ビビッド能里子トーク・サロン

心身両面の指導者として感じたこと

まだ戦争は残っていた

2017年01月29日 | えっせー
 昨日メールを開いたら、Nさんのご主人が92歳で亡くなった訃報だった。
Nさんは私のヨーガ教室の古い生徒さんだが、フルブライト留学生で外資系の
キャリアウーマンの大変優秀な方で、その頃大勢いた生徒たちの憧れの的だった。
 亡くなったご主人はある大手企業のNY社長で、大学教授だったお父様の教え子
だったそうだ。Nさんは確か55歳の時再婚し、ニューヨークへ行ったが、それ
からずっと交流は続いていた。私が多分20年以上前に、その頃大ブームだと言う
ニューヨークへ行き、ヨーガの教室を何か所か見学した時案内してくれた。
 また次の日は、ステキなご自宅に、アメリカ人との日本人のヨーガの先生を呼んで
下さって、食事をしながら、NYのヨーガの現状について、色々説明してくれたの
も忘れない。

 青山にあったマンションと、ニューヨークの自宅とをしばらく行ったり
来たりしていたが、体力的にきつくなり、多分10年程前にニューヨークに永住する
ことを決断し青山のマンションでお別れパーティをやったが、二度お目にかかった
ご主人はスラリとしたとても素敵な方だった。でもご主人の体調が悪くなり、3年ほど
前に日本に帰国して、それからずっと自宅や施設で介護をなさっていた。
 「赤い日の丸の海軍旗に包まれ、当時の錨の刺繍のついたカーキ色の戦闘帽を
かぶり、沢山の花に包まれて旅立ちました」と書いてあった。
 海軍少尉だったそうですが、かなり明晰で「トランプの話しは聞きたくきない」
とおっしゃっていたそうだ。最後まで軍人魂を失わなかったとようで、とても胸を
打たれ心からご冥福を祈った。長年に渡るNさんの献身的な介護には、随分感謝
をなさっていたようだ。

 私は小学生だったので戦争も知っているし、空襲で恐ろしい思いをしたり、戦災で家も
焼かれ、石川県への疎開した経験もある。
「戦後71年というの日本史始まって以来の平和な時期」に、その人生のほとんどを重ねられた
幸せを絶えず感謝をしているが、身近なところでまだ戦争を引きずっている方もいたのだと
改めて感じた日だった。

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