尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

中公新書「人類と病」を読むーアメリカは前からWHOを敵視してきた

2021年04月30日 22時19分40秒 |  〃  (国際問題)
 中公新書から2020年4月に出た詫摩佳代人類と病」を読んだ。2020年のサントリー学芸賞(政治・経済部門)を受賞した本で、帯で大きく宣伝している。サントリー学芸賞は1979年から始まって、政治・経済、芸術・文学、社会・風俗、思想・歴史の4部門で毎年10名前後に授賞している。一般向けの新書でも受賞することが多く、人文・社会科学系の学者にとって論壇デビュー的な役割を果たしている。昨年度ではここで書いた小山俊樹「五・一五事件」も受賞している。

 読んでみて、内容が事前の予想と少し違っていた。題名からは「医学史」の本のような感じを受ける。広く「科学史」という学術分野があって、自然科学の一部門だけど社会史的な研究でもある。そんな本かと思ったら、これは国際政治学の本だった。著者の詫摩佳代氏は東大法学部で学んだ北岡伸一門下の国際政治学者だった。(現在は都立大学教授。)2014年に安田佳代名で「国際政治のなかの国際保健事業 国際連盟保健機関から世界保健機関、ユニセフへ」(ミネルヴァ書房)という本を出している。この題名が問題意識を表わしている。

 ペストコレラから出版直前の新型コロナウイルスまで触れられている。第1章の「二度の世界大戦と感染症」では第一次世界大戦後の「国際連盟保健機関」が取り上げられる。ILO(国際労働機関)は第一次大戦後に発足しているが、WHOはまだなかったのである。非政府組織との協力には国際連盟内でも消極的な国が多かったという。そこで赤十字を中心にして国際協力が始まる。1923年に国際連盟保健機関が常設の機関として認められた。

 僕も全く知らなかったが、この国際連盟保健機関は世界に支部を設け、アジア支部はシンガポールに置かれた。日本が国際連盟を脱退した後も、保健機関との協力は持続されたという。この国際連盟保健機関では、ビタミン性ホルモンの「標準化」も行った。大戦前に、医学、化学が一番発達していたのはドイツだったが、大戦に負けて当初は国際連盟に入れなかった。一方、アメリカは経済や科学が発展して医学用語も統一されていなかった。

 第2章「感染症の『根絶』」ではではWHOの設立に始まり、天然痘ポリオマラリアとの闘いが描かれる。第3章「新たな脅威と国際政治の変容」では、エイズサーズエボラ出血熱新型コロナウイルスが扱われる。第4章「生活習慣病対策の難しさ」では生活習慣病喫煙とたばこ規制の問題を取り上げる。感染症に関しては、2月に「ポリオ、アフリカで根絶ーWHOの成果」を書いた。この本はその時に持っていたので、早く読めばもっと詳しく書けた。
(ジュネーブのWHO本部)
 それよりも印象的だったのは、アメリカは特に生活習慣病に関してWHOを敵視し、予算を削ると脅してきたという歴史だ。「生活習慣病」の対策で、肥満、糖尿病のリスクを減らすために「糖分を控える」という問題がある。しかし、アメリカの大企業はそれに大反対してきた。名前は挙っていないが、清涼飲料やチョコ、ビスケットなどのお菓子メーカーはすぐに思い浮かぶ。糖分の摂取量低減目標など決められたら、大損害なんだろう。また煙草でもアメリカには世界的大メーカーがあり、銃規制に対するライフル協会と同じく、一大圧力団体となってきた。煙草会社が禁煙運動を目の仇にしてつぶそうとする映画が何本も作られている。

 最後の第5章「『健康への権利』をめぐる闘い」では、医薬品アクセスをめぐる問題顧みられない熱帯病が取り上げられる。特許をめぐって貧困国では高い薬が入手できない。医療へのアクセスが「市場メカニズム」に左右される問題がある。また「先進国」に多い病気の方が医学研究でも優先されやすい。新薬を開発するための膨大な開発費は、先進国で売れる薬を作って取り返すしかない。そのため熱帯の貧困国に多い感染症が後回しにされる。そういう「国際政治学的な問題」が保健分野でも存在するのである。

 新型コロナウイルスで判ったことは、コロナウイルスといった特に珍しくないウイルスの研究が遅れていた現状だ。サーズもマーズも重大だったが、すぐに終息したために研究できるほどの事例がなかった。何よりも大切な「国際保健協力」を世界がどのように進展させてきたか。その現状と問題点を考えるために一読の価値がある。
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「魔女の宅急便」、素晴らしき「飛ぶ教室」ー宮崎駿を見る④

2021年04月29日 23時09分22秒 |  〃  (旧作日本映画)
 国立映画アーカイブで「1980年代日本映画ー試行と新生」という特集をやっていた。今度の緊急事態宣言で突然終わってしまったが、ちょうど最後の24日に「魔女の宅急便」(1989)の上映があって、31年ぶりに見直した。映画アーカイブはコロナ禍により当日券販売がなくなった。チケットぴあで前売券を買うのが面倒だけど、見直したかったから買っておいたのである。
(「魔女の宅急便」)
 宮崎駿監督のアニメは、2020年の緊急事態宣言明けにスタジオジブリ4本がリバイバルされたときに宮崎駿作品を3本見て感想を書いた。それは以下の記事である。
「風の谷のナウシカ」の予言性(2020.7.4)
「もののけ姫」の反人間主義(2020.7.5)
「千と千尋の神隠し」のアニミズム(2020.7.6)

 僕はテレビやDVDで見直す気はないので、他に見直した宮崎アニメは「天空の城ラピュタ」だけ。数年前に映画アーカイブ(当時は近代美術館フィルムセンター)の追悼特集で上映された時がある。だから「となりのトトロ」も「紅の豚」も公開当時に見たまま。ジブリ作品は名画座に下りてこないし、「午前10時の映画祭」などでもやらない。日本テレビが製作に参加しているからテレビでは時々ジブリ作品をやっている。でも若い世代にも大画面でジブリを見る体験を与えて欲しいと思う。なんで高畑勲監督追悼上映をやってくれないのだろうか。

 「魔女の宅急便」は今見ても本当に素晴らしい作品だった。何より躍動する画面に気持ちが乗り移る。映画全体に爽やかな風が吹きすぎてゆくような気がして、心が晴れ晴れする。こういう映画をすべての若い世代に見て欲しいと思った。プロットやテーマも素晴らしいが、何よりも画面がきめ細かくて主人公のキキの髪の毛が常に揺れている。この丁寧な作りに感動してしまう。

 ウィキペディアで宮崎駿作品を調べると、「風の谷のナウシカ」から「もののけ姫」まで「上映データ」という欄があって、作画枚数が記載されている。そこで各作品の1分間あたりの作画数を比較してみたい。
・「風の谷のナウシカ」(1984) 116分 5万6078枚 1分あたり483.4枚
・「天空の城ラピュタ」(1986) 124分 6万9262枚 1分あたり558.6枚
・「となりのトトロ」(1988) 86分 4万8743枚 1分あたり566.8枚
・「魔女の宅急便」(1989) 103分 6万7317枚 1分あたり653.6枚
・「紅の豚」(1992) 93分 5万8443枚 1分あたり628.4枚
・「もののけ姫」(1997) 133分 14万4043枚 1分あたり1083.0枚

 「もののけ姫」がいかに突出したていたか判るが、それ以前では「魔女の宅急便」が1分あたりの画数が一番多い。自らの身体で空を飛べてしまうという設定の「魔女」だから、作画数も多くしなければ不自然な動きになる。そこで「ナウシカ「ラピュタ」「トトロ」を越える画数になったんだろうし、作品の信用が増してきて予算的にも可能になったのだろう。(以上の6作品は、いずれもキネマ旬報ベストテンに入選していて、アニメ作品として稀有の高評価だった。)この作画数の多さは画面を見ていれば一目瞭然で、映画の躍動感に惚れ惚れする。
(トンボを助けに行くキキ)
 細かいプロットはほとんど忘れていて、やはり30年は長いと思った。簡単に調べられるのでここでは細かく書かないが、「13歳で自立しなければならない」という「魔女」の家に生まれたキキの思春期の揺らぎを描いている。「飛べる」のは「血筋」(遺伝)の問題で、キキは幼い頃から練習して飛べるようになった。この幼い時代の「全能感」が自立の過程で一度失われる。「飛べなくなる」し、いつも一緒で言葉が通じた黒猫ジジの言葉も判らなくなる。

 しかし、飛行船の遭難事故で友だちのトンボが危機にあることを知って、自分が助けに行くのだと街角の清掃人が持つデッキブラシを借りて飛ぼうとする。そこで「飛ぶ能力」を取り戻すのである。これは幼い日々の「魔法」が解けて自信喪失した経験を持つすべての人に届く設定だ。あるとき「あなたが必要だ」という時が来て、「今でしょ」と後押ししてくれる。そこで揺れ動きながらも、何とか自分の力を取り戻していくわけである。これはなんて素晴らしい「飛ぶ教室」だろう。

 「飛ぶ」という言葉は、「勇気を持って生きていく」とでもいった感じで使っている。昔から「清水の舞台から飛び降りる」とか「見る前に飛べ」という言葉があった。昔エリカ・ジョング「飛ぶのが怖い」という小説がベストセラーになったことがある。それは青春期の多く人に起こることだろう。「飛ぶ教室」はドイツの作家ケストナーの児童文学で、その劇中劇の題名だが、ここではもっと広い意味で使いたい。多くの青春ドラマは思春期の危機を乗り越えて「飛ぶ」までの波瀾万丈を描く。ただし多くの場合、「飛ぶ」は比喩だけどキキは魔女だから本当に飛べる。
(キキが住むコリコの町並み)
 もう一つ魅せられてしまうのは、キキが住むコリコの町の魅力。先頃なくなった安野光雅の「旅の絵本」シリーズでもヨーロッパの町並みは美しく描かれて僕らを魅了した。そんなヨーロッパの美しさはどこから来るのか。広告や電柱がなく、屋根の色が美しい。モデルはあるのかというと、そういうサイトがたくさんあってモデルの街へ行ってきたという写真は多い。特にスウェーデンのストックホルムゴットランド島が挙げられることが多い。またエストニアなども挙げられる。ここではバルト海最大の島ゴットランド島の写真を載せておく。最大都市ヴィスビューは世界遺産に指定されている。タルコフスキーの「サクリファイス」の舞台でもある。
(ゴットランド島)
 原作者の角野栄子国際アンデルセン賞を受賞し、出身の江戸川区に記念館が作られることになっている。原作は読んでないのだが、今度読んでみたいと思った。この映画は今後も生命を失わないと思う。是非再び一般上映されることを期待したい。
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キャリア官僚と教員ー志願者減の真因を考える

2021年04月28日 22時39分53秒 | 社会(世の中の出来事)
 東京新聞日曜の「時代を読む」というコラムに、宇野重規氏が「官僚の変化に潜むもの」という文を書いている。(2020年4月25日)宇野氏は東大教授の政治学者で、というよりも例の学術会議会員任命拒否問題の人という方が今は通りがいいかもしれない。提出法案にミスが相次いだという話から始まって、「正誤表にまで間違いがあったというから、もはや笑い話にもならない。何か異常な事態が政府の中で起きているのではないか。」と述べる。

 そして国家公務員の志願者数の減少を取り上げる。「2021年度の採用試験で、中央省庁の幹部候補となる総合職の申込者は前年度と比べて14.5%も減少した。総合職試験を導入して以降で最少であり、しかも減少は5年続きで、減少率も過去最大である。」20代の総合職の自己都合退職(19年度)も13年度に比べて4倍になっているという。
(総合職志願者の減少傾向)
 そのことには菅内閣の国家公務員制度担当である河野太郎国務相も問題意識を持っているようだ。霞ヶ関の長時間労働を何とかしないと語っている。しかし、与党側から言い出すときは、大抵は野党の質問通告が遅いとかいう話が出て来る。しかし、宇野氏の問題意識は全然違う点に向かう。現在の若手や中堅の官僚は「多くは非常に真面目で、職務にもきわめて忠実」だという。過去には「自分は国の国を動かしている」という国士タイプが多かったが、今は「上からの指示待ちタイプが増えた」というのである。

 「官僚のハードワーク自体は新しい話ではない。」「何か構造的な問題が起きているはずである。」それを以下のように論じていく。90年代の政治改革の結果、「政治の優位」の名の下、政治家による官僚への統制が強化された。その目的は、国民の民意を受けた政策の実現であり、政策決定過程の透明化のはずだった。ところがいつか、政治家が人事権をてこに官僚支配を強化し、結果として「政治家の優位」が自己目的化したように思えてならない。

 「政治の優位」と「政治家の優位」は「似て非なるもの」だという。そして結論的に「大切なのは『官僚が奉仕するのは国民』という原則の確認である。」と述べている。ここで書かれていることは非常に大切だと思う。中央省庁の官僚たちが辞めたり、志願者が減っているのは、単に長時間労働のためではないのである。「国家国民のために働く」はずの公務員が、「政権の権力維持のために働かされる」。そのために「忖度」したり「記憶喪失」になる。そんな姿を見せられたら志願者が減るのも当然だろう。

 ここで中央官僚の問題を取り上げたのは、最近教員採用試験の志願者も減っていると報道されているからだ。問題の性質は全く同じではないかと思う。単に長時間労働が敬遠されたということだけではないだろう。中央省庁のキャリア官僚に合格できる人は、民間企業や大学等の研究職でも活躍できる人材が多いはずだ。公務員になる以上、民間ほどの経済的待遇は望めない。それでも希望する人がいるのは、それが「公務」だということが魅力なのである。
(教員採用試験の志願者減少傾向)
 上のグラフで明らかなように、教員採用試験の志願者減少も続いている。これは採用数の問題もあるが、それだけではないだろう。この問題については、過去に「教員の「なり手不足」問題」(2019.10.14)という記事を書いている。内容が重複するところがあるが、大事なことだから再び書いておきたい。マスコミでこの問題が報じられるときは、大体は「学校はブラック企業」といった報じられ方が多い。(ところで「ブラック企業」という表現に代わる言葉をそろそろ考えるべきだろう。「白黒」だけではなく、「紅白」も問題だ。)

 自分が都立高校に通っていたときは、教師を見てこの職場なら働いてみたいと思わせるものがあった。そのようなものは、学校に勤め始めた初期の頃にはかなり残っていた。しかし、次第になくなっていった。単に勤務時間が長いということではなく、職の尊厳を奪うような政策がどんどん進められた。それでは面白くないだろうし、辞める人も増え、なりたい人も減る。それは当然だろう。しかし、それは「結果として」起こったことではない。

 自民党政権の公務員政策が「成功」したということなのである。「公務員」の「公」性を剥ぎ取り、政策の「手駒」にするというのが目的そのものだった。総務省で起こったようなことが、学校でも起きていて、「人事権」をてこに文科省や教育委員会の教育政策に不適合な教員は不遇な異動を受けていく。そんなことが20年も続くと、若い世代では当たり前になってしまい、抗議するというメンタリティも奪われる。中央省庁の官僚や学校の教員なら、それなりの職場である。ただ言われるままに「過労死」するまで働くなどあり得ないはずなのだが、現にそんなことが起こっている。
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朝比奈なを「ルポ教育困難校」を読む

2021年04月26日 22時12分24秒 |  〃 (教師論)
 「教員という仕事」に続いて、朝比奈なをルポ教育困難校」の紹介。朝日新書から2019年7月に刊行された本だが、その時は買わなかった。忘れていたんだけど、当時本屋で見てちょっと気がひかれた記憶がある。でも買わなかった理由は、読んでみて思い当たった。

 教員経験者の中には同じように思う人も多いだろうが、読んでいて辛いのである。自分も似たような経験をし、もっと上手く出来たのではないかと後悔も浮かんでくる。もっと率直に書けば「あの頃の恐怖」「あの時のふがいなさ」が思い出されてトラウマがよみがえる。きっとそういう本だと思って避けたのである。そして実際にそういう本だった。

 朝比奈氏が最初に赴任した高校が「教育困難校」だった。その後「進学高校」も経験したようだが、最初の驚きを問題意識として持ち続けた。「教育困難校」とは著者の言葉で、一般によく「底辺校」と言われる高校のことだ。ここで取り上げられるのは「全日制普通科高校で入学に必要な学力が地域最低クラス」で「不本意入学生徒」の多い学校を指している。

 「職業高校」(商業、工業、農業、水産、家庭等)も「偏差値」的には高くない学校が多いが、中には目的意識の高い生徒もいる。資格取得や検定試験等にマジメに取り組むと、良い就職先が見つかることが(少なくとも20世紀には)多かった。「夜間定時制高校」は倍率が1倍にならないことが多く、公立高校では全員合格になる。従って「合格偏差値」を出すことが無意味。「底辺校」にも入らない「ランク外」である。また東京に多い「多部制定時制高校」も同様。

 目次を紹介するのが手っ取り早い。章と節だけ。
第1章 「教育困難校」とはどのような高校か
  1 高校入試は、多くの人にとって人生最初の試練である 2 「教育困難校」とは何か
第2章 「教育困難校」に通う生徒たち
  1 「教育困難校」の日常 2 「教育困難校」の典型的な授業風景 3 生徒の学力や意欲はどのようなものか 4 定期試験にも独特の慣習が存在する 5 「教育困難校」の生徒たちの類型を考える 6 「教育困難校」の生徒たちの家庭環境
第3章 「教育困難校」の教員たち
  1 「教育困難校」特有の忙しさの原因 2 「教育困難校」教員が陥る心性
第4章 「教育困難校」の進路指導
  1 高校は学力により進路指導も全く異なる 2 教育情報産業から見た「教育困難校」の進路指導の変遷 3 「教育困難校」で実際に行われている進路指導
第5章 脱「教育困難校」を目指して
   先駆的な脱「教育困難校」改革の動き
第6章 それでも「教育困難校」は必要である
  1 「教育困難校」の存在意義 2 「教育困難校」の将来のために、今、必要なもの 
  
 いやいや、「オールアバウト教育困難校」という感じの本である。必要な情報は大体書かれている。例えば生徒の類型を挙げておく。①荒れた行動を取る「ヤンキー」タイプ、②コミュニケーション能力や学習能力に困難さがあるタイプ、③不登校を経験したタイプ、④急増する外国にルーツを持つタイプ、⑤不本意入学をしてきたタイプ 以上5つである。

 それぞれ詳しく分析されるが、それは本書を読んで欲しい。自分はここで取り上げられた「教育困難校」は経験していない。しかし、80年代に「荒れた中学」と「再建」を経験した。90年代以後は商業高校夜間定時制高校三部制総合学科定時制(チャレンジスクール)で勤務した。だから「荒れたタイプ」や「発達障害」「不登校」生徒は数多く経験した。また「外国ルーツ」の生徒も何人もいた。だから書かれていることが生々しく眼前に浮かび上がって来て困った。

 最初に出てくるが、朝比奈先生には「後悔を伴って忘れられない言葉が2つある」。1つ目は「先生はなんで私のことにそんなに一生懸命になるの?」である。著者は「生徒の面倒を見るのは当たり前じゃない」と冗談めかして答えてしまった。今なら「あなたが大切だから。あなたは素晴らしい存在だから」と言えば良かったと書いているが、それはちょっと出て来ないだろう。

 もう1つは「先生、いくら勉強してもわかんない人っているんだよ。先生にはわかんないと思うけどさ」である。これを言われたら多くの教員は口ごもるしかないだろう。家庭の経済的困難発達障害親の病気(ヤング・ケアラー)など、「出来ない子」は多くの困難を背負っている。教員は大体が進学高校出身だし、勉強が嫌いな人が教える立場になるわけがない。超有名大学希望生徒を教えるのも大変だろうが、多くの教員は「教育困難校」に配置されてカルチャーショックを受ける。そして中には心身を病んだりする人もいるのである。

 ただし、僕はそういう言葉に当意即妙の返答をしなくてもいいんじゃないかと思う。そんなことはなかなか出来ない。でも人間は「言語コミュニケーション」だけでわかり合うのではない。むしろ「非言語的コミュニケーション」の役割の方が大きい時もある。教員が逃げているのか、それとも「よく言えないけど、なんだか誠実に対応しているか」は非言語的に伝わるのではないか。だから教員は「楽しそうに授業する」のが大事だと思う。

 全部書いても仕方ないので、是非読んで考えて欲しいと思う。高校や中学の教員もだが、教育官僚や各界のリーダー層に考えて欲しい本だ。何しろ高校生でアルファベットも書けない生徒に、アクティブラーニングと言われているのである。小学生から英語をやるということは、今まで以上に英語の学力格差が生じるということだ。判っているのかな。

 しかし、「教育困難校」は必要であるという終章の指摘は重い。そんな高校は要らないというなら、その生徒たちをどうすればいいのか。今さら中卒生徒を日本の企業が雇ってくれるのか。不本意だけど高校へ入る生徒と誰かが格闘しなくてはならない。日本社会の「後衛」として闘っている教員たちがいるのだ。それにしても、その教員集団の「分断」に心痛む。飲み会に出ないと何を言われるか怖いから、毎回飲み会に出るという話があった。大変な職場になればなるほど、あの人の授業、あの人の生徒指導がいつも…と言い出す人がいるものだ。それを克服する職場の連帯をどうやって作っていったらいいのだろうか。

 著者朝比奈なをさんの名を冠したタイトルを2回書いたけど、名前で読む人はほとんどいないと思う。僕もそうだったが、大事な視点で書かれた教育書だから著者の名前を覚えておきたいと思うのである。今後も注目して読んでみるために。
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朝比奈なを「教員という仕事」を読む

2021年04月25日 23時02分01秒 |  〃 (教師論)
 朝日新書から朝比奈なを教員という仕事」が出ている。2020年11月30日付で、年末に買っておいた本をちょっと前に読んだ。著者を知らなかったのだが、公立高校教員を約20年間勤めた後で、幅広く教育問題に関する文筆、講演活動を行っている。同じ朝日新書に「ルポ教育困難校」という本もある。読んでなかったので、この機会に読んでみたので続けて紹介したい。

 著者は他にも「見捨てられた高校生たち」「高大接続の現実」「置き去りにされた高校生たち」(いずれも学事出版)という本も書いている。教育に関する本はいくらもあるが、「教員のリアル」に迫る本は少ない。書名を見て感じるのは、朝比奈氏の実体験も反映させながら、様々な取材を重ねて学校現場で現実に起こっていることを伝えているということだ。

 コロナ禍でますます多忙が増す学校現場の中で、著者は「教員が直面している最大の問題は、長時間労働を余儀なくさせるほどの仕事量にある」と書いている。そして「『教育改革』という名の下、ここ20年間で矢継ぎ早に学校現場へと強制された変化に対応するための仕事が大半を占める。」「そして、あまり知られていないが、この間には『教員改革』も推し進められている。『教育改革』と『教員改革』の相乗作用で業務が増え、教員は疲弊し、教員集団の変質・変容も生じているのだ。」と「はじめに」の中で書かれている。

 この本は主に「教員改革」を取り上げている。著者は「『教員改革』によって教員の同質化が起こり、ある種の『ムラ社会』化が進んだと見ている。もちろん、日本人や日本社会の変質も影響しているが、それ以上に、ある一定のタイプの人間を教員にしたい既に教員になった人を一定のタイプにたわめたいという意図を持つ改革を進めたことが大きな原因だと考える」と書く。

 この指摘はある程度長く教員をしていた人にはよく判ることだ。しかし、一般的にはほとんど指摘されない。「教員の多忙」というと「学習指導要領」の変更なども少しは書かれるが、大体は「役所へ出す調査が多い」とか「部活動が大変」とか、そういう話が多い。それも事実だが、昔からそうだった。渦中にいる教員にとって、本当に大変なのは「既に教員になった人を一定のタイプにたわめたいという意図を持つ改革」が進められてきたことだ。

 そこが類書と違う点で、僕も大変納得できた点だ。本書の節の名を少し挙げると「非正規の教員がいなければ学校はまわらない」「正規・非正規が教員の分断を生む」「教員の上下関係が作られている」「評価が上限関係をさらに強める」「精神的ストレスが引き起こす大量の休職」などと続いている。特に「教員の上下関係」、つまり管理職以外はフラットな「教諭」だったものが、同じく生徒に教科を教える仕事ながら、主幹主任などと「身分差」が作られていったことが教員集団の分断にとって決定的だったと思う。

 しかし、「教員集団の分断」は結果において起こったことではなく、自民党政府の目的そのものだったと思われる。学校現場は日々の多忙に取り紛れて、ほとんど何の抵抗もできずに「分断」されてしまった。この本には第5章で5人の教員、元教員のインタビューが収められている。それが非常に面白いのだが、その中では若い教員が同じ学校の主任などを「上司」と呼ぶようになっている。校長はともかくとしても、学年主任などは「先輩教員」であるとしても、「上司と部下」なんて思ったことは僕はなかった。生徒を教える立場として同等だと教わったものだ。

 全部書いていると終わらないから止めるが、学校現場の変容を知るためには是非読んで見ておくべき本。最後に「教員・学校の将来のために」と題された章がある。「チーム学校」「校務分掌の見直し」「改革の最大のキーマンは管理職」などとあるが、僕は必ずしも同意しないものもある。しかし、とにかく教員のリアルを考えるヒントとして役に立つ。
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3度目の「緊急事態」、「東京に来ないで」を考える

2021年04月24日 23時05分38秒 |  〃 (新型コロナウイルス問題)
 2021年4月25日から5月11日にかけて、東京都大阪府京都府兵庫県に3回目の「緊急事態宣言」が出された。2回目の宣言解除時に、菅首相は「3度目の宣言を出さないようにすることが私の責務」と語っていたということだが…。東京で2回目の緊急事態が終わったのは、わずか一ヶ月前。3月21日のことだった。そして4月9日に「まん延防止重点措置」が出た。春休みと年度末期間だけ、全く何もなかった不思議。それは政治の間違いというべきではないのか。

 今回は大阪は感染者が多く、医療崩壊状態ともいうから緊急事態宣言は必要だろう。しかし、東京は現時点ではほとんどの数値が、緊急事態宣言が必要とされる「ステージ4」に達していない。「変異株」が増加していて、何もしないと連休明けに2千人にもなるという想定もあるようだ。しかし、いつも後手後手だった政府が何故今回だけ東京で「先手」策を取るのか

 そのため土曜の24日はデパートや大型映画館も開いていて、25日の日曜から閉めるという。みんなそれを判っているから、土曜の24日に出掛けている。会社や学校は大体土日が休みだから、金曜の夜に決まっても何の方針も決まってないまま月曜の始業を迎えることになる。2度目の宣言時には東京は2千人を超えた日があった。それでも「飲食に特化した対策」だったのに、それよりはるかに感染者が少ない今回になんでデパートも閉鎖、プロ野球も無観客となるのか。

 理解しがたい不審点がいくつもあるが、ここでは特に小池都知事の「東京に来ないで」発言を取り上げて考えたい。小池都知事は今まで何回か同じような発言をしている。最初は15日だったようだが、「通勤を含め、(医療従事者などの)エッセンシャルワーカー以外の方は可能な限り東京へ来ないでいただきたい」と述べた。都民に対しても「都県境を越える外出自粛」を要請してきた。ただ、感染者の増加に歯止めがかからないために都外からの通勤客などに幅広く移動自粛を呼び掛けることにしたという。
(小池都知事の発言を報じるテレビ)
 「エッセンシャルワーカー」って何だろうと話題になったが、逆に言えば「重要じゃない仕事」はあるんだろうか。勤めている人は会社やお店などが求める限り出勤せざるを得ない。そこで給料を貰っているんだから、その人に取っては掛け替えのない仕事だ。通勤しなくても給料をくれるんならいいけど、そうじゃなければ行かざるを得ない。それを言うなら会社に言ってくれという話だろう。通勤者に求められても困る。大企業の本社などは東京にこそ集中してるんだから、都知事が要望するのは大企業の方だ。

 それともう一つ大事な点は、東京という都市の構造を判ってないという点だ。都県境を越える移動がダメだというなら、23区と多摩地区の移動もダメだと言わないとおかしい。たまたま親の家が大きければ別だが、東京以外から来たり、あるいは結婚等で独立した場合、どこかに家を買うか借りるかしなければならない。東京の中心は中央官庁や大企業本社が集中する千代田区や都庁がある新宿区などである。そこから1時間位内で通えるところを探してみる。

 たまたま23区内や多磨地区に見つかるかもしれないが、たまたま神奈川県埼玉県千葉県などで見つかる場合もある。持ち家もマンションも都県境に関係なくズラッと続いている。近隣県だけでなく、茨城県や栃木県、静岡県から通勤している人も今までにいた。僕も千葉県に住んで東京に通っていた時期があるが、東京に来るなと言われても困ってしまっただろう。今も一駅行けば埼玉県というところに住んでいる。時々寝過ごして都県境を越えるけど、同じように住宅が並んでいて見ただけではどこだか見当が付かない。

 町の規模や機能を考えると、多摩地区の立川と神奈川県の相模原、埼玉県の大宮、千葉県の船橋などは同じような感じがする。東京中心部に通勤する人がたくさん住んでいて、デパートなども集中している。下の写真を見れば判るけれど、駅前の様子も何となく似ている。しかし、25日からは立川のデパートや映画館は閉まるけれど、他のところは営業している。「東京に来ないで」と言ってる間に、どんどん東京から近県繁華街に出かけるんじゃないだろうか。
  (順番に、立川、大宮、柏の駅前風景)
 東京は山手線に沿って主要な繁華街が並んでいて、そこからJRや各私鉄が放射状に伸びている。昨年夏には旅行に行けないなら、東京でも奥多摩の方には素晴らしい自然があるとテレビで紹介していた。それを見て思ったけど、何で東京の東に住んでいる自分が3,4時間もかけて奥多摩まで行かなくちゃ行けないのか。奥多摩に行ったこともあるし、いいところなのは知っている。でも東武線特急を使えば日光に2時間以内で着くのである。小田急線沿線なら箱根へ行った方が早くて安全。中央線沿線の人なら奥多摩が近いけど、他地区の人には不便なだけである。

 テレビ東京の「アド街ック天国」でちょっと前に東村山を取り上げていた。プロ野球では隣の所沢市が本拠の西武ライオンズのファンが圧倒的に多いと言っていた。そりゃ、そうだろう。都県境を越えるなと、東村山市民も東京ドームでジャイアンツ、または神宮球場でスワローズの応援をすべきなのか。もちろん、そういうファンもいるだろう。でも「感染リスク」から考えた場合、都心に出かけるのではなく西武ドーム(メットライフドーム)に行く方がずっと安心だろう。

 例えば西武新宿線沿線で住む人にとって、東村山駅と所沢駅で大きな違いがあるとも思えない。僕はそれぞれの通勤、通学路線を中心に、出来るだけ「沿線で過ごして」と言えばいいのではないかと思う。東京に出たい場合は新宿や池袋、自然に触れたいなら秩父や奥武蔵に行ってもいいんじゃないか。東武線沿線だったら、一日ぐらい子どもを東武動物公園に連れて行くぐらいはいいんじゃないだろうか。自分の家から車や電車で行きやすい動線の中で過ごすようにするという呼びかけの方が合理的で、東京の都市構造に合っていると思う。
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ミャンマー情勢と日本人拘束問題

2021年04月23日 22時48分25秒 |  〃  (国際問題)
 新型コロナウイルスによる3回目の緊急事態宣言発出が決定された。マスコミもコロナ報道一色になっている。それはやむを得ないだろうが、世界を股に掛けた報道がなかなか難しくなっている状況の中、国際情勢の報道が少なくなっていると思う。香港ミャンマーロシアベラルーシなどの情勢はもっと大きく報道されるべきだ。

 特に2月1日に軍部がクーデターを起こしたミャンマー(ビルマ)の情勢が深刻だ。当初は市民の抵抗運動が報道されたが、そのうち軍が全面に出て弾圧を繰り返すようになった。少数民族に対する空爆も行われている。デモ弾圧による死者は11日段階で700人を超えると言われる。現代に起こったとは思えない惨劇が繰り広げられている。

 さらに4月18日には日本人の拘束が明らかにされた。北角裕樹(きたずみ・ひろき)という45歳のフリージャーナリストである。逮捕され刑務所に送られ訴追されている。「フェイクニュースを広めた」という容疑だという。現在のところ、日本大使館員が電話で面談して無事を確認したということだが、直接的な面会は認められていない。日本大使館は解放を求めているが、僕はマスコミの対応が不十分のように思う。
(ミャンマーで拘束された北角氏)
 もっとも北角氏を調べてみると、なかなか興味深い経歴の持ち主だった。元日経記者と報道されているが、その前は伊藤忠商事に務めていた。25歳で日本経済新聞に転じ12年間務めたが、2012年に当時大阪市長だった橋下徹氏が進める「民間人校長」募集に応じ採用された。その結果37歳という若さで、大阪市立巽中学校の校長となった。

 この時に採用された「民間人校長」は多くの不祥事を起こしたことで知られている。北角氏も例外ではなく、いろいろの問題が報道され解任を求めるネット署名まで起こった。2014年7月に「信用失墜行為」を理由に減給3ヶ月の処分を行い、7月末日付で退職している。その時点で38歳だった。「維新」の呼びかけに応じて30代で校長になろうとした時点で、かなりの問題を感じる。そのような過去があって、マスコミの反応も今ひとつなのかもしれない。

 しかし、過去の北角氏に何があろうが、暴力を行使したわけではない人物が拘束されていいはずが無い。特に「友好国」のはずの日本人である。国外追放だって出来るのに、大使館員にさえ面会を認めていない。日本はミャンマー国軍との間に、何でも独自のルートがあって、今までも裏でクーデターの穏健な解決を図っていたとか言われている。しかし、この間の経過を見ると、日本政府の影響力は無きに等しく、それどころか日本人拘束で応えられた。
(負われるミャンマーのデモ隊)
 ASEANの首脳会議があるが、ASEAN内部も割れている。インドネシア、マレーシア、フィリピンなどはミャンマーに批判的だが、インドシナ半島のタイ、ヴェトナム、カンボジアなどは「内政不干渉」を主張している。タイもクーデター政権だし、ヴェトナム、ラオスは一党独裁、カンボジアも事実上の独裁に近い。ミャンマーを擁護する中国の影響力も強い。しかし、長期的に見て、市民弾圧に手を貸す中国への反発が強まって影響力をいずれ失うことも考えられる。

 ミャンマーでは少数民族も加わった「ミャンマー連邦議会代表委員会」も発足している。事実上の「臨時政権」を目指している。このままでは「内戦」さえ考えられる。まさかシリアにはならないだろうが、シリアだってこれほど長期に内戦が続くとは誰も思っていなかった。ミャンマーに常駐していた日本のマスコミはいないと思う。それもあってか、情報が乏しくなっている。ミャンマー国内から市民がインターネットで発信する情報が多くなっている。

 24日に始まるASEAN首脳会議に向けて、日本からも声を挙げていくべき時だ。僕はミャンマーでこれほどあからさまな民主化への逆行が起きるとは思ってなかった。古典的な軍事独裁が珍しくなって、これがいかにおかしなことかという感性が鈍っていないか心配である。(北角氏は5月14日に解放され、その日に帰国した。)
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龍神温泉と川中温泉、「美人の湯」の魅力ー日本の温泉④

2021年04月22日 23時07分40秒 |  〃 (日本の山・日本の温泉)
 温泉の話4回目。「美人の湯」と言われる温泉がある。「日本三大美人の湯」も選ばれているけど、知っているだろうか。しかし、その前に疑問もあるだろう。そもそも温泉に入るだけで美人になるなんてあるのか。もちろん、温泉へ行っただけで「美人」になるわけがない。でもお湯に浸かった瞬間に「おっ、肌がスベスベになったぞ」と声をあげたくなる温泉は間違いなくある。

 検索してみると、泉質的には「炭酸水素塩泉」「硫酸塩泉」「硫黄泉」が主に「美人の湯」と言われるらしい。さらに「アルカリ性単純温泉」を加えて、「四大美人泉質」なんだそうだ。炭酸水素塩泉はクレンジング効果を持つとされ、硫酸塩泉では肌の蘇生効果が期待、硫黄泉はシミの予防効果があると出ている。

 アルカリ性温泉の場合は肌がスベスベになった気がする。「アルカリ性」とは水溶液中の水素イオン濃度が高いことで、アルカリ水溶液は石けんのようにヌルヌルする。脂肪やタンパク質を分解する。水素イオン濃度をPHで表わし、PH7が中性、数値が高くなるほど水素イオン濃度が高くなる。中にはPH10を超えてPH11にもなる温泉もある。石けん水やアンモニア水並みで、そこまで行くとヌルヌルし過ぎの感じがする。そんなアルカリ性水溶液にどっぷりと身を漬けるわけだから、一浴すれば美肌効果を期待できそうだ。

 さて、元に戻って「日本三大美人の湯」とは、和歌山県龍神温泉群馬県川中温泉島根県湯の川温泉である。多くの人は名前を知らないだろう。龍神温泉は温泉ファン、あるいは文学ファンには知られているが、他の二つは相当の温泉通でも行ってない人が多いと思う。僕も湯の川温泉には行ってない。函館にも同名の温泉があって、そっちなら行ってるけど。島根の湯の川温泉は宍道湖の西南部、出雲空港のすぐ近くに数軒の宿があるという。

 龍神(りゅうじん)温泉は僕が温泉好きになった場所だ。新婚旅行で行ったのである。学期途中だったので、あまり休めず国内で南紀地方を回った。それまでも温泉に入っていたけど、家族旅行とか合宿などの場合である。伊豆の温泉鬼怒川温泉などが多い。大体単純温泉だから、宿に付いてる大きなお風呂程度の認識しかなかった。若い時に京都や北海道、中国地方などへ行った時も、温泉宿に泊まろうという発想はなかった。
(龍神温泉の風景)
 ところが龍神温泉は大違いだった。その前に泊まった川湯温泉も素晴らしかった。熊野本宮の近くで、川を掘ればお湯が出るというところである。時期的に川の大露天風呂は入れなかったけど、熊野自体がすごい霊気に満ちた場所だった。そして次の日が龍神温泉である。ここは中里介山のあの大長編小説「大菩薩峠」で、机龍之介が眼を治すために湯治した場所だ。長野県の白骨温泉と並んで、「大菩薩峠」を知ってる人なら一度は行きたい場所である。

 龍神温泉には「上御殿」「下御殿」という紀州藩主向けに作られた宿があるが、旅行社に頼んだら「有軒屋」という宿になった。そこも雰囲気はあったけど、とにかくお風呂の泉質がすごい。入るとすぐに、体にまとわりつくような泉質に驚いた。確かにこれは「美人の湯」だと納得した。炭酸水素塩泉で、PH7.8。だから強アルカリ泉ではない。しかし、この程度の弱アルカリ泉の方が体に優しい感じがする。お湯を集中管理していると聞いたが、その後に出来た宿もあるようだし、日帰り施設「元湯」は源泉掛け流しだという。あの泉質の素晴らしさは行ってみないと判らない。
(龍神温泉元湯)
 一方、群馬県の川中温泉の「かど半旅館」は首都圏でもあまり知られていない一軒宿の温泉。群馬と言ったら、草津伊香保四万水上など有名温泉が綺羅星のごとく湧き出る温泉県である。その中で川中温泉の知名度は今ひとつだ。東吾妻町にある小さな宿で、草津などへ行く途中になる。そこにある年の冬に行こうと思った。寒いときには温泉だと思ったが、天気予報は雪。それでも何とか行きたいと思っていたが、朝起きたら首都圏全体が珍しいぐらいの大雪だった。高速道路も鉄道も完全に止まってしまって、とても行けない。何とか行きたいと前日に電話していたが、やむなく当日キャンセルとなった。残念。
(川中温泉かど半旅館)
 それでは申し訳ないから、少しして改めて出掛けた。しかし、1回目の大雪があまりにも印象深くて、本当に行けたときの想い出が今ひとつなのは皮肉だ。硫黄泉、石膏泉で、PH7.4と出ている。弱アルカリ泉だが、かなり弱である。だから思ったよりヌルヌル感が低かった。上州名物のおっきりこみうどんが宿の自慢にもなっている。それを頂いて帰ってきた次第。群馬県では四万温泉が大好きすぎて、最近他の温泉に行かなくなってしまった。首都圏に住んでる人はコロナ禍が一段落したら、この関東にある「美人の湯」に行ってみては。
(川中温泉のお風呂)
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石原慎太郎「太陽の季節」「星と舵」などを読んでみた

2021年04月20日 23時22分30秒 | 本 (日本文学)
 読んでおきたいと思っている本がある。「カラマーゾフの兄弟」とか「失われた時を求めて」ではない。どっちも持っているけど、長いから何年も手を付けていない。「資本論」とか「プロ倫」(マックス・ウェーバーの「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」)でもない。まあ、これらはもういいかと思っている。僕が言っているのは「アンネの日記改訂新版」や「カサノヴァ回想録」、ソルジェニーツィンの「収容所群島」、吉川英治「宮本武蔵」なんかである。どれも持ってはいるのである。これらの本は「読んでますよ」と「」マークを押してしまいたいのである。

 そんな本の中に石原慎太郎太陽の季節」があった。いや、これは文学史を超えた社会的事件だったから、読書好き、歴史好きなら読んでおくべき本だろう。そう思うんだけど、そう思ってから半世紀読まなかった。僕が持っているのは、「新潮日本文学」という一人一巻を割り当てた全64巻全集の第62巻「石原慎太郎集」である。刊行されたのは1969年5月だが、それじゃ中学時代だから多分もう少し後の高校時代に買ったと思う。ちなみに定価700円。

 先の日本文学全集の63巻は開高健、64巻は大江健三郎だった。つまり60年代末において、石原、開高、大江が最新の日本文学だったのである。しかし、石原慎太郎は1968年の参議院選挙で、自民党から全国区に出馬して300万票を超える得票で当選していた。だから僕が本を買った時点ですでに政治家だった。1972年に衆議院に転じ、1975年には都知事選に立候補、三選を目指した美濃部亮吉に敗北。その後衆議院に戻って、自民党内でも右派に属して活動。環境庁長官運輸大臣も務めた。そういう右派系政治家の本はなかなか手に取る気にはなれない。
(2012年に都知事を辞任する時)
 1999年から2012年にかけて石原慎太郎は東京都知事だった。給与明細を見ると、給与支払者が石原慎太郎だった。ますます読む気にならない。しかし、それもずいぶん昔の話で、開高健を読み直した今となっては、そろそろ石原慎太郎も読んでおきたい。そう思ったわけだが、上下2段組で430ページ以上あって、長い。半分ぐらいが「星と舵」(1965)というヨットレースに臨む長編で、もう一つ「行為と死」(1964)という長編が入っている。他に「太陽の季節」「処刑の部屋」「完全な遊戯」「乾いた花」「待伏せ」の5短編が収録されている。全部政治家になる前の作品。

 これを読んで判ったのは、石原慎太郎は短編作家である。長編は面白くないし、短編の集まりみたいな作品だ。しかし、文章的には今もなお古びてない。戦後派の作品などを読むと、今ではもう文章が古いと感じる時がある。やはり石原慎太郎で変わったのである。開高健や大江健三郎の先駆けだったのは間違いない。文体的に今も文学史的価値を持っている。ただ相当に内容に問題ありだ。「栴檀は双葉より芳し」の正反対で、やはり石原慎太郎は若い頃から性差別的であり、権威主義的な香りが漂っている。

 「太陽の季節」は高校生の話なので驚いた。今では書けないかもしれない。石原慎太郎の作品は、弟の石原裕次郎主演でたくさん映画化された。「性と暴力」に明け暮れるイメージが作られ「太陽族」という言葉が生まれた。倫理無き若者たちの生態をヴィヴィッドに描き出し、面白いには面白い。しかし、無理に「反倫理」にしている気がしないでもない。敗戦と占領を若くして経験した世代ととして、虚無感反逆心を持ったに違いない。だがそのような思いを形にするときに、自我にとって真に切実な描き方になっているか。

 「太陽の季節」は石原慎太郎の実体験ではない。神奈川県立湘南高校から一橋大学に進学した石原慎太郎は、当然高校時代は受験勉強したはずだ。一方弟の裕次郎は、逗子中学から慶応義塾高校を受験して失敗、慶応義塾農業高校に進んだ。そんな高校があったのかと思ったら、今の慶応志木の前身だった。途中で慶応高校に転じ、慶応大学に内部進学した。相当の放蕩生活を送ったとされ、裕次郎から聞いた放蕩する高校生のエピソードから「太陽の季節」が生まれたらしい。その意味で「受け狙い」的な感じを受けてしまうのである。

 文学は道徳ではないから、主人公が反倫理的であっても構わない。人間性の中には「」もあるし、「自己逃避」や「歪曲」もある。若い世代が主人公だから、無知や臆病も当然ある。人間は肉体を生きているんだから、「暴力」や「」を真っ正面からテーマとするのは正しい。頭で考えたような行動をする人間では文学にならない。そうなんだけど「完全な遊戯」はやり過ぎだろう。「処刑の部屋」もそうだが、世の中には「レイプ」という現実もあるが、「準強制性交等罪」をここまで読まされると辛くなる。「準」の付く意味は自分で調べて欲しい。
(若き日の慎太郎と裕次郎)
 「行為と死」は発表当時性描写が議論を呼んだという。しかし、今読むとそれほどではない。むしろ「スエズ動乱」を背景に、エジプト女性と人生を賭けた恋をしたという設定に驚いた。イスラム教が身近な存在じゃなかったんだろう。いや、当時のアラブ民族主義が燃えさかった時代には、イスラム教と社会主義が両立するという主張もあったぐらいで、日本人(一応仏教徒として多神教徒)と対等な恋をすることも無かったとは言えないのかも。その想い出を胸に、帰ってきた日本で不毛の愛に耽る主人公の男。どうも純文学と娯楽小説の中間の感触。

 「星と舵」はトランスパック・ヨットレースというロサンゼルスからホノルルを目指す外洋レースに参加した日本艇を描く。しかし、レースになるまでが長く、そこはほとんど女の話。ヒマなときにメキシコまで売春婦を買いに出掛けるぐらい。行きの飛行機では、機長室まで招待され一緒に女の話をする。おかしいだろ、いくら何でも。ヨット自体が「女」の象徴とされ、まさに「処女航海」を楽しげに語る男たちのクルー。男だけのスポーツの結びつきが、いかに「ホモソーシャル」な言説空間になるか。ある意味、歴史的に貴重な文献かと思うけど、今となっては居心地悪い。

 もう90歳近い石原慎太郎だが、今年になって「男の業の物語」なんて本を書いている。「男が「男」である証とは。自己犠牲、執念、友情、死に様、責任、自負、挫折、情熱、変節…… 男だけが理解し、共感し、歓び、笑い、泣くことのできる世界。そこには女には絶対にあり得ない何かがある。」んだそうである。まさに「栴檀は双葉より芳し」の正反対というゆえんである。 国会議員となってもずいぶん本を書き、「化石の森」「秘祭」「生還」などかなり評価された。読んでもいいんだけど、探すのも面倒だしもういいか。

 短編の「乾いた花」は篠田正浩監督の映画の原作。これは面白かった。まあ映画を見ている人は、池部良、加賀まりこの顔が浮かんでしまうけれど。今は初期短編も文庫から消えているのが多いので、「石原慎太郎映画化短編傑作選」という文庫をどこかで出してもいいと思う。最後に言えば、60年代は安部公房遠藤周作大江健三郎などのノーベル賞レベルの作品が書かれていた時代だ。僕も若い頃に「砂の女」「沈黙」「万延元年のフットボール」などを読んでいる。あえて石原慎太郎を読む必要が無かったわけだと今回思った次第。
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「第4波」と「ワクチン敗戦」、効果が薄い「まん延防止重点措置」

2021年04月19日 22時46分53秒 |  〃 (新型コロナウイルス問題)
 新型コロナウイルス問題をしばらく書いてない。そうなるだろう方向にただ一日一日動くだけで、書く意味を見出せなくなっている。映画館などには行っているが、この間の経験でただ行くだけならほとんど問題はないことが判っている。外食はほとんどしないが、それは何もコロナが怖いからではなく、若い頃のように食べないのである。

 この間、来ると言われていた「第4波」が現実のものとなってきた。特に大阪では過去最高の感染者数を毎日のように更新している。グラフを見れば一目瞭然だが、対応は過去最高になっていない。ちょっと今までの対応を振りかえっておきたい。2度目の緊急事態宣言1月7日に首都圏4都県に出された。その後14日に近畿3府県、東海2県、福岡、栃木にも緊急事態宣言が拡大された。2月8日にさらに1ヶ月延長された。(栃木県は延長せず解除。)
(大阪府の感染者数)
 しかし、首都圏を除く6府県に関しては2月28日に期限を待たずに解除された。首都圏4都県はさらに延長されたが、3月21日をもって解除された。菅首相は記者会見で、「1都3県の感染者数は、1月7日の4,277人から、昨日の725人まで、8割以上減少しています。東京では、2,520人から、本日は323人となり、解除の目安としていた1日当たり500人を40日連続で下回っております」と述べて解除を正当化していた。
(東京の感染者数)
 しかし、東京は4月7日以来、日月を除き500人を超えてしまっている。大阪に至っては最近はずっと1000人を超えていて、人口からして東京の比ではない爆発的感染になっている。すでに「医療崩壊」しているとの声も聞かれる。大阪府では政府に再度の緊急事態宣言を出すと述べている。この間、4月5日から大阪、兵庫、宮城に「まん延防止等重点措置」が発令されている。12日から東京、京都、沖縄に、20日から埼玉、千葉、神奈川、愛知に追加された。

 「まん延防止等重点措置」というのは、「新型インフルエンザ等対策特別措置法」にある措置で、法律の中で「蔓延」ではなく「まん延」と書かれている。これは一体何だろうかということは今は書かないけれど、大方の人はあまり意味が無いのではないかと思っている。「緊急事態宣言」がある間は、それが「錦の御旗」になっていた。一転して「解除」されたとなると、今度は多くのことがなし崩し的に解禁されてしまった。

 東京では解除時点ですでに感染者数が増加傾向にあった。しかし、解除されたら途端に近くの中学校では部活動が始まり、映画館でも上映時間が繰り下げられた。「まん延防止」が発令されても、何も変わっていない。むしろ「まん延防止」が始まった日から、大手映画館では11時頃まで上映している。解除された時期が、桜が満開になり、年度末の異動、卒業進学の時期と重なる。それは誰でも判っていることなのに、何で昨年と同じように政府は「間違ったメッセージ」を出すのだろうか。「聖火リレー」が始まるときに、「緊急事態」ではまずいということなのか。

 「緊急事態」が解除されると、何もなくなってしまう。本来はそこで「まん延防止」に移り、さらに減れば「まん延防止」が解除になるということでなくてはおかしい。なんでこうダラダラ発令したり、解除したりを繰り返すのか。そのことに政府は何も説明せず、責任を負う人もいない。今回の再度の感染者増加は政治の責任ではないのか。さらにワクチン接種が全く進まない問題がある。ワクチンが来ないということもあるが、仮にワクチンが届いていたとしても人員もそろわず接種が進まなかったに違いない。それはもう確実だ。
(当初のワクチン接種計画)
 4月12日から、高齢者へのワクチン接種が始まった。ということになっている。しかし、それはほんのわずかの例外中の例外の場合で、多くの市区町村では何の連絡も来ていないだろう。そもそも高齢者接種が始まったことが、それに先立つ医療従事者への接種が終わったことを意味しない。12日段階で、2回接種が終わった医療従事者は12%、1回目の接種が終わった人は24%だという。首相が言ってしまったから、12日に一部で高齢者接種を始めたんだろう。だが日本はまだ高齢者への接種に進める段階ではなかったのだ。

 説明もないまま再度の緊急事態宣言が近づいている。国会では野党が何回も「第4波なら総辞職では済まない」と追求していた。僕は常識で判断すれば、こうなることは予想できたと思っている。何もしなくても支持率が下がらない(むしろ上がっている)国では、政府が緊張感を持たずにいられる。国会議員や中央省庁にも年度末に会食する人がいたのも当然だろう。
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危険な日米共同声明ー軍事的一体化を進める日米関係

2021年04月18日 22時05分07秒 | 政治
 菅義偉首相が訪米し、バイデン大統領と首脳会談を行い、2021年4月16日付で日米共同声明が発表された。正式には「外務省仮訳」で「新たな時代における日米グローバル・パートナーシップ」である。英文では「U.S.-Japan Joint Leaders’ Statement: “U.S.-JAPAN GLOBAL PARTNERSHIP FOR A NEW ERA”」である。共同声明は国会での批准等を必要としない。その意味では法的性格を持たないはずだが、事実上国家を拘束する「約束」になる。

 この声明の全文はかなり長い。マスコミに出ているのは概要であることが多い。さらにネットで新聞社のサイトを見ると、会員登録しないと読めない社が多い。新聞に載っていても、面倒だから飛ばしてしまう人が多いだろう。一般的には「台湾に触れたこと」「菅首相が初めてバイデン大統領と直接顔を合わせた外国首脳だったこと」などに報道が集中している。それだけでは首相の「手柄」イメージが強く印象づけられるかもしれない。しかし、ちょっと流し読みしてみるだけでも、「この声明は危険なのではないか」という思いを持つことになる。

日本は同盟及び地域の安全保障を一層強化するために自らの防衛力を強化することを決意した。」
米国は、核を含むあらゆる種類の米国の能力を用いた日米安全保障条約の下での日本の防衛に対する揺るぎない支持を改めて表明した。」
 ここでは外務省仮訳を使うけれど、以上の文章は前文に続いて一番最初の「自由で開かれたインド太平洋を形作る日米同盟」の最初の方に出てくる。これは大部分の日本国民が納得することなのか。日本は「自国の防衛」ならまだしも、「地域の安全保障」のために軍事力を強化するとアメリカに約束している。またアメリカの核兵器に対して「揺るぎない支持」をしている。

 またいつまでも辺野古移転に固執して「日米両国は、普天間飛行場の継続的な使用を回避するための唯一の解決策である、辺野古における普天間飛行場代替施設の建設、馬毛島における空母艦載機着陸訓練施設、米海兵隊部隊の沖縄からグアムへの移転を含む、在日米軍再編に関する現行の取決めを実施することに引き続きコミットしている。」と改めて声明した。沖縄の声を聞く気が全くないのである。

 ところで最近になって、「日米豪印戦略対話」(クアッド)という枠組が語られることが多くなった。それに伴って、「自由で開かれたインド太平洋」という言葉がよく使われている。いつから日本は「インド洋」にも関与するようになったのか。まあ、原油・天然ガスの大部分は西太平洋だけでなく、インド洋も通ってくる。アフリカ東北部にあるジブチには自衛隊の恒久的拠点を築いているから、もう現実にインド洋に関与している。しかし、インド洋は日本が関与するべき地域なのか、僕は疑問だ。菅首相はインド訪問も検討しているというが、インドの核兵器に何も言わない、言えないのなら行く意味が無い

 トランプ政権の時は、アメリカは自国どころか、再選目的のためとも思える首尾一貫しない外交姿勢が見られた。それは困ることで、バイデン政権の「同盟重視」は理解しやすいが、それは同時に「日本にさらなる防衛負担を求める」ことである。安保法制の実動によって、日本は米軍との共同行動が多くなっているという。このままでは東アジアでの軍事的衝突を引き起こしかねない「日米一体化」は危険だと考える。軍事に頼る対中国政策は、逆に中国の軍事力強化、人権無視をもたらしかねない。
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劇作家・清水邦夫の逝去を悼む

2021年04月17日 22時57分20秒 | 演劇
 朝刊を見たら、劇作家の清水邦夫の訃報が載っていた。2021年4月15日死去、84歳。死因は老衰と報道されている。妻の松本典子は2014年3月に死去している。妻に先立たれて7年というのは、長生きしたというべきかもしれない。昨夜からパソコン、スマホ、テレビなどでニュースを見ていたが、清水邦夫の訃報には気付かなかった。やはり新聞という媒体は必要なのである。
(清水邦夫)
 東京新聞から引用すると、「若者の苦悩やいら立ちを詩的なせりふで描いて人気を集めた劇作家」とある。「早稲田大在学中に書いた戯曲「署名人」で注目され、劇作の道へ進んだ。一九六〇年代後半から七〇年代初めにかけて、東京・新宿の映画館を拠点に演出家蜷川幸雄さんとのコンビで活動。「真情あふるる軽薄さ」「ぼくらが非情の大河をくだる時」など、若者の政治的挫折に伴う心情を描いた作品を発表し、全共闘世代の熱狂的な支持を得た。」

 まあそういうことになるけれど、「署名人」から「真情あふるる軽薄さ」の間がある。まず卒業後は1965年にフリーとなるまで岩波映画に所属した。岩波出身の映画監督、羽仁進の「充たされた生活」(1962)「彼女と彼」(1963)の脚本を手掛けている。ドキュメンタリー的な手法も使って、現代日本を鋭く切り取った意欲作だ。先の話を書いておくと、脚本では黒木和雄監督の傑作「竜馬暗殺」の共同脚本(田辺泰志と)の素晴らしい独創性も忘れられない。

 戯曲では1969年3月に俳優座で上演された「狂人なおもて往生をとぐ」がある。僕は劇評を新聞で読んで、とても面白そうだと感じた。中学生の時だから、実際に見に行ったりはしない。それでも劇評を読んでいたのである。だから1970年1月に出た戯曲集を買っている(中央公論社)。表題作はすぐに読んで、とても面白かった。まだ題名が歎異抄のパロディだとも判らない頃だ。「六全協から中ソ論争。そして七〇年へ。政治の季節を生きる真情あふるる若者たちの魂の受難を描いて、充足することのない戦後世代に青春を表象する代表作三篇」と帯にある。
(「狂人なおもて往生をとぐ」)
 同書には「署名人」と「真情あふるる軽薄さ」が収録されている。後者の「真情あふるる軽薄さ」こそ、映画館新宿文化で行われた清水邦夫+蜷川幸雄の「アートシアター演劇公演」だった。演出蜷川幸雄、出演岡田英次石橋蓮司蟹江敬三など。映画上映終了後の午後10時から行われた公演だから、もちろん僕が行けるわけない。1969年9月10日から22日に上演され大評判となった。終幕に機動隊役が乱入する演出に騒然となったという。
(葛井欽志郞「遺書」)
 新宿文化の伝説的支配人だった葛井欽志郞の「遺書」という本がある(河出書房、2008)。これは60年代末から70年代にかけての映画、演劇界の興味深い話が詰まった実に面白いインタビュー集である。この本を読むと、蜷川幸雄が企画を持ち込んだ時の話が出ている。その前から演劇公演を時々行っていたが、寺山修司や三島由紀夫、別役実、エドワード・オルビー、ベケットなどの魅力的なラインナップになっている。

 清水・蜷川コンビの作品は「想い出の日本一萬年」(1970.9.10~26)、「鴉よ、おれたちは弾丸をこめる」(1971.10.6~19)、「ぼくらが非情の大河をくだる時」(1972.10.6~21)、「泣かないのか、泣かないのか、一九七三年のために」(1973.10.12~27)と毎年秋に5年続いて伝説となった。今上演日などは、先の「遺書」にあるリストに基づいて書いている。ここには映画や演劇の全記録が載っている。ちなみに料金も出ていて、最初は400円、600円が2年、700円が2回だった。
(「想い出の日本一萬年」)
 「ぼくらが非情の大河をくだる時」は劇作家の登竜門である岸田國士戯曲賞を1974年に受賞した。70年代に入ってから、唐十郎佐藤信井上ひさしがすでに受賞していて、遅すぎた受賞だろう。「熱海殺人事件」のつかこうへいと同時受賞だった。僕は受賞作が載った雑誌「新劇」を買って読んだ記憶がある。すでに新しい演劇ブームを起こしていた「熱海殺人事件」ではなく、僕は敗北の抒情を冷え冷えと描き出す「ぼくらが非情の大河をくだる時」に強く惹かれた。
(「ぼくらが非情の大河をくだる時」)
 帯を引用すると「愛もなく夢もなく、希望もなく……〈闘い〉に敗れ挫折した青春の魂はどこへいく。夜の街角へ、公衆便所の暗闇へ、虚空の彼方へ、冷えきった若者たちの新宿への愛と別離を、幻想と残酷のリズムに描く。」僕はもともとそういう世界が好きなのである。この作品世界が70年前後の「革命」の挫折を受けているのは言うまでもない。しかし、世界全体がこの先どうなるんだろうという時代だった。73年の「オイルショック」を受け、日本では「破滅論」ブームが起きた。そんな時に書かれた「泣かないのか、泣かないのか、一九七三年のために」は、大学受験を控えた僕の気分そのものを表わしている感じがしたものだ。

 その前に1971年に「あらかじめ失われた恋人たちよ」という映画を作っている。清水邦夫田原総一郎の共同脚本、共同監督ということになっている。東京12チャンネル〈テレビ東京〉のディレクターだった田原を監督に起用した理由は、先の葛井「遺書」で触れられている。清水、田原どちらにもただ一本の映画監督である。北陸の海岸を男二人、女一人でさすらう。一人の男は唖で加納典明。もう一人は石橋蓮司だが、女は新人の桃井かおりが抜てきされた。この奇跡のようなキャストで描かれた白黒映画で、何といっていいのか判らないけれど魅力的だった。記録的な不入りだったそうだが、僕は翌年に文芸地下で見た。数年前に再見して、成功作とは言えないが魅力はあると思った。「メリー・ジェーン」の曲を知った映画。

 1978年に「木冬社」を作って、旺盛な執筆活動を開始する。「雨の夏、三十人のジュリエットが還ってきた」(1982)、「タンゴ、冬の終わりに」(1984)などが代表作とされる。また1977年の「楽屋」(1977)は累計上演回数日本一とウィキペディアに出ている。しかし、僕は読んでる割には見ていない。80年代は仕事で忙しく、小説や映画でも落としているものが多い。映画は後から見られるが、演劇では再演があっても時代感覚がズレることが多い。蜷川とのコンビも80年代に復活したが、ほとんど見ていない。若い頃に読んだ抒情的な劇世界が僕にとっての清水邦夫。井上ひさし別役実に続き、清水邦夫も亡くなり、一つの時代が終わった感じがする。
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映画「椿の庭」、人生と自然を見つめる静かな傑作

2021年04月16日 22時34分55秒 | 映画 (新作日本映画)
 上田義彦監督・脚本・撮影・編集、富司純子シム・ウンギョン出演の映画「椿の庭」は素晴らしい傑作。ちょっと今までに見たことがないような映画で、静かな画面に自然が移りゆく様に目が奪われる。富司純子の長い芸歴の中でも、これこそ代表作ではないかとさえ思ってしまう。夫を失い、ともに長く住んできた家とも別れざるを得ない女性・絹子を凜とした佇まいの中に演じて感動を呼ぶ。すごいなあと素直に感じ入るしかない作品だ。

 映画の始まりというのは、タイトルが出るか、そうでなければ主人公の紹介あるいは事件の発端のようなものが提示されるものだ。しかし、この映画は違う。庭の花や木、古い家の様子などがいくつものカットで延々と映し出される。題名にあるように庭には椿もある。桜や藤棚もある。金魚もいれば、蝶も飛ぶ。カマキリもいる。それらが全部最初に出るわけじゃないけど、季節の移り変わりがかなり大きな家の自然の様子で示される。その描き方にまず驚く。
(海の見える高台で)
 その家は海を望む高台にある。どこだろうと思いながら見たが、映画の中では示されない。後で調べると神奈川県の葉山だという。鎌倉を舞台にした「海街diary」や神戸の洋館で撮影された「スパイの妻」などに匹敵する「家の映画」だ。その家に人が出入りしている。法事があったらしい。絹子の夫が亡くなったのである。娘が二人いて、次女の陶子鈴木京香)が来ている。後で判るが、長女はすでに亡くなっていて孫のシム・ウンギョン)が最近は同居していた。
(絹子、陶子、渚の3世代の女性たち)
 最近は日本で活動してるというものの、本来は韓国人女優であるシム・ウンギョンが何故キャスティングされているのか。それは追々判ってくるが、そこにはこの一家の過去の親娘のドラマがあった。すでに両親のいない渚が何故韓国から日本に来たのか。それが語られるシーンは感動的だ。今は日本語学校に通いながら、祖母と暮らしている。庭の自然の美しさを全身で感じながら、祖母を思いやって暮らしている渚。シム・ウンギョンの名演だと思う。
(庭を見る渚)
 しかし、なんといっても絹子の富司純子。1945年12月生まれだから、もう75歳である。それにしても何という貫禄、何という美しさ。一つ一つの動きに惚れ惚れしてしまう。藤純子時代の緋牡丹博徒矢野竜子の頃も(僕は同時代に見たわけではないけれど)、同じようにスクリーン上を惚れ惚れしながら見つめていたものだ。結婚・引退を経て、やがて富司純子として復帰した後は、どうしても助演が多くなった。(「フラガール」のように。)でも「椿の庭」では主演している。まあ家が主演で、人間は皆助演という気もするけれど。
(渚をうちわで扇ぐ絹子)
 今どき「うちわで涼を送る」場面が撮られるとは。かつて電化以前の生活では小津映画の原節子のように、人はうちわで思いやりを示していたものだった。海辺に近い高台の家だから、風が通るのだろうか。それにしても素晴らしい庭だなあと思うが、同時に「生活者」としては庭を維持するのは大変だろうと思う。高温多湿の日本では植木屋を入れないと維持できないだろう。相当のお金がかかるはず。そして、案の定この家は相続税を払えずに売るしかないという結論に向かって、緩やかに物語は進んでいく。「椿の庭」は「桜の園」だったのである。
(上田義彦監督)
 この静謐な映画を作ったのは、上田義彦という人だ。写真界では非常に有名な人だという。僕は知らなかったのだが、多くの広告写真で賞を獲得した他、ネイティヴ・アメリカンや前衛舞踏家・天児牛大を撮った写真集などで作家として評価されている。多摩美大教授でもあり、桐島かれんと結婚して4人の子どもがいる。写真界には詳しくないので、それほどの人を知らなかった。ある日、自宅近くを歩いていて、古い家がなくなった跡を見た。そこから物語が始動したのだという。確かに写真っぽい感じも否めないが、静かな中に激情を秘めた傑作だ。ブラザース・フォーが歌う、あの懐かしい「Try to Remember」が何度も流れるのも心に沁みた。
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映画「僕が跳びはねる理由」と自閉症の世界

2021年04月15日 22時43分53秒 |  〃  (新作外国映画)
 「僕が跳びはねる理由」(The Reason I Jump)という映画が公開されている。題名を聞いて判る人は原作を知っている人だろう。これは13歳の日本人少年東田直樹が書いた「自閉症の僕が跳びはねる理由」(角川文庫)にインスパイアされて作られたドキュメンタリー映画である。文部科学省特別選定(青年、成人、家庭向き)など様々なお役所が推薦しているが、全く客がいない。日曜に見たのに、午後の回がガラガラだった。まあ、確かに普通の意味で「面白い」映画ではない。でも発達障害、特に「自閉症」を知り学ぶためには必須の映画だ。

 原作を英訳して世界に広めたのは、デイヴィッド・ミッチェル(1969~)という人だ。僕も知らなかったけれど、この人は世界的なベストセラー作家で、「ナンバー9ドリーム」、「クラウドアトラス」(映画化)、「出島の千の秋」など邦訳も多い。最後の作品は江戸時代の長崎が舞台である。英国出身の著者は日本で英語講師を長く経験し、日本語も堪能。夫人は日本人で、二人の子どものうち一人が自閉症だった。そのため我が子を理解するために読んで、翻訳もした。
(デイヴィッド・ミッチェル)
 デイヴィッド・ミッチェルは映画にも出ている。翻訳された「The Reason I Jump: One Boy's Voice from the Silence of Autism」が評判を呼び、自閉症の子を持つプロデューサーが注目した。そして記録映画を作ってきたジェリー・ロスウェルを監督に迎え、世界各国でロケをしてこの映画が作られた。インドやアフリカ(シエラレオネ)などの状況はあまりにもひどい。アフリカでは親も子も「悪魔に取り憑かれている」と今でも避けられる。イギリスや日本ではそこまで排斥はされないかもしれないが、多くの人に理解されず学校でいじめられることも多い。そんな「自閉症」の子どもたちの心をこれほど描き出した映画はないだろう。

 「心」などないと思われていた彼らも、文字盤を与えられると雄弁に語り出す。時間もかかるし、世界の見え方とらえ方も異なっているけれど。英語は文字数が少ないので、文字盤を指で指す「やさしい英語」の有用性は高い。「みんなは物を見るときまずは全体を見てから部分を見ていると思う。僕の場合はまず部分が飛び込んでくる。」というのは非常に象徴的だ。「みんなの記憶はたぶん線のように続いている。でも僕の記憶は点の集まり。その全部がバラバラでつながらない。」「みんなはすごいスピードで話す。頭で考えた言葉が口から出るまでがほんの一瞬だ。不思議でたまらない。僕には知らない外国語で会話するような毎日なのに。

 映画だって「見る者が判りやすいように描く」のが「普通」だ。「全体」を映し出して、それがどこだか示した後に主人公にズームアップするなど。しかし「自閉症」の場合は、まず「部分」に反応してしまう。この映画でも、全体が何だか判らないうちにクローズアップが続いたりする。だから判りにくい感じもあるのだが、それもこの映画の特徴である。「お勉強」的な関心がないと辛いかもしれない。でも非常に興味深い映画だ。やはり映画ファンというより、自閉症を学びたいという親や教育、福祉などの関係者向きかと思う。

 学校現場では「発達障害」の研修が遅れている。僕も不登校生徒向けの学校に勤務して初めて知ったことが多い。そう言えば昔接した生徒にもいたなあとさかのぼって納得したことも多い。最近読んだ「教員という仕事」(朝日新書)でも、発達障害の研修を望む声が聞かれた。まだまだ遅れているのである。映画でいえば「レインマン」のダスティン・ホフマンが典型的な自閉症だ。その他、「学習障害」「多動性障害」について理解をすることは教育、福祉関係者に必須だ。
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九代目春風亭柳枝真打昇進披露興行ー浅草演芸ホール4月中席

2021年04月14日 22時11分02秒 | 落語(講談・浪曲)
 落語協会新真打5人の披露興行が続いている。3月下旬に始まって、上野、新宿と来て、4月中席が浅草演芸ホール。10日間の興行を5人で2日ずつ披露している。昇進するのは、弁財亭和泉(三遊亭粋歌改め、師匠は 三遊亭歌る多)、柳亭燕三(柳亭市江改め、師匠は市馬、えんざ、明治期存在の名)、柳家㐂三郎(小太郎改め、師匠は柳家さん喬)、九代目春風亭柳枝(春風亭正太郎改め、師匠は春風亭正朝)、三遊亭れん生(三遊亭めぐろ改め、師匠は三遊亭円丈)の5人。今日は春風亭柳枝(しゅんぷうてい・りゅうし)である。
(9代目春風亭柳枝)
 他の人も気になるけど、古典専門で二つ目時代から人気があったと聞き、是非春風亭柳枝を見てみようかと思った。今日は朝から断続的に雨で、寄席の前に幟(のぼり)が立てられない。師匠の春風亭正朝の口上にあったが、柳枝の披露5日目のうち4日が雨だという。トリを取った柳枝によれば、実は師匠の方が雨男だと言うが。しかし、次の披露である今週土曜の天気予報も雨になってる…。東京もずっと晴れていた冬が終わって定期的に雨の日々。
  
 僕はけっこう真打披露興行に行ってると思う。新しい真打を見てみたいという気持ちがある。二つ目時代から追っかけて、誰が伸びると見極めるほどの落語通ではない。だから評判は聞いてても、実際には知らない二つ目が多いのである。そして真打に昇進しても、その後何度も見聞きする人は少ない。落語界も大所帯になっていて、真打もオーバードクター状態だ。トリを取れる資格は得られても、実際に活躍の場が得られる人は数少ない。

 それと真打披露には原則として師匠が口上に付き添う。複数の昇進の場合、複数の師匠レベルが口上の前後に出ることが多い。また協会の幹部も名を連ねる。今日は柳亭市馬会長、林家正蔵副会長の他、柳家さん喬春風亭一朝橘家圓太郎などがそろう。珍しく一番目に春風亭一之輔も出た。どこか用事があったんだろうが、12時からは早い。「桃太郎」という、親が寝かせるために話す「桃太郎」に子どもがいちいち「昔昔っていつ?」「どこの川?」と問い詰めて、最後は親が寝ちゃう。久しぶりのナマ一之輔は短くても面白い。
(真打昇進の5人)
 トリの春風亭柳枝は「佐々木政談」をやった。僕も落語の名前はそんなに知らないから、調べて書いている。南町奉行の佐々木信濃守の裁きを語る噺。佐々木信濃守とは、佐々木顕発(あきのぶ)という幕末の実在人物である。一介の旗本から出世し、勘定奉行になったものの井伊直弼に罷免された。その後復権し、江戸町奉行(北、南)や外国奉行を務めた。というのも今調べて判ったことで、幕末史で有名な人ではない。

 佐々木信濃守が下情視察をしていたら、子どもたちがお裁きごっこをしていた。その様子を見て感心した。佐々木は親子を奉行所に呼ぶが…。親が恐怖に駆られる中、子どもの機転が佐々木を感心させる。最初と最後の噺が対応した。柳枝は貫禄十分で、マクラも面白い。柳枝は60数年ぶりの復活の大名跡だそうだが、今後も活躍して大看板になることを期待したい。
(表紙絵=林家たい平)
 初めて聞いた五明楼玉の輔柳家小八も良かった。小八は貨幣価値の異なる村へ迷い込む「噺家の夢」は知ってるけど笑わせる。この人は今度真打に昇進した弁財亭和泉の夫だという。真打どうしの夫婦は初めてだとのこと。三遊亭歌武蔵の相撲漫談は前にも聞いたけど、今日の方が大受けだった。柳家圓太郎は「強情灸」、柳家さん喬は「替り目」を口上後にサラッと語る。その前の漫才、ロケット団が大受け。今一番受ける人たちだと思う。林家正蔵柳亭市馬は何度も聞いてるからか、ちょうど疲れる頃でウトウトしてしまった。ところで、弟子のれん生が昇進するのに、師匠の三遊亭円丈が出ていない。健康状態が心配だ。
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