万国時事周覧

世界中で起こっている様々な出来事について、政治学および統治学を研究する学者の視点から、寸評を書いています。

「分厚い中間層」の再構築の詭弁

2023年06月09日 11時46分54秒 | 日本経済
 近年、グローバリズムがもたらした経済的格差の拡大やそれに伴う中間層の崩壊は、先進国と称されていた自由主義諸国において反グローバリズムを生み出す土壌ともなりました。アメリカにおけるトランプ前政権の誕生もグローバリズムへの逆風なくして説明できないのですが、日本国にあっても、グローバリズムの見直しを求める世論は無視できない状況に至っています。こうした‘国民の声’を察知したのか、岸田政権は、経済財政運営と改革の基本方針の骨太原案として「分厚い中間層」の復活を掲げることとなりました。

 日本国内では、グローバリズムに対する批判は、グローバリズムそのものよりも新自由主義批判として表現される嫌いがあります。新自由主義とは、世界経済フォーラムの理事でもある竹中平蔵氏を指南役として推進された規制緩和・民営化促進政策を凡そ意味します。ここで言う‘自由’とは、個人の自由ではあるのですが、その実態を観察しますと、‘グローバリストの自由’の最大化を目指したと言っても過言ではありません。そして、その他多数の個人に対しては、個人の尊重を盾に、厳しく自己責任を求められることとなったのです。個人主義に基づく徹底した強者の論理が、新自由主義の特徴とも言えましょう。

 因みに、政治学では、社会契約説をはじめとする個人主義の政治理論の主要テーマは、個人の基本的な自由と権利の保護にあり、政府の存在意義を国民保護機能に求めています(およそすべての人が合意し得る政府の基本的な役割を理論的に説明しようとした・・・)。政治学の個人主義と比べますと、経済における個人主義には‘すべて’の個人の保護という役割がすっかりと抜け落ちています。このことは、政治家や政府が新自由主義に基づいて政策を遂行しますと、果たすべき国民保護機能が欠落することを意味します。自らの基本的な自由や権利が護られないどころか、利己的な強者の‘自由’によって被害を受けかねないのですから、新自由主義が国民から嫌われるのも当然と言えば当然なのです。

歴代の自民・公明連立政権による新自由主義の政策化は、日本国内では終身雇用を特徴とする日本型雇用システムの‘改革’が迫るものとなりました。今日、同主義は、中間層を破壊した元凶として批判されています。非正規社員の劇的な増加(派遣業による‘中間搾取’も・・・)、企業の社員に対する福利厚生の低下、株主配当の偏重、年功序列の是正による実質的生涯所得の低下などなど、数え上げたら切がありません。今日、最重要の政治課題とされる少子化問題も、その原因を辿れば新自由主義政策による国民生活の不安定化に行き着くのです。

中間層の崩壊に関する原因と結果の因果関係ははっきりしていますので、政府が、「分厚い中間層」の再構築を目標に設定したと聞きますと、政府は、遂に新自由主義からの決別を決意したと思うかもしれません。しかしながら、その内容を読みますと、日本国政府は新自由主義の一層の推進を決断したとしか言いようがないのです。何故ならば、改革の基本方針は、日本型雇用からグローバル・スタンダードへの転換であり、しかも、国民生活の安定化の方向性とは真逆であるからです。

例えば、賃上げ政策の一つとしてジョブ型雇用の導入促進を挙げ、デジタルなどの成長産業への人材誘導を図るとしています。高賃金のジョブ型専門職での雇用が増えれば、賃金が上昇するとする論理ですが、同ポストが高額なのは、デジタル技術者や同分野での専門家が極めて少ない、即ち、不足状態であるからに他なりません。しかも、外国からの人材誘致も視野に入れていることでしょうから、ポストをめぐる競争も激しく、到底、中間層を復活させるほどの効果があるとは思えません。否、少数の高給のジョブ型デジタル職とそれ以外の大多数の職との間の所得格差が広がり、中間層の破壊に拍車がかかりかねないのです。

また、日本型の雇用制度についても、終身雇用を前提とした退職一時金の税制優遇制度を見直すとしています。同制度改革も、転職促進効果が理由として付されています。しかしながら、この改革も、中間層にダメージを与えることは言うまでもありません。すんなりと転職ができ、かつ、前職よりも所得が増える人は少数に過ぎず、多くの人々は転職による所得の減少に見舞われることでしょう。しかも、老後の生活の安定を支えてきた退職金も減らさせるのですから、後者の人々にとりましては踏んだり蹴ったりです。

転職促進の裏側には、解雇を容易にしたいとするグローバリストの思惑が隠されているのですが、新自由主義が主張する自己責任論は、被雇用者に対して一切の責任もコストも負いたくないとするグローバリストの意向の現れでもあります。今般の政府による労働市場改革にあっても、‘学び直し支援’の対象は個人であり雇用主ではありません。これまで、日本企業は社内教育によって人材を育成してきましたが、今後は、個人が自らのコストで自身の再教育あるいはスキルアップを行なうか、あるいは、政府からの支援を受けるしかなくなるのです。これでは、所得格差は縮むどころか広がる一方となりましょう。

昨今、政府に対する信頼性は低下の一途を辿っていますが、看板と中身がかくも乖離しますと、国民の政府に対する疑心暗鬼は深まるばかりなのではないかと思うのです。

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