周永康事件で習主席が開けた権力闘争というパンドラの箱(ダイヤモンド・オンライン) - goo ニュース
つい数年前ならば、中国大陸に”皇帝”が復活するかもしれない、と言おうものなら、一笑に付されたかもしれません。しかしながら、最近の習主席の行動を見ておりますと、この憶測は、頭から否定はできないのではないようにも思えるのです。
反腐敗キャンペーンの一環としての周英康氏が失脚した事件は、誰もが習主席による政治的粛清であることを知っています。習主席自身を含めて、汚職に手を染めなかった共産党の幹部は皆無とされていますので、”反腐敗”は、ライバルを蹴落とすための最強の政治的弾圧の手段なのです。当の不文律を破っての権力闘争は、習主席が対抗勢力の全てを粛清するまで続くのでしょうが、その先には、全権力を掌握した習主席の姿が浮かび上がってきます。そしてその姿は、かつての皇帝にしか許されなかった衣装を身にまとっているかもしれません。21世紀に皇帝が復活するなど奇想天外に思えますが、およそ一世紀前には、辛亥革命を否定するかのように、1915年12月12日に袁世凱が中華帝国皇帝に即位しています。しかしながら、袁世凱皇帝の治世は長くは続かず、即位に反対した雲南省、貴州省、広西省、浙江省…などが相次いで独立を宣言し、討伐軍が北京向けて進軍します(護国戦争)。内乱状態に至った挙句、1916年3月22日に袁世凱が位を大統領に戻したことで、再び皇帝は歴史から消えるのです。
この事件では、各省の独立は中華民国臨時約法によって取り消されますが、この展開は、中国大分裂の可能性を示唆しております。何れにしましても、習主席が皇帝、あるいは、独裁者となって登極する時、それは、歴史上の重大な転機となるかもしれないと思うのです。
よろしければ、クリックをお願い申し上げます。
にほんブログ村
つい数年前ならば、中国大陸に”皇帝”が復活するかもしれない、と言おうものなら、一笑に付されたかもしれません。しかしながら、最近の習主席の行動を見ておりますと、この憶測は、頭から否定はできないのではないようにも思えるのです。
反腐敗キャンペーンの一環としての周英康氏が失脚した事件は、誰もが習主席による政治的粛清であることを知っています。習主席自身を含めて、汚職に手を染めなかった共産党の幹部は皆無とされていますので、”反腐敗”は、ライバルを蹴落とすための最強の政治的弾圧の手段なのです。当の不文律を破っての権力闘争は、習主席が対抗勢力の全てを粛清するまで続くのでしょうが、その先には、全権力を掌握した習主席の姿が浮かび上がってきます。そしてその姿は、かつての皇帝にしか許されなかった衣装を身にまとっているかもしれません。21世紀に皇帝が復活するなど奇想天外に思えますが、およそ一世紀前には、辛亥革命を否定するかのように、1915年12月12日に袁世凱が中華帝国皇帝に即位しています。しかしながら、袁世凱皇帝の治世は長くは続かず、即位に反対した雲南省、貴州省、広西省、浙江省…などが相次いで独立を宣言し、討伐軍が北京向けて進軍します(護国戦争)。内乱状態に至った挙句、1916年3月22日に袁世凱が位を大統領に戻したことで、再び皇帝は歴史から消えるのです。
この事件では、各省の独立は中華民国臨時約法によって取り消されますが、この展開は、中国大分裂の可能性を示唆しております。何れにしましても、習主席が皇帝、あるいは、独裁者となって登極する時、それは、歴史上の重大な転機となるかもしれないと思うのです。
よろしければ、クリックをお願い申し上げます。
にほんブログ村