万国時事周覧

世界中で起こっている様々な出来事について、政治学および統治学を研究する学者の視点から、寸評を書いています。

シャイロックよりも野蛮なネタニヤフ首相-現代版ヴェニスの商人の行方

2023年11月09日 12時27分54秒 | 国際政治
 今日まで読み継がれる数多くの名作を世に送り出したウィリアム・シェークスピア。没後凡そ400年を経た今日にあっても、『ハムレット』の‘生きるべきか、死ぬべきか、それが問題だ’という台詞がしばしば決断を迷う場面で口にされるように、時代を超えて読者の共感を呼び、心に残るのは、シェークスピタの作品には、誰もが理解し得る人間社会にあって重要な‘何か’が描き込まれているのでしょう。『ヴェニスの商人』もまた、現代にあってしばしばアナロジーとして語られる作品の一つです。

 『ヴェニスの商人』の面白さは、法学者に扮した若き令嬢ポーシアが知恵を働かせて高利貸しのユダヤ人シャイロックから‘一本取る’ところにあります。アントーニオは、親友でありポーシアの求婚者でもあるバサーニオーのために、借金の形に自らの「肉一ポンド」を与えるとする証文をシャイロックと交わします。ところが、アントーニオは、商船の難破により借金が返済できない絶体絶命の窮地に陥ってしまうのです。法廷においてあわやシャイロックの鋭いナイフがアントーニオの「肉一ポンド」、即ち命を奪おうとするその瞬間、「ちょっとまて、言うことがある。証文には血は一滴たりとも与えるとは書いていない」というポーシアの一言で、アントーニオは救われることとなります。

 同作品は、‘お金持ちで強欲なユダヤ人’というステレオタイプのユダヤ人のイメージを植え付けたとして批判されることもあるのですが(シャイロックの召使いの名が、中世のアーサー王伝説に登場する円卓の騎士‘ラーンスロット’であるところも興味深い・・・)、この作品から、むしろ“シェークスピアの生きた16世紀から17世紀にかけてのエリザベス朝のイギリスでは、異教徒であるユダヤ人でも法律には必ず従う”、とする共通認識があったことが分かります。否、‘法を遵守するユダヤ人’という前提なくしては、『ヴェニスの商人』のストーリーは成り立たないのです。

 『旧約聖書』において「十戒」が特別の意味を持つように、ユダヤ人は、それがシュメール由来であれ、古来、明文をもって社会規範やルールを定めてきた人々でした。シャイロックをして判決を受け入れざるを得なかった、あるいは、そのようにシェークスピがシャイロックの人物像を描いたのも、ユダヤ人の高い遵法意識を当然のものと見なしていたからなのでしょう(少なくとも、シェークスピアをはじめ当時の人々は、ユダヤ人は法律を守ると信じている・・・)。

 その一方で、ユダヤ人は、‘契約の民’とも称され、契約に対しても強い拘りを見せる傾向がありました。それ故に、『ヴェニスの商人』でも、シャイロックは、アントーニオと交わした証文を盾にして、それが事実上の殺人を意味するにも拘わらず、あくまでも「肉一ポンド」を要求する頑固者として描かれているのでしょう。契約の内容が如何に倫理や道徳に反していたとしても、その是非は問われてはいないのです。そして、契約への強い拘りは、契約を倫理的な社会規範や法に優先させてしまう危うさを示唆しているのです。

 翻って現状を見ますと、『ヴェニスの商人』において強調されている契約への固執は、今日において、思わぬ危機を人類にもたらしているように思えます。イスラエル・ハマス戦争でも、‘契約’が倫理の表現体である法に優先されているからです。しかも、その契約とは、「神がパレスチナの地をユダヤ人に与えた」とする数千年前の誰も実在を証明できない‘契約’であり、パレスチナ人との間に相互に交わされた契約でもないのです。

 こうした鬼気迫る状況の中で、今日、『ヴェニスの商人』のポーシア役を演じようとしたのは、もしかしますとアメリカのバイデン大統領であるかもしれません。一方、違法な証文を実行しようとしたシャイロック役は、おそらくイスラエルのネタニヤフ首相なのでしょう(あるいは、イスラエル・ハマス戦争そのものが’劇’であるかもしれない・・・)。何故ならば、アメリカのバイデン政権は、ネタニヤフ首相によるパレスチナガザ地区に対する地上侵攻作戦を止めようとはしないものの、国際法を掲げ、民間人を犠牲にしてはならない、と条件を付けているからです。この要求は、‘肉を切っても血は一滴たりとも流してはならない’としたポーシアの台詞と重なります。ガザ地区には今なお多数の住民が生活しておりますので、一人たりとも民間人の犠牲を出さずしてガザ地区壊滅を壊滅させることは殆ど不可能であるからです。

 国際法の遵守という条件の提示により、ネタニヤフ首相の行動を止めることができたとすれば、‘現代版ヴェニスの商人’の結末に、多くの人々が安堵したことでしょう。しかしながら、現実に人々が目にしているのは、国際法遵守の要求など馬耳東風で、契約を掲げて‘アントーニオ’、即ち、パレスチナ国からガザ地区を住民の命もろともに切り取ろうとするネタニヤフ首相の姿なのです。

 もちろん、現代のイスラエルは、ハムレットのように汚れた現世を厭いつつも、死後への怖れから生死について悩もうともしません。ネタニヤフ首相にとりましては、選択肢ははじめから自分自身ではなく他者である‘パレスチナは死ぬべき’の一択であって、端から問題にもしないのです。また、蛮行の後、自らに対する評価や見方がどのように変わるかも、全く考えていないようなのです。果たして、現代版ヴェニスの商人は、どのような結末を迎えるのでしょうか。少なくとも、ネタニヤフ首相が国際法も人道も無視する限り、シェークスピアの原作のように大団円に終わるとは思えないのです。

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