尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

斎藤兵庫県知事の「内部告発」問題ー「維新」知事のパワハラ疑惑

2024年07月14日 22時21分12秒 | 政治
 都知事選から一週間ほど。様々な余韻は漂うものの、地方政治をめぐる問題としては「兵庫県知事問題」が大きくなってきた。この問題は前からくすぶっていて、その話は聞いていた。しかし、地元の都知事選ならともかく、全然縁のない地域の話を書くのもなあと思って触れないでいた。しかし、重大な問題が幾つもあると思うので、ここで書いておきたい。

 2024年3月に「西播磨県民局長」(播磨=はりま=兵庫県南西部の旧国名)を務めていたW氏(本名も判明している)が、兵庫県の斎藤元彦知事の「パワハラ疑惑」などを告発する文書(「斎藤元彦兵庫県知事の違法行為等について」)をマスコミ、県議などに送付した。斎藤知事は告発を「嘘八百」と否定して、「業務時間中なのに嘘八百含めて文書を作って流す行為は、公務員としては失格。被害届や告訴などを含めて法的手段を進めている」と激しく反発した。W氏は3月末で定年退職だったが、「懲戒処分の可能性がある」として退職辞令が取り消された。そして5月になって「停職3か月」の懲戒処分が下された。
(内部告発を否定する斎藤知事)
 細かいこと(疑惑の内容など)は書かないが、その後県議会で「百条委員会」(自治体の疑惑や不祥事があった際、事実関係を調査するため、地方自治法100条に基づいて地方議会が設置する特別委員会)が設置され、来週にはW氏も委員会に出席して証言することになっていた。しかし、それを前にW氏は7月7日に亡くなった。「自殺」とされる。(遺書もあると言われるが、現時点では公表されてない。)ところで、この問題をちょっと調べて驚いたのは、死者は1人ではなく2人だったのである。先の文書で「セ・パ優勝パレードにおけるキックバック強要」が告発されていた。その担当の総務課長が大阪府との調整などに悩み「ウツ」状態だと告発されていたが、その課長が4月に「自殺」していたというのである。
(斎藤知事は辞職せず)
 兵庫県ではおよそ半世紀にわたって現職知事引退後に、副知事が出馬して当選してきた。2021年の知事選では、3期務めた現職の井戸敏三氏が引退を表明し、井戸氏は金沢副知事を後継に指名した。しかし、県政の刷新を求める声もあり自民党県議団は分裂し、斎藤元彦氏が自民党と維新の支持で立候補して、金沢氏らを破って当選した。斎藤元彦氏(1977~)は神戸市生まれで、地元小学校、愛媛県の中高一貫校を経て東大を卒業、総務省に入省した。総務官僚(旧自治省系)は全国各地に出向するが、Wikipediaを見ると斉藤氏は三重県、新潟県、福島県に出向している。直前は大阪府財務部財政課長だった。

 コロナ禍の真っ最中で「従来の発想の県政を脱却するべき」という方向性はあると思うが、こうして「大阪維新」の薫陶を受けた総務官僚が若くして知事になったわけである。権力者のふるまいは「大阪に学んだ」との声もあるようだ。パワハラ問題の具体的状況は知らないが、いろいろと検索すると「県職員なら誰でも知っている」という証言が多い。副知事は「厳しい叱責」と表現しているが、命に関わるようなケース以外で厳しく叱責することを普通は「パワハラ」と受け取るんじゃないだろうか。

 そもそも告発者が3月末で定年だと聞いた時点で、「告発は事実なんだろう」と僕は思った。今後もずっと生活のために辞めるわけにはいかない人は告発出来ない。もうすぐ退職する人間だから、最後に言うべきことを言わなければ無責任な終わり方になると思ったんだろう。ところが、退職自体が差し止められた。この退職差し止め自体がパワハラっぽい。多くの自治体に「定年延長」の仕組みはあると思う。しかし、それは「余人をもって代えがたい」場合の話で、「処分の可能性」で辞めさせないという措置はあり得るのか。普通は「退職金支給差し止め」はあっても、定年年齢になったら退職になるはずである。
(職員組合は知事の辞職を求めた)
 この退職差し止めは大きな重圧になったと思う。そして5月に「停職3ヶ月」となるが、それが仮に妥当な処分内容だとしても、「懲戒免職」事案ではなかった。わざわざ定年を延ばした上で「停職」など全く無意味である。在職時に問題があれば、その分の退職金を削減すれば済む話で、退職させないなんて聞いたことがない。この問題の県調査に「第三者機関」は関わらず、逆に「県が調査の協力を依頼した弁護士が、告発文書で知事の政治資金に関連して指摘された県信用保証協会の顧問弁護士だった」という。
 
 そこで県議会が「百条委員会」設置ということになったわけだが、自民党県議団は設置に賛成した。一方、維新と公明が反対したのである。維新や公明は普段は政治倫理に厳しいようなことを言っているが、やはり自分の支持する場合は違うのだ。それも大きな教訓である。そして、噂レベルだが、維新の県議は百条委員会で告発当事者の元県民局長を追求する構えを示していたという。3月末に副知事と県人事課長が突然県民局を訪れ、局長が使用していたパソコンを押収したという。局長にもまさかの油断があったのだろうが、どうも職場のパソコンで告発文書を作成していた。そしてパソコン内には個人的な情報も保存されていたらしい。

 「自殺」の真相は不明だが、このような百条委員会で予想される「追求」が大きな心理的負担になっていたのではないか。片山副知事は上記画像で職員組合からの辞職要求文書を受け取った人だが、辞任の意向を表明した。知事に一緒に辞任するよう求めたが拒否されたという。しかし、県庁で一人ならず二人も死者が出ている事実は重く、このまま最高責任者が居座ることが出来るとはとても思えない。何にしても「上司にしたくない」人物が間違ってトップに立ってしまった場合、下の者はどうすれば良いのか。

 僕は東京都の教員として、都教委(の都立中学教科書採択)に反対する運動をしてきた。従って、「身を守る」ためにはそれなりに気を付けていた。職場のパソコンで職務以外の文書を作ったり、有給休暇を申請せずに集会に参加するなど、避けなければならない。どこから難癖を付けられるか判らないからだ。裁判になれば、当局者はどこまでもウソをつき続ける。それを前提にして、不当な罠に陥れられないように「内部告発者」も注意が必要である。
*その後、W氏は音声データを遺していたことが判り、百条委員会に提出された。なお「死をもって抗議する」と言っていたという。「告発」内容の問題は今後しっかりと検証するべきだが、それ以上に告発以後の知事の対応に大きな問題があり、責任を免れないと考える。(7.17追記)
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「石破首相」の可能性はあるかー2024自民党総裁選はどうなるか?

2024年06月27日 21時31分24秒 | 政治
 2024年の通常国会は延長せずに6月23日で閉会となった。政治資金規正法改正をめぐって、会期を延長してさらに検討すべきだという意見もあったが、結局あれでオシマイ。批判を書いても良かったんだけど、かなりテクニカルな問題が多いので止めておくことにした。最終盤で「日本維新の会」が改正案に「衆議院で賛成、参議院で反対」という不可思議な対応を取った。まあ自民党にうまくやられたわけだろう。「維新」についていちいち細かく指摘するのも面倒だから書く気が起きない。放っておけば、そのうち内輪もめなどが起きて支持率が下がると思ってるので放置している。

 ということで、政局の焦点は9月の自民党総裁選。いや、岸田首相はまだサプライズ解散を諦めていないという観測もあるらしいが、やはりそれは不可能だろう。今後、パリ五輪、首相外遊に、電気代の補助も再開して…、少しは支持率もアップしたら? いや、自分が自民党衆議院議員だったら岸田首相のもとで選挙には臨みたくないと思う。もし解散なんて言い出したら、党内反乱が勃発するだろう。3月に「それで岸田内閣は結局どうなるのかーやはり9月に辞職か?」を書いたが、現時点の観測を少し。
(河野太郎氏出馬か?)
 まず河野太郎デジタル相総裁選出馬を麻生副総裁に伝えたとかいう情報が流れている。それが本当かどうか現時点では不明だが、河野氏は自民党の異端だったときは面白かったが、権力を狙うようになってからは「独裁者気質」が前面に出て来たように見える。「マイナ保険証」ごり押しもあって、「河野首相」は困ると思うが、それ以前に今回の経緯はおかしくないか。自民党各派閥が(形だけであれ)「解散」した現在、ただ一つの派閥として「麻生派」が残っている。河野氏が派閥を離脱することなく、所属派閥のトップに出馬意思を伝えたとしたら、「逆行」した動きである。それに現職閣僚が出馬するということは、首相に反旗を翻すのと同じ。まずは岸田首相に大臣の辞表を提出するのが先だろう。
(岸田退陣を求めた菅前首相)
 もともと岸田氏の総裁再選は難しいと誰もが思っているわけだが、では誰が最初に狼煙を上げるか? それはやはり菅義偉前首相だった。各種マスコミ(オンライン番組、雑誌等)で「事実上の退陣要求」を突きつけている。「(裏金問題で)岸田総理大臣自身が責任を取っておらず不信感を持つ国民は多い」「ことし秋までに行われる総裁選挙で党勢回復に向けて刷新感を示すことが重要だ」と述べたというのである。お説ごもっともというしかないが、では誰を後継にするべきなのか?
 
 前回の記事では「上川陽子外相」の可能性を指摘したが、現時点では不明になったと思う。上川氏に「失言」問題があったし、やはり「華がない」感じが付きまとう。もともと「岸田派」であり、首相が引かない限り自分から出馬するとは思えない。それに各種世論調査で次期首相への期待感が少ない。岸田首相の支持率が低いだけでなく、最近は投票先としての自民党支持が減っている。「政権交代」を求める声も高くなっている。そうなると、いかにも「今度は女性総理にしてみました」感が支持率アップにつながるかは微妙で、かえって反発を招く可能性もある。岸田氏が自ら「後継は上川氏で」と言わない限り難しいかもしれない。
(2012年総裁選の安倍氏と石破茂氏)
 そうなると、相対的に存在感を増しているのが石破茂氏である。どんな世論調査でも「次期首相No.1」になる。小泉進次郎は経験が少ないと考えた時、なんで石破首相にならないのかと思う人も多いのではないか。まさにそういう点、党内基盤もないのに「正論」をぶって「後ろから弾を撃つ」、外の人気ばかり高いというのが「保守」の振る舞いとしては嫌われる。石破首相だけはあり得ないというのが、一応今も自民党議員のホンネだろう。だが、他の首相で選挙をして政権を失ったりしたら元も子もない。そこまで自民党の危機も深まったと考えるなら、石破総裁もまんざらあり得なくもないという状況になってきた。

 今まで自民党の危機が深まったときには、党内力学的にはあり得ない新総裁が誕生したことがある。ちょうど半世紀前、1974年に「田中金脈問題」が起こったとき、田中角栄首相の後任に三木武夫が選ばれた。その時は椎名悦三郎副総裁による「指名」という方法が取られた。また1989年の参院選で自民党が大敗したあと、海部俊樹が新総裁に選ばれた。この時はリクルート事件があって、党内実力者と言われた安倍晋太郎や宮澤喜一らが出馬出来なかったので、「クリーン」と言われた海部を主要派閥が担いだ。
(麻生副総裁と岸田首相の関係は?)
 最近の自民党の混乱ぶりは、過去のそういう事態を思い出すレベルになっている。そうなると、最後の派閥を率いながら現職の副総裁を務める麻生太郎氏の動向が注目される。麻生氏は「派閥解散」「(政治資金規正法改正をめぐる)公明党案受け入れ」をめぐって、岸田首相と溝ができたと言われている。だけど、岸田首相を支えるのか、代えるなら誰にするか、ちょっと前には「上川推し」みたいな印象があったが、今はどうかわからない。自民党は権力を握り続けるためには、どんな奇手をもめぐらすだろう。石破氏は現職衆院議員だから、まだしもありそうである。それどころか、すぐに(岸田内閣のままで)解散することを前提に、党外人材を総裁に選ぶことだって絶対にないとは言えない。何でもアリの政局が続きそうだ。
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「ゼロ歳児選挙権」という暴論ー吉村知事発言考

2024年05月21日 21時54分12秒 | 政治
 河村名古屋市長に続き、今度は吉村洋文大阪府知事の「ゼロ歳児選挙権」発言を取り上げたい。ネット上では取り上げられているが、大手新聞やテレビニュースは報じてないから、もしかしたら知らない人がいるかもしれない。最初はSNSへの投稿だったらしいが、4月25日の記者会見で「少子化問題を抜本から解決するのであれば、0歳児選挙権だ」と言及。子どもが3人いるので「僕は4票の影響力がある」と述べたらしい。「マニフェストに組み込んで、次の総選挙でしっかりと訴えたい」と言ってるとか。

 まともなマスコミがスルーしているのは、これが実現不可能だと知っているからだろう。僕も最初はジョークなんだと思っていたが、マニフェストなんて言ってる。まあ、どこかでストップがかかるだろうけど、全く理解不能。この人は「弁護士」である。ちゃんとした法学教育を受けているはずだが、憲法の勉強をしてないのか。もっともこの人は悪名高き「サラ金」武富士の顧問弁護士だった人である。(武富士は10年以上前に破綻したので、10代だと知らないかもしれない。もう少し上なら、街頭でティッシュを配っていたのを覚えているはず。ちなみに、武富士の高校生用求人票は凄まじいものだったな。)

 何で不可能かというと、日本国憲法の規定。憲法第十五条の2項公務員の選挙については、成年者による普通選挙を保障する。」よって、成人してなければ選挙権は行使出来ない。ちょっと憲法を知っていれば、あるいは憲法の条文を知らなくても常識さえあれば、成人にしか選挙権がないぐらいのことは判るだろう。

 なお、ここで「普通選挙」とある。これは財産や身分に関わらず(公職選挙法違反で公民権停止中など特別の理由がない限り)、すべての人に選挙権が平等に与えられるということである。「子どもの有無」「子どもが何人いるか」で選挙権に差を付けるのも憲法違反である。また同じ条文の4項には「すべて選挙における投票の秘密は、これを侵してはならない」と規定している。だから、仮にゼロ歳児に選挙権を与えても、本人以外が投票権を行使したら憲法違反になる。
(ゼロ歳児にも選挙権?)
 しかし、仮にではあるけれど、この条項を「憲法改正」で変えたらどうなのか。しかし、それも無理である。第十四条で「すべて国民は、法の下に平等」と定められている。次の衆院選から選挙区が一部変更され、「10増10減」となる。最高裁で現行の区割りが一票の平等に反するとして、何度も違憲判決が出たことにより「一票当たりの価値」を出来るだけ平等にするように変更されてきた経緯がある。変更しても問題は残るが、それぐらい「一票の価値」が大問題になってきたのは国民の常識。

 ある人は子どもが1人いるから親が2票、ある人は子どもが3人いるから親が4票なんていうのは、明らかに「法の下の平等」に反する。このような憲法の基本原則、基本的人権の尊重を損なう憲法改正は出来ない。いや、国会の3分の2,国民投票の過半数があれば、何でも変えられるというかもしれない。しかし、国民が賛成したから「民主主義はやめて、日本を独裁国家にします」という憲法改正は出来ない。為政者が仮に企んでも、その場合は国民の「抵抗権」によって阻止しなければならない。

 もうこれで終わりでいいんだけど、実はもっと考えるべきことがある。それは「維新」の体質発想の特異性である。吉村氏はゼロ歳児選挙権が「少子化対策の解決法」だと主張している。どうすればそういう発想になるんだろうか。選挙権をいっぱい行使したいから、子どもをたくさん産む人なんているのか。子どもが多い人の意見が今より政策に反映するのかというと、特にそんなことになるとも思えない。子どもがいる人は特にどこかの党の支持者が多いのか? いや、同じような割合だと思うけど。(それとも皆「維新」に入れると思ってるのかな?)

 それに吉村氏は自分が4票投票できるかのように語っている。これはネット上でも指摘されているが、なんで自分が全部行使出来るのか? 離婚して3人の子の親権を吉村氏が持っているのだろうか。違うでしょ。「夫婦」では、子どもの選挙権は夫が代表して行使するんだと、無意識的に前提しているとしか思えない。

 それより一番大きな問題は「民主主義への理解不足」である。日本は「議会制民主主義」の制度である。問題点が多いのは間違いない。例えば、沖縄の基地問題を沖縄県選出以外の議員が決めてしまって良いのか? しかし、良いのである。今の政権が進める政策内容の是非とは別である。今の基地政策には問題が多いが、選挙で選ばれた内閣が自分たちの政策を進めるのは、それが仕組みだというしかない。様々な問題で「当事者の声」をよく聞くべきだけど、政策は当事者だけでなく「全国民の代表」で決めるのである。

 「未成年」は判断能力に問題があるから、投票の権利はない。だが、それは何歳からかというのは別問題。各地には住民投票の選挙権を16歳からとしているところがある。また他国には国政選挙権も16歳という国もある。引き下げるかどうかの問題はある。しかし、その場合も「本人が投票する」のが前提である。それが民主主義の原則だからというしかない。

 それを理解してない人が「思いつき」のようなことを言い出す。そう言えば、「大阪都構想」というのも僕には「思いつき」としか思えなかった。その系譜から「大阪万博」や「カジノ」も出て来ているんじゃないか。その意味で「維新」の「思いつき政治」を象徴するようなものだと思う。
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「祖国のために命を捨てるのは道徳的」かー河村市長発言考

2024年05月20日 22時33分23秒 | 政治
 ちょっと時間が経ってしまったが、名古屋市河村たかし市長の4月30日の発言について考えてみたい。この人はかつて自民党、新進党、民主党などに所属したが、現在は「日本保守党」共同代表である。(同時に地域政党「減税日本」代表でもある。)高校生の提案で名古屋市は空襲死者らを悼む日を設置することになり、5月14日を「なごや平和の日」とした。(名古屋市は何度か大きな空襲を受けているが、1945年5月14日の空襲で名古屋城が焼失した。)

 「なごや平和の日」制定は良いけれど、その決定を受けた記者会見で、河村市長は「祖国のために命を捨てるのは高度な道徳的行為だ」と語ったのである。その後批判もされたが、似たような発言をしている。うっかり発した「失言」ではなく、確信的な発言なんだろう。「時局的」には、最近の自衛隊員の靖国神社集団参拝などにも通じる、「ある方向性」があるんだと思う。
(河村市長発言)
 それは「日本周辺の緊張は激化していて、自衛隊員にも戦死者が出ないとは言えない国際環境にある。その際、日本は国家として戦死者に対して最大限の敬意を持って追悼しなければならない。そのために今から様々な心構えをしておかなくてはいけない」とでも言うようなものだろう。その状況認識がどの程度正しいかという問題は冷静に考えなくてはいけない。しかし、そう思い込んでいる人は一定数いるわけで、今後もこのような発言は続発するだろうと思う。

 この発言について考えるべきポイントは二つあると思う。それは「祖国のため」という部分と「命を捨てる」という部分である。なお、「道徳的行為」も問題ではある。「道徳」は規範というだけだから、これは「道徳的に高く評価されるべき行為」というような意味なんだろうけど、道徳規範の基準を政治家が示すのは問題だろう。しかし、これはそこまでにする。
(日本保守党共同代表に)
 最初に「命を捨てる」から。何故「死者」だけしか評価の対象にならないのだろうか。「祖国のために様々に尽くす」でも、言いたいことは通じるんじゃないか。「良心的兵役拒否」は認めないのだろうか。戦死した人以外にも、多数の傷痍軍人が生まれたし、空襲で焼け出されて「難民」や「戦災孤児」になった人も多数いる。「道徳」を振りかざす人ほど、戦災孤児が「浮浪児」となったり、戦争未亡人がセックスワーカーになったりすると、「道徳的に」非難したりするものだ。
 
 ひとたび戦争になると、実に多くの犠牲者が出る。そして「戦死するか」、あるいは「障害を負ったが命は取り留めた」か、それとも無傷で生還できたかは、ほぼ偶然による。そして、傷痍軍人はもちろん、無事に生還したとしても、戦後の混乱期を生き抜くのは大変だった。「命を捨てた」人がより道徳的に正しい行動を取っていたかというと、そんなことは全然ないだろう。まあ、そんなことは僕が言うことではなく、地元の中日新聞に連載された木内昇『かたばみ』を読みなさいと言っておきたい。

 さて、問題は「祖国のため」である。河村氏はウクライナやガザにも触れたという。どう触れたのか報道ではよく判らないのだが、これはどう解釈すれば良いのだろうか。ウクライナは確かに「祖国を侵略された」立場と言えるだろう。ではロシア兵の場合はどうなんだろう。ロシア兵の戦死者も「祖国のため」として道徳的に正しいのか。イスラエル人とガザのパレスチナ人の場合は、もっと複雑だ。どっち側も「道徳的」なんだろうか。

 ウクライナでも無防備な病院が爆撃されたし、ガザでも病院が爆撃され多くの子どもが死んでいる。そういう死者も「祖国のため」に死んだのだろうか。いや、僕は「国際法違反の戦争犯罪で殺された」と判断するべきだと思う。そもそもの名古屋大空襲の死者だって、「祖国のため」の犠牲者ではなく、「戦争犯罪の犠牲者」であり、「祖国」を言い出すなら「祖国の始めた無謀な戦争政策の犠牲者」である。「祖国のため」と言って様々な戦死者を一緒くたに顕彰するのは、「犯罪の隠ぺい」になりかねない。

 結局「祖国」の始めた戦争には全力で協力するべきで、どんな戦争であっても「祖国の戦争の戦死者」は道徳的に正しいというのが河村氏の世界観なんだろう。だから「アジア太平洋戦争」が侵略戦争であっても、戦死者は「犠牲者」ではなく「道徳的行為」になる。日本人だからそれで良く、もしロシア人に生まれていたら「ロシアの戦争はすべて正しい」と判断する。そういうタイプの思考の持ち主なんだろう。だがグローバル化の進む現代において、ちょっと情報を集めれば「祖国の過ち」はすぐに判明する。

 歴史を振り返ってみれば、様々な戦争があったと判る。「祖国のため」を考えるならば、「祖国の始めた戦争に全力で反対する」方がずっと「道徳的行為」だったことなどいっぱいある。第二次大戦中の日本であっても、日本の内外で侵略戦争を止めさせるために囚われていた人が多数存在する。「戦死者」ならすべて道徳的というより、場合によって「祖国の政策に反逆する」方が道徳的に正しい場合がある。もし、「祖国」とか「道徳」などの言葉をどうしても使いたいなら、そこまで言わなければ歴史の教訓を真面目に受け継ぐとは言えない。
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そもそもパーティー券は「詐欺」に近いー「外国人」の購入制限問題

2024年03月22日 22時40分58秒 | 政治
 安倍派パーティー券の「裏金」不記載問題は、予想されたような展開になっている。衆参の「政治倫理審査会」(政倫審)が開かれ、多くの議員が出席したものの肝心なことは何も判っていない。野党側は嘘をつけば偽証罪に問われる「証人喚問」を求めているが、与党側は応じていない。また多くの「不記載」議員が政倫審に出ていない。政倫審は3分の1の要求があれば招致できるが、野党委員だけでは数が足りない。そこで与党である公明党に協力を求めたが、公明党は応じないようだ。(公明党は自民党に厳しいようなことを口では言うが、肝心なところでは自民党を離れない。)しかし、こういう展開は予想通りだろう。
(野党は証人喚問を要求)
 憲法の規定により、2024年度予算が年度内に成立することは確定している。そうなれば、もう与党は野党に譲歩する必要はなく、国民向けに関係議員に対する「一応の処分」は行われるだろうが、自民党としてはそれでウヤムヤにしたい。補欠選挙で自民党に厳しい結果が出れば、岸田首相に責任を取って貰えば良いのであって、それで終わり。そう考えているだろう。「もし」があるとしたら、予算案の衆院通過が3月第2週まで延びていれば、政府は暫定予算を組む必要に迫られたかもしれない。

 その時にこそ、野党側が与党を追いつめ証人喚問などを実現できたのである。ただ、その場合与党や与党寄り「識者」から「能登半島地震復興をジャマするのか」という声が殺到するだろう。立憲民主党が採決直前に予算委員長の不信任案鈴木財務相の不信任案を出して抵抗した時に、予算案本体には反対した「日本維新の会」「教育無償化を実現する会」は両不信任案に反対し、「国民民主党」は財務相不信任案に反対した。野党というけど、肝心な時に与党を助ける党がある。そしてSNSでも立憲民主党の「抵抗」に批判の声があり、結局腰砕けになってしまった。「闘う」時に足を引っ張るのが日本社会である。

 それはともかく、最近は「そもそも政治資金パーティー券って何だろう」と思っている。これまでは派閥のパーティー券収入が還流して、政治資金報告書に不記載だったことを批判してきた。まあ、当然である。政治資金パーティーを開くことは合法行為だが、政治資金を記載しないのは違法行為である。現行法でそうなっている以上、パーティーそのものは問題視せず、組織的に不記載だったことを批判したわけである。だけど、それで良いのだろうかと思うようになってきた。
(有村質問)
 きっかけとなったのは、3月6日の参院予算委員会における有村治子議員(元女性活躍担当相)の質問である。「外国人による政治献金が禁じられる一方、政治資金パーティー券の購入は認められている現状について「事実上どちらも政治活動への経済的支援に変わりはない。外国人によるパーティー券の購入をただしていかなければ、日本の政治が外国勢力から支配や干渉を受ける制度的な脆弱性を持ち続ける」と述べ、法改正を訴えた。」と質問しているのである。

 あれ、やっぱりそうなの? それ言っちゃうの? 政治献金が禁じられているのは、何も外国人(法人)だけではない。「一定の補助金等を受けている会社(法人)」や「(3年以上の)赤字企業」なども同様である。しかし、パーティー券については制限がない。それは何故かと言えば、パーティー券購入は「パーティーに出る対価」であって、「政治献金」じゃないからだろう。パーティーを開く(参加する)のは、集会の自由があるから問題ない。パーティーに参加するには、コンサートやスポーツの試合などと同じく「チケット」が必要だ。外国人であれ赤字企業であれ買っても良いわけである。

 しかし、やはり自民党議員であってさえ、タテマエではそうだけど、実は政治献金そのものだと理解している。売った分全員が来たら会場があふれてしまうし、飲み物、食べ物もあっという間に無くなる。それでも会社でまとめ買いして、代表一人が出席し多くの政治家と名刺交換して、一緒の写真を撮って帰る。パーティー券分の飲み食いをする気は初めからないのである。だから実質は政治献金。そこで「外国人も実質的に政治献金可能じゃないか」と発想するのは、さすが自民党議員は「排外主義」なんだと判るけど、真の問題は外国人じゃないだろう。

 3月2日付朝日新聞「企業献金の深層②」という企画記事では、「パーティー券購入「行くわけないが」」と大きく報じて、岐阜県の建設業者の話が載っている。「東京のホテルだろ。朝8時に行くわけないよ」と国会議員秘書に言ったら、「今はオンラインでも参加できますよ」と返されたとある。それならば、オンラインで参加する場合は(飲食しないんだから)パーティー券を安くするべきだろう。こういう風に「行くはずがないパーティー」の券でも個人で買うのは自由かも知れない。だが企業が負担していれば、背任とか横領に当たらないのだろうか。

 これって限りなく詐欺に近くないだろうか。昔の豊田商事(老人から金塊を買うとしてお金を集めて、買ってなかった)とか、最近のトケマッチ(高級時計を預かって貸し出すと称して、売り払っていたらしい)なんかの商法に何となく似てないだろうか。ただし、パーティー券の場合は、お互いに出ないことを承知で金を出して(集めて)いることが違っている。だが、「全員来たら入りきれないパーティー券を売る」のは、そもそも「詐欺事件」なんじゃないかと思う。
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それで岸田内閣は結局どうなるのかーやはり9月に辞職か?

2024年03月13日 22時33分58秒 | 政治
 1月末の安倍派裏金問題の「法的決着」以後は、政局について書いてない。昨年来何度も書いてきたことの続きだから、一回完結の記事として「岸田内閣の行方」に絞って考えてみたい。まず確認だが、4月28日に(今のところ)衆議院3選挙区の補欠選挙が行われる。これは与党に厳しい結果が予測されているが、どうせならここで一緒に解散してしまうという想定も可能だった。長崎4区などは解散すれば無くなってしまうので、勝敗カウントから外れる。自民党が減らすとしても、野党の選挙協力がない時点で「奇襲」すれば、「自公で過半数」は可能じゃないか。

 しかし、この予測は今のところほぼ考えられないと思う。年末時点から変わった点が二つある。一つは昨年末に安倍派二階派に強制捜査が行われ、自民党内ではこの2派閥の問題と思われた。ところが岸田派事務総長も略式起訴されたことである。もう一つは、元日に能登半島地震が起きた。大規模断層地震で、能登半島西部では大きな隆起が見られた。その結果、能登半島の被害は想定以上に大きく、特に水道の復旧が大幅に遅れている。住民の多くは二次避難を続けていて、この段階で解散総選挙を行うことは「被災者無視」だという非難を避けられない。

 では、その地震災害要因はいつまで続くのか。秋以降、来年になれば、一応総選挙は可能だろう。今の段階での予測では、「6月解散、7月選挙」も出来なくはないのではないか。避難者は残っているだろうが、それを言えば原発事故被災による避難者もまだ多いわけである。通常国会会期末に野党は当然内閣不信任案を出すだろう。それをきっかけに、岸田首相が「解散・総選挙に打って出る」と言えば、法政上誰も止められない。内閣支持率が落ちているので、野党側は岸田首相での選挙を望んでいる。自民党が減るのは間違いないんだから、自民党内は「いかにして首相の暴挙を止めるか」に躍起となる。

 さて、10日のBSテレ東の番組で公明党の石井幹事長が興味深い発言を行った。「公明党の石井幹事長は、次の衆院選の時期について、今年9月に行われる予定の自民党総裁選後の「可能性が高い」との見方を示しました。石井幹事長は民放のBS番組で「自民党の総裁選で選ばれた総裁は非常に支持率が高くなる」と指摘。秋に予定されている総裁選の後に次の衆院選が行われる可能性が高いとの認識を示しました。」これは注意深く、岸田再選なしとは言ってないが、事実上は岸田後の新総裁で選挙をやりたいということだ。連立与党とはいえ、他党の幹部が「You're Fired! = おまえはクビだ!」(トランプの決めぜりふ)を言っても良いのか。
(石井発言)
 しかし、これは自民党内からは言えないから、公明党が代弁していると考えた方が良いだろう。小選挙区で何とか勝てる人は良いけれど、このままでは比例区で復活するのが難しいのは目に見えている。何とか違う首相のもとで選挙に臨みたい。それが自公議員のホンネだろう。だが誰が後継首相になれば良いのか。世論調査では石破茂元幹事長への期待度が突出して高いが、「石破だけにはしたくない」で大方の自民議員はまとまるはずだ。旧「安倍派」から出すわけにはいかず、茂木幹事長にも政治資金疑惑がある。およそ派閥の長である人が皆総裁選に出にくいという、かつてのリクルート事件(1989年)の時みたいな状況になっている。

 では肝心の岸田首相はどう思っているのか。なかなか動かない自民党の中で、自ら首相として初めて政治倫理委審査会に出席した。しかし、かつての小泉首相のように「自民党をぶっ壊す」などとは言わない。小泉郵政改革は、多くの離党者を出した。一時は小泉改革に熱狂した国民も、次の選挙では民主党への政権交代を選択した。民主党政権には郵政反対派の「国民新党」など反小泉の保守派も参加していた。今回の問題を深追いすると、安倍派を支持してきたウルトラ保守が自民党を離れるかも知れない。それをきっかけに自民党が「三度目の下野」に追い込まれる可能性もある。
(政倫審に出席した岸田首相)
 その事を考えると、何となく煮え切らない対応、官僚的な答弁を続けている岸田首相は「まだ再選を諦めていない」と見ることが可能だ。しかし、安倍派、二階派に加えて、相談なしに「派閥解散」を打ち出したため、麻生派や茂木派も今では首相を支える気が無いように見える。党内に岸田再選へ向けて熱気の高まりがないが、同時に自分が取って代わるという熱気もない。低支持率のまま、本人には辞める気が無く夏を迎える。そこで解散に踏み切れるか。どうやって、解散を止めるのか。自民党内から不信任案に賛成するということは考えられない。(総選挙で公認されなければ、旧安倍派は復活当選出来ない。)

 自民党の大多数は、「安倍派処分」など恨まれることは岸田首相にやって貰いたいだろう。そして「責任を取る」として首相が辞めてくれれば一番良い。岸田内閣は9月まで続けば3年やったことになり、安倍、小泉には及ばないけれど、21世紀で3番目の長命政権になる。菅内閣は東京五輪、岸田内閣は広島サミット。大仕事は一つやった。またこれから3年間岸田内閣が続くのは、誰が見ても長すぎるんじゃないか。やっぱり方向性としてはそうなりそうな気がする。問題は誰が首に鈴を付けるのか。それは麻生副総裁しかいないと考えられる。次も「岸田派」から出すから、ここで身を引いてくれないかと言うわけだ。

 具体的には「林(芳正官房長官)か、上川(陽子外相)か」である。どっちも岸田派だから、首相が辞めない限り自分で出るとは言えない。林を担ぐと、山口県で確執がある安倍派が高市早苗を立てるだろう。閣内から出るんだったら河野太郎も出るかもしれない。そうなると上川陽子を各派閥まとまって擁立するというのが、あり得る選択肢だろう。もう一つ、小池都知事が都知事選に出馬せず、自民党に復党申請するとどうなるか。今の段階で読めないけれど、そういう可能性も全くなしとは言えない。

 僕は麻生副総裁の「上川外相おばさん発言」は、次の総裁候補として認知したという宣言だと思っている。上川外相が問題視しないと言ったのも、「私はわきまえた女」として後継擁立を受けるという党内ボスへの返答だと考える。だから「麻生発言」を何度も批判してきたけれど、今回は書かなかった。生臭い思惑がある発言をタテマエで非難しても、誰にも届かないからだ。だけど、麻生副総裁が説得しても岸田首相が辞職しないとなった場合、どうなるのかまでは僕にも全然読めない。
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自衛隊幹部の靖国神社集団参拝問題ーこれが「通達違反」じゃないとは!

2024年01月27日 22時41分47秒 | 政治
 1月9日に陸上自衛隊の小林弘樹陸上幕僚副長を含む幹部22名が、時間休を取得した上で靖国神社を集団で参拝していた。そのことが明らかになった後で、防衛省は1974年に出た「部隊参拝」や「参加の強制」を禁じる通達に違反していないか調査するとしていた。そして26日になって、通達で禁じる「部隊参拝」ではないと結論づけた調査結果を発表した。その上で公用車での移動は不適切として、小林氏ら3人を訓告処分としたという。しかし、これは非常に疑問の多い「調査結果」である。

 まず、今回の参拝に関して陸上幕僚部の担当者が「実施計画」を立てていたという。これは正式な行政文書として作られた。この集団参拝は、小林氏がトップである陸自内の「航空機事故調査委員会」関係者で市ヶ谷駐屯地勤務者の1佐以上を対象にしたという。その対象は41名でそのうち22名が参加したことを「参拝者が22人にとどまった」と評価している。参加者は全員が「自由意志」で参拝したと主張している。そのため通達で禁止された「集団参拝」ではないと結論付けた。

 しかし、これはどう考えてもヘリクツだろう。例えば学校には教員の親睦会があり、歓送迎会などを計画する。幹事が日時や店の場所などを書いた文書を作るだろうが、その計画書は当然ながら正式な行政文書ではない。(今はメールで通知するかもしれないが。)正式な文書として起案番号を取ったら、それは「正式な学校行事」になってしまう。自衛隊だって同じだろう。初めから「参加、不参加は自由」となってただろうが、それでも正式行事だったというしかないと思うけど。
(小林氏らに訓告)
 それ以上に不可解なのは、「時間休」の扱いである。そもそも宗教施設への参拝は内面に関わる私的なものだから、「時間休」を取得して行うものじゃないだろう。週休日があるんだから、その日に行けば良い。時間休を取る権利はあるし、休暇申請の理由を問うことは出来ない。しかし、同じ職場で同時に22人が時間休を取るってあり得るだろうか。そんなことは普通「時限スト」でもやってない限り起こらない。22人が時間休を申請したら、管理職が「時季変更権」を行使すべきケースじゃないか。
 
 能登半島地震で自衛隊が活動中だからこそ「公用車」を用いたと小林氏は主張していた。しかし、時間休を一斉に取った間に何が起こるか判らないわけだから、公務員の「職務専念義務」に照らして大きな疑問がある。民間人以上に公務員には厳しい「職務専念」が求められている。今回の調査では「徒歩でも30分以内で登庁できた」ことを理由に「公用車利用は不適切」とする。しかし、距離の問題なんだろうか。「参拝」は勤務時間中に時間休を取ってまで行うことじゃないだろう。

 ところで、もちろん今回の問題の一番の本質はそういう事務的な解釈問題ではない。自衛隊幹部が「靖国神社」を参拝することは許されない。集団じゃなくても、休暇日であろうと、全く関係ない。「航空安全の祈願」が目的と言うが、靖国神社は特に航空関係で行く神社じゃない。市ヶ谷と九段が近いから行ったわけでもないだろう。靖国神社には「政教分離に反する」「A級戦犯刑死者を合祀」という問題があるのは誰でも知っている。政治家ならいろんな主張があろうが、現職公務員が行くべきではない。

 靖国神社はもともと戊辰戦争の「官軍」側死者を祀る「東京招魂社」として建立され、1887年から旧帝国陸海軍が管轄していた。戦前の「国家神道」体制の中でも非常に特殊な宗教施設だ。よく知られているように戊辰戦争の幕府側死者、西南戦争の西郷軍側死者などは祀られない。その後の数多くの外国との戦争でも、軍と雇用関係がなかった民間人、例えば空襲での死者などは祀られていない。つまり「天皇のための死者」のみを祀る特異な宗教施設である。

 そのことを知らない幹部自衛官はいないだろう。当然知っていて、自分たちは旧軍を引き継ぎ「天皇を中心にした日本国家」を守るんだという意識を持っていると考えられる。だからこそ、違和感なく靖国神社を参拝できるのだろう。そういう経緯を考えてみると、41人の対象者の中でちょうど半分ほどの22人が参拝に行ったことは偶然じゃないと想像出来る。残りの19人は自由意志で参拝しなかったというよりも、「待機要員」として残る側に回ったと理解するべきだと思う。

 もう一つ、1月10日に宮古島駐屯地宮古警備隊長ら隊員20人が公用車などで、地元の宮古神社を参拝していたことも判明している。これも沖縄で進む軍事化と関連があると考えるべきだろう。全体に自衛隊幹部に「政教分離」の意識がないのである。「政教分離」はあらゆる宗教が対象ではあるが、隊長がクリスチャンで部下を引き連れてクリスマス礼拝に参加するなんてことは起こらない。政教分離とは戦前に大きな影響力を持った「国家神道」と行政組織の分離が一番の眼目である。「そんなことも知らない」んじゃなく、そんなことは承知の上で、神道との結びつきを強めているんだと思う。警戒が必要だ。
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「世襲」は禁止できない、だから…を考えることが大事

2024年01月23日 22時37分09秒 | 政治
 自民党に批判が集まる時には、大体「世襲が問題だ」という人が出て来る。僕も自民党の有力政治家が「世襲」ばかりになったような現状は大いに問題だと考えている。今までもその事を何回か書いてきた。例えば、『「政治家世襲」は現代の「蔭位制」ー世襲政治家問題①』を2023年6月に書いた。(「蔭位」(おんい)とは親の位階が高い子どもは自動的に幼い時から高い位階を得られる制度。藤原道長が出世出来たのも、源頼朝が12歳で伊豆に流された時にすでに位階を得ていたのも、そのお蔭である。)
(中曽根康隆氏)
 中曽根康隆(1982~)という政治家がいる。今回「政治刷新本部」で派閥解消を声高に主張して注目された。しかし、名前を聞けば大方の日本国民ならピンと来るだろう。この人は派閥なんか無くても当選出来るのである。そう、中曽根康弘元首相の孫、中曽根弘文元外相の子である。2017年衆院選で比例単独で当選し、2021年には群馬1区の公認を現職の尾身朝子から奪って獲得し大差で当選した。しかし、この人は「世襲」なんだろうか。親の中曽根弘文は参議院議員である。祖父の中曽根康弘は小選挙区では出たことがなく、最後は比例単独1位で96年、2000年に当選した。従って「親の選挙区を引き継ぐ」という「狭義の世襲」ではない。

 そもそも「世襲そのものを禁止することは出来ない」。だから国会議員の世襲を禁止せよなどと大声で主張する人には要注意である。なんで世襲を禁止出来ないかと言えば、憲法の規定である。「第四十四条 両議院の議員及びその選挙人の資格は、法律でこれを定める。但し、人種、信条、性別、社会的身分、門地、教育、財産又は収入によつて差別してはならない。

 差別禁止規定と言えば、普通はマイノリティ保護のためだと思いやすい。しかし、「法の下の平等」は政治家の家族にも適用される。政治家の子どもは自らの意思で政治家の親の家庭に生まれたのではない。「性別」や「身分」によって立候補資格を奪うことが出来ないように、政治家の子どもが立候補したいなら誰も止めることは出来ない。政党が公認しないとしても、無所属で出る自由がある。有力政治家の子どもなら、無所属でも当選するだろう。国会議員には居住地条件はない。日本国籍があれば、日本のどこでも立候補出来る。政治家の子どもが好きなところで立候補するのは、国民の基本的権利で誰にも奪えないのである。
(派閥解消を主張する小泉進次郎議員)
 しかしと、何となく納得できない思いを持つ人は多いと思う。中曽根康隆議員とコロンビア大学大学院で同期だったというのが、小泉進次郎(1981~)議員である。この人は小泉純一郎元首相が議員引退を2008年に表明し、後継の指名を受けた。そして、2009年の衆院選で初当選したのは28歳の時だった。そして、2012、14、17年と4回当選を重ねて、2019年に38歳で環境大臣に就任した。スタートが早いから当選回数も多くなり、30代で大臣になれた。曾祖父以来の強固な地盤に恵まれ、落選の心配などしたことがないだろう。だからこそ、思い切った主張を展開出来る。

 それにしても、総理大臣を長く務めた親の後援会組織をそのまま受け継げるというのは、どうにも不公平だ。どこで立候補してもよいわけだが、20代でさっさと当選出来るなんてアリなのか。僕がそう思ってしまうのは、今では20代が若すぎる感じがするという理由もある。平均年齢も上がり、就職や結婚の事情も大きく変わった。これが横須賀市議選に出るというのなら、誰も文句を言わないだろう。若い時は地方自治を勉強し、それから国会議員になって国家全体のことを考える。その方が良いと思うんだけど。政治家の親も「かわいい子には旅をさせよ」の心で子どもに接するべきではないか。

 そこで考えたのだが、現在の立候補年齢(被選挙権)は、衆議院議員が25歳参議院議員が30歳と分かれている。選挙権年齢が引き下げられたので、立候補可能年齢も下げるべきだという議論がある。僕もそう思っていたのだが、よくよく再考してみれば、20歳で国会議員になっても年長者の使い走りだろう。だから、思い切って「国会議員に立候補可能な年齢は30歳」に引き上げてはどうだろう。その代わり「地方議員に立候補可能な年齢は18歳」と思い切って下げるのである。高校を卒業したら立候補可能にすれば、大学は夜間や通信に通いながら地方議員をやる人が出て来るかもしれない。

 そして、「国会議員は30歳以上」だけど、例えば「地方議員を5年以上務めた」場合などは、特例として国会議員に立候補可能とする。特例の条件は他にも考えられる。国際人権団体で5年以上働いた、福祉や教育の現場で5年以上働いたなどなど。問題は世襲そのものより、大した人生経験もない人が親の名前で当選してしまうことの方だ。立候補そのものには資格審査は出来ない。だけど、出来る限り現場感覚を持つ人が国政に増えるように、政治家の子が福祉現場などで働くと早めに立候補可能という制度はどうかなと考えて見たわけである。
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「派閥解消」より、政治資金規正法の改正を!

2024年01月22日 22時07分35秒 | 政治
 岸田首相が突然「岸田派(宏池会)解散」を宣言して、自民党内は派閥解消論議で騒然としている。「派閥解消」は今までにも何回か機運が盛り上がったことがあるが、いつの間にかウヤムヤになった過去がある。僕は全く信用してなくて、今回どう決着しても20年後には似たものが復活しているに違いないと思っている。こういうのを見ると、僕はいつも『仁義なき戦い』シリーズを思い出してしまう。「頂上作戦」で追いつめられた広島の暴力団は「解散」して、代わりに「政治結社」に衣替えした。実質は変わらないまま、表面だけ付け替えるのが保守政治の知恵(または悪巧み)である。
(岸田派が解散)
 それにしても、岸田首相の派閥解散宣言ほどおかしなことはない。何故って、岸田氏は宏池会の会員じゃないからである。岸田派を率いる岸田氏は、総理就任後も岸田派を離脱しなかった。安倍氏は首相在任中は派閥を離脱し、だからこそ清和会(清和政策研究会)は「細田派」と称していた。(細田氏が衆院議長に就任し党籍を離脱したので、首相を辞任した安倍氏が派閥に復帰して会長に就任した。だから「安倍派」と呼ばれた。)岸田氏が総理就任後も派閥を辞めないことはずっと批判されてきたが、頑なに派閥会長を続けていた。ところが、今回の未記載問題が大きくなった後で、2023年12月8日に宏池会から離脱することを表明したのである。会員じゃない人がその組織の解散を決められるのか。要するに「偽装離脱」だったのである。

 「安倍派」の解散というのも、政治の流れ的には当然なんだろうけど、全く意味不明である。そもそも会長がいない組織というのがおかしい。今も故人の名を冠していたこと自体がおかしい。そのためか、安倍派の面々も国民に謝罪する前に、「安倍氏の名前に泥を塗って申し訳ない」とか言っている。もともと国民のための組織という意識じゃないのである。かつて「竹下派」の金丸信会長が議員辞職した後、後任の会長選びが紛糾し、「羽田派」(小沢一郎系)と「小渕派」(橋本龍太郎系)に分裂したことがある。安倍派も「いずれ自分が総理」と思う人が複数いて、後継会長を無理に選ぶと分裂するんだろう。
(安倍派も解散)
 今の自民党で「派閥」と称していたものは、歴史的にはもう役割を終えていたと考えられる。そもそも派閥は「この人を次の総理に」と推す子分が集まるものだ。ボスの方は総裁選で自分に入れてくれる部下が必要だから、折に触れて政治資金を配ってつなぎ止めることになる。その「御恩」(餅代、氷代)と「奉公」(総裁選での票固め)の関係が保守政治のダイナミックスになってきた。その意味では、首相を辞任した安倍氏が会長になること自体がおかしい。それは「麻生派」「二階派」にも言えることで、総裁候補じゃない人が会長をしている派閥というものがおかしいのである。

 一方、菅義偉前首相が盛んに派閥解消を声高に主張しているのも変である。自民党の政治刷新本部で派閥解消を主張している人は、菅氏に近い議員が多い。以前から菅氏を中心にした「勉強会」が企画されていて、そこで声を挙げている人は「事実上の菅派」みたいな人が多い。菅氏もずっと無派閥を通してきたわけではなく、当初は小渕派、その後は宏池会に所属していた。2009年の民主党政権成立後の自民党総裁選で、河野太郎を支持して派閥を脱退したという。2009年衆院選は民主党が大躍進したが、菅義偉は辛くも(548票差)5回目の当選を果たした。そのように自分の政治基盤が確立されたから、「無派閥」を通せたのである。
(政治資金規正法改正の論点)
 そんな自民党内の事情にしか関わらない派閥問題ばかり論じていてはならない。この絶好機に何としても「政治資金規正法改正」を成し遂げなくてはならない。「派閥解消」は単なる党内ルールだから、後でどんどんウヤムヤに出来る。しかし、法律は一度変えたら、また国会で議決しない限り変えられない。そういう「歯止め」がある変更を行わないといけない。では、どう変えるべきか。僕にもすぐ全部は言えないけれど、今の「パーティー券」は買っても行かない人がいて成り立っている。つまり、「事実上の寄付」である。それが20万円まで記載しなくてよいとは全く理解不能。「記載限度額の引き下げ」は必須だ。

 また「秘書」は立件されるのに、政治家が無傷なのは納得出来ない人が多いだろう。これが選挙だったら、選挙運動に関わった有力運動員の有罪が確定したら議員も失職する規定がある。いわゆる「連座制」である。別に議員本人が法的に有罪となるわけじゃない。だけど「失職」して「公民権停止」となる。そういう決まりがあれば、こんなふざけた裏金問題は無かったに違いない。また報告方法を「デジタル化」することも必須。そうすれば当然デジタル情報で公開されるから、マスコミ等の追跡が容易になる。会計ソフトを作っている会社が幾つもあるから、「政治資金報告用ソフト」もすぐに出来るだろう。
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安倍派幹部の不起訴に納得せず

2024年01月19日 22時10分37秒 | 政治
 2023年末から大きく問題になってきた「安倍派裏金問題」に取りあえずの結論が出たようだ。「証拠隠滅」疑惑もあって逮捕されている池田佳隆衆院議員の扱いが未定だが、議員としては谷川弥一衆院議員が「略式起訴」、大野泰正参院議員が「在宅起訴」された。一方、派閥側では安倍派二階派岸田派会計責任者(元会計責任者)が「在宅起訴」された。一方、安倍派幹部側は全員不起訴になった。きちんとした「証拠」が集まらないのに、無理に起訴するのは間違っている。しかし、今回のケースでは、僕は「証拠不十分」なだけで実際は「限りなく怪しいクロ」と思っている。
(安倍派幹部不起訴)
 ところで、こういうニュースを見ると、「略式起訴」の対語として「在宅起訴」があるように思う人もいるだろう。だが実は「起訴」と「略式起訴」があるだけである。「在宅」かどうかは取り調べのやり方の問題で、「逃亡」「証拠隠滅」の恐れがなければ、逮捕して取り調べる必要がない。略式起訴は最高刑が罰金100万円以下の事件で、本人が同意した場合に行われる。正式裁判は行われず、簡易裁判所で行われる。要するに谷川議員は「有罪」を受け入れ、大野議員は「有罪」を受け入れてないのだろう。大野議員は今後通常の裁判が行われ、有罪が確定するまでは議員の身分は変わらず、選挙にも出られる。谷川氏は現在82歳なので、今後数年以上も争うのは人生の時間のムダと判断したんだろう。
 (谷川議員と大野議員)
 二階派や岸田派の実情は知らないけど、「ミス」の積み重ねだと言われると、それを覆す証拠もないのかなと思う。そもそも政治資金規正法では不記載の責任は一義的には会計責任者になる。なかなか議員側との共謀関係の証明は難しいだろう。だが、安倍派のケースはずいぶん違っている(と報道されている)。一端集めたものを、ノルマ以上だと超過分を戻していたとされる。さらに参院議員の場合、参院選の年は納入義務が免除されていたとか、中には派閥にはノルマ分だけ納めて超過分はもともと手元に置いていたという。この特殊性から考えて、「4千万円基準」で起訴、不起訴が分かれること自体納得出来ない。

 事務総長経験者は「会長案件」だったと述べていると報道されている。安倍派というのは党内保守派で、折に触れ「愛国心」とか言ってきた人々である。まあ「自称愛国者」がイザとなったら責任転嫁するというのは、歴史の法則である。だがこの5年間の会長というのは、細田博之安倍晋三の二人だから、まさに「死人に口なし」ではないか。それならば2022年7月に安倍氏が亡くなった後は、この裏金問題は無くなったのか。それだけ考えても、少なくともこの2年間は「会長案件」とは言えない。統一協会の票割りは安倍氏が仕切っていたようだが、一般的には政治資金の処理は会長じゃなく事務総長の権限じゃないのか。
(二人の会長経験者は故人)
 そもそも何のために政治資金規正法があるのか。それは「お金で政治を動かす」ことがあってはならないからだ。政治に関わるお金の流れを透明にすることで、「お金で政治を買う」企業などを無くす。実際は必ずしもそうなっていないが、目的はそういうことだろう。時効に掛からない5年間で4千万というのは、1年で800万になる。それだけ貰えば、政治家を動かせそうな気もする。柿沢未途議員の「贈賄」は、選挙に関わる問題だがずっと少ないではないか。それはともかく、法の目的からするともともと「薄利多売」であるパーティー券の収支は記載ミスがあっても大きな問題になりにくい。

 しかし、今回の安倍派のケースは、「意図して裏金を作る」というものだ。それが「派閥ぐるみ」で行われていた以上、派閥幹部には責任がある。法的責任が証明出来なかったとしても、政治的、道義的責任があるのは当然ではないのか。収入に記載されてないお金は何に使ったのか。いくらでも不明朗な使い道が出来るだろう。こういう「初めから裏金目的」の場合は、何も「未記載額4千万」にこだわるのはおかしい。派閥のパーティー券を一生懸命売った人だけが、多額の未記載額が生じてバカを見た。初めからノルマ超過分を手元に置いていた人は、金額の多寡に関わらず政治資金規正法違反で立件するべきではないのか。

 しかし、まあこういう結果は当然予測の範囲内である。年末に書いた「今は安倍派の責任追求が優先だー岸田首相退陣要求の前に」でこのように指摘した。「かつて東京佐川急便事件で当時の金丸信自民党副総裁が在宅のまま略式起訴になったことに国民の批判が殺到した。その結果、本人が議員辞職するに至った。今回も刑事責任を辛くも逃れたとしても、明らかに政治責任がある政治家には議員辞職を要求していかなければならない。」僕が今思うのは、やはりそういうことである。
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岸田首相と山本太郎、現地視察をめぐる問題ー能登半島地震から一週間②

2024年01月10日 22時40分18秒 | 政治
 岸田首相13日に能登半島地震の被災地を訪問する意向だという。岸田首相の現地視察が遅いのかという問題を考えたい。今回は自衛隊の派遣も「逐次投入」で遅いという批判がある。事実評価の判断は難しいと思うが、自衛隊のことはちょっと置いて首相の問題に絞る。実は今までの大震災と比べて、今回の首相訪問が遅すぎるのは事実である。

 それは1月10日東京新聞掲載の斎藤美奈子のコラムに明示されている。それによれば、阪神淡路大震災(1995年)の村山首相は、2日後の1月19日に現地を視察した。村山首相の対応は遅いと当時批判されたかと記憶するが、2日後には現地に行っているのだ。新潟中越地震(2004年10月23日)では、小泉首相が現地を視察したのは3日後の26日である。熊本地震(2016年4月16日)では、14日に強い地震があり安倍首相は16日に現地入りを予定していたが、その16日未明に「本震」が起こって延期され、結局23日に現地入りしたという。そして、もちろん2011年3月11日の東日本大震災では、菅直人首相が12日に原発視察を強行し、その後三陸沿岸も上空から視察した。その結果翌13日に首相から自衛隊派遣人員を10万人態勢に強化するよう指示があった。
(阪神大震災を視察する村山首相)
 東日本大震災を除いて、僕も詳しい日時は忘れていた。多くの人がそうだと思う。日時が確かなのか確認したところ、その時点の報道写真がネット上ですぐ見つかるので間違いない。一方、東日本大震災の菅直人首相の原発視察は記憶しているが、それは当時から毀誉褒貶がある。自民党は批判したし、保守的な評論家などは今も強く批判していると思う。僕が思うに、自民党には2011年の記憶だけ残っていて、「自縄自縛」になっているのではないか。震度7レベルの大地震が起きた時には、首相は出来るだけ早期に現地を見に行ってきたという「政治の知恵」を忘れているのだと思う。
(原発事故を視察する菅直人首相)
 今回岸田首相の現地視察が遅れている原因は幾つか考えられる。お正月に当たって、現地の自治体も被害規模に応じた情報収集が遅れた。2日夕方に羽田空港で日航機と海上保安庁機が衝突する事故も起きた影響もある。正月の用事も立て込んで、なかなか現地入りの日程確保が難しいのも確かだろう。だが、防災担当相が誰かすぐに言える人がどれだけいるだろう。(松村祥史参議院議員である。)政治からの発信が弱いのは間違いない。僕はやはり岸田内閣の支持率低下安倍派裏金問題などが影響している気がする。例えば、現地入りした日に捜査が大きく進展したりすれば、現地でも記者の質問はそっちに集中してしまう。
(熊本地震を視察する安倍首相)
 また岸田首相は「保守派」の批判を気にしているんじゃないかと思う。支持率が下がって、無党派層の多くは離反している。一方、「超保守派」の中には安倍首相が亡くなり、安倍派も解体の危機にあり、もう義理は済んだ的な思いもあるらしい。岸田内閣の政策を批判する保守派も増えているらしい。保守派なら自衛隊が災害救助で活躍することは大歓迎だろうと思うと、東日本大震災の時に自衛隊を大々的に動員したことに批判もあった。「本来業務」である「国防」に影響を与えてはならないということだ。中国や北朝鮮に備える自衛隊員を災害救助に動員して、「国防体制」に隙を見せてはならないと考える人もいるのである。
(1月5日の与野党党首会談)
 さて、そんな中で「れいわ新選組」の山本太郎代表が1月5日に能登町を視察していたという。この問題をどう考えるべきだろうか。その前提として、石川県は交通渋滞を避けるため県外からの訪問を避けるように発表していたこと、5日の与野党党首会談で「当面の訪問は自粛する」という申し合わせを行っていたことがある。ただし、この与野党党首会談は上記写真のように、自民、公明、立憲民主、日本維新の会、共産、国民民主の6党首が参加していた。この写真は山本太郎議員を激しく非難している「維新」の音喜多駿議員のブログに出ていたものである。だが、「れいわ新選組」はこの会談に呼ばれていない。国会の正式機関で議決されたわけでもないから、呼ばれてない政党を拘束するものではないだろう。

 首相動静を見ると、与野党党首会談は5日午後3時1分から開かれている。時間的にも間に合わない。ただ、山本太郎氏はこの日はケガをして、松葉杖だったという情報もある。それなら無理をして行くのはどうなのかという問題はある。僕は何も山本太郎を絶対に擁護するつもりはないんだけど、ただ「国民は行ってはいけない時期」みたいな言い方はおかしいと思う。むやみに皆が行ってもジャマになるだけだが、国会議員は「一般国民」ではない。上でも下でもなく、「われわれ日本国民の代表」である。「れいわ新選組」を支持しない人にとっても、当選した国会議員は自分たちの代表である。岸田首相を支持しない人にとっても、日本国の行政権の代表者は岸田首相である。
 
 ただの市民は遠慮するべきだろうが、代わりに「われわれの代表」は行ってもよいだろうし、むしろ「現地に出掛ける義務と権利がある」と思う。国会議員が国民の代表という意識がない人が多いのか、実際とんでもない議員が多いからか、民主主義の原則を踏まえてない議論はおかしい。それにやはり災害はそれぞれ違った側面があり、「実際に見る」ことで判ることは大きい。現地の行政担当者も、直接首相に要望を届けられるチャンスは欲しいのではないか。首相が来られなければ、他の国会議員でもよい。

 僕はこの地震をきっかけにして、岸田首相がテレビなどに出突っ張りになって、支持率低下に歯止めが掛かるのではないかと想像していた。しかし、どうもそうでもないようだ。僕はその与野党党首会談をやっていた1月5日の午後が現地訪問のチャンスだったんじゃないかと思う。党首会談とその後の経済三団体新年会を欠席するのである。これが出来れば、党首や財界より被災者を優先したというメッセージに出来たはずだ。そういう判断を出来る体力がもう内閣に残されていないのかもしれない。
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今は安倍派の責任追求が優先だー岸田首相退陣要求の前に

2023年12月24日 22時25分11秒 | 政治
 クリスマスを迎え、今年は「聖地」の辺りもきな臭くなってしまった。ガザもウクライナも、その他の地域もクリスマスや新年の休戦などないらしい。日本人が能天気にケーキなど食べ、イルミネーションを楽しむのもどうなんだと思う。が、まあ取りあえずの小さな幸福を奪うまでもないか。いま、安倍派など自民党各派閥の政治資金問題が政界を揺るがしている。12月上旬に書いたままになっているので、その後の展開と合わせて書いておきたい。来年まで書くまでもないかと思っていたが、「今こそ岸田首相の退陣を」なんて真顔で言ってる人がいるようで、ちょっと書いておきたいのである。

 12月13日に臨時国会が終了し、すぐにも強制捜査が始まるかと思われたが、なかなか行われなかった。結局、12月19日になって安倍派二階派の事務所に家宅捜索が入った。遅れたのは全国から検事を集める態勢作りに時間が掛かったからだとも言われる。この問題が騒がれてから1ヶ月以上経ち、もう証拠などすべて隠滅されているのではないか。と思うと、案外そうでもないらしいという話だ。職員、秘書なども自分だけ責任を取らされるのを避けるため、メールなどでの指示、あるいは録音などを残していることが多いという。そう言えば、週刊文春なんかがよく音声データを公開している。
(安倍派、二階派に家宅捜索)
 今自分が国民の一人として言えることは、「この捜査の決着のあり方に声を挙げていくことが大事だ」と思っている。現時点で岸田内閣は総辞職せよなどと言うのは、捜査妨害の安倍派擁護である。岸田首相が辞任を表明しても、次の首相は与党第一党の自民党から選ばれる。経済も外交も問題山積のなか、自民党総裁選のために1ヶ月も空費するのか。そして「河野太郎」(マイナ保険証推進責任者にして、批判を許さない「ブロック太郎」)、「高市早苗」(エキセントリックな極右で、官僚に責任を押しつける体質)、「上川陽子」(オウム真理教死刑囚の大量執行命令者)、「小泉進次郎」(第二子誕生一ヶ月だから育児休業するべきだ)なんかが次の首相になるかもしれない。つまり今より悪い首相が登場するのがオチである。

 それを言うなら、今の国会構成を変えるべきであり、直ちに解散・総選挙をするべきだという意見もあるだろう。しかし、いま衆院選をやっても何が変わるだろう。自民党安倍派議員の「みそぎ」になるだけだ。野党がバラバラになっている状況は、それなりの理由があってそうなっているので、良いとも悪いとも決めがたい。ただ、野党がバラバラなままでは自民党が漁夫の利で勝つだけだ。それは野党の問題だとしても、責任を負って辞任するべき政治家がそのまま出馬して当選してしまう事態が起きてしまう。

 それでは今何を発言するべきか。それは「安倍派幹部の刑事責任をきちんと追及する」ということだ。与野党通じて、また自民党他派閥でも政治資金報告書の不記載はあるだろう。それはまず第一に会計責任者の責任である。それで良いのかという法改正問題はあるが、とにかく今は法律でそうなっている。だから安倍派や高額不記載議員の政治団体の会計責任者が起訴されることは確実である。だが、それ以上に議員本人が訴追されるかは微妙な問題になる。確実な指示、あるいは了解などの証拠がない限り、刑事責任を問うのは難しい。かの「桜を見る会」問題でも、秘書は略式起訴されたが安倍元首相は結局逃げ切れたのである。
(これが今年の安倍派パーティー)
 ところが今回の安倍派問題は全く様相が異なっている。マスコミでは誰がいくらキックバックされたかなどと報道されている。しかし、それも問題かもしれないが本質ではない。問題は「安倍派そのもの」にある。安倍派主催のパーティーなんだから、それは安倍派の収入だが、還流分不記載の額は総計5億円とも言われる。それをノルマ以上に売っていた議員に戻したというんだから、支出の不記載額も5億円になる。合計すれば10億円になるが、さらに参院選のある年はそもそも改選議員は派閥に収めなくてもよかったという話も出ている。つまり、10数億円の不記載という政治資金規正法違反事件上に類例を見ない悪質な事件なのである。

 もちろん、この不記載は会計責任者の職員が決められる問題じゃない。また、個々の議員側のミスで不記載だったのでもない。派閥ぐるみの方針で決められていたのである。従って会計責任者はむしろ従犯であり、主犯は方針を決めた派閥幹部である。それは誰だろう。僕には判らないけど、安倍派の有力議員には多かれ少なかれ責任があると思う。しかし、恐らく責任を認めて略式起訴に応じるのはごく少数だと思う。検察側も何十人も訴追するとは考えられない。検察が訴追するとしたら、多額な不記載があった数人、派閥の意思決定に責任があると証拠上固められた1人~数人に絞られると思う。

 略式裁判を選ばず正式裁判をするとなると、決着まで数年は掛かるから次の選挙に出られる。ましてや不記載があっても、数多くの安倍派議員が不起訴になるだろう。それに対し「検察審査会」に申立てをする人が出て来ると思うが、それでも大部分は逃れられるだろう。問題はそれで良いのかということだ。検察は国民の反応をよく見ていて、厳しく監視していかないとほんの僅かの議員を訴追して終わりにするだろう。そしてどんなに検察が捜査しても、証拠上政治資金規正法違反の共犯容疑を固められない議員が相当数出て来ると予想される。問題はそれを許したままで良いのかということだ。

 かつて東京佐川急便事件で当時の金丸信自民党副総裁が在宅のまま略式起訴になったことに国民の批判が殺到した。その結果、本人が議員辞職するに至った。今回も刑事責任を辛くも逃れたとしても、明らかに政治責任がある政治家には議員辞職を要求していかなければならない。つまり、次の選挙に出てはいけない人をはっきりさせることが最優先だと考えている。そのプロセス抜きで選挙をやっても、選ぶべきじゃない人を選んでしまう。選挙に出ちゃいけない人が一杯いるはずだ。安倍派だけで数十人になるかもしれない。そのプロセスが終わってから選挙をやりましょう。それまでは岸田内閣でやって貰うことになるけど仕方ない。
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改めて「紙の保険証廃止」に反対するー高齢層78%反対を切り捨て

2023年12月22日 21時58分26秒 | 政治
 好きな映画や本の話、そして時々温泉や散歩の記事を書く。そんな風にできたら、どんなに幸せだろうと思う。しかし、そういうわけにはいかない。「政治」が自分の暮らしに入り込んで来る以上、何らかの対応をせざるを得ないのである。さて、岸田内閣は2024年12月2日に「紙の保険証」を廃止すると決めた。もっとも従来の保険証の有効期間内はそのまま使うことはできる。だが、基本は「マイナ保険証」を使うことになる。この問題については、昨年からもう何度も反対論を書いてきた。判っているから何度も書くなと言われるかもしれない。それでも初めて読む人もいるだろうから、何度も何度も書いていきたいのである。

 「マイナ保険証」については、様々な問題が噴出して岸田内閣支持率低下のきっかけ(の一つ)にもなった。そのため政府はマイナ保険証の検証を行ってきたが、多くの反対にもかかわらず「紙の保険証廃止」方針を変えなかった。一説によると、岸田首相は廃止時期の決定を先送りして「保留」にする意向だったという。それに対し河野太郎デジタル相が強行方針を維持するように働きかけて、直接総理に「直訴」する意向を見せたため、首相も「廃止」に踏み切らざるを得なかったとか。 

 国民の多くは世論調査を見る限り、方針撤回か延期が圧倒的に多い。関係する自治体、保険組合、医師会、福祉関係者なども多くの反対がある。一体、何のために「紙の保険証」をなくすのか、誰にもよく判らないだろう。今までうまく行かなかったなら、変更しないといけない。しかし、今までの保険証で困っていた人がいるだろうか。誰も困ったことなどなかったと思うが。

 共同通信社の世論調査によれば、「撤回」が41.7%「延期」が31.4%「予定通り廃止」が24.6%となっている。(東京新聞12月18日)もう圧倒的に来年秋の廃止を望んでいないのは明らかではないか。特に興味深いのは、年齢別の調査結果である。若年層(30代以下)、中年層(40~50代)、高齢層(60代以上)に分けたときに、高齢層になるほど圧倒的に反対が多くなるのである。撤回+延期を反対論とみなすと、若年層=62.0%、中年層=75.4%、高齢層=78.2%となっているのだ。
(世論調査結果)
 これは全く当然のことだろう。どの世代も病院に行くけれど、高齢層が一番病院のお世話になっている。子どももそうだけど、子どもは世論調査の対象外だし、自分で保険証を使わない。障害者も同じだが、高齢者はまず「マイナンバーカードを作ること」に困難がある。そしてカードを「マイナ保険証」にするためのスマホやパソコンの操作にも困難がある。そして、暗証番号を記憶し、病院の受付で使いこなすことにも困難がある。さらに自宅(または施設等)でカードを管理することにも困難がある。

 そんなことは自分の近くに、年寄りや障害者がいれば誰でも判ることである。紙の保険証の管理だって大変なのである。何度も同じことを書くことになるが、僕の母親もよく保険証をなくしたのである。大事だからとどこかにしまい込んで、その場所を失念するのである。認知症とまではいかなくても、高齢になれば誰でも多かれ少なかれ「物忘れ」になるのである。

 だから無理に年寄りにカードを作らせて、今後はどんどん無くすケースが起きるだろう。今は再発行に一月ぐらいかかるらしく、それを政府は一週間ぐらいにすると言っている。だけど、紙の保険証なら「その日のうちに再発行可能」なのである。これは自分で経験したから確かである。高齢だと、ほぼすべての人が国民健保になるはず。だから役所(出張所)に行けば、一日のうちに新しい保険証を使えるのである。中には家族がいない人もいるから、この時差は命に関わるものだ。

 ところで政府は「保険証専用のマイナカード」を作ることにした。これは「暗証番号不要」とのことで、政府が便利になると大宣伝していた様々な機能(住民票をコンビニで取れる、様々な給付金を簡単に受給出来るなど)は使えない。これは「暗証番号を忘れる」対策にはなる。写真が付くそうで、本人確認書類にもなるという。だから運転免許証を持たない人には一定の利便性はあるだろう。だが、これでは政府が進めて来た政策と食い違うではないか。紙の保険証のままで十分じゃないかと思うけど。
(資格確認書)
 ところで、自分はまだマイナンバーカードを作っていない。それじゃ困ると思うだろうが、全然困らない。保険証がなくなっても、「資格確認書」なるものを申請しなくても送ってくるそうだ。つまり、それは「事実上の保険証」で5年間有効だそうだ。これは多くの人にとって「マイナ保険証」より使い勝手がいいものじゃないかと思う。それでいいんじゃないの?

 「マイナ保険証」は同じものが永遠に使えるわけじゃない。5年ごとに暗証番号の有効期限が来る。もうその時点で大混乱が起きるのは間違いない。10年でカードそのものの期限が来る。そのたびに作り直す必要があるけど、10年前は元気だったけど、その後病気をした、障害者になったという人が相当数出るわけだから、今度はそういう人が更新出来ない。この問題は紙の保険証廃止を決めてオシマイじゃない。今までは「口座のひも付け間違い」などが問題化したが、使い始めたらもっと問題が起き続けると思う。

 今回の安倍派の裏金問題は、やはり「国家」を強調する人々は実は自分たちの利益を最優先することを明らかにした。それは歴史の法則とも言えるはずだが、世界中で忘れている人も多いようだ。「マイナカード」というものも、政府がポイントあげます、便利になりますといってる時点で、これは疑わしいと思うのが通常の感覚だろう。そういうものは出来る限り反対しなくてはならない。昨年は『 「マイナ保険証」、廃止までの10年の闘いへ』を書いた。教員免許更新制と同じく、世の中に広く不都合が認識されるまで10年のスパンで考えるべきだと思ったからだ。だが最近の政局を見れば、もっと早く撤回、あるいは少なくとも延期を実現することは不可能じゃないと思う。まだカード作ってない人、保険証にしてない人、そのままで大丈夫。
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岸田内閣のゆくえ、「小池新党」の可能性ー2024年政局展望

2023年12月13日 22時26分34秒 | 政治
 岸田首相は臨時国会終了後の14日にも、安倍派所属の閣僚を更迭(こうてつ)する意向を表明した。当初は副大臣、政務官も含む「安倍派一掃」になると言われ反発も広がっていたらしい。岸田派にも不記載はあったわけで、安倍派だけに責任を取らせるのかという気持ちも判らないではない。だが安倍派が突出して不記載金額が多かったのは間違いない。事実とは違うなら、そう主張すればいい。それが「精査する」「捜査中」だの言ってるだけで、官房長官がまともに答弁出来ない状態が続いている。党どころか国民にも悪影響をもたらしているのだから、常識的な感覚では自分たちの側から辞表を出すべきだ

 ところが「安倍派一掃は見送り」ということになりそうで、政務官は残留するらしい。そもそも党内最大の安倍派を敵に回したら、岸田内閣は成り立たない。怒らせたら再選はない。さすがにもう総裁再選は諦めたのかもしれない。だが人事でこうフラフラするようでは、いつまで岸田内閣が持つのかという感じになってきた。松野官房長官の後任は、報道によれば林芳正前外相と伝えられている。実力的には十分だろうが、近年は自分の派閥以外から起用されることが多かった。岸田派以外から起用できないぐらいの党内情勢なのかもしれない。まあ、ちょっと前までは竹下内閣の小渕恵三のように、自派の中堅幹部を据えることが多かった。小泉内閣では福田康夫細田博之安倍晋三だった。総理の名代格だから、自派閥の方が安定する面はあるだろう。
(松野官房長官の不信任案否決)
 取りあえず、今後「予算編成」が控えていて、1月末には通常国会が開かれる。よって、いくら支持率が下がろうが、自民党内に反発が広がろうが、予算成立までは岸田内閣が存続すると見るのが自然だ。ただ、その間の捜査の進展により、「予算成立後の退陣」を表明しなければ予算が成立しない事態もある。そう発言しているのが石破茂氏で、1989年のリクルート事件当時、竹下政権はそうせざるを得なかったと例を挙げている。だが、その時は首相の秘書が未公開株を取得するなど本人への疑惑があり、また野党第一党の社会党が土井たか子党首のもとで支持が高くなっていた。7月に参院選が控えていた事情も大きい。

 今回は2024年に国政選挙は(補欠選挙以外)予定されていない。野党は分断されていて、弱小勢力になっている。今選挙をすれば野党が大きく伸びるという世論調査があってこそ、与党への厳しい追及に迫力が出る。岸田内閣も自民党も支持率が低迷しているが、それ以上に野党の支持率も低い。それ以上に自民党内に「次の首相候補」がいない。世論調査をしても、これという有力候補が出て来ない。今回名前の挙った派閥からは出られないだろうし、岸田首相を引きずり下ろしたら支持率が回復するという見込みもない。野党側も今どき「審議拒否」は出来ないだろうから、なんだかんだ言っても予算は成立するのではないか。

 ところで、4月末に補欠選挙が予定される。現時点では対象議員がいない(汚職容疑で逮捕・起訴された秋元真利議員も議員を辞職していない)が、今後今回の裏金問題で辞職する議員が出て来ると見込まれるのである。(証拠が検察当局にそろっている場合、政治資金規正法違反を認めて早く辞職した方が公民権停止期間が短くて済む。)その補欠選挙は(自民党にとって)厳しいものになるだろう。岸田首相からしてみれば、安倍派の辞職議員がもたらした補選の責任を取らされて辞めざるを得なくなるのは不本意だろう。そうなると、ここでイチかバチか衆議院を解散してしまおうという誘惑に駆られるに違いない。

 ということで岸田首相は予算成立後の解散を選ぶ可能性が高いのではないか。その選挙では自民党・公明党の与党勢力は減るだろう。しかし、地方選挙の結果を見ても、自民党全体がどうしようもなく追い込まれているとまでは見えない。減っても過半数は維持出来るかもしれず、仮に過半数を割り込んでも国民民主党を連立に入れることで過半数を維持出来ると踏んでいるに違いない。それが臨時国会中に突然「ガソリン税のトリガー条項解除」の話が再燃した理由だと思う。そこまで先を読んで、布石を打っておくということだと僕は考えている。

 一方、そのような岸田首相の目論みに対抗する勢力はどこにあるだろうか。それは立憲民主党や共産党ではなく、実はあるかもしれない「小池新党」ではないだろうか。小池とは小池百合子都知事である。それを支持するとか期待するとかという話ではない。だが、国民民主党から前原誠司氏が離党を表明し「教育無償化を実現する会」したことを見るとそういう予測が可能になる。その後に小池知事が「東京都の高校授業料無償化」を打ち出したのも、連動した動きではないか。(これは私立高校生徒の保護者への支援だから、無償化とは僕は評価していないが。)もちろん、それは大阪の「維新」と結びついている。
(前原新党の立ち上げ)
 前原氏は2017年のいきさつから「立憲民主党」には行けない。自民との連立を模索する(かに見える)玉木路線の「国民民主党」とも決別した。2017年の「希望の党」では小池氏と協力した。また、以前から地元京都では「維新」と協力してきた。ということで、前原新党を仲立ちにして、「維新」と小池都知事が結びつくという可能性を考えておくべきだと思うのである。2024年7月には都知事選が予定されている。小池氏が三選を目指すかどうかは明言していないが、一般的には「また都知事選に出るだろう」と思われているらしい。本人は最後まで明言を避けるだろうが、僕は国政復帰の野心はあるだろうと推測しているのである。
(江東区長選後の小池知事と大久保新区長)
 直近の10日に行われた江東区長選では、小池都知事は何回も足を運んだと報道されている。選挙が好きなんだと思う。2017年には都知事就任1年で国政選挙に出るのは難しく、また「民進党」(当時)の全員ではなく「排除」発言で批判を受けた。しかし、もう「排除」は済んでしまった(小池氏に排除されたのが「立憲民主党」である。)そこで大阪と東京の「実績」(と自分たちで主張するもの)、例えば(私立高校を含めた)高校教育無償化を取り上げて、国政選挙に出る可能性が高いと踏むのでいる。ただ春から初夏に解散がない場合、都知事選に出ることになる。どうなるかは現時点では読み切れない。

 吉村大阪府知事は2025年に万博を控えている以上、それが終わるまでは国政選挙に出ることが出来ない。そうなると、「維新」政権は小池氏を首班候補に担ぐことになるだろう。前原氏はもう小勢力になってしまったが、外務、財務、官房長官などを即戦力で務められる人材には違いない。小池、吉村、前原が並んで演説すれば、自民党にお灸を据えたい保守系有権者に人気が出る可能性を秘めている。このままでは終わりたくない小池氏や前原氏は、「最後の闘い」をするだろうか。僕が思うに、それが2024年政局の最大関心事。繰り返して言うが、自分はこのような「維新=小池」政権が成立したら大変だと思っている。だが、いろんなことを考えておくべきだと思うのである。
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「安倍派支配」20年ー「順法精神」なき政治の総括を

2023年12月11日 21時42分06秒 | 政治
 安倍派問題の続き。今回非常に重大なことは、裏金隠しが「20年前から行われていた」という証言があることだ。20年前というなら、それは小泉純一郎首相時代である。「安倍派」と呼ばれてない時代の方が長いが、21世紀の日本はほぼ「清和政策研究会」の政権だった。安倍晋三福田康夫各首相だけでなく、麻生太郎菅義偉岸田文雄各首相も「安倍派」の強い支持のもとで成立した。さらに小池百合子(2009年退会)、高市早苗(2011年退会)などもかつては所属していた。もちろん昔の退会者は時効が成立しているが、政治資金を「精査」する道義的責任があるのではないか。
(20年前から続いていた)
 本当にどうしてこのようなことが行われていたのだろうか。自分は小泉首相や安倍首相の政策をほとんど支持して来なかった。自民党政治家に政治資金をめぐる疑惑が持ち上がっても、今さら驚くほどナイーブでもない。だけど、今回のような「派閥ぐるみ」の違法行為は想像を超えていた。内容自体は大したことではない。自動車運転に例えれば、「無免許運転」ではなく、「免許証不携帯」レベルのものだろう。違反行為には違いないが、反則金3000円で違反点数も付かない。有効な免許を持たずに自動車を運転するという重大な違法行為とは違う。だからこそ「何故」を追求していかなくてはならない。
(安倍派盛衰)
 「免許証不携帯」もマズいわけだが、それ自体はそれほど大きな違反じゃないと書いた。だが、ある集団ばかりが全員免許証を持たずに運転していたとしたらどうだろう。それもどうやら「指示」があったということなのである。僕にはよく理解出来ないのだが、恐らく「うちらが国家権力を握っているから、検問があっても免許証の提示を求める警官なんていないんだよ」という意識なのかもしれない。パーティー券は銀行振込みらしく、証拠書類はそろっているというから、「まさか我々を調べる捜査当局なんかあり得ない」と思っていたとしか想定出来ないのである。警察はもちろん検察も押えているという意識があったのか。
(安倍派の首相)
 いま思うと、このような集団が権力を握り続けていたことのは、何と恐ろしいことだろうか。さらにこれらの人々は率先して「憲法改正」を主張してきたのである。この間、小泉政権の「イラク特措法」、安倍政権の「集団的自衛権の部分的解禁」のような憲法違反が強く疑われた法律が成立した。「安倍派(清和政策研究会)」は自ら違法行為を行いながら、強権的政策を遂行してきたのである。今こそこの20年間の「総括」が必要であると思う。

 最近、2023年11月30日に名古屋高裁が注目すべき判決を言い渡した。「生活保護基準引き下げ違憲訴訟」で、引き下げは違憲であると認定し、その違法の重大性から国家賠償を認めるという画期的な判決だった。安倍政権が復活した2013~2015年に行われた生活保護減額が違法なものだったとされたのである。この問題に関しては全国で裁判が起こされていて、「一連の訴訟は全国29の地裁で起こされた。高裁での判決は、原告側敗訴とした大阪高裁に続き2件目。減額処分を巡っては、これまでに出た22件の一審判決のうち12件が取り消しを認めており、司法判断は割れている」ということである。(日経新聞による。)

 この判決が最高裁でどうなるかは判らないけれど、ここで判明することは安倍政権で行われた政策が裁判所でも「違法」とされた判決が各地で出ているということだ。その他、集団的自衛権をめぐる訴訟、朝鮮学校無償化訴訟など裁判では敗訴になったとしても、安倍政権で進められた政策の違憲性、違法性を問う裁判はいくつもある。そういう「問題をはらんだ政策」を進めてきた人々が、自ら違法行為を続けてきたのである。その厚顔ぶりに開いた口が塞がらない思いがする。

 今まで安倍元首相を崇めてきた人々がたくさんいたけれど、それらの人々は今何を思っているのか。今は恐らく事態を黙って見ているが、そのうち「形式的な微罪」で「国家的功労者」を貶めた「マスコミ」と「サヨク」に対する批判を始める人が出て来るだろう。「美しい日本」のために「憲法改正」を唱えていた人々に対する「陰謀」だと見ているかもしれない。「週刊文春」はすでに立憲民主党や日本維新の会など「野党」(まあ「維新」が野党だとは僕は考えていないが)のスキャンダルを報道し始めている。自民党も野党も「どっちもどっち」という意識を植え付けたい人が出て来るに違いない。

 今我々がなすべきことは、ただ政治資金の「不記載」があったかどうかの問題に止まらず、「安倍派支配」の21世紀を見直すことである。今回の問題をただ「政治資金」問題に止めていてはいけない。「順法精神」なき政治家たちが権力の座に就いていた恐るべき時代を終わらせなくてはいけない。
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