ビビッド能里子トーク・サロン

心身両面の指導者として感じたこと

時間泥棒なんて許せない!

2012年10月31日 | 著書から
 昨日は友人達7人と、明治神宮を楽しくノルディック・ウオーキングしたが
今朝は本当に腹が立った。それは朝一で近くの医院へ健康診断に行ったが、電話
では「9時に来て下さい」と言われ、わたしはその10分前に行ったのに、何と
9時半になっても診察がなかった。受付で「ここは9時からですね」と聞いたら
「いつも先生が出てくるのが遅いのですよ、大体9時半過ぎですね」と言われて
驚いたが、がかかりつけの人は知っているらしく、時間より遅くきたようだ。
 時間を見たら9時40分、さすがに腹が立って我慢できなくなった。
「もう帰りますから、今出した世田谷区の健康診断書類を返して下さい」と、受付の
人に言ったが、何とか言って出してくれない。
 「いくら何でもひどいじゃないですか、こんなに待たせて、電話では9時に来る
ように言われたので早めに来たのに、時間はお金では買えないのですよ」と言ったら
しぶしぶ返してくれたので、わたしはそこを飛び出した。
 
 

 わたしには長年お世話になっているホームドクターがいるが、時には女医さんの健康
診断を受けたいと初めて来院したが、時間がそんなルーズだとは知らず、腹が立つと
同時に大変驚いた。その女医さんが挨拶もなしに入ってきてからすでに15分以上
過ぎていて、待合室に患者が何人もいるのを知っているはずだ。
 そう言えばその医院は殺風景で雑然とした雰囲気だったが、世の中にはこんなに
時間泥棒がいるのだ。わたし自身は他人の時間は絶対に奪わないようにと、心がけているし、無論自分のかけがえのない時間を奪われるのは嫌だ。
 最近こんな不愉快なことはなかったが、しばらく本当に腹が立って仕方なかった。

能里子のワンポイントアドバイス

2012年10月30日 | アドバイス
  ★ 病気が人生を大きく変えた
 しばらく前だがNHKテレビに作家の宮本輝さんが出ていたが、宮本さんは
20代にパニック障害のために散々苦しんで、そのために会社を辞めて作家に
なったそうだ。ときどき生死の断崖の気分に(実はパニック障害では絶対に
死ぬことはないが、言い知れぬ恐怖感や不安感に苛まされる)見舞われている
とき、あるお医者さんが「天才はみんなそれぞれ問題があった、ニュートンも
ベートーベンも」と慰められたそうだ。
 それから作家に転向した宮本輝さんは、めきめきその才能を発揮し、何度も受賞
されたが、22年に紫綬褒章を授与され、今や日本を体表する高名な作家になられた。
 わたしはこの作家のファンで、今まで随分読んだことがあるが、そんとき「もし
もパニック障害がなかったら小説家にはならなかった。パニック障害は今では自分
の宝物だ」とお話しされていたが、わたしはこの言葉に大変感銘した。
 もしも心身とも健康であったら、作家としての道は拓けなかったかも知れないが
「パニック障害」が、人生を大きく変えてしまったのだ。
 
 
 
 

 人生は一体何が起きるかも知れないが、ある一説では「偶然は全くなく、自分が
出合うのは、すべて必然だ」と言われているが、そう捉えると、もしもそれがたとえ
苦しいことでも、永久に続くわけではないから、あまり深刻に考えない方が良いの
ではなかろうか。「より高く飛び上がるためには、より深く膝をまげなければならない」
という言葉もあるが、希望を持って生きていれば、運命は必ず好転すると信じて
いる。もしもあなたが、現在苦しい直面に立たれていたとしたら…
 多少無理をしてでも、このように考えるようにすれば、きっとマイナスのサイクル
からプラスのサイクルに人生が変換するだろう。
 心理カウンセラーとして、ぜひぜひお勧めしたいと思う。
今まで問題意識がありながら、気分の方向をプラスに変えたために、幸運になった
人は限りなく沢山いたが、この番組を見て改めて実感した。
 「不幸のどん底は幸福への一歩」これは紫式部の言葉だそうだが、どんな問題も
そう捉えられたら、運命が大きく前進することだろう。

梅ヶ丘キャッツハロウイン

2012年10月29日 | えっせー
 朝から町は賑やかだった。以前NHKテレビでも放映されたが、梅ヶ丘ハロウイン
は7年目になるそうだ。車も通行止めになり、昼間はブラスバンドが先導で、さまざま
な扮装をした大人達や子供達が、町をにぎやかに練り歩いた。
 娘も魔女の扮装をしたと見せに来たが、我が家は駅前通りの商店街なので本当
に賑やかだが、4時から子供達はカードをもらって、その地図を見ながら、各商店で
配っているお菓子をもらいにぞろぞろ歩いている。
 駅前通りでは5軒のお店が協力しているようだが、我が家の前にはそんなお店が
4軒ある。子供たちがぞろぞろ歩いていてとても賑やかだが、わたしは突然7年前に
「今年から梅が丘でハロウインを始める」と聞き、楽しみにしていたが、その日は
九州から講演の帰りで、駅に着いたのが8時少し過ぎ、静かな駅の前でガッカリした
ことを突然思い出し、あっという間の7年だったと感慨無量だった。

 ベランダに出て夫とずっと見ていたが、子供たちはいろいろな扮装をしていて
実に面白い。時々二人で笑ってしまったが、親子で考えながら工夫したのだろうと
微笑ましかった。駅の前にはステージができていて演奏しているが、それにしても
あまりに子供の人数が多いのでびっくりしてしまったが、おそらく150人以上
いたのではないかと思った。多分梅ヶ丘だけでなく、例年なので結構遠くからも
来ているのだろう。子供たちの可愛いにぎやかな声は、実に活気に溢れている。
 子供達にもお母さん方にとっても、例年の楽しみになっているのかも知れない。
後で夫と「これだけ沢山の子供達と、若いお母さん方がたくさん来ると、梅ヶ丘の
平均年齢はグッと下がるね」と話した。今日は曇りのためかかなり冷えていたが
秋は確実に深まっている。

緩やかに変化する認知症の夫

2012年10月28日 | えっせー
  ★ 短期記憶が全然できないて
 買い物に行くと必ず一つは忘れるし、友人と約束したことを覚えていないので、
わたしは彼のスケジュールもしっかり把握していなければならない。
 でも、認知症であることを公表してあるので、ことに女性の友人達は細やかに
気を使ってくれるが、それはがとても有難い。
 先日もカレンダーに二か所、戸棚にも張ってあったある予定表を見て、夫なりに
忘れまいとガンバっているのだと、可哀想になり胸がいっぱいになった。
 もしもわたしは記憶がどんどんなくなったとしたら、どうしようもない恐怖感に
駆られることだろう。そう思うと夫が気の毒でならない。
 そのための不安感のためか、一時的にうつ状態に近くなったが、もともと楽観的で
明るい夫は、最近屈託がないのでホッとしている。
 彼に電話がかかれば耳をすまし、場合によってはわたしが直接聴くこともある。
時にはほんの5分前の事も忘れるが、同じことを何度聞かれても答えるし、決して
責めたりしないためか、情緒は安定しているし今現在はふつうと変わらない。
早朝一人で起きて、もう40年以上習慣のウオーキングに出かけていくが、その
仲間達との交流が、夫の精神面にどれほど良い影響を与えているのだろう。

 わたしもできるだけ外出を控えているが、現在はそれほど不自由ではない。
以前より物事に関心がなくなったわりには、時々言語障害になるわたしの言葉尻
を敏感に捉えては、「主語がないから分からないよ」などとよく笑う。
 毎日飲む治療の薬もが管理しているが、困るのは何回言ってもなかなか飲まない
ことで、それだけは真剣に怒ることもある。
 先日夫とわたしとのやり取りを、偶然聞いてしまった友人が、「能里子さんてホント
にやさしいのね」と感心していた。何故ならそれは、彼は子供達も呆れるほど、寛容で
包容力があると言うか、娘がよく「パパはママの保護者みたい」と言うほど、やさしい
人だったからだ。親しい友人達は夫を「ちょっと神様」と言ったが、わたしのすべてを
受け入れてくれた。しかしどんな忙しくても、たとえ海外に行っていても、高血圧の
彼のために家政婦さんを雇い、食事は無論だが、日常的に不自由はさせないように
配慮したし、長年の努力を認めてくれたからこそ、自由にさせてくれたのだろう。
 インテリではないが、夫を人間的に尊敬しているし、その恩返しも含めて、これから
も彼に何が起ころうと大切にしたいと思えるのは、妻としては幸せな部類なのだろう。

一人で二重奏

2012年10月27日 | えっせー
 昨日も素晴らしいお天気だった。編集者とおしゃべりしながら楽しくランチ
午後は会社解散のために計理士さんが来て、夕方は成城学園大学の「学びの森」
の講座があり、とても忙しいが充実した日だった。
 でも午前中のレッスンは無論サボらないが、最近は新しいレッスンを増やした。
それは、わたし作詞の「第二の青春」のアルトをつくっていただいたので、その
CDに合わせて、どちらかのパートを歌いながら、スタジオをバックウオークをする
こと。わたしは4オクターブ声が出るので、その日の気分でソプラノで歌ったり
アルトにしたり…自分の声で歩きながらハモれるのはとても楽しい。
 体を動かしながら声を出すのは、(ことにナンバ歩きは、手と足が同じ方向に動く
ため効果的と言われる)もっとも声には良い訓練になるから、約三分の曲だから
これから毎日自分のレッスンに加えよう。
しかし「自分の作詞した歌をハモりながら、スタジオでバックウオーク・レッスン」できる
なんて…わたしは何と幸せな女だろうと、ピーカンの空を眺めて思った。
 神様に感謝!

文章を書くのが大好き!

2012年10月26日 | えっせー
子供の頃から本を読むのが好きで、そのため、ボキャブラリーは豊富だと思う
が、ハウツウ物を書くことが多いので、文学的な表現はほとんど縁がない。
文章を書くときには、難しい単語を使わず、平易で誰でも分かるような話し言葉
に近いようにと意識して書いている。
何故なら右脳タイプのわたしは専門書を読んでいると、難しい言葉の羅列は
文字が頭の中を滑って行って、実はあまり理解していないことが多いからだ。
そのため、あまり抵抗感なく、心の中にスーッと入っていくようなやさしい文章
が好きで、わたしも心がけて書いている。いずれにしても文章を書くのが大好きで
いくら書いても飽きることがない。ブログを書くのも毎日の習慣で何を書くのか
考えるのも楽しみの一つで、ときどき読者からメールをいただくのも大変嬉しい。
文章を書くのは知的な作業で、いろいろと頭を使うので、多分わたしはボケること
はないだろうと楽観視しているが、この頃は実によく忘れるので時々不安になる。

もしも夫婦二人で認知症になっては、子供達に迷惑だから、日常もあまり平凡
ではなく、少しでも頭に刺激を受けるような毎日をと心がけている。
でもお料理も好きなので、いろいろ工夫する楽しみもあるから、おそらく大丈夫
だろう。昨日から今日にかけて、わたしの40冊目の著者校正が送られてきたが
自分でも呆れるくらい素早いので,編集者に「早すぎてゴメンナサイ」と添付した
原稿に書いた。過去に連載記事や、著著を書いているときでも、いつも締切日
よりかなり早く「こんな先生ばかりなら随分楽なのですが…」と、編集者によく
言われたものだ。わたしは注意散漫なようだが、かなり集中力は良い方だから
あることに集中すると、他のことが分からなくなる。
 そんな時はそのことに意識が止まったように、時間の経過も気にならず、人に
声をかけられても聞こえないし、見えなくなるのは子供の時からだった。
 それは今でも変わらないが、良いのか悪いのか分からないが。
 それにしても、どこかから原稿依頼が来ないかしら。書くのは人一倍早い
のだけれど…

だんだん秋が深まっていくのに・・・

2012年10月25日 | えっせー
 テレビでは盛んにあちこちの黄葉が報じられているが、年々季節感がなくなって
くるようだ。近くの羽根木公園へ行っても、植物は青々しているし、我が家にいては
虫の声なども聞こえない。日差しはとても強いし、今でも日傘が欲しいと思う。
 少女時代は秋になるとたまらなく淋しくなったが、今は秋が深まっていくのが
嬉しく感じる。何年か前の今頃は、確か薄いセーターを着ていたような気がするが
まだブラウスか薄いシャツで過ごせる。
 昔は秋の深まりを心身で感じられたが、今の秋はわたしにとって、決して
センチメンタルではなく、アンニュイな気分だ。 
 お花も野菜も全く季節感がないし、便利なようで情緒がないが、それに慣れて
しまっているのが現代なのだろう。何だか大昔がとても懐かしく思った。


ネットで「能里イメージスタジオ」を見たら

2012年10月24日 | えっせー
  ★ 見てビックリ!
 グーグルでは708、000、ヤフーでは何と1、040、000もあった。
実は今月で会社を解散するので、もしかしたら名称を「梅ヶ丘マインドヘルス」
にしても良いと考えていたから調べてみた。ところがその名前で検索したら、両方
とも「3650」だけだったので、やっぱり名前は「能里イメージスタジオ」に据え
置くことにした。それにしてもスタジオの名前が一人歩きしているのは、本当に
驚いた。「小池能里子」で検索したら、ヤフーは11、800でグーグルは
11、700だった。多い時は3万台だったのに…ということは、わたしが現在
活躍していないことが、如実に表れていると思った。
それより驚いたのは、わたしの名前で検索したら、いきなり写真が二枚出てきた
ことで「アー嫌だ」とぞっとしたが、出たのはどうすることができないのだろう。

 ふつうは表面に写真など出ていないと思うのだが、それは「小池能里子の画像検索」
と言うタイトルだったが、覗いてみたらわたしの著書のほとんどの写真が出ていたが
でも何故か他の人の本も何冊か入っていた。
 本当にインターネットの情報は、良く分からないが、「能里イメージスタジオ」に
新しいビルにしたとき名前を変えたのは16年前だから、いつの間にか名前が一人歩き
したのかも知れない。しかし、高齢者のわたしですらインターネットを重宝しているから
現在ではなくてはどうにもならないのだろ。
 どんどん変化していく時代についていくのは大変だが、でもそれもまた実にエキサイ
ティングだ。これからも、「時代の波」に乗り遅れないようについて行こうと改めて思った。

「理想の生き方」10月12日のミスに気づき再投稿します

2012年10月23日 | 世界心理治療学会アドバイス
 大切な要素が抜けていました。
☆理想の生き方とは
「自分が考えていること」と「他人に話していること」、「自分が実際に行動して
いること」この三つが実際に一致していること。(三番が抜けていました)
それが理想的な生き方だと、ある本を読んで知ったのは、おそらく20年以上前かも
知れない。また「積み残した荷物」(これは、自分がやりたいと思いながら、実現でき
なかったこと)という言葉を知ったのも多分同じ頃だった。
 その時わたしは感じた。もしかしたら、わたしは理想的な人生を歩んでいるのではないかと…
無論「積み残した荷物」はまったくないし、思いついたらすぐ行動しなければ気がすまない性格で
他人からみたら「何と計画性がないのだろう」と、思われるかもしれない。 
 でも行動が早い分ダメだと思ったら、すぐに引き下がるので、今までほとんど
リスクはなかった。ことに心理学にはのめりこんだのは、心理学は雑学でこれほど
面白い学問はないと思ったからだ。
 自分のカンを信じているし、それに無論「ダメモト精神」も持ち合わせているが、決断力
だけはふつうの人より優れていると思っている。

 そのため、自由に行動できるようになった30代の後半から、「自分だけのためなら
いつ死んでも良い」と思えるほど、いつも全エネルギーを投入して生きている。
 それは高齢になってもほとんど変化はないが、わたし自身は「今日はダメでも明日
こそ」と言う考えはなく、今日のために生きていたい!
そんな意味ではわたしは、それができるような環境に恵まれたためか、「我が人生に
悔いなし」で、今死んだとしても、この世に全く未練はない。

「今日が一番若い日」と捉えると、かけがえのないひと時、ひと時がたまらなく愛しく
感じ「今を抱きしめたい」ような気持ちにさえなる。
 天災、事故、事件、病気など、年齢に関わりなく、わたし達の命の明日はまったく
分からない。小さいけれど一国一城の主だったので、誰にもおもねることなかったし
さらに、名誉欲も金銭欲もない方なので、他人の目を気にすることなく、かなり自由
に生きてきた。そう考えると、わたしは、すごくラッキーな人生を歩んでいるの
かも知れない。だから余計に「なかなか前に踏み出せない方」「悩み好き」「過去に
縛られている方」「マイナス思考でポジティブな方」などの、幸せに役立つお手伝い
がしたいのだと思っている。



 

 変化している日本人の体形

2012年10月23日 | えっせー
 昔から見ると若い世代は大変美しくなった。とにかく顔が細面(これも死語に
なりつつあるようだが)で、総体的に小さくなったし、手足が長くほっそりして
さらにまっすぐだ。昔は大根足(これも同じく死語)が多かったし、ほとんどの
女性は内側に曲がった足だったが、若い女性には全然ない。
 思春期の象徴だった男性のニキビ面にも、最近お目にかかったことがない。
生活様式や、食事の内容の変化によってなのだろうか、体型もだんだん西洋人に
近づいてくるような気がする。昔は「丸ぽちゃ」と言われた、ふっくらした顔立ちが
もっとも男性に好まれたようだが、そんな顔かたちの女性が少なくなったようだ。
時代とともにルックスも変化するのだと、電車の前の座席が若者ばかりだったので
さりげなく観察しながら感じた。

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