ビビッド能里子トーク・サロン

心身両面の指導者として感じたこと

ロシアにて 7 最終回

2007年05月31日 | Weblog
    ☆ エカテリンブルク最後の夜
 わたしがロシアで学んだことは、サイコセラピー(心理療法)が大変
盛んなこと、子どもから大人までさまざまなセラピーがあり、サイコ
セラピー専門の大学もある。ドクターが少ないため、サイコセラピー
が発達し、ことに芸術療法が盛んであるということでした。
 またロシアではサイコセラピーは大変重要な仕事であり、これから
もますます発展するだろうという内容でしたが、わたし自身が感じたことは
ロシアに限らず、世界的な風潮ではなかろうとか言うことでした。
 エカテリンブルク最後の夜、ナターシャと友人と三人で楽しく過し
アルコールがかなり入っていたわたしは、とてもご機嫌でそのままベッドに
倒れこむようにすぐ眠りました。そして目が覚めたのが何時ごろでしょうか?
 何となくと考えていたら突然、いつものような感覚(全身がしびれるような)
に見舞われたのです。それはわたしが感動するとしばしば起きる、身体的な
状態ですが、それは自分が心の中でつぶやいたある言葉による反応でした。
 スッカリ目が冴えてしまい、起き上がってしばしボーっとしていました。
今まで生きてきた道は、わたし以外の力が働いているような気がしてなりません
が、「わたしは導かれているのだ。そのため思いがけなくロシアまで来てしまった
のだ」と強く感じました。
    ☆ 帰国する喜び
 日本にはエカテリンブルクから直接帰るのは無理なため、またモスクワ
に一泊しました。そしてエアロフロート航空755便は9時50分に
成田に無事着陸しました。ほぼ満席の座席の大部分は日本人でした。
 わたしは海外へ行くときには、行きも帰りもワクワク気分で、いつも
人の二倍楽しめる得な性質ですが、今回出かけるときは初めてインドへ行った
ときと同じような不安な気分でした。でも日本が近づいてくにつれ、だんだん
気持ちが弾んできました。日本に着いてからすぐ、夫に連絡するつもりで携帯
をオンにした途端に、友人からやさしい「お帰りなさい」メールが入っていて
とても嬉しくなりました。荷物を受け取ってから礼を言って、大教授と友人と
別れリムジンに乗り、その中で友人達に帰国メールをしました。
 12時30分に自宅に着いたら、スタジオの入り口の鉢植えの花が
まるでわたしを迎えてくれるかのように、沢山咲いてとてもきれいでした。
 多分留守中に友人が手入れをしてくれたのでしょう。
わたしのために昼食を準備して待っていてくれた夫と、久しぶりに食べた
日本食、ことにお味噌汁はとても美味しかったです。
 不安と緊張で出発したロシア行きでしたが、心配したほどでもなく
淋しがりやのわたしがホームシックにもならず、無事に帰れたことも
とても嬉しかったです。でももしかしたら、同行した友人に迷惑をかけた
かもしれませんが。帰国メールを見たお父さんぽい友人から「無事に帰れて
よかったね。落し物、怪我、迷子?淋しさが一番心配だったけど」と返信が
あり、何時もずっとわたしを思っていてくれたのだと幸せな気持ちになりました。
   ☆ お蔭様で少し成長できました
 それにしても、不安と恐怖のマーブル模様の精神状態だった、海外での
6泊一人部屋体験は、わたしが一回り成長できたような気がしました。
 いい歳をしてと思うでしょうが、当人にとって凄いストレスだったのです
から、笑わないでくださいね。そしてわたしがこの世を去るときに言う言葉は
「すべてにありがとう」だと、改めて思いました。今までわたしはいろいろ
な方や、見えない力に支えられて生きてきましたが、何時も比較的恵まれて
いるので感謝の気持ちでいっぱになりました。
 生甲斐は「仕事を通じて人様のお役に立てること」ですが、これからも
指導や執筆や講演などで、わたし自身の実体験から、元気で有意義に生きる
ためのノウハウをお伝えしたいと思いました。
 昨日は嬉しいことに、大分昔のことですが、一週間で増刷になり大変よく
売れた「気分転換の仕方」を書いた出版社から、また同じような内容の本と
正式にご依頼を受けました。これからまた新しい本を書き始めますが、書く
ことが大好きですのでまったく苦にならず、また楽しみが一つ増えた気分です。
 ロシア紀行7回ご愛読ありがとうございました。
                           能里子

ロシアにて 6回

2007年05月30日 | Weblog
   ☆ 親切で対応が早いアレキサンドラ
 わたしがロシアの学会に参加するための手続きは、実に大変
でした。出席するためときどき送られてくるいろいろな書類は
かなりの量でした。それはわたしの英語の先生である友人に
すべてをやってもらいましたが、こちらからの質問や、学会から
の情報やホテルの手配(エカテリンブルク)はJTBではまったく
情報がなく予約できませんでした。
 またビザを取得するために必要な、ロシアからの公式な
インビテーション、それがなかなか届かないのでその催促、エトセトラ。
 それらの窓口はすべてアレキサンドラでしたが、彼女は実に敏速に
きめ細かく対応してくれました。
 アレキサンドラとは前の年に、京王プラザホテルで開催された
国際心理学会で会って、顔見しりでした。エカテりんブルクで会う時には
友人と二人でいろいろお世話になったお礼にと、お土産を渡したところ
「サンキュー」と言って、わたしを抱きしめキスしてくれました。
 一緒に写真を撮りましたが、美しい方でしたが、初め会ったとき
の印象と違ってかなり大柄な女性でしたが、また来年北京で会う
ことを約束して別れました。海外ではいろいろな出会いもあり
それもまた旅の楽しい思い出の一つとなるのです。
 外国の人はきめ細かかい日本人に比べ、どちらかと言うとアバウト
ですが、ナターシャナもアレキサンドラも親切で、大変きめ細かい
方で、お陰でわたし達はどんなかに助けられたことでしょう。
      ☆ エカテリンブルク観光
 三日目は閉会式が行われますが、わたし達三人はそれをパス
して(わたしが大教授をそそのかして)エカテリンブルクを観光
することにし、学会で紹介してくれたガイド付きのタクシーで、
三時間観光してその町を見ることにしました。
 エカテリンブルクは、「アジアの窓」と呼ばれていますが、女帝
エカテリーナ一世にちなんでつけられた街名前だそうです。
 戦時中は軍産基地として長年立ち入り禁止の街でした。まだ愛らしい
子供達が軍服を着て沢山歩いていたので驚きましたが、聞いてみると
軍人を養成する学校のユニホームだそうで、やはり土地柄だと思いました。
 エカテリンブルクは観光地ではないのですが、あまり見所はないようですが
でも折角はるばる遠くまできたのだからと、見学することにしました。
 エリチンが卒業した大学、武器展覧場、無名戦士のモニュメント、最後の
皇帝ニコラスが処刑された教会、軍の秘密基地に働く人達のために、学校や
銀行まであって、外部から一切侵入できないよう鍵がかけられ、完全に孤立
し一つの街になっていたところなども。
 また皇帝一族七人の処刑を悼んで、それぞれに建てられた七つの
教会は中心部から17キロ以上離れた郊外にありました。
 そこは宗教上の理由から、女性はスカーフとスカートを着用しな
ければなりませんでしたが、最近は女性もパンツルックが多いためか
巻きスカートが準備され、それを上から巻きつけて入りました。
 ロシアは花が少ないと思いましたが、その今は修道院になって
いると言う七つの教会のそばの林の中には、紫色の愛らしい花が沢山
咲いていてわたしはカメラに収めました。またそこに行くまでの行程は
街とまったく違って、細く高い白樺がそびえて、いかにもロシアらしい
風景でした。ロシアは閉ざされた歴史が長かったため、他の国に比較
してかなり発展が遅れていると感じました。
 そしてわたしが最も行きたかったのは、アジアとヨーロッパとの境界線
でした。そこには碑がありその中心に、太くハッキリしたラインがあって
わたし達はそれに両足をいっぱいに広げ、「今アジアとヨーロッパを
両方股にかけている」と、笑いながら写真を撮りました。
 あっ言う間に三時間が過ぎ、ナターシャにお礼を言って別れ、わたし達は
またモスクワに行くため空港へ向かいました。
                              能里子

ロシアにて 五回

2007年05月29日 | Weblog
☆ 友人(教授)のプレゼンテーション
 次の日の午前11時頃と聞いていた友人の発表は、一人ひとりが
持ち時間が延びているためか、なかなか始まらず、少し落ち着かず
イライラしているように見受けられました。
 結局始まったのは午後2時でした。彼女は老人問題を取り上げ
ましたが、その内容は心理療法の一つである箱庭療法でしたが
画像を適度に取り入れ、英語で解説する様子は、自信に満ち溢れて
いました。その後中国のグループのプレゼンター達が、続けて何人か
発表しましたが、緊張のためか英語の長い文章が発音できず、傍の
人にサポートしてもらっている大学の学者もいて、「こんな人も
いるのだ」と、わたしはホッとした気分になりました。
 中にはアクション入りもあり、なかなかバラエテ-に富んでいま
したが、各国の人々が午前から昼の休憩も取らず、夕方までそれぞれ
いろいろな発表をしていました。
 わたしはわからないながら、あくび一つ出さず聞いたり観察したり
一生懸命でした。これが来年のわたしの夢に繋がるのですから------
 比較的あきっぽいわたしですが、その集中度はかなりのもので
我ながら感心し、すべてがいつもこうなら良いのにと思いました。
    ☆ ナターシャは日本びいき
 わたし達二人は閉会前に会場を出て、ナターシャと街を散歩しながら
ホテルに帰ることにしました。彼女はロシア人ですがある語学の大学で
日本語と、英語と中国語を教えている先生でした。
 学会の要請でわたし達三人の日本人を、サポートすることになっていた
ようで、二人の教授達が発表するときにもいつも傍にいて、言葉の分からない
部分を係りの人に通訳し、またすべてきめ細かく配慮してくれたそうです。
 歩きながら建物の歴史や、モニュメントの説明などを受けたりしました。
ナターシャは日本が大好きで、エカテリンブルクには「日本交流センター」
があり、そこにはウラル茶道クラブもあり、日本から先生がときどき来て
指導してくれると聞き驚きました。
 また道元を読み、漢字が美しいと言うナターシャ、そして折り紙もできる
そうで、日本の伝統的な文化について知識も多くわたし達日本人より、よっぽど
日本的な感じでした。
 後で記念にと着物を着た写真をくれましたが、それがとてもよく似合って
いました。そしてはじめはたどたどしかった言葉が、わたし達としばらく
話したためでしょうか、かなり流暢になってきたのは感心しました。
 三ヶ国語を教える彼女は、やはり語学の才に秀でているのでしょう。
ホテルのわたしの部屋は広くてシックで、同じ料金なのにと、友人
が驚いたくらいも素敵でしたので、外で食べるよりわたしの部屋で
ナターシャのお礼と、友人のプレゼンテーション成功のパーティ
を開こうと、地元のナターシャナの案内で、いろいろな食品や飲み物を
買って帰りました。それから女性三人で、閉ざされていたロシアの
事や、日本の現在の状態などについて、情報交換を交えながら
楽しく過ごしました。でもエカテリンブルクで、こんなに日本びいき
のロシアの女性がいるなんてと、わたし達はナターシャに会えた
ことを感謝しました。
                          能里子

ロシアにて

2007年05月28日 | Weblog

    ☆ いよいよエカテリンブルクへ
 二日間モスクワを見学しましたが、次の日は国際学会が開催される
エカテリンブルクまで行くことになりました。エカテリンブルクは
モスカワから1800キロ離れた中央アジア流域です。
 8時のフライトのために3時間前に空港に行くのだそうで、4時5分に
タクシーが迎えに来ました。モスクワからは約2時間30分ですが、時差は
モスカワと二時間もあります。フライトまでの待ち時間の長いことに
あきれましたが、これもお国柄仕方ありませんので、本を読んだり旅の記録
をつけたりして時間を過しました。
 エカテリンブルクはロシアでは5番目の都市ですが、く空港に降りて
感じた印象は、広大でいかにも荒涼として、わたしは気持ちが引き締まる
ような思いがしました。アジア国際サイコセラピー、コングレスが開かれ
る会場までタクシーで約一時間半。その間外の景色はだんだん街らしく
なり、ビルもところどころに点在し、二年前に行った人に聞いた話とは
大分違っていましたが、ロシア全体はお花が少ないと感じました。
 午前は開会式があり、それに出席するはずだった大教授はその時間では
間に合わないことに気がつき、慌てて前日自分のスピーチをファックスし
ていましたが。
    ☆ 自分の夢のために 
 会場は市民ホールでしたが、そこは平常演奏会や演劇などが行われるよう
でした。会場には受付をする人々が溢れていましたが、ほとんどが西洋人で
アジア人と思えるのはわたし達だけでした。その会の副会長である大教授は
招待でしたが、わたし達二人はそこで参加の手続きをすませ、ロシア語と英語
の翻訳機と、バッグに入った資料を渡され劇場スタイルの会場に入りました。
 そして日本語を話すナターシャを紹介されましたが、ときどき言葉に詰まる
彼女に、友人が英語で話しかけると、「わたしは日本語で話したいので、どうぞ
よろしくお願いします」とハッキリ言いました。
 各国のプレゼンターが行う内容は、ほとんど分かりませんが、ときどき
ナターシャが通訳してくれるので、助かりましたが英語ですと専門用が
沢山出てくるので、そのニュアンスだけは理解しようと努力しました。
 なぜなら、わたしは来年の自分のプレゼンテーションの夢に賭けて
そのイメージを明確にするために、遠いロシアまで来たのですから。
 そのため、たとえ理解できなくても一所懸命聴いたり、観察したりし
ました。大教授はそれから発表しましたが、PCの具合が良くなくて
パワーポイントが上手く使えず、あまり理解できない内容でした。
 そしている間に気がついたらに、コーヒーをイッパイのんだだけで七時に
なっていました。パーティは8時からですが、機内で朝食しか食べてい
ないわたし達は大変空腹でしたが、時間がないためナターシャに伴われ
着替えのためにホテルへ向かいました。
     ☆ パーティに参加して 
 パーティはイブニングドレス着用と指定してありましたが、かさばるため
しわにならないそれなりのドレスを準備しました。時間がないため、大慌て
て着替え会場に向かいました。会場にはステージがあり、オペラをやって
いましたが、その華やかさにわたしは圧倒されました。
 すべての人ではありませんが、そこは映画で見るような豪華なイブニング
ドレス姿が満開だったからです。パーティにはバイキング形式の食事と飲み物
が準備されているのがふつうですが、信じられないことに何もありません。
 それともわたし達が30分以上遅刻したためかしらと、思ったりしましたが
それにしても、決して安くないパーティ参加費を払いましたが、今まで何度も
学会のパーティに出席しましたが、こんな形式はまったく初めてでした。
 ボーイが運んでくるのは、ただの水だけでしたから。そしてジャズダンスや
歌曲、ロシア民謡や、ダンスなど、次から次にと繰り広げられました。
 またステージの周りでは、大勢の人が浮かれて、楽しそうに陽気に踊って
いましたが、昼間と違って学会に参加している学者や、心理学を勉強している
人達なのかしらと信じられないような雰囲気でした。
 ダンスが好きなわたしですが、あまりに空腹のため気分が悪くなりそうで
とても立ったままでダンスを見る気はなく、すっかり白けて少し離れた椅子
に座っていました。その華やかな雰囲気に反して、何とも情けなく淋しく
なって早く東京へ帰りたい、そして家族や、友人達に会いたいと思いました。
 同じ思いの友人と二人で外に出て、食べるものを売っているお店はない
かと探しながら「何でもいいから食べたいね、これってサバイバル経験よね」
と二人で笑いました。時間は10時半近く、あたりはまだ明るく、人々が沢山
歩いていました。わたし達の様子に気がついた大教授や、ナターシャが
早く帰ろうと言ってくれ、タクシーでホテルに帰りましたが、ようやくその日
二度目の食事にありつけたのは、何と11時半でした。
                             能里子

我が家のエピソード

2007年05月27日 | Weblog

 ロシアを続けて三回書いたら、少し厭きてしまいましたので、続きは
またにして、我が家でのちょっと面白い話をご紹介しましょう。
   ☆ 夫の朝帰り 
 我が家は二世帯住宅ですが、わたしがロシアに行っていたときは
中学生と小学生の孫が毎日交代で、わたしのベッドで寝ていたそうです。
 先日ロシアから帰ったばかりのわたしに息子が「ママ、知ってる、パパは
朝帰りしたんだよ」と笑いながら言いました。後で聞いたらこんな顛末と
わかりました。ある日夫はわたしの留守を知っているガールフレンド達から
「今00にいるから飲みにこない?」と誘われたそうです。
 そして孫は知っていたけど、鍵を持たずに出たので、(何時に帰ったか
わかりませんが)鍵がかかっていて、入れませんでした。
 我が家はナンバーをプッシュすれば鍵なしで入れるのですが、夜は用心の
ため二重に鍵をかけてあるのです。多分かなり深夜で、朝?で息子の家族を
起こすのは、きっとはばかれたのでしょう。
 その時彼は「あ、今日はジャズダンスにスタジオを貸しているんだ」と
思い出し、開いていた(わたしが留守のため彼が閉める)スタジオに入り
そこで寝たそうです。スタジオにはヨーガレッスンの絨毯や、リラックス
に使用する大きいバスタオルもたくさんあるのです。
 そして早朝も部屋に入れないので、ペットを連れずに習慣の朝のウオーキ
ングに出かけました。そして孫が目が覚ましたとき、隣で寝ているはずの夫が
いないので、孫は驚いて「グランパがいない」と、あわてて両親に告げたとか。
 するとお嫁さんが心配して、すぐに夫の携帯を鳴らして「パパ、今どこ
にいるのですか?」と心配そうに聞いたそうです。
 なぜなら彼は心臓の持病があるので、息子夫婦は大変心配したようです。
実はわたしも先月日朝帰りを二度したこともあり、家族を心配させましたが、夫も
また同じことをくり返すなんて、本当にあきれた不良老夫婦ですね。
    ☆ 俺の頭ボウボウ?
 外出する夫が自分の頭を撫ぜながら、「ねえ、俺の頭ボウボウかな?」
とわたしにこう聞きました。夫の頭はかなり薄く、上から見ると毛を並べて
あるのですが、わたしは可笑しくなり、「ボウボウと言うのは、もっと沢山
毛がある人のことを言うのではないかしら」と言いました。
 すると「確かにそうだよな」と彼は噴出しましたが、昔は髪が硬く多過ぎ
てその手入れに苦労し、ポマードを沢山擦りつけていたことを、懐かしく
思い出しました。それにしても-------年月の流れで人間古くなると、こうも
変化するのです。無論わたしも同じですが。気持ちはほとんど変わらない
のに。そして二人で出した髪の結論は「ポヤポヤ」でした。
 そのことでひとしきり笑いましたが、このように我が家はいつもこんな
調子でお互いのポカやジョークなどで、笑いが絶えない変な家庭です。
                         能里子

ロシアにて 三回

2007年05月26日 | Weblog
  ☆ モスクワを見て
 赤の広場に行く前にモスクワ音楽院に寄り、チャイコスキーの銅像の前で
写真を撮っていると、中から美しいソプラノが聞こえ、ちょっと嬉しくなり
ました。赤の広場、レーニン廟、ワシリー寺院、クレムリン宮殿、ボリショイ
劇場など、有名なところは一通り歩きましたが、その日は30度と大変暑く
わたしはその暑さに大変疲れました。無名戦士の墓では、まるで人形のように
不動の姿勢で立っている兵士の交代を大変興味深く見ましたが、また二頭の
馬に跨って警察官がパトロールすするのも、何かのどかで見ていて楽しかった
です。さんざん歩き回ってわたしは疲れたのですが、友人は大変タフで「これ
からクレムリン宮殿に行こう」と言って、どんどん歩いて行きましたので
わたしは仕方なくついていきました。見えていてもかなりの距離があり
かなり歩いて、ようやくたどりついたクレムリン宮殿4時半で終わりでした。
 わたしは内心ホッとしました。すると友人は「わたしはその辺をまだもう
少し見たいから、あなたは喫茶店でも入って待っていて」と言いましたが
大教授も「わたしはそろそろ帰りたい」と言ったので、やはり彼も相当疲れ
たのでしょう。次の日にもう一度行くことにして、その日はホテルに帰りま
したが、地下鉄を乗り間違えて大変でした。
   ☆ クレムリン宮殿
 クレムリン宮殿は大変広く、沢山の立派な建物がありましたが、見学できる
のは聖堂だけで、わたしがもっとも見たかった宮殿は見学できず、ちょっと
ガッカリしました。決められた所を歩かないと、監視の兵士が鋭く注意する
のが、やはりお国柄かと感じました。
 またロシアではお花が少ないと感じていましたが、クレムリンのガーデンは
大変美しく、さまざまな花が咲き乱れ、緑の樹木との対比がとても素敵でした。  わたし達はそのベンチでしばらくお花を見ながら休憩しましたが、空がとても
澄んで美しく、爽やかな風が吹きぬけて気持ちが良く、わたしは昨日の赤の広場
周辺より、このガーデンが最もよかったと感じたのは、わたしが鈍感なため
でしょうか。二日間大分歩きましたが、日本人と思える人にはまったく会い
ませんでした。クレムリンの裏にあるモスクワ川から、遊覧船が出ていて
それに乗るとモスカワ全体が見えるそうで、乗るつもりで川まで歩きましたが
その乗り場は対岸にあり、大分遠いようなので諦めました。
   ☆ 街全体の印象
 それからもとの道に戻るまでが大変でした。川の傍まで渡るにはタイミング
が良かったのでしょうか、それから何と信号が変わるまで40分以上かかった
ので、あきれたり驚いたりしましたが、そのあまりの車の多さも驚異的な
ほどでした。歴史の有りそうな重厚な建物はところどころにありましたが
街はあまり美しくなく、信じられないくらい泥だらけで走っている車も多く
また道路は二重駐車や、歩道に乗り上げている車もあり、そのマナーの悪さに
驚きました。そして三人で奥の車が出るときには、一体どうするのだろうなどと
話し合いました。またタバコを吸っている人も大変多く、それらを火がついた
ままポイ捨てし、また女性達も喫煙者が多いようです。
 スタイルがよくセンスも良い、まるでモデルのように美しい人がいる反面
わたし達の何倍も有るような肥った人も多く、どうしてこんなに肥れるのだ
ろうと感心してしまい、肥った人が大嫌いなわたしは、失礼ながら肥満が
移るような気がして、できるだけ見ないようにしたり、傍を歩かないように
したりして、それに気がついた教授達に笑われました。
 一日良く歩きましたが、温度は高くても日陰はとても爽やかで涼しいので
ときどき木陰で休みました。街は観光客らしい大勢の人で賑わっていました。
 レストランに入り食事をしましたが、注文しても「一体どんなものが出て
くるろうか」と、興味津々でしたが、どれもかなり美味しかったです。
 その日も良く歩き疲れましたので、早めに帰ることにし、また緊張が連続
する地下鉄に乗りましたが、今度はスムーズにホテルへ帰れました。
                            能里子
                   

ロシアにて 2回

2007年05月25日 | Weblog
    ☆ ロシアの地下鉄
 わたし達は昨日見つけた地下鉄に乗り、クレムリンに行くことにしま
した。駅はとても汚く大勢の人がいましたが、出札口は三つありましたが
そこは長蛇の列でした。友人がキップを買っている間に、わたしは辺りを
観察しましたが、ロシア人はみんな背が高く体つきもがっちりして、その
駅の人々はブルーカラーではと思われる人たちが多いようでした。
 後の方に並んでいる人が、どんどん改札に入っていくのでよく見たら
何とダフ屋?のような人がキップを売っていて、それを買っていることが
わかり驚きましたが、多分正規の値段より安いのでしょう。
 ようやく買えたキップで改札口に入りましたが、そこは自動でしたが
なぜかわたしだけどうしても入れず、係りのデブのおばさんが通してくれ
ました。そしてエスカレーターに乗って驚いたことは、その速度が物凄く
早いことで、さらに東京ではかなり深いと思われる駅より、その何倍も
あるように感じ、さらにその長い距離がストレートなのです。

 大きなロシア人達の間に挟まれ、凄いスピードのエスカレーター、わたしは
本当に怖かったです。その時は気がつかなかったのですが、エスカレーターに
乗っているひとは、昇るときは体が前に、降りるときには体が後ろに反りか
えっているほどでした。
 ホームは大理石で作られて広大変立派で、駅によってはまるで美術館
のような雰囲気で大変豪華に感じました。勇気のある友人はホテルで
印しを付けてもらった地下鉄の駅のマップを頼りに、英語が伝わらない
ロシア人につぎつぎ聞き、字も読めないし発音される言葉も聞き取れない
のでわたしは、駅の数を指を折って数えていました。
 何せまったくわからなく路線図だけが頼りなのですから、乗り換えや降り
るときには、三人でそれぞれ考えたり、調べたりして、そんな意味では
ハラハラしながらも大変エキサイティングでした。
 それから何度か地下鉄に乗りましたが、車両はかなり古く、座席はまるで
板張りのように固く、そのスピードは早く、いつも沢山の人が乗っていました。
モスクワは最も早く地下鉄を導入したそうですが、まるで網の目を張り巡
らしたように市内の色いろな所に行けるようでした。
                                能里子

ロシアから帰りました

2007年05月24日 | Weblog
 お蔭様で無事ロシアから帰りました。不安と期待とが入り混じった
旅でしたが、わたしなりに来年の世界国際心理学会のプレゼンテーション
のイメージを膨らませることができました。これから何度かにわたり
わたしが二人の教授達と一緒に行った、ロシアで見たつぶさに感じたこと
について、何度かに分けてお話ししたいと思いますので、また読んで
くださいね。
   ☆ ロシア紀行 
 エアロフロート12時発の機内は、思ったよりゆったりと楽で、わたし
達は幸運にも二人がけのシートだったので、とてもラッキーだった。
 時間がずれてチェックインした大教授は、大分シートが離れていたので
友人はほっとしたようだ。ところがその大教授が、「先生もここにいらしたら」
とわたしがすすめたので、近くに空いていたシートに移ってきたが、気を使うためか、それが彼女はそれが余り愉快ではなかったようだ。
 機内では「これからの旅とプレゼンテーションの前祝をして、乾杯しようね」
と待ち構えていたが、ドリンクサービスのアルコールはすべて有料だった。
 ビールは3ドルだったけれど、でも二人で前途を祝って乾杯した。
どこの飛行機についているはずのゴミ袋がない。何となくいつもと違った
機内のムードだったが、でも二度出された機内食は、予想外に大変美味しかった。
 これから一体どんな旅になるだろうと、二人で話し合ったがモスクワは
とにかく、国際心理学会が開催されるエカテリンブルグの情報は、親しい友人が
図書館に通い、調べたくれた情報だけが頼りだった。でも実はどんなところか
分からないので、不安な気持ちは払拭できないわたしだった。
   ☆ モスクワ到着
 モスクワ到着現地時間五時40分、(時差6時間)果たしてJTBに依頼した
タクシーは迎えに来るだろうかと、一瞬不安になるが、約10分ほど遅れて
来たのでほっとする。温度は日本とほとんど変わらない。
 それから約一時間以上タクシーは走ったが、周りの風景はわたしが想像
したより都会的だった。今は新緑の季節だろうか、あまり豊かではないが
緑がとてもきれいだった。ホテルは新緑の木立に囲まれ、静かなただずまい
だったが3階の部屋は清潔で明るく、窓を開けると緑の小道が続いていた。
 明るく適度な広さの部屋が気にリ、さらに三人の真ん中の部屋だったので
安心した。自動車の走る音や、すぐ傍を走る電車の音がかなり煩かったが
 海外のシングル・ルームで生まれて初めて一人で泊まるので、むしろその
騒音が嬉しかった。なぜならこれなら怖くないと感じたから。
 そしてテレビをつけたら、「よくいらっしゃいました小池能里子さん
リラックスして楽しい日を」と、英語でメッセージが入っていたので、とても
嬉しくなぜかホッとした。
 明日はモスクワで観光をと考えていたので、ホテルで駅や近くのお店を
聞き三人で探検するつもりで歩いた。時間はもう9時なのに、明るい日差し
だったので、とてもそんな時間とは思えなかった。
 明日はクレムリン宮殿や、赤の広場に行こうと決め、そのルートを考え
出掛けることにしたが、実はわたしは知らない国の地下鉄に乗るなんて、と
とても嫌やだった。その日は睡眠薬を飲んで眠ったが、その前にヒーラー
として部屋の清めるセレモニーをしたためもあるが、不安感や恐怖感は
自分で心配したほどなかったが、やはり熟睡できなかった。
                             能里子






いよいよロシアへ

2007年05月15日 | Weblog
  ☆ 自分の夢のために
 いよいよ今日からロシアへ出発します。この旅はわたしの目標を実現
するための前段階です。それは来年北京での国際心理学会で、発表す
するため、世界中から集まる方々のプレゼンテーションを実際に見て
体験してきます。実はロシアでやるはずでしたが、いろいろなことが
重なり来年に伸ばしました。ロシア行きは唯自分の夢だけのためです。
 でも同行する大教授も、友人の大学教授も発表しますので、それも
しっかり聞いて参考にし、そのイメージを膨らませるためです。
 モスクワから約1800キロ離れたエカテリンブルクで、国際心理
学会が開催されますが、夫の知人で昨年そこに行った人の話を聞いたら
とても大変なところだそうで、わたしは緊張と不安で眠れなくなりました。
 何しろモスクワまで12時間かかるので、機内で眠ればよいと起きて
しまいました。旅立ちのときは嬉しい興奮状態になるのですが、今回は
まったく違います。比較的楽観的なわたしですが、でも「わたしはいつも
運が良いから大丈夫」と、一所懸命自己暗示をしながらこれを書いています。
   ☆ 幸運なわたしい
 昨日の朝N大の成人学校に行く途中の経堂駅で、わたしはカードや
パスモなどが入っている定期券入れを落としました。
 明日ロシアへ発つためカードは必要ですし、すぐに手続きをしても
とても間に合うはずはありません。わたしはパニックになりましたが
とりあえず駅の係員に訊ねたら、何と今誰かが届けて下さったのです。
 本当に嬉しくなり思わず神様に感謝しました。
もしもなくしていたら、今日海外へ行くわたしがカードなしで出かける
のは大変不安ですし、本当に有難いことで届けて下さった方に感謝しました。
 そんなときわたしは、いつでも誰にでも親切にして上げなければと思い
ます。人一倍注意力が散漫なわたしですので、より気をつけなければと
思いました。先日親しい友人達がわたしのために、それぞれ別に旅立ち
を励ます会を開いてくれ、とても嬉しかったですが、多分彼らも毎日
わたしのために祈ってくれることでしょう。
 すべての条件に恵まれてとても幸せな女のわたしは、また夢を追って
幸運を信じて元気で行ってきます!            能里子

 そのためブログ二十四日までお休みしますが、きっといいご報告ができる
でしょう。皆様もお元気でお過ごしくださいね。

カウンセラーからのアドバイス 65回

2007年05月14日 | アドバイス
     ☆ ホンネ人間のわたし
 このところ弱音ばかりかいているわたしですので、もしかして説得力
に欠けるかしら?と思いながら書いています。
 わたしはホンネ人間ですので、自分を大きく見せたいなどの気持ちは
まったくありません。ですから生きていくのが大変楽でストレスも溜まり
ません。以前は友人達から「そんなに正直に自分を出すととても損だよ。
あなたの権威性がなくなるし、もう少しカッコをつけたら」、またある霊能者
はお世辞のつもりか、「それだけできるあなたなのに、その凄みがまったく
ない」と言われたこともありました。でもわたしは凄みやカリスマ性や
権威性など大嫌いで、他人に何と言われようと、等身大の自分がとても
好きで、これからもごく自然のままの自分を表現するつもりですので
どうぞよろしく。
  ☆ みんなに好かれようなんて無理なこと
 世の中には「誰からも好かれたい」と言う人が実に沢山いるようで
カウンセリングルームを訪れる方の、90%はそんなタイプです。
 人に良く思われたり、好かれたりするために自分の本当の気持ちを
偽って生きるなんて、こんなことは大変ナンセンスです。
 そんな人に「ではあなたは嫌いな人はいないの?」と聞くと、必ず
「それは何人かいますが」と答えるので、「だからあなただってみんなに
好かれようと思うのは無理ではないかしら」と言います。
 すると「自分からも嫌っている人がいるのだ」とハッと気がついて
き大抵の方は笑い出しますが、実はそうなんです!自分だって嫌いな人が
いるんですから、他人だって同じことなのですから。
 ことに「イエスマン」は嫌われたくないために、自分の気持ちを抑えて
我慢して、相手に合わせることが多いのです。
世の中で最も大切なのは「自分自身」嫌なことは決して無理をしないで
上手にノウを言いましょう。その方が精神衛生上ズーット良いですから。
  ☆ これだけは言われたくないこと
 そしてわたしはいつもクライアントにこう言います。自分が人に迷惑を
掛けたり、悲しませたり、また法律に触れなければ何をしたって良いのです。
 あなたの良識で判断して行動すれば、他人の目など気にしないで、自分の
気持ちに素直に生きると、心の負担はずっと少なくなくなるのですと。
 「そしてわたしもそのように生きているので、他人に何を言われても平気
でもこれだけは絶対言われたくない言葉が三つあるの」、とここまで書いたら
それを友人に言ったとき、彼は「デブでしょ」と瞬時に返したことを思い
出しましたが。失礼な!と怒りましたがヤッパリそれは我慢できる範囲。
 それは「無神経、ケチ、ずうずうしい」ですが、これだけは死んでも
絶対に言われたくない言葉で、それらを言われないようにわたしは生き
ているつもりです。するとクライアントは吹き出しながら「確かにそう
ですね」と納得し、だんだん自分の気持ちに正直になり、自己主張できる
ようになって、ノビノビと生きられるように変化をします。
    ☆ これが大切なポイント
 また自分の気持ちに正直なあまり、他人を不快にさせないよう、それら
についての言葉の使い方や、他人の気持ちに敏感になるための、ノンバーバル
(非言語的)な相手の対応などについても、詳しくアドバイスしますが-----
 もしもあなたも心あたりがあったとしたら?他人の目よりも自分の気持
ちに正直になる工夫をし、精神的な負担をできるだけ軽くするように努力
しましょう。いくらあなたががんばったり、無理をしたりしても、すべての
人に「00さんは素晴しい人だ」と思われるのは不可能なのですから------
 そのように考えると、ストレスが溜まらなくなり、生きていくのがズット楽に
なるのではないでしょうか。一言で申し上げれば「自分の気持ちに素直に、
そして相手と適度に協調する」がベストでしょう。
 わたし個人の考えでは努力や我慢や忍耐などは、自分自身のためで、決して
他人のためではないと思うのですが、とは言ってもまったくそれらがないと
脱常識人と思われることでしょう。すべては自分のホンネと、相手とのバランス
感覚だと思います。そして、それらが上手に生きていくコツかもしれません。
                               能里子

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