万国時事周覧

世界中で起こっている様々な出来事について、政治学および統治学を研究する学者の視点から、寸評を書いています。

非接種者に罪悪感を植え付ける世論誘導は罪深い

2021年02月13日 11時27分21秒 | 社会

昨日、2月12日に、厚労省においてファイザー製の新型コロナワクチンが国内で初めて承認されました。政府としては、これを機にワクチン接種を推進したいのでしょうが、同ワクチンにつきましては、人類史上、初めて人体に使用された遺伝子ワクチンである故の不安感が国民の間で広がっております。その一方で、ワクチンの接種に対して積極的な人々もおり、元の生活に戻るために‘国民が団結してワクチン接種で国難を乗り越えるべき’、あるいは、‘社会協力のためにワクチンを’という声も聞かれます。

 

 日本国の国民性は同調性が強く、他の大勢の人々が行っている行動であれば、自らもそれに従う傾向が強いとされてきました。メディアが街頭等で行ったインタヴューなどにあっても、‘本当は不安なのだけれども、他の人に移してはいけないから打たなければならないのでは…’とか、‘自分だけが接種を拒否すれば、’村八分‘になるのでは’といった不安を抱えなる人も少なくないようです。これらの人々は、周囲の視線が気になり、本心では接種したくなくても、社会全体に対する責任感や社会的排除を恐れて接種に応じてしまうのでしょう。

 

しかしながら、今般のワクチンに対する懸念は、有効性が確認されている既存のワクチンとは異なり、医科学的にも根拠がないわけではありませんので、上述した‘国民の団結’や‘社会協力’の訴えも、論理的な反論を受けてしまう可能性があります。しばしば、ワクチンの安全性を説明し、国民の不安を取り除くことを目的に、ネット上などではQ&Aのコーナーが設置されていますが、よく読みますと、‘現時点では’という条件が付されているケースが見受けられます。つまり、中長期的な影響については、誰も分かっておらず、安全性は保証されていないのです。

 

加えて、短期的にも、全国民に対して接種を推奨するほどの絶大な効果が期待されているわけでもありません。人工的に造られたmRNA鎖によって中和抗体が体内において産生されたとしても(産生されるのはスパイク部分のタンパク質とされているが、風邪のウィルスもコロナウィルスの一種なので、同ワクチンは、不可能とされてきた風邪ワクチンでもある?)、抗体保持者が感染力を有している場合もあり、‘元の生活に戻った接種者’が感染拡大のクラスターとなるケースも想定されます。また、感染リスクが大幅に低下したとしても、絶対に感染しないとは言い切れず、しかも、産生された中和抗体も長期的には保持できない性質のもののようです。これらの見解は、不安払拭目的のQ&Aのサイトでさえ認めています。また、世界各地において変異株が同時多発的に出現している現状からしますと、様々な変異株や変異種にも対応するために、人類は、年間、数十本ものワクチンを接種しなければならず、いわば一生涯に亘って‘ワクチン漬け’の生活を余儀なくされるかもしれないのです(ワクチンの多用はウィルスの変異を加速させるとする説も…)。

 

 以上の諸点に鑑みますと、ワクチンの非接種を選択した人々に対して罪悪感を受け付けるような心理作戦、あるいは、世論誘導こそ、罪深いように思えます。ワクチン接種者こそクラスターとなり、他者の命と健康を危険に晒すどころか、仮に、中長期的に抗体依存性免疫増強の発生や免疫力の低下、あるいは、自己免疫性疾患の増加といった深刻な副反応が生じた場合には、たとえそれが善意に基づくものであったとしても、極めて無責任、かつ、他害的な誘導行為となるからです。ワクチンには不可逆性という特徴もありますので、誰もが慎重になるのは当然のことです。経済や社会を元に戻す効果も薄いのですから、非接種者に対して罪悪感を植え付けてはならず、また、非接種を選択した人々も、自らを責める必要は全くないと思うのです。


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