大木の樹幹、林床の草花、じめじめした湿気、清らかな空気のなかに、身体が包まれ、纏わり付き
静寂のなかにひっそりと一茎の花はしずかに、密やかに次の変化を待って生命を全うするために
じっと変化するわが身をまっている
登山道脇に咲く草花にはそれぞれに少しづつの季節を敏感に捉えて変化していく様子を
感慨深く見守りながらあるくのも楽しいものだ
草花はそれぞれのおかれた場所で健気に儚い生命を切に生きている
咲いて、実を結んで、子孫を残して生命を全うしていく
樹林を彷徨う度に逝ってしまう小さき花、新たに咲き出して命を紡ぐ花たちと
四季おりおりのしずかな、激しい経験したことのない気象の変化を素直に
受け容れることしか出来ない自然の動植物たちにとっては先行きになにが
待ち受けているかを心配したところで詮無いこと
いまのいまを素直に受けることで生かされていることをよく知っているのであろう
そのようなことを考えながら山を歩き、木々や草花の気持ちを思いやると
この風景が自分の感性に自然と沁みこんでくるのである
このように自然のなかに身を置いて木々や草花にほっとして精神を浄化していかなければ
ひとは生きていけないものであると常日頃云われているのであるが
そのわりには、自然を大事にしない風潮が広がっているのは悲しいことだ
これも、現在の社会現象の延長かもしれないと思われる節が多々みられるのである
個人主義の悪い面が出てきたのではないか
登山道から遠く離れた場所の花を見たさに大勢のひとが入りこんで写真を撮り踏み荒らす
また、高原の湿原に咲く花々を躊躇いもなく入り写真を撮って踏み荒らす
その写真を自慢げにネットに載せて宣伝して、また、大勢のひとがやってきて踏み荒らして
どんどん人による荒廃が進んでしまう
自然へのダメージは日常、暇もないほど行われている、今日も明日も明後日も、、、、延々と続いていて
やがて、絶滅へと追いやっているのが、ひとびとである
いま、自分がこの花を見て感動することが大事なのだ、いまさえ良ければ後は知らない
この花が実を結んで子孫を後世に繋いでいくことなどどうでもいいことなのだ
ましてや、自分の孫たちや後々の人たちのことなど考えたこともないわけである
自然や花に対してダメージを与えることに対する罪悪感などないのであろうか
悲しいことに、マナーを守らないひとたちは確実に増え続けているのが現状である