松明 ~光明を指し示して~

暗闇を照らし赤々と燃える。が、自身が燃え上がっては長くはもたない。火を消すことなく新しい松明へと引き継がれねばならない。

初任者の授業 国語「お手紙」(2年生)より

2009-12-21 14:45:29 | Weblog

1 授業者の反省
 今回の授業の課題は、「ふたりともかなしい気分になったのはなぜか」でした。ここでは子どもたちに「だれも」という言葉に着目させ、かえるくんとがまくんのかなしみの違いに気づかせるというものでした。子ども達が教師のヒント無しに、この言葉に気づき、ふたりのかなしみの違いに気づくことは正直、高度なことだと予想していました。正直この課題解決の意見はこの時間で子ども達の口から出るのかとても心配していました。本時の1つめの発問で早速私は、この本題を子ども達に問いました。挙手が少なかったために、周囲の人と相談させることによって、挙手の範囲が広がりました。ここで子ども達が答えたのは、こちらの想定通りの、「かえるくんもがま君のかなしみにつられた」というものでした。その他これと同等の答えも出ましたが、やはり二人のかなしみは同じ質のものでした。ここで、二人のかなしみの質を質問したところ、二人のかなしみの質は違うことを子ども達は答えました。しかし質は異なるものの、やはりつられた、という考えのものでした。ここで私は子ども達に「困ったときは文を切る」という方法を持ち出しました。「困ったときは?」と子ども達に尋ねたところ、子ども達の中から「切る」という声が出たことには安心しました。そして、一つの文を、文節で6つに切りました。「だれも、ぼくに、お手紙なんか、くれた、ことが、ないんだ。」予想を反してここでも、持って行きたかった「だれも」に挙手をする子はおらず、お手紙なんか、と、くれた、に意見は固まりました。しかし、ここで、この文の中での気持ちは誰のものか、また、子どもたちは今は誰の気持ちを考えているのかを確認し、整理することによって、授業終了の5分前に、ようやく課題の到達点の意見まで出ました。子どものたちは「だれも」に気づき、その中から「自分に責任を感じた」とまでの意見が出ました。課題解決のためにこだわった文としてはたった2行。45分間、子ども達はとてもよく考えました。子ども達が45分間を真剣に文や言葉と闘う授業を、これからもしていきたいです。

2 参観者より(御指導いただいたこと。)
○ 難しい課題だったが、子ども達が非常によく考えた授業だった。
○ はじめに挙手が少なかったところで、周囲と相談させたことによって、挙手の範囲が広がっていったのがよかった。
○ 子ども達の意見を聞きながら、今やっていることを整理していくといい。
○ 板書が見づらかった。(色チョークの使い方を学ぶと良い)
○ 指示棒の差し方など、国語指導の基本的なことも勉強する必要がある。
○ 最後にまとめを書かずに終わってしまったので、まとめも書かせたらよかった。
○ 話し合いの仕方、次時につながる意見の取り上げ方も今後、より勉強していくとよい。
○ 「かなしみの質の違い」を問う難しい課題を、導き出す(ゆさぶりとも考えられる)発問「がまくんとかえるくんのかなしみは同じですか」と文を切る「だれもに気付かせる」という方法で、子どもたちが追究していった。M君が、授業のあと、今日の国語は楽しかったと言っていたそうです。ちょっと難しいことをよく考えて、わかったという実感が子どもたちに存在したのだと思います。学びは、いろいろあります。考える学び、まねる学び、繰り返す学び、調べる学び、観察する学び、協力する学び、・・・、国語は、言葉で考える学びということを大切にした授業でした。 教師が国語を教えることが楽しくなれば、子どもも教師も毎日が充実します。宮地さんは、自分の授業の振り返りを文章でしっかりとしています。宮地さんの授業実践の積み重ねによる秋の実りがいっぱいの授業でした。
○「2人のかなしみは同じか」というような課題、「だれも」の言葉に解決の糸口がある。これらは、先輩の先生方の授業でもおそらく課題として上げることが少ないであろう。よほどしっかりと教材の解釈をしないと出てこないと思われる。初任者でも、子どもにとってやや課題が難関であっても証拠が文中にあり、投げ掛けられた課題が魅力的であるならば、子どもたちは充実した学びをする。