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万国時事周覧

世界中で起こっている様々な出来事について、政治学および統治学を研究する学者の視点から、寸評を書いています。

コロナ・ワクチン接種同調圧力の無責任-ワクチン・ハラスメント

2021年07月19日 12時59分32秒 | 社会

 コロナ・ワクチン接種の対象が拡大して以来、職場などにおける同調圧力が問題視されています。厚労省は任意性を強調しつつも、接種を希望しない人に対して、接種を促すための有形無形の圧力や嫌がらせが報告されているからです。ワクチン・ハラスメント、即ち、’ワクハラ’という新たなハラスメントの類型が登場したことにもなるのですが、ワクチン接種に関する他者に対する同調圧力は、あまりにも無責任なのではないかと思うのです。

 

 表向きは、ワクチン接種は強制ではありませんので、希望者に限定されています。言い換えますと、ワクチンを接種するのもしないのも、個人の自由な選択に任されているのです。もっとも、あらゆる自由には責任が伴うものです。個人の自由な選択の結果であれば、その選択から生じるあらゆる事象は当人の責任となり、自由と責任との関係は、本来であれば個人の内に完結するのです。例えば、ワクチンを打つ自由を選択した人は、発症や重症化の回避といったワクチン効果を得る一方で、仮にワクチン接種によって何らかの健康被害が発生した場合、自己責任とされてしまいます(もっとも、仮に、将来的に政府が因果関係を認め、死亡者や重篤者に対して補償金を支払ったとしても、命や健康な身体は戻ってこない…)。反対に、ワクチンを打たない自由を選択した人は、発症や重症化リスクを負う反面、ワクチン・リスクを回避することができます。両者とも、他者に影響を与えませんので、自由と責任との関係は一先ずはバランスしていると言うことができます。

 

 しかしながら、今般のコロナ禍にあっては、ワクチン接種は、上記の個人の問題の枠を越える側面があります。何故ならば、政府は、集団免疫理論を政策の基盤に置いており、それは、感染終息による早期の経済活動再開という目的とも一致しているからです。このため、政府は、表向きは個人の自由を謳いながら、裏ではあの手この手で接種率を上げるべく、様々な誘導策を試みています。時短要請に応じない飲食店に対して融資を見直すように金融機関に指示しようとするぐらいですから、政府は、職場接種に応じない企業に対しても何らかの不利益を与えようとしているのかもしれません。政府からの明示的な指示の如何に拘わらず、企業側が政府の意向を忖度し、職場にあって同調圧力を醸し出しているのかもしれないのです。企業にとりましても、経済活動の一日も早い正常化は望まれるところなのですから、職場とは同調圧力が生じやすい状況にあると言えましょう。

 

 ところが、ここで一つの重大な問題が発生します。同調圧力とは、他者に対して自らの意思を押し付ける行為なのですから、責任の範囲も他者にまで及んでしまうという点です。つまり、自由と責任の問題は、自己責任論では収まり切れなくなるのです。そして、ここで’スポット’が生じてしまうのは、ワクチン接種による健康被害に対する責任です。自らの自由意思でワクチンを接種した場合、ワクチン・リスクから生じる健康被害は基本的には自らの責任となります。その一方で、同調圧力に負けて接種に応じた人々については、これを自己責任と諭されても納得しないことでしょう。言い換えますと、同調圧力をかける側は、万が一にも接種に追い込んだ人々に健康被害が生じた場合、その責任を負う覚悟が必要と言えましょう。

 

 もっとも、同調圧力をかける側の人々は、ワクチン接種を受けない人々が存在することで集団免疫が成立せず、かつ、経済活動も再開できない、としてワクチン非接種者に対してその責任を求めるかもしれません。しかしながら、そもそも、効果の永続性が欠ける今般のコロナ・ワクチンでは集団免疫の成立は困難であることに加えて、ワクチン接種率の高いイギリスやイスラエルの事例は、打たない自由を選択した人々が、打つ自由を選択した人々に追加的なリスクを与えもしなければ、経済活動再開の妨げともなっていない現状を示しています。何故ならば、デルタ株等の変異株によって感染者数は増加に転じているものの、重症者数も死亡者数も低レベルで推移しており、新型コロナは、もはや怖い病気ではなくなっているからです。新規感染者の多くは若者であり、かつ、非接種者であるとされていますが(治療方法の進化も重症化率や死亡率の低下に寄与しているとも…)、感染しても重症化しないもとより免疫力の強い人々なのでしょう。そして、接種にも拘わらず新規に感染した人も、重症化しないのですからワクチンの恩恵を受けたことになります。つまり、集団免疫が成立しなくとも、接種者はワクチン接種のメリットを十分に享受しているのであり、非接種者に対して責任を問う立場にもないのです。

 

 また、今般のワクチンの主たる効果は重症化の防止ですので、ワクチン接種者であっても自らが感染することも、反対に他者に感染させることもあり得ます。この点からしますと、たとえ感染の機会が比較的多くなる接客業であったとしても、ワクチン接種者がお客様や取引相手の人々に感染させるリスクは残ります。言い換えますと、感染についてはお互いさまである一方で(ADEといった中長期的なリスクを考慮すれば、医療崩壊や経済崩壊のリスクについてもお互いさま…)、重症化や死亡のリスクだけは非接種者が負っているのです。そしてそれは、上述した打たない自由を選択した人の自己責任の範囲に収まっています。

 

 以上に’つべこべ’と述べてきてしまいましたが、要は、他者の自由意思を曲げる同調圧力には責任が伴うということです。そして、命や身体にかかわるケースには、とり切れない責任というものもあるのですから、ここは、慎重な判断が求められましょう。少なくとも、ワクチン・ハラスメントや無責任な同調圧力だけは、かけてはならないと思うのです。


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ワクチン安全説からリスクを読み取る

2021年07月06日 16時01分18秒 | 社会

 ワクチン接種をめぐっては、政府やマスメディアが安全アピールに傾斜する一方で、ネットやSNSでは健康被害の報告が後を絶ちません。ようやく大手メディアもワクチン接種会場にあって60歳代の男性が倒れ、救急搬送先の病院で亡くなった事例を報じるようになりましたが、6月下旬の段階でワクチン接種後に356名もの死亡例が報告されたことは厚生省も認めるところです。

 

 現状にあって、政府は、ワクチンに関する情報を全てデマと決めつけ、疑わしい健康被害についても全ての因果関係は悉く否定しています。因果関係さえ認めなければ、あらゆる健康被害は’なかったこと’にできますので、たとえ医科学的な根拠に基づいてワクチンのリスクを訴えても、門前払いとなるのです。それでは、ワクチン・リスクは、安全神話のシャワーを浴びて、人々の意識から洗い流されてしまうのでしょうか。諦めるのはまだ早く、何か方法があるのかもしれません。そして、その一つが、ワクチン推進派の人々の主張からリスクを読み取ることなのではないかと思うのです。

 

本ブログでは、6月28日付の記事で河野太郎ワクチン担当相がデマの根拠として挙げた資料からリスクを見出すという作業を試みてみました。同資料の他にも、ワクチン効果のアピールが同時にリスクを示唆する場合があります。例えば、ファイザー社は、自社のmRNAは遺伝子操作されているため、抗体産生効果が自然感染による抗体の十倍から数十倍に飛躍的にアップしていると自慢しています。その一方、このことは、短期間で消滅する自然のmRNAとは違い、人工的に修飾されたmRNAは、ヒトの体内あってスパイク蛋白を大量に作り続けていることを意味します。この事実こそ同ワクチンが劇薬とされる所以なのでしょうが、全てのワクチン接種者ではないにせよ、接種直後から体内に大量のスパイク蛋白質が生成されれば、ヒトの体に相当のダメージを与えることは容易に推測できます(血栓の原因となると共に、期間は不明なものの臓器への滞留や心筋症や心膜炎の原因に…)。

 

また、先日、ワクチン接種によるメモリーB細胞のリンパ節における長期的活性が同ワクチンの効果の持続性を示唆しているとの研究結果も報じられていました。これが事実であれば、ワクチンによる抗体効果が半年から8か月後には消滅するとする懸念については、完全に払拭されましょう。その反面、この報告も、安全説が言うほどにはワクチン接種の影響は一時的なものではなく、永続性を証明することにもなります。そして、メモリーB細胞の長期的活性は、RNAウィルスにありがちなADEのリスクを高める可能性もありますし、将来的には体内の慢性的な炎症、自己免疫疾患、あるいは、免疫不全等を誘発するかもしれません。また、メモリーB細胞によるワクチン効果が永続化する条件として、同抗体が効かない変異株が出現しない点を挙げていますが、このことも、変異株が登場すれば元の木阿弥となる可能性を示しています。

 

加えて、mRNAワクチンは、人工的にRNA鎖の塩基配列を即座に造り出せるため、変異株に対して即応できるとされています。この即応性のメリットも、変異株が出現する度にワクチンを打たなければならなくなりますので、過剰なワクチン接種のリスクを意味するデメリットともなりましょう。

 

政府や製薬会社側が積極的にリスクを証明する実験や検証を行うとは思えませんので(本来、生体検査や精密な解剖でリスク証明はできるはず…)、ワクチンに内在するリスクをワクチン安全派の人々にも理解してもらうためには、むしろ安全派の人々が主張する根拠に基づいてリスク面を説明するしかないのかもしれません。遺伝子ワクチンの劇的な効果こそ、自らのリスクを自ずと語っているのかもしれないのですから。


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スパイク蛋白質有毒説の衝撃

2021年06月21日 12時05分55秒 | 社会

 コロナワクチンについては、既に職域接種や大学等での接種も始まり、対象者は64歳以下の国民へと大幅な広がりを見せています。12歳以上となる中学生や高校生に対しても、夏休み中での接種を奨励しているとも報じられ、全国民がコロナワクチン接種対象者となる勢いです。しかしながら、その一方で、ワクチンの毒性についてはおよそ解明が進んできているようにも思えます。

 

 日本国よりも早くに接種が始まった諸国では、既に5月頃からワクチンの毒性に対する認識が深まっていたようです。接種率が頭打ちとなったのも、相次ぐ副反応や有害事象の報告に加え(それでも、CDCの公表している数字は氷山の一角とも…)、健康被害が発生する仕組みがおよそ明らかにされたからなのでしょう。その一つが、スパイク蛋白自身に有毒性があったというものです。つまり、新型コロナウイルスによる感染であれ、ワクチン接種によるものであれ、体内にスパイク蛋白質が生成されること自体が人体にとりまして重大な脅威であるというものです。

 

スパイク蛋白質は、全身の血管にあって血栓の生成の要因となると共に、脂質ナノ粒子と同様に血液脳関門を易々と通り抜けるとされております。また、接種後の青年層に心筋炎の発症が見られるのも、血流に乗ったスパイク蛋白質が何らかの心筋細胞にダメージを与えるからなのかもしれません。ドイツの研究では、コロナワクチン接種者にあって死亡した患者の体内を調べたところ、全ての臓器にスパイク蛋白質の蓄積が見られたそうです。同研究では、この結果をワクチンには感染防止効果、あるいは、重症化効果がなかったことの証拠として解釈していますが、あるいは、ワクチンによって体内に生成された大量のスパイク蛋白質が蓄積されることの証拠であったのかもしれません。何れにしましても、最近に至り、スパイク蛋白質に対する医科学的な観点からの警戒論が散見されるようになってきたのです。

 

こうしたスパイク蛋白質有害説に対しては、ファイザー社をはじめ、根拠のない説として否定する向きもあります。ワクチン接種擁護論派の専門家の説明によれば、生成されたスパイク蛋白質は、凡そ2週間程度で’消滅するとされている’そうです。スパイク蛋白質の残存期間が確認されていない点こそ、治験不足の最たるものなのですが、仮に、上述したようにスパイク蛋白質には臓器に蓄積する性質があるならば、それは健康被害の発生と直結します。例えば、アルツハイマー型の認知症や狂牛病等の脳疾患は、まさに蓄積された異常蛋白質によって引き起こされる病気です。これらの病気の発病リスクは、ワクチン接種を繰り返す程さらに高まることでしょう。

 

なお、ワクチン不妊説も’デマ’扱いされていますが、ファイザー社からの流出文章でも、脂質ナノ粒子が肝臓、脾臓、卵巣といった臓器に達している事実が記されています。最も濃度が高くなるのは48時間後とされていますが(同文書では、mRNAに関する実験であり、スパイク蛋白質については不明…)、仮に卵巣にあって卵細胞にmRNAが入り込み、スパイク蛋白質を生成するとしますと、この時、何が起きるか分かりません。何故ならば、ヒトにあって逆転写酵素(テロメラーゼ)を有する数少ない細胞の一つが生殖細胞であるからです(逆転写酵素とは、細胞内の遺伝子内に異常蛋白質を取り込む機能を果たしている酵素であり、癌細胞も逆転写酵素を持つとされているため、癌患者のワクチン接種はリスクが高いとも考えられる)。

 

また、新型コロナウイルス感染症にあって基礎疾患のある人は重症化しやすいことから、これらの人々の優先接種が推奨とされた一方で、実際には、基礎疾患のある人の接種に際して慎重な問診を要するとされたのも、スパイク蛋白質有毒説からすれば説明が付きます。そして、この説が正しければ、重症化や死亡のリスクが高い基礎疾患のある人はワクチンを接種することはできず、こうしたリスクの低い、つまり、ワクチンを必要としない健康な人だけがワクチンを打たなければならないというナンセンスな事態ともなりかねないのです。

 

そして、実のところ、このスパイク蛋白質有害説は、簡単に真偽を調べることができます。現状では因果関係は不明とされていますが、新型コロナ感染症の既往歴がなく、かつ、ワクチン接種後に死亡されたとされる方の全身の臓器を調べれば、スパイク蛋白質の残存という’動かぬ証拠’を掴むことができるのです(血液検査だけでもある程度の残存性は検証できますし、治療中の方の生体の一部を採取して調べることも…)。そして、仮に、血管であれ臓器であれ何であれ、体内の何れかにスパイク蛋白質が発見された場合には、政府が直ちにワクチン接種を中止すべきは言うまでもありません。ワクチン接種者が増えれば増える程、スパイク蛋白質による健康被害が広がるからです。

 

日本国政府は、接種対象者の拡大を図る前に、先ずはスパイク蛋白質有害説の真偽を確かめるべきなのではないでしょうか。ADEや自己免疫疾患など、抗体の生成や免疫反応に伴う中長期的なリスクについては現時点での判断は困難ですが、同説については、現時点にあって解剖や検査等による検証が可能です(政治的介入を避けるために、中立・公平な立場にある複数の機関による実施が望ましい…)。ワクチン接種の圧力、特に同調圧力が強まる中、国民の大半がワクチンの安全性に対して疑念を抱いている現状にあればこそ、政府には、国民に対して安全性を証明する義務があると思うのです。


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ワクチン接種が問う全体と個人の問題 part2

2021年06月03日 12時24分45秒 | 社会

 戦争と感染症との間には、幾つかの相違点があります。第一に、戦争にあっては、敵は目に言えますが、ウイルスや細菌の人体への侵入によって引き起こされる感染症では、見えざる敵を相手に闘わなければなりません。つまり、後者では、敵は‘内部化’されるのです。このことは、敵を完全に排除しようとすれば、図らずも‘敵’になってしまった感染者、つまり、味方を対象としなければならないことを意味します。

 

 このことは、第二の違いを説明します。戦争にあっては、政府の行動は敵が存在する外側に向けて働きますが、感染症にあっては、政府の防御策は内側、即ち、国民に向かいます。しかも、その国民は、感染者と非感染者に分かれてしまうのです。この状況下で全体が個人に優先されるとすれば、それは、感染拡大を最小限に抑えるために感染者に対して実施される厳しい行動制限、あるいは、厳格な隔離です。感染された方々には申し訳がないのですが、それが強制であれ、要請であれ、感染者の基本的権利や自由は制約を受けてしまうのです。感染者に対する行動の制約については、それ程の異論はないのではないかと思います。

 

 それでは、感染者と非感染者が混在する状態にあって、政府は、非感染者、即ち、健康な国民に対して全体の優先を主張できるのでしょうか。戦時にあっては、戦場の兵士のみならず、非戦闘員である民間の国民に対しても、国家の防衛を理由に全体の優先が求められます。都市のロックダウンや緊急事態宣言の発令などの措置は、まさしく、感染症を誰もが感染者となり得る全体の危機と見なしたからに他なりません。そして、集団免疫の獲得を目指すワクチン接種の推進も、この見方の延長線上にあると言えましょう。

 

 確かに、天然痘ワクチンやBCGのようにワクチンの安全性がエビデンスを以って凡そ100%保障されているとすれば、全国民がワクチンを接種したとしても、個の犠牲の問題は生じません。全国民を対象とするワクチン接種は、戦時にあっては、核ミサイルを含む最新鋭のミサイルまでも確実に破壊するミサイル防衛システムのような役割を果たすからです。実際に、将来における生物化学兵器の使用に備え、国産ワクチンの開発を促す声も聞かれます。ワクチン接種によって平時に戻ることができるのですから、接種推進派のワクチンへの期待はこの側面から説明されます。

 

しかしながら、その一方で、ワクチンの安全性に疑義がある場合には、全体と個人との間の利益の比較考量の難しさはミサイル防衛システムの比ではありません。何故ならば、安全性が100%証明されていないワクチンを国民に接種させた場合、一つ間違えますと政府が自国民に対して生物兵器を使ってしまう結果を招きかねないからです。この重大なリスクにおいて、政府と国民との間には、全体の優先と個人の基本権とをめぐる深刻な摩擦が生じることとなります。ウイルスという’共通の敵’との闘いを根拠としてワクチン接種を進めている政府が、ワクチン警戒派から見ますと、国民の命を危険に晒す’国民の敵’に見えてしまうのですから。国民の基本権の保護は政府の基本的な役割の一つですので、警戒論者からしますと政府によるワクチン接種の推進は本末転倒であり、自国の政府が’敵なの’か’味方なの’かわからなくなるのです。少なくない国民が政府に対して疑心暗鬼となる状況は、一致団結が旨とされる戦時では殆どあり得ない事態です(ワクチン接種をめぐっては、政府と国民、並びに、国民間における警戒派と推進派との間での分裂が起きやすい…)。

 

人の基本的な権利とは天賦のものですので(自然権とも呼ばれる…)、ここに至って、国民の多くは、自らの命や身体に対する自己の権利に思い至ることとなりましょう。全体の個に対する優先は、’全体’の目的が「国民の安全や福利」にあることを前提としています。この点は、戦時の方がよりはっきりとしています。国民によってこの要件が欠けていると判断された場合、国民は、自らの自由な意思決定によって政府から自らの身を護ると共に、自らをその一員とする社会をも護らなければならなくなるのです。

 

日本国では新型コロナウイルス禍は他の諸国と比較して軽度であり、遺伝子ワクチンも安全性不明の治験段階にある中にあって、日本国政府が、国民に対して全体の優先を主張し得る程の正当、かつ、合理的な根拠を有しているとは思えません(政府の真の目的は、オリンピックの開催では…)。報道によりますと、政府は職場や大学等でのワクチンの集団接種を実施する方針のようですが、政府による企業に対する協力要請や社内における同調圧力の醸成、あるいは、非接種者に対する差別的な待遇は、上記の考察に照らしますと、国民の基本的な権利並びに自由の侵害ともなりましょう(憲法違反では…)。ワクチン接種とは、基本権の核心である命にも関わり、かつ、個々の身体に対して行われるものですので、今般のワクチン接種に関しては、やはり、個人の自己決定権が最優先されるべきではないかと思うのです。


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ワクチン接種が問う全体と個人の問題

2021年06月02日 12時02分41秒 | 社会

 これまで、リベラルもマスメディアも人権擁護には熱心であり、中国によるウイグル人弾圧に対しても厳しく糾弾しています。このスタンスは、自由主義国の政府にも共通しており、今日にあって、人権の軽視は許されない蛮行と見なされているのです。ところが、ワクチン接種に限っては、自由主義国でも個々人の基本的権利や自由が蔑ろにされているように思えるのです。

 

 人の基本的権利とは、明確な定義はないものの、およそ、自己の人格、生命、身体に対する自分自身の権利とされており、それは、その人本人に専属します。他者が奪ってはならない権利であると共に、他者から奪われてはならない権利なのです。このため、基本的権利を侵害する行為は、古今東西を問わず、犯罪として刑罰の対象となってきました。そして、現代という時代にあって奴隷制が否定されるのも、他者の上に’物権’を設定する権利は、誰も持ち得ないからです。

 

 悪というものを’利己的他害性’であるならば、まさしく、自己の利益のために他者の基本的人権を侵害する行為はまさしく’悪’と言えましょう。その一方で、極めて限られた状況下では、基本的人権を犠牲に供さなければならないケースがあります。その典型的なケースとは、戦争といった国家間で起きる有事です。物理的な破壊力を以って敵勢力から攻撃を受けた場合には、物理的な防衛力でこれを排除するしかなく、その際、多かれ少なかれ、国民の命が犠牲とならざるを得ないからです。戦時にあって、国家に命を捧げる行為が名誉とされてきたのも、それが、国家、否、他の国民のために自らの命を犠牲にする尊い行為であったからに他なりません。人には生まれながらにして自己保存の本能がありますので、それを他者のために自ら放棄するのですから、命を捧げた人々の心情を思えば深く頭が下がるのです。

 

 このように、国民という集団が運命共同体となり、全員が同時に共通の危機に直面する場合には、自らの集団を将来に向けて維持存続させるために、集団のメンバーの一部の基本権が犠牲となるケースがあります。こうした事態は、古今東西を問わず、人類が等しく経験してきた危機であったことでしょう。その一方で、有事にあっては、自己の利益を優先したいがために、敵国を利すような行為を行えば、他の国民から厳しい批判を受けてしまいます。否、政府は、法律を以ってしても、こうした利敵行為を取り締まろうとすることでしょう。私利私欲による敵国への協力が自国民の死を意味するのですから、’非国民’という言葉は、有事にあってこそリアリティーを持つのかもしれません。

 

 有事にあっては、程度の違いこそあれ、国民の基本的な権利のみならず、基本的な自由もまた制約を受ける、すなわち、個人よりも全体が優先されるという非常事態は、国家の体制に拘わらず、如何なる国家にあってもあり得ることです。そして、ここで考えるべきは、今日の新型コロナウイルス禍といった感染症の蔓延は、国民の基本的な権利や自由を制限する正当な根拠となるのか、という問題です。この問題、ワクチン接種をめぐって抜き差しならない状況を国民にもたらしかねないからです。

 

 新型コロナウイルス対策として、既に、各国の政府は、国民の基本的な自由に対して制限を設けています。丸ごと都市のロックダウンを実施する国もあれば、日本国のように飲食店の営業や外出について国民に自粛を求める国もあります。感染状況によって対策も異なるのですが、果たして、今日の日本国政府は、国民に対して全体の優先を正当化できるのでしょうか。この先につきましては、明日の記事にて続きを書いてゆきたいと思います。


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夫婦別姓は一夫多妻制への道?

2021年04月28日 11時56分40秒 | 社会

 最近のネットゲームは、かつてのものと大きく変質してきているように思えます。戦国時代が舞台と思われるゲームの広告には、’全員、俺の嫁’というキャプションが付され、’億万長者’というゲームには、大勢の美しい秘書たちが登場するようです。戦国時代のゲームと言えば、勇敢な戦国武将が天下を競うという古典的な戦略タイプが定番であったのですが、今日の様変わりぶりに驚かされます(お姫様たちの略奪が目当てとは…)。訝しく思っていた矢先、夫婦別姓の議論が活発化してくるにつれ、日本国は、一夫多妻制への転換を迫られているのではないかと疑うようにもなってきたのです。

 

 一夫多妻制への動きは、今に始まったものではないように思えます。例えば、民法改正による嫡出子と非嫡出子との間の相続財産の平等化は、子の間の差別撤廃を根拠としながらも、見方によっては一夫多妻制を容認しているようにも見えます。そして、今般の夫婦別姓への議論も、女性の改姓に際する不便さの解消や女系による家名の継承など、もっともらしく理屈が並べられています。しかしながら、一夫多妻制への移行という視点から同問題を眺めますと、夫婦別姓は、同方向への流れを後押しするように思えるのです。

 

 夫婦別姓については、古代や中世にあって日本国も別姓であったとして支持する意見もあれば、同制度は中国や韓国の風習であって、日本国の婚姻制度の中韓化を狙ったものとして反対する意見も聞かれます。保守派にあっても賛否両論があるのですが、何れにしましても、夫婦別姓は、一夫多妻制において散見される制度です。その理由を考えて見ますと、一夫多妻制にあって夫婦同姓としますと、同性の範囲が著しく拡大してしまうからなのでしょう(一人の夫を介して、血縁関係のない複数の女性達が’同性の家族’になってしまう…)。

 

 一夫一婦制では、たとえ実際には一夫多妻となっているケースがあったとしても、法律上は夫婦同姓ですので、所謂’正妻’、’嫡妻’という立場が確立しています。同性である限り、一組の夫婦であることは誰から見ても一目瞭然なのです。しかしながら、夫婦別姓ともなりますと、法律上の配偶者であるのか、その姓名だけ見て判断することができません。一人の男性に対して、複数の別姓の女性たちが同列として並んでしまうという事態もあり得てしまいます。複数の女性の内誰が’正妻’であるのかは、法律上の家族関係を知らない限り、表面だけでは分からないのですから。

 

 非嫡出子の相続平等化に際しても、’正妻苛め’や’嫡出子苛め’ではないか、とする批判がありました(相続が平等ならば、介護など、高齢となった親の面倒をみることを非嫡出子にも義務付けるべきでは…)。今般の夫婦別姓にあっても、最も立場が不安定化するのは法律上の配偶者なのかもしれません(選択制とされ、女性の側が別姓を希望すると想定されていますが、男性の側から別姓を求められるケースも…)。同改正は、女性が生きやすい社会への変革とされているものの、その恩恵を受けるのは、必ずしも’全ての女性’ではないようです。戦後の民法改正により戸籍制度も夫婦単位に改められましたが、夫婦同姓は、夫婦を中心とした安定した家族の枠組みを護ってきた側面もないわけではないのです。

 

それでは、一夫多妻制は、男性にとりまして望ましいのでしょうか。一夫多妻制は、一人の男性が複数の女性を独占する形態ですので、家庭を持つことができない男性が多数出現することとなります。’億万長者’による独占は、その他多数の男性が、婚姻のチャンスに恵まれないことを意味するのです(イスラム世界では、それ故に男性たちは戦士に…)。DNAの塩基配列の均質化も起きますので、一夫多妻制は、一握りのセレブな男性を除いて、男女問わず、人々から歓迎される制度とも思えないのです。

 

夫婦別姓から垣間見える婚姻制度や’正妻’に対する怨嗟からしますと、独身主義のイエズス会(修道士には歴史的には非嫡出子も多い…)や家族制度が崩壊しているセレブ層、あるいは、女性の共有を主張したマルクス主義者が背後にあって日本国の社会改造を画策しているのかもしれません(中国では共産党員こそ一夫多妻の’億万長者’であることと関連?)。ネットでは、パソコン等の検索履歴等に基づいて個人の志向が分析され、広告内容が選択的に変わるそうですが、ネットゲームとは無縁なパソコンの画面にもこうした広告が頻繁に出現するのも、一夫多妻制に国民を慣れさせようとする思惑が潜んでいるとも推測されます。

 

しばしば、旧弊からの脱却を試みたつもりが、さらに悪しき旧弊への逆戻りとなるケースが見受けられます(フランス革命然り、ロシア革命然り…)。輝かしい未来に向けて踏み出したと思いきや、気が付いた時には、暗い野蛮な時代に戻っているのです。このように考えますと、夫婦別姓問題についても、その先を見据えた議論が必要なように思えるのです。


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アストラゼネカ製ワクチンの血栓問題-直視すべきは未知のリスク

2021年04月08日 12時50分07秒 | 社会

 イギリスやEUをはじめ各国政府は、新型コロナウイルスの急激な感染拡大を前にして、緊急措置としてアストラゼネカ製のウイルスベクターワクチンの使用を承認しました。その際、日本国のメディアも、十分な治験を経てはいないものの、安全性は確保されているかのように報じていたのですが、同社製ワクチンの行方には暗雲が立ち込めているようです。かねてから疑念が持たれてきた同ワクチンと血栓症との関連性を、遂にEUの欧州医薬品庁(EMA)が、断定はしないものの公式に認めたからです。

 

 EMAによれば、3400万回の接種の内、169件の脳血栓の症例が報告されているそうです。同庁は、’極めて稀な副反応’と表現していますが、ドイツのワクチン委員会の委員によれば、同ワクチンの接種により血栓が生じるリスクは60歳以下の女性では凡そ20倍に上り、「非常に明確なリスクシグナル」と述べたそうです。血栓は、脳のみならず、全身の血管に生じるものですし、明確に脳血栓と診断されたケースが169件としますと、自覚症状がないために、数字に表れない低レベルの血栓の発生は相当数に上るのではないかと推測されます。たとえ関連性があったとしても、EMAは、’リスクよりメリットの方が優る’として、使用の継続を認める方針のようですが、当局の一連の対応には、どこか釈然としないところがあります。

 

 何故、もやもやした感情が残るのかと申しますと、おそらく、EMAのみならず、各国政府とも、未知のリスクをあまりにも軽視し過ぎているからなのではないかと思うのです。免疫のメカニズムを含め、様々な回路が複雑に関連する生物の仕組みにはまだまだ未知の部分が数多く残されております。DNAの二重らせん構造の発見を機に分子生物学が急速に進歩したものの、エピジェネティクスを含めその全容の解明にはまだまだ時間を要することでしょう。言い換えますと、国民の多くが懸念しているように、今般の遺伝子ワクチンは、いわば、未知のリスクを置き去りにした見切り発車なのです。この側面に注目すれば、’人体実験説’は、現実を直視した事実としか言いようがないのです。

 

 そして、ここで考えてみるべきは、’見切り発車’の是非の問題です。今日なおも、政府もメディアも遺伝子ワクチンの安全性を強調しており、全国民を対象にワクチン接種を積極的に推進しようとしています。しかしながら、未知のリスクの存在は、この方針に対して重大な疑問を投げかけることになりましょう。未知のリスクが、時間の経過とともに、ワクチン接種のメリットを上回る可能性を意味するからです。将来にあって、’後で分かってからでは遅い’という事態が起こり得る場合、限られた知識や即時的な判断は許されるのか、という問題が生じるのです。未知のリスクの軽視は、人命の軽視でもありますので、ワクチン接種の推進は、必ずしも国民の命を護るどころか、将来に亘って危険に晒すかもしれないからです。

 

 ファイザー製のワクチンについても、未知なリスクがある点においては変わりはありません。諸外国では死亡例も報告されていますし、先日も、福岡県八女市にあってワクチン接種を受けた看護師の方が死亡したとする情報がツイッター上に流れたことから、ネット検索で調べたところ、この情報を肯定する報道も否定する報道も見つけることができませんでした。フェイクニュースであれば、マスメディアが飛びつきそうな事件ですので、本当のところは、厚労省による公表やメディアでの報道に先立って、因果化関係を調査中なのかもしれません(もっとも、因果関係が確認できなかったとして同情報は封印されてしまうかもしれない…)。

 

今般、短期的な副反応であるため、比較的に容易に確認し得る血栓症のリスクが公的に認められたことで、未知のリスク問題が改めて認識されることとなりましたが、中長期的な未知のリスクはさらに広大な領域に及びます。遺伝子改変はないとされているとはいえ、他の添加物の影響等により世代を超えて子々孫々に及ぶ可能性もあるのですから。安全性ばかりを強調し、あたかもワクチン接種を当然のことのように見なす政府やマスメディアは、将来にあって未知のリスクが顕在化した場合、どのように責任をとるつもりなのでしょうか(致死的な副反応や有害事象であれば、ワクチンを接種した国民は座して死を待つばかりとなる…)。

 

また、変異株への効果や抗体効果の持続期間によって、接種計画の変更を余儀なくされるケースも想定されます。変異株ごとにそれぞれ別の種類のワクチンを接種しなければならないとなりますと、国民のワクチン接種の種類、回数、そして量は増大し、未知なるリスクはさらに拡大しましょう。

 

’見切り発車’のワクチンについては、未知なるリスクこそ重視すべきように思えます。未知が既知のリスクとなった際には臨機応変に対応すべきですし、政府は、国民に対しても正直かつ誠実にリスク説明に努めるべきではないかと思うのです。


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ワクチン接種誘導記事を解読する

2021年03月22日 11時59分07秒 | 社会

 新型コロナウイルスワクチンの接種は、国民の一人一人にとりまして大問題です。否、個々人のみならず、親族間のトラブルに発展するケースもあるそうです。本日のネット記事にも、断固、ワクチン接種を拒否している地方在住の高齢の父親を前にして、何とかして接種させようと奮闘するアラフォー世代のAさんの’作戦’が紹介されておりました。

 

 同記事によりますと、子世代であるAさん兄妹がワクチンは安全と信じ切っている一方で、68歳とされる父親の方は、ワクチン接種は’世界規模の人体実験’と見なしています。同父親が拒絶する理由は、医科学的な見地からのリスクではなく、政治・社会的な陰謀説ですので、この点については、非合理的とする批判を受ける余地はあるのですが、現実問題として、陰謀説も否定され得ず、また中長期的なリスクを含め、ワクチンの医科学的安全性は証明されていませんので、両者とも、相手を100%論破する根拠を持ち合わせていません。Aさんの判断こそ誤っている可能性があり、逆に、父親によって説得されて接種を思い留まる可能性もなるのですが、とりあえず同記事は、ワクチン=安全説に基づいて書かれたワクチン接種誘導記事として理解されましょう。

 

 因みに、同記事が紹介するAさんの’作戦’とは、(1)Aさん兄妹がワクチンを接種次第、実家に帰省し、父親に直接会って懇願する、(2)父親が折れなければ、Aさん兄妹の子供たちに協力してもらい、情に訴える(オレオレ詐欺的な手法)、(3)ワクチン接種者が増加すれば、世間の空気が変わる、という凡そ三段構えです。Aさんは、頑固な父親も、同作戦を実行すれば、何れはワクチン接種に応じると期待しているのです。しかしながら、この’説得モデル’、’実話’であるのかは疑わしいのです。何故ならば、ところどころに綻びが見受けられるからです。

 

 第一に、従来のワクチン接種希望者の傾向をめぐる見方は、地方の高齢者はマスメディアの報道を鵜呑みにしやすく、ワクチン接種に対しても何の疑いを抱くことなく我先にと接種に応じるというものでした。ところが、本記事では、逆に、高齢者の父親の方がワクチンのリスク情報を積極的、かつ、多面的に収集しており、決して’情弱’ではないのです(逆に、父親からの説明を受けて、Aさんの方が変心するかもしれない…)。同記事では、陰謀論を簡単に信じる高齢者、というイメージで描かれていますが、むしろ、ワクチンに関するマイナス・プラス両面の情報が溢れる現状にあって、リスク面を完全に無視して’ワクチンは安全’と信じて切ってしまい、他者に対してもその’信念’を押し付けようとするAさんの方に情弱性と危うさを感じます。

 

 第二に、Aさん兄妹は、自らがワクチンを接種した後としながらも、直接、父親と対面する計画を立てています。ワクチンの感染防止効果は100%ではなく、抗体が産生されるまでの期間はもちろんのこと、抗体効果の継続期間も比較的短い上に個人によって異なるそうです。同父親は、新型コロナウイルスに感染しないよう、細心の注意を払って生活しているそうですので、この’作戦’は、高齢の父親が感染するリスクを持ち込むようなものです。しかも、両親に直接に会えないことが父親にワクチン接種を薦める動機でもありますので、Aさん兄妹がワクチンを打った時点で、この問題は既に解決していることにもなります。すなわち、Aさん、並びに、その兄妹がワクチンを接種すれば、父親はワクチンを接種する必要はないのです(同記事のタイトルは、「68歳父はワクチン断固拒否、どうしても帰省したいアラフォー男性の作戦」…)。

 

 第三に指摘し得るのは、Aさんは、「(父は)自分の命を自分だけのものと思っている節があり、僕と妹は『それは違うんじゃないか』と考えています」と述べている点です。ワクチン接種の判断やその結果については自己責任としつつも、父親が新型コロナウイルスで亡くなる事態ともなれば家族や親族が悲しむので、接種拒否は一人だけの問題ではないとしているのです。しかしながら、この考え方、血縁者の枠を超えて他者にまで及びますと、強力な同調圧力として社会全体を圧迫する可能性があります。社会全体を考えれば、ワクチン接種を拒否する‘わがまま’は許さない、という風潮になりかねないのです(もっとも、ワクチンを接種したところで元の状態に戻れるわけでもない…)。

 

 以上に述べた諸点からしますと、同記事は、Aさんの’作戦’は、同様の立場にある子世代に対して、’説得モデル’として提案されたのでしょう。実際に、本記事の末文では、親の意思を尊重するとする選択肢を示しながらも、Aさんの作戦をヒントにするよう暗に勧めています。情に訴えるという点がポイントなのでしょうが、どこか、‘オレオレ詐欺’に近い手法のようにも思えてきます。あるいは、現実には、逆にアラフォー世代がワクチン接種に対して懐疑的であるため、敢えてAさん兄妹という‘人物モデル’を設定することで、同世代の人々に‘多数派はワクチン接種派’というイメージを刷り込もうとしているのかもしれません。現実には、ワクチンを打ちたがる高齢の親に対して、それを思い留まらせたい子供達も少なくないはずです。若年層ほどワクチン接種に対して消極的ともされていますので、何故、今という時期に、実態とはかけ離れた実話スタイルの記事が掲載されたのか、その意図を読み解いてみる必要もあるのかもしれません。


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ワクチン有害事象は全て’根拠なし’で終わる?-先端科学の限界

2021年03月17日 11時56分17秒 | 社会

現在の医科学技術のレベルにあって、ミクロの世界を含めて体内のあらゆる機関の作用や構成があますところなく解明されていたならば、ワクチンに関する副反応や有害事業のリスクはそもそも存在していなかったことでしょう。天然痘のワクチンのように長期にわたる実績が安全性を証明しなくとも、誰もが、安心してワクチンを接種できたはずです。言い換えますと、リスクが取沙汰されている現状は、今日の科学技術の限界をも表していると言えましょう。

 

 そして、医科学技術の限界は、現状にあって、ワクチンに対する不安を完全に払拭することが不可能であることをも示しています。アストラゼネカ社のワクチンについては、目下、血栓症が疑われ、各国で接種停止の動きが広がっていますが、安全性を重視した各国政府の措置に対して、WHOは、分析中としながらも、ワクチンとの因果関係を示す証拠はなく、’根拠なし’として接種の継続を奨励しています。一方、EUの欧州医薬品庁(EMA)のクック長官は、「メリットが副反応のリスクを上回るとまだ強く確信している」と述べております。血栓リスクそのものは否定しておらず、しかも、‘確信している’とする信仰にも似た主観で語っており、同長官の発言は、WHOの見解よりもトーンダウンしているように見受けられるのです。

 

 WHOであれ、EMAであれ、ワクチンとの因果関係が’ある’とは証明できなとしながら、’ない’ことを科学的に証明しているわけではありません。一先ずは、因果関係が証明できない現状を以ってワクチン接種を認めているに過ぎないのです(もっとも、イギリス政府やアストラゼネカ社は、ワクチン接種後の血栓症の発症率が自然な状態と変わりはないと統計上のデータを以って反論していますが、体内のメカニズムとして証明されているわけではない…)。この言い分が通るのであれば、数か月や数十年先にあって深刻な有害事象が発生した場合、因果関係は認めない可能性は極めて高くなります。何故ならば、その証明には、現代の医科学技術のレベルを超えるからです。たとえ、将来にあって因果関係が証明された場合でも、’予見不可能であった’として責任を回避することでしょう。

 

 もっとも、ワクチン・メーカーが、将来において責任を負うとすれば、それは、これらのメーカーが、自らが製造したワクチンの成分に関する重大なリスクを予め知っていた場合です。不幸にして、各メーカーとも、その全成分や作用のメカニズムについては企業秘密、あるいは、知的財産権として非公開としている部分も少なくありません。仮に、将来にあって訴訟が起きた場合、現状の科学技術のレベルで予見可能であれば、製造・販売時点で’知り得たリスク’としてメーカー側に有罪判決が下されることとなりましょう。この点、アストラゼネカ社よりも、ワクチン開発に携わっていた元副社長が既に重大なリスクの警告を発しているファイザー社の方が’有罪リスク’は高いのかもしれません。そして、各国政府との契約に際して設けた免責条項によってたとえ賠償責任を転嫁することができたとしても、道義的な責任を問われることとなりましょう。全人類に対する重罪として…。

 

 以上に述べてきましたように、有害事象とワクチン接種との関連性は、医科学技術のレベルによって大きく左右されます。むしろ、中長期的には未知のリスクがある、あるいは、既知のリスクが隠されている可能性があるとする認識の下でワクチン接種の是非を考えるべきであり、この点からしますと、全国民を接種対象とする現行のワクチン・プロジェクトには疑問を抱かざるを得ないのです。ワクチン接種に消極的な人々に対しては、’ゼロ・リスクはあり得ない’、即ち、多少のリスクには目を瞑るべき、とする反論もあるのですが、生命や人類の未来に関わる重大なリスクであるかもしれもしれず、しかも、不可逆的な影響が残るのですから、人々の命を救おうとする人道的な動機においても、ワクチン慎重派の人々は、ワクチン接種派の人々のそれに決して劣らないと思うのです。


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’ワクチンを打たない表明’も必要では?-自由主義国は自由に議論を

2021年03月16日 11時46分53秒 | 社会

 新型コロナウイルスワクチンについては、接種時の即時的な副反応よりも、中長期的な有害事象が懸念されております。実際に、海外にあっては、血栓リスクの疑いでアストラゼネカ製のワクチンが接種中断に追い込まれています。このため、ワクチン接種を望まない国民も少なくないのですが、国内メディアの報道ぶりは、ワクチン接種推進一辺倒のように思えます。テレビのニュース番組でも、それに登場してくる’一般の人’の意見は、決まって’ワクチンを’接種したい’というものです。本日、菅首相も報道陣を前にしてワクチンの公開接種に臨むそうですが、かくも国民の間で不安が広がりながら、一人として’私は、ワクチンを接種つもりはありません’と語る人が登場しない状況に、危うさを感じざるを得ないのです。

 

 ワクチン接種を問う世論調査の結果を見ますと、国内の調査では、接種希望者が増加傾向にあり、凡そ7割の人々が接種に前向きとされています。その一方で、世界経済フォーラムとフランスの調査会社であるイプソスが15か国を対象に3月に共同で実施した世論調査では、日本国では、「直ちに」が36%、「一か月以内に」が13%であり、計49%で15カ国中12位であったそうです。かのダボス会議、つまり、ワクチン接種を推進したい超国家権力体が絡んでいますので、この数字もどこか怪しいのですが、’様子見’を含めて凡そ半数強の人々が、ワクチンに対して不信感を抱いている日本国内の現状を示しています。日本国内は、決してワクチン接種一色ではないのです。

 

 半数以上の人々がワクチン接種に対して消極的であるとしますと、マスメディアが報じている’皆がワクチン接種を待ち望んでいる’とする光景は、作為的に造られた’虚像’ということになりましょう。国民世論が正しく伝えられるのであれば、インタヴューを受けた一般の人や出演者の半数が、否定的な見解を述べるはずなのですから。となりますと、メディア側は、番組編集権を濫用して、ワクチン接種に向けて世論を導くべく、同調圧力を醸し出すために敢えてワクチン接種に反対している人々をカットしている、あるいは、予め排除してしまっているのかもしれません。

 

 ワクチンの接種は強制ではなく、接種の判断は、個々人の自由意思に委ねられております。当然に、ワクチンを打たないとする選択もあり、しかも、全体からしても決して少数派でもないのです。一方に偏った報道は、政府、あるいは、政府の意向を忖度したメディアによる露骨な情報操作と見なされましても致し方がありません。況してや、ワクチンを接種しないという選択をした人々が、差別されたり、迫害されたりすることはあってはならないこととなりましょう。否、ワクチン非接種派が多数であれば、両者の立場が逆転し、ワクチン接種派の人々も、他者に対して危険行為を勧めたとしとして、逆に批判される事態も想定せざるを得なくなります(後に、短期的な副反応や中長期的な有害事象とワクチンとの因果関係が証明された場合、その罪は重いということにもなる…)。相互に個々人の自由な判断を尊重する態度こそ、世論が二分されるような場面では相応しいということになりましょう。

 

 幸いにして、大手メディアとは違い、ネット上では’ワクチンは打たない表明’は自由にできます。私も、本ブログの記事にて、ワクチンは接種しない旨を本名で記しております(逃げも隠れも致しません…)。実際に、医科学的な見地からも、ワクチンの安全性が未だに証明されておらず(例えば、血栓症については、その原因が抗体そのものにあるならば、アストラゼネカ社以外の他のワクチンでも起こり得る…)、ワクチン非接種派からの警戒論や反対意見があって然るべきであり、言論の自由が失われた社会とは、国民が黙ってワクチン接種に並ばされる全体主義国家と変わりはありません。想定される、あるいは、あり得るリスクについて人々が自由に語り、堂々と議論し、かつ、自由な立場から検証することができ、その自由さと開放性によって事前に災いを防ぎ得ることこそ、全体主義国家に遥かに優る自由主義国家の善き面なのではないでしょうか。

 

*皆様方へのお願い

 明日より、暫くの間、コメント欄を閉じたく存じます。数年にわたり、ほとんど連日、Unknown氏より執拗なコメント攻撃を受けており、その内容から他者に対する言葉の暴力や嫌がらせを快楽とする常習性が同氏にはあるのではないか、と疑っております(自らの不満やコンプレックスを他者への攻撃で解消しようとしているのかもれない…)。スパムとして通告してもブロックできず、解決策を見つけあぐねておりました。どうにも遮断できる良い方法が見つからず、コメント欄を閉鎖するに至った次第でございます(他に何か方法があるのでしょうか…)。本ブログのコメント欄の閉鎖が、Unknown氏が、本ブログへのストーカー的な粘着と執拗な嫌がらせを行う機会を断つと共に、Unknown氏が、自らを省み、他者の価値観や人格を認め、苛めを受ける側の心の痛みに思い至る心を育てる機会ともなることを願っております。つきましては、一方的なコメント欄の閉鎖を、どうぞお許しくださいますよう、伏してお願い申し上げます。

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国民に迫り来る’’決断の日-複雑な遺伝子ワクチンのリスク比較問題

2021年03月15日 11時51分03秒 | 社会

 今般、新型コロナウイルス感染症対策として接種されておりますワクチンは、従来のタイプとは異なる遺伝子ワクチンです。画期的先端技術の実用化とはいえ、未だに発展の途上にある遺伝子工学が用いられているため、その潜在的なリスクも未知数です。国民の多くがワクチン接種に二の足を踏む要因ともなっているのですが、政府が積極的に進める’ワクチン・プロジェクト’によって、国民の一人一人に’決断の日’が近づいています。

 

 ’ワクチンを接種すべきか、せざるべきか’という問題は、かのハムレットの台詞よりも難しい選択かもしれません。何故ならば、現時点にあっては、結果の予測が殆ど不可能であるからです。仮に、結果を予め正確に知っている人がいるとすれば、それは、ワクチン接種の隠された’真の目的’を知っている(人口削減や人類監視・支配体制の確立かもしれない…)、あるいは、ワクチンの全成分やそれらの体内における作用(短期・中長期的副反応)について熟知している、極わずかな人なのでしょう(後者については、皆無かもしれない…)。大多数の人々は、選択の結果を知ることができない状態にあるのです。

 

 結果が分かっている類の選択は、簡単です。選択⇒結果がはっきりしていれば、誰もが悩むことはないのです。しかしながら、今般のワクチン接種の選択は、結果の未定の極めて選択が困難なタイプのものです。しかも、選択に際しては、アレルギー体質といった自らの遺伝子に関わる問題のみならず、コロナ感染リスクや重症化リスクというもう一つの重大なファクターをも考慮しなければなりません。接種の可否の判断には、コロナの感染率、重症化率、そして、死亡率をも含めた複雑なリスクの比較考量を行わなければならないのです。

 

 国民は、極めて難しい選択を迫られているのですが、政府としては、コロナ感染リスクはワクチン接種リスクを上回るとする構図を示すことで、国民をワクチン接種に誘導したいのでしょう。仮に、接種時における短期的な副反応が従来型のワクチンと同程度であれば、国民も、接種の方向へ判断が傾くかもしれません。コロナ感染者数の増加や後遺症等を強調しつつ、長期的なリスクに関する警告や情報を抑え込めば、ワクチン接種へと誘う’世間の空気’を造り出すことができます。

 

 その一方で、ワクチン接種に関して政府がアピールしている(1)コロナ感染には、ワクチンリスクを上回るリスクがあるとする構図は、必ずしも絶対的なものではありません。何故ならば、(2)ワクチンには短期的なリスクを上回る中長期的なリスクがある、並びに、(3)新型コロナウイルスは実際にはそれほど怖くない感染症である、という二つの可能性によって、同構図は脆くも崩壊してしまうかもしれないからです。これら二つの可能性は、決して絵空事ではありません。アストラゼネカ社のベクターワクチンにあって既に血栓リスクが報告されておりますが、ファイザー製のmRNAワクチンをはじめ、他のワクチンにあっても、抗体が原因であれば同様の有害事象も想定されます。また、新型コロナウイルスと同族体の蛋白質を攻撃し、胎盤形成を阻害するといった人類の存続を危うくするリスクも、抗体由来です。また、本ブログでも繰り返し述べているように、長期的なリスクには、数か月や数年後、あるいは、高齢期至った時期における自己免疫不全症の発症やがんの誘発といった致死的な影響もあります。長期的リスクが短期的リスクを遥かに上回る可能性は、医科学的な根拠がないわけではないのです。つまり、長期的には、新型コロナウイルスではなく、ワクチンによって死亡する、あるいは、次世代が誕生しない可能性の方が高くなる事態も想定されるのです。

 

 そして、(3)には、様々なケースが想定されます。人類史において猛威を振るい、感染者の30~60%もの人々の命を奪ったペストでさえ、ワクチンが存在しない時代にあって、適切な感染防止策(感染の媒体となったねずみの駆除)によって終息したように、感染症というものは、一定期間の感染防止策の実施によって終息するものであり、また、体質の違いに因り全ての人が罹患するわけではないそうです。

 

さらに、日本国内で感染者数が増加しているように見えるのは、PCR検査の精度を国際標準より高めに設定しているためとする説もあります(接種後に報告の相次いだアナフィラキシーショックの発症数については、政府は、国際標準に合わせて発症者数を事後的に訂正していますので、PCR検査についても国際標準による検査結果を公表すべきでは…)。最近の抗体検査によれば、東京都でさえ推定感染率は1%を下回っています。実際に、変異によって弱毒化する場合もありましょう。今日では、ペストも抗生物質の投与により治療可能な病気となり、過去にあって人々を恐怖に陥れた疫病もすっかり大人しくなりました。新型コロナウイルスに関しても、効果の高い治療法や治療薬が普及すれば、人々が怖れるべき感染病ではなくなります。つまり、新型コロナウイルスに耐性を有する人々の存在、同ウイルスの感染力や有害性の低下、並びに、治療薬や治療法の確立等により、感染リスクは限りなくゼロに近くなるかもしれないのです。

 

 以上に述べましたことから、国民がワクチン接種を決断するケースは、(1)の感染リスク>ワクチンリスクのケースのみであると言うことができます。一方、(2)感染リスク<ワクチンリスクの場合には、当然にワクチン接種希望者は激減することでしょう。そして、(3)感染リスクの消滅のケースでも、そもそも比較する対象がなくなるのですから、このケースでも、人々の判断はワクチン非接種に傾くことでしょう。選択の結果が分からず、かつ、複雑なリスク比較を行わなければならない状況にありながらも、入手し得る限られた情報からすれば(中には、偽情報もあるかもしれない…)、ワクチンは接種しない方が安全なように思われるのですが、私の判断は、間違っているのでしょうか。

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ワクチンでも血栓はできる?-コロナ後遺症から見る懸念

2021年03月13日 12時03分00秒 | 社会

 全世界で新型コロナウイルス・ワクチンの接種が進められる中、アストラゼネカ製のワクチンには血栓を発症させる疑いが生じています。現状では因果関係が証明されているわけではありませんが、同ワクチンの接種後に血栓症で亡くなるケースも報告されています。このため、イタリアやデンマークなどヨーロッパ諸国では、大事をとって同社製のワクチン接種を中断したのですが、コロナ後遺症に関連する記事を読んでみますと(3月13日付日刊ゲンダイデジタル)、ワクチンでも血栓が生じる可能性も否定できないようにも思えてきます。

 

 新型コロナウイルスに感染すると体内で血栓が生じやすくなることは、内外にあって既に広く知られておりました。通常であれば、体内のウイルスが駆逐されて回復期に入ると同症状も治まるはずなのですが、新型コロナウイルスに関しては、PCR検査が陰性となって退院した後でも、倦怠感、頭痛、食欲不振、めまい、動悸、息切れ、脱毛といった様々な後遺症の報告が後を絶たないのです。となりますと、ウイルスそのものではなく、別の原因が想定されるのですが、その原因の一つとして、抗体による血栓の誘発があり得るというのです。

 

 抗体犯人説とは、新型コロナウイルスのスパイク蛋白質の抗原は、自己抗体を造ってしまい、自らの血管を攻撃するというもののようです。同抗体が、中和抗体と同一のものなのか、それとも、二種類、あるいは、複数の種類の抗体を産生してしまうのかは分からないのですが、自らが自らを’異物’と見なすのですから、自己免疫疾患に近い症状なのかもしれません。そして、仮に、スパイク蛋白質の抗原が身体に対してこうした作用を及ぼすとしますと、遺伝子ワクチンによって人工的に産生された抗体にも同様の作用があってもおかしくはありません。実際に、アストラゼネカ製のワクチンにその疑いが持たれたわけですが、ウィルスベクターワクチンであれ、mRNAワクチンであれ、体内に投与されたスパイク蛋白質のmRNAから抗原が作られ、それに反応して抗体が産生されるメカニズムは同じですので、ファイザー製のワクチンでも起こり得ることとなりましょう(くも膜下出血とされる死亡例も血栓が関与しているかもしれない…)。

 

 そして、さらに懸念されるのは、同記事にあって「習慣流産などの妊娠合併症を起こす『抗リン脂質抗体症候群』のような状態を招いているケースも考えられる」とする指摘がある点です。ここで思い出されますのが、ウイルス由来のシンシチン遺伝子です。同遺伝子は胎盤形成に不可欠であり、免疫抑制機能を担っています。ここで再び、ファイザーの元副社長の「「ヒトなど哺乳動物の胎盤を形成するのに必須なタンパク質が含まれており、ワクチンによって免疫反応を引き起こす可能性がある」とする警告が自ずと蘇ってくるのです。

 

 果たして、遺伝子ワクチンは、本当に安全なのでしょうか。国際標準では7名とされるアナフィラキシーの事例も圧倒的に女性が多いそうですが(もっとも、抗体の産生には時間がかかるので、即時的な副反応は、過去の感染に起因する抗体依存性免疫増強等の可能性はあるものの、ワクチン由来の抗体が原因とは考えられない…)、仮に、抗体犯人説が正しければ、血栓については性差とは関係なく全ての接種者に起こり得ることとなりましょう。

 

ヨーロッパ諸国では、’予防的措置’としてワクチン接種を中止しております。日本国政府も、’オリンピック・ファースト’ではなく安全性の確認を優先すべきですし、国際社会にあっても途上国へのワクチン支援を急ぐよりも、時間がかかってもワクチン接種のリスクを医科学的に検証すべきなのではないかと思うのです(対策は治療や感染予防にシフト…)。抗体、とりわけスパイク蛋白質を抗原とする抗体自身に有害性がある場合には、如何なるワクチンも人類を滅ぼしかねない’毒’となるのですから。

 


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「ウマ娘」最大の問題点は’奴隷ゲーム’では?

2021年03月10日 11時26分02秒 | 社会

 最近、「ウマ娘プリティーダービー」というネットゲームが流行っているそうです。競走馬を少女に擬人化し、プレーヤーが調教師となって育てるという育成ゲームです。同ゲームは、かわいらしい少女たちが競馬場で一等を競って疾走しているイラストがネット上でも宣伝されていましたので、多くの方々が目にされたのではないかと思います。人気ゲームとなったようなのですが、このゲーム、海外から’日本の男性は気持ち悪い’とする批判が寄せられたのを機に、国内のフェミニストからも女性蔑視として糾弾され、炎上する事態となったそうなのです。

 

 折も折、3月8日は世界女性デーでしたので、とりわけ、女性蔑視の側面が強調されたのでしょう。確かに、プレーヤーの大半は男性と推測されますので、男性が少女たちを飼育したり、調教する姿は、女性の立場からしますと少女監禁事件などが思い起こされ、自ずと嫌悪感や恐怖感を覚えるのも頷けます。海外からの’気持ち悪い’、あるいは、’悪趣味’という批判も、’男性にペットのように飼われている女性’というイメージが同ゲームから浮かんでくるからなのでしょう。

 

 もっとも、「ウマ娘」の核心的な問題点は女性蔑視や女性差別にあるのかと申しますと、そうではないように思えます。漠然とした嫌悪感がどこから来るのか、より深く考えてみますと、それは、性差というよりも、人と人との関係性にあるのかもしれません(実際に、少女ではなく、青年がウマとして描かれているアニメもあるらしい…)。アニメという非現実的な世界とはいえ、競走馬を少女化してしまいますと、プレーヤーと少女との関係は’人と人との関係’になります。仮に、現実世界にあってプレーヤーが少女たちを所有、あるいは、思い通りに管理し、ダービーでの勝利を目指して調教・飼育するとなりますと、少女たちには、’人格’というものが認められていないこととなるからです。つまり、主人と奴隷の関係になってしまうのです。

 

 この視点から見ますと、’ウマ娘’たちは、古代ローマの奴隷剣闘士、即ち、剣奴に最も近い存在であるのもしれません。剣奴たちの多くは戦時において捕らえられた敵軍の捕虜であり、自らの意思や人格を持たない奴隷として扱われました。そして、コロッセウムに集まったローマ市民を前に、命がけの決闘を強いられていたのです。つまり、剣奴たちは、娯楽のための’消耗品’に過ぎなかったのです。古代の剣奴たちも、人々を熱狂させる闘いを演じさせるために、トレーナーによって、屈強な剣闘士に育つよう激しい訓練に毎日耐えさせられていたことでしょう。一方、「ウマ娘」たちも、ダービーという娯楽のために生かされている存在であり、レースに勝つためのトレーニングや能力アップが課されています。そして、仮に、プレーヤーの狙った通りに勝負に勝てなかった場合には、キーボードのワンタッチで無慈悲にもデリートされてしまうかもしれないのです。

 

 現実の歴史では、古代ローマの剣奴たちは脱走を図り、ローマ史上最大の奴隷反乱、即ち、スパルタクスの乱を起こします。同反乱はローマ軍によって鎮圧されますが、国家を揺るがす程の大反乱に発展したのも、自由を求める剣奴たちの魂の叫びへの共感が一般の人々にも広がったからなのでしょう。そして、人類は、やがて人と人との関係の対等性を求めてゆき、人が他者の人格や権利、そして、自由を一方的に否定し、‘物’として所有する奴隷という存在は、人道や倫理に反するとして歴史から消えてゆくこととなるのです(もっとも、現代にあっても非合法的な存在として奴隷が散見される…)。

 

 「ウマ娘」はバーチャルな世界にありますので、スパルタクスの乱とは真逆に、少女たちは、ダービーで勝利するとダンスを披露してプレーヤーにサービスするそうです。’ウマ娘たち’は、この世離れした従順さの持ち主なのです。しかしながら、「ウマ娘」の世界をそのまま現実の世界に持ち込み、主人と従順な奴隷の思考回路で少女たち、否、他者に接するとしますと、予想外の反応に戸惑うこととなりましょう(今日、現実とバーチャルな世界との境界線が曖昧になっている…)。これまで経験したこともない、’大反乱’に直面するかもしれないのですから。なお、ゲームの最後に、「ウマ娘」からの反抗や反乱、あるいは、プレーヤーからの逃亡シナリオを加えますと、僅かなりとも現実に近づくかもしれません…。

 

現代が奴隷制を克服した時代であるとしますと、「ウマ娘」というゲームは、プレーヤーにとりましてはおもしろくとも、バーチャルな世界であれ、奴隷容認思想を復活させかねないリスクがあると同時に、人と人との関係性において重大な問題を含んでいるように思えます。善き人と人との関係、そして、善き社会の基盤が人格の対等性、並びに、他者の権利や自由の尊重にあるとしますと、「ウマ娘」型の’奴隷ゲーム’は、やがて善き社会の一員となるべき青少年の心の成長においてやはり有害なのではないかと思うのです。そして、「ウマ娘」批判に反発しているプレーヤーの人々にこそ、性差を超えた同問題に気が付いていただきたいと願うのです(自らも他者から’奴隷’扱いされるかもしれない…)。


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ワクチン・プロジェクトが危険なもう一つの理由-ヒトとウイルスとの関係

2021年03月09日 11時51分53秒 | 社会

 今般、日本国政府が海外から調達した新型コロナウイルス・ワクチンについては、それが人類史上、初めて人に用いられた遺伝子ワクチンであることから、接種直後の副反応のみならず、中長期的なリスク懸念されております。本ブログでも、再三にわたってリスクを述べてきたのですが、本日の記事では、人類とウイルスとの関係からワクチンの危険性についてお知らせしたいと思います。

 

 最近、ヒトとウイルスとの関係について、生物の進化のプロセスを考える上で興味深い事実が分かってきているそうです。全ヒト・ゲノムを解析した結果、何と、人類のDNAの塩基配列の内、その半分ほどがウイルス由来というのです。これらのウイルス由来の遺伝子は、増殖することも本来の機能を発揮することもなく、ヒトのDNAの中に大人しく入り込んでしまっています(「プロウイルス」と呼ばれている…)。つまり、ウイルスは、生物の進化過程にあって重要な役割を果たしてきたことを示すと共に、DNAとは、案外、外来の遺伝子によって変化しやすいことをも物語っているのです(逆転写やトランスポゾン等の働き…)。

 

その代表例としてしばしば挙げられるのが、哺乳類、とりわけ有胎盤類に共通するシンシチン遺伝子です。同遺伝子は、胎盤の形成に不可欠であり、この遺伝子が欠落しますと、母体は胎児を’異物’と見なして免疫反応を起こしてしまいます。遠い過去にあって、哺乳類のご先祖は、自らのDNAに’シンシチンウイルス’の遺伝子を取り込むことで免疫抑制機能を獲得し、安全な体内で子を育むことに成功したのです。

 

ところでこのシンシチン遺伝子、かつて独立したレトロウイルスであった時、エンベロープ(ウイルスの遺伝子を包むカプセル)を構成する遺伝子であったそうです。最初に同情報に接したのはコロナ禍以前でしたので、その時は、特に気にも留めなかったのですが、今般のワクチン騒動にあってウイルスについて確認しているうちに点と点が繋がって線となり、ファイザー社の副社長の方の「ヒトなど哺乳動物の胎盤を形成するのに必須なタンパク質が含まれており、ワクチンによって免疫反応を引き起こす可能性がある」とする警告の意味が朧気ながら分かってきたのです。

 

今般の新型コロナウイルス・ワクチンにあって投与されるmRNAは、エンベロープ表面のスパイク部分です。しかも、同スパイク蛋白質は、シンシチン遺伝子が産生する蛋白質と同族体というのです。同mRNAから翻訳されたスパイク部分のペプチドが抗原となって体内で抗体が産生されると共に、ナイーブT細胞も活性化され、様々なサイトカイン等の分泌により免疫細胞の攻撃力がアップします。つまり、シンシチン遺伝子とワクチンのmRNAとの塩基配列の共通性によって、新型コロナウイルスを攻撃するはずの抗体や活性化されたキラーT細胞等は、胎盤の細胞をも攻撃しかねないこととなりましょう。

 

ワクチンによって産生された抗体は、半年から1年といった比較的短期間に消滅するとされているものの(現状では、抗体保持者は東京都でも1%以下なので、ワクチンを接種すれば、抗体リスクは全接種者に爆発的に拡大する…)、それでもメモリーT細胞に記憶が残るとしますと、キラーT細胞やその他の自然免疫系の免疫細胞によるシンシチン蛋白質への反応は続くかもしれません(この側面は、ワクチンの持続的効果としての説明でもある…)。今般のワクチンには、人口削減を目的としているとする陰謀説が広く流布されていますが、この説の医科学的な根拠は、ウイルス由来のシンシチン遺伝子にあるのかもしれないのです(本ブログでは、投与されたmRNAのテロメラーゼによる幹細胞、生殖細胞、並びに、癌細胞への逆転写のリスクを指摘しましたが…)。

 

そして、中長期的な潜在的なリスクは、ヒトのDNAの塩基配列の凡そ50%がウイルス由来である事実を考慮しますと、格段に上昇します。何故ならば、シンシチン遺伝子の他にも、投与されたmRNA、あるいは、添加物の成分と共通の反応性を有するウイルス由来の遺伝子がヒトの体内に存在し、重要な機能を果たしているかもしれないからです。しかも、変異株の増加に従って、今後、人類が’ワクチン漬け’になるとしますと、体内の未知のウイルス由来の遺伝子が巻き添えとなり、新たな病気が出現する可能性も高まりましょう(プリオン体という未知の蛋白質の脳内における蓄積を原因とする狂牛病の発生メカニズムとの共通性を疑う指摘も…)。

 

何れにしましても、ゲノムのみならず、エピゲノムについても人体の全てが解明されているわけではなく、ヒトの全ゲノムの解析が終了したのも2003年に過ぎません。ウイルス由来の遺伝子につきましてもまだまだ未解明の部分が多いのですから、潜在的なリスクこそ重く見るべきなのではないでしょうか。本記事で述べたウイルス由来のリスクのみならず、遺伝子ワクチンには様々なリスクが指摘されています。国民の命や健康を護るためにこそ、ワクチン接種は急ぐべきはなく、既に接種に同意した医療従事者や高齢者の方々には、再考、並びに、何らの圧力なき最終的な意思確認の機会を設けるべきではないかと思うのです。

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世論調査は現実とは逆?

2021年03月08日 11時15分51秒 | 社会

 アメリカの大統領選挙は、マスメディアの中立性、並びに、事実に対する誠実性に疑問を投げかけることとなりました。前々回の大統領選挙では、ヒラリー候補優勢とするメディアの予測に反してトランプ候補が当選しましたし(報道内容と現実が一致しない…)、今般の選挙では、メディアを’共犯者’とする不正選挙問題が持ち上がることとなりました(不正行為で現実を報道内容に一致させる…)。かくして、かつてのようにマスメディアの報道を誰もが信じなくなってきたのですが、世論調査の結果につきましても、要注意なように思えます。

 

 これまでのメディア、あるいは、ジャーナリズムの立ち位置とは、’社会悪を暴く正義’の味方であり、’社会の木鐸’とも称されてきました。一般民衆の側に立って悪しき権力や権威に対峙する頼もしい存在であり、それ故に、多くの人々は、マスメディアの報じる情報を事実として信じてきたと言えましょう。しかしながら、今日、メディアと人々の信頼関係は、根底から崩れつつあるように思えます(日本国内では、朝日新聞社による慰安婦報道が問題視されるあたりからマスメディアの信頼性が著しく低下…)。上述したように、SNSを含めたマスメディアが人々を’騙す’ことを、自らの行動によって立証してしまったからです。しかも、悪しき権力や権威と闘うという姿勢もポーズに過ぎず、その真の姿は、特定組織、即ち、超国家権力体が操る情報統制・世論誘導機関であるとする疑いは濃くなる一方なのです。自らの’味方’と信じてきたメディアが、その実、’敵’であったわけですから、人々の認識の180度の転換は、両者の関係に修復不可能なほどの亀裂を生み出してしまったとも言えましょう。

 

メディアとその受け手との間の信頼関係が崩れつつも、なおもメディアは様々な情報を毎日発信し続けています。自らが超国家権力体のフロントであることを白状するはずもありませんし、世論誘導の思惑も認めようとはしないことでしょう。ここに、あくまでも誠実な情報発信者として振舞うメディアと、その正体を見抜いて疑う国民、という緊張関係が両者の間に生じるに至るのです。それでは、オーウェルの『1984年』をも彷彿される状態にあって、メディアが従来通りの方針で世論誘導を行おうとしますと、どのような現象が起きるのでしょうか。

 

 推測されるのは、情報の受け手の側が発信者の意図を読み取り、報道内容の逆を事実として推定する’逆解釈現象’です。例えば、先日、ワクチン接種に関して’直ぐに接種を受けたい’とする回答数が増加したとする報道がありました。今般のワクチンは、遺伝子ワクチンであるとする情報は、国民の間で広く拡散していますし、科学的な事実に基づく懸念を打ち消すほどの情報も今のところはありません(中長期的な副反応に関するエビデンスは存在するはずもない…)。常識的に考えれば、ワクチンに不安を抱く人の数の方が増加するはずです。ところが、世論調査の結果は逆なのです。この不可思議な現象の謎も、マスメディアの目的が世論誘導であると理解すれば氷解します。現実にあって接種希望者が少ないからこそ、’増加傾向’を演出し、同調圧力をかけようとしていると推理されるからです。また、菅内閣の支持率が上昇したとする世論調査の結果も、現実はその逆であるからこその’肩入れ’なのかもしれないのです(内閣支持率が低下する要因はあっても、積極的に支持率が上昇する要因は見当たらない…)。

 

 政府やメディアが発信する情報に対して、常に国民がその逆を推測し、裏を読もうとする状態が健全な社会であるとは思えません。同問題には、メディアには外部チェックが働かないというシステムとしての欠陥が潜んでいますので、まずは、マスメディアの発信する情報を外部からチェックする制御の仕組みが必要となりましょう(権力分立によるチェックアンドバランスの仕組み…)。メディア側が内部や身内で設けたファクトチェックは役に立たないどころか、’悪しき権力と権威’をバックにフェイクをファクト化するという意味では有害でさえあるのです。情報化時代であればこそ、事実に基づく情報発信が常態となる健全な社会の実現は、どこか怪しげな地球環境問題にもまして重要な人類の共通課題ではないかと思うのです。

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