秘境という名の山村から(東祖谷)

にちにちこれこうにち 秘境奥祖谷(東祖谷山)

天女花(OOYAMARENGE)  SANE著

2007年05月30日 | Weblog
第十一章
回想満月
暫く、健二からの連絡が途切れた。江美が、マスターに尋ねる。
「私、健二さんとやっぱり友達なのかなあー私の片思いなんだね」「僕も健ちゃん、よく解らないよ。本音を言わないから、誰にでも適当に合わすからね」「私、勝手に片思い続けるから。片思い二周年記念やってよね」
「江美ちゃんも、逞しくなったね。最初はオドオドしてたのにねえ。でも健ちゃん、ずーと瑠美ちゃんの独占かな。暫く来ないねえ」「今日は、中秋の満月だから、楽しみにしてたのに。曇りだよー」江美がいつもの癖で割り箸をいじっていると、突然格子戸が開いた「江美、元気してたか」振り向けば、屈託のない涼しい目が、立っていた。健二は話す前に、一度少し首を傾げ、小さく頷いてから目を見て話す。そんなしぐさが、江美は好きだった。
「元気じゃないよ。私誰かさんみたいに、背は高くないし、うす化粧だし、トラウマのミックスジュースになってるよ」マスターが、そっと暖簾を片付けている。
「江美、満月観に行こう」健二が軽く江美の腕をとる。
「満月って、今日曇りだよ」
「いいから、ついてきなよ」
「瑠美さんと行ったら」「瑠美が、あんな場所行く筈ないの。江美と行きたいの」
健二は、マスターに手で合図して、膨れっ面の江美を連れ出した。「乗れよ」
「これ、車会社のライトバンじゃあない。」「うん、親方に借りてきたんだよ。」
車の中は、機械臭がした。足もとに敷かれた新聞紙が、足に縺れる車は、大通りをぬけて、裏道を通り、街の雑踏から離れていく。健二が、エンジンを止める。「ねえ、この先に確かホームレスのテント小屋なかった。前の会社にいた時、道間違って来たことがあるよ。こわいよ。帰ろうよ」江美が足が止まる。「大丈夫だよ。車とめてから、少し歩くよ」小さな外灯が、ところどころに、設置されている。江美が、つまずいた。健二はふりかえり、すぐに江美に左手を差し出した。不意に背後から、鈍い上擦った男の、声がした。江美は健二の手を強くにぎった。「お二人さん、お金貸してくんない」暗がりでも輪郭が僅かにわかる。中年の男。男が、健二の肩を掴む。健二は、前を向いたまま、声をだして笑った。
「ゲンさん、相変わらず頑張ってるねー」
「その声、けん坊かー参ったなあ。デートかワルイワルイ、邪魔したなー」男は、髪を掻きむしりながら、暗闇の中に消えた。
「健二さんの知り合い、いったいどこで繋がってるの。」
江美は、ますます健二が、わからなかった。「江美、こっちこっち、ここに座れよ」健二は真っ暗な公園の、少し下がった場所のコンクリートでできた、丸いトンネルの中に背をもたれた。江美は、健二の隣に言われるように、背をもたせた。「そのまま、空のほう見てごらん」健二が江美に指さす方向に、外灯がひとつ立っていた。「江美、ジーとみてごらん。オレンジの月。満月だよ。輪郭もぼやけて光りを放っているだろう。江美を、ここに連れて来たかったんだ。ずーと前から」
健二は、辛子色のジャンパーを、脱いでそっと江美の肩に掛けた。「この場所に来たら、何の音も、しないだろう。あの翌桧の木を山の稜線に想像すると、徳島の山の中に帰れたみたいで、嬉しくなるんだ。真っ暗な山に、手の届きそうな満月。風の匂い。いつか江美に見せてあげるから」健二は、左手を江美の肩にかけた。ジャンパーの微かな煙草の匂いの中で、江美は初めて健二の腕の中、くちびるを重ねた。時刻は、今日から明日に。二人だけの満月が、いつまでも淡い光りを放っていた。

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