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万国時事周覧

世界中で起こっている様々な出来事について、政治学および統治学を研究する学者の視点から、寸評を書いています。

”電力は本当は足りている論”に対する疑問と不安

2011年07月01日 11時41分52秒 | 日本政治
きょうから電力制限、余力1%切れば計画停電も(読売新聞) - goo ニュース

 電力不足に対する不安や危機感をよそに、ネット上などでは、経産省の15%節電令(電力使用制限令)や電力不足の大キャンペーンは、原発の必要性をアピールするための政府や東電による演出である、とする意見が散見されます。しかしながら、この主張にも、欺瞞が隠されていると思うのです。

 第1に、15%強制削減の実施によって大停電を回避している状況を、”供給量が足りている”とは言わないからです。去年と同程度の生産活動と生活を送ることが可能となって、初めて充分な供給が実現したことになります。

 第2に、たとえ、揚水発電や火力発電など、”埋蔵電源”があったとしても、それが高コストであるならば、産業の空洞化を防ぐことはできないことです。つまり、充分な供給量が達成されても、それが高コストとなるならば、問題の半分、あるいは、僅かしか解決されないことになります。

 第3に、”本当は足りている論”を信じる人が増えますと、大停電へのアクセルを踏むことになります。多数の人々が、”足りているならば、使っても大丈夫”と考えて節電を止めますと、一気に電力使用量が上がるとも限りません。

 昨日、東京電力管内では、電力使用量が二回目の90%越えとなり、誰もが、電力の使用量に神経を尖らせる状況にあります。もし、怖れられている事態が発生しますと、首都機能もマヒしますので、その損害は測りしれません。正確なデータや根拠があるならばいざ知らず、無責任な”足りている論”の喧伝は、危機を深めるばかりと思うのです。

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コメント (6)
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