも秘密資金疑惑で横領や脱税で韓国で起訴された。有罪になったが高齢のため収監されず、ソウルの病院で死去。
(重光武雄)

上原正三、2日死去、82歳。シナリオライター。円谷プロで「ウルトラセブン」などを担当。沖縄出身で差別などを取り込む作風で知られた。著書に「キジムナーkids]がある。
大野慶人(よしと)、8日死去、81歳。舞踏家。父は大野一雄。土方巽の「暗黒舞踏」でデビューし、世界で活躍。
田村さと子、19日死去、72歳。詩人・翻訳家。ラテンアメリカ文学を多く翻訳した。
無量塔蔵六(むらた・ぞうろく)、31日死去、92歳。ヴァイオリン製作者。西ドイツでマイスターの資格を取得、1979年に日本で学校を設立。非常に高く評価されたヴァイオリン製作者で、昔は一般的にもかなり知られていたと思う。岩波新書に「ヴァイオリン」がある。
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東京高検検事長の定年延長は違法である

2020年02月04日 22時55分49秒 | 政治
 東京高等検察庁黒川弘務検事長定年延長というニュースが流れたのは1月31日のことだった。その時点では、また不可解な人事を安倍内閣が行ったなとは思ったものの、詳しい事情も知らないからへえと思っただけだった。その後ネット上で「違法だ」との指摘が相次ぎ、国会で野党側が質問する事態にもなった。そこで自分でも調べてみたのだが、その結果「違法行為」だと思うに至った。
(黒川弘務東京高検検事長)
 そもそも内閣は人事に関して広範囲な裁量権を持っていると考えられる。だからかつて安倍内閣が行った「内閣法制局長官に小松一郎駐フランス大使を任命した」事例や「(弁護士出身最高裁判事の後任に)日弁連の推薦を無視して最高裁裁判官に山口厚氏を任命した」事例は、慣例に反する不適当な人事には違いないが「違法」とは言い切れないだろう。しかし今回は違うのである。

 検察庁は行政官庁の一つではあるが、法曹三者(裁判官、弁護士、検察官)の一つであって、一定の独立性が保証されている。検事総長、最高検次長検事、各高検検事長は内閣が任命、天皇が認証する。一応は法務省の管轄になるが、法務大臣が直接に検事に指示することは出来ない。法務大臣による「指揮権」という規定は存在するが、それは検事総長を通して行うのである。だから政権にとって検事総長に誰がなるかは非常に重大な意味を持っている。

 一般に公務員になるには、もちろん人事院が実施する公務員試験を受けることになる。(外務省が実施する外交官試験などの例外もある。)しかし検察官になるには、はるかに難関とされる司法試験に合格し、司法修習を終了しなければならない。そういう非常に高い専門性を求められることから、検察官の人事に関しては一般の「国家公務員法」ではなく、「検察庁法」で規定している。そして検察庁法第22条には「検事総長は、年齢が六十五年に達した時に、その他の検察官は年齢が六十三年に達した時に退官する」と明記されている。

 それに対し、森雅子法相は「業務遂行上の必要」を理由にして「国家公務員法」の「定年延長」の規定を適用したとしている。じゃあ、国家公務員法には何と書いてあるか。そもそも国家公務員の定年は60歳である。今後順次延長されてゆくが、現時点では60歳。確かに、国家公務員法第81条の3には「職務の特殊性又は職員の職務の遂行上の特別の事情」の場合、定年を延長できるとある。

 では「余人を持って代えがたい」公務員だったら、延長に次ぐ延長を繰り返して70歳でも80歳でも勤務出来るんだろうか。それは出来ないのである。公務員の定年は「一年を超えない範囲内」で延長でき、期限が来たら再び同様に延長できる。「ただし、その期限は、その職員に係る定年退職日の翌日から起算して三年を超えることができない」のである。(国家公務員法第81条の2)つまり、63歳までしか定年延長が出来ないのだ。

 国家公務員法の定年延長とは、要するに60歳までしか勤務出来ない特別な能力のある一般公務員を63歳まで働けるようにする規定なのである。しかし、検察官はもともと63歳定年である。検察官に関しては、高い専門的能力を必要とすることから、全員が特例で定年を延長されているのと同じである。検察庁法には検事の定年延長特例は規定されていない。だから検察官は検事総長以外には63歳を超えて在任することが出来ない。そう理解するのが法の正しい解釈だろう。

 このような特例的な定年制度は他にもある。調べてみると、病院の医師、宮内庁次長、金融庁長官、科学警察研究所長官,国立がんセンター総長等は65歳、守衛、用務員は63歳、事務次官・警視総監等は62歳…といった具合である。国家公務員にもいろんな職があるもんだと思った。しかし、国家公務員の定年は原則として60歳である。一度定年退職した後に「再任用」という制度もあるが、それも65歳まで。しかし、そういう制度は一般的な公務員の話である。

 ところで黒川氏の定年を安倍内閣が何故延長したのか。それは現職の稲田伸夫検事総長が慣例通り2年で勇退するなら8月に退官となる。黒川氏は2月7日に定年を迎える予定だったが、今回半年延長されたので、ギリギリで検事総長に昇格できる。今の稲田検事総長の前職は、法務事務次官→東京高検検事長→検事総長である。実は黒川氏も法務事務次官経験者で、今東京高検検事長。検察官の世界では事実上の№2である。検事総長には最高検次長検事が昇格するのではない。1950年代末から、3人の例外を除き25人が東京高検検事長から検事総長となっている。

 その意味では検察官の世界では、慣例通りの昇格になるのかもしれない。だが、その「慣例」のために法の趣旨をまげてはならない。森法相は「ゴーン事件」対応だと言いたいらしいが、ゴーン元日産会長が批判する「日本の司法制度は不正だ」というのをまさに裏付けるような人事ではないか。「その通り日本の司法は法を逸脱するんだ」と世界に示してどうするんだろう。

 それに安倍首相は「桜を見る会」問題で背任罪で告発されている。安倍内閣で定年を延長して貰った検事総長が対処出来るんだろうか。それにこのままでは黒川氏自身が「検察庁法違反」で告発されるだろう。森雅子法相も「特別公務員職権濫用罪」に当たるのではないかと思われる。そのぐらい重大な出来事なんじゃないかと考える。
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映画「凪待ち」と「台風家族」

2020年02月03日 20時54分51秒 | 映画 (新作日本映画)
 キネカ大森で日本映画2本立て。「凪待ち」(なぎまち)は香取慎吾、「台風家族」は草彅剛の本格主演映画で見応えがあった。昨年に『「まく子」と「半世界」』を書いて、草彅助演「まく子」と稲垣吾郎主演「半世界」に触れた。ジャニーズ事務所退所組も健闘してるんだけど、特に「台風家族」は後で書くような事情で公開に制限があった。「凪待ち」も白石和彌監督が多作すぎて、「麻雀放浪記2020」と「ひとよ」の話題作に間に埋もれてしまったか。元SMAPファンは健在だから、DVDで資金回収が見込めるかもしれない。しかし、どっちも現代日本を描いて出色の出来で、劇場で見る価値がある。

 白石和彌監督「凪待ち」はチラシを見るとミステリーかと思うが、震災被災地を舞台にダメ男をじっくり描く人間ドラマ。香取慎吾が競輪を止められない郁男を本気で演じている。ギャンブル依存症は怖い。毎日映画コンクールの主演男優賞候補になった。籍を入れてはいないが同棲している亜弓が西田尚美、その父親が吉澤健で、なんと毎日映コン助演男優賞を獲得した。70年代の若松プロから見ている者として感慨深い。亜弓の娘美波恒松祐理

 被災地石巻を舞台に、じっくり家族の悩みを描きこむと見せておいて、途中で転調する。二度と取り戻せない過去につぶされるように、再び競輪の「ノミヤ」にのめり込む郁男。どこまでもダメになるのか。印刷所や漁業、港の市場など、労働現場もきちんと描かれる。娘は川崎で不登校になり、石巻に帰って定時制高校に行くことになる。そういう生活事情が細かく描かれてリアリティを出す。競輪がないはずの宮城にもノミヤがいて、どこにも暴力団がいる。まさに「後悔先に立たず」だなあ。

 「台風家族」は市井昌秀の脚本、監督作品。原作小説があるが、それも監督夫婦共作だという。「パラサイト 半地下の家族」やジェフリー・ディーヴァーのミステリーほどではないけど、驚くべき展開の数々にビックリする。ただし、それは現代日本のありようを反映して、せこい話ばかり。冒頭で「2000万円銀行強盗」が出てくる。事件を起こしたのは老夫婦で、そのまま行方不明になったらしい。それから10年。時効になったのを機に、子どもたちは両親の失踪宣告を行い、葬式を挙行する。

 長男が草彅剛、その妻が尾野真千子、長女が MEGUMI、三男が 中村倫也、父が藤竜也と豪華キャストだが、公式HPから消されてしまった次男を新井浩文が演じている。そして新井浩文の逮捕・起訴によって公開延期となってしまった。秋になって期間限定で公開されたが、見てない人が多いだろう。市井監督は,元「髭男爵」メンバーで,その後ENBUゼミナールで映画を学ぶという興味深い経歴。星野源主演「箱入り息子の恋」で商業映画デビュー、その後「ハルチカ」を監督している。

 子どもが4人いるはずなのに、葬儀に3人しかいない。そして葬儀後に遺産の話となる。かつて葬儀社だった家で、土地はあるからそれは売れると踏む。その分割争いになったときに、期せずして訪れる人が続々と。そして意外な展開に呆然とするうちに、台風さなかのキャンプ場で何が起きるか。最後になると、ちょっと筋が無理やりになってくると思う。???という箇所もあるが、まあ面白いからいいか。「凪待ち」の白石監督の「ひとよ」は母が殺人事件を起こした子どもたちの話だった。一方、「台風家族」は親が強盗事件だがコメディタッチである。それにしてもこっちもダメ男がいっぱい。そこが興味深い。
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