尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

2月の映画日記

2014年02月27日 23時08分01秒 | 映画 (新作日本映画)
2月27日(木)
 最近はシネマヴェーラ渋谷で園子温特集を見ている。ほとんどの映画が面白くて飽きない。見ている「愛のむきだし」や「恋の罪」も再見してもすごかった。これはいずれまとめて書きたい。その前に小津安二郎のカラー映画デジタル修復を見て、それも別にまとめたいと思っている。今回はそれ以外。
 キネカ大森で「恋の渦」を見た。「地獄でなぜ悪い」を2本立て。こっちは園子温なので、そっちで書く。松本俊夫の「薔薇の葬列」「修羅」も同時に2本立てでやってて、こっちも見たかったけど、まあ見てるからやめにして新作を。「恋の渦」というのは、今度「愛の渦」というのが公開される劇作家三浦大輔の劇を「モテキ」の大根仁が監督した作品。20代の男女9人がパーティで集まり、その後2週間の彼らの動きを見つめる。とても面白いけど、こんな後味の悪い映画は「黒い画集 あるサラリーマンの証言」とか「霧の旗」なんか以来かもしれない。いまどきの「下流青年」はこんなものか。愛というより「支配」ばかり。実にヤナ感じ。映画としてほめてるので間違えぬよう。

 園子温の前にシネマヴェーラでは谷口千吉特集をやってた。見てないのが結構あるけど、多くは見れなかった。実は「ジャコ万と鉄」の三船版を見てなかったので初めて見た。終戦直後の北海道ロケが迫力で、俳優も素晴らしい。深作欣二、高倉健のリメイクより、やはり第一作がいい。併映の「独立機関銃隊未だ射撃中」はソ連軍侵攻直後の関東軍を扱う。迫力はあるが、こんな場所があったのか。ソ連の宣戦布告後に総崩れしたはずなのに、広島、長崎が壊滅したらしいなどと話してる。そんな情報がソ連戦の最前線に伝わると思えないが。そんな最前線に開戦後に新兵が送り込まれるのも変。

 神保町シアターの伝記映画特集は結構見てないので見るつもりだったけど、園子温の方が面白いのであまり行かないでいいことにした。三隅研二の日本初の70㍉「釈迦」を見てないので、一応有名なので見ておこうかと思った。カラーはキレイで、まあ雷蔵が出てるからどこかでニュープリントにしたんだろうけど。話がつまらないので、退屈した。お釈迦様の映画化というコンセプトの中で、壮大なる空虚が展開される。雷蔵、勝新、山本富士子、京マチコら大映スター総出演。杉村春子、千田是也、滝沢修と戦後新劇の大御所勢揃い。まあシャカ本人は本郷功次郎なんだけど。どうせなら歌舞伎なんかからもキャスティングしておいてほしかった。

2月13日(木) 
 チャップリンを見ないようなことを書いたが、次の日に見てなかった「チャップリン ライフ&アート」という記録映画を見て、とても勉強になった。そこで「ライムライト」と「サーカス」そして「のらくら」「担え銃」を見た。改めて感じたことも多かったので別に書きたいと思いつつ時間がない。
 大雪をはさんで、月曜に早稲田松竹で「凶悪」「地獄でなぜ悪い」を見ようと思うが満員で入れず、池袋の新文芸坐で「クロニクル」と「グランド・イリュージョン」というのを見た。チャップリンの時に予告編を散々見て面白そうだった。「クロニクル」は「キャリー」風の結末になっていく超能力ものだが、アメリカの高校生の様子も面白い。後者はいつ上映されたかもよく覚えてないが、実に面白いマジックもので最後まで目が離せない。こういうのは好き。
 11日に神保町シアターで「雨情」。野口雨情の映画だけど、伝記映画特集だって言うのに、冒頭に「これは野口雨情の伝記映画ではない」と出る。森繁主演、久松静児監督の文芸映画。雨情は北茨城の出身で、茨城県の風景が良かった。でも、今は雨情生家も見せているが、生きてる時は名家をつぶしたどうしようもない人間と思われていたらしい。

 続いて、フィルムセンターで「ロイ・ビーン」。これぞ思い出のもう一度見てみたかった映画。73年の公開時に大興奮した。ジョン・ヒューストン監督、ポール・ニューマン主演の傑作だけど、脚本がジョン・ミリアスだったのか。ヒューストンは低迷を脱してこの後は傑作を連発する。テキサス西部に、自分で判事を名乗って「首つり判事」と言われた実在のロイ・ビーンという人物を、レジェンドを物語る心意気でうたいあげた大西部挽歌のような作品。この当時そういうのがかなりあった。ペキンパーの「ケイブルホーグの伝説」(砂漠の流れ者)とか。体に穴が開く銃撃とか、とにかく「ほら話」を語るという感じに魅せられる。エヴァ・ガードナーが演じるリリー・ラングトリーという女優(実際はイギリスで活躍した人)に憧れるのがおかしい。最後に本人が現われる設定にも笑えて泣ける。東和配給だったおかげでフィルムセンターで再見できてうれしい。
 
 昨日はまた早稲田松竹で満員で、ユーロスペースで北欧映画祭を見た。「馬々と人間と」という「馬目線」で描いた奇妙なアイスランド映画。続いて「アンバサダー」。デンマーク人監督がアフリカのリベリアの大使職をカネで買う。そういうビジネスがあるんだと。中央アフリカ大使となって、反政府派が支配するダイヤ地帯などを訪れ盗撮した映像をまとめた。奇怪な映画体験で、他の作品を夜に見るつもりが、口直しにフィルムセンターで昔の「旅情」を見直した。さすがにデヴィッド・リーン、イタリア観光映画では今でも色褪せない。アメリカ人がまだヨーロッパ文化に憧れていた時代でお上りさん丸出しのキャサリン・ヘップバーンが面白い。ヴェネツィアが美しくて気持ちがいい。昔見たけど、フィルムは悪いけど当時のフィルムで見る楽しさもある。フィルムセンターはこの後、小津のデジタル修復映画をやるので、見直したらまとめて書きたいと思う。今日は「彼岸花」。

2月4日(火) 
 新文芸坐でチャップリン特集をやっているので、この機会に見直してみようかなと思った。3日に「黄金狂時代」と「殺人狂時代」を見た。チャップリンは確か73年に大規模な回顧上映が行われ、その後にかなり見ている。傑作には違いないけど、判っていてみればあまり新発見がない。再確認はあるけど。「黄金狂」は無声喜劇の最高峰とも言えようが、展開を知ってれば今さら感がある。「殺人狂」は僕は一番好きな作品で、ビターなテイストがいい。細部まで完成された傑作だけど、まあ新しく感じたことはあまりない。
 ということで、今日はシネマヴェーラ渋谷へ行き谷口千吉監督特集。「33号車応答なし」は1955年作の白黒警察ミステリーの大傑作。クリスマスの夜に東京を巡回するパトカーが出会う事件の数々。志村喬と池部良のコンビがいい。酔っ払いだのスピード違反だの産気づいたカップルだのを相手しているうちに、おりしも都下を脅かしている事件と思わぬ遭遇を…。サスペンスの素晴らしさ、夜のロケ、池部夫人の司葉子の魅力など見所が多い。金曜日にもう一回上映。併映の「国際秘密警察 絶体絶命」は都筑道夫原作のナンセンスミステリーの映画化。褪色がひどいが、話のバカバカしさはそれなりに楽しめる。新兵器のくだらなさは傑作。水野久美、真理アンヌもいい。

 31日に新宿武蔵野館で「鉄くず拾いの物語」を見た。「ノーマンズ・ランド」のダニノ・ダノヴィッチ監督作品。ロマ民族の妻が妊娠しているが、不調で病院に行く。手術が必要だけど、保険がないからカネがいると言われる。払わないと手術しないと宣言される。この夫婦が右往左往する過程を記録映画風に描く。ベルリン映画祭で受賞した貴重な作品だけど、この映画のカメラには参った。70分程だから、まあ我慢できたけど、手持ちカメラがずっと揺れるので見ていて疲れるのである。題材は重要な話なんだけど。ロマの人権協会みたいな組織が出てくるのが興味深い。
 1日の「エレニの帰郷」は別に書いたけど、その前にヒッチコックの「マーニー」を見た。64年作品でテレビでも見てない。「鳥」の主演ティッピ・ヘドレンが「ハリウッド・ビューティ」シリーズでリバイバルされている。この人の印象が薄いけど、ヒッチコックのセクハラに嫌になり、テレビ中心になったとか出てた。ブロンドが美しい端正な美人だけど、幼い時の心の傷が抑圧を生み、赤を見ると混乱するという俗流フロイディズムが昔のアメリカ映画風。ヒッチコック低迷期というのも当たっているか。
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2月の読書日記

2014年02月26日 22時42分18秒 | 〃 (さまざまな本)
2月26日(木)
 皆川博子に続き、昔のイギリスもの。マイケル・コックス「夜の真義を」(文春文庫)は2006年の作品で数年前に翻訳され、昨年9月に文庫化された。ヴィクトリア朝ノワールで、当時の告白記が発見されたという体裁で、異常な復讐譚が「痛切だが圧倒的な美しさ」(帯のコピー)で描かれる。一人称の告白、それも博識でまだ若い当事者が書いたという趣が慣れれば素晴らしい迫力で迫ってくる。幼少より数奇な運命を生きる恵まれない主人公、ともいえるが客観的に見れば、もっと幸せな人生もあったはずだ。だが本人の意識は失われた、というか奪われた自己の人生を取り戻すことだけに賭けてしまった。ものすごい書誌的な知識(実際の著者はオックスフォード大学出版局の編集者で、専門的知識が豊富だった)も魅力的。最後の最後に、ものの見事にすべてを失う主人公の無惨は、実に心打たれる。最後の雪のシーンは、「キル・ビル」か「修羅雪姫」かと脳内で映画化必至。

 さらに枕元でに10年以上置かれてあったローレンス・ノーフォーク「ジョン・ランプリエールの辞書」(創元推理文庫)上下に取り掛かる。だけど、これは思った以上に難物で上巻だけで一週間以上かかった。帯には「エーコ+ピンチョン+ディケンズ+007」とあるけれど、上巻470頁(会話が少なく字がびっしり)読んでも、全然007にならず、ピンチョン+ディケンズである。これは18世紀、フランス革命直前の頃、東インド会社をめぐる多様な陰謀の渦が描かれるが、まだまだ全貌が見えてこない。これは大変過ぎる。2月はこれで終わりそう。
2月13日(木)
 記事に書いた「殺人犯はそこにいる」とちくま文庫「新トラック野郎風雲録」(鈴木則文)を除き、ひたすらミステリー。後者は「トラック野郎風雲録」の文庫化かと思って買ったら、別に編まれた本だった。でも快著で、東映の娯楽映画の心意気を味わえる。
 芦辺拓「グラン・ギニョール城」(創元推理文庫)は出来がいいメタミステリで、途中で物語が現実と混在していくところに感心した。でもミステリ好き向けの本だろう。

 物語世界の面白さに没頭しつくす体験を味わえるのは、スペインのカルロス・ルイス・サフォン「天使のゲーム」(集英社文庫)。前作「風の影」があまりにも素晴らしく、2012年7月に出たこの本はしばらく読まなかった。同じレベルを維持できてるか、怖かったのである。でもそれは杞憂で、バルセロナの街への愛情と共に、素晴らしい物語が戻ってきた。今回は前日譚と言うべき話で、第一次大戦後のバルセロナで作家をめざす少年の哀しき運命が圧倒的な迫力と面白さで語られる。それにしても、報われない愛のゆくえはあまりにも切ない。伝奇ミステリには違いないが、世界中の本マニアに捧げられた物語であり、同時に愛を追い求める熱情の物語。これほど切ない愛の物語はちょっとない。

 一方、皆川博子「開かせていただき光栄です」(ハヤカワ文庫)も止められなくなるミステリの傑作。18世紀ロンドン、まだ解剖が自由にできなかった時代。近代的な警察、裁判システムが機能していなかった時代。墓暴きから死体を買って、医学のための解剖を進める医者と弟子たちがいた。そこに古詩を持ってロンドンで詩人になるべく上京した少年が絡む。いつのまにか、医者の解剖台に死体が3つも。一つは妊娠中に死亡した未婚の上流令嬢。もう一つは先の少年らしい。そこに何故もう一つの死体が見つかるのか。謎は謎を呼び、当時の恐るべきロンドンの監獄や社会の腐敗が明るみに出される。「トム・ジョーンズ」という小説で知られるヘンリー・フィールディングは作家である前に警察官僚だった。その弟である実在の盲目判事と彼の「生きた目」となる男装の姪が解決に奔走する。時代は日本で言えば大岡越前の50年くらい後、「大ロンドン捜査網」の面白さ。驚くべき物語であり、本格ミステリの楽しみを味わえるが、同時に壮大な構想の物語性が素晴らしい。ディケンズを18世紀に展開させたような話。これは英訳されて欲しい。ナチス時代の「死の泉」を超えているのではないか。80代でこれほどの作品を書く皆川博子に脱帽。2011年に出て、去年9月に文庫化された。
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栃木県東北部の旅行

2014年02月26日 00時05分35秒 |  〃 (温泉)
 栃木県の東北部、那珂川町や大田原市のあたりを旅行。栃木県は日光に何十回も行ってる他、那須・塩原あたりもよく行っている。温泉や観光地はいっぱいあるが、東北新幹線、東北自動車道(あるいは国道4号線)を境にして、西の方に集中している。だから、東の茨城県の近い辺りはほとんど行ったことがない。(那須へ行ったときに雨だったので、「那須風土記の丘」という古代文化の集中地域をドライブしたことがあるだけ。)今回は「とちぎ券」という栃木県内の旅館で使えるクーポン券の日付が今週末までということで。買ったはいいけど、なかなか時間が取れず、結局日切れ近くになってしまった。

 ところで、この地方には何があるのか?合併して今はなき町名だが、喜連川(きつれがわ)とか黒羽(くろばね)などの地方。その黒羽(今は大田原市)は松尾芭蕉が「奥の細道」を歩いた時に一番長く(13泊も)滞在した場所なのである。当時は「黒羽藩」があり、その城跡に「芭蕉の館」がある。(近くの国道から川を渡るときの案内板がないので判りにくい。)館の前には、芭蕉と曾良の碑がある。あれっ、芭蕉が馬に乗っている。いや「奥の細道」では那須野で馬を借りているのである。黒羽のあちこちに、「俳聖芭蕉と黒羽」の案内板がある。
  
 写真を見れば判るように、まだ雪がかなり残っていた。芭蕉が黒羽を訪ねたのは、黒羽藩の城代、浄法寺図書(俳号桃雪)という人に招かれたのである。黒羽藩大関氏1万8千石で、幕末までずっと大関氏が続いた。もともとは下野北部の那須氏を支える「那須七党」と呼ばれた一族だというが、1590年に大関高増が小田原に参陣し、1600年には子の資増が東軍に味方して家康の小山評定に参陣した。こうして主家の那須氏が秀吉の怒りを買ってつぶされた後も、独立大名として生き延びた。地元の人々を除けば、よほどの歴史マニアでも知らないと思うけど、小なりと言えども幕末まで続いたのである。幕末には外様ながら海軍奉行を務めるが、戊辰戦争では新政府軍について会津戦争に参加して功を挙げる。よくよく、重要な時期に付く側を間違わなかった一族である。その大関氏の黒羽城に「芭蕉の館」が建てられている。城跡はなかなか堀が深く、今は公園として整備されている。今はまだ雪がいっぱい。
  
 その大関氏一族の墓のある大雄寺(だいおうじ)が城のすぐ下にある。なかなか立派な禅寺で、一族の墓がズラッとあるのは壮観。(なお、芭蕉は黒羽の奥にある雲巌寺(うんがんじ)というところも訪れ、一句詠んでいる。是非行きたかったが、多分雪が大変だろうと思い、次の機会にすることにした。)
  
 芭蕉ゆかりの地は、平泉、山寺、象潟などの他、尾花沢や市振なんかも行っている。特に「奥の細道」を追いかけているわけでもないんだけど、機会があれば他のところも見てみたい。さて、そこから道の駅「那須与一の郷」で休む。近くの那須神社には那須与一の刀もあるらしい。今年になって国の重要文化財に指定されたという。ちょっと離れたところに「くらしの館」というかやぶき農家の建物が残り、物産センターなんかもある。そこで竹細工を展示して売っていた。下の写真の左側は「里芋洗い機」とあって、6000円なり。
 
 泊ったのは那珂川町なのだが、そこには何があるのか?「広重美術館」や「いわむらかずお絵本美術館」などがある。(今回は月曜で休館)また「御前岩」や「唐の御所」という他の地域ではほとんど知られていない名所もある。「御前岩」は水戸黄門が見て奇岩なりと命名したという岩。「国史跡・唐の御所」は、それだけ聞くと不思議なネーミングだけど、行ってみたら古代の横穴墓だった。埼玉の「吉見百穴」みたいなもの。あれほど多くはないけど。将門伝説と絡んで、「御所」と名前が付いたらしい。最初が山登りで、どこにあるんだか判らない。ホントにあるんかと思うくらい登って、そこに案内がある。
    
 さて、いつもは泊った場所の感想を書くのだが、今回は泉質は良かったけど、残念ながら紹介はしない。自分もうっかりしていたのだが、情報で得たつもりの値段と請求の値段が違った。よく見ると「お二人様の場合千円増し」とすごく小さな字で書いてあった。さらに建物が外壁改装工事中だった。建物全体が足場で覆われ、作業員が5時過ぎまでガラス清掃や外壁塗り替えをしている。4時半過ぎに部屋に入ったのに窓の外を見たら、ガラスに高圧で水をかけていた。向こうに人がいた。外にある露天風呂の帰りに見た裏からの全景を載せておく。
 ま、今回は栃木県の道の駅をめぐりながら、東京では高い野菜の買いだしに行ったという感じの旅行。
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安倍首相の2人の祖父

2014年02月23日 23時47分23秒 |  〃  (安倍政権論)
 安倍晋三という政治家は、自民党内の保守派として女系天皇には絶対反対を表明してきた。ところが不思議なことに、支持者の多くは安倍晋三氏が岸信介元首相の孫であることを重視して「宰相のDNA」が引き継がれているなどと言う。天皇家で父から子の遺伝子が重要なのだとしたら、他の人にとっても父系の方が重要なのではないか。女系で総理の孫であっても意味があるのだろうか。(誤解のないように言っておくが、今は人間の平等を論じているのではなく、「論理の一貫性」の問題を指摘しているだけである。)何故か知らないが、多くの人は安倍晋三氏の父方の祖父を知らない。人間には二人の祖父がいるはずだが、「安倍晋三の消された父方の祖父」という問題を書いておきたい。

 まず最初に書くが、安倍晋三首相の父方の祖父は安倍寛(あべ・かん 1894~1946)といって、戦時中に2回ほど衆議院議員に当選した人物である。ただ、戦後第一回総選挙を前に急逝したため、戦後政治史には全く登場しない。中央ではほぼ無名の政治家で、現代史を専攻した僕も全く聞いたことがない。以上の情報もウィキペディアに基づくものである。出身は山口県の日本海側、現在は長門市の市域にある地区である。そこで江戸時代から続く大庄屋を務め、酒・醤油の醸造で知られた名門の出身だという話である。安倍寛は1928年の第1回普通選挙に政友会から立候補したが落選、その後は村長や山口県議を経て、1937年に衆議院議員に当選したという。

 ところで、問題は1942年のいわゆる「翼賛選挙」である。1937年の当選議員は日中戦争下に特別に任期が一年延ばされたが、それ以上は延ばせなかった。米英との戦争が始まっていた1942年4月30日に、5年ぶりに衆議院議員選挙が行われたのである。その時は既成政党はすべて解散し、1940年に結成された大政翼賛会に合流していた。42年の選挙は、その大政翼賛会系の推薦候補が大量に立候補し、戦争体制を支える親軍的政治体制を形成した。憲法上、非推薦候補の立候補を禁止することは出来なかったが、全466議席中、381議席が「翼賛政治体制協議会」推薦者が当選した。しかし、85議席にとどまるが、非推薦候補も当選したのである。

 そして、安倍寛はその85人の非推薦議員の一人だったのである。その時の非推薦当選者には、日本政治史に名を留める有名人物がたくさんいる。鳩山一郎芦田均三木武夫の総理大臣経験者、「憲政の神様」尾崎行雄、「反軍演説」の斉藤隆夫山口喜久一郎星島二郎の衆議院議長経験者、戦後保守政治史上に名を残す三木武吉河野一郎川島正次郎犬養健…。あるいは社会党(民社党)系では、西尾末広三宅正一河野密水谷長三郎…。そうそうたる顔ぶれである。これらの中に安倍寛がいるのである。

 一方、その時点(1942年)では、母方の祖父岸信介は東条英機内閣の商工相だった。日米開戦時の閣僚として、宣戦の詔書に副署した人物である。もともと商工省内の親軍的「革新官僚」として知られ、「満州国」総務庁次官(「満州国」では、「満洲人」が長となるが、実権は次官の日本人が握るものとされていた)として、重工業開発を進めた。「満州国の弐キ参スケ」と呼ばれて(他は東条英機、星野直樹、鮎川義介、松岡洋右)、国内でも知られるようになった。東条内閣発足と同時に商工相に就任、朝鮮人や中国人の強制動員を立案することになる。その後、東条とは対立し倒閣運動をしたが、戦後になって占領軍に戦争犯罪人容疑で囚われ、1948年末まで釈放されなかった。(結局起訴はされなかった。)

 占領終了後に復権し、鳩山一郎政権下で自民党の初代幹事長を務め、後継首相の有力候補となった。鳩山後の総裁選に出馬して1位となるも、2・3位連合を結成した石橋湛山が決選投票で当選。だが石橋首相は病気のため2カ月で降板し、外相兼副首相の岸が昇格した。こうして1957年2月に岸内閣が発足し、岸首相は日米安保条約の改定を進めた。1960年に安保条約の国会批准に反対する大国民運動が起き、岸首相は国会で強行採決を行った。国民の反発は大きくなり、連日国会を多数のデモ隊が取り囲んだ。結局国会は通ったものの岸首相は退陣を表明する。今、60年安保闘争を細かく振り返る余裕はないが、当時は岸首相の「戦前志向的体質」に反発が強く、「戦犯首相」と呼ばれていた。安倍晋三氏はまだ幼かったものの、取り巻くデモ隊に違和感を持った記憶を語っている。

 安保闘争が最高潮に達した時点で、岸首相は自衛隊の治安出動を検討したが、防衛庁長官の赤城宗徳(あかぎ・むねのり)が拒否したことはよく知られている。現在でもエジプトやウクライナで起こったような悲劇が日本でも起こった可能性があったのである。ところで、ウィキペディアで安倍寛を見てみると、安倍寛という政治家は、当選が同期の赤城宗徳とは公私にわたり親交が深かったという。全体に反軍部のハト派で、三木武夫とも親友だったという。つまり、父方の祖父は「反軍的ハト派」であり、母方の祖父は「親軍的タカ派」だったのである。

 しかし、安倍氏やその周辺では母方の祖父しか話題にしない。それは安倍寛が早くなくなり戦後政治に影響を与えなかったのに対し、岸信介が1987年まで生き、政界の「巨魁」などと言われ首相引退後も長く影響力を持ち続けたことが大きいだろう。父の安倍晋太郎も、安倍寛の議席を直接継承したわけではなく、父の死後11年後に立候補したわけで、事実上は「岸の女婿」として知られていた。安倍晋三という人は、祖父の岸が安保で退陣したことに「悲運」を感じていただろうし、父の安倍晋太郎が首相目前で死去したことにも「悲運」を感じたことだろう。その「一族の悲運」を、「おとしめられている日本という国家の悲運」と重ねて考えているのではないかと思う。

 最近角川から「叛骨の宰相 岸信介」なる書が刊行されたそうだが、今はそういう風にいう人も出てきたが、60年代、70年代には岸首相の評価は低かった。というか、いろいろな疑惑にも取りざたされるし、保守政界の黒幕視されていた。実の孫として、そういう状況は認めがたかったかもしれないが、しかし姓を受け継ぐ安倍寛という祖父を評価することはどうしてしなかったのだろうか。翼賛選挙非推薦当選というのは、戦後になったら反対に勲章である。名前を見れば判る通り、戦後保守政治に綺羅星のように輝く名前が並んでいる。それらの中に実の祖父の名を見つけるというのは、保守という立場の中でも誇らしいことではないのか。自分は「戦犯首相」の孫なのではなく、「翼賛選挙非推薦当選」議員の孫なのだと言う風にアイデンティティを形成することもできたはずである

 本人の価値観は自分で築くものだろうが、結局母親を通して母方の祖父に自己同一視して自我を確立したということなのだろう。母親に対する「反抗期」が存在しない「優等生」だったのかもしれない。でも、安倍晋三氏は本当は「ハト派の反軍政治家の孫」でもあったのである。今からでも、父方の祖父の志を継いで行ったらいいのではないかと思うけど、まあ、今さら価値観は変えられないか。
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安倍首相とイニシエーション問題

2014年02月23日 01時21分30秒 |  〃  (安倍政権論)
 前回、現在の自民党首脳には、私立中高一貫校を出ている人が多い、特に安倍首相、麻生副首相などは小学校から大学まで同じ私立学校だと指摘した。そのことの意味をもう少し考えたいと思う。安倍氏本人や周辺人物の書いたものを丹念に探せば、その間の事情がもっと判るかとも思うが、ヒマがなくて探す余裕がなかった。そこで推測(または憶測)で書く部分があることを最初にお断りしたい。

 安倍晋三(1954~)は、外務大臣を長く務め竹下登との盟友関係で知られた安倍晋太郎(1924~1991)の次男にあたる。「晋三」というから三男かと思うが違う。母はよく知られるように、岸信介元首相(1896~1987)の娘・洋子である。子どもは三人あったが、三男の信夫は母の実家岸家の養子となった。本人も兄弟も大人になるまで、その事実は知らなかった。岸信夫(1959~)は衆議院議員となり、現在外務副大臣を務めている。って言うと、あれ、長男はどうしてるの?長男安倍寛信氏は情報が少ないが、東大を卒業した後に三菱商事に勤務しているようである。

 普通父親としては、長男を後継とする心づもりがあったのではないかと思うが、父の急逝後に選挙に出たのは次男の方だった。それは小泉純一郎の場合も同様で、本人の特性や意思によるから仕方ない。安倍晋三氏が小学校からずっと通うことになった成蹊学園というのは、どういうところだろうか。僕も詳しいことは知らなかったのだが、調べてみると三菱財閥が作った私塾が基になっていて、1925年に7年制の成蹊高等学校を創立している。それが戦後の学制改革で1949年に成蹊大学となったという。伝統的に三菱を始め、経済界に人材を送ってきたという。つまり、安倍晋太郎は長男を政界に、次男を経済界にと思って、次男には成蹊学園を選択したのではないか。

 もう一つ考えられることは、安倍晋三が小学校に入学した1961年は、祖父の岸首相が60年安保で退陣した直後だったことの影響である。安倍晋太郎は「安倍」の姓を名乗っていたが、実父は死去していて、岸信介の外相就任とともに毎日新聞を退社して岸の秘書となった。事実上、岸の後継者的存在であり(実際、岸派は福田赳夫を通して安倍晋太郎に継承される)、岸家の影響力のもとで安倍晋三は成長した。ところで、岸信介は安保反対運動を「国際共産主義の陰謀」と信じ込んでいたような人物なので、孫を公立学校に送り込み「ニッキョーソのサヨク教師」の影響でも受けたら大変だと思ったはずである。日教組は勤評闘争後の苦しい時代に入りつつあったが、分裂前で社会党、共産党の影響力が強い教師が多かったのは間違いない。そこで財界に影響力の強い成蹊学園が選択されたのではないか。

 成蹊大学は東京都武蔵野市にあり、そこは多摩地区では一番23区に近い(中央線沿線の場合)地域だが、自分の住んでる23区東部からは受験する人はまずいないと思う。もっと近い所に様々なレベルの大学がたくさんあるからである。自分でも行ったこともないし、生徒を進路指導したこともない。だから安倍氏が高校から内部進学した約40年前の事情は全然判らない。だからホームページで判る現在の進路事情を紹介することにするが、以下のように書かれている。 

「成蹊大学へは、推薦希望者のうち、一定の条件を満たした者が高等学校より推薦され、大学の選考を受けます。3年間の成績と出席状況が良好であること、高等学校の実施する推薦テストの合計得点が50%以上であることなどが条件となります。(中略)また成績上位者には、内部推薦の権利を持ちながら外部大学を受験できる制度もあります。例年、成蹊大学へは、卒業生全体の3割から4割の生徒が内部推薦で進学しています。」
「例年、国公立大学では東京大学、一橋大学、東京工業大学、北海道大学、首都大学東京などに一定の合格者を、私立大学では、慶應義塾大学、早稲田大学、上智大学、東京理科大学、中央大学、青山学院大学、立教大学、日本医科大学、東京医科大学などに多くの合格者を出しています。」

 以上の説明を見る限り、少なくとも現在は成蹊高校の成績上位者は、国立、私立の他大学を積極的に受験していることがうかがわれる。40年前はどうだったか判らないが、ともかく安倍晋三氏は内部進学制度を利用して成蹊大学に進学したわけである。別に「だから悪い」とは言えないまでも、それでは「同じ環境にずっといる」ということになる。Facebookの友だち同士で「いいね」を押し合うような人生になってしまわないか。第一次安倍内閣が「お友だち内閣」と評されたことが、いみじくも安倍首相の生き方の反映だったように思われるのである。

 ところで、自分で書いた「相米慎二ー水と再生の映画作家」という記事を忘れていたのだが、最近読み直す機会があった。相米慎二は「セーラー服と機関銃」「台風クラブ」「お引越し」などを作った映画監督で、僕は大好きだったけど早死にした。今は映画の話ではないので、それ以上書かないが、以下のようなことを自分で書いていた。「イニシエーションというのは人類学で「通過儀礼」と訳され、人間がもう一歩次の段階に上がるときに必要とされる儀式のことである。例えばアフリカの狩猟民族ではある年齢に達した少年が大人の狩りに初めて参加するときに苛酷な任務を課し、それを達成した時に大人の仲間入りを集団内で承認する、と言ったようなものである。昔の武士にあった元服などは、儀式として厳粛に行うことで大人としての覚悟をつけさせる。今はそういう儀式的なものがない。実質的には、高校や大学の入試、「就活」などが「通過儀礼に近い役割」を果たしていると言えるかもしれない。」

 この考え方を応用すれば、高校入試、大学入試を経験しない人生は、通過儀礼なく大人になってしまうことになる。(もちろん留学、就職後の実体験、過酷な家庭環境などが通過儀礼になる場合もあるだろうが。)では、「大学受験の効用」というものはあるのだろうか。自分が何者か判らない若い時代には、大学入試は厳しい体験であることが多いが、多くの人にとって「越えなければならない壁」である。「失恋」などと同じく、別に望んでするものではないけれど、人生にはつきものであって文句を言っても仕方ない。自分が今文句を言っても何も変わらないのだから。こうして、「世界の所与のシステムを当面受け入れる」というのが受験のまず最初の心がけである。今決まっている制度に則って受験するしかないのである。

 安倍首相の高校生時代は、国立大学は一期校、二期校と言っていた時代で、「共通一次試験」というものもなかった。今は「(大学入試)センター試験」となっている。また変える議論がされているが、どう変わろうと受験生にとって完全なシステムはありえない。今は推薦入試の様々な選抜もあるが、とにかく受験生としては大学の決めたルールの上でやっていくしかない。その上で、主観を超えた「相手による客観的な判断」をされてしまうのを受け入れるしかない。この受験体験がない場合、「世界が自分が見たいようにしか見えないままになる」ということがありうる。これは安倍首相の靖国参拝問題などで、(その当否などの判断を超えて)、世界の多くが心配している安倍首相の世界観ではないか。

 もう一つは「ケアレスミスをなくす」ということである。いかに勉強しても、人間には不注意なミスを犯しがちで、難問は放棄しても時間を調節して「見直し」を繰り返すなど、ケアレスミス対策が重要になってくる。せっかく勉強しても、どうも何点かいつも損をしてしまうというタイプの人もいる。入試の中でこのケアレスミス対策の重要度は高く、ある程度勉強をした者同士の場合、つまらないミスをしなかった方が高い得点になることが多い。よほどの難問奇問、あるいは容易すぎる問題ではない限り、そこが大事だろう。麻生太郎という人がケアレスミスが多いように感じるが、やはりイニシエーションとしての受験体験がなかったことも影響しているのかもしれない。

 さて、どこの学校に通おうと、もちろん勉強はするわけだし、最後は自分で自分を鍛えていくしかない。
 茨木のり子さんの詩にあるように「自分の感受性くらい/自分で守れ」ということである。
 しかし、小学校を私立にするかどうかなど、本人が選択できる問題ではない。僕は中高一貫校や大学附属高校などを一定の意味がある存在だと思っていたのだが、こうして見ると、親が子に恵まれた学校生活を送らせようとするあまり、「子どもの人生から高校受験を奪う」「子どのも人生から大学受験を奪う」という場合もあるのではないか。ある意味で、安倍晋三氏の人生も、世の中のもっと生き生きとした現実から遠ざけられて育った犠牲者ということになるのかもしれない。
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安倍内閣=「中高一貫校政権」論

2014年02月20日 22時40分41秒 |  〃  (安倍政権論)
 安倍晋三首相は成蹊大学を出ているわけだが、では中学や高校はどこを出ているのだろうか。公式ホームページの経歴を見ても、それは出ていない。自民党有力議員のホームページを見ても、高校以前の学歴が載っていない人が多い。それは何故かは後で考えるとして、ウィキペディアを見てみると、成蹊小、成蹊中、成蹊高を経て成蹊大学を卒業と出ている。(ついでに書けば、その後南カリフォルニア大学に入学したが中退とある。)おーっと、この人は大学受験どころか、高校受験、それどころか中学受験すら経験していないのか。まさか小学校に入る時に自分で決めたわけはないから、親が決めたルートに沿って大学まで行き、一回も外部受験しなかったのか。一回も公立学校を経験していないのか。それなのに、今の教育はおかしいとか、道徳を教科にするとか、教育委員会制度を変えるとか、はたまた教員組合がどうのとか言って来たのか。

 では、麻生太郎副首相はどこの学校を出ているか。こちらも公式ホームページにはないので、ウィキペディアを見ると、麻生家の作った麻生塾小学校なるところに小学校3年まで在籍、その後上京し、学習院初等科に編入とある。その後の中学、高校の記載はないけど、学習院大学政経学部卒業とあるから、ずっと学習院だったのだろう。なんと首相、副首相ともに、一回も公立学校に通った経験がないのか。大学は私立も多いけど、世の中全体としては小中高は公立学校の方がずっと多い。小学校から大学まですべて私立という人は、日本でどのくらいいるだろうか。ものすごい少数だと思うが。

 では他の自民党有力者を見てみようかと思い、調べていくと…。谷垣禎一法相(前総裁)は東大法学部なので、首相になっていれば久方ぶりの東大宰相だったのだが、中学高校は私立の麻布学園。岸田文雄外相は早稲田大学だが、開成高校卒業とある。ここも中高一貫校。石原伸晃環境相は慶應義塾中、高、大学と中学から慶應一筋。石破茂幹事長はウィキペディアには慶應高校、慶應大学とある。小中はどこかは出ていないが、高校と大学はつながっていた。以上、6人すべて二世政治家。麻生、石原を除き、直接親の地盤を受け継いでいる。

 ちょっと不思議に思うのだが、安倍晋三は山口4区、麻生太郎は福岡8区、谷垣禎一は京都5区、石破茂は鳥取1区…と西日本の各地から選出されている衆議院議員である。しかし、その選挙区は父親(またはそれ以前)の出身地であり、父が東京に地歩を築いたために子どもは東京の有名私立学校に通ったわけである。これでホームページに大学しか載っていない理由が判った。地元の有名進学高校を出ていれば、同窓会組織もしっかりしていて、選挙対策上ものすごく有利なはずである。だから書いてるはず。大学は東京の有名大学を出ている方が有利な情報である。かくして、大学しか書いてない人が多いわけだ。

 でも、これは一体何なのだと思わないだろうか?「新しい封建制度」ではないか。祖先の功で地方に領地を与えられ、選挙の時には「参勤交代」のように選挙区に帰る。でもベースは「江戸定府」であって、子どもは東京で教育を受ける。特権階級のように、ほとんど受験もせず大学まで出る。そして「親の領地」を引き継いで支配していく。そんな時代になっていたのである。

 最近の総理経験者の子どもで、親の地盤を引き継いで衆議院議員となっている人の学歴を見ておこう。橋本龍太郎を引き継いだ橋本岳は、関西学園岡山中学、高校を経て慶応大学。小渕恵三を引き継いだ小渕優子は、成城学園中学、高校、大学。小泉純一郎を引き継いだ小泉進次郎は、関東学院六浦小から関東学院中、高、大学。皆、中高一貫校である。(福田康夫を引き継いだ福田達夫は慶應大学卒業ということしか判らない。)これらの経歴を見ると、総理となるほどの政治家は、後継者を私立の中高一貫校に進学させるという「暗黙のルール」があるのではないかと思うほどだ。さすがに自民党全員を調べる余裕はなかったけれど、内閣で言えば林芳正農水相など二世政治家であるが、下関西高から東大法学部という「昔ながらの学歴」という政治家もいる。(ちなみに林農水相のホームページには小学校からの学歴が掲載されている。)そういう人も多いのだが、以上で見たように現政権の有力政治家に「中高一貫教育を受けた人」が圧倒的に多いことは事実なのである。

 この事実はなんだか考えさせられることが多い。政治家なんだったら、選挙区の学校とまでは言わなくとも、公的な予算で運営されている公立学校に自分の子どもを通わせるべきではないのか。だけど、全く(またはほとんど)公立学校という経験がないのに、何故か公立教育に関する問題点だけは声高に語るのである。今は教育委員会制度をめぐる議論がされているが、私立学校は教育委員会の管轄下にはない。だから自分の実際の学校体験では実感がないはずなのである。さて、今回は事実の提示を中心にして、そのことから考えられる問題については次回以後に書くことにする。
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私立大宰相の時代

2014年02月19日 23時18分51秒 |  〃  (安倍政権論)
 安倍内閣論のスピンオフとして、総理大臣の出身大学について。世の中に出れば、どこの大学を出たかなんて二の次、三の次の問題だと思うから、その時点の首相の出身大学くらいは知ってたと思うけど、時系列的に調べてみようなどと思ったことがなかった。でも「安倍内閣のいま」を考えようと思うと、「安倍晋三という人のこれまで」を考えないといけないと思うようになった。どこの学校を出たかなどを見てるうちに、いろいろ考えるところがあり(それは次回以後に書く)、過去の総理大臣の出身大学を調べてみたわけである。

 ところで、「総理の大学」と言えば、そりゃあ東大でしょう、特に東大法学部が一番多いに決まってるでしょとまず思った。田中角栄は小学校だけ、後は早稲田の弁論部出身が時々いるだろうけど、圧倒的に東大が多いんじゃないか。では、過去四半世紀にわたって、東大出身の総理は何人いただろうか。過去25年ほどと言えば、ほぼ「平成」なる元号の時代ということになる。「平成」という紙を掲げた小渕官房長官の竹下内閣から、どんどん内閣の賞味期間が短くなって行って、なんと17人もの総理を輩出している。安倍晋三氏を2度と数えれば、延べ18人とも言える。

 その17人の中で東大を出たのは、なんと宮沢喜一、鳩山由紀夫のたった二人だけなのである。鳩山(由紀夫)は工学部だから、東大法学部出身総理は20年以上出ていない。細かいことを言えば、宮沢以前の総ての総理は「東京帝国大学法学部」を出ている。新制教育制度になって65年以上も経つが、実は「東京大学法学部卒業の総理大臣は一人もいない」とも言えるのである。

 もちろん「総理大臣には東大法学部出身が多い」という思いこみの根拠はある。戦後の総理大臣を見て行けば、圧倒的に東大出身が多いのは間違いない。平成になった竹下内閣の前、1987年に退任した中曽根内閣までの約40年間を見てみれば、幣原喜重郎から始まり、吉田茂、片山哲、芦田均、(吉田茂)、鳩山一郎、(石橋湛山をはさみ)、岸信介、(池田勇人をはさみ)、佐藤栄作とほぼ東大出が続く。その後も福田赳夫、中曽根康弘が東大。9人もいる。皆、東京帝国大学法学部。(吉田茂、鳩山一郎は、法学部ができる前の東京帝国大学法科大学の出身。1919年に法科大学が法学部、経済学部に改組された。)吉田、佐藤、中曽根と長く務めた首相が多いので、戦後40年ほどの間で、約30年近くが「東大宰相の時代」だったのである。(なお、1960年~1964年の池田首相は、広島県竹原の出身で、熊本の五高を出て京大法学部を卒業した。帝大法学部出身という意味では、東大を出たのと同じようなものだろう。)

 最近を見る前に簡単に戦前を見ておきたい。明治大正期には、そもそも大学を出た総理が少ない。大学を出るのではなく、「大学という制度を作った」人々なのである。初めて大学卒業者が総理になったのは、1924年の「護憲三派」の加藤高明首相。(その時代は日本に一つしか大学がなかったので、東京もつかないただの「帝国大学」だった。)以後。若槻礼次郎、浜口雄幸など政党内閣期の首相には東大出身者がいた。また、敗戦直後の東久邇首相が最後になるが、陸軍大学校、海軍大学校出身という「軍人首相」がたくさんいた時代だった。だから、「首相と言えば東大法学部」というのは、戦後の占領期、高度成長期に作られた通念だったということになる。

 竹下以後の出身大学を見てみる。竹下登(早稲田)、宇野宗佑(神戸商業大学=現神戸大学を学徒出陣で中退)、海部俊樹(早稲田)、宮沢喜一(東大)、細川護熙(上智)、羽田孜(成城)、村山富市(明治大学専門部法学部)、橋本龍太郎(慶應)、小渕恵三(早稲田)、森喜朗(早稲田)、小泉純一郎(慶應)、安倍晋三(成蹊)、福田康夫(早稲田)、麻生太郎(学習院)、鳩山由紀夫(東大)、菅直人(東京工大)、野田佳彦(早稲田)となる。
 これを見れば、ホント、私立大学出身の首相ばかりではないか。ちゃんと国立大を出たのは、宮沢、鳩山以外には、菅直人だけである。一方、早稲田が6人、慶應義塾が2人。人数では差があるが、小泉が5年やってるから、年数の差はそれほどない。

 ところで、これをどう読むかということになるが、一言で言えば「自民党内の権力構造が変わった」ということであり、また「日本社会の学歴構造が変わった」ということでもある。戦前から戦後にかけ、東大を出て官僚になり、その後で地元に戻って選挙に当選し政治家として大成するというパターンがあった。東大を出ているということは、「郷土の誇り」であり、選挙民も喜んで担いだという面があるだろう。戦後になって、そのパターンが池田、佐藤で完成する。

 だけど、1993年の細川内閣成立以後の、自民党一党支配崩壊後の政権では権力構造がガラッと変わった。それまでは自民党内で派閥を作り総裁をめざすというプロセスがあった。一方、細川、羽田、村山と誰を担ぐか誰にも判らなかったような時代を経て、自民党内でも「最大派閥の長が総裁になる」という時代が終わったのである。党内世論や「選挙に強い」という人気などが重視されるようになった。しかもほとんどが二世、三世議員である。(親が国会議員だった首相は、羽田、橋本、小渕、小泉、安倍、福田、麻生、鳩山と8人もいる。)

 二世議員では「東大を出る必要がない」ということだろう。「身を立て名を挙げ」の段階は、すでに祖父や親の時代に終わってしまい、「郷里の名誉を担って最高学府に進む」などと意気込む必要もない。むしろ、必ず選挙で当選しなければならない以上、「エリート臭」「官僚味」「がり勉」など東大が「負のイメージ」になる場合さえあるだろう。小選挙区の相手候補が、苦学して東京の夜間大学を出て、郷里に戻って市役所に勤務、市長に見込まれ後任となり、選挙区の隅々まで知り尽くしている…なんてタイプだったら、東大を出て中央官僚を務めたなんて過去はかえってジャマになる。

 すでに「親の地盤」がある以上、一生懸命勉強して東大に入るより、卒業生の組織が大きな私立大学の方がずっと有利ではないか。もはや大学の中身としても、有名私立大学は国立旧帝大にそん色ないし、選挙に出るときのイメージも悪くない。逆に考えれば、せっかく東大を出たのに、泥臭い政界に足を踏み入れる人も少なくなったのかもしれない。学者としてブレーンとなり社会を動かす方が面白いとか、大企業に入って国際ビジネスの世界で活躍するとか、そういう方が東大を出た意味があるという時代になったということでもあるだろう。二世議員の親からしても、子どもが東大に入れば、学者になるとか企業で出世を目指すとか言い出しかねない。私立大学を出て、卒業後に数年間民間企業に勤め、その後親の秘書となるというのが、親からするともっとも望ましい子どもということになる。そういうわけで「私立大宰相の時代」がやってきたということだ。

 ところで、これらの顔ぶれを見て行けば、何となく大学ごとのイメージがあるような感じがするのではないか。早稲田は、在野とは言えないが、「庶民派」というか、「官僚的でそつがない」の反対のタイプ。竹下、海部、小渕、森など、そんな感じではないか。もっとも森元首相などは「そつがあり過ぎ」だったと思うが。慶應は橋本龍太郎と小泉純一郎と言えば、周りを気にせず我行かんというタイプ。明治が三木武夫と村山富市というのも、何となく共通性がある。ところで、安倍首相の成蹊大学とは何なのか、という話は次回以後に。
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映画「アメリカン・ハッスル」

2014年02月19日 00時48分13秒 |  〃  (新作外国映画)
 アメリカ映画「アメリカン・ハッスル」を見たので、その感想。新作映画を見ても、あまり記事を書かないことが多いんだけど、今回は面白かったので簡単に。今年度のアカデミー賞で最多の10部門にノミネートされている。前哨戦のゴールデングローブ賞では、ミュージカル・コメディ部門の作品賞、主演女優賞、助演女優賞を受賞した。アカデミー賞の作品賞は、ゴールデングローブ賞のドラマ部門作品賞の「それでも夜が明ける」の方が強いと思うけど、男女主演、助演で4人がノミネートされた演技部門では誰か受賞するかも知れない。僕はごひいきのエイミー・アダムズの主演女優賞受賞を期待するが、ここはまだ(主演賞を)取ってないケイト・ブランシェットが、ウディ・アレンの新作「ブルー・ジャスミン」でノミネートされていて、日本公開前なので見てないけど、評判がすごくいいようだ。(今年は二人の他に、またまたまたメリル・ストリープがノミネートされている。他にサンドラ・ブロック、ジュディ・デンチ。)
 
 ところで、「ハッスル」(hustle)の意味だけど、言葉自体はハッスルしろよとか日本でも日常語で使うが、「ハスラー」と名詞化すると昔の映画の印象が強く「ビリヤード・プレイヤー」のことだと思い込んでいる人がいる。動詞では本来は「急ぐ、てきぱきとやる、張り切る」などの意味らしいが、名詞では「やり手」というところから、詐欺師、ばくち打ち、売春婦などの意味が主にアメリカで使われているようだ。チラシでは「詐欺」と書いてるけど、まあ要するに「だまし合い」というような感じの映画。一言で言えば、FBIと詐欺師が組んでおとり捜査をする話である。

 時代は70年代、実在した事件は1979年だと言うが、作中でデューク・エリントンが死んだと出てくる(1974年)。しかし、カーター政権(1976年の大統領選で当選、1977~1981)ということになってるから、まあその時期に起こった「アブスキャム事件」という政治スキャンダルの裏事情を描いた映画である。この事件は、FBIの秘密捜査官がアラブの富豪に扮して、おとり捜査で上下両院議員を捕まえたという事件だという。この映画では、最初に天才詐欺師とその愛人が捕まり、捜査官が起訴の代わりにおとり捜査への協力を求めたという事情が出てくる。アトランティック・シティにカジノを開いて雇用を増やそうと訴える市長を、アラブの富豪がカジノに出資するという与太話で引っ掛ける。パーティが開かれるが、そこに予想外のマフィアの大物が出張ってきていて…。そのパーティに連れて行ってもらえない詐欺師の妻が、どうしても連れて行けと迫り、パーティで思わぬ展開が…。

 こうして刑務所を避けるためやむを得ず始めた計画が、愛人との関係もギクシャクし、FBI捜査官はその詐欺師の愛人にひかれていって、妻が出てくるは、マフィアも出てくるはで、どんどんどうしようもない展開になって行き、最後の最後にどうなるか。というだまし合い映画だけど、「スティング」のような「きれいなだまし」ではなく、70年代アメリカの現実はもっとドロドロした誰が生き抜けるか判らない展開となるのであった。この妻が精神的に不安定で、周りの思惑を考えずに自分の感情で話をこじらせていくあたりが絶品。ジェニファー・ローレンスは去年アカデミー主演女優賞を(最年少で)取ったばかりだけど、連続で今度は助演賞を取るかもしれない。去年も精神的に不安定な役だったけど、今度も「そううつ」というか、神経症的な役柄を実にうまく演じていて見事。まだ若いのに、すごい女優だと思う。1990年生まれである。

 映画に限らないが、物語というものは、事前の予想を裏切りどんどん坂道を転がるように思わぬ展開をしていくのが、一番面白いと思う。もっともそれも脚本に書いてある通りなんだろうけど、実際に演じるのは俳優だから、俳優の身体性により納得もすれば、不満を覚えるときもある。今回はこうして事前に「思わぬ展開」と書いておいても、見るときは俳優を見てるから、改めてその時に「エエッ」と思えるに違いない。とにかく、とかく世の中はなるようになるしかない。詐欺というのは細部まで完璧にやらないといけないということだけど、FBIは所詮お役所で予算とかいろいろ自由にならないのである。

 監督、脚本はデヴィッド・O・ラッセルという人で、「スリー・キングズ」「ハッカビーズ」などを作り、ボクシング映画の「ザ・ファイター」で成功した。アカデミー賞で助演の男女優賞を取った。その映画で助演男優賞を取ったクリスチャン・ベイル(バッドマンなどをやった人)が天才詐欺師、その映画で助演女優賞にノミネートされたエイミー・アダムズ(その映画は助演女優賞に二人ノミネートされ、受賞はメリッサ・レオという人だった)が詐欺師の愛人役。一方、ラッセル監督が次に作った「世界でひとつのプレイブック」はアカデミー賞に8部門でノミネート。特に男女、主助演賞に4人がノミネートされ、ジェニファー・ローレンスに主演女優賞をもたらした。その相手役で主演男優賞にノミネートされたブラッドリー・クーパー(「プレイス・ビヨンド・ザ・パインズ」の警官役や「ハングオーバー」の花婿の友人役など)がFBIの捜査官で、前半は詐欺師と愛人と捜査官の3人で進むが、後半から詐欺師の妻ががぜん生き生きしてくる。以上の俳優4人と監督はアカデミー賞にノミネート。

 70年代の風俗や音楽がいっぱいなのも嬉しい。冒頭に「名前のない馬」が流れるが、これはアメリカという名前のグループのヒット曲。市長がパーティで「デライラ」を熱唱するのも懐かしい。あのトム・ジョーンズの大ヒット曲。オイルショック以後の、「アラブの富豪」が欧米を席巻していた時代も今では考えられない時代相である。特に訴えるテーマがある映画でもないけど、ただよく出来たドラマで、こういうのがハリウッド映画の粋ではないかと思う。
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高梨沙羅にクラスメイトを

2014年02月17日 00時45分23秒 |  〃 (教育問題一般)
 ソチ五輪男子フィギュアスケートで羽生結弦が金メダルという瞬間をテレビで見てしまった。午前3時過ぎだったから見る気はなかったんだけど、14日から15日にかけて関東は大雪が降り続き、きっと外出できないと思ったから「明日は寝てればいいや」ということである。少し見てたら面白くなり、もう少し見てようかと思ううちに、ここまで見たら羽生まで頑張るかと思い、それならパトリック・チャンも見よう、この二人で金銀だろうけど、最後の2人も見ようか…とつい、全部見てしまった。みんなミスが多くて、チャンの最初の4回転が決まって逆転かなと思ったけど、その後チャンもミスを連発してしまった。

 細かい技術は判らないので批評はできないし、する気もない。五輪に限らず、人生にはドラマがつきものだけど、マスコミは「佐村河内守」事件があったにもかかわらず、過剰な物語を有名選手に求めている。まあ、そういう「過剰」を自分の力に出来る選手こそが真のチャンピオンだとも言えるから、仕方ないのかもしれない。今回は期待はされてもメダルはなかなか難しい選手が多いのではないかと思っていたが、ほとんどの人は高梨沙羅がメダルなしに終わるとは思っていなかっただろう。今期ワールドカップ13戦中10勝しているというんだから、いくら「五輪は魔物」と言っても、金じゃなくてもメダルの可能性は「ほぼ確実」と期待されていた。

 でも結果としては4位だった。もちろん世界で4番目なんだから、普通の人には考えられないくらいすごい。だけど、期待からすれば残念。ジャンプは風の影響も受けるし、直前まで様々な大会を転戦していたのもどうだったか。ただ、僕はニュースで見るたびに、なんだか「そんな結果もあるのかな」と思わないでもなかった。いつも支えてくれる周辺への感謝、今まで女子ジャンプを切り開いてきた先人への感謝、そういう「優等生」の対応が多かった。ウソではないだろうし、そういう対応ができることは素晴らしいけれど、ちょっと固いかな、力が入り過ぎてるんじゃないかなという気がしないでもなかった。17歳の肩に国民の期待が乗ってしまい、大変なんだろうなと思ったのである。「実力もある」「とってもいい子」が、入試本番や部活の大会に案外なミスをする。それは教師にとって、珍しくもなんともない出来事だ。 

 「高梨沙羅」という名前は2年位前から急激に有名になって行った。中学生で女子スキージャンプの第一人者だという。この種目はソチ五輪から正式種目になる、有力なメダル候補だと騒がれ始めた。どこの高校に進学するのかなと思ったら、普通の高校には進学せず、旭川のグレースマウンテンインターナショナルスクールというところに在籍しているという話だ。ここは非常に小さな学校で、一応高校まであることになっているが中学生までが主体で、高校生は他に誰もいないと検索したら出ていた。中学を卒業した年の夏に「高卒認定」(高校卒業程度認定試験)を全科目取ってしまった。頭がいいし、頑張り屋なのである。高認試験はものすごく難しいと言うほどではないが、全科目を一回で取る人はほとんどいないだろう。(まあ、取っても大学の方で年齢の関係で入学させてくれないので、普通は中卒1年目で全部取る必要性がない。)

 この進路選択を今さらあれこれ言うわけではないんだけど、今回見ていて高校に行ってたらどうだったんだろうと思った。スノーボード・スロープスタイルに出場し8位に入賞した角野友基(かどの・ゆうき)は18歳の高校生だが、東京の日出高校という私立高校の通信制に在学している。通信制だけど、そこの学校では教師が学校の大画面のテレビで応援している風景が映されていた。(ホントは生徒もいるはずが大雪の日に当たり、生徒の参加は止めたという。)通信制というのは、普段は登校しない学校だ。それでも高校は「わが校の誇り」と思い、生徒も「すごい同級生がいる」と盛り上がるのである。

 それを見てたら、「沙羅ちゃんにもクラスメイトがいた方が良かったんじゃないか」と思ったのである。高校は高校で負担が多いだろうが、今は「家族」の次に「競技関係者」「マスコミ」になってしまい、その次が「日本国民」になってしまう。ジャンプは個人競技だし、結局人間は一人で世界に立ち向かうしかないわけだけど、でも17歳だったら普通は高校に行っている。高校生の時から有名なスポーツ選手だった人はたくさんいるけれど、その多くは高校野球とか高校サッカーとか、学校を背負って競技している。個人競技の柔剣道、卓球、テニスなんかだって、個人戦だけでなく、学校ごとの団体戦をやっていることが多い。高校生の段階では、特に優れていれば五輪にも出るけど、まあ大体は「学校を背負う」あたりが適当なんではないか。

 学校というところは不思議なところで、一応勉強するところに間違いないけど、それだけではない。教科学習、ホームルーム、部活動、行事などに一応分けて考えることになっているが、それ以上に「放課後のムダ話」「誰もいない校庭や廊下」「独特な匂いのある空間としての特別教室」(理科室、音楽室、美術室など)…思い出の隅っこにそういうものが詰まってるのが「学校」である。「図書室」や「保健室」なども人生に必須の空間だけど、人は最初に学校で出会う。

 そういう「ムダ空間」みたいな場所に帰属していることが若い時には必要なんではないだろうか。専門知識もなく、利害関係もなく、ただ同級生だというだけで、深夜でもテレビで応援してくれて、結果は何であれ一緒に悩んだり喜んだりしてくれる存在。「友だち」というのとはまた違う。友だちは自分で選べるが、同級生は偶然で一緒になり、ただ学校でのみつながる。中学の同級生はもちろん応援してるだろうけど、「今」そういう存在があれば、「国民の期待」なんてあまり考えることなく、同級生のメールに励まされて過ごせたかなあとか、まあそう感じたということである。以上は高梨沙羅の話というより、僕の「学校論」と思って欲しい。

 それもこれも17歳でソチ五輪を迎えると言う「運命」にあったからである。女子フィギュアスケートは、国際連盟の規定により、「五輪前年の6月30日までに15歳」になっていないと出場できない。1990年9月25日生まれの浅田真央は、この規定により2006年2月のトリノ五輪に出場資格がなかった。次のバンクーバー大会の時は大学生になっていて、3年間の高校時代は五輪の空白期間だった。一方、今回のソチ五輪で地元ロシアで期待が高まるユリア・リプニツカヤは1998年6月5日生まれなので、15歳だけど出場できるのである。そういう運命としか言いようがないものが人生には存在する。田村(谷)亮子が五輪で金メダルを取るまでの道のり(銀、銀と2回続いて次にようやく金、その後は金、銅)を思い出せば、高梨沙羅も21歳、25歳、29歳とまだまだチャンスはありすぎるくらいある。41歳まで頑張る必要はないと思うけど。

 ところで、では高校へ行ったとして、普通の学校では欠席続きで単位が認定されず退学せざるを得ないと言う心配もある。では通信制高校ではダメだったのか。実家に近い旭川にも通学場所がある、かの三浦雄一郎が校長を務めるクラーク記念国際高等学校ではダメだったのだろうか。そういう問題もあるけれど、このような生徒を受け入れる高校が必要なのではないだろうか。最近、ローザンヌ国際バレエコンクールでも日本の高校生が3人も入賞して話題を呼んだ。このようなスポーツ、芸術に秀でた高校生が、自分の特技を生かして活躍しつつ、教養と国際感覚を磨ける高校を作れないのだろうか。単位制、三部制の学校で、半年だけでも必修科目が取れる午前だけ、夜だけでも授業を取れる体育科芸術科の課程を持ち、デュアルシステムを生かした制度設計(デュアルシステムとは、工業科などで工場実習を単位認定できる学校。この場合では、ジャンプの試合に出ている期間をレポートにまとめれば、体育科の単位に認めるようなシステム)。北海道立で作って全国から受け入れてもいいのではないか。まあ、それはともかく次の五輪はぜひとも大学生で迎えて欲しい。将来の指導者ということも含めて、きちんと勉強できる態勢を持った大学を選べればいいなと思う。
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橋下市長のアンフェアな再選挙

2014年02月15日 23時26分00秒 | 政治
 大阪の問題はしばらく書いてなかった。2011年の、橋下大阪府知事(当時)が辞任し大阪都構想を打ち出し市長選に出るという時期には、結構書いていた。一体この事態をどう考えればいいのかを考えざるを得なかったからである。東京をもしのぐ大阪の強権的教育行政の問題などは、改めて考えるまでもなく僕は反対だが、「大阪都」となるとどう考えればいいのだろうと思ったのである。その頃の記事は「政治(大阪維新の会)」というカテゴリーにまとめてある。その後国政に進出し、さらに「従軍慰安婦発言」などで支持を減らしていった。まあ、その時点では、別に僕が書かなくてもいいんだろうと思っていたわけである。

 その橋下大阪市長がいったん辞任し、再度市長選に出馬するという話。「維新」以外の市議会の有力会派(自民、公明、民主、共産)は、議会で辞職に不同意とした。市長選にも対立候補を立てないという。いや、立てて市民の審判を仰ぐべきだという意見もあるようで、この問題をどう考えるべきか。書くまでもないかと思っていたのだが、調べたらちょっと興味深い経緯を知ったので紹介しておくことにする。

 そもそも、辞任の経緯が突然で、市長支持派も含めて驚いた人が多いようだ。市民の批判も強い。再度市長選に勝つことで求心力を取り戻し、都構想を進めようというつもりだろうけど、議会の構成は変らないんだから意味があるのか。文楽協会に難題を突き付けて補助金を削ったりしているのに、自分が勝つのが判ってる選挙で税金の無駄遣いをするのか。まあ、そんなところだろう。

 でも、辞めたいんなら辞める自由はあるだろう、選挙をやれば出る自由はあるだろう。そう言えば、その通り。だけど、今の公職選挙法では、再選挙に出ることは認めているが、任期を「元の任期の残存期間」に制限している。
 公職選挙法第二五九条の二
 地方公共団体の長の職の退職を申し出た者が当該退職の申立てがあつたことにより告示された地方公共団体の長の選挙において当選人となつたときは、その者の任期については、当該退職の申立て及び当該退職の申立てがあつたことにより告示された選挙がなかつたものとみなして前条の規定を適用する

 読めば判るように、これは辞めた人が再当選した場合のみの規定である。他の人が当選すれば、普通に4年間の任期となる。前回の市長選は、2011年11月に行われた。(任期は2011年12月19日から。)だから、本来なら2015年12月まで任期がある。今回の選挙で橋下氏が再立候補し、再度当選したとしても、その任期も前と同じで2015年12月までなのである。2年後にまたやるのか。じゃあ、選挙費用がムダではないか、という声が出るのも当然だろう。

 どうしてこういう決まりになっているのだろうか。それは、地方選挙では、現職の首長が圧倒的に強いからである。まあ、5回も6回もとなれば多選批判、あるいは高齢批判なども出てくるだろうが、1期目にそれなりの成果を挙げている現職が2期目をめざすなんていう時は、とても対抗できない。ただ「それなりの成果」というのも、支持者はそう考えるかもしれないが、反対派からみれば「全く反対」である場合もある。石原都知事時代の都知事選とか、沖縄県の名護市長選などは、全く正反対の主張を繰り広げた。

 そういう「ただでさえ強い現職」が、相手陣営は任期満了の選挙だと思ってまだ選挙準備が出来てない時期、例えば任期満了の3か月前に突然辞任して、選挙に立候補する。相手陣営は準備が整わず惨敗する。これを繰り返せば、簡単に3回でも4回でも当選できてしまう。これはいくら何でも「アンフェア」だろう。というわけで、実は1956年には公職選挙法が改正され、辞任者の再立候補は禁止となったのだという。 
知事、市長を退職した者の立候補制限)
第八十七条の二 都道府県知事又は市長の職の退職を申し出た者は、当該退職の申立があつたことに因り告示された都道府県知事又は市長の選挙における候補者となることができない。

 こういう決まりが出来たということは、その「辞任、再立候補」戦術を使った知事などが結構いたらしいということである。僕はこのことを検索して「長の任期」というブログ記事に以上の経緯を教えられた。感謝して特記しておきたい。そのブログによれば、その規定は、さらに1962年に改正され、現行の規定になったという。辞任した首長が全く立候補できないというのも、ちょっと問題だったということだろう。そこで、前記のような「法の悪用」みたいな場合が起こらないようにしたわけである。任期の3か月前に辞任して再当選しても、次の任期が3カ月だったら、誰もそんなことはしない。

 その再改正の理由は、先のブログに当時の国会での議論が紹介されている。首長と議会の関係が悪化して地方政治が混乱した場合、議会は首長の不信任決議をすることができる。その場合、首長は不信任を受け入れ失職して再度選挙に立候補することもできる。(2002年に起こった長野県の田中康夫知事の場合など。)一方、議会の方を解散することもできる。その場合、議会選挙後の新議会で再度不信任を決議された場合は、二度解散は出来ず失職となる。(1999年に東京都足立区で起こった事例。)しかし、議会があえてその時点の多数の議席を失う危険性を冒すことを恐れて、なかなか不信任を決議しないこともありうる。その場合、首長の側が辞職して再度の選挙で、一種の信任投票のようなものを行うこともありうるのではないかというのである。

 今回の場合、この想定ケースがあてはまるのではないか。橋下市長は一種の「選挙絶対主義」のような主張をすることが多い。選挙で選ばれたということを、一種の「独裁権付与」のように思い込んでいるのかと感じるぐらいである。一時より人気にかげりがあるとはいえ、橋下氏の知名度は圧倒的で、突然の市長選に他の候補が勝つのはなかなか難しいだろう。大阪地盤の大物国会議員とか、関西に基盤のある財界人、関西で知名度のある大学教授、有名テレビタレントなどが出なければ、対抗できないと考えられる。でもこんな突然の選挙では、開会中の国会議員や年度末の大学教授などは簡単には出られない。人気タレントも半年先ぐらいまで予定は詰まってるだろう。だからと言って、市議会議員の中から擁立しても、人気や知名度で急には追いつけない。それで橋下氏が勝てば、「選挙で勝ったから自分の言うことを聞け」と強圧的に迫るのは目に見えている。いつもは原則的に必ず候補を立てる共産党も今回は立てないという。立てるべきとの議論もあったようだが、橋下対共産党では橋下圧勝が目に見えている。反橋下の自民、公明票も、では共産市長でもいいかと流れることはないだろうからである。

 つまり、今回は実質的に橋下氏の「信任投票」であって、橋下市長は市民に自分を信任せよと迫っているのである。不信任すればいいと思うかもしれないが、橋下氏の性格から議会解散になるのは確実。反橋下陣営が勝っても、要するにそれまでと同じ。再度不信任しても、また市長選で橋下市長が当選する可能性は高い。(国会で維新の協力を得たい安倍自民が橋下に勝てる自民候補を擁立しない可能性が高い。)だから、2015年の任期終了まで、個々の課題で塹壕戦を繰り返すしかないと両陣営とも思っていただろう。ところが段々橋下市長の基盤も揺らいできた。ここで一発、「電撃戦」を仕掛けたということだろうが、そこに対立陣営が乗って来なかった。それは賢明な対応だと思う。任期満了の市長選に対抗馬を立てないのとは意味が違う。

 では、どうすればいいのか。橋下市長側からすれば、議会のリコール運動をするというのが本筋だろう。2011年2月に名古屋市の河村市長が行った戦術である。本来、橋下市長の考えとしては「議会が間違い」ということになるんだろうから、議会に対する解散請求を行うべきだったろう。有権者の3分の1以上の署名が必要だが、「80万を超えるときは、80万を超える数の8分の1と40万の6分の1と40万の3分の1を合計した数以上」という特例がある。名古屋で出来たんだから大阪でできないことはないだろう。

 でももう市長選をやることになってしまった。これは先に書いたように実質的には「信任投票」である。だから、もし無投票ではなく、選挙になったなら(全国注目の大都市選挙だから、誰か「泡沫」候補が出る可能性も高い。都知事選から転戦する人もいるかもしれない。)その場合、橋下氏は「信任の目安」を明らかにするべきだ。
 前回は投票率が60.92%。橋下氏が750,813票を獲得した。(対立候補の現職平松邦夫氏が522,641票。)
 だから、投票率5割以上、橋下氏が60万票程度以上を取るのが、「市民の信任を受けた」と言える数字ではないかと僕は思うが、どんなものだろうか。自分で自分のハードルを決めなければ、今度の市長選はやる意味はないだとう。
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都知事選の諸問題③

2014年02月12日 00時23分25秒 |  〃  (選挙)
 都知事選の話も終わりたいので、最後に「田母神票問題」と投票率について。
 先に投票率の話。今回の投票率は、46.14%だった。投票率については、僕は先にこう書いておいた。
 「今回の都知事選の投票率は下がるだろうと予想できる。『脱原発をめぐって熱い論戦が繰り広げられ盛り上がる』などという人がいるかもしれないが、そういうことがあっても、『盛り上がって50パーセントを超えた』というレベルだろうから、前回に比べて10%程度は減ると見ておかないと行けない。昨年の都議選は、なんと43.5%だった。それよりは高いのではないかと思うが、やはり必ず減るだろう。」
 「近い時期に国政選挙どころか、地方選挙もない、完全に独立した選挙になったこと、一番寒い1月末から2月の選挙戦になったこと、特に都議選が終わってから半年ほどということなどを考え合わせれば、5割を超えるかどうかこそが問題

 これは僕に言わせれば、常識で判断すればだれでも判ることだと思うのだが、なんだか「幻想」を持っている人が多いようだった。何があっても都議選よりは高いという予想も含め、「一番寒い1月末から2月の選挙戦」というのが大雪という形で当たってしまったので、5割を割り込むことになった。

 今回5割を割った最大の原因は、直前の大雪である。それは多摩地区の西部、山がちの地帯で、軒並み3割台になっていることで判る。青梅、羽村などである。前々回と比べれば判るが、本来は5割、6割に行く地帯がそろって低投票率になっているのは、雪の影響としか考えられない。しかし、それらの地域はもともと人口は少ないので、全体に与える影響力から言えば少ないはずである。23区内でも大体は46%程度になっている。東部の足立、葛飾、江戸川が皆少ないが、これらの地域は新住民が多く「都民意識」が少ないうえ、都心から外れて演説会や選挙カーがほとんど来ないので、選挙をやってる気分が薄い。(実際にそこに住んでいるので判るけど、ポスター掲示板以外に選挙ムードは感じられなかった。)

 23区内でも投票率が5割を切ったのは何故だろうか。雪は確かに残っていたが、投票所まで行っていけないことはなかったと思う。そこはもっと複合的な「雪の影響」を考えないといけない。前日に期日前投票に行くつもりが行けなかったとか、当日は非番のはずが「雪かき要員」で臨時の出勤を余儀なくされたとか。この2つ目に当たった人はかなりいると思うけど、それでも何とか行こうとすれば行ける場合の方が多いだろう。結局、「弱い支持」の有権者が、「雪を理由にして投票を放棄した」ということだ。世の中には、最後まで真剣に悩んで投票先を選ぶ人もいることはいるけど、同じくらい「頼まれた候補にヒマが取れたら入れに行く」という人もいるわけである。それは支持団体の強さから言って、自民や公明(創価学会)支持者に多いはずである。それらの人が「舛添優勢」を見て、今回は行かなくてもいいのではと雪を理由にしてサボったということではないかと思う。

 従って、投票率が上がっていたら細川大逆転があったなどということはない。出口調査の結果を見ても、無党派の票も舛添が多い。有権者が「信念の投票」をする割合は、宇都宮、田母神陣営に多いと考えられる。だから、大雪ではなく5割程度の投票率だったとしても、この2陣営の票が爆発的に増えたとは思えない。しかし、細川票は確かにもう少し増えたかもしれないが、結局今回の都知事選は「前回の猪瀬433万票」が、舛添の211万票に半減したことが最大の特徴なのである。田母神や細川にある程度流れたとしても、300万票くらいはあるはずの「前回は猪瀬、今回は舛添」票の3割程度が棄権したのである。今回も衆議院選挙があれば行っただろうが、都知事選だけだから消えたわけである。

 ところで、今回の田母神候補の票は大方の予想より多かった。もっとも熱い支援者の中にはもっと取れると思っていた人もいるのではないか。街頭演説の盛り上がりだけで言えば、田母神陣営もそうだけど、細川、宇都宮陣営なども舛添陣営よりずっと熱く盛り上がっていると言われていた。地道に組織固めをしていたわけである。でも、田母神候補本人も「一定の成果があった」として、支援者の中でも「不当選挙」であり、「開票に不正があった」とまでは言っていないようである。(全部確かめていないけれど。)開票に立会人を出してるんだから、どの陣営もそういうことは言わない。それが「民主主義の成熟」であり、「戦後体制の定着」であるはずだけど。(明治時代や戦時中の選挙では不正が明確にあったことが司法により認定されている。)

 当初は田母神票が20~30万票ではないかと考えていたのだが、その後「一定の盛り上がり」が出てきたことを知り、投票率や有権者の動向によっては、3位になる可能性を秘めているのではないかと思うようになった。「評価」しているのではなく、心から恐れていたのである。実際に、千代田、中央の2区だけだが、宇都宮票を上回り、3位に付けている。台東区や墨田区の以下のような票の出方を見れば、泡沫とか惨敗とかの評をして済ますことはできない。なお、台東区は上野や浅草がある地区で、墨田区は東京スカイツリーや国技館がある地区である。
台東区 舛添30,465 細川13,654 宇都宮12,873 田母神10,603
墨田区 舛添43,318 宇都宮16,661 細川15,805 田母神12,785

 反舛添票、脱原発票がどちらかに片寄ったわけではなく、舛添が一頭他を抜くが、他の3候補は横一線の互角に近い戦いをしている。もっとも多摩地区の伝統的にリベラルな地域ではまた別。
国立市 舛添11,669 宇都宮7,263 細川6,699 田母神3,177
 そういう地区もあるわけだが、田母神陣営がかなりの得票をした「下町」地域もある。

 これは「日本維新の会」では、まだら模様でイデオロギー的にはっきりしていない部分があったのに対し、日本で初めて「極右勢力による一定程度の政治勢力」が産声を上げたという歴史的分岐点になるのだろうか。日本ではそもそも外国人移民をほとんど受け入れていないわけでヨーロッパのような「反移民」にしぼった極右政党は成立しにくい。その分、過去の歴史問題に対する「歴史修正主義」や近隣諸国に対する憎悪感情が中心テーマになりやすい。ただ、今回のように「原発大賛成」を堂々と主張するというのは、どうみても大多数の賛成を得がたいのではないかと思う。

 出口調査(朝日新聞)によれば、20代の有権者は舛添に36%、田母神に24%、宇都宮に19%、細川に11%の割合で投票しているという。30代では17%で、年齢が上がるにつれ漸減して60代以上では6~7%である。この傾向がある程度実際を反映しているとすれば、若い世代には「極右に親和感がある」というか「極右に拒否感がない」ということになる。それは何故だろう。今後様々な考察がなされるだろうが、インターネットによる運動が功を奏しているということ、「就職氷河期」や「派遣労働」など「失われた世代」に訴えが浸透しやすいなどの点がまず思いつく。僕には今はそれ以上を言う用意がない。だが、今後この支持者の中から地方議会の議員などが出てきた場合、大きな政治勢力になる可能性を考えておくべきだろう。もちろん、どうやって対抗していくべきかという観点で。
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都知事選の諸問題②

2014年02月11日 00時02分44秒 |  〃  (選挙)
 都知事選、宇都宮、細川両候補の問題を引き続き。10日付、東京新聞の特報部「本音のコラム」に宮子あずさ氏(看護師)が次のように書いていた。「非自民の票は細川、宇都宮の両氏に割れた、候補者を一本化できなかったのは、それぞれの支持者に切実な理由があったからだろう。私はどうしてもコイズミ的手法が受け入れ難く、宇都宮氏を選んだ。(中略)私にとって、反コイズミは何よりも切実な選択であった。(後略)」

 このような人がいることは僕にはよく判る。細川陣営に一本化されれば、宇都宮陣営の票が自動的に細川に流れるわけではないことが判るだろう。細川陣営には「コイズミ」という劇薬が処方されていて、副作用が心配な人は服用できない。この「小泉問題」は小さな問題ではないと思う。竹中平蔵氏を重用した新自由主義的経済政策や自衛隊のイラク派遣問題は、軽々しく忘れられる問題ではない。(だから、今や自民の支持団体に戻った郵政票も舛添当選に力をつくしたらしい。)鎌田慧氏などが、元総理大臣が脱原発に宗旨替えしたことを高く評価するのを僕は不思議に思っていた。それとも、今は脱原発を進めるためには「恩讐を超えて」「何でもあり」の政治的局面なのか。そうかもしれないとは思うが、そのためにはもう少し違った、若く清新な候補が必要だったと思う。僕には細川に雪崩を打って無党派票が集中するという事態は考えがたいとずっと思っていた。しかし、細川・小泉連合は、自分たちの主観においては「元総理二人が決起すれば、必ず奇跡が起こせるはず」と思い込んでいた可能性が高い。自分の歴史的位置が見えなかったということだろう。

 一方、宇都宮陣営は山下共産党書記局長がいみじくも総括したように「一定の成果はあった」ということで、勝つことではなく「一定の成果」を目指したのではないかと思う。前回は石原都政の転換を求めるという点で、石原後継の猪瀬に対抗する「市民候補」を模索する動きがあった。その中で様々な打診もあったらしいが、なかなか出馬する候補は現れず、結局日弁連前会長で反貧困運動で一定の知名度があった宇都宮健児氏が出馬を表明した。そこに共産党、社民党に加え、当時衆議院選挙に多数の候補を立てていた日本未来の党、緑の党、新社会党、都議会に議席を持つ地域政党・生活者ネットワークが支持した。都議会で議席を持つのは共産党と生活者ネットだけとはいえ、一応市民連合的な色彩があった。しかし衆院選と同時になったこともあり、100万票には達しなかった。

 その票数は2007年の浅野史郎氏が獲得した169万票にはるか及ばず、そのため今回も宇都宮氏では勝てないのではないかという観測が強かった。だから、他の候補を模索する動きもあったらしいが、結局先に宇都宮氏が出馬表明してしまい、共産党、社民党、緑の党に支援依頼をしてしまった。この時点で「フライング」であり、そのような「サヨク」の枠組みでは勝てないと判っているはずなのに、どうして先走るのだろうかという批判も強かった。僕も宇都宮氏の意欲は認めるものの、リーダーシップや「小泉氏にあるような有権者を鷲づかみにするようなオーラ」には乏しい面があると危惧していた。ここで一端話を変えて、都知事選の過去を振り返っておきたいと思う。

 戦後、知事が直接選挙になってから3期ほど安井誠一郎、続いて64年東京五輪をはさみ2期が東龍太郎、さらに67年から3期ほど革新知事の美濃部亮吉が務めた。その後、自治官僚出身の鈴木俊一が4期務める。鈴木時代の最初の2回は、美濃部時代から引き続く「社共共闘」の対抗馬を破って当選した。
79年 鈴木俊一 1,900,210  次点 太田薫  1,541,594
83年 鈴木俊一 2,355,348  次点 松岡英夫 1,482,169
 太田薫は元総評議長で知名度はあったが、すでに過去の人だった。松岡英夫は評論家で選挙時に71歳だった。もっとも鈴木知事はさらに2歳年長だったが。誰か「進歩的知識人」で引き受ける必要があっての出馬で、2期目に挑む現職知事に勝つ可能性は最初からなかった。

 87年から社共共闘が崩れ、87年は社会党和田静夫が次点となるが、91年には高齢の鈴木知事が自民の公認を得られず、無所属で当選した。次点は自民、公明、民社の磯村尚徳(NHKキャスター)で、3位が共産の畑田重夫、社会党の大原光徳は4位にしか入っていない。(ちなみに5位に内田裕也54,654票がいた。)そこで、共産党が推薦した候補の各回の得票を見ておきたい。
87年 畑田重夫 698,919 (当選鈴木俊一)
91年 畑田重夫 421,775 (当選鈴木俊一)
95年 黒木三郎 284,387 (当選青島幸男)
99年 三上満  661,881 (当選石原慎太郎)
03年 若林義春 364,007 (当選石原慎太郎)
07年 吉田万三 629,549 (当選石原慎太郎)
11年 小池晃  623,913 (当選石原慎太郎)
12年 宇都宮健児968,960 (当選猪瀬直樹)
14年 宇都宮健児982,594 (当選舛添要一)

 ちょっと細かくデータを挙げたが、これを見れば一目瞭然。畑田重夫、三上満、吉田万三、小池晃などの知名度がある程度高い候補を立てた場合、60万票台は取れる。しかし、候補者がたくさん立ち、党外に知名度のない候補の場合、2、30万程度しか取れない。ところが前回宇都宮候補で戦い、100万に近い票を獲得したのである。これは社共共闘が崩れて以来、共産党推薦候補の都知事選最多得票だったのである。

 一方、石原知事に対する次点候補は誰だったかを振り返ってみる。
99年 石原慎太郎 1,664,558 鳩山邦夫  851,130(民主推薦)
03年 石原慎太郎 3,087,190 樋口恵子  817,146(民主、社民支持)
07年 石原慎太郎 2,811,486 浅野史郎 1,693,323(民主、社民、国民新支援)
11年 石原慎太郎 2,615,120 東国原英夫1,690,669

 このように見てくれば判るように、2007年の浅野候補169万票は民主党系で得られた票であり、その時も共産党は吉田候補で63万票ほどを得ていた。(ちなみに吉田万三はかつて保守が分裂した時に足立区長に当選した人物である。)この「石原三選」時こそが「一本化」が望まれた選挙だったのである。浅野史郎(元宮城県知事)を押し上げた力も、2009年の政権交代につながる民主党の勢いだったのだろう。そして、それをもってしても石原都政を転換することはできなかった。

 07年の浅野候補の得票と比較すると、前回の宇都宮候補の得票は物足りない。しかし、共産党推薦候補の得票を見れば判るように、共産党は宇都宮出馬で「一定の成果を挙げた」と思ったのだろう。これが多分、今回共産党が宇都宮出馬を早々と進めた理由だろうと思う。実際、投票率が前回より16%も減少(総投票数では170万票ほどの減少)したというのに、1万6千票ほども増やしている。得票率で言えば、14.6%から20.2%へと大幅に増やした。共産党から見れば、これは「正しい政策」を一定程度浸透できたということになるのではないか。しかし、はっきりしているのは、その枠組み(共産、社民)では当選できないということである。ではどうすればいいかは、また別の問題。でも今までの都知事選の得票と現在の力量を見れば、「サヨク政党」の力だけでは勝てないのははっきりしている。次回も何か突発事がなければ、五輪目前に現職の舛添に誰が対抗しても勝てないと思われる。
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都知事選の諸問題①

2014年02月09日 23時46分00秒 |  〃  (選挙)
 先に「都知事選の投票率はどうなるか」を書いたが、その中で「都知事選については、何も書いて来なかったし、終わるまで書く気はない。ただ投票率がどうなるかの観測だけ書いておきたいと思う。」と書いた。都知事選の最終得票及び投票率はまだ発表されていないが、すでに舛添候補の当選が諸メディアで報道されている。終わったと言っていいので、以下数回にわたり書いておきたいと思う。データに基づく分析は明日以後に譲り、まずは「候補者問題」。

 舛添が当選したのは、要するに「タマが良かった」ということにつきる。これが判らない人がいるようなので困る。支持者はみな、宇都宮、細川、田母神などを良いと思ってる。盛り上がれば当選するか、しないにしても相当の得票が可能だと思っている。しかし、自分の陣営内で盛り上がってるだけではダメで、「舛添に入れる票を取りに行く」ことは誰も出来ていなかった。勝てそうになれば、人は寄ってくるし分裂もしない。もともと都議選、参院選から日が近く、「基礎体力」の違いは判り切っていた。それをまとめた上に、石原元知事が田母神に行って、代わりに連合の支持が舛添に来た。基礎票が多少中道寄りになったわけで、「普通の有権者」には安心感を与えただろう。

 自民系の候補が誰になるかずいぶん注目されたが、自民党が行ったアンケートでは、東国原、石原伸晃、丸山珠代、小池百合子などを大きく引き離して、最初から舛添が圧倒的だったという話である。石原伸晃は現職閣僚なので、出すなら内閣改造につながりかねないし、世襲批判が出るからまずないだろうと思った。女性候補にするという案もあったようだが、中堅国の大統領並みの権限を持つ都知事という地位にふさわしい女性候補がいなかったのだろう。五輪を考えると、それなりの仕事をしてきた人物を探すと、都知事選立候補経験があるものでは、圧倒的に舛添に知名度があった。かつての厚生労働相の仕事ぶりも一定の評価はできると思う。保守高齢者層には、「福祉にくわしい舛添」が浸透しやすかった。

 「舛添だけは都知事にしてはいけない」という運動をしていた人もいたけど、もともと舛添に入れない人向けにいくら運動しても仕方ない。舛添に入れる層には何の影響力もなかった。「都知事にしてはいけない人」と言えば、僕にはそれは石原慎太郎ではないかと思うが、その石原を4回も当選させた都民に対して「舛添落選運動」をしても仕方ないだろう。僕も舛添氏に問題もあるのだろうとは思うが、石原慎太郎のように「尖閣諸島を東京都で買う」とかまでとんでもないことを言い出すとも思わない。

 「細川」か「宇都宮」か、これは「脱原発陣営の分裂」だと「一本化」を求める人もたくさんいたが、僕にはそれは全然理解できなかった。まだ最終得票が出ていないが、それでも両者の票を足しても舛添票に達しない。僕にはそうなるとしか思っていなかったので、「一本化」には関心が持てなかった。いや「一本化」すれば違う、「1+1」が「3」になるんだという人もいるだろうけど、僕はそうは思わなかった。細川に一本化されれば、細川知事の与党第一党が共産党ということになるから、小泉に魅力を感じて細川に入れようという保守無党派層が逃げる。宇都宮陣営でも一本化されれば、皆細川に入れるとは思えない。小泉がついてる細川には絶対入れないという人もたくさんいるはずである。一本化をめぐる議論を告示後もしてるのもおかしい。

 「シングルイシュー」(単一の争点)がいいのか悪いのかという議論もあったけど、勝てればそれで良かったとなるだけの話だろう。郵政選挙や大阪府市同日選がそれで、それで勝てたのである。つまり小泉純一郎や橋本徹なみのタレント性のある候補が必要なのである。細川護熙という20年前に8カ月ほど首相を務めた人物が、突然現れたとして若者が燃えるか。僕が見た感じでは「老いてなお盛ん」という気はしたけれど、「老い」は否定できない気がした。しかも、小泉純一郎という元首相が付いていた。さすがに演説はうまいもので、そういう街頭の盛り上がりを見ると細川追い上げあるかと思ってしまうと思うかもしれないが、その盛り上がりは小泉見たさであって、舛添票を奪うものではなかったのである。

 「原発」というテーマは、それだけを取ってみれば、都民の中には「脱原発支持票」が多い。しかし、安倍政権を止めるんだ、今都民が立ち上がらないといけない、都民はこぞって脱原発陣営に入れよという言い方が多かったように思う。「フクシマを忘れるな」と言われればその通りなんだけど、ソチ五輪の報道が毎日続く中で「史上最大の東京オリンピック、パラリンピックを」を第一の公約に掲げる舛添の方が細川、宇都宮よりも「夢がある」と思うのが普通なんではないか。細川陣営が「安倍政権の原発再稼働を止める」と言い、宇都宮陣営が「東京電力の柏崎刈羽原発は廃炉にする」と言ったのを見聞きして、僕でさえ「都知事の権限で出来ないことを何で言うのかな」と疑問を感じた。都知事の影響力は大きいとはいえ、どうも「上から目線」で都民に「原発止めるために力貸せ」と迫ってるような印象を与えたのではないか。そこに「福祉に詳しそう」な舛添に高齢者票が集中する理由があったのだろう。

 ところで、僕はそもそも「宇都宮」「細川」を分裂と思っていない。宇都宮陣営には共産党や社民党、緑の党などがあったが、緑どころか社民も都議会に議席がない。共産党の力の方が圧倒的に大きい。細川陣営は政党の推薦は受けないと言いつつ、民主党などが「勝手連」で支援するとしていた。日本の多くの選挙で、自民系と共産党の候補が出る。その自民系に民主も乗ることは地方選挙ではよくあるけど、共産党と民主党が地方選で共闘することはない。国会内などで課題ごとに「院内共闘」することはあるが、基本的に政治的スタンスが全く違う。民主党結党後の1999年都知事選以来、民主党と共産党が同じ候補を支持したことは一度もない。だから、そもそも「分裂」していないのである。結婚どころか付き合ってもいない二人を、目的地が同じだからと言って同じ車に乗せようというのは無理があったのだと思う。

 むしろ分裂したのは右の側で、2012年都知事選では一致して猪瀬を支持した自民と石原慎太郎が今回は別の候補を支援していた。また、これは前回と同じだが、民主党支持勢力のはずの連合が舛添を支持した。こっちは、本物の分裂で、その意味はまた書く機会があれば書きたい。細川、宇都宮陣営の問題はまた別にもう一回書くことにして、とりあえずの感想。
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2014年1月の訃報

2014年02月08日 00時03分49秒 | 追悼
 一本の記事を書くほど知らないので追悼の記事は書かなかったけれど、2014年1月に亡くなった人の記憶。僕は訃報や書評の新聞切り抜きを40年ほども続けている。結局追悼記事を書いたのは小林カツ代さんだけだった。簡単な訃報のまとめを今までも書きたかったけれど、機会がなかった。今年からまとめ記事を月ごとに書くことにしたい。もっと早く書くつもりが2月の一週間経ってしまったけれど、自分の備忘の意味も大きいので書いておきたい。以下、敬称略。

 1月は1面に訃報が載った人は小野田寛郎(おのだ・ひろお、91歳、1.16没)だけだった。小野田はフィリピンのルバング島で、敗戦を知らずにジャングルに潜み続けた人物である。1974年に「救出」された時は大きく報道され、その後もブラジル移住、若者野外教室など活動を続けた。その時期を知っている人には忘れがたい人物だけど、若い人は知らないだろう。「たった一人の30年戦争」と新聞には表現された。

 女優の淡路恵子(あわじ・けいこ、80歳、1.11没)は、女優淡島千景に憧れ「淡」の字を芸名にもらった。その淡島千景の追悼上映が新文芸坐で行われた時に、淡路恵子のトークショーがあり話を聞いた経験がある。それはテレビなどで見るのと同じく、自由闊達で奔放な人生を語り、大変面白い思いでとなっている。だから追悼記事を書いても良かったんだけど、肝心の女優としての人生について、書くことが少ないのである。それは淡路が恋に生き、女優業を離れた時期が長かったという理由による。あまり私生活のことを書きたくない。映画では「野良犬」「新・夫婦善哉」「男はつらいよ 知床慕情」が面白いと思う。

 詩人の吉野弘(87歳、1.15没)は僕にはとても思い出深い。若い時に詩をよく読んでいた時期があり、思潮社の現代詩文庫というのをかなり持っている。吉野弘詩集も持っていて、その判りやすく暖かな世界は大好きだった。特に「夕焼け」に感動したわけだけど、今ではそれは教科書で知る詩になってしまった。その時代には「自分で発見するもの」だったわけだが。その頃多くの詩人を読んだけれど、その後あまり読まなくなってしまった。だから吉野弘の全体像を書くことができない。これから読んで行く機会を作りたいと思う。

 ところで追悼記事を読むことで、自分の苦手なフィールドも判ってくる。例えば「サザエさん」の父波平の声をやっていた声優、永井一郎(82歳、1.27没)は、これほど大きく取り上げられる人だったのか。声優というジャンルはほとんど知らないのである。声優では「巨人の星」の星一徹役だった加藤精三(86歳、1.17没)も亡くなった。

 概していえば、僕は音楽関係が弱い。年末に書き忘れたが、大滝詠一(65歳、2013.12.30没)が急死した。この人の名前は「はっぴいえんど」の時から知っている。その後の活躍も面白いし、すごい人だと思っていたけど、では自分の言葉で語れるかというとできない。ただ「夢で逢えたら」「冬のリヴィエラ」などの不思議なムード、それが日本の70年代から80年代と結びついて忘れがたいのである。
 指揮者のクラウディオ・アバド(80歳、1.20没)ももちろん名前は知っているが、あまり聞いていない。何しろベルリン・フィルでカラヤンの後継だった人である。ウィーン国立歌劇場などの音楽監督も務めた。昔、クラシックをよく聞いていた時代があり、レコードも一枚くらいあるかと思い調べてみたら、モーツァルトのピアノ協奏曲20番と21番があった。グルダがピアノを弾いている。交響曲ではなく、協奏曲や室内楽曲が好きだったので、これもグルダの名演目当てだったと思う。日本に何回か来ているが聞いてはいない。カラヤンもベームも聞いたけど、多忙な時期は高いクラシックを買えない。

 アメリカのフォークソング歌手であるピート・シーガー(94歳、1.27没)も書いてもよかったけれど、小林カツ代の訃報と重なったので書かなかった。それと「花はどこへ行った」や「天使のハンマー」などが大好きだけど、それはピーター、ポール&マリーで聞いていたという事情も大きい。PPMが大好きだなんて、どうも書きたくない気もするんだけど。(「チャップリンが好き」というより「マルクス兄弟はすごい」とか言いたい時代に大きくなったので。)この人は長い人生で第二次大戦以前からの社会運動家としての歴史がある。その評価は僕の手に余るが、「ウィ・シャル・オーバーカム (We Shall Overcome)」を抵抗歌の世界的スタンダードにした人であるという。これは霊歌だったものを公民権運動の中で歌い始めたという。僕はこの歌を、原語はもちろん韓国語と日本語でも歌える。韓国の民主化運動に昔触れた過去がある人は、「ウリ・スンニ・ハリラ」とうたえる人がかなりいるだろう。

 俳優、演出家の高橋昌也(83歳、1.16没)は前年の公演がキャンセルされていたので体調不良は公表されていた。銀座セゾン劇場で黒柳徹子の舞台を演出、共演していたので見たことがある。訃報によると、俳優座養成所から小沢昭一らと新人会を結成、以後、劇団四季、文学座、劇団雲、劇団円と長い舞台歴があるという。まあ後の方は新劇分裂史だけど。直木賞作家の坂東眞佐子(ばんどう・まさこ、55歳、1.27没)はその年齢から若すぎる死だった。ホラー小説ブームの先駆けで、「山妣」(やまはは)で直木賞。でも日本の風土に根ざしたホラーがどうも僕には親しめなかったので、ほとんど読んでいない。評論家の森本哲郎(88歳、1.5没)は朝日新聞の記者で世界を回る中で、独自の世界文化論、日本文化論をたくさん書いた。紀行エッセイみたいな本が多く、テレビにもたくさん出た。だから昔は文庫にいっぱいあって、あちこちでよく聞いた名前だった。今は忘れれてしまったかもしれない。

 音楽プロデューサーの佐久間正英(61歳、1.16没)になると僕にはもう知らない。元運輸相、厚生相、総務庁長官、官房長官の山下徳夫(94歳、1.1没)などは、一般には全然忘れられた名前だろう。三木派、河本派ながらポストに恵まれた。しかし海部内閣で官房長官になりながら女性問題が報じられて16日間で辞任に追い込まれた。多分これが政治家山下のもっとも有名な出来事ではないかと思うが、最初の入閣の運輸相時代に日航ジャンボ機墜落事故が起こったことしか報じられていない。「武士の情け」というようなものか。政治評論家の岩見隆夫(78歳、1.18没)の名も。

 この記事の名前を「訃報」として「追悼」にしなかった。世の中には「追悼」ではない訃報もあるからである。イスラエルのシャロン元首相(85歳、1.11没)がようやく死去。ようやくというのは、2005年に右翼政党リクードを飛び出し、「カディマ」を結党した直後に倒れ、そのまま意識を取り戻さなかったからである。「もしシャロンが倒れなかったら」は、現代史の「イフ」として残ると思うけど、その生涯の決算はどうなのだろうか。大阪で橋下徹なる人物を人気モノに押し上げたやしきたかじん(屋鋪隆仁、64歳、1.7没)は、歌手というか、テレビ司会者というのか。東京では放映されない「たかじんのそこまで言って委員会」なる番組はもちろん見たことはない。見てないものは語らないことにしたい。
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「殺人犯はそこにいる」という本

2014年02月06日 21時28分55秒 |  〃 (冤罪・死刑)
 清水潔殺人犯はそこにいる」(新潮社、2013.12、1600円)という本の紹介。帯などにある副題やキャッチコピーを書き写す。
・隠蔽された北関東連続幼女誘拐殺人事件
・少女たちを殺した男が/すぐそこにいる/あなたのそばに。平然と。
・「桶川ストーカー殺人事件」で警察より先に犯人に辿り着いた「伝説の記者」が冤罪「足利事件」を含む前代未聞の凶悪事件を追う。
北関東連続幼女誘拐殺人事件
 栃木県足利市、群馬県太田市という隣接する2市で、4歳から8歳の5人の少女が誘拐または殺害されているという重大事件。その中の一つが、あの「足利事件」である。一連の事件を同一犯による連続事件だと喝破した著者は、「足利事件」冤罪の可能性を報じて菅家さんを釈放に導くとともに、徹底した取材によって、ついに「真犯人を炙り出した-!
 
 いろいろ注文もある本だけど、内容が衝撃的なので紹介しておくことにした。清水潔氏(1958~)は日本テレビ報道局記者、解説委員を務めるジャーナリスト。先の紹介にもあるけど、本書でもたびたび言及される桶川ストーカー事件で活躍し(その当時は「フォーカス」記者)、その後もブラジルに逃亡した強盗殺人犯をブラジルまで追って「発見」するなど、驚くべき行動力で事件現場を追い続けた。

 日本テレビで報道特番を作ることになり、調査を進めると北関東で連続幼女殺人が起こっていたことを知る。しかし、事件現場が近いのに栃木県と群馬県にまたがるため、警察では連続事件としてとらえていなかった。しかも栃木県で起こった第4の事件(1990年)では、「犯人」がつかまり最高裁で有罪が確定していた。起訴はされなかったものの、その「犯人」は一時は他の2件(栃木県で起きた事件)を「自白」していた。栃木県警では「解決済み」だったのである。

 その1990年の事件は、後に「足利事件」と呼ばれることになる。清水氏の見立てでは、犯人をされた菅家利和氏は無実でなければならない。菅家氏は獄中から無実を訴え、有罪の根拠となったDNA型鑑定をやり直すことを求めていた。この事件を調べ始め、多くの疑問を発見し、テレビで報道も始める。苦労の末、目撃者を捜しだし、また被害者の母親とも話すことができるようになる。一時は無視されていた報道だったが、ついに裁判所は再鑑定を命じることになった。多分、検察側は「一致」するか、資料の劣化のため「鑑定不能」となると思い込んでいたのだろう。ところが裁判所が命じた2人の鑑定人は、どちらも「不一致」と鑑定したのである。追いつめられた検察側は、ついに再審開始が決定する前に菅家さんを釈放することになった。2009年6月4日、その日に菅家さんを迎えに千葉刑務所に乗りこんでいったワゴン車。そこに同乗して取材していたのが、清水氏だったのである。

 この足利事件は「DNA型判定が有罪の決め手となった初の事件」であった。その「科学的に絶対」のはずの鑑定が、全く当てにならないものだったのだ。足利事件は、裁判段階から冤罪ではないかとささやかれていたが、結局は鑑定で有罪とされたようなものだった。足利事件は再審無罪となった当時大きな問題となったが、それを支えたのが清水氏らの報道だったことがよく判る。ただし、と清水氏は言う。自分は冤罪に関心があるのではなく、あくまでも「連続幼女殺人」の真犯人を追求することが目標なのだ、と。

 さらに調査を続け報道をしていく中で、驚くべき情報に出会う。足利事件では菅家さんが自転車に乗せて幼女を連れ去ったとされた。菅家さんは当時主に自転車で行動しており、そのように「自白」したからである。しかし、被害者の母によれば、娘は自転車の荷台に乗れないという。実際、手を引いて連れ去った子供連れを目撃した証言もあったのである。当時のテレビ映像を探すと、その証言に基づき「子供連れの人物を見かけた人はいませんか」という立て看板が現場に立てられていた。ある時期まで確実視されていた証言が、突然隠され公判にも出てこなかった。その目撃者は美術の教師で、非常に優れた観察力を持っていた。その連れ去り人物は、「ルパン三世」に似ていたという。清水氏は彼を「ルパン」と名付ける。そして群馬県太田市の事件でパチンコ屋の防犯カメラに映っていた謎の人物。その人物が足利事件の「ルパン」に酷似しているというのである。真犯人がいた?!

 ところで、その後が真に驚くべき内容で、調査チームはその「ルパン」を特定し、苦労の末独自にDNA型鑑定まで行う。その結果は…?足利事件で弁護側申請の本田鑑定で、「真犯人の型」とされたタイプとぴったり一致したのである。そして、それを警察サイドにも伝える。文藝春秋でも連載する。国会で追及する議員も現れる。2011年3月10日、当時の菅首相も「しっかり対応する」と答弁したのである。日付を見て欲しい。東日本大震災の、それは前日のことだった。そして大津波と原発事故の中で、警察、検察は結局動かなかったのである。「真犯人」の「DNA型判定」までありながら、何故?

 それは「飯塚事件」を隠ぺいするためだろうと著者は考え、福岡まで飛び飯塚事件の真相を追跡し始める。飯塚事件は幼女二人が殺されたため、犯人とされた久間三千年氏はDNA型鑑定などを理由に、2006年に最高裁で死刑が確定していた。その鑑定方法は足利事件と全く同じものだった。しかし、足利事件の再鑑定が行われていた2008年12月に、久間氏は死刑を執行されてしまったのである。つまり、DNA鑑定が間違っていたとしたら、「無実の人に死刑執行」という恐るべき出来事になる。そして、「ルパン」が真犯人であるという判断の前提が、足利事件の旧鑑定が間違っていて犯人の型を改めて特定したとする「本田鑑定」なのである。それを認めれば飯塚事件の有罪も崩れ去る。結局、捜査当局(どこまで上で決定したかは判らないが)は、「死刑冤罪」を隠ぺいするため、「幼女連続殺人」の真犯人も隠ぺいすることにしたのである

 というのがこの本の中身で、特に最後の真犯人追跡と飯塚事件の調査は、知られざる点が多く、僕もビックリすることが多かった。国家はその威信をかけて、真犯人さえ保護する。それはフランスのドレフュス事件や戦後日本の菅生事件(すごう事件、警察が共産党内に現職警官をスパイとして送り込み爆弾事件を仕組んだ)など、いくつかの事件が知られる。そこまで行かなくても、一端誰かを起訴してしまえば、後で無罪となっても、「裁判では無罪となったが、証拠がなくうまく逃れただけで実は真犯人」などと言い張るものである。時間がたっていることもあり、その後警察が真犯人を捜査したという事例は聞いたことがない。だが、この事件の場合、すでに時効となっているものが多いが、幼女ばかり5人も殺害(または行方不明)になり犯人が特定されていないという、あまりにもとんでもない事件である。

 このままでいいのか、と疑問をぶつける著者の叫びは心に響く。しかし、全体に長すぎて、また不必要な記述も多い。鬼のごとき編集者が三分の二に縮めよと厳命すべきだったと思う。もっと凝縮すれば、それだけインパクトが強くなる。本も安くなり、多くの人が買いやすくなる。

 それと著者の立場は僕とかなり違う。僕は死刑制度を維持している以上、飯塚事件のような恐るべき死刑執行が論理上完全には避けられない。だから死刑制度そのものを問う必要があると思うのである。菅家さんは無期懲役だったけれど、もう一件殺人で起訴されていれば、死刑判決が避けられなかった。いや、今の風潮では、幼女の場合一件でも死刑判決となった可能性もある。イギリスでは、死刑執行後に真犯人が現われたケースが死刑廃止のきっかけとなった。日本国家は、死刑廃止につながりかねない「飯塚事件の死後再審」は全力で阻止しようとするはずである。(再審は本人の死亡後でも家族が請求することができる。)従って、このままでは北関東連続幼女誘拐殺人事件も立件されない。残念ながらそのことは、今の国家体制が続く限り決定的なことだと思う。「死刑制度」、あるいは国家の刑罰とは何かという問題を突き詰めていかない限り、このような驚くべき隠ぺいはなくならないと僕は判断している。
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