ビビッド能里子トーク・サロン

心身両面の指導者として感じたこと

何事もない日の有難さ

2014年09月30日 | えっせー
夜6時20分ベランダで空を見上げると、三日月が光っている。
突然の御嶽山の噴火で、大勢の人が亡くなったが、本当にお気の毒だと思う。
 大自然はいつ、何が起きるか分からない。毎日テレビや新聞でニュースを見て
いるが、避けられない突然の惨禍は、人々の人生を大きく変えてしまうのだろう。
 捜索活動や、その救助に命懸けで携わっている大勢の方々のご苦労は、はかり
知れない。わが身にかえてみれば、普通に過ごせた今日の有難みが、より重く
感じられる。

 食べ方は生き方につながる

2014年09月29日 | アドバイス
☆高齢者の低栄養、栄養不足
 先日NHKの「クローズアップ現代」「アサイチ」でも取り上げられたが
調べてみたら、何と70歳以上は5人に一人は栄養不足だそうで、高齢者の
方が若者より栄養が必要だなんて…大変驚いてしまった。
 私は食生活は大変重視していて、日頃から食事には人一倍気を使っているが
そのためか、今現在は健康度はパーフェクトと言ってもよい。
 健康寿命を伸ばすためには、重要なたんぱく質をきちんと摂取しなけれ
ばならないことを、私は昨年改めて十分に学んだ。
 「食事は頭で食べる」と昔から言われるが、不健康な原因の一つは、好きな
ものを好きなだけ食べ、栄養やバランスのことなどあまり考えないようだ。
 しかしこれからは老人に限らず、食生活には、十分留意することが大変重要
だと思う。

 高齢者に限らず、栄養不足は病気ににかかりやすく、また回復能力も遅いから
だ。私は先日あるところで「老化を防ぎ健康を保つコツ」というタイトルでお話
させていただいたが、「ビビッドエイジング研究家」と自称している自分の健康度
を証明するために、毎年お誕生日にしている健康診断を早めて受けた。
 その血液の数値の結果だが、レントゲンも、心電図も、血圧も正常だった。
それは長年バランスの摂れた食生活と、運動が習慣の日常の結果だと思うが
無論両親から授かった、遺伝もあるのだ感謝している。
※ 高齢者の私の現在の血液の数値(少々おこがましいのですが…)
  
 この年齢ですべてベストなのは、肥満体質のため絶えずローカロリーで高蛋白の
食事を心がけているからで、私はお魚より、絶対に肉のほうが好きだ。
 でも20代から肉の脂肪はほとんど食べない、ステーキも本当はサーロインが
好きだが、ひれしか食べないようにしている。
 料理好きなので手間ひまを惜しまず、すべて手作りで、お付き合い以外の外食は
滅多にしない。お昼も夕食も、外食や、お弁当など食べる人は、不健康なのは当然だ。
 夫は50代で本態性高血圧になった。そのため特に食事に注意していて、自営業
でいつも家にいるが、お付き合い以外の外食はさせたことはたった一度もない。
「夫の健康管理だけは誰にも負けない」と自負していたのに、また違う病気になり
ガッカリした。先日健康診断のときに、それをホームドクターにお話したら、「仕方
がないね、DNMが違うんだから、双子でないしね」と笑われ、成程と納得した次第。
 
 我が家ではタンパク質類(肉、魚介類、卵、豆類、乳製品)は必ず毎日4種類は
摂るようにしているし、野菜類も7種類食べるよう心がけているが、今は野菜類が
高いので、主婦としては工夫が大変だが、栄養素はしっかり摂っているはずだ。
 ちなみに私が毎日食べている朝食をご紹介すると…
 1 スムージージュース(リンゴ1個、人参1本、自家製ヨーグルト、小麦胚芽
   きな粉をたっぷり入れて)
 2 木の実(くるみ、アーモンド、くこ、プルーンなど少しずつ)
 3 コーヒー一杯。
  肥満症のため、大好きなパンをもう15年以上も食べていない。
 でも、食べたい時には、我慢せずに食べることにしている。
 ※毎日の朝食
    

  炭水化物は抜きだが、これで朝食は十分栄養素は摂れていると思っている。
 高齢になって痩せると、衰えるのは歴然としているが、(先日3キロ痩せたと自慢
 した同世代の友人は、シワが目立ちすっかり老けていた)私は枯れ木のような
 干物のようなおバーさんになりたくはないので、毎日きちんと栄養素を摂っている。
  でも、すぐに肥るので、絶対にトドのようにならないように注意し、やや太めの
 体重をキープしている。これは他人からも、自分でも驚くほどだが、回復力が大変
 早いことで、風邪気味だなと感じたり、疲れたなとか、腰が痛い、肩がこることなど
 があっても、少し注意すると次の日には、必ず治ってしまうので有難い。
  いつまでも健康で、若々しくいられるように、これからも毎日しっかり食べて
 運動も続けて行きたと思っている。
  まだ若いあなたも、毎日の食生活が、一生を通じて心身の健康に大きな影響が
 あることを、肝に命じてくださいね。
  

久しぶりのベルグソン時間

2014年09月28日 | えっせー
 今日私は突然高いところから東京を俯瞰したくなったが、やや疲弊気味な我儘な
神経を、上手にコントロールするためには、心のままに行動するのがベストだ。
 そうだ、突然ひらめいたのは、景色のよい美術館それは新宿の、あの有名なゴッホ
の「ひまわり」がある「損保ジャパン日本興亜美術館」だった。
 ネットで調べたら印象派の「ノルマンディー展」をやっている。
南フランスを訪れた帰りに、少しだけ訪れたノルマンディ地方、凄い大きな魚介
市場と、お魚が苦手なので、見ただけでもう食べられなくなった、ホテルのお魚
料理を思い出した。でももしもできればもう一度行きたいところだ。
 印象派のふるさと「ノルマンディー展」、私はそうなると行動は素早い。
そこなら我が家から25分で行けるから、夕食の準備まで家に帰れると思って
家を飛び出したのが二時半。

 結果は広い視界で晴れ渡った都内を、一人でゆっくり見たが、ことにいつも
歩いている新宿周辺がまじかに見えるのは楽しかった。
 美術館は静かで、ちょうどよい程度の入場者で、ゆっくり一時間以上見たが
男性が大変多かったが、人の話し声は全然なく、静かな芸術的な空間だった。
 嬉しかったのは、思いがけず「グランマ、モーゼス」の絵に出会えたこと。
私は59歳の最後の夜に、一流ホテルで盛大な自分への褒美パーティを開き、これ
から「第二のスタート」と、粋がっていたが…
 でも、現代とはまったく価値観が違うその時代には、絶えず「これでよいの
だろうか」と、心の中で私は逡巡していた。
 そんなとき伊勢丹美術館で、巡り合ったのが「グランマ、モーゼス」だった。
そのメルヘンチックな絵が大好きだったが、農家の主婦で60歳を過ぎて画家に
なったことにも感動したし、私に勇気を与えてくれた「グランマ、モーゼス」
だった。すぐにその画集を買って、落ち込むと自分を奮い立たせるために、それを
眺めた。その経歴の紹介とともに、最後の部屋に3枚だけあったメルヘンチックな
素敵な絵は、今日も私をとても癒してくれた。
 
 ガラス張りのショーケースで展示されている、
ゴッホ「ヒマワリ」ゴーギャン「アリスカンの並木道、アルル」
 セザンヌ「リンゴとナフキン」の三点の名画の前にはソフアーがあり、その
名画をしばらく眺める人も多いようだが、私もそこに座って、その名画を眺めた。
 ゆったりとした時間の流れは、私にとってはまさしく「ベルグソン時間」
久しぶりで心の奥の襞の隅々まで、とても潤ったように感じられた
素晴らしいひとときだった。
     

「世界心理治療学会」で発表した小池能里子のアドバイス

2014年09月27日 | 世界心理治療学会アドバイス
 ☆ 幸せは自分の心が決めるもの
「自分の存在感がなく、生きているのが楽しくないのです」と、30代のUさん
が相談にきました。実年齢を聞いてちょっと驚きましたが、独身の女性とは思え
ないほど、華やぎがなく表情はあまりさえませんでした。
 現在はまだ両親と一緒に住んでいるそうですが、次々に話すその理由は…
 ※最近付き合っていた人に振られた。
 ※結婚願望がありながら、今まであまり異性にふり返られなかったこと。
 ※長年働いてい自分は能力があると思うが、職場では認められず不満。
 ※会社と自宅との往復だけで、毎日つまらないこと。
 ※幸せな家庭を持ちながら、バリバリ働いている友人達が羨ましくてならない
などでした。

 性格分析や心理テスト結果は、真面目で几帳面を絵に描いたようで、融通性が
なく、一見おとなしそうですが、嫉妬心や競争心が大変強いことも分かりました。
 ことにマイナス思考や、嫉妬心をなくし、柔軟性を高めるコツなどについて、そ
れらをどのように変えるかについて、いろいろな事例を元に、具体的に詳しくアド
バイスしました。また、半年前に別れた男性を今でも時折思い出してばかりいる
と言う訴えに「もう愛がなくなった人を追うのは自分がみじめ、彼との思い出の写真
やプレゼントなどは思い切ってすべて処分すること」と、すすめました。
 私達は意識と無意識で生きていますが、実は意識よりも、無意識の持つ力が大変
強いのです。

 そのためUさんには、「もう一人の水面下の自分を味方につけるための方法」と
して科学的な自律訓練法、自己暗示法、また催眠法を応用してイメージトレーニング
の他に、私創案のやさしい「セルフ・ヒーリング法」などを指導しました。
 自分を変えるためには、自分の内面を理解することが絶対に必要です。
今まで気がつかなかった自分自身を知ることで、「今まで自分が何故幸せになれな
かったのか」その原因がだんだん明確になったことで、Uさんは毎日自分が向上でき
るために、潜在意識(無意識)を、味方につける訓練をくり返しました。
 すると、少しずつですがだんだん変化をしてきたのです。

 その他に、表情を明るくするための訓練、美しい笑顔のつくり方、また印象を
良くする言葉の使い方なども、全身が映る大きな鏡の前でくり返しご指導しました。
 すると、何となく暗い感じだったUさんは、とても明るい表情になり、さらに
チャーミングな笑顔になり、随分若々しく見えるようになりました。
 ことに「幸せは感じる能力、自分の前にある幸せに気がつかず、ないものばかり
求めているのでは、永久に幸せにはなれない。すべて否定的に捉えるあなたの考え
方を変換しなければ、一生満足した生き方ができませんよ」、と私が言った言葉で
目から鱗が落ちたようだったと後で言っていました。
 
 それから半年間過ぎましたが、Uさんはまるで生まれ変わったように明るく
前向きになり、毎日イキイキして働いて、職場でも後輩達からは頼りにされる
存在になったと報告がありました。自分自身の内面をしっかり把握し、自分を
向上できるように努力すれば、何歳になっても必ず「幸せ敏感性格」になれる
のです。Uさんはそのサンプルのような指導例でした。
 不平と不満ばかりでは決して幸せにはなれませんが、お心当たりのある方は
考え方を少しだけ方向転換するだけで、人生が大きく変わるのです。
 その方向性が明確になるのが、私の指導法です。
 


心が押しつぶされそうな時

2014年09月26日 | えっせー
 私は楽しかったことを思い出すようにしている。
その時には、たまたまテレビで見たカリブ海のクルージングを思い出した。
 それは2004年5月10日、クルージング中に寄った、バハマで買った帆船が
私のカウンセリングルームに飾ってある。
 いろいろな島に寄ったが、バハマは最も大きな港で、客船が直接港に着いた。
あの日は空が青く美しかった、島を車で周って、大きなショッピングセンターに
寄って自分の思い出のためにお土産を買った。
 
 カリブ海クルージングは本当に楽しかった、昼間はプールで泳ぎ、夜は毎晩
ドレスアップしてレストランでディナーしたり、ダンスホールで踊ったりした。
華やかで、ゴージャスな、本当に素敵なクルージングだった。
 停泊している船の上から見た、ひたひたと押し寄せる波は、本当に美しいブルー
でいくら見ても飽きなかった。あれから早10年過ぎたが、今の私がこんな状況に
なるなんて… ずーっと一生楽しい人生だと思っていたのに、でも、そう甘くは
ないと思う。

 私は結婚した20歳から33歳まで、人並み以上自分を抑圧して、さまざまな
心身症になった。でも、34歳で社会に出てから、ほとんど我慢せずに、やりたい
ことのすべてを夫の理解から実現した。だから、昔の友人は「ちょっと神様」と
言った夫を大切にしなければならないと、自分に言い聞かせた。。
 ※ バハマで買った帆船とショッキングピンクのスカーフ
     

自分の感情を抑えられなかった朝

2014年09月25日 | えっせー
 ☆ これからもズーッと介護と思ったら
 妻としては当然、あまりにもやさしかった夫だから、などと思いながら、ホンネ
ではときどき「あなたがやらなければどうするの」「長年のご恩返しでしょ!」と
自分に言い聞かせている。退院してから、夫好みの料理を作っても、「口がまずい」
「食べたくない」と、ほとんど食べてくれない。
「そう、やっぱりまだ治っていないのよねー」と言いながら、私はガッカリする。
これがいつまで続くのかしら、きっと間もなくふつうに食べてくれるはず、と思い
ながら毎回ゴミにする、せっかく作ったお総菜。
 
 今朝は先日退院して時処方された薬の事で、頭が動転してパニックになり、思わず
夫を怒鳴りつけてしまった。彼は何も言わずそんな私をじっと見ているだけで
「感じていないのかしら?」と思ったら、余計にカッカしたが…
 でも、ヤッパリ夫は病気なんだから可哀そう、そう思うと「怒ってゴメンナサイ」と
心の中でそっと謝った。「あなたはプロでしょ!ふつうの奥さんじゃないのよ、もっと
冷静に」と、自分をコントロールしたけれど、でもこんな状態が私の一生続くのだと
ちょっと暗然とした気持ちになった。
 介護とはとても精神的な忍耐を要するものだが、でも最近家の中で不思議なことが
二度あり、もしかしたら呪われているのかな、なーんて考えるのは平常心でないの
かも知れない。

 

空は繋がっている

2014年09月24日 | えっせー
 公園を歩いていてあまりに美しかったので、携帯で撮ったが、空は世界中が
繋がっている。世界ではさまざまなことが起きているが、それぞれの思いで
空を見る人々が、きっと多いのだろう。
 幼い頃から空を見るのが大好きだったが、落ちつきのない私が、縁側に寝転ん
でいつまでも飽きずに見ていた空、今は見えないけれど現在はさまざまなもの
が飛び交っているのだ。お月様にはウサギがいると、信じていた昔が懐かしい。
  
  

私しかできない心理療法を続けたい

2014年09月23日 | えっせー
 ☆ダンススタジオを辞めて、改めて気づいたこと 
「できれば私はいつまでも仕事を続けたい」と、絶えず思うのは、34歳で
ソシアルダンス教師として社会に出てから、長年まったく休みなくさまざまな
研鑽をした沢山のキャリアがあるからだ。
 夫の入退院4回など、この3カ月間あまりに忙しいときには、心ならずも指導を
何度かお断りしたが、でもその間も原稿を書いたり、講演もこなしたりした。
 過去において私はいつも時代を先取りしていたので、それを知っていた世界的に
有名だったS教授は、「あなたはダンスやヨーガだけじゃなくて、他にもいろいろ
なことができて良いね」と、時々おっしゃった。
 先生は医学博士で、催眠法にも長けていらしたが、やはりフィジカルな面を
かなり重要視なさっていたようで、ご自分はそれができたら良いと、絶えず
もどかしく感じていらしたようだった。
 まだ「表情筋」と言う言葉さえなかった時代、1999年6月に私は扶桑社から
こんな本を刊行している。
 その七章のうち一章は「チャームアップ・フェイスエクササイズ」
   二章は「好感度満点の、しぐさ、姿勢、歩き方」
だったが、まだ声について勉強していなかったので書いてはいない。
 心理的な内容だけより、その頃は、かなりユニークな身体面の指導内容を、ぜひ
加えたいと要望があったからだった。
   
 そんな昔からいろいろ指導できたのに、心理療法では今までダンススタジオで
補助的にしか取り入れていなかった。
 「好感度を高めるため」の身体面の指導(表情、姿勢、歩き方、視線の使い方
声、話し方、しぐさなど)を、これからもっと積極的に取り入れたいと思っている。
 すると、大昔時間と莫大な費用をかけて催眠法をマスターしたのに、勇気がなくて
それをいつまで仕事に応用できず、「宝の持ち腐れだから、少しでも早く指導する
するように」と、先生に言われたことを思い出した。
 それは今までの私も同じような状態だったのだと感じたが、ダンススタジオを辞め
改めて見えてきたのはこんな気づきだった。
 カウンセリング・ルームの設備が整った来月半ば頃から、これからもっと積極的に
心身両面の、私だけしかできないご指導をしたいと考えている。
 まるで使用前と使用後のサンプルのように、劇的に変化するクライアントの数は
枚挙にいとまない。夫の介護が最優先になるが、とても遣り甲斐のある大好きな仕事
だし、これからも時間を作って、私独自の心理療法を続けていきたい。


男のおしゃれ

2014年09月22日 | えっせー
 「ピンク男子女ごころくすぐる」昨日の読売新聞の記事の見出しだが、そう
言えば最近ピンク系を着ている男性が増えたが、上手に着こなしている人も
いるが、そうでもない人もいる。
 昔は「男色」と「女色」と、ハッキリ分かれていたが、現在は何でもありなので
男性がどんなカラーを着ても、あまり違和感はない。
 しかし私の好みであまりおしゃれな男性より、地味で平凡な方が好ましい。
夫は何か買おうと言うと、「いらない、要らない」の連発だが、彼に着せるもの
はすべて私好みだ。気に入るとすぐ買うので、物凄く数を持っている。
「もう着ききれないほどあるからいらないと」と言いながら、新しいのを買うと
すぐにそれを着ているようだから、彼も結構新し物好きだ。
 昔から他人達から「ダンデイ」などと言われているが、妻としては悪い気はしない。
でも、私は派手な男性とは、一緒に歩きたくないのがホンネだ。
 今突然思い出したが、ある男性がこう言ったことがあった。
「別に全然関わりがなくても、あんまり見苦しい女性と一緒に歩くのは絶対嫌だ」と。
 これは年齢や性別に関わらず、誰でもホンネなのかも知れない。
だからお互いに、いつもこぎれいにしていましょうね。

帰ってきた妖精ドール

2014年09月21日 | えっせー
 ☆そっと膝に乗せて
 胆のう摘出手術をした夫は、昨日の痛みが嘘のように元気になっていたが、動くと
まだお腹がつるように感じるらしい。でも昨日一日絶食だったのに、朝から普通食に
なって驚いたが、医学の進歩は何と素晴らしいのかしらと嬉しくなった。
 明日は退院できるそうだが、息子が迎えに行ってくれると言うので、私はナース
ステーションに、感謝の気持ちをお伝えし、皆さんでどうぞとお礼のお菓子を
差し上げた。今回の退院は前回と違って、夫は随分元気そうで嬉しかった。
 私は夫のお守りにと持って行った、私の大切な妖精ドールを連れて帰ろうと
したが、持って行く時にバッグに入れたため、大切な羽根が傷ついてしまった。
 明日退院するので、一日早く家に持って帰ろうと思ったが、そのデリケート
な羽根を傷つけないように、タクシーで膝に乗せて帰った。
   
 その20年以上前に一目ぼれして、私の物書きの私の守り神として買ったもう一人
の妖精ドールが、古くなりとてもみすぼらしくなった。
 でもとても大切にしていたので、どうしても捨てがたい。
ネットで調べ作者が分かったので、方向オンチの私は、友人と一緒に横浜
の先生のアトリエへ行って、ボデーやお顔はそのままでに、衣装の着せ替えを
お願いした。出来上がるまでに淋しいから、沢山ある創作人形の中で、すっかり
気に入った妖精ドールをもう一人買った。
 その妖精ドールには、「2009年1月23日、若月まり子」と先生のサインが入りだ。
私は幼い頃からお人形やぬいぐるみが大好きで、それは今でもあまり変わらない。
 そっと膝に乗せてきたケイトは、心なしか嬉しそうだった。
 明日は夫が帰ってくるから、私もとても嬉しい。

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