昨日メールを開いたら、Nさんのご主人が92歳で亡くなった訃報だった。
Nさんは私のヨーガ教室の古い生徒さんだが、フルブライト留学生で外資系の
キャリアウーマンの大変優秀な方で、その頃大勢いた生徒たちの憧れの的だった。
亡くなったご主人はある大手企業のNY社長で、大学教授だったお父様の教え子
だったそうだ。Nさんは確か55歳の時再婚し、ニューヨークへ行ったが、それ
からずっと交流は続いていた。私が多分20年以上前に、その頃大ブームだと言う
ニューヨークへ行き、ヨーガの教室を何か所か見学した時案内してくれた。
また次の日は、ステキなご自宅に、アメリカ人との日本人のヨーガの先生を呼んで
下さって、食事をしながら、NYのヨーガの現状について、色々説明してくれたの
も忘れない。
青山にあったマンションと、ニューヨークの自宅とをしばらく行ったり
来たりしていたが、体力的にきつくなり、多分10年程前にニューヨークに永住する
ことを決断し青山のマンションでお別れパーティをやったが、二度お目にかかった
ご主人はスラリとしたとても素敵な方だった。でもご主人の体調が悪くなり、3年ほど
前に日本に帰国して、それからずっと自宅や施設で介護をなさっていた。
「赤い日の丸の海軍旗に包まれ、当時の錨の刺繍のついたカーキ色の戦闘帽を
かぶり、沢山の花に包まれて旅立ちました」と書いてあった。
海軍少尉だったそうですが、かなり明晰で「トランプの話しは聞きたくきない」
とおっしゃっていたそうだ。最後まで軍人魂を失わなかったとようで、とても胸を
打たれ心からご冥福を祈った。長年に渡るNさんの献身的な介護には、随分感謝
をなさっていたようだ。
私は小学生だったので戦争も知っているし、空襲で恐ろしい思いをしたり、戦災で家も
焼かれ、石川県への疎開した経験もある。
「戦後71年というの日本史始まって以来の平和な時期」に、その人生のほとんどを重ねられた
幸せを絶えず感謝をしているが、身近なところでまだ戦争を引きずっている方もいたのだと
改めて感じた日だった。
Nさんは私のヨーガ教室の古い生徒さんだが、フルブライト留学生で外資系の
キャリアウーマンの大変優秀な方で、その頃大勢いた生徒たちの憧れの的だった。
亡くなったご主人はある大手企業のNY社長で、大学教授だったお父様の教え子
だったそうだ。Nさんは確か55歳の時再婚し、ニューヨークへ行ったが、それ
からずっと交流は続いていた。私が多分20年以上前に、その頃大ブームだと言う
ニューヨークへ行き、ヨーガの教室を何か所か見学した時案内してくれた。
また次の日は、ステキなご自宅に、アメリカ人との日本人のヨーガの先生を呼んで
下さって、食事をしながら、NYのヨーガの現状について、色々説明してくれたの
も忘れない。
青山にあったマンションと、ニューヨークの自宅とをしばらく行ったり
来たりしていたが、体力的にきつくなり、多分10年程前にニューヨークに永住する
ことを決断し青山のマンションでお別れパーティをやったが、二度お目にかかった
ご主人はスラリとしたとても素敵な方だった。でもご主人の体調が悪くなり、3年ほど
前に日本に帰国して、それからずっと自宅や施設で介護をなさっていた。
「赤い日の丸の海軍旗に包まれ、当時の錨の刺繍のついたカーキ色の戦闘帽を
かぶり、沢山の花に包まれて旅立ちました」と書いてあった。
海軍少尉だったそうですが、かなり明晰で「トランプの話しは聞きたくきない」
とおっしゃっていたそうだ。最後まで軍人魂を失わなかったとようで、とても胸を
打たれ心からご冥福を祈った。長年に渡るNさんの献身的な介護には、随分感謝
をなさっていたようだ。
私は小学生だったので戦争も知っているし、空襲で恐ろしい思いをしたり、戦災で家も
焼かれ、石川県への疎開した経験もある。
「戦後71年というの日本史始まって以来の平和な時期」に、その人生のほとんどを重ねられた
幸せを絶えず感謝をしているが、身近なところでまだ戦争を引きずっている方もいたのだと
改めて感じた日だった。
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