万国時事周覧

世界中で起こっている様々な出来事について、政治学および統治学を研究する学者の視点から、寸評を書いています。

選択と集中’の問題-共産主義と新自由主義が一体化する理由

2019年02月18日 13時13分22秒 | 国際政治
昨晩2月18日の夜9時から、「NHKスペシャル」として、ノーベル化学賞受賞者である田中耕一氏の苦悩の軌跡を辿りながら、技術立国日本の衰退原因を考える番組が放映されておりました。昨年、医学生理学賞を受賞された本庶佑先生も出演されておられたのですが、同番組を視聴しながらふと頭に浮かんだのは、共産主義と新自由主義が一体化した理由は、‘選択と集中’にあったのではないか、という点です。

 何故、このように考えたのかと申しますと、日本国の技術力が低下した原因の一つとして、お二方ともに、小泉改革を契機として文部科学省が導入した‘選択と集中’を批判的に語っておられたからです。‘選択と集中’とは、同改革で示された科学振興予算の配分に関する方針であり、同方針の下で、人件費の財源とされてきた基盤的な予算が毎年1%づつ削減され、競争的な予算が増額されていったそうです。つまり、産業競争力に直結するような将来性の高い研究分野を選択して集中的に予算を振り向ける方針こそ、‘選択と集中’に他ならないのです。この結果、若手研究者の安定雇用が困難となると共に、科学振興費が裾野まで行き渡らなくなり、日本国の技術的な厚みを薄くしてしまいました。

 ‘選択と集中’の方針は、アメリカをはじめとした自由主義国で生まれており、グローバリズムの基本思想であり、‘現代版レッセフェール(自由放任主義)’でもある新自由主義をバックグランドとしています。自由な競争は、ライバル同士の切磋琢磨を通してイノベーションを促し、テクノロジーの発展や経済成長を促しますので、新自由主義も、この文脈で理解されがちです。しかしながら、近年の新自由主義者の行動を見ておりますと、‘選択と集中’における‘選択’とは、自由な競争の結果ではなく、事前に新自由主義者が、自らが理想とする経済・社会システムを実現するために、成長産業や開発すべき技術分野を予め絞り込んで‘選択’することであり、‘集中’とは、自らが‘選択’した分野への集中的な投資を意味しているようなのです。

 言い換えますと、‘選択と集中’が技術力や資金力を備えた国際勢力によって既定路線として決定され、それがグローバリズムとして日本国内にも浸透している場合、すそ野が広く厚みもある技術力を技術立国の基盤としてきた日本国は、その衰退が運命づけられてしまいます。そして、文科省までもが同方針を受け入れますと、多様な分野から様々な新しい研究が芽吹き、伸び伸びと育ってゆく土壌を壊し、日本国の優位点を自ら失わせてしまったとも考えられるのです。かつての日本国では、研究・開発部門に限らず、末端の現場に至るまでが技術改良やイノベーションの場でもありました。

 そして、新自由主義勢力とは、その名とは逆に、自らが定めた方向に全世界を改造して行くことを目的とした一団であるとしますと、その行動様式は、共産主義と一致します。共産主義国では、共産党が‘集中と選択’を行いますが、自由主義国でも、民間企業のみならず、アドヴァイザーとなった新自由主義者の助言に従って、政府もまた予め‘集中と選択’を行うからです。かくして共産主義国も自由主義国も、直接的であれ、間接的であれ、政府が経済計画を策定して統制する‘官僚主義’に陥るのであり、米中のIT大手がグローバリズムの波に乗って全世界を監視社会に導いているように見えるのは、決して偶然ではないのでしょう。人類の未来ヴィジョンがたった一つのはずもありません。

 共産主義と新自由主義との一体化の下での‘選択と集中’が日本国の技術力の低下に拍車をかけているとしますと、その解決策として考えられるのは、逆を行くこと、即ち、真の‘自由と分散’なのではないでしょうか(より相応しい言葉があるように思えるのですが、今のところ、思い浮かばないので…)。因みに、本庶先生は、著書の『ゲノムが語る生命像』(ブルーバックス、講談社、2013年)において、ゲノムに「余白のない大腸菌は、もしかしたら、未来への展望が少ないのではなかろうか」と述べておられますが、合理性を極めて徹底的に無駄を省いてしまいますと、日本国の科学技術のみならず、人類社会の進化もまた止まってしまうのかもしれません。

このように考えますと、敢えて‘選択’をせずに自由な発想を尊重し、幅広い分野に投資を行い、未来に様々な可能性を開くことこそ、日本国が技術立国として復活する道なのではないかと思うのです。

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2 コメント

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Unknown (北極熊)
2019-02-18 17:22:39
1990年代後半くらいに米国の銀行業界では、顧客企業に対するアドバイスとして、選択と集中によって得意分野の市場シェアを牛耳って儲けましょうという働きかけを行いました。実は、これは資金需要のあまり無い優良企業に企業買収をさせることで買収資金を貸し出したり、社債発行の幹事業務で手数料を得る事が目的でした。確かに、「牛耳る事で儲ける」というのは革命を伴わない共産主義ですね。日本の鉄道のほとんどを牛耳っていた国鉄が、その労働組合所属の従業員と共に共産主義の罠にはまった事を思い出させますね。
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北極熊さま (kuranishi masako)
2019-02-18 20:26:04
 コメントをいただきまして、ありがとうございました。

 日本企業の多くが、グローバル化の掛け声とともに海外企業を買収するケースも多々見られるのですが、東芝をはじめ、巨額の損失を計上する失敗例も少なくありません。こうした事例を含め、経済全体が金融業界によってある方向に向かって誘導されている面も否定はできないように思えます。今般も、5G対応の為に巨額の投資が呼びかけられておりますが、しばし、冷静になって考えて見る必要もあるように思えます。
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