「[『9月入学』論への4つの疑問」という記事を書いた。これは「実務的」的な困難さを指摘する意味で書いたんだけど、 世の中には「9月入学、それもいいのでは」みたいな感想がけっこうあるようだ。安倍首相も国会で「前広で議論していく」なんて答弁した。「前広」(まえびろ)って何だ? 聞いたことないけど、一発変換できるから元からあるのか。ある種の「永田町用語」なんだろう。
全国の知事の中には「コロナ・レガシー」などという言葉を使って「9月入学」を推進する人までいる。今多くの大学生が「学費を払えない」「アルバイトが無くなった」「帰省もできない」という状況に追い込まれている。一部調査によると、退学せざるを得ないと考えている人も2割に上るとか。今緊急に対策を考えるべき教育問題は、そちらじゃないのか。図書館も閉まっていて勉強も出来ないのに、大学のある都市部から故郷に帰ってくるなとまで言われているのである。
(知事たちの主張を紹介するテレビ番組)
何でも安倍首相は「緊急事態宣言」を大幅に延長する意向とか。思い起こしてみれば、3月には緊急事態宣言は不要といい、宣言に踏み切った時も7都府県に絞って、当初は休業要請は2週間様子を見てとか言っていた。それが最終的には全国に緊急事態を宣言せざるを得なくなり、今度はそれもまた大幅に伸びるという。初めから短距離走とは思ってないけど、それにしてもハーフマラソンかと思って走っていたら、突然フルマラソンに変更すると言われ、もしかしたら100キロマラソンになるのかも…となっては安倍内閣の対策が厳しく問われるべきところだ。
ところが突然の「9月入学」論議。今はますます大変になる自営業などへの支援策に専念するべき時期なんじゃないだろうか。大体「コロナ・レガシー」って、それは本来オリンピックだったはずだ。「人類がウイルスとの戦いに勝った証」とか言ってたじゃないか。コロナウイルスが案外長引く、年末からまた広がるといった観測も多くなり、果たしてオリンピックは実施できるのかという意見も多くなってきたように思う。僕は今回の首相の「前広発言」はうすうす五輪中止を覚悟し始めた「証」なのではないかと思う。「北朝鮮のミサイル」みたいな、議論を他にそらす論点を必要とし始めたのである。
それはともかく、ニュースなどで見ている限り、一番重要な「義務教育開始年齢を遅らせるのか」を指摘する声がない。遅らせないんだったら、4月から8月生まれの子どもを小学校に受け入れなければならない。それが「義務教育」の意味である。幼稚園はその年だけ、特別に早期卒園させるしかない。私立幼稚園の経営にも影響しそうだが、幼稚園は義務じゃないんだからやむを得ない。そうしない限り、義務教育の開始を5ヶ月遅らせることになる。「幼稚園の義務化」という議論もあるが、それでも初等教育の開始を遅らせることには変わりない。
議論していけばポシャるに決まってる「9月入学」だと思ってるが、世の中には倒錯した議論が横行している。学年が会計年度をまたぐことになるから、「会計年度を変える必要がある」などという意見もあった。会計年度は教育のためにあるわけじゃない。国家の制度設計全てを変更することになるから、会計年度を変えるなんてすぐに出来るはずがない。準備期間は少なく見積もっても5年必要だろう。まだ実社会に出ていない高校生だったら、実務的論点に見落としがあっても仕方ないが、世の中のリーダーである首相や知事などがすぐに出来るはずもない議論をしたがるのは困ったもんだ。
そもそも「欧米の入学時期に合わせる」という発想に問題がある。「世界標準」だとか「留学しやすい」とか言っても、要するに今の大学4年生(普通の4年生大学の場合)、高校3年生(全日制高校の場合)の「卒業を4ヶ月延ばす」(卒業式を3月から7月に変更するとして)ということである。その間の授業料や生活費は誰が負担するんだろう。大学生どころか、高校生にも退学せざるを得ない人が出てくるのは予想される。「留学に都合がいい」というのは「エリートの発想」であって、現実には「早く社会に出て働かないといけない」という大学生、高校生の方がずっと多いはずだ。
与野党ともに政治家はほぼ大学卒であって、留学経験も豊富な人が多い。官僚やマスコミ関係者も同様だと思うが、それは国民の実態を反映していない。国民の半数は大学へ行かないし、大学へ行っても大部分は留学はしないだろう。もっと留学した方がいいという議論は出来るが、国費で全額面倒を見るならともかく、経済的に無理な人が多いだろう。多額の奨学金を背負って、アルバイトしながら学費を工面している学生には、留学の都合よりも早く卒業出来る方が優先するに決まってる。
いつもは「日本スゴイ」「日本第一」みたいに言ってる政治家たちが、突然「欧米に合わせよ」などと言い始めたのも奇怪である。その欧米も学校は休校しているわけだが、欧米では入学時期を変えるのか。変えずにやっていけるんなら、そっちのやり方を「欧米に合わせる」でもいいはずだ。入学時期だけ「欧米に合わせる」んじゃなくて、「全ての高校を単位制にする」とか「義務教育でも落第制度を設ける」とか内容面、質的な面で合わせることを議論する方がずっと有益だ。
全国の知事の中には「コロナ・レガシー」などという言葉を使って「9月入学」を推進する人までいる。今多くの大学生が「学費を払えない」「アルバイトが無くなった」「帰省もできない」という状況に追い込まれている。一部調査によると、退学せざるを得ないと考えている人も2割に上るとか。今緊急に対策を考えるべき教育問題は、そちらじゃないのか。図書館も閉まっていて勉強も出来ないのに、大学のある都市部から故郷に帰ってくるなとまで言われているのである。
(知事たちの主張を紹介するテレビ番組)
何でも安倍首相は「緊急事態宣言」を大幅に延長する意向とか。思い起こしてみれば、3月には緊急事態宣言は不要といい、宣言に踏み切った時も7都府県に絞って、当初は休業要請は2週間様子を見てとか言っていた。それが最終的には全国に緊急事態を宣言せざるを得なくなり、今度はそれもまた大幅に伸びるという。初めから短距離走とは思ってないけど、それにしてもハーフマラソンかと思って走っていたら、突然フルマラソンに変更すると言われ、もしかしたら100キロマラソンになるのかも…となっては安倍内閣の対策が厳しく問われるべきところだ。
ところが突然の「9月入学」論議。今はますます大変になる自営業などへの支援策に専念するべき時期なんじゃないだろうか。大体「コロナ・レガシー」って、それは本来オリンピックだったはずだ。「人類がウイルスとの戦いに勝った証」とか言ってたじゃないか。コロナウイルスが案外長引く、年末からまた広がるといった観測も多くなり、果たしてオリンピックは実施できるのかという意見も多くなってきたように思う。僕は今回の首相の「前広発言」はうすうす五輪中止を覚悟し始めた「証」なのではないかと思う。「北朝鮮のミサイル」みたいな、議論を他にそらす論点を必要とし始めたのである。
それはともかく、ニュースなどで見ている限り、一番重要な「義務教育開始年齢を遅らせるのか」を指摘する声がない。遅らせないんだったら、4月から8月生まれの子どもを小学校に受け入れなければならない。それが「義務教育」の意味である。幼稚園はその年だけ、特別に早期卒園させるしかない。私立幼稚園の経営にも影響しそうだが、幼稚園は義務じゃないんだからやむを得ない。そうしない限り、義務教育の開始を5ヶ月遅らせることになる。「幼稚園の義務化」という議論もあるが、それでも初等教育の開始を遅らせることには変わりない。
議論していけばポシャるに決まってる「9月入学」だと思ってるが、世の中には倒錯した議論が横行している。学年が会計年度をまたぐことになるから、「会計年度を変える必要がある」などという意見もあった。会計年度は教育のためにあるわけじゃない。国家の制度設計全てを変更することになるから、会計年度を変えるなんてすぐに出来るはずがない。準備期間は少なく見積もっても5年必要だろう。まだ実社会に出ていない高校生だったら、実務的論点に見落としがあっても仕方ないが、世の中のリーダーである首相や知事などがすぐに出来るはずもない議論をしたがるのは困ったもんだ。
そもそも「欧米の入学時期に合わせる」という発想に問題がある。「世界標準」だとか「留学しやすい」とか言っても、要するに今の大学4年生(普通の4年生大学の場合)、高校3年生(全日制高校の場合)の「卒業を4ヶ月延ばす」(卒業式を3月から7月に変更するとして)ということである。その間の授業料や生活費は誰が負担するんだろう。大学生どころか、高校生にも退学せざるを得ない人が出てくるのは予想される。「留学に都合がいい」というのは「エリートの発想」であって、現実には「早く社会に出て働かないといけない」という大学生、高校生の方がずっと多いはずだ。
与野党ともに政治家はほぼ大学卒であって、留学経験も豊富な人が多い。官僚やマスコミ関係者も同様だと思うが、それは国民の実態を反映していない。国民の半数は大学へ行かないし、大学へ行っても大部分は留学はしないだろう。もっと留学した方がいいという議論は出来るが、国費で全額面倒を見るならともかく、経済的に無理な人が多いだろう。多額の奨学金を背負って、アルバイトしながら学費を工面している学生には、留学の都合よりも早く卒業出来る方が優先するに決まってる。
いつもは「日本スゴイ」「日本第一」みたいに言ってる政治家たちが、突然「欧米に合わせよ」などと言い始めたのも奇怪である。その欧米も学校は休校しているわけだが、欧米では入学時期を変えるのか。変えずにやっていけるんなら、そっちのやり方を「欧米に合わせる」でもいいはずだ。入学時期だけ「欧米に合わせる」んじゃなくて、「全ての高校を単位制にする」とか「義務教育でも落第制度を設ける」とか内容面、質的な面で合わせることを議論する方がずっと有益だ。