金井美恵子の『目白四部作』を読んでみた。『タマや』が最近講談社文庫から再刊されて、面白く読んだ。その中で特に「猫の去勢」問題だけを取り出して、『猫の去勢問題、『迷い猫あずかってます』『タマや』ー金井美恵子を読む②』という記事を書いたけど、『タマや』は「目白四部作」の一作ということなので、他の本も読んでみようと思った。しかし、他の三作は現時点では文庫などに入っていないから、古書を探すか、図書館で借りるしかない。地元図書館にあったので、まとめて借りてきて早速読んでみると、これがとても面白いのである。まあ、そこまでして読む人は他にいないだろうと思うけど、せっかくだから備忘録として。
金井美恵子は若い頃は西欧風の幻想小説を書いていたが、次第に風刺的な風俗小説を書くようになった。いろいろな情報が詰まっているが田中康夫と違って註がない。特に映画の話題が多いので、人によってはつまらない「おしゃべり小説」に見えるだろう。でもあちこちに「悪意」の地雷が仕掛けられた「メタ小説」なので、いろんな知識があればあるほど面白い。だけど、ただ読んだってひたすら流れるように面白い小説だと思う。いわゆる「起承転結」的な構成に頼らず、水の流れのような融通無碍な小説だ。
『文章教室』は1983年、84年に「海燕」(福武書店から出ていた今はなき文芸雑誌)に連載され、1985年1月に福武書店から刊行された。四部作最後の『道化師の恋』は1990年に中央公論社から刊行されているので、この四部作はまるまる80年代の物語である。だから基本的な情報ツールは「電話」(固定電話のことだが、固定されてない電話など一般人には無縁だった)である。恋愛もそうだが、親子や友人とのちょっとした連絡も電話で行ったのである。あの時代の「考現学」的な意味でも歴史的な価値がある。
『文章教室』という小説がなぜ書かれたか知らないけれど、これは文学史に類を見ない「メタ小説」、つまり、小説をめぐる小説になっている。何しろ作家本人じゃなく、「登場人物が書いた」という設定の文章、それも「主婦」「現役作家」の二人の文章が連続するのである。もちろんそれだって金井美恵子が書いてるわけだが、作家の個性を反映した文章とは違って「いかにも紋切型」の文章なのである。それが面白いし、読んでて笑える。しかもバーを手伝っている女の子に惚れてる「現役作家」も紋切型行動をしてしまうというのがおかしいし、「悪意」的観察が笑えるのである。最初は戸惑うが、慣れてしまえば実に見事な技だと思う。
『文章教室』と『道化師の恋』は登場人物の共通性が多いので、続けて書くことにする。まず、渋谷から行く町(川崎か横浜の北の方)に住んでる佐藤絵真という「主婦」が幾つもの趣味の変遷の後、カルチャーセンターの文章教室に通い始める。そして自分用に「折々のおもい」という文を書きためる。絵真の娘、佐藤桜子は英文科の学生だが、恋愛に破れた挙句、助手の中野勉に接近している。中野は文芸評論もしていて目白に住んでいるが、実は留学中に親しくなった英国女性がいる。一方、絵真を教えている「現役作家」(名前は最後まで出ない)は秘かな企みで目白近くに仕事場を持つことにした。全員恋愛をめぐって揺れている。
『道化師の恋』になると、中野桜子は一児の母となっているが、桜子の前に善彦という青年が登場する。善彦の母は美人女優、橘颯子のいとこであることが自慢だった。颯子は60年代初期に渡米して結婚・引退したが、急に連絡してきて善彦に目白にある颯子の持ってる部屋を安く貸してくれた。二人は秘密の愛人となるが、別れた直後に颯子は事故死する。善彦はその体験をもとに『道化師の恋』という小説を書いて、ある新人賞の候補となって雑誌に掲載される。「現役作家」はその新人賞の選考委員だったし、同じ目白界隈に住んでいる善彦は文芸評論家の中野勉や迷い猫を探す人たちとも知り合っていく。こうして登場人物が錯綜していく。
『道化師の恋』は各章が『愉しみと日々』『ゲームの規則』『緑色の部屋』『山の音』『彼岸花』など有名な映画や小説から付けられている。『蒼い時』『天使の誘惑』など今では注釈がいりそうな名もあるが、こういう趣向は『タマや』にも共通する。「引用」が重要な小説なのである。幻の主人公、颯子は谷崎潤一郎『瘋癲老人日記』の主人公(瘋癲老人)が恋する「嫁」の名前だが、ちゃんと谷崎先生の許可を貰って付けたと出ている。美人女優として根強いファンがいて、文芸坐で特集をやってたりする。
『小春日和(インディアン・サマー)』は1988年に刊行された文庫本で200頁ほどの「少女小説」。ただ大学生になりたての少女のおしゃべりで出来ているすごく楽しい小説。これがただのおしゃべりとしか思えない人には、とてもつまらないだろう。でも、すべてが「メタ情報」なので、映画や本はもちろんファッションや食の情報も相当考えて選ばれている。『タマや』と人物がダブるように出来ているが、本質的には関わらない。つまり、『文章教室』『タマや』『小春日和』は目白界隈で展開されているが、物語内容的には別々なのである。「四部作」というと、時間軸に沿って物語が進行する連作大長編かと思うと全然違うのである。
その意味では「目白四部作」というより、「目白カルテット(四重奏)」と呼ぶ方がふさわしいんじゃないかと思う。これは昔有名だったロレンス・ダレルの『アレキサンドリア四重奏』に近いように思うのである。『道化師の恋』はフローベールの『感情教育』じゃないかと思うし、『タマや』は明らかに内田百閒の『ノラや』を受けている。そういう風に作中で論及されている過去の作品を「本歌取り」した作品群だと思う。そこには80年代の風俗に関する多くの情報が詰まっていて、今では内容的に古びた段階を過ぎて歴史的価値がある。小津やタルコフスキー程度の映画知識があった方が良いけど、知らなくても楽しめると思う。
『タマや』だけでは何なので、是非他の作品もどこかの文庫で再刊して欲しいなと思った。『小春日和』の桃子・花子の桃花コンビは作者も気に入ったらしく、『彼女(たち)について私が知っている二、三の事柄』(2000)という続編が書かれた。「目白シリーズ」というらしく、他にも『快適生活研究』『お勝手太平記』という目白シリーズがあるというから、金井美恵子の「目白もの」は現代文学の一大サーガだったのである。今度はそっちも読んでみたい。なお、ここで言う「目白」は学習院大学、日本女子大学、元田中角栄邸などがある方ではなく、僕が昔散歩記を書いた「目白文化村」、地名で言えば下落合近辺なのである。