尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

映画「セデック・バレ」

2013年05月29日 00時04分22秒 |  〃  (新作外国映画)
 台湾で作られ大ヒットしたという「セデック・バレ」という映画を見た。2部構成で計4時間半にもなる歴史超大作で、1930年に起きた「霧社(むしゃ)事件」をほぼ基本的に踏まえた作品である。監督はウェイ・ダーション(魏徳聖)で、「海角七号 君想う、国境の南」という大ヒット映画を作った人。続いて、戦前に甲子園で準優勝した嘉義農林高校を描いた映画をすでに完成させている。こうしてみると、日本統治時代に関係した映画ばかりであるが、政治的、歴史的意味があるというより娯楽映画の背景装置として使っている感じもする。

 前作はストーリイが錯綜して、特に現在のゴタゴタがつまらないが、「セデック・バレ」は娯楽アクション映画としてはかなり完成度があがっている。僕がこの映画を見てまず思ったのは、撮影や音楽などに通俗的な受けをねらった部分が多く、基本的には歴史に材を取った娯楽超大作であるという点である。ただし、見て面白くないと超大作は製作費を回収できないので、その点は自覚的な戦略だろう。ただ「霧社事件」を現在の時点でどう考えるべきかという点で、様々に思うことがあった。

 「霧社事件」を解説していると長くなってしまうが、1895年以来の台湾統治時代の最大の「抗日反乱事件」である、と一応いえる。この事件で台湾総督は交代している。台湾は先住民(原住民)が山地に住み、平野部には17世紀以後に主に福建省から移住した漢人が多い。霧社は山地の原住民地帯にあって、当時「生蕃」(せいばん)と呼んでいた先住民支配の「模範地域」とされていた。学校へ行き学歴を積んで警官になった原住民も二人いて、日本の支配は安定していると日本当局は認識していたのである。1930年10月27日、原住民の男300人あまりが、毎年行われる連合運動会を襲い、日本人警官を初め女性、子どもも含めて日本人140人が殺害された。二人の警官も日本側には立たなかった。漢人は間違って殺された2人を除き、すべて無事だったので、明確な「反日」暴動と言える。しかし、独立運動とか革命運動とかではない。敢えて言えば文化の衝突であり、アメリカの先住民とヨーロッパ系米人の戦闘にも似ているかもしれない。

 映画は、セデック族マヘボ社「頭目」のモーナ・ルダオの若き時代から始まる。まだ日本統治が始まる前、山地では狩猟文化が続き、各部族で狩場をめぐって相争い、「出草」と言われる「首狩り」が行われている。「首狩り」はそれなりに呪術的な意味があるんだろうし、日本だって戦国時代は「首級をあげる」と言って敵の大将の首を切り取ってくるのが英雄の証だった。だから判らないというわけではなく、その当時も「戦国時代」なんだろうと思うんだけど、20世紀になって「首狩り」が「独自の民族文化」と認められるんだろうか。確かに日本人警官は無配慮な言動が多いが、殺されるだけでなく首を狩られるのである。このあたりが単に反植民地闘争とは言えない部分である。

 モーナ・ルダオは日本に帰順して以降、日本統治に従ってきた。若者の軽挙妄動も押さえてきた。日本に連れてこられたこともあり(これは実話)、日本の圧倒的な軍事力を知っている。だから植民地統治に反抗することは民族の滅亡につながると判っている。しかもかつて相争った過去を持つ原住民は、相互不信が強く、「抗日統一戦線」が出来ているわけではない。しかし狩猟民族として生きてきた過去を否定され木材伐採の仕事をさせられる。自分たちの文化を継承できないことから、「生きていても死んでいる」という思いの中にいる。一方、日本側をみると、植民地そのものが人を腐敗させるが、その中でも台湾の奥地の奥地、原住民相手の仕事であるから、日本人の中でも人物として劣悪なものが集まってくる。原住民の不満はたまりにたまっているが、日本側は「首狩りの遅れた時代から文明をもたらした」と思っているから、不満が爆発寸前であるとは全く思うことができない。

 そういう中で、ほんのちょっとした出来事がきっかけとなり、原住民の蜂起という事態に至るのである。マヘボ社の他数社が参加し、300名ほどとなる。第一部「太陽旗」は蜂起に至るまでを丁寧に描く。第二部「虹の橋」は蜂起が鎮圧される過程。ここは基本は史実通りだが、2カ月にわたる鎮圧作戦を圧縮しているし、日本軍兵士、警官の犠牲は28人程度なのに映画を見ているともっと多いような描き方である。そこに映画的な誇張があり、楠正成の千早城の戦いのような奇抜なゲリラ戦を展開する原住民の立場に立って、巧みなアクション映画を作っている。この時日本軍は映画にあるように毒ガス攻撃をしている。イタリアもまずエチオピア侵略戦争で使ったけれど、同じように「野蛮な勢力」には実験的に使用しやすいということだろう。男が総蜂起した後の女性はほぼ自殺した。また日本の警官になっていた二人も自殺した。「後顧の憂いなく」というような女たちの自害も、なんだか戦国時代の歴史劇のようである。また、日本軍はマヘボ社と対立するタウツア社を味方に引き込み鎮圧に協力させている。

 こうして最後は鎮圧されていくわけであるが、映画の後がある。「第二次霧社事件」と呼ばれる事件である。1932年4月、「保護」されていた生き残りのマヘボ社をタウツア社が襲い、200名以上が死亡したという事件である。(ちなみにタウツア社を「味方蕃」と言った。)このような事件が起こるのを見ても、山地原住民の「民族的」な意識が覚醒して起きた事件ではない。原住民の文化的アイデンティティを守るために、死を賭けた戦い、つまりは「民族総自殺」に至るような事件だったのではないか。アマゾンのインディオの中でも、自殺してしまう民族がいるというが、そういう事例にむしろ近いかもしれない。日本でも戦国時代には、名誉のために死を選ぶという話はいくらもある。西南戦争の西郷隆盛も死を覚悟しながら蜂起の戦闘に立ったんだろう。モーナ・ルダオも同じような心境ではないか。日本統治が終わり、国民党統治が始まると「抗日反乱」として扱われたというが、漢人と山地原住民も複雑な関係があるだろうし、原住民どうしも複雑である。日本の植民地統治が劣悪であったということは言えるが。

 世界のいろいろなところで、今も「文明」と「野蛮」の相克がある。民族的なアインデンティティの否定がある。一応「各民族の文化は相対的に同じ価値がある」というのが今の大体の了解点ではないかと思う。だけど、今でも「敵とみなすものは首を切り落とす」というグループがある。それは野蛮なテロリストの仕業であるとして「無人爆撃機」でどんどん爆弾を落とす国もある。どっちがより「野蛮」なんだか判らないが。台湾では霧社事件も「教科書に数行あるだけ」と監督はいう。日本でも高校教科書にはあるけれども、注に出てくる程度で授業で大きく取り扱う時間はないだろう。そんな中で、この事件をどう扱うか。とりあえずアクション映画として面白いのは間違いない。でも事実自体の重みをどう理解していいのかは今一つしっくりこない部分もある。とりあえず、その程度しか言えないのだが。
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池袋西口散策②-明日館と東京芸術劇場

2013年05月26日 23時26分00秒 | 東京関東散歩
 池袋西口にある一番ステキな建物は、何と言っても自由学園明日館(みょうにちかん)だろう。今は明治村にある帝国ホテル旧館で有名な世界的建築家、フランク・ロイド・ライトの設計である。重要文化財に指定されたが、今も現役で使われている。(だから結婚式などで非公開の日があるので、見に行く人はホームページで要確認。外観はいつでも見られるが。)東京は国宝の社寺は一つしかないが、近代建築の重要文化財は結構多い。それらは22世紀になれば国宝だろう。(迎賓館はすでに国宝に指定されている。また東村山市の正福寺地蔵堂という国宝があり、前にブログに見に行った記事を書いた。貴重な寺院建築なのだろうが一般的知名度は低い。)
    
 池袋駅の南改札を出てメトロポリタンプラザを上ると、あちこちに案内がある。案内に沿って進むと迷わないで行けるはず。ここは羽仁吉一、もと子夫妻が1921年に開設した自由学園の校舎である。ライトは夫妻の教育理念に共鳴して設計したという。大正自由教育のムードを今に遺す貴重な建築物である。その後学園は東久留米に移り、ここは卒業生の事業活動に利用されていたというが、重文指定を受け修復工事をして今は公開しながら利用されている。建物の内外をいくつか。
   
 明日館の隣に「婦人之友社」がある。羽仁夫妻が1902年に発行した雑誌「婦人之友」は、今も発行されている。26日で終わったけど、「婦人之友」と姉妹雑誌「子供之友」の表紙などの原画展色彩のパレード」が明日館で開かれていた。これは素晴らしい展覧会だった。洋画、日本画問わず近代日本美術史そのものとも言えるラインナップに圧倒される。安井曽太郎、平福百穂、藤田嗣治、堂本印象、奥村土牛、福田平八郎、山本丘人、山本鼎、竹久夢二、福田一郎、三岸節子、片岡球子…メモしてないのでたくさん落としていると思うけど、すごいリストである。表紙の原画だから小品ばかりだけど、素晴らしい作品ぞろい。

 
 戦前の池袋には「池袋モンパルナス」と言われるくらい画家がたくさん住んでいたというが、空襲でアトリエが焼けてしまった。僕の学生時代には西武デパートの上に「西武美術館」(後、セゾン美術館)があり、幅広く展覧会をやっていた。同じ階にアート系の本やレコードを集めた「アール・ヴィヴァン」というお店がありよく行っていた。その後東武美術館もでき、20世紀末には池袋がデパート美術館の中心地だったのである。最近になって、行政も乗り出し美術の町をPRしているのにも歴史的な理由がある。
 
 池袋周辺に今あるのは「豊島区立熊谷守一美術館」。熊谷守一(くまがい・もりかず 1880~1977)という人は、文化勲章の内示を断ってしまったという位の無欲、脱俗の画家として有名らしい。若い時はフォービズム的な絵を描いていたが、晩年になると虫や猫ばかり描いている。不思議な画家であり、不思議な画風である。亡くなるまで住んだ場所に設立され、2007年に豊島区に作品を寄贈して区立になった。歩くとちょっと遠いが、地下鉄有楽町線要町で降りて、要小学校の先を曲がり案内に沿って行く。最後の写真の蟻は外壁にある。なお、劇団民藝が6月に「無欲の人ー熊谷守一物語」を上演。
   

 いま池袋西口を一番代表する場所は「東京芸術劇場」とその前に広がる「池袋西口公園」かもしれない。西口公園は石田衣良の「池袋ウェストゲートパーク」(IWGP)のモデルの場所。この一帯は戦後は闇市だった場所らしいが、だんだん整備されていった。公園が1970年、ホテルメトロポリタンが1985年、東京芸術劇場が1990年に開設された。芸劇は2009年から野田秀樹が芸術監督をしている。
   
 ここは僕にとっても思い出の場所。自分でも何度も演劇を見たが、それより生徒と来た思い出が深い。六本木高校の演劇部が「六本木少女地獄」で都大会に出た時の思い出は今も鮮烈。また荒商時代の演劇部を連れて、招待されたミュージカルを見に来たことも忘れられない。でも一番は夜間定時制にいた時の音楽鑑賞教室。毎年来ていたけど、クラシックのコンサート最中に写真を撮りまくる高齢の生徒にはビックリ。ここの5階にギャラリーがある。演劇や音楽ばかり印象にあるのだが、絵の展覧会もやっている。今、ここで「池袋モンパルナス-歯ぎしりのユートピア」を開催している。6月5日まで。無休、無料。これはとても面白かった。「歯ぎしり」という表現も面白い。5階の空間も興味深いし、上から眺めるのも面白い。休憩する空間も多いので、利用しがいがある。
  
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池袋西口散策①-立教周辺

2013年05月25日 22時52分22秒 | 東京関東散歩
 僕はたぶん、JRの駅では山手線池袋駅を一番利用していると思う。特に学生時代はほぼ毎日使ったし、今も週に2回は通る。その間にも映画館の文芸坐にかなり行ってるから、総計すると相当の数となるはずだ。(まあ一番使ってた時代は「JR」ではなかったが。)
 その池袋の西口周辺には戦前に画家のアトリエが集中し、「池袋モンパルナス」とも呼ばれたという。もっともその時分は、まだ準農村というような地域だったろう。その歴史を生かし、今も池袋西口では「新池袋モンパルナス西口まちかど回遊美術館」という催しを行っている。(29日まで)。少し行ってみたけど、こんなにギャラリーが多かったのかとビックリ。

 そこで2回にわたって池袋西口周辺の散歩と思い出を書いてみたい。これは最近チョコチョコ散歩したまとめ。まずは立教大学周辺。長らく池袋西口と言えば立教大学のある地域だった。(今は東京芸術劇場かもしれないが。)ここが僕の母校で、何十年も前のことだから、事前見学をしたわけでもなく、自己推薦とかAO入試とか意味不明の入試制度もなかった。浪人した年に難易度ランキングにそって幾つか入学試験を受けたところ、結局2校合格したが立教にした。結果的には、僕の人生を左右したものの一つなのだと思う。卒業後も何度か大きなクリスマスツリーを見に来たことがある。しばらく来てなかったけど、やはり心の落ち着く拠り所みたいな感じがする。

 立教の校舎のいくつかは、東京都選定の歴史的建造物に指定されている。いわゆる「蔦の絡まるチャペル」があるような落ち着いたレンガ作りである。(「学生時代」の歌は青山学院がモデルだけど。)門から本館のヒマラヤ杉もいいけど、そこを過ぎて第一学生食堂を見渡すあたりが特に素晴らしいと思う。学食も歴史的建造物指定で、僕も何度も学生時代に入ったはずだがそんな大切な建物だとは思っていなかった気がする。ここは今はずいぶん美味しそうなメニューになっていて、安くて魅力的である。一般人も入れるらしいが、僕は食べてない。卒業生だから入るだけなら平気だけど、食べるとなると少しためらう感じ。
   

 正門からの風景を最初に載せたかったけど、今は工事中で半分見えない。チャペル(諸聖徒礼拝堂)を直していて、残念ながら全景は見えない。4月当初に行ったときはまだ見えていた。その時の正門からの風景樹齢百年のヒマラヤ杉
  
 門の奥にあるのが本館(モリス館)で、上は時計台。外景もいいけど、廊下や入り口を撮ると白と黒の構図が美しい。学生時代は校舎に美を感じてはいなかったと思うんだけど。
   
 僕にはホンのちょっとしたあちこちの風景も懐かしい。今見ると素晴らしい場所が多かったけど、当時は日常化して意識しなかった。チャペルの脇や掲示板と斜めの木など。
  
 
 ここまで来たら是非行きたいのが旧江戸川乱歩邸。立教通りの右側を歩いていくと5号館と6号館の角に表示がある。郵便局の斜め前あたりにある。常時公開ではないけど、週2日(水と金)に一部公開している。乱歩は生涯に何十回も引っ越して、ここ西池袋が最後になった。ぼう大な蔵書を納めた蔵があり、ガラス窓越しに一部見られる。今は立教大学大衆文化研究センターに移管され研究を進めている。乱歩と立教の関わりは、単に建物が隣と言うだけでなく、子息の平井隆太郎氏が立教大学の社会学部の教授だったという縁の深さ。講義は聞いていないけど、乱歩の息子が教授にいるというのは有名な話だった。3枚目の写真の奥の黒い建物が蔵である。
   

 立教大学へ行くには、今は地下通路も長く出来ているが、昔は西口を出て道を進んでいった。マルイシティーを過ぎると、道が大きく二つに分かれる。向かいに交番があり、二又交番と昔から呼んでいる。右は地下鉄の有楽町線(副都心線)に沿った通りで、左が立教通り。少し行くと、今でも帽子屋さんが残っている。これは学生街らしい。立教のTシャツなんかが並んでいる。
  
 ところで西口を出て北側へ行くと歓楽街が広がっている。ロマンス通りと言うけど、別にロマンスは生じなかった。映画館も下にあるロサ会館も健在。まあ店は入れ替わってるんだろうけど。ここは先生とよく飲みに来た。近くには落語常打ちの4館の一つ、池袋演芸場が残っている。このあたりの雑然としたムードも、また池袋の特徴でもある。
  
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ネモフィラと黄門様-茨城旅行②

2013年05月25日 00時25分38秒 |  〃 (温泉以外の旅行)
 1日目は確かに六角堂を見たいということだったのだけど、まあそれだけならもう少し後でもいい。今回はできるだけ5月中旬までには茨城に行きたかった。それは「国営ひたち海浜公園」の「見晴らしの丘」に咲き乱れるネモフィラの花を見たかったのである。今では観光スポットとして超有名になりつつあり、テレビや観光案内などでよく出てくるようになった。これは一度知ると見に行かないではいられないような魅力を感じたのである。でも僕の周辺で聞いた限りでは、まだ「ネモフィラ???」という人がかなりいたけど、ここのネモフィラは一度は見る価値がある。

 さて2日目は月曜日だった。観光施設は休みが多い。そこを調べて、海浜公園と水戸黄門の隠居地・西山荘が今の季節は無休であることを見つけた。では2日目はこれで決まり。と思って出かけたんだけど、午前から雨模様で、午後には本降りとなった。それでは海浜公園に行く意味がない。宿へ行く途中で通ったけど、やはり駐車場はガラ空きだった。そして3日目、天気は回復し、とてもいい。では、まあひたち海浜公園に行ってみましょう。ということで、3つある駐車場(有料しかない)のうち海浜口に停めて、10数分歩く。と、もう最盛期ではないんだけど、まあまだ丘一面に咲き誇る花々。これを見たら行きたくならずにいられないと思う。ネモフィラ自体は、和名ルリカラクサという、北米原産のハゼリソウ科の花である。花言葉は「可憐」「清々しい心」「どこでも成功」だとホームページに出てる。
   

 海浜公園はポピーも見ごろになってるというけど、広いので回り切れなかった。当日も平日なのに、だんだん人が多くなってきた。連休には駐車場に入れないくらい人が来るらしい。鉄道とバスでも行けるけど。丘に登ると海もよく見える。遊園地もあるし、一日中遊べるところ。でも、まあネモフィラを見て少し歩いて出た。時間は戻って、2日目の話。まずは海浜公園の前に常陸太田の西山荘へ。ここは前に職員旅行で行ったけど、全く忘れてる。徳川光圀が隠居した後に住んだところ。お土産屋の「西山の里桃源」を抜けて行かないといけないので、初めは何だという気もしたが、お土産も充実していたし広々した感じが悪くない。出ると池があり大きな鯉がいっぱい泳いでる。少し歩いて入口があり、そこからまたお庭を歩く。なんだか遠いが、門が出てきて茅葺きの家が見えてきて、ムードが出てくる。ここは19世紀初めに一度火事になり再建された。だから光圀時代のものではない。でも古い建物と庭の木々はとても心に残る。やっぱりとてもいいところ。
   

 水戸藩は幕末の内紛で壊滅状態になり、「尊王攘夷」の先駆けとも言えるのに、人材が払底してしまう。その凄絶な様相は山川菊栄「覚書 幕末の水戸藩」に詳しい。(岩波文庫にある。)また吉村昭氏の「桜田門外ノ変」「天狗騒乱」などのすぐれた歴史小説でも印象深く描かれている。御三家のひとつであるのに、尊王思想の中心地となるというのも不思議と言えば不思議だが、「尊王」と「佐幕」は本来は矛盾しない。天皇に征夷大将軍に任命されてこその幕府政治である。それらは結局、光圀の始めた「大日本史」の編纂に原因があると言っていい。バックボーンにある朱子学の伝統が「水戸学」と呼ばれ、その中から幕末に徳川斉昭という傑物というか迷惑とも言える主君が現れる。水戸藩は歴史上この二人のスターがいるので、間違いやすい。梅で有名な日本三名園・水戸偕楽園は斉昭の造園で、東京のど真ん中にある小石川後楽園は光圀の造園である。

 
 だんだん雨になってくるが、常陸太田でもう一つ。遠くないところに重要文化財指定の佐竹寺がある。関ヶ原後の秋田に移され幕末まで続いた佐竹家という大名がある。元は常陸(ひたち)を領した戦国大名で、さらにその元が大田ということである。今はほとんど観光で訪れる人もいないような状態に見受けられたが、なかなか立派な本堂だった。本堂はいろいろ貼りまくり状態。
   
 お昼はガイドにあった近くの蕎麦屋「そば園 佐竹」。東京でもほとんど知られていないが、茨城県に入ると「常陸秋そば」の旗をあちこちで見つける。蕎麦と言えば、長野や栃木の方の印象が強いが、茨城のそばはあなどれない。食べてみて、とてもおいしい。どちらかと言えば、コシが強く黒みがかった蕎麦で田舎風という感じだが、とても食べやすい。3日目も水戸の「東園田舎そば」というところに行ったが、ここは安くてうまいそばを出し、ホントに流行ってた。大根そばというのを頼んだら、細切りの大根がそばに交じって絡まってるという不思議な蕎麦だった。これがまた不思議に違和感なく美味しい。茨城は蕎麦の先進地と認識した。

 雨が強くなり、もう宿をめざすしかない。が、途中に東海村があり原子力科学館なるものもあるらしい。わざわざ行く気もないけど、雨で他に行けないなら寄るかと思ったけど見つけられなかった。(今見たら、月曜休みだった。)だんだんトイレも行きたい、疲れもたまる、どこかないのかなあと思ったら、大洗に「かねふくめんたいパーク」があった。全部福岡かと思えば、ここに工場がある。見学もできるし、明太子、明太子を乗せた軍艦巻などを試食できる。明太子を買っても持ち帰れないので買わなかったけど、ここは行く価値あり。

 この日は「いこいの村涸沼」(ひぬま)。この地域で温泉は何かないか調べて見つけた公共の宿。温泉はもちろん循環だけど、涸沼という湖に面し見晴らしがいい。行政上は鹿行地域の鉾田町(ほこた)に入るが、水戸や大洗に近い。この沼はシジミの名産地で、鉾田町はメロン生産日本一。いや知らないことは多い。翌朝のシジミ汁は今までで一番の充実で、なかなか満足した。8000円台で満足。泉質はツルツル系。部屋から見た涸沼の一日目(夕方)と次の朝。
 

 翌日は海浜公園のあと、水戸へ出て弘道館を見て、納豆の展示館も見たけど、暑くなってきたので見学終了。それより霞ヶ浦を回ってドライブ。途中で鹿島灘海浜公園に寄る。ここはもっといたかった。あちこち「道の駅」に寄りながら帰る。物産館を回るのがとても好きで、あちこちに名物があるのが楽しい。今回も(買わなかったけど)「ナマズの照り焼き」なんか見つけた。メロンも夕張が有名だが、日本一のメロン生産地は茨城にあった。こうして回るたびに思うのは、「日本の豊かさ」である。物質的というか生活レベル的にもそうだけど、一方シャッター通りもどこにもある。しかし、そういう物質的豊かさ以上に、行くところ歴史あり、行くところ名産ありという「地域性の豊かさ」を感じるのである。この「多様性」こそが日本社会を支えるものであり、日本の豊かさであると思う。それをなくしてはならないし、またどんなことがあってもなくなることもないだろうと思う。常陸秋そばの美味しさ、涸沼のシジミ、もちろん納豆や梅、それに有名なのはアンコウ、常陸牛、奥久慈シャモなどいろいろな食材がある。温泉は恵まれないけど、「食」と「歴史」で頑張ってほしい。湖や海も素晴らしい。観光地茨城県を再発見した旅行。
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六角堂の再建-茨城旅行①

2013年05月22日 23時37分56秒 |  〃 (温泉以外の旅行)
 茨城県に旅行に行った。僕がよく行くのは山と温泉が主だから、茨城で泊ったことはほとんどない。職員旅行で1回、個人では3回泊っただけ。自分の記録を見てみると、1996年に袋田温泉に行って以来。(この時は翌日に水戸芸術館に行って、ク・ナウカのお芝居を見たんだった。)実に17年ぶり茨城泊である。東京に住む僕でさえそうなんだから、全国から来る人はもっと少ないだろう。全国ブランドの観光地も、水戸偕楽園の梅筑波山袋田の滝くらいではないか。(今はひたち海浜公園が有名になりつつある。)

 茨城に行かないでいた間に、東日本大震災があった。そして岡倉天心が作った六角堂が津波で流出してしまった。昔、近くの五浦観光ホテルに泊まったことがある。その時は年末で多くの施設が閉まっていた。その上六角堂も危険で見られない時代だったような気もする。その六角堂が昨年再建され、賑わっているという。東京スカイツリーなどはほとんど関心がないのだが、こっちの方は見ておきたい。茨城県は死亡・行方不明者が(千葉県と並び)20人以上という犠牲者を出した。(東北3県に比べ2ケタ少なかったけれど。)今もなお公開が中止の施設も多い。自分の車で行く場合、距離の問題で東北まで行くのは大変だが、復興支援の意味も込めて茨城県にそろそろ行ってみたいなと思うようになった。

 日曜朝9時半ころに出て、常磐道に入る。家からは東北道が一番近いが、常磐道も環七、首都高経由で遠くない。空いているのでどんどん進み、お昼過ぎには北茨城へ。海沿いに五浦(いづら)まで行って、まずは六角堂へ。天心記念室を見てから六角堂に近づくが、完全に海沿いの狭いところにあって、全体像はその場では判らない。六角堂を出てから、近くの五浦岬公園まで行かないと全景が撮影できない。まずはその全景写真。六角堂の内部とあわせて。(再建六角堂は作ったばかりだから、まだきれいすぎる感じ。内部にある写真は、秋公開の映画「天心」のポスター。)
 

 この近くは「ジオパーク」に指定されている地質的にも興味深い地域である。その景勝地が天心の気に行ったんだろうけど、もらったチラシに地震前と地震後が出ている。パソコンでないと大きく見えないだろうが掲載しておきたい。(最近行った、長瀞も伊豆もジオパークだった。)
 
 岡倉天心(1863~1913)という人は、フェノロサとともに明治維新後忘れられていた日本美術を守った人である。「日本画」という概念を打ち立て、「日本美術院」を作った。ここに横山大観、菱田春草、下村観山などの弟子が結集し、近代日本画が作られたわけである。つまり、狩野派や浮世絵は「日本画」ではなく、近代になってヨーロッパの油絵が伝わってから作られた「新しい伝統」が「日本画」である。「西洋の衝撃」(ウェスタン・インパクト)があって作られたわけである。岡倉天心は1906年に日本美術院を五浦に移し、しばらくの間ここを拠点に活動した。その時の旧居が残されている。六角堂はそれに先立ち、1905年に自ら設計して建てられた思索のための場で、確かに波の音しか聞こえない素晴らしい場所である。
 
 この六角堂のすぐそばに岡倉天心の墓がある。土饅頭型の小さな古墳のようなお墓である。もっとも東京・豊島区の染井霊園にある墓からの分骨だという。
   
 岡倉天心は非常に面白い人物だと思う。ほとんど英語で教育され、英文で著述した。有名な「茶の本」を読んだのはずいぶん昔で、多分高校生の頃だけど(もちろん翻訳)、とても面白かった。でも、やはり啓蒙というか日本文化紹介という感じがあって、他には読まなかった。大岡信さんに評伝があり、それを読むと晩年にインドの女性詩人と美しい魂の交流があった。タゴール(アジア人初のノーベル文学賞受賞詩人)とも交流が深く、天心という人は詩人の魂を持っていた。それが政治に利用された時代があった。そのことも大切な点である。竹中直人主演で映画化され、今秋公開されるらしいので、岡倉天心は要注目。

 六角堂に来たら、近くの五浦岬公園まで必ず行かないといけない。ここは素晴らしい眺望を楽しめるが、初めに書いたように六角堂は対岸から出ないと全体像が見えない。歩いて10分ほど。歩いて回ると、端の方に犬の銅像がある。何だろうと近づくと「忠犬ジョンの像」とあるが、何をしたのかというと「怜悧な」犬だったけど近所の人に毒を盛られて死んだという話で、どこが忠犬なんだかよく判らない。飼い主には悲劇だけど、飼い主を救ったという話ではないらしい。何だと思い写真は撮らず。像の足元を見ると、マムシグサが一杯咲いていた。


 近くに昔はなかった茨城県立天心記念美術館(1997年開館)が立っている。すごくきれいな美術館で、こんなに大きいとは思わなかった。天心や日本画について多くのことを理解できるので、一度行く意味はあると思う。けれどなんだか大きすぎる感じもしないではない。でも、この美術館のカフェは大変気持ちがいい。そこはおススメ。(美術館の写真は撮らなかった。)そこを出たすぐ近く、平潟港のあたりに「風船爆弾」を飛ばした場所がある。第二次世界大戦末期、日本は風船爆弾なるものを作った。それは実際に気流に乗って米国西岸に着き死亡者も出た。今は平和の碑が立てられている。開発側の情報は、明大生田校舎にある「明治大学平和教育登戸研究所資料館」で知ることができる。(放たれた場所はここだけではなかった。)

 時間がなくなり、行くつもりだった野口雨情記念館などはまたの機会に。行く途中に寄った中郷サービスエリアに野口雨情の詩碑がたくさんあった。「赤い靴」「青い目の人形」「七つの子」「シャボン玉」などを作った童謡詩人である。今日は海沿いの宿ではなく、あえて中へ入って温泉の宿を見つけた。多分ほとんどの人が知らないだろう、常陸太田市の横川温泉と言うところである。茨城だから加熱、循環の湯は仕方ない。延々と里山を行くと三軒の宿がある。かなり大きな中野屋、かやぶきの巴屋、それと山田屋である。インターネットで取れる山田屋にしたけど、他に誰もいなかった。まあ日曜だけど、そこまで空いてるのは初めて。今は燃料費が高騰し、低温の湯の宿は苦しいのではないか。そういう宿も苦しい中頑張っているので、源泉掛け流しもいいけど他の宿も応援しないといけないと思う。お湯は塩素臭もなく、ツルツル系の透明の湯。源泉は硫黄泉。食事はとてもおいしく、8000円台でこれだけ美味しいものを食べられるなら、他の人にもおススメ。
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色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年②

2013年05月18日 23時27分22秒 | 本 (日本文学)
 「村上春樹の語り方」はいろいろあるけど、研究者は別として、一般読者の語り方は大体3つのパターンに分かれるように思っている。
青春派 特に「青春小説」の場合。登場人物の恋愛や友人関係をめぐり、自分の場合などと引き比べたりしながら青春の哀感を味わう。ちょっとした教訓を得たりする。
深読み派 特に「パラレルワールド」ものの場合など。そのままではよく判らないから、自分なりに「深読み」して「世界の構造」をつかみ、現代社会へのメッセージを読み取る(つもりになる)。例えば、「巡礼の年」を「3・11後のメッセージ」として読み取り、「巡礼」を「鎮魂」とみなすとか。
ディテール派 文学を読むというより、小説内に出てくる本や音楽、お店やファッションなどを細かく「考察」する。そこから村上春樹文学を深めていく人もいるが、単に自分の趣味にあう記述を小説内に見出して自己満足するような場合もある。

 僕は特にこだわらずに思いついたことを書き連ねて行きたいと思うけど、村上春樹文学は「物語の魅力」であり、自分の内面の奥に潜む闇への旅でもある。だから「物語の構造」を自分なりに読み解く作業が必要になるのは間違いない。「風の歌を聴け」「1973年のピンボール」の2冊しか出ていない段階なら、青春エッセイの延長みたいに読んで、アメリカ小説を読むような気分を味わうことも可能だったと思う。でも「羊をめぐる冒険」以後は違う。「内面の穴」がどんどん深くなっていく。それを読者全員が「読み解く」必要もないと思うけど、どこか自分の内面と共感する部分がないと読む意味が薄れる。

 だけど、あえてディテールを読むとすれば、僕には「つくる」の人生を決めた「」という設定はすごく面白いと思った。今までの小説に駅が出てきたかどうかをちょっと調べたくなった。また「フィンランド」。「巡礼」はついにフィンランドにまで至るが、フィンランドに行くために休暇を取ると、上司からフィンランドに何があると聞かれる。「つくる」は「シベリウス、アキ・カウリスマキの映画、マリメッコ、ノキア、ムーミン」と答える。(235頁)皆は判るのだろうか。僕は「マリメッコ」が判らない。調べたら世界的なファッションやバッグのブランドだった。アキ・カウリスマキはインタビュー集で好きな映画監督と語っている。確かに村上春樹が好きそうな映画をつくる監督である。アキ・カウリスマキが好きだから、この小説はフィンランドに行きつくのではないかと思う。

 さて、前回に書いたように、この小説は「つくる」が16年前に絶縁された4人の友人を訪ねて、その真相を探るというのが主筋である。その構造はだからミステリーであり、主人公が時空を駆け回り真相をつかもうとする。その結果は書かないが、一応4人のその後は小説内でつかめるようになっている。そして、16年も経っているから、どんな人でも高校時代の友人とそう会うものではない。一応真相はつかめた、後は「つくる」が「沙羅」を得ることができるかどうかであると、まあそういうこともできなくはない。でも、僕にはそうは思えないのである。この小説が案外「難物」だと思うのはそこで、「真相」を探っていくと、自分が深い穴に落ちもがいて生きていたように、多かれ少なかれ他のメンバーもそれぞれの「深い穴」に直面していたことがわかる。その穴はとても深いし、「つくる」が再び落ちてしままわないとは誰にも言えない。僕には「巡礼」を経て「つくる」が完全に新しい歩みを始められるのかは、かなり疑問である。

 それを暗示するのは、沙羅と会う日の前に何度も電話してしまう「つくる」の姿である。何で電子メールにしないのかは僕には謎だが、今までの村上春樹の小説で使われた電話の役割を思い出すと、何か不吉な感じがする。村上春樹の小説、あるいは現実の世界では多くの問題が解かれずに先に進んでしまうが、この小説でも多くの問題が途中のまま小説は終わってしまう。ただ、はっきりしているのは、この小説にもまた「死」は出てくるが、初期の小説のように「自殺」する者はいないということだ。「ノルウェイの森」のように主要な登場人物の中に複数の「自殺」がある段階は終わったのか。「団塊の世代」の物語であった「ノルウェイの森」に対し、その子供たちの世代の物語である「多崎つくる」ではまた「死」の現れ方が違ってくるのは当然だ。

 それでもやはり、小説全体を深い喪失感が覆っている。確かに人生は、また青春期は何かを喪失していく過程だが、村上春樹の小説ではその喪失感は非常に深く、立ち直れないまま「もう一つの世界」、つまり「死の世界」とも言えるが、そちらに引かれていってしまう登場人物も多い。いろいろな仕掛けを通して、何とか主人公は生の世界に戻る道を見つけるが、「海辺のカフカ」も「1Q84」もいかにして「あっちから戻ってくるか」に全力を掛ける物語である。この2大長編を通して、もう同じ構造の物語は書く必要がない世界へ到達したのかと思うと、やはりそうでもないのだなあと僕は思った。

 この小説を敢えて現実に引き寄せる必要ないと思うけど、読みたければ「3・11」でも「グローバル化」でも何でもいいけど、「深い喪失」の物語として読み直すことはできなくはないだろう。でも、これは学校を舞台に成立した青春の物語である以上、あえて現実との交点を見つけるなら「いじめ」の物語に近いと思う。昔関係を断たれた(いじめられた)真相を今になって探り始めるというわけである。でも、その結果見えてきたものは何か。それは「世界の反転」だと思う。自分は世界の中の被害者であると思ってずっと生きてきたけど、よくよく探りまわった後では「彼ら」にも「深い穴」が開いていて、むしろ自分の方が加害者だったことがないとは言えないのかもしれない…。

 これはユダヤ系のアメリカ作家ソール・ベロー(1976年ノーベル賞)の「犠牲者」と言う小説に似ている世界観である。現在の世界では、この「視点を反転させること」はとても大事だと思う。例えば「テロの犠牲者」であると主張する国(アメリカ、ロシア、中国など)がその対策と称して、アフガニスタンやイラク、チェチェンやウィグルで似たようなことを行ってしまうのを見ると、「犠牲者」はいつでも「加害者」に転化するのだと思う。もちろんイスラエルもそうだし、日本でも「日本は犠牲者」であると称して排外主義をあおる傾向が見られる。そういう世界の中に生きているということをベースにこの小説を読むと、これは単なる青春回顧の小説ではなく、主人公が一人称の物語(被害者)から複数性を獲得していく過程の物語として読めるように思う。

 だけどそれが主人公にとって成功しているのかが判らない。この小説は解決を見ずに終わっているが(人生に「解決」はないが、とりあえず恋人に会う日のてん末は知りたい)、果たして彼らの人生はどうなるのだろうか。僕の推察はこうである。翌日のデートでは、結論はペンディングされる。何で「つくる」が完全に解放されないかというと、「つくる」はまだ「色彩」を巡礼し終わっていないからである。すなわち5人組問題は一応の「解決」を見ても、「灰田」が残っているではないか。巡礼をしてみれば、結局本当の色である「アカ」と「アオ」の問題ではなく、焦点は「シロ」と「クロ」にあったことが明らかである。であるならば、「白」と「黒」の間にいる「灰田」を見つけない限り、「つくる」は解放されないのではないか。また、それを言い出すなら、木元沙羅だって今までにいろいろあったはずである。今度は沙羅の「巡礼」が必要になるかもしれない。案外、続編がありうるかもしれないが、続編は読者が書くべきものかもしれない。

 以上のように思ったのだが、問題はそれだけでは済まないかもしれない。「1Q84」では青豆に不思議な体の変容が起こる。まるで「マリア様」のような。では、今回の「つくる」の中で、「つくる」が夢想したことは現実化するのか、しないのか。巡礼を経て判ることは、この小説でもおなじような「奇跡」が起こっていた可能性ではないのか。そのように読むことは可能か。この問題は、小説内では「犯罪」と「夢」としてしか語られない。でも両者は結ばれているのではないか。そうなると、この小説も直接異界に接して成立している可能性があると思う。

 僕は今までの自分の経験で、精神世界的なモノへの関心は全くないが、人間の「心の闇」の深さは非常に実感している。自殺もそうだが、異界に引きずり込まれるように自分の世界に「引きこもり」を始める人々は、ものすごく多いと思う。そういう生徒(卒業生)を何人も見てくると、村上春樹の小説はとてもリアルな課題を突き付けてくるものとして読める。そういう「思春期をめぐる冒険」(岩宮恵子というカウンセラーが書いた、「心理療法と村上春樹の世界」と言う副題を持つ本の題名)の本として、この物語が必要とした「巡礼」という発想は、今後他でも生きてくると思う。ただ先に書いたように、僕には今回の巡礼は「A面」で、裏に「B面」があるような気がしてならない。次の「巡礼」がどのようなものになるかは判らないが、「つくる」ではなくても村上春樹によってふたたび巡礼が書かれるのではないか。
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色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年①

2013年05月18日 00時34分09秒 | 本 (日本文学)
 言わずと知れた村上春樹の新作長編小説、「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」。発売後すぐに100万部を突破したけど、僕は一月ほどして読んだ。その感想と言うか、思ったことを2回にわたり書いてみたい。書店に行けばズラッと置いてあるから、本のデザインも知ってる人が多いと思うので載せない。この小説は(多くの村上春樹の小説と同じく)ミステリーの味わいがあるので、筋書きの細部に関する記述はできるだけ避けたいと思う。でも何の解説も読まずに「まっさら」の状態で読みたいと思ってる人は、もう大体読んでいると思う。どうしても避けがたい部分はストーリイに触れざるを得ないので、ご注意を。今日はまず概説と僕の村上春樹体験から。

 今や世界的な超人気作家であるハルキ・ムラカミであるから、その新作となれば手に取らざるを得ないと多くの人が思う。でも最初にその題名を見たときには、軽い驚きを覚えた人が多いのではないか。大体一回では覚えきれない。それに今までにも増して、翻訳調の題名である。実際、英語題名が書いてある。〈Colorless Tsukuru Tazaki and His Years of Pilgrimage〉

 370頁ほどの本で、短いと言うこともないが、最近は長大な作品が続いていたから、まあ長さ的には読みやすい。文庫本で一冊になる程度の分量の長編はいつ以来だろう。(と思ったけど、「1Q84」のひとつ前の「アフターダーク」が一冊だった。この小説は忘れてた。)中味もまあ基本は普通のリアリズムで書かれてる。つまり猫語を話せたり、カーネル・サンダースおじさんが話し出したりしない。またリトルピープルがウロチョロしたり、月が二つあったりもしない。(ホントはかなり異常な出来事もあるんだけど、それは小説内でもリアルではない出来事とされている。)だから最近の小説の中では判りやすいという人もいるかもしれない。また内容も昔の(「風の歌を聴け」や「ノルウェイの森」のような)「純粋青春小説」と言える。(主人公は36歳の独身男性で、38歳の独身女性と交際をしている。この年齢は今や「青春期」に入ると言ってよい。)

 でも僕にはこの小説はかなり手ごわいような気がする。しかし題名に関しては、「そのまんま」だった。書評などで知ってる人も多いと思うけど、一応解説しておくと、多崎つくるは小さい時から駅が大好きな名古屋の少年だった。高校時代、学校の授業のボランティア活動で、ある児童施設で活動した。その時同じ施設を選択した5人のメンバーは、かなり違うタイプであるにもかかわらず、非常に気が合う友達となる。他の4人は皆、名前に色の字が付いていた。具体的に書けば、赤松、青海、白根、黒埜である。初めの二人は男、後の二人は女。つまりアカ、アオ、シロ、クロ&多崎の男3人、女2人のグループである。これは思春期にあっては、ちょっと不安定な感じも否めない。つまり誰かが誰かを好きになったら、一人が余ってしまうではないか。しかし、そういう話は微妙に避けられていたのか、卒業まで5人組が続く。ただ他の4人は名古屋の大学に進むが、どうしても駅の設計を学びたい多崎つくるだけが頑張って勉強し東京の工科系大学に進学する

 卒業後も帰省するたびにあっていた5人だったが、大学2年の夏、帰省した「つくる」は誰も電話に出てくれない状態にビックリする。そのあげく4人から絶縁を宣告される。原因が思い当たらない「つくる」は大きなショックを受け、生きる意欲を失ってしまう。一応大学には行っていたものの、死んだように毎日を送り、風貌も変わってしまう。ようやく日常生活に復帰できたものの、世界から拒絶された傷から回復することはなかった。卒業して駅の設計を行う会社に勤め、女性との交際も何回かあったが、心を開く生き方からは遠いままに今まで生きてきた。その間4人の誰とも合わず、消息も全く知らない。

 ところが36歳になって木元沙羅という女性と知り合い、とても惹かれるようになる。でも彼女は「つくる」には何か心に引っ掛かりがあるはずだという。「つくる」は大学時代の話をしたところ、沙羅は4人の消息を調べ上げ(インターネット上のツールを使えば、仕事を現役でやってる世代の人間は大体判るはずだと沙羅はいい、実際数日で居場所をつかんでしまう。)そして是非、昔の友人にあって確かめるべきだという。そこで「彼の巡礼の年」が始まるわけである。この「巡礼の年」というのはリストのピアノ曲集の名前だという。その一曲は、昔ピアノが得意なシロがよく弾いていた曲である。と言う設定で、まさに「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」以外の題名はありえないストーリイだと判った。題名に音楽が使われるのは「ノルウェイの森」や「国境の南、太陽の西」があったが、21世紀に出版された「海辺のカフカ」や「1Q84」と同じく、クラシック音楽の比重が強まっている感じがする。

 年代的には特定できる年はないように思ったけど、「つくる」の父親は「団塊の世代」だとある。村上春樹は1949年1月12日の生まれで、まさに団塊の世代、つまり世界的なベビー・ブーマー世代の一人である。その子供なんだから、まあ大体日本で「第2次ベビーブーム」と言われる世代のはず。巡礼の年が2012年だとしたら、1976年生まれである。僕は若い世代を考えるときは、自分の教えた生徒の年代で考えるのだが、だからまあ大体「江戸川区の中学で2度目の担任をしたときの生徒」だということになる。なるほど、彼らの世代の物語か。

 その頃の僕は、出るたびに村上春樹の新作を買って、その日に読んでいた。最初に読んだのは「1973年のピンボール」で、「風の歌を聴け」は最初は買ってない。(僕の持ってる本を見たら、「風」は4刷で、「1973」は初版だった。)「1973年のピンボール」は今でも一番好きな小説かもしれない。井上ひさしの文芸時評で紹介されていて読みたくなった。さかのぼって「風の歌を聴け」を読み、それらの本の乾いた叙情と青春の喪失感、そして僕の好きなアメリカ小説の匂い(カポーティ、ヴォネガット、ブローティガン、サリンジャーやなんかのムード)を感じて、とっても気に入った。以後全部読んでるわけだが、「世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド」や「ねじまき鳥クロニクル」なんかは読むまでにある程度の時間があった。(本が)重くて長いから、仕事が忙しいとなかなか手に取れない。

 同じような事情が主な理由だが、その頃から大江健三郎の新作を読まなくなってしまった。「同時代ゲーム」までは丹念に追い続けてきたのだが。ある意味では入れ替わりである。僕の若い頃は、文庫で読める若い作家は、大江健三郎や開高健などに限られていた。三島由紀夫や安部公房はと言えば、50年代の作品は文庫にあるが60年代の作品はまだ入っていなかった。つまり単行本が出れば、3年もすれば文庫になるという時代ではまだなかったのである。だから「若い作家の代表」は、僕にとって大江健三郎であり、「われらの時代」や「日常生活の冒険」などを愛読したものだ。

 大江健三郎と村上春樹では、全然違うタイプの作家であると思っている人が多いかもしれない。しかし案外この二人は共通点があるのではないかと言うのが、僕の考えである。大江健三郎の文章はなかなか難物だから仕事が忙しくなると読んでいられなくなった、と僕は自分で考えていた。実際買ってることは買ってるのでいずれ読むという気はずっとあるのである。でも、ある時気付くと、僕にとって現在形で追い続ける作家が大江健三郎から村上春樹に入れ替わったのではないか、と思うようになった。そしてその意味するものは何か。二人ともドストエフスキーの「悪霊」に大きなインスパイアを受けている作家だと思うのだが、その「悪霊」の対象が違うのだ。

 大江健三郎が「洪水はわが魂に及び」などで度々考察しているのが、連合赤軍事件である。一方、村上春樹にとっての、現実の「悪霊」事件は圧倒的にオウム真理教事件であると思う。つまり村上春樹を読み始めたときはまだオウム事件は起こっていないわけではあるけれど、もっと大きな目で見た場合、「大江健三郎から村上春樹へ」という僕のシフトチェンジは、「連赤からオウムへ」という時代精神の傷の変容、その裏の社会構造の変化を象徴しているのかもしれないと思う。つまり見田宗介氏の分析にいうところの「夢の時代」から「虚構の時代」への変化である。僕にとって村上春樹を読んできたという意味はそういうものではないかと思うのである。今日はまずここまでで。
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シュガーマンー奇跡に愛された男

2013年05月16日 20時54分33秒 |  〃  (新作外国映画)
 「シュガーマンー奇跡に愛された男」というのは、とっても面白い、まさに「奇跡」のようなドキュメンタリー映画だ。今年度のアカデミー賞記録映画賞受賞。話としては音楽分野だけど、南アフリカ現代史と関わる。「シュガーマン」というのは曲の名前で、何だと思えば「麻薬の売人」という意味だという。だいぶ前の歌である。70年頃のアメリカの曲。でもアメリカでは誰も知らない。もちろん日本でも誰も知らない。歌っているのはロドリゲスと言う歌手。この誰も知らない歌手の誰も知らない曲が、アパルトヘイト下の南アフリカで大ヒットし、放送禁止歌になる。その後もロドリゲスの歌は南アフリカで生き続け、誰もが知る歌として有名だった。でも、歌手のロドリゲスは、舞台上に火を放ちピストル自殺をしたという。この南アフリカでのみ有名な伝説の歌手を探るドキュメンタリーがこの映画なのである。


 まずは南アフリカから、この映画は始まる。南アと言えばマンデラ初めANCの黒人の解放運動家が思い浮かぶ。しかし、この映画にはほとんど白人しか出てこない。「アフリカーナ―」である。元々は何世紀も前にオランダから移住し独自の文化を育て自らを「アフリカ人」と称する民族である。南ア白人には英国系も多いが、アパルトヘイト体制はアフリカーナ―が中心になって作り上げた。でも彼らの中でも抑圧的な体制への不満が蓄積していたことが判る。その抑圧の典型が「シュガーマン」の放送禁止。日本にも放送禁止と言うのはあったけど、南アのそれはすごい。放送局にあるレコードの該当の曲に傷をつけて、たとえ放送されても歌が聞けない状態にしてしまう。そのレコードの映像にはアゼンとした。

 でも70年に作られたアルバム「Cold Fact」は南アフリカで売れ続けた。南アフリカではロドリゲスはローリング・ストーンズより有名だった。人間として生きることを歌い抵抗を歌う歌が、南アフリカで独自の意味を持って生きていたのだ。ところで、ロドリゲスって誰? ホントにステージで死んだの? 全然判らない謎の歌手。でも、売れてるCDの印税は誰に送ってるんだ。そう疑問に思った南アフリカのジャーナリストが調査を始める。90年代末の話である。歌詞をよく見るとアメリカの都市と思われる名前がある。調べるとデトロイトのすぐそば。もうインターネットと言うものが出来ていた。ホームページを作り情報提供を呼びかけた。そうしたら、なんとロドリゲスの娘から連絡があったのである。

 結局、判ったことは…。1968年、デトロイトの場末で歌うヒスパニックの青年を大物プロデュ―サーが見つける。音楽性ではボブ・ディラン級だと思ってLPレコードを作ったけれど、全く売れなかった。結局2枚のアルバムを残してアメリカの音楽シーンからは全く消え去った。それがアメリカでのロドリゲス。しかし、死んだというのは全くの誤報で、彼はレンガ工として働きながら三人の娘を育て上げた。地道な地域活動家として一貫して労働者のために生き続け、デトロイト市長選に出たこともあるという。(もっとも100何十人も立候補したらしいけど。)そして生きていることが「発見」された伝説の歌手は、晴れて南アフリカ公演に招かれたのである。一体、どういうコンサートになるんだろう。

 これが20世紀末に起こった実話である。その奇跡のコンサートシーンは素晴らしい。見ていてとても幸福になる映画である。人が生きるってなんだろう。自分では失敗だと思ったことが、他の人、他の土地で花開いていたのである。音楽で成功できなかったけど、それでも地道に働き続けた。地球の裏側で有名人になっても、やはり地道に生き続けている。そういう人の昔作った曲が、これがまたとてもいい。老いの加わったロドリゲスはなんだか風貌では姜尚中さんみたいな感じ。

 有楽町の角川シネマ有楽町で19時から(24日まで)、新宿のシネマカリテで11時50分から一回上映(17~24日)、渋谷の渋谷シネパレスで20時半からレイトショー上映。その後新宿のK’sシネマで、6月1日から7日まで12時45分~、8日から14日まで17時~、それぞれ一回の上映。東京では細々と上映が続いている。5月下旬から6月にかけて全国各地の映画化で上映あり。こういう記録映画は時々やるけど、見逃しやすい。おススメです。
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議員は誰の代表か―選挙制度論議②

2013年05月14日 21時02分23秒 |  〃  (選挙)
 選挙制度に関する議論は、衆参とも現行制度が最高裁で憲法違反とされる可能性が高いという異常な状態にあることから起こっている。ところが、最近この「違憲判決」そのものを批判する意見が見受けられてビックリした。「一票の格差」を突き詰めると、地方の議席を削り都市の議席を増やすということにならざるを得ない。その結果、ますます都市の大企業の影響が強くなり、地方の農業切り捨てがどんどん進行するのではないか。都市の弁護士中心に進められる「違憲訴訟」も、その傾向を強めてしまう。これでは形式的には憲法にあう国会になったとしても、実質的には国民を不幸にする改革になるというのである。

 これは僕には「議会制民主主義」と言うものに対する理解不足ではないかと思うけど、その背景にあるものはかなり大事な問題ではないかと思う。どうして僕が「理解不足」と言うかと言えば、この議論では「地方出身政治家は選出された地方の利害を代表するのが当然」という考え方が前提とされているからだ。都市選出政治家は都市の利害を代表する。だから、もし都市部と地方の利害の対立すれば、各議員はその選出地域の利益を守ろうと行動するのが当然だということになる。これは困った考え方である。それでは少数派の利益は誰が守ってくれるのか。もし仮に「沖縄」と「沖縄以外」の利害が衝突するというケースがあれば、沖縄選出議員の数は限られているから、必ず国会では「沖縄以外」の考えが通ることになってしまう。その他の問題も同様。

 国会議員は一部の代表、選出された地区の代表ではなく、たまたまそこの選挙区で選ばれただけで、全国民の代表である。日本国憲法第43条では、「両議院は、全国民を代表する選挙された議員でこれを組織する。」と書かれている。まあ、こういうところは読み過ごすところである。「国会議員は国民の代表」なんて言う言葉も、聞いただけでは当たり前ではないかと聞き過ごすような言葉である。でも、その意味するところは重い。

 国会で決まったことには全国民が従わなければならない。国会で決まった法律は官報に掲載されるが、そんなものを読んでる人は普通いないだろう。だから「法律改正を知らなかった」と争った裁判があるが、それは情状酌量の理由にはなるが、無罪の理由にはならない。どうして国会で決まった法律に従う必要があるかと言うと、「全国民の正当な代表」が決めたからである。(もちろん、法律や規則、政令等で、その決まりは憲法違反であるという裁判を起こすことができ、その結果その法律は改廃されることもある。最近では薬のネット販売が最高裁判決でガラッと変わった例が印象的である。)

 もちろん現実には議員には支持者があり、その支持者を見て政治活動をしている。それどころか、自分自身の利害を考えて政治を行っているような政治家もいるのかもしれない。それでも、その国会議員は全国民の代表だとみなして政治をゆだねる。だから沖縄選出ではない議員でも、沖縄の基地問題を論じて構わない。原発立地地域でない議員も、原発問題を考えて決める権限がある。そういう風に考えておかないと「代議制」「議会制民主主義」は成り立たないのである。だから実際は愚法、愚策がいっぱいあるけど、一応それは合法性を持っていて、政治が行われているわけである。

 地方選出だろうとどこ選出だろうと、それは全国民の代表。従って、どこに住んでいる国民でも一票の価値の平等が求められる。よって現行の選挙制度はおかしいということになる。
 
 では、各地方の意見を生かす道はないのだろうか。それはないことはない。今までの議論は、「日本のどこに住んでいても同じ国民」ということを前提にしている。憲法にはそう書いてある。それに対して、「連邦制」を取ると言うならば話は別である。各地方が事実上独立し、それぞれ州法、州最高裁、州兵などを持つ別個の独立体になるということである。今主張されている「道州制」ではない。今の「道州制」は単なる地方自治制度の変更である。連邦と言う場合は、もう自治ではない。各地方が独立するのに等しい。または、住民選出の国会をなくしてしまう。各地方の産業や文化などの代表を集めて、それを国家の最高機関とする。普通選挙はやめる。中国の全国人民代表大会みたいなものである。そういう方が事実上国民の意見を反映するという意見が多くなれば、日本が西欧型民主主義を放棄して「中国化」するわけである。以上のような憲法改正が実現するなら、「各県代表2人」で参議院を作るというようなことが可能になると思う。それまでは無理だろう。

 昨年までの巨大与党、民主党はほとんど「2009年のマニフェストの文言を守れるかどうか」の内部的議論だけに終始して分裂して自滅した感がある。これも考えてみればおかしな議論だった。参議院で過半数を失ったのだから、参議院の多数派を形成するために当時の野党と一定の妥協をせざるを得ない。その妥協の中身、またそこへ至る説明が十分かどうかと言う問題はあるが。「国会議員は公約を破る」と批判され続け、その結果「マニフェストで約束したことにこだわる」という政党が現れた。それはいいけど、実際に政権を取ればすぐに実現不可能なこともいっぱいあるはずである。(そうでないと魅力的な「野党のマニフェスト」にならない。やってみたらうまく行かないような理想も書かなければ、政権交代する意味がないじゃないかと言うことになる。)「国会議員は選ばれたら何でもやっていい」と言ってしまうと、国民との信頼関係は築けない。しかし「選挙で公約したこと以外は何もしてはならない」とまで言えば、それも政治が進まない場合があるだろう。要は「与野党ともに国民全体の代表」だという大原則を各議員がよく理解しているということだろう。小選挙区で勝ちぬいた議員は、自分を支持しなかった有権者をも自分は代表しているという自覚をもって政治を行う必要がある。
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議員持ち票制は間違いー選挙制度論議①

2013年05月13日 00時05分51秒 |  〃  (選挙)
 選挙について何回か書いたけど、日本の選挙はとにかく「普通の人が議員にならないように意地悪している」という感じである。日本の政治家に世襲が多いというけど、普通の会社員や主婦が立候補するにはハードルが高いんだから、仕方ないような気もする。さて、選挙制度に関して、様々な意見が見られるので、少し書いておきたい。誤解も多いからである。

 去年の総選挙に対して「一票の価値」をめぐって憲法違反、特に2つの高裁では「無効判決」まで出た。選挙制度の抜本改革が必要なのは明らかで、今国会で成立が見込まれる「ゼロ増5減」がなっても、また次回に違憲訴訟が起きるのは確実。そこで、この問題の最終的解決策として、「議員持ち票制」にすればいいという意見が最近チラホラ見受けられるようになった。ある小選挙区の有権者数が、他の小選挙区の有権者数の2倍いるとする。これでは有権者が多い方の選挙区では、「一票の価値」が半分になるではないか、というのが「違憲」とされる。では、有権者の多い選挙区で選ばれた議員に「2票」の価値を国会の投票で与えればいいというのが、「持ち票制」の発想である。

 一番有権者の少ない選挙区選出議員を「1票」とし、他の選挙区の持ち票を決めていく。小数点以下をいくつにするか問題だが、仮に小数点2位を四捨五入するとすれば、「1.1票」「1.2票」と小数点1位の数字で持ち票が決まってくる。それで、本会議の投票でもその持ち票を使うというわけである。ちょっと考えると、これは名案である。こうすれば一票の価値の平等は完全に果たされる。

 しかし、よく考えると、これはおかしい。自分の選挙区で選ばれた議員が、他の議員の半分の投票価値しか持っていないということは、つまりその選挙区の有権者は国政の決定事項への関与が半分しかできないということである。これでは「一票の価値」が平等ではないという事態は同じではないか。

 完全に「一票の価値」を実現させるのが憲法の要請なのだろうか。そう思うなら、小選挙区を止めて比例代表制一本にすればいい。また小選挙区制であっても、2倍の有権者数の選挙区を2つに割ればいいだけのことである。毎年、選挙区をみなおして区割りを訂正して行けばいいだけのことである。「議員持ち票」などという発想をしなくても、「一票の価値」はすぐに実行できる。なのになぜ、そんな面倒なことをしなくてはいけないのか。

 面倒と言うのは、与野党が伯仲しているときなど、誰の持ち票が何票かよく判らず、投票してみなくては成否が判らないということになる。その結果、少数点以下で決着することになったとして、それは有効なのだろうか。「一票差でも多い方が勝ち」は理解できる。でも「小数点以下、0.1票の違いで決着」では、負けた方が納得できないのではないか。

 それに大体、「議員持ち票制」の方だって憲法違反の可能性が高い。そもそも国民の代表である国会議員に、一票の価値が平等ではないという事態そのものが、法の下の平等に反する感じがする。憲法56条では「両議院は、各々その総議員の三分の一以上の出席がなければ、議事を開き議決することができない。 ○2  両議院の議事は、この憲法に特別の定のある場合を除いては、出席議員の過半数でこれを決し、可否同数のときは、議長の決するところによる。」と決めてある。

 これは議員一人ひとりの投票権が平等であることを前提にしている。「出席議員の過半数」で決すると決めている以上、議員の持ち票に関わらず、頭数で半分以上の議員の投票で決するとしか考えられない。どうも、皆いろんなことを考えすぎるのではないか。選挙制度を変えれば済むことを、選挙制度はそのままでも議員の投票価値の方を変えればいいという発想、これも本質を見誤った議論だと思う。
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供託金はいらない-選挙を変えよう④

2013年05月12日 00時35分41秒 |  〃  (選挙)
 選挙のやり方にインターネットを認めても、それだけでは選挙が身近になったり、皆が関心を持つというようなことにはならない。今までもそうだけど、有力な候補者が立ち激戦になるということが人が一番選挙に行く条件である。有力な現職と弱小候補だけの選挙では、結果は見えているから関心の低い人は選挙に行かない。

 だから多くの人が政治に関心を持ち、選挙の投票率が高くなるには、選挙運動を変える(選挙運動の規制緩和)も大切だけど、多くの人が立候補しやすい制度になっていることが大切だ。それには二つの問題がある。現在フルタイムでなんらかの仕事をしている場合、仕事と選挙運動は両立しない。というか、仕事と議員活動は両立しない。しかし、選挙に当選するとは決まってないから、立候補の前に退職してしまうと、落選した時に困る。「選挙休職制度」が望まれるが、政党から立候補するときには、なかなか難しい。でも、「無所属」で「市町村議会議員」に立候補するときは、無条件に選挙運動期間は無給休職できる制度があると良い。まあ、それはともかく、選挙運動で変えるべきところはもっといっぱいあるのだが、その前に緊急性を持つのは、供託金の問題だと思う。

 供託金とは何かと言うと、立候補するにはカネがかかるのだ。もっとも、当選するか、しなくても一定以上の得票をすれば返してくれる。だから何のためにある制度かと言えば、むやみやたらに立候補するのを止めるという意味がある。立候補すれば政見が印刷されて配られるから、ある程度制限がないとむやみやたらに立候補して困るという気もする。東京知事選なんか、いつもおなじみの「泡沫候補」が何人も出る。それがタダになれば、もう個人的な恨みとか、「誰々さん、結婚してください」とか、政治には何の関係もないことを言いたいだけの「候補」が乱立するかもしれない。そういう候補のためにポスター掲示板を大きくしたり、政見を印刷して配るというのは、確かに税金のムダと言える。

 だから、国政選挙と知事選挙は、ある程度の供託金、またはそれに代わる制度があってもいいとは思う。でも、それにしても、今の金額設定はベラボ-としか言いようがない。ウィキペディアによれば、アメリカ、フランス、ドイツ、イタリアなどには供託金制度はない。イギリスが発祥らしいが、約9万円だとある。韓国が約150万、マレーシアが約90万とあり、これが高い方である。が、日本は世界の中で比較を絶した、チョー高額供託金になっている。もう、ビックリである。具体的に書けば、以下のようになる。公職選挙法92条である。

1  衆議院(小選挙区選出)議員の選挙   300万円
2  参議院(選挙区選出)議員の選挙    300万円
3  都道府県の議会の議員の選挙       60万円
4  都道府県知事の選挙          300万円
5  指定都市の議会の議員の選挙       50万円
6  指定都市の長の選挙          240万円
7  指定都市以外の市の議会の議員の選挙   30万円
8  指定都市以外の市の長の選挙      100万円
9  町村長の選挙   
  ここまでしか書いてないから、町村議員選挙は供託金がないのである。
 
 これに加えて、92条の2項、3項で、衆参の比例代表区に立候補する政党の規定がある。これが、恐るべきことに、一人当たり600万円である。(衆院で小選挙区と重複立候補するときは300万円。)

 この金額では、大政党は別として、無所属で国政選挙に出るのはとても大変である。そういう組織がない人は出なくていいと言えばそれまでだが、原発問題などを個人で訴えたいという人が衆参の選挙にいていいと思う。でも300万円かかるし、多分戻ってこない。若い人が市議会議員に立候補しようと思っても、30万はかなりのネックになるだろう。もっとも親や親類、同窓の友人なんかが支援してくれれば、それほど大変でもない金額だけど。そういう支持がある人だけが出ればいいとも思うが、もっと低くすれば若い人がすぐ出られる。というか、町村議会の場合、供託金はないんだから、市議会もなくていいのではないか。そうすれば、若い世代を政治の場に近づける一策になるだろう。
 
 で、供託金は具体的は法務局に現金または国債などを納める。細かくは「供託」というお金を預ける制度があり、それによっている。このお金は当選するか、有効投票総数の10分の1を超える得票をした候補には返還される。(衆議院小選挙区の場合。)他の選挙、または比例区の場合などで細かい決まりがある。(小選挙区、知事、市町村長などは当選者が一人なので、有効得票の10分の1になる。他の選挙は当選者が複数いる場合があるので、別に決まりが作られる。)
 
 昨年の衆議院選挙の東京13区で見てみる。(僕の選挙区)
 ここでは前回は民主で当選した平山泰朗と言う議員が立候補せず、前回は比例当選だった自民党の鴨下一郎が圧勝した。以下、維新、民主、共産、未来と言う順番で、合計23万179票だった。だから、供託金没収は、23017票以下となる。共産党候補が23091票で、かろうじて没収を免れ、最下位の日本未来の党の候補は没収された。つまり、共産党はギリギリ没収免除か、没収かという場合がある。しかし、自民党や民主党になると、ほとんど戻ってくることが事前に予想できる。

 2010年参院選で、民主党は45人も比例代表区に候補を立てた。(もうみな忘れていると思うけど、その中には、庄野真代、岡崎友紀、池谷幸雄、桂きん枝などがいた。)ひとり600万だから、6000000×45=270000000で2億7千万円にもなる。当選者は16人(これは第一党である)だが、当選者の2倍を超えた候補者の分の供託金は戻ってこないから、7800万ほど没収されたはずである。自民党も35人の候補者をたて、当選は12人だったから、6600万を没収されたと思う。大体の政党は、ある程度候補をたてて少しでも得票を集めようとする。だからたくさんの候補を立てるので、民主、自民だけでなく、みんなの党、公明、共産、社民なども皆たくさん没収されている。今やなき国民新党なんか7人たてて誰も当選しなかったから、4200万円没収である。一体、有力政党にそうやって国庫に寄与させて、なんか意味があるのだろうか。僕には全く意味が分からない。
 
 国政選挙(個人)や知事は国会に議席がある政党の候補はなし、新政党や無所属で出る場合は10万。国政選挙の比例区は、ひとりあたり20万。都道府県議会議員、指定都市市長などは10万。市町村議会議員は、指定都市も含めて供託金なし。と言うあたりでいいのではないか。

 と思うが、全く考え方を変えて、選挙区の有権者の推薦名簿を500人つける(知事選などの場合は人口比に応じて数千人)などと言うあり方に変えることもありかも知れない。この場合、選挙運動を全く変えることになる。「事前運動」はOKである。というか、選挙運動の前に「立候補運動」、私に一票をではなく、私を立候補させてください運動が先にあるわけだ
 (選挙運動の話は終わりにして、選挙制度や一票の価値に関する誤解を先に書いておきたい。)
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文書の自由を-選挙を変えよう③

2013年05月08日 23時45分49秒 |  〃  (選挙)
 ネット選挙が今まで認められなかった理由は、総務省がホームページを「文書」とみなしたからだが、それはおかしかったのではないかと書いた。そういう、「果たしてホームページが文書に当たるかどうか」と言う問題もあるけれど、そもそも文書だとしたら一体なぜダメなのか

 今の公職選挙法では、選挙運動に非常に細かい制限が付けられていて、演説や電話に比べてチラシを配ったりハガキを出すのが不自由がある。常識で考えて、迷惑度が高い街頭演説や電話の方を禁止して、家にチラシを配ったりハガキを出す方を自由にすべきではないのか。候補者でもそうなんだから、有権者の方は個人的な文書を配ることはできない。もちろん言論、表現の自由はあり、信書の秘密もあるから、こういう候補者がいますと郵便で知り合いに知らせることは違法とは言えないだろう。でも、誰々に投票をお願いしますというチラシを個人で作って、住んでいるマンションのメールボックスにまいて行くということはできない。(選管に届け出たチラシを配ることはできる。)

 自分で郵便は出せないけど、選挙ハガキと言う不思議なモノが届いたりする。一体あれは何だろう。あれも個人で切手を貼って出してはいけない。候補陣営に集約してまとめて出すことで、何と無料になる。(ハガキの印刷は候補者負担だけど。)民営化した日本郵便がなんでそういうハガキを扱わないといけないのか。しかも、衆議院選挙の小選挙区候補は3万5千枚まで出せるのに、都議選なんかたった8千枚である。足立区の有権者は50万人以上いる。衆院選は西の方が北区と一緒になり東京12区、残りが東京13区。だから足立区全体で6人を選ぶ都議選の方が有権者が多い。50万のうち8千では、2%にも届かない。(時々選挙ハガキが来たりするけど、妙に入れないつもりの陣営から来るのも不思議だ。)

 さて、このように文書制限が厳しい理由を考えてみた。以下は憶測で証拠はない話だけど。まず日本では選挙は「外来思想」であって、「議論して一番いいと思った候補に投票するもの」ではなかったのである。もちろんタテマエとしては、選挙で議論をすることを否定できない。だから選挙でビラやチラシを配ることもできなくはない。でも、選挙と言う制度を簡単に言えば、地域のボス(よく言えば「名望家」)を名誉職に送り込むシステムだったわけである。だから、議論をする必要はない。一応政策めいたものはあるけど、基本は「目上のものが談合して決めた候補者」を「目下の者は黙って投票所に行って名前を書いてくればいい」ということになる。

 こういう地域有力者の保守政党に反発してできたはずの「革新政党」(社会党)にとっても、選挙は労働組合や(昔は)農民組合の中の「名望家」を名誉職に送り込む装置だった。公明党や共産党だって、候補者決定の予備選があるわけではなく、中央で決まった候補者を地域の運動家が一生懸命応援するわけである。「身内の票固め」がまず選挙運動であり、相互に議論する場ではなかったわけである。

 だから選挙は候補を信じて有権者に「一任」をお願いする場である。保守政党の候補にいれると、平和が脅かされたり、生活が破壊されるなどという「革新政党のデマ」を書いたビラが大量にばらまかれたら、それは困った事態となる。それが本当のことだからではなく、議論をする場でもないのに一々細かい政策を突っつくこと自体が「秩序破壊」に見えるわけである。ビラを作るのが得意なのは、何と言っても労働組合である。自由にまいてよかったら、組合員が勤務後にガリ版を切って輪転機をまわし、刷り上がったビラをどんどん撒いて行くだろう。そういう心配が、文書制限の本当の理由ではないか。

 もう一つ、文書を撒くというのは、事実上の戸別訪問に近い。戸別訪問そのものも、もう解禁してよいと思うのだが、日本で禁止されているのは「買収の危険」だという話である。家を訪ねるのを自由にしたら、確かにそうなることもある。選挙運動ではなくお参りだと称して、有権者の家に線香を配って買収に問われたケースもかなりある。ビラまきを自由にしたら、その時にビラ以外の金品も置いてくるかもしれない。また、保守党候補は会社やお店の経営者、あるいは有力支持者に有力企業が付いていると言ったことが多い。ビラが事実上のクーポン券になることもあるかもしれない。そういう心配をしだすとキリがない。

 しかし、もうそういう心配をする時代ではない。インターネットを選挙に解禁するとはどういう意味だろうか。単に便利なツールを許可すると言うだけなのか。そうではないはずである。戸別訪問を許可して、現金やモノを配る陣営があるとする。今では、それは録画録音されてネットに投稿されるだろう。あるいは配ったものがデジカメで撮られて、ブログやツイッターで世界に発信される。あるいは警察に通報される。そういうことがあるかもしれないと思うから、多分どの陣営もそんなことは今やできない。

 文書もそうである。ネットはもともと21世紀になった頃から、パソコンの普及により日常化していった。それ以前に日本ではワープロが普及していた。ワープロとは、文書処理機能に特化したパソコンである。80年代半ば以後、もう手書きの試験問題などは学校で少なくなっていた。ワープロは一機で印刷できたが、パソコンはできない。だからパソコンを買った人は、ほとんどはプリンターも買っているはずである。プリンターの普及で、「家に印刷所ができた」と漫画家のサトウ・サンペイさんが昔書いていた。実際、犬が行方不明などというチラシが、昔は手書きの殴り書きみたいだったのが、最近はカラーで犬の写真を入れたきれいなポスターみたいな物になっている。

 家に印刷所があるのと同じ社会になったのに、なんで文書を選挙で利用できないのか。選挙ハガキはやめて、個人でハガキで知人に投票を呼び掛けるのを自由にしたらどうか有権者がビラを作って周囲に配布するのを自由にしたらどうか。もちろん、デマを書いてはいけない。誹謗中傷はいけない。刑法の名誉棄損に触れるような言論は当然してはならない。それに加えて、「選挙妨害」になるビラ配布は取り締まらなくてはならない。配布責任者が書いてないビラは、もちろん「怪文書」で選挙妨害である。でも、皆が議論できる社会を作るためには、ネット上の議論ができるだけではなく、ネットを使えない高齢者もいるんだから、有権者の文書配布を自由化することも必要だと思う。それが、ネット解禁、つまりパソコン使用環境の広がり、つまりはプリンターが多くの家にあるという社会にあった選挙運動ではないかと考えている。
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映画「偽りなき者」

2013年05月08日 00時30分07秒 |  〃  (新作外国映画)
 デンマーク映画、トマス・ヴィンダーベア監督「偽りなき者」を見た。昨年のカンヌ映画祭で最優秀男優賞を獲得した映画。非常に重くて暗い傑作で、それは最高賞の「愛、アムール」や最優秀女優賞の「汚れなき祈り」なんかも同じだけど、この映画の方がいい気がする。東京では、ヒューマントラストシネマ有楽町で上映中。今週は昼一回。来週は昼と夕方。なお、カンヌで受賞した「闇の後の光」(東京国際映画祭で上映)や「リアリティ」(イタリア映画祭で上映)一般公開して欲しい。またウォルター・サレス監督がケルアックを映画化した「オン・ザ・ロード」はどうなった?)


 デンマークの地方の小さな町、そこでは男たちが集って鹿狩りをするような町である。ルーカスは妻と別れ一人息子に会えない状態。一人暮らしで、幼稚園に勤めている。親友の幼女クララと仲良くなるが、ちょっとしたことでクララは、幼稚園内でルーカスに性器を見せられたというような証言を園長にしてしまう。そこから、皆がクララの証言のみを信じてしまい、ルーカスは性的変質者とみなされ地域社会で孤立してしまう。息子は心配して駆けつけるが、その眼前で逮捕までされてしまう。クララに次いで多くの証言が出てきたと言うが、その証言はみな「地下室でいたずらされた」というもので、警察が調べると地下室そのものがない。だから釈放されるが、どこでも受け入れられない状況が続く。

 非常に重苦しい映画で、主演のマッツ・ミケルセンが熱演。ずっと画面はミケルセンを映しているので、クララがちょっとした悪意でウソを言ったことは観客に判っている。(クララの贈り物をクララからだけ受け取るわけに行かないので返したことへの仕返し。)観客が「本当はどちらが正しいのか」と判断に迷うような映画ではない。だからこそ、あれよあれよと言う間に、地域の中で「変態」と決めつけられ排除される怖さが際立つ。これは世界中で、似たようなことが起こる怖さがある。原題は「狩り」で、狩猟シーンがあることと、「魔女狩り」の風土という両方の意味だろう。ルーカスも鹿を狙うが、鹿のように狙われる存在にいつ転落するか、誰にもわからない。

 内村鑑三以来、日本人にとってデンマークはいい国の代表のような感じだが、最近よくあるデンマーク映画を見てると、どこも同じだなと思う。日本でも「痴漢冤罪」という出来事があるが、決めつけられたら言い分を聞いてもらえないことが多い。特に性的虐待の問題は、「被害者」を保護する必要から、ウソを見抜けないこともある。そういう話の小説や映画もかなりあったと思う。この映画の場合、クララは「線をまたげない」という「こだわりの強い」タイプで、ある種の発達障害的な部分がある。そこを考えると、非常に丁寧な対応が必要だったと思う。

 ルーカスは前に勤めていた学校が閉鎖になり、幼稚園に勤めていると冒頭部分で説明される。学校が閉鎖になるというのは、過疎の町と言うことかなと思った。でも、だから幼稚園に転勤するというのは日本では考えられない。それに「42にもなって幼稚園勤務とは」というセリフも理解できない。なんだか「幼稚園の仕事は幼児相手だから、大人の男の仕事ではない」というイメージがあるんだろうか。そうだとすると、「そういう仕事をしてるのも、幼児に性的関心があるからだ」という偏見が裏に潜んでいるのかもしれない。

 デンマークは近年、映画が評判になることが多い。2011年のアカデミー外国語映画賞の「未来を生きる君たちへ」を作ったスザンネ・ピア監督は、もうすぐ「愛さえあれば」という映画が公開される。ラース・フォン・トリアーという個性の強い監督が90年代以後活躍をつづけ、その影響下に若手がどんどん出てきたという国である。この映画の監督、トマス・ヴィンダーベアもそのラース・フォン・トリアーの唱えた「ドグマ95」という映画運動から出てきた人である。その最初の作品「セレブレーション」はカンヌ映画祭で審査員賞を取っているが、どうも「ドグマ倒れ」の感じがあった。(「ドグマ95」とは、ロケのみ、効果音ない、手持ちカメラのみなどというドグマに則って映画を作るという運動である。)前作「光のほうへ」も暗いなあと言う感じが強い映画だった。今回の「偽りなき者」も暗くて怖い映画なんだけど、この主人公は一体どうなっていくのだろうか、なんて強いのか、逃げ出さないのかなどと言う気持ちで、ずっと緊張して見続けてしまう。で、どうなるか、一応、翌年の狩りには受け入れられたかにも見えるが…。
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ネット先行告示制度を-選挙を変えよう②

2013年05月06日 23時48分42秒 |  〃  (選挙)
 選挙にインターネットを使えるようになると、候補者への中傷や誤解の基づく批判が増えるという心配をする人がいる。当然である。実際、今以上に増えるのはごく自然な想定である。投書したり電話したりするのに比べて、インターネットの掲示板に匿名で書きこむ方がずっとハードルが低い。現にいっぱい、中傷的な書き込みがある。選挙期間だけでなく、政治家や政党に関するネガティヴ・キャンペーンのようなものは常に起こっている。

 では、どうすればいいのか。監視を強め削除を容易にするとか、罰則を強化していくというのも考えられるけれど、それはなかなか難しいし、一度広まったマイナスの情報は消しがたい。アメリカや韓国ではネット選挙で若い人の関心が高まったというようなことを言う人がいるけど、日本の今の状況では果たしてうまく行くだろうか。「政治問題に自分の考えを持ち、お互いに議論し合う」という選挙運動の前提が日本社会に欠けているのではないか。09年総選挙では自民党が、12年総選挙では民主党が、それぞれ「マイナスのレッテルを貼られる」という社会のムードで選挙結果が決まってしまったとも言える。そういう社会では、いったん候補者にマイナスの書き込みがネットで相次ぐと、それが中傷や誤解であっても当落を左右することもありうるだろう。だからと言って、「マイナス情報を監視しあう」というやり方だけでは、皆がネット選挙を怖がるだけになりかねない。

 僕はネットを選挙に使うのは必然だと思っているけど、だからと言ってすごくうまく行くとも思っていない。Facebookやツイッターで、憲法や経済政策などがマジメに議論されることもあまりないだろうと思う。大体ネットでも政治について発言してるのは一部の人で、大多数の人は趣味や家族のことなんかしか投稿していない。だから一部の人はレッテル貼りに熱中するかもしれないが、そういう「強い意見」はスルーされるだけの可能性が高い。むしろ問題なのは「ファッション批評」とか「誤解」「誇張」の方だと思う。ファッションというのは、ネクタイの柄がどうだとか、美人候補かどうかどか、今でもそんなことばかり見てる有権者は結構いる。それが候補者のFacebookに書き込めるようになると、有権者どうしで「候補者のイメージ」論争になり、「ダサい」と決めつけられたら、「そういう人には入れたくないね」と書き込む人がいて、その投稿に「いいね」が殺到する。そうすると、そこまでの気持ちがなかった人でも「この候補者はダサいと思われていて若い人は投票しないらしいから、自分もやめようか」となる。そういうことはありそうな感じがする。

 では、どうすればいいのか。それは「ネット熟議」がどうすれば成り立つかと言う問題で、今のところ誰にも解答はない。ただ言えるのは、選挙期間が短いほど、誤解や非本質的な書き込みの影響力が強いと思われることだ。一度訳の分からない誤解が広まると、そのイメージを打ち消すのに時間がかかる。今までは、「選挙にはカネがかかる」=「だから、大組織に支持されないと当選が難しい」=「選挙はできるだけ公営で行い、カネのかからない選挙にしよう」という考えが一般的だった。そういう考えのもと、選挙期間も非常に短くなっている。でも、それには疑問がある。なにより、現実にもうすでに「都議選立候補予定者のポスター」が街には氾濫しているではないか。これは「事実上の事前運動」である。しかし、それが許されるのは何故かと言えば、選挙運動ではなく、政党の政治運動のポスターになっているからだ。「都議選で一票を」などとはポスターに書いてない。大きく政党名と顔写真が載っていて、近づいてよく見ると、(あるのかないのか判らない)演説会のお知らせなどと書いてある。選挙のはるか先の半年後の日付になってるのもあり、ホントにあるのか疑問だけど、そういう集会の告知の政治活動と言うタテマエになってる。

 そんなことが許されているんだったら、もうネット上の選挙運動だけでも解禁して欲しいくらいだ。まだ一部候補者が決まってないところもあるようだが、大体は出そろっているようだから。ポスター掲示板が作られ、選挙カーが街を回るのは先でいいけど、ネット上だけで「先に立候補受け付け」を開始してしまうわけである。今までは「選挙運動はカネがかかる」「選挙運動は迷惑もかかる」という発想が強かった。しかし、ネット選挙なら、それほどカネがかからない。そもそも候補者になるくらいの人は、すでにホームページがあることが多い。Facebookやツイッターのアカウントも持ってる人が多いだろう。そこで立候補を宣言して、政策論争を始めるのを認めればいいだけのことである。

 今、いったい何日くらい選挙運期間があるのかというと、公職選挙法で以下のように最低日数が決まっている。
 衆議院議員=解散の場合、解散から40日以内で、少なくとも12日前に公示。(任期満了の場合はまた別)
 具体的に去年の日程を見ると、11月16日に解散、12月5日に公示、16日に投票である。つまり、法で決める最低日数の12日間の選挙運動期間になっている。そこで、他の選挙では、この「少なくとも○○日前に告示」と言う日数を調べてみる。(なお、日本国憲法の天皇の国事行為の中に「総選挙の公示」がある。そのため衆議院選挙は公示というが、その他の任期満了(または前任者辞任、死亡)の選挙は告示と言っている。)
 
 参議院議員=少なくとも17日前に告示
 都道府県知事=少なくとも17日前に告示
 指定都市の長=少なくとも14日前に告示
 都道府県議会議員、指定都市議会の議員=少なくとも9日前に告示
 その他の市議会議員及び長=少なくとも7日前に告示
 町村議会議員及び長=少なくとも5日前に告示
 
 今、さいたま市長選挙が行われいるが、5日告示で19日投開票。きっかり最低の14日間の運動期間になっている。
 しかし、国政をゆだねる国会議員を選ぶ期間が、2~3週間しかなくていいのか。普通、町村より市が広く、さらに都道府県がさらに広いから、広い方が期間が長いのが判るけど、広い北海道や離島の多い沖縄でも均一に「17日間」でいいのだろうか。

 選挙が長いと、おカネもかかるが体力も大変。さらにその間、政治判断が停まってしまう。現職が引退し、次を選ぶ選挙なんか、一月も二月もやってると、その間の行政がストップして弊害が大きい。今まではそう思われていたと思う。だけど、選挙期間が短いと、有力支持組織を固めるのに精一杯で、無党派の場合、候補者のことをよく知らないうちに投票日がくる。イメージで投票するのはそういう理由もある。党内の候補者選びの段階からネット選挙で行えば、ずいぶん関心を呼ぶのではないか。

 僕はネットを活用する選挙にしていくには、少なくとも国政選挙は1か月、知事も1か月、地方自治体議員の選挙は2週間は欲しいと思う。その間の「選挙カーの演説」が聞きたいわけではない。それはうるさくて迷惑である。だから「ネット上でのみ、先に立候補を受け付ける」という「ネットのみ選挙運動期間」が欲しいという気がするのである。
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ネット選挙の「解禁」-選挙運動を変えよう①

2013年05月05日 00時14分57秒 |  〃  (選挙)
 選挙の話を何回か。参院選や都議選の問題もあるけど、それはまた別個に考えたい。いわゆる「選挙制度」、つまり小選挙区とか比例代表制とかいう問題も、本当はそれが一番関心があるんだけど、また別にする。今回は「選挙運動のやり方」に絞って何回か考えたい。

 まず、「ネット選挙」の問題。これをマスコミはみな「解禁」と書いている。多くの人も「今まではネット選挙は禁止されていた」、しかし「今度法律が変わって許可された」と思っているのではないか。まず、この認識がおかしい。「解禁」というのは、「禁止が解除された」と言う意味だが、では今まで法律(公職選挙法)のどこかに「インターネットを選挙に利用することは、これを禁じる」とか、「選挙が公示された後にあっては、ホームページを書き換える行為は、これを禁じる」などと書いてあったのか。実はそんなものはなかったのである。法律で明文で禁じていないのに、なぜ皆が禁止されていると思い込んでいたかというと、行政官庁が「法律に違反する」と勝手に解釈していたのである。そういうことが許されるんだったら、「脱法ドラッグ」なんて言う言葉がどうしてあるのか不思議である。

 人を逮捕、起訴し、有罪とするには、法のなかに明文を持って禁止されている必要があるだろう。新しい合成薬が出てきて対応が遅れてしまうと「脱法ドラッグ」とされる。(「法の精神」から言って「合法」とは言えず、やがて「違法」となると見込まれるけど、まだ法で明文化されてないから「脱法」と言うわけである。)つまり、公職選挙法に書いてなかったんだから、今までもインターネットを選挙で利用することは違法ではなかったというのが正しい法の解釈のはずだ。それなのに誰も思い切って使わなかった。行政官庁の解釈に反する行為を取って、マスコミで大きく取り上げられたりして不利に働くのを、どの党どの候補者も避けていたのだろう。「違法」でないにせよ「脱法」と見られたら、「和を乱す」「空気が読めない」と思われ支持を減らすかもしれないのが日本という国である。このように、憲法で決まっている国権の最高機関=国会の立法権よりも、実質上は中央官庁の行政権の方が上なのである。そういうトンデモナイ憲法違反の「人治」が日本政治の本質にある。

 では一体どういう解釈をすれば、インターネットが禁止になるかと言うと、公職選挙法第142条第1項で禁止されている「選挙運動のために使用する文書図画」にホームページがあたると解釈するのである。法律では「選挙運動のために使用する文書図画は、次の各号に規定する通常葉書並びに第一号から第三号まで及び第五号から第七号までに規定するビラのほかは、頒布することができない」と確かに書いてある。この規定自体が時代遅れだと思うが、それはそれとして「ホームページを更新すると、文書を頒布したことになる」という解釈はムチャクチャであると僕は思う。電子メールならともかく、ホームページは見たい人しか見られない。世の中には無数のホームページがあるが、そのほとんどは全然僕に頒布されてこない。自分で検索して探さないと、ホームページに行きつかない。(まあ今は、誰かのメールやFacebookなどに載ってるのをクリックすることが多いかもしれないが。)それを「文書頒布」と言うのか。

 それともう一つ、インターネットの本質をどう理解するかと言う問題がある。ホームページは印刷ができる。紙に政見が印刷されたら、それは立派な文書に違いない。候補者がどんどん更新して、それを支持者が印刷して周りに配ったら、これは確かに違法文書の頒布になるだろう。(それは今後も同じ。)でも、普通は印刷しないで、いろんなホームページを見るだけだろう。例えば、今度どこかへ旅行したいと考え、いろいろ旅館やホテル、口コミなどをネットで調べて、評判を確かめるとする。その結果ネットで予約して確認のメールが来たら印刷するかもしれないけど、それまでのネットサーフィン段階では普通印刷したりしない。頭の中を通り過ぎていくだけのものを「文書」と強弁するなら、街頭演説も電話での投票依頼も全部文書になってしまう。印刷しないで見てるだけなら、ホームページ(ブログ、ツイッター、Facebookなど)は、本を読んだり電話を掛けたりするのに似ている。実際、かなり多くのインターネットの情報は、電話線を通して「頒布」されている

 昔は誰かに頼みごとがあれば、①直接訪ねて行く②手紙やはがきを書く(電報も含む)というのが手段だった。その後50年くらい前から、多くの個人宅に電話が普及し、③電話で話をするというのが加わった。選挙運動では、個人が自由に運動する場合、①②が禁止されている。しかし、③の電話は認められている。インターネットを使うというのは、法で整備されていない段階では、行政官庁が①②③のどれかに類推して判断するわけである。今までは②の手紙やはがきの文書に近いとされていたけど、ネットの本質を見れば③の電話の方が近いのではないかと思う。

 さて、面倒くさい議論をしたかもしれない。僕が言いたいのは、今回の「ネット選挙解禁」は大きな問題を残しているということである。それは、有権者が電子メールで投票を依頼することができないということである。われわれは表現の自由、政治活動の自由を持っている。選挙運動が制限されている立場の職業もあるが、そうでない国民であれば選挙ポスター貼りを手伝ったり、電話で投票を依頼することができる。なのに、なぜ「電話線を通して電子メールによって選挙運動をする」というのが禁止されるのだろうか。(もちろん実際は、友人同士のメールを誰もチェックするわけには行かないから、支持政党のはっきりしてる知人が電子メールを送ってくることは防ぎようがない。)それは電話の類似行為だから、文書違反とは言えないと思うし、禁止する理由がない。Facebookで候補者の発言に「いいね」をクリックすることが許可されるのに、個人的にメールを送ってはいけない理由が判らない。

 というより、もっとはっきり言ってしまえば、文書と電子メールを解禁して、電話を禁止して欲しいのである。プロになると、電話の受け答えで投票可能性が判るらしいが、普通の人にとっては一番迷惑なのは電話が掛かってくることだと思う。昔のクラスメイトが某党の支持者だとする。いつも投票依頼があるとして、①候補者のチラシを送ってきて、よろしくと書いてある ②電子メールが来て、投票をよろしくと書いてある ③休日や夜に電話が掛かってきて投票を是非と頼まれる という3つの中でどれが一番いいだろうか。一番ウットウシイのが電話なのは間違いないのではないか。昼間は仕事してるという場合、夜や休日に掛けてくることになる。では、一番望ましいのは何か。電子メールではないか。全く支持してないなら削除すればいい。読むことさえなく棄てられる。チラシの場合は物質だから、自分で屑かごに棄てに行かないといけない。一方、質問があればヒマな時に返信すればいい。もっと詳しくその候補者や政党について知りたければ、メールに紹介されているホームページを見ればすぐ判る。自分も応援したければ、Facebookで「いいね」をクリックすれば、その候補や党の情報が日々入ってくる。もちろんそのくらい支持政党や支持候補がいれば、自分で候補者のページを見つけてメールアドレスを登録すれば、候補者のメールは認められているから、そういう「公式電子メール」は見られる。でも、僕たち一人ひとりの「表現の自由の行使としての電子メール」が使えない。これがおかしいと思うのである。

 実際は電話は禁止できないだろう。売り込みのセールス電話も禁止できないのだから、選挙電話も認めざるを得ない。選挙運動として定着してるし。でも、それならなおのこと、個人の電子メールも許可されるべきだと僕は思う。と言うのが第1回目の話で、ではそういう個人メールを許可すれば、一方的な誹謗中傷、成りすましメール、あるいはそういう悪意はないとしても誤解や思い込みの発言がネット上に拡散してしまうのではないかという危険性の問題は次回に。
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