中公文庫の「梅崎春生兵隊小説集Ⅱ」を読んだ感想を書いておきたい。ちょっと前にⅠ巻目を書いたが、思っていたより『桜島』が面白かった。2巻目でも遺作となった『幻化』を初め、冒頭の『日の果て』など重要作は前に読んでいる。最初の方の作品はフィリピンや中国戦線の話で、国内にしかいなかった梅崎春生の実体験ではないことは明らか。取材して書いているわけだが、その問題は後回しにして、『幻化』を先に取り上げたい。『新潮』の1965年6月号に前編が発表された後、梅崎は7月19日に肝硬変で急逝した。後編は没後に発表され、毎日出版文化賞を受けた。戦後文学を代表する傑作という評価が定着している。
僕はこの『幻化』が昔から好きで、読むのは3回目。「五郎」という男が飛行機で鹿児島を目指す。五郎はどうも入院中で、勝手に抜け出してきたらしい。それも精神科らしい。機内で一緒だった男とタクシーで坊津に向かう。しかし、男と離れて一人で吹上浜をさまようのである。どうやら20年前に兵隊としてこの辺りに来ていたらしい。その思い出のある土地に再び向かう。『桜島』は「七月初め、坊津にいた。」と始まる。梅崎作品は円環を描いて、同じ所に戻ってきたのである。この坊津という場所は、薩摩半島西部の港町で、鑑真が上陸したところとして知られ「鑑真記念館」がある。僕は昔ここまで訪れて、記念館を見た思い出がある。
作中でも触れられているが、坊津はかつて薩摩藩が「抜け荷」(密貿易)に使った港でもある。何も鑑真や密貿易に関心があったわけではなく、ここまで行ったのは『幻化』の影響だった。同じ地域、特に吹上浜を見てみたかったのである。ところで、今回3回目に読んでみて、意外にも吹上浜のシーンが思ったより少なく、後半が熊本市と阿蘇山の話になって、同行の丹尾(にお)という男のエピソードになっていく。すっかり忘れていたのである。この小説は吹上浜で女や少年と出会って、昔一緒だった兵隊の死を思い出す場面が心に沁みるのである。そういう「再訪」の作品だと思っていたが、案外現在が介入してくるのに驚いた。
小説では「湯之浦温泉」と出ているが、現在は「吹上温泉」と称している。前に訪れた時は、「日本秘湯を守る会」に入っていた(現在は退会)、「みどり荘」に泊まった。ここは名湯で料理も美味しかった。その温泉のことは、『鹿児島県の吹上温泉みどり荘ー日本の温泉⑱』に書いている。なかなかもう一度行くことは難しいところだけど、是非再訪したい場所の一つ。
国内ものは短編が多いが、外地ものはもう少し長い作品が多い。Ⅰ巻は17編を収めるが、Ⅱ巻は9編とほぼ半分である。自分の体験じゃないだけに「作り物」感がするものが多い。面白いんだけど、作品的価値としては国内ものに及ばない作品が多い。中で『日の果て』(1947)は力作で、フィリピン戦線の苦難を伝えている。1954年に山本薩夫監督、鶴田浩二主演で映画化されている。作品的評価は同じ山本監督の『真空地帯』(野間宏原作)に及ばないというのが定説だろう。
日本軍はほぼ崩壊状態にあり、花田軍医に至っては陣地を離脱して「現地人」の女を「情婦」にして別の場所で一緒に住んでいるぐらいだ。それを苦々しく思う部隊長は帰隊を命じるが、花田は無視している。そこで宇治が呼ばれて「花田軍医を射殺せよ」と命じられる。やむなく宇治はもう一人を連れて出かけたが、ホンネとしては自分も脱走したいぐらいなのである。こうして目標を失った前線で、軍の論理と個人の論理が究極的な対立を迎える。ジャングルの描写など見事な出来で、中に出て来る衝撃的なエピソードの数々も印象的である。日本軍はすでに崩壊していて、本来なら降伏すべきなのだが日本軍は捕虜となるのを禁じていた。
ここまで詳細な取材がどうして可能だったのか。普通は伏せておくような問題がいろいろと出てくる。実はこの取材相手は実兄だったらしい。そのことは平山周吉氏の解説に詳しい。『桜島』に兄が比島にいるが、もう生きてはいないだろうと書かれている。比島は「フィリピン」のことで、内地でも激戦が伝えられていた。その兄が実は生還できて弟の取材に答えたということらしいが、兄は弟の作品に不満があったらしい。兄は梅崎光生という人で、著書もあるということだ。
そもそも僕は梅崎家の実情など何も知らずに読んでいた。春生は東京帝大を卒業しているが、ただの一兵として入隊している。幹部候補生は志願しなかったが、戦争末期で召集解除になる見込みはないと見極めて、下士官にはなることにしたと書かれている。あまりにもただの兵隊でいるのは辛い経験だったからだ。まあ小説内の記述だけど、事実だと思う。そういう兵隊だから、多分「普通の家庭」出身だと思っていた。「普通」といっても、大学まで行かせられるんだから都市の中産階級ではあるだろう。
ところが、梅崎の父、健吉郎は陸軍士官学校出の職業軍人だったのである。陸士15期で、梅津美治郎、多田駿、河本大作などと同期なんだという。(それぞれ昭和史に名を残す軍人だが、詳細は省略。)梅崎健吉郎は病身もあって、宇垣軍縮の時代に退役になったという。そういう家庭に育った梅崎春生がどうしてここまで「非軍人」的な小説を書いているのか。それも「自我の苦しみ」などと無縁にひたすら軍内の暴力などを描写している。梅崎春生文学にはまだ謎が残されているようだ。