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尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

韓国ノワールの逸品「声もなく」、誘拐の行方は?

2022年01月30日 20時47分20秒 |  〃  (新作外国映画)
 「決戦は日曜日」は午後3時過ぎ上映開始だったので、その前にもう一本。いろいろあったけれど、新宿シネマートで「声もなく」という韓国映画を見た。新宿シネマートという映画館はほとんど韓国映画専門館になっている。全部見ている余裕はないが、いっぱい公開される韓国製ノワール映画の中には、時には作品的に見逃せないものも入っている。韓国では近年女性作家の活躍が著しいが、映画監督でも女性が活躍するようになってきた。このホン・ウィジョン(1982~)監督のデビュー作「声もなく」は、スター俳優ユ・アインを主演にしながら、世界に数多い誘拐映画を「脱構築」するような出色の映画になっている。

 二人の男が移動販売車で卵を売っている。片方は片足が不自由なチャンボクユ・ジェミョン)で、手伝っているもう一人は耳は聞こえるが声が出せないテインユ・アイン)である。しかし、卵売りは仮の仕事で、実は「死体処理」が本業だった。犯罪組織が拉致してきた男を殺害して埋めるまでを担当している。ところがある日、社長が今度はある少女を預かってくれという。「いや、私たちは死体専門で」と逃げるが、結局は拒めずに11歳の少女チョヒ(ムン・スンア)を1日だけ預かることになる。結局テインが妹と住んでいるあばら屋に連れて行くことになった。
(テインと少女)
 ところがこの誘拐は上部組織に独断で社長が実行してしまった犯罪だったらしく、依頼人の社長が次の死体処理の対象になって送られてくる。一体誘拐はどうなってしまうのか。組織は身代金受け取りはお前らがやれと命じてきて、裏仕事しかしないはずのチャンボクが出向かざるを得ない。父親はなかなかカネを払おうとしないらしく、チョヒも自分は弟に比べて大事にされてないからと言う。そのうち、テインの妹がチョヒに懐いてしまい、乱雑だった部屋も二人で片付けてしまう。一方、身代金受け取りに出向いたチャンボクは、カバンを見つけるが逃げるうちに足を滑らせてしまう。
(テインとチャンボク)
 自分が帰って来なかったらここへ連れて行けとテインはチャンボクからメモを渡されていた。そこへ連れて行くと、子どもがいっぱいいる。チョヒを置いてくるが、どうも不審に思ったテインは子どもたちを連れていく自動車を追いかけていく。テインの心にも変化が起こったのだろうか。戻ってきたチョヒはある夜、逃げ出す。酔っぱらった男が警官を名乗るが、信じられずにチョヒはさらに逃げる。女性警官が捜索して、ついにテインのあばら屋を見つけるが…。そして組織の追っ手もやって来る。

 一昔前の香港ノワールもそうだが、韓国でたくさん作られた犯罪映画でも銃撃戦がいっぱい出て来る。現実にそんな事件が多いわけでもないだろうが、きっと日本よりは多いに違いない。しかし、この映画では組織同士の銃撃戦などにはならず、犯罪組織の下請けのチンケな生活を描く。テインは声を出せないから、当然自分の思いを伝えられない。映画内の人物と同じく、見ている我々も彼の心の内を想像するしかない。そこが新鮮な描き方である。演じるユ・アインは丸刈りにして体重も15キロ増やして撮影に臨んだ。低予算の新人監督作品に入れ込んだのである。
(ホン・ウィジョン監督)
 ホン・ウィジョンはCMなどを手掛けた後でロンドンに留学、その後短編映画を作り、この映画の脚本で注目された。大体若手監督は同じような道筋を経て長編デビューを果たしている。この映画で、青龍映画賞新人監督賞、百想芸術大賞監督賞を受賞した。韓国の女性監督では「はちどり」のキム・ボラに驚いたが、ホン・ウィジョンも注目である。ユ・アインは「バーニング 劇場版」で主演をしていた人。話そのもの以上に、韓国の農村をとらえた瑞々しい映像、疎外されたものどうしに通う心など、細かな描写が優れている。普通の犯罪映画とはひと味違う韓国社会のリアリティを感じさせる作品だった。
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軽快な選挙コメディ映画「決戦は日曜日」

2022年01月29日 23時06分33秒 | 映画 (新作日本映画)
 昨日は夜が紀伊國屋寄席ということで、それまで何をしてもいいわけだが、移動が多いと面倒だし交通費もムダだから新宿で映画を見ようと思った。まずは見たかったけど上映劇場が少ない「決戦は日曜日」。日本では珍しい選挙を描いたコメディ映画である。突然倒れた父を継いで立候補することになった娘を宮沢りえがやっている。全身真っ赤なスーツに白いタスキで、選挙区を回っている姿が実にハマっている。内容も日本という社会を考えさせるヒントがいっぱいある。

 監督・脚本の坂下雄一郎のオリジナル脚本で、5年間かけたという。冒頭のクレジットにまず「窪田正孝」と出るのでビックリ。候補者役の宮沢りえが主演だと思い込んでいたが、二番目。それは俳優のキャスティングという以上に、日本の選挙では候補者は「神輿」であって、支えているのは秘書たちだという構造の問題でもあるだろう。候補者とともに、若き秘書の代表格として地元の私設秘書、谷口勉(窪田正孝)が重要な役割を果たすのである。

 防衛大臣も務めたことがある「民自党」の重鎮、川島昌平が入院した。(この名前は川島雄三と今村昌平だから、映画ファンならニヤリ。)それが衆院解散直前で、急きょ後継を決めようとなるが県連がもめる。そこで娘の川島有美を担ぎ出すことになった。政治に関心がなく、親が出してくれたお金でちょっとした店をしていたというだけの独身女性。政治の裏、地元事情、後援会関係者など何も知らず、過去のSNSには問題がいっぱい。(居酒屋で19歳の男性と知り合って飲んだとか。)炎上系ユーチューバーに突撃されて、切れまくってしまう姿が動画で流れる。果たしてこの候補者、選挙に出て大丈夫なの?
(運動中の川島有美)
 いちいち後援会幹部という老人たちがこれじゃダメだと口をはさむ。有美はそんなに嫌なら辞めたらと言い放ち、後援会が手を引くと演説会もガラガラ。そこに週刊誌が父親の口利き疑惑を報じた。秘書が集まって対策を練るが、要するに「全部事実だが、いかにシラを切るか」という打ち合わせ。有美は私に嘘をつけということかと激怒、もう辞めると言い出す。事務所の屋上に上って飛び降りるとゴネる。困ったわがままお嬢さんだと皆困惑するが、谷口秘書はそのうち彼女の気持ちももっともだと思うようになる。古参秘書と後援会幹部の思惑は今までの利権構造を保持するのに最適な「操れる議員」探しに過ぎなかった。
(「為書き」のある選挙事務所)
 そんなホンネを知ってしまった有美は…。ついに谷口と組んで「自分の落選運動」を始めてしまう。外国ヘイト発言をしたり、父の闇献金を暴く秘密動画を流出させたり。だけど父親以来のコアな保守層には逆に受けてしまう。さすがに闇献金動画はピンチと思われたが、その日に「北朝鮮のミサイル発射宣言」があって話題がそっちに流れてしまう。やるだけやっても、党公認という力で世論調査の支持が落ちていかない。こりゃあ、困った、困ったという普通と逆の選挙映画となって、ついに投開票日の日曜を迎える。

 ストーリーは軽快に進行し、面白いんだけど…。物語には何か不足を感じてしまう。例えば、「応援演説」がない。父は有力者でも、娘は新人だから党幹部の応援があるだろう。そこにカメオ出演の若手有名俳優が小泉進次郎ばりの判るような判らないような演説をするなんてシーンがあれば笑えるだろう。また他党の問題も描かれない。宗教団体をバックにした「公平党」とかが出れば面白いのに。そういう問題以上に大きいのは「敵役」がいないことだろう。怪しげな秘書や後援会幹部はいる。でも「日本の選挙の仕組み」「選挙に行かない日本の有権者」といった問題になってしまう。父親に問題があるが、有美は父を否定できない。
(関係者あいさつ風景)
 そもそもこんなに政治に無知な娘が立候補するのは無理がある。今は一応「公募」とかあるだろう。僕が思いついたのは、有美をシングルマザーにするということだ。かつて父の勧めで「政略結婚」させられた秘書がいた。でも夫には前から付き合っていた女がいて、わがままお嬢に切れて関係が復活、子どもも出来て離婚。そんな元夫の秘書が後継を狙って最有力と言われて、アイツだけにはやらせないと有美も公募に応じる。女性候補を増やしたい党中央の意向もあって、有美が公認されたが元夫も無所属で立候補。昔からの利権を握っていて、後援会はそっちに流れてしまう。

 有美はひたすら私怨で元夫を追いつめ、どんどん過激化していってフェミニスト的主張をする。保守系の方向で問題発言するのではなく、逆に民自党中央が嫌がる発言をさせるのである。その結果、後援会も党中央も離れてしまい、絶体絶命。そこで開き直って「私怨で選挙に出て何が悪い」と発言して、これが受けてしまう。高齢層は元夫に入れるが、無党派の女性有権者に大受けしていって。野党票を奪うまでになってしまい、落選するつもりが支持が増えてしまう。なんてのはどうでしょう。

 選挙映画は日本には数少ないが、特にアメリカには多い。この映画も含めて、大方の選挙映画は戦前のフランク・キャプラ監督「スミス都へ行く」が物語のベースにある。政治のクロウトが操作可能なイノセントな候補者を立てて操ろうとするが、真実を知ってしまった候補者はどうするか。日本ではジェームズ三木監督「善人の条件」(1989、唯一の監督作品)も同じような設定。中村登監督「顔役」(1958)という風呂屋の伴淳三郎が山形市議選に出る映画もあったが、劇映画で選挙を本格的に扱うのはそのぐらいか。ドキュメンタリーならいろいろあって「選挙」とか「選挙に出たい」もある。中では「香川1区」が一番面白い。

 監督の坂下雄一郎は「東京ウインドオーケストラ」「ピンカートンに会いに行く」などがあるが、いずれも見ていない。技術スタッフでは撮影の月永雄太が最近の好調が続いている。「朝が来た」「モリがいた場所」などを撮った人だが、今回も宮沢りえの赤をうまく生かした映像が素晴らしい。選挙事務所で秘書たちを描き分けた演出と美術も見事。ところで、本来は何でこんな選挙なんだという怒りが見るものに湧いてきていいと思うが、そこまでの鋭さはないのが残念。でも誰もが見たことがある選挙を題材に取り上げたことで、見る価値がある。候補者の宮沢りえも見応えがあった。
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紀伊國屋寄席で金翁、さん喬を聴く

2022年01月28日 23時59分12秒 | 落語(講談・浪曲)
 紀伊國屋寄席三遊亭金翁を聴いてきた。紀伊國屋寄席というのは、新宿の紀伊國屋ホールで月に一回開かれている落語会で、今回がなんと第679回である。一年に12回、10年でも120回なんだから、もう56年も続いている。でも初めて行った。夜だから新宿からだと帰りが遅くなるのが嫌なのである。今日も帰宅が10時40分頃を越えたからブログを休もうかと思ったが、宵っ張りの母親が今頃風呂に入っているので先に書いているわけである。

 今回は仲入前に三遊亭金翁、トリが柳家権太楼というはずだったんだけど、なんと権太楼師匠がコロナに感染してしまった。今芸能界ではコロナ感染が爆発的に増えていて、芸協会長の春風亭昇太も感染してしまった。落語協会では林家たい平も感染したという話。チケットを買ったときには、こんなに爆発的に増えてはいなかった。僕も夜というのはどうかなと思わないでもないが、金翁を聴いておきたいと思ったのである。小三治、円丈が亡くなり、落語協会では鈴々舎馬風林家木久扇は何度も聴いているが、当年92歳の最長老、三遊亭金翁を一度も聴いていない。寄席の定席にはほとんど出ないからホール落語をねらうしかない。
(三遊亭金翁)
 金翁と言っても、誰だという人も多いだろう。2年前までは金馬である。もっと前は小金馬だった。小金馬という方がなじみだというのは、相当の年長者である。小金馬は一龍斎貞鳳江戸屋猫八と共に、1956年から1966年までNHKで放送された「お笑い三人組」のメンバーだった。元祖お笑いヴァラエティみたいな番組である。僕は小学校低学年だったけど、それに出ていたメンバーを覚えているのである。67年に4代目金馬を襲名し、2020年に息子の金時に金馬を譲って金翁を名乗った。その時の襲名披露にも一日ぐらいしか出なかった。僕が寄席に行くようになった頃には、もうほとんど出ていなかった。だけど探せばたまにはどこかに出ているので、今回行く気になったわけである。もう椅子に座って演じているが、やむを得ない。

 演目は「阿武松」で相撲を見ているじゃないと読めないだろう。「おうのまつ」である。今は親方の名前で、阿武松部屋には阿武咲(おうのしょう)という関取もいる。だけど僕は名前の由来を知らなかった。ある大食いの力士が食い過ぎて武隈(たけくま)部屋をしくじる。故郷に帰る前に戸田の渡し(今の東京・埼玉を分ける荒川)でもう身投げするかと思ったが、部屋で貰った金で最後に食べようと思う。その食べっぷりを飯屋の主人が見込んで、今度は錣山(しころやま)部屋に世話する。これが大成した後の6代横綱阿武松だった。毛利家に抱えられ、萩にある阿武松原に由来するしこ名を名乗ったという。

 いや、そんな由来があるとは知らなかった。まあ実話そのものではないらしいが、6代目横綱は確かに阿武松緑之助である。噺は小ネタだけど、悠然たる語り口で口跡もはっきりしている。大したもんだ。やはり一度聴いておいて良かった。協会が違うが、桂米丸が1925年生まれで落語界最長老。金翁は1929年生まれである。米丸もちょっと前まで寄席によく出ていたが、最近は出ていない。ところで今の武隈親方は元大関豪栄道で、今の錣山親方は元関脇寺尾だが、大昔にそんな因縁があったのか。

 トリはもともと権太楼の「夢金」と出ているけれど、代演のさん喬は「妾馬」(めかうま)だった。さん喬と権太楼は年末に末廣亭で何年も一緒にやっている。同門だから、代演にふさわしい。でもさん喬は2年前に聴いてて、権太楼はナマではしばらく聴いてない。「妾馬」は、長屋住まいの八五郎の妹、鶴が殿様に見そめられて側室になり、世継ぎの男子を産む。殿様は八五郎を屋敷に招待するが、長屋の職人と堅苦しい武士の言葉遣いが事々に行き違い…という何度も聴いてる有名な噺。何度聴いてもよく出来た人情噺だと思う。身分制と人情の相克を肩肘張らずに訴えている。今回は踊ってもいいかと八五郎が踊って終わるという珍しい終わり方。
(柳家さん喬)
 ほかに柳家やなぎ春風亭三朝(蛙茶番)、中入り後に太神楽曲芸(包丁の芸で一度失敗したのがビックリ)があった。
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ピエール・ルメートル「われらが痛みの鏡」

2022年01月27日 22時41分56秒 | 〃 (ミステリー)
 ずっとミステリーを読んできて、次はピエール・ルメートルわれらが痛みの鏡」(Miroir de nos peines、2020、ハヤカワ文庫)である。2021年6月に翻訳が出たが、ほとんど評判にならなかった。これは「天国でまた会おう」「炎の色」に続くフランス現代史ミステリー三部作の最後の作品であるが、まあ普通の意味ではミステリーではない。第二次世界大戦勃発後の、いわゆる「奇妙な戦争」から「電撃戦」に掛けての数ヶ月を描く戦争文学と言うべきだろう。
(上巻)
 ピエール・ルメートル(Pierre Lemaitre、1951~)は、日本では「その女アレックス」が翻訳されて大評判になったミステリー作家である。これはカミーユ・ヴェルーヴェン警部シリーズというジャンル小説である。ルメートルは40歳を超えて小説を書き出したが、その後2013年に「天国でまた会おう」が大評判となってゴンクール賞を取ってしまった。この賞は基本的には純文学系の新人賞だから、驚くような選考である。そして、いよいよ三部作を完成させたのである。今までこのブログでもルメートルに関しては「傑作ミステリー「その女アレックス」」、「「天国でまた会おう」「炎の色」-ピエール・ルメートルを読む」を書いた。

 「天国でまた会おう」は第一次大戦で顔を負傷した傷痍軍人がフランス社会に壮大な詐欺を仕掛ける物語だった。「炎の色」は第一部の主人公の姉が父親が遺した銀行の財産をだまし取られ、復讐を仕掛けて行く物語。どちらもいわゆる本格ミステリーではないが、人生を掛けたコンゲームという意味で、ミステリーの一種だろう。それに対して「われらが痛みの鏡」には、確かに幾つもの犯罪と謎が登場し詐欺師も活躍する物語だが、戦争を舞台にした人間模様を描くという色彩が強い。この三部作はハヤカワ・ミステリ文庫の棚に並んでいるが、ミステリー・ファンよりも、フランス現代史に関心がある人の方が面白く読めると思う。
(下巻)
 今回の主人公は1作目に出てきた少女ルイーズである。ルイーズの母は家の一部を傷痍軍人に貸し出していた。そこに住む主人公が顔面を隠す仮面を作るときに手伝っていたのがルイーズ。そこに住み続け、小学校教師をしながら、向かいにあるレストランで週末だけウェートレスをしている。そこで毎週通ってきている老医者がいて、あるときルイーズにとんでもない話を持ち掛ける。そこからルイーズの人生は変転を重ね、母の隠された人生を垣間見ることになった。

 一方、フランスの東部戦線、いわゆるマジノ線でドイツと対峙している兵士たちがいる。そこでは宣戦布告以後も戦闘が起こらず「奇妙な戦争」と呼ばれる日々が続いていた。軍曹ガブリエルと兵長ラウール・ランドラードはそこにいて、戦闘のない日々に飽いている。ラウールはいかさま賭博などでもうけて、さらに物資の横流しなどで軍内で勢力を振るっている。マジノ線はドイツ軍が突破できないと言われていたが、ある日ドイツ軍の大戦車隊が押し寄せる。フランス軍は壊滅してしまって二人は独自の戦いを行うが、結局は敗走。その間に無人の館に入り込んで略奪して逮捕されてしまう。

 ルイーズの話と二人の兵士の話が交互に進むので、一体どこで絡んでくるのかと思う。そこにさらにデジレ・ミゴーなる詐欺師、あるときは難事件の弁護士、あるときは情報省のスポークスマン、そしてあるときは難民キャンプを運営する司祭と幾つもの顔を持つ弁舌爽やかな若い男が登場し、フランス社会の欺瞞性、偽善とともに、そこに潜む気高さや宗教性などを示して行く。兵士二人は刑務所に閉じ込められるが、戦況が悪化する一方で他の刑務所に移送される。それを警護する機動憲兵隊の曹長フェルナンにも様々な事情がある。これらの人々はラスト近くで一堂に会することになる。
(ピエール・ルメートル)
 そのラスト近くまで、流れるように進行して行く大河小説で、フランスでは最高傑作の声もあるとか。しかし、日本人として言えば1作目、2作目、3作目という順番で面白いというのが実感だろう。この小説は時代背景としては1940年4月から6月まで、パリが占領されてフランスがナチス・ドイツに屈するまでとなっている。フランス政府、フランス軍はドイツ軍を押しとどめている、兵器も十分、英仏軍は善戦していると言い続けている。まるで大日本帝国の大本営発表みたいである。ひたすら負けているのに、悪いのは国内に「第五列」(スパイ)がいたからだと言い張っている。これもまた日本で見聞きしたような風景だ。

 日本での「電撃戦」への関心はドイツを中心にしたものが多かった。フランス国内がこんなに乱れきっていたことは僕も知らなかった。まるでソ連軍が「満州国」に侵攻した時の大混乱に近いと言ったら大げさ過ぎるけれど、まあとにかく国内で膨大な難民が発生した。オランダ、ベルギー、ルクセンブルクからも難民が押し寄せたが、次第に厄介視されていく。そんなフランスの情けない偽善ぶりが容赦なく暴かれていく。そのような「反仏小説」として読み応えがあった。戦争のさなかに何が起きるか。人間の運命をめぐる壮絶な物語だった。
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首都圏外郭放水路の「地下神殿」を見に行く

2022年01月24日 20時57分39秒 | 東京関東散歩
 近年「地下神殿」と言われて有名になっている「首都圏外郭放水路」に行ってきた。前々から一度行きたいと思っていたが、1月末まで東武線の春日部(かすかべ)駅から無料バスが出ている。もっとも突然行っても入れない。事前にホームページから予約が必要である。いろんなコースがあって、時間を掛けて奥の方まで見せてくれるコースもあるが、長靴、ヘルメット着用で4千円。まあ、そこまではいいでしょうと千円で1時間の地下神殿コース
 
 上記画像のような写真を見たことがある人も多いだろう。最近は特撮ドラマなどによく利用されているというし。だけど、これを見ると真ん丸の円柱が立ち並んでいると思ってしまう。僕もそう思ってきたのだが、行ってみると実は細長い長円形なのである。かまぼこ板の四隅を丸く切ったような形の柱になっていてビックリ。地下80メートルの空間にいるので、高さ80メートルである。2枚目のタテの画像の柱に上下二つの印がある。上まで水が来るとポンプで排水して江戸川に流す。下の印を下回るとポンプが空回りする。残った水は元の川にポンプで戻すということだった。
   
 先に地下の写真を載せてしまったが、ここは庄和排水機場(上1枚目の画像)である。そこに「地底探検ミュージアム 龍Q館」という博物館が作られている。(月曜定休のため未見。)2枚目はそこに掛かっていた説明パネル。3枚目は建物を横から見た写真。この建物の中で受付をするが、実は地下に降りるのはここではない。4枚目のように建物の隣がサッカー場2面分の広大な空き地になっている。そこの下が「地下神殿」なのである。そして4枚目写真の左奥に見える小さな地下鉄駅(への降り口)みたいなところが、神殿入口なのである。200メートルぐらい歩いて行って、そこから110段ほど降りていく。階段は写真禁止になっている。
  
 上の画像は「第1立坑」で、地下神殿になってるところの反対側である。僕も勘違いしていたのだが、ここは利根川や荒川などの洪水用ではない。そういう大きくて有名な川の間にある中小河川が対象なのである。大きな川に囲まれて、この地域は「お皿」状になっていて水が集まりやすい。具体的には大落古利根川、幸松川、倉松川、中川といった川である。これら中小河川の水が増水すると、第1から第5までの立坑から取り込まれる。その水を溜めておくのが「調圧水槽」で、それが地下神殿の正式な名前なのである。第1立坑は「地下神殿」に水を流し込む一番近い立坑になる。ところで、そこから何かゴウゴウという音がする。何だろうと思ったら、立坑の上にスケートボード場があるという。出たら確かにスケボーやってた。まさかその音があんなに響くとは。
   
 ということで、大体説明が終わって後は自由時間で写真を撮る。いくら撮っても同じようなものだが、人間が小さく映り込んでいる方が柱の高さが感じられて面白い。(見学は階段に近い一角だけ。)この「神殿」に集まった水を排水機場のポンプで江戸川に流すという。関東地方は冬に晴れが多く、今は見学日和である。施設は年平均7回程度は使われていて、この地域の洪水を減らしている。この水槽区域には池袋のサンシャインビルほどの水を溜められるという。何でこんなに大きな柱が幾つも必要なのかというと、この地域は地下水が多くて浮力で浮き上がってしまうのを防ぐための重しなんだという。
 
 下りたものは上らなければならない。この階段上りがキツいわけで、足が弱い人は参加できない。しかし、まあ大体の人は何とかなるだろう。階段を上って出たところで受付の建物(龍Q館)を見ると、上の画像のような感じ。最近盛んになりつつある産業ツーリズム。ここは「産業」ではないが、インフラ観光という意味で似ている。実際に機能している構造物を見られるというのも貴重な体験だった。帰りのバスは近くの道の駅庄和に寄るので、そこを少し見て帰ってきた。
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伊豆・河内温泉の金谷旅館、もう一つの「千人風呂」ー日本の温泉⑬

2022年01月23日 21時23分06秒 |  〃 (日本の山・日本の温泉)
 関東地方では北茨城の五浦観光ホテル別館大観荘を取り上げたが、次は静岡県の伊豆半島の温泉。厳密に言えば関東ではないが、昔から多くの文学、歌、映画に出て来て関東人にはなじみ深い。小さい頃からテレビを付ければ、「伊東に行くならハトヤ、電話はヨイフロ(4126)」とCMを流してた。だから3時のおやつは文明堂(のカステラ)、温泉旅館はハトヤだと思って育ったが、ハトヤにはまだ行ったことがない。それでも伊豆は子どもの頃には家族で行き、学生になると合宿で行き、勤めてからは職員旅行で行った。もちろん結婚してからは夫婦で何度も行っている。夏は海、冬は避寒で良く行くところで、思い出がいっぱいある。

 昔は団体旅行向けの大旅館が立ち並んでいたが、最近は家族向けの小さな旅館も多くなってきた。東京から近いだけに超高級旅館から、昔風の小さな宿までいっぱいそろっている。山もあるから秘湯の宿もあるし、川端康成が「伊豆の踊子」を書いた宿などもある。そんな中で書いてみたいのは、河内温泉金谷旅館というところである。場所は伊豆急線で下田の一つ前の蓮台寺(れんだいじ)。ここは温泉ガイドや旅番組などには何故かあまり出て来ないけれど、「もう一つの千人風呂」があるのである。千人風呂と言えば、温泉ファンなら誰でも青森の酸ヶ湯温泉を思い出す。しかし、東京に近いこっちの千人風呂はあまり知られていない。
(金谷旅館の千人風呂)
 もちろん千人が入れるかと言えば、それは無理である。「八百万」(やおよろず)と言うような誇張表現である。でも間違いなく大きい。伊豆のほとんどの温泉と同じく、透明な単純泉があふれている。もちろん源泉掛け流し。酸ヶ湯は昔からある湯だから「混浴」だったが、今は男女で仕切っている。こちらも混浴だが、女性用の「万葉風呂」からタオル着用で入って来られるようになっている。女性側からだけ開けられる鍵があって、千人風呂から万葉風呂には行けない仕組み。他に家族風呂もある。
(千人風呂)
 この地域の温泉はまとめて蓮台寺温泉とか下田温泉ということもある。金谷旅館はその中で、河内温泉と称している。下田は幕末の開港地として史跡も多く、宿が多い。しかし、下田地域には温泉は出ず、蓮台寺から引き湯している。金谷旅館は「日本一の総檜風呂」を誇っているが、案外知ってる人がいない。昔のホームページには社交ダンスが出来る練習場などがあると出ていた。先ほど見たらホームページがキレイになっていて、風呂や部屋、料理以外に宿の情報がなくなっていた。(僕がちょっと見た感じでは宿泊代も見つからなかったんだが…。)風呂は1000円で日帰り入浴もできると出ている。
(金谷旅館) 
 伊豆は山海の恵みがウリだが、やはり海の幸である。中でも伊勢エビや金目鯛。魚が食べられないとつまらないだろう。あちこちに温泉のある漁師旅館みたいなのがある。気候温暖で温泉がいっぱい、海山の幸に恵まれるとあれば、移り住みたいという人も多い。僕もそれもいいかなと思うんだけど、時々地震がある。そもそも伊豆半島は南から本州島に衝突して半島になった。ジオパークにも指定された地学的にも貴重な地形である。だからこそ温泉にも恵まれるんだけど、逆に災害の危険性もある。

 それはともかく、今年の大河ドラマにも出て来るように、鎌倉から戦国、幕末と史跡も豊富。美術館もいっぱい、登山やハイキング、文学散歩など様々な観光メニューがある。中伊豆の修善寺から湯ヶ島温泉なども大好き。そこから天城越えハイキングは楽しい。西伊豆もいいし、東伊豆では伊豆大島を間近に見る露天風呂が素晴らしい。伊豆大川温泉ホテルというところが気に入って、10回ぐらい行ったと思う。最近はなかなか行けていないが、冬に伊豆に行くと暖かそうでそれだけで元気になりそう。また行ける日が早く来ないかなあ。
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陳浩基「13・67」、驚愕の香港ミステリー

2022年01月22日 23時04分24秒 | 〃 (ミステリー)
 陳浩基13・67」(文春文庫、上下)を読んだ。近年、中華圏(中国、香港、台湾)のミステリー、SFなどが注目されている。この「13・67」(2014)はその中でも広く評判を呼んだ作品で、2017年に翻訳が出版されると日本でも非常に高く評価された。「週刊文春」「本格ミステリベスト10」で1位となり、「このミステリーがすごい!」では2位になった。(1位はイギリスの「フロスト始末」。)しかし、単行本はかなり分厚いので、文庫化を待っていた。文庫は2020年9月に出たが、やっぱり手強そうで1年以上放っておいた。そして実際に相当に手強い本だった。6章に分かれるが一日一章しか読み進めない。内容がぶっ飛んでいて全体像がつかみにくい。最後の最後まで読んで、すべてのピースがはまるという驚愕の傑作ミステリーだった。

 陳浩基(1975~)はホラーやファンタジーも書いているが、ミステリーは台湾の出版社から出してきた。台湾で作られた島田荘司推理文学賞の受賞者である。日本のミステリー作家島田荘司は東アジア一帯にファンが多く、日本のいわゆる「新本格」に影響された作家を輩出した。だから「論理」で究極的な謎を解く「本格」風味があるが、それだけではない。作家本人が言うように、香港を舞台にすることで、「社会派ミステリー」にもならざるを得ない。警察官を主人公にするから「警察捜査小説」になるが、香港マフィアとの闘いを描く章が多いので「読む香港ノワール」とも言える。それも何重にも入り組んでいるので、まるで「インファナル・アフェア」を彷彿とさせる。誰も予測できない展開に唖然とする大傑作だ。

 1の「黒と白のあいだの真実」ではローという捜査官が大企業豊海グループ総帥の殺害事件を捜査している。関係者一同を集めたのが、何とグループが所有する病院の一室だった。そこには死期間近のクワン・ザンドー(關振鐸)が横たわっている。ローはかつて解決率100%の名捜査官クワンの薫陶を受けた。そしてクワンは今ではもう意識不明になっている。ローによれば人間は言語を発せなくても、人の言葉は聞いていて意識下では理解可能なんだという。その理解度を測定できる計測器を開発出来たので、今からここでクワン元捜査官の判断を仰ぐという。その結果、家族一同の抱える秘密が次々と暴かれ…。面白いんだけど、一体これは何? SF? 霊媒探偵みたいなヤツ? と思うと、もちろん最後に合理的な解決に至るが、ここでクワンは最期を迎えてしまう。

 以後を読むと判るが、最初僕はローが主人公かと思ったが、実はクワン捜査官の物語なのである。「13・67」という謎の題名も、クワンが若かった1967年から、クワンが亡くなる2013年までという意味である。それを時間的には遡って叙述しているので、最初は判りにくいのである。1967年と言えば、中国大陸の文化大革命に影響されて香港で反英大暴動が起こった年である。クワンはそこから出発し、警官の汚職が激しかった時期、香港が「新興工業地域」として発展しマフィアによる犯罪が多発した時期、英国統治から中国に返還された時期、そして香港内部で親中派と民主派の対立が激しくなった時期を見つめ続けてきた。クワンの捜査は時には規則をはみ出し、同僚をも欺すことがある。かなり突拍子もない策を用いることがあるが、腐敗や政治的偏向はない。

 2の「任侠のジレンマ」になって、ようやく香港ノワールの世界になる。ヤクザ組織が数年前に分裂し、片方が優勢である。しかしボスは堅気の芸能事務所社長を隠れ蓑にして、捕まえる証拠が得られない。そこに小さな芸能スキャンダルが起きる。その芸能事務所から売り出し中の少女スターに、あるイケメン俳優がちょっかいを出して揉めているという。問題はその男優スターが実は弱小ヤクザ組織親分の隠し子らしいということである。そして男優が何人かに殴られたという。これをきっかけに抗争が始まるのか。そんな時に捜査担当者のローのもとに、秘かに撮られたビデオが届く。少女スターが襲われ、歩道橋から転落する様子がそこには映っていた。と始まる事件の驚くべき真相は誰も見抜くことは出来ないだろう。「任侠のジレンマ」という言葉の意味が判るとき、深い驚きに感嘆するしかない。

 謎解きと警察捜査小説の白眉は3の「クワンの一番長い日」だ。50歳でリタイアすることを決めたクワンの最後の日に、恐るべきギャング石本添が病院から脱走した。石兄弟は何の配慮もせず一般人も殺害する非情なギャングだが、数年前に弟は射殺され兄の石本添はクワンが逮捕した。しかし、その日腹痛を訴え病院に運ばれ、トイレから脱走したと見られる。ところがその日は前に起こっていた「硫酸爆弾事件」がまたも発生。警察もてんてこ舞いの一日だった。これは全く「実録ヤクザ映画」のような世界だが、「フロスト警部」並みのモジュラー捜査小説(事件が複数同時発生する)になり、その後にクワンの驚くべき論理的解決に至る。この章こそクワンの最高の解決だが、その日が最後の日だったとは…。
(陳浩基)
 以上が上巻で、こうして書いていると終わらないから、下巻は簡単に。4の「テミスの天秤」は3で脱走した石の弟たちが殺害された数年前の事件捜査の物語。この時ローはまだ下っ端の刑事である。ここでも警察内部の状況を見抜くクワンの目は鋭い。5の「借りた場所に」では香港警察の腐敗を正すイギリス人捜査官の子どもが誘拐されたと電話がある。そこにクワンが呼ばれて誘拐の解決、真相を目指す。最後の6「借りた時間に」では1967年の反英暴動さなかに、中国共産党系の左翼青年たちが爆弾を仕掛ける。その相談を隣室で聞いてしまった青年と相談された若き警官。二人が奔走して事件を防ごうとするが…。

 時間を遡って香港現代史を逆転して行くことになる。その結果、この親中派(67年当時の左翼青年たち)がもし香港返還の後に実権を握ったら大変なのではないかという声を書き留めている。2014年当時の、まだ現在と違う香港の「一国二制度」が生きていた時点で、未来の「予感」として書かれていたのだろう。香港の地理が判らないと理解しにくい部分もあるかもしれないが、僕は一度行っているので地名になじみがある。中華圏のミステリーを読んだのは初めてなんだけど、この小説は非常に面白かった。知らない人も多いと思うが、驚くべきミステリーである。
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映画「クライ・マッチョ」、クリント・イーストウッド監督50年の「円熟」

2022年01月21日 22時47分36秒 |  〃  (新作外国映画)
 クリント・イーストウッド監督・製作・主演の「クライ・マッチョ」(Cry Macho、2021)が公開された。何とクリント・イーストウッドは監督50年、40作目だという。1930年5月生まれなので、91歳である。それでいてアクションもあれば、ラブシーン(まあ抱擁だけだが)も演じている。メキシコの原野を運転し、殴りかかったりする。荒馬に乗ってるシーンも、顔も見えるから少なくとも一部は本人だろう。映画を製作、監督するだけでなく、自ら主演までするとは実に驚くべき元気な老人である。

 テキサスでカウボーイをしていたマイク・マイロ(クリント・イーストウッド)は、かつては荒馬を乗りこなすロデオのチャンピオンとして有名だった。しかし、一度落馬してからは落ち目になり、さらに妻子が事故死して酒や薬漬けになってしまった。そんなマイクに家を買う金を出した牧場主ハワード・ポークには恩義があって逆らえない。ある日、ハワードに呼ばれると、メキシコの元妻のもとにいる一人息子ラフォエドゥアルド・ミネット)を連れ戻して欲しいと頼まれた。それは「誘拐」になるのではないか、メキシコの監獄で死にたくないと断ろうとするが、息子が母親に虐待されている、恩を返すときだと言われる。

 こうしてメキシコに赴いたマイクは、知らされた住所の豪邸を訪ねる。パーティの中で女主人を探そうとすると、部下に見つかる。母親のリタはラフォは「ワイルド」で手に負えない、ストリートに住んでいるから連れてって欲しいという。闘鶏場を探すとラフォが飼っている鶏のマッチョで闘鶏をしている。警察の手入れを逃れてから、ラフォを見つけて父の牧場へ行こうと言うと、母は酒浸りで男漁りが激しく「人間は皆信じない」と言う。何とか行くことを説得したが、今度は母親はラフォは自分のものだと言い張って父には渡さないと言う。こうして母の部下や警察を逃れながら国境を目指す旅が始まった。
(マイクとラフォ)
 主要道は警察の検問があって脇道を行くが、追われたり車を取られたり。「グリンゴ」(アメリカ人の蔑称)っぽくない服装に変えて、ある町の食堂へ行く。そこで店主のマルタが親切にしてくれる。出掛けると検問にぶつかって逆戻り。先ほどの町の外れにあった教会に寝るが、翌朝にはマルタが料理を持ってきてくれた。そこでしばらく身を潜めることになり、マイクは荒馬の調教をする。動物の扱いがうまく、多くの相談も受ける。ラフォは「強さ」を求めて鶏にもマッチョと名付けた。マイクのことも高齢で衰えていると言うが、そんなマイクが荒馬を乗りこなすのを見て、「真の強さとは何か」を学んでいった。
(マルタと仲良くなる)
 ラフォもマイクもその町が気に入ってきたが、そこにも母親の部下が迫ってきた。やはり出ていくしかないが、実は父のハワードも単に子ども可愛さで引き取りたいというだけではなかった。テキサスに行くか、止めるか。そんな時に母の手下についに追いつかれる。絶体絶命のところに、思わぬ展開が…。この映画は「史上最高のニワトリ映画」だろう。もっとも犬猫馬などの映画は数あれど、ニワトリが活躍する映画なんてものは他に思いつかないが。題名の「クライ・マッチョ」というのは「叫べ、マッチョ(な男)」という意味ではなく、「鳴き叫べ、(ニワトリの)マッチョ」という意味だったのである。
(マッチョをマイクに託す)
 近年のイーストウッドは「ハドソン川の奇跡」「15時17分、パリ行き」「リチャード・ジュエル」のように実話の映画化が多かった。しかし、今回はリチャード・ナッシュの原作がある。元はナッシュのシナリオだったが、映画化してくれる会社はなく、小説化して成功した後で、改めて80年代から何度も映画化が試みられたという。一度はイーストウッドに持ち込まれたが、その時は若すぎるとして監督だけするつもりだったとか。アーノルド・シュワルツェネッガーを主演にする話もあったが、カリフォルニア州知事に就任して延期。そんなこんなのうち、2000年にナッシュは死亡したという。ようやく2020年になって、映画化が動き出した。

 マイク・マンシーナの音楽(ウィル・バニスターが歌う主題歌「Find a New Home」が最高)、ベン・デイヴィスの撮影などが素晴らしく、僕はこの映画がなかなか良いと思った。しかし、アメリカでの評判は良くないらしい。そもそも「グラン・トリノ」の縮小再生産だと言われれば、そうも言える。日本で言えば山田洋次の「遙かなる山の呼び声」である。誰が90越えた老人に子ども連れ戻しを頼むのか、運転だって危ないだろうと言うのもなるほど。まあこんなミッションは70代が限界だろう。映画内では年齢が出てないけど、そのぐらいの設定なんだと思う。だけど悠然たる「円熟」ぶりに魅せられたのも事実。
 
 あまり細かなことを言わなければ、十分楽しめる。一歳年下(1931年生まれ)の山田洋次監督「キネマの神様」より、ずっと面白いと僕は思う。アメリカでは「許されざる者」(1992年)、「ミリオンダラー・ベイビー」(2004年)がアカデミー賞作品賞、監督賞をダブル受賞した以後の作品は、あまり評価されていない。「硫黄島からの手紙」「アメリカン・スナイパー」が作品賞にノミネートされているぐらいである。一方の日本ではキネマ旬報ベストテンで、「父親たちの星条旗」「グラン・トリノ」「ジャージー・ボーイズ」「ハドソン川の奇跡」が1位になっている。(それ以前に「許されざる者」「スペース・カウボーイ」「ミスティック・リバー」「ミリオンダラー・ベイビー」も1位だから、都合8回もベストワンになっている。)

 世界中で一番クリント・イーストウッドを監督として高く評価しているのは日本じゃないだろうか。それにはいくつかの理由があると思う。一つは日本ではアメリカの党派対立から遠く、共和党支持者のイーストウッドという立ち位置が影響しない。また、日本の批評家は日本の監督でも定評あるベテランを続けて高く評価する傾向がある。ただ、それ以上に「筆のすさび」(興の赴くままに作られたもの)にひかれ、キッチリした構成を求めないという日本文化の傾向が影響していると思う。確かに「クライ・マッチョ」は完成度の面では、大傑作ではない。でも「ローハイド」からマカロニ・ウエスタンを経て、今では大巨匠のイーストウッドが今も馬に乗っているだけで嬉しいじゃないか。寅さんを見に行くようなもんである。
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追悼・外岡秀俊-東日本大震災の2冊の新書

2022年01月20日 22時12分31秒 | 追悼
 作家、ジャーナリストの外岡秀俊(そとおか・ひでとし)が2021年12月23日に亡くなっていた。68歳。12月の訃報を書いた後で公表された。心不全というが、今の時代としては「若すぎる」と思う年齢である。前に外岡氏の大震災に関する新書本について書いたことがある。読み返すと今も新鮮なので、10年前(2012年10月23日)の記事を書き直しながら、追悼としたいと思う。今回いろいろな人が書いていたが、「外岡秀俊」は何を書くだろうかとずっと注目して人がかなりいた。僕もその一人だが、その意味は後述するように二つの意味がある。
(外岡秀俊)
 外岡秀俊という人は、2011年3月末まで朝日新聞の記者だった。1953年生まれで、2011年3月に早期退職した。外岡秀俊は朝日に入ってどういう記事を書くのだろうと僕はずっと注目してきた。この人の名前はまず新人作家として認識した。東大卒業間際の1976年に、河出書房の新人賞「文藝賞」を「北帰行」(ほっきこう)で獲得して、華々しく作家デビューしたのである。この年は「群像」新人賞を受けた村上龍限りなく透明に近いブルー」が芥川賞を獲得し大ベストセラーになっていた。ところが外岡は受賞時点ですでに朝日入社が決まっていた。朝日を蹴って作家専門でやっていくか注目されたが、本人は新聞記者の道を選んだ。それで僕は朝日の署名記事に「外岡秀俊」の名があると注目してきたのである。
(「北帰行」)
 朝日新聞で、外岡氏は学芸部、社会部、ニューヨーク特派員、ロンドン特派員、論説委員、ヨーロッパ総局長、東京本社編集局長などを歴任した。アメリカで書いた記事などは僕もよく読んだ記憶がある。学芸記者、社会部記者を経て、欧米の特派員が長かった。日本を外から眺めながらも、日本社会への関心は失わなかった。阪神淡路大震災を長く取材して「地震と社会」(上下、みすず書房、1997)をまとめたのである。(2冊にわたる大冊なので僕は読んでない。)そして退職直前に、東日本大震災が起こった。

 大震災から1年後に、外岡秀俊は二つの新書を刊行した。まず、3.6刊の岩波新書「3・11 複合被災」。「これほどの無明を見たことはなかった-地震、大津波、そして原発事故 現地を歩き、全体像を描く」と帯にある。「たとえば震災から十年後の2021年に中学・高校生になるあなたが、『さて、3・11とは何だったのか』と振り返り、事実を調べようとするときに、まず手にとっていただく本の一つとすること。それが目標です。」とある。震災から一年という節目で、1年間の総まとめとして書かれた本。そして確かに、この本は一冊手元に置いておくべきだと僕は思う。特に原発事故に関しては諸「事故調」の報告が出て、情報が古くなった部分もあると思う。それにしても、10年後の中高生がコロナ禍のただ中にあるなどと誰も予想できなかった。 
(「3・11 複合被災」)
 著者の見方は、この震災は「類例のない複合被災」であるという言葉につきる。災害が起こり大きな被害が出るが、だんだん「復興」が進んで行くという、今までのタイプの大災害と今回は異なっている。あまりにも広い範囲の大津波、もともと過疎が進み、行政機能が行き届かなかった地域では、なかなか「復旧」も「復興」もできない。そもそも「復旧」できるかどうかも難しい。そういう「取り返しのつかなさ」が一番大きく現れているのが、原発事故。事故の日から何年立てば、元の町に戻れるのか。もう戻れないのか。そういうことも判らない。いくつもの町がそのまま、「消失」してしまった。この本には一年目の出来事しか書かれていない。「2011年」という特別な年の思いが本の中に閉じ込められている。

 2.29刊の朝日新書「震災と原発 国家の過ち」は、他の「3・11本」と全く違っている。副題が「文学で読み解く『3・11』」である。「この不条理は すべて文学に 描かれていた!」と帯に書かれている。震災直後に被災地を取材し、「アエラ」に原稿を書いたのが最後のルポだったという。新聞社を離れてフリーになって、何ができるか。「そのときに考えたのが、文学作品を再読しながら、被災地で考えを深めてみよう、ということだった。」
(「震災と原発 国家の過ち」)
 そこで取り上げられた本は以下の通り。
カミュ『ペスト』 復興には、ほど遠い 
カフカ『城』 「放射能に、色がついていたらなあ」 
島尾敏雄『出発は遂に訪れず』 「帝国」はいま 
ハーバート・ノーマン『忘れられた思想家ー安藤昌益のこと』 東北とは何か 
エドガール・モラン『オルレアンのうわさ』 原発という無意識 
井伏鱒二『黒い雨』 ヒロシマからの問い 
ジョン・スタインベック『怒りの葡萄』 故郷喪失から、生活再建へ 
宮沢賢治『雨ニモマケズ』 「救済」を待つのではなく 

 コロナ禍で世界的に読まれた「ペスト」がまず挙げられていたことに驚いた。ということは④の東北論などはともかく、現在のコロナ問題を考える時のきっかけにもなる読書リストなんじゃないか。この本は小さな本だけど、文学はこういう風に読めるのかと改めて教えてもらった気がした。正確に言えば、ノーマンモランは、「狭義の文学作品」ではない。ハーバート・ノーマンは、日本で生まれたカナダ人で、日本史を研究した。カナダ外務省に入り、占領中はカナダからGHQに派遣され、日本の民主化に参加した。その当時の研究が「忘れられた思想家」で、安藤昌益再評価のきっかけとなった。アメリカの「赤狩り」時代に「スパイ」と疑惑をもたれ、1957年にカイロで自殺したという伝説的な日本史研究者である。

 エドガール・モランはフランスの社会学者で、様々な著作があるがほとんど翻訳されている。「オルレアンのうわさ」は、フランスの町で反ユダヤ主義のうわさが広まる過程を分析した有名な著作。この本を「神話の形成」をめぐるものとして、原発論議の中で読み解くというのは、ちょっとビックリ。卓見である。この本は、文学という視点から震災に迫った稀有の本だと思う。こういう視角で、震災を論じるというのは大事なことだと思う。

 ところで外岡秀俊は朝日入社後も小説を書いていたことが今では判っている。1986年に福武書店から中原清一郎名義で出た「未だ王化に染はず」という長い小説が外岡氏の著作なのである。中原名義ではその後に「カノン」(2014、河出書房新社)、「ドラゴン・オプション」(2015、小学館)、「人の昏れ方」(2017、河出書房新社)という本が出ている。あまり注目されたという記憶が無いが、こうしてみると退職後はジャーナリスト以上に小説家として活動していたと言える。僕は最初の「未だ王化に染はず」は刊行当時に読んでいる。天皇制国家に同化されず、未だ狩猟民で生きる「未開の民」の生き残りが北海道の大地に生き残っていたという大胆な設定の本である。稀に見る「反天皇制」の書として忘れてはいけない本だと思う。
(「未だ王化に染はず」)
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上野広小路亭で、三遊亭好楽・兼好を聴く

2022年01月19日 22時10分43秒 | 落語(講談・浪曲)
 2022年の初落語。落語は誰を聴いたか忘れないように記録しておくことにしている。東京にはいつもやってる4つの寄席があって、それを「定席」(じょうせき)と呼ぶ。しかし、他にも落語や講談などの演芸をやっているところが幾つかある。永谷商事が運営している4つの小さな演芸場の中で、お江戸上野広小路亭お江戸日本橋亭お江戸両国亭の3つは大体毎日のように落語をやっている。(「新宿永谷ホール」は主に貸しホールらしい。)定席の一つ、上野鈴本演芸場は落語協会しか出られないので、上野広小路亭では逆に落語芸術協会五代目圓楽一門会落語立川流を中心にしたプログラムを組んでいて貴重。
 (お江戸上野広小路亭)
 と書いたけれど、実は一度も行ったことがなかった。場所は上野松坂屋本館の(中央通りをはさんだ)真向かいにある。場所が小さいので、どうせなら大きいところで見たいなと思っていたんだけど、正月の寄席は顔見世興行である。いつもより高い料金なのに、多くの芸人が顔を見せてちょっと漫談を話して代わる。それも楽しいといえば楽しいけれど、最近は行ってない。代わりに正月に地元ホールでやってる「初笑い寄席」なんていうのに行くことも多かった。しかし、これも芸人は他の寄席と掛け持ちで、急いでやっている。客も普段は落語なんて聴かないシロウトばかり。会場も大きすぎることが多く、最近は行ってない。

 ということで、お江戸上野広小路亭にそろそろ行ってみるべきだと思った。当日2千円のところ、予約すると5百円も安い。だから予約電話をしたら、スリッパを持参してくれという。靴を脱ぐのである。いつもはスリッパを置いてるが、今は感染対策で貸してないという。パイプ椅子が50ぐらい置いてある小さなホールだった。まず靴を脱いで、靴は2階の靴入れに入れる。寄席は3階で、全部で50人ぐらい入るところ、今日は20人ぐらいだった。今日は多いと言ってたけど、本当かどうか判らない。

 今日しか時間が取れなかったけど、トリが三遊亭好楽、仲入前が三遊亭鳳楽なのが楽しみだった。でも、鳳楽は休演で、一番面白かったのが三遊亭兼好。評判はずっと聞いてたが、寄席には出ないので(最近は新宿に時々出ているが)、今まで聴いたことがなかった。どういう人か知らなかったのだが、1970年生まれの52歳。社会人経験を経て、1998年に好楽に入門した。2008年に真打昇進。昔の俳優の山村聡みたいな容貌で、元気いっぱいの落語を演じた。演目は「王子の狐」で、狐が人間を欺すのではなく逆に人間が美女に化けた狐を欺そうとする話。勢いがあって面白く、人気があるのも当然。また機会があれば是非聴きに行きたい。
(三遊亭兼好)
 前座は立川流の立川半四楼、その後に落語芸術協会所属の二人。上方落語の笑福亭希光、講談の日向ひまわり。ひまわりは前にも聴いてるが、大岡政談を30分たっぷり。次が兼好で、さらにラッパ漫談トリトン海野。聞いたこともない名前だが、日本唯一の自衛隊を定年退職した芸人だという。つまりラッパは、陸上自衛隊時代の仕事だった。ラッパにマスクを掛けたりして笑わせる。意外にもとても面白かった。続いて鳳楽の代演、立川談之助だが、この人は浅草演芸ホールの芸協公演に時々出てるから聴いたことがあった。前も「笑点裏話」だったが、今回は林家三平が代わった(下ろされた?)最新ニュースがある。一番知られている落語番組だけど、こんなに「笑点」や他の落語家の悪口ネタでみんな面白いんだろうかと疑問。

 仲入り後に、活動弁士坂本頼光。活弁を寄席でやるのは珍しいが、アート無声映画は別にして、娯楽映画の活弁は今は話芸の一種として扱うのもありだろう。昔のアメリカ映画「ジャックと豆の木」をDVDで流しながら、説明を付ける。昔は特撮のレベルが低いから、今となっては笑えるシーンが多い。そこを弁士が誇張して述べると、立派な寄席の芸だった。続いて阪妻(阪東妻三郎)の「血煙高田馬場」をちょっと流して終わる。落語芸術協会に正式に入会するという話も聞いたが、これは受けるのではないか。
(坂本頼光)
 次に芸協重鎮の桂竹丸で、僕はこの人がお気に入りだけど今日は漫談に終始してちょっと残念。さらに俗曲の桧山うめ吉。昔国立演芸場で夏に桂歌丸が圓朝の怪談をやっていた頃、トリの前は大体この人が出て来た。すごい美人だなあと思って、ブログを時々のぞいている。今日は久しぶりだったが、踊りもあった。そして最後に三遊亭好楽。実は初めてである。この人は昔林家久蔵と言われた時代に「笑点」大喜利メンバーで、一端退いた後で三遊亭好楽になった後で復帰したという過去がある。もともと林家彦六(先代林家正蔵)に入門して真打になった。その後師匠が亡くなって、五代目圓楽一門に移籍した。師匠没後に他の師匠に付くのはよくあるが、好楽の場合は落語協会から脱退してしまったわけだから、凄い決断である。
(三遊亭好楽)
 最近は時々浅草や新宿に出ているが、基本的に定席では聴けないから、五代目圓楽一門や立川流には聴いてない人がかなりいる。好楽は「死神」というネタで、貧乏神に取り憑かれた男が死にたくなって死神に出会う。死なない方策を伝授されて医者になって、成功するが…。上野広小路亭はトリの持ち時間が長いので、長いネタをタップリできる。どうも本当に年取った感じがあって、死神に取り憑かれてもおかしくない。やっぱり凄いなと思うところと、なんだか一本調子だなという場面がある。もう絶頂期ではないのでやむを得ないだろう。近くの鈴本演芸場の半分の値段なんだから、十分もとを取った気になって帰宅した。
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「拡大自殺」という犯罪、現代日本の精神風景

2022年01月18日 22時59分33秒 |  〃 (社会問題)
 15日に大学入学共通テスト東大会場前で、17歳の少年が3人を無差別に刺傷した事件が起こった。これには驚いたけれど、被疑者は名古屋の私立高校生で事件後に自殺を考えていたと報道されている。およそ1ヶ月前の12月15日(2021年)には、大阪北新地のビルが放火され、被疑者を含む26名の死者が出た事件が起きた。4階にあった心療内科、精神科などの「働く人の西梅田こころとからだのクリニック」が狙われたとされる。また、東京では昨秋に私鉄内で無差別に乗客を狙うような事件が続けて起こった。
(大阪北新地放火事件)
 このような出来事をどのように考えるべきだろうか。無差別に狙われては避けることができない。個人からすれば防ぎようのない恐怖である。無差別に襲われるという点では、政治的な「無差別テロ」「自爆テロ」と変わりない。だから、このような事件を「個人テロ」と呼ぶ人がいる。なるほどと思わないでもないが、何の政治的、社会的主張もなく、あまりに個人的な事情、ほとんど他人には理解不能な「理由」で起こしたものを「テロ」と定義するのは無理がある気もする。もちろん「バイトテロ」なんて言葉もあるぐらいだから、拡大解釈すれば成り立つかもしれないが。

 しかし、拡大解釈するならば、もっと良い用語がある。それが「拡大自殺」(extended suicide)である。英語表記があるように、これは学問用語らしい。もっとも日本の「拡大自殺」の典型例は、いわゆる「無理心中」である。親が自殺するときに、子どもを残しては置けないと考えて子どもを道連れにする。日本的感覚による「子殺し」で、欧米では親による身勝手な殺人として理解不能な出来事らしい。今問題にしているような事件は、「自殺」を図る前に他者を道連れにするものだ。対象の人間が完全に「無関係」である場合もあるが、本人の主観では「抑圧してくる対象」である場合もある。
(日本における「拡大自殺」ケース)
 このような事件が多くなることは容易に予測出来たことだ。現代世界で起きている大きな変化の中で、「個人」は完全にバラバラにされる。「家庭」「学校」「会社」といった、多くの人が帰属してきた場所がどんどん機能しなくなっている。もちろん今でも「学校」や「会社」に行っている人が圧倒的だ。しかし、日本ではいったん組織から離れた(と自分で思い込む)場合、どこにも居場所がない。欧米ではまだ「教会」が意味を持っているようだが、日本では何か悩みがある人が「お寺」を訪ねることは少ない。

 では行政や福祉・医療の出番かというと、これも現実には難しい。公務員は予算の削減で人員確保が難しい。それに相手の事情に踏み込みすぎて、クレームを寄せられると困る。最近の公務員の人事考課では、問題を起こさないでやり過ごす方が有利になるだろう。問題を起こしそうな人がいても、教育、医療、福祉、警察などをたらい回しされることが多いのではないか。大きな事件になるのは少なくても、「ちょっと困った人」対応で苦労している場合は多いだろう。

 今思えば、相模原市の障害者施設襲撃事件(2016年)、京都アニメーション襲撃事件(2019年)が日本の犯罪史の画期となったように思う。こういう言い方は良くないかもしれないが、「一人でもあれだけできる成功体験」となってしまった感じがする。アメリカでは銃撃事件がいっぱい起こる。学校で起きた事件のほとんどは、「拡大自殺」という概念で理解可能ではないか。日本では銃を手にすることは難しい。だが、「弱いものを襲う」「火を付ける」という「方法」で、アメリカのような大量殺人が可能になるのである。

 そして、社会はそのような事件にきちんと向き合わない。「社会」から「排除」された人をさらに「排除」することを求める。そもそもの「排除」を減らしていく方策を作ろうとはしない。その結果、「弱いものがさらに弱いものを襲う」という悪い連鎖になってしまう。大阪の放火事件はまさにその日本の現在を指し示している。かつて永山則夫は獄中で自らの犯罪は「仲間殺し」だったと認識した。しかし、相模原の事件の犯人は、裁判の間においては事件の本質を変えることなく、「独自の考え」を持ち続けているようだ。どうしてそうなってしまったのだろうか。

 いくら考えても僕には答えがないし、「自殺」というのは連鎖が起こりうる微妙な問題なので、本当はここに書くのもあまり気が進まない。でも、僕は年末に「平野啓一郎「決壊」を読むー恐るべき先見性」を書いた。この小説はある殺人事件(複数)を描いているが、その犯罪の内容もそうだが、警察や社会が事件に全く対応出来ないことも書かれていた。僕はそれを読んで「恐るべき先見性」と書いたが、まさにそのような社会が現前にあることに愕然とする。
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映画「モンスーン」、変貌したヴェトナムに抱く孤独感

2022年01月17日 20時52分24秒 |  〃  (新作外国映画)
 ホン・カウ(HONG KHAOU)監督(1975~)の「モンスーン」(2019)という映画を見た。あまりにも小さな声で語られていると思うが、とても魅力的なロード・ムーヴィーなので紹介したくなった。監督の名前も覚えてなかったが、カンボジア生まれのイギリス人で映画「追憶と、踊りながら」(2014)を見てブログに書いていたことをすっかり忘れていた。ヴェトナムからイギリスへと逃れた過去同性愛者である主人公など監督自身の人生が反映されているようだ。

 解説を引用すると、「両親の遺灰を埋葬すべく、祖国であるベトナムのサイゴンに⾜を踏み⼊れたキットは、6歳のとき家族とともにベトナム戦争後の混乱を逃れてイギリスへ渡った"ボート難⺠"だった。訪れたサイゴンは今やすっかり経済成⻑を遂げ、かつての姿は⾒る影もなかった。」公式には「ホー・チ・ミン」に改称されたが、この映画では皆がサイゴンと呼んでいる。両親が戻るなと言ったのでキットは30年ぶりの帰郷である。幼い頃に事情も判らず気付いたらボートの上だった。多くの人がアメリカやオーストラリアを希望したが、母はイギリスを行き先に選んで認められた。
(サイゴンをさすらう)
 昔の住居を訪ねるが高度成長中のヴェトナムに居場所が見つからない。幼なじみにあっても、昔の思い出の場所はもうない。恐らくSNSで事前に知り合っていたゲイのルイスに会いに行くと、父がヴェトナムで戦った黒人兵の彼も居場所を求めていた。父は自殺し、ルイスはその後顔に痛みが出るようになったが、ヴェトナムの湿潤な風土があっていると語る。一夜限りのはずのルイスにはその後も偶然出会うことになる。サイゴンに散骨の場所が見つからず、両親の生まれ故郷のハノイに向かう。列車で行くと34時間掛かると映画内で言われている。その途中の風景を眺めると、湿潤なモンスーン気候の田園風景が広がっている。ハノイに着くと、そこには古い町並みが残っているのだが…。
(列車でハノイに向かう)
 ハノイではアートツァーを主催するリンに再会した。学生のリンには戦争はずっと前の話である。しかし、両親は家の仕事である「蓮茶」を手伝って欲しいという。キットもリンの実家を訪ねて手伝ってみる。蓮茶というのは知らなかったが、ヴェトナムの名物だとしてネットで売っている。リンは若い人は飲まないと言っているけれど。再びサイゴンに戻って来るが、要するにどこへ行っても帰属感が得られない。それは異郷に移り住んだり、あるいは同性愛者であったりすることと結びついているんだろう。生まれ故郷に戻れば帰属感が得られるかと思ったが、やはりそこにも思い出が残っていない。
(蓮茶作りを手伝う)
 85分しかない映画だから映画内では何も解決しない。むしろ自分の親が何故故郷を捨てたか、再び見つめ直す旅になる。高度成長と伝統の相克の中を旅するロード・ムーヴィーと言ってもよい。その風景が魅力的なのと、人生に違和感を持ち続ける主人公のたたずまいに惹かれる。主人公のキットはヘンリー・ゴールディングという人で、「クレイジー・リッチ!」の主人公役で知られたという。それは見てないが、父はイギリス人、母はマレーシア人という生まれで、マレーシアに戻って活躍していたが、今ではアジア系俳優としてハリウッドで活躍中。

 歴史も人生も小さな声で語られるから、どうも淡彩過ぎる感じもする。ヴェトナム戦争やボートピープルは何度も映画に出て来た大テーマだが、もう時間が経ってしまった。でも個人の人生には未だ大きな影を落としている。それも後から生まれた「戦後世代」にはなかなか通じない。日本でも60年代、70年代には、戦争が遠くなってしまった、高度成長でなじんだ風景が変わってしまったという感慨が多くの映画で語られた。この「モンスーン」という映画はあまり宣伝もされてないが、ヴェトナムや東南アジア現代史に関心がある人には逃せないと思う。すごい傑作とまでは言わないが、心に沁みるものがあった。
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「ミレニアム6 死すべき女」、全部のせ大河ミステリー終幕

2022年01月16日 22時29分44秒 | 〃 (ミステリー)
 ダヴィド・ラーゲルクランツミレニアム6 死すべき女」(ハヤカワ文庫、ヘレンハルメ美穂・久山葉子訳)を読んだ。これで全世界で大評判になった「ミレニアム」シリーズも一応終わりである。2019年に発表され、同年暮れに翻訳が刊行された。2021年2月に文庫化され、まあ文庫なら買うしかないなと思った。半年ほど放っておいて、秋頃には読む気になっていたところ、2021年10月7日夜に東京で震度5の地震が起こった。日暮里・舎人ライナーが脱線して止まってしまった地震だが、僕の家でも枕元の積ん読本が崩れてしまって、一番上にあったはずの「ミレニアム6」が見つからなくなってしまった。ところがエドガー・アラン・ポー盗まれた手紙」じゃないけど、まさか目の前にあるじゃないかという場所で「発見」したのである。

 帯には「全世界1億部突破!」と大きく書かれている。しかし、解説によればそのうち8千万部は第1部から第3部だという。最初の3巻はスティーグ・ラーソンが書いた。しかし、母国のスウェーデンで第1部が刊行される前の2004年11月、ラーソンは心筋梗塞で僅か50歳にして亡くなった。世界でベストセラーになるのを全く知らないままに。そんなことがこの世の中に起こるのか。死の時点では全10部の構想を持ち、第4部も大方は書き終わっていたと言われる。しかし、ラーソンの原稿が残されたパソコンは現時点では封印されていて、内容は不明である。そして受け継いだダヴィド・ラーゲルクランツが、第4部から第6部までを完成させた。

 この「ミレニアム」シリーズに関しては、以前に「スウェーデンの傑作ミステリー「ミレニアム」、原作と映画①」「「ミレニアム」の志を継ぐもの-「ミレニアム」原作と映画②」を書いたので、細かいことは繰り返さない。第3部までにはずいぶん書き散らされた感じの伏線が残っていて、それをラーゲルクランツが完全に回収しているのには感心した。しかし、世界的大ベストセラー・シリーズの続編を手掛けるというのは、とても大きな精神的負担だったという。それも当然だろう。その結果、第6部で終わらせるということになった。僕は続編に満足出来たし、ここで終わるのもやむなしと思う。

 「ミレニアム」というシリーズ名は、主人公であるミカエル・ブルムクヴィストが共同経営者を務めるスウェーデンの雑誌である。季刊のルポールタージュ専門誌で、人種や女性の差別、大企業のスキャンダルなどを追求する左派の立場に立っている。さすがスウェーデンではそんな雑誌が存在するのかと思うが、まあ現実ではなくてラーソンの理想で作り出されたものなんだろう。

 ミステリーとしては、まさに「全部のせ」である。第1部は孤島で行方不明となった少女という典型的な「謎解き」だったが、その後はスパイ・謀略小説となり、さらに法廷ミステリー情報小説になっていく。さらにハードボイルドサイコ・スリラーの要素もあるから、まさに「全部のせ」なのである。もう一人の主人公であるリスベット・サランデル、「ドラゴン・タトゥーの女」と呼ばれる天才的ハッカーは、実はスウェーデン戦後史の隠された闇に関わる存在だった。それが判ってからは、心理的、歴史的な深みも増してくる。そして、第4部、第5部に引き継がれてからは、妹である絶世の美女カミラとの暗闘という方向性がはっきりしてきた。
(ダヴィド・ラーゲルクランツ)
 今回の「死すべき女」は、どうもここで終わらせるしかないという感じがあって、今までで一番内容的な不満がある。それはやむを得ないと思って読んだけれど、新味としては「山岳ミステリー」がある。著者自身が登山を趣味にしているらしいが、なんとエベレスト登山隊の悲劇が大きく内容に関わっている。ストックホルムの公園でホームレス男性が謎の死をとげる。その人物が誰だか全く判らない。その男はある女性ジャーナリストに対して、国防相の名を出して食ってかかるところを目撃されていた。

 ミカエルはそのジャーナリスト、右派的論調で知られていた女性に会いに行くと…。なんとロマンスが発生してしまうのは、恋多きミカエルの定番だが、それにしても立場を軽々と乗り越えたのは作中のお互いが一番驚いている。そしてリスベットの協力によって遺伝子調査の結果、謎のホームレスはシェルパらしいと判るが…。国防相はかつて、ロシアに滞在する情報員だったが、辞めて後にエベレスト登山隊に加わっていたことで知られる。その時の登山隊では死者が出る悲劇が起こっていた。その国防相は実はミカエルの知人であり、別荘から飛び出し海で溺れかかっているところを何とかミカエルが助けようとする。

 という主筋に、リスベット対カミラの究極の対決が随所に挟み込まれ、ラスト近くではミカエルを罠に掛けて誘拐し、それを餌にリスベットをおびき寄せようとする。捕まったミカエルは足を暖炉で焼かれ、それがリスベットにも伝えられる。という展開にハラハラするかというと、まあそこは超人的なリスベットが助けに来るだろうと想像できる。そりゃあ、後を引き継いだラーゲルクランツがミカエルとリスベットを死なせて終われるかと思う。誰だってそう思うに決まってるから、ここでも書いてしまう。それが作家としてもう書きたくないところでもあるんだろう。

 特に第4部以後に見られるのは、リスベットの実の父の出身地であったロシアが妹のカミラの本拠地として重要な意味を持つことである。ロシアではハッキングや麻薬などで違法行為を繰り返すロシア・マフィアが暗躍している。現実のニュースでも、日本初め世界中の企業に「ランサムウェア」などの脅迫ウイルスを送りつけるハッカー集団はロシアに多いとされる。ソ連時代が再来したかのようなプーチン政権だが、ソ連には一応イデオロギー的な背景があった。そういうタテマエが無くなって、ひたすら利潤追求に明け暮れる「ギャング資本主義」になっている。そんな現実を背景にした大河小説でもある。

 中立福祉国家として知られるスウェーデンの現実の悩みにも思いを馳せる。ひたすら面白く、一度読み始めたら止められない小説だが、同時に読者に「政治的」な立ち位置を確認するような小説でもあった。
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岩波ホールの閉館を聞くーずっと見てきた世界中の映画

2022年01月11日 22時51分54秒 | 社会(世の中の出来事)
 東京・神保町交差点の岩波神保町ビル10階の「岩波ホール」が閉館するという。朝日新聞のウェブニュースには「ミニシアターの先駆けで、半世紀以上の歴史を持つ「岩波ホール」(東京都千代田区)が7月29日に閉館する。同ホールが11日、公式サイトで発表した。「新型コロナの影響による急激な経営環境の変化を受け、劇場の運営が困難と判断いたしました」という。」と出ている。その公式サイトには先ほどから何度かトライしているが接続できていない。驚いて見ている人がいっぱいいるんだろう。
(岩波ホール)
 岩波ホールと言えば、今では映画館という印象が強いが、もともと1968年に作られた時は多目的だった。1974年から川喜多かしこ高野悦子による「エキプ・ド・シネマ」という組織が作られ、映画上映を始めた。一番最初はインドのサタジット・レイ監督「大河のうた」だった。これは1965年にATGで公開された「大地のうた」の続編である。僕は前編を見てないのに続編から見るのもどうかと思って、その最初の上映は行ってない。その後、3作目の「大樹のうた」を合わせて三部作をまとめて上映したので、その時に見た覚えがある。僕が初めて岩波ホールで見たのは、2作目のエジプト映画「王家の谷」である。
(岩波ホール壁面には今までの上映映画のチラシが)
 その時は僕は浪人生だったが、お茶の水の予備校に行っていたから岩波ホールは行きやすい。(ちなみにアテネ・フランセ文化ホールはもっと行きやすい。予備校をサボってアート映画を見たりしていた。)そして「エキプ・ド・シネマ」の会員になってしまった。それ以来、2年ごとの更新をマメに続けてきたから、僕は第1期からの連続会員なのである。会員になっている映画館も多かったが、映画館以外も含めて減らしてきた。しかし、何となく岩波ホールは継続してしまう。最近はそんなに行ってないんだけど。

 岩波ホールの絶頂期は、1978年から1980年だろう。1978年公開のヴィスコンティ「家族の肖像」は大ヒットし、ベストワンになった。1979年のギリシャのテオ・アンゲロプロス監督「旅芸人の記録」もベストワン。2位には「木靴の樹」(エルマンノ・オルミ)が入った。他にも「女の叫び」「奇跡」「プロビデンス」とキネ旬ベストテンの半数が岩波ホール上映作品だった。1980年の「ルードヴィヒ神々の黄昏」(ヴィスコンティ)が2位。ポーランドのアンジェイ・ワイダ監督の「大理石の男」が4位である。

 イタリアのルキノ・ヴィスコンティはここからブームになった。ワイダ監督の作品はほぼ岩波ホールで公開され、単なる映画を越えてポーランドの民主化の声を伝えた。その中でも作品的には僕は「旅芸人の記録」に一番驚いたものだ。何しろ4時間を越える作品だから、当時の状況では他では上映出来なかったと思う。その後、アンゲロプロス作品はシャンテ・シネなどで公開されるようになった。つまり岩波ホールでヨーロッパの最新アート映画に触れた観客が育っていたのである。
(旅芸人の記録)
 それが80年代以後の「ミニシアター・ブーム」と言われたものだろう。シネマライズ渋谷など代表的なミニシアターも閉館してしまい、「元祖」の岩波ホールもなくなってしまう。しかし、今では世界で評価された映画は大体他でも上映出来るようになった。岩波ホールのラインナップはむしろおとなしくなってしまって、最近は「良心作」に偏っていたと思う。それに椅子が小さいからつらい。僕は劇場、寄席などに行くたび書いているが、大手シネコンのゆっくり座れる椅子に比べると、背もたれが小さい岩波ホールはつらいのである。最近ではチリのドキュメンタリー映画の巨匠パトリシオ・グスマンの映画を昨秋に見に行ったが、なかなかつらいものがあった。今から全面改修するわけにもいかないのだろう。
(高野悦子さん)
 岩波ホールにとって、支配人だった高野悦子さんの持っていた意味が大きい。高野さんが亡くなったのは、2013年のことだった。つい昨日のことのように思っていたら、ずいぶん前だったのに驚いた。当時「追悼・高野悦子」を書いた。映画の名前などは、そっちでいっぱい書いた。重なることも多いから、もう止めることにする。そこで書いたけれど、岩波ホールの上映作品の製作国を世界地図に塗っていけば、地図が大体埋まってしまう。知られざる国々の映画を上映してくれた功績は大きい。

 もう一つ、その時に書かなかったけれど、東京国際映画祭と連動して「国際女性映画祭」を長く続けた。これは岩波ホールというより、高野さん個人の功績と言うべきで、岩波以外で上映した時もあったと思う。しかし、女性監督の作品、あるいは女性、高齢者の映画をたくさん上映したことも忘れられない。1月末からはジョージア映画祭が開催される。ジョージア(昔のグルジア)の映画を見たことがないという人はこの機会に見ておいた方がいい。二度と他ではやらないと思われる。まだ7月末まであるから、何回か行きたい。岩波ホールで映画を見て、新刊・古書を探して、カレーを食べて帰るというライフスタイルが消えるかと思うと残念。
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映画「香川1区」、政治ドキュメンタリーの傑作

2022年01月10日 22時36分22秒 | 映画 (新作日本映画)
 大島新監督の「香川1区」が東京で先行公開されている。地元の香川初め全国では1月21日頃から上映されるところが多いようだ。これは大島監督の前作「なぜ君は総理大臣になれないのか」(2020)の続編として作られた映画である。立憲民主党の小川淳也衆議院議員に密着しながら、2021年10月31日に行われた衆議院議員選挙を記録した映画である。当然ながら対立候補の平井卓也候補(自由民主党)や町川順子候補(日本維新の会)も取材している。この映画を見ようとする人なら、おおむね選挙結果は知っているだろう。ハリウッド製劇映画ならともかく、結果の判っているドキュメンタリーってどうなの? と思いながら見たけれど、それは全く心配なかった。156分もある映画だが、全く退屈せずに見られる政治ドキュメンタリー映画の傑作である。

 前作「なぜ君は総理大臣になれないのか」は公開当時に見逃してしまって、キネマ旬報文化映画ベストワンに選出されてから見に行った。文化映画部門ではあるが、親子そろってベストワン監督になるのは史上初ではないか。(大島新監督の父、大島渚は1971年の「儀式」がベストワンに選出されている。)しかし、僕は前作はあまり面白くなかった。小川淳也という政治家を知らなかったという人が結構いたが、僕は一応名前も知っていたし注目もしていた。偽装統計問題で活躍したのだから。そもそも与野党問わず、何回も当選している政治家は大体知っている。もちろん小川議員の家族構成なんか知らなかったが、基本的には驚きはなかった。

 大島監督の妻が小川議員と高校同窓で、その縁で長年撮りためていたということだったと思う。そのため珍しいぐらいの政治家密着ドキュメントになったけれど、折々に撮影したブツ切れ感が否定できない。メインになるのは2017年衆院選だが、そこで小川は民進党(当時)の方針に従って「希望の党」から出馬し、比例区で当選した。安保法制に賛成する「希望」から出たことで、「裏切り者」と言う有権者もいた。そこら辺が興味深かったが、その問題はすでに「解決」してしまった。「希望」に「排除」された「立憲民主党」が優勢となってしまったのである。そういう政治家に「なぜ君は総理大臣になれないのか」は大げさに過ぎて僕には理解出来なかった。(例えば石破茂の密着なら「なぜ君は総理大臣になれないのか」も判るが。)
(今回も「本人」ノボリを背負って自転車で)
 だが、今回の「香川1区」は非常に面白かった。一つには選挙が2021年秋に行われることが事前に判っていたことがある。2014、2017年の総選挙は安倍政権が突然仕掛けたものだった。大島監督は他の仕事もあるわけだから、急に選挙になっても困ってしまう。ところが今回はコロナ禍で解散出来ないまま任期満了が近づいて、秋までには必ずあるのである。そこで2021年4月18日、小川が50歳の誕生日を迎える日から撮り始めて、選挙戦、投開票日と起承転結の構成が抜群なのである。

 しかも対立候補の平井卓也は菅義偉内閣で初代デジタル大臣を務めた。1年でデジタル庁を立ち上げた「実績」を大いに誇るものの、パワハラ、暴言、接待疑惑をマスコミで追求された。NTTに接待を受けて「割り勘にした」というが、勘定を払ったのは週刊文春の取材を受けた後だったというのだから、脇が甘いにもほどがある。しかし、平井氏といえば、地元香川県で3代に渡る世襲政治家であり、四国新聞西日本放送を傘下に持つ四国のメディア王である。四国新聞はデジタル庁発足を6面に渡って特集したのに対し、小川議員に対しては取材もせずに記事を書くというトンデモぶりである。
(香川1区は高松市と小豆島)
 そこに「日本維新の会」から町川順子という候補が突然出馬を表明した。小川は維新の議員総会に「乱入」して、出馬取りやめを要請する。それを音喜多議員にツイッターで投稿され、他党候補を妨害したと批判された。小川議員は「野党が一本化を最後まで追求するのは当然」というスタンスだが、「悪意をもって報じられるとは思っていなかった」と言う。大島監督は「維新は自民票も取るのでは」と問うが、小川は「それもあるが結局野党票をもっと取る」と述べる。この問題は当然知っていたが、実は町川氏は玉木雄一郎議員(国民民主党代表、香川2区)の秘書だった人で、小川とも面識があった。玉木も出て来るが、町川の出馬には困惑している感じだ。映画は平井デジタル相や町川候補にも直接取材していて、非常に興味深い。

 こうやって書いていると終わらない。いよいよ選挙公示日を迎え、選挙戦本番である。小川陣営はボランティアが集まってくる。「小川淳也を心から応援する会」(オガココ)というグループもあって、選挙事務所は若い感覚で装飾される。いわゆる「為書き」が目立たないようになっている。「為書き」というのは、有力者が「祈当選 為○○○○君」などと書いた紙である。これだけ有力な人が応援しているという示威だが、大臣、知事、大都市市長など有力者にも序列がある。映画で俳優をどんな順番で載せるのかみたいなものである。そんなものが大きく貼ってあるのは古い感じがする。平井陣営の事務所は為書きでいっぱい。町川陣営ではなんと出陣式に神官を招いてお祓いをしている。
(大島新監督)
 平井陣営も不祥事報道に追いつめられたか、次第にピリピリしてくる。街頭演説では「相手陣営はPR映画なんか作って盛り上がってる」などと演説する。聞いていた監督は「PR映画はないんじゃないですか」と問い詰めるが相手にされない。次第に演説撮影も妨害されるようになり、警察に通報される。もちろん選挙演説の撮影は何の問題もなく(一般人がスマホで撮ってたくさんSNSに上げている)、かえって警察に心配される。岸田首相を迎えて大決起集会があるというので、撮影に行くと入れてくれない。首相演説は絶対に映画に入っただろうに、もう大島監督は「敵対陣営」「危険人物」なんだろう。

 それも道理で、監督のもとには「秘密情報」も寄せられる。一つは政治資金パーティの問題で、2万円×10人分の20万円を貰いながら、出席は3人までと明記されている書類である。パーティ券代は出席の対価だから、出席出来ない7人分は「寄付」で扱わなければおかしいと指摘される。さらに「期日前投票」をした人が本当にその候補に入れたかどうか、別会場で確認しているという情報である。自民党県議が持っているビルの2階に、確かに期日前投票をした人がどんどん吸い込まれている。監督が投票を頼まれた人を装って聞いてみたところ、確かに企業の上役などに投票依頼された人が実際に入れたと報告に行くらしい。

 小川候補の両親にも聞きに行くし、小豆島に運動に行く二人の娘も取材する。最初は「妻です」「娘です」というタスキをしていた家族は、最後になって本人の名前入りタスキをしている。「妻」「娘」では男性中心で従属している感じがするので、自分の名前を出すことにしたのである。そして、ようやく投開票日。まさかの「開票速報開始直後の当確」だった。長女も挨拶して「今までは大人の社会に出ると、正直者は馬鹿を見るということなんだなと思っていたけど、今日は正直者が報われることを知った」というようなことを涙ながらに語る。動員された平井陣営に対し、ボランティアがどんどん増えていった小川陣営には、勢いの差があった。特に小川陣営の応援ということではなく、選挙戦を撮影していればそのことが理解出来る。

 とはいえ、立憲民主党は全体としては議席を減らし、党首選が行われた。小川淳也も何とか出馬したが敗れ、現在は政調会長をしていることは周知の通り。なかなか総理への道は遠いが、やはり正直、公正が売り物というのではリーダーは難しいかもしれない。ホンのちょっと出て来る玉木雄一郎の方がリーダーっぽいではないか。「清濁併せのむ」器がなければ、プーチンや習近平に対応出来るのかと思う有権者もいると思う。まあ、もう一皮二皮向ける必要があると思うが、まずは野党が弱いところをじっくり巡って、今回の選挙の教訓を伝授して欲しいと思う。
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