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尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

「新しい左翼入門」-新書④

2012年10月30日 20時31分45秒 | 〃 (さまざまな本)
 松尾匡(まつお・ただす、1964~、立命館大学経済学部教授)さんの「新しい左翼入門」(講談社現代新書、7月刊)。この間新聞に簡単に紹介されていて買う気になった。出たときは買わなかったのである。何故かというと、この書名と目次にちょっと疑問を感じたわけ。この書名は「新しい左翼」の入門という意味ではない。どこか世界に「新しい左翼」があって、その入門書なんかではない。それは当然なんだけど、では「新しい」「左翼入門」書というわけだけど、目次をみると「近代日本左翼運動史」である。いまどき、大正期のアナ・ボル論争とか、昭和の福本イズム講座派・労農派なんて、読む気するか?ってなもんである。大体、福本イズムなんて知ってる人、どれだけいるのか? もちろん知らないでも読める。というか、知らないものとして解説された本だけど。


 まず最初に大河ドラマの話が出てくる。78年の「黄金の日々」、79年の「草燃える」、80年の「獅子の時代」、この3作が大河ドラマの黄金時代なんだと。これらは「裏切られた革命」3部作だったらしい。僕はその頃は大学(大学院)生で、もう大河ドラマは見なくなっていたから、これらは見ていない。特に、最後の「獅子の時代」。これは明治維新期を扱っていた。新しい近代国家を作ろうと理想に燃える男たち。しかし、出来上がった明治国家はまた民衆を抑圧する体制ができてしまったのだった…。薩摩藩士刈谷嘉顕(加藤剛)はイギリスに留学し、日本の現状を憂慮し、正義感と理想主義のために失脚してしまう。一方、下級会津藩士平沼銑次(菅原文太)は、会津戦争に敗れ、五稜郭に敗れ、極寒の斗南(下北半島)に追われ、行くところ、行くところ抑圧と理不尽に見舞われ、闘っていく。最後は秩父事件の農民とともに武装蜂起する。欧米に学んで私擬憲法を作った嘉顕が書いた「自由自治」が、銑次に伝わり「自由自治元年」の旗が秩父に翻るのだった…。

 っていうストーリイだったらしい。なかなかすごいじゃん。見たかった。で、日本の左翼運動史は、この「嘉顕の道」と「銑次の道」の相克だった、という観点で、運動史を洗い直した本。こういうのは「社会学」らしい。帯にそう出ている。「歴史社会学」「知識社会学」という分野があって、細かい実証を必要とする歴史学に比べて、大胆にまとめるには向いている。面白いには面白い。「嘉顕の道」っていうのは、ヨーロッパの近代に学ぼう、ロシア革命の共産党が正しい、誰それの思想が一番新しい、これが最新の学問だと、上から決めつけて日本を良くしようと言う路線。「銑次の道」は、ここに苦しむ民衆がいるではないか、ここに問題ありと下から問題を突き付けていくような運動のあり方。それが運動の基本ではあるけれど、その銑次路線も大きくなる場面では、大組織の経営と言う問題が出てきて、ワンマン指導者が運動を乗っ取ってしまったりする。どっちがどっちと言うことではなく、とにかくそういう二つの道が相争い、常に分裂し、内ゲバしてきたのが近代日本の左翼だった。というか、実は右翼も同じ、とちゃんと書いてある。どこでも社会運動は同じとも言えるけど、特に「遅れてきた帝国主義国」の日本では、そういう面が多かった。

 だから、明治の話も大正の話も、昭和も戦後も、似たようなことが繰り返してきたということになる。「左翼」は学ばないのか。日本では、十分学んだ人は左翼を卒業してしまうのかもしれない。若い時はバリバリの左翼だったという人は、保守政界、財界にとっても多い。学ばないのかというあたりの話は、最後の方に少し触れてあるけど、「市民の自主的事業の拡大という社会変革路線」という章の名前が方向性をよく示している。「ワーカーズ・コレクティブ」とか「NPO」とか。僕もそれしかないと思っている。どこかの党がなんとかしてくれるもんでもない。でも、国会で多数を占めないと変わらないことも多い。それはそれで、とても大事なことだと思う。

 僕が面白いと思ったのは、最後のところに出てる左翼の定義
 「世の中を横に切って上下に分けて、下に味方するのが左翼」、「世の中を縦に切ってウチとソトに分けて、ウチに味方するのが右翼」というのである。うまいね。座布団5枚ぐらい? で、左翼は右翼のことを「世界を上下に分けて、上に味方するヤツラ」と思ってる。右翼は左翼のことを「世界を内外に分けて、外に味方するヤツラ」と思ってる。でも世界の切り方がお互いに違うので、相互誤解しているという。お互いに自分の切り方で世界を見ているわけ。なるほど。
 
 さらに、世界を上下に分けて上の味方をするのは何と言うべきか。これは「逆左翼」と呼ぶべきだと言う。下の味方ではないけど、世界の切り方は左翼と同じなのである。一方、世界を内外に分けて外の味方をするのは「逆右翼」。問題は、自称「右翼」の中に「逆左翼」が紛れ込んでいることだという。右翼的なことを言ってるつもりで、やってることは「世界の上の方の味方」という、まあ小泉政権みたいな存在。一方、自称「左翼」の中にも、世界を横に切らずに縦に切ってソトの味方をしてしまう人々がいると言う。まあ、日本にもいた「チュチェ思想派」なんか。日本では「下」の味方をしてるつもりで、外国の「上」を支持してしまう。「逆右翼」という存在。というような、もう頭が痛くなるからやめるけど、なかなか面白いことを言ってる。そういう話を書いてる「あとがき」だけでも読んでみる価値あり。

 僕にとっては、明治や大正も大事だけど、社会党の「協会派」と共産党の問題で終わっては、なんだか「左翼専門家」向けだなあと言う気もした。社会党の「非武装中立」の「平和主義」の問題、「新左翼」の「内ゲバ」問題なんかももっと触れて欲しかった気がする。あっという間に「リベラル」が窒息してしまった理由を解き明かさないと、若い世代も「左翼」できないでしょう。またまた分裂かと思えば、運動に参加する気にならないし。「世界を横に切って、下の味方をしたい」という人は、今もたくさんいる。アジアやアフリカの貧しい子供たち、中国のハンセン病の村人、インドやネパールやマレーシアやベトナムやミャンマーなどにどんどん出かけていって、活動している若い人。震災の被災者のためにできることはないかと活動している若い人。そういう人を僕はたくさん知っている。日本で、日本をよくするために、それらの人々の気持ちが生きるような政治のリーダーシップがないだけで。うーん、「左翼」はまだまだこれから必要な生き方だな。と改めて思った。
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永井愛の新作「こんばんは、父さん」

2012年10月29日 23時45分35秒 | 演劇
 永井愛さんの劇は最近割合見ているんだけど、2年ぶりの新作「こんばんは、父さん」が世田谷パブリックシアターで始まっている。(11月7日まで)


 男だけ、それもたった三人しか出てこないという、永井愛としても珍しい劇。特に前作の「シングルマザーズ」が、女性の苦闘を描く劇と言う感じだったから、意外性が強い。時間も1時間45分で、短い(家が遠いので嬉しい)。父親が平幹三郎、息子に佐々木蔵之介、青年に溝端淳平。平幹三郎は洋の東西を問わず時代劇の印象が強いが、これはまさに今を映す現代劇。三人は老壮青を代表する役柄である。僕は一番若い「ヤミ金取り立て青年」が面白かったけど、感情移入はしなかった。でも帰るときの客の会話では、「私は一番年が近いから、青年に一番共感した」と言ってる若い女性の声が聞こえた。多分、様々な年齢で劇の感想を交わすと面白いのではないか。

 場所はあるつぶれた鉄工所。もはや廃墟のような感じ。そこへ1人の年寄りの男(平)が入ってくる。窓からしのびこんで。町工場には首つり用かとも思える縄が下がっていて、男は首を通してみる。そこへ彼を追ってきた若い男(溝端)が…。この二人の関係は何なのか。どうも男が借りている金を返さず、借金取りに来たのが青年らしい。どうしても返せぬというなら、男の息子に連絡すると言う。アパートの隣の部屋で、もしもの時はここに連絡してという息子のケータイ番号を聞いてきたのだ。それだけはやめてくれ、いやもう家族に返済を求めるしかない…。ついにかけてしまうと、息子(佐々木)が思わぬところから登場し…。この息子も何やら「訳あり」のようである。

 というみな「訳あり」の三人の男たちのドラマが始まる。ヤミ金業界で生きるしかないと思い込んでいる高校中退の青年。カネ返せぬ方が言うことでもないはずが、父も息子も一緒になって、ブラック企業をやめる方がいいんじゃないかと説得したり…。女性は誰も出てこないが、それは女優が壇上に出てこないだけで、親子の会話に出てくる「母さん」の印象は深い。父親よりも、もっと大きいかもしれない。そういう形で女性像も描いている。そして、町工場の発展と没落、バブルとその破産というこの四半世紀のドラマがこの家族を翻弄してきた様子が明らかになっていく。「人間の幸福」はどこにあるのか。

 3人の演技のアンサンブルが面白いし、廃墟風町工場の舞台装置が素晴らしいけれど、中で語られる各人の設定が多少図式的で、「ありがち」なものになっている感じもした。一人芝居、二人芝居はあるけれど、三人で作る劇と言うのは、多少無理があるのではないか。ただ、各世代を描き分けるセリフの妙が楽しめるので、やはり永井愛さんの芝居は面白い。
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映画「希望の国」

2012年10月28日 20時10分40秒 | 映画 (新作日本映画)

 園子温(その・しおん)監督(1961~)の新作映画「希望の国」。この数年来、問題作を連発している園監督だが、今年はすでに「ヒミズ」が公開され、続く「希望の国」は原発問題を正面から描く。ついに国内では資本が集まらず、外国資本も入って製作された。日本の閉塞状況をよくあらわすエピソードである。チラシには「園子温監督最新作」と大きくうたわれ、俳優の名前は小さくしか出ていない。いまや園子温は監督の名で客を呼べる数少ない一人なのか。
 
 とにかく話題作であり、問題作である。じゃあ、傑作かというとその判定は難しい。多分誰にとってもそうではないか。話としてストーリイが判らない部分はない。立派に「社会派エンターテインメント」している。ただ、原発問題をどのように描くべきか、それが判らない。話は何年か後、福島で事故を起こした日本を再び大地震と大津波が襲い、長島県の長島第一原発でメルトダウン事故が起きるという設定。原発近くで酪農を営む老夫婦と若夫婦がいて、その家族(小野家)がいかに分断され追いつめられていくかが、この映画の中心的なストーリイになっている。一方、畑が中心の隣家は夫婦と息子と女友達。その小野家と隣家の間の道が、ちょうど原発から20km圏内の境目となる。隣家は強制的に避難させられ、ペットの犬を置いてあわただしく出ていく。その犬は、小野家の父親(夏八木勲)が避難区域に入って助けてくる。小野家は当面避難しないでよいが、家の裏庭が避難区域になった。

 父親はチェルノブイリの時に買ったというガイガー・カウンターを出してくる。長島原発ができるときは反対していたのだ。そして息子夫婦には早く避難するように強く促す。息子の妻(神楽坂恵)には、これから子供を産むのだから、この本を読めと原発本をたくさん手渡す。隣家の息子の女友達は、家が津波が来た地域にあり毎日二人で避難所から捜索にいく。ある日、その地域も避難区域に指定され出入りできなくなると、知恵をしぼってなんとか入りこむ。小野家の母(大谷直子)は認知症で、盆踊りに呼ばれていると思い冬の避難区域に入り込む。そういう「放射能と津波に襲われた空白の地域」を幻想的とも言える美しい映像で描き出す

 一方で、実家からそう遠くない都市に避難した息子夫婦には子供ができる。妊娠した妻は放射線を怖がるあまり、家の中をシェルター化し、外出するときはいつも防護服を着るようになる。そのことを周りから非難されたり、敬遠されたりして、避難した都市で孤立していく。そして実家のある場所も避難地域に指定されることになり…。小野家の老夫婦はどうするのだろうか??

 僕は評価をためらうのは、この父親と「嫁」の描き方をどう評価するべきか、僕にはよくわからないからだ。原発事故(に限らないと思うが)に見舞われた際の人間の反応のあるタイプ。そう言ってもいいけど、かなり「極端化」されている。もっとも現実もあったことを描いているわけだが、でも実際にはこうならない人の方が圧倒的に多い。原発事故がまた起きたという設定なのだが、もし実際にそういうことになったら、だいぶ違うような気もして、僕はそのリアリティに疑問も感じた。しかし、実際は現実の福島第一原発の事故と避難者を取材する中で作った映画だから、これは「次の事故」を描いた映画ではなく、現在を描いたと見るべきかもしれない。フィクションによって全体を再創造するのも大切な試みだが、まだまだ進行中の出来事は描き方が難しい。

 この映画では、たまたま避難区域で分けられた二組の家族を中心にした。そして見えてきたのは、「絶望の果てにたどりついたのは、長年、苦楽をともにしてきた夫婦愛だった。」(梁石日)「地震や原発事故を過激に描き出すのではなく、突如訪れた悲劇の中で一日一日を必死に生きる人々を繊細かつ感動的に活写する。」(ジョヴァンナ・フルヴィ=トロント国際映画祭プログラマー)ああ、そうなんだろうなと思いつつ、そういう「家族の物語」に回収されていくことへの不安と不満、と言うべきか。映画内のテレビでは、原発事故から他局に変えると、お笑い番組をやって不安にならずに笑っていようと言っている。福島に続き、もう一回メルトダウン事故を起こしながら、真正面から向かい合えない日本社会。

 夏八木勲は長いキャリアにもかかわらず、映画だけでなく、舞台やテレビでも賞に縁がない。老年になっていい味を出しているし、この映画の存在感は非常に大きい。「希望の国」というけど、「希望」はない。監督はWEB上で、「シナリオを書き始めたときに、結末が絶望へ向かおうが希望へ向かおうが構わないと思ったんです。だから、わざわざ希望を見せようとは思いませんでした。実際、取材した中で希望に届くようなものはあまりありませんでした。ただ、目に見えるものの中に希望はないかもしれないけど、心の中にはそういったものが芽生える可能性があると思っています。」と語っている。

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中国映画「スプリング・フィーバー」

2012年10月22日 21時51分31秒 |  〃  (新作外国映画)

 新宿K’sシネマで上映中の「中国映画の全貌」シリーズ。日曜夜の回で、ロウ・イエ監督「スプリング・フィーバー」。おととしの公開作品だけど、当時見逃した。その後名画座等でなかなかめぐり合わず、ようやく見ることができた。2009年のカンヌ映画祭脚本賞、2010年キネマ旬報ベストテン9位。非常に素晴らしい映画だったので書いておきたい。

 これは、昔風に言えば「愛の不毛」を描く、南京の5人の男女の関係を描く映画。ラブ・ストーリイであると同時に、「文芸映画」であり、否応なく「政治映画」でもある。この映画は、中国映画史上初の本格的に同性愛を描く映画である。(「覇王別姫」など直接ではないけれど、同性愛的な感情を描く映画はある。また香港でワン・カーウェイの「ブエノスアイレス」は直接の同性愛関係を描くが、舞台がアルゼンチンだった。「スプリング・フィーバー」は現代中国の様子を描いている。)ただし、一般的な映画ではなく、ゲリラ的に作られた映画である。前作「天安門、恋人たち」(2006)は、天安門事件を扱ったため(ではなく、フィルムの品質の問題にされたらしいが)、カンヌ映画祭での上映許可が下りなかった。

 ロウ・イエ監督は中国での5年間映画製作禁止処分を受けたが、フランスの出資で「スプリング・フィーバー」を作った。中国国内で上映するつもりの映画は、当局の検閲を通過しないと作れない。だから中国では映画製作の自由はないんだけど、国内上映をあきらめれば製作自体が罪に問われたり、撮影中に検閲無許可の撮影を理由に逮捕されたりすることはないらしい。だから「インディペンデント」(個人製作の映画)の映画はかなりたくさん作られている。外国でしか知られていない監督も多い。

 夫の浮気を疑う女性教師が探偵に夫の調査を依頼する。その探偵は夫の相手がジャン・チョン青年であることを突き止め、依頼主の妻に知らせる。夫は友人と称して妻を含めて三人の会食を計画する。妻は翌日、ジャンの職場の旅行社に乗り込み、書類をばらまく。これをきっかけに、夫婦の間も、夫とジャンの間も壊れていく。この3人の関係が前半。一方、探偵と恋人リー・ジンにジャンが絡んでくるのが後半。探偵はいつの間にか追跡するジャンに惹かれていき結ばれる。三人はきまぐれに旅行に行き、奇妙な三人旅が始まる。この間にジャンが通う南京のゲイバーのシーン(実際にあるところをロケしたという)、リーが働くコピー商品の縫製工場での工場長との関係(工場は警察の手入れがありつぶれてしまう)などが挿入され、中国社会の巧みなスケッチがなされる。

 旅行中、リーが酒を買いに行き戻ると、男二人が抱き合っているのを見てしまう。悲しくなったリーは部屋を抜け出る。時間が経ち、ジャンはリーがいないのを心配し探すと、ホテルのカラオケルームで一人で歌っているリーを見つける。二人は理解しあえるか。そこに探偵もやってきて、三人のカラオケ。プ・シューという歌手の「あの花たち」という曲だというが、孤独な魂に寄り添う素晴らしい歌で、心に沁みる。歌はあるがほとんどセリフのない、このカラオケシーンの長回しのカメラが印象的で、素晴らしい。

 この映画の中の孤独は相当に重い。それは「一人っ子」の中で同性愛を生きる孤独でもあるだろう。また、検閲がなく自由な脚本で撮れた反面、大型カメラが使えず小型のデジタルカメラでドキュメンタリー的に撮らざるをえない、この映画の製作事情にもよる。しかし、基本的には都市に生きる若い人間の愛を求める孤独の叫びが世界共通で心を打つと言うことだと思う。「文芸映画」というのは、この映画が南京で作られた事情に関わる。上海は経済が進み過ぎ、北京は政治が絡む。戦前の中国作家、郁達夫(ユイ・ダーフ、いく・たっぷ)の短編小説にインスパイアされて作られたので、中華民国の首都だった南京で撮影されたという。郁達夫の「春風鎮静の夜」という小説は、高校教科書にも載るものだというが、「こんなやるせなく春風に酔うような夜は、私はいつも明け方まで方々歩き回るのだった」という部分が、この映画の基調低音となっている。

 この小説の文は随所で引用され、全体に文芸映画的な香りをつけている。ジャンがゲイバーで女装して歌う場面も興味深い。そういう風俗的な関心、文芸風の香り、政治的な暗喩などを含みつつ、孤独な愛の映画として完成度が高い。監督は事前にアメリカ映画「真夜中のカーボーイ」と「マイ・プライベート・アイダホ」を見せたという。どちらも同性愛が出てくるが、孤独な愛の映画だった。なお、中国では福祉制度が遅れていて、老後は子どもに依存する度合いが高いようだが、一人っ子が同性愛だと孫ができない。心ならずも結婚せざるを得ない同性愛者が多いのだとパンフに書かれていた。中国の情景もオールロケ(ゲリラ撮影)で興味深い。

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雪国の宿 高半

2012年10月22日 00時10分28秒 |  〃 (温泉)
 越後旅行。昼は十日町の小嶋屋総本店で蕎麦を食べた話は昨日書いた。その後、清津峡へ寄って、トンネルを歩く。日本三大峡谷というらしいけど、土砂崩れのあと、10数年前にトンネルができ、途中に4つ見る場所が開いている。紅葉の季節かなと思ったけど、今年はどこも遅れているらしくほとんど紅葉してなかった。清津峡には秘湯の会にも入っている清津峡温泉の清津館があるが、他にも「よーへり」という掛け流しの立ち寄り湯があった。軽く浸かる。

 そのあとは、宿をめざし早めにチェックイン。「雪国の宿 高半」というところ。入るとエスカレーターで、上に上がるという珍しい宿。ここは湯沢温泉の湯元で、800年も昔、通りかかった高橋半六翁が武蔵の国に向かう途中病にかかり、薬を探しに山に入ったら見つけたという。湯沢温泉の一番高台の、ガーラ湯沢に近い方。見晴抜群で温泉街も新幹線も遠くの山々もよく見える。そして、そこに戦前、川端康成が逗留し、「雪国」を書いた。当時の部屋が残され、資料館として開放されている。1957年に作られた東宝映画「雪国」(豊田四郎監督、岸恵子、池部良主演)でもオールロケされ、当時の宿が出てくる。館内ではこの映画が16時からと、20時半からと2回、上映されているという宿である。写真は、その「かすみの間」。中に入れる。
 

 そういう由緒ある宿なんだけど、それよりお湯が素晴らしい。アルカリ性の肌がスベスベする美肌の湯源泉で43度、浴槽ではそれが少し下がるので、人肌にやさしい。奇跡的な湯。こういう温度の温泉は他にもあるけれど、湧出量が多く、アルカリ性の「美人の湯」というのは珍しい。男湯は浴槽二つとサウナ、水ぶろ。女湯に半露天があるが、男湯にはない。男湯の一つはジャグジーだったんだけど、ジャグジーに塩素殺菌が義務付けられたのをきっかけに、止めてしまったとある。その代り、お湯の量を調節して「超ぬる湯」にしている。どちらも泉質が良いので、いつまででも入っていられるような風呂である。


 最近はネットや電話で秘湯や公共の宿に泊まることが多くなった。今回は大手の会社で使える助成金のようなものがあったので、久しぶりに大きな旅館に泊まった。越後湯沢というところはスキーが中心で、夏のアウトドアや川端康成で来る人も多いけど、温泉そのものはあまり意識されてないと思う。僕はこれほどの湯はめったにないと思った。館内は大きいが、金額はそれほどではない。夕食もコシヒカリの新米で、美味しい。地酒もうまい。しかし、朝食はもう少し工夫の余地はあると思うし(おかずバイキングだけど、和風のおかずだけでなくサラダバーは欲しい)、多少古い感じもある。でも、きれいな風呂と「雪国」の施設で十分、大満足。ここしばらく、身体が温泉を求めている感じだったんだけど、だいぶほぐれた感じ。ところで「雪国」という小説も、名前と冒頭のみ有名で、ちゃんと読んだ人が少ないかもしれない。今になるとすごく変な話だけど、言語表現として素晴らしい達成であるのは間違いない。傑作です。ノーベル賞を受けた中国の莫言に大きな影響を与えた。「雪国」に犬が出てくる、それにインスパイアされて「白い犬とブランコ」という小説を書いたというんだけど…。ええっ、犬なんか出て来たか?と日本では皆思った。確かに一行ほど出てくるらしい。(読み直してない。)映画にもちゃんと出て来る。

 翌日も晴れて素晴らしい天気。近くのロープウェイで、「アルプの里」に行く。ロープウェイはあちこちにあるが、ここも紅葉が遅い。遠くの山が一望。越後三山から谷川岳まで絶景。写真は日本百名山の巻機山(まきはたやま)。奥の平の方。手前のピラミッド型の山は飯士山(いいじさん)。午後は大源太キャニオン(だいげんた)へ足を延ばす。東京ではほとんど知られてないが、湯沢の辺りではキャンプなどで有名らしい。ダム湖から見えるとんがった山が「日本のマッターホルン」(言い過ぎでしょう)の大源太山。
 

 2日目の昼は、越後湯沢駅の駅ビルで食べた。いや、ここは素晴らしい。オシャレなお店や土産物屋が立ち並ぶ。新潟駅よりいいかも。「魚沼イタリアン ムランゴッツォカフェ」で食べたピザはここしばらくの中では一番おいしい。カフェ「MESSIA GARE」(メシアガレ)というカフェでは、「コメシュー」180円など、安い値段で美味しいスイーツを。新潟は米良し、酒良し、野菜良し、魚良しの土地なんだけど、恵まれすぎのためか、今ひとつデザインや発信力が弱かったと思う。でも、その場に行くと、温泉やスキーだけでない魅力がいっぱい生まれつつある。越後湯沢駅はわざわざ立ち寄ってみる価値がある。4時間まで駐車無料。
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小嶋屋総本店の蕎麦-新潟旅行①

2012年10月20日 23時56分03秒 |  〃 (温泉以外の旅行)
 19日から20日に越後湯沢に旅行。旅行記の中に食の話を入れてしまうと、印象が薄れるから今回は別立てで。前にも書いたけど、前の家が更地になってマンションを建築中。そのうえ、近隣一帯の水道工事もあって、家の前にはトラックが停まったり、掘り返したり。昼になると車を出せないような日々が続いている。そこで早めに車を出さないといけない。だから8時前には家を出た。山に当日登るようなときは、5時、6時に家を出ることもあったけど、最近は9時、10時に出ればいいやという時が多かった。

 東北道、北関東道(反対車線が事故渋滞で延々とつながっていたけど)、関越道と順調に走り、予定より早く関東を抜ける。そこで思い切って十日町まで足を延ばし、小嶋屋総本店を再訪することにした。ここは3年前に一度行っている。

 小嶋屋というのは、東京でもスーパーで売っていることがある。「ふのりつなぎ」を最大の特徴とする、四角い紙の包装をしている乾麺を見たことがある人もいるだろう。新潟駅ビルにも入っている。これが昔から好きだった。のど越しが素晴らしい。コシと歯ごたえが抜群。乾麺で食べる蕎麦では一番だと思ってる。妻の出身が新潟市で、よく行く機会があったから昔から知っているという事情。ところが、新潟駅に入っているのは、よくみると「株式会社長岡小嶋屋」。今日越後湯沢駅に行ったけれど、そこに入っているのは十日町に本社がある「株式会社小嶋屋」。それと別に「株式会社小嶋屋総本店」というのがあるのだった。のれん分けで、似た名前があちこちにあるというのは、文明堂や吉兆なんかと同じ。もともとは、「総本店」が本家で、二代目の兄弟が、十日町と長岡で別会社を興したということらしい。

 そして、その「株式会社小嶋屋総本店」は、十日町中屋敷というところに、それこそ「総本店」という店を出している。いや、そのことを知ったのは割と最近のことなんだけど、これは行かなくてはいけないということで、3年前に「大地の芸術祭」を見に行ったときに食べに行った。本当は今年も「大地の芸術祭」の年だったけど、夏は暑くて宿も高いから敬遠してしまった。ということで、また食べに行けるとは思わなかった。やはり旅行は早く出るほうがいい。

 どこと説明するのは難しいけど、「千年の湯」という立ち寄り湯のそばなので、そこを目指す。目印は水車。落ち着いた大きな構えの店構え。駐車場も広いけど、かなり埋まっている。
 

 頼んだのは「天ざる」。新潟でよくある「へぎそば」もあるし、季節の松茸ごはんセットなんかもあったけど、普通に天ざるを。待つ間に「ごまをする」。ゴマとすり鉢があって、ゴマをすってお待ちくださいとのこと。蕎麦が来ると、これには本わさびが付いている。これもする。食べる前にいろいろ仕事がある。でも、わさびを自分でするのは、蕎麦を食べるまでに心を高揚させる一番の方法だ。蕎麦は二段重ねのへぎそばに海苔がかかる。ここのそばは、つなぎに「ふのり」(布乃利と当て字を使う)を使っている。これは海藻だが、もとは織物の意図の糊付けで魚沼地方で使われてきたものだという。

 雪ありてこの水あり
  人ありてこの技あり
   織ありてこのそばあり

 とチラシでうたっている。それだけの言葉に負けない、おいしさである。

 最近「蕎麦打ち」ブームなどと言って、「もりそば」しかないような店が結構ある。手打ち、10割そばで、おししいけど、「もり」と言わずに「せいろ」と書いてある。脱サラ店主がそばのうんちくを語りだしそうな、ジャズが流れてるような店。おいしいけど、たかが蕎麦屋なのに、高級すしやかフレンチかというような「権威」がどうもね…という店もある。僕は「蕎麦道系」の店と言っている。もう「道」の域に入っているのではないか。伝説的な椎名町の「」に僕は行ってるし、そういう店も嫌いではない。(あの甲州長坂の清春白樺美術館隣にある「翁」の移転前の店。)でも、「種物」も欲しい。「やぶ」だって、「砂場」だって、天ぷらなどの種物があるではないか。神田やぶの「天だね」など、絶品中の絶品である。何もカレーやカツ丼がなくてもいいとは思うけど、ある程度いろいろな種類が欲しいし、ご飯ものもおいしいのがあっても悪くない。小嶋屋総本店の魚沼産新米コシヒカリを使ったご飯ものも実に美味しそうだったけど。

 乾麺を売ってて、首都圏ではそれで知られているようなところで、本店で食べられるような店。それは蕎麦では小嶋屋総本店。うどんでは、秋田湯沢市稲庭町の「七代目佐藤養助本店」(稲庭うどん)。これにつきるのではないか。麺好きなら一度は訪れたいところだと思う。 
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追悼・若松孝二監督

2012年10月18日 20時36分58秒 |  〃  (日本の映画監督)
 若松孝二監督が交通事故で亡くなった。1936年4月1日生まれで、満76歳だった。奇しくも今年1月に交通事故で死亡したギリシアの映画監督、テオ・アンゲロプロスも76歳だった。近年になって大活躍していて、今年だけで新作を2本公開された。さらに中上健次原作の「千年の愉楽」が来月にも公開予定である。そういう映画監督が交通事故で亡くなってしまったのか。そんなことがあって良いのか。

 映画の中身は連合赤軍とか三島事件だった。さらに戦争と性を追及して、ベルリンで寺島しのぶに女優賞をもたらした「キャタピラー」。低予算の映画作りを実践し、その分を観客に還元、低料金で公開したという監督である。映画祭やトークショーなどにもよく出かけていった。来月の多摩映画祭でも、トークが予定されていた。76歳といえども、まだまだ元気。生きていたら、もっと若松監督に映画化しておいて欲しかった同時代史がたくさんあった。
 
 若松監督の独自な所は、ピンク映画出身だったことである。当時の映画監督は、松竹とか東宝とか、大手の映画会社の採用試験に合格して助監督経験を積んだ。ところが大手映画会社の外で、安いポルノ映画がたくさん作られていた。これを「ピンク映画」と呼んだ。(「不良少年」が「不住異性交遊」するのを、昔は「桃色遊戯」と呼んた。その意味での「桃色映画」。)若松監督は高校中退で、そういう学歴だと大手には入れない。偶然のきっかけでピンク映画に出会い、自分の表現を獲得していった。その後、大手は新入社員を取らなくなってピンク映画出身が監督が増えた。そのはしりが若松孝二だった。

 若松孝二の名前(悪名?)は、1965年の「壁の中の秘事」でとどろいた。団地で悶々とする受験生と人妻を扱った成人映画が、なんとベルリン映画祭に正式出品されてしまったのだ。日本の正式出品作は落とされ、買い付けた映画会社が出したものを事務局が独自に選定したらしい。国内で見るのも恥ずかしい「下品な映画」が、よりによって「日本代表」。何たる国辱!と怒った人が多かったらしい。この時の映画祭当局は先見の明があったというべきだろう。大傑作かと言われれば疑問はあるが、確かに才気ある独自の表現だったからである。

 日本映画界の異端児となった若松孝二は、自分の若松プロで独自のピンク映画を量産した。表現的にも、政治思想的にもどんどん過激になっていった。映画界本流からは無視され通しだが、60年代末の日本映画は若松孝二を抜かして語れない。若松プロで若い才能も発掘し、「日本のロジャー・コーマン」とでもいうべき存在にもなった。作品はものすごく多いが、誰しも認める問題作、ピンク時代の代表作は「胎児が密猟する時」(66)と「犯された白衣」(67)だろう。どちらもエロというよりグロ、というかスプラッターもの。アメリカのB級映画の一番面白い時のテイストがある犯罪映画である。前者は山谷初男が若い女性を密室に監禁し、後者は唐十郎が看護婦寮に忍び込む。いずれも猟奇犯罪ものだが、その異常犯罪ぶりは時代に先駆けている。後のサイコ・ホラーもののような感じである。
(「胎児が密猟する時」)
 69年の「処女ゲバゲバ」「現代好色伝 テロルの季節」、70年の「性賊(セックスジャック)」や「新宿マッド」など、ポルノ兼政治映画みたいな作品が多くなり、若松の名は若い世代にとどろく。プロデュースした「荒野のダッチワイフ」(大和屋竺)や「女学生ゲリラ」(足立正生)も伝説的な「奇妙な味」映画だった。71年にはパレスティナまで行って「赤軍‐PFLP・世界革命宣言」という映画まで作ってしまった。72年には、ATGで初の一般劇場公開映画「天使の恍惚」を撮り、76年には大島渚の「愛のコリーダ」を製作。こうして、日本映画界の位置も安定していった。

 80年代以後は一般映画を作るようになり、「水のないプール」(82)、「われに撃つ用意あり」(90)、「寝取られ宗介」(92)がベストテン入りしている。特に「寝取られ宗介」の原田芳雄は主演男優賞を獲得する熱演で、原田の代表作の一つ。「われに撃つ…」は、佐々木譲原作のハードボイルド。これも原田主演で、新宿で暴力団に追われる外国女性を助ける元学生運動家の酒場主人を生き生きと演じている。しばらく間があり、2008年に「実録連合赤軍 あさま山荘への道程」という大問題作を発表する。2010年に「キャタピラー」、2012年「海燕ホテル・ブルー」、「11・25自決の日」「千年の愉楽」となる。
(実録連合赤軍 あさま山荘への道程) 
 性的、政治的な映画を作った監督として知られているが、俳優、特に男優に自由に演技させていい味を引き出すのがうまい。映画の構造としては、シンプルなワンテーマ映画が多い。いろいろな人物が様々に絡み合って複合的な世界を作る映画ではなく、一つの視点で描き切る。ピンク映画で会得した映画作りとも言える。「寝取られ宗介」は原作がつかこうへいで、かなり様々な人物が出てくる。「連合赤軍」も長くて人物が多いが、時間の流れは一本である。そういう僕の見方からすると、ただひたすらシンプルに、異様な犯罪を描くだけの「胎児が密猟する時」の緊迫感が一番すごいと思う。

 ただ、見るのが辛いとは思うが、若い世代にも「実録連合赤軍」は見て欲しい。「キャタピラー」も。(ちなみに、「キャタピラー」とは「芋虫」のことで、戦争で手足を失った男を直接に表現している。「芋虫」から、戦車のキャタピラーの意味が生まれた。)三島由紀夫映画の評価は難しい。若松監督の映画らしく、シンプルで判りやすいが、そうなるとあまり面白くないのである。知ってる出来事が絵解きされていく感じなのである。そういうところが難しい。テレビで見たら、これから原発事故を映画にしたいと言っていた。若松監督の原発映画はどういうものになっていただろうか。もう見ることはできない。残念だ。
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今こそ「上野千鶴子」を読もう

2012年10月17日 22時01分16秒 | 〃 (さまざまな本)
 今日買ったばかりで、まだ読んでない。読んでからなんて言ってると遅くなって書かなくなるかもしれないので、今紹介してしまう。上野千鶴子さんの本である。今月の岩波現代文庫新刊。「ナショナリズムとジェンダー新版」(1240円)と「生き延びるための思想新版」(1300円)。
 

 紹介する意味は後で書くが、どちらも「新版」である。だから、元の本を持っているという人は買わなくてもいいと思うかもしれない。でも、この「新版」という意味は重い。「ナショナリズムとジェンダー」には「『慰安婦』問題は終わらない」と帯に書かれている。「生き延びるための思想」は「逃げよ、生き延びよ」。そして「東大最終講義を収録」とある。この本の第Ⅴ章、「3・11の後に」に「生き延びるための思想-東大最終講義に代えて」が収録されているわけである。そして、この「3・11の後に」が311頁から始まるという何という卓抜な編集

 上野千鶴子が「3・11後」を語るという、それだけで「新版」といえども買うべきだ。(もっとも僕は元を買ってないけど。)一方、「ナショナリズムとジェンダー」も、第2部、第3部は全部新たに収録されたもので、特に「アジア女性基金の歴史的総括のために」という書き下ろしの文章が入っている。これは読まないと。岩波の本は町の小さな書店には置いてないことが多い。大型書店かネットで買うことになる。だから意図的に買おうという意思がないと知らずに終わるかもしれない。それも早めに紹介する理由の一つである。

 以上の点だけでも紹介に値するが、上野千鶴子といえば、知的関心がある人なら買わないわけにはいかない存在、だったと思う。ついちょっと前までは。でも、フェミニスト世代も高齢化し、若い人は東大の教授だったエライ人としか思ってない人も多いだろう。上野さんの本といえば、フェミニズムやケアだから、「男は関係ない」「怖いから読まない」という「食わず嫌い」の男どもも多いのではないか。何ともったいないことか。「主張はともかく、芸を楽しむ」という読み方だってできるのが、上野さんの本だと僕は思っている。それは「セクシィ・ギャルの大研究」(これも今や岩波現代文庫で生き延びている)だけだろうと言われるかもしれないが。確かに、「従軍慰安婦問題」に何の関心のかけらもない人は、無理して「ナショナリズムとジェンダー」を読むのは辛いだろう。でも、僕が思うのはむしろ「運動」の側で、上野千鶴子さんの本をもっと読んでおくことが必要なのではないかということだ。

 例えば、「ナショナリズムとジェンダー」自著解題の一節。「『国民基金』の解散は、折しも日本でもっとも保守的な政治家、安倍晋三政権のもとであった。憲法改正を可能にし、教育基本法を『改悪』し、『ジェンダーフリー』バッシングの先頭に立ち、そして2000年の女性国際戦犯法廷のNHK放映に介入した当の政治家が、政権のトップに就いたときである。」「『国民基金』関係者が政治的リアリズムから予見した通り、その後の日本の政治環境は右傾化の一途をたどり、『あのとき』を除けば、『国民基金』が成立する機会は二度とふたたび訪れなかった-のは、今となっては誰しも認めないわけにはいかないだろう。そしてこのようなささやかな『評価』ですら、『国民基金』側に立つ者として裁断されるような原理主義が、運動体の側にあり、それを指摘することすらタブー視される傾向がある。」

 やはり上野さんはすごい、と思った。このような情勢自体、運動体の分裂というようなことも、今や歴史的に追及されるべき問題である。そうでないと、原発問題で同じことが繰り返される。いや、もう繰り返しているのではないか。バラバラに選挙に立ち、安倍政権の再来をもたらすのか。

 そして、「生き延びるための思想」自著解題に、次のような深い言葉が書かれている。「ケアとは非暴力を学ぶ実践である。この目の覚めるような命題に出会ったのは、岡野八代の近刊『フェミニズムの政治学』である。」「『3・11』は圧倒的な災厄だった。その中でももともと弱者だった者たちが、さらに災害弱者となった。女、高齢者、障害者、子ども、外国人…である。無力な者に強者になれと要求することはできない。無力な者が無力なまま、それでも生き延びていけるためにはどうすればいいのか?」

 僕は上野千鶴子さんの本は比較的読んできたと思う。上野さんは社会学なので、専門的な本は読んでないものも多いのだが。でも、現代日本を考えるときに、「上野千鶴子がどう語るか」は常に関心を持ってきた。そういう現代日本の何人かの「知的リーダー」の一人と思ってきたのである。90年代に入って、歴史問題と性教育などで「バックラッシュ」と言われる動きが強まってくる。その先頭をひた走ってきたのは、東京都教育委員会だった。「つくる会教科書」を採択し、「七生養護学校事件」を起こし、「10・23通達」を出し、教員の職階制を強化し、教員賃金の成果主義をすすめ、僕には毎年毎年、毎月毎月、暗い時代が強まっていった。(別に学校現場の生徒は関係ないのだが。)そして安倍政権が出来て、教育基本法が改悪され、教員免許更新制が通った。(さすがに上野さんは、教員免許更新制には触れていない。)

 僕は授業で涙を流したことがただ一度だけある。それは90年代後半に、戦争の特別授業を行った時に、石川逸子さんの「従軍慰安婦」に関する詩を朗読した時のことである。「731部隊展」に関わり、生徒に勧めて感想文を書かせるようなことができた時代だった。そんなことを思い出しながら、上野さんの文章を読み直してみたいと思う。上野さんは、良く知られているように、2011年3月末をもって、東大を早期退職した。以後は「Women'sAction Network」を拠点にし、そのWEBサイトにブログもある。2011年3月というのは、そこで辞めた人が多い時だった。上野千鶴子はその一人、僕もその一人。

 安倍晋三は今日靖国神社に参拝し、沖縄では再び米兵による女性への暴力事件が発生した、そういう日に。
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追悼・丸谷才一

2012年10月14日 22時54分16秒 | 追悼

 今回追悼を書く丸谷才一は昨年の文化勲章受章者だった。「かろうじて間に合った」と言うべきなのか。丸谷才一という人は「小説家」と思われている。確かに僕も小説を一番読んでるとは思うけど、本質は批評家であり、また翻訳家だったのではないか。僕は中学時代に突然「純文学」にめざめたときがあり、三島由紀夫、大江健三郎なんかを読み始めてしまった。その頃芥川賞を受けた丸谷才一、大庭みな子、庄司薫、清岡卓行、古井由吉なんかの名前は、とても親しい感じで覚えた。でも、庄司薫の赤頭巾ちゃんシリーズを除き、ほとんど読んでない。「若い人向け」ではなかったからである。
 
 丸谷才一の小説を初めて読んだのは、大学時代に書評を見て買った短編集「横しぐれ」である。面白かったので、文庫の「年の残り」を読んだ。芥川賞を取った表題作より、「思想と無思想の間」という現代の「知識人」の生態を風刺した小説がやたらと面白かった。付き合った彼女の父が、思想的オポチュニストとして名高い人物だったという設定である。当時は清水幾太郎という人が有名で、戦時中は国策に沿い、戦後は「進歩的文化人」の代表となり、60年安保の時は「世界」に「今こそ国会へ」という檄文を書くも、その後「転向」し、最後は日本の核武装論を主張した。そういう人物が、よりによって若き知識人の「義父」になったら…。彼女はいいけど、父親が不評で自分の「出世」にも問題ありそう…という風俗喜劇みたいな、思想小説みたいな面白さ

 丸谷才一はこの「風俗喜劇みたいな思想小説」である長編小説をいくつか書いた。最初は71年の「たった一人の反乱」で大評判になった。そのことは知ってたけど、高校生が読みたいと思う本ではなかったので、読んだのはだいぶ後。そうしたら同時代批評である風俗喜劇部分がかなり色あせていたように感じた。刊行当時は題名が流行語になったけど。その後の「裏声で歌へ君が代」(82)は台湾独立運動、「女ざかり」(93)は新聞社の女性論説委員、「輝く日の宮」(03)は女性の源氏物語研究者を描いて、全部同時代的に読んできた。読めば面白い。いずれも風俗喜劇であり思想小説である。

 昨年も「持ち重りする薔薇の花」という長編を出したということだが、そんなに評判にならなくて読んでない。でも時間が経つと、これらの小説群も、どうも忘れられていないだろうか。「裏声」はもう文庫にないし、「女ざかり」は大ベストセラーになったけど、現代日本文学の必読書として評価が定着しているとは言えないと思う。(「女ざかり」は大林宣彦監督、吉永小百合主演で映画化されたが、丸谷、大林、吉永の取り合わせは全くの大失敗だった。)

 丸谷の小説は、日本の「私小説」的な風土を嫌い、ヨーロッパの社会小説を目指したものである。19世紀のイギリス、フランス、ロシアなどで書かれた大小説は、社会、思想、風俗を描き切り今でも素晴らしい迫力で迫ってくる。でも、日本では作家の貧乏自慢や性の悩みに悶え苦しむような「自我」を描く小説ばかりで「大人」が出てこないではないかというわけである。だから日本の実社会では、小説は共産主義なんかと同じく、若いときにはかぶれることもあるが、大人になると必要なくなるもんだと思われてきた。小説なんて若いときしか読まないものだったのだ。まさに「小説」(小さく説く)だった。丸谷はそれを超えた、大人の知的世界に読まれうるノヴェルを目指したのだろう。それは確かに成功したとも言えるが、それでも現代日本の全体をとらえる小説にはならなかったと僕は思う。評判になった長編も、東京の知的スノッブの世界を背景にして存在していた感じがする。

 僕はそれらの長編よりも、「横しぐれ」「樹影譚」のような短編の方がいいと思う。小説の中の批評性が面白いと思う。大体、この人は批評の方が面白い。「後鳥羽院」がもしかしたら最高傑作ではないか。でも大評判になった「忠臣蔵とか何か」(84)は頂けない。あれは論証ではなく、ほとんどフィクション。あれで賞を取れるなんて、文芸批評は実証性が要らないのかと僕は驚いた。それはともかく、長編は10年にいっぺんだけど、批評、エッセイのような文章はずっと多い。そちらの方が残っていくのかもしれない。

 そして翻訳。何と言ってもジョイスの「ユリシーズ」だろうけど、グレアム・グリーンの「ブライトン・ロック」、ジェローム・K・ジェロームの「ボートの三人男」などを評価する人もいるだろう。翻訳家であり、元は英文学者だが、そういう英文学の伝統を受けて、日本の小説を書いた。今でも長編は読んで面白いとは思うが、その透徹した批評性こそが一番印象的だった。同時代の作家として一番好きなわけではなかったけれど、次の大長編ではどういう世界を舞台にして知的な喜劇を展開してくれるのだろうかとはよく思ってきた。「女ざかり」を読み返すとどうなんでしょうねバブル崩壊期の社会を批評したとして、いずれは再評価されるのか。

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串田和美の「K.ファウスト」

2012年10月14日 14時15分54秒 | 演劇
 とても楽しいお芝居を観た。けれども東京ではもう上演終了。世田谷パブリックシアターの「K.ファウスト」。6日~14日公演で、この後19~21に松本市民芸術館で公演。


 13日(土)は僕が関わっている福祉作業所が東京馬主協会の補助金を得られることになったので、その目録贈呈式で東京競馬場に行ってきた。普通の競馬を見る門ではない事業所門から入って馬主会館へ。そういうとことがあるのである。式はすぐ終わったけど、そのあと、競馬場の来賓席へ行ってお弁当を食べた。そういうところがあるとは聞いていたけれど、すごくきれいで広い場所。写真はFacebookに載せた。

 それで時間がうまく合わないんだけど、夜に世田谷パブリックシアターへ。これは木曜の朝日新聞劇評欄を見てから行く気になった。今当日券を何とか入手してみたい演劇がいくつかあるが、この芝居はその中に入っていなかった。割合安くチケットを入手できたので早速行った。串田和美が作ったこの芝居、とても面白かった。今までに一番感動したのが井上ひさしの「イーハトーボの劇列車」だとこの前書いたけど、一番面白かったお芝居は間違いなく「上海バンスキング」。そのあといくつかは見てるけど、コクーン歌舞伎は全く見てない。渋谷の東急文化村そのものにほとんど行ってない。ル・シネマで映画を見たことも、たぶん21世紀になってから一度もないと思う。(ユーロスペースに行くときトイレだけ利用しててすみません。)

 ということで、しばらく串田和美を見てなかったんだけど。感想はほとんど劇評につきている。
 「串田が絶望と希望、苦みを込めて我が人生、我が世界を、サーカスのリンクのような舞台でカーニバル風に展開する。」
 「演出と美術も担当する串田は、サーカス、大道芸、生音楽、夢の視覚化、歌舞伎手法と、培ってきた方法を総動員する。」
 「ああ、串田は、長い演劇人生をかけて、こういう舞台を作りたかったのだ、と得心させる。」

 ファウストは笹野高史悪魔メフィストフェレスが串田和美道化役に小日向文世。主にこの3人で展開する。が、冒頭に生音楽(アコーディオンのCOBAが素晴らしい)、サーカス(フランス初めヨーロッパ人をオーディションで採用)の空中ブランコが出てきて、目と心を奪ってしまう。空中ブランコは本当に素晴らしく、人生の夢と飛翔、揺れる心そのものでもあるだろうけど、サーカスの祝祭的な演劇空間が皆の心をとらえる。

 笹野高史は最近いろいろ出ているが、映画「天地明察」では老学者を印象的に演じていた。1948年生まれで老け役ばかりやっている。この芝居でも最初は高齢のファウスト博士だが、悪魔に魂を売ってエステに行くと(このエステ場面が傑作)、みるみる若くなって本当に若返ったかに見えるのが驚き。体を張った体技も披露していて、笹野の若さに驚いた。串田は悪魔役を遊び人風に演じて楽しい。最後、ファウスト博士の時間が無くなると悪魔の勝利かと思うと、悪魔は人間が作り出したとお互いがお互いであったという結末

 人間が永遠を欲する、錬金術を求めるというのは、現代で言えば、永久エネルギーであったはずの「核燃料サイクル技術」ではないか。人間は理想を追い求め、ついに核兵器を手にしてしまった。高齢化社会にあふれるアンチ・エイジングのブーム。ファウスト伝説に込められた現代への意味は大きいと改めて考えさせられた。そのようなすごく重いテーマを裏に潜めているとも思うけど、あくまでも楽しく、祝祭的なファンタジーであり、西洋縁日のような舞台。見ていた観客も大満足だったことは、長い拍手とカーテンコールが示しているだろう。

 なお、舞台には直接関係ないが、最近映画や演劇に行くと、観客の中に着帽のまま見ている人がいる。昨日は僕の真ん前がそうで、見渡してみたら6人くらいいた。また映画でも背にもたれないで、前の席にもたれてみている人がいる。困ったもんだ。まあ、頭髪もわざと突き出すようにボサボサにしてる人もいて、そういう場合は帽子でもかぶってもらう方がいいが、普通は頭髪に帽子が乗る分、後ろの席からは見にくさが増す。昨日の人は、かゆいから頭を掻くのはまあ仕方ないが、普通は頭に手を持って行って掻くところ、手を固定させておいて頭の方を動かすという不思議な人だった。
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保立道久「歴史のなかの大地動乱」と「歴史評論」を読む

2012年10月13日 00時49分35秒 | 〃 (歴史の本)
 岩波新書8月刊の保立道久「歴史のなかの大地動乱」を読んだ。この本とともに、歴史学の雑誌「歴史評論」2012年10月号(校倉書房)を取り上げる。ここでの保立氏の議論は非常に重大である。この雑誌は専門的な学会誌なので、誰もが買う必要はないが。
 
 「歴史評論」の「特集 原発震災・地震・津波-歴史学の課題」という特集号は、保立道久氏のブログ「保立道久の研究雑記」で知った。どの論文も必読で、「歴史学に関心のある人」は読んでおいた方がいいと思う。保立氏は「文理融合」を強く主張し、自分でも地震学の文献を大量に消化して書いている。理系の、特に地学関係の人は頑張って挑戦してみて欲しい。地震と原発についての知識を共有していくことは、理系、文系という枠を超えた、現代に生きる日本人全員に求められている。

 以下の5つの論文が並ぶ。
 (1)石橋克彦「史料地震学と原発震災」
 (2)渡辺治「戦後史の中で大震災・原発事故と復旧・復興を考える」
 (3)西村慎太郎「文書の保存を考える」
 (4)荒木田岳「福島における原発震災後の報道」
 (5)保立道久「平安時代末期の地震と龍神信仰」

 石橋論文は地震学者として著名な石橋氏が、史料読解で並々ならぬ「歴史家」でもあることを示す。渡辺論文は「復旧・復興」が進まない原因を戦後史の中で明快に示している。特に「平成の大合併」で、広域行政となり地方公務員が大削減されていた事情が大きい。きめ細かい取り組みができないはずである。改めて宮城県の地図を眺めてみると、石巻市がやたらと大きく、牡鹿半島が全部石巻なのに、女川町だけが周り全部石巻に取り巻かれながら合併していない。言うまでもなく女川原発があるからで、せっかく補助金でやっていけるのに、他の町に原発の金を取られたくないのだろう。

 保立論文は自ら「先日の『歴史評論』にだした論文は、堀田の『方丈記私記』くらいで感心していては歴史家の名がすたるという気持ちで書いた。」と語っている。作家の堀田善衛「方丈記私記」(ちくま文庫)である。この論文の重大性は、方丈記に描かれる1185年の大地震が日本海に津波を起こしたのではないかと推論していることだ。この年は東国では「鎌倉幕府の実質的成立=守護・地頭の設置」の年、つまり平家が壇ノ浦にほろんだ年である。京都では大地震で白河法皇の作った法勝寺九重塔が倒壊した。京都は地震が少ないイメージがあるが、1596年にも大地震が起こり豊臣秀吉が刀狩で集めた金属で作った方広寺の仏像が倒壊した。

 京都周辺で数百年に一度大地震が起こるなら、それは近づいている可能性がある。保立氏は史料を丹念に検討しながら、その地震は太平洋のプレート地震ではなく、京都から日本海にかけての断層が動いて日本海側で津波が起こった可能性を示している。それを「方丈記」に読み込む。言うまでもなく、これは今唯一稼働している大飯原発を初め日本最多の原発密集地域である若狭湾で大津波が起こっていた可能性を指摘するものである。歴史学で史料を探るには古すぎるので、地震学、地学の方面からの研究が急を要する。この指摘は皆が知っておいた方がいいと思うので、紹介した。

 「歴史のなかの大地動乱」は、東日本大震災で注目された貞観地震(869)を中心に平安時代の地震を追求した書である。(貞観地震という呼び方は避け、「陸奥海溝地震」と呼んでいる。)僕はこの本をよく理解できたという自信がないのだが、「はじめに」にあふれている危機感と情熱は多くの人に知って欲しい気がする。今までの歴史学を振り返り、地震への関心、もっと広く言えば自然災害への関心が薄かった。そのことを自省しつつ、「地震学が貞観津波の危険を明らかにしたにもかかわらず、大部分の歴史学者がそれを知らないなどと言う事態が、今後あってはならない。」「地震学における文理融合は、地震と火山の列島、日本のアカデミーにとって最大の試金石となるに違いない。」
(9世紀の地震)
 僕も江戸時代の浅間山噴火と近代の関東大震災しか授業では触れていない。教科書にも出てこないし、貞観地震仁和地震は知らなかった。この数十年は列島の地震活動が比較的温和な時期で、耐震建築技術も進んでいるから、壊滅的地震はそうは起こらない錯覚を持っていた。人間が同時代的感覚を持てるこの7,80年の間で、日本の民衆にとって最大の悲劇は戦争だったから、「戦争を再び起こさない」「戦争の真実を伝える」が歴史家の最大の任務だと思ってきた。

 基本的には今もそれは変わらないが、列島に生きた人々は、地震、津波、火山噴火、台風などの被害を受けながら、日本の文化、日本の感性を作り上げてきた。そのことの重みを実感してこなかった。それは多分同時代の多くの日本人にも共通なのではないか。だからこそ、この地震列島に54基もの原子力発電所を建設してしまった。この本を読むと、人々は怨霊におびえながら暮らしていた。地震が起こるたびに天皇は恐怖に打ち震え、身の不徳を嘆いた。地震は王の徳がないことを示していた。貞観地震の時の清和天皇は、今まで幼少で位につき初の摂政が置かれたこと、清和源氏の祖になったことのみ知られていた。この本では「大地に呪われた天皇」として描かれている。

 まるまる一つの章が、清和天皇と貞観地震に充てられている。その結果、驚くべし、祇園祭は東北の大地震の「お祓い」のために始められたと実証している。日本文化を考えるうえできわめて重要なことである。天災を祟りと考える時代の心を追って行って何になるかと思うかもしれない。しかし、巨大災害をどう理解するかを当時の人々が真剣に考えて、そうやって日本文化が作られていったのである。日本人の「古層」を探る書である。全体を異様な熱気が覆っていて、今年度屈指の問題作ではないか。ただ、歴史学プロパーの本なので、歴史学に詳しくない人にはチャレンジの本。保立氏は岩波新書「平安王朝」の興奮やNHKブックス「義経の登場」が面白かった。1948年生まれの東大史料編纂所教授。
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映画「無頼漢」と篠田正浩監督の映画

2012年10月11日 00時32分40秒 |  〃  (日本の映画監督)
 「神保町シアター」で、今日見た「無頼漢」「薮の中の黒猫」は、どちらも僕にとって「長年見逃し」の映画だった。今は「太地喜和子特集」。杉村春子後の文学座を担うと期待されながら、地方興行に行った際、飲み過ぎて乗ってた車が港に転落して脱出できず死んでしまった。48歳。若いときから「妖艶」で知られ、若い男優との恋愛沙汰も多かった。本当に愛したのは三國連太郎だけ、ということだけど。映画にもずいぶん出ていた。特に「男はつらいよ」ベストテン史上最高位の2位になった「夕焼け小焼け」の芸者役は素晴らしかった。太地喜和子が亡くなって、もう20年経つのか

 「無頼漢」(1970)はずっと見たかった。僕は洋画は70年から見ているが、まだ日本映画は見てない。翌年の1971年には高校生になったので、大島の「儀式」、篠田の「沈黙」、寺山修司の「書を捨てよ町へ出よう」などを見た。その寺山が脚本を書き、篠田が監督した作品が「無頼漢」。当時から見たかったけど、一年違いで見逃した。長い間には、篠田監督特集、寺山特集など、何度も「無頼漢」をやっていたが、すべて仕事で行けない時間だった。ようやく、約40年ぶりに見られた

 いや、若いねえ、みんな。70年のこの映画では出演者をほとんど知っている。蜷川幸雄(1935~2016)も役者で出てる。主演の仲代達矢(1932~)、岩下志麻(1941~)。小沢昭一(1929~2012)、丹波哲郎(1922~2006)、渡辺文雄(1929~2004)、芥川比呂志(1920~1981)、米倉斉加年(1934~2014)、中村敦夫(1940~)、山本圭(1940~)。そして太地喜和子(1943~1992)。大人役の芥川比呂志や丹波哲郎はともかく、仲代も30代、岩下、太地はまだ20代である。この顔触れはすごい。この顔触れだけで見た価値はある

 「無頼漢」は河竹黙阿弥の「天衣紛上野初花」(くもにまごううえののはつはな)の映画化である。フリーターみたいな直次郎と吉原の花魁(おいらん)三千歳(みちとせ)の恋愛に加え、奉公先で妾になることを強要されている浪路(なみじ=太地)を河内山宗俊と直次郎などが救出に行く話がテンポよく進んで行く。時は天保の改革で、水野老中が改革の名の下に風俗取締りを進めている。悪党たちは追い詰められ、絶望と退廃のさなかを生きている。道徳は地に落ち、皆色と慾に狂っている。60年代の熱気が失せて、70年代の「混乱と秩序」が生まれるさまを、江戸末期ながら同時代を見るがごとくに描いて行く。非常に興味深いんだけど、人物と筋が絡み合い過ぎて、映画としては完全には成功していない。(ベストテン14位。)

 篠田正浩監督と岩下志麻は67年に結婚して、映画史上に残る素晴らしいコンビとなった。「松竹ヌーベルバーグ」と言われた大島渚は小山明子、吉田喜重は岡田茉利子と結婚したが、大島や吉田は女性映画を作ったわけではない。しかし篠田映画に主演した岩下志麻は、素晴らしい代表作を何本も残した。篠田監督は早稲田大学時代に陸上部で箱根駅伝に出場している。松竹で映画監督になるが、大島、吉田が早々に会社とケンカしたのに対し、政治的、芸術的に会社と対立することは少なかった。でも、自分で作りたいものを芸術的に作るために表現社を作り、「あかね雲」が表現社第1作。69年にATGで作ったベストワンの「心中天網島」が代表作で、岩下志麻も2役で大活躍。
(「あかね雲」)
 シネマヴェーラ渋谷で、「篠田正浩監督特集」がある。最後の作品として作った「スパイ・ゾルゲ」が終わる間際に「武満徹へ」という追悼の献辞が出るが、音楽は武満が担当したものが多い。脚本を寺山が書いたものも多いし、粟津潔の美術など、60年代を代表する若い才能がスタッフに集まっている。武田泰淳原作を石原慎太郎が脚本にした「処刑の島」という不思議な傑作もある。1966年で、まだ自民党参議院議員になる前。岩下志麻がタイトルロールを演じる「卑弥呼」も不思議な映画だった。明らかに失敗だが。坂口安吾の「桜の森の満開の下」なんかも映画化した。不思議な文芸作品がたくさんあって、今一つ評価が難しいのが篠田監督の映画である。
(「卑弥呼」)
 後期になって判りやすい作品が多くなる。「少年時代」(1990、あの井上陽水の歌がテーマ曲の映画で、戦時中の疎開少年を描く)、「瀬戸内少年野球団」(1984)などは大衆的に成功した見事な映画。でも「スパイ・ゾルゲ」「梟の城」などは案外面白くなかった。鴎外の「舞姫」も、篠田監督、郷ひろみ主演で映画化されている。フランキー堺が入れ込んでいた「写楽」も、面白いけど不思議な映画だった。江戸時代を扱った映画がかなりあり、まとめてみるとどうなんだろうか。

 77年の「はなれ瞽女(ごぜ)おりん」も素晴らしい傑作。「乾いた花」「美しさと哀しみと」など60年代の映画も素晴らしいと思うけど、皆違う感じで、特徴がつかみにくい。そして遠藤周作の「沈黙」。原作とラストが違う。それがいいのか、悪いのか。自分なりの解釈というが、「沈黙」をどう理解するかは、日本文化にとって重大な問題である。岩下志麻を主演に、「国家を相対化する」映画を作り続けた中期の作品群が一番面白いと思う。「あかね雲」「おりん」と2本も脱走兵が出てくるが、そういう監督は他にないだろう。(2017.10.31改稿。俳優の没年も書き加えた。)
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「名誉教授」は務めない

2012年10月09日 23時04分02秒 | 社会(世の中の出来事)
 今日は休もうかと思ったんだけど、ニュースを聞いてて「言葉の問題」。「感動」は貰えるものなのか、とか、「グローバル・フェスタ」っておかしくない?という話を書いたけど、言葉についておかしいんじゃないと思ってることはもっといっぱいある。少し、まとめて書いてしまおうか。

 首都圏のニュースというコーナーで、来年の千葉県知事選挙に共産党推薦の候補が決まったというニュースを報じていた。いやあ、森田健作が当選してからもう3年経ったのか。どうなるのかと思ったけど、石原慎太郎や橋下徹ほど目立ってない。やはり東京や大阪という場所が「中央政府」を過剰に意識させてしまうのか。それはともかく、NHKのWEBニュースを見ると、

 来年4月に任期満了となる千葉県知事選挙に、千葉大学名誉教授の三輪定宣氏が共産党の推薦を受けて無所属で立候補することを表明しました。(中略)三輪氏は75歳。高知大学や千葉大学の教授を経て、現在、千葉大学の名誉教授などを務めています。千葉県知事選挙にこれまでに立候補を表明したのは三輪氏だけです。

 別に千葉県知事選の問題ではない。「名誉教授を務めています」の問題。ああ、この記者は「名誉教授」を知らないんじゃないか、と思った。僕も若いときは、助手、講師、助教授(今は准教授という)、教授、名誉教授、なんていう順番があると思っていた。年取ってきて一番偉くなった教授が「名誉教授」で、当然その大学で仕事をしていて、受けたければその先生の講義を聞けたりするもんだと

 でも、本当は違う。「名誉教授」は「称号」に過ぎない。「人間国宝(重要無形文化財保持者)を務めています」なんて言わない。同じように「名誉教授」も、仕事ではないから務めるという表現はおかしい。名誉教授は、その大学(高専も)の教授を辞めた後でしか、もらえない。企業では会長や社長を務めた者に対して、辞めた後も「名誉会長」「相談役」「顧問」などの肩書を付けて、部屋も用意して、まあ代表権はないけど、時々ご高説をうかがうというようなことがよくある。こういうのは、実際にそういう「役職」(特に意味のある仕事はないけど)に任命されているので、「務めている」と言っていい。でも、「名誉教授」はそういう「名誉職」ではなくて、本当に単なる称号なのである

 そして、「名誉教授」は実は学校教育法で決まっている。各大学が勝手にあげた称号ではなく、法に規定されたものなのだ。
 第百六条  大学は、当該大学に学長、副学長、学部長、教授、准教授又は講師として勤務した者であつて、教育上又は学術上特に功績のあつた者に対し、当該大学の定めるところにより、名誉教授の称号を授与することができる。

 「勤務した者で」とあるように、現職中になることはない。退職した人に追贈するものなのである。それでも退職後も講義を持つような人もいる。そういう場合も「特任教授」「客員教授」などの役職に別に任命される必要がある。東大や京大などの「有名大学」の教授だった人は、退職して私立大学に務めることもよくあるが、マスコミなんかに出るときは今の仕事ではなく、称号に過ぎない「東大名誉教授」を使ったりすることがある。そういうのもどうかと思うけど。

 今回の三輪氏という人は、他のニュースサイトを見ると、「千葉大学教育学部などで教鞭を取り、現在は帝京短期大学こども教育学科の教授を務めています。」とあった。つまりこの人の正しい仕事の肩書きは「帝京短期大学教授」である。それを現職ではなく、過去にもらった「称号」で表すのは、どうなのかなあ、といつも思っているので、ちょっと。
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桂文治襲名披露公演

2012年10月08日 22時44分43秒 | 落語(講談・浪曲)
 浅草演芸ホールで、落語芸術協会の第11代桂文治襲名披露公演。寄席は上野や新宿に行くことが多いので、実は浅草は初めて。団体客もあり、11時40分に行ったのだが、もう1階は満員。2階で見る。口上に5日までは桂歌丸会長が出るけど、後半は桂米丸最高顧問(いつまでも元気で寄席でトリをとったりしてるのにビックリ。テレビの寄席番組の司会で有名だった)を中心に、三遊亭小遊三(副会長)や兄弟子蝠丸、小文治、笑福亭鶴光など。今日は春風亭昇太も。さらに今日は毒蝮三太夫が特別に登場。なんでも先代文治がまむしプロダクションに所属していたという縁だそう。

 落語は僕は何十年もしっかり聞いてるわけではないので、あまり語れない。「桂文治」という名は、もと上方のものらしいが、その後江戸に来て、桂の宗家にあたる名前だということだ。11代目は1967年生まれで、桂平治を名乗っていた。まだ45で、兄弟子を飛ばしての襲名。前に聞いたこともあるが、明るく陽気な芸風で、重厚さはまだ当然足りないけど、大声で明るく場内の雰囲気をつかんでしまう。応援したくなる芸風で、今後の精進が楽しみ。今日は長野県から団体が来ていたということで、仏教伝来に関する「お血脈」(おけちみゃく)という「地噺」をやっていた。物部守屋が捨ててしまった仏像が善光寺になるという長野県に関連する話。お釈迦様から始まって歴史を語りながら、随所に落語家のエピソードを交えて楽しく演じていた。仏像の長さの話で「丈」を説明するときに、「円丈さん」という落語家がいると話しだしたのがおかしかった。

 「笑点」に出ている昇太小遊三はさすがに知名度も高く盛り上がる。うまいし語り口もいいんだけど、やはり知名度も重要だなあと思う。昇太は10年以上前の、それほど有名でないときからずいぶん聞いてる。今年はなんだかあちこちで聞く機会があり、4回目。落語が続くと、漫才や曲芸、手品などの「色物」がうれしい。そっちに発見がある。ホール落語だと色物がなかなか見られない。ということで、寄席はいいんだけど、昔風の建物だから椅子が小さい。今では疲れる。長いから。シネコンの椅子みたいになることは絶対にないと思うけど、辛いことは辛い。でもまあ椅子はあるわけで、テント芝居よりはいいわけだけど。

 帰りにROXのリブロ(本屋)で、岩波の「世界」を買う。いやあ、今は世界を置いてない所が多くて、浅草にあるかなあと思ったんだけど。朝日新聞の広告を見て、「なぜ教員免許更新制は廃止されないのか」という論文が載ってるのに気付いた。池田賢市さん(中央大)と大森直樹さん(学芸大)の、去年一緒に記者会見した方々。読んだら僕の名前が載ってた。この問題もいずれまた、じっくり書きたいと思う。一応、紹介。
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