尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

教員免許更新制は廃止すべきだー「見直し」に止まらず本質論を

2021年05月31日 22時48分34秒 |  〃 (教員免許更新制)
 5月30日付朝日新聞で、教員免許更新制について全国47都道府県、20政令指定都市の教育委員会にアンケートした結果を報じている。その結果「見直しが必要である」が53教委、「現行のままでよい」が5教委、「その他」が9教委となっている。何らかの見直しが必須であるというのは、ほぼ教育界の共通認識になっていると言っていいだろう。

 「免許更新制の課題」としては、「失効で臨時任用不可」が53教委、「講習が教員の負担」が44教委、「年限確認が管理職の負担」が28教委、「講習内容が研修と重複」が11教委、「社会人の教職敬遠の一因」が9教委、「大学生の教職敬遠の一因」が6教委、「更新のタイミングで退職」が3教委となっている。誰が考えても、「失効」問題と「講習の負担」がどうしようもない制度の欠陥だと判る。また、更新しないで辞めてしまう教員も一定程度いることも判る。
(更新制の課題)
 最近よく言われるようになってきたのが、「更新制があるために、講師を見つけられない」という声だ。ワクチンの打ち手不足に対して「潜在看護師の活用」という声をよく聞く。かつて看護師として働いていたが、現在は退職している看護師が多数存在する。そのような人々に研修をして打ち手になって貰おうということだ。教員も「なり手不足」が指摘されているのに、更新制があるために臨時採用が不可能になる。もちろん退職まもなくなら問題はないが、結婚・育児を経て何年も経ってから「産休代替なら」「非常勤講師なら」と思っても、頼むことが出来ない。

 教員も「結婚退職」するのかと言われるかもしれない。教員どうしで結婚するときは、もちろん共働きが多い。しかし、相手が民間企業ということも多い。相手の外国勤務に付いていくため退職したケースを何人か知っている。戻ってきて復帰しようと思っても、今は免許が更新されてないので非常勤講師にもなれない。また定年後に65歳まで嘱託教員として勤務可能だが、かつてはその後も非常勤講師として勤務する人がいた。しかし、55歳で更新した免許は10年期限だから、今後は不可能だ。65歳で再度更新講習を受ける人は、まずいるはずがないだろう。
(各教委へのアンケート)
 また大学生が教職課程を敬遠する理由にもなっている。教員免許を取るためには、卒業に必要な科目に加えて「教職課程」を取る必要がある。もちろん、その分時間も授業料も負担が増える。つまり、専門的な科目を学んで大学卒の資格を得る。それに加えて、教育学心理学教科教育法生徒指導道徳教育相談などを幅広く学ぶのである。その上教育実習も行う。採用試験に合格する保証もないのに、10年期限の資格を取ろうという気持ちになるだろうか。教職が第一希望という人以外は避けるに決まっている。

 という具合に、愚なることこの上ない制度と言うしかない。これでは「教員いじめ」と思うと、その通りで「教員いじめ」というか、もともとは「不適格教員排除」という自民党保守派の発想だった。しかし、問題を起こす教員を事前に予測できるはずもなく、教育委員会に講習を行う余裕もなく、結局「教員が自費で大学等で受講して、自ら更新手続きを行う」という理解不能な変テコな制度になってしまった。だから「抜本的見直し」は不可欠だ。だが、僕はこの制度で「うっかり失効」が起きるとか、教員の負担が多すぎるという理由だけで反対しているわけではない。

 10年前に書いたことと同じだと思うが、改めて書いておきたい。更新制は本質的に「教員をバカにした制度」なのである。教員免許は「専門的に勉強した証」だけれど、「教えること」そのものに特殊な技術は要らない。実際に大学や塾・予備校の教師には資格が要らない。だから「特殊技術」の更新など不可能なのである。確かに一番最初に教壇に立つときは、その教科の専門知識を証明する資格がいるだろう。だが、その後は日々の仕事の中で、適格性の有無が判断出来る。その上でさらに最新知識がいるというならば、研修を義務づけすればいいだけだ。

 公立学校の教師はただの公務員に過ぎない。教員免許は医師免許や法曹資格のような、最難関の資格とは違う。給与面でも社会からの眼差しという点でも、全然比較にならない。医者や弁護士の資格が「10年期限」だというなら判るが、なんでたかが教師の資格が10年期限なのか。講習を受ければ合格し、申請を間違わなければ失職はしないから、それでいいだろうということにはならない。いつも長時間労働を強いられているのに、どこまでバカにされれば判るのか。中には「バカにされているのに、その事に気付かない」教師だっているだろう。

 そして一番重大な問題は「抑圧の委譲」である。教師が「脅迫」で教育をしてはいけない。しかし、「これでは上の学校に受からない」「そんな様子では部活の大会に出られない」「そんな態度では…」「そんな成績では…」といった言葉を一度も発したことがないと自信を持って言える教師は多分いないと思う。教師に対して「受けないと、失職する」というのは、教育行政による「脅迫」である。それによって講習を受けても、中には役立つこともあるだろうが、忙しい中イヤイヤ受けた人は、それより弱い立場にしわ寄せしがちだ。旧軍内務班の新兵いじめや部活動にありがちな先輩・後輩関係のように、弱いものがより弱いものに次々としわ寄せすることが「抑圧の委譲」である。教員免許更新制はどう見ても「脅迫」を助長するとしか思えない。
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中教審での教員免許更新制議論ー教員免許更新制考②

2021年05月29日 22時05分45秒 |  〃 (教員免許更新制)
 中央教育審議会中教審)での教員免許更新制の議論はどうなっているだろうか。「「令和の日本型学校教育」を担う教師の在り方特別部会」の中に設置された「教員免許更新制小委員会」は、すでに4月30日と5月24日の2回開かれている。朝日新聞5月25日付の記事では「廃止も検討」と書かれている。次回には「廃止するかどうかの方向性」を決める重大段階にある。ここでは資料の紹介を中心にして、自分の考えは次回に書きたい。
(ウェブ開催の小委員会)
 まず、前回の中教審から申し送りされた「課題」を紹介する。その後で1回目小委員会の議論を見てみる。資料紹介で長くなるので、最初に僕が読んだ感想を簡単に書いておきたい。第1回目の議論は、課題とされる問題点に応える議論になってるのか疑問だ。「教員免許更新制」と「教員研修のあり方」は本来別の問題である。教師が最新の知識を身に付ける必要があるというなら、「免許更新」でなくても済む制度を設計できるはずだ。しかし、「オンライン講習」やウェブ上でポイント制を導入するなどすれば、あまり負担感がなく免許の更新が可能なのではないかという理解出来ないアイディアも出ている。結論が出る前にパブリック・コメントなどで是非教員のナマの声を聞く機会を作るべきだ。

 中教審の資料を見てみると、そもそもの問題意識が判る。「「令和の日本型学校教育」を担う教師の養成・採用・研修等の在り方について関係資料(2) 」にある「次期教員養成部会への申し送り事項」である。その中に「教員免許更新制や研修をめぐる包括的な検証について(概要)」という文書がある。その中の「教員免許更新制の課題について」を見てみたい。

2.教員免許更新制の課題について 【関係者へのヒアリングの際の意見】
教員免許更新制の制度設計について
教員免許状の更新手続のミス(いわゆる「うっかり失効」)が、教育職員としての身分に加え、公務員としての身分を喪失する結果をもたらすことについては疑問がある。教員免許更新制そのものが複雑である。
教師の負担について
教師の勤務時間が増加している中で、講習に費やす30時間の相対的な負担がかつてより高まっている。講習の受講が多い土日や長期休業期間には、学校行事に加え補習や部活動指導が行われたり、研修が開催されている場合もあり、負担感がある。申込み手続や費用、居住地から離れた大学等での受講にも負担感がある。
管理職等の負担について
教員免許更新制に関する手続や教師への講習受講の勧奨等が、学校の管理職や教育委員会事務局の多忙化を招いている。
教師の確保への影響について
免許状の未更新を理由に臨時的任用教員等の確保ができなかった事例が既に多数存在していることに加え、退職教師を活用することが困難になりかねない状況が生じている。
講習開設者側から見た課題等について
受講者からは、学校現場における実践が可能な内容を含む講習、双方向・少人数の講習が高い評価を得る傾向がある。一方で、講習開設者は、講習を担う教員の確保や採算の確保等に課題を感じている。

 ここで指摘された問題点は概ね同意出来るものだろう。では、それがどのように審議されているだろうか。5月24日開催の小委員会における「小委員会(第2回)合同会議資料」に1回目の会議の「委員からの主なご発言」という資料が入っている。今回は資料紹介を中心に。

 一番最初の意見が「更新講習をなくすということは基本的に考えにくい継続を強く希望・要望する。指導要領改訂や世の中の動向、最新の教育テクノロジー、教育メソッド等アップデートされるものを忙しい先生方が通常の業務の中で触れることは難しいので、更新講習で触れ、考え、振り返る機会は有益」とある。一体誰の発言か判らないが、先の申し送り事項から考えても理解出来ない「上から目線」発言だ。

 その後、「研修は重要であり必要であるということは誰も異論がないこと。免許更新制が必要であり重要であるということについては相当異論が出ているというのが事実。きちんと機能するのであればいい。強制ではなく自ら学ぶことが大事」という意見もある。「現在10年スパンだが最新の知識等の習得に照らせば、労力に対する効果については正直なところ疑問。教師は学び続ける必要があるが、そのことが教員免許と紐づいている必要があるのか。」

 「教員免許の有効期限が10年という言葉が独り歩きし、制度を熟知していない教師が失効したり、病気休職や育児休業等長期間休業中の教師が失効しないために管理職や教育委員会が有効期限を正確に把握・手続きさせる対応が相当な事務量で負担」という指摘も出ている。

 「教員の量の面では、教師不足は非常に深刻であり、臨時的任用教員はなかなか確保できない。教頭や副校長が担任をしているケースも珍しくない。10年で失効するなら教師以外の職を選ぼうという若手の声も聞こえる。他業種からの教師への参入についても増やしたい。教師不足はかなり深刻であり、教員免許更新制の見直し、できれば廃止も含めて検討していただきたい。」

 「更新講習の受講を最優先するために、特別支援学校教諭免許状の取得の認定講習を後回しにするというケースが多いという声も聞いている。制度が違うので代替するのは難しいかもしれないが、更新講習と認定講習をお互い代替できるようになるとスムーズになるという部分もあるのではないか。」このような特別支援学校の実情は知らなかった。

「最新の情報でいかに学んだかということが重要。個々の教師のキャリアステージに応じた10年、20年という年次研修を加えながら研修内容を教師自らが主体的に選択することができるシステムを構築していくべき。」主体的な科目履修の選択の保証は必須。自らがデザインし自らがマネジメントしたということが効果の体感と大きく連動する。オンライン化、オンデマンド化することによって、より主体的な選択の保証を拡大していくということが重要

 「千葉県では研修履歴システムが導入されておりマイページで研修履歴が確認できる。自分自身の研修の受講履歴の確認や今後の受講計画の検討上に主体的にマネジメントしていけるシステムとなっている。」「校内研修や校務分掌なども含め研修をポイント化していく仕組みもあり得るのではないか。マイページを設け、各自の研修をポイント制とすることによって免許更新が継続されたり、自らの振り返りにも役立つ仕組みはどうか。」

 他にも多くの意見が掲載されているので、詳しくは直接資料に当たって欲しい。最後に小委員会の委員と臨時委員の名前を資料として掲載しておく。
「教員免許更新制小委員会」委員 6名、主査=加治佐哲也
荒瀬克己(教職員支援機構理事長)、 加治佐哲也主査、兵庫教育大学長)、貞廣斎子(千葉大学教育学部教授)、清水 敬介(公益社団法人日本PTA 全国協議会長)、藤田裕司(東京都教育長、全国都道府県教育委員会連合会長 )、吉田晋(学校法人富士見丘学園理事長、富士見丘中学高等学校長、日本私立中学高等学校連合会長)
臨時委員 15名、主査代理=松木健一
秋田喜代美(学習院大学文学部教授)、安家周一(学校法人あけぼの学園理事長、あけぼの幼稚園長、梅花女子大学心理こども学部こども教育学科客員教授、公益財団法人全日本私立幼稚園幼児教育研究機構理事長)、安部恵美子(長崎短期大学長)、市川裕二(東京都立あきる野学園校長、全国特別支援学校長会長)、大字弘一郎(世田谷区立下北沢小学校長、全国連合小学校長会対策部長)、木村国広(長崎大学教育学部・大学院教育学研究科教授)、坂越正樹(広島文化学園大学・短期大学長)、高橋純(東京学芸大学教育学部准教授)、戸ヶ﨑勤(埼玉県戸田市教育委員会教育長)、根津朋実(早稲田大学教育・総合科学学術院教授)、萩原聡(東京都立西高等学校長)、松木健一主査代理、 福井大学理事・副学長(企画戦略担当))、松田悠介(認定特定非営利活動法人Teach for Japan 創業者・理事、株式会社松田グローバル人財研究所代表取締役社長)、三田村裕(八王子市立上柚木中学校長、全日本中学校長会長)、森山賢一(玉川大学大学院教育学研究科・教育学部教授)
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今年も相次ぐ「うっかり失効」-教員免許更新制考①

2021年05月28日 22時58分50秒 |  〃 (教員免許更新制)
 3月16日付で「中教審、「教員免許更新制」を抜本的見直し」という記事を書いた。その後中教審には「教員免許更新制小委員会」が置かれ、すでに2回の審議が進んでいる。その進行状況を見てみたいが、その前に今年になっても「うっかり失効」が相次いでいる。その実情を先に紹介しておきたい。(この「うっかり失効」という表現には違和感を感じるが、マスコミでもその表現が定着しているようなので、ここでも使うことにする。)
(神戸市のケース)
 特に神戸市で7人が一挙に失効したケース(上記画像)には驚くしかない。教員免許更新制は2011年度末から実施されたので、すでに10年が経過した。35歳45歳55歳で更新だから、45歳、55歳の該当者はすでに2回目のはずだ。前回を経験したのに、今回「うっかり」したのはどういうことか。(なお、年齢は都合がある場合、申請により延期ができる。産育休、病休など。)

 それは「コロナ禍」と「管理職」のケースである。2020年度に関しては新型コロナウイルス問題で、大学等の対面での更新講習はほとんど出来なかっただろう。また春先の全国一斉休校のため、ほとんどの学校で夏休みを短くした。夏休み中に更新講習があることが多いから、参加したくても無理だった。そこでウェブ講習を受講することも多かっただろうが、また申請により更新時期を延期する措置も取られた。一人はその延期申請を失念したということだ。

 「管理職」というのは、10年前は更新講習を受けたのに、その後講習を受けなくてもいい立場になった場合である。今回は「主幹教諭」が2名、「校長」が1名、「指導主事」が1名失効した。主幹教諭は管理職じゃないけれど、校内で指導的立場にあるから受講しなくてもいいとされているので、免許の更新に関しては管理職と同じである。しかし、更新講習を受講する義務がないだけで、更新免除の手続きは必要なのである。それを忘れたというわけだ。

 一方、30代の小学校教員2人に関しては、「更新講習を受講したが、申請手続きを失念」という今までにも多くあったケースである。運転免許を考えると、視力検査を受け、講習を受講すれば、その日のうちに新しい免許証が交付される。教員免許更新制も同じようなものと思うと、それが全然違う。運転免許は受講するだけでいい(70歳以上の高齢者講習を除く)、教員免許更新講習は「合格」する必要がある。その後に教育委員会に更新の申請をしなくてはいけない。運転免許も、講習を受講した後で各個人が公安委員会に改めて更新を申請する仕組みになっていたら、「うっかり忘れる」人が大量に生まれるに違いない。
(失効すると官報に掲載)
 神戸市のケースは5月17日付東京新聞に出ているが、他にも4月6日付朝日新聞によれば、熊本市の小学校の主幹教諭埼玉県の特別支援学校の臨時教員のケースが報道されている。それぞれ教員を続ける意欲があったのに、「うっかり」で公務員の地位そのものを失った。このような失効教員の統計はないと言うが、2020年3月末に失効し6月末までに再取得した人は、幼稚園12人、小学校1人、高校11人の計24人だという。その後の人生が大きく狂ってしまうし、勤務校でも大変な損失になる。
 
 これは大変に大きな人権問題だと思うけど、なぜ弁護士会や野党は追求しないのか。教育職員免許法では、刑事裁判で禁錮以上の刑が確定したとき懲戒免職処分を受けたときには教員免許が失効するとしている。かつては教職員組合によるストライキが刑事裁判になったこともあった。そのような場合でも免許失効するのはおかしいと思うが、それはそれとして免許が失効するには何か具体的な「事件」があるのが普通だ。

 都教委のホームページには教員の処分ケースが掲載されている。3月に発表された例では、電車内でスカートの下からスマホの動画撮影をしたとか、店で2万8千円ほどの万引きをしたなどのケースで「停職6ヶ月」の処分になっている。刑事裁判にならなかったのだろうし、本人は辞表を提出し退職したという事情もあったのだろう。事情は全然知らないけれど、少なくとも「更新手続きを失念」したことよりも大問題だろう。しかし、「うっかり失効」した方が重い結果になるのだ。「法の下の平等」に反していると思うけれど、どうなんだろうか。
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映画「14歳の栞」、中学2年生35人全員密着のドキュメンタリー

2021年05月27日 22時57分41秒 | 映画 (新作日本映画)
 「14歳の栞(しおり)」という映画を見た。中学2年生に密着した記録映画である。そのぐらいの事前知識しかない。PARCOが製作し、初めは渋谷PARCOの上にあるシネ・クイントという映画館だけで上映された。ここには僕はほとんど行かないから、そんな映画をやってるとは知らなかった。それがジワジワと評判が広がって、そういう映画があるのかと気になっていた。上映館が限られるので、なかなか見られないと思うけれど、どんな映画か紹介しておきたい。

 映画館では今どきザラ紙に片面印刷の「14歳の栞便り」というチラシを渡された。下の方に「お願い」が書いてある。「この映画に登場する生徒たちは、これからもそれぞれの人生を歩んでいきます。SNS等を通じて、個人に対するプライバシーの侵害やネガティブな感想、誹謗中傷を発信することはご遠慮ください。どうかご協力をお願い致します。」また「あの頃、一度も話さなかったあの人は、何を考えていたんだろう。」と書かれている。

 これはある中学校の2年6組の3学期に密着した映画である。特徴は35人の全員がカメラに向かい合って語ることである。何か「事件」が起きるとか、すごく強い部活があるとか、特徴的な何人かを取り上げる映画ではない。一人一人と「面談」をするように「思い」を聞き、様々な場面を撮影し巧みに編集している。栗林和明(33)企画、竹林亮(36)監督。それぞれ初めての長編で、竹林監督は「ハロー!ブランニューワールド」というYouTubeで公開された短編があるという。
(左=竹林亮、右=栗林和明)
 何でこのような映画を作ったのか、作れたのか、僕にはよく判らない。ホームページを見ても出ていない。撮影に対して妨害があるような学校では撮れない。それでも顔を出して全員が撮影されることには心配な親がいたはずだ。だから、生徒たちはもちろん、学校や教育委員会、各家庭の全面的な了解がないと撮影出来ないと思う。なんでこのクラスが選ばれたのかも情報がない。ただ学校名は途中で判る。埼玉県東部の春日部(かすかべ)市にある。撮影出来たという時点で、この映画には大きないじめや暴力事件が起きるクラスではないことは予想出来る。

 それでも35人のクラスにはいろんなことがある。部活に一生懸命な子が多い。最初は運動部ばかりが紹介されるが、その後吹奏楽部や美術部、文芸部もあることが判る。自分もそうだったかもしれないが、クラスの全員と話すことは難しい。性別が違うと、なかなか話さない年齢だ。話せる関係の人もあるし、班が同じだと掃除当番などで少しは話す機会がある。だけど、深い話をする関係の人は性別を問わず、何人もいないだろう。同じグループ以外だとよく知らないままの人が多い。この映画を見て、初めてそんなことを思っていたんだと知る。そういうこともあっただろう。その驚きを誰もが共有できるのが、この映画の面白いところだ。

 このクラスには不登校の生徒が一人いる。2学期までは来ていたらしい。現在は保健室登校で、給食を食べに来るようだ。その生徒もきちんと撮影している。最後の修了式後にクラス写真を撮るという。ある生徒が撮影に来て欲しいと手紙を渡す。その生徒は来られるか。またバスケには優秀な生徒がいるが、現在は疲労骨折と診断されて部活が出来ない。その生徒は「県選抜」に選ばれているという。埼玉県には県選抜チームがあるのか。その生徒は部活に復帰できるのか。また3学期の隠れた大イベントはバレンタインデーである。クラス内にも渡した生徒がいる。果たして「ホワイトデー」はどうなる? そんないろんなことが毎日何かは起こっている。

 その「あるある感」が評判を呼んでいる。しかし、自分はさすがに半世紀前の14歳の頃は思い出さなかった。忘れたことが多いが、後に中学教員になったので、どうしても教師目線で見てしまうのである。進路選択をどうすればいいのか。どうアドバイスするべきか。こんな生徒もいたな、こういうケースは経験ないな、とそんなことを思い出してしまう映画だった。あえてかどうか、出て来ない話題も多い。例えば塾や習い事は出て来ない。他のクラスも出てこないから、「問題児」がいるのも判らない。教師も担任以外はほぼ出て来ない。部活でも顧問教師は出て来ない。

 考えさせられたのは、かなりの生徒が「自分が嫌い」だったり、人と「合わせたり」していること。自尊感情が低い生徒が多いのは、多くの教師が感じていることではないか。進路活動などが早くなって、将来どうするなどと日々問われることも背景にあるだろう。昔はそんなに早く言われなかったし、高校にも大学にも「自己推薦」みたいな仕組みはなかった。

 それでも中学2年は「凪の季節」だ。すぐに最後のクラス替えがあり、そのメンバーで修学旅行に行く。帰ってくれば部活の最後の大会も近い。その間に中間、期末のテストがあり、高校受験を控えて今まで以上に真剣に取り組み必要がある。もうすぐそうなると判っているからこそ、中2の3学期は愛おしく懐かしい。部活などで一番接してきた「一個上の先輩」がもうすぐいなくなって、自分たちが最上級生になるのだ。なお、いつ撮ったかだが、映り込んだカレンダーを見ると2017年ではないかと思う。もう高校も卒業になるという時期に公開されたのかと思う。
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「ある北朝鮮テロリストの生と死 証言ラングーン事件」を読む

2021年05月26日 22時45分00秒 |  〃  (国際問題)
 集英社新書から出たばかりの羅鍾一ある北朝鮮テロリストの生と死 証言ラングーン事件」を読んでみた。この手の本、東アジア情勢を背景にした現代史秘話みたいな本は買わずにいられない。僕は1983年に起こったこの事件をよく覚えている。著者の羅鍾一氏(1940~)は韓国の元外交官で、駐英大使などを経て、2004年から2007年にかけて駐日韓国大使を務めた。国家安全保障担当の大統領補佐官や大学教授なども務め、今も教えているようである。

 「ラングーン事件」とは、1983年10月9日にビルマ(今のミャンマー)で起こった当時の全斗煥(チョン・ドファン)韓国大統領を狙った爆弾テロ事件である。当時の首都ラングーン(今のヤンゴン、ちなみに首都は2006年にネピドーに移転)にあるビルマ独立の父アウンサン将軍を祀る「アウンサン廟」に爆弾が仕掛けられた。大統領は到着前で難を逃れたが、韓国外相、副首相など21人(うちビルマ側4人)が死亡し、両国あわせて46人の負傷者が出る大惨事となった。
(事件の現場)
 当時は「韓国側の自作自演説」などもあり、ビルマ側も当初はそれを疑わないでもなかったらしい。韓国は直ちに北朝鮮によるテロと断定し、ビルマに共同捜査を申ししれた。しかし、ビルマは主権に関わるとしてそれを断り、慎重な捜査を続けた。11月4日になって、ビルマ側は北朝鮮の3人の軍人を実行犯として特定し、1人は逮捕段階で死亡したものの、残りの2人を起訴した。同時に北朝鮮との国交断絶と、国家承認そのものを取り消すという厳しい措置を発表した。

 起訴された二人は死刑判決が出され、ジン・モ少佐の死刑は執行された。しかし、カン・ミンチョル大尉は犯行を自白したこともあり、終身刑に減刑された。(死亡した犯人はシン・キチョル少尉。)この名前はいずれも偽名である。カン・ミンチョルは長く収監された後、2008年5月18日に獄中で死亡したという。著者の羅氏は獄中でキリスト教に入信したカン・ミンチョルの運命に同情し、何とか解放されないか苦心した。しかし、韓国内でも賛成は広がらなかった。著者は「国家に見捨てられた男」の運命を伝えるために書いた。

 この本は原著の忠実な翻訳ではなく、日本で判りやすくするため削除・補完されていると訳者の永野慎一郎氏が書いている。南北対立の歴史から書き起こされるので、なかなか事件にならない。著者は光州事件を重視している。79年に当時の朴正熙大統領が側近に暗殺され、韓国は「ソウルの春」と呼ばれた民主化が実現するかと思われた。それに対し全斗煥将軍が「粛軍クーデター」を起こし、実権を握る。それに対し全国で反発が広がるが、特に金大中氏の出身地方である全羅南道の光州(クァンジュ)では市民と軍隊の間で激しい衝突が起こった。

 民主化された後に、全斗煥元大統領は裁かれて違法なクーデターと認定された。だから全大統領は正統な権力者とは言えない。「北」から見れば、光州事件は「革命前夜」に見え、トップを排除すれば革命が起こるはずと判断したのかもしれない。この時点でアメリカは事件を北朝鮮が起こしたと判断し、韓国が独断で対北戦争に踏み切ることを恐れていた。ビルマは南北双方と国交を持っていたが、当時は事実上の鎖国状態にあった。「独自の社会主義」を掲げる軍部独裁で、どちらかと言えば「北寄り」だった。そのビルマが断交してまで実行犯を起訴したのだから、もちろん「北朝鮮の犯行」は疑うことが出来ない。

 事件の詳しい経過は本書に譲るが、僕が疑問に思ったことを幾つか書いておきたい。まず、何故ビルマを訪問したのかである。その時は、以後にスリランカ、インド、オーストラリア、ニュージーランド、ブルネイを歴訪する予定だった。当時は特に国際的重要性がなかったビルマを最初に訪れたのは何故か。本書でも解明されていない。外交部門では「大統領官邸から下りてきた指令」を実施するしかなかったという。全斗煥大統領は任期を延ばして居座らないとしていた。しかし、ビルマのネ・ウィン氏は1981年に大統領を辞任した後も、ビルマ社会主義計画党議長として実権を保持した。このやり方が参考になると思ったという説が紹介されている。

 また大統領が何故爆発を逃れられたかも謎が多い。いろいろな偶然が重なったらしいが、大統領は一緒に訪れるビルマ外相が遅れて、まだ現場に到着していなかった。実行犯は韓国外相らの到着を誤認したらしいが、爆弾に問題があったとも言われている。それにしても相手国にとって「聖地」である場所でテロを起こすというのも大胆不敵と言うか、むしろ愚かにもほどがある。ビルマ側が国家のメンツを掛けて捜査するに決まっている。そんな重要な場所の警備に不備があったビルマ側の理由も判らない。「聖地」だからこそ徹底した事前捜索を怠ったのか。

 北側の実行犯は「東建愛国号」という船でやってきた。この船は兵庫県の実業家、文東建が献納した船で、金日成が命名し文には「金日成勲章」が与えられた。後に朝鮮総連副議長にもなり、「地位が金で買える」と大問題になったという。しかし、ビルマ当局は全斗煥訪問時は船の寄港を許さず、実行犯は帰国の道が閉ざされた。犯人はそれを知らされず、事前の決定に従って川から海を目指した。犯人は現地の言語も学ばずに来て、村人に怪しまれて逮捕された。手榴弾を爆発させたが、それは自殺用ではなかった。

 そういうことはこの時期の北テロには有りがちだった。外部世界の情報がなく、内部の論理だけで計画するのである。大韓航空機爆破事件でも実行犯のキム・ヒョンヒが捕まって自白することになる。キム・ジョンナム暗殺事件では首謀者はさっさと逃亡している。さすがに少し「現代化」したのかもしれない。サウジアラビアが起こしたカショギ事件でも、犯人は逃亡に成功した。これが普通の「陰謀」だろう。また本書で触れられていないのがソウル五輪である。1988年のソウル五輪は1981年に開催が決定した。韓国はまだソ連、中国と国交がなく、出来るだけ多くの国の参加を熱望していた。南北と国交があるビルマを訪問したのも、北側に近い国に五輪参加を求める意味があったのかもしれない。
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外国人政策の抜本的改革が必要だ

2021年05月25日 22時48分51秒 | 社会(世の中の出来事)
 政府が進めていた「入管法」(出入国管理法)の「改悪」は、政府が今国会での成立を断念した。これについては5月11日に「入管法「改正」案に反対するー反人権的な入管行政」を書いた。その時点で本当に成立を阻止できるかどうかは判らなかったが、可能性はあると思っていた。それにしても衆議院は通過してしまうのかと思っていたが、緊急事態宣言が長引き内閣支持率が大きく下がる状況の中で、もう「強行採決」することは出来なかったのだろう。

 今回の「改正」は従来の政策を完全にひっくり返すもので、とても認めるわけにはいかないものだった。だから成立断念は当然だと思うが、それで終わりではない。衆院選が終わって(再び自公連立政権が過半数を確保し)、2022年の通常国会で成立させるということになってはいけない。「外国人政策」には抜本的見直しが必要だ。

 「外国人問題」は「現実を見て考える」必要がある。現時点で最大の問題は、コロナ禍で外国人の多くが困窮していることだと思う。仕事が無くなり、故国に帰ることもならず、何とか仲間同士で助け合っているという。クルド人が集住している埼玉県川口市では、市独自の対策では限界があるという(朝日新聞5.23)。困窮する外国人支援のための「テント村」も開かれた。(そもそもトルコに帰れないクルド人に「難民認定」しない日本政府に大きな問題がある。安倍前首相がエルドアン大統領と親しく、トルコ政府の主張を優先しがちな実態がある。)
(川口市のテント村)
 5.23付朝日新聞には長野県川上村のことも出ている。見出しを見ると「失踪実習生に就労許可を 村長の訴え」「人手不足 国は現実を見て」とある。川上村は「川上犬」の里だが、「日本一のレタス産地」として知られている。その収穫作業は外国人の「実習生」に頼ってきた。だがコロナ禍で今年は「実習生」は入国出来なかった。体力的にも大変な作業で、日本人の働き手は少ないという。「(失踪した)実習生本人に過失がないような例も多い。働きたい外国人と、働いてもらいたい農家をうまくマッチングできれば、誰にも迷惑はかからないのではないでしょうか。」
 (川上村とレタス収穫作業)
 今回見ていると、「不法滞在外国人」は全員帰国させろというような書き込みをする人がネット上には多くいた。確かに、観光ビザで来て、実際は「就労」して、期限が切れても滞在している外国人は「不法滞在」だ。しかし、誰も雇わなければ、そのような人々は日本にいられない。外国人に働いて貰うしか働き手が確保出来ない職場があるから、外国人が働いているのである。「日本いい国」なことを保守派はよく言うが、「いい国」だったら日本を目指す外国人が出て来るのは当然だろう。「グローバル社会」で完全にシャットアウトは出来ない。
 
 もちろん外国人の中には日本で違法行為を行う人もいるだろう。だが母国に残す家族のために少しでも働きたいと思う外国人が圧倒的多数だと思う。ちゃんと働く場を用意すれば、税金も払って年金や保険料も負担する。その方がいいことが多いのではないか。ドイツは労働力不足を補うためトルコから移民を受け入れた。その結果確かに問題もあると思うが、ファイザー社のワクチンを開発したビオンテック社はトルコ系ドイツ人が作った会社だった。それだけで世界の大きな貢献をしたことになるではないか。長い目で見れば、そういうことも起こるのである。 
(ウィシュマ・サンダマリさんの写真を掲げて名古屋入管に向かう遺族)
 そのワクチンは「全国民に無料接種」とうたっている。ということは外国人は除外されるのか。「外国人登録」をしている人には接種券が届くのだろうが、そもそも滞在が確認出来ない人は置いていかれる可能性が高い。それは住民登録がないホームレスも同じだろう。また刑務所や拘置所にいる人はどうなるのか。外国人や刑務所の人権状況がその国の水準を示すと言われる。気になるところである。そして「成立断念」をいいことに、スリランカ人ウィシュマ・サンダマリさんの死亡問題がうやむやにされてはいけない。
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「LGBT法案」、自民党内の「種の保存」論は優生思想

2021年05月24日 22時49分33秒 | 政治
 今国会で性的少数者に関する「理解増進法案」(ここでは「LGBT法案」とする)の成立が目指されている。与野党協議で「差別禁止」を含めるという方向で改正案がまとまったが、5月19日に行われた自民党内の会合で承認を得られなった。自民党としては、「東京五輪」「衆院選」を前に、「多様な価値観」に寛容な姿勢を見せる意図があったらしいのだが、まさに自民党議員にこそ「LGBT法」が必要だという現実が露わになった。(その後、24日に「条件付き」で了承されたが、今国会での成立は見通せないという。)
 
 報道されているところでは、山谷えり子参議院議員が「体は男だけど自分は女だから女子トイレに入れろとか、女子陸上競技に参加してメダルを取るとか、ばかげたことがいろいろ起きている」と発言したという。また梁和生(やな・かずお)衆議院議員が(本人は非公開会合だからとして認めていないが)、「生物学上、種の保存に背く。生物学の根幹にあらがう」と発言したとされる。また発言者は判らないが「差別を理由にした裁判が増えて混乱する」という意見も出たらしい。
(山谷えり子議員)
 国会には様々な考えの議員が存在する。それが自由選挙の意味であって、幾つもの政党が選挙で選ばれるんだから、当然意見の違いがある。しかし、意見ではなく「無知に基づく偏見」は認められない。国会議員の「無知」にはどう対処すればいいんだろうか。山谷、梁両議員の発言は明らかに「無知」から来る差別発言だ。それが判ってない人には「当事者の声を聞いてきちんと勉強してください」と取りあえず言うしかないが、国会議員には様々な人権問題に対して「研修を受ける義務」を課した方がいいんじゃないだろうか。

 ちょっと議員を紹介しておくと、山谷えり子氏が最初国会に当選したときは民主党だった。2000年の衆院選である。(その前は民社党から出馬して落選している。)ラジオで活躍した山谷親平の娘で、サンケイリビング編集長などをしていた。その後、離党して保守新党に所属したが、2003年の衆院選で落選。翌2004年の参院選比例代表区で自民党から当選し、2010年、2016年と3回連続当選中。2014年に国家公安委員長、防災、拉致問題等担当相として入閣した。
(梁和生議員)
 一方、梁和生議員は衆議院栃木3区から連続3回(一回は比例区当選)している。栃木3区は渡辺喜美が長く盤石の地盤を誇ったところで、渡辺が自民を離党して「みんなの党」に移ってからも圧勝を続けた。梁和生は2012年に33歳で初出馬して大敗したものの、比例区で復活当選した。その後、渡辺がかのDHC会長から5億円を借りていた問題で「みんなの党」が解党、2014年は無所属で出馬した。その時に梁は小選挙区で渡辺を破って、2017年にも圧勝した。(渡辺は2016年参院選で「維新」から当選し、その後離党した。)

 自分の趣味でトリビア情報を書いたが、以下では梁和生議員とされる発言に絞って考えたい。山谷発言は「思いつき」で「無知」を暴露しただけだと思う。その問題に対する正しい知識がない人間が思い込みで反対している。それに対して梁発言は遙かに深刻だ。まずこの「生物学的」がおかしい。自然科学は「唯一の真理」と思われているから、訳の判らないことを言い出す人は「○○学的」にどうのこうのと言いやすい。(以前に「○○学的という表現」という記事を書いた。)

 問題発言の「種の保存に反する」は大変恐ろしい発想だと思う。この発想で行くと、障害者や病者も排除されることになる。「種の保存」に対して不適な存在は認められないというのだから。結婚して、子どもを作ることだけが人間の生存目的なのか。そういうことになってしまうではないか。これは「優生思想)的な発想だ。さらに言えば、「避妊」も「妊娠中絶」も「種の保存に反するから反対」ということになるはずだ。一切の避妊(コンドームやピル、膣外射精等)はすべて「種の保存」を避ける目的で行われる。しかし、一回も避妊行為をしたことがない人は多分いないだろう。
(19日の自民党会合)
 人間以外の動物は、生殖のための性行為をある時期しか行わないのが普通だ。「発情期」(the mating season)である。しかし、人間は季節を問わず性行為を行う。あるいは性行為をしなくても、性的な妄想にふける。(あるいは性的な欲求を特に感じないで生きていく。)人間はもう「生物学的な種の保存」によって性行動を行うのではない。「性」もまた文化なのである。現代の高度に発達した社会では、子どもを社会に送り出すためには20年以上に渡り多額の教育費が掛かる。だから、「種の保存」のための本能を管理して、子どもの数を2~3人に制限せざるを得ない。

 人間の性的指向性的自認は「生得的」なもの(生まれつき)だということが今は理解されている。従って、「生物学上」、必ずどんな社会でも「LGBT」が存在する。家父長権の強い社会(イスラム圏など)では今も同性愛が法律で禁止される国があるが、そういう国でももちろん同性愛者は存在し、迫害されている。このような、今では「常識」に近いことを知らないのだろうか。そういう不勉強な国会議員が存在していいのか。教員や公務員には「研修」が義務づけられるんだから、本当は夏休みなどに選挙区周りなんかいいから、議員も「研修」しない限り立候補出来ないという仕組みが必要かもしれない。
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無くなった温泉旅館(古里観光ホテル、元蛇之湯など)ー日本の温泉⑤

2021年05月23日 22時26分21秒 |  〃 (日本の山・日本の温泉)
 温泉の話は基本的には「こんな素晴らしい温泉を知ってますか」という趣旨になるが、温泉宿もどんどん無くなってしまうのである。栃木県の鬼怒川温泉など、車窓沿いに見える廃墟ホテルの現状はすさまじいばかり。ここは東京に近く、大規模旅館が立ち並ぶ団体旅行のメッカだった。僕も職員旅行で行ったことがあるし、昔の映画にもよく出てくる。バブル期に増築してバブル崩壊で破綻したんだろう。温泉街を散歩してると、あまりにも閉館してるところが多く驚いてしまう。まあ、それでもまだまだいっぱい旅館がある大温泉だけど。

 直接の理由は知らないけれど、鹿児島県の桜島にある古里温泉古里観光ホテルが2012年に自己破産した。ネット情報によると解体されたという。ここは林芙美子の出身地で碑が立っている。「古里温泉」という名前も床しいが、古里観光ホテルには有名な「龍神露天風呂」があった。海を見晴らす大きな風呂に、男女ともに白い装束をまとって入浴する。「混浴」だが、海辺の景色が素晴らしく宗教的なムードもある。温泉で炊いた龍神釜飯も名物だった。日本のベスト級露天風呂だったので、無くなったのは本当に残念だ。
(龍神露天風呂)
 やはりつぶれてしまったのが秋田県・秋の宮温泉郷稲住温泉。と思ったら、今回検索したら「ラビスタ」ホテルなどを全国展開する共立グループによって営業が再開された。秋の宮温泉郷といっても知名度が低いが、秋田県南東部、宮城県近くに多くの温泉が集中している。稲住温泉は落ち着いた一軒宿で、広大な庭が見事な大きな宿。夏休みなのに客が少なく心配してたら案の定10年ぐらいして倒産した。武者小路実篤が戦時中に疎開していた宿で、有名な建築家白井晟一が設計した離れがある。文化的な価値が高かったので再開されて良かった。
(稲住温泉)(白井晟一設計の離れ)
 大型旅館では「バブル崩壊」型が多かったけど、最近は小さな宿で「人手不足」型も多くなっているらしい。「秘湯」系の宿は家族経営が多く、後継者難家族の病気、介護で人手が取られると働き手を見つけにくい。土日が仕事で平日はヒマ、朝と夜に仕事で昼間がヒマと通常と違う働き方になるので、求人を出してもなかなか応募がない。そんな理由で閉めてしまう宿がある。風呂や寝具の管理を行いながら、美味しい夕食と朝食を準備するという「完結型」の宿に無理が出て来ているんだと思う。

 閉めたわけではないが、宿泊の受付を中止して「日帰り温泉」だけにする宿もある。最近は山梨県南アルプス市にある秘湯、奈良田温泉白根館が日帰りになってしまった。慶雲館という「世界最古の宿」ギネス認定をうたう有名な旅館がある西山温泉を通り過ぎ、ひたすら南アルプスの麓を目指して奥へ奥へと車を走らせる。ドライブも飽きた頃にようやく着くのが奈良田温泉だが、一浴体にまとわりつく素晴らしいアルカリ泉に疲れが飛んでしまう。夕食も工夫された素晴らしい宿だったが、もう泊まれないのかと思うと残念だ。
 (奈良田温泉白根館)
 他にも良い宿だったのに無くなってしまった宿、一度泊まりたかったのに閉館した宿は幾つもある。群馬県水上温泉の最奥にあった湯ノ小屋温泉の「廃校の宿 葉留日野山荘」もその一つ。廃校になった小学校を宿泊施設に改造し、温泉施設は別棟を作った。確か地酒セットを飲んで美味しかった。憲法擁護の署名用紙が置いてあるようなとこで(別にただ置いてあるだけど)、風変わりではあった。布川事件冤罪被害者の桜井昌司さんがひいきにしていて、そのブログで閉館を知った。また行こうかと電話したら通じなかったとか。僕ももう一回行きたい秘湯だった。
(葉留日野山荘)
 全部挙げていっても仕方ないので、最後に一番不思議だった温泉宿。それは鳴子温泉郷の奥、中山平温泉の「元蛇之湯」。ガイドに出ていて、何となく気が惹かれて電話で予約した時には、どんな宿だか知らなかった。普通だったら夕食は6時とか6時半である。だから4時過ぎに着いて、ノンビリ一風呂浴びて夕食だということになる。それがその「元蛇之湯」は女将が夕方5時には食事だと言う。何でも体のリズムから5時がいいのだそうで、食材も自然食を心がける療養向きの温泉なんだという。何でも「自然食」とか「整体」とか言うのも、僕もそれ自体には関心があるけれど、客に強いるのはどうなんだろうか。 
 (元蛇之湯)
 料理は美味しかったし、お湯も素晴らしかった。(大風呂と別に、水着で入る男女混浴のスパ施設があったが、5時までだからゆっくり利用できなかったが。)近くにある「うなぎ湯の宿」が有名で、元蛇はそこまでではなかったが泉質は素晴らしかった。翌朝、6時には体内リズムを整えるために起床の放送が入る。朝は女将を中心に太極拳がある。そういう人は時々いるが、旅館の女将にはどうなんだろうと帰りに夫婦で話したが、お湯は良かったのでまた来てもいいかな認定をした。でも数年後にネットを見たら宿は無かった。またしばらくして近くに行ったときに探したら、どこかの企業の施設になったみたいだった。今はまた変わったかもしれない。

 経営上の理由で辞める旅館が多い中、こんな宿もあるという情報だけ。秘湯ファンには大露天風呂が知られていた、湯ノ倉温泉というところが宮城県北部にあった。湯栄館という一軒宿で、一度は行ってみたいと思っていた。しかし、2008年6月に起きた「岩手・宮城内陸地震」で川がせき止められ水没してしまった。温泉そのものが自然現象で無くなってしまったのである。旅館は廃業して、もう二度と行くことの出来ない宿である。
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「ナイルの娘」から「黒衣の刺客」までーホウ・シャオシェンの映画③

2021年05月21日 23時02分52秒 |  〃 (世界の映画監督)
 ホウ・シャオシェンの映画3回目。残りをまとめて書いてホウ・シャオシェン映画を考えたい。1987年の「恋恋風塵」と「ナイルの娘」は同じ年だけどスタイルに大きな違いがある。それが何によるのか僕は知らなかったが、今回のパンフを読んで判った。半官半民的な中央電影で好きな映画を作れていた時代が、トップの交代によって終わってしまったのだ。ホウ・シャオシェンは「恋恋風塵」、エドワード・ヤンは「恐怖分子」(1986)を最後に会社と袂を分かった。

 それ以後は資金集めのために、話題作り的なキャスティングもするようになった。その最初がレコード会社が出資してアイドル歌手ヤン・リンが出演した「ナイルの娘」だったのである。我々はそんなことは知らずに見て、ジャンルが全く違うことに驚いた。この映画は台北に住む一家が暗黒社会と関わって破滅していくフィルム・ノワール的な作品である。「ナイルの娘」とは、主人公がいつも読んでる漫画の名前。実はそれは「王家の紋章」の台湾海賊版だという。主人公はケンタッキーフライドチキンでバイトしながら夜間高校に通っているが、兄の関わるケンカや博奕で運命が狂う。成功した映画とは言えないが、80年代の発展した台北の闇に向かい合う。
(「ナイルの娘」のヤン・リン)
 その後ホウ・シャオシェンは、「悲情城市」(1889)、「戯夢人生」(1993)、「好男好女」(1995)と台湾現代史を題材にした映画を作る。それらは成功しているが、現代台湾を舞台にした「憂鬱な楽園」(1996)や「ミレニアム・マンボ」(2001)などは失敗作だろう。その間に上海で作った「フラワーズ・オブ・シャンハイ」(1998)や日本で作った「珈琲時光」(2003)もまあそれなり。ここらで僕は見るのをやめてしまった。フィルモグラフィを見ると、「百年恋歌」(2003)とフランスで作った「ホウ・シャオシェンのレッド・バルーン」(2007)を見逃している。後者はアルベール・ラモリス「赤い風船」へのオマージュでジュリエット・ビノシュが主演している。
(「憂鬱な楽園」)
 「憂鬱な楽園」はガオ・ジェ(高捷)、リン・チャン(林強)、伊能静のコンビで、現代台湾を舞台にしたフィルム・ノワール。主演コンビは前作「好男好女」から続いている。阿里山へ向かう道路を行く2台のバイクを長回しにしたシーンで有名になった。パンフにはラストとあるが、実は途中のシーンだった。ラストは自動車の長いドライブである。ホウ・シャオシェンのスタイルは変幻極まりないが、いつも独自の世界を形成している。しかし、これも成功はしていないだろう。スタイルが独自すぎて、物語を壊すまで長回しにしてしまうところは、相米慎二テオ・アンゲロプロスに似ている。

 台湾ニューシネマを代表したのは、同じ1947年生まれのホウ・シャオシェンエドワード・ヤン(楊徳昌)だった。二人は当初は盟友関係にあり、「冬冬の夏休み」には娘婿役でエドワード・ヤンが出演した。またエドワード・ヤンの2作目の長編「台北ストーリー」ではホウ・シャオシェンが製作、脚本、出演している。エドワード・ヤンは台北を中心に現代人の孤独を鋭く描く。ホウ・シャオシェンが現代を舞台にするとき、あえて独自のスタイルを追求するのはエドワード・ヤンを意識していると思う。成功していなくても、スタイルへのこだわりがホウ・シャオシェン映画なのである。オリヴィエ・アサイヤスによれば、二人の関係は20世紀末には少し微妙になっていた。そして21世紀になると長く闘病生活を送ったエドワード・ヤンは、2007年に59歳で亡くなった。
(「フラワーズ・オブ・シャンハイ」)
 「フラワーズ・オブ・シャンハイ」(1998)は張愛玲原作の上海の妓楼を舞台にした映画で、今回デジタル版が上映された。夜を映しだすカラー映像は美しいが、男と娼妓たちの駆け引きのみでは苦しい。松竹が出資して、羽田美智子が出ている。主演はトニー・レオンで、彼は香港の映画人だから上海語は苦手である。そこで広東商人という設定にしてして、羽田美智子は吹き替え。暗い室内を長回しで撮る映像は興味深いが、だから何だという感じ。しかし、ホウ・シャオシェンが本格的に大陸で映画を作った意味は大きい。
(「黒衣の刺客」)
 今のところ最後の「黒衣の刺客」(2015)はカンヌ映画祭監督賞、台湾の金馬奨で初の作品賞など高く評価された。キャストもスー・チーチャン・チェン妻夫木聡忽那汐里と国際的。しかし、内容は唐代を舞台にした武侠映画なのには驚いた。確かに武侠映画として面白かったが、アン・リー監督の「グリーン・デスティニー」やキン・フー映画と何が違うのか、僕にはよく判らなかった。このようにスタイルをどんどん変えていくのがホウ・シャオシェンの映画である。

 自伝的映画を撮って評価され、続く「悲情城市」で台湾現代史でタブー視されていた「2・28事件」(1947年に起こった国民党による本省人の大弾圧事件)を戒厳令解除後2年で映画化した。日本を含め、世界中の多くの人はこの映画で初めて台湾民衆の声を聞いただろう。その大成功でホウ・シャオシェンは台湾映画を代表する存在になった。しかし、彼は単に台湾民衆の代弁者ではなかった。文化的には明らかに中華圏にアイデンティティがある。同時に「国際的映画人」として日本でもフランスでも映画を作る。有名になって、映画のスケールが大きくなり、マーケットを考えて大陸や日本でも映画を作る。それは成功よりも失敗が多かったと思うけれど。

 結局一番心を打つのは、自らの世代の青春を描くことだった。恐らく家庭では広東語、学校では北京語、友人との世界では台湾語といった使い分けの中で育っただろう。両親を早く亡くし、大陸に帰ろうとする祖母(「童年往事」に出て来る)を抱えて、困窮を生きていた。そんな自分の青春を描くときに一番精彩を放った。そういう監督は世界で珍しくはない。フランソワ・トリュフォーベルナルド・ベルトルッチなども同様だろう。巨匠となっていろいろ作ったが、最初の頃が一番輝いている。ホウ・シャオシェンの初期作品を通して、僕らは台湾現代史に触れ、人々の暮らしを知ることになった。中国や韓国の映画が世界に知られる前のことだった。
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「恋恋風塵」と初期傑作群ーホウ・シャオシェンの映画②

2021年05月20日 23時18分53秒 |  〃 (世界の映画監督)
 ホウ・シャオシェンの映画を振り返る2回目。1983年の「風櫃の少年」から続々と世界を驚かせる傑作を作り始めた。そして「悲情城市」(1989)がヴェネツィア映画祭で中華圏の映画として初の金獅子賞を受賞して、世界的な映画監督として確固たる位置を占めることになった。

 その間の作品を列挙すると、以下のようになる。
1983 風櫃(フンクイ)の少年 日本公開1990年7月4日 ナント三大陸映画祭グランプリ
1984 冬冬(トントン)の夏休み 日本公開1990年8月25日 ナント三大陸グランプリ キネ旬4位
1985 童年往事 時の流れ 日本公開1988年12月24日 ベルリン国際映画祭国際批評家連盟賞 キネ旬10位
1987 恋恋風塵 日本公開1989年11月11日 ナント三大陸映画祭撮影賞、音楽賞 キネ旬8位
1988 ナイルの娘 日本公開1990年8月18日 トリノ映画祭審査員特別賞
1989 悲情城市 日本公開1990年4月21日 ヴェネツィア映画祭金獅子賞 キネ旬1位

 日本公開日時を書いたが、「童年往事」「恋恋風塵」が先に公開され、ベストテンにも入っていた。しかし、「悲情城市」の公開、ヒットによって残っていた他の作品も続々と公開されたことが判る。その前にぴあフィルムフェスティバルで上映され、台湾映画がすごいことになっているという話が伝わっていた。ちなみに東京の上映は「童年往事」はシネヴィヴァン六本木、「悲情城市」「冬冬の夏休み」「恋恋風塵」はシャンテシネだった(と思う。)
(「恋恋風塵」の主人公)
 今回は内容的に違う「ナイルの娘」は除き、他の「自伝的4部作」と呼ばれる作品の中でも「恋恋風塵」を中心に書きたい。「風櫃の少年」「童年往事」は今回は見直さなかったし、「冬冬の夏休み」はかつて「ホウ・シャオシェン監督「冬冬の夏休み」」(2016.8.27)を書いた。「冬冬の夏休み」は本当に素晴らしい映画だと思う。温かさ懐かしさ爽やかさに満ちているが、同時に厳しさ暗さ深さをも秘めている。最高の少年映画、夏休み映画だ。

 「恋恋風塵」(れんれんふうじん)はその前に公開された「童年往事」とともに、最初に見た時にはよく判らなかった。2作ともベストテンに入って、それほど高い評価を受けるのかと驚いた。次に見た「悲情城市」は、誰にも有無を言わせぬ映画史的大傑作なので、それを見て初めてホウ・シャオシェンが判った気がした。僕はよく「80年代は見逃しが多い」と書くのだが、これらの映画は全部見ている。もともとアジアに関心があり、歴史的、社会的な関心を就職後も持ち続けていた。だから中国映画の新世代にも注目していたし、台湾映画の新動向も落とせない。

 この前見た「HHH」の中で、ホウ・シャオシェンは「風櫃の少年」について「脚本は出来ていたが撮り方が判らなかった」と語っている。従来のエンタメ映画の手法ではなく、アメリカで映画を勉強してきた新世代にも刺激を受け「新しい映画」を作りたかったのである。製作会社は中央電影で、国民党系の大手会社である。しかし、この時代には、そんなことが可能だったのだ。「台湾ニューシネマ」はフランスのヌーヴェルヴァーグではなく、日本の「松竹ヌーベルバーグ」のように会社映画として製作されたのである。だからこそ、スター俳優の出ず、私的な思い出を込めた映画が作れたという逆説的な「奇跡」が起きたのである。
(靴を買う二人)
 「風櫃の少年」は「鳥瞰的」なロングショットが多く、澎湖諸島を舞台に神話的とも言える映像が続く。ケンカに明け暮れするだけみたいな内容だし、俳優もなじみがない。だから一回見ただけでは、よく判らない。それは「童年往事」や「恋恋風塵」も同様だった。最初は映画内の設定を知らないから、主人公を通して物語を探すのが普通だろう。しかし、ホウ・シャオシェンの映画は安易な「物語」を拒否し、静かに声低く、人々の心をすくい取る。それは小津だって同じと言えばそうだし、実際ホウ・シャオシェンは後に小津へのオマージュ映画「珈琲時光」を撮ることになる。

 「恋恋風塵」は今回見直して、ほぼ完全な映画だと思った。物語の進行を判っているから、純粋に映像に浸れる。舞台になったのは九份である。かつて金鉱山があった北部の町で、後に「悲情城市」の舞台にもなった。「千と千尋の神隠し」のモデルとも言われる。しかし、その時点で駅が建て替えられていたので、実際にはさらに奥地の「十分」という駅でロケされたという。冒頭の鉄道通学シーンから、駅を出て家に帰る幼なじみの少年少女を見るだけで、もう心がいっぱいになってくる。僕は前に見ているから、二人の運命を既に知っているのだ。今回の映画祭向けに作られた川本三郎×宮崎祐治侯孝賢 台湾映画地図」の裏表紙の地図を載せておく。
(台湾映画地図 クリックして拡大を)
 貧しい人々は子どもをまだ高校に送れない。60年代初め頃、日本でも「キューポラのある町」などが作られていた時代だ。男はワン、女はホン、兄と妹のように育った幼なじみは台北で再会する。ワンは先に台北に出て、印刷会社、後に運送会社で働きながら夜間高校に通う。やがてホンも中学を卒業し台北でお針子になる。映画館の看板書きをしている友だちなど、彼らは職場や下宿を転々としながら貧しい青春を謳歌する。こういう映画は世界中で作られた。増村保造遊び」、恩地日出夫めぐりあい」、イエジー・スコリモフスキー早春」など、若くて貧しい労働青年の切ないめぐりあいが多くの映画で描かれた。
(ラスト、祖父と語る主人公)
 貧しさに翻弄されながらも幼い愛を引き裂いたのは、兵役だった。今は志願制になったと言うが、当時は徴兵制だった。現代の日本やアメリカで作られる恋愛青春映画の多くは「難病もの」である。しかし、昔の映画や小説では、戦争や貧困、身分格差など恋人たちを引き裂くものには事欠かなかった。兵役に取られたワンは毎日ホンに手紙を書く。皆にからかわれていたのが、いつの間にか手紙が来なくなって…。あまりにも皮肉な結末に言葉もない。これは監督ではなく、脚本の呉念眞(ウー・ニエンジェン)の体験らしい。
(台湾のポスター)
 今見ると、台北の街を若い二人が歩くロケなどが、たまらなく懐かしい。また故郷の家族の姿も懐かしい感じがする。懐かしさを狙っているのではなく、丁寧に作られた生活の映像が時間とともに古酒の味わいを出している。兵役のない日本だけど、受験勉強や就活、長時間労働などはある種の「徴兵」みたいなものだ。ほんのちょっとした運命で別れてしまったなんて、世界のどこでも日々起こっているに違いない。小さな声で運命を語るから、最初に見た時は「何、これで終わり?」と思ってしまったが、この終わり方が良いと今では思う。素晴らしい傑作だ。
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「風が踊る」と「坊やの人形」ーホウ・シャオシェンの映画①

2021年05月19日 22時46分17秒 |  〃 (世界の映画監督)
 先に「ホウ・シャオシェン監督、「乾杯」を熱唱すーオリヴィエ・アサイヤス「HHH」を見る」で書いたように、新宿のケイズシネマという84席しかないミニシアターで台湾映画祭が開かれている。ここでは最近よく台湾映画特集が行われているが、今年は「侯孝賢監督デビュー40周年記念」と銘打って、ホウ・シャオシェン監督関連映画を12本上映した。そのうち8本を見たので感想を書いておきたい。(朝10時上映から一本の上映が6月11日まで続く。最高傑作「悲情城市」を見直すつもりだったが、あっという間に満席になってしまい今回はパスすることにした。)
(ホウ・シャオシェン監督、「黒衣の刺客」のころ)
 ホウ・シャオシェン(侯孝賢、1947~)は広東省で生まれて1歳の時に台湾に来た。客家(ハッカ)系外省人になる。「外省人」とは大陸に本籍がある住民で、台湾に籍がある人は「本省人」と呼ばれる。1949年に革命に敗れた蒋介石の国民政府が台湾に逃れ、1987年まで戒厳令が敷かれていた。その間、外省人と本省人は長く政治的、文化的、言語的な対立関係にあった。

 ホウ・シャオシェンエドワード・ヤンら台湾ニューシネマの監督たちは、戒厳令下で教育を受け映画界に入ったのである。僕はその辺りの政治的事情は大体は知っていたが、ホウ・シャオシェンの映画を見始めた頃はどうも難解な感じも受けた。表現方法も革新的だったが、台湾事情に詳しくないとニュアンスが伝わりにくい部分もある。例えば僕は中国語か韓国語かは聞き分けられるが、中国語と言っても北京語台湾語かは判らない。オムニバス映画「坊やの人形」の一編「りんごの味」では米軍に勤める台湾人通訳が台湾語を理解出来ない様子が描かれている。

 ホウ・シャオシェンは特に芸術に縁がある青春ではなかったらしい。大学受験に失敗し高雄でグレていたが、徴兵されて兵役を務めた。軍隊で映画の面白さに目覚めて、除隊後に国立芸術専科学院に入った。その後、何とか映画界に参加出来るようになって、1980年には監督に昇進した。それが初期三部作の「ステキな彼女」(1980)、「風が踊る」(1981)、「川の流れに草は青々」(1982)で、「川の流れ…」以外の2本は日本では正式公開はされなかった。映画祭では上映されたと思うが、「風は踊る」は今回が劇場初公開である。
(「風は踊る」)
 この3作はいずれも香港の人気歌手ケニー・ビーが主演する「青春歌謡映画」である。最初の2作には、台湾のアイドル歌手フォン・フェイフェイも出ている。第1作「ステキな彼女」が大ヒットして、翌年に「風は踊る」が作られたという。話はご都合主義そのものだが、テーマは「自由恋愛」である。戒厳令下でありながらも経済成長が進んで生活が向上している様子が興味深い。

 CM製作チームが澎湖(ほうこ)諸島に行くと盲目のギター弾きがいる。(CMの女性ディレクターがフォン・フェイフェイ、盲人がケニー・ビー。)島民かと思うと、台北で再会して手を引いて助ける。実はその人は医者で、病気で一時的に目が見えなくなっている。しかし、それは手術で治る病気だった。彼女は弟に代わって故郷で代理教師をすることになったが、手術が成功した彼がやってきてプロポーズする。実は他に仲良くしている人がいたり、郷里の学校事情などを交えながら、軽快に映画は進行する。離島の障害者と思ったら、カッコいい都会の医者に変身するから都合のいい話である。郷里の鹿谷(台湾中部)の田園風景が興味深い。
(「坊やの人形」)
 「坊やの人形」(1983)は翌年に作られた「光陰的故事」と並び台湾ニューシネマの始まりとされる。どっちもオムニバス映画で、3作の短編で構成されている。ホウ・シャオシェン以外は皆新人で、5人の監督を送り出すためにオムニバスにしたという。国民党が関わる中央電影の製作だが、蒋介石の没(1975年)以後、1978年に蒋経国が総統になり少しずつ社会が変化していた。ホウ・シャオシェンはすでに監督だったが、新世代のリーダー的存在として登用されたのだろう。

 「坊やの人形」の3作は、黄春明(ホワン・チュンミン)の短編が原作になっている。黃春明は「さよなら・再見」が当時日本でも話題になっていた。この映画は日本でも1984年に公開された。その時見ているが、「坊やの人形」の時点でホウ・シャオシェンには注目しなかった。ホウ監督の「坊やの人形」、ゾン・ジュアンシャン「シャオチーの帽子」、ワン・レン「りんごの味」の三作からなるが、ホウ作品は何だか一番センチメンタルだ。他の2作の方が面白かったというのが実感だった。今回見ても同じような感想で、その後の乾いたタッチとの違いがむしろ興味深い。
(「坊やの人形」台湾版ポスター)
 今見ると、「鉄道ファン」としての原点のような作品かもしれない。主人公は映画館の宣伝マン、具体的に言えば日本の雑誌にある写真を見て、自分でサンドイッチマンを志願した男である。妻と幼い子がいるが、毎日化粧してピエロになって映画の看板を背負ってわずかな給金を得ている。主人公はほぼ駅前に立っているという役である。これが竹崎駅となっている。嘉義から出ている阿里山森林鉄路の駅なのである。当時の鉄道風景がいっぱい出ているのが貴重だ。やがて車で宣伝出来るようになるが、そうなると坊やが化粧してない主人公を父と認識できない。そんな貧乏暮らしを描いている。

 なお、「シャオチーの帽子」は日本製の圧力鍋をセールスするため南部に赴いた二人の男を描く。この圧力釜がラストで悲劇を呼ぶが、当時我が家で圧力鍋を使っていたので、この作品が一番思い出に残っている。別に圧力鍋が悪いわけじゃないと思うけど。「りんごの味」は台湾駐留の米軍人が貧しい屋台引きをはねてしまう。子だくさんの一家はどうしてくれると狂乱するが、米軍人が金を渡すと彼ら家族にはあまりの巨額なので驚き喜ぶ。米軍病院の豪華さに子どもたちは浮かれ騒ぎ、見舞いにもらったりんごを初めて味わう。非常に興味深い作品。
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「ワクチン弱者」にどう対応するかー予約できない高齢者問題

2021年05月18日 23時06分33秒 |  〃 (新型コロナウイルス問題)
 テレビのニュースは「ワクチン」一色と言って良い状態になっている。日本ではワクチンの輸入が進まない上に、接種態勢もなかなか整わなかった。入ってきたワクチンも医療従事者が優先だったので、一般の高齢者への案内も遅れた。ようやく4月末頃から接種券が送られつつあるが、調べてみると自治体ごとにやり方がかなり違う。大きな接種会場を作るところ、小さな接種会場を幾つも作るところ、地域の病院での接種が中心のところなどがある。

 さらに高齢者をいくつかの段階に分けるところも多い。「75歳以上」(後期高齢者)と「65歳から74歳」(前期高齢者)に分けるところがかなりある。(年齢は2022年3月31日が基準となる。)一方、「65歳以上」に一括して案内を送るところもある。自分の住んでいるところはそっちだったので、5月当初に予約を済ませてあって、もうすぐ1回目の接種の予定。

 その予約だが、パソコンスマホ電話によるところが多い。しかし、ニュースで見た新潟県上越市では最初から日時と会場を指定して送っているという。そういうのもあるかと思ったが、地方ではその方がいいかもしれない。(地方では家族が車で送迎することが可能だが、大都市では公共交通機関で来るように指示される。行きにくい会場が指定されると困ってしまう。)

 その予約が出来ないスマホもパソコンも使えないという声がいっぱいある。そうなると電話を掛け続けることになるが、全然つながらない。もう諦めたという人もいるらしい。取れた人の中でも、子どもに手伝ってもらった人が多いらしい。現時点ではやむを得ないかと思うが、今後はどうするんだろうか。(子どもに手伝ってもらうというのは、子ども世代とつながりがあるということだから、先にワクチンを接種する意義がある。)そのうち接種も進んで行くだろうが、現在の時点では大量の「ワクチン弱者」が生み出されている。

 政権側も危機感を持って、自治体に圧力を掛けているようだ。神奈川県は首相とワクチン接種担当相の選挙区なので、遅れることは許されないという。そうは言っても自治体の能力を超えることは不可能だ。ワクチン確保も重要だが、それ以上に人手や態勢の不備が大きいようだ。政府は東京と大阪に対しては、新規に承認したモデルナ社のワクチンを使って「大規模接種会場」を作って自衛隊が大量に摂取を行うという。24日から始まるが、果たしてスムーズに進むかどうか。それもあるけれど、なんで自衛隊が全面に出てくるのかも不審に思う。
(自衛隊が進める大量摂取の予約画面)
 高齢者と言っても、21世紀に働いていた世代ではパソコンやスマホを使わざるを得ない職場が多かった。しかし、それ以上の世代では「機械嫌い」も多くて、銀行のATMの操作も出来ない、交通系ICカードのチャージも出来ないことを「デジタル無能自慢」のように語る人もいる。現役時代は部下にやらせていたんだろう。ニュースを見たら「インターネットは難しい」と言ってる高齢者がいた。インターネットの初期設定をゼロからやるのは確かに大変だけど、スマホでもパソコンでも「デジタルネイティヴ世代」には「難しい」という感覚自体が理解出来ないのではないか。

 しかし、加齢に伴って視角聴覚も衰えていく。触覚も衰えていくのであって、タッチパネルが苦手なのは現実に「画面が動きにくい」という現象があるからだ。スマホは肌の表面にある静電気を感知して作動するが、高齢者になると「乾燥肌」になりやすい。角質層が厚くなって乾きやすいのである。案内の字が見えにくい上に、触っても画面がスムーズに動かない。圧力で作動すると思って、何度も強く押すけどダメ。だから「難しい」と思ってしまう人が出て来るのは当然だろう。
(ファイザーのワクチン)
 役所に行くと助けてくれるところもあるようだが、そういうポジティヴな人ばかりではない。ちょっと電話を掛けて、つながらないからそのままにしている人が大量にいると思う。社会的に「孤立」している人は、自ら助けを求めない。また情報リテラシーにも偏りがあることが多く、「注射は怖い」「ワクチンは危ない」と思い込んでいる場合もある。何もしなければワクチンを接種しないままの高齢者が生まれるだろう。どうすればいいのだろうか。当面は予約した人の大量摂取に力を取られる。秋までには衆院選もあるし、自治体の能力を超えるのではないか。

 国が中心になって予算を組んで、今から予測して特別の態勢を作らないと高齢者の感染が続くことになりかねない。「孤立」した高齢者と言っても、食べなければいけない。自炊が難しいので、そういう人ほど外食に頼るだろう。皆がマスクを取れるようになったとき、ワクチンを売ってない高齢者だけが感染リスクが高いままになる。福祉の問題として、地道な働きかけをする以外に解決方法はない。また「接種券」が届かない「ホームレス」の人の接種はどうするんだろうか。希望者には接種する道を用意しなければいけないと思う。
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整合性なきコロナ対策の末にー「分科会」で政府方針が一変

2021年05月17日 22時42分20秒 |  〃 (新型コロナウイルス問題)
 新型コロナウイルス問題について、あまり書いてない。現在、東京都には「緊急事態宣言」が出されているけれど、自分の日常生活はあまり変わっていない。良く行く小さな映画館は上映を継続しているから。寄席が最初は開けていて、そのうち閉まったことは前に書いた。しかし、12日から客席を制限して再開されている。同日からプロ野球大相撲も観客を入れているし、歌舞伎ミュージカルも再開した。しかし、TOHOシネマズなどの大規模映画館は閉まっている。デパートは少し売り場を再開したらしいが、国立博物館国立美術館は相変わらず閉まっている。

 この実情に「整合性」はあるのかと多くの人が言っている。僕もそう思っているが、当面美術館に行かなくてもいいやと思う。そもそも東京都に「緊急事態宣言」を出すかどうかもなかなか決まらなかった。「まん延防止重点措置」の効果を見たいなどと言っていたが、結局4月25日から5月11日までの期間で緊急事態宣言が出された。連休の人出を抑える必要があると言っていたが、近県は「まん延防止」に止まったので、出掛ける人もいたようだ。そもそも5月11日までというのは、「短すぎる」と当初から言われていた。案の定、5月31日まで延長された。

 もはやどこの県に緊急事態宣言、またはまん延防止重点措置が出ているか、ちゃんと判っている人は少ないだろう。5月14日の朝刊には、「まん延防止 5県追加へ」「群馬・石川・岡山・広島・熊本」と大きく一面に載っていた。ところが、翌15日の朝刊では「政府案一変 緊急事態」「分科会が反対 北海道・岡山・広島追加」とある。(なお、群馬・石川・熊本は「まん延防止」で、ともに6月13日まで。)今まで専門家会議は政府の諮問案を結局は追認してきたが、今回はついに政府案への疑問が噴出し、政府側が異例の方針転換に至ったのである。
(異例の方針転換を説明する西村経済再生相)
 この専門家会議は「分科会」と言われるけれど、一体何の分科会なのか。僕もよく判らないので調べてみると、内閣官房に「新型インフルエンザ等対策推進会議」というのが置かれている。その下に「基本的対処方針分科会」、「医療及び公衆衛生分科会」、「社会経済活動分科会」、「新型コロナウイルス感染症対策分科会」がある。根拠法と構成員はリンク先から見られる。今回の方針を一変させた「分科会」は「基本的対処方針分科会」である。前回も北海道には緊急事態宣言を出すべきだという意見が出されていたが、その時は意見が通らなかった。

 こういう状況になったら「まん延防止」、こういう数値になったら「緊急事態」といった明確な基準がなく、その都度その都度自治体の長と話を詰めつつ政治的に決まる感じ。大阪は2回目の緊急事態宣言を東京に先駆けて途中で解除した。その時点ですでに英国型変異株が見られたのだが。東京も感染者数は少しずつ増加傾向に合ったときに2回目の緊急事態を解除した。そして、やはり増えてしまって再び緊急事態宣言である。そもそも2回目の時には、菅首相は「ウイルスのことがかなり判ってきた」として飲食への対策に止めた。その時は大規模施設は閉まらなかったのに、3回目ではデパートや大規模施設が閉まった。どこに境目があるのか、判らない。
(5月14日の菅首相会見)
 その都度、菅首相が記者会見するが、一向に判った感じにならない。特に今回は北海道や岡山・広島の話なので、もう僕は見なかった。東京の延長の時は少し見たけど、まあ同じだなと思って途中で止めた。そもそも「11日まで」が短いので、延長するといっても誰も緊張感がない。でも12日から出来るかもと思って、店を開ける準備をした人も多かったという。そして、12日から野球も相撲もテレビを見れば一目瞭然、観客がいるのだから、実質の気分としては半分ぐらいもう解除された感じである。何度も何度も「勝負の2週間」「我慢の年末年始」みたいな言われ方をされて、正式な緊急事態になっても慣れてしまった感じか。

 この事態を変えるとしたら、記者会見を繰り返している首相が正直に語るしかない。ところが、質問には同じ答えを繰り返すだけだ。もともと11日まででは短かったと問われても、連休の人流は減ったとか答える。まあ安倍内閣の官房長官として「何も答えない」ことを得意技にして「実力者」と見られるようになった。「誠実に答える」ことではなく、「無愛想で質問には答えない」ことで党内で評価されたのである。しかし、それがリーダーシップとして評価されるのは、日本ぐらいだろう。去年以来何度も「コロナ」を書いたけど、本当はもう書きたくない。「賞味期限」が短すぎるから。自分でも去年何を書いたか読み返さないし、今になっては古い情報が多い。今回書いたこともすぐに意味がなくなるのだが、やはり書く必要もあるかと思って記録することにした。
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辻原登「卍どもえ」、女と男の性愛と陥穽

2021年05月16日 22時07分09秒 | 本 (日本文学)
 一昨日から辻原登卍どもえ」を読みふけっていた。2017年から2019年にかけて「中央公論」に連載され、2020年1月に刊行された本。辻原登は僕が大好きな作家で、今まで何回も書いてきた。何でこんなに面白いんだろうと思う作品が多い。読み始めたら途中で止められない。450ページもある単行本が重くて一年間放っておいたが、もっと早く読めば良かった。

 辻原作品では歴史に材を取ったものも多いが、今度の「卍どもえ」は現代が舞台になっている。現代と言っても2007年ごろだが、時間をさかのぼったり世界を駆け回ったり、ずいぶん作品世界が広い。登場人物も多くて、誰だっけと前を読み返したりするが、それぞれの人物が流れるように人生の変転を経験していく。その様が美味しい蕎麦をツルツル食べちゃうように読み進めてしまう。最後になって、男の人生には「陥穽」(かんせい=落とし穴)が潜んでいることが判る。

 一方、女の人生にも思わざる出会いが起こる。それは新しいセクシャリティの目覚め、もっとはっきり言えば「同性愛」、つまりレズビアンの世界である。男性作家が女性の同性愛を描くといえば、谷崎潤一郎」で、題名はそこから来るのだろう。真性のレズビアンよりも「バイセクシャル」が多く、女と男ばかりでなく、女どうしの複雑な駆け引きや心の揺らぎも興味深い。ただセクシャリティだけでなく、むしろ経済や社会状況などの描写こそ面白いかもしれない。
(辻原登)
 辻原作品で現代を描くときは「寂しい丘で狩りをする」「冬の旅」「籠の鸚鵡」のように「犯罪」が描かれることが多い。しかし、「卍どもえ」は成功者の世界を描く。アート・ディレクター瓜生甫(うりゅう・はじめ)とその妻ちづるが第一章の中心人物である。瓜生甫は博報堂に勤めた後、独立して青山に自分の事務所を開いて成功した。今はスクーバダイビングに熱中していて、夫婦仲は悪くはないが生活はすれ違い。セックス相手も複数いる。一方、千鶴は同窓会で教えて貰ったネイルサロンで塩田可奈子と知り合い、新しい性愛の世界を知る。

 第2章になると、中子脩毬子夫妻が登場する。中子夫妻が逗子の高級住宅地に新築した家に瓜生夫妻が招待される。中子毬子は近畿日本ツーリストに長く勤めていて、瓜生が海外で仕事をするときに旅行の企画を頼んで知り合った。住宅の新築に建築士を紹介した間柄である。毬子の夫、脩はかつて商社に勤めていて東南アジアではずいぶん遊んだ過去もある。二人はロスで知り合い結婚したが、ある事件で脩は商社を退職した。その後フィリピンで英会話学校を作る仕事で成功して、今度は大阪にも分校を開く予定。

 こんな筋書きみたいなことをいくら書いても面白さは伝わらない。現実に起こった出来事、地下鉄サリン事件や渋谷の松濤温泉爆発事故(2007年6月19日)、さらにロッキード事件日中戦争などが登場人物と意外な関係を持っている。瓜生は世界陸上ドイツ大会のエンブレムを狙っている。(それは思わぬ展開を見せ、似たようなケースを思わせる。)中子はフィリピンの上院議員の娘と関係を持ち、いずれは共同経営者にしようと思っている。男は「野心」に燃えて、欲望も昂進するのだが…。男の世界の裏で、女たちも結託し性愛だけでなくはかりごともめぐらす。
 
 東京(青山、渋谷、赤坂等)、横浜(ホテル・ニューグランド、市営地下鉄)、大阪京都に加え、フィリピンタイアメリカモロッコなど日本、世界のあちこちが出て来る。さらによく食べ、よく飲む。デートのガイドブックとしても使えそうな情報も多い。横浜駅東口から山下公園まで水上バスが出ているなんて僕は知らなかった。大井競馬場トゥインクルレース(ナイター競馬)も行ったことがないから興味深かった。

 いつものように(「寂しい丘で狩りをする」に次ぎ)映画の話題も多い。「フライド・グリーン・トマト」や成瀬巳喜男の「浮雲」「流れる」などは、作品と密接に関係している。それ以外にも何十本も出てくる。そもそも「雑談」が多い。数多い登場人物が話題豊富で、映画や旅、お酒などの話をひっきりなしにしている。時間軸も地理的情報も人間関係も複雑だが、その雑談的おしゃべり、特に映画の話題が興味深い。だが、やはり一番描かれているのは、「人間にとって性愛とはどんなものか」ということだ。お金や情報も大事だが、最後は「人間の尊厳」が人を支えている。
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「歴史総合」のサンプル問題を見るー教員に必要な現代史研修

2021年05月14日 21時04分58秒 |  〃 (歴史・地理)
 高校の地理歴史の授業が大きく変わる。「平成30年告示」の高校学習指導要領で決まった。「平成34年」から実施である。元号だと困る実例だが、これは2022年入学の1年生からということだ。今回は「国語」「地理歴史」「公民」などで必履修科目に大きな変更がある。「地理歴史」では新たに「歴史総合」「地理総合」が新設され必履修となる。どちらも2単位科目(週に2時間の授業)で、その発展科目として「日本史探究」「世界史探究」「地理探求」がある。
 
 進学高校以外では、「歴史総合」「地理総合」しかやらないことも多くなるだろう。ちょっと細かくなるが、今までは「世界史A」「世界史B」から1科目「日本史A」「日本史B」「地理A」「地理B」から1科目が「必履修」だった。この「世界史必修」は1994年実施の学習指導要領で定められたから、もう25年も続いてきた。この間に高校を卒業した人は皆「世界史」をやってるはずなんだけど…。その代わり、もうひと科目は「日本史」を勉強して、「地理」はやらなかった人も多いと思う。

 この「歴史総合」という科目は、一体どんなものになるのだろうか。新しい教科書も検定が終わって発表された。まだ僕はそれを見ていないが、いろいろな課題を抱える高校教育で、日本・世界を分けず近現代史を中心に学ぶことは、僕も前から望んでいた。ここでは「大学入試センター」が発表した「サンプル問題」(3月24日に発表、翌日付の新聞各紙に部分的に掲載)を見てみたい。教科書を見る前に作られたし、指導要領すべてにわたる問題ではない。それを前提に、現代史を中心に「アクティブラーニング」することの意味を考えたい。
(資料1=「自由への跳躍」)
 まず最初の問題は、以下のようなものである。そして上の写真が掲載されている。「歴史総合」の授業で,「東西冷戦とはどのような対立だったのか」という問いについて,資料を基に追究した。次の授業中の会話文を読み,後の問い(問1~5)に答えよ。 

先 生:第二次世界大戦が終わるとまもなく,冷戦の時代が始まりました。資料 1は,冷戦の時代のヨーロッパで撮影された写真です。
山 本:なぜ,「自由への跳躍」という題名が付けられているのですか。
先 生:ここに写っているのは,ベルリンの壁が建設されている最中の1961 年に,警備隊員が有刺鉄線を跳び越えて亡命しようとしている瞬間の様子で,写真の解説には,「 ア 」とあります。その後,この写真は,ⓐ二つの体制の間の競争の中で,亡命を受け入れた側にこそ政治や思想・表現の自由があると主張するために使われて,有名になったのです。

 さらに地図が掲載される。写真の内容と当時のヨーロッパを表わす地図を組み合わせて選ぶ。
(地図Ⅰ、Ⅱ)
 上掲資料1の内容は以下のどちらか。 
西ドイツの警備隊員が東ベルリンへ亡命した
東ドイツの警備隊員が西ベルリンへ亡命した

 ある一定年齢以上の人には、これは「常識問題」だろう。西ドイツの警備員が東に亡命するわけがない。まあ東ドイツに移った人は皆無ではないけれど、ここでの問題は当然「」に決まってる。地図は「」である。考える必要もない。生きてきた時代のことだから。(ちなみに「Ⅱ」の地図は、第一次世界大戦当時のヨーロッパの対立を表わす地図。)

 しかし、この地図の問題はある程度難しいと感じる人もいるだろう。そもそも先に「ドイツはどこにあるか」を理解していなければ、ドイツが東西に分裂していたことを地図で確認出来ない。ドイツぐらい判るだろうと言うかもしれないが、そうでもないと思う。大学入試を受けようという高校生は大方大丈夫だろうが、高校生一般では半数以下かもしれない。「ドイツ」という国名は知ってるだろうが、位置と国名がきちんと把握されているか。これは「アクティブラーニング」以前に、「基礎知識」がいるということだ。当たり前のことだが、案外生徒は判っていない。

 ここでは「冷戦」が問題になっているが、ドイツ統一は1990年だから30年前になる。教員の中には、その後に生まれた人もいる。ある程度問題意識を持って新聞を読んでいたという人は、教員でも50歳前後からか。「現代史」をきちんと教えられる人がどの程度いるだろうか。まあ社会科系教員になろうという人は、一般平均よりは現代史に詳しいだろう。僕の世代だって、「戦争を知らない世代に戦争を教えられるのか」とか言われていた。しかし、歴史教員は戦国時代や明治維新を見てきたように語れるのであって、それはどの時代を教える場合でも変わらない。

 全部見るわけにも行かないから、資料をもとに考える問題を紹介したい。
資料4 ある運動の指導者がデモ参加者に向けて行った 1963 年の演説
 私には夢がある,ジョージアの赤土の丘の上で,かつての奴隷の子孫たちとかつての奴隷主の子孫たちが,友愛に固く結ばれて一つのテーブルを囲む,そんな日が来るという夢が。(略)自由の鐘を鳴り響かせることができたとき,(略)神が創り給うた子供たち全てが(略)手と手を取り合う日が訪れるのを早めることができるのです。

資料 5  1911 年発刊の文芸雑誌の創刊号に発表された文章
  元始,女性は太陽であった。真正の人であった。今,女性は月である。(略)自由解放! 女性の自由解放という声はずいぶん久しい前から私たちの耳もとにざわめいている。(略)それでは私の願う真の自由解放とは何だろう。言うまでもなく,潜んでいる天賦の才を,偉大な潜在能力を,十二分に発揮させることにほかならない。

資料 6  ある議会で 1789 年に採択された宣言
 国民議会を構成するフランス人民の代表者たちは,(略)人間の持つ譲渡不可能かつ神聖な自然権を荘重な宣言によって提示することを決意した。(略)第一条 人間は自由で権利において平等なものとして生まれ,かつ生き続ける。

資料 7  ある政治結社の指導者が行った 1942 年の演説
 (略)私はどこに向かったらいいのか,そして 4 億のインド人をどこに導いたらいいのか。(略)もし彼らの目に輝きがもたらされるとすれば,自由は明日ではなく今日来なければならない。それゆえ私は「行動か死か」を会議派に誓い,会議派は自らにそれを誓った。

 まあ、どれも超重要、超有名で、知らないと困る。正解を書くまでもないと思うが、一応誰(何)の言葉か書いておく。順にキング牧師平塚雷鳥(らいてう)、(フランス)人権宣言ガンディーである。これらの言葉の世界史的意味を調べて考えるのは、確かに「アクティブラーニング」として有益だろう。それぞれの資料に「自由」という言葉があるが、問題は以下の①から④の中で正しくないものを一つ選べというものである。

① 「自由」を,主に一党独裁体制の打倒という意味で使っていると考えられる資料がある。
② 「自由」を,主に人種差別の撤廃という意味で使っていると考えられる資料がある。
③ 「自由」を,主に性差別の克服という意味で使っていると考えられる資料がある。
④ 「自由」を,主に植民地支配からの独立という意味で使っていると考えられる資料がある。

 これは自分で考えてください。その他、戦後日本史も扱われる。もう一問あって、それは大日本帝国憲法オスマン帝国の「ミドハド憲法」を比較しながら、憲法や教育の近代史を考える問題。これはなかなか良問だと思う。ミドハト憲法は1876年に発布され、日本より早い。しかし露土戦争を口実に1878年に停止された。高齢者だと聞いたこともないかもしれないが、最近の世界史では大きく扱っている。大学受験しようという人なら知っているだろう。僕は問題としては悪くないと思ったけど、やはりアクティブラーニング的な授業をやるにしても、基礎知識が前提になる。

 地理歴史の教員は、必ずしも歴史や地理を大学で専攻した人ばかりではない。むしろ、そういう人の方が少ないかもしれない。法学部、経済学部、社会学部など文系のほとんどの学部では、社会科系の免許が取得できるだろう。また歴史が専門でも、知識だけでは現代史は教えられない。「城マニア」だの「新選組マニア」みたいな動機で歴史を専攻する人もいる。同時代的にソ連やベトナム戦争を知らない人も教員になっている時代だ。「現代史の研修」が必要だと思うが、官製研修をやるよりも映画、漫画、小説などで「自主研修」する必要もあるだろう。
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