万国時事周覧

世界中で起こっている様々な出来事について、政治学および統治学を研究する学者の視点から、寸評を書いています。

‘学習’アプリが中国を滅ぼす?-精神の監獄

2019年02月20日 13時39分20秒 | 国際政治
「習氏に学ぶ」アプリ、党員悲鳴 ポイント少ないと指導
中国では、ある奇妙なアプリがダウンロード数第一位を記録し、内外で話題となっております。1月に配信が始まった途端、9000万人もの利用者を獲得したというのですから、もしかしますと、ギネスブックの世界記録をも更新しているかもしれません。そして、同この‘大人気’のアプリの名は?と申しますと、「学習強国」という厳つい名称なそうです。

 「学習強国」とは、字面をそのままなぞりますと‘強国について学ぶ’という意味になります。世界屈指の大国としての在り方を学ぶことが目的のようにも見えますが、実のところ、学習の‘習’は、習近平国家主席の氏姓である‘習’と掛けてあり、いわば、全党員に習近平思想を学ばせることが、同アプリが配信された理由なのです。つまり、スマホの利用者が自らの自由意思で同アプリをダウンロードしたのではなく、同アプリのダウンロードは全共産党員の義務なのです。

 この事情を知れば、たとえ利用者数において抜きんでいても、中国共産党員以外の一般の人々はダウンロードする気が失せるのですが、同アプリを開発した習政権の発想はまさしく共産主義というイデオロギーの怖さと傲慢さを如実に表しています。何故ならば、共産主義思想に暴力を以って無誤謬性を与え(信仰化)、絶対化された思想に基づいて他の全ての人々の内面までをも統制しようとするからです。そして、その究極的な目的は、一人、あるいは、党による権力の独占と全人民の支配に他ならないのです。

 カール・マルクスやウラジミール・レーニンが全知全能の神の如き完全無欠な人であったわけではなく、その生い立ちを記した伝記等を読みましても、模範的な人生を歩んだとは、到底言えないような人物です。習主席にあっても事情は同じであり、欠点や欠陥のない人はこの世に存在していません。単純に考えれば、こうした人が自らの頭の中で編み出した思想もまた完全無欠なはずはなく、誤謬に満ちていることは誰もがすぐに気が付くはずです。プロレタリア独裁を唱える共産主義の論理破綻や反倫理性は明白であり、ソ連邦の崩壊が思想上の誤りではなく、制度や運営の不備にあったとする擁護論も、共産主義が‘信仰化’した証でもあるのです。

 近代合理主義は、ルネ・デカルトが唱えた懐疑主義に始まるとされ、理性の時代とは、たとえ過去において絶対視されてきた権威や慣習等であっても、根底からそれを疑ってみる、すなわち、人々に知性や思考の自由を与えた時に開かれました。疑いの対象は宗教にも及ぶことになりましたが、人の知性とは自由なくして働かせることはできず、近代以降の人類の発展も、精神的な自由に負うところが大きいのです。共産主義とは、理性の時代の先を行く先端思想を装いながら、その実、人類を非理性的な存在に陥れるべく、理性の時代の幕引きを狙った反知性的な暴力志向の思想であったのかもしれません。
 
 こうした知性と自由との密接不可分な繋がりを考慮しますと、今日の中国では、人々が知性や理性を十分に働かせることは殆ど不可能です。論理破綻を来している以上、一党独裁体制を維持するためには、暴力や制裁で威嚇すると共に、これまで以上に人々の思考を押さえつける必要があるからです。おそらく、「学習強国」で学ぶことを拒絶した共産党員は、党員資格を剥奪されるか、ポスト等において冷遇されることでしょう。そして、中国にあっては、「学習強国」以外に他の教育アプリが登場することは決してないでしょう。

 中国において恒常的に知性や理性が抑圧されるとなりますと、中国の発展はもはや望めないこととなります。自由な発想を許す空間が僅かに残されたとしても、習主席が指定した人民支配に資する分野に限定され、軍事技術ばかりが異様に発展したソ連邦のように異形の大国と化し、やがて活力を失って滅んでゆくことでしょう。「学習強国」という頸木に縛られた共産主義国家中国は、まさに精神の監獄なのではないかと思うのです。

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