秘境という名の山村から(東祖谷)

にちにちこれこうにち 秘境奥祖谷(東祖谷山)

菜菜子の気ままにエッセイ(遅ればせながら・謹賀新年)

2021年01月10日 | Weblog
前略・遅ればせながらの謹賀新年。
読者の皆様。変わりなくお歳を重ねましたでしょうか。
久しぶりの寒波でございます。

一晩不在にして自宅に帰ると、そこはマイナス7度の世界。
とりあえず、玄関のサッシが凍っておりました。
結露がそのまま凍り、サッシを覆っておりました。

台所に予備で貯めておいたボールには、氷が張っておりました。
掛けてあったフキンも凍っておりました。
少しずつ蛇口から出しておいたお湯と水は、お湯の管が凍り、水はでておりました。

家の中に入って、電気を点けるよりも一番最初にすることが、蛇口に手をかざして、
水が出ているか、確認することでございます。水の感触を指先で確かめた時の歓喜。
得をした気分になり、思わずヤッターと心で雄叫びを叫ぶ。

そして、電気を点けて凍ったボールの中に人差し指をいれて、小さな穴を開けて、
再び手を全部入れて、残りの氷を割って五感が爆発!!
なんだ、この感覚!久しぶりの感覚!

そうだ。そうだったんだ。昔の冬はいつもこんな感じだったんだ。
膝を超える雪が毎日、毎日降り続いて、地面なんて三ヶ月くらい見えなくて、水道のホースを、
一日かけて溶かした場所から新たに引き直したり、近所の家から水をバケツとか鍋に貰ってきたり、
四苦八苦しながら冬を乗り切っていたんだ。

冬を乗り切ることしか、頭には無いから、無駄なことを考える暇もなく、水で米を洗い、
水で野菜を洗い、タライで洗濯をして、洗えただけで有り難くて、嬉しかった。
不便でも頑張れた。厳しい極寒の毎日を乗り越えた先に必ず
『春』 が待っていたから。
だから、耐えることが出来た。

そして、暮らしは豊かになり、便利になり、快適になり、
当たり前の便利さの中で、五感は衰え、平和ボケになり、すっかり忘れかけていた人間の本来の姿。
過激な進化に晒されながら、剥がされるみたいに失っていく本来の姿。

祖谷の人は誰も、生きていく為の知恵も才覚も持ち合わせている。
先手先手で、仕事の段取りをしていると、山の人が沢山買いだめをするのが好きだから、
それと同じだと言った人がいて、不快な思いをする時もあるけど、心の中で呟く。
「あなたより、生きる知恵は持っております!あっかんべぇー」

スマホの画面を見ながら、
「今から予報では雨雲が出るから、少し待ちましょう」
と誰かが言う。
「降らないよ。この空では」
と私が言う。

もう、本当に、みんな、何を見ているの?何に操られているの?
合わせるのが、面倒くさい。 
が、生きる為に働く。が、その場合の『春』に値するものは、何なのか。
契約職員の身分では見当が付かない。
人生の春って、どこなのか。何故、何の為に頑張らなければ成らないのか、さっぱり判らない。
 
パリッ、パリッと雪の下の氷の割れる音を聴きながら、近所の滝を映しに向かう。
少し吹雪いてくるけど、生まれたばかりの空気と風が全身を包んでくれる。
爽快感に100%包まれる。
本脳がキシッキシッと、再生するみたいだ。

生きている。
生きる意味の答えを探す為に、
生きるいる。

青空が見えてきた。
欅の枝に積もっていた雪の欠片が、風に飛ばされながら、暫し空を舞う。雪の綿帽子みたいだ。
ヤマガラと、シジュウガラもすっかり仲良く慣れて、縄張り争いも無くなった。
新たな一年が、じわじわと始まった。
今年もシンプルに生きていこうと思う。
出来る限り、優しく有りたいと思うけど、時々悪魔に取り憑かれる。
そんな時は、とびきりの祖谷弁で、悪魔を追い払う。
『どつぼれよ、おまえや知らんわ、どこぞ、いけやー』

やっぱり、祖谷は素敵な場所です。

         草草





























コメント
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