尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

麻生副総裁「公明党ががん」発言、病気を「悪いたとえ」に使ってはならない

2023年09月29日 22時25分20秒 | 政治
 もう麻生太郎氏や森喜朗氏などの「失言」にいちいち反論するのも止めたいんだけど、これは問題の質が重大だから書いておきたい。毎日違ったことを一生懸命調べるのも大変なので、今回は簡単に書きたい。

 自民党の麻生太郎副総裁が「公明党(幹部)ががんだった」と発言したという。
「自民党の麻生太郎副総裁が福岡市内での講演で、岸田政権が昨年末に閣議決定した反撃能力(敵基地攻撃能力)保有を含む安全保障関連3文書への対応を巡り、公明党の山口那津男代表ら幹部を名指しで批判したことが25日、分かった。(中略)講演は24日。麻生氏は「北朝鮮からどんどんミサイルが飛んでくる。だが公明党は専守防衛に反するという理由で反対。現実をよく見てみろ」と指摘。山口氏、石井啓一幹事長、北側一雄副代表や創価学会が「がんだった」とした上で「今は時代が違う。ウクライナみたいに日本が戦場になると言い続け、納得するという形になった」と語った。」(東京新聞)

 これに対し、公明党の山口代表は「評価は控えたい」、北側副代表は「ちょっと事実の誤認がおありなのかな」と述べているが、本格的な反論はしていない。この発言は「政局含み」という見方もある。「解散」の可能性を見据えて、公明党を批判するのは本来避けたい時期のはずだが、国民民主党を取り込めば良いという考えである。自民党内には「公明党が国土交通大臣をずっと務めていること」への不満が強く、秋の改造で自民が取り戻すという観測もあった。強大な権限を持つ国土交通省は魅力なのである。結局公明党の斉藤鉄夫氏が留任したが、自民党内には不満も溜まっているらしい。
(山口代表)(北側副代表)
 そういう政局論も面白いけど、僕が書きたいのはそういうことではない。また内容も全然粗い議論で、いかにも「麻生節」であるが、今は内容の批判も省略する。今日の時点で、中央紙で社説に取り上げたところはないようだ。地方紙は調べてないが、中央紙というより関東の地方紙である「東京新聞」が29日付の社説で「公明党は「がん」 憲法蔑ろにする暴言だ」と論じている。その中でも触れられているが、「「がん」の比喩はがん患者への配慮も欠くもので、到底看過できない。」というのが、僕の書いておきたい点なのである。今どきこういう表現をする人がいるんだと唖然とするが、この人は以前「ナチスの手口に学べ」とも発言した。

 「○○が組織のガンだ」などという表現は昔は良く見られたものだ。「ガンは不治」で恐怖の対象だった時代のことである。黒澤明監督『生きる』(1952年)を見れば、いかに人々がガンを恐れていたか判るだろう。今も「悪性新生物」(がん)は死因の第1位である。だが、それは高齢化の賜物というべきで、今は早期に発見出来れば完治することも多い。ガンといえども、むやみに恐れる時代ではない。それなのに「ガン」を困ったもののたとえとして使うとはどういうことか。「手術で取り除け」というのか。それとも「いずれは死に至る」と言いたいのか。

 自身もガンで闘病したアメリカの批評家スーザン・ソンタグ(1933~2004)は『隠喩としての病』を書いて、単なるレトリックの問題ではないことを示した。麻生氏は「公明党が頑として反対だったのは間違いない。『がん』という言い方が不適切なら、名前を挙げた3人と(公明の支持母体の)創価学会が反対し、問題だったという意図だ」と釈明したが、「失言」の本質を理解せず謝罪していない。与党のナンバー2の発言である。自民党はガン患者に謝罪しなければならないと思うが、違うだろうか?

 「病気を比喩に使う」というのは、他にも多い。昔はハンセン病を「癩病」(らいびょう)と呼び、恐怖の対象のように思われた時代が存在した。昔の小説を読むと、思わぬ作家が比喩として使っていて驚くことがある。また今は少なくなってきたが、「同性愛」を一種の病気ととらえ「伝染」するかように恐怖の対象として使うことがあった。今も比較的残っているのが「ガン」と「精神疾患」だろう。「精神分裂病」(今は「統合失調症」だが)や「うつ病」を悪い意味で、批判相手に使う人は今もいるかと思う。

 こういう表現は、ほんのちょっとした想像力があれば、誰かを傷つけると判るだろう。家族に同じ病気の人がいれば、絶対に使わないと思う。「ジェンダー」「病気」「ナチス」には気を付けなければいけないというのは、世界の常識だ。こういう人が今も重要な役職についているということが、日本の「人権状況」を示している。
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「ナゴルノ・カラバフ」、「民族浄化」の危機

2023年09月28日 22時30分14秒 |  〃  (国際問題)
 「ナゴルノ・カラバフ」戦争が2020年に再発したときに、ここで2回記事を書いた。『再燃したナゴルノ・カラバフ戦争』『アゼルバイジャンが勝利した「ナゴルノ・カラバフ戦争」』である。場所をおさらいしておくと、旧ソ連の南西部、カフカス(コーカサス)山脈の南にあるアルメニアアゼルバイジャンの間で紛争が続いてきた。アゼルバイジャン西部の「ナゴルノ・カラバフ自治州」は民族的にアルメニア人が多く、ソ連成立直後に自治州が認められた。しかし、ソ連末期になって「アルメニア共和国への帰属替え」を求める民族紛争が起き、ソ連崩壊につながる民族紛争として世界的に注目された。
(関係地図)
 その地域はソ連崩壊後に「ナゴルノ・カラバフ共和国」として独立を宣言、事実上独立状態となってきた。アルメニアと地続きになるように、アルメニア武装組織がアゼルバイジャン西部も支配していた。それに対し、2020年にトルコの支援を受けて軍備を拡充したアゼルバイジャンが突如攻撃を開始して、アルメニア支配地域を取り戻したのである。それでこの戦争も終わりかと思っていたら、2023年9月19日に「対テロ活動」と称して、アゼルバイジャン軍が突然「ナゴルノ・カラバフ共和国」(アルツァフ共和国)を攻撃し、「アルメニア軍の完全撤退」と「分離主義者(ナゴルノ・カラバフ共和国)の政権解体」を要求した。
(攻撃されたナゴルノ・カラバフ)
 これに対して、「ナゴルノ・カラバフ共和国」は一日も持たずに停戦と交渉開始を申し出たが、アゼルバイジャン側はあくまでも武装解除と政府解体を譲らなかった。翌日になって、ロシアの停戦提案を双方が受け入れたという形で停戦になった。しかし、これは事実上「アルメニアの全面降伏」を意味するとみなされている。実際にその後は、武器の引き渡しが始まり、ナゴルノ・カラバフには留まれないと考える住民が大量にアルメニアに脱出していると言われる。ほぼ全員が移住を望んでいるとされ、人口14万強に対し12万人以上が難民になる恐れが強い。
(アルメニアに向け脱出する人々)
 奇怪なのはロシアが平和維持軍を派遣していたのに、戦禍を止めるために何の役割も果たせなかったことである。ロシアはウクライナ戦争で精一杯で、今までの勢力圏に影響力を及ぼす余力がない。アルメニアは旧ソ連で構成される「集団安全保障条約」(CSTO)のメンバーだが、この条約は機能しなかったのである。もっともアルメニアもウクライナに侵攻するロシアは支持せず、ロシア離れしていた。アメリカと軍事演習を行ったぐらいで、今回もロシアを非難している。しかし、位置的にNATO諸国と隣接しているウクライナと違い、直接武器を援助するのも難しい。それにNATO加盟国のトルコに配慮する必要もあって、アルメニアの国際的孤立が際立っている。国内ではパシニャン首相への抗議デモが続いている。
(アルメニアのデモ)
 一方アゼルバイジャンは、国土の統一を回復した「大勝利」である。「ナゴルノ・カラバフ」は事実上独立状態だったとはいえ、それは国際的に承認されたものではない。つまり、ロシアのチェチェン、中国のウィグルなどと同じで、「内政不干渉」と言われると批判しにくい。国内の分離独立勢力を排除するのは、「テロ組織との戦い」と位置づけられてしまう。また、ウクライナ戦争でロシアの天然ガスに依存する欧州の弱点が露わとなった。そこでアゼルバイジャンの天然ガスにがぜん注目が集まっていて、欧州向けガスパイプラインの容量は3割アップする見通しとなっている。EU諸国もアゼルバイジャンに厳しい対応をしづらいのである。
 (アゼルバイジャンの天然ガス)
 しかし、このままではナゴルノ・カラバフのアルメニア系住民がほぼいなくなる。それは自ら希望して出国したとしても、「民族浄化」というべきではないか。かつてない人道危機である。人口300万人弱のアルメニアにとって、突然10万人以上の難民を受け入れるのは非常に大変だ。それにこれですべてが終わると即断するわけにはいかない。アゼルバイジャンには「飛び地」のナヒチェヴァン自治共和国があり、その間はアルメニア領になっている。双方を自由に行き来出来る回廊を求める動きが強まるのではないか。一方、アルメニア人は昔から欧米各国に移住してきた。外国にいるアルメニア系住民は400万近くで、本国より多い。その中にはトルコに対するテロ活動を起こした過激勢力もある。アルメニア民族主義が過激化して、トルコやアゼルバイジャンなどへのテロ活動を起こす可能性もあると思っている。今後も注意してみていく必要がある。
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映画『こんにちは、母さん』、永井愛原作を巧みに映像化

2023年09月27日 20時46分32秒 | 映画 (新作日本映画)
 山田洋次(1931~)監督90本目という映画『こんにちは、母さん』が上映されている。日本映画を代表する巨匠とはいえ、近年の作品は明らかにかつての傑作には及ばなかった。それに今回は吉永小百合大泉洋の主演だという。まあ、そこそこ面白いには決まってるが、それほど期待出来るとは思えないなどと思い込んでいたら、これが案外の面白さだった。というのも、あまり触れられてないしチラシにも小さくあるだけだが、これは永井愛の2001年の戯曲が原作なのである。

 最近は永井愛の作品(二兎社公演)を見逃さないようにしているが、その頃はまだ見てなかった。(21世紀初頭は夜間定時制勤務をしていて、夜の公演が見られなかった。)この作品は今も上演が多いが、僕は見てない。むしろ吉永小百合と「母」といったら、『母べえ』(2008)、『母と暮らせば』(2015)を思い出す。だから、僕は「吉永小百合の母三部作」のオリジナル脚本だと思い込んでいた。永井愛の原作だと、最近までうっかり気付かなかったのである。いろんな映画評でも、ほとんど原作に論及してない。「永井愛」はそんなに宣伝にならないのか。しかし、今回の映画が面白いのは基本的に原作の設定によるものだと思う。
(山田洋次監督)
 もちろん舞台劇を映像化するときは、テレビや映画向けに変更する必要がある。この映画もそうだけど、それでも大手企業に勤める息子、老舗足袋屋の母という構図は原作由来だろう。神崎福江吉永小百合)は夫を亡くした後、一人で店を守っているが、今はそれ以上にホームレス支援のボランティア活動に熱心である。長男の神崎昭夫大泉洋)は人事部長として、リストラ最中で悩みを抱えている。同期入社で友人の木部課長宮藤官九郎)が、今度の同窓会は屋形船を借り切ってやりたい、お母さんにツテがないか聞いて欲しいと言うので、久しぶりに昭夫は実家を訪ねたが…。
(母と息子)
 このクドカンが非常によろしくなく(というのは助演者の演技としては「非常によろしく」)、重要な脇役となるのが観客に予感される。さて訪ねてみると、母は今日はボランティアの会だからと素っ気ない。そこで出会った教会の荻生牧師(寺尾聰)に惹かれているらしいのである。一方、昭夫は家庭も問題ありで、妻は出ていき、娘の永野芽郁)も祖母の家に身を寄せる。前作『キネマの神様』ではカワイイだけみたいな永野芽郁だったが、今回はなかなか陰影がある役をやっている。墨田区向島にある足袋屋は、大相撲の力士も愛用していて、立浪部屋の明生が特別出演している。すぐには顔が判らない人が多いだろうから、足袋屋に出入りしている枝元萌が「あっ、明生関」と言うセリフがある。)
(吉永小百合と永野芽郁)
 枝元萌が出て来ると、やはり永井愛作品だという感じが出て来るのだが、それはさておき…、全体的に淡々と進む中に時折驚くようなドラマがある。しかし、それも含めて上品な印象で後味が良い。未亡人の吉永小百合が秘かに恋しているといっても、お相手が寺尾聰となれば「オールド・サユリスト」も納得だろう。(ちなみにかつて吉永小百合ファンを「サユリスト」なんて言ったのである。)今まで乗ったことがないと水上バスに二人で乗るシーンなど、なるほどなあと思った。特に用もないから、地元民ほど地元の名物に行ってないことがある。
(吉永小百合と寺尾聰)
 この映画は今までの山田洋次作品を思い出す仕掛けが多い。支援する吉永小百合らに厳しく接するホームレス男性(田中泯)は「イノさん」というが、これは『学校』で田中邦衛が演じた忘れがたき役名と同じだ。牧師が最後に向かうという北海道の別海町は、『家族』で取り上げて以来、『男はつらいよ』シリーズ(の何作か)や『遙かなる山の呼び声』でロケされた中標津の隣町である。また「向島」という土地も、2作目の『下町の太陽』の舞台となったところと近い。そういう点も含めて、91歳を迎えた山田洋次監督の集大成的な作品だと思う。現代社会に対する批評もあるけれど、あまり重くならずに楽しめる。そういう映画もあって良いし、山田監督の細やかな演出を楽しめる映画だった。
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韓国映画『あしたの少女』、女子高生の悲劇と現代社会

2023年09月25日 22時03分23秒 |  〃  (新作外国映画)
 韓国映画『あしたの少女』が公開されているけど、小さな上映なので知らない人も多いだろう。韓国映画をよくやってるシネマート新宿の上映はすぐに少なくなってしまった。そんな時に柏のキネマ旬報シアターで始まったので、そこで見ることにした。2015年に公開された『私の少女』で注目された女性監督チョン・ジュリの8年ぶり2作目の長編映画である。その映画は女優ペ・ドゥナが警察官をやっていたが、今回もまた警察官役で出ている。しかし、ペ・ドゥナは主役ではない。(彼女は是枝裕和監督『ベイビー・ブローカー』でも警察官だったが、すべて組織の外れ者である。)

 冒頭でダンスする少女を長々と映し出す。まるで日本の青春映画のような出だしだが、そこは韓国南西部の全州(チョンジュ、全羅北道の道庁所在地)である。冒頭の少女キム・ソヒキム・シウン)が友人と食堂に行き、友だちは全州グルメを紹介する配信を始める。もうスマホで全世界とつながっている世界にわれわれは生きている。その後ソヒは高校の担任教師から、大手携帯電話会社の(系列の)コールセンターの「実習」を勧められる。「大手」の会社が来て良かったなと担任は大喜びで勧める。僕も最初は「インターンシップ」かなと思ったが、実は違ったのである。
(書類を見るキム・ソヒ)
 コールセンターの役割は解約を求める客を何とか引き留めることで、若い女性たちがそれぞれに成績を競わされている。客はそこにたどり着くまで、あちこちたらい回しされていて、電話口では散々に罵倒する。その毒を浴びながら、客の求める解約を止めるためマニュアルに沿って対応せざるを得ない。その競争に勝ち抜いたとしても、「成果給」は実習生には支給されない。会社のやり口に疲れたチーム長は、ある日車の中で遺書を残して自殺する。その遺書を口外しないという書類にサインしないとボーナスは出ないと言われる。最後までサインしなかったソヒも、直接上司が何人も来て迫られればサインするしかない。
(ソヒは湖で自殺する)
 仲間どうしで競わされ精神的に追いつめられたソヒは、ついに自殺にまで至る。これはフィクションではなく、2017年に実際に起きた事件を基にしているという。映画は内容的に2部に分かれていて、ソヒの苦悩を描く前半が終わると、その事件をペ・ドゥナが警官として担当する後半が始まる。捜査を止めるように上司から求められながら、事件の真相を求めて家族や友人、さらには会社や学校まで訪ね回る。その結果判明するのは、事件は明白な「犯罪」とは言えないが、関係者は皆競争させられていて、自分たちは仕方なく「上」の求めでやっていたと言い張る姿である。

 学校は「就職率」で予算が増減されると言い、もっと上の教育庁に行くとやはり各地の教育庁ごとに競わされているんだと言う。ソヒの高校は全州でも中の下ぐらいの成績らしい。生徒はほとんど高卒で就職し、その行き先で学校も評価される。大手系列のコールセンターは中では良い方だというが、実は約束された給与は成績率に左右される部分が多く、実際は大きく引かれてしまう。「離職率の高さ」も異常で、700人以上新規で入って、700人以上辞めているらしい。求人票には「離職人数」が明記されているので、それをきちんと理解する指導を行っていないのだろうか。
(チョン・ジュリ監督)
 映画の内容がどうのという前に、この映画は他人事には思えなかった。高卒で勤め始めてすぐに遅くまで残業を強いられることは日本でも多いと思う。それでもまだ日本は、生徒の就職率で学校予算が増減され、それによって教員給与も変わっていくなんてことにはなってない。だが日本の学校や会社でも同じように「競争」させられることは変わらない。

 それに何でもウェブ上で出来そうに見えて、実は解約みたいなことは電話しないとダメなことも多い。その電話番号もなかなか判らない。ネットで調べると、どこかに小さく書いてある。そこに掛けても、なかなかつながらない。そういうことは僕もこの間何回も経験した。(母親の携帯電話やカードの解約が難しいのである。)多分全世界共通の事態ではないかと思うが、この韓国で起きた悲劇は止められたはずなのである。われわれが住む世界はどこで間違ってしまったのか。沈鬱なトーンが全編を覆うが、考えさせられることが多い映画だ。
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タレントに「罪」はあるかージャニーズ問題③

2023年09月24日 22時53分08秒 | 社会(世の中の出来事)
 「ジャニーズ問題」3回目で一端終わり。最後に「タレントに罪はあるか」というテーマを考えたい。この問題に関しては、ジャニーズ事務所所属タレントを企業CMで起用するべきか(というか、今起用しているタレントを継続するか)に関して、財界でも大きな問題になっている。現時点では2つの考え方があり、一つは新浪剛史経済同友会代表幹事(サントリーホールディングス社長)による「児童虐待に対して真摯に反省しているか、大変疑わしい。ジャニーズ事務所を使うと、児童虐待を認めることになる」(9月12日)というものである。僕はこの発言を聞いて新浪氏の「マイナ保険証」発言を思い出した。「紙の保険証廃止」を「納期」と表現して、政府に「納期を守れ」と迫った発言である。これは高齢者や障害者への虐待を認める発言じゃないのか。
(新浪氏の発言)
 それに対して十倉雅和経団連会長(住友化学会長)は「ジャニーズのタレントの人たちはある意味、被害者であって加害者ではありません。彼らが日々研鑽(けんさん)を積んでやっている人、それの(活動)機会を長きにわたって奪うことは問題」と発言した。これは新浪氏の発言と全く逆方向の考え方と言える。「ジャニーズ所属のタレントは商品や製品といった“モノ”とは違う」「タレントの救済策を時間をかけて検討すべき」とも主張している。
(十倉氏の発言)
 タレントはモノではないというのは間違いないが、しかし企業トップの不祥事で会社が危機に陥り、時には倒産してしまうということは今まで何度も起こってきた。タレントの関わる問題でも、監督や共演者のスキャンダル(セクハラが公になるとか薬物使用で逮捕されるとか)でせっかく完成した映画がお蔵入りしてしまったなど、近年もあった。そういうことを考えると、所属事務所にスキャンダルがあっても、所属タレントは全く影響なしに活躍出来るというのもおかしな話ではないか。ある程度の影響は避けられないのだが、最終的には「ファンを含めた世論がどう考えるか」が決めるだろうと思う。

 「ジャニーズ事務所」そのものは、日本経済においてそんな大きな存在じゃないだろう。しかし、日本の企業は現在では単に「モノを売る」のではなく、「夢」や「イメージ」を売っている。品質も全く無関係ではないが、ある程度成熟した産業社会では、どの会社の製品を選んでも大差はない。そうなると、宣伝に起用するタレントの影響力が大きくなる。また政府も経済浮揚のため五輪や万博など大型イベントを誘致するが、その盛り上げのために人気タレントに頼っている。日本経済にとって「芸能事務所」は不可欠の存在になっている。そういうあり方はおかしいと言っても、当面どうしようもない。

 芸能タレントの方も、そのような「利用される存在」であることを自覚して、どんな色にも染められるように「無色透明」を心がけるようになる。外国(特にアメリカ)と違って、政治的問題を発言することは控えることが多い。今は大学を出ている人も多いから、クイズ番組に出演して博識を披露することもある。だけど、それはどうでも良いような知識量を競う番組で、国際政治や人権問題を問うことはない。こういう日本の芸能界のあり方自体を再考する必要がある。そういうタレントのあり方がロールモデルとなって、芸能界を目指す若い人々も自ら考えないことになる。

 「タレントに罪はあるか」と題したが、法律的な意味では「罪」がないことははっきりしている。だが倫理的な意味では、「罪」に対する考え方が人それぞれで違うから何とも言えないところがある。例えば、大学や高校で不祥事が起きて、その年の卒業生の就職に影響があるというようなことはあってはならない。だけど、いじめや体罰が横行する学校だとして、そのことに直接的な責任はないとしても、「いじめに対して黙っていた」という場合はどうか。ある程度倫理的な責任はあると言えるかもしれない。

 ジャニーズ事務所の場合、内部からも外部からも「噂としては知っていた」という人ばかりである。どういうレベルの噂かにもよるが、仲間うちで人権侵害が発生していて、当時としては一タレントが公に出来ることはなかったかもしれないが、「何もしなかった」というのではマズいのではないか。それは多くの会社や学校でも似たような問題があるはずだ。「声を挙げるべき時に挙げなかった」のは、犯罪ではないけれど倫理的な責任はある。ジャニー喜多川氏存命中は確かに声を挙げられなかっただろうが、ジャニーズ事務所危急存亡のときにあたっても、自分たちで考えて動き出さないとすれば問題だろう。

 マスコミでも芸能界でも「本当は知っていた」という人がいっぱいいるらしい。それを聞いて思い出すのは、1974年当時の田中角栄首相の「金脈問題」である。雑誌「文藝春秋」が「田中角栄研究」という特集を行い、立花隆氏による緻密な「金脈」調査が掲載されたが、新聞やテレビは全く報じなかった。この時も「あの程度のことは政治部の記者は皆知っていた」などと言われていた。それが外国特派員協会での田中首相の記者会見で、金脈問題への質問が殺到して、初めて日本のマスコミも報道したのである。今回もBBCが報じて初めて国内でも問題になった。つまり、日本社会の構造は半世紀経っても大して変わってない。僕の世代では変えられなかったのだと思うしかない。
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「同族経営」と「優越的地位」ージャニーズ問題②

2023年09月22日 22時42分32秒 | 社会(世の中の出来事)
 「ジャニーズ問題」2回目。「外部専門家チーム」の調査結果は、経営陣の責任を問い社長交代を求めるなど踏み込んだ対応を求めていた。それを受けて行われた9月7日のジャニーズ事務所の記者会見で、藤島ジュリー景子社長が退任して東山紀之氏が新社長に就任すると発表された。しかし、社名変更はしないなどの対応が疑問視されていて、CMへの所属俳優出演を取り止める会社も出ている。2回目はこの問題を「会社経営」の視点から考えたい。
(ジャニーズ事務所の記者会見)
 ところで、2023年夏に突然マスコミで大問題になった会社はもう一つあった。中古車販売大手の「ビッグモーター」という会社である。保険金の不正請求に始まり、各地の店前の街路樹が不自然になくなっている(会社の土地でもないのに除草剤を撒いていたらしい)とか、保険会社大手の損保ジャパンとの不明朗な結びつきなど、いろいろと波及している。前者は警察が捜査に乗り出し、後者は金融庁がビッグモーター、損保ジャパンに立ち入り検査をする事態にまで発展している。
(ビッグモーターの記者会見)
 この二つの会社の問題には共通点がある。一つは「同族経営」で、創業者一族が株を100%所有しているということだ。だから前の社長が退任して経営者が変わっても、会社の所有者は変わらない。創業者一族が経営の責任を担ってきて、長い間に「トップを誰も止められない」という経営風土が形成されてきたのだろう。確かに会社の成長期には、創業者の素早い経営判断が生かされた利点もあったのだと思う。しかし社会的に大きな存在になっても、「コンプライアンス」(法令順守)意識が薄く、人権問題への関心が低い。人権問題に対応する部署、あるいは外部の知恵を借りる仕組みも存在しない。そういう会社は多いのではないか。

 もう一つ、こういう言い方は少し不適切かもしれないが、問題の内容が「商品に手を付ける」という点で共通していると思う。ビッグモーター社は故障車の修理時に、さらにわざと傷を付けて過大な保険金を請求していた。ゴルフボールで傷を付けている画像が拡散され、それに対し社長が「ゴルフに失礼」と言ったのも余りにズレていた。失礼なのはゴルフじゃなくて、傷を付けられた自動車の方だし、その所有者の「お客様」に対してだろう。一方のジャニー喜多川氏の場合、長期にわたって自社に属するタレント候補に性加害を繰り返していたとされる。これでは「組織犯罪としての性加害」とみなされてもやむを得ないのではないか。

 もちろん所属タレント(候補)は「商品」ではなく、人間である。長年苦楽をともにする中で、芸能事務所関係者(マネージャーなど)と所属歌手、俳優などが恋愛関係になることは決して珍しくない。だから、同性間であれ、年齢差があれ、そこに「真実の愛」が発生しないとは言い切れない。だがジャニー氏の場合は、そういうものではない。これほど多くの「被害者」、それも問題発生時は「少年」だった人々が声を挙げるということは、単なる「性犯罪者」だったのだろう。

 問題の性格から外部で行っても問題だが、その場合は「経営トップの個人犯罪」と言える。しかし、実際のところは素晴らしき業績を上げた芸能事務所は、「犯罪組織」という「裏の顔」を持っていた。そう言われてもやむを得ないだろう。その現実が何故長い間暴かれなかったのか。それは姉のメリー喜多川(藤島メリー泰子)副社長(2019年のジャニー氏没後は会長)の「隠ぺい」と「圧力」があったからだと思われる。(なお、「藤島」はメリー氏の夫である作家藤島泰輔氏の姓である。)

 よくマスコミの「忖度」(そんたく)などと表現されるが、忖度は自ら相手におもねる場合である。最初に使われた森友学園問題は、国有地払い下げに関する「背任」事件だし、ジャニーズ事務所の場合は人気グループを多数抱えている「優越的地位」を利用した「独禁法違反」事件だ。それがはっきり判ったのは、SMAP解散後に事務所退所者が全然テレビなどに出なくなった時だった。次第にそうでもなくなってきたけれど、やっぱり芸能界はおかしいんだなと僕は思った。

 ジャニーズ事務所ばかりでなく、事務所を変わった俳優、歌手が事実上「干される」(としか思えない)ケースはいっぱいある。また内容は違うが、数年前に問題化した吉本興業のケース(契約書もないままだった)など、その後どう改善されているのだろう。大手マスコミというが、日本の場合テレビ各局は新聞社の系列下にあり、ネットニュースだって大部分は新聞社の記事である。大手事務所が系列のテレビ局にタレントを出演させなければ、非常に困るだろう。ジャニーズ事務所や吉本興業は、事実上独占企業に近い。本来は公正取引委員会がもっと規制に乗り出すべき問題なんじゃないかと思う。
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人権侵害が「発見」されるまでージャニーズ問題①

2023年09月21日 23時31分45秒 | 社会(世の中の出来事)
 ここで世の中のすべての問題について書くわけにはいかない。だから、いわゆる「ジャニー喜多川氏による性加害問題」も一度も書いてない。だけど間違いなく2023年の重大ニュースになっているので、何回か書いておきたい。ただ、自分には「ジャニーズ事務所は今後どうあるべきか」には特にまとまった考えがない。(はっきり言ってしまえば、どうなっても構わないのである。)人権問題の取り上げ方、取り上げられ方について、ちょっと違った角度から考えてみたいのである。

 副題を「ジャニーズ問題」としたが、ジャニー喜多川氏個人に関わる問題と、組織としての「ジャニーズ事務所」の問題は密接に結びついていると考えている。それを細かく書き出すと面倒なので、まとめて簡単に「ジャニーズ問題」としただけで、それ以外の意味は特にない。僕は「ジャニーズ事務所」に所属する(した)芸能人にほとんど関心を持ってこなかった。10代、20代の頃には関心がある俳優や歌手がいたけれど、誰がどの事務所に属しているかなんか僕は知らなかった。

 ファンクラブに入るほどの人は知ってるんだろうけど、そうじゃなければ知りようもなかったと思う。今はインターネットですぐ調べられるようになった。調べてみると、僕の周りで同級生や生徒たちが騒いでいたあのグループも、あのグループも皆ジャニーズ事務所だったのかと知った。国民的アイドルといわれた「SMAP」が登場して、さすがに僕も全員名前を知っていて、その頃から「ジャニーズ事務所」の特権的な位置が形成されたと思う。ちょっとカッコいい生徒は「ジャニーズ」なんて言われていた。

 「ジャニー喜多川」という人にも特に関心がなかったが、やはりショービジネスに関する才能は非常に大きなものがあったのだと思う。何やらいろいろ「噂」があるらしきことは聞いたような気もするが、その問題は恐らく「同性愛」というものだろうと思っていた。外部の人が問題の大きさに気付く機会もなかった。今回「外部専門家による再発防止特別チーム」の調査結果が公表されて、初めてその深刻な被害の全貌を理解したということだ。
(特別チームの調査結果発表)
 そこで提示された問題は、「長期にわたる少年に対する性的虐待」と「組織的な隠ぺい構造」というものだった。このようなケースは世界で初めてではない。カトリック教会の神父による少年への性的虐待は、非常に大きな問題となった。映画にもなり、アメリカ映画『スポットライト』やフランス映画『グレース・オブ・ゴッド』を見ると、被害者の苦悩や隠ぺい問題の構造など、非常にそっくりなことが判る。またイギリスでは、2011年に死去した有名なテレビ音楽番組の司会者ジミー・サヴィルが、死後になって多くの男女児童に性的虐待を繰り返していたことが発覚した。
(ジミー・サヴィル)
 この人物は有名音楽番組や子ども向け番組の司会者という立場を利用して、少年少女数多くをレイプしていたとされる。非常に有名な人物だったらしく、ナイトに叙されて王室とも親しかった。地元の病院でヴォランティアや寄付金集めを行って、その「慈善活動」も高く評価されていた。ところが恐るべきことに、ヴォランティア先の病院でも虐待行為があり、5歳から75歳まで105人の犠牲者がいたとされる。また死体の義眼を取って指輪を作ったり、霊安室で死体性愛を行っていたとウィキペディアに出ている。サヴィルはBBCの楽屋で性的暴力を加えていて、悪い噂がありながらもBBCは事実上隠ぺいしたと言われる。今回BBCが最初に「ジャニー喜多川の性加害問題」を取り上げたのは、この事件が背景にあったのである。

 このような性的問題、特に子どもに対する場合はなかなか表沙汰になりにくい。さらに同性間の虐待行為の場合は、法的な扱いはともかく、被害者側も「同性愛嫌悪」にさらされる恐れがある。他にも似たような例が外国にあるようだ。だからどうだこうだと言いたいわけではないが、世界各国で「恐るべき人権侵害」と認識されるまで長い時間が掛かったのだ。人権問題、社会問題は、ある日「発見」されるまで時間が掛かる。それは昨年大問題になった「旧統一協会」問題を見れば判る。ずっと追い続けていた少数の人がいたが、多くの人はもう忘れていたのである。

 「ジャニーズ問題」では、「男性の性被害」が2017年まで法的に禁止されていなかったことが大きいと思う。性犯罪に対する法(刑法の中の性犯罪の条項)は近年大きく改正された。特に2017年に「強姦罪」が「強制性交等罪」になり、2023年に「不同意性交罪」に変わった。その問題にはここで触れないが、皆がきちんと理解しておく必要がある。ところで2017年までの「強姦罪」は「暴行又は脅迫を用いて十三歳以上の女子を姦淫した者は、強姦の罪とし、三年以上の有期懲役に処する。十三歳未満の女子を姦淫した者も、同様とする。」となっていた。つまり、「女子」に対する「姦淫」のみが犯罪だったのである。

 現在の条文では「性交、肛門性交、口腔性交又は膣若しくは肛門に身体の一部(陰茎を除く。)若しくは物を挿入する行為であってわいせつなもの」を処罰対象としている。従って、現行法ではジャニー喜多川氏の行為は、発覚すれば違法行為となっただろう。しかし、2019年に亡くなっているジャニー喜多川氏の性加害は、そのほとんどは法的に罰することが出来ないものだった。(被害者の年齢によっては、児童福祉法などに該当する場合はある。)

 これは「男性に対する性的虐待」という問題がまだ社会的に認知されていなかったことを示している。だから問題じゃないと言いたいのではない。いつの時代でも被害者は苦しんでいた。だが「個人の被害」が「社会的な人権問題」と皆が認識するまでには時間差があるのである。その典型として、自分が関わったことでは「ハンセン病問題」が挙げられる。僕は隔離を廃止する法律、あるいは国賠訴訟判決前から、療養所に行っていたから、この問題は憲法違反だと思っていた。だがその時点ではマスコミは全く報道していなかったのである。誰もが知っていたが「深刻な人権侵害」と認識されていなかった。

 今もなお、知られざる深刻な人権侵害が、日本や世界に数多くあるはずである。政府が進めている政策は実は憲法違反かもしれない。警察が発表した逮捕報道も、実は冤罪かもしれない。そういう目で見ていくということが大事なんじゃないかと思う。SNSなどで間違った投稿をしてしまう、あるいは「いいね」をクリックしてしまうことなどは誰でも起こりうる。自らもまたいつ人権侵害をする側になるか、気をつけていく必要がある。
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映画『バービー』、グレタ・ガーウィグの才気横溢だが…

2023年09月20日 22時32分42秒 |  〃  (新作外国映画)
 映画『バービー』(Barbie)は日本ではそれほどヒットせず上映も終わりつつあるが、今年公開された映画の中でも極めつけの「問題作」に違いない。すでにワーナー映画史上最高のヒット作になり、女性監督作品として史上最高のヒットになった。確かにグレタ・ガーウィグの脚本、監督には才気がみなぎっている。この映画は8月に見たけど、今ひとつ見極めが難しかった。暑い日々が続き、疲れて途中でウトウトしてしまったこともある。ヴェトナムやフィリピンで問題になった「九段線」(中国が主張する領海を示す地図)がどこに出ていたか判らなくてもう一回見ようと思った。また見ても今度も判らなかったけど。

 グレタ・ガーウィグ(Greta Celeste Gerwig、1943~)は『フランシス・ハ』以来僕のお気に入りで、監督作『レディ・バード』も『ストーリー・オブ・マイ・ライフ』も素晴らしく面白かった。今回の作品も自ら脚本を書いていて、冒頭の『2001年宇宙の旅』のパロディからノリにノっている。画面はピンク一色で、映画史上最もピンク色が氾濫した映画だ。そこは「バービーランド」で、女性は皆「バービー」、男性は皆「ケン」と呼ばれる「バービー人形」の国なのである。その国ではバービーが大統領も務めているし、最高裁判事も皆バービー。ケンは単なる「浜辺の人」である。
(バービーランドを一望)
 「定番バービー」(マーゴット・ロビー)は、考えること苦手系のカワイイだけの人形で、毎日毎日パーティに明け暮れるハッピーな日々を送っていた。しかし、何だか最近どうも変なことが起きている。「死」を意識するとか、足がフラットになっちゃうとか、困ることが多い。町外れに住む「変テコバービー」を訪ねると、持ち主の悩みが人形に移っているんだと言われる。それを直すには「リアル・ワールド」に行って、持ち主を見つけるしかないと言う。ここまでの進行が実にゴキゲンである。
(現実世界を目指すバービーとケン)
 バービーに気があるケン(ライアン・ゴズリング)も隠れて付いて来てしまい、二人はバービーランドから現実世界のカリフォルニアにやって来る。そこはバービーランドは全然違っていて、何やら判らぬがバービーは嫌らしい視線を浴びる。工事現場なら女性だけだと思うと、男ばかり。どうもおかしい。何とか学校で持ち主のサーシャを探し当てるが、彼女からはバービー人形は時代遅れで、女性の地位向上を50年遅らせた「ファシスト」だと罵倒される。しかし、彼女を迎えに来た母親のグロリアこそが子どもの人形で遊んでいた人間で、彼女の不安がバービーに伝染していたと判る。

 この間、ケンは現実社会は男性優位社会であることを知り、今までのバービーランドはおかしかったと思う。一方、マテル社(バービー人形の発売元)ではFBIからバービー人形が人間界に紛れ込んでいるから捕まえろと連絡が来て大騒ぎ。バービーとケンにマテル社幹部もバービーランドに集結して大混乱。ケンに洗脳されてバービーランドは男優位に変えられそうになるが、バービーたちは策をめぐらして男たちを分裂させようとする。そして最後は「個」を大事にする社会をともに作ろうという大団円。だけど、バービーはケンと結ばれるのは何かおかしいと思う。そして驚くべき決断をして、新しく生き直そうとするのである。
(演出中のガーウィグ監督)
 この後半の展開が図式的で今ひとつ面白くないと思う。バービーの「大演説」は、人形世界の出来事をミュージカル・コメディの形で訴える。しかし、内容的には「先進国」のフェミニズムそのもので、日本では特に新味がない。しかし、これが非常に刺激的な社会もあると思う。中国などで好調なのは普段は言いにくい主張を代弁しているからだろう。それに対して、中東世界で禁忌とされる「同性愛」が出て来ないのに上映禁止国が多い。いろいろ理由を付けているが、このような「多様性擁護」に危険な匂いを感じるのだと思う。いろいろと世界各国の状況をうかがえる映画でもある。

 では、日本では何故あまり話題にならないのだろうか。バービー人形に思い入れがないことが一番。楽しいフリして完全なフェミニズム映画だから、カップルで見てただ楽しめる映画じゃない。日本で受けにくいタイプの映画だろう。僕は完成度的に今ひとつと判断するが、この映画を見逃してはいけない。グレタ・ガーウィグの才気を十分楽しめる。今年の最も重要な映画の一つとして、いろいろと議論されるだろう。賞レースでも、いくつもノミネートされるに違いない。(なお、2019年にノア・バームバック監督との子を出産したグレタ・ガーウィグが重要作を任されるアメリカと比べて、呉美保監督が長編作品から遠ざかっている日本映画界には改善すべき点が多い。)
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映画『アステロイド・シティ』、ウェス・アンダーソン監督の怪作

2023年09月18日 20時26分48秒 |  〃  (新作外国映画)
 コンスタントに映画を作っているが、ここではあまり書いてない監督が何人かいる。アメリカのウェス・アンダーソン(Wes Anderson、1969~)もその一人で、嫌いじゃないが不思議な設定に戸惑う映画が多い。「日本」が舞台のSFアニメ『犬ケ島』(2018)など変すぎて困った。いま思えば『グランド・ブダペスト・ホテル』(2014)を見るのが遅れて、書く時期を逸したのが残念だった。ベルリン映画祭金熊賞、アカデミー賞4部門受賞の波瀾万丈の傑作である。

 前作『フレンチ・ディスパッチ ザ・リバティ、カンザス・イヴニング・サン別冊』(2021)も魅力的ながら、とても変な映画だった。「新聞」作りがモチーフで、アメリカの新聞がフランスの架空都市で出す別冊の最終号という設定。いろんなエピソードが面白いが、ちょっとまとまりがないと思って書かなかった。今回の『アステロイド・シティ』(2023)は「演劇」作りがモチーフで、お芝居を作っていく過程を見せるという体裁で、描き割りのセットの中で奇妙な物語が進行する。

 どんな変な物語かは、映画の紹介をコピーした方が早いだろう。「時は1955年、アメリカ南西部に位置する砂漠の街、アステロイド・シティ。隕石が落下してできた巨大なクレーターが最大の観光名所であるこの街に、科学賞の栄誉に輝いた5人の天才的な子供たちとその家族が招待される。子供たちに母親が亡くなったことを伝えられない父親、マリリン・モンローを彷彿とさせるグラマラスな映画スターのシングルマザー――それぞれが複雑な想いを抱えつつ授賞式は幕を開けるが、祭典の真最中にまさかの宇宙人到来!?この予想もしなかった大事件により人々は大混乱!街は封鎖され、軍は宇宙人出現の事実を隠蔽しようとし、子供たちは外部へ情報を伝えようと企てる。」
(アステロイド・シティ風景)
 アステロイド(asteroid)は「小惑星」の意味。ネヴァダ州にある人口87人の小さな町とされる。1955年当時はまだ行われていた大気圏内核実験が時々見える。その小さな町で「ジュニアスターゲイザー賞」という天文分野で業績を挙げた若者に与えられる賞の授与式が行われる。そこに妻が亡くなったばかりの戦場カメラマン(ジェイソン・シュワルツマン)や有名女優ミッジ・キャンベル(スカーレット・ヨハンソン)らが集まってくる。いずれも子どもが「超秀才」で、受賞者なのである。
(ミッジとオーギーは隣同士)
 子どもたちは歴史人名を順に挙げていくゲームをするが、その際今までに言われた人名もすべて最初から言うルールにする。オーギーの息子は「北条時行」と言うが日本人だって知らないだろう。鎌倉幕府最後の執権北条高時の子で、「中先代の乱」を起こした。そんな超秀才たちが授賞式のためだけに来たつもりが、トンデモ事件に巻き込まれて町が閉鎖されてしまう。そんなこんなの大混乱に、大人たちと子どもたちは様々な行動を取るのだが…。人口的なセットや色彩設計の中で物語が進行して、カメラは移動やパンなどを繰り返す。まるで舞台上を撮影したような映画だが、では実際の砂漠でロケをすれば良かったのかと言えば違うだろう。
(オーギーと義父)
 それは人口的な設定にして現実性を削ぐことで成立した「痛みの記憶」が真のテーマだからだ。核実験を背景にして、天才児を持った親たちの現実が語られる。戦場カメラマンは義父(トム・ハンクス)と不仲で、子どもたちはこの小さな町に母親の骨を埋めようとしている。ミッジにはアザがあるが、それはメイクだと言い張り、ここでもセリフのレッスンをしている。まるで現実感がない世界で起きていることが、でもわれわれにも通じる。それは「物語」的な進行はせず、エピソードの連鎖として、われわれの人生そのものように描かれる。評価しない人もいると思うが、こういう映画もあって良い。
(ウェス・アンダーソン監督)
 いつものようにオールスターキャストである。トム・ハンクスやスカーレット・ヨハンソンだけでなく、エイドリアン・ブロディ(『戦場のピアニスト』)やティルダ・スウィントンウィレム・デフォーエドワード・ノートンマーゴット・ロビーなども出ているが、見ている時はほとんど気付かなかった。ウェス・アンダーソンの映画は監督の美学と世界観に浸るためにあり、僕はこの監督の映画としてはかなり満足出来た。好き嫌いがあるから、無理に勧めないけれど。
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『証言集 関東大震災の直後 朝鮮人と日本人』(ちくま文庫)を読む

2023年09月17日 22時32分36秒 |  〃 (歴史・地理)
 関東大震災関連の本を読んできて、これが最後。西崎雅夫編『証言集 関東大震災の直後 朝鮮人と日本人』(2018、ちくま文庫)を読んだ。先に書いた江馬修羊の怒る時』の解説(西崎雅夫)の最後に、この本が紹介されていた。そう言えば、持ってたはずだと思って探したけど見つからない。あっちこっち探し回って、何のことはないすごく近いところに積まれていた。この本は基本的には証言集なので、全員が読むというのは無理があるだろう。しかし、様々な「証言」を積み重ねることで「量が質に転化する」凄みがある。この問題に関心がある人ばかりでなく、学校現場の「自ら考える授業」などで是非使って欲しい本だ。

 この本は6つのパートに分かれている。「子どもの作文」「文化人らの証言 当時の記録」「文化人らの証言 その後の回想」「朝鮮人の証言」「市井の人々の証言」「公的史料に残された記録」である。人間ひとりひとりの見聞は狭いわけだが、関東大震災レベルの出来事になれば、非常に多くの人々が様々に書き留めていた。それを集合することで、ある程度全体像を再現出来るわけである。例えば、子どもの証言は一つ一つを検証すれば、思い込みや理解不足もあるはずだ。だが、学校で書いて公的に残された作文集などを通して、いかに「朝鮮人さわぎ」が恐怖だったかがよく判るのである。

 文化人の中では、志賀直哉、芥川龍之介、寺田寅彦、和辻哲郎などの他、今はあまり知られていない人物もいる。また、その後の回想には戦後に書かれた自伝なども集められている。それらの証言は文章を書く人がまとめたものだから、最初に出てきた子どもの作文を大人の目で理解しやすくしている。ところで、芥川龍之介大震雑記」は、今では内容的にちゃんと読めない人がいるらしい。

 「僕は善良なる市民である。」と始まり「しかし僕の所見によれば、菊池寛はその資格に乏しい。」「そのうちに僕は大火の原因は○○○○○○○○そうだと云った。すると菊池は眉を挙げながら、「嘘だよ、君」と一喝した。僕は勿論そう云われて見れば「じゃ、嘘だろう」と云う外なかった。」この調子でまだまだ続くが、これを芥川が「朝鮮人犯行説」を信じていた証拠と読む人がいるらしい。リテラシー(読解能力)の大切さをよく示す例だろう。短文だから是非読んでみて欲しい。

 圧倒的なのは、「市井の人々」の証言だろう。被害者側の「朝鮮人」の証言もあるが、数としては少ない。一方「市井の人々」は120ページもあって、54人もの証言が収められている。この場合、注意するべき点は「生き残った人しか証言できない」ということだ。多くの人が「朝鮮人に間違えられた」という恐怖体験を語っている。しかし、何とか逃れることが出来たために、後になって証言出来たのである。中には証明出来なかった人もいるはずだ。例えば聴覚障害者が犠牲になったケースもあるが、そういう人は証言出来ないのである。

 地域的には東京東部(東京市外)が火災も虐殺も多かった。当時の東京市は15区で、現在の新宿、渋谷、池袋なども市外(新宿、渋谷=豊多摩郡、池袋=北豊島郡)だった。江馬修は西側の東京市外に住んでいて、そのため火災にはあわずにすんだ。一方、隅田川の東では本所区(現墨田区南部)、深川区(現江東区西部)までが市内だった。JRの駅で言えば、錦糸町までが市内で、亀戸から市外の南葛飾郡である。そこが東京最大の工業地帯であり、労働運動も盛んだった。また1913年から荒川放水路の掘削工事が始まり、震災翌年の1924年に岩淵水門が完成して放水路への注水が開始された。

 このような工場や工事があり、零細な朝鮮人労働者は東部地域に多かった。一帯が焼失し、逃げていくためには川を渡らなければならない。四ツ木橋や小松川橋を目指すことになり、亀戸署や寺島署管轄地域に朝鮮人が集結して悲劇が起きる。また「亀戸事件」(労働運動家の虐殺事件)が起きたのも、たまたまではなくそれ以前から労働運動と警察の対立が続いていたのである。しかし、本書では東京東部の証言が思ったよりも少ない気がする。それは虐殺事件が一番多かった地域では被害者は証言出来ないのである。そういうことに注意して読む必要がある。
(西崎雅夫氏。追悼碑の前で。)
 多くの証言でよく判るのは、「社会主義者」と「朝鮮人」の虐殺は別々のものではなく、密接に結びついていたことである。当時の言葉で言えば、「主義者」と「不逞鮮人」である。(権力者側も「国家主義」や「天皇制絶対主義」などの「主義者」だったはずだが、当時それは「主義」とはされず、国家に反逆する「社会主義」や「無政府主義」だけが「主義」だったのである。また「朝鮮人」の「朝」は「朝廷」に通じるとして、下を取って「鮮人」と略称された。朝鮮を「鮮」と略すのは差別表現である。)

 外国と結んで「日本」を滅ぼそうとする「主義者」、その手足となって放火や暴動を起こす「不逞鮮人」というセットで「陰謀」が成り立つ。双方が「敵」であり、日本人であっても長髪だった画家や作家などは「主義者」と疑われて、自警団の検問でひどい目にあったことが多い。このような「陰謀論の構造」はどこかしら現代のそれと相通じるものがある気がする。「主義者」と「不逞鮮人」の「暴動」は、直接見た人が誰もいないのに、多くの人が信じてしまったこともこの本で判る。缶詰を持っていると「爆弾」、小麦粉を持っていると「毒薬」など、一度疑い出すと何でも疑惑の対象となる。

 と同時に、誰もが虐殺に関与したわけではない。多くの人はそこまでは出来ない。怪しいとしても確証はない、怪しければ警察に突き出せば良いなどと思っていた人が多いようだ。(「わが町を守るため自分が殺した」という証言は一人もない。)それに対して、突然暴力を振るう人が現れた。そもそも「武器」を持って自警団に集結して、「天下晴れての殺人」だと思っているのである。そういう人はどんな人々だったのだろうか。仮に「敵」とみなしたとしても、人間に向かって「鳶口」を頭に振りかざすことなど、慣れている人じゃないと不可能だ。

 軍隊経験があり(地域では「在郷軍人会」に組織され)、職業としては職人や小商店主など「労働者」や「旧中間層」に属する。都市の下層で、自分の生まれ住む「地元」意識が強く、労働力として競合する朝鮮・中国人を嫌っていた。そういう日常的に鳶口などを使い慣れた人々を想定出来るかと思う。これは恐らく20年後に「日本ファシズム」の支え手となった層(丸山真男の分析)と重なる部分が多いのではないか。そこら辺はもっと細かな分析が必要だが、証言を読んでいくと「どこでも似たような構図で虐殺が起きている」「同じようなタイプの人が虐殺を始めている」という印象を持つのである。
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志ん生没後50年追善興行で、五街道雲助を聴く

2023年09月15日 21時41分11秒 | 落語(講談・浪曲)
 新宿末廣亭9月中席は昼夜通じて「古今亭志ん生没後五十年追善興行」をやっている(20日まで)。合わせて志ん生長男の10代目金原亭馬生没後40年、次男古今亭志ん朝23回忌2代目古今亭円菊13回忌を追善すると同時に、一門の五街道雲助人間国宝認定記念まで加わった。これは行ってみたいなと思って、14日に久しぶりに末廣亭に行った。夏に行きたい寄席はいっぱいあったのだが、喪に服していたわけでもないけど、忙しいからしばらく控えていた。
 
 朝日新聞の記事によると、この「大法事年」に気付いたのは、古今亭菊之丞で、11代目金原亭馬生と相談して企画したという。その菊之丞が二つ目2人に続き、早くも3人目に出て来る。幇間(ほうかん=太鼓持ち)が主人公の「法事の茶」という噺。不思議な茶を手に入れた幇間が客の前で茶をよく焙じると、アラ不思議、念じた人物が出て来る。歌舞伎役者の中村歌右衛門に続いて古今亭志ん生が出てくる。要するに物真似だが、さらに先代林家正蔵や立川談志などが出て来る。一端そでに引っ込んで、それらしき雰囲気で出直してくる。客席は大受けだった。よく焙じないとダメなお茶である。
(古今亭菊之丞)
 前座は別にして、一番最初が金原亭杏寿、続いて桃月庵黒酒と二つ目。次が菊之丞で、それから金原亭駒三(「替わり目」=酔っ払いと車引きの噺)、桂やまとに代わって古今亭菊千代(「たぬき」)、漫才の笑組をはさんで、古今亭志ん雀2代目金原亭馬の助(「九年母」)と、古今亭一門には色物が少ない。中入り前の3代目古今亭円菊の頃には疲れていてウトウト。泥棒の噺だったと思うけど。この一門は本格派で古典が多いんだなと判った。

 「お中入り」を経て、その後は座談会である。ここだけ最後に写真撮影が可となった。毎日ゲストが出て来るらしいが、この日はゲストなし。下の写真で左から、古今亭菊春(司会)、五街道雲助、金原亭馬の助、古今亭円菊の4人。志ん生は何しろ没後半世紀経ってるので、知ってる人が少ない。五街道雲助は1968年に金原亭馬生に入門したから大師匠の晩年を少しは知ってるはずだが、あまり語らなかった。金原亭馬の助は1965年に初代馬の助入門なので、一番古い。志ん生晩年には上野鈴本で幕引きをした話などおかしかった。志ん朝は打ち上げ途中で、皆が麻雀していると二階へ上がって稽古していたという。16日夜には池波志乃(先代馬生の娘)、中尾彬夫妻も出るという。
(座談会の様子、左から二人目が五街道雲助)
 全員書いても仕方ないが、古今亭菊春(「お花半七」「宮戸川」前半=親から締め出しをくった男女)、古今亭菊太楼(「まんじゅうこわい」)、合間に奇術の松旭斎美登・美智、漫談のぺぺ桜井が出て、いよいよトリの五街道雲助である。今日は若手も多かったが、トリとなると、いやさすがに「人間国宝」(重要無形文化財保持者)、「レベチ」だなと思った。演目は「抜け雀」という貧乏絵師が貧乏宿屋に泊まって、宿代代わりに雀の絵を描くと、その雀が朝に絵から抜け出て餌を取り、また絵に戻るという不思議…。口跡がはっきりしてて、聴いていて耳に快い。何度も聴いてる雲助だが、改めて名人だなと思った。
(五街道雲助)
 僕の若い頃から、何度か落語や漫才のブームがあった。その中で落語の「昭和の大名人」と言えば、桂文楽(8代目)、古今亭志ん生(5代目)が挙げられる。文楽は1971年、志ん生は1973年に亡くなったから、もちろん僕はナマで聴いたことはない。でも、そういう名人が亡くなって大ニュースになったのは覚えている。その後、志ん生長男の10代目金原亭馬生(1928~1982)、次男の3代目古今亭志ん朝(1938~2001)が思わず早く亡くなって、古今亭一門が地盤沈下したのは否定出来ない。特に志ん朝は存命ならば志ん生を襲名した上で、人間国宝に加えて東京落語界初の文化勲章も夢じゃなかっただろう。
(古今亭志ん生)(古今亭志ん朝)
 僕もよく知らないので、主にウィキペディアで調べてみる。古今亭一門では弟子が「古今亭」を名乗っていない人も多い。代表が長男の金原亭馬生だが、その弟子に五街道雲助(6代目)、むかし家今松(7代目)、吉原朝馬(4代目)などがいて、落語に詳しくないと一門とは判らない。その雲助の弟子が、桃月庵白酒(3代目)、隅田川馬石(4代目)、蜃気楼龍玉(しんきろう・りゅうぎょく、3代目)で、今後の東京落語界を担う人材が育っている。亭号が違うから師弟関係が判りにくいが。
(志ん生と馬生)
 もう一人、馬生、志ん朝らの弟弟子にあたる2代目古今亭圓菊(1928~2012)の系譜で、本人が長生きしたこともあって弟子も多い。その中には、息子の3代目古今亭圓菊や女性真打第1号の古今亭菊千代などがいる。その下に古今亭菊之丞がいて、一番下の弟子が古今亭文菊。この二人は古今亭一門の中心になっていくだろう。志ん生といえば、貧乏と大酒が伝説になっている。そのDNAを受け継ぐのか、馬生、志ん朝だけでなく、病気で早く死んだ人が多い。そのため、どうも東京の落語家と言えば、柳家とか林家、あるいは三遊亭春風亭といった名前がすぐ浮かぶ人が多いのではないか。志ん生を受け継ぐ一門もいるぞという追善興行である。
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映画『福田村事件』をどう見るか、虐殺事件を直視した問題作

2023年09月13日 23時22分55秒 | 映画 (新作日本映画)
 森達也監督『福田村事件』を見たので、どう評価すれば良いのか感想を書きたい。テアトル新宿は水曜日がサービスデーなので、ほぼ満員になっていた。何もそういう日に見なくても良いのだが、諸般の事情で他の日が取りにくかった。話題になっているから、まだまだやってるだろうが、関東大震災関連の記事を書いてる間に見ておきたいなと思った。

 見る前には心配もあったが、まずは「なかなか良く出来ていた」というのが僕の評価である。事前の心配として、このような「歴史劇」の場合ストーリーが事前に決まっているので、「絵解き」になりやすいことがある。この事件を知らずに見る人もいるかとは思うが、実際にあった話だとは知ってるだろう。また、はっきり言ってしまうとドキュメンタリー映画の監督森達也の初めての劇映画という懸念もあった。記録映画から出発して劇映画で大成した監督も(黒木和雄のように)いるけれど、あまり成功しない場合の方が多いのではないか。(ヤン・ヨンヒ『かぞくのくに』はオートフィクションとして成功したので、ちょっと例外。)
(演出する森監督)
 事件そのものの内容に関しては、『福田村事件』を書いてるので省略する。問題はこの事件だけ描いていては、ドラマとして弱いということにある。だからフィクションにするときは、「補助線」とか「狂言回し」的な人物を創作することになる。この映画では澤田智一井浦新)、澤田静子田中麗奈)という夫婦が「朝鮮帰り」という設定で、村内の対立構造と朝鮮問題の本質をあぶり出す役割を担う。また千葉日日新聞(架空の新聞)の記者恩田楓木竜麻生)が亀戸に平沢計七に取材に行くなどして、広い視野で震災時の虐殺事件を考えさせる。この工夫をどう見るかが評価の決め手だろう。
(澤田夫妻)
 この映画のチラシ(上記)を見ると、俳優名より大きく、脚本を書いた佐伯俊道井上淳一荒井晴彦の名前が出ている。脚本が映画成立のために最大の貢献をしていることを示している。3人とも活躍してきた脚本家だが、特に荒井晴彦は現在の日本で最高の脚本家と言って良い。具体的にどう分担したかは(今のところ)僕は知らないけれど、この脚本は力作であり、映画を支えていると思う。ただ、「盛り込みすぎ」で総花的な構成を批判する意見もあるようだ。それも理解出来ないではないし、僕も亀戸事件まで描くのはちょっと散漫になると思った。
(行商人リーダーの沼部新助)
 一方被害者になる行商人側はリーダーの沼部新助永山瑛太)を中心的に、よく描き分けられている。初めて参加した若者、出産間近の夫婦などを交えながら、被差別部落出身者が行商に出た様子を事細かに描いている。途中で朝鮮人の飴売り(当時「朝鮮飴」と呼ばれて関東一円にかなり多かったと言われる)と出会うシーンも、フィクションとして許されると思う。(ただ扇子を貰うのはどうか。また放浪のハンセン病者も出て来るのは、盛り込みすぎと言われても仕方ないだろう。)そのようなリーダーは統率者として厳しい反面、優しい一面もあるという設定がラストに生きてくる。
(ラストの事件の描写)
 この事件は現代人からすると、実際に起こったとは思えない「ありえない話」に見えるだろう。それをいかに説得力あるストーリーとして表現するか。ラストまでに村内の権力構造を細かく描いている。強硬な在郷軍人会リーダー、宥和的な村長などに加え、渡し船船頭の田中倉蔵東出昌大)と戦死者の妻島村咲江コムアイ)の許されざる関係、日清戦争時の旅順虐殺を経験した井草貞次柄本明)の真実、そして朝鮮帰りの澤田夫婦の内情などが描かれる。その結果、日本近代史を縦横に飛び交い、性的な側面も含めた重層的な村内構造を提示する。それあってこそ、村人と行商人たちが出会ってしまった時の悲劇が納得出来る。

 この映画が描き出した悲劇が何故生まれたか。それは観客が一人一人自ら考えるべきことで、ここでは触れない。(他の記事で散々書いてきている。)映画の構造としては、様々な人物を描きわけながらラストで皆が集まって悲劇が起きるというスタイルになる。この構図はかなり効いていて、観客を飽きさせずにラストまで連れて行き、これは一体何故起こったんだと考えさせる効果をもたらしたと思う。だが、この種の物語の場合、どこまで「歴史離れ」が許されるのかという問題はある。

 具体的に書いておくと、冒頭にシベリア出兵の戦死者が村に帰ってくるシーンがある。シベリア出兵時もこういう迎え方だったか疑問もあるが、日本軍は各国の中で一番遅くシベリアから引き揚げたが、それでも1922年に全員引き揚げているから震災の年(1923年)にはあり得ない。また野田醤油の大争議は確かに1923年に起きていたが、4月には一端終わっていたという。また香川県の被差別部落でどの程度「水平運動」が伝えられていたかも疑問。「水平社宣言」を生存者が唱えているが、「人間に光あれ」は「にんげん」ではなく「じんかん」である。作者が間違っているのか、判っていてやってるのか不明。9月1日に山本内閣はまだ発足していないので、山本首相が暗殺されたというデマが飛んだというのも不思議。「富士山噴火」の方が良いと思う。
追伸・澤田の耕す畑を見ると、澤田夫妻の帰郷は震災直前ではない。だから冒頭シーンは震災直前ではなかったはずだ。三一独立運動(1919年)と関東大震災(1923年)の間のいつかになり、澤田夫妻とシベリア戦死者の帰郷が重なることも起こりうることに書いた後で気付いた。)

 いろいろ盛り込んで重層的な差別構造を示した面は評価出来るが、ちょっと盛り込みすぎて図式的で浮いたセリフもある。ここまで作り上げた脚本の貢献は大きいが、それに加えて美術、衣装なども見事だった。見るべき問題作で今年の収穫なのは間違いないが、今年のベストワンの大傑作とまでは評価しない。見ててアレレと思うシーンも結構多かったからだ。森達也監督の演出力は一応満足出来る。ドキュメンタリーよりずっと成功していたと思う。ジャーナリスティックな活躍をしてきたと思うが、ここではその感性を抑えて観客に考えさせる演出をしている。(新聞社の上司が「似てるな」と思ったら、やはりピエール瀧だった。テーマ以上にキャスティングに勇気を感じた。)

 森監督の経歴を今まで知らなかったが、僕とほぼ同時代に立教大学法学部を卒業していた。在学中に黒沢清監督らの自主映画製作グループ「パロディアス・ユニティ」にいたと出ている。じゃあ、どこかですれ違っていたはずだなと驚いた。
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国民民主党代表選、自民党支持へ向かう労働組合

2023年09月11日 22時27分40秒 | 政治
 9月2日に国民民主党の代表選挙が行われ、玉木雄一郎代表が再選された。国民民主党に関心はあまりないが、この代表選の背景にある事情は重大だと思う。当初から玉木氏優勢と報道されていたが、玉木氏が80ポイントを獲得したのに対し、対立候補の前原誠司代表代行は31ポイントと2倍以上の差が付いた。玉木氏の圧勝とみて良いだろう。

 玉木代表は「対決より解決」をスローガンにして、「政策本位」の名の下に野党連携ではなく与党との協議を優先させてきた。特に2022年度の当初予算に賛成したのは、野党の対応として極めて異例のことだった。ガソリン税の「トリガー条項」問題の取引を狙ったのかと思うが、結果として全く成果を得られなかった。2023年度予算には反対したものの、前年度の印象は強く残っている。今回対立候補として立候補した前原氏は「強烈な違和感を持った」と言っていた。

 今回は国会議員(42)と国政選挙公認予定者(13)が1人1ポイントで、合計55ポイント。地方議員(270人)が28ポイント、党員・サポーター(36682人)が28ポイントの合計56ポイント。これらはそれぞれ両候補の得票割合でポイントを割り振る。総計111ポイントとなる。詳しく得票を見てみると、国会議員は玉木(28)、前原(14)と2対1。公認予定者は玉木(6)、前原(7)で前原優勢。ところが、地方議員が玉木23、前原5、党員・サポーターも同様に、玉木23,前原5と玉木圧勝の原動力となった。国会議員だけならある程度勝負になったが、党員は圧倒的に玉木路線を支持していたのである。

 では国民民主党の「党員・サポーター」とは誰だろうか。それはいろんな人がいるんだろうけど、やはり圧倒的に多いのは「支援する労働組合員」なんだと思う。国会議員でも労組出身議員は皆玉木支持である。川合孝典(UAゼンセン)、磯崎哲史(自動車総連)、浜野喜史(電力総連)と、連合傘下の労組が擁立した参議院議員は玉木陣営の推薦人になっている。当然組合員のサポーターは圧倒的に玉木氏に投票しただろう。それが代表選の結果を決定づけたのである。

 ここで判ることは、国民民主党支持の労働組合は、かつての「民主党政権」のような「野党連合による政権交代」を求めていないということだ。立憲民主党と一緒に政権構想をまとめるとなると、当然政策的な歩み寄りが必要になる。だが、電力総連や自動車総連などの大労組にとって、立憲民主党よりも自民党政権の方が近いのである。まだ完全に「自民党支持」は打ち出せない。立憲民主党支持の労組も抱える「連合」も、自民党との連立は認めない。しかし、ホンネではずっと自民党の方が近いんだろう。

 代表選直後には、自民党筋からだと思うが、国民民主党の連立入り検討という報道も流れた。これは現実にはなかなか難しく、13日に予定されている内閣改造には間に合わない。与党同士が小選挙区選挙で争ったらおかしいが、すでに各党の候補が固まりつつある中で自民候補を下ろすのは不可能に近い。小選挙区で当選した国民民主党の衆院議員にも、同じ選挙区に比例当選した自民議員がいるケースが多い。ここで「連立」報道があったのは、公明党への牽制が大きいと思う。その後、すきま風が吹いていた東京の自公関係も修復の動きが見えてきた。

 代表選後には玉木氏も「ノーサイド」と言って、前原氏は代表代行に留任した。しかし、今回の代表選は全く方向性が違う路線争いだった。すぐに修復できるというものじゃないだろう。労組からすれば、民主党政権よりも安倍政権の「官製春闘」の方が得るものが多かったんだろう。労働組合が自らの力量を高めるのではなく、強大な与党に頼って賃上げを求める。それで良いのかと言っても、とにかくそういう方向に向かっていて、事実上の政権支持勢力になりつつある。つまり、政権交代は当面は起こらないという冷厳な現実がある。そこから出発するしかないのである。
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大杉栄虐殺事件と甘粕正彦ー佐野眞一『甘粕正彦 乱心の曠野』を読む

2023年09月10日 22時58分58秒 |  〃 (歴史・地理)
 関東大震災関連で持ってた本に、佐野眞一甘粕正彦 乱心の曠野』(新潮社、2008)があった。470ページを越える重くて厚い単行本で、持ち歩くのも大変。15年間放って置いたが、この機会に読まないと永遠に読まずに終わりそうだ。著者の佐野眞一氏も2022年9月に亡くなっている。「甘粕正彦」という名前も知らない人が増えてきたかもしれない。映画『ラスト・エンペラー』で坂本龍一が演じたが、「満州国」で暗躍したことで様々の伝説に包まれた人である。

 この本は当時はまだ存命だった関係者の家族を探して新資料を発掘している。その結果、「甘粕正彦」という近代日本史上でも非常に興味深い人物に限りなく迫ったと言える。近代日本史に関心がある人には絶対面白い本だと思う。一時入っていた新潮文庫版は品切れらしいが、図書館などで見つけられるだろう。甘粕と言えば、後半生の「満州時代」がなんと言っても興味深い。「満州国皇帝」になる溥儀を北京から連れ出した陰謀の実行者であり、その後大スター李香蘭(山口淑子)を擁する「満映」の理事長となった。「満州国」は昼は関東軍が支配し、夜は甘粕正彦が支配すると言われたという。

 興味深い後半生は省略して、ここでは「大杉栄虐殺事件」に絞りたい。前に関東大震災時の虐殺事件を何回か書いたとき、この問題は書かなかった。近代史に関心がある人なら誰でも知っているし、新しく考えるべき論点もあまりないと思ったのである。今回佐野眞一氏の本を読んでも、基本的な事情は変わらない。「甘粕真犯人説」を疑う人は昔から多く、むしろ「甘粕犠牲者説」の方が多いんじゃないかと思う。だが、それを実証することは不可能だろう。そもそも大杉栄虐殺指令文書が存在したとは思えない。
(大杉栄と伊藤野枝)
 無政府主義者(アナーキスト)の「巨頭」として知られていた大杉栄は、9月16日夕刻に豊多摩郡淀橋町柏木(現新宿区西新宿)の自宅付近で憲兵に連行され行方不明となった。この日、大杉と妻の伊藤野枝は、鶴見に住んでいた伊藤の前夫辻潤を訪ねたが留守だったため、近くに住む大杉の実弟大杉勇宅を訪れた。そこに大杉の実妹あやめと子どもの橘宗一(6歳)が偶然来ていて、子どもが東京の焼け跡を見たいと言ったため大杉たちが連れて帰った。この橘宗一はアメリカ生まれで、アメリカは国籍が出生地主義なので、アメリカ国籍も持っていた。(上記画像の子どもは橘宗一少年ではなく、大杉夫妻の子ども。)

 そのまま3人の行方は知れず、心配した宗一の家人はアメリカ大使館に連絡した。その後、警察に捜索願を出したが、この件がもみ消されずに公表されたのは、少年殺害が外交問題になりかねなかったためだろう。亀戸事件や中国人王希天の場合は、誰も責任を取らずに真相は隠ぺいされた。大杉栄殺しも同じように隠ぺいするはずが、少年殺害があったために隠しきれなかったとも考えられる。もっとも大杉の知名度は非常に高かったので、裁判なしに済ませるわけにはいかなかったかもしれない。その後マスコミも動き出す中、20日になって事件内容も不明のまま、福田雅太郎戒厳司令官の更迭、小泉六一憲兵司令官小山介蔵東京憲兵隊長の停職が公表され、甘粕正彦憲兵大尉と森慶次郎憲兵曹長を軍法会議に付すという発表がなされた。
(甘粕正彦憲兵大尉)
 その後開かれた軍法会議では、甘粕が「単独犯行」を「自白」した。もっとも宗一少年殺害は違うのではないかと弁護士から指摘され、それを認めた。その後、3人の憲兵が「自首」して軍法会議に付せられた。その間の詳細は佐野著に詳しいが、いちいち書くまでもないだろう。結局、甘粕が懲役10年森が懲役3年3憲兵は無罪となった。

 この判決(事実認定)にはおかしなところが多く、佐野氏も明らかに上層部関与説に立っていると思われる。ただ事柄が事柄だけに実証したとまでは言えない。最後の最後に本人の言葉が紹介されているが、それは「伝聞」に過ぎない。この本の中に死因鑑定書が公表されている。これ自体不思議な運命の下に残された貴重なものである。それを見ると、「自白」は明らかに不十分で信頼出来ない。大杉の身長は163.9㎝で、それより身長が低い甘粕が後ろから絞殺するのは難しい。実際には大杉と伊藤は踏んだり蹴られて胸部骨折していて、誰がやったかはともかく複数人によって極度の暴行を加えられていた。

 甘粕は当時「東京憲兵隊渋谷分隊長兼麹町分隊長」であり、森憲兵曹長は当時「東京憲兵隊本部付(特高課)」だった。つまり、森は甘粕の直属の部下ではなく、軍隊的に考えて(というか、常識で考えて)「個人的犯行」に協力させることは不可思議である。渋谷分隊長が麹町分隊長(事件現場となった)を兼ねるという人事も不可解。軍法会議では9月1日付で兼任の命令が出たと甘粕が述べたが、後付けとしか思えない。甘粕と森の双方に命令を下せる上層部が関わっていると考えるのは、「陰謀論」というより「常識論」だろう。真相がどういうものだったか諸説あるが、僕には当否を判断出来ない。ただ「甘粕単独犯行説」は成り立たないと考える。(軍人が「個人的考え」で、部下と軍施設を使って「殺人」を実行するという判決は荒唐無稽である。)
(佐野眞一氏)
 ところで、震災当時の大杉は何故「自由」だったのか。大杉はドイツで開催予定の国際アナーキスト大会参加を目指し、1923年1月に上海からフランスに出航した。パリ郊外でメーデーに参加して逮捕され、大杉だとバレて日本に強制帰国させられた。(中国人を偽装していた。この旅の経過は「日本脱出記」に書かれている。)7月11日に神戸に着いたばかりで、まだ日本で本格的な運動を開始する時間がなかった。1922年に「第一次共産党」が結成され、その関係者は逮捕され獄中にあった。そのため、権力側からは「野放しになっている大物」は大杉だけと見えていたのだろう。

 当局側の発表が「大杉他二名」の殺害とあったため、社会主義弁護士の山崎今朝弥は「他二名及び大杉君のこと」を書いた。伊藤野枝の女性史的な再評価が進んで、今では大杉栄と伊藤野枝が狙われたと考えやすい。だが当時の状況では、やはり伊藤野枝は一緒にいて連行されたと考えるべきだろう。この時、「女子ども」を一緒に連行した責任者は誰なんだろうか。当時は「アナ・ボル論争」というアナーキズムとボリシヴィズム(ロシア革命を実行したレーニンらの共産主義者)の対立があった。陸軍の仮想敵国は一貫してロシア・ソ連だったから、ソ連式社会主義を厳しく批判していた大杉を抹殺したのは、軍にとって逆効果だった。大杉不在でアナ陣営は不振となって、以後共産主義が左翼の主流となった。

 甘粕は全く無実で、罪を被るだけの役目だったという考えもあるが、僕はそれはかなり無理な想定だと思う。やはり、何らかの意味で「大杉殺し」には関与していて、それは全く後悔しなかったと思われる。ただ、宗一少年殺害には確かに関与していなかったかもしれない。甘粕は上層部に責任を負わせず、一切を自分で被る役割として選ばれたのは間違いない。その意味で、その後の軍内で「触れてはいけない凄み」を持つ存在となった。しかし、若い時期の東条英機に世話になり、満州でもずっと従っている。結局「有能な部下」というべき人物だったのだと思った。
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4年ぶりの日光旅行を、台風が「直撃」!

2023年09月08日 22時18分21秒 | 旅行(日光)
 日光に一泊旅行。毎年のように行っていた日光だが、今回は実に4年ぶり。このブログを調べたら、2019年9月以来だった。2020年はコロナの影響があったけど、その後は母親を置いて出掛けられない感じだった。夏など冷房を付けておくと、猛暑でも暑さは感じないと消してしまう。ま、そういうわけでいろんな旅行助成も全然利用出来ずに終わってしまった。

 あまりにも暑い東京を逃げ出して、そろそろ日光へ行こうかと予約しておいたら、何と旅行の頃に台風が来るというじゃないか。これは困った、でもまあ、7日は何とか持ちそうな予報だったので、取りあえず出掛けることにした。今回は日光まで電車で行って、駅前でレンタカーを借りた。東武鉄道の新型特急スペーシア X(SPACIA X)に乗ってみたかったのである。
   
 時間的に朝9時半頃に春日部から乗って、10時50分に着く列車にするしかない。スペ-シアXは確かにゆったりして楽。いろんなシートがあるけど、よほど早く取らないとスタンダードしか無理みたい。結局寝ちゃうんだから、何でもいいようなもんだけど、やっぱり宣伝してると乗りたくなる。東武沿線に住んでるから、通るのを見てるのである。あっという間に着くが、東武日光駅もずいぶん綺麗に改装されている。11時からレンタカーを借りたが、お昼には早すぎる。ちょっと市街を見て回ると、無くなった店もあるし、新規開店した店もある。やはり外国人観光客が多いが、これは以前も同じだった。

 何度も行ってる「食堂すずき」がまだやってなかったので、東照宮近くの「明治の館」に行った。ここは母親が好きだったところで、名物のチーズケーキを小さい頃から知っている。名前通りに明治時代に建てられた洋館は、『登録有形文化財』に指定されている。夫婦で「オムレツライス」と「スパゲッティミートソース明治の館風」を頼んだ。クラシックな味だが、美味しい。「明治の館風」はメンチカツが乗っていた。コケが美しい裏庭も良かった。そこにある精進料理の「堯心亭」はやってなかった。
   
 晴れてるうちに一気にいろは坂を登って、そのまま立木観音先の中禅寺湖道路を登る。ここはいつも車が少ないが、半月山駐車場まで行くと中禅寺湖や男体山を望める絶景スポットだ。当日の天気が良く判るが、この日は男体山の頭が雲の中だった。それでもまだ持ちそうだ。昔は中禅寺湖畔から中禅寺湖道路にかけては、サルやシカを必ず見たものだ。今回はサルが一匹いたけど、ずいぶん少なくなった感じ。大分猿害が騒がれたので、対策が取られたのか。
  
 今回は2日目が晴れていれば、渇水しているらしい西ノ湖へ行くつもりだった。しかし、どうもそれは無理らしいから、行動できるのは1日目しかない。頑張って赤沼駐車場まで急行して、低公害バスに乗った。バスもすっかり大型に代わっていた。交通系ICカードが使えるようになって便利だが、一回500円は値上がりしたなあと思う。近いけど時間的に小田代ヶ原しか行けない。木道が整備されていて気持ち良い。日光も結構暑かったが、さすがにここまで来れば涼しい風が吹いている。
  
 小田代ヶ原にそびえる有名なハルニレ「貴婦人」。やはりこれが一番の目当てで、何度も見てるのについ撮ってしまう。小さくてよく見えない写真もあるが、拡大すれば向こうに見えている。まだ完全な草紅葉じゃないけど、湿原が美しい。
    
 赤沼駐車場まで戻ると、小学生がズラリ。バスが十何台も停まっている。ようやく日光に林間学校が戻ってきた。それはいいけど、集中しすぎじゃないか。光徳牧場へ寄って、アイスクリームを食べていこうかなと思ったら、そこもバスがいっぱいで小学生がアイス売り場に並んでる。こりゃダメだと思って、さっさと休暇村日光湯元まで直行した。最近ずっと泊まってた休暇村も、宿泊代が高騰している。だが、布団が西川のエアーになってた。

 温泉に入ると、やはり身体に効くなあと思った。もう入った瞬間に違いが判る。それだけで来た甲斐があった。夕飯で久しぶりに飲んだ純米吟醸の「天鷹」も美味しかった。食事にも変化がある。サラダは最初から箱に盛られている。以前はアイスクリームを自分で盛れたが、今は端っこの冷凍庫に小さな袋入りが置いてあった。コロナの影響は大きいな。ということで、この日はジャニーズ事務所の記者会見を夕方にテレビ中継していたらしいが、僕は全く見てない。夕食後にテレビで天気予報をずっと見ていたが、単なる雨というより台風直撃である。旅行に行って雨に当たることは時々あるが、今回は大変だ。

 レンタカーは3時まで借りているが、そこまで居てもすることがない。それは何とかするとしても、どう考えても予報によれば、その頃関東南部を台風が通過して大雨である。列車が止まったら帰れなくなる。暴風雨のいろは坂を下るのも嫌だし。ということで2日目はさっさと帰ることにした。帰りの指定席も買っていたが、それも放棄。レンタカー代も帰ってこないけど、やむを得ない。ということで2時頃には家に帰って来たが、何とその頃から台風はゆっくりになり、上陸しないことに変わった。家の辺りも雨は降ってるけど大雨ではなかった。まあ安心を買ったと考えるしかないんだろう。
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