尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

「過積載」の教育現場ー「教員不足」問題③

2023年05月30日 22時25分00秒 |  〃 (教育行政)
 氏岡真弓『先生が足りない』という本を読んで「教員不足」問題を考えたが、事態は非常に重大な局面にあると思う。下に教員採用試験の倍率を示すが、大きな傾向として小中高すべて激減している。もっとも「倍率」は採用予定数に左右されるので、必ずしも人気具合を示すわけではないけれど、「先生」という仕事はもはや児童、生徒の憧れではなくなったのか。

 それにしても、基本的には教育学部などで養成される「小学校教員」の倍率がこれほど下がっているのは、象徴的だ。中高は一般的な学部で学びつつ、「教職課程」を履修することで免許を取得出来る。だから「念のために取った」というペーパー・ティーチャーが相当数いる。また芸術系科目、高校の情報科などは免許がない人でも適任者を見つけられるだろう。(「臨時免許」で対応可能。)しかし、小学校免許を「念のために」取っていたなんていないだろう。

 しかし、この倍率低下も無理からぬ話だと思う。現時点で民間の求人は(業種にもよるが)好調を伝えられる。公立学校は公務員なんだから、給与が民間を上回ることはない。公務員の安定性を求めるなら、一般的な地方公務員の方が良いだろう。教師の勤務条件はどんどん悪化していき、今では解決の方向性が見えない。中高は「部活動」があって、土日も試合や練習が入ることがある。しかし、小学校はそこまでのことはないはずだ。「部活動の地域移管」は重要な問題だと思うが、ここで見ている小学校にすぐ影響しない。では何が問題なのだろうか。
(働くうえで知っておきたい知識)
 ここで逆に「就活生」の側から見てみよう。上記データは2015年段階の茨城県調査だが、「働くうえで知っておきたい知識」としては、賃金や社会保険制度以上に、労働時間休日が圧倒的に多い。これは大体いまの若い世代の実情とと合っていると思う。しかし、実は土曜も授業がある学校が多いのである。公務員も「週休二日」ではないのか。その通りで、21世紀には「学校5日制」になった。だが、私立学校は土曜授業が多く、いつの間にか公立学校にも広がっているのである。

 2023年4月1日の朝日新聞(都内版)に「公立小の土曜授業 じわり復活」という記事が掲載された。都内23区の半分ほどは、年10回程度の土曜授業を行っているという。中学や高校でも土曜授業が多くなっている。進学高校は大体そうだと思うし、地元の中学(母校)もやっている。各地方でもかなり行われているようだ。もちろん、ここで言っている「土曜授業」とは、運動会や授業参観のことではない。本当に「授業」なのである。今じゃサービス業は別にして週休2日じゃない民間企業があるだろうか。結婚式は昨今大体土曜に行われているから、友人の結婚式にも出られない。それどころか、家族の結婚式とぶつかり休暇を取るのである。
 
 もともと現行学習指導要領では、特に小学校のカリキュラムが過剰になっている。かつて新カリが公表されたときに、ここで「『亡国』の新学習指導要領ー『過積載』は事業者責任である」(2016.9.5)を書いた。現行カリでは、週当り29コマの授業が必要になっている。週5日、6時間授業を行うと、30コマである。しかし、週に2回5時間授業の日がないと困るのである。職員会議もう一つの会議(学年、校務分掌、総合学習や道徳を含む教科の打ち合わせ等)を開くためである。恐らく勤務時間を越えて会議をやってるか、土曜授業をやるしかない状況だろう。まさに「過積載」の教育現場なのである。

 英語道徳を教科化せよ、プログラミングも教えろ、ICT教育だ、タブレット端末だなどと増えていくけど、総合学習もなくならない。何も減らずに、ただ増えるだけでは、なり手がなくなるのも当然だ。このような勤務条件では若い人は教師を目指さない。事情があって一度辞めた元教員も、今度は英語とかICTなんて言われるんだから、とても20世紀にやっていた人は復帰する気になれない。現場が大変だから助けたいと思う元教員は多いと思うが、自分に勤まるだろうかと心配するだろう。

 ところで小学校の英語授業、2011年度から小学5、6年生で必修化された。もう12年も経っている。大学生は皆小学校から英語をやっているのである。最初はともかく、今の高校生、中学生は劇的に英語力がアップしていなければおかしいのではないか。10年経って、どこかで検証は行われているのだろうか。僕が知っているのは、中学3年、高校3年段階の英語力の目標(求めるのは、中3で英検3級合格同等が半数、高3で英検準2級合格同等が半数)は未だ達成されたことがない。(その目標が適当なものかも疑問だが。)巨額の費用を掛けてスピーキングテストなどをやってるわけだけど。小学校からやってどのような効果があるのか。僕には現場に過剰な負担を掛けて、逆効果も大きいと思うのだが。
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小泉内閣が生んだ教員不足ー『先生が足りない』を読む②(「教員不足」問題②)

2023年05月29日 22時44分49秒 |  〃 (教育行政)
 文科省が2021年に「教員不足」を調査した結果、全国の5.8%の学校で教員不足が起こっていた。これは5月1日現在の数である。小学校が一番多いが、中学、高校、特別支援いずれも不足が生じ、全部で2557人になっている。春休みから一生懸命探し続けて、まだ見つからなかったのだから、非常に深刻な問題だ。公立学校は税金で運営され、すべての国民に適切な教育環境を提供する義務があるはずだ。それが授業時間に管理職の教員が来て自習プリントを配るだけ…。そういうことが1ヶ月も続くとなると、児童・生徒は「見捨てられた」と思うようになる。そのことが氏岡氏の本でよく判る。

 そこで原因は何かと文科省が各教委に示したアンケートを基にすると、前回書いたように「産育休の増加」「病休の増加」「特別支援学級の増加」がいわば三大要因として上がってくる。しかし、それだけなんだろうかと氏岡氏の本は論じている。そこで参考にされているのが、慶應義塾大学の佐久間亜紀教授と元小学校教員島崎直人さんが調べた研究である。そこでは「X県」の実態がつぶさに調査されている。なお、場所を特定しないことが調査に応じる条件だったということで、X県がどこかは不明だが日本のどこかには違いない。細かいデータは同書に譲り、結論だけを書くと「そもそも正教員が足りてなかった」のである。

 正規教員の数が学年当初で1200人も足りてなかったという。この「足りてない」というのは何かというと、クラス数に応じて学校ごとの本来いるべき教員数が決定される。つまり、学習指導要領で授業時間は決まっているから、クラス数が確定すると授業時間数が決まるわけである。そこで全国一律に各学校の教員数が決まっているわけで、正教員が足りないということは起こらないはずである。今も原則としてはそうなんだけど、実際は大分(良い意味でも、悪い意味でも)違っているのである。それをもたらしたのは、小泉内閣で進められた「規制緩和」と「三位一体改革」だった。
(三位一体改革のイメージ)
 「三位(さんみ)一体改革」というのは、①国から地方への補助負担金を4兆円削減する②地方交付税を抑制する(5.1兆円)③国から地方へ3兆円の税源を移譲するという3点を同時に実施するという改革だった。地方への移譲額と中央政府の削減額を比べて見れば、あまりにも地方へ厳しい「改革」だった。この時に「義務教育費国庫負担金」も削減されたのである。義務教育の水準が地方ごとにバラバラでは困るので、従来は小学校、中学校教員の人件費は国が半分を支出していた。それがこの「三位一体改革」の時に「3分の1」に減らされたのである。

 その代わりに、教員定数配置の規制緩和も進められた。そのため地方で独自の少人数教育を進めることも可能になった。都道府県ではなく、市区町村で教員を確保することも可能になった。しかし、その反対に正規教員の数を抑えて、その分で非正規教員を増やすことも可能になったのである。そうなると今後進む少子化を予測して、地方ではあっという間に正教員ではなく非正規教員を雇うようになった。公務員の定年年齢は今後65歳になっていくだろうから、正教員には40年近く給与を払い続けるのである。生徒数が3分の1ぐらい減るだろうという時に、確かにそれは抑制したいだろう。

 だから、このような「教員不足」を生んだのは明らかに国の責任である。次世代の育成は社会持続の鍵である。「教員不足」などということが起きないようにするためには、国がきちんと人件費を措置しなければならない。多くの人は「小泉改革」がこういうことを生み出すと予測していただろう。それがやっぱり実現してしまったというわけである。「郵政民営化」などに熱狂した人にきちんと考えて欲しいと思う。詳しいデータは是非氏岡氏著を参照して欲しい。
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「教員不足」問題①ー氏岡真弓『先生が足りない』を読む①

2023年05月28日 21時58分12秒 |  〃 (教育行政)
 「教員不足」という問題がよく聞かれるようになった。それはどういう問題なのか、原因は何なのかといったテーマで数回書きたいと思う。このテーマに関しては、最近朝日新聞編集委員の氏岡真弓氏の『先生が足りない』(岩波書店)という本が出版された。氏岡氏はこの問題を先駆的に取り上げてきたが、最初は全く反響がなかったという。最近は文科省が全国調査を行うほど重大な問題になってきたが、現場感覚と「真の原因」とは少し違っていると思われる。

 氏岡氏は4月5日付朝日新聞「教育の小径」というコラムに「新しい担任の先生がいない」という記事を書いている。「首都圏の小学6年生」が4月になって教室に行くと、そこにいたのは担任の先生ではなく教頭だった。「教頭」と書いてあるから、これは東京都ではないんだろう。担任になるはずの教員が産休に入ったが、その後の代替教員が見つからず、それまで教頭が担任を務めるとある。「3年前の春のことだった」という。そういうことが最近はあちこちで起こっているというのである。

 東京都では、今年度の公立小学校の場合、4月7日時点で「約80人」が欠員で、前年同期より30人増えているという。文科省調査では2021年度に全国で1218人の欠員があった。東京では公立中の欠員は数人、公立高・特別支援学校ではほとんどいないという。全国的にも同様なのかは不明だが、「先生が足りない」というのは、まず「小学校で起きている」のであり、さらに「非正規教員が充足出来ない」という問題なのである。だから、なかなか認識されにくかったのである。
(氏岡真弓氏)
 もっとも今は「非正規教員」の不足に止まっているが、それだけで済むかは判らない。現在小学校の一クラス35人定員が段階的に進められ、小学4年生まで進んでいる。ところが今年度になって、山口県、沖縄県が生徒数の上限を引き上げたというのである。沖縄では小1~2は30人、小3~中3は35人という独自措置を取ってきたが、教員採用試験受験者が減って少人数教育が難しいという。山口県では中学2、3年の生徒吸うの上限を35人から38人に引き上げる。教員採用試験の受験者減で教員確保が難しいからという。以上は東京新聞3月5日付記事によるものだが、このように各県独自に進めていた少人数教育が難しくなりつつある。

 それでは、このような「教員不足」はなぜ起こっているのだろうか。学校の労働条件から敬遠されているのか。そういう問題もあるだろうけど、現場的にはちょっと違った問題がある。まず、「団塊の世代」の大量退職である。ベビーブーマーは、自身の成長とともに経済も成長した世代で、20代を迎えた頃に大都市圏で学校増設が相次ぎ、第二次ベビーブーム世代が学校に行く80年代に掛けて、教員の大量採用が続いた。それらの世代が2010年前頃から60歳定年を続々と迎えたのである。

 だから2010年前後は比較的新規採用が多かったのである。小学校は半数以上が女性教員である。その頃採用された女性教員が30歳前後を迎えて、出産期を迎えているのである。そのため産休、育休の代替教員の需要が多くなったが、教員採用試験の倍率が落ちていて不足が生じる。今まではその年の採用試験に落ちて「教職浪人」している人が多く、そこから代替教員を見つけていたのだが、それが難しくなったのである。それに加えて、教員免許更新制の影響で中途退職者の復帰も難しくなった。

 この事情は了解出来るが、もう一つの指摘は僕は気付かなかった。それは「特別支援教育」である。特別支援教育の仕組みが整備され、発達障害などにも支援がなされるようになった。そのため小学校、中学校に特別支援学級が設置されるようになったのである。例えば本書の中にある例では、突然自閉症の生徒が転校してくることになって、特別支援学教が一つ増えたという。急には担当が見つからず、教務主任が一時兼任することになり、毎日午後11時退勤といった長時間労働を強いられた。この人は子ども2人を持つ女性教員である。

 ちょっと信じられないケースだが、それは兼務の大変さばかりではない。発達障害児のために、1人でも取り出し授業をしなければいけないのかということである。昔は発達障害という概念を誰も知らず、研修でも聞いたことがなかった。今思うと、明らかに発達障害の生徒が教室の中にいたが、そういうもんだとしか思わなかった。だから、「特別支援」するというのはとても良いことだと思うが、1人のために1クラス作るのは学校の負担が大きくなりすぎるのではないか。

 最近特別支援学級の話を時々聞いていたが、そういうことだったのかと初めて理解出来たように思う。この仕組みを維持するためには、もっと予算を増やして(教育予算とは別枠で)、担当者を養成していかないと学校がパンクするのではないか。同じ学校で学ぶこと、独自の支援を行うことは大変良いわけだが、従来の仕組みでは無理が重なる。さて、現場に教員不足の原因を問うと、この2つがまず出て来るというが、もちろん問題の根底はもっと深いものがある。それは次回に。
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足立区議選の結果、「自民党激減」をどう考えるか

2023年05月26日 23時19分49秒 |  〃  (選挙)
 2023年5月21日に、足立区長選足立区議選が行われた。全国的には4月に行われた統一地方選だが、何で足立区では5月なのか。一応簡単に解説しておくと、1996年の区長選で保守陣営が分裂し、旧足立区庁舎跡地問題も揉めていたため、共産党推薦候補(吉田万三)が当選したことがあった。少数与党のため区政運営に苦労が続き、1999年(統一地方選の年)に区議会による区長不信任案可決、議会解散、選挙後の議会での再度の不信任案可決と続き、以後の選挙は4年ごとに5月に行われるようになったのである。

 僕は一応毎回選挙には行くが、足立区議会選には今までは全国的な意味合いはほとんどなかった。前回は旧「NHK党」候補が居住要件を満たさずに、得票ゼロになったという件を書いた。しかし、全体的な結果については書いたことがない。しかし、今回は書いてみたいと思う。「4月の傾向の持続性」という意味で、検討する意味がある。およそ4つの問題点が考えられる。「維新の好調は続くか」「共産の退潮は見られるか」「公明の全員当選はなるか」、そして「女性候補が何人当選するか」である。

 足立区というのは、東京23区の東北部にあって埼玉県、千葉県に接している。よく「下町」と言われたりするが、最大の繁華街である北千住は、日光街道の最初の宿場町である。つまり、本来は江戸ではなく「郊外」なのである。高度成長以前は農業地帯で、その後住宅地になっていった。組織労働者がいる大工場は昔は少しあったが、今は移転してしまった。だから、社会党、民主党系の勢力はずっと弱小である。旧農地の地主は地域の有力者になり、地域代表として保守系大勢力になった。開発された住宅地は都内では地価が安いので、低所得層(および外国人)が多い。そのため組織政党である公明党、共産党が昔から強い。

 大体そんな政治風土なのだが、今回は全45議席のところに64人も立った。結果は自民党が17人から12人へ5人減、代わりに公明党13人全員当選で第一党になった。共産党は前回7人から6人へ1議席減、立憲民主党3議席で変わらず。日本維新の会は前回ゼロ(候補1人)から一挙に3人当選。国民民主党は1議席で変わらず。れいわ新選組参政党がそれぞれ1議席獲得。都民ファーストの会は1議席で変わらず。無所属は4人が当選した。(1人は都民ファースト推薦。)
(和田愛子前議員)
 ところで、以上の数は開票時のものである。その後、立憲民主党から当選した新人、和田愛子が偽ブランドを転売していたとして罰金判決を受けていたことが発覚し、議員を辞職した。選挙から3ヶ月以内に欠員が生じた場合、地方議会では次点が繰り上がる決まりになっている。次点は自民現職だったので、結局自民党、公明党が13人で同数になる見込み。女性候補は15人が当選した(が1人辞任で結局14人)。前回は11人だったから、やはり増えているのである。特に当選者45人中上位20位を見てみると、半数の10人が女性だった。やはり女性候補の優勢という傾向ははっきりしている。

 ところで、自民党前議員17人はなんと全員男性である。今回自民党は現職16人と新人3人の計19人(全員男)が立候補して、現職12人(繰り上げを入れて)と新人1人が当選した。つまり、現職4人が落選したわけで、和田議員辞職がなければ現職5人の落選だった。ちなみに、「LGBT差別発言」として全国的に問題になった白石正輝氏も40位で再選されている。前回と投票率はほぼ変わらず、その中で自民党は1万票を減らした。なお、今回調べるまで足立区議会の自民議員が全員男だとは知らなかった。とんでもない地域だなあと改めて実感した。
 
 前回票との差は東京新聞に掲載された記事から引用するが、それによると公明党は前回より3656票を減らしたが、うまく票割りして全員が当選した。練馬区議選では4人が次点以下に並び、全国で12人が落選して衝撃を与えた。公明党は固い支持票を上手に票割りして、落ちる選挙はしない。自民、立民が12人落選するのとは、持っている意味が違うのである。もともと足立区は公明党の地盤が強いけれど、今回は非常に力を入れていることは傍目でも判った。公明新聞の記事が画像で見つかったので示しておく。その意味では成功したわけだが、やはり票は減らしているのである。当選ラインは約3千票なので、実は1議席分の票を減らしていた。
(全員当選を目指す公明党)
 共産党は8人立候補して、6人当選。1議席減、票数では5774票減である。票割りが上手く行き、50位に滑り込んだが、それでも2人の現職が落選した。自民、公明、共産、立民で、約2万票の減である。それに対し、維新(1万3156票増)、れいわ(4501票)、参政(3654票)で、その他国民民主、都民ファースト、無所属などいろいろあるが、大体の票の動きは辻褄が合う。

 ここで判ることは、もともと「革新系浮動票」が少ない足立区で、維新や参政党が議席を獲得したのは「保守系浮動票」が流れているのである。先の国政補欠選で立憲民主党が不振だったことから、何か立民、共産の不調で維新が伸びたように思っている人も多いと思う。そういう地域もあるかもしれないけれど、保守票が強い地域では維新は自民票を浸蝕して勝つということだ。今回維新の女性候補は全体3位で当選した。れいわも女性。公明、共産も上位当選には女性候補が多い。候補に女性が一人もいないという自民党が減らすのも当然だ。この結果を見る限り、「野党は弱い」「維新が伸びても自民を助けてくれる存在」などと安易に思い込んで解散するのは、自民党にとっては危険かもしれない。次は大田区の都議補選に要注目である。
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『時間の比較社会学』、近代社会を対象化するー真木悠介著作集を読む①

2023年05月25日 22時50分35秒 | 〃 (さまざまな本)
 毎月見田宗介著作集を読んできて、全10巻を読み終わった。しかし、筆名真木悠介名の真木悠介著作集全4巻が残っている。もっともその中の『気流の鳴る音』は別に5回にわたって検討したので、もう書いている。そこで残された3冊を「真木悠介著作集を読む」というシリーズで読んでみたい。その最初が『時間の比較社会学』で、1981年11月に岩波書店から刊行された。その後、岩波書店の「同時代ライブラリー」「岩波現代文庫」に収録された。
(「時間の比較社会学」)
 僕は刊行直後に読んで、とても感銘を受けた思い出がある。ある意味、これこそ学問的代表作かなと思ってきた。しかし、今回読み直したところ非常に難解な本だったので驚いた。こんな難しい本を若い頃に読んで理解出来たのだろうか。しかし、当時僕は大学院生で、難しい文章を人生で一番読み慣れていた時期だった。また1980年に真木(見田宗介)さんの講座に参加して、著者本人を知っていたのも大きいだろう。講座修了後も集まりは続いて、81年の夏には八王子の大学セミナーハウスで合宿を行った。その時には竹内レッスンなどを行って大変に刺激的だった。そういう条件が重なって、理解力が今より高かったのかもしれない。

 この本は「時間意識」に関して、「原始共同体」(アメリカのホピ族やアフリカのヌアー族)、古代日本古代ヨーロッパヘレニズムヘブライズム)、近代社会(カルヴァンやプルーストなど)をていねいに検討して「比較」している。その結果として、近代人が自明のものと考えている時間意識が決して絶対的なものではないことを証明する。僕が当時驚いたのは、人類学、哲学、文学など諸学を総動員して論述していく驚くべき博識である。古代日本の分析など特に面白かった。

 しかし、よくよく考えてみれば、著者自身は直接フィールドワークしていない。誰かの研究の二次利用なのである。その構想力が大きいので気が付かないけれど、ここで使われている分析そのものが正しいのかは不明だ。それはまあいいんだけど、いろんな本の分析を総合するみたいな構成に今はあまり魅力を感じない。やはり直接その民族に密着して調べる方が面白くないか。もっとも古代日本に「密着」することは不可能だが、だから「歴史」として分析するしかない時代の方が面白い。
(ネタ本の一つ、エヴァンス=プリチャード『ヌアー』)
 「時間」とは何だろうか。考えてみれば不思議だ。物理学、生物学的に、どのように定義されるのだろうか。「現在」は常に過去になる。時間を「365日」「24時間」「60分」「60秒」で表示するのは、近代になってからのことだ。ひと月を太陽暦で表わすのも明治初期から。年を数えるということは、毎年新年がやって来て「現在」は「過去」になり、新しい「未来」がやって来るという意識である。つまり、「過去→現在→未来」という直線として「時間」を意識している。過去を探ると、自分以前の先祖になる。未来を探れば、いずれ自分も死んでしまう。そういう「流れ」が時間だと普通思っている。

 ところが「未開社会」の研究報告によれば、人々は時間を直線とは意識していない。むしろ「円環」と認識しているらしい。地球が自転、公転しているのは昔も今も同じだから、季節の移り変わりというものはある。狩猟採集経済では、特に時間の意識が近代人とは違う。変化が起きるのは、農業の開始である。稲作が始まれば、いつ頃苗を植えて、いつ頃収穫するかという「時間」を人々は意識する。そして「一年」という流れが出来るが、農業社会では時間意識は厳しくない。我々は何時に起きて、何時から仕事をするなどと「時間」を意識せずには暮らせない。これらは今ではそれほど衝撃がない考察かもしれない。

 古代日本で「古事記」「万葉集」「古今和歌集」を例に取って、時間意識の変遷を探るところは一番興味深かった。特に王権の詩人として生きた柿本人麻呂と氏族社会末期に名族の末裔として生きた大伴家持(おおともの・やかもち)を取り上げて分析した箇所は今も刺激的。僕は昔から大伴家持の歌が好きなんだけど(そういう人は多いだろう)、その「時間意識」を分析するという視点はなるほどと思った。もっとも昔読んでるわけだが、全部忘れていたのである。具体的な分析はここでは省略するが、実に興味深いのでここだけでも読んで欲しいと思った。
(富山県にある大伴家持像) 
 『気流の鳴る音』を受けて、この本や『宮沢賢治』『現代社会の理論』などの一連の仕事は、「近代世界の相対的な対象化のための比較社会学」というモチーフが潜在的、顕在的に貫通していると著作集解題に書かれている。この本のあとがきには、有名な「比較社会学の全体的なイメージ」が書かれている。ここで全部は書かないが、この後に「関係の比較社会学」「身体の比較社会学」「教育の比較社会学」「支配の比較社会学」「解放の比較社会学」などが次々と書かれるはずだった。実際には「時間」に続いて「自我」を書いただけで終わってしまったが。

 それは「ニヒリズム」と「エゴイズム」が著者の最大関心事だったからである。「時間のニヒリズム」というのは、つまり何をしても最後は死んじゃうじゃないかという思いである。だけど、これは怖いことなんだろうか。ある人は死ぬが、ある人は不死であり、自分がどっちかは自分では判らないと言うのなら、それは確かに怖い。でも全員が死ぬ(いつか、どのようにか、痛みはあるかなどは不明だけど)ということは、僕にはむしろ「恩寵」であり納得できることのような気がする。いずれどうせ死ぬんだから、何をしても意味がないのではなく、その後も生き残る人々のために少しでも意味ある何事かをしたいと思うけどな。
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映画『TAR/ター』、ケイト・ブランシェット最高の演技

2023年05月24日 22時59分17秒 |  〃  (新作外国映画)
 『TAR/ター』という映画が公開された。これはベルリン・フィル初の女性常任指揮者になったリディア・ターの栄光と失墜の日々を描いている。ターはもちろん架空の存在だが、ケイト・ブランシェットがあまりにも素晴らしいので実在人物と信じる人がいたという。ヴェネツィア映画祭女優賞(2度目)、ゴールデングローブ賞主演女優賞(ドラマ部門、3度目)を獲得し、アカデミー賞最有力と言われたが結局ミシェル・ヨーが受賞した。すでに主演、助演と2度アカデミー賞を受賞したケイトより、「多様性」アピールの選出だったかなと思う。しかし、演技そのものではケイト・ブランシェットの圧勝だと思う。

 リディア・ターは単に指揮者のみならず、作曲家としても知られている。請われてジュリアード音楽院でも教えるようになり、今やキャリアの絶頂にいる。その存在感は圧倒的で、教わる側は圧迫感を覚えるかもしれない。ジュリアードではある男子学生がJ・S・バッハは女性の扱いに納得出来ずに弾かないと主張する。それに対してターはそれは間違っていると厳しく批判する。自分は完全なレズビアンだが、性的指向のみで音楽を見るべきではない。それにバッハは(2人の妻との間に)20人の子がいたが、「活発な夫婦生活」を非難するのかと。その後、空港でクリスタという若い女性がターにいろいろ質問していて時間が掛かっている。

 その時に後ろにいて時間管理をしているのがフランチェスカ。アシスタントをしながら、副指揮者を目指している。演じているノエル・メルランは、『燃える女の肖像』で画家をやってた人。ベルリンへ戻ると、ベルリン・フィルのヴァイオリン奏者シャロン(ニーナ・ホス)の家に行く。彼女が今のパートナーで、養女ペトラを一緒に育てている。客演指揮者に招かれた時に知り合い、二人で常任になるための策略をベッドで練ったんだと言う。ベルリン・フィルではマーラーを録音して評価が高いが、全交響曲制覇を目指しながらコロナ禍で5番だけが残っている。そして今ようやく5番の練習が始まったのである。

 このように最初は絶頂時代なのだが、次第に綻びが生じてくる。ベルリン・フィルでの副指揮者の交代、それに伴うフランチェスカの離反、新しいチェリスト選び、そして若い女性チェリストのオルガソフィー・カウアー)の登場。マーラー5番とともに公演するもう一曲として、オルガの得意なエルガーのチェロ協奏曲を選び、独奏者はオーディションで選ぶと決める。寵がオルガに移ったのかと思う展開の中で、ターの周囲では不穏な出来事が多発するのである。個人的にも、また社会的にも追いつめられていくター。そこでの多面的かつ鬼気迫るケイト・ブランシェットの演技が素晴らしいというか、とにかく怖いほどに凄い。
 
 リディア・ターはパワハラ、セクハラを行っていたのか。そのようにとらえる論評もあるが、僕は真実の判定は難しいと思った。スマホ持ち込み禁止のはずのジュリアードでの動画がネット上に流出する。誰かの意図的な悪意、陰謀が存在したのである。だがターは栄光の絶頂にいて、自らのパワーを恣意的にもてあそんでしまったのも確かだ。そして「性的マイノリティの女性指揮者」として生きていくには、万全の注意が必要なはずだった。ターはその点抜かったことで、大きな代償を払うことになる。

 全編を通してケイト・ブランシェットの演技は圧倒的で、特に指揮やドイツ語を学んでベルリン・フィルを自在に動かすのは凄い迫力。もちろん現実のベルリン・フィルじゃないけど。撮影はドレスデン・フィルの本拠地を使えたということで、臨場感が素晴らしい。もともと『エリザベス』女王役で知られたように、権力的な振る舞いが上手。アカデミー賞を獲得した『ブルー・ジャスミン』の勘違い女も見事だったけれど、今回のリディア・ターこそキャリアベストだと思う。トッド・フィールズ監督がケイト・ブランシェットに充て書きした脚本の映画化である。トッド・フィールズって誰だっけという感じだが、『イン・ザ・ベッドルーム』(2001)、『リトル・チルドレン』(2006)という映画を作って好評だった人だった。

 ベルリン・フィルハーモニー交響楽団にはもちろん常任女性指揮者など存在しない。フルトヴェングラーカラヤンが君臨した「伝説」の楽団だが、89年4月のカラヤン辞任後はクラウディオ・アバド(90~2002)、サイモン・ラトル(~2018)が務めた。現在はロシア出身のキリル・ペトレンコで、ウクライナ侵攻を非難している。僕は女性指揮者と言われても一人も名前が挙らない。何人もいるということは知ってるけど、指揮者の世界はもっとも女性を遠ざけてきた芸術部門かもしれない。いろいろと現代社会の問題に広がるが、とにかく圧巻の演技を楽しむ映画だろう。
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21世紀の「左翼」とは「多様性」であるーわが左翼論⑧

2023年05月22日 22時36分18秒 | 政治
 「左翼論」の最後に「21世紀における左翼とは何だろうか」を考えてみたいと思う。「左翼」概念は時代によって移り変わってきた。「左翼」という政治用語はマルクス以前からあるのだから、左翼=マルクス主義じゃないことは自明である。もともとフランス革命の時に、国民議会で王政批判派が(議長席から向かって)左に、王政擁護派が右に座ったということから、政治における「左右」概念が生まれたわけである。そこでは「アンシャン・レジーム」(旧体制)を変革しようという側が左翼、旧体制を維持しようという側が右翼という区分けである。この区分けが基本的にはその後も共通していると考えられる。

 19世紀前半から20世紀初頭まで、基本的には「絶対主義的王政」を打倒することが「左翼」だった。しかし、第一次世界大戦を機に、ロシア、ドイツ、オーストリアなどの大帝国が崩壊し、ヨーロッパの国はほぼ議会制民主主義的な政治体制に移行した。そのため、王政をどうするかは「左右」を分ける指標にはならなくなったわけである。(王政を維持している国では、王政を廃止して共和政に移行するべきだという考えが「左翼」の中に存在している。しかし、それは少数派に止まることが多い。)

 その後19世紀半ばに「マルクス主義」が登場した。マルクス主義の考えでは、政治体制は上部構造であり、下部構造である経済体制(生産様式)こそ変革しなくてはならない。その考えに基づいて、社会主義な経済体制を樹立すべく革命を目指す党が建設された。それが「共産党」で、この勢力がある程度の大きさになってからは(国によって時差があるが、おおよそ20世紀の大部分)、共産党からの距離が左右を図る基準となった。この場合も「旧体制」である資本主義経済を維持する側が右、変革して社会主義経済を目指す側が左ということになる。

 ところが「社会主義の祖国」であったはずのソ連が崩壊し、同じ頃に中国も「社会主義市場経済」に移行した。中国は今も「共産党一党独裁」であり、社会主義的な経済体制を取っていることになっている。しかし、国内には株式市場が常設され、一般国民も株を売買出来るのだから、これは定義からして資本主義経済と呼ぶしかない。一方の資本主義国であっても、すべてを「神の見えざる手」に委ねるなどという国はない。いずれも中央政府(中央銀行)が金利や国債引き受けなどを通して、経済をコントロールしようとしている。各国の経済体制は似たようなものになっていて、もはや経済政策で左右を決めることは難しい。

 ということで、ソ連崩壊後(冷戦終結後)にはもはや従来のイデオロギー対立の時代ではないという声が高くなった。それは一定の正しさを持っていたと思うが、それでも各国で「左右対立」は残り続けた。それは何故だろうか。それぞれの国で、それぞれ別個の「アンシャン・レジーム」があり、それぞれの国で「わが国の伝統を守れ」という主張と「新しい政策に移行するべきだ」という主張が対立したのである。その場合、先の基準に従って、アメリカでは「銃規制賛成派」が左に、「銃規制反対派」が右になる。
 (ヨーロッパの「極右」勢力と主張)
 ヨーロッパ政治の概念として「極右勢力」がある。ヨーロッパでは、ナチスへの反省から「極右」勢力は基本的に連立の対象にしないことになっている。(イタリアで2022年に「極右」とされる「イタリアの同胞」党首メローニが選挙で第一党になり首相に選出されたが。)それらの政党の主張を見てみれば、現代ヨーロッパ政治における「右翼」の概念が判るだろう。フランスの「国民連合」の政策を見ると、「反移民」的な主張、「自国第一主義」の色彩が強い。

 国民連合のマリーヌ・ルペンは2回に渡って大統領選挙の決選投票に残った。その時に左派票が反ルペンとして、マクロンに投票されたため当選出来なかった。イタリアは議院内閣制なので、極右政党が第一党になることが可能だった。大統領直選制の場合はフランスと同様に権力を握るのは難しかっただろう。しかし、メローニは首相に選出されたら、それまでの反EU、親ロシア的な主張をセーブしているようだ。マリーヌ・ルペンは父親ジャンマリー・ルペンが創設した「国民戦線」を2011年に受け継ぎ、2015年には反ユダヤ的言動をする父親を除名した。政策の穏健化を進めて、2018年には「国民連合」と改称した。

 このように「極右勢力」も権力に近づくにつれ「穏健化」していくのだが、今はヨーロッパ政治の問題ではない。「現代の右翼思想とは何か」を問題にしているので、むしろ「国民戦線」時代の政策こそ関心の的になる。それをWikipediaで見てみると、「移民の制限」「(一部の犯罪に対し)死刑復活」「犯罪者・移民へのトレランス・ゼロ政策」「道徳復権」「公務員削減」「(同性愛カップルを認める)民事連帯契約法廃止」「減税」「国籍の血統主義」などが挙げられている。

 これらを見ると、外国人や犯罪への厳しい対応を主張し、公務員を敵視し、減税を主張する。これは日本の右派勢力との共通性を認めることが出来る。そして道徳を重視して、伝統的な生活習慣を重視する。これを見る限り、死刑制度を維持し、難民は認めず、そもそも国籍は血統主義である日本は、極右政治を実行していると言うべきだろう。そのような傾向から、性的マイノリティの権利は極力認めないようにする。これはアメリカのトランプ政権でも見られたことだった。
(性的指向に関する世界地図)
 これをまとめると、「移民」や「性的マイノリティ」を認めないという方向が見えて来る。「伝統」の名の下に、社会の中で「多様性」を認めることを拒否する。これが21世紀の右翼の特徴と言っても良い。ヨーロッパ、アメリカ、日本などの政治動向からすると、そういう結論が見えてくる。そこで思うのだが、昔は革命で成立した「中華人民共和国」が左で、内戦に敗れて台湾に逃亡した蒋介石の「中華民国」が右だったのである。ところが21世紀基準で考えると、同性婚を法制化した台湾が左になって、違法ではないものの同性愛に関する表現が事実上認められない(性的マイノリティを描く外国映画は上映不可になる)中国の方が右になる。

 この基準は一見不思議とも言えるけれど、従来の見方を捨てて虚心坦懐に世界を見れば、「伝統」の名の下に同性愛者を弾圧するイスラム諸国やロシアなどが右翼になるのは納得感がある。中国も同様で、事実上右派が権力を握っていると考えた方が良い。「左翼」というのは従来の伝統(アンシャン・レジーム)を変えようという方だから、現代の「左翼」は同性婚を容認し、移民受け入れに積極的な立場だと言えるだろう。
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「革命」の論理から「人権」の論理へーわが左翼論⑦

2023年05月21日 22時43分03秒 | 自分の話&日記
 書き途中になっていた「わが左翼論」を書き終えてしまいたい(後2回)。これは「自分史」を振り返るということであって、だから書きにくい。若い頃には漠然と将来何になりたいといろいろ考えるが、自分の場合は動物学者、考古学者、映画監督などに憧れを持った時期もあった。だけど故あって、最終的には「歴史を学ぶ」ということを選択したのである。その時の「」は書き出すと長くなりすぎるので、ここでは書かない。

 若い時には「世界を理解すること」と「世界を変革すること」との異なる方向の望みがあった。「世界を理解する」と言っても、僕の場合は「宇宙の果てはどうなってる」とか「脳の仕組みを解明したい」という方向には向かわない。「第二次世界大戦はなぜ防げなかったのか」とか「欧米以外でなぜ日本だけが工業化に成功したか」などの問題である。この二つは(当時としては)日本近現代史を考える時に、まずぶつかる大きなアポリア(難問)だった。

 日本の歴史を考えていくと、「日本は歴史のスタンダードを作った側ではなかった」ということに気付く。日本は古代には中国文明を、近代にはヨーロッパ文明を受容して「国」を作ってきた。世界の流れをうまく「日本化」したという表現も可能だろうが、近代の標準である「民主政治」とか「人権宣言」は日本発のものではなかった。そのことを僕は「恥ずかしい歴史」だと思っていた。

 だから若い時には「革命」を求める心理があった。18世紀段階までさかのぼると、世界は独裁的な強権体制の国ばかりだった。そういうところでは、人々に「革命権」があると思っていた。独裁者が自分から譲歩することはない。虐げられた側が闘うことなしに、権利は獲得できない。だから、「革命が世界史を発展させた」と考えたわけである。

 個別の革命を考えると、確かにその多くは「起こらざるを得なかった」理由がある。それに「革命」とはガラガラポンの大変革だから、若い時には魅力的である。若い頃は何でもかんでもぶっ壊したいのである。僕も柳田学の「常民」概念を知っていたわけだが、歴史としては変化の少ない時期よりも、大々的な変革期の方が興味深かった。その意味では「革命幻想」のようなものを持っていたのである。その革命幻想をイメージ化したのが、ドラクロワの「民衆を導く自由の女神」だ。
(ドラクロワ「民衆を導く自由の女神」)
 日本の歴史の中に、このような「自由の女神」を探すこと。いないとしても、革命への可能性を探ること。そういう憧れのような「革命幻想」が、いつどのようにして自分の中から無くなったのだろうか。一つ大きかったのは、革命の現実、特に同時代の中国で起こっていた「文化大革命」(文革)のとらえ方が大きく変わったことである。
(文化大革命)
 文革はその当時は情報が極端に少なかったうえ日本国内に「中国派」がかなりいたこともあり、ある種の「革命幻想」を僕も持っていたのである。その実相が判ってきたのは、文革終了後かなり経ってからだ。基本は毛沢東による奪権闘争だったと思うけど、毛沢東の呼びかけで党組織そのものを攻撃したため、社会に無秩序が広がった。それだけでなく、共産主義の名の下に恐るべき「差別」「人権無視」が出現したのだった。「革命」とは実に恐るべきものなのである。

 もう一つ自分にとって大きかったのは、政治犯や冤罪者の救援運動に関わったことがある。同時代の韓国の民主化運動には大きなシンパシーを持った。日本史の中に探ってなかなか見つけられなかった、民衆による反軍事政権運動が眼前に展開されていた。そして韓国独裁政権は学生、文学者、宗教家などを逮捕し重罪を科そうとしていた。また、日本から留学していた「在日コリアン」の人々多数がスパイ罪で拘留されていた。日本でも活発な救援運動が展開されたが、僕が最初に参加した「集会」は韓国政治犯救援運動だった。(有楽町そごう=現ビックカメラ7階の読売ホールだった。)

 その時点では「政治犯」というのは韓国とかソ連の問題だと思っていた。それ以外の(報道されない)国は目に入ってなかった。また日本にはおおよそのところ問題はないと思っていたのである。その後次第に知っていくのだが、実は日本の刑事司法は先進国では最低レベルだった。そして数多くの冤罪事件もあり、無実を訴える死刑囚も数多くいるのだった。本を読んでみると、免田事件、松山事件、島田事件などは明らかに有罪とは考えられなかった。しかし、その時点ではマスコミ報道は全くなかった。

 その後実際に冤罪救援運動に関わることもあったが、その中で問われたのは最終的には「裁判官を説得する論理」をいかに構築するかである。支援運動は裁判所に提出する文書を作成するわけではないが、署名呼びかけ文などを作る時には論理性が求められる。ただ「無実だから裁判をやり直せ」と言うだけでは、何も成し遂げられない。大げさな物言いは逆効果でしかない。

 大状況をあれこれ言うよりも、個別の人権事件を少しでも解決したいと僕が思うようになったのは、そういう冤罪問題から来たものだと思う。そこで改めて歴史上のいくつかの革命を考えてみると、そこで起こった恐るべき混乱、流血の大惨事、文化破壊は今ではとても認められないなと思った。フランス革命は昔過ぎるけれど、ドラマティックと言うより恐怖の革命である。ある時期まで歴史の画期とされていたロシア革命もそこで起きたのは混乱と流血で、最終的に独裁政権の誕生で終わったと評価軸が変わった。

 もっとも当時のフランスやロシアには、全国民が参加する普通選挙制度はなかった。しかし、現代の日本には「普通選挙」と「基本的人権」が保証されている。それを考えると、「革命」の必要性はもはやないだろう。「革命」が必要なのは、そのような強烈な破壊エネルギーなくして前進出来ない構造がある場合だ。「革命」反対派を押し切ってでも強引に進めることが要求される。だけど、現代では「反対派」にも言論の自由が保障されている。反対派の言論・表現の自由を圧殺してまで行うべき「革命」とは何か。

 そこまでの価値がある「革命」なんて現代にはないのである。今は個別ケースで「人権」が保証される方が優先されるのではないか。これは「闘い」が不要になったという意味ではない。保証されているはずの人権も「不断の努力」なしにはなし崩しにされて行くだろう。だから「人権のための闘い」というのは永遠に続く。だがすべてをぶっ壊せば上手く行くというような「革命」は、今では傍迷惑でしかない。

 むしろ「革命思想」には、革命幻想にすべてを委ねる「お任せ」的発想がある。それが革命運動家に「家父長的指導者」が多くなる原因でもあるだろう。革命さえ起こればすべて(女性問題、環境問題等々)は解決するのであって、現行制度の中で個別の問題を解決するより「まずは革命を起こすことが優先」だなどと言う人が昔は本当にいたのである。だから、今では僕は「革命の論理」を離れて「人権の論理」に立つのである。
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映画『EO イーオー』、ロバから見た人間世界

2023年05月19日 21時56分52秒 |  〃  (新作外国映画)
 ポーランドの巨匠、イエジー・スコリモフスキ監督の『EO』はとても不思議な映画だ。何しろ主人公がロバという映画なのである。同じくロバを見つめた映画としてロベール・ブレッソン監督『バルタザールどこへいく』(1966)という映画があった。(2020年にリバイバル公開されたので、その時に紹介した。)やはりその映画にインスパイアされて、今回の『EO』を作ったという。(題名の「EO」「バルタザール」というのがロバの名前。)『EO』はカンヌ映画祭審査員賞を受賞するなど、世界各地で高く評価された。映像は素晴らしく美しいが、本当に「ロバから人間世界を見る」ので、なかなか判りにくいとも言える。

 この映画からすると、研ぎ澄まされた映像で知られるブレッソン監督もずいぶん人間側の事情を描いていた。ましてや日本の『南極物語』とか『ハチ公物語』などは、動物映画というより動物を擬人化して描く人間ドラマにしか過ぎなかった。そのぐらい『EO』は徹底して動物からしか描かない。ほとんどセリフもないし、完全にロバ目線。動物は言葉をしゃべれないから、そこで何を感じているのか、一体どんな場所なのか、一切ナレーションしてくれないのである。だから、やっぱりこの映画は判りにくい部分がある。いやあ、ビックリという感じである。

 ロバのEOはサーカスにいた。カサンドラという女性と組んで、芸を披露している。カサンドラはEOを愛していて、お互いに上手く行ってる感じが伝わってくる。ところがポーランドの町で動物解放運動のデモにぶつかった。サーカスは動物虐待だとしてEOは無理やり「解放」されてしまった。そこからEOの放浪が始まっていく。こういう「過激」な動物解放運動がヨーロッパにはあるらしいが、しかし勝手にサーカスの私有財産を「解放」するのは行き過ぎだろう。それはポーランドではありうることなのか、それとも設定として作ったことなのか。そういう説明が全くないから、見ていて困るわけである。
(ロバのEO)
 その後、牧場へ行って人間にも馬にも相手にされたり、サッカーチームに勝利の女神扱いされたり(相手チームからは恨まれたり)、競走馬の食肉処理場に連れて行かれたりする。こいつはロバだぞと言うけど、ロバもサラミになると言われる。その間、逃げ出しては大自然を放浪し、素晴らしいロードムーヴィーみたいなんだけど、肝心の主人公が何も言ってくれない。まあ悲しそうな目が忘れられないけれど、勝手に擬人化して良いのか判らない。そして貴族の館に連れて行かれ、人間界の愚かな闇を見るのである。
(ダム湖を行く)
 これは上映時間88分の美しき寓話であり、本格的なドラマとは言えない。淡々とロバの行く末を追い続ける映画で、判らんともつまらんとも思えるが、ロバの賢そうな目を見るとすべてを見抜いているとも思える。まあ変わった映画には違いない。監督のスコリモフスキは1938年生まれの85歳。1962年にロマン・ポランスキー監督の傑作『水の中のナイフ』の脚本を共同で執筆して知られた。その後、共産主義時代のポーランドを離れて西欧諸国で映画を作った時期もある。一時は監督を離れて俳優に専念した時期もあり、『イースタン・プロミス』『アベンジャーズ』など世界的に知られた映画にも出ている。
(スコリモフスキ監督)
 2008年に監督に復帰、ポーランドで『アンナと過ごした四日間』を作って東京国際映画祭で審査員賞を受けた。これも暗く変テコな一種のストーカー映画。『エッセンシャル・キリング』『イレブン・ミニッツ』とその後作った映画も変である。日本で最初に公開された『早春』(1970)はイギリスで撮影した青春映画だが、僕は大好きだったけどやはり変で怖い。今までの全作品が同じような感じで、世界各地の映画祭でずいぶん受賞歴があるけど、文芸大作とか感動映画とかは作らずに個人的なワン・アイディア映画が多い。そういう意味で、この映画こそ典型的なスコリモフスキ映画という感じ。
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映画『帰れない山』、人生を深く描く感動の文芸大作

2023年05月18日 22時19分05秒 |  〃  (新作外国映画)
 『帰れない山』と『EO』という2本のヨーロッパ映画が公開されている。どちらも2022年のカンヌ映画祭審査員賞を受賞したという共通点がある。カンヌ映画祭は最高賞がパルムドール、次賞がグランプリだが、毎年変わる審査員の好みによる偏りが大きい。昨年の場合もヨーロッパで大受けしたブラックユーモアの『逆転のトライアングル』よりも、審査員賞の2本の方がずっと感動的な映画だった。特に『帰れない山』は圧倒的な感銘を与える名作だと思う。(『EO』は次回回し。)

 『帰れない山』の監督・脚本はベルギーのフェリックス・ヴァン・ヒュルーニンゲンシャルロッテ・ファンデルメールシュという人で、『オーバー・ザ・ブルースカイ』というベルギー映画を作った人だった。しかし、今回はイタリアを舞台にした映画で、パオロ・コニェッティ(1978~)という作家の原作を映画化したものだった。原作はイタリア最高とされるストレーガ賞を受賞して、日本でも翻訳されている。自分が知らなかっただけで、世界的名作の映画化だったのである。そして映画でもイタリア最高のダヴィッド・デ・ドナテッロ賞の作品賞や撮影賞など4つを獲得した。

 思った以上に本格的な大河ドラマで、147分もあるが全く時間を感じなかった。イタリア北部トリノの北方、アルプス山脈の麓が主な舞台である。11歳のピエトロはトリノに住んでいて、夏は山の村へ避暑に行く。村は過疎化が進んで、同世代の男の子はブルーノしかいない。すぐに一緒に遊ぶようになり、二人は大自然の中を駆け回り友情を育んだ。映画はこの二人の何十年にも及ぶ人生を描いていく。ブルーノの父は出稼ぎに行っていて、村では伯父さんの牧場を手伝っている。ある日ピエトロの父がやってきて、二人を本格的な登山に連れ出す。子どもには危険だと言われながら、氷河を目指す場面はすごい迫力だ。
(父とともに氷河を登る)
 ブルーノは成績が振るわず退学を迫られるが、ピエトロの父がトリノに引き取って学校に通わせようと考えた。しかし、ブルーノの伯父は突然彼を建築現場の見習いに送ってしまう。こうして二人の友情は一端途切れる。青年期になって再会するが、二人に共通の話題はなかった。冒頭の少年時代の場面に1984年と出る。その時11歳だから、ピエトロは1973年生まれである。今年50歳になる世代の現代の青春物語である。ピエトロは何になるべきか迷いながら、なかなか定職にも就かない。そんな時父親が急死して、初めて父がブルーノと会い続けていたことを知る。山に土地を求めて、そこに小屋を建てようと夢見ていたのである。
(ピエトロとブルーノ)
 ブルーノは約束だから一人でも小屋を建てるという。ピエトロも放っておけず、一緒に小屋を作り始める。これがまた素晴らしい場所にあって、見応え十分の風景に魅せられる。こうして友情が復活し、ピエトロが山小屋に連れて行ったラーラとブルーノは結ばれる。二人は牧場を再建し、昔ながらのチーズ造りを始めた。ブルーノは一足先に大人の世界を歩み出したと思ったのだが…。一方、ピエトロは居場所を求めて世界を放浪し、ネパールでヒマラヤ山脈を見る。その体験を本に書いて、評判になった。
(一緒に山小屋を作る)
 こうして長い友情の物語は大団円を迎えるのかと思う時に、世界は暗転してしまう。ブルーノの牧場は破産して銀行に差し押さえられ、というラストは書かない。このようにストーリーを追い続けても、この映画の真の魅力は伝わらない。圧倒的な山岳風景を見ながら、見るものも自分の人生の数十年を振り返る。原題の「Le otto montagne」は「8つの山」という意味。ピエトロがネパールで聞いた「世界の中心には最も高い山、須弥山(スメール山、しゅみせん)があり、その周りを海、そして 8 つの山に囲まれている。8つの山すべてに登った者と、須弥山に登った者、どちらがより多くのことを学んだのでしょうか」から来る。

 これは「根を持つこと」と「翼を持つこと」の例えだろう。ブルーノは地方に育ち、酪農や建築の技術を持っている。確かに大地に根を張って生きているように思える。一方のピエトロはなかなか居場所を見つけられず、世界を放浪していく。どちらの生き方が良いとか悪いとか言えない。自分でも、また自分の周りでも、青春彷徨のさなかに「根」と「翼」の双方に引き裂かれながら生きてきたのである。いつの時代、世界のどこでも同じだろう。青春の悩みと友情をかつてない規模で描き出した一大叙事詩だった。

 ピエトロを演じるルカ・マリネッリは、『マーティン・エデン』でヴェネツィア映画祭男優賞を獲得した人である。ブルーノはアレッサンドロ・ボルギという人で、僕は知らなかったけど実に見事。撮影のルーベン・インペンスはカンヌ映画祭パルムドールの『チタン』などを担当した人。大自然の映像美に圧倒された。そのような山岳風景の素晴らしさは見事なものだが、それ以上に「人生を深く考える」ところにこそ深い感銘があった。
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三遊亭天どんオール新作大進撃ー上野鈴本5月中席夜を聴く

2023年05月17日 22時58分17秒 | 落語(講談・浪曲)
 上野鈴本演芸場で「三遊亭天どんオール新作大進撃」というのを聴いてきた。三遊亭天どんは円丈門下で、古典もやるけど新作をいっぱい作ってきた。10年前に真打に昇進して、時々は聴いてきたけど久しぶり。師匠の円丈没後はなかなか聴く機会がなかった。夜の部だけど、上野なら近いからいいやと思って行くことにした。しかし、場内はかなり空いてた。3分の1は埋まってなかった。
(三遊亭天どん)
 他の日に比べても少ないと言ってたが、天どん師匠推測するにその最大の理由は「天寿々」が定休日だったことらしい。天寿々は鈴本近くの天ぷら屋で、普段2200円の「天どん弁当」をこの期間は1800円で演芸場まで届けるという。天寿々店主は高校時代の同級生で、時々利用したこともある。美味しいですよ。まあ、僕は他にも聴きたい人がいるので今日にしたけど。

 「新作大進撃」ということで、演目が下記ラインナップのように発表されているけど、新作だからどの話が面白いのかは判らない。今日は「おわびの品」という噺で、つけ麺店の客と店主のやり取りがおかしい。後から注文した人の料理が先に出て来て、ちょっと首をかしげたら、店主が今何か不満を持ったでしょ、それをネットに書き込むんでしょ、クレーマーの方ですかなどと絡んでくる。あっちは大盛だったのでと店主は弁明して、では「おわび」にあなたも大盛にするという。いや、ここの大盛は若い学生でもないと食べきれない量だからと遠慮すると、今度は大盛を頼んでいた女性客が自分は若い学生に見えないだろう、私は傷つけられたと言い出す。店主は何かというと、あ、やっぱり書くんだと絡んでくるのがおかしい。このネタは面白かった。
(新作ラインナップ)
 そのちょっと前に三遊亭わん丈。来春に(林家つる子とともに)一之輔以来の抜てき真打になることが発表されたので、一度聴いておきたかった。今日は古典の「お見立て」という噺で、吉原の太夫が嫌いな客を断りたくて若い衆に何とかしろという。ついには死んだことにするところまで行くが、田舎者のお大尽は墓参りに行くと言い出して…。よくやる噺で、何回か別の人で聴いてるがエネルギッシュに疾走するスピードは確かに面白い。今後楽しみな若手に違いない。
(三遊亭わん丈)
 名前を知ってるけど初めて聴いたのが古今亭駒治。鉄道ファンで知られ、鉄道が出て来る新作をいっぱい作ってる。今日は山手線の車両が地方の鉄道で再利用されることになり、「最新鋭車両」と宣伝する。鉄道ファンの子どもが学校でチラシを見せると、最近東京から来た転校生がこれは山手線車両だよと言って、言い合いになる。この転校生は鶯谷に住んでたのを、どうせ知らないと思って東京の高級住宅地と言っている。芸能人に会ったことあるかと聞かれて、林家三平と答えるなどのクスグリを入れながら、軽快に進行して飽きさせない。 

 久しぶりに聴いた古今亭文菊は「猫の皿」という噺で、何度も聴いてるけどおかしい。この人が聴きたくて今日にした。最近めきめき上手くなってると思う柳亭こみちは「姫君羊羹」という講談から落語にした噺。まあ、それは今検索して知ったんだけど、大した噺じゃないのにすごく面白かった。羊羹をどう分けるかで姉妹が相争うので、父は姉が切って妹が選ぶという解決案を決めたが、それでもいさかいが続いて…。声の演じ分けも面白く、題材も興味深い。注目だと思う。
(いなせ家半七)
 ところで、2月と4月に聴いたばかりのいなせ家半七の訃報が伝えられた。2月に浅草で初めて聴いたのだが、それが春風亭柳朝の追善興行だった。半七は柳朝の弟子だったが、真打になる前に亡くなったので、小朝門下に移っていた。4月の鈴本が最後になったが、それは聴きに行っていた。何を聴いたかと思って、自分のブログを検索してみたら「ウトウトした」と書いてあって残念。ただその時から声が少し小さかった気がする。何だかいい感じの落語家だっただけに残念だ。僕より若いのである。
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原尞を悼むー日本ハードボイルド史上最高の達成

2023年05月15日 22時26分03秒 | 追悼
 ミステリー作家の原尞が5月4日に亡くなった。76歳。本当に大好きな作家だったので、来月回しにせず追悼しておきたい。1989年に『私が殺した少女』で直木賞を取ったので、読んでいる人もいるかもしれない。それにしても「寡作」で知られた作家で、長編小説はたった5作しかない。だから、こういうタイプの小説を愛する人以外には忘れられていたのではないか。他に短編小説集が1つ、エッセイ集が1つ、生涯に残した作品はそれだけだった。しかし、一作ごとの熱気と完成度は抜群で忘れられないのである。

 生まれは佐賀県だが、福岡で育ち、亡くなったのも福岡だった。ペシャワール会の故・中村哲とは高校時代の同期だという。ジャズ・ピアニストとして活躍していたが、1988年に『そして夜は蘇る』(早川書房)でデビューした。早川への持ち込み原稿だったというが、山本周五郎賞候補になるなど高い評価を得た。そして翌1989年に出た『私が殺した少女』で、候補一回目にして直木賞を受賞したわけである。僕が最初に読んだ作品はそれだが、圧倒的な完成度に驚嘆した。日本ハードボイルド史上で一二を争う大傑作である。別に少女殺しの異常者ものじゃなく、題名にも深い意味があるので注意して読むべし。
(『私が殺した少女』)
 直木賞はエンタメ系に与えられる賞だから、受賞作家には多作の人が多い。司馬遼太郎池波正太郎など、没後も文庫の棚にズラリと揃っている。現役ミステリー作家だと、大沢在昌宮部みゆき東野圭吾など、一何冊書いてるのか、本人にも判らないんじゃないかというぐらい多い。直木賞の場合、作品以上に「作家」に与えられる側面が強い。また単に面白いだけじゃダメで、「人間」描写力も問われる。候補一作目で受賞することは珍しいが、他業種から参入して軽々とクリアーしてしまった。

 最初の2作品に魅了されて次の作品を待ち望んだが、3作目が刊行されたのは1995年の『さらば長き眠り』だった。(その間1990年に短編集『天使たちの探偵』が出ているが。)チャンドラーに魅了されてハードボイルドを実作したとはいえ、この題名はどうなんだと読む前には思ったものだ。つまりチャンドラーの名作『さらば愛しき女よ』『長いお別れ』『大いなる眠り』と当時の翻訳題名を集めたようなネーミングなのである。しかし、読み終わるとこの題名こそ内容に最も相応しいものだと納得したのである。
 
 次はさらに待たされて『愚か者死すべし』(2004)、そして『それまでの明日』(2018)とこれだけである。完成原稿が残されている可能性もあるが、僕はあまり期待はしていない。少ないとは言え、読後の満足度からすれば十分だし、東日本大震災前日で終わったのも良いのではないか。原尞の小説はすべて、西新宿の「渡辺探偵事務所」に所属する探偵沢崎が主人公になっている。下の名は不明だし、なんで沢崎なのに渡辺探偵事務所なのかの真相もなかなか明かされない。
(『それまでの明日』)
 原の小説は完全にチャンドラー仕立ての「ハードボイルド」である。しかし、日本では私立探偵小説は書きにくい。警察以外の捜査は無理があるし、銃を持つ自由が日本にはない。都市の孤独は日本も同じだけど、殺人事件の数は少ないし、他を圧した大富豪もアメリカに比べると存在感が薄い。情緒てんめんたる湿っぽい日本では、「○回泣けます」みたいなコピーの映画がヒットしてしまう。感情を排して行動だけを叙述して、そこに都市空間の孤独を浮かび上がらせるというタイプの小説は選ばれにくい。

 原の小説世界は、なるほど「私立探偵」の出番だという設定が上手い。日本でも調査を頼まれる「探偵事務所」は数多いわけだが、それらは言ってみれば「民事利用」である。小説としての面白さとともに、謎解き小説としての完成度も果たす。そんな力業が原作品では見事に達成されている。それは「日本」社会に潜む「毒」を浮かび上がらせる試みでもあった。日本ハードボイルド史上最高の達成である。完成までの時間を考えると、僕はもう原作品は読めないんだろうと覚悟していた。だけど訃報の小ささにはガッカリした。実に素晴らしい作品を残してくれたことに感謝したい。
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樋田毅『最後の社主』ーザッツ・深窓の令嬢

2023年05月14日 23時03分00秒 | 〃 (さまざまな本)
 樋田毅最後の社主 朝日新聞が秘封した「御影の令嬢」へのレクイエム』(講談社、2020)を読んだ。先に紹介した『記者襲撃』を書いた元朝日新聞記者の次の本。事件記者として生きてきた人が、最後に社主である村山美知子の秘書のような仕事に就いた。何で自分がと思いながらも、赤報隊事件の取材を続けて良いことを条件にして引き受けた。社主村山家と朝日新聞経営陣の確執は、社内のみならず一般的にも知られていた。最後の仕事は「わがままお嬢」のお相手かという感じで始まる。

 『記者襲撃』で描かれた右翼及び「旧統一教会」の諸事情は実に恐るべきものがあった。今回の『最後の社主』はそういう恐ろしさはないけれど、こんな事があったのかと驚くような秘話が続々と出て来る。前著に勝るとも劣らぬ一気読みの面白さである。朝日新聞経営陣の対応を批判して終わるので、出版時には「守秘義務違反」などと抗議されたという。著者と講談社は回答書を送ったが、反応はなかった。確かに身近に仕えることで知った「秘話」も存分に書かれているが、対象者の村山美知子からは信頼され、伝記を書くことを依頼されていた。この本は朝日新聞社の媒体では全く紹介されなかったという。
(村山美知子の葬儀)
 村山美知子(1920~2020)は長命だった。2020年に99歳で亡くなっている。1977年以来朝日新聞社主を務めていたが、社主である村山美知子という人を僕は全く知らなかった。クラシック音楽に造詣が深く、「大阪国際フェスティバル」という催しを1958年から開催してきたという。これはすごく有名な音楽祭だというが、名前も知らなかった。今年も開かれている歴史の長い音楽祭である。大阪の新朝日ビルに作られた旧フェスティバルホールは、実に素晴らしい音楽ホールだったらしい。当時は上野の東京文化会館さえまだなかったのである。(2012年に建て直された新ホールも、旧ホールの音響環境を維持しているという。)

 樋田氏は是非クラシック音楽ファンにも読んで欲しいと書いている。この本で見る村山美知子の音楽に関する見識は大変なものがある。世界中からテープを送ってきたという。音響の良さにひかれて、世界の音楽家から愛された音楽祭だった。ストラビンスキーカラヤンロストロポーヴィチなどはその一例である。1967年にはバイロイト音楽祭の2回しかない海外公演が開かれ、多くのオペラファンが東京からも通ったという。(東京公演はなかった。)日本の若い音楽家を早くから支援し、外国で賞を取りながら日本で活躍の機会がなかった小澤征爾佐渡裕などに活躍の場を与えたのもこの人だった。
(村山龍平)
 世界音楽史に輝く有名人が綺羅星の如く出て来るので、あ然とする。音楽祭プロデューサーとしては「お嬢さん芸」を越えたものがあった。しかし、やはり村山美知子という人は、まず祖父村山龍平(1850~1933)から書かないといけない。村山龍平は1879年に大阪で朝日新聞を創刊した時の一人である。1881年に木村家から株を買い取り、上野理一とともに経営者となった。「大阪朝日新聞」である。その後もおおよそ村山家=3分の2上野家=3分の1という構成で、両家が朝日新聞社の株主として続いてきた。1888年には東京にも進出し、戦争や大衆社会化を経て大発展していった。

 ビックリするほどの高配当を続けて、村山家は関西実業界でも有数の大富豪となった。神戸の御影(みかげ)に大邸宅を築き、今はその一角に村山龍平の収集品を集めた香雪美術館が建っている。龍平の一人娘、於藤は婿として長挙(ながたか)を迎え、長女美知子と次女富美子が生まれた。龍平翁絶頂期に初孫として生まれた美知子は、祖父に可愛がられて育つ。「ザッツ・深窓の令嬢」という感じで、こういう人が日本にもいたのかと感心した。関東圏ではなかなかお目に掛からないタイプのお嬢様である。 
(父母と姉妹)
 樋田氏は社主付を引き受けた後に、君の本当の仕事は朝日が外資に乗っ取られた時にその経緯を世に問うことだなどと先輩に言われている。朝日はあれこれ言われ続けたが、この何十年かの経営陣にとって「村山家の株がどうなるか」こそ最大の関心事だったことがよく判る。美知子の父、長挙は戦時中に朝日新聞社長となったが、主筆の緒方竹虎と対立した。戦後に公職追放されるが、解除後に社主、社長に復帰し、経営陣との対立が再燃した。1963年には「村山事件」と呼ばれる内紛が起こり、対立は決定的となった。(もう一人の社主、上野家は経営側を支持した。)
(晩年の美知子社主)
 そういう経緯があり、樋田も警戒して接していたが、次第に美知子の優雅な生き方に魅了されてしまう。ミイラ取りがミイラになるというか、スパイとして送り込まれたのに二重スパイになったというか。言葉が適切じゃないかもしれないけど、朝日新聞社のやり方もどうなんだと思うことが多くなっていくのである。美知子には短い結婚歴があったことがこの本で明かされたが、その後は独身を通し後継はいない。妹には子どもがいたので、放っておくとすべての株は甥の元に行く。その甥という人物は新聞経営には関心がなく、美知子も社主向きではないと考えていた。

 甥はアスキー創業者の西和彦と親しく、社主一族が集まった時などに連れてきたりしていた。そんなこんなから、最後は外資に株が売られるのではという憶測が週刊誌などに掲載されることになった。しかし、樋口が実際に会った感じでは、そういう人ではないと書いている。非上場である朝日新聞社株を相続する際、その株をいくらで計算するべきか。場合によっては莫大な相続税が掛かってしまう。そういうことを甥の側でも心配していたのは間違いない。一方、美知子の方でも「家の存続」のため、養子を探す試みも行われた。そこら辺は今までには知られない話だと思うけど、いやあ「上」の方は大変ですねえという感じ。

 その間の社の対応に樋田氏は疑問も持つわけである。僕はその「村山家の株問題」をどう解決するのは良かったのか、全然判らない。でも、そういう秘話があったということは事実なんだから、大変面白かったのである。「公器」である新聞社の裏ではそういうことがあったのだ。大変面白い本だったけど、一番は「深窓の令嬢」ってこういうものかという感慨である。美知子社主は最後の最後まで、筋金入りの令嬢として生き抜いた。著者ならずとも、知らず知らずに引きつけられていくのである。
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『ヒルは木から落ちてこない。』、抜群に面白い本です

2023年05月13日 22時20分54秒 | 〃 (さまざまな本)
 最近読んでる本とだいぶジャンルが違うけど、すごく面白い本を読んだので紹介。『ヒルは木から落ちてこない。 僕らのヤマビル研究記』(山と渓谷社、2021)という本で、書いたのは「樋口大良+子どもヤマビル研究会」になっている。つまり、子どもたちの活動でヒルを研究した記録なのである。樋口さんという人は元小学校の校長先生で、退職後に子どもたちの自然体験学習の指導員を頼まれたのである。場所は三重県の鈴鹿山脈の麓で、その辺りはヒルが多いところとして知られているという。

 「ヒル」って、山の方にいて血を吸うアレである。ゴキブリや蚊なんかと並び、嫌な虫の代表格である。まあ、虫じゃないんだけど。同じように血を吸う点で比べると、蚊に刺されるとかゆくなるし時には病原菌を媒介する。一方、ヒルは病気は媒介しないというから、まだマシ。だけど、ヌメッとして気付かないうちに吸ってるのが何だか気味悪い。そう思う人が多いと思うけど、何とそのヒルを子どもたちが研究しちゃったのである。最初は読んでるこっちも気持ち悪いけど、次第に慣れてきちゃうのが不思議。
(ヤマビル)
 鈴鹿山脈は神奈川県の丹沢などと並んでヒルが多いという。自然活動をしていると、どうしてもヒルにやられてしまう。ヒルは血を吸うときに、「ヒルジン」という麻酔効果があるものを出して、人間が感じないようにして吸血する。ヒル忌避剤というのもあるが、それでもなかなか防げない。では、そのヒルってどんな生態の生き物なのだろうか。研究している人を探したけど、日本には誰もいないらしいのである。それじゃあ、自分たちで研究しちゃおうというのが「子どもヤマビル研究会」。

 もう10年以上続いているという子ども研究会の活動をまとめたのがこの本である。これが抜群に面白いのである。新発見が続々で、純粋に科学的好奇心が刺激される。小学生(高学年)と中学生で、これだけ出来ちゃうのである。特に重要なのは、題名にもなっている「ヒルは木から落ちてこない」の証明である。ヒルは下も注意だけど、木から落ちてくるのも要注意だと確かに今まで言われていた。自分はヒルにやられたことは無いけど、木にもヒルがいるという話は聞いたことがある。

 ヒルを捕まえないと話にならないから、最初はヒルがどこにいるかを探す。だんだんヒルを大量に捕獲出来るようになった結果、どうも「木の上説」はおかしいんじゃないかと思うようになる。調べると泉鏡花高野聖』に、ヒルが降ってくる場面があるという。そう言えば、そんな描写があった。皆が今までそう信じていたのである。それが本当なのかどうか、どういう風に立証出来るだろうか。そこら辺の「仮説」「実験」「証明」のプロセスが面白い。「論理学」を教える意味で非常に意義がある。
(樋口大良氏)
 だけど大人たちはなかなか納得しない。確かにヒルは首にも付くのである。だが、それは足から登っていったことを証明してしまう。僕は完全に納得した。次は「解剖」である。エッ、ヒルを解剖するのと思うけど、内部構造も調べてみたいのである。さらに産卵を観察してみたい。誰も成功していないのである。そして「ヒルはどうやって広がるのか」という大問題がある。そういう問題に子どもたちがチャレンジする。その結果も大切だが、子どもたちでチャレンジした経過が魅力的なのである。

 ヒルは環形動物で、ミミズの仲間である。皮膚がすごく硬くて、足で踏みつけてもなかなか破れない。血を吸えなくても、ずっと生きてるらしい。じゃあ、何の血を吸うのだろうか。ちゃんと研究されてないから、疑問が次々と湧くのである。そういう知的好奇心をくすぐられる本。特に学校の図書室には是非置いて欲しい。そして、欺されたと思って読んでみて下さい。絶対面白いから。研究会はまだまだ続いていて、ブログで知ることが出来る。
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映画『せかいのおきく』、黒木華が素晴らしい傑作だけど…

2023年05月12日 22時42分44秒 | 映画 (新作日本映画)
 連休中は大島渚(国立映画アーカイブ)やゴダール(角川シネマ有楽町、ヒューマントラストシネマ渋谷)をつい何本か見てしまった。やっぱり時代が違っていて、なんで見に行ったんかなあと正直思った。その間に新作もずいぶん公開されたが、最近見た阪本順治監督の新作『せかいのおきく』は傑作だった。しかし、『せかいのおきく』は3週目に入ったら上映が減っている。黒木華寛一郎池松壮亮主演で、拡大公開もされたから大ヒットしてもいいのだが…。

 この映画のチラシを初めて見たときは、てっきり「世界の記憶」かと思った。そうしたら、よく見れば『世界のおきく』という題名だった。これは阪本順治監督初めての「時代劇」で、幕末期の気高い青春物語である。何と大部分が白黒で、ところどころパートカラーという映画だった。安政五年(1858年)から万延を経て、文久二年(1862年)までの江戸が舞台だが、安政の大獄桜田門外の変も出て来ない。外国貿易も出て来ない。世は「尊皇攘夷」で騒がしくなりつつあるが、それも関係ない。
(池松壮亮と寛一郎)
 矢亮(やすけ=池松壮亮)と中次(ちゅうじ=寛一郎)は、武家屋敷や長屋を回って人々の糞尿を集める「汚穢屋」(おわいや)である。江戸では肥料として糞尿を近隣の農家に売る「循環経済」が成立していたのである。その糞尿を集めるのが「汚穢屋」である。インドと違って被差別身分の人々が担当したわけではない。矢亮は郊外に住んでいるが、中次は江戸市中の長屋にいる。つまり「町人身分」なのだが、それでも周囲の人々からは見下されている。この映画は江戸時代の循環社会を描くと同時に、世界映画史上に冠たる「糞尿映画」でもあった。まあホンモノじゃないと思うけど、これじゃあデートに使えないというリアルさである。
(おきくと出会う)
 ある日雨が降ってきて、矢亮とその頃は紙くず拾いをしていた中次が雨宿りをしていると、そこへおきく黒木華)も雨宿りに来る。武家の娘であるが、故あって今は長屋に落ちぶれている。父親松村源兵衛佐藤浩市)は、勘定方として不正を見過ごせず上司に報告したところお役御免になってしまったのである。母も亡くなり、おきくは木挽町の貧乏長屋に住んで、寺子屋で読み書きを教えている。今では「屁」とか「糞」とか平気で言えるようになってしまったと父に当たる勝ち気ぶりは見応えがある。
(長屋のおきく)
 その後、執念深い敵は長屋まで源兵衛を追ってきて、父は殺されてしまう。その時おきくも、首筋を切られて言葉を出せなくなってしまった。つまり、後半のおきくは全くの無言である。何とか命は助かったものの長屋の一室に引きこもったおきくだが、そんな時も「汚穢屋」の中次だけは親切にしてくれる。これは「身分違いの恋」なんだろうか。お互いに戸惑いながらも惹かれあっていく様子を、黒木華は実に繊細に演じている。長いコロナ禍の間にCM女優の印象が強くなった黒木華だけど、これは主演女優賞がやっと回ってくるかもしれない傑作だと思う。
(寺子屋に戻ったおきく)
 長屋のセットも素晴らしい。近年の阪本作品をずっと担当している笠松則通の撮影も実に見事。だけど、リアルすぎてちょっと敬遠したくなる人もいるだろう。今の若い人は「肥溜め」(こえだめ)を知らないと思う。僕の子どもの頃は周りにいっぱいあって、落ちた子もいるという話だった。どんな田舎だよと思うかもしれないが、僕は東京生まれ、東京育ちである。妻は日本一の米どころ新潟県出身だが、市内中心部で育ったから稲作を全然知らない。逆に東京区部だけど、周りが田園地帯だった僕は毎日あぜ道を通って小学校に通っていたのである。
(おきくと中次)
 この映画だけ見ると、集めた糞尿をそのまま畑にまくように思うかもしれない。しかし、それは間違いで、集めた糞尿は肥溜めで発酵させてから肥料にするのである。よく見ると、映画でも一度肥溜めに入れて、その肥をまいている。それはともかく、「汚穢」の世界に気高く生きる「おきく」と二人の青年は、表層の激動とは関わりなく必至に生きている。もうすぐ「ご一新」になるとはまだ誰も知らない。中次役の寛一郎は、佐藤浩市の息子で、親子共演。父が踏ん張って、早く汲み上げたい子が外で待つシーンがおかしい。阪本順治監督としてもデビュー作『どついたるねん』やベストワンになった『』レベルの忘れがたい名作である。まあ、頑張って是非見て下さい。
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