ワクチン証明書の利用に関して、衆議院選挙における立候補者を対象としたアンケート調査が、読売新聞社によって実施されたそうです(’ワクチン・パスポート’という表現は避けられているかもしれない…)。国民の中から無作為に回答者を抽出する世論調査ではなく、全立候補者1052人を対象に行われ、内982人から回答を得ておりますので、調査結果の信頼性は相当に高いものと推察されます。同調査の結果によりますと、全体の62%が賛成し、反対は36%に留まるそうなのですが、この調査結果は、何を意味しているのでしょうか。
まず挙げられる点は、今後、ワクチン証明書の利用に関する法案が国会に提出された場合、同法案がすんなりと可決成立する可能性が極めて高いことです。何故ならば、野党勢力の中核を成す立憲民主党にあって47%が、国民民主党でも78%が賛成と回答しているからです。もっとも、仮に、ワクチン接種証明が法制化されずに済む可能性があるとすれば、それは、選挙の結果として政権交代が起き、立憲民主党と共産党による連理政権が成立する場合です。立憲民主党の52%が反対しており、共産党に至っては98%というほぼ全候補者が反対と回答しているからです。このことは、国民がワクチン証明書という全体主義的な制度の導入を回避し、自由を享受するためには(ワクチン証明書のシステムはワクチン接種者をも追跡して監視する…)、共産党を含む全体主義的傾向の強い政党を選択しなければならないという、前代未聞の矛盾に直面することを意味します(もっとも、日本国の政党は、’オール全体主義’かもしれません…)。
そして、立候補者の62%がワクチン証明書の利用を支持しているとしますと、政治家としての資質に疑問も湧いてきます。そもそも、ワクチンを接種していても自らが感染すれば、他者をも感染させます。このため、今では、重症化防止の効果のみが主張されていますが、仮に、重症化防止効果が実際にあるならば、ワクチン証明書の導入によって得られる公衆衛生上のメリットとは、何なのでしょうか。
奇妙なことに、同制度のメリットとは、そのイメージとは逆に、感染ルートの遮断によるワクチン未接種者の人々の重症化リスクの強制排除ということになりましょう(有難迷惑…)。政府やメディアの説明が正しければ、現状あって、重症化リスクに晒されているのは、感染者ではないワクチン未接種者のみです。ワクチン接種者は、ワクチン効果によって重症化は免れますので、同制度の有無は自らの命や健康には関係ないのです。そして、ワクチン未接種者の人々が、自己責任として重症化リスクを受け入れるならば、ワクチン証明書制度の必要性は失われましょう(未接種者の大半は重症リスクを覚悟して決断している…)。
しかも、今日、全国民の凡そ7割がワクチンを接種したと報じられています。当初、説明されていたように集団免疫が成立するならば、3割ほどの未接種者が存在していてもコロナ禍は自然に終息したはずです。この側面からも、ワクチン証明書導入の根拠は薄いのですが、今日、同制度の導入を求めている政治家の人々は、過去の説明を忘れてしまっているようなのです。
また、ワクチンの効果は接種から時間が経過するについて低減してゆきますので(獲得免疫がどれほど働くのか分からない…)、ワクチン証明制度の導入は、証明書を保持し続けるためには、ワクチンを接種し続けなければならないことを意味します(それとも、ワクチン証明書は、発行から数か月で無効となる証明書なのでしょうか)。ワクチンリスクについては医科学的な根拠に基づく指摘が多々あることに加えて、同一の抗原を用いた遺伝子ワクチンは、接種回数を重ねる度に死亡率が高まるとされていますの(免疫老化の加速もあり得るのでは…)。このため、変異株の出現による可能性を含めて、三度目以降の追加接種については、既に摂取した国民の多くも不安や空恐ろしさを感じていることでしょう。このことから、ワクチン証明制度は、むしろ国民を命の危険にさらしかねないのです。
真偽不明の情報とはいえ、政治家のワクチン接種率は低いとの指摘もあるのですが、ワクチン証明の利用に賛成した立候補者の方々は、同制度に見られる非合理性やリスクに気が付かないのでしょうか(政治家であれば、見えないリスクや水面下の思惑や利権に敏感であるべきでは…)。あるいは、自らワクチンについて十分な調査を行い、あらゆる情報を収集するという作業を怠っているのでしょうか。政治家であれば、たとえ自らの政治信条や政策方針と相いれないものであっても、国民の命と健康を護るという政治家としての使命に鑑みれば、マイナス情報をも政策立案や政策判断に際しての基礎情報に含めるはずです。
ワクチン証明書制度の導入の真の目的は、全国民のワクチン接種の実現によるデジタル国民監視体制(全体主義体制)の構築とも囁かれていますが、今般のアンケート調査は、日本国の政治家が、自らで行動し、自らで考えて政策判断を行っているのではなく、組織の決定に従っているに過ぎない存在であることを示唆しているのかもしれません(支離滅裂で合理性の欠如した政策を熟慮なく支持しているように見える…)。ワクチン証明制度が全体主義体制に向けて社会を一変させてしまうリスクがあるだけに、主権者である国民こそ、政治に対して説明責任の根幹となる合理性を強く求めるべきではないかと思うのです。