暫く座っていると、部屋の異臭も暗さも気にならなくなった。
しげ爺さんの手の届く場所には、トイレットペーパーと孫の手とテレビのリモコンが置いてある。
こたつの上の雑巾だか布巾だか判らないもので、天板に溢れた焼酎の滴を拭いていた。
「あれはのう、昭和52年の師走だった。わしの初孫の産まれた年じゃけん、よう覚えとる
在所の忘年会の時に志代さんも公民館にテヤイに来とっての、終い際にわしらに言うたんじゃ
ちょっと留守にするけど、心配せんといてよって、そしたらそのまま、ずっと帰らんかった」
僕達はおでんを食べかけて、一旦箸を置いた。
しげ爺さんは、垂れてくる鼻水を、ちぎったトイレットペーパーで時々拭きながら、話を続けた。
「あんたのお母さんは、どこへも嫁がんと、ずっと親の面倒みながら、縫製工場へ仕事いきもって
朝も畑仕事手伝うて、在所の集まりごとにも、全部顔だして、そりゃあ若いのにちゃんとしとったぞ」
母の話なのだ。35年間息子の僕でさえ、何一つ聞いたことのない、母の生い立ちなのだ。
「志代さんの親は一年の間に、二人共死んでのう、あんたの祖父さん祖母さんじゃ
祖父さんは雇われた山仕事しよって、仲間しが切った木が跳ねて胸打って死んで
祖父さんの四十九日終わった晩に、祖母さんが患いよった心臓病でぽっくり逝って
あの時は在所の衆らは、志代さんの顔を気の毒で見れんかった…」
僕も西の宮さんも、黙って聞いていた。
美香さんが、ポツリと呟いた。
「お母さんには、気の毒だけど、御夫婦は幸せだったかもね」
美香さんは、おでんの豆腐を一口食べた。
しげ爺さんは、焼酎のパックが空になった事を確かめる様に湯飲みの上で振り
すぐに這うような格好で襖の戸を孫の手で開けて、新しい焼酎を、取り出していた。
「大昔の祖谷はのぉ、近親結婚言うて、親戚内で嫁さんもらわな、しもに住むしらとは、縁なかったんぞ
峠越えな、どこへも行けんかった、わしの親はいとこ同士で結婚して、夫婦とかそんがな綺麗な話じゃない
生きていかないかん、畑を潰したら生きていけん、荒神さん地神さん祀って、山の神さんに手合わせて
ひんがらひんじゅう、鍬打って、鎌振って、今の若いしらには、なんちゃあ解らんっ」
少し酔ったのか、しげ爺さんは饒舌になったが、どこか異国の言葉を聞いているみたいで、僕も宮さんもおでんを食べ始めた。
「後で通訳するわね」と、美香さんが、微笑った。
「森田の家には春になったら行けよ、冬はアブナイぞ、素人が知らん雪道あるいたら、まくれるぞ
悪いことは言わん、出直してこいっ、春のお彼岸時期にもんてきたらええ…」
宮さんも美香さんも、僕を見て、頷いた。
僕もはいっと返事をして、頷いた。僕は未々、目的を果たしていない。
しげ爺さんは、何かの拍子をとるみたいに、割り箸の先を湯飲みにコンコンと当てながら、静かに唄いだした。
無臭な風が、日めくりの暦をゆっくり撫でた。
何かの鳥が鳴いている。
過去と現在の時間の空間に魂の温度が存在するのなら、僕はなんて温かな静寂に包まれているんだろう。
「母さん」と呟きながら、ずっとしげ爺さんのしゃがれた声を聞いていた。
エイエ~ エイエ~~エエ~エイコノいかに
エイコノお庭に 榎をうえて
えの実なるかと ながめていたりゃ~
えの実ゃならずに 金がなる ショウガエ~
エイエ~ エイエ~エエ~エエ~
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