山頭火終焉の地に冬日和
湯の町に下駄の音さゆる冬の朝
朝方は冷え込んだが、快晴の冬日和であった、何時ものように四国の道の瀬戸風峠を越して
道後温泉に下りるコースを散歩する。
峠付近の紅葉もこのところの冷え込みで色を増して冬晴れに映えて美しく輝いているなかを
爽快な気分で峠を越して下り、足の調子もまあまあなのでそのまま西に1kほど足を伸ばして
山頭火終焉の一草庵まで散歩する、自由律の俳句と放浪、托鉢、酒に溺れた山頭火。
一草庵に座して、お茶を頂きながら案内の方と山頭火について話をして盛り上がること一時間あまり
最後は黙して山頭火の生き様に想いを巡らして辞する。
数奇な運命に弄ばれ、放浪と托鉢と酒に溺れる長い年月の末に、松山で終の棲家となる
「一草庵」を見て「落ち着いて死ねそうだ」と喜んだという。
酒豪ぶりは本人曰く泥酔への過程は「まず、ほろほろ、それから、ふらふら、そして
ぐでぐで、ごろごろ、ぼろぼろ、どろどろ」の状態であったそうである
酒と俳句については「肉体に酒、心に句、酒は肉体の句で、句は心の酒だ」と語っている。
最晩年の日記に「無駄に無駄を重ねたような一生だった、それに酒をたえず注いで
そこから生まれたような一生だった」と書いた
「前書きなしの句というものはないともいえる、其の前書きとは作者の生活である
生活という前書きのない俳句はありえない」生活を前書きにした句も自由奔放である。
日記に「所詮は自分を知ることである。私は私の愚を守ろう」
冬紅葉の儚い一瞬 瀬戸風峠ー山頭火庵ー神社ー石手寺
種田山頭火終の住み家 一草庵 改築の姿
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