尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

「滅びゆく国」を生きて-日野啓三を読む②

2017年02月28日 21時33分31秒 | 本 (日本文学)
 書き始めてしまったから、もう少し日野啓三の話を。日野啓三の最高傑作は何だろうか。「夢の島」だけはだいぶ前に読んでいて、もうよく覚えていないのだが、今回読んだ中では「台風の眼」(1993、野間文芸賞)と「砂丘が動くように」(1986、谷崎潤一郎賞)は圧倒的な力を発揮している本だった。

 「台風の眼」というのは、手術後に自分の一生を振り返るようにして書いた「一種の自伝」だけど、普通の自伝とはかなり印象が違う。普通の自伝は、自分の人生をつながりのあるストーリイのように語るものだ。しかし、「台風の眼」は人生の瞬間瞬間の映像をスチル写真のように並べたような小説。だから、ずいぶん読みにくい。でも、非常に迫力のある文章で書かれている。

 日野啓三は1929年に東京で生まれた。父は広島県福山の近くの地主の息子だったけど、東京帝大法学部を出たのに大恐慌にぶつかって就職口がなかった。その後、植民地の朝鮮で銀行員になり、親子で転居した。最初は南部のミリャン(密陽)に住んだ。(ここはイ・チャンドンの傑作映画「シークレット・サンシャイン」の舞台になった町である。)近くの中学に進んで苦労するが、父が京城(今のソウル)に転任して日野も移った。父は後にもっと北の町に行き、日野は父の知り合いの女世帯に居候する。

 戦時色が次第に濃くなり、学生は勤労奉仕で工場に行くようになる。もっと厳しい戦争に巻き込まれた子供も多い中で、朝鮮植民地にいたことは、ある意味では恵まれていた。特に文学少年でもなかったけど、この時代の「植民者」の一員だった体験は彼にとって決定的だった。敗戦に伴い、日野は自分たち日本人は襲撃されるだろうと思う。言語化できないまま、彼は自分たち日本人の位置に気付いていたのである。だけど、実際は朝鮮神社が焼かれただけで、日本人を襲う事件はなかった。

 父母も敗戦直前に京城に帰っていて、なんとか日本に「帰国」する。帰国と言っても、自分は全く知らない内地の農村に住んだわけである。それは「帰国」というより、「異文化体験」である。こういう風に、戦後に「外地」(朝鮮や満州など)から「引き揚げ」て、「故国に送還」された作家はかなり多い。安部公房五木寛之別役実などに共通する、「日本的共同体」からの疎外感、根を持たない感覚、どこにいても居場所がない感じなどは、日野啓三文学にも共通している。若いころの五木寛之がよく言っていた「デラシネ」(根無し草)の文学である。

 僕が思うに、日野啓三は「滅びゆく国」に生きたことで、「作家」にならざるを得なかった。その最初が「大日本帝国が統治する朝鮮植民地」だった。その彼が「作家」たる自覚を持ったのは、前回書いたように特派員として派遣された「南ベトナム」(ベトナム共和国)だった。日野が南ベトナムという国に「虚構性」、あるいは「植民者の買弁的性格」を鋭敏にかぎ分けたのは、自分が幼いながら植民地に住んでいたものの嗅覚が働いたのだと思う。1975年に北ベトナム(ベトナム民主共和国)が南ベトナムを崩壊させる形で、ベトナム戦争が終結した。南ベトナムこそ、日野啓三にとって第2の「滅びゆく国」を見た体験だった。ベトナム戦争が終わって、日野啓三は本格的作家活動を始めた。

 ところで、僕はもう一つ、日野啓三は「滅びゆく国」を生きていたと思う。それは(言い方はいろいろあると思うけど)、「80年代バブル日本」である。朝鮮植民地や南ベトナムとはまた違うものの、同時代の日本に「腐臭」を感じ取ったのではないか。それが彼に都市の中に「滅びゆく幻想」を幻視させた。そんな小説の中でも、「砂丘が動くように」はとても面白く、よく出来た小説である。「抱擁」や「夢の島」と違って、この小説は東京を舞台にしていない。ふと訪れた日本海側の町である。そこで砂丘をよみがえらせようと闘う人々を描いている。

 防砂林で囲まれ「死にゆく砂丘」を蘇らせようとする人々。一種のミステリーのように、あるいはSFのように進行するが、「砂」そのものが生きているような不思議な世界である。安部公房「砂の女」やSFの「デューン 砂の惑星」なんかと似た感じもあるが、ここでは不思議な盆栽を作る少年とその盲目の姉、女装して暮らす謎のリーダーなど、幻想小説という枠組みで書かれている。宇宙論(コスモロジー)や人間の内なる自然へ向かう作品。「台風の眼」と違って、「抱擁」や「砂丘が動くように」はとても読みやすい。文章も判りやすい。だけど、奥が深い感じがする。「純文学ファンタジー」として、また「人間と自然」を新しい意識で書く物語という意味でも、再評価すべき作品だと思う。
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「向う側」にひかれて-日野啓三を読む①

2017年02月27日 22時25分36秒 | 本 (日本文学)
 池澤夏樹に続いて、2月は日野啓三の小説をずっと読んでいた。誰だって言われるかも知れないけど、読んだ感想をまとめておきたい。森友学園問題も根が深そうだし、トランプ大統領をめぐる問題もつきない。映画はともかく、小説について書くとグッと反響がなくなる。別に読者数を気にして書いてるわけじゃないけど、やっぱり「日本の小説を読む」なんてマイノリティなのか。

 日野啓三(1929~2002)は亡くなって10年以上経っている。もう文庫本も講談社文芸文庫に何冊か生き残っているぐらいだろう。(古書はネットでいくらでも見つかるし、図書館にもいっぱいあるけど。)それにしても、なぜ今、日野啓三なのか。特に理由はなくて、前から気になって文庫をけっこう買っていたのである。それがもう20年以上前。そのまま読まないでいた。たまたま年末に整理したら、その文庫群が出てきた。解説を先に読むタイプじゃないから気づかなかったけれど、3冊も池澤夏樹が解説を書いていた。「セレンディピティ」みたいなものか。

 日野啓三は、1974年下半期の第72回芥川賞を「あの夕陽」で受けた。それが自身の結婚生活(の破たん)を扱っていたから、「私小説作家」と思われたりした。読売新聞外報部に勤務して、60年代半ばには戦場のベトナムに特派員として派遣された経験を持つ。だから、「社会派」的な「ベトナム報道」という本も書いている。そして、80年代になると、「抱擁」「夢の島」などの「都市幻想小説」を書いた。1990年にガンの手術をして、その後は「闘病小説」も書いている。
(日野啓三)
 そういう風に、「さまざまな顔を持つ作家」だと僕は思っていた。でも、今回まとめて読んでみて、まったく違った感想を持った。私小説的だったり、病気をしたり、ベトナムを舞台にしたり、いろいろあるけど、すべて共通して「自分はここにいていいのかと思う主人公」を扱っている。自分を前面に立てるときもあり、幻想を詩的にうたいあげるときもある。追想を中心にしたり、幻覚を語るときもある。でも、すべて「自分はなぜここにいるのか」と感じている主人公を描いている。

 日野啓三は、もともと文系志望じゃなかったらしいが、敗戦直後の東大社会学部在学中に「戦後文学」(野間宏など)に出会う。そして、一高で一級下だった大岡信(詩人)や佐野洋(推理作家)と大学時代に同人雑誌を作っていた。でも、その時点では一貫して「文芸批評」を書いていて、「小説」は封印していた。卒業後も読売新聞に入社した。そんな日野啓三が「作家になった」のは、1965年1月29日のサイゴンである。この日、あの20歳の少年レ・バン・グエンが中央広場で公開銃殺刑になった。開高健岡村昭彦も日野とともに目撃していた。開高健もその衝撃を書いていた(と思う)けど、それほどの衝撃だったのだ。

 そこで、日野の最初の小説「向う側」(1966)が書かれた。これはベトナムで行方不明になった前任の特派員を探し求める後任者の物語だった。探し求めると、彼は「向う側」へ行くと言って消えたらしい。これはベトナム戦争下の特派員としては、一応「解放戦線支配地区」へ向かったと考えられる。しかし、もっと形而上的な「向う側」かもしれず、あるいは自殺や精神疾患なのかもしれない。そこらへんはよく判らない。つまり、ベトナム戦争を舞台にしながらも、日野啓三は戦場ルポや社会派小説を書かなかった。「物語」というには難解な部分が多い、「戦後文学」的な難渋が付きまとった作品を書いた。

 1974年に芥川賞を受賞したが、その時は45歳。今では特に問題にならないけど、当時としては「若手」ではなかった。翌年には中上健次の「」(74回)、続いて1976年には村上龍限りなく透明に近いブルー」が受賞する時代である。日野啓三はちょっと古めかしい私小説作家と思われたわけである。だけど…、80年代になって突然全く違った作風になった。

 それが1982年の「抱擁」(泉鏡花賞)で、今回読んで一番面白かった。読みやすいし、力強い。東京という大都市の中にある、もう滅びゆくような洋館。そこに暮らす謎めいた少女とその老祖父。というちょっと通俗めいた作風に、「向う側」を求める人々を生き生きと描いている。祖父の息子、少女の父は、10年ほど前にベトナムに赴任していた外交官だが、「向う側」へ行くといったまま行方不明になっている。
(「抱擁」)
 つまり、これは(特派員と外交官の違いがあるけど)、明らかに「向う側」から続く物語だったのである。そして、その「向う側」は明らかに「政治的な向う側」ではなく、この世に不適格な人々の「心の向こう側」だった。滅びかけた洋館とはかない少女という「装置」を通して、非常に強いファンタジーを紡いでいる。今も現実社会に居場所を見つけがたいと思う人には強い吸引力を持っていると思う。是非、再評価がなされて欲しい小説である。
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「教育勅語」をどう考えるべきか-森友学園問題②

2017年02月25日 21時51分48秒 | 政治
 「森友学園」をめぐる問題として、幼稚園では「教育勅語」の素読を行い、新設予定の小学校でも「教育勅語」を大切にする教育を行うということがある。幼稚園でやって何か意味があるのかと思うけど、それは別にして「教育勅語」をどう考えるべきなんだろうか。案外ちゃんと知らないで議論しているんじゃないかと思って、少し書いておきたいと思ったわけである。

 正式には「教育ニ関スル勅語」というけど、1890年(明治23年)10月30日に出された。「勅語」というのは「天皇の言葉」ということで、今でいう「おことば」のようなものだが、「教育勅語」は例外的に書面で出された。明治天皇の署名付きで、当時の山縣有朋首相と芳川顕正文部相に与えられた。

 戦前の教育で非常に重大な役割を果たしたから、中学や高校の授業に必ず出てくる。だけど、1889年2月11日に発布された大日本帝国憲法と同じ単元で教えることになっていることがほとんどだろう。当然、旧憲法の内容解説や位置づけの方が大事だから、「教育勅語」に関しては少し触れるだけということが多いのではないか。(自分の場合、大体そうなってしまっていた。)

 この「教育勅語」に関して、それをもとに教育するなどということは、今ではありえないし、あってはならない。何でかというと、「今では失効している」からである。「良いことも書いてある」なんて言う政治家が時々いるわけだけど、その理解は根本的に間違っている。国権の最高機関である国会で、「失効確認」が決議されている。もっともそれは1948年のことだから、占領中である。「占領軍による強制だ」と言いたい人もいそうだ。でも、どういう経緯があろうが、日本の国会で失効を決議しているんだから、それが覆らない限り、教育の場で勅語に基づく教育などあってはならない。

 その決議は、1948年(昭和23年)6月19日に衆参両院で行われている。衆議院は「教育勅語等排除に関する決議」と言い、参議院は「教育勅語等の失効確認に関する決議」と言う。全部引用すると長くなるから、大事なところを少し引用してみたい。(先が衆院、後が参院)

●これらの詔勅の根本的理念が主権在君並びに神話的國体観に基いている事実は、明かに基本的人権を損い、且つ國際信義に対して疑点を残すもととなる。よつて憲法第九十八條の本旨に従い、ここに衆議院は院議を以て、これらの詔勅を排除し、その指導原理的性格を認めないことを宣言する。
●われらは、さきに日本国憲法の人類普遍の原理に則り、教育基本法を制定して、わが国家及びわが民族を中心とする教育の誤りを徹底的に払拭し、真理と平和とを希求する人間を育成する民主主義的教育理念をおごそかに宣明した。その結果として、教育勅語は、軍人に賜はりたる勅諭、戊申詔書、青少年学徒に賜はりたる勅語その他の諸詔勅とともに、既に廃止せられその効力を失つている

 「教育勅語好き」という人は、ここに見られる「戦後民主主義」の理念、国民主権や基本的人権をそもそも敵視しているのかもしれない。ここで言う「教育基本法」は、第一次安倍内閣によって「改正」された。よって、「今はもう違うんだ」などと安倍首相やその支持者は内心では思っているのかもしれない。でも、今の教育基本法でも、もちろん「神話的国体観」や「自民族中心教育」は否定されているはずだ。

 上の決議にあるように、失効が確認されたのは、教育勅語だけではなく、軍人勅諭や他の多くの勅語全部である。衆院決議にある憲法98条とは、「この憲法は、国の最高法規であつて、その条規に反する法律、命令、詔勅及び国務に関するその他の行為の全部又は一部は、その効力を有しない。」というものである。それにしても、このような決議に見られる「格調の高さ」は印象的である。「負けてわかった」民主主義の大切さが国会議員にも身に染みていた時期だったんだと思う。

 ところで、ネットで検索すると「現代語訳教育勅語」がいくつか出てくる。特に明治神宮のサイトに出ているものは、出した当人を祀ってある神社なんだから、影響も大きいと思う。それは「国民道徳協会訳」とされている。なんだか名前からしても権威がありそう…。と思うと、これが「誤訳いっぱい」であり、そもそもこんな協会は実は佐々木盛雄(1908~2001)の一人団体だという。佐々木という人は戦後に4回衆議院議員になった保守政治家で、その佐々木の自費出版に載っていた「現代語訳」が広まっているんだという。(ウィキペディアによる。)

 その現代語訳の問題点を逐条的に全部書いてると、延々と長くなってしまう。大事なところを二つだけ書いておきたい。教育勅語については、「兄弟仲良く」とか「学問を修め」とか良いことが書いてあるという人が時々いる。だから、明治神宮のサイトにも「戦後に教育勅語が排除された結果、我が国の倫理道徳観は著しく低下し、極端な個人主義が横溢し、教育現場はもとより、地域社会、家庭においても深刻な問題が多発しています。」と書いてある。これは右派政治家が抱く「戦後社会批判」と全く同じである。だけど、何事につけ物事には目的がある。「目的」抜きに論じても偏った理解となる。

 「現代語訳」(協会訳版)だと、国民は勉強や仕事に励んでいて、「非常事態の発生の場合は、真心を捧げて、国の平和と安全に奉仕しなければなりません」とある。これも問題を感じないでもない表現だけど、「まあ、そんなものか」とスルーしてしまう人もいるだろう。でも原文は「一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ以テ天壌無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ」である。他の現代語訳だと、最後の部分は「永遠に続く皇室の運命を助けるようにしなさい」とある。

 「国の平和と安全」なんか、原文のどこにもない。原文にあるのは、「天壌無窮ノ皇運」である。つまり兄弟仲良く、勉学や仕事に励んで、その先に非常事態(つまり対外戦争)が起こったら、天皇のため努めよと書いてあるわけである。そのことは誰にも否定できないだろう。「皇国史観」(歴史を天皇家中心に考える歴史観)を隠して、一般的な「国家に対する国民の奉仕」のように見せようとする「意図的な誤訳」、まあ「超訳」とでも言うべきものだろう。

 もう一つ、勅語の対象をめぐる問題がある。原文は「爾(なんじ)臣民」とあるのを、先の現代語訳では「国民の皆さんは」と訳している。そもそも複数ではないので、「皆さん」はおかしい。(「爾」を複数にするときは「爾等(なんじら)」という言葉になる。)それはともかく、「臣民」は「国民」と全く違う言葉(というか概念)である。「国民」と言えば、当然「国家」あってのものである。国家を構成している人々のことである。でも「臣民」というのは、天皇(君主)に対して仕えるものと言う意味である。

 前近代の武士や貴族は天皇に仕えたかもしれないが、どうして近代日本の農民や労働者全員が天皇に仕えることになったのか。そんな事実はないわけだけど、戦前は「臣民」と呼ばないといけなかった。国民全員が天皇に仕えていたわけである。つまり、教育勅語は「主君」から「臣下」に与えたものなのである。だから、どちらかと言えば、「爾臣民」は「私の部下たるおまえは」といったニュアンスで訳すべきものだろう。それを「国民の皆さん」などと訳すのも、「意図的誤訳」である。

 スパイに「スリーパー」と呼ばれるものがある。相手国に入り込み、一般人になりすまし、信用を得る。いざという時には、スパイになるわけだけど、それまでは普通の市民を装うわけである。そういうスパイは、言動に注意するように指示されている。隣人には挨拶を欠かさず、毎日勤勉に仕事に励む。そういう指示が与えられるわけだけど、そのような指示命令を「社会人として良いことも言っている」というのは、明らかにトンチンカンな理解だろう。あるいは、日本にもかつて左翼党派の「武装闘争」があったわけだが、爆弾製造法パンフなんかもあった。それを「化学の勉強になる」などと言ったらおかしい。「教育勅語」を「良いことも書いてある」というのは、そんなものと同じだろうと思う。
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不可解すぎる国有地払下げ-森友学園問題①

2017年02月24日 23時12分47秒 | 政治
 大阪市で「塚本幼稚園」を経営する「学校法人森友学園」に対する大阪府豊中市の国有地払下げ問題が大問題になっている。もともとは木村真豊中市議が払下げの値段を開示するように、大阪地裁に提訴した。それが2月8日。それに対し、一転して財務省が2月10日に払下げ費用を公表したところ、1億3千4百万だった。隣接のより広い土地が豊中市に売却されたときの値段は14億円超だったという。

 そもそもその場所は、森友学園が今年4月に開校を予定している「瑞穂の國記念小學院」なる小学校の建設用地である。「塚本幼稚園」は(幼稚園だというのに)「教育勅語」を暗唱させるという「教育」を行っているという。小学校建設用地にも、教育勅語が書かれたポスターが貼ってあるそうだ。木村市議はもともと、それを見て不審に思って情報開示を求めたところ、売買価格が黒塗りされた資料しか出てこなかったのである。そこで開示を求める提訴に至ったわけである。

 不動産鑑定士が鑑定したその土地の評価額は、9億5千6百万円だった。ところが地下に撤去が必要な埋設物があり、その撤去に8億円がかかるとされた。その結果差し引きの1億3千4百万で売却されたわけである。(2016年6月20日)ところが昨年3月に土壌汚染や埋設物処理の費用として、1億3千2百万が支払われていた。8億円というのは、また新たに見つかった分の撤去費だという。かくして、事実上「たった200万円」で国有地が森友学園に売却されたわけである。

 その後、この小学校の「名誉校長」を安倍首相夫人の安倍昭恵氏が務めていたことも報じられた。また、この小学校は「安倍晋三小学校」と名付けて寄付金を募っていたという。と同時に、幼稚園をめぐっては「退園」になった保護者との係争もあり、その保護者に対して韓国人、中国人と名指しで「ヘイト表現」のような見解をホームページに載せていたという。

 という風に、国有地払下げ問題に端を発して、さまざまな問題が噴出している。国会でも大きく取り上げられ、ようやくテレビでも大きく取り上げられるようになってきた。それでも新聞によっては取り上げ方に違いがあるようである。この問題の広がりに関しては、今後も注視していきたいと思うけど、僕がもともと不可解だと思うことがいくつかある。そのことについて、何回か書いておきたい。

 最初に不思議に思ったのは、「この土地は一体何なのか」ということである。ここは元は住宅地だというけれど、普通の土地にそれほど巨額の撤去費用を必要とするゴミが埋まっているだろうか。そもそも当初「風評被害」を恐れる学園側の要望で売却額が秘密にされたという。しかし、校舎部分は撤去したが、校庭部分はそのままだともいう。本当に8億円もかかったのか、よく判らない。「風評被害」が起きるかもしれない埋設物とは何だろう。8億円もかけて撤去するべきものとは。

 この土地はもとは大阪空港(伊丹空港)の騒音対策区域だった。そのため、1974年に(現在の)国土交通省大阪航空局が土地を購入した。その後、騒音対策が進み区域指定が解除された。そこで、2013年に大阪航空局の依頼で、近畿財務局が買受先を公募した。(以上、東京新聞2月18日付記事による。)ということは、今は騒音対策上は問題はないのかもしれないが、空港に近いことは間違いないだろう。防音対策をしっかりすれば大丈夫かもしれないけど、そもそも学校にふさわしい土地なのだろうか。地下には埋設物、地上には航空騒音。工場や倉庫ならともかく、ここに小学校なのか。

 それに、こういう経緯そのものがおかしい。個人ではありえない。自分で家を建てようと思って土地を買う。全額自費で払えない場合は、銀行ローンを組む。そうして買った土地に家を建てようとしたら、地下に埋設物があった。じゃあ、どうなるか。そもそも買わないことには、地下の工事はできない。いったん最初に全額払うはずである。そこで問題があったら、不動産業者に抗議して、そこの会社(売主)の負担で除去工事をしてもらう段取りになる。それが普通だろう。

 今回の土地に関しては、買う前に埋設物が判ったのは、そもそも最初は「有償貸付契約」が結ばれていたからである。初めは借地という契約だったのである。ところが埋設物が見つかり、その撤去費用が発生したのちに、売買契約に代わる。でも、それは本来おかしい。「こんなものがあって学校が作れない、国で何とか撤去してくれ」と抗議するのが普通ではないのか。そして、国の責任で適切な処理をして、何を作ってもいい土地にした後で、適正価格で売却する。それが普通の筋道だろう。

 大阪航空局の対応も、そもそもおかしい。売る前にきちんと地下を調査しないのか。後で問題になるような土地を売りに出すのは変である。何かに使う土地として売却するならば、当然事前にするべきことをしていない。それは何故だろうか。当初から、「ここは森友学園に」というルートが敷かれていたのではないか。まだ認可も出ていない私立小学校建設のために、学園側は一度に購入費を用意できない。そこで「貸付」ということになった。だけど、埋設物があることが判った。(それはなんだかわからないけど。)じゃあ、それを理由に「値引きして売る」という案を誰かが考えた。

 だけど、どう考えてもおかしい。当初の値段で売った上で、「埋設物撤去費用の請求書を国に回す」というならまだわかる。実際に撤去費用がいくらかかったのか。それが示されない限り、この契約は納得できないだろう。ある意味では「詐欺」の可能性さえある。誰がこの案を考え出したのか。そういう人がいたのではないかと思う。そして、先に書いたように、その小学校の教育内容の問題以前に、そもそもその土地が学校にふさわしいのかに、僕は大きな疑問を持つのである。
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映画「未来を花束にして」と女性参政権運動

2017年02月23日 21時48分08秒 |  〃  (新作外国映画)
 昔の映画や映画祭に行ったりしているうちに、見たい映画もどんどん終わってしまう。イギリス映画「未来を花束にして」も今週で朝だけの上映になってしまう。その前に見ておきたいと思ったのは、題名だけでは判らないけど、これが20世紀初頭のイギリス女性参政権運動を描いているからである。日本のことが多少知っているけど、イギリスのことは全然知らない。とても貴重な機会だと思って、見たかったのである。まあ、テーマ的な関心と言っていい。その関心は十分に満たされるが、知らないことは多い。

 原題は〝Suffragette”という。これじゃ日本ではなんだかわからないけど、「サフラジェット」というのが、イギリスで女性参政権を求めた女性を指す言葉だという。ウィキペディアにも、その言葉で解説がある。1912年のロンドン。洗濯工場で働くモード・ワッツは平凡な主婦だったが、配達の途中で偶然、窓ガラスを割って回るサフラジェットの運動にぶつかる。工場にも賛同者がいて、議会の公聴会で証言するという。モードも傍聴に行くと、同僚のヴァイオレットは顔にけがして(夫に暴行された?)、代わりにモードが証言する。だんだん仲間入りしていくモードを通して、運動内部、弾圧する警察側を描かれる。

 指導者のエメリン・パークハースト(1858~1921、Emmeline Pankhurst)は有名な女性だったらしい。長年参政権要求運動を続け、やがて長女と次女も参加した。平和的な運動を長年続けたのに、イギリスでは全然変化がなかった。そこでパンクハースト夫人は「過激路線」を取った。繁華街のガラス割りはその中でも穏健な方。やがて、ポストを燃やしたり、電話線を切断したりするようになる。人命に影響を与えないという前提で、さまざまな方法で抗議した。大臣の別荘を爆破することもした。

 パンクハースト夫人は映画ではあまり出てこないが、メリル・ストリープが貫録で演じていて、悠然たる演説シーンがある。過激な方法を取らないと注目されない。「言葉より行動を」と言って。堂々たるアジテータ―である。カリスマ的リーダーをさすがにストリープがうまく演じている。だから、同時代のイギリスでは、彼女たちは過激すぎるテロリストと思われていたようだ。だから、直接運動から離れる人も出てくる。そのあたりの内部事情を含めて、社会運動映画としても興味深い。

 この運動方針の評価は、よく判らないとしか言えない。こうやって動いていったという歴史はあるんだろう。注目されずに、ただ正論を片隅で主張していればいいというもんでもないだろう。そしてサフラジェットたちは、1914年に第一次大戦がはじまると、「国家への協力」路線にかじを切るという。それは日本の女性運動がたどった道でもあった。「女性参政権」は国境を超えないのである。

 主役のキャリー・マリガンは、何となく名前を憶えていなかったけど顔に見覚えがある。「わたしを離さないで」や「ドライブ」で中心人物だった人だった。夫はベン・ウィショー。運動家で薬剤師のイーディスにヘレナ・ボナム=カーター。脚本を「マーガレット・サッチャー」を書いたアビ・モーガン。監督はサラ・ガヴロン(1970~)という女性で、テレビを中心に活躍してきたらしい。

 正直言って、ものすごくよくできた映画とまでは言えない。それでも夫の行動を通して、家父長制に支配される社会を印象的に描いている。また、「洗濯女工」というイギリス小説によく出てくる下層女性の実情もよく判る。ほんの1世紀前には、イギリスでさえこんな状態だった。そこから闘い取ったのである。今では当たり前すぎて意識しないような、参政権を取り上げたのは重要だ。ラストで世界で女性参政権が認められた年が出る。ニュージーランドが世界初で、1893年。以後、アメリカの州などで広がっていく。日本も出てくるかと思うと、素通りしてしまったのが残念。作り手に日本への関心がなかった。

 日本では、戦前に長い女性参政権運動があった。特に市川房枝をリーダーにした婦選獲得同盟が有名である。長く帝国議会で門前払いされてきたが、1933年に一度だけ衆議院を通過したことがある。しかし、貴族院で否決されてしまった。それが身分制議会である貴族院の「役割」だったのだろう。そして、その年の秋に「満州事変」が起きて、戦時体制になっていった。日本で認められたのは、敗戦後の1945年12月。選挙で初めて公使したのは、1946年4月の総選挙だった。日本の女性運動を映画化する人はでてこないもんだろうか。
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追悼・鈴木清順監督

2017年02月23日 18時42分07秒 |  〃  (日本の映画監督)
 映画監督の鈴木清順が亡くなった。最高傑作だと思う「ツィゴイネルワイゼン」(1980)のプロデューサーだった荒戸源次郎が昨年亡くなった時に、ここで追悼記事を書いた。鈴木清順について書かないのも変なので、簡単に書いておきたいと思う。

 鈴木清順(1923~2017.2.13)は、93歳で亡くなった。最後の映画作品「オペレッタ狸御殿」(2005)以来、10年以上も作品を作っていない。80歳を超えていたのだから不思議ではない。それでも映画の特集上映などの機会に、観客の前に出てくることはあった。僕もシネマヴェーラ渋谷と神保町シアターで聞いている。もう車いす姿で、介助を受けて出てきていた。それでもオーラというか、独特の存在感を場内に発していた。日本の映画監督で伝説的存在だった人だっただけに、残念な訃報だった。

 鈴木清順監督に関しては、今までにも何回か書いていて、神保町シアターで特集があった時(2013年10月)には20本全部を見てまとめを書いた。「鈴木清順の映画①日活前期」「鈴木清順の映画②日活後期」「鈴木清順の映画③まとめ」がそれ。また「東京流れ者」については、松原智恵子トークしショーとともに別に書いている。「『東京流れ者』と松原智恵子トークショー」である。

 大体そこで書いていることに尽きているんだけど、鈴木清順に関しては「鈴木清順解雇事件」のことを落とすわけにはいかない。日活最後の作品「殺しの烙印」が「わからない」という社長の一言で、クビになった。この非常に面白いハードボイルド映画の自己パロディ映画は、確かに日活でたくさん作られたハードボイルド映画の中では「わかりにくい」。一見すると、確かに「わからない」ところがある。だけど、社長が先に興行的観点から「わからない」としてしまったために、映画ファンにとっては「わからない」と言えなくなったのではないか。でも、この映画の魅力は「わからない魅力」なんだと思う。

 日活の中で、「わかりやすくて面白い」映画もたくさん撮っているけど、それでも清順映画には「わかりにくさ」が付きまとっている。それを無視はできない。エッセイもたくさん書いているけど、はっきり言って僕にはよくわからない文章が多い。日活映画の中では、そのわからなさを独特の美学やパロディとして表出していた。でも、フリーになって作った「ツィゴイネルワイゼン」や「陽炎座」は「わからなさ全開」である。何度見ても途中で筋がよく判らなくなる映像の迷宮をさまようことになる。だけど、少し経つとまた見たくなる。タルコフスキーなんかとまた違った映像の魅力で忘れがたい監督である。
 
 日活の商業作品では、よく考えるとわからないところも多いけど、とりあえずストーリイの魅力で見せられてしまう。なんといっても「けんかえれじい」が最高に面白い。「刺青一代」や「悪太郎」も何度見ても魅せられる。「春婦伝」などの野川由美子三部作もすごい。そして、「東京流れ者」が素晴らしい。筋で見せるだけではないから、何回見ても面白い。だけど、「陽炎座」以後はほとんど面白くないと思う。「ピストルオペラ」が変なところが捨てがたいけど、「夢二」も「オペレッタ狸御殿」もつまらなかった。結局、独特の美学にはまらない場合は、つまらないのである。そこがやはり、何でも見せてしまう人ではなかったということだろう。
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雪の湯西川温泉とかまくら祭り

2017年02月22日 20時42分46秒 |  〃 (温泉)
 栃木県の湯西川温泉に一泊。今は合併して日光市になっているが、元栗山村。雪深い里で「平家落人村」の伝説が残る土地である。20年ほど前に一回行ったことがあるけど、大雪にあたって何も見ないで帰ってしまった。その後、冬には「かまくら祭り」をやっているということで、特に幻想的な「ミニかまくら祭り」を見たいなと思って、久方ぶりに行ってみた。調べてみると、大きな宿も小さな宿もあって、源泉かけ流しの宿ばかりである。あらためて評価するべき温泉地だと思う。

 さて、当日は東京は晴れだけど、鬼怒川温泉あたりから粉雪。そこからさらに電車で北へ向かい、湯西川温泉駅に着いた時にはかなりの雪になっていた。その「ミニかまくら祭り」は会場も遠く、どうしようかと思っていると、宿で送ってくれるという。それは夕食後の7時か、7時半と言われたんだけど、風呂の後でウトウトしてたところに電話があった。風が強いので消えてしまう恐れがあり、今すぐ行くことにしたい…。さっそく準備して出かけて行った。それが次のような写真。
   
 初めはまだ薄暗かったのに、どんどん暮れていく。ただ近くには寄れない。遠くから見るだけ。「ミニかまくら」って何なのかというのは、3枚目の写真にある通り。小ぶりの「かまくら」の中にろうそくを灯す。宿の人などの手作りで、実は月曜に土砂降りの雨でかなりダメになってしまい、今日作り直したという。もとは千個ぐらいあったのが、今日は800ぐらいだという話。確かによくよく見ると、ところどころ消えている。風が時々強く吹き、もっと後では危なかったかなと思った。
 
 雪は相当に積もっていて、昨日の夜から朝にかけ降ったらしい。道の除雪は追いつかない。早く着いたので、少しノンビリ回ってみたけど、慈光寺あたりの道は雪でいっぱい。川を渡るときに橋から周りを撮ってみた。最後は宿の部屋から見た写真。一面の雪景色である。
    
 次の日は朝から晴れている。露天風呂は源泉50度かけ流しだけど、かなり温度も低くなっている。部屋から見ても雪景色である。宿はバスの終点真ん前の「湯元 湯西川館」というところ。高くないけど、アットホームな宿で、良かった。3枚目の写真が宿だけど、拡大するとつららがすごい。
  
 そこから歩いて「平家の里」へ向かう。夜のライトアップは寒いから敬遠したんだけど、まあ有名なところだから、一度は行ってみようかな。ここは「かまくら祭り」のメイン会場で、さすがに見どころがあった。茅葺の屋根からは黄色い(わらの色が付いた)つららが下がっている。今日は結構温度が上がって、落ちてきそうで危ない。まあ、こんな感じのところ。一角に鹿が飼われていた。
   
 珍しく自分の写真も撮ったので、たまには。かまくらの大きさも判るだろう。
  
 町中ももっと撮ったけど、まああまり載せても…。要するに雪ばかりなので。川沿いに共同浴場があった。どんどおお湯が出ている。だけど、脱衣所と風呂に境がなく、「混浴」(というか、誰も入ってない感じ。)車では入れないし、案外穴場かもしれないと思ったけど、残念ながらうっかりタオルを全部宅配便で送ってしまっていた。(湯西川温泉駅隣接の道の駅にある入浴施設には入ってみた。タオルは買えるので。)ここの駅はトンネル内にあることで知られている。トンネルから通路を通って(というか普通はエレベーターを使うけど)、地上に出る。上が「道の駅」にもなっている。(最後の写真)
   
 冬だけど、バス便が良いのでお年寄りが団体でいっぱい来ていた。「ミニかまくら祭り」は外国人も多いようで、ムスリム女性の団体や中国語も聞かれた。東京周辺で手軽な「雪国体験」ができる場所でもあるんだろう。お湯は弱アルカリ性の単純温泉で、昔はこういうお湯はなんだかつまらなくて、もっと癖のあるお湯が好きだった。でも、最近は単純泉の癖のなさがいいなと思うようになってきた。夜まで暖かく、いいお湯だったなと思う。もう一つ、再評価するべき温泉地を見つけた気がした。
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グザヴィエ・ドラン監督「たかが世界の終わり」

2017年02月20日 21時19分24秒 |  〃  (新作外国映画)
 このブログでも前に紹介したカナダの若き映画監督グザヴィエ・ドランの新作、「たかが世界の終わり」の紹介。2016年のカンヌ映画祭グランプリ受賞作品。(カンヌのグランプリは、パルムドールに次ぐ次席に当たる。)日本ではアカデミー賞作品はすぐに公開されるが、カンヌなどの映画祭受賞作品は翌年回しになることが多い。前回の「エリザのために」もそうだし、パルムドールの「私、ダニエル・ブレイク」ももうすぐ公開される。そのケン・ローチの映画はすごくインパクトがありそうで楽しみ。

 グザヴィエ・ドランは、1989年にモントリオールで生まれた。まだ27歳である。19歳で作った「マイ・マザー」がカンヌ映画祭監督週間で評価された。その後、カンヌやヴェネツィアで評判になり、前作の「MOMMY/マミー」はカンヌ映画祭審査員賞を得た。こういう経歴から「カナダの若き天才」とよく言われるけど、僕は前からこの人を「天才」と呼ぶべきなんだろうかと思っている。

 ある朝、ルイが12年ぶりに家に帰るために飛行機に乗っている。22歳で家を出たまま、初めて帰るのである。自分がもうすぐ死ぬと伝えるために。というのが冒頭にナレーションで明かされる。過去のできごとが一切出てこないので、くわしい事情は分からない。久しぶりに家に帰った日の数時間のみが語られる。そして、そこで明かされるのは、バラバラの家族の中で、同性愛者のルイには居場所が失われているという現実である。ひたすら「意味のない会話」が続くことにより、ディスコミュニケーションの持つ意味が観客に突き刺さるように提示される。

 ほとんど顔のクローズアップと会話が延々と続く映像は、「天才」の映像というよりも、もっと武骨な印象を与える。よく煮込まれたポタージュのような映画ではなく、大きく切った野菜がゴロゴロ煮込んであるポトフのような映画。痛切ではあるけれど感動はなく、痛々しいまでに傷つけあう姿が提示される。ドランは「伝えたいこと」があるから映画を作っているのであって、天才的映画監督なんかじゃないと思う。言いたいことをテクニックそっちのけでぶつけてくる。

 もっとも、演出の能力は次第に格段にうまくなっていると思う。カナダと言ってもケベック州出身だから、フランス語映画である。今考えられる最高とも言えるキャストをそろえている。母親がナタリー・バイ、兄がヴァンサン・カッセル、兄の妻がマリオン・コティヤール、妹がレア・セドゥ。いちいち説明はしないけど、この顔触れは素晴らしい。これらの俳優をほとんどクローズアップで見せるのだから、勇気がある。では、主役のルイは誰かというと、1984年生まれのキャスパー・ウリエル。「ロング・エンゲージメント」で注目され、「ハンニバル・ライジング」で若き日のレクター博士役をやったという。どっちも見てないけど、その後「イヴ・サンローラン」でタイトル・ロールを演じたと見て思い出した。

 「家族」というのは、本当に困りものだと思う。多くの人にとって、そうではないか。特に何も問題はないという人もいるだろうけど、それでもどこかうっとうしいところもある。もちろん「愛」や「絆」はあるのである。だけど、「愛」は同時に「束縛」でもあり、「過剰な期待」でもある。それに対して「間違ったメッセージ」を家族に発してしまうと、取り返しがつかないことにもなる。現実に同性愛者であるグザヴィエ・ドランは、その人生でいかに違和感を持ち続けたかが、やはりこのような映画になるんだろう。

 このようにストレートに傷つけあう家族映画は最近珍しいかもしれない。だからカンヌでも評価されたんだろう。日本のような「微温的」な家族映画が多い社会とはかなり違う。そういうところも含めて、楽しい映画というのとは違うけれど、これもまた見ておいていい映画だろう。セクシャル・マイノリティ(に関心がある人)やアート映画ファンだけでなく。ところで、この家族にはかつて何があったのか。それを想像するのも、この映画を見る楽しみだろう。映画では出てこない過去を観客が自分で想像するのも。
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ルーマニア映画「エリザのために」

2017年02月19日 21時05分43秒 |  〃  (新作外国映画)
 映画を見て感動に涙するのも悪くはないけど、最近は感泣を売り物にする映画が多すぎる。映画を見ても、感動というよりもイラつきを覚えるような映画も大切にしないといけない。そういう映画を紹介したいと思う。ルーマニア映画「エリザのために」は、そんな映画の典型。ルーマニア映画を代表するクリスティアン・ムンジウ監督(1968~)の2016年作品。昨年のカンヌ映画祭監督賞受賞。

 ムンジウ監督作品は前にも見てるが、カンヌ映画祭受賞というだけあって、確かな演出の力でどんどん見てしまう。僕はヨーロッパの小国の映画が昔から好きで、北欧や東欧の映画をかなり見ている。ルーマニア映画は少ないけど、何本か見ている。この「エリザのために」は、現代のルーマニアを扱っているが、数年前に見た「私の、息子」のちょうど反対のような映画になっている。

 「私の、息子」(ベルリン映画祭金熊賞、2013)は、交通事故を起こした息子の罪をもみ消そうと奔走する母親の医師を描いていた。一方、「エリザのために」の方は医師の父が娘のために奔走する。父はルーマニアに絶望していて、娘をロンドンに留学させたい。そのために大切な卒業試験の前日、学校の門前で何者かに襲われる。娘のショックは大きく、翌日の試験がうまく行くかどうか。そこで父は学校に、警察に…とどんどん掛け合って「特別扱い」を求めていく。

 彼の家庭はうまく行ってなくて、実は当日も愛人のところで事件を知る。父親は1989年のチャウシェスク政権崩壊後に帰国した世代。ルーマニア再建に尽力したいと帰国したのに、思いは報われなかった。だから、娘は何とかして外国へ行かせたい。せっかく優秀な成績を残してきたのに、こんな事件で台無しにされてたまるか。本人のせいではないんだから、特別措置があってもいいはずだ。

 そう思っているのである。知人らしい警察署長から副市長が移植心臓を求めている、順番で配慮できないかと言われる。副市長に接触して何とかするというと、今度は試験の点数を変えてくれるという有力者を紹介される。こうして、娘のために「不正の連鎖」に追い込まれていく。だけど、その姿勢はかえってエリザからは疎ましく思われている。当日も学校正門より前で車を降りていた。父は愛人宅に行くため、その方が良かった。だけど、実は娘の方も付き合っている男と朝会う約束をしていた。不正をしてまで外国へ行くより、今付き合っている男と一緒にいたいという気持ちも捨てきれない…。

 一人娘を愛していない父親は世界中に誰もいないだろう。この父の行為も、一つ一つは理解可能なんだけど、だんだんどうしようもない現実にがんじがらめになっていく。その様子が実にリアルに描かれている。特に非難するわけでもないんだけど、ずっと見つめていく中で「深みにはまる」という言葉がリアルに描かれる。「コネ」というものは世界中であるだろう。もちろん日本にもある。だけど、日本では一応公的な数字は動かせないだろう。例えば、センター試験の結果は後から変えられないと思っているはずである。ところがルーマニアではコネで不正が可能なのか。

 ルーマニア社会の実態を告発しているんだろうけど、映画でも後半には副市長を捜査する検察官が登場する。ルーマニアにはそういう不正があるのかもしれないが、それを告発する映画を作る自由がある。これは非常に大事なことで、昔アメリカでベトナム戦争を告発する映画がたくさん作られたが、それからアメリカの新しい文化が起こっていった。ここまで自国の不正を告発する映画をアジアやアフリカで作れる国がどれほどあるだろう。ルーマニア映画はいろいろな映画祭で最近よく受賞している。チャウシェスク独裁からEU加盟まで、30年の間に社会が様変わりしたルーマニアだけに、あちこちに矛盾と不正が残っているのだろう。だけど、このような映画を作る新世代が登場している。

 クリスティアン・ムンジウは、2007年の「4カ月、3週と2日」でカンヌ映画祭パルムドールを取った。チャウシェスク時代の妊娠中絶事情を扱った映画で、恐ろしく暗い映画だけど、これが最高傑作だと思う。2012年の「汚れなき祈り」もカンヌで脚本賞、女優賞を取った。これは信仰を扱って、僕にはよく判らない映画だった。カンヌが発見した監督と言っていいけど、手腕は確かである。やはりカンヌで評価が高いミヒャエル・ハネケやダルデンヌ兄弟の映画作りに似た感じもある。ただ、ルーマニアの国情がテーマだけに、日本では一般受けしないだろう。
 
 父ロメオを演じるアドリアン・ティティエニは、「私の、息子」でも父親役をしていた。ルーマニアの俳優である。娘エリザはマリア・ドラグシという女優で、ハネケの「白いリボン」で聖職者の娘だった人という。そう言われると思い出すが、なかなか有望な若手女優として注目すべき存在。ルーマニアに関心がある人は少ないかもしれないが、僕はこういう映画がちゃんと公開されるのは大事だと思う。世界事情を知るためにも見る価値がある。東京では新宿シネマ・カリテ、ヒューマントラストシネマ有楽町で上映中。
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スケーエン派の展覧会と映画「マリー・クロヤー」

2017年02月17日 21時45分46秒 | アート
 トランプ政権の話も飽きてしまったので、そろそろ別の話。国立西洋美術館で開かれている「スケーエン デンマークの芸術家村」展を見た。世界遺産登録後初めて行ったことになる。スケーエンなんて言っても、ちょっと前まで聞いたこともなかったんだけど、これはとても興味深い展覧会だった。デンマークと日本の外交関係樹立150周年記念の展覧会で、スケーエン美術館が所蔵する59点が紹介されている。あまり大きくない展覧会だけど、だからこそ常設展の料金で見られる。5月28日まで。

 スケーエンというのはデンマーク北端の村で、19世紀末ごろに最初に画家たちが住み着いたときには、荒々しい自然と貧しい漁民の村だった。チラシの言葉を引用すると、「潮風が舞う荒野、白い砂浜、どこまでも広がる空と海」が画家たちを魅了したのである。特に、働く漁民たちが漁や遭難などに向き合うさまをリアリズムで描いたミカエル・アンカーという人の絵が非常に迫力があった。そのうち近辺はリゾート地として開発されていき、都会の女たちも訪れるようになる。アンカーの「海辺の散歩」はそういう変化を確かな技量で写し取った傑作である。

 そういえば日本でも初めて近代絵画が描かれたころには、海を主題にした絵がいっぱいあった。この絵をみていると、そこにどういう事情があったのか判らないけど、「一瞬の幸福」が永遠に画面の中に封じ込められている感じを受ける。1896年の絵だから、もうモデルになった女性は誰も生きていないに決まってる。でも、第二次世界大戦のドイツ侵略時にはまだ存命だった人も多いだろう。一体どのような人生をこの女性たちは歩んだのだろうなどとつい考え込んでしまう。

 実はユーロスペースで開かれていた「ノーザンライツフェスティバル」という北欧映画祭で、まさにスケーエン芸術家村の映画を見た。「マリー・クロヤー 愛と芸術に生きて」という映画で、展覧会の招待券もくれたのである。その映画に出てきたペーター・セヴェリン・クロヤーの絵もいっぱい出ている。夫人のマリー・クロヤーをモデルにした絵もいっぱいあり、映画に出ていた女優と驚くほど似ていた。
  (1枚目は肖像画、2枚目は映画の場面)
 マリーも画家だったが、夫から才能がないと言われ諦めてしまう。でも才能がないのではなく、夫のP・S・クロヤーがデンマークを代表する大画家だったのである。映画を見ると、夫のクロヤーはだんだん精神的に不安定になり精神病院への入退院を繰り返す。危険を感じたマリーは娘を置いて家を出るが、その後も波瀾万丈の愛情人生を送っていく大メロドラマになる。「智恵子抄」の逆の物語。

 映画はデンマークの巨匠、ビレ・アウグスト監督の2013年作品。とても重厚な歴史、芸術映画で、美しい風景の中に人生の真実を求める様に感銘を受けた。ぜひ正式に公開されて欲しい。ビレ・アウグストはデンマークを舞台にした「ペレ」(1987)とベルイマンの子ども時代を描く「愛の風景」で2度のカンヌ映画祭パルムドールを取った。(それは今村昌平、クストリッツァ、ダルデンヌ兄弟、ミヒャエル・ハネケ、ケン・ローチと並ぶ記録である。)その後、世界的に活躍し、イザベル・アジェンデ原作の「愛と精霊の家」や「マンデラの名もなき看守」などを撮っている。「マリー・クロヤー」はデンマークの監督らしい題材で、安定した技量で映画をまとめ上げて感銘深い映画になっている。

 ところで、映画を見ていると、当時は女性画家が活躍するには早すぎた時代だったかと思ってしまうのだが、展覧会にはミカエル・アンカーの妻だったアンナ・アンカーの絵がたくさん展示されていた。本人の才能も大事だが、「夫の協力」があれば女性画家がこれほど活躍できたのである。そして、題材には村の女性たちの「家事労働」を多く描いている。女性画家の歴史という意味でも、非常に興味深い。

 また、最後のデッサンがまとまって展示されている。それを見ると、展覧会のために描きなおされた大作と違って、デッサンに批評的な力がみなぎっているように思った。アンカー夫妻の場合、デッサンの方が村人たちを鋭くとらえていると思う。それを絵に仕上げるときに、漁民は多少英雄的に描かれたように思う。そも意味でデッサンも大事に見る必要がある。それも興味深い。

 スケーエンなんて全然知らなかったわけだけど、グーグルで「スケーエン」で画像検索してみると、驚くほど美しい写真がズラッと出てくる。こんな気持ちのいい町があったのかという感じである。まあ冬は厳しいんだろうけど、夏の間の短い輝きはきっと素晴らしいんだろうと思う。今も小さな町らしいが、美術館もあって知られているという。一度は行ってみたいと思う町がまた一つ。
 
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共和党の結束はしばらく続く-トランプ政権のゆくえ②

2017年02月15日 21時42分06秒 |  〃  (国際問題)
 トランプ大統領は、就任直後から大統領令を連発し、公約を実現するスピードは「記録的なペースだ」と自画自賛した。英語では〝record pace”(レコード・ペース)と表現していて、なるほどそう言うのかと思った。だけど、その中の目玉の一つ、「7か国入国禁止令」は、連邦裁判所によって差し止められた状態にある。当初は裁判でずっと争うと言っていたが、いまのところ最高裁には上告していない。

 上告しても現在の最高裁判事の構成からみて、却下される可能性が高いからだろう。その代わりに、新たな大統領令を出すという観測もなされている。その問題のゆくえは判らないけど、トランプ政権発足後の「記録的なペース」は、むしろ閣僚人事の承認の遅れの方だろう。まだ半分も承認されていない。マティス国防相は早々と承認されたが、ティラーソン国務長官はずいぶん遅れた。

 民主党が抵抗しているからだが、もともと「破格の人事」を行った政権側に問題がある。行政経験がないだけでなく、問題発言や問題行動があった人物が多い。選挙の論功行賞と思われる人事もある。共和党主流派からの抜てきもなく、挙党一致という感じもしない。選挙時に協力しなかった人は一貫して干されている。これはいずれ、大きな問題や内紛が起きる可能性を予見させる人事案だろう。

 案の定というべきか、13日には安全保障担当大統領補佐官のマイケル・フリンが更迭された。安全保障担当補佐官と言えば、かつてのキッシンジャー(ニクソン政権)やブレジンスキー(カーター政権)、あるいはコンドリーザ・ライス(ブッシュ政権)やスーザン・ライス(オバマ政権)などのそうそうたる顔ぶれが務めてきた。やはりトランプ政権にとって誤算だろう。ただし、本人が辞任したのではなく、「ロシアとの事前接触をめぐって副大統領の調査に対して事実を伝えていなかった」ことに、トランプが怒って更迭したものである。これだけをもって「トランプ政権の行き詰まり」と決めつけるのは問題が多い。

 上院の閣僚承認投票を見ていると、共和党議員は基本的には結束して臨んでいる。僕は上院の公聴会などで問題発言をして、人事の撤回に追い込まれる可能性も想定していた。だけど、今のところ教育長官のベッツィ・デボスの投票で共和党から2人が造反しただけである。(その結果、50対50になり、通常は採決に加わらない上院議長のペンス副大統領が賛成して、やっと承認された。これは米政治史上初の事例である)

 このデボスという名前は覚えておいた方がいい。この先、アメリカの教育界ではとんでもないことが起こる可能性が高い。アムウェイ創業者の一族出身で、「慈善家」という肩書なんだけど、一貫して公教育を敵視し、チャータースクールなどを推進してきた。今回も上院の質問で「学校に銃を持ち込むことの可否」を問われて、「灰色熊に襲われないため必要」という「珍答弁」をしたそうだ。全米の教育関係者や教員組合が反対運動を繰り広げ、その結果二人の共和党議員が反対に踏み切った経緯がある。

 そういうケースもあるわけだが、ティラーソン(国務長官)やムニューチン(財務長官)の承認では共和党の52票が結束して投票している。民主党は46、無所属2(一人はバーニー・サンダース)だから、共和党がまとまっている限り、最終的には閣僚人事も承認されることになる。そして、今のところ、デボスのようなケースを除けば、共和党議員は結束していると見ないといけない。

 マスコミでは反対運動が大きく報道されるけど、もともとトランプに入れなかった人だろう。トランプに入れた人が、それを後悔しているのかと言えば、今のところそんなことはないと思う。本当に雇用が増えるのか、今はトランプにチャンスを与えるべき時期だと思っているはずである。そして、少なくとも株価は上昇しているじゃないかと思ってると思う。(安倍首相の言い分と同じように。)

 昨年の大統領選では、支持政党と違う候補者に入れる人が増えるという観測があった。しかし、実際にはどちらの党も支持政党の候補者に入れた人が圧倒的多数に上ると見られる。それはニューヨークタイムスのウェブサイトに出ている出口調査によるものだが、調査そのものの信頼性もあるかと思うけど、それにしてもどちらも90%以上の投票になっている。日本の選挙の感覚で言えば、各陣営とも「地盤を固めた」ということである。

 それはどうしてかと思うと、下院議員選挙や(3分の2の州で)上院議員選、あるいは知事選や住民投票なども一緒に行うわけで、セットで投票するということも大きいだろう。それとともに、民主党と共和党がはっきりと価値観で違ってしまったということもある。銃規制や同性婚、妊娠中絶、「大きな政府か、小さな政府か」などの問題で全く価値観が異なっている。だから、候補者に不満があったとしても、基本的に支持している党の候補に投票することが多くなると思われる

 その一つが前回書いた最高裁判事の指名権の問題である。反オバマの共和党主流派にとって、トランプがいかに危険だと思ったとしても、リベラル派判事をこれ以上増やさないためにはトランプを押し立てるしかない。同じようにサンダース支持者も、ヒラリー・クリントンに不満があったとしても、共和党政権に戻って最高裁が保守化する危険性を冒すわけにはいかない。そういう動機も大きいように思う。

 赤(共和党)青(民主党)は、今は「水と油」というのに近い。ホテルのユニットバスなんかだと、赤い方がお湯、青い方が水で、両方を出しながら適温にして風呂をためる。だけど、今では(どっちがどっちかは判らないけど)、片方からは油が出てくるのである。どうやっても中間でまとまるということはできない。単に経済政策などなら、中間で妥協することができるけど、アメリカで問題になっている争点は宗教的、イデオロギー的に妥協することが難しい問題ばかりである。だから、せっかく政権に復帰できた共和党が、(トランプはやり過ぎだと内心では思っているかもしれないが)、早々に内部対立が激しくなり、民主党と一緒になってトランプ反対になるということは当面はないと考えておかないといけない。では、今後どうなっていくと予測できるか、それは次回。
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連邦最高裁の重大な意味-トランプ政権のゆくえ①

2017年02月14日 20時54分44秒 |  〃  (国際問題)
 トランプ政権の今後を何回か考えてみたい。「7か国入国禁止令」が連邦裁判所で停止された経過を見ても、アメリカ政治を考えるとき、連邦最高裁の役割は非常に大きい。最近は報道も多いので知られているかもしれないが、あらためて考えてみたい。連邦最高裁は9人の判事で構成されるが、よく知られているように現在一人が空席になっている。2016年2月にアントニン・スカリア判事が死去して、約1年も後任が決まっていない。オバマ大統領は後任を指名したが、共和党が多数の議会は承認手続きを行わなかった。一説によれば、このスカリア判事の死去こそがトランプ勝利の最大要因だという。(歴史家ジョージ・ナッシュのインタビュー。朝日新聞2017.2.8)

 アメリカは連邦国家だから、基本的には各州で裁判を行う。僕たちが普通法律というときに思い浮かべる、刑法とか民法といった法律も各州ごとに作られている。だから、死刑制度のような重大な問題においても、存置する州と廃止する州が混在している。(死刑制度があるのは、33州と連邦と軍隊。廃止しているのは19州とワシントンD.C.とプエルトリコ、グアムなどの5自治領。なお、存置州のうち、13州は10年以上執行がない。執行が圧倒的に多いのはテキサス州。)

 同性婚を認めるかどうかも、要するに民法の問題だから、基本は各州の対応となる。だから、当初は州ごとに決められた。連邦最高裁は2013年に同性婚者に対して、異性婚者と同等の権利を認めていない連邦法を無効とする判決を下した。これは同性婚の可否を直接裁定したものではないけれど、こういう判決を追い風にして同性婚を認める州が増えていった。

 そんな中で同性婚を認めていない13州が存在した。それに対し、連邦裁判所に同性婚を認めないのは連邦法違反だという裁判が起こされた。2014年11月、その裁判で第5地区連邦控訴裁判所が同性婚を認めない判決を出した。それに原告側が上告し、連邦最高裁で審理が行われることになった。(日本の高等裁判所と同じように、一審判決に不満な場合、控訴できる裁判所が決まっている。第5地区はオハイオ、ミシガン、ケンタッキー、テネシー州を管轄している。今回の7か国入国禁止令の場合、ワシントン州が提訴したので、サンフランシスコにある第9控訴裁判所で審理が行われたわけである。)

 その裁判の最高裁判決は2015年6月26日に出た。同性婚を認めない州法は、法の下の平等を定めた憲法に反するという判決だった。これによりアメリカ合衆国のすべての州で同性婚が認められることになったわけである。ところで、この判決は5対4で決定された。たった一人の差なのである。これは他の問題でもよく起きている。判事の構成が保守派4人、リベラル派4人、中間派1人で構成されていたからである。中間派の判事がどちらに付くかで決着するのである。

 それは例えば、オバマケアが合憲かどうかの裁判に一番現れている。オバマケアを違憲と提訴する裁判も起こされたが、連邦最高裁は2012年に5対4で合憲と判決した。しかし、それは保険加入を義務付けることをめぐってのものである。一方で、2014年にはオバマケアで避妊医療負担を全企業に負担させるのは違憲だという判決を5対4で出している。(信仰に基づく経営を行う家族経営企業などは適用除外になるという判決。)このように一人の判断で合衆国の大問題が左右されていくのである。

 日本の最高裁は15人で構成され、70歳で定年と定められている。アメリカの場合、不思議なことだけど連邦最高裁判事に定年がない。自分で辞めない限り、死ぬまでずっとやり続けるのである。大統領が指名し、上院の承認で決定される。時の政府の多数派の意向が反映するわけだが、その判事が何歳まで生きるかは誰にも判らない。政権の寿命を超えて、最高裁判事の影響力は続くのである。だから、ある意味では大統領や閣僚などを超えた重大な意味を持ってくるわけである。

 現在の8人の構成を見ておくと次の通り。(年齢は2017年2月現在)
レーガン大統領指名    アンソニー・ケネディ(1936~、80歳) 中間派
ブッシュ(父)大統領指名 クラレンス・トーマス(1948~、68歳) 保守派
クリントン大統領指名   ルース・ギンズバーグ(1933~、83歳) リベラル派
                  スティーヴン・フライヤー(1938~、78歳)リベラル派
ブッシュ(子)大統領指名 ジョン・ロバーツ(長官、1955~、62歳)保守派
                  サミュエル・アリート(1950~、65歳) 保守派
オバマ大統領指名     ソニア・ソトマイヨール(1954~、62歳)リベラル派
                  エレナ・ケイガン(1960~、56歳)   リベラル派
*なお、ギンズバーグ、ソトマイヨール、ケイガンが女性。
 トーマスはアフリカ系、ギンズバーグ、フライヤー、ケイガンはユダヤ系、ソトマイヨールはラテン系

 以上を見てみると、非常にくっきりと分かれていることが理解できる。共和党大統領が保守派を指名し、民主党大統領がリベラル派を指名している。もっとも議会ではそれほど大差が付いているわけではないので、厳しい審査で問題点が出てくると指名をやり直したりすることもあった。だから、保守、リベラルといえども、それなりの法律家としての業績や人格などの基準が満たされることが前提になる。

 それにしても、これを見て判るのは、大統領が2期務めても、最高裁判事は2名程度しか指名できないのである。オバマ政権末期に3人目の指名機会が訪れたが、共和党が徹底抵抗したのもなるほどと思えるところがある。オバマの指名した人物は中間派的人物だったけど、オバマの影響力が今後何十年も残ってしまうのを阻止したかったのである。
 
 日本では定年まで数年しかない最高裁裁判官になることが多い。だけど、アメリカでは若くして指名され、定年がない。最古参のケネディ判事は、29年にわたって務めている。2番目に古くなったトーマス判事は26年目に入っているが、41歳で指名されたので、まだ68歳である。年齢だけで言えば、あと10年以上は務めることになる可能性が高い。

 人は年齢順に亡くなる(あるいは回復不能な病気になる)わけではないけど、やはり一応歳の順番に去っていく可能性が高いと言えるだろう。そうすると、高齢順に並べると、ギンズバーグ(リベラル)、ケネディ(中間)、フライヤー(リベラル派)の3人が80歳前後である。次がトーマス判事の68歳だから少し離れている。誰にもわからないことではあるけれど、年齢だけを考えると、保守派はまだ長生きし、リベラル派、中間派が欠けていく可能性が否定できない

 これこそ、保守派が総結集して勝ち取るべき目標なのである。「あと一人」、いや、スカリア判事が保守派だったから、それに加えてトランプ政権中に一人でも多くの保守派を最高裁に送り込めれば…。そうすれば、オバマケアや同性婚もなかったし、ひっくり返せる。歴史を逆回転できるのである。実際に判決が変わったことがある。70年代に一度、最高裁が死刑執行を差し止めたことがある。そのことで全米の死刑執行が止まった。その判決はやがて変更され、条件付き(罪に対して過大に残酷な方法でない場合)で死刑が認められたという経緯がある。そういう経過を思えば、最高裁判事指名権をどちらが握るかは、アメリカ政治にとって、決定的に重大な問題だと理解できる。
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日米首脳会談とゴルフ「供応」問題

2017年02月13日 21時37分13秒 |  〃  (国際問題)
 トランプ政権、あるいは日米首脳会談について、やはり何回か書いておく必要があるだろう。なんでもドナルド・トランプという男は身長が190cmあるんだという。体重は107㎏で、ちょっとこういう人とはゴルフはもちろん、あまり会いたくもない気がする。対するに安倍首相は身長175cm、70㎏ぐらいらしい。この体格差は、ほぼ日米関係に相似なのではないか。

 それはそれとして、日本政府関係者から見れば、日米会談は「大成功」だったんだろう。もともと安倍首相はプーチンやエルドアンなどと息が合うところがあった。これらの政治家は、自国の伝統重視強権体質人権軽視で共通している。もちろんトランプは、彼らを上回ることはあっても、決して下回らないだろう強権的、人権軽視の人物である。もともと「ウマが合う」ところが多いはずである

 先に書いたように、トランプ政権は「お友だち政権」どころは「親族政権」になりつつある。「敵」と見なされたら排除されるけど、「身内」と見なされれば厚遇を受ける。安倍首相がフロリダの別荘を訪れゴルフをともにするというのは、この「身内待遇」を求める方針だから、対トランプという点だけで考えれば「正しい戦略」とも言えるだろう。

 だけど、それは同時に「日本国民を見切っている」ということでもある。イギリスのメイ首相は、トランプ政権に無批判だったということで帰国後に批判された。そこで幾分かトランプ批判をしないわけにはいかなかった。日本国民が同じように、ちゃんとトランプ政権の人権無視政策を批判しない安倍首相を非難するならば、安倍首相もうかうかとゴルフに興じている余裕などないはずだ。

 だけど、安倍首相は日本国民がそんな非難はしないだろうと思っている。もちろん野党はアメリカべったりというだろうが、それは世論調査に反映されない。それより経済で難癖をつけられずに帰ってくれば、支持率は上がると踏んでいるだろう。そして実際にNHKの調査では首相の支持率はアップしている。(国会審議を見ていれば、とても安倍政権が順調だとは思えないはずだけど…。)

 トランプとゴルフをするというのは、「いじめっ子の親分に取り入る」ようなもので、およそマトモな感覚があれば耐えられないものだと思う。そういう本質的な問題もあるけれど、僕にはもっと他にあまり論じられていない問題があると思う。それは「プライベートな趣味の時間」として、大統領個人所有のゴルフコースでプレーするという問題である。

 首相の個人旅行ではなく、政府専用機で行く公的な海外出張である。すべての経過はオープンにされなければならず、どこでどんな会話をしたかも国民に知らされなければならない。外国訪問中は、儀礼行事出席中と言えど「プライベートな時間」ではない。トランプは土曜で休日というかもしれないけど、外国訪問中の首相の方に「休日」はないだろう。それなのにゴルフ中は取材が許されず、ごく限られた映像と写真が提供されただけ。

 今までも大統領の別荘を訪れたことはあるが、ここまで豪華な場所ではないだろう。首相はアメリカ合衆国を訪問しているのであって、トランプ大統領個人を訪れているのではない。相手国から歓待されるのはいいけれど、トランプ個人からあまりにも厚遇を受けるのはおかしい。というか、そもそもここまでの大富豪がトップになることが想定されていなかったのだろう。どこかの独裁国家みたいである。

 このゴルフ場滞在費とプレー代を日本政府は支払っていない。それはゴルフ場がトランプ所有なので、トランプ個人への献金と見なされ、外国政府からの献金を認めない合衆国憲法に違反するからだという。合衆国政府も支払っていない。アメリカ政府が負担すると、アメリカ国民の税金でトランプ氏個人をもうけさせるという批判が出かねない。ということで、今回の別荘とゴルフに関しては、トランプ大統領個人が私費で払うということになった。

 だけど、それはおかしいだろう。そもそも、別荘なら大統領専用のキャンプ・デイヴィッドの有名な別荘を使えばいい。ゴルフをしたいならトランプ所有じゃないゴルフ場へ行けばいい。それなのに、わざわざトランプ氏が私費で安倍首相を歓待した。いま「歓待」と書いたけど、言葉を変えれば「供応」である。これはいくらぐらいになるだろう。数百万にはなるだろう。これはいいのか。それは「わいろ」や「外国からの政治献金」じゃないかもしれないが、常識的な感覚で言えばおかしいのではないか

 こうした外国首脳個人からの「おもてなし」は想定されていなかっただろう。だから、違法じゃないんだろうし、倫理規定なんかにも(言葉の上では)反しないんだろう。だけど、明らかにおかしいと思う。こういう歓待を受ければ、普通は批判をしづらくなるし、何か報いようと思うものだ。だから「接待」という営業方法があるんだし、それが「癒着」につながったりする。

 今回もせっかく昨年の臨時国会で強引に認めさせた「TPP」に全然触れてない。TPPの問題点もあるだろうけど、日本はとにかく国権の最高機関である国会で承認している。野党側はトランプ次期大統領の出方を見て拙速な対応はおかしいと主張していたはずだ。でも強引に国会で承認された以上は、これは「国民の意思」である。行政府の長である首相には、それに沿ってアメリカの翻意を促す義務があるはずである。(まあ、本人は会談で触れたと言ってるようだけど。)

 今書いたのはタテマエ論である。そういうもんじゃないという考えもあるだろう。でも国会に対しては十分に説明する必要があるはずだ。少なくともTPP国会承認をそのままにして、日米二国間協議に応じるなどあってはならないだろう。それはさておき、TPPに言及せず、7か国入国禁止令にも一切言及しない姿勢に、「癒着」に近いものを感じてしまうのも確かである。
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大震災、非命の死者と向き合う-池澤夏樹を読む⑤

2017年02月11日 21時05分48秒 | 本 (日本文学)
 池澤夏樹についてずっと書いてきたが、最後に東日本大震災に関する本を取り上げる。21世紀に入って、池澤夏樹は「9・11」を契機にして、国際問題、時事問題に関してもたくさんの発言を行うようになる。イラク戦争直前には、イラクを訪問して本も出した。その後、河出から一人で編集した世界文学全集を出す。世界の現代文学を俯瞰する中で、一巻に石牟礼道子を充てている。独自の文学観が見事に現れている。大震災以後に、日本文学全集も編んで、古事記の新訳を自ら務めた。震災をきっかけにして、日本人の精神史を新たにとらえなおしたいという気持ちからだろう。単なる小説家を超えて、文明を語る世界的大知識人の風格をも感じさせる存在になりつつある。

 ところで、「3・11」の時に、彼は四国にいたという。吉野川を源流から下っていく旅をしていた。揺れは感じなかったという。仙台に(一時は親代わりだった)叔父夫婦がいたので、緊急に仙台に行くルートを求め、一緒に北海道の自宅に戻っている。その後、三陸の被災地を何度も訪ね、その経過を「春を恨んだりはしない」(中公文庫)に残している。2011年9月11日に刊行された当時には買わなかった。そういう本が出たことは知っていたけど、まだ読む気になれなかったのかもしれない。(文庫本では、原著刊行後の「東北再訪」を収録している。)

 題名はポーランドのノーベル文学賞詩人(女性)のシンボルスカの詩から取られている。震災直後にこの詩を池澤夏樹が紹介した時に、あまりにも心に響く言葉がすでに異国で書かれていたことに驚いた。シンボルスカが夫を亡くした後の詩だというんだけど。

 「またやって来たからといって
  春を恨んだりはしない

  例年のように自分の義務を
  果たしているからといって 
  春を責めたりはしない
  
  わかっている 私がいくら悲しくても
  そのせいで緑の萌えるのが止まったりはしないと」

 この詩はとても深いところで心を揺さぶる。どんなことがあっても、自然は自然の営みをやめない。それが「自然」なのだ。だから、「大津波が襲った」という表現もしないと池澤氏はいう。津波は襲ったりはしない。襲う意思などはなかったのである。ただ、やって来たのだ。この「自然の非人間性」こそが災害の持つ意味である。(もちろん、「人災」である原発事故は違う。ただ原発に関しては、事故のだいぶ前に書かれた「楽しい週末」(1993)という本で、すでに批判している。物理学専攻者として、原発の持つ危険性はそこで書いているので、この本ではほとんど書かれていない。津波によるかつてない大被害をつぶさに見て回ることに専念している。)

 その心の中にあるものは、「非命の死者にどう向き合うか」ということだと思う。「非命」とは思いがけぬ災難で死ぬことを言う。「3・11」では、かつての戦争のあとで、一度に一番たくさんの死者が生まれた。その日の朝には、今日で自分の生命が終わるなどと全く考えなかっただろう死者たちが。もちろん、事故や犯罪などは毎日起こっている。突然理不尽に生命を失う人はいつでもいる。それはそうなんだけど、あまりにも大きな災害、事故、犯罪などで多くの人の生命が失われると、その死者の数の多さに人々は絶句し、衝撃を受ける。その衝撃に向き合った旅の報告である。

 その後、小説でそのことを表現したのが「双頭の船」である。2013年に刊行され、現在は新潮文庫に収録されている。これは一種の「ジュニア小説」の趣もある本である。池澤氏にはいくつかのジュニア向きの小説があって、「南の島のティオ」「キップをなくして」などの楽しさは抜群だった。この「双頭の船」は最初は何だろうと思うけど、途中で震災ボランティアの話だと判ってくる。でも、リアリズムというより、一種のファンタジー一種の寓話のように進行する。そこでは死者も生者とともに生きている。東北地方では、震災以後に幽霊を見たといった「現代の民話」が多数生まれたというが、この本もその一種かもしれない。池澤夏樹による鎮魂の書だと言えるだろう。

 小説としては「星に降る雪/修道院」(2008、角川書店。文庫では「星に降る雪」)も今回読んだ。「星に降る雪」はスーパーカミオカンデを舞台にした透明感あふれる物語。「修道院」はエーゲ海のクレタ島を舞台にした恋愛奇譚。ノンフィクションとして重要な「パレオマニア」(集英社文庫)も読んだ。聞き慣れない書名だけど、これは造語で「誇大妄想」ならぬ「古代妄想狂」というほどの言葉だという。大英博物館で見た古代の遺品に誘われて、実際に現地を訪ね歩こうという壮大な企画である。イラク戦争直前のイラクはその時に訪れた。(他に観光客はいなかったという。)ギリシャ、エジプトなどから始まり、カナダ太平洋岸の先住民やオーストラリアの先住民文化も訪ねている。13か国も出てくる。池澤夏樹という人の行動力の半端なさを示す凄い本である。ちょっと読むのも大変だけど。
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「氷山の南」、極上の青春冒険小説-池澤夏樹を読む④

2017年02月09日 21時09分35秒 | 本 (日本文学)
 池澤夏樹の次の大長編小説は「氷山の南」。2009年から翌年にかけて、東京・中日・北海道・西日本・中國の各ブロック紙に連載され、2012年に文藝春秋から刊行された。現在は文春文庫に収録。(文庫で読んだ。)とにかく圧倒的に面白い青春冒険小説で、これほど面白い本があるのかとビックリした。これもまた若者全員必読の本だろう。

 オーストラリア西部の港フリーマントル(パースの近く)に、ニュージーランドの高校を出た日本人少年がいる。そこから出るはずの「氷山利用アラビア協会」の船シンディバード号(アラビア語で「シンドバッド」)に「密航」したいのである。世界では水が不足する地域もあるが、南極の氷山をオーストラリアに持ってくれば「解決」するのではないか。

 UAEの大富豪がスポンサーになり、そんな氷山曳航計画が進められている。もちろんフィクションなんだけど、すごく緻密に計画されていて、実際のできごとを読んでいるようだ。(なお、氷山はカーボンナノチューブで作られたネットで囲って引っ張ってくるという設定になっている。カーボンナノチューブの発見と構造決定には、日本の飯島澄男氏の貢献が大きい。ノーベル物理学賞の有力候補と言われ続けている。物理学専攻だった池澤夏樹らしい設定である。)

 その少年はアイヌ系で、名前はジン・カイザワ。(途中で貝沢仁と判る。)アイヌの楽器ムックリの名手でもある。北海道の高校でニュージーランドのマオリ系との交換留学制度があり、それを利用してニュージーランドへ行った。そのまま現地の高校を卒業したが、これから何をするべきか、どこに行くべきか決めかねている。オーストラリアに行って氷山曳航計画を知って、「密航」したいと思った。でも、どうすればいいのか。悩むときにアボリジニーの少年画家に出会って、決意を固める。

 詳細は書かないけど、うまく潜り込むことに成功する。見つかって一度は放逐されそうになるが、仕事を与えてくれる人が現れる。午前は厨房で働き、午後は船内新聞作りをすることで、何とか船にいられることになる。午前中はパン作りに熱中し上達していく。午後は船の各部門、同乗している研究者の仕事などをインタビューしていき新聞にまとめる。この仕事を通して、読者にも船で行われている様々の仕事が見えてくる。多様な国籍の多様な人物たちの姿が生き生きと描かれる。ものすごく面白い。

 だけど、この計画、そもそも大丈夫なんだろうか。技術的な可能性の問題もあるけど、それより本質的な問題点もある。南極の氷山を勝手に持ち出すという行為が、環境保護的に、あるいは倫理的に、さらに経済コスト的にどんな意味あるのか。そういう風に考える人は小説内にも出てきて、ある「妨害行為」が行われる。「アイシズム」と呼ばれる思想団体らしい。それは一体どんなものだろう。

 そんな時、「密航」前に知り合ったアボリジニ-の少年から、来いというハガキが舞い込む。(本部との間には時々飛行機の定期便がある。)何だろうと思って訪ねていくと、北部の「観光地」にいる。氷山地帯と全く違う熱帯地方で、二人はアボリジニーの老人と語り合う。そこで、ジンの冒険は、単なる肉体的な冒険ではなく、この小説ではスピリチュアルな冒険をも描いていることが判る。

 話が都合よく進む感じもしないではないけど、面白い小説のためだから認めることにしよう。氷上のオペラとか、氷山一周カヌー周遊。さらに突然訪れることになった南極での体験、アボリジニーの少年と一緒に行う氷山上での試練。ワクワクするような出来事の連続で、まったく飽きさせない。恋愛のテイストがまぶしてあることも、今までの2冊の本と同じ。とても読みやすいけど、同時に多くのことを考えさせられる。こんな面白くて深い小説が現代日本で書かれていたのか。

 この壮大な青春冒険小説は、ぜひ多くの若い人々に読んでほしいと思う。今の日本では、本、特に「純文学作品」が読まれなくなっている。でも、僕がここで書いてきた辻原登、小川洋子、池澤夏樹などの小説は、読みやすくて、面白くて、そして深い。やはり、最後の「深い」ということは大事だと思う。魂の奥に呼びかけてくるような物語に触れることは、人間にとって大切だろう。絶対に面白いからお勧め。
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