尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

レバノン映画「判決 ふたつの希望」

2018年09月30日 21時59分58秒 |  〃  (新作外国映画)
 レバノン映画「判決 ふたつの希望」が公開されている。2017年ヴェネツィア映画祭男優賞、2018年アカデミー賞外国語映画賞ノミネート作品。これはとても優れた裁判映画だった。シナリオも俳優の演技も優れているが、やはり中東地域の複雑な社会情勢を正面から描いているところに感銘を受けた。ただレバノンの複雑な歴史をある程度知ってないとよく判らないかと思う。

 レバノンの首都ベイルート。その一角で住宅の補修作業を行っていたパレスチナ人の現場監督ヤーセルと、マロン派キリスト教徒のレバノン人男性トニーが、アパートのバルコニーからの水漏れをめぐって諍いを起こす。たったそれだけの事なんだけど、上司に連れられて謝罪に訪れたヤーセルがトニーの「暴言」に腹を立てて殴りかかって肋骨を2本折ってしまい、トニーは裁判に訴える。裁判のシステムがよく判らないが、刑事と民事の裁判を一緒にやってる感じだ。

 一審は裁判長が訴えを却下するが、トニーは控訴し双方に弁護士が付く。双方の弁護士の「活躍」も興味深いが、お互いの関係にはビックリ。そのうちにどっちも応援団が過熱化し、傍聴席も大荒れ、場外では暴動めいた衝突も起こり、レバノンを二分する騒ぎとなる。大統領まで乗り出して和解を探るけど…という「法廷ドラマ」が興味深い。また二人を取り巻く人々、例えばトニーをいさめる妊婦の妻の運命。ヤーセルを使ってる会社の実情とパレスチナ人の立場も興味深い。

 トニーは冒頭から「レバノン軍団」の参加者と明示されている。これはキリスト教マロン派の民兵組織で、1982年にイスラエル軍が侵攻してきた「レバノン戦争」ではイスラエル軍に協力した。その時のイスラエル国防相(後に首相)がアリエル・シャロンで、トニーの暴言というのは「シャロンに殺されていればよかったんだ」というものだった。キリスト教徒もアラブ人であり、レバノンはアラブ国家である。タテマエ上は「反イスラエル」で「パレスチナ難民は同情するべきもの」だ。この暴言は社会通念上の一線を越えている。(だからケガさせてもいいかは、立場によって変わる。)

 レバノンは地中海に面した中東地域の国で、シリアの南西、イスラエルの北にある。マロン派キリスト教徒が多いため、第一次大戦後のオスマン帝国崩壊後にフランスによって独自の地域とされた。「マロン派」というのを調べてみると、「東方典礼カトリック教会」の一つとある。正教会などと儀礼は共通だけど、カトリックの教皇権を認めているという。マロン派の有名人として、カルロス・ゴーンやブラジルのテメル大統領などがいるという。

 レバノンにはイスラム教、キリスト教各派がモザイク状に存在する。そのため国会の議席は宗派別に決められている。キリスト教徒とイスラム教徒は同数の64人ずつ。さらにキリスト教ではマロン派が34人、ギリシャ正教会が14人、ギリシャ・カトリック教会が8人、アルメニア正教会が5人、他3人といった具合。イスラム教ではスンナ派が27人、シーア派が27人、ドゥルーズ派が8人、アラウィー派が2人といった具合。そして、大統領はマロン派首相はスンナ派国会議長はシーア派が務めるのが慣例となっている。そんな国だから、宗派対立が国を揺るがす事態になるわけだ。

 排水管工事をしていたヤーセルは、その地域がマロン派地区だと判っていて、イスラム教の従業員のお祈りは目立たぬように駐車場でやるように指示していた。ヤーセルは現場をきちんと掌握して工期を守るが、一方で安い中国製塗料は使わずにイタリアの塗料を使う。会社を経営しているイスラム教徒の議員からはうっとうしがられている。パレスチナ難民は実は安く使われる存在で、本音では下に見られているらしい。トニーはマロン派の中でも過激な右派組織に共鳴していたが、その理由も明らかになる。ヤーセルもトニーも、ともに過去を背負っている。二人とも黙っていないタイプなのだ。(なお、中国製品が「粗悪品」の代名詞のように使われている。)

 監督・脚本はジアド・ドゥエイリ(1963~)で、ベイルートからアメリカに留学してタランティーノ映画に参加した。パレスチナ難民ヤーセル役のカメル・エル=バシャは実際にパレスチナ人で、ヴェネツィアで受賞したのも納得の名演。トニーを演じるアデル・カラムも、右翼的な自営業者をうまく演じている。元々の排水管は違法建築だったのである。弁護士役の二人も存在感がある。映画的完成度、内容の両面からも、今年屈指の名作だと思う。

 アカデミー外国語映画賞は日本で公開されない映画も多い中、今年はノミネート作品がすべて公開された。受賞はトランスジェンダーを描くチリ映画「ナチュラルウーマン」だが、他にロシア映画「ラブレス」、スウェーデン映画で昨年のカンヌ映画祭パルムドール「ザ・スクエア 思いやりの聖域」、ハンガリー映画「心と体と」である。ホント世界は様々、表現も様々だなと思う。
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劇団民藝「時を接ぐ」-満映で働いた女性編集者

2018年09月29日 21時15分23秒 | 演劇
 劇団民藝の「時を接ぐ」(つぐ)を見た。10月7日まで。新宿の紀伊国屋サザンシアター。岸富美子・石井妙子「満映とわたし」(文藝春秋刊)の舞台化で、黒川陽子作、丹野郁弓演出。石井妙子は「おそめ」や「原節子の真実」を書いたノンフィクション・ライターで、その本は満映で働いた経験を持つ岸富美子の話をまとめたもの。まあ読んでないけど。

 あらすじをコピーすると、「東洋一とうたわれた映画撮影所、満洲映画協会〝満映″。戦中、日本から大陸へとわたった多くの映画人たちは、1945年8月15日の敗戦を境に過酷な運命をしいられることとなる。「編集」という映画製作では、もっとも地味でかつ重要な仕事を担うひとりの女性技師。逆境のなかで、彼女は、技術者としての確かな腕と誇りで、自らの人生を切り拓いていくのだった……。」ということになる。満映の理事長は関東大震災後に大杉栄、伊藤野枝らを虐殺した甘粕正彦。満映が生んだ大スターが「李香蘭」で、「満州人」とされたが実は日本人の山口淑子

 甘粕の話はちょっと出てくるが、話は淡々と進む。主人公の家は貧しく、兄が映画会社に勤めた。やがて「満映」に行って妹も勤めることになるが、何せ「編集」という仕事だから見栄えはない。自伝の舞台化だから、時間軸に沿って進むが、いつのまにか日本も敗色濃厚になっている。マジメで浮いた話もない主人公に周りが縁談を世話して、お見合いらしいお見合いもなく結婚したのは昭和20年8月11日(だったかな)。そこで休憩になって、二幕目に入ると主人公一家は炭鉱で働いている。そこで夜は政治集会があり、主人公も自己批判を要求されたりする。

 その後、満映の撮影所は「東北電影」となり、主人公は呼び戻されて編集の仕事を中国人助手に教えることになる。そして革命後の中国映画の代表作と言われた「白毛女」の編集にも実質的に携わることとなった。と話は進むけど、舞台の上は不思議な感じで進行する。装置を作り直しつつ、多くの俳優が舞台上で主人公たちの演技を見ている。それは「中国人民衆」でもあるだろうが、映画に出ている俳優たちでもある。彼らが俳優として自在に舞台上を動くことで、「編集」の仕事がよく判る。そんな風に進んできて、本の元になった記録を読んでいた主人公の娘がツッコミを入れる。書いてない時期がある。お母さんはなんか怒っているけど、それは何故?

 主人公は「満映」で仕事をしていたが、それは「日本帝国主義」のために働いていたのか。敗戦後は中国革命後の「東北電影」で働くが、「編集」という仕事は脚本や監督の意図をよりよく生かすための「技術」でしかないと思っていたのだ。しかし仲良くしていた(と思ってた)中国人監督は家族を日本軍に虐殺された過去があったが、主人公は全然知らなかったし、初めは信じられなかった。単なる「技術」なんてものはないんだとそこで気づいた。自分は自分に怒っていたのだと語る。そして単にフィルムをつなぐだけでなく、歴史の記憶を次の世代につないでいくのが大切なんだと。

 ということで最後になると、この劇が何を言いたいのかがよく判るんだけど、そこまでが淡々と進み過ぎる。せっかく「満映」を舞台にしながらも、あまりドラマがないまま進んで行く。前半は特にそんな感じで、疲れていたから眠くなってしまった。やはり劇というのは、もう少し「劇的」な展開が必要なんじゃないか。これほどの題材をもとにしながらも、なんだか淡彩なイメージで残念。「満映」や「満州国」がどのように映画かれているのかという関心から見たいと思ったんだけど…。主人公の岸冨美江役は日色ともゑの熱演。役者もいっぱい出ていて頑張ってるんだけど、どうも淡白な舞台になるのが最近の「新劇」かな。
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小野正嗣の小説を読む

2018年09月27日 22時57分54秒 | 本 (日本文学)
 芥川賞直木賞を受賞した作品ぐらい、文庫になれば読んでみたい。新人賞だから、気に入ればその後も読んでいく作家になる。最近の作品が何冊かまとまったので読んでみたが、直木賞では青山文平「つまをめとらば」が面白かった。芥川賞では柴崎友香「春の庭」の趣向、羽田圭介「スクラップ・アンド・ビルド」の勢いも悪くはないけど、第152回受賞作、小野正嗣「九年前の祈り」がすごく面白かった。ついでに他の文庫本もまとめて読んでしまった。 

 小野正嗣(おの・まさつぐ、1970~)は、作家ではあるけど、それ以前にフランス文学者で、立教大学教授である。そして今はすっかり「日曜美術館」の司会者のイメージが定着した。前任の井浦新が歴代最長の5年間も務めていたので、最初はどうかなと思わないでもなかったけれど、いつの間にか「藤田嗣治アタマ」の小野正嗣になんとなく馴染んでしまった。

 小野正嗣の小説は「」と呼ばれるリアス式海岸の海辺の村が舞台となっている。全部読んでるわけじゃないけど、どうも全部がそうらしい。中上健次の紀州の「路地」や、大江健三郎の四国の森、あるいはフォークナーの「ヨクナパトーファ郡」を思い出したりするわけだが、激しいドラマの世界と言うより、マジックリアリズム的な手法も駆使して「世界の果て」が描かれている。

 著者自身が大分県蒲江町(現佐伯市)の出身で、そこが舞台になっているのである。「蒲江」(かまえ)は大分県の一番南で、宮崎県に面したところ。今は北にある「佐伯」(さいき)と合併したが、小説では佐伯にあたる「町」と比べるように「浦」の過疎化が語られている。「日豊海岸国定公園」の一部で美しい海岸線が広がっている。「マリンカルチャーセンター」なんかの施設も作られている。小野氏は佐伯鶴城高校から東大に入り、フランス留学中に小説を書き始めた。

 芥川賞受賞作「九年前の祈り」(2014)は、発達障害の子を抱えて「浦」に戻った若い母親「さなえ」の物語。彼女の結婚相手は日本文化に関心を持つカナダ人で、日本で暮らしていたが離婚した。その子希敏(ケビン)はものすごく可愛くて天使のようだけど、扱いが難しい。町にJETプログラム(外国語指導助手など)で来ていたジャックが町おこしのカナダツアーを企画し、さなえも参加したのが9年前。年長の女たちばかりに交じって外国へ行き、そこでジャックの友人と知り合う。

 こういうことを書いていても、この小説の魅力は伝わらない。その旅行でリーダー格だった渡辺ミツの子どもが大学病院に入院しているという。さなえもお見舞いに行こうと考えるというだけのような話なんだけど、ケビンの存在感が半端じゃない。いつも干渉がましい母親の描写も圧倒的にリアル。地方の町の人間関係がリアルに描かれ、そこに泣き叫ぶケビンちゃん。リアリズム小説なんだけど、カナダに話が飛んで「九年前の祈り」の意味が判るとそういう話かと思う。

 ところが他の短編も読むと、最後の方になって短編が全部つながっていたことが判る。実は「九年前の祈り」でお見舞いに行こうとしていた相手、「タイコーさん」こそ、この連作小説の影の主人公だった。そうなって初めて著者のたくらみが判るが、実はその人こそ著者にとって「書かなければいけない人」だったのだ。最後の付録である芥川賞受賞スピーチを読むまで判らないけど。なるほどと深い感動が湧き起こる。そんな連作小説集だった。

 一番面白かったのは、2002年の三島由紀夫賞受賞作「にぎやかな湾に背負われた船」。その前に書かれた「水に埋もれる墓」(朝日新人文学賞)と一緒に文庫化されている。なんだか判らないような「にぎやかな湾に背負われた船」こそ、マジックリアリズム的手法も使いながら、「浦」の歴史をさかのぼり「満州」や「朝鮮人強制連行」まで巻き込んで「もう一つの日本現代史」を紡ぐ。語り手は「浦」の駐在の中学生の娘で、複雑な人間関係を的確にさばいてゆく。

 他にも「獅子渡り鼻」(講談社文庫)、「残された者たち」(集英社文庫)が文庫化されている。どっちも子どもが主人公格で出てくる。なかなか面白いんだけど、この2冊はどうも消化不良な感じ。長くなるから細かく書かないけど、どの小説でも過疎化した「浦」で奇妙な出来事、奇妙な人々が不思議なドラマを繰り広げる。その他いくつかの小説があるが単行本では読んでない。三島賞、芥川賞は新人賞で、その次にある谷崎潤一郎賞や野間文芸賞などはまだ受賞していない。その意味ではまだ代表作は書かれていない。今後に期待して読んで行きたいなと思う作家だ。
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山竹伸二「こころの病に挑んだ知の巨人」

2018年09月26日 23時18分33秒 | 〃 (さまざまな本)
 2018年1月にちくま新書から出た山竹伸二こころの病に挑んだ知の巨人」という本の紹介。書き残してるなあと思う問題がいくつかあり、この本のことはその一つ。ただこの本の評価は僕の手に余る。だから書くかどうか考えていたんだけど、簡単に紹介しておこうかなと思った。

 この本は簡単に言うと、森田正馬(まさたけ)、土居健郎(たけお)、河合隼雄木村敏(びん)、中井久夫という5人の精神科医心理臨床家の考えたこと、取り組んだことを彼らの書いたものをていねいに読み込んでたどった本である。もともとは朝日カルチャーセンター横浜の講座で、その時は10人を取り上げたという。他に誰がいたのか気になるが、この本で取り上げられた5人は精神医学に関心がない人でも名前を聞いたことがあるような人である。

 山竹伸二(1965~)という人は初めて読むけど、肩書は評論家。「哲学・心理学の分野で批評活動を展開している」と紹介文に書いてある。「『認められたい』の正体」(講談社現代新書)、「子育ての哲学」(ちくま新書)、「心理療法の謎」(河出ブックス)、「フロイト思想を読む」(共著、NHKブックス)の4冊の著書があると書いてある。全然知らなかった人だけど、本の名前を見れば関心領域が何となく判る。僕はあまり判らないけど、なんで買ったのかというと、心理療法への関心というより、一種の日本社会論日本思想史でもあるなと感じたからだ。

 叙述は判りやすいと思ったけど、内容が難しいのでどこまでわかったのか、自分で判断が難しい。精神医療の世界では、アメリカ精神医学会の「DSM」(精神障害の診断と統計マニュアル)の大きな影響があり、ある種マニュアル的な薬物療法が中心になっていると言われる。特に2013年に発表された第5版(DSM5)が現在の治療の中心になっているとよく言われている。薬物で確かに効果が上がるのだから、やはり精神疾患も物質的な根拠のある病には違いない。

 一方、その結果として心理療法のそれまでの苦闘が忘れられていいのかというのが著者の考えだと思う。土居健郎の「『甘え』の構造」は70年代に一世を風靡したが、中根千枝の「タテ社会の人間関係」のような日本社会論として読まれた。僕も土居氏は社会学者かと思い込んでいたが、このような臨床の背景があって「甘え理論」が生み出されたかと興味深かった。戦前の森田正馬は今も「森田療法」で知られるが、どういう人か知らなかった。森田は自他の臨床経験を突き詰めたけれど、「関係論」が弱いというのはなるほどと思った。

 70年代以後に名前をよく聞いた河合隼雄中井久夫も、背景となる理論とは別に、深い臨床経験からもたらされた共通点が多いという。河合隼雄はユング派で、「母性社会」として日本をとらえた。その妥当性はともかく、日本社会論としてきちんと考えるべき論点だと思う。同時代的にエッセイなどを読んできたので、全体像がよく判らない。一番興味深かったのが、元京大教授の木村敏(1931~)。「時間」の概念で心を深くとらえ、世界的にも評価が高いという。僕も名前は知ってたけど、読んだことがなく全然中身を知らなかった。

 統合失調症はさまざまな兆候(幻聴など)を「未来」としてとらえる。一方、うつ病は「過去」にとらえられた病で、その間に「現在」の病もあって、それが「躁病」だというのは、なかなか考えさせられる。僕には当否が判らないけど、人間論として多くの人が読んでもいいんじゃないか。それぞれの人の章から気になるフレーズを抜き出してみる。「〈気分本位〉と〈事実本位〉」「一般的存在様式としての『甘え』」「クライエントは自分で治るのか?」「うつ病の罪責感から見た日本人」「『あせり』から『ゆとり』へ」なんて、ちょっと読んでみたくならないか。

 最後にまとめとして「文化を超えた心の治療へ」という章がある。もう僕にはよく評価できないんだけど、なかなかスリリングなことが書いてあったと思う。中井久夫の章で、精神疾患、特に統合失調症は「発病」の論理はよく議論されてきたが、「寛解」の論理があまり重視されていないというのが印象的だった。身体的な病気、例えば糖尿病を例にとると、病後の生活改善なくして病気を語れない。精神疾患も薬物療法だけでは、病状を抑えることはできるが病をもたらしたものを理解することが再発を防ぐために大切だということかなと思う。
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久しぶりの奥日光

2018年09月25日 22時56分52秒 | 旅行(日光)
 久しぶりに奥日光に旅行した。「久しぶり」と言っても、このブログを見直したら、2017年5月に行ってる。一般的には「また」に入るかと思うが、僕にはこれで「久しぶり」になる。旅行自体が半年ぶりで、昔に比べて全然行ってない。お金もヒマもないけど、一番の原因は同居している母親が高齢化していること。涼しくなってきたし、最近は元気なのでそろそろいいかなと。こっちも時々息抜きできないと困る。温泉に行きたいなあと体が求めてくる。

 ということで、いつも行ってる休暇村日光湯元。今さら施設やお風呂、食事なんかは紹介しない。今回は車を借りて行ったけど、問題は天候。2日目はもう雨で決まりみたいだった。1日目も危ない感じだけど、何とか持ちそうなので、1日目に軽くハイキングしようか。昼食も「金谷ホテル」とか「明治の館」とか休日で混んでそうなところは敬遠して、日光IC出たところにあるイタリアンの「マティータ」というお店にした。時々利用する穴場。「日光マイタケの和風パスタ」が美味しかった。

 一生懸命「いろは坂」を上って、戦場ヶ原入り口に赤沼駐車場から出る13時25分発の「低公害バス」に間に合わせて、小田代原(おだじろがはら)を散策した。ここは「貴婦人」と呼ばれるハルニレの木で有名。9月半ばから10月にかけて草紅葉が見事。その向こうに男体山が見えると素晴らしい景観になるが、今回はダメかなあと思ったらだんだん晴れてきた。
   
 木道を歩いていると、とても気持ちいい。でも上を見上げると今にも雨が降りそうな黒雲も。同行の妻は絶対降ると言って、バス停のあずまやで待ってると戻ってしまった。僕は降っても大したことはなかろうと小田代原を一周。でも裏側は風景が映えないのでまあ運動という意味である。落葉松(からまつ)はまだ散ってないので空を見上げると抽象画のような感じ。雨は降り始めたが木の下を歩くので、そんなに濡れない。そのうち止んでしまった。
   
 それから光徳牧場へ寄って、アイスを食べて牛さんを見る。ここのアイスは絶品だ。もう写真はなし。それから宿へ向かうが、もう雨が降り始めている。風呂へ入って、夕食に満足。大田原の「天鷹」純米大吟醸1合を飲んだ。これはつい頼んでしまうなあ。もう一回温泉に入って、すぐに寝る。いやあ、ずいぶん眠った。朝起きて部屋から見た景色が下の写真。もう雨である。

 ただ早く帰ってももったいないので、金精道路を上って丸沼高原までドライブ。少しは紅葉があるかと期待したが全然ない。日光白根山ロープウェイも完全に視界不良。花豆の蜜煮を買って引き上げる。帰り道は雨がものすごくなり、雷まで鳴ってきた。いやいや、少し休憩しようかとお茶にする。中禅寺金谷ホテルがやってるコーヒーハウス「ユーコン」。11時ぐらいでまだ早いので「百年カレー」は止めにして、金谷ホテルのケーキでもと思ったら、「スカイベリーとナッツのワッフル」というのがあった。これが「インスタ映え」だねという感じ。ユーコンの内観と外観も。
  
 市内に戻って、母親が好きな湯澤屋酒饅頭と自分のために落合商店紫蘇まき唐辛子。それから今市の「道の駅日光 日光街道ニコニコ本陣」で蕎麦と買い物。ここは日光土産はなんでもある感じで、わざわざ高速を降りても行く価値がある。金谷ホテルベーカリーや日光にあるユニオンソース、野菜も豊富で安い。蕎麦屋「蕎粋庵」はなかなか美味い。店名は「きょうすいあん」で「蕎」は「きょう」なのかと知る。それから宇都宮からは下の道を通り「道の駅しもつけ」でまた野菜をいっぱい買って帰ってきた。一日中雨だった。
 
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ドリアン助川の樹木希林さん追悼文

2018年09月23日 20時58分06秒 | 追悼
 東京新聞9月20日(木)に掲載されたドリアン助川の「樹木希林さんを悼む」という追悼文に、とても心打たれたので紹介しておきたい。できれば図書館等で全文を読んで欲しい。(画像で新聞記事を添付するのは著作権法上の問題があるらしいので、ここではしない。)

 ドリアン助川(1962~)は、ウィキペディアでは「作家、詩人、歌手」となっている。僕は最初に「叫ぶ詩人」として名前を知った。90年に「叫ぶ詩人の会」を作ってロックに乗せて叫ぶような詩人として活動したのである。ラジオの深夜放送などでも活躍していたが、1999年に「叫ぶ詩人の会」を解散。2年ほどニューヨークに滞在して、帰国後は「明川哲也」の名前で主に執筆とライブハウスで活動した。2011年11月から「ドリアン助川」に名前を戻して作家として活動している。

 2013年に刊行された「あん」(現在ポプラ文庫)で、ハンセン病問題をテーマとした。この本は世界12か国で翻訳出版されているという。「あん」は2016年に河瀨直美監督によって映画化され、カンヌ映画祭「ある視点」部門を初め世界各国で上映された。ドリアン助川と樹木希林の関係も、この「あん」の映画化からである。樹木希林は映画の中で、ハンセン病療養所・多磨全生園に住む元ハンセン病患者「徳江」を一度見たら忘れられないほどの深みを持って演じた。
 (左から河瀨直美、樹木希林、永瀬正敏、右端ドリアン助川)
 僕はこの「あん」の原作と映画はそれほど高く評価したわけじゃない。樹木希林が「餡」のもととなる小豆を煮詰めてゆく長いシーンは非常に素晴らしい。(小川紳介監督の「ニッポン国古屋敷村」の稲や蚕を映すシーンを思い出した。)でもその餡は「どら焼き」の餡という設定である。だったら餡と同じぐらい「どら焼きの皮」も重視して欲しいと僕は思った。あんこが美味しいのは大前提であり、僕が時々「うさぎや」のどら焼きを食べたくなるのは、あの皮の素晴らしさによるのだから。

 ハンセン病に関する記述も僕には知ってることばかりで、ちょっと失望したんだけど、これは子ども向けなんだからやむを得ない。僕は1980年夏に韓国のハンセン病回復者定着村でワークキャンプをした。その次の冬に皆でハンセン病療養所の多磨全生園を訪れたと記憶している。ハンセン病と書いたけど、当時はまだ「らい病」(法律用語として)である。資料館もまだ出来てなかった。教員になってからは、生徒を引率して何回も見学に来た思い出もある。そういう意味では年季が入ってる。だから「あん」はちょっとセンチメンタルに見えてしまうのである。

 それはともかく、追悼文。「この春、食事をご一緒した際に、樹木希林さんはご自分の体が映ったCTスキャンの画像を無言で差し出した。宴席でのその行為はあまりに唐突であり、私や関係者から言葉を奪った。「もう、治しようがないのよ」と始まっている。

 「小説『あん』に映画化のチャンスが訪れたとき、私は希林さんに手紙を書いた。ハンセン病療養所でお菓子を作り続け、哲学者へとかわっていくヒロインの徳江。彼女を演じられるのは、希林さん、あなたしかいないのです、と。希林さんからは色よい返事をいただいたが「私は人の裏側ばかり見ている腹黒い人間なのよ、決して善人じゃありません」とも言われた。」

 「映画『あん』(河瀨直美監督)が完成してから、どれだけ一緒に旅をさせてもらったことだろう。全国を回るPRの旅、カンヌをはじめとする世界各地の映画祭、あるいは小さな町や離島で行われる上映会まで、希林さんは実によくおつき合いしてくださった。そしてその旅の中で、希林さんがおっしゃっていることの半分は正しく、半分は正しくないとすぐにわかったのだった。」

 「なかば紛争状態にあったウクライナでの映画祭。周囲からは止められたが、『そういうところだからこそ行ってあげたいわよね』と希林さんはおっしゃり、二人だけで現地に向かった。『あん』を見終わったあと、目頭を押さえているウクライナの人々を希林さんは静かに抱きしめた。」

 「福島県・会津の山間部の中学校では、映画の感想を言えずに固まってしまった女生徒を、希林さんはやはり全身で抱きしめた。『私も同じだったんだよ。ひとこともしゃべれない子だった。でも、胸の中にはたくさんの言葉があるよね。』女生徒は無言のままうなずいた。」

 「ウクライナの映画祭からの帰り、希林さんは自宅に戻らず、なぜかそのまま沖縄へ向かった。翌日、辺野古埋め立てを阻止しようとする沖縄のおばあたちと腕を組む希林さんの姿があった。映画祭からの衣装そのままで。」(終)
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「感謝しかありません」の不思議

2018年09月22日 23時03分53秒 | 気になる言葉
 「気になる言葉」というカテゴリーを作ってあるので、たまにはそれを書きたい。今年の夏に高校野球やアジア大会などを見ていて気になったことがある。インタビューで「応援してくれた方へ」と問われると、ほとんどの選手が「感謝しかありません」と言うのである。これは言葉の遣い方がおかしいと思うんだけど、どこがおかしいんだろうかと考えてみた。 

 「しかない」って言うのは、普通「足りない場合」に使う。
 自販機で缶コーヒーを買おうと思った。大体100円玉の1枚か2枚は財布にあるもんだけど、見たら50円玉1枚、10円玉2枚、後は5円玉1枚と1円玉3枚だった。つまり「78円しかなかった」。これが「しかない」の使用法だろう。つまり「足りない」のである。(まあ千円札でも買えるが。)

 その前に。そもそも「感謝」って、あったりなかったりするものなのかという問題がある。しかし、同じように「絶望しかない」「不安しかない」といった言い方もあって、理解可能である。これは「絶望の思いしかない」「不安の念しかない」の「思い」や「念」が省略されたものだろう。「感謝しかない」も、だから「感謝の気持ちしかない」っていうことなんだろう。それでも「しかない」のは「絶望」や「不安」のように、ネガティヴなケースの方がしっくりくるという問題がある。

 ところでこの言葉を検索してみると、ピョンチャン五輪で金メダルを獲得した羽生結弦選手の言葉が出てくる。インタビューで、「右足が頑張ってくれた。感謝しかない。」と語っている。僕が思うに、これにはあまり違和感がない。どうしてだろうか。羽生選手は前年秋のNHK杯の練習で転倒して大けがを負った。オリンピックは絶望かとまで言われた中、復帰戦になる五輪では痛み止めを打って競技に臨んだとか。だから「不足」が前提にあって、「(不安の念しかなかったけれど、)右足が頑張ってくれた(から、)感謝(の念)しかない」と判るから違和感がないんだと思う。

 ネガティヴじゃない言葉、「感動」とか「喜び」、「希望」なんかも「しかない」と言われることがある。でも「希望しかなかった」というと、その後に「実際は違った」となる場合に使うことが多い。ニューヨークに行くことになった。自由の女神も見たい。ブロードウェイでミュージカルも見たい。野球やバスケも見てみたい。などなど、そんな「希望しかなかった。」しかし実際に行ってみたら、言葉は通じないし、時差ボケは治らないし、体調も崩れてしまった…。そう続く時にふさわしい。

 一方、言葉も不安、飛行機も嫌い、食べ物にも困るかもと「不安しかなかった」場合は、実際に行ってみたら「案外何とかなるもんで、楽しく過ごせた」と続く。「しかない」のそんな使用法からすると、「感謝しかない」と言われると、なんだか「悪いケースを想像させる」。大きな試合で勝ったのではなく負けた場合、それも期待に大きく反して惨敗したような場合、「期待を裏切って負けてしまったけど、それでも私をずっと応援してくれて感謝しかない」となる。これなら判る。

 そのような「不足」を前提にした「しかない」が、今は「完全」の状態にも使われる。多分使っている方では、自分の心の中では「感謝の気持ち」がフルになっていて、余分な要素がない。そういう「感謝以外の気持ちがない」ということで、逆転した「不足」が存在する。だから、つい「しかない」を使う。そんな風に使われているうちに、言葉が変わっていくことはよくある。「感謝しかない」もその一例なんだろうが、もう一つ違った観点もあると思う。

 それは本来「感謝は言葉だけではおかしい」ということだ。誰かにお世話になって、感謝の意味でお礼に行く。その時は「つまらないもの」を持参するのが普通である。相手に笑って納めてもらえる(笑納)程度のものである。あまりに高額過ぎて、ワイロみたいになってはまずい。「つまらないもの」ならあげない方がいいはずだけど、もちろんそれは「謙遜」で、それなりに考えた「名店のお菓子」なんかが多い。引っ越し挨拶のように、タオル一枚じゃまずいだろう。菓子折り一つ持参して感謝の念を表わす。それが「常識」である。

 そのような「贈与」「互酬」の文化圏にあっては、本来「感謝」は「別のモノ」で表す必要がある。応援してくれた人には、お金やお土産ではなくても、「何か」を付ける方がいい。でもそれは不可能だから、「(本来はもっとお礼を渡すべきだけど)、感謝(しているという気持ち)の表明しか(いま渡せるものがない)」という意味も含まれているように思う。何にせよ、僕は「感謝の気持ちでいっぱいです」とでも言う方がいいなあと思う。
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発達障害を描く「500ページの夢の束」

2018年09月21日 22時20分04秒 |  〃  (新作外国映画)
 新国立劇場の「出口なし」が予想以上に短いため、どうしようかなと思った。もともとは夫婦で浅草木馬亭に玉川奈々福桂吉坊を聴きに行く予定だった。でもぴあフィルムフェスティバルのアルドリッチ監督特集の「枯葉」があるから、そっちを見るつもりだった。でも午後7時からなので時間が空きすぎる。結局新宿まで歩いて「500ページの夢の束」というアメリカ映画を見ることにした。

 上映劇場が少ないから見た人は少ないと思うけど、これは発達障害の女性を描く秀作である。ウェンディはひとりで生きて行くには人間関係の理解が難しい。(明らかに自閉症スペクトラム障害の、ある程度重い症状。)母はいなくて、姉が結婚・妊娠したため、福祉施設で暮らしながらケーキ屋でアルバイトしている。そんなウェンディの拠り所は「スター・トレック」の脚本を自分で作ること。そこに飛び込んできた「スター・トレック脚本コンテスト」のお知らせ。

 そこで渾身の大作を書きあげるけど、郵送の期限は終わってしまう。そこでパラマウント本社に直接届けようと思いつく。一緒に付いてきちゃった愛犬ピートを見捨てられず一緒にロサンゼルスを目指す旅に出るのだが…。まずはどこからバスが出るのか判らない。渡っちゃいけないと言われている交差点を渡らないといけない。チケットを買わないといけない。一つ一つミッションをクリアーして、なんとかバスに乗り込む。ホントはペットお断りなんだけど、ピートをカバンに隠して乗り込むけど、そこはやっぱり犬だから…ってことで波乱万丈の旅が始まる。

 施設ではウェンディがいないことに気づいて大騒ぎ。姉に連絡を取り、警察にも連絡して探し始めるが、なかなか行方がつかめない。そこらへんがどうなるかは映画に任せるが、発達障害を抱えて生きる人の困難さ、そして見守る人々の存在が判りやすく描かれている。そもそも一体どこからロスを目指すのかが最初判らないけど、さすがに大陸横断なんかじゃなく、サンフランシスコ近くのオークランドからだと次第に判る。まあウェンディが行きたくなるのも判る距離だ。

 「スター・トレック」というサブカルチャーの扱いも面白い。ラスト近くの警官(パットン・オズワルド)とのやり取りにうまく行かされている。日本ならアニメになると思うんだけど、やっぱり「オタク」的なカルチャーはアメリカにもあるんだな。でもウェンディは21歳なので、日本だったら入れてくれる施設は見つかるだろうか。そんなウェンディがスタッフの支えで仕事もしているというのも興味深い。文部科学省特選になってるぐらいだから毒がない映画なんだけど、参考になることも多い。
 
 テーマにも惹かれたが、ダコタ・ファニング主演というのも見たい理由。日本で言えば広瀬アリス、広瀬すずみたいな、アメリカのダコタ・ファニングエル・ファニング姉妹。このまま行けば、フランソワーズ・ドルレアックカトリーヌ・ドヌーヴの史上最高の美人女優姉妹になるかも。監督はベン・リュ―イン。東京では新宿ピカデリーで上映中。
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サルトルの「出口なし」を見る

2018年09月20日 21時22分04秒 | 演劇
 シス・カンパニー公演、ジャン=ポール・サルトル作の「出口なし」(小川絵梨子演出・上演台本、新国立劇場小劇場)を見た。サルトルというより、大竹しのぶをしばらく見てないなあという程度の動機。発売初日に買った時、19日午後2時のB席しかなかった。大竹しのぶと言えば、この舞台の上演中(8.25~9.24)である9月1日に母親が亡くなった。亡き母の名前は聖書にちなむ「江すてる」だということだが、今回の劇で共演している多部未華子の役名が「エステル」だった。大竹しのぶは何度も「エステル」とセリフで呼ぶ。聴いてる観客としても何だか深い感慨を覚えた。

 演劇公演は長いときが多いけど、今回は1時間20分とすごく短い。サルトルがナチス占領中のパリで書いてパリ解放直前に上演された一幕ものである。設定は簡単で、とある密室に2人の女と1人の男が集められる。窓も鏡もない部屋で、何が何だかわからない。男はジャーナリストのガルサン(段田安則)、女は郵便局員のイネス(大竹しのぶ)、そして年が離れた裕福な夫がいたエステル(多部未華子)。他に門番みたいな役があるが、ほとんどこの3人で進行する。

 この3人はお互いに知らない間柄で、同じ場所にいるから自分の話をし始めるが理解しあう気持ちもない。出口なき密室で傷つけあう3人。しかし段々わかってくるけど、3人は死者でありここは地獄なのである。地獄と言っても拷問のような身体的に苦しい目には合わない。その代りに知らない人間どうしで永遠に密室に幽閉されるという刑罰を受けているのである。しかし彼らの人生には地獄に落とされるほどの悪をなしたのだろうか。

 サルトルと言えば「実存主義」であり、「アンガージュマン」(参加)である。70年代には世界的にもっとも有名な作家・思想家だったが、その後サルトルの失墜が起こった。実際にサルトルの様々な「参加」の選択は今となれば間違いが多かったと思う。でも21世紀になって、サルトル後の様々な思想家たちも相対化して見られるようになり、サルトルもちょっと見直されている。僕も「アルトナの幽閉者」の公演や仏文学者鈴木道彦(「嘔吐」の新翻訳者)の講演について書いた。

 何度たたいても開かなかった密室の扉が、ラスト近くで突然開くシーンがる。皆出て行けばいいはずだが、それでも突然の事態に皆留まることを選択する。「地獄」の中にあえて留まる。それはパリ占領下のサルトル自身のことなんだろうが、僕は見ているうちにこれは現代の話だと思った。トランプ政権のような、あるいは安倍政権のような、あるいはシリアで、ガザで、ミャンマーで、今までの経験では理解できない時代になっている。僕らは「地獄」にいるのではないのか。そして、そこから逃げられない以上は「引き受けて」「参加」するしかないんじゃないか。

 短いドラマだけど、それがサルトルを今見る意味なのかと思った。サルトルは小説以上に戯曲を書いていて、50年代のサルトルにはもっと注目すべき劇があると思う。役者では大竹しのぶ、段田安則がうまくて安定しているのは当たり前。そんな二人に絡む多部未華子が全く遜色ない頑張りでとても良かった。最近は舞台によく出ているが見たことがなかった。テレビドラマも映画でもあまり見てない。UQモバイルのCMぐらいしか思い浮かばないけど、ずいぶん存在感があった。
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「万引き家族」をもう一度(ロケ地散歩)

2018年09月19日 22時22分07秒 | 映画 (新作日本映画)
 是枝裕和監督の「万引き家族」に関しては6月に2回書いた。「映画『万引き家族』をめぐって①」「奪うこと奪われること-『万引き家族』をめぐって②」である。この映画はカンヌ映画祭パルムドールということで大ヒットした。僕が見た時には普段映画を見ないらしい人もいっぱいいた。近くの老女二人組は「アッ、樹木希林よ」とか「樹木希林しか知った人がいない」とか「リリー・フランキーってガイジンなの?」などとささやくので気になった。そういう人まで見るというのはすごいなとも思ったけど、映画には謎もあるのでもう一回見直さなきゃと思った。また調べてみるとロケ地には近いところもあるので、行ってみた上でもう一回書こうかと思った。
 
 冒頭の万引きするスーパーは、東武スカイツリーライン新田駅(埼玉県草加市)東口から徒歩10分程の「新鮮市場 八幡店」で撮影された。証拠は2枚目の店内に貼られたポスター。万引きシーンがここで撮影されたと客に示していいのかと思うが、宣伝にもなるんだろう。僕も検索してわざわざ行ってみたぐらいだから。(自宅から数駅。)少し買いものもしたが、最近よくある「セルフレジ」がない。それどころかカード決済も不可、マイバッグ割引もなしという、すごいところだった。

 この冒頭シーンから、これは「疑似的な親子」の物語だと示されている。2回見てはっきりしたのが、「一応の安定」にあった大人4人と子ども一人の「家族」が「じゅり」が入ることにより崩壊する物語である。当初の段階では、リリー・フランキーの「父」、安藤サクラの「母」はともに仕事を持っていた。その仕事は「奪われる」のだが、そのことだけでは家族の関係性は変容しない。それどころか、祖母が死んでも、疑似家族の日常は続いていた。
  
 映画の中で登場人物が食べるところ。樹木希林と松岡茉優があんみつを食べるのは、西新井大師近くの「かどや」。ラスト近く、安藤サクラたちがコロッケを食べるのが三ノ輪商店街「ジョイフル三ノ輪」にある「肉の富士屋」。地下鉄日比谷線三ノ輪駅から5分程度、都電荒川線の三ノ輪橋駅近くである。このアーケード街はとても「下町的」なスポットだ。都電を撮る人はいっぱいいるが、その周辺こそすごい写真スポット。映画でここでコロッケを買うのは、商店街の外れで撮影しやすかったからではないか。安いコロッケなら、なんと39円という店さえ近くにあった。
 
 都電の写真も一応。停留所にある昔のホーロー看板も昔のまま。大村崑のオロナミンCや松山容子のボンカレーの看板が今もあるなんて。この都電荒川線は唯一残った都営の路面電車で、三ノ輪橋から王子、大塚と経由して早稲田まで通じている。通勤で使ったこともある。他にも病院の場所、「自宅」近辺も判っているけど、まあいいかと思って行ってない。

 映画では、初めの方で男の子「祥太」は今までの関係性を気に入っている。そこに女の子が入ることが気に入らない。しかし、「じゅり」が来たことにより、海に行くという素晴らしいシーンが出現する。そのようなエピソードが並んでいるので、なんだか登場人物を点描しているような気がしてくる。しかし、2回見れば、「祥太」が「妹」が現れたことで変容していき、疑似家族をわざと崩壊させるという物語だと判る。「万引き家族の成立と崩壊」において、成立史にもドラマがあるだろうが映画には出て来ない。観客が想像しなければならない。

 僕らが見るのは「崩壊史」である。崩壊のトリガーを引いたのは、柄本明の「妹にはさせるなよ」という言葉が大きい。もう一つ駐車場でリリー・フランキーが車上荒らしをするために窓ガラスを割るシーンも重大だ。ここで「祥太」は自分が来たきっかけに疑問を持つ。そこで妹にさせないために「わざと捕まる」ことを選ぶ。だが「父」であるリリー・フランキーとの関係は完全には切れない。一方獄中の安藤サクラは祥太が連れて来られた時の情報を伝える。登場人物を善悪で真っ二つに分けない。人間は灰色のグラデーションを生きていることを映画は描いている。
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今年最強の暴走映画「愛しのアイリーン」

2018年09月18日 21時12分18秒 | 映画 (新作日本映画)
 公開直後の映画を見ることはあまりないんだけど、吉田恵輔監督・脚本の「愛しのアイリーン」は公開3日後に見た。ものすごく面白い映画だった。もともと新井英樹が1995年から96年にかけて「ビッグコミックスピリッツ」に連載したマンガ。(マンガに詳しくないので、初めて知った。)「孤狼の血」や「検察側の罪人」も主人公が暴走するが、原作を読んだから知っていた。そもそも捜査権を持つ官憲が暴走するのと一般庶民が果てしなく暴走するのではインパクトが違う。

 地方男性の結婚難外国女性との結婚が一応テーマにになるだろうが、社会性よりもひたすら暴走する「愛のゆくえ」に目が離せない。日本社会、あるいは男というものに絶望したくもなるが、どんな場所にも「愛」は降臨するのだとも感じる。42歳の宍戸岩男安田顕)は未だ「嫁」の来てもなく、母のツル木野花)は嫁探しに余念がない。勤めているパチンコ屋の同僚、吉岡愛子河井青葉)に誕生日プレゼントを貰うも失恋。もうこの際フィリピンで嫁探しするしかないと思う。

 アイリーン(ナッツ・シトイ)と結婚して帰国したのは、父の葬儀の日だった。フィリピン人の嫁など認めないと母は亡夫の猟銃を持ち出して追い払う。二人は宿を転々としながらも、愛がないからとアイリーンはセックスを拒む。言葉も通じない二人は分かり合えない。そこに母がフィリピン人なのでタガログ語が通じるヤクザが登場、アイリーンを拉致して働かせようと企む。母親は何かと銃を持ちだすが、その銃を岩男が持った時に…。いや、こんなことを書いていても何も伝わらない。トンデモ人間が飛び跳ねる映像空間で、ありえない展開の暴力の輪が回りだす。

 一体どうなるんだと画面にくぎ付けになるが、なんでそうなるのかもよく判らない展開が続く。岩男が突然フィリピン妻を求めるのも判らない。とにかくセックス処理の相手が欲しいのか。一方、母のツルは子どもを守るのは親の務めと暴走する。「スリー・ビルボード」のフランシス・マクド-マンドかと言いたくなるほど、何かといえば銃を持ち出す木野花は今年最高の怪演として記憶されるだろう。パチンコ屋の人間関係も不可思議。とにかく「田舎」の「閉塞社会」の鬱屈が身に迫ってくる。その感じはアメリカ映画で地方を描く場合にかなり似ている。

 吉田恵輔監督(1975~)は塚本晋也作品の照明などをした後で「純喫茶磯辺」「さんかく」などを作って注目された。最近は「銀の匙」「ヒメアノール」などマンガ原作の映画化をヒットさせた。今回もマンガの映画化だが、20年も前の原作でテーマ性もあるから、ウェルメイドな娯楽作品とは言えない。登場人物の暴走ぶりは映画を破綻させていると思うほどだが、ムチャクチャ面白い。

 最近地方の疲弊や退廃を描く映画がよく作られている。この映画もそんな感じだが、「フィリピン人妻」という取り上げ方は20世紀の話で少し古いか。母親の排外意識にはビックリするが、勝手に外国人妻を「買い求める」息子も理解できない。安田顕は「俳優亀岡拓次」を除き、多くの映画、テレビ、舞台で脇役を務めている。この映画は脇役専門俳優を描く「俳優亀岡拓次」と違って、ごく普通の意味の主演だが、やはり主人公は地味。なのに暴走するから怖い。愛とか性とか、人間は厄介なものを背負っている。だからこそ、これほどとんでもなく面白い映画も作られる。
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追悼・樹木希林

2018年09月16日 22時18分49秒 | 追悼
 女優の樹木希林が亡くなった。9月15日、75歳。1943年1月15日生まれなので、ちょうど75歳と8か月になる。昔ならともかく、2016年の日本人女性の平均寿命は87.14歳なんだから、まだまだ活躍してもいい年齢なのである。長らくガンで闘病中と自ら語り、ちょっと前には危篤とも伝えられていた。僕にとっては若いころから、つい先ごろまでずっと見たなあという感慨がある。

 昔は「悠木千帆」(ゆうき・ちほ)という芸名だった。文学座の研究生となり、その時代からテレビで人気を得た。60年代、70年代の記録を見ると、僕の見ている映画にもたくさん出ているが、脇役ばかりでほとんど記憶がない。悠木千帆と言えば、圧倒的にテレビドラマでの親しみやすい女優であり、テレビCMでのほとんど怪演みたいな存在感だった。「ピップエレキバン」や「フジカラー」のCMは今も多くの人が覚えているだろう。悠木千帆時代は以下のような感じ。

 悠木千帆がどうして樹木希林になったかというと、テレビのオークション番組で芸名を売りに出してしまったのである。調べてみると、1977年4月1日、NET(日本教育テレビ)が「テレビ朝日」になる記念番組だとウィキペディアにある。僕はその番組を見ていた。他に売るものがないと言って、芸名を売りに出したのには唖然とした。そんなのありかと思いつつ、買った人もあるわけで、盛り上がったとは思う。(その買われた芸名は、世田谷の飲食店主から他の女優に譲渡され、2代目悠木千帆がいる由。)その結果、新しい芸名が必要となり、樹木希林という、今は慣れてしまったけど、一種人を食ったような芸名になったわけである。

 私生活では1964年に岸田森と結婚して、1968年に離婚とある。文学座仲間で、岸田國士の弟の子、岸田今日子のいとこにあたる。1982年に亡くなったけど、吸血鬼映画などの怪演で今も記憶される。僕は岸田とのことは知らないが、1973年にロック歌手の内田裕也と結婚したのには驚いた。悠木千帆は美人女優じゃない方向で売っていたから、最先端の(ように僕が思っていた)内田裕也と結ばれたのに驚いたのである。1年半で別居したものの、書類上は最後まで結婚していた。娘が内田也哉子、その夫が本木雅弘だというのは広く知られている。

 晩年は作家性の高い映画が中心になった。テレビより撮影時間が長く、舞台と違ってシーンごとに撮るから、闘病中でも取り組みやすかったんだろう。多くの監督も敬愛の念を持って相応しい役をオファーした。役柄も準主演的な重要な役が多い。2007年の「東京タワー~オカンと僕と、時々、オトン~」あたりから、すごいな感が出てきた。2008年には是枝裕和監督の「歩いても 歩いても」に出演、キネ旬助演女優賞など高い評価を得た。これが是枝作品の初出演で、その後5作品に出ている。ダメ男阿部寛の母を演じた「海よりもまだ深く」が印象的。「万引き家族」でカンヌ映画祭パルムドールを受賞したのが、最後の贈りものだった。

 原田眞人監督の「わが母の記」(2012)、「駆込み女と駆出し男」(2015)も素晴らしい。後者の三代目柏屋源兵衛役と河瀨直美監督の「あん」(2015)の徳江役が生涯の最高傑作だと思う。今年の「モリのいた場所」「万引き家族」になると、もう演技がどうのというレベルじゃなくて、神技に近い段階。そういう役者もあるんだということを知ったと思う。
  
(順に、「わが母の記」「駆込み女と駆出し男」「あん」)
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青春映画の傑作「君の鳥はうたえる」

2018年09月15日 22時48分10秒 | 映画 (新作日本映画)
 佐藤泰志原作、三宅唱監督の「君の鳥はうたえる」は青春映画の傑作だった。函館生まれの作家、佐藤泰志は失意のうちに世を去り忘れられていた。数年前から相次いで映画化され、小説も文庫で読めるようになった。それをまとめて読んで「佐藤泰志の小説を読む」(2016.10.5)も書いた。その時思ったのは、「海炭市叙景」「そこのみにて光り輝く」「オーバー・フェンス」の「函館三部作」で映画も終わりかということだ。だって函館が出てくる長編はもうないんだから。ところが東京を舞台にした「君の鳥はうたえる」を函館に移して映画化したのである。その手があったか。

 70年代の東京の携帯電話以前の青春を、現在のスマホがある青春に移す。それが函館という町だと、案外違和感なく描ける。佐藤泰志の小説には、「三人の物語」が多い。この映画は(原作も)二人の男と一人の女のひと夏の物語だ。もちろんカラー映画なんだけど、ほとんどモノクロかと思うような暗い画面が続く。「僕」の独白で「ずっと続くかと思っていた」夏。クローズアップも多く、登場人物たちの焦燥が直に伝わってくるような映像が続く。でもやっぱり時は経って、人は変わってゆくのだ。終わりなき夏なんか、ないのだ。

 「僕」(柄本佑)はバイト先で知り合った静雄(染谷将太)と住んでいる。今は書店でバイトしているが、そこで佐知子(石橋静河)と知り合う。他に店長(萩原聖人)や同僚たち、静雄の母(渡辺真起子)なども出てくるが、映画の大部分は中心となる3人が酒場やディスコで過ごす時間である。それがものすごく楽しそうというわけでもない。ただひたすら暇つぶしみたいな感じもする。仕事もあるのに気にする素振りもない。冒頭で「僕」は無断でバイトを休んでいる。その日に佐知子を路上で待つとき、「僕」は120まで数えようと思って数字をつぶやき続ける。名シーンである。

 何を考えているのか伝わりにくい「僕」は、その揺れる心を柄本佑が好演している。「素敵なダイナマイトスキャンダル」もあったから、今年の主演男優賞かも。(主演女優賞は「万引き家族」の安藤サクラだったりして。)石橋静河(しずか)は昨年の「映画 夜空はいつでも最高密度の青色だ」で多くの新人賞を受けたが、どうしてもセリフのつたなさは拭えなかった。今回は柄本、染谷の間で全く遜色ない演技と存在感を示している。石橋凌と原田美枝子の間の娘だが、期待できる。染谷将太が二人の関係に絡んでくる。いつも不思議な感じだけど、この映画でもいつの間にか大きな存在感を発揮している。三人の危うい関係はどう動いてゆくか。

 三宅唱(1984~)は札幌出身の新進監督で、自主映画で作った「Playback」(2012)が評判になったが見ていない。深田晃司、濱口竜介ら最近世界的に活躍している日本の若手監督の一人である。脚本も担当した「君の鳥はうたえる」は見事な達成だと思う。最近見た「寝ても覚めても」とはまた違った感じで、恋愛や青春について思いを巡らすことになる。立川辺りを舞台にした原作を函館に移した脚本が見事。もともと「70年代の中央線沿線」ムードが原作にはあるが、現代の函館でうまく行かされているのに驚いた。原題は静雄が歌うビートルズの『And Your Bird Can Sing』に基づくが、映画では石橋静河がカラオケで「オリビアを聴きながら」を熱唱している。
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熊井啓監督「忍ぶ川」を再見して

2018年09月14日 22時49分07秒 |  〃  (旧作日本映画)
 池袋の新文芸座でやってる加藤剛追悼特集で「忍ぶ川」と「子育てごっこ」を見た。今井正監督の「子育てごっご」は多分初めてだけど、熊井啓監督の「忍ぶ川」は1972年5月の公開時に上野東宝で見た。併映作品は庄司薫原作の「白鳥の歌なんか聞こえない」で、僕はそっちも見たかった。でもやっぱり目的は「忍ぶ川。ものすごく評判が高かったので、土曜日に高校の放課後に見に行ったのである。それから46年も経過したとは我ながらビックリだ。

 それ以来いつかまた見たいと思っていた。時々どこかで上映されていたが、いつも都合が悪いのである。熊井啓監督が亡くなった時の追悼特集でも見られなかった。今回は是非見たいと思っていたら、途中で電車が停まってしまった。何かそういうめぐりあわせの映画もあるもんで、今回もダメかと思ったら、何とか予告編上映中に座ることができた。ここで書く気はなかったんだけど、その完成度の高さに感銘を受けたので書いて置きたいと思った。この年のキネマ旬報ベストワン毎日映画コンクール映画大賞である。(なお「旅の重さ」がベストテン4位だった。)

 改めて思ったのは、技術スタッフ(撮影、美術、録音、照明等)の素晴らしさである。撮影(黒田清已)や美術(木村威夫)のすごさは、高校生にも深い印象を与えたが、今回見て録音(太田六敏)の素晴らしさに感銘を受けた。調べると、映画録音の大家で、その後も熊井啓監督の「サンダカン八番娼館 望郷」、増村保造監督の「大地の子守歌」「曽根崎心中」、村野鐵太郎監督の「月山」など、高い録音技術が今も思い起こされる70年代の名作を担当している。音楽の松村禎三は有名な現代音楽家で、高校生の耳にも新鮮だった。抒情的なギターの旋律が印象的。

 主演の栗原小巻(1945~)は異様なまでに美しい。俳優座の舞台が中心になって、80年代以降の映画、テレビの出演が少ない。俳優座も退団していて、最近は公の席で見ることもない。だから若い人は「コマキスト」という言葉まであったことを知らないだろう。(吉永小百合ファンは「サユリスト」だった。)僕には正統派美人すぎて、特にファンじゃなかった。(僕の世代だと、秋吉久美子やキャンディーズなどが身近だった。)「忍ぶ川」の名演、熱演は素晴らしいの一言。主人公ならずとも心奪われる。こんな人がいるかと思いつつ、是非ともいて欲しいものだと思う。毎日映コン女優賞は取ったけれど、キネ旬はなんと日活ロマンポルノの伊佐山ひろ子が受賞してしまった。

 僕は事前にキネマ旬報に掲載されたシナリオ(長谷部慶治、熊井啓)を読んで非常に感動した。映画より良かったぐらいだと思う。「忍ぶ川」はもちろん、三浦哲郎芥川賞受賞作(1960年下半期)の映画化である。50年代後半には石原慎太郎、開高健、大江健三郎などが登場していたわけだが、「忍ぶ川」は時代離れした苦学生の恋愛私小説だった。熊井啓は「帝銀事件 死刑囚」でデビューし、「日本列島」「黒部の太陽」「地の群れ」と作ってきた。どれも骨太の作品ばかりで、第5作に純愛小説を映画化したことには懸念の声も多かった。
 (三浦哲郎)
 映画を見ると、ナレーションを多用し、字幕も使っている。そこに「文学臭」があって、映画の流れを損なうように昔見た時は思った。カラー映画が中心になっていた時代に、美しいモノクロ映像も評判になったが、それも現代離れした古風な感触を与えた。名作だとは思ったけれど、「旅の重さ」や「白い指の戯れ」のような、まさに同時代を生きる青春映画の方が魅力的だったのである。

 三浦哲郎もその後発表する長編や短編の名作がまだ書かれてなかった。でも今見れば、「白夜を旅する人々」に集大成された「家族の悲劇」が「忍ぶ川」の本質だと判る。単なる純愛私小説じゃない。生きがたさを抱えた主人公二人の魂の再生の物語だ。熊井啓の資質と離れた作品なのではなく、「忍ぶ川」も「日本列島」のような暗い抒情をたたえた社会性を持っていた。映画で脇を固めた信欣三永田靖滝花久子岩崎加根子なども印象的だったが、長くなるからもう止める。

 具体的な筋を書いていないけど、原作が有名だから省略する。作者は青森県八戸出身で、映画でも「青森へ帰る」と言っているが、雪の駅は「西米沢」と見える。米沢市協力と出るので、ラストの結婚シーンは米沢でロケされたんだろう。また原作者は「てつお」と読むのが正しいが、映画内では親が「てつろう」と呼んでいる。
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問題は代用監獄-富田林署逃走事件

2018年09月13日 22時12分22秒 | 社会(世の中の出来事)
 8月12日に大阪府の富田林(とんだばやし)署から、留置されていた被疑者が逃走する事件が起きた。アチコチに監視カメラがある時代、そのうち捕まるんだろうと思っているうちに、一カ月経ってしまった。9月上旬に関西を台風21号が襲い、関西空港が使用できなくなってしまった。続いて9月6日に北海道で大地震が起こった。マスコミ報道も災害対応で手いっぱいになり、富田林署逃走事件も忘れていた。それまでは東京でも毎日のように顔写真を報道していたが。

 この事件に関しては、富田林署だけでなく、初動捜査に手抜かりが多かったとして大阪府警を非難する人が多い。現実に逃げられたうえ、その被疑者による(と思われる)ひったくり事件なども起きた。警察に問題があったのは確かだろうが、誰も「代用監獄」のことを言ってない。この事件は、代用監獄を廃止していれば起こらなかった。もちろん逃走防止という意味ではなく、正しい捜査のあり方として代用監獄を廃止しなければいけない。

 裁判所が発行した逮捕状により身柄を拘束された場合、ほとんどの場合警察署にある留置場(通称「ブタ箱」)に入れられるだろう。それが日本の捜査の常識になっている。小説でもドラマでも皆そうだから、そういうもんだと思ってる人が多いだろう。でも、世界にはそんな国は「先進国」には一つもないのである。警察は捜査する機関で、被疑者を拘束する仕事はその専門の場所がある。日本でも起訴され裁判が始まれば、拘置所に移される。逮捕されてすぐに拘置所に入ったのは、ロッキード事件の田中角栄元首相などの大物だけである。

 明治41年に制定された「監獄法」は、拘置所で拘束するのを原則としつつ、「当分の間留置場を代用できる」とした。そのため留置場を「代用監獄」という。政府は監獄法を全面改正しようとしたが、その際に代用監獄廃止ではなく留置場を正式に認める法案を提案した。何度も廃案になったが、2005年に刑事施設法留置施設法が成立した。だから今では「留置場」は法的根拠を持ったわけだが、やはり「代用監獄」は廃止するべきだという批判が内外に強くある。
 
 代用監獄の何が問題なのか。代用監獄は警察の施設だから、被疑者を警察が24時間監視できてしまう。これは冤罪を生む原因となる。冤罪じゃなくても、時間を問わない無理な取り調べが起きやすい。ドラマなんかでも、無理な取り調べシーンが時々ある。「そういうもんだ」「逮捕されたら応じるしかない」と思ってしまうかもしれない。しかし、余りにも長時間の取り調べ、深夜に及ぶ取り調べは、「任意性」に問題があるというべきだ。

 留置施設法成立後、警察では一応、捜査に関わる警察官と留置に関わる警察官を分けた。でも留置に関わる警察官の人員配置に問題があるのは、今回の事件で想像される。誰が考えたって、警察の出世コースは、事件捜査の方だろう。と同時に、この事件の場合、余罪がたくさんあるらしく、4度目の逮捕だったという。そんなに長く留置場に入れられたら、嫌になってしまうだろう。担当警察官のシフトをつかんでいたというが、それも長期間留置場で拘束し続けたからだ。

 こういう事件を防ぐという意味でも、留置場そのものを止めて身柄拘束は拘置所(法務省管轄)で行うようにするべきだ。もちろん、法務省が管轄する拘置所、刑務所、入国者管理センターなどでも、人権上の無視できない問題がたくさん起きている。しかし、捜査している警察にそのまま何十日も留め置かれるという今の捜査状況よりもずっといいのは間違いない。
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