web上のニュースを見ておりますと、しばしば目にするフレーズがあります。気付かれた方もおられると思うのですが、それは、王室・皇室並びに芸能人等に関する記事において散見されます。多い時には毎日のように掲載されておりました。それは、‘○○の△△に、□□の声’というものです。例えば、‘××さんの装いに、賞賛の声’といった表現です。何故、こうした表現に違和感があるのかと申しますと、報道される以前の段階では、撮影者や周辺のほんの少数の人しか見ていないはずなのに、既に多くの‘賞賛の声’が寄せられているかのように報じているからです。時系列的に考えれば前後が逆であり、冷静になって考えてみればあり得ないのです。
常々その不自然さを訝しく思っていたのですが、この奇妙な報道方法は、人々を二重思考へと誘導するテクニックの応用なのではないかと考えるようになりました。オーウェルの『1984年』にあってゴールドスタインの言葉として説明されているように、二重思考の主たる手法とは、虚を実の前に置くところにあります。‘前’とは、主として時系列における前後関係を意味しており、‘虚’‘を先手とするいわば‘先手必勝’を原則としているのです。
最初に‘虚’を宣伝する、あるいは、人々の脳裏にすり込みますと、実態との違いが曖昧となります。あるいは、実態と虚との違いに気がついたとしても、それを言い出しづらくなるのです。この手法は、政治の世界でも頻繁に用いられているように思えます。近年では、DX、GX、SGDsそしてコロナワクチンなどにおいて顕著に見られます。安全保障の分野における国連やNPT体制もその一つとも言えるかもしれません。何れにおきましても、最初の段階でこれらを‘絶対善’とするプロパガンダが徹底的に行なわれるため(価値を先に付与する・・・)、事実が逆であったとしても異論が許されない空気がもたらされてしまうのです。
例えば、地球温暖化とそれに付随するGXにしても、太陽光発電施設の乱開発による自然破壊、悪しき環境利権の温床化、太陽光パネルの大生産国である中国へのエネルギー依存、電気料金の高騰、企業対策コストの負担増、反社会組織の事業参入、産業の空洞化など、二酸化炭素の排出量が一向に減らないどころか、本末転倒とも言える現状があります。しかも、世界各地で記録的な寒波が報告されており、地球温暖化二酸化炭素説も科学的に証明されているわけでもありません。挙げ句の果てに、地球を護るため、という大義名分の下で、寄生虫、細菌、ウイルスなどによる健康被害も懸念される昆虫食まで強いられるのでは、壮大なる地球環境詐欺を疑わざるを得ません。
コロナワクチンにしても、政府は十分な安全性が確かめられていないにも拘わらず、ワクチンは安全である、ワクチンには効果があると国民に吹き込み、河野ワクチン担当相に至っては、健康被害に関する情報は全てデマであると言い切っていました。ところが、ここでも現状を直視しますと、超過死亡者数20万人以上ともされているように、‘大切な人のためにワクチンを打ちましょう’という政府の宣伝文句に騙されて、自らの命を失ってしまった心優しい国民も少なくないのです。最近に至り、具体的な健康被害やワクチン接種者の感染が報じられ、mRNAワクチンの危険性に関する研究も注目されてきたことから風向きが変わってきたものの、ワクチンによる健康被害や効果を疑う声は、それが現実のものでありながら、政府が先置きした‘虚’の前にかき消されてきたのです。
こうした事例は、日本国内のみならず世界各地に見られますので、先手を打って‘虚’に絶対的な価値を与える手法は、おそらく、世界権力が各国の権力を不当に手にする過程で最も頼りとするものであったのでしょう。しかも、‘虚’を権威付けできれば、その効果は倍増されるはずです。ノーベル賞をはじめ各種の賞や影響力のあるポジションの人々の肯定的な発言も、‘虚’に信憑性を与えるために利用されてきたことでしょう(全ての歴代受賞者が利用されている訳ではないものの、2021年の物理学賞は二酸化炭素の地球温暖化への影響をモデル化した真鍋淑郎氏であった・・・)。各国の政治家をマネー・パワーで自らの仲間内として育成し、全世界のマスメディアをコントロールできれば、この手法は、絶大な効果を発揮するのです。
それでは、世界権力による二重思考作戦は、今後ともその効果を維持することができるのでしょうか。‘過ぎたるは及ばざるが如し’とも申しますように、同手法の濫用は、手の内を明かしてしまう事態を招いているように思えます。多くの人々が、あまりの不自然さに、既に虚実の間の綻びや矛盾に気がついてしまっています。国民が二重思考へと誘う先取り作戦に騙されなくなったとき、それは、世界権力が構築してきたバベルの塔のレンガが一枚づつ剥がれ落ち、静かに崩れ始めるときなのではないかと思うのです。