あれは4月の終わり頃。
自粛真っ只中の、休業中のそ○道場の前で、一台の観光客の車が、停まっていた。
暫くして、諦めて発進する。
そんな光景を、数回見た。
それを見る度に、気の毒になった。時刻はお昼過ぎ。
奥祖谷に向けて、発進していたが、その先にもあの時には、食事の出来る場所はなかった。
あれは25年以上も前の話。(※以前に書いた話なら?ゴメンなさいね)
単車に乗ったある老人が、バイクに乗った若者二人に、道を聞かれた。
「すみません、ずっと食堂を探しているんですが、どこに行ったら、ありますか?」
老人は、日曜日だからどこも営業していないことを伝えた。当時は食事の出来る場所も少なかった。
若者二人は、辛そうな顔になり、それを見た老人は気の毒になり、言った。
「なんでも良かったら、ワシの後ろに付いてきない!ワシの家で、有るものを食べたらええわー」
老人はそう言うと、若者のオートバイの前を50C Cのカブで、先頭に走った。
向かった先は、1キロ先の自宅。
奥さんは、(ただ今ー」と言って帰った旦那さんの後ろに、見知らぬ若者が二人、立っていたからビックリした。
が、旦那さんが
「なんでもええけん、作って食べさせてあげてくれー、このひと達は、腹が減っとんじゃ」
このご主人。超生真面目でお人好しだったが、奥さんもお人好し。そして、社交的。
奥さんは、すぐにお汁を炊いて、玉子を焼いて、昨夜の残り物のおかずを温めた。
当時、その話を奥さんに伺った時に、その若者達の昼ご飯は、生涯で忘れられない思い出の
一食になったのではないかと思った。祖谷の人独特の、お接待人情話である。
だから、休業している店の前で、諦めて発進した観光客を見る度に、少し胸が痛かった。
私は、無駄に料理が、好きであります。
料理を振る舞うのが、好きであります。
これは、父の遺伝子から継がれたものだと思います。
奥さまの焼いた玉子焼きで、ふと思い出しました。
主人のお弁当に毎日、必ず玉子焼きを容れていた時に、主人が言いました。
「玉子焼き食べるのは飽きたけど、焼くのは飽きんのか?」と。
そして、主人は言いました。
「食べてマズかったと言う人はおらんけん、気をつけえよ!」
それを言われてから、かなり気をつけるようになりましたが、万人に悦ばれる料理を作るのは、不可能です。
「みんな、ずっと嫁さんの味に飼い慣らされて、それが一番美味しいって思うんだと思う」
と、ある方が申しておりました。
日本には外食産業が、こんなにも溢れていたんですねー。
お金を頂いて、味を提供する。満足を提供する。
そば米とひらら焼き。
祖谷の豆腐に、コンニャク。
祖谷ソバ。アメゴの塩焼き。
時々、土佐のかつお。
美味しい食材が、近くにある幸福感。
高知のひ○め市場みたいに、オーナーさん達が、一箇所に集まって
「あるもんで、食べんかえ」を改め、
「あるもんで市場」みたいな場所が有れば、ちょっと面白いかも?なんて想像してみる。
美味しいものを食べる為なら、ドライブを兼ねて車で1時間、2時間なんて、苦にはならない時代だ。
高知の従姉妹が、ポツリと言った。
「コロナを忘れた生活がしたい」
少しずつ、戻っていく社会の姿は、
随分様変わりして、ちょっと堅苦しくて、何処に向かって行くのだろうか。
誰もが感じている不安は、誰もが認めたくない、現実の未来。
非日常的な休日。
今年も、草を刈る。
青草は、今年も真っ直ぐに育ち、
地面を覆いつくす。
草と草の隙間で、小さな虫が行き交い、モンシロチョウがヒラリヒラリ、ヒメジョオンの花が、風に舞う。
大きな風が、カヤの葉先を揺らす。
杉木立の中で、鳥の囀りが染みる。
動かない時間。深呼吸。
この瞬間が、やっぱり一番。
大音量の世界の片隅の、点にも成らない地図の小さな小さな場所で、
そっと、静かに、私は 呟く。
「コロナよ たいがいで ええぞ……」
草草
自粛真っ只中の、休業中のそ○道場の前で、一台の観光客の車が、停まっていた。
暫くして、諦めて発進する。
そんな光景を、数回見た。
それを見る度に、気の毒になった。時刻はお昼過ぎ。
奥祖谷に向けて、発進していたが、その先にもあの時には、食事の出来る場所はなかった。
あれは25年以上も前の話。(※以前に書いた話なら?ゴメンなさいね)
単車に乗ったある老人が、バイクに乗った若者二人に、道を聞かれた。
「すみません、ずっと食堂を探しているんですが、どこに行ったら、ありますか?」
老人は、日曜日だからどこも営業していないことを伝えた。当時は食事の出来る場所も少なかった。
若者二人は、辛そうな顔になり、それを見た老人は気の毒になり、言った。
「なんでも良かったら、ワシの後ろに付いてきない!ワシの家で、有るものを食べたらええわー」
老人はそう言うと、若者のオートバイの前を50C Cのカブで、先頭に走った。
向かった先は、1キロ先の自宅。
奥さんは、(ただ今ー」と言って帰った旦那さんの後ろに、見知らぬ若者が二人、立っていたからビックリした。
が、旦那さんが
「なんでもええけん、作って食べさせてあげてくれー、このひと達は、腹が減っとんじゃ」
このご主人。超生真面目でお人好しだったが、奥さんもお人好し。そして、社交的。
奥さんは、すぐにお汁を炊いて、玉子を焼いて、昨夜の残り物のおかずを温めた。
当時、その話を奥さんに伺った時に、その若者達の昼ご飯は、生涯で忘れられない思い出の
一食になったのではないかと思った。祖谷の人独特の、お接待人情話である。
だから、休業している店の前で、諦めて発進した観光客を見る度に、少し胸が痛かった。
私は、無駄に料理が、好きであります。
料理を振る舞うのが、好きであります。
これは、父の遺伝子から継がれたものだと思います。
奥さまの焼いた玉子焼きで、ふと思い出しました。
主人のお弁当に毎日、必ず玉子焼きを容れていた時に、主人が言いました。
「玉子焼き食べるのは飽きたけど、焼くのは飽きんのか?」と。
そして、主人は言いました。
「食べてマズかったと言う人はおらんけん、気をつけえよ!」
それを言われてから、かなり気をつけるようになりましたが、万人に悦ばれる料理を作るのは、不可能です。
「みんな、ずっと嫁さんの味に飼い慣らされて、それが一番美味しいって思うんだと思う」
と、ある方が申しておりました。
日本には外食産業が、こんなにも溢れていたんですねー。
お金を頂いて、味を提供する。満足を提供する。
そば米とひらら焼き。
祖谷の豆腐に、コンニャク。
祖谷ソバ。アメゴの塩焼き。
時々、土佐のかつお。
美味しい食材が、近くにある幸福感。
高知のひ○め市場みたいに、オーナーさん達が、一箇所に集まって
「あるもんで、食べんかえ」を改め、
「あるもんで市場」みたいな場所が有れば、ちょっと面白いかも?なんて想像してみる。
美味しいものを食べる為なら、ドライブを兼ねて車で1時間、2時間なんて、苦にはならない時代だ。
高知の従姉妹が、ポツリと言った。
「コロナを忘れた生活がしたい」
少しずつ、戻っていく社会の姿は、
随分様変わりして、ちょっと堅苦しくて、何処に向かって行くのだろうか。
誰もが感じている不安は、誰もが認めたくない、現実の未来。
非日常的な休日。
今年も、草を刈る。
青草は、今年も真っ直ぐに育ち、
地面を覆いつくす。
草と草の隙間で、小さな虫が行き交い、モンシロチョウがヒラリヒラリ、ヒメジョオンの花が、風に舞う。
大きな風が、カヤの葉先を揺らす。
杉木立の中で、鳥の囀りが染みる。
動かない時間。深呼吸。
この瞬間が、やっぱり一番。
大音量の世界の片隅の、点にも成らない地図の小さな小さな場所で、
そっと、静かに、私は 呟く。
「コロナよ たいがいで ええぞ……」
草草