万国時事周覧

世界中で起こっている様々な出来事について、政治学および統治学を研究する学者の視点から、寸評を書いています。

広島サミットが明かす国際社会の欺瞞

2023年05月22日 12時08分05秒 | 国際政治
 G7サミットの広島開催が決定して以来、日本国の岸田首相は、同サミットが歴史的なイベントとして記憶されるよう、演出には余念がなかったようです。広島が被爆地と言うこともあり、「核軍縮に関するG7首脳広島ビジョン 」によって「核なき世界」に向けた力強いメッセージを発すると共に、ウクライナのゼレンスキー大統領まで参加したのですから。主役のはずの岸田首相の影も薄くなってしまったのですが、もちろん、同イベントの脚本家は、アメリカ、あるいは、その背後にG7を操る世界権力であったのでしょう。日本国政府が、独自の判断で紛争当事国のトップを招けるはずもなく、フランス政府専用機での到着も既にお膳立てができていた証しとも言えます。ゼレンスキー大統領の突然のサプライズ訪日は、内外に一定のインパクトを与えたのですが、この訪問、改めて国際社会の欺瞞を見せつけてしまったようにも思えるのです。

 メディアの反応を見ますと、広島サミットに対する欺瞞であるとする指摘は、原爆を投下し、かつ、今日なおも核兵器保有国であるアメリカ、並びに、同国が核の傘を提供している日本国を含めた同盟国の態度に向けられています。核兵器を保有、あるいは、同兵器に依存している諸国が、「核なき世界」を積極的にアピースルしていのは、確かに自己矛盾の極みです。‘「核なき世界」を目指すならば、真っ先に核大国であるアメリカが範を示して同兵器を放棄すべき’というのが、主たる批判点となるのです。

 しかしながら、同批判に対しては、ロシアや中国による核の脅威の存在が合理的な‘言い訳’として準備されています。この弁明は、核の攻撃力に対しては核の抑止力をもってしか対抗できない、とする力学的な均衡理論に立脚しています(構造力学では、相反する力が釣り合わなければ安定しない・・・)。理想は現実の前には屈せざるを得ないのは致し方がなく、中ロや北朝鮮といった核保有国が同兵器を放棄するまでは、アメリカ、イギリス、並びにフランスも核兵器を保有し続けることが正当化されるのです。

もっとも、こうした核保有正当化論にも欺瞞があります。何故ならば、核兵器国は、同論理を中小の軍事小国である非核兵器国が用いることを、決して認めようとはしないからです。ウクライナが「ブダベスト覚書」による核放棄によりロシアの軍事介入を受け、最貧国である北朝鮮が核保有によってアメリカからの攻撃を免れ、印パ戦争が抑制され、そして、イギリスやフランス並びにイスラエルが核の抑止力を以て自国の安全を確かにしているならば、NPTに基づいて非核保有国となった諸国にも、均衡論に基づく核の抑止力を認めるのが、論理的にも力学的にも正しいこととなりましょう。抑止力としての相互確証破壊の論理は、核兵器が凄まじい破壊力を有する故に、大国と小国との間でも成り立つからです。

 そして、何よりも唖然とさせられる欺瞞は、ゼレンスキー大統領が、敢えて「核なき世界」をアピールした広島サミットに姿を現わしたことです。ウクライナ紛争にあって戦渦に見舞われている国を代表して、被爆地で開催され、かつ、注目度が高いサミットの場で平和を訴え、合わせて同国への支援を取り付けるのが、同大統領の狙いであったのでしょう。しかしながら、ここで、同大統領の政策判断に対する疑問が沸いてきます。

 それは、戦争当事国である以上、核保有は当然の行為ではないか、というものです。NPT条約の第10条が脱退条件として定めている「・・・異常な事態が自国の至高の利益を危うくしていると認められる場合」とは、戦時をおいて他にはないはずです。ましてや、ウクライナは、ロシアを侵略国、即ち、国際犯罪国家として見なしているのですから、NPTからの脱退に躊躇する必要もありませんし、他の諸国もこれを認めざるを得ないはずなのです。ウクライナの一般国民の命を守るためにも核保有は、合理的な選択肢であるにもかかわらず、広島サミットに出席することで、ゼレンスキー大統領は、自ら同選択肢を封じているのです。

 ゼレンスキー大統領の行動については、ロシアによる核使用を牽制するためとする見方もありましょう。保有はしても使ってはならないとする‘不使用’を強調する論法です。しかしながら、ロシアによる核使用のリスクをウクライナの核武装によって劇的に低下させることができるならば、後者の判断の方が政治的にも軍事的にも合理的です。あるいは、同大統領は、核放棄を断念する見返りに、G7諸国に対して多大な軍事支援を求めているのかもしれません。このシナリオですと、アメリカや世界権力とは戦争利権において利害が一致します。何故ならば、通常戦力による戦闘が徒に長引くからです。実際に、広島サミットに際して、バイデン政権は、NATO加盟のヨーロッパ諸国が、F16戦闘機のウクライナへの供与を決定した場合、これを認めるとしました(予定されていたウクライナ側の反転攻勢による戦闘の一層の激化が予測される・・・)。たとえ交渉戦術であったとしても、戦闘の長期化によりウクライナの戦争被害も拡大するのですから、ゼレンスキー大統領は、国民の命を軽視しているようにも見えるのです。

 たとえ演説においてヒロイックで感動を呼ぶような言葉を並べても、セレンスキー大統領の政治的判断を見ますと、真剣味にも合理性にも欠けているように思えます。そして、こうした紛争当事国の不可解で非合理的な行動は、否が応でもウクライナ紛争そのものに対する疑いを深めるのです。結局は、軍事大国による核の独占状態を保ちつつ、各国政府を裏からコントロールする世界権力が、利益誘導と人類支配のために計画通りに戦争を引き起こしているのでは、という・・・。懐疑的な視点からしますと、広島サミットも、シナリオに予め描き込まれた一つのシーンに過ぎないかもしれないと思うのです。

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