尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

必読の書、「AI vs. 教科書が読めない子どもたち」

2018年03月19日 22時36分34秒 | 〃 (さまざまな本)
 新井紀子著「AI vs. 教科書が読めない子どもたち」(東洋経済新報社)は、いまベストセラーになっている本だ。あまりそういうのは読まないんだけど、ラジオで面白いと言ってたと妻が買ってきた。まあせっかくだからと読んでみて、これはAI(人工知能)の本というより、教育の本だと思った。教師も親も全員必読の本だと思う。すごく大事なことが書いてある。

 新井紀子さんという人は、AIで東大入試に挑むという「東ロボ君」プロジェクトをやってた人である。この本も帯では「人工知能はすでにMAECH合格レベル」と大きくうたってる。そう言われると数年後には東大も合格か、何しろ将棋じゃ名人にも勝ったらしいし、なんて思いかねない。でもこれはとんでもないミスリーディングで、知ってる人も多いだろうが東大合格プロジェクトは中止になった。「MARCH合格レベル」で頭打ちだとはっきりしたからである。

 センター試験だけならいいのである。数学や日本史は何とかなる。でも東大を目指すとなると、英語や国語の二次試験の筆記試験が難問となる。東大は日本最難関大学だから、受験層はもともと学力が一番高い。その中から選抜する問題を作って出題している。MARCHレベルと言っても、AIが問題文の意味を理解して解いているのではない。ぼう大な情報を集めて合理的に推測しているだけで、それが大学受験者全員の中で半分より上にはなったということである。

 どんな大学であれ、今の日本の入試では「多数の受験生から学力を判定する」必要がある。早大、明大など数万人が受ける入試で全員に記述式の論文入試をするわけにはいかない。だから「AIにも解ける問題」が私立大学には出題される。それでも記述式問題もあるから100点は難しいけど、合格ラインには達するということだ。「AIには限界がある」ということだ。人工知能(AI=artificial intelligence)というけど、要するにコンピュータである。「電子計算機」である。もうパソコンが「電算」だった時代を知らないかもしれないけど。

 計算機だから計算しかできない。ワードで文章が作れるし、絵も描ける、曲も作れるというかもしれないけど、それも「計算」である。数式に置き換えられる仕組みを考えて、それで「文字」を作っている。文字を書くのは「人間」しかできない。いや翻訳ソフトだってあるじゃないかと言っても、それはどういう風に作られているかが懇切丁寧に説明されていく。なるほどなあ。とにかく「教師役」が教えていかないと、翻訳はできない。例文を億兆レベルで覚え込む「超絶暗記勉強法」がAIというものである。将棋はルールある競技だから勝てるが、ルールなき世界では戦えない。

 ここでこの本の中身は転調する。ここまでだったら、AIも大したことないじゃんである。それは違うと新井氏は言う。日本人全員が東大に合格するわけじゃない。AIがある程度の段階まで達したなら、それ以下の大卒の仕事はAIに代替可能かもしれない。「AI大恐慌」がやってくるんじゃないか。歴史上何回か起こった「技術革新に伴う仕事の消滅」が半数の労働者に起こりうる。発声映画の登場で無声映画時代の「弁士」が失業した事態が、もっと大規模に起こるかもしれない。

 どういう仕事は無くなりそうで、どんな仕事は残るのか。その予測も載ってるから見てみる価値がある。それはともかく、Aiには出来なくて、人間しかできないことはある。だから人間にしかできない仕事を行う能力を育てるしかない。じゃあ、日本の子どもたちには「Aiにはできない能力」、つまり「意味」を読み取る能力があるんだろうか。調べてみよう。そして調査を積み重ねた結果、日本の子どもたちの大半は「教科書が読めない」ということが判った!

 ここが僕には一番面白かったところだが、「教科書を読めない」は少し正しくないだろう。「論理的な理解力が欠けている」ということだと思う。どんな問題だったのかはとても面白いけれど、問題自体も勝手に引用するのは著作権に触れそうだ。ぜひ直接読んで、自分でやってみて欲しい。確かに急いでやると間違いそうな、ちょっと面倒な文章もある。でも、基本的に理解可能である。その分析はものすごく面白かったけど、ここで書いてると終わらないからやめる。

 それより、むしろ僕が驚いたのは、「この程度のことで新井氏が驚いている」ということである。教科書理解力のレベルは、僕が見るところ、近年急速に落ちているのではなく、多分ずっとそんなものだったのだと思う。それを何とかかんとか、現場の力で持ちこたえてきた。最近見た「野球部員、演劇の舞台に立つ」でも野球部員は読めない漢字を抜かして読んでいた。昔からずっと、半分の生徒は「教科書が読めない」(という言い方をすれば)状態だった。それでもやって行けるような工夫を学校がしていたのである。

 文科省は小学校から英語を、中高ではプログラミング学習をなどと言ってるけど、それは「絵に描いた餅」だと新井さんは言う。その通りだが、「現場の実態を知らない」と言っている。そうじゃないと思う。もうずっと「学校の現場力を損なう」政策を進めてきた。だから、現場では感覚的に判ると思う。文科省の目的は、学力差を広げることなんだと思う。それがどういう意味か、もうここで書くのはやめる。ただ一つ書いておくと、国会の安倍首相の答弁を聞いてみて欲しい。「論理的な能力」が日本社会には必要ないことが判るだろう。
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伝説の書、三遊亭円丈「御乱心」復刊!

2018年03月12日 22時43分39秒 | 〃 (さまざまな本)
 新作落語の大家として有名な三遊亭円丈の「御乱心」(1986)という本がある。1978年に起こった落語協会分裂騒動の内情を徹底的に書きつくした本で、問題の書として伝説化している。古本ではいっぱい売ってるけど、今まで読まずに来た。(刊行当時は多忙で落語界の内情に関心がなかった。)それが今月の小学館文庫で復刊されたではないか。「師匠、御乱心!」と改題され、長いあとがきに加えて、円丈・円楽・小遊三の鼎談、そして夢枕獏の解説も加わった。
  (三遊亭円丈)
 これは買わずにいられないし、読まずにいられない。読み始めると、途中でやめられない面白さ。昭和の大名人の名前を全然知らないという人がいたとしても、これほどの「暴露本」の切実さに感じるものがあるんじゃないか。三遊亭円丈の師、三遊亭円生は戦後を代表する大名人で、桂文楽、古今亭志ん生亡き後、落語界最大の名人とされていた。1965年から72年まで落語協会会長も務めた。しかし、次の会長柳家小さんの代になって、真打を10人昇進させる方針となり、円生は「粗製乱造」を批判して対立が深くなっていった。
 (円生)  (小さん)
 ここでその後の経緯を全部書いても仕方ないけど、円生と一番弟子の円楽を中心に落語協会を脱退(1978年5月)。さらに、古今亭志ん朝立川談志と語らって、新たな協会設立をもくろんだが、席亭会(東京に4つある寄席の席亭の集まり)が新協会には非協力の方針を打ち出し、志ん朝も談志も落語協会に戻って行ったのである。円生一門は「落語三遊協会」を設立するも、翌1979年9月に円生が急逝。円丈らは協会に戻ることになった。この間の一年あまりの「悲劇の一門」の内情を赤裸々につづったものが「御乱心」という本である。
 (5代目三遊亭円楽)
 この本で一番印象的なのは、「悪役円楽」の存在感である。円丈師は今でこそ落語通には有名な存在だけど、分裂時にはなんと真打昇進披露の直後だったという。50日に及ぶ披露公演が終了した途端に寄席に出られなくなってしまった。円生は弟子にも詳しいことは何も説明せず、何がどうなっているか判らない。疑心暗鬼の日々が続くが、その間三遊亭円楽は一番弟子というより、ほとんど師匠を動かす黒幕的に事を進めている感じ。弟子たちはみな円楽を煙たがり、もっと言うと嫌っている。だが、大声で場を取り仕切る円楽の存在感のすごさ。

 円丈は新米真打だから、脱退組は「円生、円楽、円窓ら」などと新聞記事にも書かれ、「ら」の悲哀を味わう。弟子の中でも、さん生好生のように、協会に残った者もいる。残りたいと言って「破門」されたのである。(さん生は小さん門下で川柳川柳(かわやなぎ・せんりゅう)を名乗って、今も活躍している。好生は林家正蔵門下で春風亭一柳を名乗るが、円生死後の1981年に自殺した。)円丈も残りたい、寄席に出たいと熱望するも、「壮絶な説得」、実は「これがパワハラだ!」を受け、師とともに脱退する。しかしもう円生、円楽に対する気持ちは終わってしまったのである。

 円丈は協会に戻った後に、ものすごく多数の新作落語の傑作を作った。円丈なくして、上方落語の桂三枝(現・文枝)の新作もないし、春風亭昇太の存在もなかった。現在の落語界は大きく変わっていたはずだ。新作落語というのは、演劇で言えば一人で原作、演出、演技をこなすようなもの。音楽で言えばシンガーソングライターである。だから、円丈は自らの心の傷を癒すためにも、この壮絶な「暴露」を書かずにはいられない。その心理は非常によく判った。

 と同時に、師円生は脱退後に芸が研ぎ澄まされてゆく。自ら地方行脚を繰り返し、ホール落語にもよく出る。落語家として初めて歌舞伎座で独演会をやったのもその頃である。新協会を支えるために、仕事を毎日入れて、そして体は疲弊してゆく。その様を弟子円丈が冷静に見ている。ただ、寄席に出られないと、幹部クラスはホール落語やテレビに出られるからいいけど、前座・二つ目の修行の場がなくなる。ついてきた弟子のことを考えると、円生も円楽もリーダーとしてどうなんだと思う。そういう「組織論」としても考えるところが多い。

 この騒動は当時大きく騒がれたから、僕もよく覚えている。だけど、その当時は寄席にもホール落語にも縁遠かった。この本に出てくる有名落語家もほとんど見ていない。映画や演劇にはよく行ったけど、今のような落語ブームじゃなく寄席の敷居は学生には高かった。テレビ番組の「笑点」は当時の方がもっと人気番組で、かなり見ていたと思う。円楽(5代目)は司会者になる前で、「星の王子様」を名乗って大人気だった。実は円楽は僕と同じ小学校を出て、同じ町に住んでいた。町中で見かけることもあったが、何となくこの本で書かれたことも判るような気がする。

 20世紀末から落語を時々聞くようになり、円丈さんも何度も聞いた。うまく行くときは超絶的に面白いんだけど、だんだん老いた感じもある。新作だけでなく、古典もとても面白い。あえて円生に弟子入りし、壮絶な体験をする。それがその後の円丈を作ったんだろう。「御乱心」は70年代末の世相を知る意味でも面白い。円楽は何かというと「敗北主義はいけない」と説教する。「敗北主義」なんて政治用語、特に新左翼学生用語みたいな言葉を誰もが使っていた。一方、真打披露公演のご祝儀を節約して、円丈は前座を連れてソープランドに連れて行くなんて、今は書けないだろう話も生々しい。前座思いの「ちょっといい話」だったのである。
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ノミはすごい、ヒトデもすごいー「ウニはすごい バッタもすごい」を読む

2017年11月20日 22時47分50秒 | 〃 (さまざまな本)
 中公新書「ウニはすごい バッタもすごい」を読んだ。著者の本川達雄さん(東工大名誉教授)と言えば、あの忘れがたい名著「ゾウの時間 ネズミの時間」を書いた人である。著者紹介を見たら、今まで他にもずいぶん新書を書いてるみたいだけど、気が付かなかった。今回は本の名前のインパクトで気が付いて読みたくなった。でも結構手ごわそうで、2月に出た本を4月に買って、そのまま放っていた。「サラバ!」で小説に満腹したので、こっちを読み始めたがやはり手ごわい。

 でも、この本は「目からウロコ」の続出で、今まで一度も考えてもみなかった視点で書かれている。ウニやバッタの本ではない。あらゆる動物、いや植物も出てくる。そして、それを「デザインの生物学」という観点で考察している。そりゃあ、何だろうという感じだけど、僕らは「犬」と言われれば、品種はいっぱいあるけど、「犬」と認識して思い浮かべることができる。「猫」とは違うけど、「犬」も「猫」も、あるいは「馬」も「牛」も似たような格好をしている。頭と目が先端にあって、しっぽが最後にある細長い立方体をしている。それは何故かという問題。もう当たり前すぎて考えたこともない。

 どんな太った人でも、普通は身長より横幅が長い人はいないだろう。生物は基本的に細長い。魚を見れば判る。魚が横幅の方が広ければ、水圧で動けない。新幹線の先っぽがどんどん細長くなっていったように、水圧や気圧を受け流すためには細長くなければ生きていけない。動物は「動くもの」だから、目で食物を探したり、危険を察知できるように、目の方向に進めるようになるのが有利である。脳と感覚器官が近くなければ、せっかく感知した情報もうまくいかせないから、感覚器官(目、耳、鼻、口など)は脳の近くにある。(口が一番下があるけど、そうじゃないと食べ物をこぼしたときに困る。)

 なるほどうまくできているなあと思う。でも、この本では哺乳類に関してはほとんど書かれていない。50頁は昆虫の話。そして200頁ほどが海の生物たちである。昆虫は地球上で一番栄えている種類だけど、陸上生活は大変なんだという。人間はずっと陸上で暮らすのに慣れてしまったから、水の中にいる方が大変そうに思うけど、言われてみれば水中生活の方が楽なのである。

 水流があるから、それほど苦労しなくてもエサが見つかる。口を開けていれば、向こうから入ってくる。紫外線にさらされる苦労も少ない。酸素を得ることだけが陸上より大変だけど。そして、どんな生物も体の大部分は水なわけだけど、水中にいる限り水の獲得に困ることはない。陸上の生物は、みな水分の確保には非常に苦労しているのである。

 陸上に進出して大成功した昆虫類は、体をクチカラというもので覆っている。クチカラは皮膚のラテン語から来た言葉で、英語ではキューティクル。カブトムシとかクワガタとか、あるいはアリとか、あまり思い出したくないけどゴキブリとか、皆固い。このようなバリアーを張り巡らしたから、水分の蒸発を防ぎ、紫外線の害にも耐えられる。だけど、そんなよろいをまとってしまったら、動けないはずでは? 

 それなのに昆虫は素早く動けるし、ハチのように素早く飛び回る虫もいる。その体の工夫は読んでビックリ、神技としか思えない。昆虫は体に比べて、非常に大きな跳躍力がある。バッタもそうだけど、僕が一番驚いたのはノミ。体長2.5ミリのケオプスネズミノミがチャンピオンらしい。50センチも跳ねて、体長の200倍。脚の関節部のクチカラには、レジリンという特別なタンパク質がある。レジリンは弾性エネルギーの97%が位置エネルギーに変換されるという。(つまり、1mの高さから落とすと97センチ跳ねる。)これほどすごいゴムは工業界に存在せず、遺伝子操作で作る研究がされている。

 今度は海の生物の話。そもそも貝はなぜラセンなのかヒトデはなぜ星型か。そういうもんだと思って、考えたこともない問題だろう。そして、ナマコは、ホヤは? その驚くべき暮らしぶりが紹介されていく。貝がなぜラセンなのかは、非常に面白くて納得できるので、是非自分で確認を。ここではヒトデの話を。ヒトデは海のギャングと言われ、貝やサンゴの天敵だから、どうも好きになれない。貝に食らいついて何日も待って、油断したところをこじ開けて溶かして食べてしまう。

 どうもやな奴だなと思うが、それはそれとして、そういう風に生きているヒトデも面白い生物だと思った。最初に書いたように、ほ乳類には「前後」があり、前に進む。だから「前向きに頑張ろう」という表現が可能になる。でも、ヒトデは五角形で前後はないのである。どの方向ににも進める。海の中だから、エサがどっちからでも流れてくるから、その方が都合がいいのである。「滑走路仮説」や「サッカーボール仮説」が紹介されている。それは何だ? 

 それは僕の手に余る感じなので、直接読んでほしいと思う。ただ、偶数形だと、水流に載って来たエサを感知するときに、半分が役に立たないケースが出てくる。でも、五角形ならどこから来たエサも見つけやすい。それは図で解説されているが、要するに五稜郭と同じなのである。なるほど、そう見るとヒトデが星型なのも納得できる。もう他の問題は省略するが、一番最初のサンゴのところだけでも読む価値がある。大体、サンゴ礁は知ってても、サンゴがどういう動物かちゃんと知ってる人は少ないだろう。地球温暖化の影響を一番受けるらしい、このサンゴをちゃんと知ってないと。それにしても、叙述はなかなか難しく、そう簡単に読み進めない。でも、頑張って少しづつでも読んでみる価値はある。そういう見方ができるのかと知るだけでも。
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岩波新書「戦争をよむ」

2017年09月20日 22時45分26秒 | 〃 (さまざまな本)
 中川成美『戦争をよむ』(岩波新書)を読んだ。中川成美(しげみ、1951~)氏は立命館大学教授やスタンフォード大学客員教授などを経て、現在は立命館大学特任教授と紹介されている。専門は「日本近現代文学・文化、比較文化」と書いてある。名前も承知していなかったけれど、70冊の本を通して「戦争」の諸相を考えてみようという本。ぜひ多くの人が戦争を考えるヒントにしたい本。

 著者の専門を反映して、ここには「広義の文学」が選ばれている。歴史専門書、戦争や国際関係の理論書などはない。小説の中でも「純文学」系が多く、エンターテインメント系の小説は少ない。(江戸川乱歩や松本清張などは選ばれている。)でも、それでいいと思う。今はなかなか読まれていない本、忘れられたような本がたくさん入っているけど、それこそ著者の目的だと思う。

 本、特に「文学」の本は、人間の精神の歴史においてとりわけ重要な役割を果たしてきた。今では映像や様々な芸術ジャンルも考えないといけないけれど、何かを真剣に考えようと思ったらやはりまず本を読まないとダメだ。昔は若者向け読書ガイドみたいな本や雑誌企画がいっぱいあった気がする。このような読書ガイドに使える「本の本」がもっと必要なんじゃないだろうか。

 この本の構成を見ると、最初に「戦時風景」、続いて「女性たちの戦争」、「植民地に起こった戦争は-」、「周縁に生きる」、「戦争責任を問う」、「今ここにある戦争」と6つの章に分かれている。戦後の「戦争文学」と言われる本は最初の章だけで、あとは女性、植民地、周縁、戦争責任…と問題関心が広がっていく。このテーマ設定に、21世紀の現代性が現れている。だから単なる「戦争小説紹介」に留まらず、「現代世界を新しく理解するヒント」になっていると思う。

 第1章では、定番的な火野葦平「麦と兵隊」大岡昇平「野火」梅崎春生「桜島」原民喜「夏の花」などが選ばれている。特に戦争というテーマにしぼらなくても、「野火」や「夏の花」なんかは全日本人必読なんだから当然だろう。でも冒頭に選ばれているのは、徳田秋声の「戦時風景」という作品である。そして、ただ一人2つの作品が選ばれているのも徳田秋声(1872~1943)だけ。「自然主義」私小説の大家と言われながらも、今はほとんど読まれない徳田秋声を2つ選ぶ理由は何?

 そこにこの本の独自性というか、著者の独特の戦争観があると思う。その理由は読んでもらうとして、そういう独自性は以下の章でも存分に発揮されている。「女性たちの戦争」で、「二十四の瞳」「浮雲」などに加えて、近年の世界的ベストセラー「朗読者」やノーベル文学賞を受けたドキュメンタリー作家、アレクシエーヴィチ「戦争は女の顔をしていない」を選ぶ。それはまだ判るとしても、森三千代(金子光晴の妻)や池田みち子(山谷に生きた女性作家)、宮田文子(武林無想庵の妻として渡欧した後で離婚)など、今ではほとんど名前も忘れられている作家が取り上げられている。

 そういう選び方をするのは、女性と戦争の関わりを単に「被害者」「加害者」といった枠組みから解放し、もっと複眼的な目で見てみるということだろう。その結果、実に多様な戦争の実相が紹介される。「植民地」の章でも同様。朝鮮、満州、台湾など日本の植民地が扱われるが、朝鮮では梶山季之「族譜」だけでなく、「親日派」として文学生命を抹殺された張赫宙「岩本志願兵」にも触れる。台湾でも先住民の作品も扱う。ベトナム戦争も取り上げる。バオ・ニン「戦争の悲しみ」ティム・オブライエン「本当の戦争の話をしよう」という割と知られた小説だが。そうやって、植民地における戦争を重層的に考えるわけである。その本を読まなくても、そういう本があると知ってるだけで力になる

 「周縁に生きる」の章になると、安本末子「にあんちゃん」永山則夫「無知の涙」など、直接には戦争に関わらない本まで登場する。第5章「戦争責任を問う」でも、「ジョニーは戦場へ行った」から始まり、山田風太郎「戦中派不戦日記」坂口安吾「戦争論」中繁重治「五勺の酒」などからノーマ・フィールド「天皇の逝く国で」まで扱う。いま中身には詳しく触れないけど、この選択には深くうなづかされるしかない。この章には、僕の大好きな竹内浩三「戦死やあわれ」結城昌治「軍旗はためく下に」も入っている。これはぜひ読んでほしい本だ。

 そして最終章。オーウェル「一九八四年」ウェルベック「服従」なんかに加えて、目取真俊「水滴」伊藤計劃「虐殺機関」などが選ばれた。ここにはパスカル・メルシエ「リスボンへの夜行列車」ヤスミラ・カドラ「カブールの燕たち」という小説が紹介されている。読んでないどころか、そういう本があることを知っている人もほとんどいないんじゃないか。そんな本が書評に出てたなと思い出したけど、くわしいことは全然知らなかった。こういう本があり、そういう著者がいるんだ。ぜひ読んで見たいと思ったけど、読む読まないじゃなくて、そういう本を書いた人がいると知ってること自体が大事だと思う。

 この本には70冊しか出ていない。多様な歴史を考えるためにあえて選ばれた本も多い。だからというか、戦後日本でよく読まれた本、あるいは大長編小説なんかが選ばれていない。(例えば、五味川純平「人間の條件」大西巨人「神聖喜劇」など。)またエンタメ系や児童文学が少ないから、あまり本を読んでない人には取っつきにくいかもしれない。戦場の実相を伝える小説や戦後の生活を描く小説も少ないけど、すぐれた作品がたくさん書かれているので、自分で探していく必要がある。
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辺見庸・目取真俊の対談「沖縄と国家」

2017年08月28日 22時39分44秒 | 〃 (さまざまな本)
 辺見庸目取真俊の対談「沖縄と国家」(角川新書)が出た。2017年3月に共同通信の配信用記事のために対談したものをまとめた本。最近読んだ記憶がないぐらいに、苛烈にして奥深い感じの対談になっている。題名通り、「沖縄」と「国家」に関して縦横に語りあっている。注も丁寧につけられているから誰でも読めるけど、「本土」に住むわれわれ問うまなざしは厳しい。覚悟して読むべし。

 ところで、この二人を知らない人もいると思うから簡単に。辺見庸(へんみ・よう 1944~)も目取真俊(1960~)も、どちらも芥川賞を取った小説家である。辺見庸は共同通信の記者だったが、1991年7月に「自動起床装置」で105回芥川賞を受賞した。その後、「もの食う人びと」で講談社ノンフィクション賞を受賞。詩でも中原中也賞、高見順賞を受けているなど活躍している。だけど、近年は右傾化する日本社会への根底的な批判を行う評論作品が多い。

 目取真俊は、1997年7月に「水滴」で117回芥川賞を受けた。沖縄出身で沖縄を主題にした作品で受賞したのは、大城立裕、東峰夫、又吉栄喜に次いで4人目。一貫して沖縄戦や沖縄の風土を背景にした作品を発表してきたが、近年は辺野古や高江の基地反対運動に直接関わって、ブログ「海鳴りの島から」で日々の様子を発信している。これは毎日必見のブログ。

 僕は芥川賞作品ぐらいは読みたいと思っているので、「自動起床装置」も「水滴」も読んでいる。辺見庸はなんだかノンフィクションや評論の印象の方が強いんだけど、目取真俊の作品は本当に独特で「日本語文学」を豊かにする可能性を持ったものだと思う。本人も貴重な50代を反対運動に取られるのは苦痛だと言っているけど、目の前にある国家権力の横暴を見過ごせない。そういう日々の大変さを押して発信されているブログは心して読まないといけない。

 しかし、まあこんな対談者紹介なんかいらない本なんだと思う。表紙にはこうある。「沖縄という傷口から噴き出す、むき出しの国家暴力」「基地問題の根底に横たわるこの国の欺瞞を、戦う二人の作家が仮借ない言葉で告発する」。裏表紙には「だれも傍観者、忘却者であってはならぬ」ともある。このような言葉に接して、目をつぶって見なかったことにするか、それともこういう言説は敵だと思うか。いや、これは是非読まなければいけない本だろうと考えるのか。

 そこに人として問われる瞬間がある。目取真氏はこういう。「本土」で「憲法を守れ」という集会をやってるよりも、辺野古に来てトイレ送迎の運転手をして欲しいと。具体的にいま、日本の国家家力の暴力的意思が辺野古で発動されている。それを止めたいと思う人々が集まって権力と対峙している。「平和運動」をしている人なら、そこに来るべきなのではないか。確かに仮借ない言葉である。

 沖縄の歴史、今までの経過も語られている。基地問題天皇制の問題沖縄戦の記憶、非常に重大なことが語られている。むしろ「無関心だった人」や「右派的な人」こそが、読んでどう感じるかはともかくとして接してみるべき本だと思う。いや、「左派」や「リベラル」も同じなんだけど、僕は「感度のいい人」「感度の鈍い人」は、そういう政治的な立場とあまり関係ないと思っている。

 読んで楽しいという本ではないけど、娯楽のためじゃない読書もしないといけない。確かにこういう本ばかり続けて読むのは大変だ。でも年に何回かはこういう本を自覚的に読んだ方がいい。4回にわたる対談をまとめた本だから、文章としては読みやすくて何の問題もない。それより、今の日本の中で非常に孤絶した場所から発せられた言葉には、人を引き付ける強い魅力がある。僕はその魅力に、イマドキの軽い言葉にはない磁場を感じて引き付けられるのである。
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望月衣塑子「武器輸出と日本企業」

2017年07月25日 20時55分05秒 | 〃 (さまざまな本)
 望月衣塑子(もちづき・いそこ 1975~)という名前だけで判る人は、まだ少ないかもしれない。でももっか売り出し中の新聞記者として、知名度は急速に上がっているだろう。(「望月」と打ち込むと、検索の上位に出てくるぐらい。)菅官房長官に何度もくらいついて質問した、東京新聞の記者である。
 
 その望月氏が長年追いかけてきたのが、日本の武器輸出問題。ちょうど1年前の2016年7月に、角川新書から「武器輸出と日本企業」という本を出していた。そりゃあ知らなかったと早速買ってみたんだけど、案外読むのに時間がかかった。難しい本じゃないんだけど、そして僕も問題意識を共有しているんだけど、武器・兵器というものに関心がない。武器だからというのではなく、クルマだの家電だのと機械全部に渡って、モノとしてあまり惹かれないんだと思う。

 それにしても、安倍内閣の数年間の間に、日本社会がどんどん変えられちゃったことに愕然とする。そして、それはむしろ民主党政権が「地ならし」をしてしまっていたのである。日本は今まで長いこと、「武器輸出三原則」を方針としていた。佐藤内閣(1967年)、三木内閣(1976年)によって定められたのである。日本は長いこと武器の輸出に関して慎重な立場を取り続けてきた。

 それが第2次安倍政権によって、「防衛装備移転三原則」というものになった。
①国連安全保障理事会の決議などに違反する国や紛争当事国には輸出しない。
②輸出を認める場合を限定し、厳格審査する。
③輸出は目的外使用や第三国移転について適正管理が確保される場合に限る。

 これは厳格なようでいて、実は「問題の立て方」を逆転させたものである。つまり、それまでは「武器は基本的に輸出しないが、こういう場合には輸出もできる」というものだった。(アメリカと共同開発した武器技術などにかんして、政府として全面禁止にできないので、そういう場合に「弾力運用」することになってきた経緯がある。)それに対して、安倍内閣では「武器は基本的には輸出できるが、こういう条件を満たさないといけない」と原則が逆になってしまったわけである。

 そういう現実を説明したあとに、各企業や研究者などに多数取材してホンネを探っていったものが本書である。そうなるにはなっただけの経過もあるわけで、今では「武器技術」と「民生技術」をはっきり分けることがより難しくなっている。それはノーベルのダイナマイト発明時代から存在する問題ではあるけれど、最近のロボットやAIの発達を武器に転用すれば恐ろしいことも可能になるだろうと思う。でも日本の企業や大学がAI研究に取り組んじゃいけないとは言えないだろう。

 経済界も長く武器輸出を求めてきたらしい。だけど、この本を読んでわかるのは、じゃあ輸出をどんどん認めれば日本企業は大儲けできて言うことなしなのかと思うと、そうでもないらしいということだ。まず、日本の武器(戦車など)は作っても自衛隊しか買わないことを前提に開発されてきた。だからものすごく高いのである。そして、実戦に使われたことがない。だから当然、実戦で本当に役に立つかどうかの検証がない。防衛装備とは、買う国にとってはその国の税金を使うんだから、その国なりの「説明責任」が生じてくる。日本製武器を買う意味が果たして相手国にあるのか?

 それに上記原則によれば、イスラエルやサウジアラビアなど親米国には武器輸出ができることになっている。そうなると、実際に戦争に使用される可能性が出てこないとは言えない。そうなったとき、日本の世論、そして当の企業で働く労働者にどのような影響を与えるか。それはまずい、おかしいんじゃないかという気持ちがあるんじゃないだろうか。大企業に仕事を貰う中小企業では、大きな声では言えないけれど、実はあまりやりたくないという声をこの本はたくさん拾っている。

 それは単に「武器だから」というに止まらず、秘密保持が求められたり、外国人従業員を使えなかったりと言った面倒がたくさんある。それでは儲かるかと言えば、大企業はともかく下請けにはそれほど儲けが回ってくるわけではない。そういう問題が実はあるということだ。だけど、研究者はちょっと違うかもしれない。アメリカ軍の研究資金をどう考えるのか。日本でも防衛省の研究資金に応募するべきかどうか。昨年来時々報道される問題だけど、現実の苦労の中でどう考えるべきなのか。

 それにしても、研究費があまりにも削減されている現実。それに対して、軍事企業の高揚した様子が恐ろしい。防衛省は、次期戦闘機を国産にして100機開発するために4兆円規模の開発費を税金で投入した場合、24万人の雇用創出、8兆3千億円の経済効果が見込めると試算しているという。(46頁)しかし、それは税金なんだから、他のことに投入してもっと大きな雇用を作れることもあるだろうし、減税に回せば消費が増えるかもしれない。なんで武器開発だけを考えるのだろう。確かに戦争は世に絶えない。だから、それを日本経済の浮揚に利用して何が悪いと本気で考えているらしい人がけっこういるということがよく判った。日本の現実を知るために。
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「ネガティブ・ケイパビリティ」という大事な考え方

2017年07月13日 22時40分01秒 | 〃 (さまざまな本)
 帚木蓬生(ははきぎ・ほうせい)「ネガティブ・ケイパビリティ 答えの出ない事態に耐える力」(朝日選書)という本を読んだ。この本に出てくる「ネガティブ・ケイパビリティ」という言葉は初めて聞いたけど、ものすごく大切な考え方だと思う。話が重要なうえに、あちこち飛んでいるから、必ずしも判りやすい本じゃない。でも、ものすごく大事なことが書いてある本だ。医師、教師などを初め、人間に接する仕事をしている人は必読だし、あらゆる人に読んでほしい本。

 帚木蓬生(1947~)という作家はミステリー系の作品を中心にしていて、戦争を背景にした骨太な社会派作品も多い。「三たびの海峡」(吉川英治文学賞新人賞)、「逃亡」(柴田錬三郎賞)などいくつかは僕も読んでる。でも、本職は精神科医なのである。東大文学部、九州大学医学部を卒業し、フランスに留学。その後、大学や病院で長く勤務した後、福岡県中間市に精神科・心療内科のクリニックを開業して、開業医のかたわら作家としても活躍しているという人である。

 ネガティブ・ケイパビリティ(negative capability)って言うのは、もともと19世紀初頭のイギリス詩人、ジョン・キーツ(1795~1821)の言葉だという。わずか25歳で亡くなった人で、そう言えば「ブライト・スター」というジェイン・カンピオン監督の映画を見たことがあった。キーツは手紙の中でたった一言「ネガティブ・ケイパビリティ」という言葉を書いた。それはシェークスピアに関する言葉だった。

 シェークスピアの作品なら、誰でもいくつかは知ってるだろう。悲劇、喜劇、歴史劇をたくさん書いた。「ハムレット」「マクベス」「ロミオとジュリエット」…いくつもあるけど、じゃあシェークスピアの思想と言われても、誰も考えたこともないだろう。時代も違うけど、なんらかの思想や政治的立場を広めるためではなく、ただひたすら人間の生を見つめる中で書かれているからである。

 そういうシェークスピアの作品をキーツが「ネガティブ・ケイパビリティ」と表現した。その言葉を第一次大戦、第二次大戦の時代を生きたイギリスの精神科医、ビオンという人が再発見した。そこでは「ネガティブ・ケイパビリティ」という概念を、判り安く現実を安易に「理解」してしまうのではなく、「不可思議さ、神秘、疑念をそのまま持ち続け、性急な事実や理由を求めないという態度」と考えたのである。キーツはもともとは詩人の資質と考えたわけだけど、ビオンはそれを精神科医にも大切なものだと再定義したのである。そして帚木氏は教師や多くの人にも大切だとしてこの本を書いた。

 capabilityという言葉は、辞書を検索すると、能力、才能、可能性などと出ている。だから、「核戦闘能力」は「nuclear capability」となる。だから、普通に考えれば、ポジティブなケイパビリティは必要だけど、ネガティブなケイパビリティなんか不要な感じがする。実際、今の学校で求められている「問い」に対して「正答」を早く導き出す能力は、ポジティブ・ケイパビリティというものである。

 だけど、教科学習においては、答えが導き出されるような問いを教師が行うから、ポジティブな能力で解決できる。でも、学校でも生活指導、生徒会指導、部活指導なんかでは、すぐには解決できない問題が多いのは誰でも知っている。努力さえすれば、全部の高校野球部が甲子園に出場できるわけではない。大体、それでは「大会」の意味がない。負けるところがないと勝つチームもない。人生というのは、むしろ「思うようにならないこと」の連続だ。

 本当は学校でもそういう時の対処法を教えた方がいいのかもしれない。でも、教師も教えられてないし、最近は教師こそ「問題解決能力」を競わされている。(全国学力テスト」の学校ごとの結果を公表するとか、教師の仕事ぶりを校長が評価して給料を上げたり下げたりするなど。)そうなると、学校の中で「どうにもならないことに耐えていく力」が失われてしまうのではないか。この本で「ネガティブ・ケイパビリティ」と言っているのは、おおよそそういうことだと思う。

 そうすると、これは非常に大事なことで、医療、福祉、教育なんかの仕事をする人ばかりでなく、多くの人に必要なものだと判る。誰もが病気をして、やがて死ぬわけだから。生まれた時代、親の経済力、容姿や運動神経…。気づいたときには自分にはどうしようもないことに囲まれているのが人生だろう。漢字検定なんかは、まあ努力で向上するだろうが、そういうことの方が少ない。

 だけど、今まで家庭でも学校でも「頑張れ」ばかりで、「どうしようもないことに耐える力」の必要性なんか教えてなかった。でも、多くの人は生きてる中で、自分でそういう能力を身に付けていく。帚木氏の本を読むと、それはもともとの発見の経過からも「詩」とか「劇」というものに深く関わっているんじゃないかと僕は思う。そこらへんは今後も考えていきたい課題だ。

 「帚木」「蓬生」というのはもちろんペンネームだけど、多くの人はすぐに気づくと思うけど「源氏物語」の巻の名前。帚木氏によれば、紫式部はシェークスピアに匹敵する「ネガティブ・ケイパビリティ」の持ち主だった。多くの女性たちの運命を見つめ、簡単に決めつけるのではなく、人生の様々な瞬間を生き生きと再現していく。千年前の日本の宮廷の愛の物語が、なぜ今も世界中で読まれるのか。そこに描かれる人々が、人間の本質を見事に描いているからだ。源氏物語に関する考察も非常に面白かった。特にフランスの作家ユルスナールの書いた「続編」の話。
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川本三郎「『男はつらいよ』を旅する」を読む

2017年06月27日 23時02分27秒 | 〃 (さまざまな本)
 川本三郎さんの「『男はつらいよ』を旅する」(新潮選書)を読んだ。昨日はこの本を読みふけっていた。こういう本は読み始めたら止められない。だから5月に出た後、買わずにいたんだけど、日曜日にうっかり本を持たずに外出してしまった。神保町で映画を見たから、どうしても帰りがけに本を買いたくなる。ということで、川本さんの映画関係の本は買えばすぐ読んでしまうわけである。

 「男はつらいよ」シリーズと言えば、特に半ばころから全国各地でロケ誘致運動もあり、全48作で日本各地を回っている。さすがに全県というわけにはいかないけど、北海道から沖縄まで全国を旅した。車寅次郎の仕事は「テキヤ」なんだから、全国を回るし、飛行機や車は使わずに鉄道の旅になる。この本を読むと、山田洋次監督が相当の鉄道ファンだと判る。川本氏も鉄道ファンだから、今は亡き廃線路線が映像に残されていることを「動態保存」と呼んで喜んでいる。

 川本さんの寅さん紀行は今までも読んだような記憶があるけど、今回改めて「新潮45」の編集部が提案した。確かにこれはあるようでなかった企画で、21世紀も15年以上たって何十年か前の日本を振り返ってみるのは意味がある。廃線になった路線、なくなった旅館なども多いけど、どこへ行ってもロケの記憶が大切に残されている。そのことも読んでいてうれしくなる。

 川本氏は「男はつらいよ」に非常に早くからひかれていた。「マイ・バック・ページ」に出てくる事件の前、朝日新聞に勤務していたわけだけど、週刊朝日で寅さんと柴又を取り上げていた。これは一般週刊誌が寅さんを取り上げた早い例だと書いている。しかし、「『男はつらいよ』が好きだと言うのは、実は評論家として勇気がいる。『あんな、なまぬるい映画のどこがいい』と批判する評論家がいまだに多いから。」と書いている。今もそう言う人が多いかどうかは僕はよく判らない。

 でも、70年代、80年代には僕もそう思っていた。見ていることは見ていたけど、ものすごく好きだったわけではない。それは同時代に東映実録映画日活ロマンポルノもあり、そっちの方が威勢が良かったのである。ATG映画もまだ健在だったし、76年になれば角川映画の大作も作られる。他にも面白い映画がいっぱいあったのである。そして「男はつらいよ」を評価する評論家は、「暴力」や「低俗」、あるいは「難解」や「商業主義」を否定し、家族が皆で見られる「健全な娯楽」としての映画は、今や「男はつらいよ」だけであるなどと論陣を張っていたのである。

 まあ、その裏には「党派的」な問題があったんだろうけど、そのことはここでは触れない。僕としては面白い映画を見たいだけだったわけだが、寅さんシリーズの平均作より面白い映画は当時いっぱいあったと思う。だけど、僕も今となってみると、どんどん再評価しつつある。安定した技量、つまり落語通の山田洋次によるツボを押さえた脚本、常連出演者の演技のアンサンブルの素晴らしさ、撮影の高羽哲夫などの技術の高さなどがいつ見ても素晴らしい。

 そしてテーマ音楽を聞いただけで懐かしくなる「男はつらいよ」の世界。毎回同じパターンと言えば、若いころはもういいやと思ったもんだけど、年齢を重ねると懐かしくて良いと思うわけである。それは映画にとどまらず、温泉なんかも若いころは一度行ったところは行かないなどと宣言していたけれど、今は同じ宿に何度泊ってもいいなあと思うのである。やっぱりそうなるのである。

 最初が初めての沖縄旅行。戦争映画を今も見られない川本氏は、今回が初の沖縄行きなのである。それから葛飾柴又。そして北海道、会津、北陸、木曽、京都大阪、山陰の温泉津(ゆのつ)温泉、岡山の高梁(たかはし、さくらの夫博の父の実家がある)、播州龍野(キネ旬ベストテン2位の「寅次郎夕焼け小焼け」の舞台)、五島列島、大分の湯平温泉、福岡の秋月、愛媛の大洲など各地を訪ね歩き、最後はもちろん最終作、寅がリリーと暮らす(?)奄美の加計呂麻(かけろま)島。

 もっと行っているけど、これほど多くを旅するというのは、川本さんがいかに旅が好きかが伝わってくる。どこへ行っても「過疎化」というか、「シャッター通り」が増えている。でも、同時に寅さんが来たという思い出を大切にしながら地道に日々を生きてきた人々もいる。日本の風土的、文化的な多様性、豊かさを感じる。どっちも日本の現実なんだろう。

 48作あるシリーズ作品の中でも、僕はやはり浅丘ルリ子が旅の女歌手リリーを演じた作品「男はつらいよ 寅次郎忘れな草」(1973)と「男はつらいよ 寅次郎相合い傘」(1975)、特に後者が最高傑作だと思う。後者は「蒸発」したサラリーマン、船越英二が素晴らしく、小樽が出てくる多くの映画の中でも最高レベルだと思う。有名な「メロン騒動」もシリーズ最笑級のギャグである。それもあるけど、2作目になる寅とリリーの掛け合いが素晴らしく、何度見ても飽きない。

 作品レベルで言えば、僕は75年の「相合い傘」、76年の17作目「夕焼け小焼け」が素晴らしいと思うけど、違う考え方もあり得る。「おいちゃん」を森川信が演じていた8作目の「寅次郎恋歌」までの初期作品こそ最高だという考えも当然あるだろう。特に北海道の大地を蒸気機関車を追う「望郷篇」(5作)、青森の鰺ヶ沢近くから出てきた、ちょっと知恵遅れ気味少女榊原るみが「寅ちゃんのお嫁さんになる」と言う「奮闘篇」(7作」なんかも忘れがたい。もちろん第1作と第2作もいいんだけど。(ちなみに戦前の森川信に関して、坂口安吾「青春論」に書かれているという。)

 そこらへんの映画を見ているなら、今ロケ地がどうなっているか。映画に出てきた鉄道や駅は今もあるのか。とても知りたいだろう。この本はそういうファンに十分に応えているけど、多分見てない人にも楽しめると思う。鉄道ファン、歴史や文学ファンはもちろん、日本社会に関心を寄せる人は読んで損はない。そしてここに出てくる多くの場所に行ってみたいと思う。(でも無くなった場所も多い。北海道・中標津の養老牛温泉「藤や」がないという。93年に友人の平野夫婦と僕ら夫婦で泊まった旅館。)

 渥美清の俳句も出ているが、これがなかなかいい。(俳号は「凬天」だという。)
   好きだからつよくぶつけた雪合戦
   お遍路が一列に行く虹の中
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9条と国民主権-古関彰一「日本国憲法の誕生 増補改訂版」を読む②

2017年05月08日 23時07分54秒 | 〃 (さまざまな本)
 「日本国憲法の誕生」の歴史において、やはり「憲法9条」、そして「国民主権」をめぐる問題が、最大の焦点だったのは間違いない。だから、そのテーマをめぐって書くけど、憲法をめぐる議論をいま本格的に書きたいのではない。今回は「書評」ということで。(憲法改正論議に関しては別に書く。)

 さて、大日本帝国憲法はそもそも改正する必要があったのか? 今じゃ当たり前すぎて誰も考えないけど、当時はそれもまた大きな論点だった。そして美濃部達吉斎藤隆夫幣原喜重郎のような、軍閥や右翼にひどい目にあわされてきた人々も、当初は改正不要論だったのである。美濃部達吉は「天皇機関説」が問題とされ、貴族院議員を辞職し、右翼に襲われた。斉藤隆夫は「反軍演説」で衆議院を除名された。幣原はたびたび外務大臣を務めたが、軍部・右翼からは「軟弱外交」と非難された。

 まあ判らなくもない。これらの人々は「大日本帝国憲法体制」に恨みがあったのではなく、軍部や右翼に恨みがあったということだろう。敗戦に伴い、軍閥や右翼は権威を失墜した。もともと彼らは大日本帝国で重要な地位を占めてきた。彼らを追放した一派がいなくなれば、これからは自分たちの時代である。自分が帝国を指導していれば、無謀な対外戦争は起こさなかった。だから、それでいいわけで、改正の必要はない、ということだと思う。特に美濃部博士は、一生研究してきた帝国憲法がそもそも間違いだとは言えないのかもしれない。復帰した貴族院でも改正に反対した。

 こうして、戦前には「体制内リベラル」のように見られてきた人々が、実は「天皇制の呪縛」から逃れられないでいた。後にGHQ(連合国軍最高司令官総司令部)から「押しつけ」のような状況になるのは、まず第一に日本側に当事者能力がなかったからだということがこの本を追っていくとよく判る。マッカーサーはよく知られているように、昭和天皇を戦犯裁判に起訴するつもりはなかった。それに対して、マッカーサーの独断を押さえるために「極東委員会」(FEC)が作られる。1946年2月末に正式に発足すれば、天皇制に厳しい見方をしていたソ連やオーストラリアの意見が大きくなる可能性がある。

 GHQが急いで憲法改正案をまとめ上げたのは、「日本が平和国家に変わった」、だから「天皇がいても問題ない」という構図を作ることが目的だったのは間違いない。だから日本国憲法を「押しつけ」だというなら、それは「憲法9条の押しつけ」だったのではなく、「象徴天皇制の押しつけ」だったわけである。改正案審議時の首相・吉田茂やその前の首相・幣原喜重郎も、そのことはよく理解するようになっていた。(319頁)「皇室の御安泰」のためには、この憲法を受け入れる他なかったのである。

 そのことは改定前の本で、すでに明確になっていたが、今回の増補改訂版ではさらに「昭和天皇実録」など新しい資料を使って論じられている。それらを見ると、まだ不明確な点も多いけど、「本土の非軍事化」と「沖縄の軍事占領」がセットになっていたことの意味がさらに重大な論点になってきたと思う。憲法9条で日本が戦争を放棄したことは、同時に米軍が沖縄に軍事基地を固定化することでもあった。それを理解していたのは、同時代的には、「沖縄メッセージ」を発して沖縄の軍事占領を認めた昭和天皇ぐらいしかいなかったのではないだろうか。

 本書によれば、もともとGHQでは9条は「戦争の廃止」と表現されていた。その「廃止」という表現は、米国では「奴隷制の廃止」を連想させるという。それが「日本化」される過程で、「放棄」という表現に変わっていく。日本政府は、日本語表現と英語表現をあえてあいまいにすることが多かった。そのこともあって、言葉の変更の意味は本書でもまだ完全には解明されていないと思う。ただ、今まで「もともとは戦争の廃止だった」などという話は初めて聞いた。今後の課題である。

 ところで、敗戦に伴い軍は解体されることになり、天皇が軍を指揮するという帝国憲法は、変えざるを得ない。論理的にはそうなる方が当然で、「戦争放棄」はとりあえず受け入れがそれほど難しくはなかったのだと思う。(昭和天皇が自ら詔書で「平和国家」を表明していた。)それに対して、「国民主権」の方はなかなか明確化されなかった。戦後最初の総選挙(1946年4月)では、まだ保守派の政治家が多く当選していて、「国体護持」は大きな関心事だった。政府草案も当初は「国民主権」ではなく、「国民の総意が至高」などとあいまい表現になっていた。それに対して、報道され問題化する前にGHQが介入し、「国民主権」が明確化されたのである。(345頁以下)

 このことは今まであまり意識されていないように思う。これはある意味では、確かに「押しつけ」なんだけど、当時の日本政府が明らかにおかしい。GHQとしては、後で国際問題化することは、マッカーサーの「面目」にも関わるし、絶対に避けなければならない。そこで「内面指導」を行ったのである。つまり、日本政府が自発的に変えるように裏で交渉するわけである。日本政府は受け入れるしかない。今では国民主権は当たり前のことになっているが、そういう経過が存在したのである。

 もう一点、憲法審議の過程で、政府が自ら変更した点がある。それは憲法9条の修正案が決まって、2項に「前項の目的を達するため」という文言が挿入されることになったことに関わる。極東委員会での協議で、中国代表から「この修正を口実にして自衛のためと言って軍を持つのではないか」と、まさに図星のような指摘があったのである。(393頁)もちろんこの当時の中国は「中華民国」である。古関氏が指摘するように、日本による「自衛の名による侵略」を受けてきた中国だからこそ、9条修正が何をもたらすかに気付いたのである。

 そこでいろいろと議論されたが、マッカーサーの問い合わせを行うことになった。そして、なんにせよ占領終了後に日本が憲法を改正して再軍備することはあり得ると考え、むしろそれを前提にして、66条に「内閣総理大臣その他の国務大臣は、文民でなければならない」という条文を挿入することになったのである。「文民」という日本語は当時は存在しない。(今もないのと同じだろう。)civilianの訳語だけど、あえて言うなら「文官」の方が日本ではなじみがある。戦力を持たない日本では全員が「文民」のはずだが、あえてこの条項が入れられた裏には、戦後日本への懐疑的な国際世論が存在したわけである。

 まだまだこの本から学ぶ点はたくさんある。特に憲法研究会の活動などは印象深い。今回新たに増補された(ちくま新書「平和憲法の深層」所収)「東京帝国大学『憲法研究委員会』の役割」の章を読むと、まだまだ新憲法制定史には不明な点がかなり残されている。それらの点は、今後書くかもしれないが、とりあえず本書に直接当たって欲しい。それよりも、今後の焦点になる「9条改正問題」を先に書いていきたい。書評としてはこれで終わることにする。
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古関彰一「日本国憲法の誕生 増補改訂版」を読む①

2017年05月07日 22時38分01秒 | 〃 (さまざまな本)
 古関彰一氏の「日本国憲法の誕生 増補改訂版」(岩波現代文庫、1720円+税)が出たので、やはり読もうと思った。施行70年の憲法記念日に合わせて書きたかったんだけど、読み終わるのに時間がかかってしまった。まあ、安倍首相が本格的に改憲を表明したし、憲法に関して考えておく意味はあるだろう。旅行が間に入って断続するけど、しばらくこの本を中心に憲法を考えてみたい。

 古関彰一氏(1943~、獨協大学名誉教授)の日本国憲法誕生史研究を読むのも3回目だ。最初の「新憲法の誕生」(1989)は、中公文庫版(1995)で初めて読んだ。それから、岩波現代文庫で「日本国憲法の誕生」(2009)として生まれ変わり、さらに今回「増補改訂版」(2017)が出た。大幅改定で、ほぼすべての章で加除、訂正が行われたという。それでもまだ不明の点が残り(たとえば「前文」の起草者)、今後の再訂版もあるかもしれない。だが、まあいまのところ、憲法制定史の決定版だろう。

 だから、護憲・改憲といった考え方の相違はさておき、日本国憲法に関して何かを述べようとする者は、必ず読んでいなけらばならない本だろう。でも、憲法9条はアメリカの陰謀だ、いや戦争放棄は幣原首相が言い出したなどと、史実無視の思い込みをまだ書き散らす輩もいるように思われる。最低限、この本ぐらい読んでおいて欲しいものだ。そんなに難しい本じゃないんだから。

 もっとも、「近衛文麿」とか「幣原喜重郎」って、何て読むんだ? 誰? となると、ちょっとついていけないかもしれない。高校日本史には必ず出てくる首相経験者だから、読者にはそれぐらいは知っていることが求められている。それを難しいと言えば、まあもちろんある程度は難しいわけだけど、叙述は堅苦しくない。時代が近い分だけイメージも湧きやすく、「応仁の乱」より判りやすいと思うけど。

 さて、この本は一種の大河小説のようなもので、大日本帝国の敗戦から新憲法の議会通過まで、さまざまな出来事が出てくる。全部書いているわけにはいかない。全部の論点に触れるぐらいなら、直接読む方がずっと早い。「増補改訂版」なんだから、本来は今回新たに加わった部分を論じるべきなんだろうけど、それでは細かくなりすぎる。読んでない人も多いだろうから、他の問題から書きたい。

 日本国憲法と言えば、「押しつけ」か、そうではないかなどという議論がずっとあった。僕の子ども時代から、そういう議論をしている。そういう議論の構図を前提にすると、当時の議会でどのように修正されたかという問題を忘れてしまう。「押しつけ」なんだったら、議会で修正できないはずだが、実際は当時の帝国議会でかなり多くの修正がなされたのである。それには有名な憲法9条の「芦田修正」も含まれる。そうした修正が可能だったんだから、少なくとも単純な「押しつけ」ではなかったのである。

 憲法9条の問題は次回に回して、まず他の条文の修正を考えてみたい。憲法の条文のいくつかは、学校で覚えさせられはと思う。その中に、憲法25条の「生存権」、具体的には「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。」は必ず入っていると思う。ワイマール憲法で初めて認められた「生存権」あるいは「社会権」が、日本国憲法にも取り入れられた。そのことは「すごく重要なことだ」と学校で教えられたはずだと思う。だけど。これは原案にはなかった。

 当時の社会党から出た修正案が取り入れられたのである。これほど重大なことが、いまだに日本国民の常識になってないのは不思議だ。それだけではない。当時の社会党からは、「休息権」や「働く女性と母性保護の権利」も主張されていた。それらが憲法の条文に書いてあれば、「過労死」や「保育所問題」もまた少し変わったのではないか。むろん、憲法14条があっても差別はなくならないように、憲法の条文にあるだけでは現実は動かない。でも少なくとも「憲法にあれば武器になる」と思う。だが、残念なことにそれらの権利は、生存権規定と引き換えに、社会党が取り下げしまったのである。

 国民の運動が憲法の条文を修正した例がたった一例だけだが、紹介されている。それは憲法26条の「教育権」のある表現である。いまは「すべて国民は、法律の定めるところにより、その保護する子女に普通教育を受けさせる義務を負ふ。」となっている。もともとの政府案では、「その保護する児童初等教育を受けさせる義務を負ふ」だったのである。

 判るだろうか? 「児童」は小学生である。小学校の教育が「初等教育」である。小学生は「児童会」、中学や高校では「生徒会」だったことを覚えていると思う。中学は「前期中等教育」、高校は「後期中等教育」である。(だから「中高一貫校」を「中等教育学校」と呼んでいる。)政府原案のままでは、小学校しか義務教育じゃなかったのである。これは多くの議員にもよく判っていなかった。

 ここに気付いた人々がいる。それは「青年学校」の教員たちだった。青年学校というのは、戦前の学制において、小学校卒業後、高等小学校や中学へ進学できない青少年向けの学校だった。どうしてそのような学校が必要だったかというと、小学校卒業後何も勉強していないと、20歳になって徴兵された時に、低学力の兵となるからである。だから、軍の思惑もあったわけであるが、それはともかく、1939年には男子の青年学校が義務化されている。

 ところが、憲法で「初等教育は義務」と規定されてしまうと、男子においてはかえって教育が低下してしまうのである。これに気づき、猛運動を開始し、ついにギリギリで修正を勝ち取ったのは、全く青年学校教員たちの運動によるものだった。しかし、議員たちの反応は、「児童」でも「子女」でもいいじゃないか、単なる表現の問題だというものが多かったという。くわしい経過は同書を見て欲しいが、この小さな修正により、中学まで義務教育という6・3制という戦後教育の枠組みが可能となったのである。

 小学校だけしか義務教育じゃないと、危うく憲法に書き込まれてしまうところだったのである。このことを知っている人はどれだけいるだろう? 全国の教育関係者には全員周知されるべきことではないか。今年は新制中学発足から70年。「創立70年」という垂れ幕がかかっている中学も多いだろう。その裏に、こういう事実があったのである。

 それに続けて、同書には非常に重要な指摘が書かれている。それは青年学校の教員よりもずっと社会的地位が上だったはずの(旧制)中学教員はなぜこの問題で運動を行わなかったのかということである。「権利とはそれを否定され、あるいは差別をされ続けてきたものが、はじめに発見するものであることを、あまりにもあざやかに証明しているといえないだろうか。」この指摘は、これから憲法を考えるときに必ず押さえておかないといけないことだろう。
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「日本列島100万年史」を読む

2017年03月11日 23時24分41秒 | 〃 (さまざまな本)
 6年目の「3・11」。その前日は72年目の「東京大空襲」。3月になって、少し陽射しも暖かくなってきて、空も濁りが増してくる。それは「黄砂」なのか「花粉」なのか、冬には見えていた富士山が東京からほとんど見えなくなる。そういう季節に、津波や原発事故や空襲の記事が多くなる。

 今年は特に「森友学園問題」や「築地市場の豊洲移転問題」など、筋道の立たない、3月の空のような問題が大きな話題となっている。気分的な濁りは例年以上に深い。そっちの問題も書きたいんだけど、ちょっと違った方向から、最近読んだ本について紹介しておきたい。

 それは講談社BLUE BACKSから出た「日本列島100万年史」(山崎晴雄、久保純子著)である。千円するけど、是非買い求めておきたい本。最近の新書本はけっこう難しく、自分の専門の歴史系なら付いていけても、理系の本だと理解が難しいことが多い。最近は小説を読んでることが多いんだけど、評判だというし、やっぱりちゃんと読んでおこうかと思った。

 かなり判りやすいけど、それでも説明しようとすると僕には難しい。だから、あまり詳しく書かないけど、「大地に刻まれた壮大な物語」に触れた知的な高揚感がある。日本で生きている以上、天候や地震に無知ではいられない。日本の大地の歴史を通して、地学的理解を深めることはとても大切だ。この本は最新の知見がいっぱい入っているし、写真や図表が多くて面白い。

 第1章「日本列島はどのようにして形作られたか」で全体の総論が語られ、以下の2章から8章で日本各地の具体的な説明になる。日本各地の隅々まですべて出てくるわけではないけど、おおよそのことは判る。関東平野はなぜ広いか富士山はどうして美しいか。もうそういうもんだと思って、あまり意識しないけど、なるほどそういうことだったのか。

 富士山は「フィリピン海プレートとユーラシアプレートの境界に、太平洋プレートが沈み込むことで作られた火山フロントが交差する、世界的に稀な場所に富士山はあります。」世界のどこにもないそういう地質的な特徴が背景にあるのだ。じゃあ、それは何故かということは本書で。そもそも「火山はどこにできるのか」という問題がある。それは「温泉はどこにあるか」ということでもある。火山は「プレートが沈み込んで深さ100キロメートルに達した地点の真上にできる」のである。

 それは何故というのも本書で。僕には非常に意外な理由だった。これを読んで思ったのは、やはり西日本のことはあまり知らないなあということである。「近畿三角帯」なんて言葉も初めて聞いた。次に心配される南海トラフの地震のことも、この本で判ったことが多い。近畿は歴史時代の大部分で、日本の首都がおかれた地方である。(だから「近畿」という。「畿」は王城の地という意味。)

 ところで、太平洋と日本海が一番近接している場所はどこだろうか。つまり、青森や山口は別にして、その他の地域で一番細くなってる場所。あまり意識したことがなかったけど、「若狭湾と伊勢湾を結ぶ線」である。福井県敦賀と名古屋を結ぶあたり。地図を見て、そうなんだとビックリ。伊勢湾がかなり北まで食い込んでいるのである。これは愛知県から戦国時代を統一した三英傑が現れた理由につながるのかもしれない。そんなことまで思ってしまう地形の面白さである。

 九州のシラス台地のことも、以前から授業でもずいぶん触れたけど、そういうことかと納得できた。関東も火山性の台地が広がっているけど、その「武蔵野台地と東京低地」は自分が住んでいるところだから、なるほどと納得。いちいち挙げていると終わらないから最後に一つ。日本列島はフォッサマグナで折れ曲がっているわけだけど、その結果「弓型」になっている。ところで千島列島やアリューシャン列島も弓型の円弧になっている。奄美から沖縄についても少しそんな感じ。なんで曲がるのかという問題である。こういう普段は意識もしないことを教えてくれる本である。

 大地の奥深くで何が起きているのか。地震とともに生きていくしかない日本人にとって、プレートテクトニクスなどの正確な理解は必須である。それに各地の地形の特質も知っておくと役立つ。僕なんか読んでもすぐ忘れてしまうんだけど、こういう本を近くにおいておけば役立つだろう。あまり理系の本を読まない人もチャレンジする価値がある。
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「スタッズ・ターケル自伝」を読む

2016年11月22日 20時40分53秒 | 〃 (さまざまな本)
 「スタッズ・ターケル自伝」(原書房、2010、3400円)という本を読んだ。440頁を超える重い本で、ずいぶん時間がかかってしまった。スタッズ・ターケル(1912~2008)といっても、すぐに思い浮かぶ人は少ないだろう。アメリカ現代史の「オーラル・ヒストリー」(口述の歴史)をいっぱい書いたことで知られる人。この本を読むと、それだけでなく実に様々な活動に関わってきたことが判る。

 6年前に出た本だけど、トランプが大統領に選ばれるような時代にまず読むべき本だと思って、読み始めた。最近アメリカ文学をいろいろ読んでいるので、その流れで現代アメリカをもっと知りたいと思ったのである。その期待に十分に応えてくれる本で、考えさせられるし、勇気を与えられる。高くて厚いけど、多くの人に一読を薦める本。金原瑞人、築地誠子、野沢佳織共訳で、文章はすごく読みやすい。注がいっぱい付いていて、全部きちんと読むと大変。でもアメリカの大衆文化に詳しくなれる。

 ターケルは本名はルイス・ターケル。ニューヨーク生まれだけど、ホテルを経営する両親とともにシカゴに移り、ずっとシカゴで活動した。シカゴ大学で法律を学ぶが、大恐慌時代だから就職が難しい。親の仕事のホテルを手伝ったり、ニューディール時代の失業者救済組織で働いたりした。その後、演劇に関わり、ラジオでディスクジョッキーをする。ある舞台に立つとき、ルイス名の役者が3人いて、区別のために「スタッズ」を名乗り始める。ディスクジョッキーとしては、ジャズやクラシック、フォークソングなどをジャンルを問わず流す番組を始めて、ものすごく受けた。そういう聞き方は当時はなかったのである。

 だけど、ずっと左派として活動していたから、第二次大戦後には「非米活動委員会」から目を付けられる。番組がなくなり、すごく困った時代が続くが、いろんな幸運も続いて、人々をインタビューした本が売れるようになったのである。いろんな仕事の人をインタビューした「仕事」や第二次大戦の記憶「よい戦争」、皆が忘れかけていた「大恐慌」、あるいは「アメリカの分裂」、「人種問題」など多くの本をまとめた。これらは80年代に日本でも翻訳され大きな影響を与えた。日本でも同種の本が出されたと思う。でも、時間が経って今はあまり新刊としては残ってない。(他にも「ジャズの巨人たち」という本もある。)

 思い出に残る多くの有名、無名の人々の姿。結婚相手のアイダは、すぐれたソーシャルワーカーで、誰にも親しまれた。アイダが言い出して、ワシントン大行進に参加する列車に参加したのである。ターケルはFBIに就職しようとしたこともあるが、不採用になった。そのFBIは後にターケルを監視する。ラジオ番組でビリー・ホリデイを掛けたから。信じがたいバカバカしさだけど、そんな時代だったのである。

 有名なジャズ歌手のマヘリア・ジャクソンがラジオに登場し、司会のターケルが番組後に食事に誘うと、有名な店だけど彼女は行きたがらない。店で(人種問題で)トラブルが起きるのが心配なのである。そんな時代に、中心部にありながら人種を問わず受け入れていたのが、「リックの店」。この名前と主人が「カサブランカ」のモデルになったという話。ガムで有名なリグレーが店の敷地を持っていて、地価が下がると文句を言ってくる。でもリックは突っぱねた。

 実に感動的なエピソードがいっぱい出てくる。「アメリカ民衆列伝」みたいな本だけど、中でもこんな人。ペギー・テリーというアーカンソー州出身の女性である。父親がKKK(クー・クラックス・クラン)に属していたので、小さいころから黒人に偏見を持っていた。アラバマ州モントゴメリーに住んでいた時、キング牧師が指導するバス・ボイコット運動が起きた。そして、キングが刑務所から出てきたとき、白人多数にリンチされるところを目撃した。これが転機になったのである。無抵抗のキングに殴りかかる白人を見て、「白人は卑怯なことをしない」という信念が崩れたのである。

 やがてペギーは人種平等会議に入って、自分も刑務所に何度か入る活動家になった。そしてターケルは1968年に、ある会合でペギーがスピーチするのを聞いた。聴衆はほとんどがアフリカ系である。「白人女のわたしが、なんでわざわざ黒んぼなんかといっしょに刑務所に入ったんだって聞かれたから、こう答えてやったわ。『あそこに入ったからこそ、教育もろくに受けていない貧乏白人が、ノーベル賞受賞者と握手できたんだよ』ってね。」もちろんノーベル賞受賞者というのはキング牧師である。

 ターケルはほとんど一世紀近くを生きて、最後に依頼されて自伝を書いた。(原著出版は2006年。)記憶違いもあって、それは訳者が判ったところは注を付けている。全部は書けなくて、以前に書いたものを抜粋した箇所もある。一世紀近くの間には多くのことがあり、ターケルは大恐慌を、大戦を、「赤狩り」を生き延びてきた。だから、アメリカ人は「国民的健忘症」に掛かっていると言う。さらに「認知症」だとまで非難している。大恐慌の時代に、祖父たちが「大きな政府」で生き延びたというのに、金持ちになった孫の世代は「小さな政府」がいいと言う。歴史を忘れたのだと言う。

 これは全く今の日本人にも言えることだろう。戦争の時代、貧困の時代を忘れただけでなく、つい数年前のことも忘れてしまう。パソコンどころか、車の運転も生涯しなかったほど機械が苦手なターケルが、ただ二つ何とか使いこなせたのがタイプライターとテープレコーダー。だから残せた20世紀の貴重な証言で、歴史について、人間について、アメリカについて、学ぶことの多い本だった。
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石井妙子「おそめ」と「夜の蝶」をめぐる物語

2016年08月05日 23時51分47秒 | 〃 (さまざまな本)
 列島は猛暑となり、非常につらい。ブログも時々休みたいと思うけど、そうすると今回のような記事は書かずじまいになりそうだ。やっぱり書いてしまおう。書く内容がガラッと違うけれど、とても興味深い本を読んだ。そこから映画の話、そして昭和史の裏の物語。

 石井妙子「おそめ」(新潮文庫)を読んだ。2006年に単行本(洋泉社)が出て、2009年に文庫になった。だけど今まで全く気付かず、というか出た時には関心領域になかったのかもしれないが、全然知らなかった。最近、本屋で文庫の棚を見ていて、急に見つけた。ある女性の壮絶な生涯の物語と言えるが、もう一方で映画全盛期の裏の物語でもある。著者の石井妙子(1969~)と言っても知らなかった。映画に詳しい人だなと思うと、最近「満映とわたし」(岸富美子共著、2015)、「原節子の真実」(2016)を著して評判になった人である。まだ読んでいないが、それも読まないと。

 この本は上羽秀(うえば・ひで、1923~2012)の生涯をたどる本である。多分、多くの人はこの人の名前を知らないと思う。戦後の京都で有名なバー「おそめ」を開き、文壇はじめ著名人のファンを集めた。そこから東京進出の話が出てきて、1955年に銀座にも「おそめ」を開く。新幹線などない時代、まだ多くの人が使わない飛行機に乗って関西と東京を往復して「空飛ぶマダム」と言われた。何しろ松本清張の「点と線」が1958年に刊行されたという時代である。

 この東京進出は大きな話題となるが、一方で客を取られる従来からの店には反発も大きかった。特に銀座一と言われていた「エスポワール」のマダム、川辺るみ子との確執は週刊誌で大きく扱われた。両店の客でもあった作家川口松太郎は、この二人をモデルにした「夜の蝶」という小説を発表し、1957年には映画化された。川口は第一回の直木賞受賞作家だが、戦後になって映画会社大映の重役にもなっていた。当然、大映で映画化され、「おそめ」にあたる役は山本富士子、対抗役は京マチ子である。「夜の蝶」という言葉は昔から知っていたが、一種の慣用語句だと思っていた。今もよく使われているが、この小説、映画から始まった言葉だったのである。

 上羽秀と言う人がどうして現れたか。それまでの家族史がすさまじい。母親が大家に見初められ、婚約者がいたもののそれを断って嫁入り。しかし、故あってつらい目にあい続け、二人の女児と逃げた。長女が秀だが、幼いころから周囲にチヤホヤされる。何しろ見た目だけでなく、立ち居振る舞いに魅力があったというのである。家を出た秀は、芸者になることになるが、母は東京へやって新橋芸者で仕込ませた。一方、妹は養女に出され、長いこと母姉とも会えない。まあ、いちいち触れないが、家族そろって過酷な人生なのである。しかし、秀は新橋ではなく、京都に戻って芸妓となる。その時の名前が「おそめ」である。そして、やがて旦那がつき、身請けされるが、その相手も芸能興行史に関わる大物である。そして戦争になるが、京都は戦災を逃れた。

 戦後になって、秀はある男に出会う。ダンスホールで出会った定職もないその男は、いかがわしい匂いも漂わせる男で、母は全く認めなかった。しかし、旦那持ちでありながら、秀は男を選び子を身ごもる。さて、その男の名は俊藤博(しゅんどう・ひろし)というが、多くの人には俊藤浩滋(しゅんどう・こうじ)として知られている。東映のプロデュ―サーとして、任侠映画から実録映画の多くの作品を手掛けた大プロデューサーとして知られている。60年代半ばから70年代にかけて、営々と作られ続けた「東映ヤクザ映画」のほとんどは彼の製作である。「明治侠客伝 三代目襲名」とか「博奕打ち 総長賭博」とか、あるいは「仁義なき戦い」とか「日本の首領」シリーズとか。

 僕は今まで何となく、70を過ぎてから結婚した俊藤と秀は、要するに東映の映画人が「おそめ」に通って、その「愛人関係」が晩年になって結婚したように思い込んでいた。それは俊藤浩滋といえば、「大女優の父」であるイメージが強かったからでもある。70年代に評価された東映映画を見れば、大体最初に俊藤の名が出てくるから、早くから名前は覚えてしまった。そして、その人物の娘が東映任侠映画の華、あの大人気美女スターの藤純子(富司純子)だった。よって、この俊藤は寺島しのぶと尾上菊之助の祖父にあたる。藤純子の父は、実は妻子を捨て、「おそめ」と結ばれているという話は一種のタブーだったのだろう。

 俊藤の子どもたちを(別の女が産んだ子だけど)経済的に支えたのが、秀だったとこの本に出ている。仕事もないような男、やがて妻と子が別にあるとわかる男、その生活を支えるために秀は店を開く。それが一種の「文壇酒場」として大成功し、どんどん大きくなっていく。そして東京に出てくると、当時の政財界人、文化人のほとんどが訪れる社交場となっていったのである。そういう場が必要な時代だったのである。前に大岡昇兵「花影」のモデル(坂本睦子)をめぐって書いたことがあるが、「おそめ」も銀座を舞台にした「文壇裏面史」になっている。登場人物も共通性がある。白洲次郎、白洲正子、青山二郎などなど。一方、その時代の俊藤は、「おそめ」の裏方で下働きと言うか、裏で動かす黒幕かもしれないが、別に東映にいたわけではなく、まったく無名の「愛人の稼ぎで暮らす」身分だったとは。それは知らなかった。
 
 やがて酒席で知り合った東映に、映画のアイディアを提供し、どんどんヒットしたことから、突然40代になって映画会社に乗り込んでプロデューサーになってしまった。そこからしか知らないから、僕はそれまでは東映で下積みかと思っていたのである。映画は小さなころから好きで通っていたようだが、特に東映にとって俊藤が役立つことがあった。それは後に山口組で最大の武闘派と言われる菅谷組組長、菅谷政雄と幼なじみで親友だったのである。映画ロケもそうだけど、特に実録映画、あるいはモデルがいるヤクザ映画を作るときは、当然「その筋」への了解工作が必要である。それを俊藤を通してやれたわけである。秀の母は、最初から最後まで、俊藤をヤクザまがいのヒモのような男とみて、嫌いぬいた。それも全くの間違いとは言えないわけである。だけど、やがて「おそめ」は凋落し、映画のモデルにもなった有名人だったことは忘れられた。一方、男の方は40代になって映画界で頭角を現し、人気女優の父として知られた。だけど、秀はこの俊藤という男と、「籍」はともかくとして実態としては添い遂げたのである。

 いやあ、今まで藤純子側から見ることが多かった俊藤浩滋という人物を、「おそめ」側から見ると、こういう風になるわけか。そして、「おそめ」という場所に集った人々のすごさ。それがいかにして、ダメになっていくか、その過程も興味深い。ライバルだった「エスポワール」の運命も哀切である。そして、最後に付け加えると、菅谷政男という人物は、のちに山口組から絶縁される。この人は、当時は知らなかったけど、田中登監督「神戸国際ギャング」のモデルだった。そして、「最後の実録映画」と言われる深作欣二監督「北陸代理戦争」に大きな関わりがある。あの映画で松方弘樹が演じた人物のモデル、川内弘襲撃殺害を命じたとされるのである。そのため絶縁という処分となった。この事件をめぐっては、伊藤彰彦「映画の奈落 完結編」(講談社+α文庫)というすごく面白い本がある。上羽秀と俊藤浩滋、この二人をめぐって、様々なドラマがあった。
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日本の現実を知るための本

2015年11月14日 23時40分16秒 | 〃 (さまざまな本)
 読書の意味、あるいは楽しみというのは、「知らない世界を知る」ということが大きい。もちろん、自分の知ってる世界、趣味の世界や好きな作家の本などを「楽しんで読む」方が多いかもしれない。本だけでなく、映画や音楽なんかでも。でも、時には全然知らない新しい世界にチャレンジするのも大事だ。「知らない世界を知る」というのは、主に「いつもはあまり読まない分野の本を読んでみる」ということを指している。それとともに、「意識して、自分の足元の現実を知るために本を読んでみる」ことが必要だ。新聞や雑誌だけでは、あるいはネット上の情報だけではダメなのである。

 日本で生きていて、いろいろ不満や不安はあるにせよ、シリアやリビアのような「国家崩壊」状態ではない。何か大変な現実を抱えている人でも、その現実に圧倒されて毎日精いっぱい生きているものの、日々は決まりきった日常が続いている場合が多いだろう。そういう場合、なかなか自分が世界で占めている位置をつかめない。新聞やネットのニュースなんかでも、触れないよりはいいだろうけど、「点」の情報だから、その時々で終わってしまう。だから、そんなときのために本がある。そういう場合は本格的な専門書は大変だから、文庫や新書が中心になる。「新書の新刊本」は要注意である。

 さて、今回紹介する本は、今年の4月、5月頃に出た本で、いずれ書きたいと思ううちに時間が経ってしまった。小林美希「ルポ 母子家庭」(ちくま新書、820円)と「ルポ 保育崩壊」(岩波新書、800円)、そして保坂渉、池谷孝司「子どもの貧困連鎖」(新潮文庫、550円)という3冊の本である。
  
 小林美希(1975~)という人は知らなかった。ほぼ同時期に新書が2冊新刊で出たので、アレ、同じ人だと気付いたのである。茨城県出身で、神戸大卒業後、株式新聞社、毎日新聞社を経て、2007年からフリーのジャーナリストとして活動していると紹介されている。今まで出た本の名前を少し紹介すると、「ルポ 正社員になりたい」「ルポ “正社員”の若者たち」「ルポ 職場流産」「看護崩壊」「ルポ 産ませない社会」といった書名が並んでいる。名前を見るだけで、どういう分野を追いかけているかが判る。次が「保育崩壊」と「母子家庭」であることもよく判るというものだ。

 僕はこの分野のニュースを聞いたりして、保育や単親家庭の状況がすさまじいものであることは何となく知ってはいる。だけど、自分では詳しくはない。だから読んでみようと思ったわけである。読んで改めて、日本の現状に大変な思いを持ったけど、やはり自分の詳しい分野ではないから印象が薄れている。だけど、母子家庭の本を読めば、最後の方になると、支援する企業や求人サイトも出てくる。自ら動き出す人々の姿が描かれている。いま、「1億総活躍」とか「介護離職ゼロ」とか「希望出生率1.8」とか言い出している人たちは、この本を読んでいるだろうか。そして、この本を必要とする人は「岩波新書」や「ちくま新書」を手にする機会があるんだろうか。

 「子どもの貧困連鎖」は、共同通信の記者二人が取材して地方紙24紙に連載された記事がもとになっている。その後、本にまとめられ、今年文庫化された。新聞記事が元だから、この本が一番読みやすいと思う。中身の衝撃度も大きく、知らない人には「こんなことが今の日本であるのか」というような現実が書かれている。僕は知らない世界ではないけど、ここまでとはと絶句するような貧困や虐待などがルポされている。必読だと思う。「何か」が日本社会で壊れているのではないかと深刻な思いにとらわれる。そんな思いを誘われる本である。

 共著者の一人、池谷孝司さんには今までに3回会ったことがある。最初は都立中高一貫校の教科書採択に関して都教委への運動を始めたとき。次は六本木高校で「人権」という授業で、「死刑でいいです」という本をもとに講演してもらった時。三回目は「六本木少女地獄」が出版された時。そういう経緯は別にしても、今回の本はいつか紹介しなければと思っていた。特に第一章の定時制高校で学ぶ生徒を描く章だけでも読まないといけないと思う。「現代の貧困」とはどんなものかよく判るし、二度と忘れられないだろうと思う。ただ生きているだけでは、日本の現在は見えてこないということがよく判る。自覚的にそういう分野の本を読まないと判らない。自分の知ってる世界は小さくて、日本だけでも知らないことは山のようにあるのだ。
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「どん底 部落差別自作自演事件」という本

2015年06月14日 22時48分16秒 | 〃 (さまざまな本)
 ノンフィクション作家高山文彦氏の「どん底 部落差別自作自演事件」(小学館文庫、750円+税)を読んだ。単行本になったとき(2012年)に書評で知って、読みたかった本。その時は買いそびれたが、今回文庫に入った。ものすごい内容の本だと思うから、紹介しておく。今まで、旧石器捏造事件を描いた「石の虚塔」や「ヘイトスピーチ」の本について書いたけど、それらも人間性への疑問を呼び起こす本ではあった。人間には驚くべき暗い側面もあるということは、もちろん知っているから、この程度で驚くわけではない。でも、やはり読んでいて、辛くなるような本に違いない。と同時に(こういう言葉はふさわしくないかもしれないが)、「面白くてやめられない」ような側面もある。それほど「驚くべき事件の記録」で、考え込んで立ち止まる時間もあるが、知っておくべき事柄のように思う。

 2003年12月から約5年間にわたって、福岡県南部の町で被差別部落出身の嘱託職員に44通もの「差別ハガキ」が送りつけられるという事件が起こった。本人は悪質な部落差別として、解放同盟とともに人権啓発運動に乗り出す。行政も動き、警察も本格的に捜査した結果、2009年に逮捕されたのは、なんと当の本人だった。これは本当か、冤罪ではないのかと当初は思った人もいたが、結局は間違いなく本人の書いたものだった。どうしてそんなことが起こったのか。本人を呼び、悪質な差別事件として糾弾も行われ、そこまでを渾身の取材で追及したのがこの本である。

 しかし、この本に書かれているのは、単に「差別ハガキ事件」だけではない。その前に同じ町であった部落出身の教師に対する差別ハガキ事件。結局それは解決することなく、本人が異動していってしまった。そういう「前史」があったのである。また、この地域の解放運動の歴史、事件を追及する側にたつ何人かの人物の生き方も大きく扱われている。つまり、「差別ハガキ事件」を中核にして、横(地域のさまざまな事情や人々)と縦(部落差別と解放運動の歴史、関係者の人生)が織りなす複合的な世界を描いている。そこには苦沁みながらも連帯を求めて闘ってきた姿も描かれるが、同時に「差別を直視できずに逃げてしまう」という人間の姿も出てくる。

 それはまあ当然で、逃げてはいけないなどと人を裁けるほどのことは言えない。だけど、そのことと「差別ハガキを送る」、それも自分に対してだけではなく、最後の頃には違う人物にも送ったりしている。自分ばかりに来ると疑われるということらしいが、考えがたいことである。しかも、だんだん凝ったつくりになったり、「愉快犯」的な側面も出てくる。支部の会計もしていた彼のところには、空き巣が入って多額のカネが奪われるという事件も起きている。それを「予告」するようなハガキもあるので、今となっては空き巣も本人の仕業で、遣い込みがばれないための行為ではないかとの疑念も浮かぶわけだが、あくまでも否定するので警察の捜査も終結している。だけど、何十万もの金を家に保管していたということ自体が、理解に苦しむ行為だろう。

 本を最後まで読んでも、この人物の内面は測りがたい部分が多く、どうしても理解できないところが多い。解放運動内部の人間であれ、自己保身のために「差別事件の自作自演」を作り上げるということは、まあ絶対にないわけではないだろうと思う。それでも、自分で作り上げておいて、差別ハガキ事件被害者として全国で講演して講演料をもらうという。断りようがない迷路に自分で入り込んでしまったのかもしれないが、ありえないことだと思う。しかも、いったん終了宣言までしながら、またもハガキを送ってしまう。そのことで警察が本格的に捜査を始めて、自分の仕業と判ってしまう。では、憑き物が落ちたように晴れ晴れするかというと、そうではない。反省していると言いつつ、自己を顧みることができないまま時間が経っていく。こういう人がいるのである。

 そういうこともあるんだということを知識で知るということも必要かと思う。だけど、ここまでする人は少ないだろう。注意しておかないと、「だから部落問題は厄介だ」などという感想を持つ人もいるかもしれない。この本をちゃんと最後まで読めば、そんな感想を持つ人はいないだろう。未だに結婚差別が無くならないという日本の現実。それが背景にあってこその「差別ハガキ事件」であり、本末転倒した読み方をしてはいけない。それにしても、石器を自分で埋めておいて、自分で掘り出す人物も不思議だが、この本で出てくる差別ハガキを自分に向けて書く人物というのも実に不思議な人物だった。
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