「東京建築祭2025」という催しをやっている。24、25の土日のみ公開の場所もあり、例えば「旧近衛師団司令部庁舎」(重要文化財)を見られる貴重な機会になっている。もっとも数年前まで国立近代美術館工芸館だった時に何度も見ているから、まあ今回はいいだろう。泰明小学校も土日に校庭、体育館、講堂を公開するが、写真をブログ、SNSに載せるのは不可とある。今日は疲れ気味なので映画を見ても寝そうだから、まだ行ってない「慶應義塾図書館旧館」(重要文化財)を見に行くことにした。
1912年に完成した建物で、1969年に重要文化財に指定された。近代建築としては非常に早い指定だろう。慶應義塾にはもう一つ「三田演説館」という重要文化財がある。一つのキャンパスに二つ国の重文があるのは、東京には他にない。(北大や同志社には複数ある。)三田演説館は2017年に見に行ったけれど、その時「図書館旧館」は耐震工事中で見られなかった。工事は2019年に終了し、現在2階が「福澤諭吉記念慶應義塾史展示館」になっている。もともと旧図書館建築は1907年の慶應義塾創立50周年記念事業だった。赤レンガの壮麗な建造物で、当初は木造案もあったというが、煉瓦造りだったので関東大震災や空襲にも残ったのである。
中へ入って階段を上ると大学歴史館になる。東京建築祭と関係なく常に誰でも無料で見られるところで、今回は特別なところが見られるのかと思ったらそういうことではなかった。特別展示は幾つかあって、「大講堂のレンガ片」(2枚目の写真)がそれ。山手大空襲で焼けた大講堂のレンガだという。また階段の踊り場に和田英作原画の「ステンドグラス」がある。実に見事なもので「ペンは剣より強し」とラテン語で書かれている。戦争中は軍部から難癖を付けられたとウィキペディアに載ってる。ところで2階は福沢諭吉資料館という感じ。それは良いけれど、幕末から明治初めが中心で「脱亜論」などの説明はなかった。
反対側から見てもヨーロッパの町並みみたいで素晴らしい。この建物は明治末から昭和前期にかけて多くの名建築を手掛けた「曾根中條建築事務所」の設計である。幾つも提案した中で中條精一郎が作ったゴシック様式が採用された。中條設計の重文指定には他に旧三井銀行小樽支店がある。(なお、中條は作家中條百合子=宮本百合子の父としても知られる。)外に彫刻があったので見てみると、朝倉文夫の「平和来」という作品だった。上の2枚目、よく見えないけど彫刻越しに旧図書館を撮ったもの。
三田から竹橋(地下鉄東西線)に回って、パレスサイド・ビルディングを見ることにした。ここも入れるのは普通に公開されている部分だけなので、どうしようかなと思っていたのだが、福沢諭吉資料館を見ていたら「文部省は竹橋にあり、文部卿は三田にあり」と明治時代に言われたと出ていた。後で調べてみると、確かに1877年から1933年まで麹町区竹平町(今の一橋)に文部省が置かれていた。パレスサイドビルというのは毎日新聞社が入っているビルで、東京国立近代美術館に行くときには必ず通る。だから10代の頃から何度も通り過ぎているわけだが、ビルそのものには何の関心もなかったのである。
地下1階に当時の図面や写真が展示されている。東京建築祭のホームページには「多くの建築賞を受賞し、日本のモダニズム建築を代表する作品として評価されてきました。全長150メートルの直方体ビル2棟と、高さ50メートルの白い円筒コア2棟が一体となり、機能性と美しさを兼ね備えたデザインを実現。都市の景観に調和しながら存在感を放っています。」と紹介されている。1966年に竣工したビルで、設計は日建設計の林昌二。この設計で建築業協会賞など受賞多数。中野サンプラザを設計した人だという。
ここは大島渚監督の『日本春歌考』で小山明子の勤務先としてロケされている。それは知っていたが、他にも『日本一の男の中の男』『女ざかり』『化石の森』などにも使われ、最近でもロケに使用されているとDVDが展示されていた。(1枚目)