林芙美子を最近ずっと読んでいたから、林芙美子記念館に行こうかなと思った。林芙美子が建てて、1941年から1951年に死ぬまで住んでいた家である。新宿区中井にあるが、林芙美子はその前から近くの落合周辺に住んで気に入っていたのである。ここは前に一度行ってるんだけど、それは20世紀のことだ。その時は都営地下鉄大江戸線中井駅はまだ完成していなかったと思うから。(開業は1997年。)前は西武新宿線中井駅から行ったが、今日は大江戸線の方が早そうなのでそれで行った。地上に出ると、どっちがどっちだかよく判らないけど、案内がきちんとあるから迷うことは無い。
(記念館のパンフ)
妙正寺川を渡り、西武新宿線踏切を越えて、三の坂交差点を左折し四の坂をちょっと登る。そこに林芙美子記念館がある。新宿区立で、林芙美子の夫、手塚緑敏の没後新宿区が買い取って、1992年3月に開館した。山口文象の設計によるもので、この人の設計した建物は現存しないものが多いので貴重だ。周辺は坂ばかりで、そのことは随筆によく出てくる。家も道路から高くなっていて、坂の途中に作られている。記念館のすぐ上は階段になっているぐらいだ。
(妙正寺川)
(三の坂)
(記念館)
(四の坂)
記念館は庭から見るのが一番風情がある。緑敏がよく手入れしていたというが、今も整備されて昔の様子を留めている。大きく分けて二つに分かれていて、一番はずれのアトリエが今は展示室になっている。芙美子が使っていた和室や台所などはもう片方にある。東京に住んでいた有名人の家は、ほとんどは震災、空襲で焼けるか、高度成長期に取り壊された。それを生き延びても、相続した遺族が維持出来ずに消えていった。林芙美子の家はその意味でも東京に残された貴重な文化財だと思う。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/21/f0/dca01f6ff96e292fb7d93bbff2360125_s.jpg)
家は月に2回ぐらい中へ入れる見学会があるが(ホームページで参加者を募集)、普段は庭側から見るだけである。(旧アトリエの展示室は入れる。)主な部屋を紹介すると、大きな部屋として寝室、茶の間、客間、書斎などが並ぶ。さらに小間、風呂場、台所などがある。まあ、各部屋を全部紹介しても面白くないだろう。結構大きい家だと思い込んでいたが、今見ると人気作家の割りにそんなに広い部屋ではない。まあ林芙美子自身もそれほど大きくなかったんだろう。
(寝室)
(茶の間)
(客間)
(書斎)
庭からグルッと回ると、格子門があり(今は使われていない)、そこから玄関に通じる。昔はここに原稿取りの編集者が詰めかけていたという。さらに台所には冷蔵庫があった。戦前に自宅に冷蔵庫があった家は珍しい。芝浦電気製で、本来はホテルなど向けだったというが、芙美子は結構料理好きで客が来るとツマミなどをササッと自分で作っていたという。
(格子門)
(玄関)
(台所)
(冷蔵庫)
面白いのは家を上から望めることで、敷地内に坂がある。屋敷を帰りに見たら竹林になっていた。パンフには「数寄家造りのこまやかさが感じられる京風の特色と、芙美子らしい民家風のおおらかさをあわせもち、落ち着きのある住まいになっている」とある。僕にはよく判らないけど、林芙美子を読んでない人でも建築的に見る価値があるんじゃないかと思う。
(上から望む)
(全体図)
(解説)![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/20/fb/a6ff47b69b28557566ab45bba19ead28_s.jpg)
記念館から道なりに西へ進み、再び川を渡って南の方へ行く。大通りに行き当たって右折すると寺が多い地区になる。そんな中に萬昌院功運寺(ばんしょういんこううんじ)がある。僕は普通の感覚に従って、萬昌院は山号みたいなもので功運寺という名前のお寺だと思ったら、今Wikipediaを見たら二つの別々の寺院が1948年に合併したと出ていた。何でここへ来たかというと、この寺に林芙美子の墓があるのである。案内板が墓地の入口にあって見つけるのは難しくなく、すぐ見つかった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/55/55/dee4c1165bc6b8f2cc3eabab887227ed_s.jpg)
ところで寺の位置は確認していったが、どんなところかは知らずに出掛けたのである。そうしたら驚くことに、ここに吉良上野介の墓があるじゃないか。萬昌院を開山したのが今川義元の三男で、今川氏と吉良氏は姻戚になっていて、もともと菩提寺だったという。功運寺の方は秀忠時代に老中を務めた永井尚政が開いた寺で、ずいぶん多くの墓がある。糟屋武則という賤ヶ岳七本槍の一人の墓があるというが見なかった。名前も覚えてないし。どっちの寺も移転を繰り返して今の場所に落ち着いたらしい。
(吉良一族の墓)
寺を出て北へ進み、うまく言えないんだけどグルグル曲がっていくと、童謡「たきび」の碑がある。作詞した巽聖歌(1905~1973)が近くに住んでいて、散歩するうちに詩想を得たという。「垣根の垣根の曲がり角 焚き火だ焚き火だ落葉焚き」である。戦時中に発表されたときは火が空襲の目標になるとか軍に批判され、戦後は教科書に載ったが道で焚き火するのは危険と消防庁に言われたらしい。今じゃ垣根の家などほぼなくなったし、落葉を焚くのもなくなった。僕の子どもの頃は庭にレンガを積んで焚き火をして石焼き芋を作ったもんだが。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/20/64/f0cec0c3b9a008b65503b51baf412f4d_s.jpg)
そこから少し歩いて、梅照院新井薬師へ。ここは今まで行ったことがない。広津和郎の小説で読んだけど、戦前はこの辺りに花街もあったとか。今も寺や近辺は栄えていて、今日は骨董市をやっていた。『じい散歩』で主人公の爺さんがここへ来るシーンがあった。すごく大きな寺かと思っていたら、西新井大師なんかより小さい感じ。ただ隣に新井薬師公園というのがある。
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そこから新井薬師前駅に行って帰るつもりだったけど、そう言えば中野駅も1㎞ぐらいだったはずと思い出した。中野まで歩くことにしたが、案外近かったので驚いた。こっちの方は土地勘がないので判らないのである。冬は寒いから散歩したくない。それに林芙美子記念館は2月半ばまで臨時休館していた。明日の方が温かいという予報だけど、記念館は月曜が休館。雨の日も最近多かったし、散歩も難しい。家までの往復を入れて1万3500歩ぐらい。
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妙正寺川を渡り、西武新宿線踏切を越えて、三の坂交差点を左折し四の坂をちょっと登る。そこに林芙美子記念館がある。新宿区立で、林芙美子の夫、手塚緑敏の没後新宿区が買い取って、1992年3月に開館した。山口文象の設計によるもので、この人の設計した建物は現存しないものが多いので貴重だ。周辺は坂ばかりで、そのことは随筆によく出てくる。家も道路から高くなっていて、坂の途中に作られている。記念館のすぐ上は階段になっているぐらいだ。
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記念館は庭から見るのが一番風情がある。緑敏がよく手入れしていたというが、今も整備されて昔の様子を留めている。大きく分けて二つに分かれていて、一番はずれのアトリエが今は展示室になっている。芙美子が使っていた和室や台所などはもう片方にある。東京に住んでいた有名人の家は、ほとんどは震災、空襲で焼けるか、高度成長期に取り壊された。それを生き延びても、相続した遺族が維持出来ずに消えていった。林芙美子の家はその意味でも東京に残された貴重な文化財だと思う。
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家は月に2回ぐらい中へ入れる見学会があるが(ホームページで参加者を募集)、普段は庭側から見るだけである。(旧アトリエの展示室は入れる。)主な部屋を紹介すると、大きな部屋として寝室、茶の間、客間、書斎などが並ぶ。さらに小間、風呂場、台所などがある。まあ、各部屋を全部紹介しても面白くないだろう。結構大きい家だと思い込んでいたが、今見ると人気作家の割りにそんなに広い部屋ではない。まあ林芙美子自身もそれほど大きくなかったんだろう。
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庭からグルッと回ると、格子門があり(今は使われていない)、そこから玄関に通じる。昔はここに原稿取りの編集者が詰めかけていたという。さらに台所には冷蔵庫があった。戦前に自宅に冷蔵庫があった家は珍しい。芝浦電気製で、本来はホテルなど向けだったというが、芙美子は結構料理好きで客が来るとツマミなどをササッと自分で作っていたという。
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面白いのは家を上から望めることで、敷地内に坂がある。屋敷を帰りに見たら竹林になっていた。パンフには「数寄家造りのこまやかさが感じられる京風の特色と、芙美子らしい民家風のおおらかさをあわせもち、落ち着きのある住まいになっている」とある。僕にはよく判らないけど、林芙美子を読んでない人でも建築的に見る価値があるんじゃないかと思う。
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記念館から道なりに西へ進み、再び川を渡って南の方へ行く。大通りに行き当たって右折すると寺が多い地区になる。そんな中に萬昌院功運寺(ばんしょういんこううんじ)がある。僕は普通の感覚に従って、萬昌院は山号みたいなもので功運寺という名前のお寺だと思ったら、今Wikipediaを見たら二つの別々の寺院が1948年に合併したと出ていた。何でここへ来たかというと、この寺に林芙美子の墓があるのである。案内板が墓地の入口にあって見つけるのは難しくなく、すぐ見つかった。
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ところで寺の位置は確認していったが、どんなところかは知らずに出掛けたのである。そうしたら驚くことに、ここに吉良上野介の墓があるじゃないか。萬昌院を開山したのが今川義元の三男で、今川氏と吉良氏は姻戚になっていて、もともと菩提寺だったという。功運寺の方は秀忠時代に老中を務めた永井尚政が開いた寺で、ずいぶん多くの墓がある。糟屋武則という賤ヶ岳七本槍の一人の墓があるというが見なかった。名前も覚えてないし。どっちの寺も移転を繰り返して今の場所に落ち着いたらしい。
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寺を出て北へ進み、うまく言えないんだけどグルグル曲がっていくと、童謡「たきび」の碑がある。作詞した巽聖歌(1905~1973)が近くに住んでいて、散歩するうちに詩想を得たという。「垣根の垣根の曲がり角 焚き火だ焚き火だ落葉焚き」である。戦時中に発表されたときは火が空襲の目標になるとか軍に批判され、戦後は教科書に載ったが道で焚き火するのは危険と消防庁に言われたらしい。今じゃ垣根の家などほぼなくなったし、落葉を焚くのもなくなった。僕の子どもの頃は庭にレンガを積んで焚き火をして石焼き芋を作ったもんだが。
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そこから少し歩いて、梅照院新井薬師へ。ここは今まで行ったことがない。広津和郎の小説で読んだけど、戦前はこの辺りに花街もあったとか。今も寺や近辺は栄えていて、今日は骨董市をやっていた。『じい散歩』で主人公の爺さんがここへ来るシーンがあった。すごく大きな寺かと思っていたら、西新井大師なんかより小さい感じ。ただ隣に新井薬師公園というのがある。
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そこから新井薬師前駅に行って帰るつもりだったけど、そう言えば中野駅も1㎞ぐらいだったはずと思い出した。中野まで歩くことにしたが、案外近かったので驚いた。こっちの方は土地勘がないので判らないのである。冬は寒いから散歩したくない。それに林芙美子記念館は2月半ばまで臨時休館していた。明日の方が温かいという予報だけど、記念館は月曜が休館。雨の日も最近多かったし、散歩も難しい。家までの往復を入れて1万3500歩ぐらい。