尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

『放浪記』、貧困・恋・文学の無限ループー林芙美子を読む④

2024年02月29日 22時10分59秒 | 本 (日本文学)
 林芙美子を読むシリーズ4回目。その後に文庫に入っている『林芙美子随筆集』(岩波文庫)、『トランク 林芙美子大陸小説集』(中公文庫)を読んで、最後に『放浪記』を読み直してみた。まあ人生に2回読んでも良い本かなと思って、昔読んだ新潮文庫を見つけ出してきた。ところが字が小さくて、今じゃ読み辛いのである。しょうが無いから他の本を探すことにして、本屋で実物を見たら岩波文庫なら何とか読めそうだったので、買い直してしまった。解説が充実していて買った意味はあった。

 しかし、これが思った以上に大変なシロモノだった。前に読んだときもそう思ったけど、今回も底なし沼にハマったかと思った。今は戦後になって発表された第三部を含めた三部作の「完全版」が出ている。ところがこれが改訂に改訂を重ねた「魔改造日記」(by柚木麻子)なのである。解説に出ている一番最初の原『放浪記』は確かに「若書き」であり、まだ作家以前の文章とも言える。成熟した作家となり、文章を練り直したいというのは理解出来る。また戦前には検閲を考慮して削除されていた記述もあった。(皇族関係など。)それを復活させたいのも判る。だが問題は『放浪記』の根本的な構成にあるのである。
(舞台版『放浪記』の森光子)
 『放浪記』は映画や舞台となって、むしろそっちで知られた。名前も知られているから読んでみた人も多いだろうが、「完全版」だと途中で挫折した人もかなりいるんじゃないだろうか。普通は「三部作」というと、それは時系列で進む物語である。まあ、実際の日記をもとにしているので、物語性に乏しいのはやむを得ない。それは良いとして、実は日記の時系列をバラバラにして、複雑なピースにして並べているのが『放浪記』第一部なのである。映画や舞台で有名なカフェで働く場面も確かにあるが、実は女工や女中、女給、事務、宛名書き、露天商、行商など実にいろいろな仕事をしている。

 時系列をバラして、人名も匿名にしているのは、当時は関係者が皆生きていたからだろう。母親や作家仲間の平林たい子、壺井栄などを除き、関係があった男性は皆誰だかよく判らない。戦後になってまとめられた第三部では、かなり実名に戻している。それが逆効果なのである。「無名の貧しい女性」の魂の叫びをぶつけた実録日記として売れたのに、一番大切な自然な思いを作者はあえて消してしまった。そして、時系列バラバラの構成は、第一部、第二部、第三部すべて同一なのである。つまり、第二部が第一部を受けた内容というわけではなく、すべて同じ時期、東京へ出て来てから結婚して落ち着くまでの数年間なのである。
(映画『放浪記』の高峰秀子)
 貧乏に苦しみ、仕事については辞め、文学を志す男と知り合って同棲しては壊れ、それでも文学に心惹かれて詩を書き続ける。貴重なドキュメントで、今まで一度も書かれなかった貧困階級の真実である。だが日記は飛び飛びで、数ヶ月するとまた違う仕事をしている。いつの間にか付き合う男も変わっている。もちろん、そのことが悪いわけじゃない。だけど、そのような貧乏→新しい仕事→新しい男→また辞めて放浪→新しい仕事→新しい男→貧乏のループが第一部、第二部、第三部とすべて同じように繰り返されるのである。この「無限ループ」から読者も抜け出せないのだ。

 何しろ文庫本でも545ページもあるので、この無限ループを読み進めるのが苦しくなってくる。バカバカしい気もしてくる。ところどころに挿入される詩も、最初は新鮮だが次第に飽きてくる。それが『放浪記』なんだけど、第一部発売当時に大ベストセラーになった。その当時は無名女性の日記なので(一部では新人作家として知られてきていたが)、どっちかと言えば「カフェ女給が書いた」というスキャンダラスな本として売れたんじゃないか。

 しかし、林芙美子は天性の放浪者であると同時に、天性の詩人だった。自分は美人じゃなく、もっと美しかったら仕事も恵まれていたとよく書いている。仕事としては確かに今以上にルッキズムがはびこっていただろう。だけど、文学志向、芸術志向の青年たちと続々と恋愛しているのは、どこか只者では無い雰囲気があったんだと思う。だがその文学志向が「良妻」になることを妨げ、中には暴力を振るったりする男もいる。仕事を投げ出して詩を書いていても、トコトン貧乏になっていくだけ。さらに母や義父が飛び込んできたりする。貧窮の中でも「文学」に取り憑かれてしまったのが林芙美子という女性だった。
 
 林芙美子の実人生に関しては、ここでは書かないことにする。前にも書いたが、尾道の女学校の教師がよくぞ才能を見出して励ましたものである。貧窮の中で魂の叫びを発したが、それは「プロレタリア文学」ではない。プロレタリア陣営からは批判されたりもしたが、今でも読まれているのは林芙美子の方である。林芙美子が本格的な作家になったことをよく示すのが、『トランク』という作品集である。中国、フランス、ソ連についての小説が収録されている。戦時中の文章には戦争協力の跡があって痛ましいが、豊かな物語性が今も生きている作品が多い。『林芙美子随筆集』も面白いが、どうも随筆や旅行記だからと言って必ずしも「事実そのまま」ではない場合もあるらしい。これで林芙美子は終わりだが、関連本がまだ残っている。
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文化座公演『花と龍』を見るー火野葦平から中村哲へ通じる道

2024年02月28日 22時15分39秒 | 演劇
 文化座公演『花と龍』を見て、とても面白かった。六本木の俳優座劇場で、3月3日まで上演。文化座は長い歴史のある劇団だが、実は一度も見たことがなかった。俳優座劇場も来年で閉館するし、見ておこうかと思った。もう一つ、今どき何で火野葦平原作の『花と龍』なのか。それは企画した文化座代表の佐々木愛の文章で判る。『「父や母の時代のように美しく生きられないかもしれないが…」と語っていた火野の言葉と、火野の甥で祖母マンに育てられた中村哲医師がアフガニスタンで凶弾に倒れたことを考えると、玉井金五郎一家の夢と野望は今もなお脈々と息づいているように思える。』この言葉の意味を知りたかったのである。

 舞台はとにかく面白く、今どきの多くの芝居のような謎めいた設定に悩まず、ただストーリーに没頭できるのが楽しい。もっとも若い人だとよく判らない点があるかもしれないが、まあ観客に若い人はいないようだった。『花と龍』という小説は昔は何度も映画化されていた。高倉健主演の『日本侠客伝 花と龍』(1969、マキノ雅弘監督)もあるし、何となくヤクザ映画的な世界に思っていた。石原裕次郎渡哲也も主人公玉井金五郎を演じていて、トップ男優の演じる役柄だった。この玉井金五郎こそ、作家火野葦平こと玉井勝則の実父だった。火野は実の両親をモデルにして、暴力とロマンあふれた一大叙事詩を描いたのである。
(火野葦平)
 火野葦平(1907~1960、ひの・あしへい)って誰だという人もいるだろう。若松(北九州市)で沖仲仕組合に関わりながら創作活動を行っていたが、1937年の日中戦争勃発後に30歳で召集された。その従軍中に『糞尿譚』が芥川賞を受賞して一躍名前を知られ、続いて戦場体験を綴った『麦と兵隊』『土と兵隊』が大ベストセラーとなった。(『土と兵隊』は映画化されて大ヒットした。)戦争中は軍の宣伝に使われ、火野葦平にはどうしても戦争のイメージが付きまとう。戦後には公職追放にもなった。その火野が自らの両親を描いた『花と龍』は、1952年から53年に読売新聞に連載され有名作家に返り咲いた。1960年に亡くなったが、1973年になって自殺だったことが公表された。一つも読んでないけど、僕には謎多き作家として気になる存在なのである。
(映画『花と龍』渡哲也版)
 さて、舞台では若き愛媛のミカン農家玉井金五郎藤原章寛)が登場し、賭場で稼いで広い世界を見たいと思う。やがて門司へ行って沖仲仕(ごんぞう)となった金五郎は、谷口マン大山美咲)と知り合う。金五郎は大陸を目指し、マンはブラジルを目指す。ともに世界に雄飛するはずが、差別され低賃金にあえぐ中で金五郎は持ち前の正義感とリーダーシップで、いつの間にか波止場の有力者となっていく。ヤクザの暴力から仲間たちを守り、ともに闘う金五郎とマン。しかし、金五郎は背中に昇り龍と菊の花の入れ墨があるのだった。両親が実名で登場し、男っぷり、女っぷりを存分に発揮する。見てて面白く、一気に見られる。
(藤原章寛=玉井金五郎役)
 この玉井金五郎を演じているのは藤原章寛という俳優で、昨年上演された『炎の人』のゴッホ役で紀伊國屋演劇賞を受けたばかり。名前を知らない人が多いと思う(僕もそう)だが、映画なら高倉健や渡哲也が演じた役柄を堂々と演じきる。鮮やかな立役(たちやく)ぶりに舌を巻いた。「男が惚れる」「女も惚れる」、自然に人の上に立っていく度胸を見事に演じている。妻のマン役の大山美咲をはじめ、脇役ひとりひとりが生きていて、文化座の豊富な俳優陣に驚いた。舞台には二階建ての建物があり、手前が海岸にもなれば料亭にもなる。旗揚げした玉井組の本拠にもなる。映画ならロケやセットで大々的なアクションになるところ、狭い舞台上で大道具を使い回すことで想像力が働くと思った。
(佐々木愛)
 もう一人、「ドテラ婆さん」こと、島村ギンという女親分を代表の佐々木愛が貫禄で演じている。旗揚げメンバーの鈴木光枝の娘で、1987年から文化座代表を務めている。80歳という年齢を感じさせないセリフ回しで、堂々たる存在感がすごい。脚本は東憲司、演出は鵜山仁と名手が担当している。火野葦平は文化座に『陽気な幽霊』『ちぎられた縄』という二つの作品を書いているという。その火野葦平の妹の子どもがペシャワール会創設者の中村哲である。

 しかし、その精神的つながりが今まで僕にはよく判らなかった。しかし、この『花と龍』を見たことで、自由な世界を求めて闘い続けた玉井一族の長い長い歴史が判ったのである。ケンカが嫌い、実は賭け事も酒も嫌いだった「親分」風でない玉井金五郎あって、その孫の「中村哲」が生まれたのだ。若松を日本一の港にしたいという夢は、炭鉱がなくなって今では見果てぬ夢に終わった。しかし、世界を見渡して自由な世界を築きたいという夢は今こそ切々と迫るものがある。ひたすら楽しく見られるお芝居だけど、同時に近代日本人の精神史に迫る力作だ。
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インド、「世界最大の民主主義国」は「厄介な大国」になったのか

2024年02月27日 22時11分48秒 |  〃  (国際問題)
 国際情勢を書く時は、つい現時点で大きな動きがある地域を中心に考えることが多い。それと「超大国」で日本にとって死活的重要性があるアメリカ中国について書くこともある。だが、それでは見落としが出て来る。自分が特に関心がある東南アジアについて書きたいと思っているんだけど、数回かかりそうで時間が取れない。今回は単発でインドについて考えてみたい。

 2024年は国際的に「スーパー選挙年」と言われている。アメリカロシアの大統領選がある。人口世界4位の巨大国家インドネシアの大統領選はすでに実施された。そしてインドの国会議員選挙も4月から5月に行われる予定である。インドはイギリスや日本と同じ議院内閣制の国で、名目上の大統領がいるが政治の実権は首相が握っている。

 インドで「国民会議派」のネルー=ガンディー一族がずっと首相を務めていたのはずいぶん昔の話だ。インド独立の英雄、ジャワハルラル・ネルーは建国の1947年から死亡した1964年まで、娘のインディラ・ガンディーは1966~1977、1980~1984年に首相を務めた。インディラ暗殺後は長男のラジブ・ガンディーも1984~1989年まで首相を務めた。だが、その後の35年間で国民会議派はナラシンハ・ラオ(91~96)、マンモハン・シン(04~09)の10年間しか政権に付けていない。

 近年は「インド人民党」(それ以前はジャナタ・ダル)という右翼政党が選挙に勝つのである。この政党は「インド独立の父」であるマハトマ・ガンディーを暗殺したナトラム・ゴドセが所属していた「民族義勇団」が源流になっている。ヒンドゥー至上主義を唱え、ガンディーがインド分裂を避けるためイスラム勢力に妥協するのを嫌って暗殺した。現首相のナレンドラ・モディ(1950~)も若い頃に民族義勇団に所属していた。
(2019年に選挙に勝利したモディ首相)
 インドの下院は小選挙区制の543議席で、そのうち2019年の総選挙ではインド人民党が303議席と圧勝した。(2014年は282議席。)国民会議派はわずか52議席の小政党になってしまった。その他地方政党も多いが、与党は328議席、野党は214議席となっている。上院は与党が少数らしいが、首相指名は下院の権限である。経済発展とイデオロギー的支持があいまって、今年の総選挙も与党有利でモディ首相が再選されると想定されている。(インドの首相に任期の制限はない。)
(インドと中国の人口)
 インドの国際的影響力はここ数年で格段に上昇している。政治的、経済的、文化的にインドの話が取り上げられることが多くなっている。人口は2023年に中国を抜いて世界1位の14億2860万人になったとされる。中国は14億2570万人という。この人口爆発は今後地政学的に大きな影響を与えると思われる。ただインドの発展が良い方向にばかり進んでいるのかという声も聞こえてくる。東京新聞は2月18日に「週のはじめに考える インドは民主主義国か」という長い社説を掲載した。少し抜粋すると、

「最大の問題はモディ政権の「ヒンズー至上主義」への傾斜です。国民の8割を占めるヒンズー教徒の優遇政策が露骨で、少数派のイスラム教徒は苦境にあります。最近、インド北部のアヨドヤで、モスク(イスラム教の礼拝所)の跡地に大規模なヒンズー教寺院が建立されました。1月の落成式に出席したモディ首相は「何千年たっても人々はこの日を忘れないだろう」と熱っぽく語りました。」

「メディアや野党への弾圧姿勢も目立ちます。ジャーナリスト、パラグミ・サイナート氏は、月刊誌「中央公論」1月号の対談の中で「批判すれば家宅捜索や収監という惨憺(さんたん)たる状況だ」と証言。政権に批判的な番組を放送した英BBCも現地拠点が家宅捜索を受けました。インドは国際NGO「国境なき記者団」の世界報道自由度ランキングで02年には80位でしたが、23年は161位と、かつての見る影もありません。」

 このような人権状況への懸念が最近は聞かれるようになったのである。日本ではまだ大きく報道されることは少ないが、かつての「少数への寛容」は消え去り、民族主義的な主張が強くなっている。自国文化に反する(と考える)外国文化の受容が制限され、保守的な風潮が強まっている。これはロシアのプーチン、トルコのエルドアン、日本の安倍晋三などと共通性のある政治姿勢だ。

 インド映画も最近はよく公開されるようになったが、今も上映が続く大人気ヒット作『RRR』なども、モディ時代を象徴するかのようなヒンドゥー至上主義的な歴史観で作られていた。日本では面白いということで評判になって(確かに面白いけれど)、歴史改変的な反英運動を大々的に描いている。韓国映画や中国映画にも自国中心に歴史を書き換えたような映画はあるが、インドもそうなってきたのかもしれない。何しろ独立運動の中心だったはずの国民会議派やガンディーは全く消されているのである。
(『RRR』)
 インドは領土問題を抱えているので、中国の友好国にはなれない。その点で、米日豪と「中国包囲網」的な関係を築いている。しかし、インドが果たして「民主主義国」なのかと問う先の社説が出て来るだけの理由がある。確かに普通選挙がある点で中国よりは「民主的」かもしれないが、今後のインドがどうなっていくは要注意だ。ロシアとは友好関係を続けていて、ロシア産原油がインドを通じて世界に輸出されているらしい。ロシアを経済的に支えつつ、アメリカと協力するという「ぬえ」のような、「厄介な大国」になってきたかもしれない。日本はインドの中に少数派の声を世界に届ける役割を果たすべきだと思う。
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映画『テルマ&ルイーズ』(1991)、今も圧倒的に面白い傑作

2024年02月26日 22時04分15秒 |  〃  (旧作外国映画)
 昔の映画をデジタル化してリバイバル上映する機会が最近多い。まあ昔見てるんだしと思って見逃すことも多いけど、『テルマ&ルイーズ 4K版』はまた見たいなと思った。昔見た人も、まだ見てない人も、DVDや配信じゃなく大画面で是非見て欲しいと思う映画だ。主演したスーザン・サランドンジーナ・デイヴィスは、そろってアカデミー賞主演女優賞にノミネートされた。この年は大本命『羊たちの沈黙』のジョディ・フォスターがいたので受賞は出来なかったけど、脚本賞をカーリー・クーリ(女性)が獲得した。(『羊たちの沈黙』はトマス・ハリスの原作があるため脚色賞に回るので競合しなかった。)

 アメリカ南部アーカンソー州の仲良し女性二人組。ルイーズスーザン・サランドン)はレストランでウェイトレスをしているが、恋人とうまく言ってない。テルマジーナ・デイヴィス)は18歳で結婚した夫が横暴で、自分の気持ちを伝えられない。たまには二人で旅行しようとルイーズがテルマを誘って、ドライブに出る。たまに女だけで楽しんで何が悪いとルイーズが誘ったのである。テルマは夫に言おうと思うけど、やっぱり言えない。レストランの店長が今度離婚して、別荘が妻のものになるから、それまで皆で使ってくれと言ったらしい。じゃあ山の別荘で釣りでもしてみよう。それだけの一泊旅行のはずだったけど…。
(ルイーズ(左)とテルマ)
 50年代なら「地獄の逃避行」とか題名が付くB級ノワールになっただろう。60年代末なら、こういう話は「ニューシネマ」と呼ばれていっぱいあった。例えば最近リバイバルされた『バニシング・ポイント』は、同じようにアメリカ西部を男が車で疾走する映画だった。『明日に向かって撃て!』は悪いことがどんどん積み重なっていくが、二人の男たちの物語。60年代末になって「反抗」がテーマの映画がいっぱい作られたが、その時点ではまだ「男(たち)の映画」だったのである。その意味ではFBIの女性捜査官が主人公の『羊たちの沈黙』が同じ年の映画だったことは象徴的だ。女性の描き方が変化してきたのである。
(トラックに出会う二人の車)
 筋書きを細かく書いてはつまらない。ちょっとはしゃいでみたいと思った女たちに、理不尽な出来事が次々と襲いかかる。あっという間に警察に追われる身となるが、それでも車で逃げ続ける。ロード・ムーヴィーの最高傑作と言いたいぐらい魅力的な映像が連続する。今見ても一瞬も退屈せずラストまで観客も疾走し続けることになる。とにかく面白いのである。と同時に、DVやミソジニー(女性嫌悪)が今になっても古びたテーマになってない現実がある。またアメリカには「銃社会」という大問題が潜んでいることを忘れてはいけない。それあっての悲劇なのである。
(ブラッド・ピット)
 スーザン・サランドンは、その後1995年の『デッドマン・ウォーキング』でアカデミー主演女優賞を受賞した。死刑制度を告発する映画で、その当時のパートナーだった名優ティム・ロビンスが監督した。ジーナ・デイヴィスは、1988年の『偶然の旅行者』でアカデミー助演女優賞を得ている。彼女たちに同情的な警官をハーヴェイ・カイテルが渋く演じて良い味。この人はなんと言っても『スモーク』が良かった。チョイ役ながらかなり重要なヒッチハイカーをまだ無名のブラッド・ピットが演じて出世作となった。僕が覚えたのは、翌1992年のロバート・レッドフォード監督の『リバー・ランズ・スルー・イット』だったけど。

 監督はリドリー・スコット(1937~)で、一番脂が乗っていたころだ。『デュエリスト/決闘者』『ブレードランナー』『エイリアン』などを作った後で、第7作目。前作は日本を舞台にした怪作『ブラック・レイン』だった。その後、『グラディエーター』(2000)でアカデミー作品賞を受賞した。しかし、僕は大作ばかり任されるようになったリドリー・スコットはもういいかなという感じだった。80代後半に入った最近も『ナポレオン』を作って健在だが、158分と長いので見てない。『テルマ&ルイーズ』も129分と2時間を越えているが、長さは全く感じない。

 ラストをどう評価するか、当時いろんな意見があったと記憶する。だが、「シスターフッド」の映画として見直す必要がある。僕は昔からラストはこれしかないと思っている。「トラウマ」があってルイーズはテキサス州に入りたくないという設定は、現在の方が良く判る。30年前と思えないぐらい同時代の映画として生き生きと輝く映画だった。
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柳亭こみちの「改作古典」他-新宿末廣亭2月下席(昼の部)

2024年02月25日 22時02分35秒 | 落語(講談・浪曲)
 寒い雨の日曜日に新宿まで落語を聴きに。新宿末廣亭2月下席(昼の部)は、女性落語家の柳亭こみちがトリである。1月31日の「落協レディーズ」では、昼に出ていたので聴いてなかった。その日に割り引きチラシを配ってたので、行こうかなと思っていた。他にも柳家権太楼桃月庵白酒古今亭文菊など、僕の好きな落語家も勢揃い。この前聞いた川柳つくし、真打昇進間近の林家つる子(三遊亭わん丈と日替わり)など実に魅力的な顔ぶれが揃っていた。

 よく寄席の記事を書くが大体は出番通りに書くことが多い。そうすると、トリの噺家にたどり着くまで長くなり、書く方も読む方も印象が薄くなる。そこで今回は柳亭こみちから書きたい。この人は何回か聞いてるが、最近非常に面白くて注目している。もしかして女性落語家で一番面白いんじゃないだろうか。協会が違う芸協所属の、それも漫才師の宮田昇(「宮田陽・昇」として出ている)と結婚していて、10歳と8歳の男児の母でもある。古典落語を「改作」して、主人公を女性に置き換えて語る「改作古典」をたくさん作っていることで知られている。
(柳亭こみち)
 今日は「リクエスト」で演目を決めると言って3つの中から拍手を求めたが、どれも同じぐらい。困っていたけれど、結局「寝床~おかみさん編」をやった。「寝床」は、大家の旦那が義太夫好きで長屋の店子を集めて義太夫を語る会を開くという。美味しいものも出るというのに、凄まじいまでの下手さが知れ渡って皆が行き渋るという噺。その旦那を大店のおかみさんに変えて、設定は同じ。店子にとって大家は親も同然というけど、やはり他人である。一方、おかみさんとなると夫婦であるから店の旦那の悩みはさらに大きい。こういう「下手の横好き」の話は世界にもあるが、なかなか壮絶でとてもおかしかった。
(柳亭燕路)
 こみちの師匠は柳亭燕路(りゅうてい・えんじ)で、今回は入ってないはずが林家正蔵の代演で聞くことが出来た。多分初めてなのだが、なかなか上手くておかしかった。「やかんなめ」という噺で、初めて聴くが変な落語もあったもんだ。昔はよく女性の病気に「」(しゃく)というのがあった。いろんな痛みの総称で、腹痛や生理痛を指していたことも多いだろう。「癪にさわる」の語源である。ある奥方が道ばたで癪が起きる。実は「薬罐」(やかん)をなめると治るという特徴があるというんだけど、道中に薬罐など持参していない。そこに頭がハゲている武士が通りかかり、薬罐にソックリじゃないかと思いつき…。そんなバカな!

 川柳つくしは婚活をめぐる新作。婚活にあたって自分の魅力が低いことを知っている女性が、相手の男性にも何でも「低い」ことを求めたが…。林家つる子は今日は古典で、こっちも「やかん」の噺。知ったかぶりの隠居の「先生」が訪ねてきた八五郎を「愚者」「愚者」と呼ぶ。判らないから誉められているのかと思うが、実はそうじゃない。それではクジラの語源を知ってるかと聞くのだが、先生はヘリクツで答える。続いて「やかん」は何故やかんというのかと質問する。先生はなんと川中島の戦いを朗々と語り出し、ついに…。この講談調になるところが熱演で、やはりこの人は魅力である。
(林家つる子)
 柳家権太楼はトンデモ床屋に入ってしまった男の「悲劇」をおかしく語る「無精床」。古今亭文菊は、風に強い日に本妻と妾の間をウロウロする「権助提灯」。ヤキモチと女の意地がエスカレートして、旦那は居所を失うという噺だが、文菊はいつものようにうまい。橘家文蔵は「時そば」で、誰でも知ってる噺だがそばを食べるところの所作なんか実に魅力的。古今亭志ん輔の「夕立勘五郎」というド下手な浪曲師赤沢熊造を語る噺も面白かった。桃月庵白酒はこの間の余一会で聴いたばかりの「ざるや」をさらっと演じた。この人は「軽み」が見事で、いつも楽しみ。

 今日は子連れで来てた人も何組かあって、漫才や曲芸が受けてた。小学生じゃ落語はなかなか厳しいだろうから、色物は貴重だなと思う。まだプログラムに亡くなった林家正楽が掲載されていて、寂しい限り。今週はもう一回、落語協会100周年で寄席に行くから、最近映画や散歩より落語に気持ちが向いてるかも。
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独立プロ映画『村八分』と戦後民主主義

2024年02月24日 22時03分52秒 |  〃  (旧作日本映画)
 シネマヴェーラ渋谷でやってる「日本の映画音楽Ⅱ 伊福部昭・木下忠司」という特集で、古い日本映画を少し見ている。特に映画音楽というより、二度と見られなそうな珍しい映画が結構多いのである。僕の場合、映画史的に重要な作品や巨匠の代表作なんかは大体見終わっていて、好きな映画をまた見ることもあるけど、それよりは「昔の日本」を発見する目的が大きい。

 ロケされていると、昔の風景が意図せず映し込まれていて発見が多い。また、ストーリーやテーマを今になって見直すと、時代の変化(パラダイム変換)を発見することもある。最近見た『遠い一本の道』で、「左翼労働組合」の「闘争」が性別役割を前提にした「主婦が内職しないで済む賃金」を獲得目標にしていたと驚いたのはその一例である。

 今回記録しておきたいのは、1953年に作られた『村八分』という映画で、現代史に関心がある人にはある程度知られている1952年の「静岡県上野村村八分事件」を映画化したものである。近代映画協会製作、北星配給という「独立プロ」作品。日本では50年代を中心に大手映画会社で作れない社会的テーマに果敢にチャレンジする独立プロ作品が多数作られた。貧困や差別と闘う「民主主義映画」は、世界映画史上でも重要な作品群として「発見」する必要がある。(上映は終了したが、DVDが出ている。)

 1952年に行われた参院選補欠選挙が今や開票の時を迎えている。朝陽新聞社の支局前では各候補の得票状況を時々刻々と書き換えている。多数の人々が支局前に集まって開票状況を見つめている。この風景が今ではもはや珍しい。「翌日開票」で昼間開票しているのである。その時、支局に届いた手紙に気付いた人がいる。読んでみると、自分の村では「投票券」を有力者が集めて回って「不正選挙」が行われているという投書だった。差出人は「野田村」の高橋満江という女子高生である。野田村の担当は吉原通信局で、連絡を受けた本多記者(山村聡)が早速自転車で現地に出掛ける。

 村人は堅く口を閉ざしているが、投書をした女子高生を高校に訪ねて不正の様子を詳しく取材する。直接知っているわけではなかったが、母親のところに有力者が当日村を出ている父親の分の投票権を集めに来たという。母親はおかしいと思って断ったが、実は2年前の参院選の時も同じようなことがあった。取材の様子が知れ渡り皆心配するが、村長や県議など有力者は何も言うなと命じる。やがて大きく報道されると、警察が動き出し罰金刑になる者も出て来て村は大揺れになった。元はといえば原因は高橋満江だとして、村人は高橋家と付き合わないように取り決める。満江は孤立して教師に相談するが…。
(香山先生=乙羽信子は家庭訪問する)
 主人公の高橋満江を演じたのは、これがデビューの中原早苗(1935~2012)。その後日活に入社して多くの青春映画に出た。大体は石原裕次郎をめぐって主演女優(浅丘ルリ子や芦川いづみなど)と争う敵役だった。結局は敗れるわけだが、明るい持ち味で演じていた。64年にフリーとなって東映映画によく出るようになり、65年に深作欣二監督と結婚した。東映では大体悪い方の親分の情婦みたいな役が多い。貴重な脇役で、僕は中原早苗が出ているのを見ると嬉しくなる。
(中原早苗)
 新藤兼人脚本、宮島義勇撮影、伊福部昭音楽という豪華なスタッフ。今回は伊福部昭特集で選ばれているが、特に代表作というわけでもないだろう。『ゴジラ』のテーマで知られている作曲家で、荘重な音楽を付けている。監督の今泉善珠(いまいずみ・よしたま、1914~1970)を知らなかったので、1976年キネマ旬報社刊の『日本映画監督全集』を見たら載っていた。戦前は記録映画を作っていたが、戦後に新藤兼人監督『原爆の子』の助監督を務めて、この作品で劇映画の監督に昇進した。しかし、次作『燃える上海』以後は東映教育映画部で児童向け教育映画を主に作ったという。不遇な子どもたちを温かい目で描く作品が多く、『青年の虹』が文部省特選になったという。ところで、この本には監督の住所と電話番号が明記されているのには驚いた。
(大きく報道された)
 展開がストレートで、映画の完成度的には佳作レベルだろう。作られた1953年は日本映画史上最高の豊作年で、小津の『東京物語』が2位、溝口の『雨月物語』が3位。世界映画史に残る両作品を押えたのは今井正の『にごりえ』で、今井作品は『ひめゆりの塔』も7位に入った。他にも『煙突の見える場所』(五所平之助)や『日本の悲劇』(木下恵介)など傑作揃いで、『村八分』には一点も入っていない。僕もそれはやむを得ない結果だろうと思う。社会史的価値で残る作品なのである。

 事件が起きたのは静岡県上野村で、1959年に富士宮市と合併して消滅した。日蓮正宗の本山、大石寺(たいせきじ)のあるところである。映画でも富士山が真っ正面に見えているから、付近でロケしている。まだ馬で畑を耕しているのが驚き。前近代から続く共同体が生きているような村である。補欠選挙は1950年当選の平岡市三の死去に伴って行われた。占領が終了し公職追放が解けた石黒忠篤元農相が立候補して当選した。「農政の神様」と言われた人で、近衛内閣で農相を務めていた。

 朝陽新聞は朝日新聞で、高橋満江の実名は石川皐月である。実は2年前の参院選でも不正があり、おかしいと思った石川は当時在学していた上野中学新聞に替え玉投票を告発する文章を投稿した。それが掲載された後に村で批判され、中学は配布した新聞を全部回収して焼却処分にしたという。その後、富士宮高校に進学していた石川は今度は朝日新聞に投書したのである。「村八分」事件も大きく報道され、法務局や日弁連人権擁護委員会も調査に訪れる。映画では馬を貸してくれないから高橋家では人力で耕作するしかない。満江と妹も学校を休んで働くことになる。しかし、高橋家には全国から応援の手紙が寄せられる。
(石川皐月のその後)
 そして高校では「臨時生徒大会」が開催される。驚くのはその時に教員は職員室で仕事しているのである。大会は生徒だけで運営されており、皆が挙手して整然と議論している。今じゃ教員なしで生徒大会が出来る高校などあるのだろうか。最低でも生活指導部の生徒会担当教員は出席するんじゃないだろうか。それはともかく、ここでは村の秩序を乱す行為はおかしいという意見を述べる生徒もいるのだ。しかし、最終的には「正しいこと」を主張した者が迫害されることはおかしいという結論になり、皆で高橋家を支援しようと自転車で駆けつけるところで終わりとなる。

 石川皐月は当時「不正をみても黙っているのが村を愛する道でしょうか」と述べていた。母親が投票券を渡さなかったのも、戦後になって女性が投票出来るようになった選挙権の大切さを実感していたからだろう。「昭和」が遅れていたというのではなく、戦争で得た民主主義を守るために闘った人がいて、その上に現在があるのである。後に石川皐月は1953年に『村八分の記―少女と真実』を理論社から刊行した。そして「婦人民主クラブ」事務局長(加瀬皐月名義)として活動し続けた。今も存命である。
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『夜明けのすべて』、三宅唱監督の「病友」映画

2024年02月23日 19時49分02秒 | 映画 (新作日本映画)
 瀬尾まいこ原作、三宅唱監督の『夜明けのすべて』はちょっと予想を裏切る映画だった。松村北斗×上白石萌音主演と宣伝しているけど、恋愛的要素が最後までゼロなのである。三宅唱監督がベストワンを獲得した『ケイコ 目を澄ませて』(2022)の次回作で、人気俳優を迎えて拡大公開されたが2週目、3週目とどんどん上映が減っている。だから「失敗作」や「作家性の高い映画」かなと思うと全然違うのである。確かに前作の岸井ゆきのほどの凄まじいエネルギーは今回の映画にはない。しかし、居場所を求める人々を温かく描く「小さな宝物映画」、かつ「病友映画」になっている。

 瀬尾まいこの小説はある時期までよく読んでいた。映画『幸福な食卓』(2007)を他の映画を見るついでに併映作品として見て(二本立て名画座だった)、なかなか良いじゃないかと思って原作も読んでみた。2005年に吉川英治文学賞新人賞を得た作品だが、僕はまだ作者の名を知らなかった。その時点で京都の中学校教員だったこともあって、応援するつもりで読み続けたのである。その後、作家専業になり『そして、バトンを渡された』(2018)で本屋大賞を受賞。すっかり人気作家になって、僕も少し飽きてきた感じもあって近年は読んでない。だから今度の映画も原作は読まずに見たのである。
(山添の髪を切る藤沢さん)
 画像のように若い女性が若い男性の髪を切るスチル写真を見ると、多分この二人は恋愛関係にあるか、少なくとも片思いなのかと想像すると思う。だけど、それが違うのである。藤沢美紗上白石萌音)は高校生の頃から、時々非常にイライラし体調不良になることがあった。それが「PMS」(月経前症候群)という病気で、その後大会社に就職したが適応できずにすぐに退社してしまった。その後栗田科学という小会社で働いている。そこに山添孝俊松村北斗)という青年が入社してくる。ある時彼が会社で異常な感じになって早退する。藤沢は追って行き「もしかしてパニック障害?」と聞く。

 そこから二人は時に助け合う「病友」になっていく。「病友」という言葉は一発で変換出来なかったけど、ハンセン病ではよく聞く言葉だ。その場合は同じ療養所に「隔離」されて、ともに人生を過ごすわけだから「病友」にならざるを得ない。今度の場合はお互いに職場で大変な思いをした過去がある。「生きづらさ」をともに抱えて、恋愛に至る状況にないんだと思う。藤沢はPMSを告げて「一緒に頑張ろう」と言うが、山添は二人の病気には違いが大きいと言う。藤沢は「病気にもランクがあるんだ」と思わず言う。この言葉はとても心に突き刺さる。病気を抱えた者同士が「しんどさ比べ」に陥っている。
(藤沢と山添)
 山添には「彼女」もいたが、電車も乗れなくなってしまった彼とは付き合っていくのが大変である。彼からすれば、日常生活への支障が大きいパニック障害に対し、月に一回であるPMSは大変さが違うと思ってしまうのだ。僕はパニック障害の生徒は知っているが、PMSは病名も知らなかった。映画は二人の病態を丁寧に描き、観客も大変さを理解していく。そして、もう一つ大切なのは彼らを受け入れている「栗田科学」という会社である。その社長(光石研)にも悲しい過去があったと判っていき、辛さを支え合う会社になったんだと判る。そういう場所の存在は、観客にとっても宝物を見つけた気持ちになる。

 Wikipediaを見ると、原作では会社名は「栗田金属」というらしい。それが映画では「栗田科学」に変更され、子ども向けの科学用品(顕微鏡や天体望遠鏡)などを作っていることになっている。そして年に一度、地域貢献活動として小学校の体育館を借りて移動プラネタリウムを実施する。山添と藤沢はその担当になって、解説原稿を一緒に作ることになった。かつてない「天体映画」でもあり、自分の子ども時代にも天体望遠鏡を見たなあと久しぶりに思い出した。この終わりの方の展開はとても心に沁みる。
(ベルリン映画祭の三宅監督)
 藤沢は父がいないらしく、母も病気らしい。彼女は医者にピルを使いたいと言うが、母親に血栓の既往歴があるからダメと言われるシーンがある。そのことと関係があるのかどうか、最後の方では入院している。二人は会社でいつも隣同士なんだから、「普通」なら「好きになっちゃう」もんじゃないか。しかし、この映画では最後まで「友人」で終わり、少しは恋愛要素が出て来るかなと思う(期待する?)観客の予想は裏切られる。そこで自分の「普通」感覚も問われる気がするのである。

 僕はこの映画は何だか良いものを見つけた気がして、宝物みたいな映画だなと思った。しかし、病気を自分事として感じられないと、届かない映画じゃないかとも思う。多分主演俳優を見に行った若者にはちょっと遠かったのかもしれない。三宅監督の演出は的確で、主演の二人の病気を違和感なく伝える。同時にいつも感心する月永雄太の撮影が素晴らしい。前作も担当して東京下町の女性ボクサーをドラマティックに映したが、今回の柔らかい映像も見事だ。こういう映画もあるんだなというか、こういう「男女の友情」やこういう会社も良いなと思ったりする「ほっこり映画」である。
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私立高校の「授業料無償化」問題②ー東京都の場合

2024年02月22日 22時26分47秒 |  〃 (東京・大阪の教育)
 私立高校の授業料無償化問題。大阪府に続いて、東京都のケースを検討したい。小池百合子都知事は2023年12月5日の都議会で、私立学校の授業料上乗せに設定していた所得制限を2024年度から撤廃すると表明した。つまり、今までも授業料を補助していたのだが、その制度には910万円という所得制限があった。その制限額は国の就学支援金と同額である。つまり、910万円の所得を境にして全く支援がなくなるのだが、それは大阪府も含めてすべての都道府県で同じだった。
(東京都の制度)
 東京の場合、大阪にある「キャップ制」なる不思議な仕組みは存在しない。今までは所得制限を設けた上で、授業料47万5千円まで補助するという仕組みだった。東京都の私立高校の平均授業料は47万3002円だという。従ってもっと高い授業料の学校もあるわけだが、そこは家庭負担になるということだろう。授業料平均額までは補助するという考え方である。それは今後も同じらしいが、今までは存在した所得制限を廃止するのである。

 都立高校は東京都に住んでいる生徒しか受けられないが、当然ながら私立高校には居住制限がない。だから、東京の私立学校にはいっぱい近県から進学しているし、東京の中学生もいっぱい近県の私立高校に進学する。東京都によると、都内の私立高校(244校)の生徒数は約18万人で、そのうち3割が都外在住だという。近隣各県でも国の支援金に上乗せする独自の補助制度があるが、いずれも所得制限があるうえ、県内私立高校へ通う生徒しか対象にならないという。(東京新聞12月25日付) 

 それなら全国どこの都道府県も同じような制度を作れば良いようなものだが、やはり東京や大阪は税収が多いのだろう。そのような政策を通して、子どもを私立学校に行かせたいと考える保護者を集めたいのだろう。一回目に見たように、私立高校には授業料以外にも様々な納付金がある。だから、授業料が実質的に無償化されても、進学実績のある私立校はやはり富裕層が多いはずだ。そういう住民を都内に引き寄せる効果も狙っているのかもしれない。

 それにしても、都内私立校では生徒の3分の1の家庭が何の支援も受けられない。一方で残りの7割弱の生徒には授業料が事実上なくなる。それではあまりにも不公平だという声があがるのも当然だ。東京新聞は「都民だけ高校無償化 波紋」と一面トップで報じている。都外から通う場合は、通学の交通費も高いわけだし、都内私立受験を考える保護者は都内移住を考えるのではないか。この問題は本来国が統一的な制度を作るべきなのだろう。
(都民と他県住民の相違)
 ところで、このような制度を作ると、中学生の進路事情は変わるのだろうか。進路志望を決める2学期が終わる頃に打ち出された政策だから、今年度の影響は限定的だろう。だが、多くの生徒は(推薦入試で合格した場合は別だが)、一般入試では一応公立、私立双方に出願しておくものである。何があるか判らないので(入試当日にインフルエンザに罹るなど)、安全策を取るわけである。今回は「私立高校授業料無償化」の報を受けて、私立志望校のレベルを上げて「冒険」する生徒が増えたかもしれない。

 2月21日に行われた都立高校の入学者選抜受検状況を見ると、若干私立高校志望が増えているかなという気がする。今年から都立高校の男女別定員制が無くなったので、その影響も見極める必要がある。私立入試の方が早いので、先に私立高に合格した生徒は都立高の受検を欠席することになる。前年度と比べてみると、去年は全日制高校で1951人の欠席があったが、今年は2166人に増えている。日比谷高校では、昨年は男女計581人の応募者があり、当日は107人が欠席した。今年は性別問わず459人の応募に対して、105人が欠席した。欠席者自体は減っているが、出願者が大幅に減っている。有意な変化だから理由があるはずだ。成績上位者が私立志向になったか、女子の応募者が減ったのかもしれない。
(制度を発表する小池知事)
 ところで私立高校授業料無償化というのは、一体どういう意味を持つのだろうか。公立高校で全中学生を受け入れることは出来ない。少子化にともない公立学校の空き教室が増えているから、キャパシティとしては可能かも知れない。だが教員がいないし、公立高が受け入れすぎると、私立高校の経営が破綻してしまう。だから、事前に卒業予定者数を見て公私間で受け入れ数を調整している。必ず私立高校に行かざるを得ない中学生が存在するのに、全く経済的支援がないのは不公平になるだろう。

 しかし、私立学校には「独自の教育理念」があり、本来はそれに魅力を感じる保護者があえて高額の授業料を支払っても、子どもを私立に行かせるものだろう。それに私立高校には大学附属も多く、入試を経ずに大学に進学出来る高校も多い。都立高校にも「指定校推薦」みたいな制度があるところも多いが、一般的には受験しないと大学へ行けない。私立高校は高いけれど、大学受験の苦労がないという場合、私立の授業料を無償化するのはかえって不公平ではないのか

 公立高校の授業料が安いのは、教職員が公務員であり人件費を都道府県が全額負担しているからだ。私立の場合は、授業料や入学金などから教職員の人件費を出すんだから、高くなるのも当然だろう。それを考えると、これだけ無償化を進める以上、公私立で教職員の人件費が違ってはおかしいだろう。(違うかどうか僕は詳細を知らないけど、多分私立の方が実質的に有利な場合が多いと思う。)授業料に差がある分、私立の方が高い教育を受けられるという場合、授業料を公費で負担するのは不公平なんじゃないか。「平等とは何か」という難問をこの問題は提起しているように思う。
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私立高校の「授業料無償化」問題①ー大阪府の場合

2024年02月21日 22時53分00秒 |  〃 (東京・大阪の教育)
 入試の季節真っ只中である。もっとも地方や時代により、ずいぶん入試の仕組みも違っている。自分の感覚では「2月は入試」「3月は卒業式」になるが、順番が違う地方もあるらしい。それはともかく、最近は「教育無償化を実現する会」なんていう小政党まであるぐらいで、「教育無償化」というテーマは政界でもキーワードになっている。

 もともと公立の小学校、中学校は授業料がないが、それは義務教育課程の公立学校だから当然だろう。余りにも当たり前すぎて授業料がないことを誰も意識していないだろう。だが「私立の小中学校」は授業料があるし、公立の小中学校でも教材費、制服・体育着代、給食費、修学旅行費などは保護者の負担である。これも当たり前すぎて誰も疑問に思わなかっただろう。

 もっとも低所得世帯の児童・生徒の給食費や修学旅行費には多くの自治体で補助制度があった。そして最近は所得に関わらず「給食費の無償化」を進める自治体が増えてきている。また大学進学に対する奨学金制度を進める自治体もある。それらに関しては、ここでは取り上げない。ここで考えたいのは「私立高校の授業料無償化」という問題である。

 世界的には「後期中等教育(高校)の無償化」は、「人権」と考えられ諸外国では20世紀中に実現されていた。高等教育(大学)の無償化をどう進めるかが世界の問題だった。しかし、自民党内閣では長いこと高校無償化が実現しなかった。多くの人は覚えていると思うが、2009年に成立した民主党政権で、初めて高校教育の無償化が実現したのである。

 その仕組みはなかなか複雑で、僕には問題もあるように思われた。自民党内閣が復活して所得制限が行われたが、その時にはこのブログでも批判・検討した。国の制度の所得制限や様々な問題点(「朝鮮学校の除外」や「留年生徒の除外」など)も今は検討から外したい。民主党政権では当初、公立高校だけでなく、私立高校や専門学校等に通う生徒にも支援が行われたが、それは公立高校と同額の補助を行うというものだったと記憶する。

 今も国の負担において、公立高校と同様の補助が支出されている。私立高校の授業料は公立より高いから、差額は保護者の負担になる。それに対し、多くの都道府県が「上乗せ」支援を行っている。(22年度時点で34都道府県だという。)大阪府では2020年度から所得制限(910万円)を設けた上で、(国庫負担と合わせ)「60万」を上限とする補助を行ってきた。それに対して、2022年になって「完全無償化」と称して、所得制限の撤廃を打ち出したのである。(ただし、初年度は高校3年生のみで、段階的に無償化を実施するとしている。)
(新旧制度)(段階的無償化のイメージ図)
 今までの説明で長くなったが、この制度案は大きな議論を引き起こした。というのも、多くの私立高校では授業料は60万円より高く、その分は私立高校側の負担となるという制度だったのである。これを「キャップ制」というらしいが、ちょっと理解に苦しむ制度である。私立高校は、公立じゃないんだから授業料は独自に設定できるはずだ。特色ある教育を実施するために多額の授業料を設定するのは、当然許容されるはずだし、それを承知で保護者も私立高校へ行かせているはずだ。
 
 それなのに、授業料の上限を地方自治体が設定してしまって良いのか。そもそも授業料は授業の対価なんだから、そこに公権力が介入するのは問題ではないのか。実際に多くの私立高校から反発が噴出し、結局成案では「63万円」とちょっと増額されることになった。確かに「910万円」の所得制限というのは不可解ではある。それは国の所得制限額と同じだから、所得がオーバーすると補助はゼロとなる。ちょっとの差額で受けられない人は不公平に感じるだろう。
(旧制度の説明パンフ)
 今回検索して、上記のパンフが見つかった。それによれば「令和2年4月からから私立高校授業料実質無償化スタート!」と大きくうたっている。4年前にすでに「実質無償化」が実現していたはずなのに、たった4年で制度を根本的に変更するのは何故か。それは私立高校への補助が他県にも波及してきて、大阪府の独自性が薄れたからだろう。「大阪維新の会」としては、問題が大きくなってきた大阪万博に代わる「目玉」が欲しいんだろうと思う。

 ところで、そもそも「私立高校授業料無償化」とは何なんだろうか。私立高校の授業料が高いのは誰でも知っている。それでは貧困層の子どもは公立高校しか行けない。だから私立高校授業料も補助するというのなら、それはタテマエ上「平等化政策」である。その場合は所得制限がある方が正しいのではないか。高所得層でも無償化するというなら、その余裕分を塾や予備校、あるいは海外旅行などの体験学習などに回せる。教育の階層格差を広げることになるだろう。そして恐らくそれが政治的目的なんだろう。大阪維新の支持層向けの政策なのである。
(大阪桐蔭高校)
 もう一つ大きな問題がある。僕は大阪の私立高校は三つしか知らない。それは「大阪桐蔭」「履正社」「PL学園」で、要するに高校野球に出てきた学校である。多くの人はそんなものだろう。大阪周辺の進学校としては、神戸市にある灘中学・高校がある。そこは結局この制度には参加しないということだ。(大阪府では近県の学校にも参加を呼びかけていた。)つまり、近県私立へ進学する府民生徒は無償化の恩恵があるが、その他の県出身者には恩恵がない。また大阪の私立に進学する他県の生徒も恩恵がない。
(灘中学・高校)
 同じ学校の生徒間に大きな格差が生まれるのは問題ではないか。またそれは別としても、このような有名私立のホームページを調べてみると、例えば灘中の場合、入学金25万、施設費25万などと明記されている。授業料そのものは中学が46万8千、高校が48万とあるが、授業料と同額以上の諸費用が必要なのである。「私立高校授業料無償化」と言うけど、やはり貧困層の生徒は入学が難しいのである。では諸費用も含めて無償化するべきか。そうなると今度は公立高へ行かせる保護者、あるいは子どもがいない府民とのバランス上不公平が過ぎるという意見が出るだろう。この問題をどう考えるべきか、東京のケースも合わせてもう少し考えてみたい。
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映画『瞳をとじて』、ビクトル・エリセ31年ぶりの新作

2024年02月19日 22時16分15秒 |  〃  (新作外国映画)
 映画『瞳をとじて』はスペインのビクトル・エリセ監督(1940~)の31年ぶりの新作長編映画である。いやあ、わが人生でもう一回エリセの新作が見られるとは思っていなかった。映画ファンにとって、これは「事件」と言うべきだ。とはいえ、何とこの映画は169分もある長い長い映画である。ビクトル・エリセ、お前もか!と言いたくなる。何でこんなに長いのかと困惑するが、見たら長さは全く気にならなかった。とても興味深く見られる映画だったが、じゃあ出来映えはどう評価するべきだろうか。

 冒頭で「パリ1947年」と出る。「悲しみの王」と呼ばれる古びた洋館で、あるユダヤ人男性が病に冒されている。彼はアメリカ人探偵を呼び寄せて、かつて上海でもうけた娘を探して欲しいと頼む。中国人の妻が娘を連れて去ってしまったという。そして娘の写真を見せるのである。(中華人民共和国の建国は1949年だから、1947年はまだ革命前の国共内戦中で人捜しも可能だろう。)と、そこでフィルムが途切れる。実はその映画は1990年に撮影していた映画の冒頭部分だったのである。探偵役の俳優フリオ・アレナス(ホセ・コロナド)が失踪してしまい、映画は中断せざるを得なくなった。
(ヴィクトル・エリセ監督)
 テレビ番組「未解決事件」でこの失踪事件を取り上げることになり、監督のミケル・ガライ(マノロ・ソロ)がフィルムを担当ディレクターに見せていたのである。ミケルはこの失踪事件もあり結局映画監督を引退し、作家となって賞を受けた。しかし、今は離婚して海辺の小さな村に住み、時には漁師をしたりして暮らしていた。テレビに協力するため、久しぶりにマドリードに来たのである。失踪後にフリオの車が海辺で見つかり、遺体は見つからなかったが自殺したと思われてきた。理由が判らず、関係者には今も気に掛かる出来事だった。このテレビ番組は2012年という設定。
(海に出るミケル)
 フリオには娘アナがいたが、テレビには協力していないという。一度話してくれないかと頼まれ、ミケルは久しぶりにアナに連絡してプラド美術館のカフェで会う。アナはプラド美術館で外国人向けの説明員をしているという。このアナを演じているのが、アナ・トレントなのである。言うまでもなく、エリセ監督の1973年作品『ミツバチのささやき』に同名少女役で出演した人である。7歳だった少女は半世紀経って、再びアナという役を演じた。『ミツバチのささやき』は日本では1985年に公開され、その時の驚きは未だに新鮮である。それにしてもエリセ監督は「アナ」に取り憑かれた映画人生だったのか。
(アナとミケル)
 ミケルは古本屋で自分が昔好きだった女性に贈った本と巡り会う。ミケルとフリオは軍隊で出会って友人となり、同じ女性を好きになった関係でもあった。テレビ出演は自分の青春時代を思い出すきっかけになった。ミケルは昔の恋人にも再会し、アナにも会った。アナはテレビにはやはり出ないと言うので、ミケルは村へ帰る。そこでは友人たちと犬との暮らしが待っていた。そしてテレビ放映の日が来て、彼は食堂にテレビを見に行くが途中で帰って来てしまう。このように展開するのだが、映画は後半になって驚くべき展開を見せる。テレビ放映を見たある高齢者施設職員がフリオに似た人がいると連絡してきたのである。

 ミケルはすぐにその施設に出掛けていき、謎の人物に会ってみる。連絡してきた女性職員は、その人は3年前に熱中症で倒れていたといい、その時には記憶喪失だったという。だが、実は証拠になるかもしれないものをその人は持っていたとも言う。ミケルはアナを呼び寄せて会わせてみる。そこで再び彼女は半世紀前と同じセリフを語るのである。ラスト近くの詳しい展開は省略するが、この映画は『ミツバチのささやき』を見ていないと、良く伝わらない部分があるのではないかと思う。
(『ミツバチのささやき』)
 映画史的記憶が見る者の個人的記憶をも呼び覚ます。どうやらそんな映画であるらしい。僕には失踪した友人はいないけど、何年も会ってない人はたくさんいるから、何だか思い出しながら見てしまった。僕は全然退屈しないで長時間の映画を見たのだが、どうやら出来映え的には過去に捕われすぎかなと思った。僕みたいに高齢映画ファンはいいけど、これが初のエリセ作品だという若い人は面白さを感じられるだろうか。そこに疑問も残るが、何にしても見逃せない映画だ。

 ビクトル・エリセは生涯で『ミツバチのささやき』(1973)、『エル・スール』(1982)、『マルメロの陽光』(1992)しか長編映画を作らなかった。オムニバス映画の短編映画は4作あるが、これら4つの長編映画で映画史に残るだろう。『ミツバチのささやき』『エル・スール』は今回も参考上映されているので、今後も見る機会があるだろう。楽しいとか面白いという以上に、心の奥底が深く揺さぶられるような映画である。恐らく最後のビクトル・エリセ作品だろうから、是非頑張って見たい映画だ。
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クルコフ『侵略日記』、戦争初期の緊迫期の記録ークルコフを読む④

2024年02月18日 21時50分37秒 | 〃 (外国文学)
 ウクライナの作家アンドレイ・クルコフの『侵略日記』(福間恵訳、発光ホーム社、発売集英社、2700円)を読んだ。2023年10月30日付で刊行されたが、ウクライナ戦争2年目を迎えるまでに読みたかった。あまり評判になってない感じだけど、やはりウクライナ戦争に関する基礎文献の一つになるだろう。この本は2021年12月29日に始まり、2022年7月11日までほぼ半年間の日記を収めている。毎日書いているわけではなく、数日分をまとめて書いている日が多い。3月が多いのは当然だろう。侵攻は2月24日に始まったが、3月1日までは自分たち家族の避難が優先なので、その間の日記はないのである。

 クルコフは民族的にはロシア人で、母語はロシア語である。幼い頃にキーウに移住し、ウクライナに帰属感を持っているが、ロシア語で創作する作家として成功した。日本でも2つの小説が翻訳されていて、『「ペンギンの憂鬱」、独立ウクライナの苦しみークルコフを読む②』『「大統領の最後の恋」ークルコフを読む③』で紹介した。また2014年のいわゆる「マイダン革命」の日々を、マイダン(キーウ中心部の独立広場)近くに住む作家として広場を訪れながら記録した。それは『ウクライナ日記』として出版され、日本でも翻訳されている。それを読んだ感想は『クルコフ「ウクライナ日記」を読むー2014年「マイダン革命」の日々』にまとめた。その本はウクライナの政情に詳しくないと判りにくい部分があった。

 日記というものは、もともとそんなものだろう。自分では判りきっていること、家族関係とか自国の政治事情なんかは説明抜きに書くわけだ。しかし、今回の『侵略日記』はかなり説明的文章が多く、注無しでも十分理解出来る。それも当然、これはもともと英語で書かれた日記なのである。外国での出版を最初から前提としているのである。クルコフは妻がイギリス人なので、英語は不自由なく使える。ウクライナの出版社、印刷所はロシアの攻撃を受けて新刊書を出版することが不可能になった。ウクライナ・ペンの会長として対外的発言を求められる立場にあったクルコフは、再びこの困難な時期を書き留めて世界に発信したいと思ったのだろう。
(クルコフ)
 この本を読むと、2年前の緊迫したウクライナ情勢を思い出して心が苦しくなる。2021年12月から書かれているわけだが、その頃はゼレンスキー大統領もクリスマス休暇を取っていて、出来るだけ通常通りに事態を見ようと思っていただろう。相変わらずウクライナは政争が激しく、ゼレンスキー大統領の与党は前大統領ポロシェンコの野党に支持率で逆転されつつあった。マイダン革命後に選出されたポロシェンコはもともと反ロシア姿勢がはっきりしていて、プーチン大統領は妥協の姿勢を見せなかった。ドンバス戦争が解決しないことで国民の批判が高まり、ロシア語話者のゼレンスキーが自分なら解決出来ると主張して大統領に当選した。

 クルコフはロシアやウクライナのほとんどの人と同様に、都市の自宅と別に近郊農村部に別荘(ダーチャ)を持っている。そちらで暮らすことも多かったので、今回も当初は別荘に籠城することを考えていた。しかし、いろいろな人の意見を聞き、ウクライナ西部に避難することになった。渋滞を繰り返しつつ、西部の代表的都市リヴィウに落ち着く。この半年間の日記ではキーウに戻らず、結局西部に留まっている。外国に出やすいこともあるだろう。クルコフは何度か近隣ヨーロッパ諸国に出掛けている。ウクライナ文化人を代表する形で、国民の抵抗を伝える役割を果たしていた。

 その後、ウクライナ最西部のザカルパッチャ州に移っている。この州はロシアのミサイル攻撃を一度も受けていない州だと書かれている。そこはハンガリーやスロヴァキアに隣接する州で、少数民族のハンガリー人が多い。それがミサイル攻撃がない理由だろうとクルコフは推測している。EUではハンガリーのオルバン首相が唯一ウクライナ支援に難色を示すことが多い。ハンガリー世論がロシア憎悪に向かわないように、プーチン政権は政治的にそこにはミサイルを向けないのだという分析である。クルコフは戦時にあっても冷静でリアルな状況分析が可能な人であることを示している。
(ザカルパッチャ州ー赤い部分)
 開戦直後とあって、クルコフもロシア語作家として責任を感じている。今後はロシア語での創作はしないらしい。ロシアへ行くこともなく、ロシア文化への関心も失ったという。ロシアへの反感はウクライナに完全に根づいてしまい、ウクライナの民族的アイデンティティは高揚した。クルコフはスターリン時代の国家悪を直視出来ないロシアに対して、常にその当時の苦難を語り継ぐウクライナとの違いを強調している。これはかつての「大日本帝国」時代を直視出来ない日本人を思う時、他人事とは思えない。

 ただ開戦当初はウクライナの防衛が予想以上に成功したこともあり、いずれ勝利するという予測が見られる。僕はこれは「21世紀の30年戦争」になる可能性があると開戦直後に書いた。日本でもいろんな事が言う人がいるが、そう簡単に解決出来るとは思っていない。外国からの武力支援ないでは防衛が不可能なウクライナとして、クルコフも米英の素早い軍事援助には感謝する一方、なかなか武器援助に踏み切らないドイツを散々批判している。どうしても戦争を通して「軍事国家化」が進んでしまうことが多いが、様々な意味で今後の苦難が予想される。この本の時期は、ウクライナ国民と欧米を中心とする諸外国の市民の連帯感が強まった「ハネムーン期」である。今読むと、その後も続く先行きの見えない苦難に言葉が出ない。
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ナワリヌイ氏獄死、世界にプーチン政権の恐怖を証した

2024年02月17日 20時36分59秒 |  〃  (国際問題)
 ロシアの反体制派指導者アレクセイ・ナワリヌイ(1976~2024)が北極圏の刑務所で獄中死した。47歳。16日に刑務所当局から公表され、世界に衝撃を与えている。各国のリーダーから強い非難が寄せられているが、例によって日本の首相官邸は何のメッセージも発信していない。12月に所在不明が伝えられ、結局北極圏の刑務所に移管されていたと判明したときに、プーチンはナワリヌイを殺す気なんじゃないかと直感した。しかし、3月の大統領選の前にも獄死の報が届くとは想定していなかった。
(ナワリヌイ氏の写真)
 ナワリヌイ氏は2020年に謎の毒物中毒(確実にプーチン政権によるものだろう)にかかり、その後ドイツに出国が認められ治療が行われた。2021年1月に帰国したが、そのまま拘束され、2022年に裁判で懲役9年が宣告された。2023年にはさらに過激派組織を設立したとして懲役19年が宣告されていた。それにしても死刑や無期じゃないんだから、刑務所当局には彼を生かしておく責任がある。それが「ロシアが法治国家である」と国際的に弁明する条件なんだから、通常の独裁政権だったらナワリヌイ氏を北極圏の刑務所に送ったりしない。つまり、プーチン政権は通常の独裁政権ではない
(ナワリヌイ氏の妻はプーチンを非難する)
 日本の入管で入所者が死亡すれば、入管当局に責任があると我々は批判する。同じように、ナワリヌイ氏が拘束中に死亡した以上、ナワリヌイ氏の死はロシア当局の責任である。ただ、それが「業務上過失致死」なのか「殺人」なのかは今の段階では判別できない。当局側から「血栓」という報道がなされているが、信用することはできない。遺体はそのまま国外にいる家族のもとに送られなければならない。そして信用できる外国医療機関によって死因調査が行われなくてはならない。それなくしてロシア当局の言い分を信用することは不可能だ。ロシア当局が勝手に遺体を火葬することが懸念される。
(追悼する人々)
 2023年8月には民間軍事会社「ワグネル」の創設者プリゴジン氏が乗った飛行機が墜落するという出来事が起こった。以前からプーチン政権に反対した人々が「怪死」する事件が相次いでいた。その果てに起こったのが「ウクライナ侵攻」である。今までの出来事を見てくると、たまたまプリゴジンの飛行機が墜落したとか、たまたまナワリヌイに血栓があったなどと僕は信じることはできない。普通の独裁政権ならば、今は大統領選挙を控えている以上、もちろんその「大統領選挙」なるものが反対派を排除した茶番であるとしても、その直前に「最大の政敵」が亡くなる事態は絶対に避けたいはずだ。

 僕はこの事態に「プーチンその人の恐るべき残虐さ」を感じてしまう。だからこそ、あのような残虐な戦争をチェチェンで、シリアで、ウクライナで起こせるのである。プーチン政権と交渉して戦争を止められるとか、(はたまた「北方領土」が戻って来るとか)、一切の幻想を持ってはならないと認識するべきだ。まさに「ロシア帝国主義者」として、ゆるぎなくかつてのロシア領土の「回復」を目論んでいると見るべきだ。それこそが「偉大なリーダー」に課せられた歴史的使命と確信しているに違いない。
(映画『ナワリヌイ』)
 ナワリヌイ氏自身はもともと極右的ナショナリストだった過去がある。2014年の「クリミア奪取」も当時は支持していた。2022年に始まったウクライナ戦争には反対を(獄中から)表明したし、近年は同性婚に賛成するなどリベラル化したとも言われてる。しかし、そういう問題は本質ではない。ナワリヌイ氏の政治的主張がどのようなものであれ、猛毒で殺されるいわれはない。そして、紛れもなく彼は政権に暗殺されかけた。それは映画『ナワリヌイ』を見れば判る。2022年度の米国アカデミー賞長編ドキュメンタリー映画賞を受賞した映画である。映画として面白いし、優れている。(上映は終了しているが、ホームページで予告編は見られる。アマゾンプライムビデオで配信されている。)

 「直接命令」なのか、「忖度」なのか、それとも「未必の故意」なのかは判らないけれど、ナワリヌイ氏は「プーチンに殺された政治家」として歴史に残るだろう。プーチンのもとで、ロシアがここまで恐ろしい国になってしまったことに愕然とする。
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映画『風よ あらしよ 劇場版』、伊藤野枝の生涯を描く

2024年02月16日 22時31分29秒 | 映画 (新作日本映画)
 『風よ あらしよ 劇場版』という映画が一部映画館で上映されている。大々的な公開じゃないので、知らない人が多いと思う。でもこれは女性解放運動家の伊藤野枝の生涯を描く初めての映画なのである。大々的な公開じゃないのは、これが「劇場版」だからだろう。もともとは直木賞作家村山由佳の小説『風よ あらしよ』(2020)が原作で、テレビドラマ化されて2022年3月31日にNHK BS8Kで放送された。そして9月にNHK BSプレミアムとNHK BS4Kの「プレミアムドラマ」枠でも放送された。このデータはWikipediaに出ていたものだが、BSにもそんなにいろいろあるんだ。

 伊藤野枝(1895~1923)は地元福岡県で無理やり結婚させられそうになり、なんとか家出して東京へ行く。上野高等女学校で学び、英語教員の辻潤(1884~1944)から女性だけで作った雑誌『青鞜』(せいとう)が発刊されたことを知る。そして、青鞜社の主宰・平塚雷鳥(1886~1971)を訪ねて同志となる。また辻と同棲するが、辻は責任を取るとして学校を辞任した。二人はその後結婚し、子どもも生まれる。しかし、辻は正業に就かず、野枝は女性運動に奔走し、家庭はイザコザが絶えなくなる。これは社会運動史に関心がある人には非常に有名なエピソードで、正直言うと全部知っていた話である。
(辻潤)
 だけどよく考えたら今まで伊藤野枝の生涯を描く映画はなかった。吉田喜重監督の『エロス+虐殺』や深作欣二監督『華の乱』はあった。伊藤野枝の娘を描くドキュメンタリー映画である藤原智子監督『ルイズ』も作られた。また宮本研の『美しきものの伝説』や『ブルーストッキングの女たち』という戯曲は今も時々上演される。だがそれらは伊藤野枝が主人公ではない。まあ周囲の人物が面白すぎるから、群像劇にする方が興味深くなる。でも伊藤野枝のドラマティックな人生だって映像化されて良い。
(大杉と伊藤野枝)
 そして野枝はやがて無政府主義者の大杉栄(1886~1923)と知り合い、惹かれていく。夫の辻潤は社会問題に無関心で、正義感の強い野枝には物足りない。ついに二人は別れ、野枝は大杉のもとへと奔る。ところが「自由恋愛」を唱える大杉には、妻の保子に加え、新聞記者の神近市子という愛人もいたのだった。その(男から見た)「理想」生活は、神近市子が大杉を襲って傷を負わせた「日蔭茶屋事件」(1916年)で破綻した。事件後は大杉は野枝と共同生活を送り、二人の間には5人の子が生まれた。しかし、大杉と野枝は1923年の関東大震災後に憲兵隊によって虐殺されてしまう。
(大杉をめぐる女たち)
 キャストを見ると、伊藤野枝は吉高由里子、大杉栄は永山瑛太である。下の写真を見ると、かなり似ているんじゃないかと思う。まあ「そっくりさん」ショーを望んでいるわけじゃないが。辻潤は稲垣吾郎、平塚雷鳥は松下奈緒、神近市子が美波といったあたり。瑛太はこの後で、映画『福田村事件』でも虐殺されてしまうのはご苦労様である。演出の柳川強は、朝ドラを5本担当していて吉高由里子主演の『花子とアン』もその中にある。NHKスペシャル『最後の戦犯』『気骨の判決』など重要な作品を幾つも生み出してきた。脚本の矢島弘一ともども、中島京子原作の『やさしい猫』を担当した人でもある。
(伊藤野枝)(大杉栄)
 正直言うと僕はドラマとしてはサラッとし過ぎで、伊藤野枝がよく描かれすぎている気がした。野枝と辻潤の間には、もうひとり里子に出した子どもがいるが、全然出て来ないのもどうなのか。野枝が雷鳥から青鞜社を譲り受けるシーンも出来過ぎっぽいし、劇中の野枝は大理論家みたいに見える。殺された時点でまだ28歳の野枝は、運動家としても理論家としても未成熟だった。なお野枝は足尾鉱毒事件を全然知らないという。よくよく考えてみると川俣事件(被害民が東京へ押し出しを試みて警官隊と衝突した事件)は1900年、田中正造が明治天皇に「直訴」したのは1901年である。伊藤野枝はまだ幼少期で、遠い九州に住んでいたから知るはずがないのだ。なんだか僕らからすると明治大正期が皆一直線に見えてしまうけど。
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映画『コット、はじまりの夏』、アイルランドの「静かな少女」

2024年02月15日 20時41分04秒 |  〃  (新作外国映画)
 『コット、はじまりの夏』という映画を見たのはちょっと前のことだ。時間が経ってしまったけど、何だか心に残っているのでやはり書いておきたい。アイルランドの映画で、2022年度の米国アカデミー賞国際長編映画賞にノミネートされた。これは同国初だという。またベルリン映画祭の国際ジェネレーション部門でグランプリを受賞している。

 アイルランドの農村地帯に住む一家の物語である。1981年の話らしいが、それはインターネットの情報による。一家は横暴な父が支配していて、9歳の少女コットキャサリン・クリンチ)は親にもなかなか心を開けない。学校でも孤立しているようで、友人と遊ぶこともない。英語題が「The Quiet Girl」で、まさにおとなしく静かな少女である。別に傷害があるとか、いじめられているとかではなく、ただ内気なのである。父母に加えて、年の離れた姉もいて、自分のペースで話すことが出来ないのである。
(コット)
 その年の夏、母は妊娠していてコットを構うことが難しい。母親のいとこ夫婦が預かっても良いと言うことで、夏休みの間だけやはり農家のアイリンショーンの家に行くことになった。厄介払いみたいなもんだけど、コットはおとなしく従う。その家には子どもはなく、夫婦は親切に受け入れてくれる。やがて牛の世話も手伝えるようになり、コットもなじんでくる。アイリンは「わが家には秘密はない」と言って、何でも困ったことはしゃべってくれるように言う。子供服がないので、一緒に町まで買いに行ったりする。そんなひと夏の愛おしい一瞬一瞬を美しい映像で記録した映画である。
(コットとアイリーン)
 ところが実はその家には悲しい「秘密」もあったのである。コットがその事を知ることで、預かってくれている夫婦と心が通ってくるのである。アイルランドの美しい自然の中で、コットの「はじまりの夏」を描くだけの映画。それだけなので、大きな社会的テーマがあるわけじゃない。欧米では子どもも皆独立心旺盛で自己表現に優れているなんてことは、やっぱりないのである。内気でおとなしい少女はやっぱりいるんだけど、誤解されやすいのである。夏休みも終わるので家に戻るというとき、コットも初めて自分の気持ちを全開にする。それが見る者の心を打つ。
(コルム・バレード監督)
 子どもの眼で描くある夏の日々。それだけの映画である。いじめも虐待もないけど、がさつで口うるさい父親のもとで、静かに生きていた少女。コットという少女が、とてもいじらしく忘れがたいのである。ドラマというほどのドラマもない映画だが、何十年も経ってからもコットはこの夏を覚えているだろう。監督・脚本は1981年生まれのコルム・バレードという男性である。短編映画やドキュメンタリー映画を作った後で、初めての長編劇映画としてこの映画を作った。コットは芯が強いけど、表面上おとなしいから、心の中を周りが気づけない。こういう子どもっているなあと思った。「夏休み映画」はいっぱいあるが、こんな風に静かで心に沁みるような作り方も出来る。
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落語協会100年、雑誌『東京人』3月号「どっぷり落語!」は永久保存版

2024年02月14日 22時15分40秒 | 落語(講談・浪曲)
 今年は落語協会が創立100年になるんだという。3月1日の上野鈴本演芸場を皮切りに特別興行が予定されている。その詳細は「落語協会100年事業」で見ることが出来る。最初は大ネタの「百年目」を前半、後半に分けて二人の噺家が演じるという企画で、すでにチケットぴあでは売り切れている日もある。僕も「人間国宝」五街道雲助と弟子の桃月庵白酒の師弟リレーを狙っていたら、発売直後に売り切れていた。(代わりに初っ端の柳亭市馬林家正蔵の会長、副会長コンビの日を買った。)

 ところで、その落語協会100年を記念して雑誌『東京人』の3月号は「どっぷり落語!」と題した特集で、永久保存版と言いたい充実ぶり。とにかく面白い対談、座談会がいっぱいのうえ、資料的にも落語協会の全真打を流派ごとにまとめたり、「サンキュータツオが選ぶ夢の名人ラインナップ」など貴重なものが多い。落語が好きな人、寄席に行ってる人はもちろんのこと、落語をほとんど知らない人でも入門編として楽しめると思う。税込1051円もするので、僕も最初はためらったんだけど、本当に面白かった。

 まず一番最初が昨秋に「人間国宝」(重要無形文化財保持者)に認定された五街道雲助師匠のインタビュー。「了見だけはアウトローで。」とその意気や良し。そもそも人間国宝は芸能と工芸で認定されるが、芸能関係は歌舞伎や能楽、邦楽関係者に偏っている。落語で認定されたのは上方の桂米朝に、東京の柳家小さん柳家小三治、そして今回の五街道雲助とたった4人しかいない。「昭和の大名人」と今も語り継がれる桂文楽古今亭志ん生などは全く無視されていたのである。今回も柳家小三治死去を受けた認定だと思うが、何も落語界から一人じゃなくて良いはず。(それに舞踊やミュージカルなども認定して良いと思う))
(五街道雲助)
 その次が柳亭市馬(落語協会会長)と春風亭昇太(落語芸術協会会長)という二度と読めない「会長対談」である。「切磋琢磨の良きライバル」とうたっている。歴代の落語協会会長を見ると、年齢も高い大御所がズラリと並んでいる。文楽(8代目)、志ん生(5代目)、三遊亭圓生(6代目)、柳家小さん(5代目)と名人が並び、その後も三遊亭圓歌(3代目)、鈴々舎馬風(5代目)、柳屋小三治(10代目)と続く。市馬は2014年に52歳という歴代最年少で会長に就任した。芸協の昇太会長も2019年に60歳での就任で、前任の桂歌丸より大きく若返った。僕は二人の落語の大ファンだったから、早すぎる会長就任が残念だった。一番充実する時期を会務で取られてしまうのかと寂しかったのである。二人とも「プレイングマネージャー」(野球で「選手兼任監督」のこと)だから正直大変と言っている。全くその通りと同情するが、危機の時代に寄席を守るには若い会長を必要としたと思った。

 一番面白いのは、「楽屋裏の師匠たち。」である。表紙にもなっている林家正蔵柳家喬太郎林家彦いち三人の座談会で、「圓生、小さん、談志、志ん朝、小三治…」と副題があるように、昔の師匠を中心に裏話を語り合う。昔の師匠は本当に怖かった。そして「寄席」という場所の懐の深さも印象的だった。面白エピソード満載だが、これらの噺家が入門したのは圓生一門、談志一門の脱退を見た時代である。正蔵は立川志の輔を「うちの見習い」と紹介されていた。また、すべての対談で古今亭志ん朝が2001年に63歳で亡くなった不在の重さが語られる。存命ならば85歳、間違いなく会長、人間国宝になっていた。

 長くなってるが、まだまだある。「これからの百年、落語はどうなるの?!」という大テーマを語り合うのは、柳家三三古今亭菊之丞春風亭一之輔。「笑点」に出てる一之輔しか知らないなんて人は、是非とも他の人を今のうちから聞いておいてください。そして「マジに挑戦し続けますよ!」と題して蝶花楼桃花林家つる子の対談。これこそ読まずにいられぬ女性落語家から見た落語界である。こんな充実した対談、座談会が幾つもあるんだから、絶対に買って損はない。
(桃花とつる子)
 その間に落語協会百年を支えた噺家たち、落語ファンで知られる南沢奈央東出昌大の寄稿、「色物」と呼ばれる大神楽、物まね、奇術、粋曲、曲技、紙切りなども紹介される。紙切りは急逝した林家正楽師が紹介されていて感慨深い。お囃子や寄席文字など、もう書き切れないほどの情報が一杯詰まっている。初めて寄席に行ったら最初は戸惑うこともあると思うけど、やっぱり寄席を次の時代にも残していきたいなと僕も思う。落語協会ばかりじゃなく、いろいろ見たいんだけど、今年は落語協会のイベントが集中している。見る方も大変だ。
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